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第4章の27 癒しのお茶を飲みましょう


 泣いた上に弥生に慰められるという、このさき二度とないような体験をした翌日。

 癒慰はホールで幸を預かりながら、もくもくとお茶を淹れていた。今日の服装は客も来ているので大人しくロリータだ。

 如月で屋敷に残っているのは弥生と癒慰のみ。他は人間界へ幸の母親の捜索に行った。ある者はその筋に強い一家の下へ、あるものは幸が発見された現場へと。


 癒慰はティーポットにお湯を注ぎ、茶葉が開くのを待つ。テーブルに置かれた小さな時計がカチカチと時を刻んでいた。


(なんで普通にしてられないの……これ以上心配させたくないのに)


 癒慰はさきほどミルクを貰ってご機嫌の幸へと視線を向けると、籠からはみ出しているタオルを中に入れ込む。幸は籠に入ってソファーの上、癒慰のすぐ隣に置かれていた。


(幸ちゃんほど純真ならよかったのに……)


 つい頬が緩みかけたところで時間に気づいて慌ててポットの蓋を開ける。しぶみが出ないうちにボールを出しておかないといけない。


(でも、いつまでも避けてるわけにはいかないし……でも、でも……)


 癒慰は温めておいたカップに紅茶を注ぎ始めたところで、その香りにはっと我に返った。

 注ぐ手を途中で止めて呆然と呟く。


「……私、何してんの?」


 癒慰が淹れたのはまぎれもない紅茶、アールグレイ。魔術師にとっての酒である。


(いくらぼうっとしてたからって、なんでお酒を作っちゃうのよ……日本酒温めようとしてたのに……)


 自己嫌悪が強まり重い溜息が洩れる。せっかく作ったが朝から飲む気にはなれない。


(まぁ、飲まないとやってらんない気分なのは認めるけどね……)


 そしてもう一度重い溜息をついた時、ドアの開く音がした。

 癒慰の思考が数秒停止する。


「……なんだ、一人か?」


 ドアを開けて入って来たのは阿修羅だった。

 顔がひきつったのを慌ててもとに戻す。


(逃げちゃだめとは思ってたけど、こんなにも早く会うなんて……)


 心の準備も何もない。癒慰は固まったまま視線だけで阿修羅を追う。彼はゆっくりと癒慰に近づいてきた。


「……おはようございます」


 やっと頭が回転を始め、挨拶を絞り出す。心臓はバクバクと早鐘を打ち、掌には汗が滲んでいる。

 それに阿修羅はあぁ、と生返事を返すと癒慰のソファー、幸側に立った。じっと幸を見下ろしている。

 幸は阿修羅が視界に入ると嬉しそうに手を伸ばした。短く声を発している。

 始めてみる反応に、癒慰は目を瞬かせた。慎重に言葉を選んで口を開く。


「父親だと思ってるみたいですね」


「どうだかな」


 対して興味のなさそうに阿修羅は返し、一人がけのソファーに座るとテーブルの上に置かれたティーセットに目をやった。

 癒慰は威圧感を受けつつもそっと阿修羅の表情を見る。だが彼の表情から読み取れるものは何もなかった。


「ところで、この香りはアールグレイか?」


「あ……はい。間違えて作ってしまいました」


「飲まんのか?」


「はい」


「ならば俺がもらおう」


 癒慰はえっ、としばし戸惑ったが、阿修羅に目で早くしろと促され、カップに再び注ぎ入れる。カタカタと小刻みに手が震えていた。それを悟られないように必死に我慢する。


「……どうぞ」


 受け皿に乗せて、癒慰は紅茶を阿修羅へと出した。香りが花開き、色もよく澄んでいる。

 阿修羅はそれを受け取ると、香りを楽しんだ。カップを口元に運ぶ一瞬の表情はどこか懐かしく楽しげだった。


「――うまい」


 その一言は、おもわず零したような飾ったもののない素直な言葉。

 阿修羅は一気に飲み干し、カップをテーブルに置いて癒慰へと滑らせる。その意図を理解した癒慰は黙って二杯目を注いだ。


(これ、けっこう濃いわよ?)


