第5章の26 神の名を持つ子どもたち 後
ドクドクと心臓が脈を打つ。
聞いてはいけないと本能が告げる。
だが身体は動かず、彼らの瞳には一人の女が映っている。
「どうしてあなたたちの一族が神の名を持ち、人の上にたつことを許されたか知ってる?」
御影は嗜虐的な笑みを浮かべながら優しくそう問いかける。
「渡ったそれぞれの部族の中で、力の強い血筋の者が王となったのですが?」
零華は強い口調で返す。その言葉は創世記の文章通り。
だが御影は静かに首を振った。
「残念。それは建前よ。渡った時、魔術界には二つの大陸しかなかった。そして天と闇がそこに国を作り、残る部族は自らの力で大地を作り、国を作った」
「創世記の通りではないですか?」
「でも、真実は書かれていないわ。ねぇ、あなたたちは大地を作る魔術を知ってる? あの広大な大地を作るのに、どれほどの魔力が必要かしら」
その問いかけは、教師が子どもに答えへと導かせるように、優しく丁寧に。
「あなたたちの先祖はね。自らの部族で力の強い血筋を生贄にして魔術を使用したのよ」
可笑しそうに残虐な笑みを浮かべながら御影は続ける。話を続けるほどに、彼らは自分の正面に御影がいるような錯覚に陥る。
弥生を見ている彼女の目が、自分の前にも現れるのだ。そして語りかけてくる。
「おかしいと思わなかった? どうして王族に天命以外の死が許されないのか。どうして王が死ねば国が沈むのか」
勝手な死は許されない。それは王族として生まれた子どもが最初に教えられること。そして王族が死に絶えたことで五つの国が滅んでいる。
「その国が王族の犠牲の上に成り立っているからよ。生贄の血なの。王族の血と力で出来た大地は王族の血と力で保たれている。それがなくなれば壊れるのは当然のことね」
御影が語ったのは始まりの物語。ほとんどの人が忘れてしまったその世界の始まりだ。
「犠牲の上の……国」
ぽつりと呟いたのは零華だ。
砂が崩れるように、さらさらと支えが壊れていく。崩れ落ちようにも、身体は動かない。
王族としての、神の名を受け継ぐ者としての誇りを持てと父親は言った。王族としての誇りが、国を守る使命が零華を生かしていた。
(この名は、この誇りは全て背負わされたものなのですか?)
零華の心が揺れる。身体は重くなり、さらにその地に縛られた。
「天つ人は醜いわ。あなたたちの一族は罪滅ぼしに祭り上げられたにすぎないの」
御影の言葉は強い酸だ。じわじわと心を溶かしていく。今まで信じていたものを。
「俺たちの先祖がどう国を作っていようが知らねぇよ。俺は、今を生きるだけだ!」
「そうよ。私たちが生き続ければいいだけよ」
御影は聞きわけのない子どもを見るように、困った表情をして微笑んでいる。
「憐れね。そんなものに縛られているなんて。憐れで愚かな天つ人を、陛下は憎みを抱かれた。だから私たちが裁きをくだしたのよ」
彼らの眉がぴくりと動いた。
御影はそんな彼らの反応がおもしろくて仕方がない。早く、早く壊してしまいたくなる。
「あなたたたちの家族は私たちが殺したのよ」
彼女たちの表情が強張った。視線が動き、青ざめる。
すぐに理解できなかった。耳を塞ぎたくても腕は動かず。あの血濡れた惨状が記憶の底から引きずり出される。
「でたらめ言うんじゃねぇよ。ただ視ただけだろうが!」
これ以上乗せられるかと秀斗は渾身の力で声を張り上げる。過去に引きずりかけている仲間をここに呼びもどすために。
御影はすっと立ち上がり、秀斗を振り返った。
「そうね、私はね。実際に殺したのは私の兄たち。私はその兄たちの身体を使って作られた末の妹。私の頭には全員の記憶がある」
