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宝仙伝  作者: 神無月拓楼(旧HN現武壱)
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黒焔猛鬼之章

深く、鬱蒼と生い茂る森の中で、満月が照らし出す二つの影。


「・・・さすがは、月読を守護する一族だけの事はある。護るべき者が居なくなった今でも・・・これほどとはな。」


一つの影から発せられた男の声は、もう一つの影へと向けられて発せられた。


「・・・カビの生えた言い伝えを信じる程、私は愚かではありませんよ。」


女の声が発せられた直後、その声の主の周りに、黒い炎が立ち登る。


そして、その炎を中心に、辺りの温度が上がり始め、女の声の主の姿を晒し出す。


漆黒の夜を思い浮かばせる様な、艶のある黒髪、浅黒い肌の女が、凛々しい表情で、男の影と対峙していた。


一見普通の人間にしか見えない女だったが、女の頭には、犬の様な耳が突き出て、その瞳は、真紅に染まっていた。


そして女の尻には、耳と同様、犬の様な尻尾が垂れていた。


「あなたは誰です?何故、私に挑むのですか?」


そう言って、鋭い目つきで威嚇しながら、女は男に問いただした。


「名前・・・か。『喰鬼』とでも呼んで貰おうか。挑む目的は・・・貴様の力が欲しいからさ・・・」


「私の力・・・?」


「そうだ・・・貴様のその『黒焔』・・・明らかに月狼族の証・・・その力が、俺は欲しいのさ。」


男の言葉を聞いて、女は静かに両目を瞑って、深呼吸を一つ吐いた。


「・・・用件は解りました・・・ですが・・・」


そこで言葉を切って、両目を開き、男を見据える。


「私には・・・お腹を空かせて、帰りを待っている、可愛いヤヤが居るのです。早々に帰らせていただきますよ・・・あなたを倒して・・・」


女がそう言うと、まるで女の感情に呼応するかの様に、黒い炎の勢いが増しだす。


「そう簡単には喰わせて貰えぬ様だな・・・」


その呟きが、開戦の合図となり、男と女は互いに駆け出した。


「ハァッ!」


「波ッ!」


二人が交錯する刹那の瞬間、黒い炎に混じり、目映い光が辺りを照らし出す。


その光が消えた時には、二人は背中合わせで、先程の様に対峙していた。


次の瞬間、女の体を護る様に燃えていた黒い炎は消え去り、女は膝をついた。


「・・・クッ。」


「その程度の炎では、俺を燃やす事は叶わなかった様だな・・・」


そう言って、男は後ろを振り返り、女に歩み寄る。


女の真後ろまで来た所で男は立ち止まり、女の肩を掴もうと腕を伸ばす。


「ッ!!」


気配でそれを察した女は、体を捻って手刀を男目掛けて繰り出す。


だが、女の手刀は、手首を男に捕まれ止められてしまう。


「クッ!!」


それを想定していた女は、男の手首を握り返すと、また黒い炎を生み出した。


「無駄だ・・・」


そう男が呟いた瞬間、女の手首を握っていた腕に、渦を巻く様に水が現れる。


そしてその水によって、女の生み出した炎は、勢いを失っていった。


「な?!」


その光景を見た女は、驚愕の表情で、男の腕に巻き付く水を見つめる。


「やはり、月狼の一族でも、女の『黒焔』はこの程度か・・・まぁいい。」


「・・・あなたは・・・何者ですか?先程の光の力と良い、今の水の力と良い・・・何故異なる力を操れるのです?!」


「その質問には、答えるつもりは無い・・・」


そう男が呟くと同時に、男の腕にまとわりついていた水が、蛇の様に女の体にまとわりつき、女の自由を奪っていく。


「クッ・・・」


「さらばだ・・・月狼一族の女戦士・・・」


男がそう呟くと、男の胸が大きく膨れあがり、二つに割れて女に襲いかかっていく。


「・・・喰うとは・・・そう言う事ですか・・・」


そう呟いた女の脳裏には、三匹の黒い子犬の姿が浮かび上がっていた。


三日後・・・


「クゥ~ン・・・」


「うん?」


森の中を一人歩く聖は、何とも弱々しい泣き声を聞いて立ち止まった。


「どこから・・・」


辺りを見回し、聞こえてきた声の出所を探し始める。


「クゥ~ン・・・」


暫くすると、また同じ鳴き声を聞いて、その声が茂みの中からである事を察する。


先程よりも弱々しいその声に、気になった聖は、おもむろにしゃがみ込み、茂みを掻き分け始めた。


ガサガサ・・・


「・・・子犬?」


そこに居たのは、横たわった三匹の黒い子犬だった。


三匹の内一匹は、聖が顔を覗かせた事に気が付いて、顔を聖に向けているが、残りの二匹は、ピクリとも動こうとしなかった。


それどころか、開いた口から舌をだらしなく覗かせ、息をしていない事から、もう手遅れなのだと聖にも解った。


聖は、顔を自分に向けている子犬を、おもむろに抱き上げる。


「大分弱ってる・・・このままじゃ死んじゃう。」


言うが早いか、聖は子犬を抱き直すと、来た道を走り出した。


「クゥ~ン・・・」


前を向いて走っていると、不意に子犬が微かな抵抗を見せる。


だがその抵抗は弱々しく、聖の胸の中で、モゾモゾと動いているだけだった。


「大丈夫だよ、安心してね。」


子犬の抵抗に気が付いた聖は、子犬に向かって微笑むと、優しく諭す様にそう言う。


「大丈夫・・・」


最後にそう呟くと、聖は顔を前に戻して、走る速度を少し上げた。


聖の脳裏には、数ヶ月前の、母を亡くした辛い記憶が蘇っていた。


簡素な山小屋の中、囲炉裏の炎をジッと見つめる。


ここは、人口数十人程度の小さな山間の村から、西の山の中腹辺りにある、旅人用に設けられた小さな山小屋だ。


特にこれと言った資源も無い為、旅人が来る事などほとんど無いと言って良い。


その為村の中には、宿屋はおろか乾物屋すらない。


この山小屋も、元々は山師の住処だったらしいが、今では住む者も居なくなり、旅人用に解放されているだけに過ぎなかった。


そう・・・この場所から、俺の旅は始まった・・・


パチンッ!!


