第4章の25 幸せは闇の中で見出す
桜の蕾がほころび始め、日差しは人々を包み込むように暖かい。年中春の陽気の如月だが、桜はない。
そのことに勇輝は今気がついたのだ。
朝食を食べ終え、少し体を動かそうと屋敷の周りを散歩していた。屋敷の周りにはいくつかの庭園があり、様々な種類の花が咲き誇り、木々も葉を風に揺らしている。それらを見て、昨日見た桜が頭に浮かんだのだった。
そしてそれと共に引きずり出された抹消したい過去。
昨日勇輝は街に行った。零華と癒慰に引きずられ買い物に行ったのだ。もちろん女装で。
さすがにドレスではいけないのでワンピースに着替えさせられた。泣きそうなショッピングとうっとうしいナンパ。勇輝はストレス発散に絡んで来た男たちを全員殴り飛ばした。
そのおかげか今日の目覚めはスッキリしている。
(絶対零華を怒らせないようにしよう)
勇輝は怒ったときの零華の怖さを思い知った。その場でさっくりと剣を突き立てて終わる弥生のほうが何倍もましだ。零華のは後まで尾をひく。
庭を抜け、鍛錬場に出たので昔齧ったシャドーボクシングをする。たまにやりたくなる小さな趣味。 勇輝はその場の勢いで丸太にストレートを繰り出した。がこっと拳がいやな音を立てビリリと痺れが肩口まで登る。
「……痛い」
勇輝は丸太に拳を当てたまま反省した。春の陽気にほわほわしていた頭が少し冷える。
(俺の馬鹿……)
勇輝は赤くなった拳を撫で、鍛錬場を後にした。
庭園と庭園の間は草むらで、細い道がある。そこを通るのが勇輝の散歩コースだ。
そして庭園の先はそのまま森である。
勇輝が小さな噴水のある庭園に足を踏み入れた時、視界の端に黒が掠めて気を引かれた。自然満載の庭園で黒色はほぼない。
勇輝が森の方へ目をやるのと、木立が揺れて人が姿を見せたのは同時だった。
「……え? 阿修羅さん?」
「ん、人間の子どもか。ちょうどよかった。秀斗はいるか?」
庭園へと足を踏み入れた阿修羅は服についた葉や埃を払う。片腕で布に包まれた荷物を抱えていた。
「勇輝ですってば。秀斗はいますけど……なんでこんなところに?」
この間やって来た鎖羅は普通に屋敷に入って来ていた。なのになぜ彼は外をうろついていたのか……。
「鎖羅が屋敷の外に空間をつなげた。おかげで俺はここまで歩く羽目に……」
鎖羅と何かあったのかと気になるが訊かないほうがよいと判断し、勇輝はにこりと無邪気スマイルを浮かべる。
「あ~じゃぁ、中に入りましょう。ホールに案内するんで」
「頼む」
勇輝は彼が抱える布をちらり見ただけで、さほど気にせずに歩きだした。阿修羅はその後を物珍しそうに辺りを見回しながら続く。
(何も起こらないといいんだけど……)
如月に客が来ると一騒動起こることが多い。特に今は一騒動が収まって落ち着いたところなのだ。スリルもハプニングも大好きな勇輝だが、もう勘弁していただきたい。
そんな淡い願いを胸に抱きながら、勇輝はホールへと歩くのだった。
ホールでは癒慰と秀斗がのんびりと食休みを取りながらおしゃべりをしていた。話題は昨日の街歩きだ。主に動いていたのは女の子二人と勇輝で、その後ろで他の三人は女の子たちが買い物をするのを眺めていたのだ。邪魔にならないようにこっそりと。秀斗は完全に荷物持ちだったが……。
美男二人に美女と可愛い女の子計四人。もちろん街行く人々の視線は釘づけである。
「しかし勇輝は強かったな。言いよってくる男ども全員一発でのしてたぜ?」
「せっかく顔は可愛いのに、中身は猛獣なんだから」
「ほんと、なんで男に生まれたんだろーな」
「ねぇ、魔術の中に性別変える奴なかったけ?」
「ん~。あったとしても禁術だろ」
そんな勇輝が聞いたら確実に秀斗がぼこぼこにされる会話をしているところに勇輝が入って来た。
