第6章の17 逆らってはいけない人がいる
暁美が如月を訪問し、今後のおおまかな方針を確認した翌日。
学校から帰ってきた彼らは、ホールでくつろいでいた。暁美の卒業しなさいの一言で、サボり組も今日はまじめに授業にでたのである。そしてそれを全面的にバックアップすると、零華が教師役を買って出た。
ソファーでティータイムが満喫する癒慰と、コーヒーを飲む錬魔。
そして少し離れた机で教科書とノートを広げる勇輝、秀斗、弥生の姿。彼らのすぐそばに零華が立っている。
「鬼……」
数学の問題を解いている勇輝がぼそりと恨みがましく呟く。
「あら、もう一ページ増やしますか?」
それを耳ざとく聞きつけた零華が、きれいな笑みを浮かべる。まるで氷の彫刻のような美しさだ。
「いえ、すいませんでした」
逆らっては命がないと、勇輝は問題へと戻る。
「あ~、わかんねぇ。こんなんして、何の役に立つんだよ」
いらだちを隠さずに秀斗が参考書のページをめくった。彼は化学を勉強中である。
弥生は先程から一言も発さず、もくもくと世界史の教科書を読んでいた。ただ目が虚ろである。
そんな彼らに零華はわざとため息をついて、言葉をかける。
「皆さんがまじめに授業に出席し、テストが赤点ではなかったらこんなことはしませんよ?」
そして止めを刺した。
「もう中間テスト2週間前なんですからね」
担任である葉月は彼らの学業不振に頭を抱え、藁にもすがる思いで暁美に直訴状を送ったのである。
曰く、問題の三人に授業に出させてほしい。そしてテストで赤点を免れてほしい、と。
そして形だけでも三者面談をしたいので、テスト後に学校にご足労ねがえないか、と。
三者面談で幹部の暁美と勇輝の母親が同一人物であったことに葉月は驚愕するのだが、それは後の話。
「それは分かってるけどよ。なんで錬魔はいいんだよ」
あいつもけっこうサボってるのに、と秀斗はごちる。
「錬魔君は計画的にサボっているので出席日数は大丈夫です。テストも、赤点は一つくらいですから」
「ずりぃ」
秀斗は余裕そうにコーヒーを飲む錬魔にジトッとした視線を向けるが、華麗にスルーされた。
勉強を開始してから三十分、一時間と経つうちにそわそわと体を動かすのが目につくようになった。
勇輝はだれっと半分机の上に体を乗せ、足をふらふらとしている。
弥生は教科書に視線はいっているが、ページを繰る手が止まってしまった。
秀斗に至っては、足はカクカクと貧乏ゆすり、手はシャーペンをカチカチと芯の出し入れを繰り返した。
(ここが限界ですね)
零華はここまでと判断すると、手をパンパンと叩いた。
三人の頭が弾かれたように上がる。
「一度休憩としましょう。続きは夕食を食べてから。勉強がはかどるようなメニューにしますね」
と休息を彼らに与え、自分は夕食の準備をしに厨房へと向かった。
「やっと終わった~」
勇輝は解放されたと、ぐっと体を伸ばす。
「お疲れさま」
癒慰がお茶とお菓子を出してくれ、勇輝はありがたく頂く。
秀斗と弥生はすぐに部屋から出ていった。弥生は素振りをすると鍛錬場へ、秀斗は寝ると自室へ。
勇輝もこの後は部屋でゲームをするつもりだ。
解放感に満ち、ゆったりとした時間が流れていた。
のほほんと談笑をする場所があれば、緊張感に満ちている場所もある。
そこでは、一人の男が周囲に気を配りながらこそこそと進んでいた。
ちらちらと手に持つ地図を見ながら先へと進む。彼の胸には男には似合わないペンダントがぶら下がっている。
黄色い水晶を中心に銀細工が施されているそれは、高級感漂うものであった。
彼は心臓が破裂するのではないかと思いながら、足を進める。
そして、一つの部屋の前で足を止めた。何度も地図を確認する。
