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第3章の15 月はその光をなくす

“憎め、殺し合え。憎しみこそがわしの力。その力をわしに捧げよ”


 勇輝はゆっくり目を開けた。焦点が合わない瞳はあてもなくさまよい、突然目的を思い出した勇輝は跳ね起きる。


「弥生!」


 とたんにクラリとめまいが襲って体を縮こめた。


「無理をするな」


 横から聞こえた声に勇輝は驚いて顔を素早くそちらに向ける。彼は石の上に腰を下ろし、呆れた顔で勇輝を見ていた。全身を黒で覆った男。

 周りを見渡すと、ここはどうやら洞窟の中らしい。


「やはり弥生の仲間か……人間がいるとは聞いていなかったぞ」


 彼はゆったりとした歩調で勇輝へと歩み寄り、横に腰を下ろした。灰色の目に見つめられて、無意識に背筋が伸びる。


「……あなたは、誰ですか?」


 黒い衣装には見覚えがある。あの女の人も黒い服を着ていた。


「俺は阿修羅だ」


 勇輝はその名を聞いたとたん身構え、警戒心を露わにする。


(この人が、秀斗が言ってた阿修羅)


 想像していたよりも線が細く、整った顔をしている。勇輝は阿修羅像のような強面をイメージしていたのだ。


「……俺をどうする気ですか」


 きっと睨む勇輝に対し、阿修羅は面倒臭そうに返した。


「助けた奴の命なんていらん。こんなところに一人でやってくる人間の命などもっといらん」


 歯に物を着せぬ言い方に勇輝が少し傷ついていると、阿修羅はおもむろに勇輝の胸元に手を伸ばした。

 指先がペンダントに触れそうになった瞬間、バチッと火花が散り阿修羅は手を引っ込める。


「なるほど、闇は敵認識か。おい人間の子ども、これを外せ」


「……勇輝です」


 勇輝は子ども呼ばわりされたことに腹をたたせながら、首にぶら下げていたお守りを取った。弾丸の軌道をそらせるぐらいの力はあるらしいそれは、たしかに力を持つ人を弾いていた。


「そのまま、闇を許すと言え」


 命令口調に勇輝はむっとしつつ、言うことを聞いておいた。なんとなく彼に敵意がないことが分かったからだ。


「……闇を許す」


 阿修羅はその言葉を聞くと手を突き出した。渡せということらしい。

 勇輝はしばらくためらったが、彼の手にお守りを置いた。今度は彼を拒絶することなく掌に収まる。


「こんなに偏った元素ばかり持っているから倒れるんだ」


 阿修羅は呆れた声でそう言い、上着のポケットから自身の紡命珠を取り出すと、大きさを調整していく。


「え? このせいだったの?」


「こいつらは光よりだ。闇の気が渦巻くここでは押し負ける。その影響が主人に現れるんだ」


 阿修羅は小さくなった紡命珠を掌で転がし、指でつまんだ。それをお守りに近づけると、それは吸い込まれるように収まった。全体を動かしてそれぞれの珠を微調整する。


「……増えた」


 六つの小さな珠が増えたペンダントは、黒が全体を引き立て調和が取れていた。


「これで銃弾を弾けるぐらいにはなったか。闇が入れば安定する。他の闇に付け入られることもない」


「あ、ありがとうございます」


 勇輝はひとまず頭を下げておいた。流れが見えないが、感謝するところだろう。


「しかし、よくこれだけ集めたな。願い事を叶える気か?」


 阿修羅は珠の一つ一つに目をやる。


「え? 七つ集めれば願い事が叶うアレみたいな?」


「あぁ、七つ……光があれば全ての元素が揃う。昔話だが、全ての元素の珠を集めれば願い事が叶うらしい」


 阿修羅は淡々と説明すると、御守りを勇輝へと突き返した。

 勇輝は素敵な言い伝えに心を躍らせたが、ふと心に疑問が浮かぶ。


「……敵なのになんでこんなことするんですか?」


 勇輝はお守りをぎゅっと握ってそう訊いた。

 彼は最初から謎だった。敵のはずなのに、自分を助けてくれ、その上珠までくれた。


「俺はお前に対してなんの因縁もない。それにお前のような人間を誰が敵にする? それとも秀斗が何か言ったか?」


 灰色の切れ長の目に見据えられ、勇輝は慌てて否定する。


「え、いえ、なんにも言ってません! ほんと全然、むしろいい人って言ってました! その、なんか名前が怖そうだったから、敵だって、あと鎖羅と一緒に……」


 焦ったあまり、思いもよらぬことを口にしてしまった。慌てて口を塞ぐ。


(名前が怖いとか、めっちゃ失礼じゃん!)


