第5章の25 神の名を持つ子どもたち 中
これが最後と定めた日は、とりわけ寒かった。彼らは人間界へと出た途端、その寒さに身体を小さくする。街には人間が灯す明りが人のいない道を照らす。
だがそれが届くことのない闇で事は起こっていた。
「この長い追いかけっこも今日で終わりにしましょう。皆、散らばって目標を発見し追いつめてください。見つけたら覇動を放ってくださいね」
指揮を執る零華が四人の顔を見回した。そのうち三人は零華に頷きかえし、一人は夜の街をぼうっと見ている。
「んじゃ、また後で」
秀斗が軽く手をあげて自分の持ち場へと移動する。それに続いて二人も移動を始めた。
この一カ月で敵が現れるエリアが絞られた。そこから森へと追い立てる作戦だ。
零華は一人立ったままでいる弥生に視線を移した。一カ月ぶりにみる彼女は少し痩せ、まるで刃のような鋭い目になっていた。その瞳には澱んだものがちらつき、髪は本来の輝きを失っている。
闇に呑まれかねない、危険な状態だ。
「弥生ちゃん……」
零華はどう言葉をかけていいか迷っていると、弥生は感情のない声で言葉を落とした。
「殺す。心配するな」
それだけ言い置くとふっと消えた。今日は三日月で、身体能力が向上している。
零華は不安を拭いきれないまま、また自らも担当エリアへと足を運ぶのだった。
敵が現れたのは深夜を過ぎた頃。最初に見つけたのは錬魔だった。錬魔が覇動を放ち仲間に敵の出現を知らせると、近くにいた弥生が駆け付けその足で敵を森へと追いやる。女が術で移動するにはやや時間がいるようで、それが発動する前に弥生が阻止し、敵はぎりぎりのところで剣を交わす。
弥生はただ淡々と攻撃を繰り返していた。口元が軽く上がり、おもちゃを手に入れた子どものように笑っている。
錬魔はそれを見た時寒気を感じた。それと同時に今まで疑問に思っていたことが、氷が解けるように腑に落ちた。
弥生が度々人を襲っていたこと。暗殺の任務を自分一人でしかやらなかったこと。如月全体での任務も殺すものを好んだこと。
錬魔は人間が嫌いだからだろうと思っていた。だがそれだけではない。
(弥生は、戦いの中でしか自分を見出せないのか……)
それは幼いころより戦いを強いられた者が陥る悲しい性。戦い以外を知らない人は、それ以外に生きる意味を知らない。故に戦いを求める。
錬魔はくっと奥歯を噛みしめた。やっと見えて来た弥生の本質を胸にしまい、二人の後を追う。
四方から、森に向かっている仲間たちの覇動が伝わる。
敵もそれに気付いたのか、動きが変わった。術を展開させるのを止め、攻撃に転じたのだ。
女が足を止めることなく、肩越しにちらりと振り返ると闇の中、何かが光を反射した。
放たれたそれを弥生は剣で払い、女は加速する。地面に落ちたそれは、刃。投げることに特化された暗器だった。
敵が森に入る。彼らも敵を囲むように森へと足を踏み入れる。
山の裾野に広がる森。そこは一層静かで、地面を蹴る音がさらに静けさを引き立てた。
そして森が開けたところに出ると、敵は立ち止まり振り返った。
「本当にしつこいわね」
弥生と錬魔は広場の端で立ち止まり、敵と対峙する。彼女はするりとフードを取った。もう用済みだと言わんかの様に。
まず目に飛び込んできたのは漆黒の髪。
その瞬間弥生の殺気が一段と濃くなり、髪色が灰色に転ずる。ぞわりと、胸の内で黒い塊が動く。その髪はあの女を思い出させた。
「弥生、落ち着け」
弥生の変化に気づいた錬魔が、その肩に手を置いた。今憎しみに囚われては、闇に落ちてはまずい。
