第2章の19 敬語を思い出さないと
射撃練習を終え広間に戻ると、女の子二人は私服に着替えて雑談をしていた。
癒慰はゴスロリ、零華はワンピースとそれぞれお似合いの服装だ。
「うわ~ゴスロリ初めて見た。意外と似合ってるし」
「ありがと。勇輝君も着る?」
「いえ、全力で遠慮させてもらいます」
勇輝と秀斗もソファーに座り、机の上にあったお菓子をつまむ。
「それで、射撃はどうだったの?」
「あ~全然だめ。もっと練習しねぇと使いもんになんねぇ」
秀斗の答えにむっとして勇輝が返す。
「ゲーセンだったら一位取ったこともあるし、練習すればあれぐらい……」
「腕は痛くありませんか?」
気づかいを見せる優しい零華に、勇輝は腕を叩いてにっと笑った。
「大丈夫。こんなの腕折られた時に比べたらどうってことないって」
それを聞いて彼らは、勇輝が不良だったことを思いだした。可愛い見た目につい忘れてしまう。
彼も不良なりに数々の修羅場をくぐったのだろうと、勝手に勇輝の人生に思いを馳せる。
「ほんと、男の子って痛いの好きよね~」
「……いや、別に男の子に限ったことではないのでは?」
零華の言葉は沈黙を生み、皆が一人の女の子を頭に浮かべた。
どうすればもう少し女の子らしくなるだろうか、それが如月の長きにわたる悩みだ。
そんなことを考えていたものだから、本人の声が聞こえて心底驚いた。
「おい」
背後からかけられた声に勇輝は驚きつつ振り向いた。
そこに立っていたのは悩みの種である弥生だ。
彼女は制服を着替え、何やらものものしい服装をしていた。
まず目を引くのは胸に紋章が入った裾の長い羽織、その中には軍服のようなデザインの長めの上着を着込み、ショートパンツの裾からはしなやかな脚が伸びている。
そして腰に帯刀されている西洋の剣。
異世界から連れてこられた人のようだった。
「それ正装じゃねぇか。……てことは行くのか?」
「あぁ。こいつの服もいるしな」
そんな弥生にあっけにとられている勇輝の頭を会話が通り過ぎる。
「行くぞ」
「……え? どこに?」
「本部。隊長に会う」
隊長と言えば隊の一番偉い人ではないか、と勇輝は口をパクパクさせる。
(はい? いきなり隊長? 俺ただのバイトですけど?)
普通の会社で例えるならバイトが社長に会うようなものだ。
「え、でも俺制服だし……」
「それが学生の正装なのだろう?」
「それに心の準備が……」
「そんなものはいらん。行くぞ」
高圧的な口調に勇輝は飛び上がるように立った。このままでは剣を突き付けられかねない。
緊張で鼓動が速くなる勇輝に零華が声をかけた。
「勇輝君。本部では弥生ちゃんから離れないでくださいね」
なんだかデパートに行く子どもみたいだな、と勇輝は思うが、
「命が危ないですから」
そっと付け加えられた言葉に固まった。
「それと、弥生ちゃんが着てるような羽織を着た人を見たら、会釈しつつ全力で逃げてね」
その肩をがしっと掴んで癒慰がありがたくない助言をする。
その他にも二三、注意を勇輝が受けている間、秀斗はすっと弥生に近づいて何かを話していた。
「俺、生きて帰れる?」
よかれと思った助言がかえって勇輝の不安を倍増させたらしく、勇輝はすでに及び腰だ。
「命までは取られはしない。行くぞ、勇輝」
弥生はドアへと歩きだした。留守番たちが互いに顔を見合わせる。
(今、勇輝って呼んだ?)