 だが口から出てしまったものはもう戻れない。勇輝は覚悟を決めて阿修羅の言葉を待った。


「……くっ、くくく。俺の名か……それに秀斗が俺をいい人だと?」


 しかし阿修羅は怒るどころかおかしそうに忍び笑いをもらす。よほどいい人がつぼにはまったのか、阿修羅はしばらく笑っていた。


「なるほどな。あいつらがお前と一緒にいる理由がわかった気がする」


 阿修羅はぽかんとしている勇輝から離れ、岩の近くに置いてあった荷物の中から食べ物を取り出した。それを勇輝に投げ、自身は岩の上に腰をかける。


「食べろよ、腹減ってんだろ?」


 勇輝は投げ渡されたパンを見て、よだれが出てきた。朝起きてすぐに秀斗を見つけたため、朝食を食べていなかったのだ。


(……でもなんでわかったんだ?)


 そんな思いが顔に出ていたのか、阿修羅は少し呆れた顔で、


「寝てる間、うわごとのように腹が減ったと言っていた。そんな奴、殺す気も失せる」


 と答えた。

 勇輝は急に恥ずかしくなり、勢いよくパンにかぶりつく。


「まぁ、他には止めるだなんだと呟いていたか」


 勇輝はその言葉で盛大にむせた。


「そうだよ! 俺こんなことしてる場合じゃない! 弥生を助けにいかなきゃ!」


 ゲホゲホと胸を叩く勇輝に、阿修羅は面倒臭そうに水が入った容器を投げた。


「そう急ぐな。まだ終わってはいない」


 阿修羅は闘いの覇動が伝わる森へと視線を向ける。勇輝は水を飲み、ほっと息をついた。


「良かった……あれ、ということは阿修羅さんも止めにきたんですか?」


 勇輝は残りのパンを口に入れる。


「いいや。俺にこの闘いを止める義理はない。それにこれは鎖羅の願いでもあるしな」


 聞いた覚えのある言葉に、勇輝は顔に影を落とす。ゆっくり噛んで、飲みこんだ。


(弥生と闘って、剣を交え、そして……)


 阿修羅は森の向こうに意識を集中させた。彼の耳には覇動に乗って剣戟の音が聞こえている。

 昔はこの音の合間に楽しげな声が混じっていた。それを秀斗と二人眺めていたのだ。

 だが今は黒い感情が剣から迸る。

 ざっと、物音がして阿修羅は洞窟内に視線を戻した。


「阿修羅さん、俺行きます」


 勇輝がパンを全て食べ終え、首にお守りをかけて立ち上がっていた。


「俺は弥生を助けたいんです」


 阿修羅はしばらく無言で勇輝の目を見つめた。彼を試すような目つきでじっと瞳を覗き込む。


(強い意志……弥生を純粋に助けようとしている……)


 やがて阿修羅はすっと視線をそらすと、己の荷物を持ち、霧のように霧散させた。そして先にほら穴から外にでる。


「そうか、来い。俺も鎖羅に用がある」


 勇輝は大きく頷いて外に出た。先ほどとは違って息が苦しくなることもなく、体も軽かった。

 外に出てみると、勇輝がいた場所はほら穴や洞窟というより、崖に出来た裂け目だったらしい。

 首が痛くなるほど高い崖に呆気に取られていると、阿修羅はすでに先を歩いていた。

 その後を慌てて勇輝が追う。その背中を見ながら、勇輝は何故秀斗が彼について多くを語らなかったのか分かった気がした。


(確かに、いい人だ。かっこいいし)