不意に、炎の爆ぜる音が、静寂が支配する山小屋の中に響いた。


こうして沈黙していると、いつも話しかけてくれる聖だが、宵の口にもかかわらず、もうすでに床に就いていた。


この山小屋に着くと同時に、今日一日の疲れがドッと出たのか、すぐに寝てしまったのだった。


正直、俺も疲れているので眠りたかったのだが、頭だけは冴えて眠れそうになかった。


その為、暇をもてあましていた俺は、この山小屋に着いてから、何度となく思い返していた事に、また考えを巡らせる。


『師匠・・・お願いが・・・あります。』


何を言い出すかと思えば・・・な。


聖が俺と共に旅を続ける事を望んだ時に、こんな日が来るのではないかと予想していた。


だが俺は、その解答を未だに出せないで居る。


「・・・クロ・・・おまえはどう思う?」


炎を見つめたまま、俺は聖に寄り添う様に寝そべっているクロに、声を掛けた。


「・・・主が望んでいる事ならば・・・我が口を出す訳には、いかぬだろう・・・」


「俺は・・・おまえがどう思っているかを聞いているんだ。」


そう言って、俺は再度同じ質問を、クロに投げかけた。


「・・・力を欲する事は、決して悪い事ではない・・・だが出来る事ならば・・・主には、このままで居て欲しいと思う。」


『私・・・私、強くなりたいんです!だから・・・武術を、教えてください。』


「・・・そうか。」


聖の真剣な表情と、悲痛な訴えが頭を過ぎる中、俺の出した質問に答えたクロに向かって呟いた。


俺もまた、クロと同じ思いの為、それ以上何も言えなかった。


「・・・悩んでいる様だな。」


不意に発せられた聖の声に、顔を眠っているはずの聖へと向けた。


「・・・急に現れるな・・・聖に聞かれたと思ったぞ。」


俺がそう言うと聖は、気だるそうに体を起こして、炎越しの俺に顔を向けてくる。


いつもの幼さは消え失せ、妖艶な色つやを醸し出している聖。


それと同時に、感じ始めた微かな鬼気。


「こうやって話すのは、久しぶりだな・・・金色夜叉。」


「我が名は金華龍也・・・それが聖殿に賜った、我の新しき名だ。」


「フッ・・・相変わらず、融通の利かない奴だな。」


聖の体を借りて、喋っている金華龍に、俺は苦笑しながら答えた。


「・・・汝とは、こうして会うのは初めてか・・・黒炎殿。」


そう言って金華龍は、寄り添っていたクロに顔を向けて、笑いながらに挨拶している。


当のクロは、何が起こったのか解らないのか、何も言わずに、聖の顔を凝視していた。


「・・・おまえが出てくるという事は・・・何か言いたい事でもあるのか?」


そう言うと金華龍は、クロに向けていた顔を俺に戻すと、真剣な表情で見つめてくる。


「聖殿に、武芸を教えるか否かは・・・宝仙殿に任せよう・・・我の戯れ言と聞き流して貰っても構わん・・・我が感じた事を、ただ言うのみだ。」


「相変わらず、融通が利かない上に、堅苦しい奴だ。」


「そう言う宝仙殿こそ、相変わらずの毒舌ぶりだ・・・まぁ良い。」


そう言って、金華龍はそこで一旦言葉を切って、囲炉裏の炎を見つめる。


「今の宿主は・・・今までの宿主とは違い、心が不安定だ・・・良く言えば、純朴だが、裏を返せばその分染まりやすいとも言える。」


「・・・それが、聖の良い所であり、欠点でもある・・・」


「左様・・・あの時、宝仙殿が死んだと・・・殺してしまったと、聖殿が思いこんでいた時・・・聖殿の心は、暗く・・・冷たくなっていた・・・無垢故に・・・な。そして我は『種』としての我に戻りかけた・・・それほどに強大な負の感情だった。」


「無垢故に、思いこんだら半端じゃ無いって事か・・・」


そう聞くと金華龍は、静かに頷いて肯定してくる。


「我もまた・・・宝仙殿や黒炎殿と同じく、今の宿主殿には、このままで居て欲しいと願っている・・・だからこそ、聖殿が強くなる必要があると感じた。」


『私・・・強くなりたいって思ったんです・・・今のままじゃ私・・・足手まといだから・・・』


金華龍の言葉に、聖の言葉が重なって脳裏に過ぎる。


足手まとい・・・か。


「言っている事は解る。だが、武術を教える事が、心を強くする事と繋がる訳じゃない。あいつはそれに気が付いていない・・・」


「・・・ならばそれを、主に言えばいいのではないか?」


「そう言う問題じゃない。確かに・・・俺達が言えば理解はするだろう。だが・・・大事なのは自分で考え、思い悩んで・・・それによって聖が、聖自身の答えを導き出す事だ。」


そう言ってくるクロに、俺は顔を向けて言う。


「ならば・・・聖殿に武術を教える事は、問題ない様に思えるが・・・」


金華龍にそう言われ、俺は自嘲気味に苦笑した。


「過ぎた力は、人を惑わせる・・・俺はそれを良く知っている・・・俺がそうだったからな。」


そう言って、俺はまた囲炉裏の炎を見つめる。


「聖と出会って、共に旅をして、聖という少女の事を知っていく中で・・・俺は聖を護ろうと思った・・・だが、そう思った時から思うようになった事が、もう一つある・・・」


「・・・それは?」


「恐怖さ・・・俺は恐いんだ・・・聖とこのまま旅をして、聖が幸せになれるのかと考えるようになった・・・いっその事、兼道達や麗姫に預けた方が、良かったんじゃないのか・・・とな。」


そう言って、俺は一旦言葉を切った。


懐をまさぐり、煙管の入った箱を取り出すと、慣れた手つきで葉を詰め、火を付ける。


煙管を銜え、肺一杯に紫煙を吸い込み、暫く肺の中に留まらせ、ゆっくりと吐き出す。


「・・・聖が俺と共に旅を続ける事を望んだ時、正直・・・嬉しい気持ちになっていた。だがそれと同時に、恐かった・・・俺は、俺の過去を否定するつもりは無い・・・俺は人斬りだ。俺の過去を知りたいと言ってきた時・・・聖の瞳に、俺がどう映るのか・・・心底怯えたよ。だが・・・」


そこでまた言葉を切って、煙管を銜えながら、目を瞑った。


「あいつは・・・人斬りとして、生きてきた俺の過去を知っても、変わらなかった・・・それに俺は、安堵していた・・・」


「そうか・・・それを聞いて安心した。」


「うん?」


そう言ってくる金華龍に、俺は目を開いて見つめる。


「聖殿と共存するようになってからは、宝仙殿との意志の疎通が出来なくなった・・・そこまで考えていたとは知らず、出過ぎた真似をした。」


「いや・・・おまえと話せて、決心が付いた。信じる事にするよ・・・あいつが俺の過去を知っても、変わらなかった様に、力を手に入れても、あいつは変わらないと、そう信じる事にする・・・」


「・・・そうか・・・」


そう言って金華龍は、微笑みながら目を瞑った。


「不思議なものだな、聖殿は・・・聖殿の心に触れていると、我はとても安らかな気持ちになる・・・今までの宿主殿達には無いこの想い・・・聖殿の宝仙殿に対する想い・・・我も何時か、この想いを理解出来る日が来るのだろうか・・・」


