第4章の10 命、その重みを抱いて
ついでに窓の外にいた霊たちも殲滅した弥生は、やや晴々とした顔で病室に戻った。暗く淀んでいた気分が、体を動かしたことで爽快感に変わっていた。
「……おい、また痛むのか?」
病室のドアを開けたとたん、うめき声をあげる詩織を見て弥生は眉を寄せた。
「えぇ……もう、少しね」
苦しげに笑う詩織を一瞥して、弥生は壁際に腰を下ろした。少し刀身を押し上げてみると、もう数匹の霊が窓にへばりついている。
弥生はある程度数が溜まってからにしようと、体を休ませる。
病室には、時計の秒針が刻む音だけが響き、詩織がたまに痛みをこらえている声が聞こえた。
何度目かの痛みが詩織を通り過ぎた時、弥生がぽつりと呟いた。
「ぞくぞくと霊が送り込まれてくる……よほど、その子どもは生まれるのを望まれていないのだな」
一時間足らずで、もう窓は黒く染まり、ドアからも霊が体を打ちつける音がしている。どうやら、少し送られてきた霊が変わったらしい。
「望まずに生まれる子どもなんていないわ」
思いのほか強く否定されて、弥生は無感動な瞳を詩織に向ける。
「私が、望んでいるもの。誰にも邪魔させはしない」
「お前に、真血を止めることができるのか? なぜ真血が疎まれるかぐらい、知っているのだろ?」
弥生は口元に皮肉な笑みを浮かべる。真血は闇の子と同じ禁忌。どちらも恐れられ、蔑まれるものだ。同じ苦しみを味わう者。
だが一方で同じ禁忌なのに、真血を助けたくないと思う自分が可笑しかった。
「えぇ……魔術師と人間の間に生まれた子は、強大な力を持って生まれる。だから、子どもはその力を制御できずに暴走する……」
暴走すれば、町一つ滅びると言われるほどの力。それは闇の子が闇に呑まれた結果と同じ。
「でも……」
詩織は強い決意のこもった声で続けた。
「でも、真血は大人になれば暴走する危険はなくなって、偉大な魔術師になれるのよ」
それが闇の子との大きな違い。常に闇に呑まれるリスクを負う闇の子と違い、真血は無事生き延びれば歴史に残る魔術師になれる。
リスクは大きいが見返りもある。だからこの方法は、血が薄まり魔術が衰えた一族にしか許されない、再興法だった。だがそれは万が一の時に殺せる人がいてこその方法。
「この人間界に、暴走を止められる奴はそういない」
父親である魔術師の格にもよるが、如月が勢力をあげてやっとかもしれない。
「……それでも、私はこの子を産むわ。私は母親ですもの」
弥生は思わず笑っていた。クスリと落とすような笑い。
「母親か……お前がその子を恐れずに愛せるか、見ものだな」
弥生は立ち上がった。二度目の狩りに出かけるのだ。
「愛するわ、必ず」
弥生は詩織に背を向けてドアへと歩く。
(愛など……幻でしかないというのに)
弥生はふと頭をよぎった母の姿を、頭を振って掻き消した。自分と同じ髪の色をした線の細い女性。顔は朧でしかなく、ただ自分を見て怯えていたことだけは覚えていた。
弥生は刀を鞘から抜き放ってドアを開け、目の前で突進の構えを見せていた首のない猪に刀を突き立てた。黒い瘴気を発して崩れ落ちたそれから刀を抜き、次の獲物を斬り捨てる。
(愛されて、望まれて生まれたその子どもも、いつかは私たちと同じ運命を辿る……強大な力は、恐れしか生まない)
弥生は頭をからっぽにするために、ただただ剣を振るった。
返り血は無い。だが、瘴気かそれとも術者の怨念か、何かが確実に体力を奪っていく。
胸の奥に鉛を抱えているような不快感は強くなり、苛立ちを抱えて弥生は部屋に帰る。そして数時間経てばまた狩りに出、戻る。
それを何度が繰り返し、夜が来た。
送り込まれる霊はどんどん大型化し、力も強大になっている。おそらく術者も霊が破られていることに気づいて人数を増やしたか、己の命を削っているのだろう。
弥生が鹿を倒し、鳥を斬り捨てて病室に帰ると数人の看護婦が詩織をキャスターに乗せていた。
詩織は苦しげに眉を潜め、呼吸が荒い。
弥生はすばやくそのキャスターに呪符が貼ってあることを確認すると、刀を抜き、鞘を彼女に持たせた。
外の敵は全て倒したが、すぐに新手がやって来る。
「走れ、一つでも結界を壊すと喰われるぞ」
事情を心得ている看護婦たちはこくりとう頷き、ドアを開け放って全速力で走りだした。
弥生もそれに並走し、詩織に襲いかかる霊を斬り捨てる。
結界を施した分娩室に運びこみ、扉を閉める。だが霊はその扉をすり抜けて入って来た。
弥生は慌てて斬り捨て、部屋の結界を確認する。三重の決壊が分娩台の周りに張られ、部屋の壁に貼ってあるのは霊の動きを束縛する類の札だった。
