第3章の6 俺たちの始まり
ホールで昔話を終えた日の夕方。秀斗は自室に戻って、窓の外へと視線を注いでいた。
出窓に腰を掛け、窓ガラスに頭を預ける。
昼ごろから雨が降り、細かい雫が窓を叩いている。
彼らが己の過去を話すことはほとんど無い。他人の過去は己の過去。同じ苦しみを持つ者にとって、他人の過去は己の過去を呼び起してしまう。何重にも、鍵をかけて守っている過去を……。
だから誰も話さず、そして知りたがらなかった。
秀斗はぼうっとその滴を見ていた。弥生の自室は、ここから数部屋向こう。神経を集中させれば、覇動を感じることができる。
銀色の、月の覇動に混じる、黒い闇の覇動。
注意しなければ気付かない、おそらく普通の魔術師では分からない、微量の闇の覇動。
だが、闇に敏感な彼らはその闇の覇動が増幅していることに気づいていた。
「阿修羅……鎖羅……」
昨日会った二人は、記憶の中と同じ姿だった。家族にも近い存在。弱かった自分たちを守ってくれた存在。それが、今では敵となった。
(そういや、あの時も雨だったよな……)
今から数十年も昔。彼らが、こちらへと来た頃の話だ。
「ここ……どこだよ」
秀斗は、呆然とそう呟いた。
眼下に広がるのは草原。風が頭の上を通り過ぎ、草の香りを運ぶ。
秀斗は先ほどまで家にいた。家に、帰ったところだった。
頭がズキリと痛む。脳裏に母親の最後の姿が甦った。胸を短剣で刺され、ベッドに横たわっていた母親。片手が何かを求めるように戸口へと伸ばされていた。その表情は悲痛に歪み、病床に苦しんでいた母の最期を象徴していた。
(母さん……)
秀斗は強く奥歯を噛みしめる。
真っ赤に濡れたシーツ。
秀斗が駆け寄ると、その血は秀斗を求めるようにベッドを下りていった。血は黒くその色を変え、母親にすがって泣く秀斗の足元にまで達する。
異変に気づいて逃げようとするが、血は秀斗の足に絡まり動きを封じた。じたばたともがいてもそれは秀斗を離そうとしなかった。
漆黒が秀斗を包み、次の瞬間浮遊感に襲われる。母親の姿は遠くなり、体は下に引かれ、右に引かれ、落ちていく。
そして気づけば、この場所にいたのだ。
(どこらへんだ……ここ)
秀斗の国は国土の八割を草原が占め、遊牧民が放牧をして暮らしていた。運よく遊牧民に出逢えれば、街の方角を教えてもらえるはずだ。
だが、見渡してもそれらしき集団は無く、秀斗は覇動を探ることにした。
遊牧民は固まって移動しているので、覇動の反応も大きくなる。いつもならすぐに見つかるはずだった。
(おかしいな。なんもかすらねぇ)
相当国の果てに来たのかと秀斗はいぶかしむ。ならばと、技を使うことにした。
秀斗は覇動を察知する能力は低い。よって探す対象が広範囲となれば、技を使った方が早いのだ。
「我が力と呼応する者の居場所を教えよ」
だが、何も感じ取れない。
「おいおいマジかよ……」
それが意味するのは、この付近に覇動を持つ者がいない。魔術師がいないということだ。
途方に暮れた秀斗に幽かな音が聞こえた。その音に気付くと同時に、足元に影が落ちる。
耳障りな音とともに、空を何かが横切った。
秀斗はそれを見上げて大口を開けた。雲でも騎獣でもない。黒い何かは、すぐに秀斗の視界から消え、空の彼方へと飛んで行った。
「マジ……? ここ、どこ?」
秀斗の祖国にあのような生物はいない。
秀斗は腹を決めてその物体が飛んで行った方向へと歩きだした。幸い、腰につけた鞄には家出中に買った食料が入っていた。
風が秀斗の髪を翻し、白い額を露わにする。
(何が起こったのかはわからねぇ。分かってることは、母さんが殺されたことと、ここが他国だってこと……そして、俺が死ぬわけにはいかねぇってことだ)
秀斗は悔しさを胸に滲ませながら歩く。その胸に決意を秘めて……。
秀斗は全力で走っていた。
草原を歩くこと三日。秀斗はやっと街らしきところについた。だがそこに住む人々は秀斗が知る人ではなかった。
秀斗の祖国であるなら、彼らの髪は金髪のはずだ。しかし追ってくる大人は皆黒眼黒髪。魔術界では闇の一族しか持たない色だ。
彼らは秀斗を指さして鬼のような形相で何かを喚き、石を投げてきたのである。
「ぐわっ」
肩口に石が当たる。足もとにも石がたくさん落ちてきた。
追いかけてくる人々。その言葉は聞き取れない。多くの言語が入り混じっているようで、知っている言語ではない。
たまに、何かのはずみで届く言葉は“失せろ”
秀斗は小汚い街の路地を逃げていた。
(なんだこの国は! あいつら闇の奴らか?)