それは、俺にも理解出来ない感情。


何時かなんて日は、自分が動き出さなければ決して来ない。


それが例え、良い事にせよ、悪い事にせよ。


俺は理解しようと思った事は、今まで無かった。


だが、それを理解しようとしている金華龍は違う。


「きっと・・・来るんじゃねぇか?」


この鬼には、理解出来る日が来るような気がした俺は、切に願う金華龍にそう答えた。


「我もそう願っている・・・これからも我は・・・聖殿を理解し続けよう・・・」


そう言って、金華龍はクロに向かって倒れ込んだ。


「我は・・・切に願っている・・・この暖かい心を・・・闇に染める事・・・無かれ・・・」


その言葉を最後に、金華龍の鬼気は消えていった。


暫くしてから、規則正しい寝息が聞こえてきた。


神隠しが起こっていた山の出来事から一夜明けて、私と師匠は、草原の片隅にある岩の前で、肩を並べて両手を併せていた。


クロは私の後ろで、大人しく座っている。


八大明王衆、金剛夜叉明王珠継承者、第十二代目『宝仙』海淵さんのお墓。


ここが師匠の別れの地で、始まりの場所なんだ・・・


「・・・聖。」


「は、はい!」


今まで黙っていた師匠が、急に私に声を掛けてくる。


「・・・ついて来い。」


それだけ呟いて師匠は、海淵さんのお墓に背を向けて歩き出した。


「・・・え?」


言っている意味が解らず、私はただ、師匠の背中を見つめる。


「・・・教えてやるよ。戦う術をな。」


「あ・・・」


それは昨日、私が師匠にお願いした事。


昨日の戦いの後、私は初めて力が欲しいと思った。


せめて、自分の身ぐらい守れるくらいに・・・師匠やクロのお荷物に為っているだけの自分は、もう嫌だった。


「・・・はい。」


決意を新たに、私はクロを引き連れて、師匠の後に続いて歩き出した。


海淵さんのお墓から、十分離れた辺りで、師匠は立ち止まって、振り返ってくる。


そして私も、師匠と対峙するように、少し距離を開けて、立ち止まった。


クロは、私たちの邪魔をしないようにと、大きな木の下の日陰に向かって行く。


「・・・聖。」


「はい。」


「自分の意志で、金華龍と意識の同調は出来るか?」


急にそう言われ、私は少し考えてみる。


今まで何度となく、金華龍の意識に同調する事はあったけど、その時はいつも夢中だったので、自分の意志でとは言えなかった。


「いいえ。」


「そうか・・・それが出来るようになれば、それだけでおまえは強くなる。まずはそれが出来る様に成れ。」


「急にそんな事言われても・・・」


「その時の自分を思い出せば良い。」


言われるがまま、私は目を瞑って、その時の状況を思い返してみる。


月神さん達との時の事・・・沙希さんの時の事・・・昨日の事・・・


思い出すにつれて、心臓の鼓動が少し遅くなったのが自分でも解った。


ゆっくりと目を開くと、先程までの自分とは違うような気がした。


意識が集中し、辺りの様子が、手に取るように解る。


風が奏でる、草木の音色は、とても清々しく、小春の日差しが、とても暖かい。


先程までは感じなかった、自分を取り巻く世界が、鮮明になっていく感覚。


「・・・これで良いですか?」


そう聞くと、師匠は一つ頷いて見せた。


「じゃぁ次だ・・・俺が合図したら、俺に掛かってこい。」


「随分急ですね・・・もう少し具体的に、基礎からだと思ったんですけど・・・」


「頭で理解するよりも、体で覚えた方が早い・・・説明なんざ、後でも出来る。何より、その状態のおまえの実力を、知っておく必要もある。」


「・・・解りました。」


そう言って、姿勢を低くして、いつでも飛びかかれる様にする。


「・・・ッ!!」


構えた瞬間、私は師匠の放つ殺気に息を飲んだ。


今までにも、殺気という感覚を感じた事はあったけど、師匠のそれは、今まで感じた事のある殺気とは、全然違っていた。


体の奥底から凍えるような冷たさに、触れる物全てを切り裂きそうな鋭さ。


心臓の鼓動が速くなり、息苦しさを感じる。


額には脂汗が浮かび、背筋に冷たい物が伝う。


もし、視線だけで人が殺せるとしたら、師匠の殺気は正にそれだった。


師匠から目を逸らせば解放される、そう思うけど。


けど、それでも師匠から目を離す事は出来なかった。


まるで、獲物が動くのを、ジッと待っている獣そのもの・・・


「・・・来い。」


そう言って、自然体のまま、悠然と待ち構えている師匠。


一見無防備にも見えるけど、全く隙が見当たらないのは。私にでも解った。


「・・・どうした、来ないのか?」


そう言われたけど、私の意志に反して、動こうとしない体。


動こうとしないじゃなくって、動けないと言った方が正しいかもしれない。


今まで、師匠の殺気を何度となく感じた事はあったけど、それは決して、私に向けられた事は無かった。


その殺気が今、私に向けられてる・・・


一瞬の時が、とても長く感じられ、最初に『来い』と言われた時から、一体どれだけ経ったのかも解らなくなっている。


それでも、師匠から目を離す事が出来ない。


まばたきすら出来ない。


ただ呆然と立ち竦んでいる私と、その私を見据えている師匠。


「・・・しばらく休憩だ。」


そう呟いて、師匠が殺気を解いて、私に近寄ってくる。


「ッ!!はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」


その瞬間、私は膝を地面について、荒い呼吸を何度も繰り返した。


額に手を当てて、玉のような汗を拭い去った。


ただ対峙していただけなのに、全速力で走っていたような疲労感。


これが・・・師匠の力・・・


「どうだった?」


「こ・・・恐かったです~・・・」


ようやく息が整い始めた頃、師匠の質問にそれだけ答えて、仰向けに寝転がった。


いつの間にか、私と金華龍との、意識の同調も無くなっていた。


もしも、金華龍との意識の同調をしていなかったら、師匠の殺気を感じた瞬間、腰を抜かしていたかもしれない。


「ったく・・・だらしねぇ事言ってんじゃねぇよ・・・とりあえず、動ける様になるまで、今の繰り返しだ。」


「は、はい~・・・」


情けない声を出しながらも、体を起こして師匠を見上げる。


こうして、私の修行は、不安の中始まりを向かえた。


聖の修行は、夜が訪れると共に、一日目が終了した。


今日の成果は、殺気を受け流せるようになった事だろう。


どんなに穏やかな風でも、前からぶつかって行けば、体全体で受け止める事になる。


ならば風の流れを読み、それに身を委ねれば、当たる風も必要最低限となる。


だが理屈は簡単だが、実際にソレをやれと言われれば、難しい事だ。


実際にそう言う事が出来る様になるには、体で覚えるしかない。


そして聖は、何度目かには、それが出来る様になっていた。


金華龍との精神融合があったとは言え、聖の飲み込みの早さには目を見張る物がある。


てな事・・・口には出さんがな。


そんな事を思い、一人苦笑する。


「・・・何笑ってるんですか?」


暫くの滞在場所となる山小屋に戻ってきた俺達は、囲炉裏の炎を囲んでいた。


囲炉裏の周りには、クロが採ってきたキノコが、串に刺されて焼かれている。


これが俺達の、今晩の夕餉だ。


「いや・・・最初の情けない恰好を思い出してな。」


適当に誤魔化しながら、キノコの刺さった串を手に取り頬張る。


「うぅ~・・・意地悪言わないでくださいよ~」


頬を膨らませながらそう言うと、聖も同じように、キノコの刺さった串に手を伸ばす。


クロは、昨日と同じように、聖に寄り添う様に伏せっている。


クロが俺達と一緒に、飯を食った事は、ほとんど無いと言っていい。


聖曰く、一週間程なら、水だけで十分なんだそうだ。


その図体で、毎食食べられた日には、資金などすぐに底をつくだろう。


そう言う意味では、手の掛からない分、便利なケダモノだな。


などと思い、また苦笑する。


「むぅ~また笑いましたね?」


「フッ・・・悪い悪い。」


目ざとい聖をたしなめながら、キノコを頬張る。


暫くして食事も終わり、煙管を銜えながら、なんとはなしに、聖に声を掛けようと口を開く。


「・・・なんで急に、強くなりたいと思ったんだ?」


その理由は、俺にも解っていたが、改めて聞いてみる。


自分でも、意地の悪い事だと自覚している。


「・・・私は・・・師匠やクロの足手まといになりたくないんです・・・あの時、私にもっと力があったら、あんな結果には成らなかったと思うから・・・」


昨日の出来事を思い出しているのか、俯き加減に、呟く様に話す聖。


「・・・俺は前に言ったはずだ。足手まといと思うのは勝手だ。だがな、力が無い事を嘆くよりも、今の自分の力で、出来る事をおまえはやれば良い。」


「解ってます・・・だから・・・だからこそ、今の自分に出来る事を・・・必要だと思う事をしたいんです・・・」


そう言って、下を向いていた顔を、俺に向けてくる聖。


「・・・俺には、おまえが一時的な感情で、力を欲している様にしか見えん。一時的な感情で行動しても、後で後悔するだけだ。」


「そんな事無い・・・そんな事無いです!」


そう叫んで、俺の言葉を強く否定する聖。


その姿はまるで、駄々をこねる子供にしか見えなかった。


「・・・俺が何時、おまえの事を足手まといだと言った?」


「え?」


「クロが何時、おまえの事を足手まといだと言った・・・クロは好きでおまえの事を護ってる。」


「それでも・・・私・・・」


「おまえが俺と共に旅をすると言う事は、争いに巻き込まれると言う事だ・・・それを俺が護るのは、当然の事だ・・・それで、おまえが強くなる必要が何処にある?」


「ッ!!」


聖の告白を聞いて、聖が俺の事をどう思っているかは、知っているつもりだ。


酷な事を言っているとは解っていても、言わなければならない事がある。


「私は・・・師匠の・・・」


「おまえは、俺の為に強くなるのか?それこそ、ふざけるなだ。誰もそんな事頼んでねぇぞ。」


そう強く言うと、ついに聖は嗚咽を漏らしだした。


「だ・・・だったら私・・・どうしたら・・・良いんですか?このままじゃ・・・私・・・惨めなだけ・・・」


俺は立ち上がると、涙ながらに語る聖に近づき、頭に手を置く。


「顔を上げろ、前を見据えろ、涙を流す暇があったら考えろ。生きている内に、頭ってのは使うもんだ。」


そう言って、俯き掛けた聖の顔を、無理矢理上げさせる。


「力を欲する事は、決して悪い事じゃない。だがな・・・その力で、何が出来るか、何をしたいのかを、おまえは解っちゃいないんだ。もう一度、それをよく考えろ。」


「ひっく・・・ひっく・・・」


涙を流しながら、俺の事を見つめてくる聖。


その涙を、空いている手で拭ってやりながら続ける。


「それが解らなければ・・・おまえは自分自身を不幸にする事になる・・・人の心は弱い・・・曖昧な気持ちで、力を手に入れれば、その力に人は溺れるんだ・・・俺がそうだった様に・・・」


