第2章の33 俺は男だ! 男なのに……
そして数日が経過し、その間にも勇輝は様々な競技で弥生に挑んでいた。
勝負五本目、百メートル走。
運悪く三日月により、勇輝の完封負け。
勝負六本目、釣り。
両者ゼロ匹につき引き分け。暇つぶしに参加していた錬魔、五匹と圧勝。
勝負七本目、コーディネイト対決。
数多ある服の中から自身をコーディネイトしてそのセンスを競うものという癒慰の発案。
勇輝、身の危険を察知し棄権。
と、全ての勝負で負けを喫している勇輝である。
なかなか勝てない勇輝は広間のソファーに座ってぼーっとしている。
広間には秀斗と癒慰がいて、放心している勇輝をそっと見ていた。
勇輝が抜けがらになっているのには理由がある。
勇輝は今日も午前中、弥生に勝負を挑んでいた。
得意な格闘ゲームだ。勇輝はこのゲームに関しては四天王の一角をしめていると自負していた。勇輝は裏必殺技を編み出していたからだ。
それに引き換え弥生はゲームすら知らない。
説明書を読み、コマンドとボタンを確認して少し動かしたぐらいだ。ボタンに合わせてキャラが動くたびにすごいと驚いていた。無表情ではあるが……。
だが試合が開始された直後、弥生のキャラが消えた。
勇輝は最初は少し様子を見てから、などと余裕を見せていたが、いつの間にか後ろに回られ、コンボを決められる。
三発パンチを入れられ、蹴りあげられ宙に浮けばそこからはいたぶるかのように連続で殴る蹴るの大盤振るまいだ。裏必殺技をしのぐ、超必殺二十連撃のすえ、勇輝のキャラは即KOとなった。
今のは油断したと再度試合をしてみても、結果は同じだった。カウンターを決められて連撃でやられる。
勇輝はもう、自分がわからなくなっていた。
(俺、ゲームですらかなわないなんて、何? 俺の今までの人生って、何?)
ズドーンとブラックホールを背負う勇輝を秀斗はなんとか励まそうとするが、秀斗は結局弥生の味方じゃん、と拗ねられた。
癒慰も励まそうと可愛い服を着て気を紛らそうとしたが、選択がまずかった。チャイナドレスは格闘ゲームを思い出させたのである。
「はぁ……俺、なんでこんなに弱いんだろう」
いや、弥生が強すぎるんだ、と二人は思ったが、ますます勇輝が落ち込みそうなので口にはしなかった。
「勝負に負けて落ち込むとは女々しいな」
後ろから不意打ちに投げられた言葉が勇輝の傷をえぐった。この落ち込みの張本人、弥生がいつのまにか後ろにいたのだ。
「弥生……もうちょっと優しくしてやれよ」
これにはさすがに秀斗も勇輝の肩を持つ。
「ふん。人間が私に勝とうなど百年早い」
弥生は容赦なく勇輝を叩き斬ると、勇輝の向かいのソファーに座った。厭味かと言いたくなる。
「いいもん。とっておきで勝つから」
と勇輝はソファーの上で三角座りをして、いじけモード突入だ。
秀斗はやれやれとソファーに寝転がる。四人が四角に並べられたソファーを一つずつ占拠していた。
くすん、と勇輝の周りに涙の妖精が出現し始め、秀斗はくかーと寝始めた。どこでも数秒で眠りにつける人間というのはいるものである。
(俺は弱い、か弱い子よ~)
勇輝が悲しい自分のための独唱をしていると、秀斗がガバッと跳ね起きた。
勇輝は何事かと心の中のリサイタルを中止する。
「誰か来やがった!」
秀斗は一つのドアをジッと睨む。如月は秀斗が張った障壁で守られ、侵入したものがいれば察知できるのだ。弥生もその手に月契を召還し、いつでも敵と対せるようにする。
「て、敵襲?」
勇輝はソファーの背もたれを掴み、皆が見つめるドアに注目した。空気が張りつめ、ドアが開くのを待つ。
ほどなくそのドアは開かれ、
「いや~。みんな久しぶり」