(この任務は失敗できない……)
彼はそっと腰についたポーチに手をやり、中にあるものを確認した。
少し扉を開け、中の様子を伺う。物音一つせず、彼は指でそっと押した。古そうに見えるのに、扉は物音一つ立てずに開く。
(い、いない……)
その結果を男は安心半分、落胆半分で受けとめた。そして部屋の中に入り、命令を実行する。常に神経を周囲にはりめぐらし、いつ人が来てもいいように備えた。
彼は腰についたポーチから、何やら紙を取り出し机の上に置く。
(これで、一つは完了か……)
男はほっと一息をつき、何気なく窓の外を見た瞬間、心臓が止まるかと思った。
(い、いた……)
地図を確認すると、窓の向こうは鍛錬場。
そこでは銀髪の女性が剣を振っている。
彼はごくりと、つばを飲み込むと部屋を飛び出した。
地図を見る限り、鍛錬場の一番近くに出られるのは玄関とは真逆にある、やや大きめの扉だ。彼は階段を駆け下り、たがはたと気づく。
(ホールに行かないと出られねぇ)
ホールには十中八九誰かがいる。大事を取って出会わない方が良い。
彼がもう一度地図を見ると、外に出る別の扉があった。そちらへと進路を変更する。
(なんて複雑な屋敷だよ!)
そう心の中で悪態をつく。だがそのせいで、周りに目を配ることを忘れていた。
体の向きを変えようとした時、前の扉が開いた。そこから姿を見せる青い人影。
男の体が硬直する。いくつかの扉がある真っ直ぐな廊下。逃げ場も隠れるところもない。
男はぐっと体に力を入れて、受け構える。
何を言われても、何をされても折れないように、心を鋼で武装した。
だが、そんな彼をあざ笑うかのように青い彼女はすっと通り過ぎる。彼など眼にも入っていないかのように。
(え……?)
男は愕然として振り返った。彼女はスタスタと目的地へと向かっている。
彼女は二つ向こうの扉の中へと消えていった。地図で確認するとそこは厨房。
(アウトオブ眼中……)
そして男は気を取り直して小部屋を通り抜け、向こうの廊下に出ると外へと出た。
残暑厳しい人間界とは違い、ぽかぽかと春の陽気。
足音をたてないように男は進み、建物の角を曲がると、目的の人物がいた。
男は逃がしてならないと、気持ちを引き締め上着の内ポケットに手を入れた。
黒光りしたそれは、きらりと太陽を反射させる。そしてポーチから似たような筒を取りだすと、二つを結合させる。
心臓を宥めながら、彼は照準を合わせた。
彼は震える指を伸ばす。彼の眼には、銀髪の彼女しか映っていない。
(悪い!)
男は思い切ってボタンを押した。焦点が合い、シャッターが切られる。
デジタル一眼レフ。
ボディは極限まで小さくされ、デジタルカメラと変わらない。そこに不釣り合いなほど大きなレンズがついている。
彼は一心不乱にシャッターを切り続けた。
全体からアップまで、様々な姿を収める。
どれぐらいそうしていただろうか。
辺りはやや薄暗くなり始め、感じる風も涼しいものになる。
彼女は十分満足したのか、剣をしまい屋敷へと体の向きを変えた。
そのまま壁の方へと歩き、消えた。
「え?」
つい声を出してしまい、慌てて口を塞ぐ。
隠し扉という考えに行きつくのが数秒後。そしてやっと思考が正常に戻りだす。
(は、早く帰らねぇと)
任務は完了した。後は戦利品を献上するだけだ。
彼は屋敷の中に入り、玄関へと急いだ。この屋敷から外につながる扉は、玄関かホールの扉か二つだけ。
男が急ぎ足で廊下を歩いていると、部屋の扉が開いた。彼はビクッと肩を震わせ、手近な部屋に身を隠そうと辺りに視線を飛ばすがドアは少し離れていて間にあいそうもない。