「・・・え?」


「もう一度、よく考えろ・・・おまえは、何の為に強くなる?その力で、何が出来る?その力を、何の為に使いたい?修行の続きは・・・おまえがその答えを出してからだ。」


「・・・はい。」


聖が頷くのを確認してから、頭に載せていた手を退けて、先程まで座っていた場所へと戻る。


酷な事だが・・・その答えは、おまえだけの答え、おまえにしか出せないんだ。そして、おまえの力は、誰の物でも無い、おまえだけの力だ・・・それを・・・よく考えるんだ。


「・・・今日はもう寝ろ・・・疲れたろう。」


「・・・はい・・・」


そう呟いて、聖はクロにもたれ掛かる様に、横になった。


暫くして、体の疲れも手伝ってか、泣き疲れた聖から、規則正しい寝息が聞こえてきた。


「少し・・・言い過ぎなのではないか?」


聖が寝付いたのを確認してから、クロがそう言ってくる。


「だったらおまえが言え・・・甘やかせば、聖の為にはならん。これも修行だ・・・」


そう言いながら、火の消えた煙管に、新しい葉を摘め変えた。


目を開くと、そこは暗い部屋の中だった。


部屋の中央には、大きな姿見が一つ置かれている。


その姿見を覗き込むと、私の姿が映し出される。


「・・・今は、一人にしてほしかったな・・・」


姿見に向かって、そう呟く。


不思議な事に、映し出されているはずの私の口は、動くことなく結ばれていた。


『・・・今だからこそ、我は汝を呼んだのだ・・・』


そう言って、姿見の中の私が、私の意志に反して口を開いた。


「・・・そっか・・・」


そう答えて、私は姿見の前で、膝を抱えて座り込んだ。


姿見の中の私も、私と同じ目線になる様に正座して、私を見つめてくる。


「ねぇ金華龍・・・私・・・間違ってるのかな・・・」


姿見の中の私・・・金華龍に、私は、思った事を聞いてみた。


『・・・我は前に言ったはずだ・・・何が正しく、何が間違っているのかは・・・汝自信が決められよと・・・その問いに、我は答える事は出来ぬ。』


「・・・みんな・・・私を突き放すんだね・・・クロも、何にも言ってくれなかったし・・・」


『・・・ならば、我から問おう・・・汝の力・・・我の力を振るう時・・・汝は何がしたかった?』


「え・・・?」


そう聞かれ、私は暫く考えてみる。


「・・・護りたい・・・って思ったからかな・・・」


『左様か・・・ならば、何故そう思った?』


「・・・そう言うのに、理由なんて要るの?」


変な質問をしてくる金華龍に、私はジト目で金華龍を見据える。


でも金華龍は、私の視線などお構いなしに、目を瞑って上を見上げている。


『・・・我はそう思わぬ・・・この世の事柄には、何かしら『動機』が存在する・・・そしてその『動機』は、多様に枝分かれしていると、我は思う・・・』


「『動機』・・・?」


『我を例にするならば・・・我が今存在すると言う事は、我が汝と歩みたいと思えばこそ・・・何故そう思うのかと言えば、我は我の心に平穏を欲しているからこそ・・・何故欲するのかと言えば、人の心が、こうも我に平穏を与える物だと知らなかったからこそ・・・何故知らなかったのかと言えば・・・』


「ちょ、ちょっと待って・・・頭がこんがらがりそう・・・」


自分でも情けないと思いながらも、そう言って金華龍の言葉を遮る。


『・・・左様か。』


それに対して金華龍は、怒った素振りも見せず、そう答えて話を中断してくれた。


『我の『動機』は、なにも一本の線ではない。雄大にそびえ立つ樹木の様に、多種多様に枝分かれしている・・・だが、どんなに雄大な樹木でも、幹は一本也・・・それは、その者の『本質』也。』


