第4章の20 両手に華
右を向いても零華、前を向いても零華。この状況を表すにはそれに尽きる。
戸口に立つ零華は紙袋をドサッと落とした。
「百華……?」
「零華……」
ソファーに座っていた、百華と呼ばれた彼女は驚きの表情を浮かべて立ち上がった。
「えっと。あっちが零華で、こっちは百華?」
勇輝は戸口の零華を指差し、目の前の百華を指差して確認する。
「双子ってこと?」
双子ということは魔術師であり、彼女も魔術界から渡って来たということになる。
「え、えぇ」
零華にしては珍しく歯切れが悪い。双子は互いに一歩も動こうとしなかった。
「零華って姉妹いたんだな」
知らなかったぜと秀斗は百華をまじまじと見る。やはりどれだけ見ても零華にしか見えなかった。
「はい……私の妹です」
零華の声は力が無く、顔色もよくない。動揺を瞳に映す零華を見て、百華は悪意に満ちた笑みを浮かべた。
「零華、生きてたんだ」
同じ零華の声なのに、ひどく濁って聞こえる。零華の様子がおかしいことに気がついた癒慰が零華のもとに駆け寄った。
「零華ちゃん?」
そっと小声で声をかけると、零華は大丈夫と小さく返す。
「こんなところにいるなんて、とっくに死んでると思ってたわ」
百華は言葉を吐いていく。彼女の胸で高ぶる感情が言葉を生みだしていた。
「国に戻ろうともせずに、優しい仲間と暮らしてるなんて、いい身分ね」
百華の傍にいた四人は目を見張って百華に視線を注いだ。百華の笑顔の底にある黒い感情に気づいた彼らは、零華と百華の間に壁をなすように並んで立つ。ホールに緊張の糸が張り詰めた。
「あら、零華に守る価値があるの?」
百華は不思議そうに首をかしげる。その言葉に彼らはますます警戒を強めた。
零華はくっと唇を噛んで百華から目を逸らさずにいた。
「零華は仲間だ」
弥生が毅然と言い放つ。右手を下に垂らし、いつでもその手に月契を握る心づもりをしていた。
「仲間? みなさんはその子の正体を知ってるんですか?」
くすくすと百華は笑い、その顔は醜く歪んだ。零華を見つめる眼差しは、汚れたものを見ているように鋭利で冷たい。零華と、決定的に違う顔だ。
零華を守る全員の顔が険しくなる。
「その子は魔術界では禁忌とされる闇の子なんですよ?」
その言葉に前衛四人は目を見開いた。それを驚きととった百華はさもおかしそうに笑う。
「やっぱり隠してたのね。闇の子に関わると死にますよ? 私の一族みたいに」
男三人がひとまず黙らせようと取り押さえるために一歩踏み出し、弥生がその手に月契を出現させた時、凛とした声が彼らの鼓膜を震わせた。
「黙りなさい!」
零華はつかつかと百華へと歩み寄り、四人は零華に道を譲った。零華は百華をキッと見据え、距離を縮めていく。零華の瞳にははっきりと怒りが映っていた。
「闇の子は存在が許されない。だって皆を不幸にするんだもの。汚れたいらない存在よ」
けらけらと百華は笑い、口角をあげた。優越感が見せる笑み。その瞳には侮蔑と憐みが映っていた。
彼らは百華を殴り飛ばしたい衝動を必死に堪えた。零華が堪えている。零華が動くまではと彼らは零華の背を見つめた。
