第2章の10 全力疾走、逃げるが勝ち!
重たい空気の中を歩いていると、勇輝が口を開いた。
「錬魔攻略すんの失敗したな……」
「いや、錬魔はお前が如月に入る自体は反対しねぇって言ったからそんだけでも十分だぜ」
秀斗は頭の中で次の算段を整え始めていた。
最後の手段としては四人がかりで弥生を説得するという手もある。
だが当分は勇輝を交代で護衛するしかなさそうだ。
「ごめんな、秀斗。面倒なことにつき合わせて」
考え込んでいた秀斗の耳に、勇輝のうなだれた声が届いた。
「気にすんな。もともと俺が言い出したんだし」
「……俺、やくざに追われても逃げるからさ。無理に仲間に入れようとしなくてもいいよ?」
静かに決意を述べる勇輝の頭を、秀斗は思いっきりはたいた。
軽い音ともに脳に振動が響いて、勇輝は短く呻く。
「馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ。俺がお前を気に入ったから仲間にしようと思ってんだ。誰があきらめるかよ」
「……ごめん。ちょっと弱気になった」
勇輝は頭をさする。その痛みもなんだか嬉しかった。
「それに弥生に人間の存在を認めさせるんだろ?」
「うん。必ず」
「そのいき……」
秀斗が言葉を切ったのは二人の前方で廊下の筋から人が出てきたからだ。二人のいる廊下を横切ろうとしたその人は、二人の存在に気がつくと足を止めた。
(ぎゃぁぁ! 弥生!)
勇輝は心の中で絶叫する。今会いたくない人断トツのナンバーワンだ。
「秀……珍しいところで会うな」
弥生は無表情のまま、勇輝にも視線を留めるとその手に剣を呼び出した。
「月契。人間の血を吸うことになるが、許してくれ」
月契とは弥生が持つ中剣の名で、幾多の戦場をともにくぐった愛剣だった。柄には見事な装飾が施されており、細い刃は両刃で光を鈍く反射している。
「うわぁ、剣が現れた」
自分が斬られる対象だなど、露にも思っていない勇輝は素直に感嘆をもらす。
「おい弥生! お前なにする……」
弥生は秀斗の言葉には耳も貸さず、踏み込んで横に薙ぎ払った。
「うわぁっと」
勇輝は緩んでいた顔を引き締めるとぎりぎりのところでしゃがんで避けた。
「喧嘩で鍛えたプロボクサー並みの動体視力舐めんなよ!」
と勇輝は避けられたことを誇らしげに叫ぶが逃げながらでは恰好がつかない。
(剣を振り回してくるような奴相手にまともにやりあえるかよ!)
勇輝は後も振り返らずに全速力で逃げる。それを秀斗と弥生が同時に追った。
秀斗の方が先に勇輝に追いつき並列で走る。
勇輝が後ろを少し振り向くと、弥生は三メートルほど後ろにいる。
「なぁ! 弥生ってもっと動き早くなかった?」
昂乱と闘っていた時は勇輝の目に映らないほどのスピードで剣を交えていた。
そのスピードで来られれば、勇輝が避けられるはずがない。
「今日満月だろ」
「あ……うん。たぶん」
昨日の月の様子から推測すると、今晩あたりが満月だろう。
「弥生の属性は月だから月の満欠けに影響を受けんだ。満月の日は身体能力が著しく落ちる」
二人の間を小さな光の玉が通った。それはちょうどピンポン玉くらいの大きさで、真っ直ぐと廊下を 突き走り、突き当りの壁に当たると爆発した。
日の光がまっすぐ射し込んで、外の景色が見える。
(え~~! 今ほんの小さな玉だったよな?)
秀斗はそれを見て口笛を鳴らさすと、言葉を続けた。
「だけどその代り魔術の威力は格段にあがる。最大威力日本破壊可能」
「何その差! うわ! また来た!」
続けてまたもや光の玉が放たれた。今度は二つ。
(スピードはそんなにない。スマッシュくらいだ)
勇輝はそう分析すると、身をよじって避けた。
その二つは壁に開いた穴から外へと飛び出すと、遠くの方で爆発音を轟かせた。
「げっ、あいつ障壁破りやがった」
びりっと軽い電流が流れ、障壁が破られたことを感知する。修理という二文字が頭に浮かんで軽く溜息をつく。
「弥生! なんで急に攻撃してくんだよ!」
勇輝は肩越しに振り返りながら叫んだ。これくらいでは息は切れない。日頃の喧嘩の賜物だ。
「この国には仏の顔も三度までという、三度同じことをされれば殺してもよいという法があると聞く。お前が私の視界に入ったのはこれで三回目だ」
弥生は左手に力を集めながら答えた。左手の光は徐々に膨らみ大きくなっていく。
「違~う! 仏の顔も三度までってのはいくら優しい仏様でも悪いことを三回やったら怒るって意味で、殺しちゃダメ! しかも法律じゃなくて諺!」
そんな理不尽な理由で殺されてはたまらない。勇輝はさらに走る速度を速めた。
(逃げの勇輝を目指してんだ。そう簡単に追いつかれるかよ!)
