第5章の9 書物は古き知を呼び起こす
翌朝、弥生が帰って来た。ホールに入って来た弥生は眠いとだけ告げると部屋に戻り現在お休み中だ。昨日秀斗から二人が無関係なことを聞いていたので取り立てて弥生の話を聞くこともなかった。秀斗はふらふらの弥生を見るなり、夜通し飲んだなと苦笑を浮かべてお疲れと声をかけていた。
勇輝は弥生に剣の相手をしてもらうつもりだったが、弥生がお休み中とあってはすることもなく、素振りをしてから屋敷をふらふらと散歩中だ。
散歩をしながら適当に暇そうな人の部屋を訪ねようと考えている。
適当に階段を上ったり、廊下を曲がったりしているともはやここがどこで、どこに誰の部屋があるのか分からなくなる。迷子になりつつよい運動だ。最近、勇輝は自分がやや方向音痴なことに気が付き始めた。だが気にしないのが勇輝である。
(さて……本格的に迷ってきたかも)
ホールへと続く扉を見つけられればこの状態から出られるのだが、何故か一向に見つからない。
勇輝は階段を下りて、辺りを確認する。
(……あ、あれか?)
廊下の突き当たりに少し大きめのドアを発見した。勇輝はほっと胸を撫で下ろして、歩きだす。そしてその手前のドアが開いていることに気がついた。
(ん? ここなんだっけ?)
勇輝はそのドアを前で足を止め、ひょいっと中を覗いた。
「うわっ……」
目に飛び込んで来たのは本、本、本。書架が壁を覆い尽くし、本棚は規則正しく並んで静寂に身を委ねている。
(そーいえば、こんな部屋もあったっけ……)
入ったのは一度きり、確か全員で小さくなった時だったはずだ。もともと本には縁のない生活を送っているので足が向くこともなかった。漫画なら部屋にあるのだが……。
「……用があるなら入ったらどうですか?」
勇輝はぴくっと身体を震わせて、声がした方を見た。気が付かなかったが本棚の間に零華がいたらしい。
「えっと……じゃぁおじゃまします」
勇輝は及び腰でそっと中に入りドアを閉めた。零華は二冊の本を手にして、部屋の中央にある机へと向かう。
「どうせ弥生ちゃんが目を覚ますまでの暇つぶしでしょう?」
零華は椅子に座ると本を広げた。
「うん」
勇輝は手持ち無沙汰なので零華の隣に座って、もう一つの本を手に取った。
「……え、何語?」
表紙は簡素だが、表題が読めない。アルファベットに似てもおらず、かといってアラブ系のミミズの如き文字でもない。角ばっているところは漢字に似ているのだが、もっと象徴性の高い文字だ。
「あぁ、それは魔術界の文字です」
零華はぱらぱらとページをめくりながら答えた。零華が今読んでいる本も魔術文字で書かれている。
「魔術界の!? 何でそれがここに?」
勇輝は本を開いてまじまじと目を通した。だが全く何が書いてあるかがわからない。
「以前鷺君が持ってきてくれたのです。おそらく向こうから流れて来たものか、私たちのような流れ者が持って来たのでしょう」
「へ~。これ何の本? 俺も読みたい」
零華はページをめくる手を止め、勇輝へと視線を向けた。
「それは歴史書です。勇輝君にとっては睡眠剤なのではありませんか?」
そう言ってやんわり笑う。
「確かに歴史の授業は気づいたら意識がないけど!」
痛いところを突かれた勇輝は唇を尖らせた。
「でも零華たちの国の話なら読みたいな~って……だからざっくり翻訳して?」
じーっと視線で訴えかける。やや上目遣いで目を潤ませることを忘れない。勇輝の可愛い顔を有効的に使用した技だ。
良心に訴えかける眼差しに零華は小さく溜息をついた。断ると泣かれそうで後味が悪い。
「わかりました。ただ私は調べたいことがあるので、これを使ってください」
そう言って零華は椅子から立ち、本棚に挟まれて肩身が狭そうな物入れの引きだしを開けた。中から青い布を取り出し、勇輝の前に置く。
「……これは?」
勇輝がそれを広げてみると、それほど大きくなく、形は四角で裏に折り返しがある。表にはちょっとしたポケット付きだ。そして見つけた隅っこのメイドイン匠の文字。
「匠さん特製、自動翻訳ブックカバーです。それを本に被せると脳内で勝手に翻訳されます」
「匠さんすげぇ……今まで変態とか思っててすんません」
今まで少女趣味な変態としか思っていなかった匠の株は急上昇だ。
「私たちもたまに使うので、重宝しています」
「え? 零華たちはこっちの文字も全部読めるんじゃないの?」
以前、こちらの言語は数日聞けば耳が慣れて理解ができると言っていたので、文字も同様かと思っていたのだが。
