第6章の18 鳥が運ぶもの……
目標は卒業すること。
というわけで、今日も彼らは学校にいた。
昨日涙目で本部に返った歩も、元気に登校している。
歩も出席日数がそろそろ危ないので、当分は真面目に授業を受けるらしい。
学校が終われば如月で零華による特別授業が行われる。
勇輝は化学と数学を中心に、秀斗は歴史、弥生は苦手な古文と格闘をしている。
「暁美さん効果ってすごいわね~」
彼らを横目に呑気に寛いでいる癒慰は、暁美からの差し入れであるクッキーを食べていた。
錬魔は実験をすると言って自室にこもっている。
「癒慰も一緒に勉強しようよ」
勇輝はこっちへおいでよと手招きをする。一人優雅に茶を飲まれると、腹立たしくて勉強が手に付かない。
「え~嫌よ。私ちゃんと勉強してるもん」
癒慰はクッキーに手を伸ばしながら答える。
「癒慰なんか赤点取ればいいんだ!」
勇輝は悔しそうに数式を解いていく。問題ができるまでクッキーはお預けである。
「零華、終わった」
弥生がすっとテキストを零華に向ける。
それを受け取った零華はさらさらと丸をつけていった。学校はさぼっても、勉強はちゃんとやるようだ。
課されたものを手際よく処理し、早く自由時間を手にする弥生。
うだうだと文句を言いながら、亀の速度で行う秀斗。
猛獣に襲われるが如く必死にやるが、最後に力尽きる勇輝。
勉強の仕方にまで個性が出るのかと、零華は内心呆れるのだった。
「…………あ?」
くるくると回していたペンを止め、秀斗が視線を扉に向けた。
「どうかしましたか?」
「……すっげぇ、嫌な感じ」
秀斗が言い終わらないうちに、ピンポーンと音がホールに響いた。
「誰かしら」
癒慰が椅子から立ち、インターホンへと早足で近づく。
「……思い当たる人、一人しかいないんだけど」
呼び鈴と共に、彼はトラブルを持ってくる。
癒慰が応対し、ほどなくドアが開かれた。
そして、
「今度はどの面下げて、ここに来やがった!」
秀斗の怒号が彼らの鼓膜をつんざくのだった。
怒号と共に迎えられた鷺は、三白眼で秀斗を見、鼻で笑う。
「何だ負け犬。すでに遠吠えか?」
「あぁ?」
秀斗は席から立ち、鷺と睨みあう。一触即発の空気だ。
「ずいぶん早いな。手紙には数日後と書かれていたが」
弥生がそう鷺に言葉をかけ、ますます秀斗の顔が凶悪なものとなった。
秀斗の変化を見たうえで、鷺は言う。
「お前に会いたかったからな」
「いい度胸じゃねぇか鷺。表に出やがれ! 決闘だ!」
鷺の言葉がからかいと言う名の嫌がらせであることを知っている癒慰と零華は、好きにすればいいと傍観を決め込んだ。
まだ慣れていない勇輝は秀斗と鷺を交互に見ておろおろし、当人の弥生は素知らぬ顔で座っている。
「今日は弥生と話しに来たんだ。お前に割く時間はない」
秀斗が弥生を振り向くと同時に、弥生が立ち上がった。
「わかった。話を聞こう」
弥生は秀斗の隣をすり抜け、鷺へと歩いていく。弥生の態度に悲愴な顔をする秀斗。
「裏切り者……」
弱弱しく呟かれた言葉に、弥生は見向きもせずに鷺についてくるように目で伝える。
「俺も」
と弥生についていこうとした秀斗の肩に、零華が手を置いた。
「秀斗君。今日の課題が終わっていませんが?」
「は? 弥生だって」
「弥生ちゃんは全問正解です」
証拠だと秀斗に見せつけるのは、弥生の丸が付いたワーク。
「せいぜい学生ごっこを楽しむんだな」
部屋を出る間際、鷺がそう言い残して出ていった。パタンと、秀斗をあざ笑うかのようにドアが閉められる。
「あのストーカー鳥野郎が、次会ったらぶちのめす!」
秀斗は乱暴に椅子に座り、呪詛を吐きながら問題を解く。怒りで処理速度も上がっている。
「静かになったね……」