「あ、あれはちょっとやべぇ」
弥生の手の内にあるものを見て、秀斗がヘアバンドに手をかけた。
「俺を守れ。星鎧!」
秀斗が後ろ走りのままヘアバンドを取り去ると、その下から鈍く光る金環が現れた。額を全て覆えるほど面が広く、複雑な文様が彫り込まれている。
「守護障壁発動!」
秀斗が障壁を二人の後ろに張ったのと、弥生が光の玉を投げたのはほぼ同じ。
光の玉は障壁に阻まれてそこで爆発する。
そのすきに二人は崩壊した壁から外に出た。
出た場所は中庭のようで、噴水が平和そうに水しぶきを上げている。
花々に目をやることもできずに二人はただ逃げる。
「月光は刃の如く、その鋭き刃で敵を貫け。偃月!」
弥生が手刀を払うと無数の光の刃が二人に向かって迫る。術は構文を唱えることで威力が増す。光の刃一つでも当たれば確実にあの世いきだ。
「本気で来やがった! 星は月と類をなしその心を分かつ者なり。その心を持って刃を跳ね返せ。星鎧!」
秀斗の言葉と呼応して障壁が光沢を帯びる。
言葉どおり刃は跳ね返り弥生へと襲いかかるが弥生はそれを身軽にかわしていった。
「満月の日は身体能力落ちるんじゃないのかよ! あの時点で人並みはずれてるって!」
「言っただろ? 俺たちの中で一番強いって」
「ちょこまかと逃げるな」
弥生が力をこめて剣を振るうと、その剣圧で二人の前に植わっていた木が倒れた。
「逃げ場がなくなった!」
「至近距離でこられたらヤバい!」
逃げるのを諦め、戦うべく身をひるがえした瞬間。目の前が急に陰った。
視界を染めるのは藍色と茶色。
「そこまでですよ、弥生ちゃん」
「これ以上庭園荒らしたら許さないよ」
間に割って入ったのは零華と癒慰だった。
「お前ら、学校に行ってたんじゃ……」
秀斗はほっと息をついた。さすがに少し息が荒い。
勇輝もその場に座り込んで身を休める。
(助かった~)
「覇動が漏れて伝わってきたので、授業を抜けてきました」
おそらく、弥生が開けた障壁の穴から覇動が漏れだしたのだろう。
弥生は不愉快そうに二人を見比べ、剣を下ろす。
「お前たちもそいつに味方するのか?」
「そうよ。勇輝君は殺させない」
「彼がこうなったのには私たちの責任もありますから」
弥生は無言のまま、一人一人に視線をすべらせ、最後に勇輝を見ると剣の実体化を解いた。
そしてくるりと彼らに背を向けると、屋敷へと向かって歩き出す。
「殺す気が失せた。秀はともかく、お前ら二人を巻き込んで傷を負わすのは嫌だからな」
(おい、俺はいいのかよ)
去りながら投げられた言葉に、秀斗は心の中で突っ込む。
勇輝は弥生の姿が見えなくなると、全身で息を吐いた。
「ありがとう。癒慰、零華……二人がこなかったら俺死んでた」
「お願いだからあんまり無茶しないでね」
「命がいくつあっても足りませんよ?」
二人は呆れ顔で勇輝に手を伸ばした。
勇輝は二人に立たせてもらうと、改めて中庭の惨状を見渡した。
土がめくりあがり、木が多数折れている。噴水の水も濁り、蝶も消え鳥の鳴き声一つない。
そして、その中庭に面する窓辺に人影があった。窓によりかかって悠然と見物をしている。
錬魔はこの一部始終を見ていたのだ。
「所詮、人間はこんなものか」
錬魔はよれよれの勇輝を一瞥すると、身を翻して自室へと戻っていった。
そして中庭では、勇輝が決意を新たにする。
「勇輝君。まだあきらめないの?」
「当たり前。俺は何が何でも弥生に俺の存在を認めさせるんだ!」
(ここまでやられて引き下がる男がいるかよ。俺はやると言ったら絶対やるんだ)
太陽は頭上近くまであがり、やわらかく勇輝を包み込む。それは冬の太陽の日差しではなく、春のものであった。花や気温、山に囲まれた風景という、ありえないものたちに勇輝が気づくのは当分後のことになる……