先程のようにいないものとして扱ってくれないかと願いながら、出てくる人物に目をやった。
バチリ、と目が合う。
「あれ、歩? 何してんの、こんなところで」
そうのほほんと、勇輝は彼に声をかけたのだった。
その瞬間、歩はガクッと脱力して床に座り込んだ。
「だ、大丈夫!?」
急に力尽きた親友に、勇輝は慌てて駆け寄る。
「おう……俺、もう帰りたくねぇ」
危機迫った歩の口調に、勇輝は任せてと胸を張る。
「寝る場所ならいくらでもあるから泊まって。ほら、今からご飯だから一緒に食べよ」
ほらほらと、勇輝は歩の背中を押したてて食堂の扉を開ける。食堂は勇輝の部屋の前にあるのだ。
茫然自失の歩を押して中に入ると、秀斗がいた。
「お、歩じゃねぇか」
軽く手をあげて挨拶をする。そしてすぐに部屋の隅にある椅子を取って、歩の席をつくった。
「他のみんなは?」
「零華と癒慰が弥生と錬魔を呼びに行ってる」
「急に一人増えたけど大丈夫かな」
「ま、なんとかなるんじゃ……」
秀斗は言葉を途中で切り、じっと歩のペンダントを見つめた。
「どうかしたの?」
「それ、ちょっといいか?」
歩は頷いて、秀斗にペンダントを渡した。
秀斗は手に取ってまじまじとそれを見る。
「これ、どうしたんだ?」
真面目な顔をした秀斗からは、いつもの軽い彼は見られず、歩はぴりっと緊張する。
「鷺さんから預かった。これをつけて如月に行けって」
そこから先、いくつかの任務があったが口にするのも恐ろしい。
「げっ、あいつのかよ。こんなもんつけんな、しまえしまえ」
あからさまに嫌な顔をして、秀斗は歩へとそれを投げた。
「わかったよ」
歩は、本当に二人は犬猿の仲だなと思いながらそれをポーチに入れる。
「あら、歩君。いらしていたんですね」
「あ、零華。歩の分もある?」
「ありますよ。今準備しますね」
弥生を呼びに行った零華は、そう言うと厨房へと歩いていった。遅れて弥生が入って来、歩は気まずそうに視線を逸らす。
そして全員が集まり、楽しい、歩にとっては心臓に悪い夕食が始まったのだった。
その夜。
歩は疲労困憊の体で、本部に戻っていた。隼は本部に居を構えている。情報を扱う部署なので、支部が世界全国にあり、その分他の小隊に比べると隼の本部は小さい。
歩は意を決して目の前の扉を叩いた。
すぐに声が返り、失礼しますと扉を開ける。
目の前の机の向こうには、灰色の髪をした鷺がいた。
「どうだった?」
「……はい。任務は無事完了いたしましたが、条件は失敗いたしました」
舌がカラカラになりながらも、懸命に声を絞り出す。
「見せろ」
鷺に促されて、歩は手に持っていた分厚い封筒を彼に差し出した。
鷺がそれを開けると、中に入っていたのは全て写真。銀髪の女性が剣をふる姿だった。
鷺はざっと目を通すと、満足そうに口角をあげる。愉悦とも取れる表情に、歩はぞっとした。
「ご苦労。それで、誰に見つかったんだ?」
今回の任務は、弥生に鷺からの手紙を渡し、写真を撮ること。それに課された条件が、誰にも見つからないことだった。
この任務を言い渡された時も思ったが、間違いなく嫌がらせだ。
「零華、勇輝、秀斗です。まぁ、零華にはスルーされましたが……」
「勇輝?」
鷺の声が大きくなった。わずかに表情が動く。その表情は、驚き。
「どうかされましたか?」
「……いや。ご苦労。下がっていいぞ」
鷺は眉間にしわを寄せ、手で歩を追い払う。
「わかりました。あとこれをお返ししておきます」
歩はペンダントを机の上に置き、一礼してから部屋を出た。
部屋を出た途端、どっと疲れが戻ってくる。
「無事、終わってよかった……」
上司から無理難題をふっかけられた部下の、大変な一日が終わろうとしていた……。




