第3章の10 もれいづる月の影のさやけさ
二人が黒騎に来てから二十五年が経ち、鎖羅と阿修羅は突然ふらりと指令を受けていなくなる以外、ずっと屋敷にいた。丁度魔術師にとっては五年。外見年齢が五歳分成長したように見える。
二人とも身長が伸びて、黒騎の制服が小さくなっていた。それを見て、大人二人は新しいのを貰ってこようと、笑って二人の頭を撫でた。家族のような暖かさ。それは、弥生と秀斗が感じたことの無いものだった。
たまに秀斗と弥生をつれ、人間界を見て回ることもあった。弥生の表情は少し優しくなり、笑うことも多くなった。瞳も光と強さを持つようになったのだ。
秀斗は弥生の笑顔を見る度に、ここに来て良かったと感じた。二人はずっとここで過ごすと信じて疑わなかった……。
黒い雲が空を支配しているある日の午後。
弥生は少し丈の短い制服に目を落とし、ふと笑みを浮かべた。鎖羅がくれた制服。自分がここにいたことの証明。
弥生はホールへと続く扉を押した。鎖羅にここに来るように言われたのだ。
「……鎖羅――?」
弥生は無人の部屋を見回す。まだ鎖羅は来ていないらしい。
弥生はふと暖炉の上にあるオブジェに目を留めた。何時もは視界を横切るだけのそれに、何故か引きこまれる。
それは蛇の置物だった。頭が四つあるが、動体は絡みあい、尾は一つになっている奇妙な蛇。四つの頭が口を開け、牙を剥いている。蛇なのに龍のようだと、最初に見た時に思った。
(こんな色の石、あったか?)
弥生が気になったのは、蛇の額にあった石だ。四体の内、二体には前から黒い、ガーネットが嵌っていた。だが今は、三体目に真珠がはまっている。
「第三の蛇、ロビナシア様が光臨なさったのです」
突然現れた声に、弥生はハッと振り向く。そこには知らない女性がいた。一切気配を感じさせずに出現した女に弥生は警戒心を抱く。
「……誰だ」
女はにこりと笑った。彼女は全身を黒衣で纏っている。おそらく黒騎の者。
「掃除をしに来ました」
女はすっと片足をひいた。弥生は手を下に伸ばし、すぐにでも月契を呼ぶ態勢になる。
「君をね」
突如女は強く床を踏みきり、弥生へと飛び込んできた。人並み外れた跳躍力で突っ込んでくる彼女を、弥生は横に転がって避けその手に月契を握る。
「さすがは、鎖羅様が育てただけはありますね」
女の輪郭がぶれ、次の瞬間には弥生の真横に姿を見せる。視界の上部で何かが光った。
耳をつんざく金属音。女のナイフを弥生は月契で受ける。
「あらぁ? 簡単には死んでくれないのね」
ざくっと、一斉に足音がした。弥生は一気に増えた気配に息をのむ。柱の後ろから、壁から、人が出てくる。その数は三十以上、誰もが黒衣に身を包んでいる。その中には、共にこの屋敷で過ごしていた者もいた。
「何故私を殺そうとする」
弥生はすばやく敵の数を把握し、間合いを取りながら女に問う。
「……教えない」
女は目をぎらつかせ、弥生に躍りかかる。
弥生はくっと奥歯を噛んで、敵をその目に映す。弥生は身を低くして、女が突きだしたナイフを避けると、斬り上げた。刃が人体に食い込むと同時に覇動を流し込み、敵の体を内側から破壊する。
鎖羅に教わった剣術、その力を刃に象る召喚型の剣を持つ故の技だ。
女は血しぶきと化す。そしてそれが合図だったかのように、見物をしていた敵たちが動き出した。
一斉に弥生へと刃を向け、攻撃へと移る。ある者は斬りかかり、ある者はその手から光を放つ。
「ちっ……こいつら異能者か」