二人は慌てて会話を止める。幸い勇輝には聞こえていない。
そして二人はにこやかに勇輝に笑いかけたが、その笑顔は中途半端なところで止まった。
「秀斗、元気にしてるか?」
勇輝に続いて入って来た阿修羅によって。
「あ、阿修羅さん! なんでここに⁉」
顔をぱっと輝かせて秀斗は阿修羅に駆け寄る。それを見た勇輝は心の中で可愛いと思った。なんだか子犬のようだ。
阿修羅は自分より少し低い秀斗の顔をじっと見つめる。そして硬い口調で切り出した。
「頼みごとがあってな」
「頼み? 俺に?」
阿修羅は真面目な顔でゆっくり頷き、片手で抱いていた布包みを秀斗に差し出す。
それを疑問に思いつつ受け取った秀斗はその布から温かみを感じた。そしてそれは見かけによらずやや重い。
「……あの、これ開けてもいいですか?」
嫌な予感をひしひしと感じる秀斗は恐る恐るそう尋ねる。
「あぁ」
勇輝は布の中身が気になって秀斗の隣に寄って来た。秀斗はそっと布の端を持ち上げ、開いていく。そして包まれていたものを見て目を剥いた。
「これどこで拾ったんですか⁉」
布に大切そうに包まれていたもの。それは赤ん坊だった。黒い髪をした生まれてほんの少ししか経っていない赤ん坊。
「わぁ、可愛い」
勇輝は呑気に思ったことを呟いた。赤ん坊はすやすやと眠り、手をぎゅっと握っている。
「俺の子とかは思わんのか」
「鎖羅とのですか⁉」
この世の終わりだという表情で秀斗が叫んだ。その声に赤ん坊は目を覚まし泣きだす。
わんわんと大音量で泣かれ、秀斗を筆頭に男三人はうろたえるしかなった。
「冗談だ。それよりこれをどうにかしてくれ」
「俺無理! 勇輝パス!」
突如押しつけられた赤ん坊を勇輝はあたふたとあやし、優しく体を叩いてやる。
「大丈夫だから、泣きやんで」
よしよしと笑いかけながら声をかけてあげればいいと聞いたことがあった。
やがて赤ん坊は泣きやみ、黒い色のくりりとした瞳で勇輝を見つめた。三人はほっと息をつく。
「ひとまず、向こうに座りませんか?」
秀斗はくいっと癒慰がいるソファーを指差して歩きだした。
癒慰は一人ソファーで硬い表情でテーブルを見ており、彼らが近づいてきたのに気づくと慌てて顔をあげる。
「あ、あの、初めまして。癒慰です」
「あぁ。阿修羅だ」
勇輝と阿修羅は癒慰の向かいのソファーに座り、秀斗は癒慰の前を横切ってその隣に座った。横切る瞬間に、癒慰の頭を優しく叩いてから。
そして赤ん坊はまだ勇輝の腕の中にいた。
「それで、これどこで拾って来たんですか?」
秀斗が話を仕切り直す。その声は呆れがまじり、じっと赤ん坊を見ていた。
「この間お前に会った街だ。指令の帰りに見つけた」
阿修羅の話によると、指令をこなした帰り道、ビル伝いに上の道を歩いていると下から赤ん坊の泣き声が聞こえたらしい。それはどうも路地から聞こえるらしく、興味に駆られて降りたところごみ袋に紛れて置いてあったそうだ。
「完璧捨て子じゃん」
勇輝は思わず呟く。この時代にまだそういう現象があるとは驚きだ。
「あぁ。俺の頼みはそいつの母親を探すことと、それが叶わない時はそいつの面倒を見ることだ」
彼らは阿修羅の頼みを全て理解するのに数秒を要した。
「ちょっと待ってください。なんで俺たち何ですか? 本部に持っていけば母親探しはともかく面倒は見てくれるでしょう?」
顔をひきつらせて秀斗はそう問い返す。母親探しはともかく赤ん坊の面倒を見ろとは無茶もいいところだ。
「俺もまず本部に行った。だが戦力にならんものはいらんと言われ、氷騎に連れ帰ったら鎖羅に怒られた」
阿修羅は腕を組んで、納得がいかない顔をした。鎖羅に怒られたことが釈然としないのだ。その様子に秀斗は額に手をやる。
「まさかこいつを俺たちみたく放置したんじゃないですよね」
