第4章の11 人は誰だって風邪をひく
ゴホゴホ、コンコン、クシュン。
これは、勇輝がホールに入った時に聞いた音である。
「おはよ……って、風邪?」
ごほごほと言わせながら、癒慰がこくりと頷いた。本日の衣装はそんな体調もあってか、猫耳にうさぎのしっぽをつけたナース服というアンバランスなものになっている。
「なんか、朝起きたら……ね」
「ひどい声、寝てなよ。熱あるんじゃない?」
癒慰の声はかすれ、頬も赤い。勇輝は癒慰の額に手を当てて、
「あ~、これは熱あるよ」
とそのまま頭をくしくしと撫でる。癒慰はぽけーとされるがままに撫でられていた。
「こ、こんな熱に負けていちゃ、勇輝君ハンターはやって、られないわ」
熱にうかされているのか、言葉の内容が理解できない。
「ひとまず、部屋に戻って寝て。後で錬魔連れていくから」
癒慰は弱弱しく頷いて、ゆっくり動きだした。多少よたついているが、たぶん大丈夫……と、癒慰はテーブルに足を引っかけた。
「うわっと」
転ぶ寸前で勇輝がその手を掴み、そのまま部屋へと送り届けることとなった。
始終ぼーとしていて、ずいぶんと熱は高そうだ。
(魔術師でも風邪って引くんだな)
勇輝は癒慰をベッドで寝かせ、そう思った。
彼らは異世界人なのだから人間界のウイルスなど効きそうにないのだが……。
勇輝が癒慰の部屋を出ると、キュルっとお腹が鳴ったので欲望に忠実に朝ご飯を食べることにする。
厨房に入ると零華が料理をしていた。コトコトと鍋で何かを煮ているようだ。
「零華おは……ってなんか焦げ臭い!」
勇輝は慌てて駆け寄り、鍋の中を覗き込んだ。何やら臭いが漂ってくる。鍋の中は可哀想なにんじんとじゃがいもの地獄絵図。
すぐに火を消して、鍋を流しに置いて水を入れた。
「零華、いったい何を作ろうと……」
応急措置をし終えた勇輝は、零華を見て異常に気がついた。目がうつろで息が荒い。
「えっと、肉じゃがを……あら、お味噌汁でした?」
すかさず勇輝は零華の額に手を当て、熱があるのを確認する。
「零華、熱あるよ。風邪ひいてる」
「風邪? まさか、あれはバカしかかからないものでしょう?」
「逆だって、ひとまず寝よう。これ以上何かが起こる前に寝てください」
あの鍋は一歩間違えれば火事なるところだった。零華にはありえない失敗に、勇輝の肝は冷える。
「今日はやることがあります」
「だめ! いいから大人しくする!」
零華は仕方ありませんね、と厨房を出て行った。足取りは確かだが、いつもより思考回路が断然鈍くなっている。
「如月に風邪蔓延してんじゃないの?」
そして勇輝は鍋を洗い、新しく自分のお味噌汁を作ることにしたのだった。
朝食を食べ終えた勇輝は、急ぎ錬魔の部屋へと向かった。病人が二人、至急医者に診てもらわなくてはいけない。
勇輝はきちんとノックをしてから入る。
「錬魔~、癒慰と零華が熱だしたんだけど」
机に向って何かの資料を見ていた錬魔は、回転椅子をくるりと回した。
「……二人が熱?」
ぴんとこない錬魔だったが、ひとまず資料を閉じて立ち上がった。
「風邪だとは思うけど、一応診てあげてよ」
「わかった」
錬魔は机の脇に立てかけられていたカバンを持って勇輝の後に続いた。いつでも診察用の道具は準備してある。
「でもさ、魔術師でも風邪って引くんだな」
癒慰の部屋に向かう途中で、勇輝がそう呟く。
「まあ、魔術師といえども基本、作りは人間と同じだからな」
「秀斗は風邪ひきそうにないけどね」
「あぁ、引かんだろう」
そして癒慰の部屋についた勇輝は、医者の助手気分で錬魔の後に続いたのだった。
「あ、錬魔くん……おはよ」
癒慰は言われたとおり、大人しくベッドで寝ていた。時々、ふやぁ~と不思議な音を発している。