嵐が去ってほっとした勇輝がそう言った。
鷺とは一瞬目があったが、それだけで心臓が少し跳ねた。あの見透かすような目は苦手だ。
「勉強に身が入るでしょう」
さらりと零華に嫌なところをつかれ、勇輝はわざとらしく話題を変える。
「それにしても、弥生って意外と頭いいよね」
テストの点数争いをしたこともあり、自分と同等ぐらいに思っていたのだが……。
「まぁ、もともと弥生ちゃんは頭がいい方ですからね。ただ物事をあまりにも知らないだけで……」
「勇輝君も負けちゃだめよ~」
はーい、と逃げ切れなかった勇輝はしぶしぶ勉強に戻る。今日のノルマまであと五ページ。
ふと頭がよくなる魔術はないのかという考えが浮かんだが、目の前に座る人物を見て諦めた。魔術師だって脳は同じ。
「真面目に勉強しよ」
こつこつ、イライラとそれぞれはページを消化していくのだった。
物の少ない部屋に通された鷺は、前回と同様ソファーに座って弥生と向き合っていた。
弥生に客人を迎えるために茶を入れるなどという気づかいはない。いや、一度客人のために茶をいれようと頑張ったが、無残な結果となったのだ。
「それで、今日はどういった用件だ?」
弥生は特に話をするわけでもなく、本題に切りこんだ。
弥生の性格を重々承知している鷺は、あぁと頷く。そして少しの沈黙の後、彼は硬い表情で口を開いた。
「春日勇輝は人間か」
「は?」
弥生は素で聞き返してしまった。それほどに、意味も意図も捉えられなかった。
「そのままだ。春日勇輝は人間なのかと訊いている」
鷺の表情は冗談を言っているようにも見えず、そういう性格でもない。
弥生は美しい眉を寄せて言葉を返す。
「人間だが?」
かつては人間であるが故に、衝突したこともある。
「鷺、お前は何が言いたい」
弥生に声に苛立ちが混ざる。弥生が怒りを覚えるのは仲間が関わっていることが多い。
(人間嫌いの弥生に、ここまで仲間と思われるとはたいしたものだ)
だからこそ、危険であるとも思う。
「弥生、目を閉じてくれ」
弥生は不機嫌さを出しながらも、目を閉じた。鷺が何かを取りだす物音が聞こえる。
「もういいぞ」
目を開くと、そこにいたはずの鷺はいない。
怪しんで後ろを見るが、彼の姿はなかった。
部屋中を見回しても、そこに人影はない。
「弥生」
突然隣から声がして、弥生は身構えた。
「どこにいる……」
神経を研ぎ澄ませば、近くにいることはわかる。わずかではあるが、人が動く気配と息遣いが感じ取れるのだ。
「ここだ」
声と同時に、頬を触れられた。だが手はない。
弥生は驚きと警戒が混じった表情で何も見えない空間を睨んだ。するとすぐに耐えきれないとでも言うように笑い声が聞こえた。
「悪い悪い。そんな顔をするな」
壁でも取り払われたように、鷺が姿を表す。
「何の真似だ」
弥生の不機嫌に拍車がかかる。秀斗であれば短剣が飛んでくるレベルだ。
鷺は弥生の向かいのソファーに座ると、弥生に手に持っていたペンダントを渡した。
弥生は訝しげにそれを受け取る。黄色い水晶を銀細工で装飾した女性用のペンダント。
掌の水晶はどこか親しみを感じさせる。
「これがお前の姿を消したのか」
「あぁ。匠が秀斗の不可視の結界の力を元に作った。それをつければ、姿を消すことができる」
なるほど、と弥生はそれをつけてみた。
鷺はじっと弥生を見ている。月契を召喚し、目の前に突き立てて見たが、彼は弥生が座っている方から目を動かさなかった。
「本当のようだな」
弥生はソファーに座り直し、ペンダントを外した。それを鷺に返す。
「それで、これがさっきの話とどう関係がある」
「あぁ。昨日歩がここに来ただろう」
「来たな」
「あれは九割が嫌がらせの任務だったんだが」