阿修羅は二人を拾ったのち、主に食事面の世話をほとんどしなかった。食べたければ自分でやれという態度で、最初はかなり戸惑ったのを秀斗は覚えている。鎖羅がフォローしてくれなければ何食食べ損ねたか分からない。
「俺に赤ん坊の育て方がわかると思うか?」
だが阿修羅はそれを反省しているどころかむしろ開き直ったように憮然と言い返した。
「ですよね」
「お前ならこいつと年も近いからわかるだろ」
「んなわけないでしょ!」
確かに阿修羅に比べれば赤ん坊に年は近いがそんなもの何の役にも立たない。大声を出してから、はっと秀斗は赤ん坊が泣きださないかと赤ん坊の顔を見る。赤ん坊は再び勇輝の腕の中で眠っていた。
「育てる方はあまり期待していない。だが、龍牙隊なら表の社会に根を張っているからその母親も見つかるかと思ってな。それに、まだ龍牙隊は孤児院をやっているのだろ?」
「まぁ、たしかに」
龍牙隊は表社会で警察や政治団体とも関わりがあり、戦時中から続けている孤児院も数は減ったがまだ存在していた。
「ということだ」
阿修羅は話を一区切りつけると、また秀斗に視線をやった。秀斗がなんですか? と目で答える。
「それと……ここにしばらくいてもいいか?」
「え?」
秀斗と勇輝が同時に訊き返した。癒慰も怪訝そうに阿修羅の言葉を待つ。
阿修羅は不満げな表情で口を開いた。
「鎖羅にその赤子の引き取り手を見つけるまで帰ってくるなと追いだされた」
「何やってんですか……」
呆れ果てる秀斗。勇輝はなぜ阿修羅が森を歩いてきたのか分かった気がした。
(鎖羅さん、ここに直接繋げなかったんだ…)
「俺は何もしていない」
何もしなかったのが鎖羅の怒りに触れたのだが……。
「俺は阿修羅さんがここにいてもいいですけど……ちょっと他の奴らに訊いてみます。癒慰、行こうぜ」
「あ、うん」
急に名前を呼ばれた癒慰は、うわずった声で返事した。秀斗に遅れて立ち上がる。
「すまんな秀斗」
「悪いと思うんでしたら拾い癖を直してください」
秀斗は手をひらひらと振って癒慰とともにホールを後にした。そしてホールには阿修羅と勇輝、それと眠る赤ん坊が残されるのだった。
秀斗は癒慰をホールから連れ出し、少し歩くと立ち止まって癒慰を振りかえった。その表情は硬く、泣き顔に近い。
「癒慰、本当はすぐにお前を出してやりたかったんだけど……」
秀斗は心配そうに癒慰の顔を覗き込む。
「大丈夫……ちょっと、ぼうっとしてただけだから」
癒慰は何でもないと笑った。だがその笑顔は無理をしているようで痛々しい。
「無理すんな。お前が闇を苦手としてんのは知ってる。それに、あの後だしな」
先日百華が来て闇の子に対する嫌悪を彼らにぶつけた。そこに闇本体が来てしまった。
癒慰にとっては傷口に塩を塗られるようなものだ。
「でも……」
「嫌なら、赤ん坊だけ預かって弥生と鎖羅に取りなしにいくからさ」
真剣に自分のことを考えてくれているのがわかり、癒慰は苦しみの中で笑顔を見せた。
そしてゆっくり首を横に振る。
「いい。だって、阿修羅さんが悪いわけじゃないもの。だから、その必要はない」
「いいのか?」
「大丈夫」
秀斗はそれでも心配そうな表情を崩さずにありがとうと言った。
「じゃぁ、お前はもう部屋に戻れ。俺は他の奴らに訊いとくから」
「うん……ありがとう」
癒慰はひらひらと小さく手を振って自分の部屋へと向かった。秀斗はその背を見送ってはぁと息をつく。
秀斗の中には闇に対する嫌悪も恐怖も今はもう無い。彼らに会った時に消えてしまった。だが未だに残る自らの血に起因するその感情が癒慰を苦しめている。
秀斗は物悲しい想いに駆られながら、歩き始めた。
その頃ホールでは緊張した空気の中、阿修羅と勇輝が赤ん坊の名前を考えていた。