 人間で言うワインと同じくらいの度数だ。


「……そういえば、秀斗はどこにいる?」


「えっと、他の人と一緒に人間界へ……」


 阿修羅は二杯目の紅茶を飲みほした。


「そうか。起こしてくれれば俺も行ったんだが……」


「今、起きたんですか?」


 もう朝というよりは午前中といった時間である。そうは言っても、弥生も本日は寝る日ということで先程起きたところだったが……。


「あぁ」


 黙って差し出されたカップに癒慰は残りのお茶を全て注いだ。

 沈黙が落ち、癒慰の肩にのしかかる。


「あの、朝食を作りましょうか?」


「いや、俺はこれで十分」


 阿修羅は空になったカップを受け皿に戻すと立ち上がった。


「久しぶりに上手い酒を飲んだ」


 そして酒を飲んだとは思えない足取りでドアへと向かう。彼はそうとう強いらしい。


「あの、幸ちゃんは……」


「その人間の赤子に俺は不要だ。天つ人に任せる」


 振りかえりもせずそれだけ言うと、阿修羅はドアから出て行った。何しに来たのか全くわからない。

 癒慰は悲しさを湛えた表情で幸に視線を落とし、ふっと笑った。


(天つ人……か)


 それは闇以外の、天から派生したと言われる種族の総称。癒慰が属する土も、もちろん天つ人の一つだ。


(でも、私は完全な天つ人じゃない……)