それを聞いて弥生は少し歩を不憫に思った。どうりで始終おどおどし、本部に帰りたくなさそうだったわけだ。
「このペンダントをつけて任務をさせていたんだ」
任務の内容は弥生には言えない。可愛い部下に対する嫌がらせだ。
「……歩は見えていたが?」
普通に一緒に夕食を食べていた。
「外していたんだろう。だがな、歩がつけていた状態であいつが見えていた奴が二人いる」
鷺は指先でペンダントを転がしながら、静かな口調で言った。
「二人?」
「秀斗と春日勇輝だ」
弥生は無言のまま続きを目で促す。
「秀斗は不可視の結界の術者だ。あいつにこれが効かないのは当然だ。だが、人間であるはずの春日勇輝に見えたのはおかしい」
「不具合でも起きたのでないか?」
そう言われても納得などできるはずがない。おかしいと言われようが、勇輝は人間だ。
「これが一度だけなら、そうとも言えるだろう。弥生、お前は春日勇輝に違和感を覚えたことはないのか?」
「違和感?」
「俺は春日勇輝がお前たちに関わった事件を全て調べなおした」
昨日歩の報告を受けてから、鷺は寝ずに如月と春日勇輝に関する資料を洗った。目を通すぐらいだったそれを、じっくり見なおした。
「弥生、昂乱の任務を覚えているか?」
「あぁ」
「この事件の報告書では、春日勇輝が戦闘中に飛び込んできたとあったが、間違いないか」
弥生はそう問われ、記憶を探る。一年ぐらい前のことで、もう昂乱の顔もうろ覚えだ。
「……そうだな。勝手に入って来た」
彼らが昂乱を追い詰めたその時に、リンチしていると勘違いした勇輝が割り込んできたのだ。
「この時、不可視と不可侵の結界は張らなかったのか?」
報告書には結界のことまでは言及されていなかったが、秀斗の能力を知る鷺はひっかかった。彼らは用意周到に抹殺をする。人目につくはずがない、と。
「……張った」
弥生が小さくそう答える。
「それともう一つ、学校に組の奴らが攻めてきたことがあるだろう」
「あぁ」
「その時も、不可視と不可侵の結界を張ったはずなのに、あいつは入って来たんじゃないのか?」
訊いていながらも、もはやそれは断定だった。思い当たる節がある弥生は、黙秘する。
(確かにあいつは障壁をものともしなかったが……)
「春日勇輝は、二度も秀斗の結界を破っている」
鷺は真剣な目で、弥生を見据える。
弥生は苦々しそうに、鷺を見返した。
鷺の言い分に反論する余地はない。どれも事実だった。だが、納得はできない。
「それでも、あいつが人間でない証拠にはならない」
そう言ってから、自分でも違和感を覚えた。それを見逃す鷺ではない。
「おかしいな。お前が、人に人間であることを求めるなんて」
人間を否定していた弥生にとっては、春日勇輝が人間でないほうが好ましいはずなのに。
弥生はふいに突きつけられた自身の変わりように言葉が出てこなかった。
(本当に恐ろしいな。弥生をここまで変えてしまった)
鷺は弥生が変わったことを悪いとは思わなかった。弥生の情報を愛する彼は、例え弥生が変わろうとも、それは弥生だった。
「鷺……勇輝が人間でないのであれば、何だ」
低い、押し殺した声。
鷺は弥生の表情の変化に軽く瞠目し、口角をあげた。
表情が抜け落ち、瞳はガラスのよう。
鷺はそれを待っていた。
(やっと本気になったか)
鷺は気を引き締め、弥生の雰囲気に呑まれないようにする。ここからが、本題だ。
「あくまで推測だが、可能性が高いのは能力者だろう。おそらく、魔術を無効化する能力」
まだ魔術だけと決まったわけではないが、今あるデータからはそれぐらいしか推測できない。
「たとえ魔術を無効化していても、私たちに不都合はない」
「あぁ、春日勇輝が仲間であればな」