と、にこにこ顔の男が片手を上げて入ってきたのだった。
「げっ、美月!」
秀斗が顔をひきつらせて叫んだ。弥生もそれが敵ではないとわかると、月契をしまう。
「きゃっ、美月さんだわ。かっこいぃ」
一人癒慰だけが好意的な反応を見せた。
「え? 癒慰はこういうのがタイプなの?」
勇輝は、入ってきた人物をまじまじと見た。
まず目を引くのは首筋にかかるほどの青色の髪と青色の目。そして彼が歩くたびに翻る羽織。下に着ているのは詰襟で、ズボンを穿いている。
「おや。そこにいるのが春日勇輝だね。写真でみるより可愛い男じゃないか」
彼はつかつかと大股で勇輝に近づき、にっこりと笑った。
とっさに立ち上がった勇輝は、その眩しい笑顔に顔を背けたくなる。彼はかっこいいというよりはむしろ、美しい。その形容詞が似合う男だったのだ。
「初めまして、僕は夜一星聖祈のリーダー、美月だ。よろしく」
勇輝は差し出された手を握り、今牙軍のトップと握手してるよ~、と感動していた。
「弥生も、元気そうでなりより。僕としては一番に会いに来てくれなかったことが不満だけどね」
弥生は不機嫌そうな表情を浮かべ、美月とは視線を合わそうとしない。
美月はやれやれと肩をすくめ、まだ握っていた勇輝の手をぐいっと引き寄せた。
「勇輝。弥生に冷たくあしらわれてはいないかい?」
「へ?」
「てめぇ美月! 馴れ馴れしいんだよ、勇輝の手を離しやがれ!」
秀斗は目を開いて美月に噛みついた。おそらく彼が夜一星でなかったら、殴りかかっていただろう。
「ほら、野蛮だ。勇輝? こんなところにいないで僕のところにおいで、絶対満足させるから」
美月は妖艶にウインクをした。底知れない恐怖が勇輝を駆け巡ぐる。
「えっと、美月さん?」
「そんな潤んだ目で僕を見上げないでくれ。どうにかなってしまいそうだ。はぁ、可愛い」
目が潤んでいたのは先ほど気分が落ちていたせいだった。
勇輝は禁句に彼の顎に拳を突き上げてしまいそうになったが、彼は彼らの大先輩だ。立てなくてはいけない。
「目はあくびでちょっと……」
「勇輝。君は可愛い、僕のタイプなんだ。ねぇ、僕のところにおいでよ」
「勇輝は俺たちの仲間だ!」
秀斗が勇輝の手を引いて美月と離そうとしたが、美月は勇輝を自分へと引き寄せて肩に手を置いた。
「まったくうるさい奴だ」
美月はハァとおおげさに溜息をつくと、くるりと勇輝を回転させて自分と向き合わせた。
「勇輝」
じっと見つめられて勇輝はつい、はいっと姿勢を正して返事をしてしまう。
「僕は初めて君を見た時から君を求めてやまない。僕は、君を好きなんだ。僕と一緒に来てくれるかい?」
キラキラと光が刺すような美顔で言われたセリフを、勇輝は理解するのに数秒を要した。
「はぁぁぁいぃぃぃぃ?」
それが告白だと気付くやいなや、絶叫が響きわたる。
「きゃぁぁ! 美月さんが勇輝君に迫ってるわぁ!」
癒慰は祈るように手を組んで、身を震わせた。
「癒慰! 憧れの人が少年に愛を語ってるんだよ! ここは引き裂いて! ぜひ引き裂いて!」
「いい男が可愛い少年に迫る。きゃぁぁ! なんて、なんて胸がときめくシチュエーションなの!」
癒慰は頬を赤くして期待の眼差しを二人に送っている。秀斗は怒りで顔を赤くして目をぎらつかせている。弥生は我関せずと涼しい顔をしていた。
「待って、待ってください美月さん! 俺は男です!」
必至に手を振って、そして胸を叩いて男アピールをするが、美月に頬を艶めかしくなぞられて動きを止める。
「わかってるよ。僕、男が好きだから」
ズドーンと頭上に雷が落ちる。勇輝は事の重大さを理解した。
(これは冗談やからかいじゃない! マジだ!)