 どこか人を恐れさせるところがある。だが、それを補う優しさがあった。そして何よりも惹きつけられる。


 勇輝は森の先、弥生と鎖羅がいる方角を見据えた。必ず助けると心に誓って。





 森の奥、開けたその場所で剣撃の、鋭い悲鳴のような音が響く。

 何十分が経過しても勝負がつかなかった。

 斬り上げればその先に相手の剣があり、斬りかかれば受けて流される。刺突は空を穿ち、絶え間なく音が鳴り響く。


「憎い……鎖羅」


「あぁ、憎いさ。弥生」


 狂気の目。打ちあうほどにその思いは強くなる。裏切られた痛みが、仲間を殺された痛みが、その思いを強くする。

 鼓膜を震わす音。指先から伝わる振動。それらが鎖羅の記憶を呼び戻す。過去へ、過去へと誘っていく……。



 扉を開けた途端、血の臭気がした。


「なっ……」


 鎖羅は二人の新しい制服を床に落とした。本部から帰れば、悲惨な現状が目の前に広がっていたのだ。頭がこの状況を理解するのに数秒を要した。

 壁に、床に血が付着し、人だった物が転がっている。黒い服が血に塗れている。誰が敵で、誰が仲間だったのか……。

 最初に頭に浮かんだことは賊の侵入。そして弥生の安否だった。


「何があった……?」


 鎖羅は死体を一つずつ確認し、それが妹ではないことに胸を撫で下ろす。死体は全て喉をかき斬られており、即死であったと思われる。


(弥生は無事か……)


 床に伏す物の中には共に暮らした仲間もいれば、見たことの無い顔もあった。


「誰が、こんなことを……」


 鎖羅は拳をぐっと握った。己がいれば、撃退できたかもしれない。そう思うとやり切れなくなる。身が切られるような苦しみ。仲間を失うことはあまりにも辛い。


「弥生だ」


 ふいに声がして、鎖羅はそちらに顔を向ける。慣れ親しんだ声だった。


「……馬鹿を言うな」


 鎖羅は怒りを含んだ視線を阿修羅に向けた。

 阿修羅は暖炉にもたれて立ち、蛇の置物を手で遊ばせていた。


「弥生は仲間に手はかけない」


「だが、半数は死体もなく血の跡が残るだけ。これは、お前の剣術だ……これが出来るのはお前を除けば」


「嘘だ」


 鎖羅は続く言葉を遮って、言葉を吐く。否定をしても、嫌なものが胸を取り巻いた。


「それは、お前が一番分かっているだろ」


 阿修羅は蛇の置物に目を落とし、四つの頭を持つそれを愛しそうに撫でた。


「現に、弥生も秀斗も屋敷から姿を消した」


 阿修羅は冷たい視線を鎖羅に向ける。その目は敵に向けるもの、彼は二人を敵だと言ったのだ。

 鎖羅はじわじわと理解していく。


「……何故、何故だ。ここにいるのが苦痛であったのなら、言えば良かったのだ……何故仲間を殺した?」


 鎖羅は震える声で、もう一度死体の山を見まわした。無残に死んでいった仲間、同じ黒騎に所属したものは家族に近い繋がりがある。

 その中で、弥生は特別な妹だったのだ。

 その関係が、一瞬で壊れた。


「俺たちは闇。天の眷族であるあいつらとは相いれなかったのさ」


 阿修羅は仲間の死もたいして気にしていない様子で、鎖羅に視線を注いでいた。口もとにはうっすらと笑みまで浮かんでいる。


「阿修羅、我が間違っていたのか? 我が弥生のためを思ってしたことは、全て間違っていたのか?」


 鎖羅は血の海に目を落とす。戸惑い、後悔、苛立ちが一気に押し寄せ一つの感情を形成していく。何にこの感情をぶつければいいのか。この感情を何と呼べばいいのか。


「何故……何故我が大切に思っているものを、殺した? 弥生……我はお前を、本当の妹だと思っていたのに」


 鎖羅が纏う空気が少しずつ禍々しいものに変わっていく。それを阿修羅は楽しそうに見守っていた。

 純粋な闇は、負の感情を力に質を変えていく。


「憎い……何故殺した。何故仲間を裏切った……我はお前を憎むぞ、弥生!」


 悲痛な叫び。胸が張り裂けるような痛みは、憎しみに変わった。


(いい顔だ。信じていた者に裏切られ、心を憎しみで満たした。闇はそれに反応し、濃く邪悪に変わる)