弥生の眉がぴくりと動いた。弥生から発される空気が険悪なものになるが、鷺は臆しない。
「先日、サクリスがお前たちに接触したらしいな」
「あぁ。零華が報告に行っただろう」
「サクリスの能力は、人を操るとあったが間違いないか」
ざわりと、弥生の胸の内に嫌なものが広がった。あくまで可能性。だが、それを認めるのは……。
「サクリスの能力は隠密にとって最高の能力だ。簡単にスパイを作ることができるからな」
「勇輝が、操られていると言いたいのか」
言葉の端から怒りがもれる。仲間を疑われるのは、侮辱されるのと同じ。
「可能性だ。向こうの駒か、本体かは分からないがな」
本体という言葉に、弥生は剣を突き立てそうになった。これ以上侮辱されれば、平常心を保つ自信がない。
「弥生、お前なら分かるだろう。これがどれほど危険なことか。運命は決まっているという言葉があるが、俺から見ればできすぎだ」
運命は決まっている。
美月に言われた時、弥生をばかばかしいと吐きすてた。あやふやなもので縛られているなど考えたくもなかった。
だがそれが、今は違う色を帯びる。
「なぜ春日勇輝はお前たちの仲間になった。なぜ春日勇輝はお前たちと関わるようになった」
鷺の声は、耳を素通りせずにそこに留まる。
胸の内が騒がしい。すぐに否定の言葉が出てこない。
「春日勇輝について訊いた時、お前は守ると約束したと言ったな。なぜお前はそんな約束をした」
弥生の脳裏には様々な勇輝と関わった出来事が再生される。
レガーシアとの闘い。
鎖羅との闘い。
俺を認めろとかかってきた勇輝との勝負。
昂乱との闘い。
そして始まりは……。
(彩……)
弥生は勇輝に出会う前から彼を知っていた。
彩の中で、彼を見ていた。
彩が彼を守ってくれと言った。
その約束は未だに胸の奥にある。
そして、赤子の勇輝の姿。
暁美との任務で見たものだ。
(勇輝には、生まれた時の記録がない)
母親もわからない。
彼が本当に春日勇輝なのかも、わからない。
ざわざわと、心が揺れる。それに名をつければ不安。
あまりにも、上手くつながってしまう。
「弥生」
鷺の声に、弥生ははっと顔をあげた。いつの間にか深く考え込んでいた。
「これはあくまで可能性であり、推測だ」
「他のやつには?」
「話していない。話すつもりもない」
弥生はそうかと呟いて、黙ってしまった。
「俺の杞憂ということもある。そう深く考えるな」
あぁ、と答える返事がすでに適当なもので、弥生はもう鷺を見ていなかった。
思考に没頭する弥生を、鷺は目に写し続ける。
(やはり、これは伝えなくて正解か)
実は、もう一つ弥生に伝えようとしたことがあった。春日勇輝の母親であり、幹部の暁美のことだ。
春日勇輝もひっかかるところが多ければ、暁美もひっかかるところが多かった。
経歴に穴がありすぎたのだ。
(だが、幹部にいるということは隊長が一枚噛んでいる可能性が高い)
暁美はほとんど幹部としての活動をしていない。それでも幹部にいるのは、隊長が必要だと認めているからだ。
さすがの鷺も、それ以上は探ることができなかった。暁美の情報はずさんに見えても、真意を掴めない。
フェイントの多さに悪意さえ感じる。
(隊長も何か思うところがあるのだろう)
重要な情報を持っているのか、それとも人質か。黒騎とのつながりに焦点をあげれば可能性は浮かんでくる。だが決定打がない。
(情報が足りないな。黒騎に潜入できればいいが)
実際何度も鷺の部下が黒騎への潜入を試みている。だが、誰ひとり生きて帰ってきたものはいなかった。
鷺は頭のなかでごちゃごちゃと考えながら、弥生を眺めていた。
無言の見合いは、痺れを切らした秀斗が殴りこみにくるまで続いたのだった……。