闇は歴史上敵国で、大昔の戦乱で滅んだ国だった。その末裔かと思ったが、その割には攻撃が物理的だった。そして何より言葉が理解できない。自分が知っている言語が混じっている気がするのに、それが他の言語にかき消される。
秀斗はなんとか人々をまいて、座りこんだ。
(意味わかんねぇ……一体どーなってやがんだ!)
秀斗は先ほど、目くらましに技を使おうとした。強烈な光の球を彼らに放とうと思ったのである。だが、星の元素は秀斗の呼びかけに応じなかった。
(技が使えねぇ……)
秀斗は辺りに人の気配がしないことを確認してから、神経を集中させる。右手を突き出し、そこに星の元素を集め形にしていった。
「元素がねぇってわけじゃねぇみたいだな」
力自体は使える。だが、言葉に反応しない。
「星は巡りて、人の行く道を決める。己の進むべき道を示せ」
この技は一種の占いのようなものだ。最適の道を示すといわれる術。発動すれば地面に刻印が現れるのだが、そこにはただ茶色い砂があるだけだ。
(これは本格的にまずいんじゃねぇの?)
魔術を教わった時に聞いたことがあった。技を発動させるには元素が必要となる。そしてその元素を操るには、その世界の言語でなくてはならない、と。
つまり、今秀斗がいる世界は自分たちの言語が通じない国、異世界ということとなる。
(つーことは、ここはどれだ?)
魔術界で知られている異世界には、霊界、魔界、そして人間界があった。
自分と同じ人の姿をし、言語が似ているところもある。ひとつ引っかかる場所は、
「人間界……」
それだけだ。かつて迫害され、その世界と決別した。自分たちと同じ姿で、力を持たない人びとが住む世界。魔術界の文化も言語も今となっては人間のそれとは違いがあるが、根源は人間界にある。
「くそっ、面倒なことになったぜ」
秀斗はひとまず移動することにした。食料はもうすぐ尽きる。それまでに、この状況を打開しなければいけない……。
秀斗は走っていた。だが、今回は理由もなく追われているのではない。その手には戦利品があった。
「待ちやがれぇぇぇ!」
棒を振り回しながら中年の男が秀斗を追いかける。それに続いて青年やら、他の商店の男が金髪の子どもを追いかけ始めた。
「鬼が! 自分の国に帰りやがれ!」
「殺せ殺せ! 俺の父親は米兵に殺されたんだ!」
「バーカ! 誰が待つかよ。盗られるほうが悪ぃんだ」
秀斗は細い路地に入り、入り組んだ道を走っていく。
この町に来て一週間もすれば言語は聞き取れるようになった。雑音が消え、少しずつ理解できるようになったのだ。それと同時にこちらの言葉も人間に伝わるようになっていた。
大人の話を盗み聞く限り、ここは中国という国らしかった。様々な国に占領され、日本と戦い敗れた国。日本が負け、独立を果たした今でも外国に対する怨恨は強く残っていた。
秀斗は戸が開いていた民家に入ると、戦利品を口に入れる。
万頭というものらしい。何で出来ているのかも知らないが、祖国のパンと同じ扱いのようだった。
「あんまり旨くはねぇけど、何もないよりはマシだな」
ぼろい民家が立ち並ぶ町。夜となれば盗賊まがいが横行する、治安は最悪の町だ。
秀斗は壁に背を預けて一息つく、なぜ自分が人間界に飛ばされたかは分からない。帰る方法など尚更だ。
(帰る……か。帰る場所なんてねぇのにな)
だが、ここにも居場所は無い。
秀斗ははぁと溜息をついて民家の戸口から出た。日差しが強い。遮るものが何もない日差しが秀斗に照りつける。
季節は夏なのだろうか。祖国との季節の違いに体が順応するのに少し時間がかかりそうだ。祖国は夏こそあれ、もう少し涼しい。草原には常に風が吹いていた。
(そろそろここを出るか)
この町では存在が知れ渡り、盗みもしにくくなった。聞いた話ではすぐ近くにもう一つ町があるらしい。
そのために水と日持ちする食糧を手に入れたのだ。
(職業盗賊ってのもいいかもな)
秀斗はニヤッと笑って、町の外れへと歩いた。
秀斗はまた走っていた。隣町に着いたころには夜となり、町に足を踏み入れた瞬間石投げの歓迎を受けたのだ。
(またかよ)
しかもこの町では人々は銃や槍を持っていた。銃は節約のためかあまり撃たないが、それでも威嚇には十分だ。住人の目も血走り、下手な盗賊よりも恐ろしい。
「ガキを捕まえろ! あの金髪、あいつの仲間に違いねぇ!」
「銀髪のガキには今日も仲間をやられたんだ!」
秀斗は後ろを振り向きながら大路地を走る。
警笛が鳴り響き、治安部隊まで出てきていた。
(完全に殺気立ってんじゃねぇか! 誰だよ銀髪って! 俺関係ねぇぇぇ!)