「百華……用があるのは私でしょう? ならば、二人で話しましょう」
一瞬誰がしゃべったのか分からなかった。それほど零華の声は冷え冷えとし、一切の感情が読み取れない凍った声だった。
零華は口の中で詠唱すると、百華の手を掴んだ。その瞬間二人は消え、ホールに静けさが戻る。空間転移によってどこかへ移動したらしい。
「……ごめん。もう無理」
ホールの緊張がふっと途絶えた時、離れたところで一人立っていた癒慰が肩を震わせてドアから飛び出していった。
「癒慰!」
秀斗が追おうと一歩踏み出したが、それより前に錬魔が走り出す。
「癒慰には俺がつく。お前は万が一のために待機しろ!」
荒々しく扉が閉められ錬魔はホールから出ていった。残った三人は顔を見合わせ、胸に重たいものを抱えてソファーに座りこむ。
双子の再会。それは、感動などとは程遠く百華が落とした爆弾は各々に少なからず傷を与えた。
「癒慰に零華、大丈夫かな」
勇輝が心配そうに呟く。自分が泣きそうな顔をしていた。闇の子が何かは分からなくても、二人が辛いことは分かった。特に妹に苛烈な言葉をぶつけられた零華のことを考えると勇輝の胸は痛む。
「大丈夫じゃねぇなら支えてやるさ」
秀斗は隣に座る弥生を見て、その頭をぽんぽんと叩いた。はっと我に返った弥生は月契の具現を解いて秀斗の顔を見る。柄を強く握りしめていたのか弥生の手は白くなっていた。
「秀……さすがにああもはっきり言われると堪えるな」
ふっと弥生は自嘲気味に笑い、秀斗もあぁ、と頷くと弥生の髪を撫でて手を離した。
「秀斗」
二人の向かいに座る勇輝は決意を固めた表情で顔をあげた。秀斗の視線と絡み合い、秀斗は目で続きを促す。
「あのさ……闇の子って、何?」
闇の子という言葉を聞いた時の彼らの動揺は激しかった。それだけで、彼らにとってその言葉が重大な意味を持っているのは察するに難しくない。それでも、力になりたいと思った。
(俺は、人間だから。できることもあると思うんだ)
勇輝は黙って秀斗の返答を待つ。秀斗がちらりと弥生の顔を伺うと、弥生は静かに頷いた。
「……本当は、知ってほしくなかった。けど、お前は勇輝だからな。俺はお前を信じるよ」
秀斗はそう言って悲しそうに笑ったのだ。
癒慰を追っていった錬魔は癒慰に続いて彼女の部屋に入った。癒慰は部屋の中央でぴたりと止まり、錬魔を振り返った。その瞳にはすでに涙が溢れている。ぎりぎりまで我慢していたのだろう。彼女の前では泣くまいと、皆の前では泣くまいと。だが今の癒慰は小さく震えていた。
「癒慰」
錬魔は彼女に歩み寄り、癒慰は錬魔の胸にわっと飛び込んだ。そのまま嗚咽を漏らして泣く癒慰の頭を錬魔は優しく撫でる。
錬魔の胸も重く沈み、チクリと棘が刺さったような痛みがある。だが、癒慰にはえぐられるほどの痛みだったのだろう。
百華の言葉が、癒慰の記憶の鍵を開ける。ずっと閉じ込めていた箱が開かれ、記憶がとめどなくあふれ出る。
“闇の子だと⁉ そんなものがこの一族に生まれていいものか!”
そう喚いて母と子を牢獄へと捨てた父親。
“あんたさえ生まれなければ、こんな化け物さえ産まなければ!”