勇輝が慌てて身をひねって美月から離れようとするが、肩に手を置かれて手をつないでいるだけなのに体はびくともしない。
「勇輝」
弥生が勇輝の名を呼んだ。もしや助けてくれるのかと期待に目を輝かせて弥生を見る。
「美月は気にくわん奴だが、悪い奴ではないぞ」
あろうことが美月のフォローを入れてきた。
「弥生~そこ違ぁぁう!」
美月は勇輝の顎に手をかけ、上を向かせると空いている手で勇輝の髪を弄んだ。
「まず手始めに口づけでも」
「ぎぃやぁぁぁぁぁ!」
秀斗が必死に勇輝を掴もうと手を伸ばすが、足が動かないようで全く届かない。美月が足止めをしているらしい。
壮絶美形が目前に迫り、勇輝はもう終わったと思った。さよなら、俺、そう思った時ドアが荒々しく開かれた。
「美月さん! いらしたんですか?」
彼女らしからぬ素振りで入ってきたのは零華だ。走って来たのか、少々息が乱れている。
美月は、零華の姿を見ると、あと数センチで唇が重なるところで止め、勇輝を解放した。
勇輝は魂が抜けてその場に崩れ落ちる。
「零華~久し振り。愛してるよ~」
美月はすぐに零華に歩み寄り、両手を広げて抱擁しようとするが、あっさり避けられる。
「毎日僕のところに会いに来てくれればいいのに。恋しくてついつい来てしまったよ」
(切り替えはえぇぇ!)
秀斗は死人と化している勇輝の背を撫でながら、美月の変わり身の早さに舌を巻いた。
「早く帰って下さい。貴方のせいですでに犠牲者が出ているじゃありませんか」
「零華、君はいつ見ても美しい。さぁ、僕と愛を語り合おうじゃないか」
「嫌です」
微笑みを浮かべつつも、口から飛び出る言葉は峻烈だ。
「なるほど、皆がいる場所では恥ずかしくて素直になれないんだね。よしわかった、二人っきりになろう」
美月は零華の手を取り、連れ去りを決めた。
「美月、後で話があるからそれが終われば私のところに来い」
弥生は勇輝の撃沈や、零華の拉致はどうでもいいのか、用件を伝えると二人に背を向けて出て行った。
「わかったよ。ただちょっと遅くなるかもしれないけどね」
美月は意味深な言葉を残し、ドアを開けて出て行った。零華も大人しくその手を握り返し、付いていく。否、美月の手に爪を立てながら……。
「はぅ。美月さん素敵」
癒慰はきらきらと乙女オーラを出しながら一部始終を見守っていた。強引な美月の行動も、恋愛フィルターを通してみると、美しい愛に見えるらしい。
「癒慰……あいつだけは止めとけ」
秀斗は灰となって散っていきそうな勇輝を介抱しながら、そっと首を振る。
当代美月は歴代の中でも危ないと評判だ。
伝統的に誓祈のリーダーは代々美月という名を襲名する。彼は初めての男性で、奇行の数々は底知れず。沈めた敵も、落とした女も数知れない。
龍牙が頭を抱える、弥生と並ぶ問題児なのだ。
だが秀斗の忠告も上の空の癒慰は、イケメンと目をハートにしていたのだった……。
そして零華の手を引く美月は、適当なところでドアを開けた。そこは本棚が立ち並び、書庫のようだ。
「いい場所だ。逢い引きにはぴったりだね」
「そうですね。誰もいないので、心おきなくいたぶれます」
零華は美月の手を振り払うと、すっと笑みを引っ込めた。
「さて、美月さん。一体ここに何をしに? 貴方にしては遅い登場でしたが」
彼の性格なら、昂乱を倒し、勇輝の存在が裏の社会に明るみになった時点で乗り込んできそうである。
「寂しくさせてすまなかったね」
「いえ、全く」
「実は昂乱の一件が終わった頃から任務がやたら入ってね、とどめに海外出張まで入ってこんなに遅くなったんだ」
「ずっと海外にいらしたらよかったのに」
おそらくは隊長の配慮だろうと零華は思う。ごたごたしている間に来られていたら、一悶着あったかもしれない。
「ふぅ。零華の愛情表現はいつも胸に刺さるよ」
互いに笑みを浮かべているが、美月の後ろには柔らかな春の日差しがあるのに対し、零華の後ろには北極の風が吹きわたっていた。
「あら。言葉に込められた嫌いを理解してもらえないのですか? 死んでください」
美月は零華の厭味を綺麗に聞き流し、ふっと笑みを蝋燭の火を消すように消した。お遊びはお終いということだ。
「さてと、僕が見たところ弥生は特に異常があるようにも見えなかったが、問題はないかい?」