 癒慰は沈痛な面持ちでぎゅっと拳を握る。

 己の中の闇が、ざわりと主張をした気がした。






 お昼前には全員が屋敷に戻り、昼食後、ホールに全員が集まった。幸はベッドに寝かせられ、各々は顔が見える範囲で好きに座って、午前中の成果を述べる。

 硬い表情で零華が話を進めていった。


「ひとまず、現在の状況をまとめると、龍牙隊にも警察にも捜索願は出されていません」


「現場にも手掛かりになりそうなものはなかったよ」


 勇輝が残念そうにそう言い、錬魔も頷く。


「いろんな組にいったけど、ヤクザ連中は知らねぇってさ」


 秀斗は役にたたねぇとごちる。


 急に現れて赤ん坊のことや行方不明の母親を訊いても答えてくれるはずもなく、しかたなく実力行使で吐かせてみても何も出てこなかった。徒労に終わったのである。

 この日のことが、極道世界で後の世まで伝わる金鬼襲来の日と呼ばれることを彼らは知らない……。


「一応、孤児院は何時でも受け入れが可能とは聞いています」


「やっぱり孤児院に預けるしかねぇか」


 秀斗がひょいっとソファーから立ち上がり、ベッドに歩み寄ると幸の顔をのぞく。

 幸はくりりとした目で秀斗を見上げた。その顔にほっと癒される。


「ほんとに母親、いないのかな」


 勇輝も立ち上がって幸へと歩み寄ると、そっと抱きあげた。よしよしとあやして微笑みかける。

 正直、この赤ん坊を施設に預けるのは心苦しかった。


「分からん……後は警察と裏の者に任せるしかない」


 錬魔は長い脚を組み、ため息交じりでそう言った。片手にはコーヒーの入ったカップがある。仕事の後の酒はうまいのか、すでに二杯目だ。


 それを零華は横目で見つつも気にしないことにして話を続ける。


「二三日は様子を見るしかありませんね」


「もし母親が見つからなくても、阿修羅さんが帰るまでは預かっててもいい?」


 勇輝はじぃっと零華に目で訴える。そこに癒慰も応戦した。癒慰も幸を気にいったらしい。

 二人の眼差しに零華は仕方ないと言った表情で頷いた。


「ちゃんと面倒は見てくださいね……では、今日はこの辺で終わらせましょう。また何かあれば知らせてください」


 零華がそう締めくくってこの場は解散となった。各々休むために部屋に帰り、ホールには幸を抱いてソファーに座る勇輝、弥生に秀斗、そして阿修羅だけとなった。


「……面倒事をもちこんですまなかったな」


 先程から口を閉ざしていた阿修羅がぽつりとそう呟いた。

 勇輝はガラガラと音のなるおもちゃで幸と遊びながら、ちらりと阿修羅を見る。一人用のソファーに座り、ひじかけに頬杖をついて話す彼は気だるそうに見えた。


「別にかまいませんよ、俺たち暇ですし」


 秀斗は笑みを浮かべながらひらひらと手を振った。


「見つからないのなら、最終鷺を頼るという手もある」


「そっか、鷺さんスパイだもんな」


「ぜってぇやだ。あんな奴の手なんか借りるかよ!」


 いい考えだと頷く勇輝に苦虫を噛み潰したような顔で首を横に振る秀斗。

 阿修羅は鷺、と口の中で呟いてあっと声を漏らした。


「昔面倒を見たあの子どもか……」


 驚きの表情とどこか懐かしそうな声。それを見て勇輝の方が驚いた。


「え、知ってるんですか?」


 こくりと阿修羅は頷き、勇輝の前に座る二人が真逆の表情を見せる。


「奴は黒騎に潜入していたからな」


「今思い出して腹が立つ」


「なかなか楽しかった」


 昔から続く秀斗と鷺の因縁を垣間見た気がした勇輝だった。


「……そうだ、人間」


 はたと思いだしたように阿修羅が勇輝へと視線を移した。


「勇輝ですけど何か?」


 このやりとりが恒例になった気がしてくる。


「お前を見込んで頼みがある」


 唐突な言葉に勇輝はきょとんとする。


(名前を呼んでもくれないのに見こまれてんの!?)


 勇輝は内心つっこんだが、阿修羅の真剣な眼差しに言葉にはならない。


「これを一日持っていてほしい」


 阿修羅の足元から闇が触手のように伸び勇輝へと近づいていった。勇輝が幸をソファーに起き、そろっと両手を合わせて伸ばすとその手を闇が包みこむ。掌に重みが加わった。

 すっと闇が霧散すると、勇輝の手に残ったのは白く丸い、つるっとした……。


「たまご?」


 朝食の目玉焼きに使用する、あのたまごである。


「あぁ、俺の手では孵化できなくてな。お前が、一番適性がある」


「……孵化? 料理にするんじゃなく?」


 勇輝は白く可愛いたまごをじっと見つめ、そこからふわふわのひよこが孵る未来を想像した。


(あ、なんかいいかも。ひよこ可愛い)


 そしてそれを育てて雌鶏となれば毎日新鮮なたまごが……。とそこまで勇輝は考える。

 幸せな未来を頭に描いた勇輝は、きらりと目を輝かせて阿修羅を見た。


「わかりました! 全力でこいつを育てます! そしておいしい料理を作ります!」


「いや……その肉はあまりおいしくないが……」


「肉は使いません!」


 目を輝かせる勇輝を見て、阿修羅は託す人間を間違えたと一瞬思ったがすぐに打ち消した。


「それで、これはどうすれば孵るんですか?」


 勇輝のイメージはズバリ温めるだが、保温機もなく電子レンジで温めるわけにもいかない。


「掌で温めるか、日の光に当てておけばいい。後はたくさん話しかけてくれ」


(なんかサボテンみたい)


 勇輝は言われたとおりたまごを掌で包み込んだ。落としたら即終了と思うと緊張が走る。


「……あ、夜はどうしたらいいんですか?」


 ベッドに入れれば、翌朝には黄色いしみになっているだろう。かといって温めるのを止めてしまえば孵らないかもしれない。

 勇輝はそんな悲劇を想像して不安になる。


「ベッドの近くに置いておけ。それぐらい放置しても死なん」


「よかった~」


「明日の朝、日の光に当てれば十分だ」


「了解です!」


 勇輝はにこにことそのたまごを見つめ、さっそく名前を考え始める。


(ピヨちゃん……あ、でも大きくなったらひよこじゃないし。オムレツ作りたいな~)


 考えていたらよだれが出そうだ。


 勇輝が自分の世界に入り込んでいった時、幸がわんわん泣き始めた。勇輝ははっと我に帰り幸の存在を思い出す。


「ごめん幸! 泣くな、って俺手が離せない!」


 勇輝はたまごを手放すわけにもいかずわたわたしていると、弥生が幸をすくい上げて阿修羅の膝の上に乗せた。父親の顔を認識した幸はとたんに泣きやむ。

 弥生は満足そうに頷いたが、あやし道具にされた阿修羅は嫌そうな顔をした。だが幸をどけるわけにもいかずその体勢のまま固まっている。


「阿修羅さん……ひとまず俺、癒慰を呼んで来ます」


 事態の解決策をいち早く思いついた秀斗がさっとソファーから腰を浮かせた。


「早くしろ」


 苛立つ阿修羅、慌てる秀斗、無関心を決め込む弥生。

 そして勇輝は早くも自分とたまごの世界に入っており、懸命に話しかけていた。


「オム~、早く生まれろよ。うんと可愛がってやるからな~」


 如月に小さな命が一つ増えた。


たまごの話、けずるか非常に迷いました……。しかし、ワンクッションが欲しかった。ごめんよ主人公、ほのぼの話につきあわせて。

さてさて、次回は「慰めは花咲く庭で」でしょうか?

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