「その人の性格って事?」


『・・・そうとも言えよう・・・そしてその『本質』は、自身を表す物・・・そして『動機』もまた、自身が選択した事・・・後悔する事無かれ・・・』


「・・・後悔?」


金華龍の言葉を聞いて、さっき師匠に言われた言葉を思い出す。


・・・確かに私は・・・一時的な感情で、強くなりたいって思っていたのかもしれない・・・


誰かの為に強くなったところで、結局その力は私自身の力。


その力を、何の為に使うのかを決めるのも、私が決める事。


『汝自身の世界は・・・汝自身が成り立ち、初めて広がる・・・何が正しく、何が間違っているのかは、汝自身が決められよ・・・汝の答えは、汝自身の為にある・・・』


「・・・うん・・・ありがとう、金華龍。」


そう呟いて、金華龍に笑いかける。


そして金華龍も、私に向かって優しく微笑んでくれた。


「ん・・・」


まだ辺りが薄暗い早朝、眠い目を擦りながら身を起こす。


もうすぐ春とはいえ、朝方と夜はさすがに寒い。


寝る時に、体に掛けた羽織を着込むと、囲炉裏にくべる薪を取ってくるべく、立ち上がった。


「・・・うん?」


そこで初めて、聖とクロの姿が無い事に気がつく。


もお起きているのか・・・


なんとはなしに、そんな事を考えながら、俺は薪を取りに、外へと向かった。


ガララ・・・


「・・・うん?」


戸を開けた俺が、最初に見た物は、日の出を見つめる少女と、その少女の隣で座っている巨大な狼の姿だった。


「・・・何してんだ?」


二人に近づき、そう言って声を掛けた。


「朝焼けが・・・とっても綺麗だなって思って・・・」


そう言って、振り返る事無く答えてくる聖。


「ここが・・・師匠の始まりの場所なんですよね・・・」


「・・・そうかもな。」


俺が質問に答えると、そこでようやく振り返ってくる聖。


「じゃあ私も、ここから始まろうと思います。」


「・・・そうか。なら聞こう・・・おまえは、何の為に強くなる?」


昨日と同じ質問を聖に投げかける。


聖は、ゆっくりと目をつむり、深く深呼吸してから、またゆっくりと目を開いて、俺を見据える。


「私は・・・何も出来なかった自分を変える為に、強くなりたいです。」


「ならその力で、おまえは何をする?」


「護りたい・・・そう想える人の為に。」


怖じ気づく事無く、真っ直ぐ俺を見据えて、答えてくる聖。


そんな聖に俺は背を向けて、薪を取りに行く為歩き出した。


「・・・ちゃんと飯を食っておけ。泣き言は聞かないからな。」


「はい!」


元気に返事をしてくる聖。


・・・それがおまえの答えか・・・


そんな事を考えながら、笑っている自分に気がつき、自嘲気味に苦笑する。


「あの・・・私からも質問良いですか?」


「・・・なんだ?」


呼び止められて、その場で足を止めて、肩越しに振り返る。


「師匠は、何の為に力を振るうんですか?」


それはさっき、聖に問いかけた質問。


まさか聖に、そんな事を聞かれるとは夢にも思わず、苦笑しながら振り返った。


「俺は・・・俺の信じる信念の為に行動する。ただそれだけさ・・・」


そう答えて、また聖に背中を向けて、歩き出した。

風吹き抜ける、夜の小高い丘の上。


むき出しの岩の上に座り、月を眺めている小柄な流浪人の姿があった。


月に照らし出され、煌めきながら、外に大きく跳ねた真紅の髪。


華奢な体つきに、やや大きめの服。


腰には、流浪人の背丈ほどは有りそうな長刀。


何ともちぐはぐな格好をした流浪人は、何をするでも無く、月を眺めていた。


「・・・待たせたな。」


どこからともなく男の声が聞こえ、流浪人が振り返る。


だがそこに、男の姿は無く、流浪人の顔だけが、月に照らし出された。


その流浪人の顔は、まだ幼さの残る顔立ちの少女だった。


「・・・調子はどうだ?」


そう言って少女は、姿無き男の声に声を掛ける。


「すこぶる良いぜ。」


「そうか、それは良かった。」


そう少女が言うと、空から男が一人降りてくる。


胸元の開いた異国の衣装を着込んだ、青い髪の男。


背中から、猛禽類を思わせる翼が突き出ている。


開かれた胸元には、刀で斬りつけられた様な、真一文字の痣があった。


「それで、何故俺を呼んだ?世間話をする為でもないだろう。」


そう男が言うと、背中から飛び出た翼が、男の体の中へと潜っていった。


「半年前に西洋から連れてきた、サキュバスの事を覚えているか?」


「あぁ、あの厚化粧か。奴がどうした?」


「彼女の反応が消えた。恐らく死んだのだろう。」


「・・・成る程、そう言う事か。つまり俺に、探ってこい・・・と。」


「まぁそう言う事だ。話が早くて助かるよ。」


そう言って、少女は苦笑してみせる。


「・・・良いぜ。あれ程の魔物を殺せる奴だ・・・少なからず興味も沸く。おまえが何か、俺に隠し事をしている事にも、興味が沸くしな。」


男は、少し考えた末に、そう言って少女に背中を向けた。


「フッ・・・隠し事など何もないさ。」


そう言ってくる少女に、男は肩越しに振り返る。


「そうかな?あんたの性格なら、自分で確かめに行くだろう・・・誰が殺ったのか、見当が付いてるんじゃないのか?」


「さぁな・・・」


「・・・まぁ良いさ。あんたが俺の物に成るのなら、俺は何だってするさ。サキュウバスを殺った奴を喰って、更に力を手に入れる・・・そしたら次は、あんたさ・・・」


「俺の初めての男に為りたいのなら、もっと男を磨きな。」


「フン、そう言う台詞は、寝間着姿で言って貰いたいな。で、場所はどこだ?」


「愛鷹連峰だ。」


「・・・判った。」


男はそう呟くと同時、背中からまた翼が生えてくる。


生えてきた翼を広げ、大きく羽ばたかせると、男は空へと舞い上がっていった。


「・・・宜しいので?」


「彼者では無く、我等にお任せいただければ・・・」


男が空へと舞い上がり、暫くして、双頭の白い狐が、少女の元へと歩いてくる。


二つの頭からは、それぞれ違う言葉を発し、体よりも長く、先端が鋭い尻尾が、踊るように揺れている。


「あぁ・・・彼で良いんだよ。あの程度の男に殺られる様なら、今まで俺が待っていた意味が無い。」


「それではやはり・・・」


「夢魔を葬った者は・・・」


「・・・恐らく宝仙だろう・・・サキュバスが巣を作っていた愛鷹山は、俺と宝仙の始まりの場所だからな。」


「では統べる者は、最初からそれが狙いで夢魔を・・・」


双頭の狐がそう聞くと、少女は自嘲気味に苦笑を浮かべる。


「まさか・・・単なる偶然さ。彼女が勝手に、あそこに巣を作った・・・それが解っていながら、俺は何も言わなかった・・・単なる偶然さ。」


「左様で・・・」


「しかし、真に彼様な者で、宜しかったので?」


「我等ならば、統べる者のご期待に、十二分にお応え出来ましょう・・・」


その言葉を聞いて、少女の顔がきつくなる。


「・・・宝仙を甘く見るな。彼は俺が認めた唯一の人間だ。彼は不可能すらねじ伏せる、強靱な精神力を持っている。でなければ、俺の力を跳ね返すなど、出来るものか。」


「・・・出過ぎた申し出でした。」


少女の放つ殺気に怯んだ双頭の狐が、及び腰になりながら、そう呟いた。


「判れば良い・・・それにおまえは、宝仙にではなく、例の黒い神獣に興味があるのだろう?」


「・・・お見通しで・・・」


「彼者との決着は、必ず・・・」


「フッ・・・ならもし宝仙達が、彼を退けたら、次はおまえにも活躍して貰うとしよう。」


「ありがたき幸せ・・・」


「統べる者のご期待に、必ずやお応えいたしましょう・・・」


双頭の狐の答えに、満足そうに笑いながら、男が飛び去っていった方角に目を向ける少女。


「さて・・・お楽しみは、これからだぞ・・・宝仙・・・」


聖の修行が始まってから、一週間が過ぎた。


「目に頼りすぎだ!風を切り裂く音を聞け!鈷杵の動きに体を併せろ!」


「は、はい!」


錫杖を構えた聖を中心に、俺が操る無数の鈷杵が飛び交っている。


全方位から為る、鈷杵の攻撃に、聖は翻弄されっぱなしだった。


「体の動きが堅い!余計な力を抜いて、どこから攻撃されても対処できるようにしろ!」


叫びながらも、聖の周りで飛び交っている鈷杵の操作には、気を抜かない。


聖の正面から、鈷杵を一つ聖めがけて放ち、それに聖が反応し、錫杖でたたき落とそうとした瞬間、当たる間際で動きを止めて、左方向より三つ動かす。


「クッ!」


ガン!ガン!ガン!


最初の囮に気を取られながらも、左から迫る鈷杵を、錫杖で何とかたたき落とす事に成功する。


「反応が遅い!錫杖は長い分、小回りが利かないんだ!両手で支点力点を作って、最小限の動きで対処しろ!」


「はい!」


そう言いながら、第二・第三と、攻撃の手も緩めない。


最初の二日は、基本的な型や、重心の移し方などを教えた。


それ以降は、今日の様に、実践を中心にやっている。


頭で覚えるよりも、体で覚えた方が早い上、そちらの方が実戦で役に立つし、口で説明するなら、後でも構わない。


何より、教えた事を復習するだけなら、聖一人でも出来るし、聖自身、俺に言われなくても、それをやっている。


こんな所で何ヶ月も過ごす訳にもいかないし、何より聖もそれを望んでいた。


ならば俺に出来る事は、甘やかさずに教える事のみ。


「一点を見るのではなく、全体を見透かせ!意識を周囲に集中させろ!」


普通ならば、何の訓練も無しにそんな事は出来ないのだが、今の聖は、金華龍と同調している為、きっかけさえ掴めば、それも可能だろう。


それも見越しての実践訓練なのだ。


「は、はい!」


そう叫んで、返事をしてくる聖だったが、明らかに息は上がり、疲労が目に見えている。


長時間の金華龍との意識の同調に加え、気の休まらない状況下での修行。


まだほんの少女でしかない、聖の神経がすり減ってしまうのも無理はない。


「・・・暫く休憩だ。」


そう言って、聖の周りを飛び交っている鈷杵の動きを止める。


力を失った無数の鈷杵は、重力に従い、地面に突き刺さった。


「はぁ・・・はぁ・・・は、はい・・・」


俺の言葉を聞いて、一気に体から力が抜けたのか、手にした錫杖を支えに、荒い呼吸を繰り返す聖。


もうすでに、金華龍との意識の同調も、解かれている様だった。


・・・ッ!?