弥生は間合いに入って来たものを一人ずつ肉片に変えていくが、多勢に無勢、どうも劣勢だった。
「くっ……」
視界を閃光が掠め、腕に焼けたような痛みが走った。すぐにその方向に光の球を投げ込む。足にも無数の裂傷が刻まれている。
(何が起こっているんだ……秀、阿修羅、鎖羅――)
同時に襲ってきた三人を覇動で弾き飛ばし、血の雨を降らせていく。
だが、着実に弥生も傷を負っていく。黒い制服の下には白い素肌が見え、血が滲んでいた。
襲撃者達は何もしゃべらず、ただ機械的に攻撃を繰り返した。
石の床には血が這うように流れ、足場を悪くする。弥生は服にも、肌にも、髪にも返り血を浴びていた。
やっと敵の数が半分まで減った時、慣れ親しんだ覇動を感じて、弥生は顔に希望をよぎらせた。
暖炉の前に現れた、新たな人影。
「鎖羅――」
だが弥生は鎖羅を見た瞬間、背筋が凍った。その瞳があまりにも冷たくて、腕を組んでこちらを見つめるその姿が、あまりにも楽しそうだったから。
「そんな奴らに、手こずっているのか?」
「……え?」
「やはり月は月か」
弥生の顔は少しずつ強張っていく。その答えに辿り着きたくないと、首を無意識に横に振っていた。 弥生はうわ言のように鎖羅の名を呼ぶ。姉と慕った彼女の名を。
「私が、お前のような奴を妹にすると思ったのか? 私がお前を必要とすると?」
しかし彼女は非情にも刃の言葉を吐いた。愉悦に顔を崩しながら。
弥生は何か口にしようとしたが、声がかすれて言葉にならない。視界が徐々に、黒く蝕まれていく。
彼女ではないと否定しようとしても、その覇動が鎖羅であることを告げる。
「な……ん、で?」
やっと言葉に出来ても、それが鎖羅の心に届くことはなかった。
「飽きた。姉妹ごっこも楽しかったが、月は闇にはなれぬ。お前はもういらない」
初めて他人に憧れた。初めて家族の温かさを知った。初めて、生きていることを認めてもらえた。
その人が、否定した。全てを……。
視界が、真っ暗に染まった。
「鎖羅ぁぁぁぁ!」
信じていたのに、裏切られた。その思いが、その悲しみが憎しみとなって、弥生の闇を目覚めさせた。
髪は瞬時に黒くなり、纏う覇動は闇のそれに成り変わる。
弥生は震える月契を握り直すと、自身を取り囲んでいた敵に突っ込んだ。
片っ端から首筋を斬りつけ、心臓を突き刺す。鎖羅の剣術ではない、自身の剣術。斬りつけた勢いを殺すことなく次の敵に刃を突き出す。大勢の敵と相対することに特化した剣術。
それは、弥生が生きてきた中で自然に身についたものだった。
もう、何も考えられなかった。体の奥底から湧きあがる激情を抑えることができずに、手当たりしだいに斬りつけ、解き放つ。
弥生の視界は、ずっと鎖羅を捉えていた。彼女は仲間が殺されても眉一つ動かさず、冷笑を浮かべている。
そしてついに弥生は最後の一人を葬り、鎖羅と対峙した。両者の間で覇動がせめぎ合う。
邪悪な闇を持つ姉と、闇に染まった妹。
「無様だな。憎しみに闇と化したか。不安定な月などいらぬ」
弥生はぎりっと唇を噛んで剣を持つ腕を、ゆっくりと上げていった。そしてその耳に、緊迫した声が届く。
「弥生!」
それはいつも傍にいてくれた人の声。共に闘い、守りあった同胞。
秀斗はホールの惨状と弥生の姿を見て言葉を無くした。しばし呆然と辺りを見回していたが、我に返ると弥生へと駆け寄る。
「弥生、お前……」
だが弥生は秀斗には目もくれず、鎖羅を睨んでいた。
「……去れ」