毎日呪詛の言葉を吐き、殺そうとした母親。
親戚は彼女に流れる血を恐れ、蔑み、排除した。誰も信じられず、誰も信じさせてくれなかった。
誰も彼女の名前を呼ばなかった。存在することが許されなかった。
暗い牢獄での暮らしが何年続いたのか正確には分からない。そこに時という概念は無かったから。だが、それが終わった日。家族が殺された日のことはよく覚えている。
牢の前に立った男の顔も、短剣を喉に突き刺した母親も、全て鮮明に記憶していた。
しばらく泣きじゃくって、すすり泣きにまで落ち着いた癒慰はぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始める。
「ごめんね……みんなも、辛いのに」
同じ、痛みを持つ仲間。それ故に、話すことはなかった。だが今は、かき乱された心が言葉を発する。
「私……みんなといる間は、自分は闇の子だってこと、忘れられたの」
人間界に飛ばされて、ずいぶんと放浪した果てにたどり着いた仲間は自分と同じ闇の子だった。それは癒慰に安心感を与え、傷を癒した。
「でも、闇の二人に出会って、私は闇の子だってことを思い出した。とても、怖かった……その闇に惹かれる自分が嫌だった」
あの夜。闇の二人と対峙して自分の中の血が震えた。土の血は闇が増幅する恐怖に震え、闇の血が純粋な闇に対する感動で震えた。
そんな自分に気付いた時、癒慰は愕然としたのだ。
癒慰の心は話を聞いてもらうだけで少しずつ落ち着きを取り戻していく。
錬魔は癒慰の頭を撫でながらじっとその話を聞いていた。
「鎖羅さんと弥生ちゃんが親しげに話しているのを見て、腹が立った」
闇は彼女たちを苦しめる敵であり、癒慰にとって敵でなくてはならなかった。苦しみの根源である闇と、仲間の闇の子が親しむことへの複雑な思い。
そして百華の言葉はナイフように胸に刺さった。傷口が開き、血が流れ出る。百華と同じことを母親も口にした。
「あの子の言うとおりよ。私たちは存在してはいけない……消えてしまえばいいのに」
力なく呟く癒慰の体を、錬魔は強く抱きしめた。大丈夫だとそっと囁く。
「何のために俺たちがいる? 全員で生きるためだ。辛いなら、今は休めばいい」
癒慰はゆっくりと顔をあげ、錬魔の顔を見た。錬魔は優しく笑いかけ、それが癒慰の心を軽くする。
「だから一人で苦しむな。同胞を頼ってくれ」
「あり、がとう」
癒慰は淡く微笑んで、再び錬魔の胸に顔を埋めた。心の中で、ごめんと呟きながら。
そしてホールでは、秀斗が闇の子の説明を勇輝にしていた。所々弥生が補足し、話は進んでいく。
「魔術界にはいくつか禁忌と呼ばれるものがあんだ。その中の一つが闇の子……何年かに一人、闇の血が混ざった子どもが生まれる。両親が闇ではなくてもな」
秀斗は伏せ目がちで説明を続ける。
「闇の子が禁忌とされるのは暴走の可能性があるからなんだ」
「暴走?」
「あぁ。闇に呑まれ、自我を失う。闇に呑まれれば、死ぬまで破壊を続けるしかない」
勇輝は氷騎で弥生の紡命珠が黒く染まっていたことを思い出した。それを見た阿修羅は闇に呑まれたと言っていたのだ。勇輝は闇に呑まれて弥生が命を落としかけたことも聞いている。
そして秀斗の髪が黒く染まるところも見た。彼らの謎がまた一つ解ける。
「だから闇の子は災厄を運ぶと言われ、嫌われるんだ」
淡々と述べられる事実。だがその言葉の端々に闇の子の、彼らの苦しみが垣間見えた。
闇の子に生まれたということだけで、彼らの人生は狂った。孤独を強いられ、挙句その家族は死に、国には帰れない。
「闇の子が持つ闇はごくわずか。よほど感知能力が長けた奴しかわからねぇ。まぁ、闇の子どうしはわかるけどな」
「現に、あの妹は私たちが闇の子だとは気付いていなかった。闇の子への差別は地域や個人によって差があるが、あれはかなり極端な例だな」
弥生がうんざりした様子でそう言いたす。零華の声が無ければ手か足を斬り飛ばしていたかもしれない。それほどあの時は頭に血が上っていた。
「家族だからってのもあるんだろーな」
秀斗は天井を見上げて悲しい表情を見せた。
「せっかく会えた妹なのに……」
勇輝は沈んだ胸を抱えてぽつりと呟いた。
爆弾が落ちました。
零の華と百の華。名付けた親は何を思ったんでしょうね。名付け親、私ですけど。
さて次回予告の題名があてにならない四章です。次回は「華は一輪挿し(仮)」