錬魔は近くにあった椅子をベッド脇に置き、それに腰掛けると、鞄の中から体温計を取り出した。
待つこと一分。デジタルな音が響き、体温計が錬魔の手に戻ってくる。
「三十九度、完全な病人だな」
「体が重い……熱い」
「栄養剤を打っておくから、寝ていろ」
錬魔は鞄の中から注射器を取り出し、針を装着する。数種類ある薬品の中から、緑色の液体が入った瓶から液体を吸い上げた。流れるような作業に勇輝は心の中で拍手を送る。
だが、その瓶に張られたタグを見て固まった。
“仮死剤”としっかり書かれたそれを、錬魔は癒慰に打とうとしている。
「ちょっと待って!」
針が癒慰の腕に刺さる寸前で、勇輝は錬魔の腕を掴んだ。
そしてその腕の熱さに目を見開く。
「れ、錬魔……それは栄養剤じゃない、よ?」
ゆっくりと勇輝の方を見た錬魔の目は潤んでいた。頬に赤みがさし、ゆらゆらと体が揺れている。
「ま、まさか錬魔も風邪とか言わないよね」
「……実は朝から目眩がしたのだが、やはり風邪か」
老老介護ならぬ病病看護だ。
勇輝は意識が遠ざかるのを感じた。病人がいる上に医者まで熱を出したとなれば誰が看病をするのか。
「……ちょっと待て、この三人がやられてるならもしかして」
勇輝は錬魔から注射器を取り上げ、部屋で寝ているように言うと部屋から飛び出した。
胸の中は嫌な予感しか詰まっていない。
秀斗はともかく、普段から食生活に不安がある弥生はすぐにウイルスに負けてしまいそうだ。
全力で弥生の部屋まで走り、ノックもせずにドアを開けた。
「弥生! 無事?」
勇輝の声にかぶさるように、ドスッという音が横でした。壁に短剣が刺さっている。
「げ、元気……」
短剣から目を離し、正面を向き直った勇輝は言葉をつづけることが出来なかった。正面の机では弥生が突っ伏し、その足元にはなぜか秀斗が転がっている。すでに何かが起ったらしい。
ひとまず勇輝は転がる秀斗を無視し、弥生に近づいた。気配に気づいた弥生はゆっくりと顔をあげる。
「勇輝……体が言うことを聞かない」
弱弱しい声に、勇輝は額に手を添えながら重症だなと感じた。いつもの威勢が一欠片も感じられない。
「風邪だよ、熱があるんだ」
「熱、か。それでいつもより短剣の位置がずれたのか」
勇輝は錬魔から借りてきた体温計を弥生に渡すと、壁に目を向けた。確かにいつもなら短剣は勇輝の頭上を通り過ぎるか、顔のすぐ横に刺さる。今回はずいぶん遠い場所に刺さっていた。そして視界の右の方に見てはならないものを見た気がしてすっと視線を逸らす。
ちらりと見えたのは無数の剣。それが樽に刺さった剣のごとく壁に刺さっていた。そして床にも剣やら槍が落ちている。誰に向けて放たれたものかは、言うまでもない。
勇輝はしゃがみ込むと、床にうつぶせに転がっている秀斗の頭を小突いた。
「秀斗、生きてる?」
「……おぅ、勇輝か。まさに生き地獄だな」
地獄と言うわりには秀斗は無傷であるが。
「自業自得だと思うよ」
「だってよ、なんか無性に寂しくて、弥生に会いたくてさぁ」
半泣きの秀斗に勇輝は、ん? と首をかしげその額に手をやる。秀斗が弱気になるなど異常以外のなにものでもない。
「そしたらさぁ、近づいても弥生起きないから、つい……後ろからぎゅっと」
「今度から熊のぬいぐるみでもだけよ……そんでとっとと部屋に帰って寝て」
額が熱い、目も潤んでいるし、声も鼻声だ。
勇輝は電子音を耳にして立ち上がり、弥生から体温計を受け取ってその数字を読んだ。
「……三十九度五分。これやばくね?」
如月の魔術師は全滅。その高熱と感染力はインフルエンザ並みだ。
弥生をベッドに追い込み寝かせ、秀斗を立たせて、支えながら歩きだす。自分よりも身長の高い人を支えるというのはかなり大変だ。少し劣等感も刺激される。
(つーか、なんで俺だけ元気なわけ?)