それは弥生が初めて勇輝を名で呼んだ瞬間だった。
「あ、今行く!」
一歩距離が縮まった嬉しさに、勇輝の不安は一瞬で消し飛んだ。
ドアを開けて魔の巣窟へと向かった二人を、残る三人は微笑ましく見送ったのだった。
勇輝はぽかんと周りを見ていた。
廊下の突き当たりにあるドアの向こうは、景色が一変していた。同じような西洋造りの屋敷だが、薄暗く、わずかに自然光が入っているだけだ。
人気もない埃っぽい廊下を会話もなく進むと、大きな扉の前に出た。
そしてその扉を開けた瞬間、強烈な光に勇輝は腕で顔を覆った。
光に慣れた目で見ると、そこは先程よりは何倍も明るい廊下だった。人がいるのか小さな喧噪が聞こえる。
(廊下ばっかじゃん)
勇輝が出てきた扉を振り返ると、その両脇には石のオブジェがあり、その台座に四剣琅と刻まれていた。
どうやらあの場所は四剣琅に与えられた部屋らしい。
(……実はあいつらけっこうすごい奴だったりして)
そして勇輝は弥生が先に歩いていることに気付くと、慌てて後を追ったのだった。
歩くに連れて喧噪が大きくなってきた。
一際広い廊下に出ると、同じ服を着た人たちが行き来していた。
(この人たちが隊員かぁ)
隊員服を着た彼らを勇輝はきょろきょろと見ながら弥生についていく。
出る時には物騒なことを言われたが、そんなに危険な雰囲気の場所ではない。
すれ違う隊員たちは皆二人に目を止め、ささやき合う。
「牙軍のかたよ。あまり見ない顔ね。どなたかしら」
「あの紋章、如月じゃないか?」
「え、あの死堅牢の?」
「銀髪の女っていやぁ、弥生さんじゃねぇか?」
「うそ! あの?」
わいわいと遠巻きに騒ぐ隊員を気にかけることもなく弥生は進む。
勇輝はささる視線がくすぐったくて仕方無かった。
「てことは後の男はこないだ隊報に載ってた……」
「もっと怖い感じかと思ってたけど、けっこう可愛い顔してるわね」
「小ぃせぇな。ほんとにあいつが昂乱とやりあったのか?」
ところどころで勇輝の感情線をぶちぎりそうな言葉があったが、同じ隊のメンバーを殴るのは失礼だろうと思いとどまる。
「弥生さんって美人だったんだな」
「零華さんや癒慰さんに劣らないぜ」
「いや、零華さんのほうが……」
「いや、そこは癒慰さんだろ……」
男の隊員たちの言葉に勇輝は心の中で頷いた。
この三人の中で誰が一番かなんて決められない。三者三様に美の形が違うのだ。
そして角を曲がると、一際大きな扉が現れた。
その前には二人の人間が立っている。よく鍛えられた屈強な男たちで、そこだけ異様な雰囲気に包まれていた。おそらくここが隊長室なのだろう。
見張りの二人は近づいてくる二人に気付くと姿勢を正した。
「失礼ですが。所属をお聞かせください」
きびきびとした態度で一人が問う。
軍人のような動きに勇輝は憧憬の眼差しを二人に送った。
(うわ~かっこいい。俺もやりたいな)
子どもの頃にやった騎士ごっこや兵隊ごっこを思い出して、勇輝は少し興奮気味だ。
「死堅牢如月」
硬い声で弥生が答えると、二人の顔がさらに引き締まりすぐに扉が開けられた。
「お会いできて光栄です!」
「右に同じく!」
扉をくぐると、後ろから大きな声が飛んできたので、勇輝はびくりと肩を震わした。振り返ると男たちは胸に手を当て敬礼を取っている。
そして前に視線を戻すと、そこは広間のようだった。待合室として使われるのか、ソファーが数台置いてある。隅の方に机と椅子があり、そこに一人の女性がいた。
彼女は来訪者に気付くと椅子から立ち上がり二人に近づいた。
「如月の弥生だ。隊長に会いに来た」
相手が言葉を述べるよりも前に、弥生が用件を述べた。
女は少し驚きの表情を浮かべ、それから静かに礼をした。
「弥生さん。この度はご帰還を嬉しく……」
「つまらん挨拶はいい。隊長はいるか?」
弥生は彼女の言葉を遮り、奥のドアへと歩いていった。
「はい」
女は特に気分を害した風でもなく、短く答える。
「勇輝。お前は少しここで待っていろ。話がついたら呼ぶ」
そう言い置いて、弥生はノックもせずに入っていった。
そして置いていかれた勇輝は、女に会釈をすると居心地の悪そうに扉の前で立つしかなかったのだった……。
弥生がドアを開けて中に入ると、正面の机に龍牙はいた。十年前と変わらない位置。服装も、風貌もさほど変わっておらず、ここだけ時の経過から取り残されたようだった。
外での声が聞こえていたのか、机の上は片付けられ、弥生を待っていたようだ。
「お帰りと言うべきなのかな、弥生。君から来てくれるとは嬉しいものだ。あまりにも来ないから誰かを迎えにやろうかと思っていたのだよ?」
あくまで龍牙はにこやかではあるが、目が全く笑っていなかった。
本当にもう少し遅ければ上の二人のうちどちらかが乗り込んできたかもしれない。あの二人なら喜んで来るだろう、と弥生は無表情の下で思った。
「私はここにあまりなじみがないもので」
弥生は適当に返した。もともと来る気などさらさらなかったのだ。
「君がいなかった十年のことはあえて聞かないことにするよ。このことについては今後の君の働きで判断させてもらう」
「お好きにしてください。私は借りを返すまでは隊長を裏切ることはしません」
龍牙はその答えに満足そうな笑みを浮かべた。
「ではゆっくり返してもらおう。ところで、族狩りはどうなったんだ? 昂乱は美月に渡ったようだが、誰も私の所に報告にこないとは……一体どういうことだい?」
