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第3章の9 雲隠れにし夜半の月かな

 しとしとと雨が降る。薄暗い部屋、静かな空間。空には厚い雲がかかり、灰色の空は太陽の姿さえ隠してしまった。すぐに夜になるだろう。

 窓に白い吐息がかかる。銀の髪がさらりと肩から零れ落ちた。髪の隙間から赤い筋が覗く。

 それはつい先ほどつけられたかのように生々しかった。

 月契が肩に立てかけられ、弥生は壁に身をもたれさせて固く目を瞑っていた……。



(あぁ……またか)


 ぼんやりとした視界がはっきりし始め、意識も現実を捉えていく。


(また、この夢か)


 辺りの景色と記憶が一致し始めたところで、弥生はこれが夢だと知っていた。黒騎を出てから何度となく見た夢。始まりから終わりの日常。覚めたいと願っても、意識は夢から逃れられない。見たくないと願っても、視点はそこから動かない。

 目の前に広がるのは始まり、あの夜。二人との出会いからだった。

 弥生と秀斗に差し出された手、弥生は二人の力を恐れ、そして惹かれてその手を取った。

 それからの黒騎での日々が、弥生の視界に映し出されていった……。




「ここがお前らの家だ」


 と連れてこられたのは、異空間にある屋敷だった。こじんまりとした屋敷で、中に入ると黒衣の人々、五六人が迎えてくれた。

 二人は彼らに簡単に預かることになったと弥生と秀斗を紹介し、屋敷の奥へと進んで行った。

 弥生と秀斗はきょろきょろとせわしなく首を動かしている。

 秀斗はもの珍しさに、弥生は脱出経路の確認と違いはあったが、子どもらしい仕草であった。

 阿修羅と鎖羅の部屋は、屋敷内でも奥にあった。廊下を行くと手前に阿修羅の部屋があり、その数部屋奥が鎖羅の部屋となっていた。

 二人の部屋の間にはホールもあり、団欒が出来るようになっていた。

 四人はひとまずそのホールに入り、近くのソファーに座った。秀斗は興味深げに辺りを見回し、弥生は剣を身に引き寄せて警戒を怠らない。


「さてと、改めて自己紹介と行こうか」


 阿修羅は成り行きで連れてきた子ども二人に目を向けた。その顔には二人を気遣ってか、やんわりと笑みが浮かんでいる。


「俺は阿修羅、闇の魔術師だ。歳は十八」


「我は鎖羅。阿修羅と同じく闇に属している。歳は同じ十八。向うの年で言えば一年違うがな」


 二人は簡潔に自己紹介を終わらし、それでだ、と阿修羅が話し出した。


「同じ魔術師として、お前たちを保護させてもらった。あの国を子どもだけで生きるのは大変だからな……秀斗は俺、弥生は鎖羅と同室でいいな?」


 その問いに二人はこくりと頷いた。


「……あぁ、ここは黒騎という組織だ。まぁとくにすることないから、気にする必要はない」


 二人は黙っていた。何をどう話せば分からなかったのだ。互いに顔を見合わせ、そして阿修羅と鎖羅へと視線を戻す。


「つまらん。来い弥生、阿修羅といては息が詰まるだろう。我とともに寝よう」


 沈黙の多さに嫌気がさした鎖羅は、弥生の手を掴み強引に立たせると、引きずるように部屋を出て行った。


「や、弥生?」


 戸惑う弥生と目が合って、秀斗は思わず立ち上がる。だがその眼の前で、扉は無情にも閉められた。


(だ、大丈夫か? つーか、俺らここにいて本当に大丈夫か?)


 秀斗は阿修羅と二人きりにさせられて、急に不安が込み上げてきた。唐突すぎて信頼をどこに置けばいいのかわからない。


「しかしすることもないからな……寝るか」


 阿修羅はすくっと立ち上がり、秀斗を抱えて歩きだす。


「え、あの、はい?」


 ひょいっとつまみあげられ、肩に担がれた。

 そのまま荷物のように運ばれる。二人の容姿は八歳の子どもで、対する彼らは大人と同等の身長があった。


「今は夜だからな。子どもは寝る時間だ」


 この日、彼らが全く何なのか分からないまま二人は眠ることとなったのだ。





 そして数日を過ごしてみると、確かに彼らにすることがないことがよく分かった。阿修羅も鎖羅も一日中どこにも出かけること無く、部屋でのんびり過ごしていた。暇つぶしは書庫での読書。