ふと性別が気になったのと、もしかしたら身くるみのどこかに名前がないかとそっと布を開いてみた。性別が女の子だということは判明したが名前はどこにも見当たらない。
そこで先程からそれぞれが思いつく名前を言いあっていたのだ。
「美咲」
「ラルミール」
「由美」
「シルベリア」
「彩菜……って阿修羅さん、さっきからカタカナばっかなんですけど。この子どう見ても日本人ですよ?」
これを続けても一生名前は決まらないだろう。
「……ならもうお前が決めろ」
阿修羅に投げ出され、勇輝は一人考え始めた。
「幸せに育ってほしいからな~。幸とかどうですか?」
「いいんじゃないか?」
なげやりな言葉でも勇輝は満足し、赤ん坊に笑いかける。
「幸~、お前は幸って名前だよ~」
すやすやと眠る赤ん坊の寝顔を見ていると自然と心が優しくなる。
「あ……この子育てるならミルクとか哺乳瓶とか色々買わないと」
思いついたように勇輝はそう呟いた。
「あと育児本もいるなぁ……」
なんとも積極的な勇輝に、基本面倒くさがりな阿修羅は素直に感心した。
(ここに来て正解だな)
まさか人間の子どもが育児をしてくれるとは思っていなかったが、肩の荷が下りた気分だ。
緊張の空気がほくほくと温まって来た時、一つのドアが開いた。秀斗かと二人はそのドアに視線をやったが、入って来たのは錬魔だった。二人の存在に気づき、軽く瞠目する。
「なぜ阿修羅がここにいる?」
「鎖羅さんに追いだされたってさ」
錬魔はやや呆れ顔になって二人に歩み寄って来た。そして勇輝の腕に抱かれているものを見てさらに目を見開いた。
「あ、これ阿修羅さんが拾って来た。しばらくここで面倒見るからよろしく。幸って名付けたんだ」
勇輝は可愛いだろ~と幸の頬をふにふにと触った。少しむずがるがすぐに穏やかな眠りに戻る。
錬魔はじっと幸を見た。瞳が赤く縁取られている。
(……一応健康なようだな)
医者としての役目を果たすと、火煉の発現を解いて阿修羅に向き直った。
「どれくらいいるつもりだ?」
「さぁ。今秀斗が交渉中」
問いには勇輝が代わりに答える。錬魔の頭に零華と癒慰の顔が浮かんだ。
(二人が大きく動揺しなければいいが……)
錬魔もソファーに座り、しばらく話していると秀斗が帰って来た。
「あ、錬魔ここにいやがった。お前、別に阿修羅さんがいてもいいよな」
「かまわん」
だと思ったと秀斗は頷いて、彼らに近づいてきた。
「てことで、オッケーです。部屋は俺の隣にしますね」
秀斗は錬魔の隣に腰掛け、親指をびしっと立てた。
「事情を零華に話したらこいつに必要なものを買いに行ったのでこっちも大丈夫です。本部にも訊いてみますから」
ちょいっと幸を指差す秀斗に、勇輝は目くじらを立てた。
「秀斗、これじゃないよ。幸って名前をつけたんだ」
「行動早っ。で、その幸はお前が面倒みんのか?」
「ん~。さすがに一人は無理だから癒慰や零華に手伝ってもらう」
勇輝はただ抱いていることならできるが、他は全く知らない。零華は育児書を買ってきてくれるかと少し不安になった。
「まぁ、そうなるわな」
「いろいろすまん」
「かまいませんよ。俺たちだって色々世話になったんですから」
照れ笑いを浮かべて秀斗は手をひらひらと振る。それを見て阿修羅はふっと笑った。
それはどこか成長した子どもを見るような優しい笑み。
「では、言葉に甘えてしばらく厄介になるか。鎖羅の機嫌が直るまで」
そう言ってどこか意地悪めいた笑みを浮かべる阿修羅に秀斗は彼の目的を理解した。
「阿修羅さん……鎖羅がしびれを切らして迎えにくるのを待つつもりですね」
それに阿修羅は何も答えず、ただ笑みを浮かべていた……。
体育の日なので、あげておきました。因果関係ありませんね。
これが最後の山。山頂からの景色はどのようなものでしょうか。
では次回「己の中にあるものは」です。