龍牙の顔から笑みが消え、部下に対する隊長の顔に変わった。その声には非難が含まれていたが、弥生は頭に疑問符を浮かべる。
「……秀斗に行かせましたが?」
「来てないから訊いているんだよ」
しかし弥生は昂乱を捕獲後、すぐ秀斗に本部へ報告させたのを覚えている。その上秀斗も隊長に報告をしたと言ったのだ。
しばし考えた弥生は、はたと思いついたような顔でこう言った。
「心配しなくてもいいのでは? 人間はそういう症状のことを老人ぼけと言うそうですから」
龍牙の顔が盛大にひきつった。
「そういう問題ではない!」
「しかし、秀斗は隊長と美月に会ったと言いました。隊長が忘れただけでは?」
「美月に……?」
龍牙はしばし記憶を遡らせた。彼女たちが族狩りを決行した日は美月も共に仕事をしていた。
しかし後半は表の仕事で彼はこの部屋にはいなかった。だが秀斗は龍牙に会っているという。
(まさか……)
龍牙の脳裏に一人の青年が浮かびあがった。
龍牙に化けられる者は彼を除いてはいない。
しかも動機も見えてくる。
(今度、詳しいことを聞かないとね……)
今はモスクワに潜入中ですぐに問い正せないことが腹立たしい。
「わかった。それはもういい。ところで君にいい話がある」
「いい話? 任務ですか?」
「いや。つい先日、暁美の帰還が確定した。一週間後こちらに着く」
暁美という名に弥生の表情がわずかに動いた。
驚きから喜びへ。長年を共にした者にしか分からないささいな変化だ。
「暁美さんが……」
「くれぐれも迷惑はかけないでくれ彼女はもう……」
龍牙は言葉を繋げようとして、はたと思いだした。
「そういえば、今回の任務で民間人を巻き込んだらしいが、問題を起こしてはいないだろうね」
「はい」
やけにあっさり頷く弥生に、龍牙は言い知れぬ不安を感じた。
「そのことで、今日は来たのです。勇輝、入れ」
ドアに向かって呼びかける弥生に、龍牙は額を押さえた。弥生が来る時は決まって面倒なことが起こっていたが、今回もご多分にもれずそうらしい。
人間嫌いの弥生にここまで連れてさせた人間。
龍牙は開かれていくドアの向こうにいる人間に視線を移した。
入れ、その声を聞き、勇輝は意を決してドアを開け、
「あ、あの。春日勇輝です」
と、ぎくしゃくとした動作でお辞儀をした。
弥生に放置されていた間に、緊張が高まり、現在最高潮である。そろっと顔を上げると、正面に隊長と思われる人がいた。
彼は厳しい顔つきで勇輝を見ている。
勇輝はその威圧感に心の底が冷えた。何か大きなものに凝視されている感覚になる。
「バイトとして如月に入れました。承認してください」
龍牙は勇輝と弥生を見比べ、内心溜息をついた。
彼は人間が巻き込まれたとは聞いた。しかしそれが少年だったとは聞かなかった。
しかも弥生が戻ったと思ったら人間を仲間に入れると言いだす。バイトの身分で階級つきに入るなど黎冥を除けばありえないことだ。しかもそれが超戦闘部隊の如月……。
問題が多すぎる。
「隊長。これは決定事項です」
弥生が余命宣告をするような調子で告げた。
「……春日、勇輝」
突然話しかけられ、勇輝はびくっと背筋を伸ばした。緊張が全身に走る。
「君はそれでいいのかい? 如月に入るということは危険と隣り合わせだ」
「か、構いません。俺が仲間になりたかったんです。それに、危険でも彼らとならなんとかなりそうな気がします」
勇輝は口の中が乾ききっていたが、なんとか声を振り絞った。
龍牙はもう一度弥生を見た。相変わらず彼女は無表情だが、その目は確信を秘めていた。
この様子では何を言っても無駄なことを確信した龍牙は、勇輝を正面から見据えて言った。
「わかった。春日勇輝の入隊を認めよう」
その言葉に勇輝はほっとして息を吐いた。
龍牙は席を立って勇輝へと歩み寄る。近くで見ると、彼の大きさは倍に感じられた。
「もし何かあったら、すぐにここに逃げるように」
重々しい口調で告げられて、勇輝は直立不動で、はい、と返事した。
「ありがとうございます、隊長。お歳を召しても判断力は鈍っていないようで安心しました」
弥生の言葉に勇輝は固まっている体をさらに強固にした。石化が始まってもおかしくはない。
(や、弥生? それすっごく失礼だよ?)
先程から危ないセリフがあったが、どれも聞かなかったことにしていたのだ。
「弥生……君の敬語には一欠片の敬意も感じられないんだが?」
「はい。一欠片もありませんから」
勇輝は今度こそ心臓が止まるかと思った。敬語だから全てが丁寧になるわけではない。
目上の人には言っていいことと悪いことがあるだろ~、と勇輝は念を送ってみるが、弥生に届く気配はない。
忠誠心の低い如月の中でも、弥生はゼロに近かった。
「では私はこれで失礼します」
弥生は爆弾を落とし、しっかり礼をしてから、ドアを開けて出ていった。勇輝も礼をし、とロボットのような足取りで部屋を出た。
扉が閉まった直後、勇輝は全身で息を吐いた。
体の緊張が解け、代わりに疲れが押し寄せる。
「勇輝何をしている。いくぞ」
勇輝の気持ちなど一切介しない弥生はすでに歩きだしていた。
「行く? どこに?」
「匠のところだ」
勇輝の頭に浮かぶのは竈を前にする陶芸家だ。
情熱的なテーマソングとともに、勇輝は弥生の後を追った。