冷たい言葉が二人の足もとに刺さる。弥生は切っ先を鎖羅へと向けた。悲しい、虚無を湛えた瞳をしながら。
本能で危険を感じ取った秀斗は、弥生が行動に移る前に鳩尾に拳を入れた。普段なら避けられる。だが、今の弥生に秀斗は見えていなかった。
弥生は短く呻いて気を失い、髪の色が銀へと戻る。主が意識を喪失したと同時に月契はその姿を粒子に変え消失した。
「……鎖羅」
秀斗は弥生を追い詰めた本人へと視線を移す。視線が絡みあった瞬間、ぞっと寒気がした。闇よりなお深い闇の覇動。純粋な闇に混ざる邪悪な気配。
秀斗は心底恐ろしいと思った。そして言葉を選んで答をだす。彼女の冷たい要求に対する答えを。
「俺たちは共にここに来ました。だから一緒に出ていきます。……今まで、ありがとうございました」
秀斗は気を失った弥生を抱きかかえ、鎖羅に背を向けた。闇まで堕ちた弥生は全身に傷を負い、服に付く血は己のものかどうかの判断すらできない。
秀斗は弥生を抱えて廊下を歩く。鎖羅は追ってこない。
秀斗はずいぶん身長が伸び、簡単に弥生を抱えることができるようになっていた。二人が氷騎で過ごした時は、それほどの時間だった。
(阿修羅さんに挨拶してぇけど、そうも言ってられねぇしな)
秀斗は戸を蹴り開けて外に出る。外は大雨だった。その雨が弥生に付いた血を落としていき、秀斗は朧な足取りで進む。少し行って振り返ると、屋敷は雨の中で冷たい色をしていた。
秀斗は、はぁと息を吐いた。唐突に訪れた終わり。今分かるのは、腕の中にいる弥生の深い絶望。秀斗はぎゅっと弥生を強く抱きしめた。その傷ついた心を守るように。
そして空間の果てを目指して歩き続けた。
それから二人は、満月の度に異空間を渡ることを繰り返した……。
弥生は扉が叩かれる音で目を覚ました。虚ろな目で外を見ると、まだ雨は降っている。
夢の内容ははっきり覚えていた。
(楽しかった……だからこそ、憎い)
忘れたくとも、この夢がそれを許さない。
弥生はぐっと月契を抱き寄せた。
扉を叩く音は続いている。間隔が短くなり、来訪者は声を出した。
「弥生~、起きてる? 俺、勇輝だけど」
弥生は月契を腰にさし、扉の前まで歩く。
なんだか勇輝の声を聞くのがひどく久しぶりのような気がした。
「帰れ」
刃のような言葉に、勇輝はうっと呻いた。
「弥生~買い物行こうよ。天の岩戸なんてやってないで外で遊ばない?」
「買い物など興味ないし、岩など無い」
ばっさり断られ、古事記は知らないか、と勇輝は言葉を変える。
「ひっきーは良くないって」
扉越しでもわかる、勇輝の表情。彼は心配顔で、扉を叩いている。時々、その心配を隠すようにおどけた顔をしながら。
「今日の夕食は弥生が好きなリンゴだよ~。食べられてもいいの?」
それに対する弥生の返事はない。代わりに廊下の少し離れたところで成り行きを見守っている他四名が心の中でつっこんだ。
食べ物ではつるのは無理、と。
勇輝は一つ息を吐いて、扉に手を当てた。
「弥生。俺、お前に昔何があったかなんて知らない。でもさ、憎しみは良くないよ」
勇輝は弥生を引きずり出すことが不可能と判断すると、扉越しに本題に入る。勇輝は二人の憎しみ合う姿を見た。だからこそ、強く思う。
「帰れ」
突き落とすような口調。何時、この扉から剣が突き出るか分からない。それでも勇輝はその場から離れなかった。実際、弥生はこの間ずっと柄に手をかけていた。
「弥生、聞いて。憎しみは良くないんだって、憎しみは憎しみを呼ぶだけだ」