殺しても死なない秀斗までもがふらふらになっているのを見ると、元気な自分が不審に思えてくる。同じものを食べたのに自分だけ食あたりにならなかった時のような一種の疎外感を感じる。
(俺、五人の看病しないといけないのか)
勇輝はくるりと進行方向を変えた。半分秀斗を引きずって移動する。
「おい、俺の部屋はあっち……」
「病人は黙ってて」
勇輝は覚悟を決めて、時に優しく時に厳しく看病することに決めたのだった。
病人五人が集まると、その部屋は病室に早変わりした。勇輝が探険中に見つけた団体客向けの部屋に全員を移したのだ。彼らの部屋は互いに離れており、一人ひとりを看病するのは面倒なのが理由である。
部屋にはコンコン、ハクシュン! ゴホゴホと病人の主張が激しく響いている。
「ひとまずこの薬飲んで寝てて」
勇輝は家から持ってきた解熱剤を水とともに彼らに与え、自分は厨房へと向かう。
病人に何が必要かと言われると、まずご飯だ。胃に優しく、それでいて体力のつくものを食べさせなくてはいけない。
厨房の隣にある貯蔵庫で食材を探す。米を発見し、冷蔵庫から卵を取り出す。鰹節を削って昆布を軽く拭いた。出汁から取る本格的なお粥だ。
コトコトと煮ること二十分。いい感じにとろりとしたら溶いた卵を回しいれて、出来上がりだ。
「よし、ちょうどご飯だ!」
勇輝はワゴンに人数分の小皿とスプーン、そして鍋を置いてコロコロと押す。その様子はさながらメイド。メイド服を着ていないのが残念だ。
「はーい、みんな。ご飯だよ~」
勇輝は五人が寝ているドアを開けて満面の笑みを投げかける。彼らはもぞもぞと起きて、ぼうっとした顔を勇輝に向けた。部屋全体がしんどい雰囲気だ。
給仕係の勇輝は、小皿にお粥を取り分けて全員に配っていく。
「……いらない」
一人ごねる人がいた。食事拒否の常習犯、弥生だ。
「食欲が無い」
普段食欲あったんだ、というツッコミは置いといて、勇輝は問答無用で弥生の手に持たせる。
「だからいらないと」
「じゃぁ俺が食べさせてあげようか? あーんって」
「それは……いやだ」
「じゃぁ食べて」
弥生は短く呻き、ゆっくりとスプーンを口に運んだ。小さく、勇輝が怖いと呟いたのは聞かなかったことにする。
「それ食べれたらゼリーあげるから」
頑張った子にはご褒美を。勇輝は看護師というより、保育士になった気分だった。
「勇輝君~、あ~ん、して?」
弥生の隣のベッドに寝ていた癒慰が勇輝の服をついついと引っ張った。甘えモード全開だ。
「癒慰……その口利けるなら自分で食べれるって」
勇輝はにこっと笑って癒慰をかわすと、黙々と食べている錬魔のベッドに座った。
「でさ、これ何風邪? 魔術師風邪?」
新種のウイルスを疑う勇輝に、錬魔は視線をやり、スプーンを置いた。
「それもあり得る。お前だけ無事というのも不思議な話だからな」
「勇輝~、おかわり」
向かいのベッドに寝る秀斗がスプーンを上げてクルクル回している。
「はいはい、そんだけ元気ならすぐ直りそうだね」
勇輝は秀斗から小皿を受け取ると、お粥をよそう。ついでに自分の分も取り、秀斗の隣で食べることにした。
「勇輝……ゼリー」
今度は弥生が呼んだ。
「私も欲しいです」
零華もねだりをみせる。
どうも彼らは熱のせいで甘えん坊になっているらしい。
「わかったから、そういう目で俺を見ないで」
零華に加え、癒慰も加わってうるうると勇輝を見ている。
勇輝はりんごゼリーを出して、彼女たちを笑顔にさせると食器を片づけ始めた。
昼食の片付けも終わり、買い出しを済ませた勇輝は彼らの様子を見に行った。ついでに熱を測って、状態を見る。
「……四十度」
最高記録を出したのは、ベッドにへばりついている秀斗だった。他の四人も三十九度と高いが……。
「さっきまで元気だったよね。何があったのこの数時間で」
しかも全く解熱剤は効かなかったようだ。魔術師に人間の薬は効果が無いのだろうか。
「ぐるぐる回る~」
彼らの額に買ってきた氷枕を置き、固いと文句を言う数名を笑顔かつ笑っていない目で黙らせた。
「あ、水少なくなってる。俺取ってくるわ」
熱が出た時は水分補給が大切である。
勇輝は厨房で水を汲みながら夕食のメニューを考えていた。
(また粥ってのもな~。でもそれが一番胃に優しいし……トッピングを変えるか?)