不意に、悪意に満ちた視線を感じ、後ろに広がり山々を振り仰ぎ睨む。


・・・なんだ?この気配は・・・


「はぁ・・・はぁ・・・ど、どうしたんですか?」


俺の仕草を見てか、聖が声を掛けてくる。


「いや・・・なんでもない。」


顔を聖へと戻そうとした瞬間、クロと目が合い、俺はそう答えた。


クロもやはり気づいたか・・・


俺たちに向けられていた視線に、気が付いていないのは、聖だけの様だった。


金華龍との意識の同調が解かれている今では、無理もないだろう。


それに何より、今の聖は、自分の事だけを考えていれば良い。


そう思い、聖には視線の事は、話さない方が良いと判断した。


「あれ?クロ、どこ行くの?」


聖の言葉に視線を向けると、森の方へと歩いていくクロの姿が目に映った。


・・・おまえが行くか・・・なら俺は、俺の事をするか。


「・・・何もする事が無いんだ。散歩くらい自由にさせてやれよ・・・時間の許す限り・・・な。」


そう言いながら、地面に突き刺さった鈷杵を回収する。


気が付けば、俺たちに向けられていた視線は、感じなくなっていた。


「・・・もう少ししたら、再開するぞ。次はおまえが攻撃する番だ。」


「え・・・?あ、はい!」


今まで、クロの去って行った方を見つめていた聖が、俺の言葉で我に返った。


おまえに限って、万が一なんて事は無いだろうが・・・気をつけろよな・・・


そう思いながら、もう一度クロが去って行った方角に目を向けた。


山の山頂から、沈みゆく夕日が見え始めた頃、黒炎は男と出会った。


「まさか・・・月狼族の生き残りが、まだ居たとはな・・・」


胸元の開いた異国の装束を着た、青い髪の男が、黒炎に向かって声を掛けた。


開かれた胸元には、刀で斬りつけられたかの様な、真一文字の痣が浮かんでいる。


「貴様・・・何者だ?何故我が一族の事を知っている・・・」


男の言葉を聞いた黒炎は、臨戦態勢を取ると、油断無く男を威嚇する。


「何故・・・か。そうだな・・・ちょうど二年前、滅びたと思っていた月狼族の女戦士を喰ったから・・・かな。」


「二年前・・・だと?」


それは、黒炎が死の淵を彷徨っていた所を、聖に救われた時期と一致していた。


「クッ・・・クク・・・期待以上の反応だな・・・やはりか・・・おまえを見た時から、何となくそんな気がしてたんだ。」


黒炎の反応を見て、楽しそうに笑っている男。


「貴様・・・」


「あの女は言っていたよ・・・お腹を空かせたヤヤが、帰りを待って居るってな・・・そうか・・・おまえ、あの女戦士の息子か。運命とは・・・皮肉な物だな。」


その言葉を聞いて、黒炎の炎を思わせる毛並みが、黒い炎へと変わる。


「なんだ・・・怒ったのか?良い反応だ。」


「・・・違うな・・・」


「・・・何?」


「我は・・・顔も覚えていない母の事で、貴様に怒りを感じているのでは無い・・・」


「なら、何を怒っている?」


「別に・・・怒ってなどいない・・・ただ我は、貴様を過小評価しない・・・」


男と出会った瞬間から、この男との戦闘は避けられないと、黒炎は悟っていた。


男の黒炎を見る目つきが、まるで腹の空かせた獣の目。


男にとって黒炎は、餌でしかないと、感じ取っていた。


「そうか・・・まぁ良いさ。所で、話は変わるが・・・サキュバスを殺ったのは、おまえか?」


それは一週間前に、黒炎達が出会った、異国の妖怪だった。


「貴様・・・奴の仲間か?」


「知っている・・・と言う事は、当たりか。仲間・・・か・・・そうだとも言えるし、そうで無いとも言えるな。まぁ何にせよ、用件は済んだな。」


そう言って男は、懐に手を突っ込み、何かを握りしめながら出す。


「あの妖を葬ったのは・・・我では無い・・・」


「・・・そうか・・・では、おまえの仲間の誰か・・・か。まぁ良い・・・とりあえずは、目の前の馳走から戴くとしよう・・・」


そう男が呟くと、握りしめた手を開き、掌を地面へと向ける。


その男の掌から、地面へと落ちていく、小さな無数の玉。


「さて・・・おまえは、どこまで保つかな?」


ボコ・・・ボコボコ・・・


無数の玉が、地面へと落ちた瞬間、その玉の周りに、土がまとわり始める。


それが人や動物の姿を形成し、数十体の土人形が現れた。


「先に言っておこう・・・おまえの母は、強かったぞ・・・」


男はそう言うと、少し離れた場所へと移動する。


「・・・そうか・・・」


そう呟いて黒炎は、土人形達に向かって、駆け出した。


「遅いなぁクロ・・・」


囲炉裏の炎を見つめながら、考えていた事を呟いた。


囲炉裏の周りには、近くの川で捕ってきたお魚が、香ばしい匂いを漂わせながら、串に刺さっている。


今日の修行が終わり、私たちは、山小屋へと戻ってきていた。


けどクロは、昼間森の方へ歩いて行ったきり、まだ戻ってこないままだった。


師匠は、すぐ戻ってくるって言っていたけど、なんだかすごく気になっていた。


「・・・食わないのか?」


「・・・え?」


「焦げるぞ・・・」


炎を見つめながら、ボーっと考えていた私は、師匠の言葉で我に返った。


「あっ!!」


師匠が言う様に、私の分のお魚は、皮が真っ黒になっていた。


「アツッ!!」


慌ててお魚を刺していた串に手を伸ばすけど、あまりにも熱すぎて、素手で掴めなかった。


「ったく、何やってんだよ・・・」


呆れた風に師匠がそう言うと、私の分を簡単に素手で掴んで、お皿に載せてくれる。


「・・・何考えてた?」


お皿を手渡されながら、師匠に聞かれる。


「・・・クロ・・・遅いなって・・・」


「・・・心配か?」


「それはそうですよ・・・だってクロは、私の大事な友達だから・・・」


「友達・・・か。」


師匠がそう呟くのを聞きながら、焦げたお魚の皮を、綺麗に除けながら、身を食べる。


「あいつなら大丈夫さ・・・あいつは強い。何かあっても、必ずおまえの元に帰ってくるさ。」


「はい・・・あの・・・」


師匠の言葉に頷きながら、ここ一週間で思った事を聞いてみようと、口を開く。


「うん?」


「強さって・・・どういう事なんでしょうか・・・」


「・・・強さ・・・か。」


私の質問に、師匠は真剣な表情で、呟いた。


「・・・解らなくなったんです・・・どういうのが、本当に強いっていう事なのか・・・変な質問ですよね・・・」


「・・・いや、そうでもないさ。誰もが・・・力を求めた時点で、その疑問にぶち当たる物さ。力と強さは、一見同じに見えても、全く異質だからな。考えなければ簡単だ・・・だが、考えて答えを出す事に意味がある。だからおまえは、間違っちゃいないさ。」


「そうなんですか?」


「あぁ・・・強さの定義なんざ、人それぞれだ。力こそ強さ・・・っと言う奴も居れば、死を恐れない事・・・と言う奴も居る。だからおまえも考えろ。」


「師匠は・・・」


「うん?」


「師匠は、どういう事が強いって思うんですか?」


「俺・・・か。」


師匠はそう呟いて、目を瞑って何か考えている。


「・・・俺にそれを語る資格があるのか・・・はなはだ疑問だが、敢えて言うなら・・・・『純粋な心』・・・かな。」


「純粋・・・?」


「そうだ・・・どんな想いでも良い、誰かを護りたいでも、誰かを殺したいでも・・・生への渇望でも、死への希望でも・・・な。」


「・・・よく・・・解らないです。」


私がそう呟くと、師匠は苦笑しながら、懐から箱を取り出した。


「例えば・・・俺と全く同じ人間が、もう一人居たとする・・・もし俺がそいつと戦ったら、どっちが勝つと思う?」


師匠はそう言うと、箱から煙管を取り出し、慣れた手つきで葉に火を付けている。


「・・・勝負なんか着かないんじゃないんですか?」


暫く考えた私は、師匠の質問に、そう答えた。


「そうだな、それが正しいとも言える・・・だが、そこで決め手と成るのは・・・ココだ。」


そう言って、師匠は胸を親指で叩いている。


「生と死の境目・・・そこに一歩踏み出す事が出来るか否か・・・・」


「どういう事ですか?」


「どんな想いでも良い・・・自分の力の使い道を、信じ抜いた者だけが、その一歩を踏み出せる・・・だが少しでも疑念が有れば、話は別だ・・・その疑念が頭をよぎり、迷いに足が竦む。」


「それが・・・純粋・・・」


「あぁ・・・だから俺は、クロ・・・いや、黒炎は・・・誰よりも強いと思っている・・・」


グシャッ!!


最後の土人形を、前足で踏み潰し、黒炎は男を威嚇する。


「さすがは月読を守護する一族だな・・・護るべき者が居なくなった今でも、これ程とはな・・・」


「・・・カビの生えた言い伝えだな・・・それを真に受ける程、我は暇では無い・・・」


「フッ・・・あの女と同じ事を言うんだな・・・しかし理解できんな・・・何故擬人化しない?何故真の姿で戦わない・・・俺を見くびっているのか?」


男の言葉に、黒炎は何も言い返そうとはしなかった。


「・・・そうか・・・しないのでは無く、出来ないのか・・・残念だよ。」


「・・・見くびってなど居ない・・・確かに貴様は強いだろう・・・だがそれだけだ。貴様からは、あの男の様な恐怖を感じない・・・ただ強いだけだ・・・」


「あの男・・・おまえと一緒に居た、あの人間達の事か?確かにあの男からは、強い霊気を感じた・・・戦ってみたいな。」


そう言って、男は嬉しそうに笑い出す。


「あまり俺の後ろ髪を引く様な事を言うな・・・一応これでも、人間には手を出すなと言われてるんでね・・・」


「・・・言われているだと?」


男の言葉の語尾に、引っかかる物を感じた黒炎が、そう呟く。


しかし男は、それには答えず、微笑を浮かべながら目を瞑った。


「しかし、あの娘は別だ・・・あの娘から、僅かながら鬼気を感じた・・・その身に鬼を宿している様だな・・・」


その男の言葉に、黒炎の黒い炎と化した体毛の勢いが、僅かながら増し始める。


「おまえを喰った後、あの娘に宿った鬼も戴く・・・そして俺は、更に強くなる・・・」


目を見開き、嬉しそうに語る男の瞳には、狂気の炎が宿っていた。


「・・・傲るなよ・・・人間。」


「・・・何?」


黒炎の漏らした呟きに、男は殺気を込めて黒炎を睨む。


「・・・どういう理屈かは知らんが・・・貴様からは、人間の匂いがする・・・そしてその力への執着心・・・明らかに人間の業・・・」


静かに語る黒炎に対し、男は口を歪めて笑顔を作る。


「良い嗅覚をしているな・・・さすがは犬だ・・・そうだ、俺は元人間だった・・・だが今は違う!人間でありながら、魔物を喰らい、その力を手に入れた!そして・・・人間を超え、魔物すら凌駕する存在へと進化した。」