美月の顔は先ほどのへらへらした軽いものではない。返答次第ではこの手で、と告げている。
「美月さんが心配するようなことは何もありません。弥生ちゃんは私たちの仲間です。むしろ状態は良くなってます」
零華はキッと美月を見上げ、口調も強くなった。
「……みたいだね。神経質なところもましになったらしいし。前の彼女なら即行で僕に斬りかかってきただろうね。相手を確認するようになったのはよいことだ」
美月は弥生と少年を思い浮かべた。彼がいることで如月の殺伐とした空気が和らいでいた。以前はもっと刺々しい空気が流れていたのだが。
「見守らせてもらうよ。君の言葉に免じてね。だが、彼女が隊長に不利益となる行動を取った場合、僕はためらわずに彼女を殺す。隊長に害をなす奴は、許せないからね」
そう言った美月の目は、強い光を帯びていた。言動や正確に難があっても、彼が夜一星を任せられたのは、誰よりも強い隊長への忠誠心故だ。
「わかっています。ですが、貴方の手を煩わせるようなことはありません」
二人はしばし互いの瞳を見続けた。その中にある言葉を読み取ろうとするかのように。
やがて、美月がクスクスと笑いだした。
「零華がこんなに人のことを思いやってくれて僕は嬉しいよ。その愛情の一部でも僕にくれればいいのに」
「お断りします。お話が以上ならば私は下がらせてもらいます」
零華は踵を返して、ドアから出ていこうとした。だが、手がドアノブに触れるよりも早く、美月に手を引っ張られて後ろから抱きすくめられる。
「美月さん!」
零華は体をひねって抜けだそうともがくが、ますます強く抱きしめられる。抵抗するだけ無駄なことを悟った零華はひとまず抵抗をやめ、抵抗手段を力から口に移した。
「セクハラで訴えます」
「僕は夜一星だよ? どっちが強いのかなぁ」
「ではパワハラも付け加えさせていただきます」
美月はぐっと零華を抱く腕に力を込めた。その顔が苦しげに歪む。悲しみのようで、寂しさのようで、切なさのようだった。
「零華……限界だ。もう一度僕の所に戻って来てくれないか?」
「何を? 私がお世話になったのは先代です。あなたには関係ありません」
「僕はその先代から君を頼まれたんだ。それに、藍色の髪は人間では現れることはない。これほど興味がそそられるものはないよ。君の全てを知りたいんだ」
美月は愛しそうに零華の長い髪を掬った。さらりと指の間を滑り落ちる髪は、絹糸のようだった。
「青色が珍しいのであれば、御自分の髪を調べられたらよろしいのでは? きっとおもしろいことがわかりますよ」
美月はこれはやられた、とおかしそうに笑った。
「それに、先ほど勇輝君を口説いておられたようですが?」
「あぁ、あれは大丈夫。半分しか本気じゃないから」
零華は次彼が来たら勇輝君は強制退避させようと心に決めた。零華は美月の絡みには慣れているが、免疫のない勇輝が立ち直るには少々時間がいるだろう。
「僕なら君を守れる。それに、君の願いを叶えられる」
美月は零華の耳もとで囁いた。甘い響きを含むそれは、女の子たちを震撼させるが、零華はますます表情を無くしていった。
「私の願い? 美月さんが私の前に現れないことです」
「隠さなくてもいい。僕は知っている。君のことも、彼らのことも」
「そういえば。貴方の能力は人の過去を勝手に覗き見するという、プライバシーの侵害で訴えられるようなものでしたね」
その青色の眼は人物の過去を映し、その情報で相手の動揺を誘い、勝利を収める。それが美月の得意とする戦法だった。
その他にも空間を操る能力を持っていたり、素手で綾覇を圧倒出来たりと、その実力は謎が多い。
「ふっ、褒めないでくれ」
「あら、褒める? くすっ、幸せな方ですね」
「だから、もし君が僕のことを話したら……分かってるよね」
美月の物腰は柔らかいが、その内容は脅し以外の何物でもない。
「どうぞご安心ください。私たちは気安く他人のことを口にはいたしませんので」
「ほんと、君たちは秘密主義だよね。もっと語りあえばいいのに。同じ同胞なのだから」
「……美月さん。それ以上その口を開くと、私は貴方に私の全ての力をぶつけてしまうかもしれません」