 阿修羅は満足そうな笑みを見せる。


「鎖羅、行こう。ボスがお呼びだ」


 阿修羅は置物を暖炉の上に戻し、くいっと手招きをする。鎖羅は顔を上げたが、また屍と化した仲間に視線を戻した。


「彼らを置いてはいけない」


「かまわない。本部に連絡を入れておいた。すぐに処理に来る」


 阿修羅は心配ないと、踵を返して歩きだした。鎖羅は後ろ髪を引かれながらも阿修羅の後を追う……。そこで記憶は途切れた。




 刃同士がこすれあう研磨音。剣撃に覇動を込めれば、相克し風を巻き起こす。

 二人が撃ちあう度に髪が靡き、触れるようですり抜けていく。黒髪に銀が重なることはない。


(ボスの要件は指令だった……その指令から帰れば仲間は全員埋葬され、無になっていた……この感情を残して)


 鎖羅は闇宵を握り直し、右斜めに斬り上げた。刀身はすぐに止められたが、手頸を返して逆に弥生の剣を封じ込める。


「弥生……お前の剣術は我には通用せぬ。分かっているだろ」


「貴様の剣術を使うよりはましだ」


 鎖羅は不愉快そうに眉をひそめ、力任せに弥生を押し切って距離を取った。

 弥生の姿に、幼い頃の弥生の姿が重なった。姉と慕い、剣術を教えていた日々が蘇る。


(ずっと共にいて、互いを分かり合えたと思っていた……だが弥生は裏切った。我は、この湧きあがる感情を、憎しみを晴らす)


 鎖羅は刃に覇動を纏わせ、刃が触れあうと同時に弥生へと放った。

 弥生も刃を通して覇動を放ち、二つの覇動はせめぎ合う。一度でも覇動の侵入を許せば腕が吹き飛ぶ。下手すれば即死だ。

 覇動を流し続ける闘い。こうなると魔力量が減少している弥生が不利になる。

 覇動はせめぎ合いを続け、徐々に鎖羅が押していく。月の覇動はじりじりと後退していった。


「うっ!」


 覇動で押し負け、弥生は吹き飛ばされた。背中を木にぶつけ、強い痛みを感じる。


「軟弱だな。月はこんなものか……」


 冷酷な鎖羅の言葉に、弥生は立ち上がり睨みつける。感情の昂りに応じて髪の色が黒に近づいていく。


「月とは哀れな生き物だな!」


 鎖羅は地面を強く踏み切り、体をしならせて上段に振りかざす。


「黙れ!」


 弥生は激高し、さらに髪の色は黒に近くなる。鎖羅の重みのある剣を受け流し、間髪入れずに横に薙ぎ払った。


(あの日、裏切った女が目の前にいる……それだけで胸の奥が熱い……煮えたぎるようだ。憎い、憎い……もう何も考えられない。ただ、己の願いを)


 弥生は月契に覇動を纏わせ、構え直した。月契がカタカタと震えている。

 憎しみが強くなるほど、闇の力が増す。

 弥生は渾身の力を込めて鎖羅に斬りかかる。覇動を纏った刃が金属音を立ててぶつかり、一拍遅れて爆風が起こった。衝撃が地面をえぐり、風が木々を揺らす。最大の覇動のぶつかり合いた。

 覇動の衝突が止み、覇動の壁が消失した瞬間、弥生は別の覇動を感じた。互いの覇動が消えた一瞬しか感じることのできないほど微量な覇動。

 弥生の胸に一気にざわめきが起こった。鎖羅を剣で牽制しつつ、神経をそちらに向ける。


(あいつらが来たのか……? いや、違う……幽かだが私の覇動も……まさか、勇輝?)