勇輝が二三のメニューを頭に浮かべた時、ピーンポーンとインターホンが鳴った。勇輝は空耳かと首を傾ける。
またピーンポーンと音がした。
(この屋敷にインターホンって……あった!)
勇輝は最近つけられたインターホンの存在を思い出すと、ダッシュでホールへと向かう。
音は館内に響くようだが、受話器はあそこしかない。
(癒慰~、つけるならもっと受話器を増やしてくれ)
勇輝はホールに滑り込み、受話器を取った。
「はい、如月です」
受話器の向こうで相手が息をのむのが聞こえた。
「わ、わたくしは龍牙隊直属の鈴木と言います!」
声だけで彼がガチガチに緊張しているのが分かる。
勇輝が敬礼でもしていそうだなと思いながらドアを開けると、本当に敬礼をしていて目を丸くする。
「春日、勇輝殿ですね! お噂はかねてより拝聴しております! 本日はお会いできて光栄であります!」
本人は必死のようだが、正直看病疲れが出始めている勇輝にこのテンションはきつい。
「あの、さ。もっと普通にしゃべってください。むしろ俺より先輩なんですから」
彼はどう見ても二十は過ぎている大人だ。それがなぜ高校生に頑張れば見てもらえるような子どもに緊張しているのか。
「そそ、そんな、如月の方と口を利くなど」
「さっさと直して」
声に苛立ちを含ませると、彼は顔を青くして直立不動になった。ぱくぱくと口を動かして何か言おうと頑張っている。
(あちゃ……ついきつい口調に)
ひとまずお茶でも出そうかと訊くと、彼は首をもげる勢いで横に振った。断固として屋敷に入ろうとしない彼を見て、そういえば歩も如月に踏み入れるのを拒否していたことを思い出した。
(よほどここ嫌われてんの?)
勇輝は挙動不審になっている彼を落ち着かせようと、精一杯の笑顔を作った。優しさを総動員して癒しオーラも出す。
勇輝の笑顔に、彼はほっと肩の力を抜きぼうっとその顔に魅入った。
「で、なんの用ですか?」
彼ははっと我に返ると、固い表情で用件を切り出した。
「その、牙軍の皆さんはお元気でしょうか」
「はい?」
「具体的に言いますと、風邪で寝込んだりしていませんか?」
「……まさしく今寝てるけど」
なぜ分かるのだと勇輝は不審な眼差しを彼に向ける。それに敏感にも気づいた彼は、慌てて言葉を付け足した。
「じ、実はですね、本部の方でも隊長を始め牙軍の方が一斉に寝込んでおられるのです」
「え?」
勇輝は以前本部で会った牙軍の人たちを思い出す。皆個性的で強く、とても寝込んでいる様子が想像できない。
「そこで死堅牢の様子見と、可能であるならば錬魔殿にご助力頂きたくわたくしが参ったのです」
「なるほど……じゃぁやっぱり能力者だけがかかる風邪なんだ」
「おそらくは。今、科学班が懸命に原因を解明し特効薬を作っていますので、なんとかなるとは思うのですが……」
彼の表情は深刻で、今回の風邪は隊にとってはただの風邪では済まされないということが分かった。今何か事件が起こっても闘える者はいないのだ。
「そっか、わざわざありがとうございます。薬が出来たら届けに来てください」
「はい、必ず」
彼はしっかりと頷き、一礼すると早足で帰って行った。ドアの外は本部に繋がっており、薄暗い廊下が続いている。普段この道は閉ざされているのだが、結界を管理する秀斗の不調により弱まってしまったようだ。
「さてと、水を持っていくか」
勇輝は彼が無事四剣琅の扉から出て行ったのを見届けると、ドアを閉めて彼らの部屋へと向かった。病人となって甘えとわがまま度がアップした彼らがお待ちかねである。
思いのほか長くなってしまいました。
次回「薬を嫌がっていては風邪は治らない」です。