零華の顔には一切の表情はない。絶対零度の怒り。零華の声は怒りに震えていた。秘密主義、それは正しい。だがそれは、互いに分かっているからだ。他人に踏み込めば、自分が傷つくことを。そして、怖れているからだ。
「怖れるのかい? 闇を」
零華の目がかっと見開かれた。少し緩んでいた美月の腕をすり抜け、彼の頬を平手打ちする。
「それ以上、私たちを愚弄すると承知いたしませんよ!」
零華の髪が、群青色へと変化した。色合いが深く、濃くなっていく。所々黒も混じっていた。
「零華、くくっ、それが怒りか。いい顔だ。いつものとりすました顔よりずっといい」
美月は赤くなった頬に手を添え、相好を崩す。
零華がその手に氷の刃を出そうとした時、後のドアが開いた。入ってきた人物を見て、一瞬で髪色が藍色へと戻る。
「あ? 美月さん? 逢い引きだったか」
錬魔はたいして気にすることもなく、二人の脇を通り過ぎると、本棚から資料を掴みだした。ここの書庫は主に薬草関係のものが集められている。おそらく研究に必要な本を取りに来たのだろう。
「違います!」
零華が激しく否定するが、錬魔はそうだろうな、とだけ呟いてこの部屋を後にしようとした。その進路に美月が回り込む。
「君も、僕のこと教えたら、後悔することになるからね」
錬魔は無言で美月を見返す。
「君の目、いい色してるから」
錬魔の眉がぴくりと動いた。
「なるほど。それで零華が動揺したと……。俺もお前のことについて他言するつもりはない。だからとっとと出ていけ」
錬魔の口調には有無を言わさないものがあった。弱身を握り、握られている。二人は視線の上がけで駆け引きをしていた。
「……はぁ。もう少し零華と愛を紡ぎたかったんだけど。また今度にするよ」
美月は零華にウインクを送ると、手をひらひらと振ってその部屋を後にした。今回は退くと決めたらしい。
彼がいなくなった部屋に、静寂が降りる。
「……零華」
静かに激昂しているであろう仲間に、錬魔はそろっと声をかけた。今変な所を刺激すると、怒りの矛先がこちらに向かってくる。
「クスクス。次、会ったら私は、きっと、大変な過ちを犯してしまう気がします。ふふふ、錬魔君。記憶を消す薬って、ありませんか?」
「……善処する」
不気味な笑みを残して目の前を通り過ぎて行った同胞を、彼は見送ると溜息をついた。
(美月さんも気の毒に。いや、自業自得、か)
美月は如月で一番恐ろしい人物を怒らせたのだ。自分がまいた種ではあるが……。
そして、只今好感度がだだ下がりの美月は弥生の部屋を探していた。覇動を察知することもできるので方角は分かるが、屋敷が入り組んでいるのでなかなかそこに辿りつけないのだ。
壁を壊した方が早いか、と考え始めた時、人が廊下の脇筋から出てきた。
「勇輝~」
美月を見た勇輝の顔は、まさしく天敵にあった小動物の顔だった。会釈して逃げようとしたところを捕獲される。
「そんな態度をとられると傷つくんだけど?」
ぐいっと肩を抱きよせ、一緒に歩く。
(うわぁぁ。俺食われる)
勇輝は逃げることも叶わず、体をびくつかせながら歩いた。
「大丈夫。僕は優しいから、そんなにおびえないでよ」
(信用できません!)
そう言って騙すのが詐欺の手口だとテレビで聞いたことのある勇輝はどうしてこの場を切り抜けるかを考えていた。
(このまま連れていかれたらどうしよう。俺、もうここに帰ってこれないとか……)
気分は身売りされる少女である。
「勇輝」
「はい!」
「弥生の部屋はどこだい?」
勇輝は問われた内容がまともなことに心底安心した。
「はい、じゃぁ俺が案内します!」
勇輝はこの人少しはまともなところもある、とほっとして美月を先導した。弥生の部屋に着くまでの間、相変わらず勧誘と名付けられた愛の告白は続けられたのだが……。
美月はここです、と勇輝に指されたドアを開いた。
背後でノック! と勇輝が叫んだがもう遅い。一本のナイフがドアを隙間から、向いの壁に突き刺さった。美月は勇輝を振り返って、甘い声でささやく。
「手厳しいね。勇輝、次は君を攫うから。その時は僕が腕によりをかけて君を少女にするからね」
美月は覚えていて、と優しく微笑みかけるが、その眼は本気だった。
美月がドアの向こうに消えたと同時に、勇輝はその場から走り去った。
(怖い! マジで怖い! 俺は男でいたぁぁい!)
