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第4章の26 己の中にあるもの

 零華が赤ん坊のための買い物から帰り、ホールはたちまち育児セットの山ができた。机の上には育児書とおむつにミルクが置かれている。

 如月の物置にあったという赤ちゃん用のベッドが運び込まれ、ベッドの上にはたくさんのぬいぐるみが置いてあった。

 そしてベッドの上に寝転がり興味深そうに目をパチパチさせる幸を、零華、錬魔、勇輝が見つめていた。


「ほんと幸は可愛いな~」


 顔をにやけさせて勇輝は幸のほっぺを人差し指で撫でる。


「癒されますね」


 聖母のような笑みを浮かべて零華は哺乳瓶でミルクを作っていた。粉ミルクの缶を見ながら書かれている通りに粉をお湯で溶かす。


「……このまま育てる気か?」


「だめ?」


 勇輝は拾って来た子犬を見せる子どものように訴える目で錬魔を見上げる。


「いや……その」


 勇輝の必勝説得法うるうる目をくらった錬魔は言葉に詰まる。


「さすがにずっとは無理ですね。私たちでは十分な世話を教育もできませんから。やはり母親が見つからない場合は孤児院に預けましょう」


 勇輝はしゅんとしおれて幸の顔に視線を落とした。


「幸……お前の母さんを見つけてやるからな」


 じっと幸を見つめると、幸と目があった。そのまま見つめ合う。


「……うっ、だめだ! 清らか過ぎる! なんか色々贖罪したくなる!」


 だが勇輝はすぐに視線を離し、ベッド脇にしゃがみ込んだ。


「赤ん坊の目は純粋ですからね」


「悪行の数々を謝りたくなる……」


「不良が子育てなんておもしろい絵ですね」


 くすくすと笑いながら零華は幸を腕に抱きミルクを飲ませる。幸はお腹が空いていたのかごくごくと飲んでいった。


「別にいいじゃん」


「えぇ。可愛らしくていいと思います」


 ちくりと勇輝の心に棘がささった。ついこの間味わった痛みに、勇輝はそろっと視線を幸から零華の顔へと移した。だが零華の表情はいたって普通。刺々しいオーラも出ていない。


「どうかしましたか?」


「……い、いや。なんでもない」


 気のせいかなと勇輝は小首を傾げた。その間に幸はミルクを飲み終わり、零華はげっぷをさせるとまた幸を寝かせる。なかなか手なれた動作に勇輝は拍手をおくった。


「零華って何でもできるよね」


「勇輝君も早く覚えて立派なお母さんになってくださいね」


 にこりと笑いつつ、零華は五寸釘を勇輝の胸に打ちつける。勇輝は驚きと痛みで心臓が止まるかと思った。心臓が掴まれているように痛い。


「零華……まだ機嫌を直していないのか?」


 呆れ半分の錬魔。勇輝は顔面を蒼白にして自殺でもしそうな形相で零華を見ている。


「零華はそんなこと言わないって信じていたのに……」


「からかっただけです。ついつい楽しくて……許してください」


 聖母の微笑みを向けられ、その神々しさに気押されて勇輝はこくりと頷いた。そしてすぐに我に返って頭を抱える。


「やられたぁ!」


 悲嘆にくれる勇輝を見て、零華はくすくすと笑っていた。その様子に溜息をつく錬魔。


「化けの皮が剥がれたな」


 ぽろりとこぼした錬魔に零華は笑顔を向ける。だが目が笑っていなかった。

 錬魔はしまったとスーっと視線を零華からそらす。


「一度に爆発するよりは小出しにした方がいいことに気がついたんです。そう思いませんか?」


「……全くその通りだな」


「理解を示してくれてありがとうございます」


 錬魔は溜息を喉もとで飲みこみ、わざと笑みを見せた。口角をあげた、挑発とも取られかねない笑み。二人が笑みを浮かべてあう様子を、勇輝はうすら寒い思いをしながら見守る。