細い路地に入るにも、行き止まりになる可能性もある。不慣れな土地では不向きだろう。
(ちっ、まけねぇ!)
秀斗の前に川が見え、橋が掛っていた。だがその向こうから集団が走ってくる。警笛は仲間に居場所を知らせるためだったのだ。
橋を渡るのを断念し、道を右に曲がる。だが所詮は子どもの体力、しだいに足は重くなり速度は落ちた。石も当たり始め、銃声も轟く。
(くそ! こんなところで技使うわけにもいかねぇしな……っと!)
とうとう秀斗は足をもつれさせて転んだ。
大人たちは武器を握り締めて、秀斗を取り囲んだ。武器が降り上げられる。
「俺を守れ、星鎧!」
一か八か守護を発動させる。だが、焦りもあってか口にしたのは魔術界の言葉だった。
(しくったぁぁ!)
秀斗は言語を人間界のものに直してもう一度口にするが、槍はもう目の前に来ていた。
秀斗は眼を瞑って顔を背けた。その耳を高い金属音が貫く。そして感じるはずのない覇動が全身の毛を逆立たせた。
「出やがったな!」
男たちが騒ぎ始め、とたんに悲鳴が上がる。
秀斗の頬に、何かが伝った。
「殺せ! そのガキを殺せ! ぎゃぁぁぁ!」
秀斗の目に映ったのは、銀色の髪。月の光を反射させてきらめく刃。囲んでいた大人たちはその子どもに標的を変え、次々に襲いかかっては斬り伏せられていく。
舞う血しぶき。その中で一心に剣を振るう少女。手を斬り、背を斬りつけ、薄く笑っていた。
(綺麗だ……)
月の化身のような姿に、秀斗はぼうっと魅入った。集団で男たちはかかるが、彼女はそれを全て避けた。身軽で、スピードもある。
「ひ、退け! 退けぇぇぇ!」
男の一人が銃を撃ちながら後退を始めた。それに続いて我先にと人々が逃げていく。道に人はいなくなり、子ども二人が残った。
小女は剣の血と脂を払うと、鞘に収める。
彼女は旅芸人のような身軽な服装をし、腰に布で鞘を無理やり留めていた。
「あ、ありがとう」
秀斗は立ち上がって、少女と向かい合った。
身長は秀斗ほうが少し高い。
目が合って息を飲む。その灰色の目は今まで見た誰よりも、無色だった。ガラス玉のようになんの感情も映さず、感じるのは虚無。
「ステラグニュールか?」
秀斗は彼女から発せられた言葉が信じられなかった。それは魔術界の言語で、自分の祖国の名だった。
「まさか、お前ルナクレア……」
幽かに感じる覇動。そして銀の髪。それは彼女が魔術師という証。
「……こんなところで魔術師に出会うとはな」
少女はくいっと手招きをして歩きだした。
歳と性別に似あわない尊大な口調。そして冷たさを印象付ける無表情な顔。
秀斗は彼女をまじまじと見ながら後を追った。
少女が秀斗を連れて行ったのは、錆びれた橋の下にあるぼろ屋だった。彼女はそこを住み家としているらしい。明かりは小さな蝋燭のみで、闇の中にぼんやり姿が浮かぶ。
彼女は適当に座れと指示し、水を桶から杓子で汲んで秀斗に突き出した。
「ありがと……」
秀斗はありがたく水を飲み、正面に座る彼女と目が合ってすっと逸らした。
ほのかに香る血の香り。彼女が浴びた返り血はあれだけの人数がいながら微々たるものだった。
彼女は壁に背を預け、腰の剣を外して抱き寄せた。
「えっと、名前は?」
杓子を返し、間が持たなくなった秀斗はそう質問した。
「……私は、弥生。お前……は?」
途切れ途切れの声を不思議に思いながらも秀斗は答えた。
「俺は、秀……っておい」
秀斗は弥生の顔を見て、はぁと溜息をついた。彼女は眼を瞑り、肩が規則正しく上下している。お休みのようだった。
「ま……いっか」
秀斗は頭を掻いて、ごろりと横になった。
まともに寝るのは久しぶりだ。弥生が一体何なのかはわからないが、彼女といるのも悪くないと思った。
なにより同じ境遇の者がいるというだけで楽になる。
秀斗はふわぁとあくびをして眼を瞑った。
久し振りにいい夢が見られそうな気がした……。
秀斗と弥生の過去、出会い編です。
前がやや暗いので、今回はちょっと楽しく……できたかな?
ほら、語り手秀斗だし、軽いノリになれば……ね?
まぁよしとしよう。主人公はしばらくお休みいただいて、秀斗くんに頑張ってもらいましょう。
そして、ひさびさにストックができました。一話分だけど。来週はゴールデン週間もあるし、もっとたまるといいな。
では、次回の過去編続きで~。