「・・・貴様の目的は何だ?」


その言葉に、男は大仰に両手を広げ、天を仰ぐ。


男の背中が、異様に膨れあがったかと思えば、その背中からは、猛禽類を思わせる翼が生えてくる。


「人間を超え、魔物を凌駕した存在・・・それが何だか解るか?」


そう言いながら、男は背中から生えた翼を、大きく羽ばたかせ、宙に浮き始める。


「答えは『神』・・・俺は、この世でもっとも神に近い女を娶り、俺もまた神に成る!」


「・・・くだらんな。この程度の男に、母は敗れたのか・・・」


「くだらんか・・・言ってくれるな。あの女は強かったぞ・・・だが、真の姿にも成れない未熟なおまえが・・・あの女より強いというのか?」


そう言って、男は文字通り、空から黒炎を見下していた。


「・・・違うな。」


しかし黒炎は、そんな男を全く意に介していない様子で、そう呟いた。


「成れない・・・のでは無く、成らないだけだ・・・そんなに我の神化が見たいのならば、見せてやろう・・・後悔するなよ・・・人間。」


「面白い冗談だな・・・ならば、なんで今まで成らなかったんだ?何故今頃になって、本気を出す?」


「・・・成らなかった理由に、答えるつもりは無い・・・だが貴様は、言ってはならない言葉を言った・・・」


そう言うと同時に、黒い炎の勢いが更に増し、黒炎の姿を隠す程の業火へと変貌する。


「我が主に危害を加えると言うのであれば・・・何人で在ろうと、駆逐する・・・我が名は黒炎・・・黒き炎と為りて、我が主、聖殿を守護する者也!」


「あいつは純粋だ・・・おまえの為なら、あいつは自分の命すら、投げ出すだろう・・・」


そう言う師匠に、私の中で渦巻いている不安が、より一層大きくなった。


「私・・・そんなの望んで無いのに・・・私は、クロの友達で居たいのに・・・私の事を、名前で呼んでくれない・・・私を護る為に、傷つきながら戦ってくれる・・・けど、間違ってる気がするんです。」


「・・・野性に還る選択肢が在るにも関わらず、おまえと共に行動する事を選んだ。黒炎にとっておまえは、『誇り』なんだよ・・・そしてその誇りを護る為に、あいつは戦うんだ。」


「私・・・そんな立派じゃないのに・・・」


私は俯きながら、そう呟いた。


「・・・おまえが優しい奴だからさ。」


「え?」


師匠の言葉に、俯いていた顔を上げて、師匠を見つめる。


「他人の痛みを、自分の痛みの様に感じ、誰かの為に涙を流せる・・・例えそれが妖怪であっても、変わらないその優しさ・・・優しすぎるそのおまえの性格に、黒炎も金華龍も惹かれている・・・だから黒炎は、おまえを護る事に誇りを持ち、金華龍もまた、おまえの気持ちを理解しようとする・・・」


「でも私・・・」


「別におまえに、割り切れなんて言わないさ・・・ただ、黒炎の考えを否定すると言う事は・・・黒炎の今までを否定するって言う事だ。」


そう言って、師匠は火の消えた煙管の葉を捨てると、箱に戻し始める。


「・・・今もまた、黒炎はおまえの為に戦っている・・・」


「・・・え?!」


突然の言葉に、私の頭の中が、真っ白になっていった。


「おまえの決意を、誰にも邪魔させない為、あいつは一人で行ったよ・・・」


「な、なんで・・・」


淡々と語る師匠に、私の中で沸々と怒りがこみ上げてくる。


「なんで!今まで言ってくれなかったんですか?!」


勢いに任せて立ち上がり、そのまま師匠に向かって叫んだ。


「あいつが・・・選んだ事だ・・・」


「ッ!!」


師匠が言い終わるのを待たず、山小屋の戸に向かって、走り出す。


「おまえは何の為に行く?あいつを信じてやらないのか?」


「ッ?!」


その言葉を聞いて、戸に掛けた手が止まってしまう。


「あいつは何も言わずに行ったんだ・・・さっき言ったよな、他者の考えを否定すると言う事は・・・存在自体を否定すると言う事だ。」


「けど・・・けど!」


「あいつは・・・野生の誇りを捨てて、おまえと一緒に行動しているんだ・・・この上、あいつからおまえを護る誇りまで、奪うつもりか?時に、命よりも誇りを護らなければならない事がある・・・今おまえが、あいつを助けに行ったら、黒炎が傷付くとは思わないのか・・・信じてやれないのか、黒炎の事を!」


背中越しに聞こえてくる、師匠の叫びが、酷く痛かった。


けど・・・それでも私は・・・


「そんなの・・・そんなの関係無い!私は・・・私は、誰かの犠牲の上に成り立つ平和なんて・・・そんなの望んでない!」


そう叫んで、後ろを振り向いて、師匠を睨む。


「私の気持ちはどうなるんですか!私の大事な友達に・・・危険が迫ってる・・・それを見過ごせって言うんですか?!私は、私が力を欲しいって思ったのは、大事な人を護りたいからです!」


カッ!!


そう叫ぶと同時に、私の左の方から、目映い光を発している物が、目に飛び込んできた。


「な、何?!」


「・・・ようやく認められた様だな。全く・・・世話の焼ける事だ。」


次第に光が小さくなっていき、ようやくその光の元が何なのか解った。


それは、私の左耳に付けられた、師匠から貰った耳飾りだった。


「これって・・・」


そう呟いて、耳飾りを外して、手に持ってみる。


貰った時には、こんな文字なんて無かったのに・・・


小さな玉が付いている、その耳飾りの玉の部分に、貰った時には刻まれていなかった筈の、梵字が浮かび上がっていた。


「八大明王珠が一つ・・・孔雀明王『綾』の証だ。」


「え?」


孔雀明王珠・・・これが?


「そいつは、他の明王珠と違って、使い主を選ぶ上、使い手は女でなければならない・・・おまえならと思って渡したが・・・全く・・・二ヶ月以上経つというのに、ようやくか・・・」


「え?え??」


状況に着いていけない私は、師匠と耳飾りを交互に見つめる。


「・・・いつまで惚けてるんだよ。行くんじゃなかったのか?」


そう言いながら、師匠は立ち上がった。


「え?え~っと・・・どこにですか?」


私の質問に、師匠は呆れた様にため息を吐いて、頭を掻いている。


「クロの所にだよ。」


「え?で、でも・・・」


ようやく状況が飲み込めてきた私の前で、師匠が言ってくるけど、さっきまでと言っている事が違っていた。


「・・・何度も言ってるんだがな・・・他者の考えを否定するって事は、存在すら否定する事だ。何もおまえが、俺やクロと同じ考えで在る必要なんて無いんだ。おまえは、おまえが正しいと思った事をすれば良い。」


「・・・え?」


「答えは、人の数だけ存在するって言う事さ。」


そう言って、師匠が私の頭の上に手を載せてくる。


そして笑いながら、私の頭を軽く叩いてくる。


「後はおまえと、クロが一緒に考えて、これからどうすれば良いのか・・・その答えを見つければ良い。」


「あ・・・はい!」


「クロよ・・・話しがある・・・」


その言葉を聞いて、クロは振り返った。


そこには、気の良さそうな老人が座っていた。


その頭には毛は無く、白く長い髭が印象的な、何処にでも居そうな老人だった。


ただ一つ、人と異なる所が有るとするならば、その額に黒い石が埋め込まれている所だった。


「翁・・・話しとは?」


「クロよ・・・お主と共に暮らす様になって、もう一年が過ぎた・・・早いものじゃ・・・この一年、お主は見違える程、強くなった・・・そろそろ頃合いじゃろうと、思っての。」