 如月にピリ辛零華が誕生した……。




 昼が過ぎ、零華は母親の手掛かりをさがすために幸をつれて龍牙隊に行き、秀斗は顔なじみのいる警察へ情報を訊きに行った。

 残った人たちは二人が帰るまでの時間を潰す。

 癒慰は窓辺に置かれた椅子に座り、開け放たれた窓から外を眺めていた。癒慰の部屋は庭に面し、花が太陽の光を浴びて心地よそうにしているのが見える。

 だが外の明るい景色とは裏腹に、癒慰の気持ちは沈んでいた。


(阿修羅さんは、悪くない……)


 胸にこびりついたように取れない、阿修羅を見た時の感情。それは怯えであり、嫌悪であり、憎悪であった。

 いくら頭で否定しようとも、重くなる胸の内が自らの思いを吐露する。


(やっぱり闇は許せない)


 闇の子に生まれたことで人生は狂った。幸せだった時間は壊れ、地獄が始まった。

 それを、闇を見るたびに思い出す。彼らが癒慰の人生を狂わしたのではない。だが彼らに流れる血が、そして自らに流れる血が許せないのだ。


(どうして、どうして私は闇の子なの……?)


 何度そうやって自分の身を恨んだか分からない。


(消えてしまえばいいのに……)


 夜の闇の中で、度々短剣を喉元に向けたこともある。母の最後の姿に引き寄せられるように、静かな空間で自分の終わりを願っていた。

 だがその刃が血で染まることはなく、いつも自分の故郷と仲間が足枷になった。


(苦しい……)


 終わりの見えない苦しみ。楽になるには命を絶つほかないのに、それは許されない。

 癒慰は窓枠に両腕を乗せ、顔を腕に埋めた。

 視界は黒に染まり、耳と肌に外の明るさと暖かさが伝わる。

 そしてしばらくそうしていると、サクッと土を踏む音が聞こえて顔をあげた。


「癒慰」


 声が聞こえた方に顔を向けると、そこには無表情の弥生がいた。癒慰は急に現実に引き戻され、やや虚ろな目で弥生の姿を確認すると微笑を浮かべる。


「散歩?」


「鍛錬を終えて自分の部屋に帰るところだ」


 癒慰はくすりと笑った。鍛錬場から帰るのであれば、癒慰の部屋の前を通るよりも建物の中に入った方が近い。


(弥生ちゃんに心配させるなんて、情けないわね)


 弥生はゆっくりと歩いて来、窓のすぐ横の壁にもたれかかった。部屋に帰る気はないらしい。

 癒慰はそんな不器用な心配が胸の内を軽くした。爽やかな空気が淀んだ心に吹きこむ。

癒慰はしばらく弥生の横顔を見つめ、観念したように溜息をついた。


「……ねぇ弥生ちゃん」


 癒慰が言葉を投げ、水のように鎮まっていた静けさに石が投じられる。弥生は虚空を見つめたまま黙って続きを待った。


「弥生ちゃんは、どうして……あの二人と一緒にいられるの?」


 癒慰がやっとの思いで紡ぎだした言葉は、闇の二人に会った時からずっと胸の内にあった言葉だった。

 弥生は困ったように首をかしげ、しばらく考えてから答えを口にする。


「なぜと言われてもな……私はあの二人に生かされた。いわば家族のようなものだ」


 癒慰は口の中で家族と呟いた。なぜか胸が苦しくなる。


「怖くないの?」


「怖いのは自分の闇だけだ。二人の闇は心地よい」


 弥生はそう言って微笑を浮かべた。それを見て癒慰は複雑な思いになる。


「弥生ちゃんは、闇を許せるのね」


 皮肉めいた声が出て、自分でも驚く。


「癒慰。私は闇の子に生まれたことを疎ましくは思わない。むしろ義姉様と同じ血を持つことを誇りに思う」


「誇り……か」


 癒慰はそう呟くと悲しそうな笑みをこぼした。


(この闇の血を誇りに思うことなんて、できるの?)