「なるほど、ここで止めろということか」
結界は守る範囲が狭ければ狭いほど強力になる。現に雑魚が結界を壊そうと衝突したが、その強さに負けて消滅した。
結界の周りには雑魚が群がり、その中で詩織のりきむ声が聞こえる。彼女も闘っていた。
助産師が声をかけ、励ます。
弥生は群がる雑魚を手当たり次第に葬っていく。その数を半数に減らしたところで、刀が震えた。刀を通してまずいという警鐘が伝わってくる。何か大きなものが近づいていた。
弥生は力を感じる方へじっと視線を注いだ。
ドン、ドン。と地響きが聞こえる。壁から顔が、虎の顔が現れる。前足が現れ、体が姿を現す。
ちっと弥生は舌打ちをした。
だが、虎は不完全で、胴体の半分は腐り骨が見えている。赤い瞳が弥生を捉え、雄たけびを上げた。
その声に札が燃え、下級の霊は吸い込まれるように虎の口に入っていく。
そして霊を喰い終わった虎は、完全な姿を弥生の前に現したのだった。
「ほう。これは、一匹の方がやりやすい」
弥生は刀を耳の横で水平に保ち、きっ先を虎に定めた。なんとしてもこの虎を結界に触れさせてはいけない。
弥生の背後では、助産師たちがもう少しと詩織を励ましている。
虎は、猛然と襲いかかった。強い脚力で跳びあがると頭上から弥生を斬り裂こうと爪を出す。弥生はそれを避け、逆にその手を斬りはらった。
虎は咆哮を上げ、傷ついた手を薙ぎ払う。弥生は刀を盾にして身を守ったが壁に弾き飛ばされた。
「や……弥生、ちゃん」
「お前は黙ってそこで闘ってろ」
弥生は体を起こすと、刀を構え直した。
(奴を葬るには首を落とすか、心臓を突くしかないな)
弥生は虎へと駆けると、数歩手前で頭上に飛び上がった。虎は後ろ立ちになり、喰らいつこうと大口を開け牙を向ける。それを弾くと弥生はその背に刀を突き刺した。とたんに虎は暴れだし、弥生は刀を抜いて虎の背から離れた。空中にいるところを横から爪で襲われ、結界に叩きつけられる。どうやら、この結界は力を持つ者全てを弾くらしい。
弥生の目の前に爪が迫り、弥生は右に転がってそれをさけた。だがそれは結界に突き刺さり、結界の一つが破られる。
「ちっ」
背後では詩織が唸っており、助産師たちも必至に子どもを取り出そうと頑張っている。
弥生は結界を背にして立ちあがると、刀を両手で持ち中段に構えた。日本の剣術が書かれた本にあった構え方。
弥生は虎と睨みあい、そして虎が動いた。
少し距離を置いて、助走をつけて上へ跳び上がった。結界ごと弥生を切り裂くつもりらしい。
弥生は切っ先を上に向け、距離が縮まるのを待つ。その首元に突き立てる瞬間を見極める。
虎が前足を振りかざしたその瞬間、赤子の泣き声が病室に響き渡った。耳をつんざくような泣き声に虎は一瞬動きを止める。
弥生はその機を見逃すはずもなく、虎の喉に刀を突き刺した。自然と口下に笑みが浮かぶ。
「やっと、生まれたか」
虎は大気が震えるほどの咆哮を上げ、外に飛び出して行った。まるで今生まれた命が、追い払ったようだ。
弥生は詩織を振り返った。そしてその子どもを見て、わずかに眉根を上げる。だがそれはすぐに元に戻り、ほっとしたそれでいて心残りのある笑みを見せた。
「よかったな……詩織」
弥生は嬉しそうに微笑む詩織を一瞥して、部屋から出て行った。体が非常に重い。刀を引きずりながら歩き、廊下のソファーに横になった。
(もう、狙われることはない)
あの虎は術者の下に帰った。獲物を狩ることができなかった霊は怒りとともに術者の元に帰り、術者に代償を求める。今頃術者は虎の餌食になっているだろう。
(呪術などに……頼るからだ)
魔術の中でも底辺に存在する、下法とも言われる魔術。
弥生は長い息を吐き、ゆっくりと目を閉じた。
弥生が目を覚ますと、そこは病室だった。目の前に暁美の顔がある。
「……任務は終了した」
ゆっくり体を起こし、また膝枕されていたことに気づいたが怒鳴るほどの元気がなかった。まだ、胸の奥に鉛が残っている。
部屋を見回すが、詩織はおらず、検査中だと暁美は言った。
「……あの子どもは、真血ではなかった」
弥生はソファーに身をもたれさせて、呟いた。あの赤子からはなんの力も感じられず、ただの人間だったのだ。
「えぇ。どうやら彼はとっくに魔力を無くしてたのね」
「……魔力はなくなるのか?」
「魔術師の中にはあちらに行かず、こちらに残った人たちもいるの……その人たちは一族で婚姻を繰りかえすうちにどんどん魔力は弱まっていった」
今からずいぶん昔の話だった。魔術師たちは人間に迫害され、異界へと渡ったのだ。
「お前は、魔術界を知っているのか?」
「そりゃぁ、これでも幹部ですから」