「いえ、言語はこちらでもそれ自体に力を持つので問題ないのですが、こちらの文字は無力ですから。私は英語と日本語は読めますが、他はだめです」
「へ~」
他はだめですと零華は言うが、それでも三ヶ国語が出来ることになる。言うまでもなく隣の勇輝は母国語オンリーだ。
つい相槌が投げやりになった。
勇輝は気を取り直してカバーを本にかけ、本を開く。
「うわ……創世記って書いてある」
目に見えている文字は解読不能なのに、頭の中ではちゃんと理解できる。なんとも不思議な感覚だ。
「こんなの作れる匠さんってすごい。能力者じゃないんだよね?」
「えぇ、彼は人間です。ですが、何代か前の局長が能力者だったらしく、その人が他の能力者の能力を物質に転用する技術を作ったそうですよ」
「ん? どういうこと?」
勇輝が頭に疑問符を浮かべると、零華は微笑を浮かべて噛み砕いて説明を始めた。
「例えばこのブックカバーは、言語理解に長けた美月さんから取ったものですし、伸縮自在の服は変装時に身長を変えられる鷺君の能力を使用したんです」
勇輝は現在着ている隊員服に目を落として、灰色の髪の男を思い出した。そして勝手に身体にフィットするフリル多様な迷惑服も彼の能力のせいかと思うと、何やら怒りがこみ上げてくる。
「怖い顔をしていないで、読むなら静かに読んでくださいね?」
般若の顔になりかけていた勇輝を横目でちらりと見ると、零華は自分の本に視線を落とした。
「はーい」
そして勇輝も大人しくページをめくる。内容は、ただただ歴史だった。
最初の数行を読み、熟読は不可能と諦めて流し読みに切り替える。文字を目で追っていると、人間界で迫害を受けて魔術界に渡ったという記述を発見した。そして彼らの国以外にも多数の国があったことも書かれている。
(天に雷、森もある……あ、風も)
ペラペラとページをめくっていくと、霊界との交流や、魔界からの魔獣の脅威。また国どうしの戦争など色々おもしろい記述もあった。
(闇の国との全面戦争……)
本の後半になると、闇の国、グランオスクリタ帝国に関するものが多くなる。闇の国は他国に侵攻し、そして最後は天の国の王族が倒したらしい。だがそれと同時に天の王族は死に絶え天の国は滅亡したとも書かれている。
(どこの世界も戦争ってのは犠牲ばっかりだな)
その戦争の後、天の一族は三つの血族に分かれそれぞれ光、月、星となったらしい。
「ん? なぁ零華。戦争で王様が死んだらなんで国が滅亡すんだ? 王制やめて民政にすればいいじゃん」
零華は自身の本から視線をあげると、困ったような表情で勇輝を見た。
「確かに、人間界の歴史と比べると腑に落ちないところでしょうね。ただ魔術界では王族が死に絶えると、国が沈むのです。何故かは……明かされていませんが」
「ふ~ん。そういや、零華は何を読んでんの?」
三十分読んで集中力が切れた勇輝は零華が読んでいるページをひょいっと覗き込んだ。文字は全く読めないが多数の剣の絵が書いてある。
「……これは、その歴史書の解説みたいなものです。各国のことが詳しく書かれ、魔術師の起源にも触れています。私は魔術師に現れる武器について読んでいるのです」
解説書というだけあってか、勇輝のものより数倍厚い。勇輝はそれだけで読む気を殺がれてしまう。
「武器って、みんなが持ってる?」
「はい。これには大まかな武器の種類が載っているのです」
魔術師に宿る武器は似たような性質を持つものが多く、特徴ごとに分類されているのだ。
零華が次のページをめくると、瞳の絵がずらっと並んでいた。その下に説明なのか文字が書かれている。
「うわ……怖い」
「瞳に宿るものだけで、これだけの種類があるのですね……」
「あ、これ錬魔の」
勇輝はそれぞれ違う模様が浮かぶ瞳の中から、瞳が一重に縁取られたものを指差した。
「えぇ、そうですね。治癒の瞳と書かれています」
「火煉じゃなくって?」
「火煉というのは、武器の種類の名では無く、武器の銘というだけなんです」
「へ~。そういえば、零華の武器って見たことないや。どんなの?」
ふと思いついたように勇輝がそう言うと、零華は微笑を浮かべた。
「あら、見る覚悟があるのですか?」
ふふふと静かに笑う零華に、勇輝の背筋に悪寒が走る。
「え、遠慮しときます」
すーっと零華から視線を外し、そのまま本へと持っていく。零華も戯れを止めて本へと視線を戻した。
(気になるけど、命が惜しい。……ん?)