錬魔は一瞬、この女こそが例の女なのかと思ったが、すぐに打ち消した。もしその女なら、弥生は顔を見た途端に斬りかかっていただろうから。
「……わかっている」
弥生は眼前の敵を睨み、呼吸を整えて心を落ち着かせる。かすかに感じる仲間の覇動が、狂うのを押しとどめてくれた。
「……あれは、何だ?」
弥生が小さな声で錬魔に問いかけた。表情に警戒の色が滲んでいる。
「人間ではない。だが、魔術師でもない……嫌な固まりだ」
嫌な固まり。その表現に錬魔は頷いた。得体のしれない恐怖ではなく、胸の奥から込み上げる不快感。それがなぜなのかはわからない。
弥生が女との距離を測り、跳びかかるタイミングを伺っていると、木々の合間から蔓が飛び出してきた。それは真っ直ぐと地を這って女へと突き進む。
それに遅れること数拍。
女の右後ろから光の弾が、左後ろから氷の弾がそして真後ろから飛んできた。
女は蔓を横に跳んで交わし、暗器を投げ断ち切ると、ローブの内ポケットに手を入れ何かを宙に向けて投げた。
それは軽い爆発を起こし、その爆風で光と氷の軌道を逸らす。二つは女を通り越し、地面を吹き飛ばして消滅した。
女は乱れた髪を手で整えると、青い瞳を森へと巡らせる。
「不意打ちなんて小癪な手を使うじゃない。出てきたらどう?」
森に潜む気配がざわりと揺れた。
そしてすぐに彼らは姿を現す。自分たちが一ヶ月間追い続けてきた敵の前に。
女は五人に囲まれていることを気にする様子もなく、ぐるりと全員の顔を見回すと大仰に溜息をついた。
「子どもばっかりじゃない」
「子どもで悪かったな」
その言葉に秀斗が噛みつく。
「もう、逃げるのはやめたのですか?」
少し挑発を含んだ言葉を零華は投げた。
だが女はそれには乗ることはなく、涼やかに言い返す。
「好きで逃げていたわけじゃないわ。陛下が指令を最優先にしろと仰ったから」
陛下。その言葉に彼らは怪訝そうな顔をした。日本には天皇陛下がいるが、彼が権力を持っていないのは知っている。それにどこかの王族を敵に回した覚えはない。隠語か何かかと検討をつけ、錬魔が鋭い口調で問う。
「それで、お前の目的は何だ? なぜ人間を襲っている」
「質問ばっかり、そんなに私が気になる?」
だが女は答えようとせず、誘うような笑みを浮かべた。
「貴方たちは私を知ることはできないわ。でも私はできるの。この一カ月ずっと追いかけまわされてイライラしてたし、今日は少し相手をしてあげる」
彼女はすっと口角をつり上げ、彼らは身構える。どちらが先に動くか、弥生が先手を打って動こうとした時、女の瞳が淡く光った。青色が闇の中で一層輝く。
弥生は彼女の視線から逃れようと脇へ飛びのいた。
攻撃されるものと思っていた弥生は、何の変化も感じられず怪訝な顔をする。
女は首を回し、再び弥生を視界に捕らえた。弥生を視た女はわずかに瞠目し、それからニタァと笑った。獲物を追い詰め、加虐心に満ちた笑み。
「また会えたわね、月神弥生ちゃん」
月神。その言葉が女の口から飛び出た途端、空気が一変した。弥生の顔が岩のように固まり、心臓が握りつぶされるかと思った。
心臓は早鐘を打ち、背中に嫌な汗を感じる。
それは自分しかしらないことのはずだ。一番近しい秀斗にも告げていない名前。
王族しか名乗ることを許されない神の名だ。
「何の……話だ」
その一言を返すのに、十秒の時間を要した。残る仲間は固唾を飲んでそのやりとりを見つめる。何かあれば、すぐに攻撃できる体勢を保ちながら。
「そのままよ。他の子たちにも黙ってたんでしょ?」
そう言って女は彼らを見回した。一人ひとり舐め回すように視線を這わせていく。そして彼女は全てを視た。
