第3章の14 衝突
“来い、そして憎め。そしてわしの色に染まれ”
纏わりつくような闇の気。それはこの空間全てに満ちている。昔はほのかに感じられるぐらいの象徴だったそれは、体を蝕むほど強いものに変わっていた。気を抜けば、すぐに体を持っていかれる。月の力を失いそうだった。
(……やはり一人で来て正解だった。こんなところ、あいつらならすぐに闇に呑まれる)
闇を多く体に持っている弥生だからこそ耐えられるのだ。少し懐かしい気分に浸りながら闇が凝縮している場所へと向かう。
闇の気以外は何も変わっていない空間、氷騎。昔、阿修羅が率いていた小隊の名だと聞いた。弥生も秀斗も、二人の正体を知らない。
彼らが何故こちらにいるのかも、闇の国、グランオスクリタ帝国がどうなったのかも訊こうともしなかった。必要とも思わなかったからだ。
「鎖羅……」
体の奥では嬉しそうに触手を伸ばす闇を月の力が押しとどめていた。
森を、ここを出る時に秀斗と抜けた森を歩く。この先に開けた場所があり、そこで鎖羅から剣を教わったこともあった。
(憎い……憎い、この願いが果たせる)
空には真っ黒な雲が渦巻いている。生ぬるい風が弥生を撫でる。彼女を歓迎するように優しく、しつこく。
徐々に木々が減り、覇動が強くなる。弥生は逸る気持ちを抑え、ゆっくりと草をかき分けて進んだ。
開けていく視界、人影が見えた。
弥生は草むらを抜け、広場へ足を踏み入れる。彼女は妖艶な笑みを浮かべて、弥生を歓迎した。
「弥生、抜け。始めようではないか、命のやりとりを」
挨拶も無しに、鎖羅は彼女の剣、闇宵を鞘から抜いた。細身の長剣。リーチでは鎖羅が有利だ。
「鎖羅……この憎しみを、終わらせる」
弥生も月契を抜き、鎖羅へと構えた。両者目を離さず、間合いを取る。張りつめた糸のような緊張がその場を支配した。
「仲間の敵は、討たせてもらうぞ」
鎖羅はそう言い置き、覇動を放つと同時に弥生に踏み込んだ。右下方から切り上げる。
それを弥生が受け、弾き返した。二撃、三撃と鎖羅は攻撃の手を緩めず、弥生は一手ずつ見極めて防いでいく。
鎖羅の姿がふっとかき消え、弥生の背後に出現する。弥生はそれを感じ取り、迫る刃を月契で受け止めた。
弥生も新月による俊足を生かし、鎖羅の背後を取って斬りかかった。
言葉は交わさない。言葉よりも目が語っていた。異様な光を灯した瞳は、互いに告げていた。ただ憎いと。
闇が支配する空間に、斬撃の音が響く。空気を震わせ、心を震わせるその音は遠く、屋敷にも届くかのようだった……。
強い光、続いて体が引っ張られる感覚。何かが起った。そして、それが終わったことを伝えたのは、足に感じる確かな着地感。
「……マジかよ」
秀斗の呟きで彼らは目を開け、その視線を巡らせた。見たことのない部屋、おそらくすでに空間の中。
人気はなく、調度品だけが存在している。造りからして、広間のようだった。
「秀斗君、ここって……」
ある可能性に気づいた癒慰が秀斗へと問いかける。それに秀斗は苦汁に満ちた顔で言葉を返した。
「あぁ、俺たちがいた屋敷だ……あいつは、俺たちを弥生に近づけたくねぇらしい」
「早くここを出ましょう。弥生ちゃんを見つけませんと」
「それは無理です」
零華が一つの扉へと顔を向けた時、突然人影が現れた。彼らは瞬時に反応し攻撃態勢にとって様子を見る。音もなく出現した彼女は、無表情で言葉を紡ぎ始めた。
「あなた方にはここで決する時を待ってもらいます」
淡々と、人形のように話す彼女に秀斗はくってかかった。
「んなもん知るかよ。俺は行くぜ」
「鎖羅様の邪魔をすることは私たちが許しません」
私たち、と言葉が発せられた途端、柱や壁から人が現れる。その数は三十ほど。全員黒い服で身を固め、手には武器を持っている。
「ちっ……鎖羅が様づけたぁ、幹部にでもなったのか?」
秀斗は会話を続行し、相手に気づかれないように錬魔に目配せをした。後ろに下げた指で、窓を示す。
「いいえ。鎖羅様も阿修羅様もまだここで暮らしておられます。私たちにとって魔術師は拝するもの。まして、闇の力を持たれる二人は……」
「へぇ。あんた敵にしてはえらく饒舌じゃねぇか」