 鎖羅はよく剣術の稽古もしていた。中庭の一角が潰され、鍛錬場になっていたのだ。

 そこで鎖羅は剣を振り、腕を磨く。鍛錬場の片隅に弥生もいた。ただじっと鎖羅を見ている。


「はぁっ!」


 鎖羅が気合いと共に剣を薙ぎ払うと、剣圧で立てられた丸太が全て両断された。それだけでなく、丸太の向こうに植えてある木まで倒れてしまった。弥生が感嘆の声を上げる。

 目をきらきらさせる弥生に笑いかけたが、内心冷や汗を流した。倒してしまった木は隣の花々を下敷きにしている。


(少々やりすぎたな。後で阿修羅にどやされる……)


 この鍛錬場だって、阿修羅に頼み込んで中庭を潰させてもらったのだ。中庭の木々を傷めないことを前提に……。


(奴は顔に似合わず繊細なところがあるからな……)


 ふと鎖羅は弥生に目をやり、目を瞬かせた。

 弥生が近づいている。ここ数日は十数メートル先から見ていたのだが、五メートルほどの距離まで近づいてきていた。

 そしてその視線が鎖羅の剣に注がれていることに気がついた。


「……見るか?」


 弥生が大きく頷いた。

 鎖羅の剣は西洋の剣で、細身の長剣だった。

 黒光りする刀身に、見事な修飾がなされた柄と鞘。

 弥生はそっとそれに手を伸ばしたが、すっと剣は引っ込められ鞘に収められる。


「触らぬ方がいい。これは召喚型の剣でな、闇に属する者以外は触ることはできぬ」


「……召喚。同じ」


 弥生はぽつりと自分の腰にある剣を示して呟いた。


「そうなのか。お前の剣も……名は何と言う?」


 鎖羅は同じ武器を持つ者に会えたことと、弥生が言葉を発したことが嬉しくて、顔を輝かせた。


「月契」


「そうか、我のは闇宵《あんしょう》という」


 そして鎖羅は月契へと手を伸ばした。弥生が反射的に身を引くよりも早く、手はその剣へと及んだ。

 その瞬間火花が散り、ばちっと大きな音がした。


「な? 弾かれるだろ」


 鎖羅は弾かれた手を振って苦笑いを浮かべた。

 弥生は驚き、そして手を気遣うようなそぶりを見せる。


「心配するな。さほど痛くはない」


「秀は、平気なのか?」


「あぁ。星は月と同じく天の圏族だからな。後……光もいけるか」


 弥生はこくりと頷く。その昔天が滅び、そこから光と星、そして月が生まれたと伝わっていた。


「大切にしろ。その剣はお前そのものだからな」


 弥生はこくりと頷いて、月契の鞘にそっと触れた。


「私は、何かしなくてもいいのか?」


「何かと言われてもな、何もすることがない。私たちは左遷組だからな」


「……させん?」


 弥生は少し首をかしげた。鎖羅は喉の奥でくつくつと笑う。


「まぁ組織のはみ出し者だ。戦力外ということだな」


 鎖羅はカラカラと笑う。たいして気にしていないらしい。

 じっと鎖羅の目を見つめた。ぐいっと顔を上げて、見つめ合う。


「鎖羅……どうして私たちを拾った?」


 弥生はずっと気にかかっていたことを口にした。


「拾った? そんな物のように言うな。連れて来たと言え」


 鎖羅は眉を吊り上げた。弥生はぴくっと肩を震わせ、再び口を動かす。


「何故、連れてきた?」


「……ふむ。その銀色に惹かれたからかな」


 鎖羅はふわりと笑って弥生の頭を鷲掴みにした。そのままワシャワシャとかき回す。


「きれいな銀色、月の光そのものだ」


 鎖羅の手がすっと離れ、弥生は自分の頭を押さえつけた。鎖羅を見上げる目は白黒し、表情に戸惑いと幽かな脅えが潜んでいる。


「きれい……?」


「あぁ。弥生、そう固くなるな。お前はここで好きに生きればいい。黒騎に属すものは皆大切な仲間で家族だ。我はそう思う」


 弥生は髪をくしゃりと掴んだ。俯いて、固く唇を引き結ぶ。


「仲間、家族。生きる……ここで、生きる」


 自分に言い聞かせるように、何度もその言葉を繰り返した。


「あぁ。では、生きるために食べるか」


 ぐいっと弥生の手を引いて鎖羅は屋敷の中へと戻っていった。時は昼、体を動かした鎖羅のお腹は空腹を訴えていた。


「いや、私は……」


 ずりずりと引っ張っていかれる弥生。この後弥生は、ご飯を全て食べるまで席を立たせてもらえないという苦行を強いられることとなったのだった……。




 満月の夜。二人が黒騎左遷組屋敷ですごすようになってから、一か月が過ぎた。二人は徐々に打ち解けていき、他の同居人とも言葉を交わすようになった。彼らは全員が能力者で、鍛錬したり、個別に指令を受けたりと各々好きに過ごしていた。