 微弱で、かつ多様な覇動。それは全員の思いが入ったお守り。そしてその持ち主は、確実にこちらに近づいていた。もう一つの覇動と共に。


「どうした弥生。心配ごとか?」


 少し表情が強張ったのを見逃さず、鎖羅は意地の悪い笑みを見せた。見透かしたような笑みは弥生に確信を抱かせる。


「お前、何かしたのか」


 知らず知らずに声が震えていた。

 もう一つの覇動は仲間のものでは無かった。

 別の闇、阿修羅のもの。その上、勇輝が一人で来たとは考えられない。


「さぁ。ただ我は、お前の仲間をきちんともてなせと言っただけだ。なぁ弥生。仲間を殺された気持ちがどんなものか、知っているか?」


 鎖羅は喉の奥で笑い、挑発を含んだ視線を弥生に向けた。


「あいつらに……手を出したのか」


 低い弥生の声。月契はそれに恐れをなすように震えている。


「知らぬ」


 楽しそうに弾んだ鎖羅の声。それが弥生に強い衝動を与えた。憎しみが倍増し、覇動が足元から立ち上り髪を靡かせる。

 カチリと世界が切り替わった気がした。


「……殺す! 貴様を許さない!」


 弥生はかっと目を見開き、月契を痛いほど握る。その柄は黒く染まっていた。髪は完全に黒くなり、覇動は闇と化している。月が眠っていき、闇がその姿を見せる。


(なんだ……? 弥生の覇動が弱まっていく)


 徐々に弱まっていく弥生を見て、鎖羅は薄く笑った。


「相変わらず弱いな。これくらいで月の力が弱まるとは」


 嘲る鎖羅の声も、もう弥生には届いていなかった。ただ、敵のみにその神経は注がれる。

 震える月契を抑え込むように握り直し、弥生は地面を強く踏み切った。

 鎖羅の間合い一歩手前で大きく右に飛び退き、着地すると同時に身をひねって鎖羅の後ろに回り込む。だがそれに合わせて鎖羅も身を翻して弥生を迎え討つ態勢に入った。

弥生は月契を振りかざす。

 攻撃と破壊を、その血は求めている。

 弥生は攻撃を止めようとはせず、月契を振り下ろした。

 キィンと空気を切り裂く音が鼓膜をつんざく。衝撃を腕全体で受け止め、力を入れる。


「殺す!」


 だが刃の激突とともに伝わる衝撃は、突然軽くなった。ピキッと不吉な音がいやに鮮明に聞こえる。


「なっ!」


 罅は広がり、両者が目を見開いたと同時に、月契が二つに折れた。弥生の目には黒に浸食された刀身が地面へと落下していく様子がゆっくりと映っていく。

 召喚型の剣は己の力を剣に具現化したものであり、その刀身が折れることなどあるはずがない。


(……何故だ? 私は負けたのか?)


 呆然とする弥生の脳裏に、男の声が響く。


“貴よ”


 月契の声はどこか辛そうで、深い悲しみを宿していた。


“貴よ。我はその女に負けたわけではない……貴の憎しみに負けたのだ”


 淡々と、月契は言葉を紡ぐ。憎しみが引き起こした闇の力が、月である月契を蝕んだのだ。


“貴よ、己を憎しみから解放せよ。”


 常に傍にいて見ていた。人間界に来た時も、黒騎を去った時も、弥生は悲しみ絶望し、そして憎んだ。弥生は憎しみに囚われすぎていたのだ。

 月契はそう言い残すと光の粒子となって霧散する。弥生は何も握っていない、虚〈から〉になった手を驚愕の表情で見つめた。そしてゆっくり、口角を上げる。それは嘲笑ではなく、微笑だった。

 ぞっと何かが体を駆け抜ける。

 月契が消える。それは月の力が消滅するということ……。


「うっ、うわぁぁぁぁ!」


 月の抑えが無くなり、制御できない量の闇の力が体から迸る。眠りから覚めた闇の力は覇動という形にならず、ただ荒らぶる力として黒い手を四方に伸ばす。


「何だ⁉」


 弥生の動きが止まった瞬間を狙った鎖羅は、きっ先を寸前で止め、自身をも包もうとしている闇の触手を振り払った。


「弥生! これは何だ!」


「あぁぁ……うぅ」


 弥生は頭を抱え、月が消える恐怖に固く目を瞑っていた。闇の増幅は止められない。

 鎖羅と弥生の間に闇が入り込み、弥生の姿は闇に隠れる。


「ちっ」


 闇は二人を包み、姿を消した。それ自身が意志を持つように力を操る。

 この地に残ったのは、地面をえぐる穴。そして月契の刃だった……。


三章文を見直ししていて誤字脱字がぼちぼち。改変しても文末表現が変わるくらいなので内容に影響はありません。


ちなみに、最近多い誤字が鎖羅のセリフ。

まだ下書き段階で見つけられますが、彼女の一人称は我なんですね。しかしなかなか作者は慣れず、ついつい私と言わせてしまう。

気づいたら報告お願いします。


では次回「月を失った人々は闇の道を惑う(仮)」で。

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