愉悦に満ちた表情。それは自分しか目の前の子どもたちの真実を知らない優越感。そしてその真実を告げ、彼らを絶望させ狂わせられる強者の立場。それが彼女を笑わせる。
「なんだ、そういうことなんだ」
くすくすと女は笑う。
「何がおかしいんだよ!」
秀斗が語気を荒くしてつっかかかる。
彼は女の奥にいる弥生を見、くっと奥歯を噛んだ。弥生はかなり動揺し、闘気が乱れていた。そしてそれは秀斗も同じ。
「また会えるなんて思わなかったわ。神の名を持つ憐れな子どもたち」
誰かが息を飲む音が聞こえた。小さく声をあげた者もいた。森の静けさの中に、女の嫌な笑い声だけが響く。
「ずっと隠してたんでしょ? 自分の名前を、自分の正体を、境遇を。なんて憐れ、そしてなんて愚かなのかしら。本当は、みんな同じなのに」
女の声は真っ白になった頭を殴るように響く。分かりたくなかった。その女が言ったことは、今までの苦しみを無にすることだ。そして新たな苦しみを生みだす爆弾だった。
「……それが、なんですか?」
振り絞ったその声は、零華だった。キッと女を睨み、こみ上げる感情を言葉にする。
「私の、私たちの名前を、過去を視たくらいで言い気にならないでくれませんか? ここであなたを殺せば、済むことです」
零華はその瞳を知っていた。以前お世話になった女性も青い瞳で過去を見ていたのだ。
「それで? 他の子たちも殺す? できないでしょ。水神零華ちゃん」
「お前はだまっ……!?」
怒りが頂点に達した秀斗が殴りかかろうと足を踏み出そうとしたが、身体は石像のように動かない。
「何これ! 動けない!」
それは全員に起こっていた。先程までは動かせていた身体が、意に反して固まったままだ。
「くすくす。私がただ逃げてると思ってたの? ここには術がかかってるの。心を喰った相手の動きを封じる術がね」
心を喰う。彼らの動揺が、苦しみが、足をその地に縛り付ける。
「お前は何者だ」
錬魔の瞳は赤く染まり、彼女を視ようとする。だが視える色は混ざりあい、色合いを変えてしまう。そして生きている者が持つ印を持たなかった。
「あら自己紹介が遅れたわね。私は御影」
「人間ではないな。だが、魔術師でもない……」
「私は陛下に作られの。全ての種族を凌駕したものよ」
御影は自らの頬に手を添えた。
「身体を作るのは魔族の血」
そしてその手をそっと目へと持っていき、目蓋を撫でる。
「瞳は過去を見通す霊界の役人」
御影は胸へと手を下ろし、不敵に笑った。
「そして力は強欲な人間。その強欲さが不可能を可能にするの」
「全て他人のものか」
錬魔は吐き捨てるように言い、鋭い眼光を御影に向ける。
「それが何? 陛下が作り、私に名を下さった。それが全てよ」
御影は右手を地面に向けると、何かを呟いた。彼女の足元には淡い光とともに魔方陣が現れ、土が盛り上がる。瞬く間にそれは椅子へと姿を変え、彼女はそこに腰かけた。
足を組み、頬杖をついて口角をあげる様子は王のよう。
「神の名を持つ憐れな子どもたち。お話しを聞かせてあげる。永遠に眠るためのね」
彼らは動揺の中、互いに視線を交わす。聞きたくなくても、誰も彼女を止めることはできない。
そうして彼女は語り始めた。まるで我が子に聞かせるように優しい声で……。
長くなりすぎ、三つに分割するはめに……。五章は山場がたくさんあるので、どうしても長くなりますね。
やっと神の名が出てきました。
そして御影がドSすぎる。まだみんな小さいから押しに弱い。
次はさらに彼らが精神的ダメージを……(笑)
なるほど、作者もSなんですね。