 自分に問いかけても、答えはNOだった。この血さえなければと、その思いが先に立つ。


「癒慰が闇を嫌うことを誰も責めはしない。だからそんな顔をするな」


 癒慰はその言葉にはっとして、自分の表情に意識を向けた。明確には分からないが、おそらく悲しい顔をしていたのだろう。

 癒慰を見る弥生の表情も、どこか悲しみを漂わせている。


「そうよね、私らしくないよね」


 癒慰はあははと笑うが、弥生は静かに首を振った。


「無理はするな。我慢する癒慰など、癒慰ではない」


 その言葉に癒慰は大きく瞳を揺らした。胸が締め付けられて、視界が滲む。


「ずるい……弥生ちゃんが優しいこと言うなんて反則よ」


 目をごしごしこすっても、次から次へと涙はあふれてくる。

 弥生は涙を流す癒慰の傍で、ただ黙って立っていた。己の中にも眠る闇を感じながら……。




 秀斗は自分の部屋の扉を開けて半目になった。無言のまま中に入り、ベッドの傍に立って彼を見下ろす。


「なんで俺の部屋で寛いでるんですか? 阿修羅さん」


 阿修羅は秀斗のベッドに仰向けに寝転がり本を読んでいた。秀斗を一瞥し、すぐに本へと視線を戻す。


「もしもーし。ここは俺の部屋ですよー」


 阿修羅は迷惑そうな視線を秀斗にやり、本を枕元に置いた。


「昔は同じ部屋だっただろ。気にするな」


「いやいや、俺はどこで寝たらいいんですか」


 阿修羅はわざとらしく鼻をならし、ベッドを二度叩いた。


「何を今さら。昔は怖いからと俺のベッドに入って来たくせに」


「何言ってんですか! 勝手に人の過去をねつ造しないでください! 俺はもう一つのベッドで寝てました!」


「照れるな」


「照れてません!」


 ぎゃーぎゃーと反論する秀斗に、阿修羅は変わっていないなと笑みをこぼす。


(本当にからかいがいのある奴だ)


 秀斗はつむじを曲げてドスンとベッドに腰を下ろした。

 阿修羅は拗ねた子どものような背中を見ておかしそうにまだくすくすと笑っている。

 秀斗はしばらくむすっとしていたが、やがてその表情をひっこめ真面目な顔をして阿修羅を振りかえった。

 秀斗の表情の変化に阿修羅も笑いを納める。


「警察に行ってみましたが、今のところ赤ん坊の捜索願は出されていないそうです」


「……そうか」


 阿修羅も難しい顔をした。そう簡単に見つかるとは思っていなかったが、予想以上に難しそうだ。

 秀斗は阿修羅の顔をじっと見て、しばらくためらった後に再び口を開いた。


「阿修羅さん……一つ、訊いてもいいですか?」


「何だ?」


「この間の闘い、阿修羅さんはどう思ってますか? 俺は……屋敷を出た日の鎖羅さんが本物だとは思えないんです」


 阿修羅は秀斗の考えを聞いて胡乱気な顔をする。



「あの闘いの後に弥生から聞いたんですけど、鎖羅さんも否定したって……」


 阿修羅はゆっくり身を起こして、秀斗と向かい合う。


「この件、俺には何ものかが後ろで動いてたようにしか……」


 阿修羅がその手を秀斗の口の前に持っていった。口にするなと目が告げている。


「それについては俺が調べている。それ以上嗅ぎまわるな」


 強い口調。射抜くような視線にも怯まずに秀斗は言い返した。


「でも、俺はもう蚊帳の外なんて嫌なんです。俺も闘いたい」


「お前の役目は闘うことではない。守ることだ」


「でも……」


 秀斗は悔しそうに歯ぎしりをする。


(守ろうとしても、いつも肝心なところで俺は……!)