今回で勇輝の中で美月がトラウマとなってしまったのは、言うまでもないだろう。
一方弥生の部屋では、突然緊迫した戦闘シーンが展開されていた。
対峙する二人。弥生の手には拳銃が握られ、まっすぐ美月に向けられている。
美月はおもしろそうにその銃を見ていた。命が危ないなど、考えていないようだ。
何故こうなったのか。遡っても何もない。美月が入った時には、弥生は銃を構えて待っていたのである。
「やっぱり神経質なところは治ってないね」
「黙れ、撃つぞ」
弥生が引き金に指をかけた。
「みんな怒りっぽいね。カルシウム足りてる?」
気にせず一歩踏み出した美月に、弥生はためらいもせず引き金を引いた。
パンと乾いた銃声が響いて、銃口からは弾丸ではなく、紙テープが飛び出した。火薬の臭いが部屋に充満する。
「うわっ、びっくりした。よく出来たおもちゃだね」
美月はお~と手を叩く。
「白々しい。分かっていたから何もしなかったんだろ?」
「何が?」
弥生は拳銃を美月に放り投げた。
「それはお前が仕込んだんだろ? 歩を通じて勇輝に渡した。何が目的だ」
拳銃を受け取った美月は、その状態を確認するように全体を見て、ポケットにしまった。
「あはは、バレた? つい、手を出したくなってさ」
「仲間に手をだせば、わかっているな」
「死を、だろ? 君たちの、唯一の決めごとだ」
「そうだ」
美月は肩をすくめて、降参とでも言うように手を挙げた。
「わかったから。今回は君たちの顔を見ただけで帰ることにするよ」
「二度と来るな」
弥生の言い草に、ひどいなと額に手を当て嘆いてみるが、暖簾に腕押しである。
「まぁ、今回のことは隊長にも報告しとくから、近々会いにいくように。というより、牙軍会議に来るように」
びしっと指されて指導を受けるが、弥生は美月の言うことに従う気はさらさらない。さらには、牙軍会議という耳慣れない言葉に首を傾げていた。
「では、僕はこれで帰るとするか」
「快く送ってやろう」
二人はホールへと向かう間、終始無言だった。話題がないというよりは、迂闊に話せば戦闘に発展するので互いに自粛したのだ。どうせやり合うなら広い所でやりたい。それが双方の思いだった……。
ホールには勇輝以外の全員集まっていた。
彼らは美月を見送ろうと、否、彼が本当に帰ったかを見届けるために集まっていたのだ。
「見送り御苦労。僕はいい後輩を持ったねぇ。勇輝は照れて出てこれないのかな?」
勇輝は現在自室にて布団にくるまり、巣穴で怯えるリスの如く身を丸めている。
「ふふっ、そうですね。美月さん、近いうちに会いに行きますので、その時は、ゆっくりお話をいたしましょう」
美月は零華からの誘いの言葉に感動して目を輝かせたが、彼らはその笑みの奥にある絶対零度の怒りに身を震わせた。
「楽しみにしてるよ。じゃ、またね」
美月はドアノブを捻って、外へと一歩踏み出した。その瞬間、彼の身体は消える。お得意の空間移動だ。ドアが独りでに閉まって、静寂が訪れた。
「秀斗。障壁を強化して塩をまいておけ」
「了解」
弥生の冷ややかな命令に、秀斗が額に手を添え、敬礼のポーズをとって答えた。
嵐が去ったことを確認すると、それぞれ動き出した。皆考えることは、いかにして勇輝を立ち直させるかである。
そして癒慰と秀斗を筆頭に、勇輝を癒そう作戦が始まったのだ。
作者は美月の今後が心配です。特に、彼の好感度が心配です。
美月へのラブメッセージも、批判メッセージもお待ちしております。
しかし、牙軍の筆頭は容赦がありませんね。容赦なく文量を増やしてくれました。
彼の登場は二章の最後に持ってくる予定でしたが、思わぬ誤算で一つ前に移動。
その誤算は次回で明らかに!
牙軍は変態の集団か? と思われそうですが、まぁ個性的なんですよ。(なぜ作者が弁解しなければいけないんだ?)
一つ言っておきますと、綾覇と匠は予想以上に変人部分が出来上がりましたが、彼は生粋、そのまんまです。(フォローになってなくね?)
何が言いたいかといいますと、彼は自由だということですよ。
おそらく作中で一番おいしい人。やりたい放題できる人です。
また出てくるでしょう。作者の予想できません。
では、次回はすぐにやってきます。