弥生は、そうかと短く呟き、口角を上げた。
「だが厄介な真血が生まれなくてよかった。本当に、よかった」
生まれなければいいと思っていた。苦しい人生を送らなくてはいけない子どもを作りたくなかった。だが、一方で生まれて欲しいとも願っていた。必ず大人にして、苦しみを過去のものにしたいと。自分たちには叶わない、夢を追わせてみたかった。
「……弥生ちゃん。優しいわね」
予想外の言葉に、弥生は暁美へと顔を向ける。
「優しいから、全てを背負おうとするのね。弥生ちゃん、全部置いてしまいなさい。ここは人間界。あなたの血も、運命も、責任も、足枷も、何もないわ」
言葉が進むにつれて、弥生の表情が硬くなっていく。
「何が、言いたい」
警戒心を露わにし、獣のような目になった弥生を見て暁美は切羽つまった秀斗の顔を思い出した。
“弥生を助けてくれ”と彼は言った。暁美もここ最近、弥生が人を斬りに出ていく頻度が増したことを聞いていた。
“弥生は、命をやりとりしてねぇと、自分を実感できねぇんだ”
だからなんとかしてくれと、秀斗は頭を下げたのだった。自分では、何を言っても嘘になるからと付け加えて。
そこで暁美は弥生をこの任務に連れてきたのだ。
「自分がわからないなら、愛されることを覚えなさい。愛されることが分からないなら、私があなたを愛すわ」
「何を、何も知らぬお前が、私を愛すだと?」
「えぇ、あなたの母親に代わってね」
そう言うと、暁美は弥生の耳元で何かを囁いた。弥生の目が驚愕に見開かれる。
「なぜ、その、名を?」
暁美はその顔を見て、いたずらっぽい笑みを浮かべて人指し指を自分の唇に添えた。
「ある人から教えてもらったのよ」
誰? と問う前に、ドアが開いて看護婦たちが入って来た。詩織はベッドに横たわり、その傍に赤子が置かれる。そしてもう一人の看護婦が持っていた赤子が、暁美に手渡された。
「異常ありません、元気そのものです」
暁美が受け取った子どもは詩織の隣にいる子に比べると一回りほど大きい。
「……そいつは、なんだ?」
弥生は疑心に満ちた顔で暁美と腕の中にいる子どもを交互に見る。
「失礼ね、私の子どもよ」
「はっ?」
「早いわね~、もう三か月だもんね」
詩織が体を起して、抱かせてと両手を広げる。
「うちの子もこれくらい大きく育つかしら」
「詩織……」
暁美の子どもを抱く詩織に、弥生はそっと声をかける。
「あぁ、大丈夫よ弥生ちゃん。この子が人間だってことは聞いたわ……これで、良かったのよ」
弥生は詩織の傍によって、小さな命を見下ろした。まだ目も開かないその命は、すやすやと眠りについている。
それと対照的に、目をぱちくりとさせた大きな赤子が弥生を見ていた。
「弥生ちゃん、だっこして欲しいって」
詩織がそっと弥生に暁美の子どもを渡す。
弥生はぎこちない動作でそれを受け取ると、そっと抱きかかえた。確かな重み、暖かいそれはしっかり弥生を見つめている。
「お、おいこれ、どうすれば」
視線をどうすればいいのか、手をどうすればいいのかわからない弥生に暁美はカメラのレンズを向けた。おどおどとする弥生を微笑ましく思いながらシャッターを切る。
弥生はその音に反応すると、そっと暁美に近づき赤子を突き出した。もう限界のようだ。
「うちの子、可愛かったでしょ」
「別に……ただ重いだけだ」
「それが分かったなら、十分よ。寂しくなったら私がいるから、みんなのお母さんのこの暁美がね」
暁美は子どもを抱き、弥生の頭をぐりぐりと撫でた。
「あなたは、一体何?」
その問に暁美は意地悪そうな笑みを浮かべる。
「暁美さんよ。人間で幹部のね」
弥生ははぐらかされたと、ふいっと視線をそらした。
「ついでに言うと、彼女は同じ幹部仲間よ。ちなみに能力者」
「は?」
ばっと詩織を振り返ると、詩織はのほほんとした笑みを浮かべて手を振った。
「もう引退したけどね~寿退職よ」
「弥生ちゃんはもうちょっと察知能力を上げないとだめね。敵に気付けないわよ?」
さらに暁美にダメ出しをされて、弥生ははぁと溜息をついた。
暁美はにこにこと笑っている。その笑みは、全てを知り、その上で許してくれる気がした。
(敵わない)
弥生はふっと笑って暁美を人間のカテゴリーから外した。無能力であっても、彼女には勝てない。何かがそう思わせた。
「わかりましたよ、暁美さん」
そして暁美はこの子と家に帰ると行って部屋を出、弥生も如月に帰ることにした。
その日から弥生は暁美に逆らわなくなり、満月の人斬りも無くなったという……。
更生、ひとつ完了。
次回「人は誰だって風邪をひく」
完全コメディーのノリですね。