秀斗は自分たちを囲みつつある敵にも注意を払いながら、会話を長引かせようと試みる。
(攻撃の意志は薄い。足止めが目的か……他の奴らはあの女の命令がない限り動かねぇみたいだな)
「主から、きっちりともてなすように言われていますので」
「そいつは……お茶でも出るともっといいけどな」
秀斗の言葉が終わるか終らないかの内に、錬魔が窓へと向かって走り出した。止めようと動きを見せる敵の意識を落とし、窓に手かけ押しあけた。
「なっ!」
開けた瞬間に闇の気が錬魔を襲い、火の力が震えあがる。錬魔はすぐに窓を閉め、その場を離れた。
「錬魔!」
外に何があるのか、彼らはすぐに分かった。
己の中の力が怯えたのが分かる。それほど禍々しい闇の気。
「これは迂闊に出れば闇に呑まれる」
錬魔は苦々しげに舌打ちをして、女を睨んだ。強く気をもって、やっと動けるぐらいだろう。この中で全力を出すことは到底無理だ。
「弥生ちゃんはこの中を闘ってるの⁉」
心配そうな声を癒慰が上げ、再び秀斗が舌打ちをした。
「弥生は俺たちに比べれば耐性が強い……だが長くは持たねぇ」
秀斗が強行突破を狙おうか考えていると、突然零華が顔を引きつらせて悲痛な声を上げた。
「みなさん! 勇輝君がいません!」
え? と彼らの顔に動揺が走る。彼らはすぐに部屋を見回すが、少年の姿は無かった。
「てめぇ、勇輝をどこにやりやがった!」
すぐに秀斗が女に詰問する。
「ゆうき? 誰ですか、それは」
だが、女の反応は彼らが予想したものとは大きく違った。また別の動揺が彼らに走る。
「誰って……俺らと一緒にここに来た仲間だ」
動揺を隠しながら、秀斗はそれが演技かどうか見極めようとする。
「仲間? 私たちが聞いた仲間は、魔術師四名ですが」
彼らの中に徐々に嫌なものが広がっていく。
「勇輝は新しく入った人間だ……」
「人間? 私たちは魔術師四名をここに呼ぶように仰せつかったので、人間など知りません。おそらく、この空間のどこかに落ちたのでしょう」
女は天気予報でも告げているような単調さで見解を述べる。
彼らは一斉に窓の外を見た。闇の気が強い外、人間がそこにいればどうなるのか。
「勇輝君は無事なの?」
「さぁ。これまで人間がここに来たことはありませんから。平気かもしれませんし、命に危険が及ぶかもしれません」
「どうしよう! 早く探さなきゃ!」
癒慰は顔を青くして、窓の外を懸命に見る。そこに勇輝がいないかと願いながら。
「癒慰落ち着け。お前の力はなんのためにある」
取り乱す癒慰を錬魔が諌める。癒慰がはっと気付いた顔に変わった。
「そうね、出ていけないならここで探せばいいのよ。土炯!」
癒慰は右手を突き出し、掌を下に向けて己の武器を呼んだ。すぐに床から浮き出るように鏡が出てくる。抱えられるほどの大きさで、見事な装飾が施されていた。
「主よ、命を」
広間に厳かな声が響いた。
この鏡は癒慰自身の力が具現化したもの。癒慰の力は攻撃という形を取らずに、探索へと特化したのだ。この鏡は知っている対象を映すことができる。
彼女は空中に浮かぶそれに手をかざして、求めている者の名を告げる。
「勇輝君を見つけて、彼は五つの元素を持っているわ」
人を探すのに手がかりとなるのは覇動。人間の場合は気配を追うことになるが、気配は薄く容易に紛れる。だから彼らはもしものために勇輝にお守りを持たせたのだ。
「五つの元素」
鏡は与えられた手掛かりをたよりに空間を探す。鏡には不明瞭な景色が映り、人の姿はなかなか捉えられない。
「主、外の闇が強すぎて他の覇動が消されている。追跡が出来ない」
お守りが放つ覇動は微量すぎて、闇の気が強いこの空間では上手く作用しないらしい。
「……嘘。気配は? 何か感じるものはある?」
鏡はしばらく黙って辺りを探り続けた。不明瞭な景色が、時折鮮やかになり、また暗くなることもあった。
「気配はある。少し弱いが、死ぬほどではなさそうだ」
鏡のその言葉に彼らの内に安堵が広がる。
「近くに月の覇動を感じるが?」
「弥生か!」
「映して!」
「仰せのままに」
ほどなく映像は鮮明になり、弥生の姿が映し出された。同時に鏡が拡大していき、見やすい大きさで安定する。