その惨状は全て同じ日の出来事。全て同じ目的のもとの犠牲。
御影は凶暴性を潜めさせた微笑を浮かべながら秀斗へと近づき、壊れものを触るようにそっとその頬を撫でた。
「あなたのお母様は最後まで私を息子だと思っていたわ。秀斗、遠くに行っちゃだめよってね。胸を刺した時のあの顔、息子に刺された時の、絶望に満ちた顔は最高だった」
「なっ……」
ぐらりと脳を揺さぶられたような気がした。脳裏にあの日のことが蘇ってくる。
胸を短剣で突きさされ、ベッドを赤く染めていた母親。それが秀斗の記憶にある最後の姿。
(母さん……)
記憶能力が安定せず、魔の病と言われ隔離されていた母。日によって秀斗は息子となりまた他人となった。見知らぬ秀斗が来るたびに母は怯え、息子を探した。
「あの様子じゃ、死んだ方が幸せだったわね」
「てめぇっ!」
胸の内で暴れまわる感情に任せ、御影を殴ろうとしても身体は動かない。怒りも、殺意も、やりきれなさも、虚しさも、力に変わらない。
御影は歯ぎしりする秀斗を満足そうに見下ろすと、次のおもちゃへと興味を移す。
「ちょ、こないでよ」
癒慰は恐怖に身体を震わせながら拒絶の言葉を口にする。ぐっと目を瞑るが、顎を掴まれ無理やり上を向かされた。
「何を悲劇のヒロインのような顔をしてるの? くすくす、あれは傑作だったわね。城内の王族を皆殺しにして、地下牢に行けばあなたが母親に殺されかけてるんだもの」
首を絞められ、もうこのまま死んでしまおうと思っていた。それで母親が満足するなら、闇の子に生まれた自分は死ねばいいと思っていた。
その時足音が聞こえ、男が牢の前に立ったのだ。
「私は殺す手助けしてあげようと思ったんだけど、まさか投げ入れた短剣で自分の喉を刺すなんて……。あなたのせいでみんな死んだのよ」
母親は投げ入れられた短剣にすがるように這いより、喜びを顔一面に広げて自らの喉へと短剣を突き立てた。
「いや……いや……」
癒慰の頬を涙が伝った。髪の色が濃い茶色へと変わっていく。御影が顎から手を離す。
「癒慰、呑まれるな!」
錬魔の叱咤する声に視線を彼に向けた。とめどなく涙が溢れる。
錬魔の顔も辛そうに歪んでいる。皆が同じ傷を持っている。それを知った癒慰は泣けない者の分まで涙を流す。心がきしんで悲鳴をあげていた。
「泣き虫はそこでずっと泣いてればいいわ」
御影はつまらなさそうに癒慰から離れ、先程からずっと睨んでいる零華に歩いて行く。
その様子は花から花へと移る蝶のよう。蜜を、養分を全て吸い、果てに花を枯らせてしまう魔の蝶だ。
「あなたの両親はなかなかしぶとかったわ。どんどん殺されていくのに、我が国は滅びぬなんて言ってたわね。青い髪が赤く濡れるのはなかなか綺麗だったわ」
城に帰れば広がっていた悲劇。誰よりも国を思っていた父も、家族を愛した母もそこに転がっていた。
「滅びさせません。私が生きているのですから」
「あの国が守る価値のあるものと思ってるの? 犠牲の上に平気で暮らしているあの国が」
そこを突かれると、零華は苦しそうな表情をして口を閉ざした。心が大きく揺れる。
「御影、いいかげんにしろ! 零華、惑わされるな!」
錬魔の鋭い声が飛ぶ。彼は怒りを抑えつつ、射殺せそうな目で睨んでいた。
目の前で仲間が傷つけられていく。自分が何もできないのが情けなく、腹立たしい。
「あなたはさっきからうるさいわ」
御影は弥生の前を通り、錬魔へと近づいた。憎たらしそうに頭を掴み、魔の言葉を紡ぐ。
「あなたの家族は、優しい家族だったわね。闇の子であるあなたを受け入れた。でもあなたは裏切った。あなたは自分を逃がしてくれた兄を助けることもせずに」