 秀斗の体内に激しい痛みを感じ、身体を丸める。胸の奥が猛り狂って暴れている。


「秀斗、そう難しく考え……おい、秀斗!」


 苦しそうに顔を歪ませ、胸を抑えつける秀斗を見て阿修羅は舌打ちをした。


「秀斗、気をしっかり持て!」


 秀斗は肩で荒い息をしながら、阿修羅の声を遠くで聞いていた。


(もう新月か……最近ばたばたしてたから油断してたぜ)


 常に新月が近づくと極力部屋から出ないようにしていた。この発作を誰にも見せないためだ。

 全身から汗が吹き出し、鼓動はその痛みを訴えるかのように早い。


(耐えろ……耐えろ、俺)


 徐々に痛みは治まり、発作は収束する。

 秀斗は強張らせていた体の力を抜き、長く息を吐いた。力を抜いたところを、阿修羅に肩を掴まれ後ろに引かれた。


「うわっ」


 不意打ちに為すすべなく秀斗はベッドに倒れこむ。その視界に天井についで阿修羅の顔が映った。


「鍵のせいだな……少し身を休めろ」


 荒々しいが心配してくれていることが分かって、秀斗は自然と笑顔になる。


「大丈夫です、慣れてますから」


 身を起こそうとすると、頭を押さえつけられた。何が何でも寝ていろと言いたいらしい。

 秀斗は諦めて全身の力を抜く。


「まぁ、見られたのが阿修羅さんで良かったって感じですね」


「早く返せばいいものを……」


 呆れたように呟く阿修羅を、秀斗はじっと見上げた。


「てか、なんで阿修羅さんは俺が鍵を持ってるってわかったんですか? その眼ってそこまで便利でしたっけ」


 当人しか知らない秘密をあっさりと暴かれたのはつい一カ月前。秀斗は阿修羅の能力について全てを知っているわけではないが、それほど万能ではないはずだった。

 阿修羅は闇誡を発現させると、右手を秀斗の胸へと置いた。そこは発作の度に痛む場所だ。


「ここに、わずかだが銀色が視える」


「それだけで分かるってすごいですね……これけっこうマイナーな禁術ですよ?」


 阿修羅は秀斗から手を離し、視線を宙にやった。その表情はどこか憂いを帯びている。


「俺も、鍵を持っているからだ」


「えっ……」


 秀斗は目を見開いて阿修羅の顔をまじまじと見た。


「鎖羅さん……ですか?」


 秀斗が行った禁術は、術者の身に負担がかかるものだ。阿修羅がそれを行うとすれば、その相手は一人しか思い浮かばなかった。


「あたり前だろ」


 阿修羅は憮然と言い放つ。


「鎖羅さんもそのことを……?」


「いや、あいつは知らない。寝込みを襲ったからな」


 硬い雰囲気なのに秀斗は吹き出して、くすくす笑った。


「なんて言い方をするんですか……」


「事実だ」


 そう言うと阿修羅はにやりと笑って阿修羅の髪をわしゃわしゃと撫でた。


「飼い犬は飼い主に似ると言うが、ここまで似るとはな」


「それはきっと飼い主が悪いせいですね」


「ほう……しつけ直すか」


 意地悪めいた言葉に秀斗はひっと顔をひきつらせる。その顔を見て阿修羅はおかしそうにくすくす笑った。


「冗談だ」


「冗談に聞こえません……」


「……秀斗。大切な人を守り通せよ」


 真剣な阿修羅の目に、秀斗は強く頷き返す。


「はい。阿修羅さんも早く鎖羅に告白してくださいね」


 最後は意地悪っぽく付け足した。阿修羅は仏頂面になって拳骨を落とす。

 秀斗は肩を震わせ、阿修羅も笑みを浮かべた。二人の間に流れる空気は昔と同じ。

 そして話は両者の大切な人自慢に入っていくのだった……。


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