「もう闘いが始まってるわ」
鏡の中の弥生は、鎖羅へと上段から斬りかかった。それをあっさり交わされ、避けざまに一撃が放たれる。弥生はそれを寸前で避け、再び斬りかかった。
「さすが鎖羅様、お強い」
「……苦戦してるようね」
彼らはその闘いに見入った。今すぐにでも駆けつけたい。だが、彼らを囲む敵と空間に立ち込める闇の気が彼らを屋敷に押しとどめる。もし誰か一人でも闇と化すれば、元に戻せる保証はない。彼らは互いに強く、闇と化した仲間を殺さずに気絶させるのは至難の業だからだ。
「弥生……」
秀斗が悲痛な表情で鏡の中の弥生を見つめた。
弥生は突きだされた刃を、寸前のところで避けた。首筋に細い傷が入る。
鍔迫り合いにもつれ込み、離れては斬りかかる。
鎖羅の刃が完全に弥生を捉えることはない。傷はどれも浅く、赤く線が滲むくらいだ。
弥生が突きだした刃を鎖羅はいなし、引き際に切り上げる。その刃はあと少しで喉元に食い込みそうになった。
「あの弥生が押されるとは」
錬魔は唇を強く噛む。弥生の髪はだいぶ灰色に近く、確実に闇に蝕まれている。
「あの、秀斗君。鎖羅は弥生ちゃんの血のことを知っているのですか?」
零華は鏡から目を離さずに秀斗に尋ねた。
「いや……たぶんあの人は知らねぇ。覇動を探るのは全くダメな人だったから……でも、阿修羅、は知ってるかもしれねぇ」
秀斗は常に飄々としていた彼を思い出した。阿修羅の行動は不可解なところも多く、何を考えているのかわからない男だった。
そのうちに鎖羅の刃が弥生の目前に迫って、彼らは息を飲む。弥生は紙一重でそれをかわし、突きを繰り出した。
秀斗は二人の闘いを見て、ぎりっと奥歯を噛む。
「……俺はまた見てるだけだ。親しい奴らが殺しあってるのに、俺は何にもできやしねぇ!」
秀斗はきつく拳を握って吐き捨てた。守ると誓っておきながら、結局自分は安全なところにいる。それが悔しかった。
(阿修羅、愛しい奴を守り抜けって言ったのはお前じゃねぇか。今てめぇは何してやがんだ……阿修羅!)
秀斗の掌には爪が食い込み、痛々しい痕をつけていた。だがそれにも気付かずに、秀斗はさらに力をこめた……。
強い光、体が引きつけられたかと思えば、弾き飛ばされたように急速に地面に落下した。
勇輝はチカチカする目を瞬かせて、周囲に首を巡らせた。見渡すかぎり木。どうやら森の中のようだ。
勇輝はひとまず立ち上がり、人影がないか探した。
「みんな~……は、いなさそう」
だが四方全てが森。人どころか動物すら見えない。
勇輝は頭を掻いて、ひとまず歩き始めた。森を抜ければ誰かと出会えるかもしれない。
そう思いながら歩いていると、ふと違和感を覚えた。胸の辺りがどんどん重く、熱くなっていく。息も苦しくなってきた。
(少し歩いてこれ? いつのまに体力落ちたんだろ)
心臓は走ってもいないのに早鐘を打ち、視界はチカチカと光がチラついて、頭痛まで起こり始めた。
(何だ? もしかしてここの空気に毒……が?)
数歩歩いて、勇輝は前のめりに倒れた。
突然足が動かなくなったのだ。横になって少し楽になるが、それは意識が遠のいているせいだった。視界が朧になり、痛覚が麻痺する。
(やべぇ、これ死ぬ? 弥生助けに来て俺が死ぬとかとんだマヌケじゃん……あ、これダメ……かも)
すぐに勇輝の視界は暗転した。意識を手放し、一切の苦しみから解放される。小さく肩が上下し、それがかろうじて彼が生きていることを示した。
時が少し流れ、獣もいない森にじゃりっと土を踏む音が聞こえる。
「……人間の子ども?」
その声の主は、高い視点から勇輝を見下ろしていた……。
やっと出てきた、癒慰の武器。土炯です。
人がいなくなった時は便利ですが、悪用するといろいろ覗き放題でプライバシーの侵害そのものです。こわいこわい。
スットクのほう、エピローグまでできたので週に一か二で投稿します。
今通算で90話目です。100いったら何か記念イベントをするべきでしょうか。
50はすっとばしましたが……。
まぁ、ゆっくり考えておきましょう。
では次回「月はその光をなくす」で……タイトル不吉だぁ。