強く頭を掴み、錬魔の瞳いっぱいに自分を映す。自らの残虐な笑みに満ちた美しい顔を。
「あなたは何人の命を弄んだ? あなたのせいで何人の命が散った? 忘れたわけじゃないでしょう。あなたがどれだけ罪深いか」
胸の奥に苦いものが広がる。
錬魔を逃がしてくれた兄は、身代わりとなって死んでしまった。父も母も、その他の兄たちも皆が死んでいる中、錬魔は恐怖に駆られて走っていた。よく視れば、まだ誰かを救えたかもしれないのに。
「黙れ……。俺は……俺は」
自責と後悔の念。それは何年経っても消えず、さらに強くなる。
「錬魔、お前までその女の口車に乗ってどうする。お前は医者だろう。しっかり他の奴らの治療をしろ」
今まで一言も発さなかった弥生が、ようやく口を開いた。視線だけを御影にやり、鼻で笑う。
「お前はただ人の心を揺さぶる程度のことしかできないのか? 私たちの親を殺したのも、お前ではないではないか」
弥生に挑発され、御影は笑みをひっこめてつかつかと近づいた。胸元から短剣を出し、弥生の首筋に当てる。すっと引けば、赤い線が現れ、血が滲みだす。
弥生はわずかに眉を動かしたが、その瞳には恐怖も憎悪も映っていない。
「私は殺そうと思えば何時でもあなたたちを殺せるわ。でも、それをするのは陛下のお楽しみ……。先に味わっちゃうとお叱りを受けるから我慢してるのよ」
御影は短剣の腹で弥生の頬を叩き、胸元に忍ばせた鞘に収めた。
そして弥生の顎に手をかけ、冷たい目で見下ろす。強情な人形が壊れる様が楽しみと言わんばかりにニィっと唇が弧を描いた。
「ねぇ、初めて会った父親はどうだった?」
御影の声は静かながらも弾みを持っている。止めを刺すために御影は言葉の刃を研ぐ。
「恨めしそうに首だけになってあなたを見ていたでしょ?」
ゴトリと音を立てて投げられた首。恨めしそうに弥生を見上げるそれが誰なのか、弥生は知らなかった。凶手に父だと告げられるまでは。
「母親はあなたを庇って死んだ。美しい母親の愛よね」
父の首を見て呆然とする弥生に向け剣が振り下ろされた時、弥生の視界は銀色に変わった。
自分と似た面立ちの顔。胸に刺さる剣。
すでに傷を負い、半死半生の身にも関わらず彼女は弥生を守った。ろくに言葉を交わさず、自室にこもってばかりだった母親。
あの時も、今でも、なぜ彼女が自分を守ったのか分からないままだ。
弥生は目蓋の裏に映るあの日の映像が終わると、静かに目を開けた。御影は愉悦に満ちた表情をしている。
「あなたはたくさんの人を殺してきた」
御影は言葉の刃を振り上げ、心へと突き刺した。
「全てあなたのせい。あなたはその剣で人は殺せても、人を、仲間を救うことはできないわ」
御影の非情な言葉にも弥生は眉ひとつ動かさなかった。一対の灰色の瞳が御影を見据える。月契の切っ先がぴくりと動いた。
「それが、何だ。私はあの国に対して強い思い入れはない。自ら滅ぼそうとは思わないが、滅びるのを止めはしない」
弥生は淡々と言葉を紡ぐ。
「両親が誰に殺されていようが、私は気にしない。わざわざ敵を取るほどの仲でもなかったからな」
他の四人とは違う弥生の反応に、御影は苛立ちを覚えた。本物の短剣でその心臓を突き刺してしまいたくなる。
「お前が誰であろうが、何をしようが私には興味がない。だが、その下等な口から私の名が、そして過去が語られるのは虫唾が走る」
御影は弥生の顎を掴む手に力をこめた。怒りに駆られる御影を見て、弥生は口角をあげる。
「お前に私たちが壊せるものか。楽しい話をしてくれた礼だ。受け取れ」