 弥生はほとんどを鎖羅の部屋か書庫で過ごし、気が向けば鍛錬場で体を動かした。たまに森の広場で鎖羅に稽古をつけてもらうこともあった。

 秀斗は気の向くままに屋敷を歩き、弥生を見つければその後はともに行動していた。

 弥生はこの夜、ふらりと屋敷を出ていき、深夜を少し過ぎたころに帰って来た。中庭に空間の切れ目が現れ、そこから弥生が姿を見せる。足取りは重く、白い肌には所々に赤い雫が伝っている。そしてその黒い服には、黒に紛れて見えないが、べったりと返り血が付着していた。

 弥生は空を見上げ、瞳に満月を映す。満月の日は魔力が最大に達し、空間を渡ることが出来るのだ。


「また遊びに行っていたのか、弥生」


 急に声をかけられ、弥生は弾かれたように声がした方に体を向ける。木の幹にもたれかかって鎖羅が弥生を見ていた。責めているのではなく、呆れたような口調。


「満月の度に人間を殺しに行くのか?」


「殺してはいない。殺す価値もない」


 弥生の殺していないとは、直接心臓を貫いて息を止めていないという意味だ。生きるか死ぬかは、斬られたものの生命力にかかっている。

 鎖羅はそうか、と肩をすくめた。


「闘いが好きか?」


「……分からない。私にはこれしか出来ないから」


 鎖羅はつかつかと弥生に歩より、その銀の髪にも血が付着していることに気付くとわずかに眉をひそめた。


「美しい髪が台無しだな。赤髪は火だぞ……」


「……私はこの色が嫌いだ。月の力が嫌いだ」


 鎖羅は弥生の瞳を見つめた。透明で、虚無を湛えた悲しげな瞳を。


「何故?」


「……月は不安定だから。闇に侵される、弱い力だから」


 鎖羅は何も返さずに空を見上げた。今日は満月、明日から魔力は削がれていき使える技も少なくなる。月の光が闇へと化していくように、月の力は闇に蝕まれる。月は一番闇の影響を受けやすい属性なのだ。

 鎖羅は弥生の髪を撫で、その瞳を覗き込んだ。弥生は少し身を固くする。


「お前が闇を恐れるのは仕方がない。だがな、月は闇があってこそ映えるのだ。昼間の月は目に留まらない。だが、夜は闇があるからこそ光輝ける。そう考えると、闇も悪くないだろ?」


 弥生は無表情のまま、鎖羅を見つめている。だがその瞳には、ほんの少し温かみがあった。


「それに、闇を嫌われると我は悲しい。弥生は我を嫌うか?」


 弥生は激しく首を横に振った。共に過ごす時間が増えるにつれ、惹かれていく。闇に対する恐怖は敬愛に変わっていった。


「鎖羅……私は生きていてもいいのか? 私を、必要としてくれるのか?」


 鎖羅は憐憫の表情を浮かべ、弥生を抱き寄せた。弥生はしばらく身じろいでいたが、やがて体の力を抜いて鎖羅に寄りかかっていた。


「無論だ。ここにいろ、弥生」


 鎖羅は弥生を抱きしめる腕に力を入れた。


「……人は、温かいのだな」


 温かい水の中を浮遊する感覚。しだいに朧になる意識の中で、そう呟いた。そして弥生は四日ぶりの眠りへと誘われたのだった。




 視界を横切っていく過去はくるくると入れ替わる。鎖羅が姉となると言い出した時のこと。鎖羅に剣術を教わった時のこと。戦争の中で鷺に出会った時のこと。さまざまな記憶が入れ替わり立ち替わり通り過ぎていく。

 どれも、楽しさを含んだ記憶。あの小さな屋敷で、四人で気楽に過ごしていた記憶。



 それらは全て、あの日に繋がる。


 悪人は、最初から悪人ってわけではないと思うんです。彼らにも

理由があって悪となった。むしろ、彼らの正義を貫いているところもある。それが主人公たちにとって悪となるだけで……。


 昔から、主人公よりも悪役に肩を入れてしまう私。少し甘くしすぎたでしょうか。まぁ……次から悪役へと転がるのでよしとしますか。


 では、次回「もれいづる月の影のさやけさ」で。

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