勇輝はパラパラとページをめくり、最後のページで目を留めた。
(……魔術界全土で兵士の反乱? 王族の過半数が死亡)
最後のページは三行しかなく、死亡の文字が目を引く。続く文にはそれから国が衰退し、現在残った王族が統治していることが書かれていた。
「……今、魔術界って大丈夫なの?」
零華は怪訝そうな顔で勇輝を見、勇輝がどこを読んだかに気が付くと難しそうな顔をした。
「そうですね……それを読む限り、あまりいい状態ではなさそうです。ただ、それくらいでどうかなるほど弱い国ではないと思っていますよ」
「そっか……やっぱり心配だよな。みんなの国なんだから」
勇輝はぱたりと本を閉じて、空中に視線を飛ばし、見たことのない魔術界へと想いをはせた。
(いつか、行ってみたいな)
だが連れて行ってと軽々しくは言えない。彼らは帰りたくても帰れないのだから……。
一人勝手に感傷に浸っていると、身体が震えた。ズボンのポケットから震動が伝わる。
勇輝はストラップを引っ張って携帯電話を取り出し開いた。画面には着信中の文字。
「歩?」
勇輝は疑問符を浮かべて応答のボタンを押した。図書室ではお静かにのルールは頭によぎりもしない。
「どーかした?」
間の伸びた勇輝の声に反して、聞こえて来た歩の声は苛立ちが混じるものだった。
「おい勇輝! 人のこと呼び出しといてどこにいんだよ!」
「……あ」
勇輝は短く声を上げ、あははと乾いた笑みを浮かべる。
「昨日、明日如月に来てくれって電話よこしたのはお前だろ? なのにインターホン押しても誰もでねぇし」
「ごめんごめん。聞こえなかった」
インターホンの受話器はホールと厨房にしかない。ホール近辺の廊下ならまだ音も聞こえたかもしれないが、部屋に入ると無意味だ。改良が必要である。
「さっさと来やがれ」
「いますぐ行きます!」
電話が切れたと同時に勇輝は椅子から立ち上がった。
「零華、歩が来たからちょっと話してくる」
「あぁ……秀斗君のアレですか」
「うん。じゃ」
小さく手を挙げて、勇輝は足早にドアから出ていった。
静かになった室内で零華は再び本に視線を落とす。瞳がたくさん描かれている中に、錬魔の瞳もある。昨日見た、瞳全体が色づいたもの。
(やはり、神祈の瞳……)
零華は硬い表情のまま本を閉じると、立ち上がった。
(錬魔君のところへ行きますか……)
本をあった場所に戻し、零華は図書室を後にした。
カレンの名。そして神祈の瞳。その二つの言葉が零華の足取りを重くする。零華はくっと意思を固めて彼の部屋へと歩き出した……。
ぎりぎりです。平日の時間のなさがはんぱない。春休みに入れば一日中書けるのでストックもたまりそうですが……。
本編はしばらくお話合いが続くのでしょうか?