そう言うなり弥生は月契を右下から斜め左へと斬り上げた。御影は目を見開き、胸から血が噴き出す。驚いたのは四人も同じ。
彼女はよろめき片膝をついた。
「相手を動揺させ、その動きを封じる術……。だがな、その話でむしろ冷静さが戻った」
弥生は冷たい殺意が籠った目で、御影を見下ろした。御影は胸元から短剣を抜き、弥生へと襲いかかる。
「この生意気な餓鬼が!」
だが弥生は短剣を御影の腕ごと落とし、横に薙ぎ払った。御影の絶叫が森に響く。
「もうこれだけ視たんだ。その目はいらないだろう」
顔に走る横一文字。
御影は憎々しく顔を歪ませ、見えない目で弥生を見上げた。
「よくも……月神弥生! 強気でいられるのも今だけよ……。陛下が、あなたたちを壊すわ。その時は私も……」
「それはない。お前はここで死ぬ」
弥生が月契を振り上げた。
「そうはさせない!」
御影は腰にしこんでいた短剣を抜きとると、自らの胸に刺した。
(人間の魂は集め終わったし……身体はまた作り直せばいいわ)
弥生はその行動に驚き、振り下ろしかけた剣を止める。
「ひとまず……ここでリセットよ」
御影は崩れ落ち、血の中に頬を浸した。そして次の瞬間ぞわりと不快な感覚が下かと思うと、そこに御影の姿はなかった。残ったのは血だまりだけ。
「消えた……?」
零華が茫然と呟いた。動けるようになった身体は力が入らず、ストッと座りこむ。
「死んだのか?」
錬魔は気だるそうに弥生へと近づいてきた。すぐに火煉を発動させ、弥生の傷を治す。
「おそらく……あの傷では逃げられても生きのびられないだろう」
弥生は月契に滴る血を振り払うと、鞘に収めた。
「弥生……」
疲れを滲ませ、弱々しい口調で秀斗は弥生の名を呼んだ。同じ宿命を背負った仲間の名を。
「秀。なんだその様は。情けない」
弥生の容赦ない言葉が、いつもと同じその言葉が嬉しかった。
「弥生ちゃん……みんな……」
癒慰はぐずぐずと目尻を袖で拭いながら近づいてくる。
「ずっと言えなくて、ごめんね……仲間だったのに」
自らの出自がばれて、今の関係が壊れるのではないかと怖かった。大切な仲間になるほど、失うのが怖くて、そして隠していることが辛かった。
「それは皆同じですよ」
立ち上がった零華が、ゆっくりと近づいてくる。
彼らは皆弥生の周りに集まった。返り血を浴び、白い肌に花を散らす弥生はうっすらと笑う。
「壊れるものか。どこの王がやってこようが、返り討ちにすればいい……。まだ死ぬわけにはいかない」
弥生の瞳から憎しみが消えていた。その代わり、本当の仲間を得た喜びが小さく映っていた。
「そーだよな。どんな国だろうが、一応生まれたとこだし? ちょっとくれぇ守ってやらねぇと」
「そうね。さぁ、帰りましょ。もうすぐ朝になるし、お腹もすいたわ」
癒慰はとりわけ明るくそう言った。
「日が昇れば本部に任務完了の報告をしてきます」
「零華お前……ちょっとくれぇ休めば? 真面目すぎじゃね?」
秀斗の引いた顔に、くすくすと笑い声が起こる。
まだ心の中は複雑に入り乱れていても、一つだけは確かだった。
信頼。
それがはっきりと感じられる。
彼らはぽつぽつと他愛のない話をしながら、如月へと帰っていった。暖かい血のつながりを感じながら……。
彼らの過去や境遇が明らかになったので、個人個人の過去にも踏み込めるようになりましたね。王族に生まれながら、闇の子でもある彼らは家族にうとまれたり、争いに巻き込まれたり。闇の血が絶望に落としても、王の血が死という逃げ道を閉ざしてしまう。
攻められてばかりですね(笑) うん、作者のせい。
さて次回はやっと戦いへ……入る一歩手前。