「きれい事をぬかすな!」
怒気を含んだ弥生の声。怒りとともに放たれた覇動で、扉が震える。
弥生は叫んだ自分に驚いていた。無視すればいいはずなのに、言葉が勝手に出ていた。
「きれい事だけど事実なんだ!」
勇輝も語気を強めて、言いかえす。聞け、と一度だけ強く扉を叩く。勇輝は弥生の憎しみも辛さもわからない。だが、言っておきたかった。
「俺はたくさんマンガとかアニメとか映画で憎しみを見た。復讐もたくさんあった。でもな、俺は一度だってそれらがハッピーエンドで終わったところを見てないんだ! 復讐したって、幸せにはなれない!」
弥生は扉に背を預け、苛立った声で返した。
「だから何だ。私は幸せなど求めない」
「あぁぁ、この分からず屋! 殺しあいなんて大っきらいなんだよ!」
勇輝は頭を掻き毟って、もう一度扉を強く叩いた。
「うるさい、去れ! 殺すぞ!」
声と共に硬質な音で扉が叩き返された。月契の鞘の音だ。
「弥生は俺を殺せない! 弥生は仲間を殺さない!」
それは、勇輝がこの三か月で得た確信。弥生の仲間に対する強い情。
「黙れ! 何も知らないくせに!」
「知らないよ! 弥生が何も言ってくれないからじゃん! 鎖羅って人との間に何があったか知らないけど、弥生こそ本当に知ってんのかよ! 知ろうとしたことあんのか!」
勇輝が扉を叩こうと拳を振り上げた時、扉は開き視界に閃光が走る。そして首を圧迫されたと思うや、背中に衝撃が走り鼻先にきっ先が突きつけられていた。
廊下の陰から飛び出してきた四人を、勇輝は手で制し、弥生を正面から見返す。
ひさしぶりに見る弥生の顔。切っ先の向こうにある瞳は澱み、光を感じることが出来なかった。
「これでもまだそんな甘ったれたことを言うのか」
「言うよ。弥生は俺を殺さない、絶対に」
弥生は鋭く舌打ちをし、乱暴に勇輝を離した。
「弥生!」
秀斗の呼び声に、弥生はゆっくり彼らの方向に首を巡らせた。彼らと目があった瞬間、彼らの表情に失望に似た色がよぎる。
弥生はそれを見て可笑しそうに喉の奥で笑った。
「弥生、その傷……」
錬魔が大股で歩み寄り、首の傷に手を伸ばした。それは線を引いたようにまっすぐ赤い傷だ。
「いい」
だが弥生は錬魔の手を半歩退いて避け、口角を上げた。
「これは楔だ。手あたりしだいに殺さないためのな」
弥生は傷を愛しそうに撫で、踵を返して歩きだした。
「ちょっと弥生ちゃん⁉」
癒慰が慌てて止めようとする。また引きこもられては困るのだ。
「部屋にこもられては困るんだろ? なに、外に出るだけだ。剣を振らないと腕が錆びるからな。安心しろ、ここから出ることはない」
弥生は皮肉っぽく言い残すと、廊下を先へと進んで行った。雨の降る、暗い夜へと。
その背を見送る彼らは、何とも言えない顔をしていた。
「昔の弥生に、戻っちまったな」
閑散とした廊下に、秀斗の寂しそうな声が響いた……。
神の名の裏話
鎖羅の武器は、最初剣ではありませんでした。
水晶で、名を闇無晶と言いました。詳しい能力は不明ですが、ネタ帳には水晶の絵が描かれていました……。
剣になったのは、突然弥生と戦うのに剣要るくね? と気づいたから。
やはり剣の勝負なら弥生と同じ召喚型の剣で! ということで今の闇宵となりました。この名前もぎりぎりまで考えてなかった。投稿するときに空白にしてたことを思い出したので、けっこうあせりました。
では次回「その如月の暁のころ」でお会いしましょう。