そう言って翁は、懐から何かを取り出し、差し伸べてくる。


「これは・・・お主達の一族が、古来より護り続けていた物じゃ・・・」


それは、小さな真紅の勾玉だった。


不思議な事に、その勾玉は、ぼんやりと赤い光を放っていた。


あたかも、勾玉自体が息づいている様な、今にも消え入りそうな、淡く儚い光だった。


「その昔・・・遠い遠い昔じゃ・・・人と妖怪の間に、激しい戦が起こった・・・人は、妖怪の持つ力を求めて・・・妖怪は、森と大地を取り返し、人間を排除する為・・・それは、長い長い戦いじゃった・・・人と妖怪の力の差は、歴然じゃ・・・じゃが人には知恵がある・・・戦に関して言えば、人間の方が一日の長じゃった。そんな時じゃ・・・」


そう言って翁は、自分の手にした勾玉に、視線を向ける。


「当時のお主達一族の長が、儂にこれを預けに来た・・・人間にこれを渡す訳にはゆかぬ・・・これを、後の子孫に、渡して欲しいと・・・」


「・・・それで、その長はどうなったのですか?」


クロの言葉を聞いて、翁は目を伏せる。


「・・・みんな・・・死んでしまった・・・悲しい事じゃ・・・昔は多く居た、十二支を象る神獣の一族も・・・今では数えるだけに為ってしまった・・・そして、その一族も・・・時代と共に、滅びゆく定め・・・」


そう呟いて翁は、目を開き、クロを見つめる。


「これは・・・今にお主に必要になる・・・じゃが、これを使うも使わぬも、お主次第じゃ・・・」


「・・・どういう意味ですか?」


「これは・・・お主の力・・・特に、神化した時の力を、極限まで高める・・・絶大な力は、諸刃の剣じゃ・・・何かを手に入れる為には、代償を支払わなければならぬ・・・それが、この世の理じゃ・・・」


「つまり・・・これは我が命を削る・・・と?」


翁の言わんとしている事を、先に読んだクロが、そう呟いた。


「・・・そうじゃ・・・じゃから代々、この勾玉は、使われる事無く、封印されてきた・・・じゃが、何の因果か・・・お主には、これが必要になる時が来る・・・」


「それは・・・その時と言うのは、あの娘の為ですか?」


クロの言うあの娘とは、クロが死にかけていた時に、救ってくれた人間の少女の事だった。


「・・・そうじゃ・・・じゃがこれを身に宿せば・・・お主は、自由に神化が出来なくなる・・・それでもお主は・・・これを求めるか?」


翁の言葉を、クロは黙って聞いていた。


何かを言うでもなく、ただジッと、翁の掌に有る勾玉を見つめていた。


「・・・翁・・・あなたのその第三の眼は、心すら覗ける・・・我が言わずとも、我が答え・・・解っている筈だ。」


そうクロが呟くと、クロの体が光始め、獣の姿から、人の姿へと変わっていく。


光が収まるとそこには、浅黒い肌の青年が立っていた。


黒い髪、真紅の瞳、浅黒い肌。


頭には、犬の耳が飛び出し、尻には、ふさふさとした尻尾が垂れている。


「俺は・・・あの娘に助けられなければ、すでに死んでいた身だ・・・あの娘の為なら、この命・・・惜しくは無い。」


そう言って、青年と化したクロは、翁の掌から勾玉を受け取る。


「俺は・・・あの娘への『義』を通す・・・通し続ける・・・そしてそれを誇りとし、誇りを護る為に戦う。この身が滅びる、その時まで・・・」


「・・・ならば、お主は今日より、黒炎と名乗れ。」


「黒炎?」


「そうじゃ・・・お主の力と同じ名前じゃ・・・それを受け継ぎし者が、代々受け継ぐ称号じゃ。」


それを聞いたクロは、受け取った勾玉を強く握りしめ、天高らかに掲げる。


「天よ知れ、地よ轟け!俺の名は黒炎!黒き炎と成りて・・・我が主、聖を守護する者也!」


天高らかに叫んだクロは、掲げた腕を、胸元へと押しつける。


「うおおぉぉぉーっ!!」


獣の咆吼に似た叫びに併せ、クロの周りに、渦を巻きながら現れる黒い炎。


そして、クロの体にも変化が起きる。


浅黒い肌に亀裂が走り、その亀裂が広がると、黒い入れ墨を思わせる痣が浮かび上がる。


顔にもその痣が浮かび上がり、額には月を表す紋章が刻まれる。


やがて、クロの周りに渦巻いていた黒い炎が、寄せ合う様に形を成し始めていた。


黒炎を包んでいた業火が爆ぜると、そこに一人の青年が立っていた。


黒い髪、真紅の瞳、浅黒い肌。


頭には、犬の耳が飛び出し、尻には、ふさふさとした尻尾が垂れている。


体中に、黒い痣が刻まれ、額に月を表す紋章が浮かび上がる。


それと同時に、爆ぜた炎が、一点に集まり始め、次第に槍の形を成し始める。


それを手に取り、矛先を男に向けて、青年は槍を構える。


「『月をも穿つ漆黒の牙』・・・黒月牙・・・これが、俺の真の姿だ。」


青年と化し、槍を構えた黒炎が、男に向かって呟いた。


「月をも穿つ・・・か。大層な槍だな・・・」


そう答えると男は、近くの木の枝の上に着地する。


すると、男の右手に水が現れ、それが蛇の様に男の腕に巻き付く。


「ならば俺も、それ相応の力で応えよう・・・」


男がそう呟くと、今度は男の背中に生えた翼が、黒い炎の翼へと変わる。


「この炎が解るか?・・・おまえの母親を喰って、手に入れた黒焔だ。」


男が冷笑を浮かべながらに、そう呟くと、今度は左の掌に光が集まり始める。


「波ッ!!」


男が左腕を、黒炎へと突き出すと、掌に集まった光が迸り、一条の矢と成り黒炎を襲う。


ドコォン!!


光の矢が当たる瞬間、黒炎は後方に天高く跳んで、矢を避ける。


目標を失った矢は、風を切り裂き、地面に突き刺さった瞬間、轟音と共に爆発した。


すかさず黒炎は、空中で体を回転させると、後ろにそびえ立つ木を蹴り、男目掛けて跳躍する。


それを予想していた男は、翼を大きく羽ばたかせる。


すると、黒い炎と化した翼から、燃えさかる黒い羽根が、黒炎目掛けて飛び出した。


黒炎は、手にした黒月牙を、眼前に構え直し、回転させて羽根を蹴散らす。


羽根を全て叩き落とした黒炎は、黒月槍を一気に絞り込み、男目掛けて突き出す。


「牙ッ!!」


ボッ!!


向かい風を物ともしない、神速の突きに、空気が悲鳴を上げる。


まともに受けるのは危険と判断した男は、枝を蹴って上空へと避難する。


一瞬遅れて、先ほどまで男が立っていた場所に、黒月牙の衝撃波が、風を切り裂きながら通り過ぎる。


衝撃波の通り過ぎた後には、枝に生い茂っていた葉は全て吹き飛び、触れていないはずの幹を抉る。


「・・・チッ。」


黒炎は、軽く舌打ちすると、また体を回転させ、手頃な枝を足がかりに、上空に逃げた男を追撃する為、枝を蹴って跳躍する。


「空中戦では、俺の方が有利だぞ!」


そう叫んだ男は、黒炎目掛けて急降下する。


それを眼にした黒炎は、先ほどと同じように、黒月牙を引き絞る。


男もまた、それに呼応するかの様に、水が渦巻く右腕を引き絞る。


「波ッ!!」


「牙ッ!!」


男の右腕と、黒炎の黒月牙が交錯する瞬間、目映い光が迸り、それが消えた瞬間、男の右腕が黒炎の体に深々と突き刺さっていた。


「・・・チィ!」


絶対有利の状況にも関わらず、男は苦々しく舌打ちする。


次の瞬間、黒炎の姿が揺らぎ、黒い炎が四散する。


「黒焔で作った・・・分身だと?!・・・ッ!!」


黒焔が完全に消え去った後に、男が眼にした物は、獣の姿に戻った黒炎が、男目掛けて迫ってくる光景だった。


「ガアアアァァァーッ!!」


ブツリ・・・


咆吼を轟かせながら、黒炎は、男の胸元の痣に、深々と牙を突き立て、胸を食いちぎった。


「グッ・・・お、おのれ・・・」


痛みを堪えながらも、男は反撃しようと、身をよじる。


だが、それをさせまいと黒炎は、地面に向かって、男を力の限り蹴り落とした。


「ウオオォォォーッ!!」


ドゴンッ!!


落下の衝撃で、男の体は、轟音と共に、地面にめり込んだ。


少し遅れ、黒炎も着地する。


「く・・・くそ・・・何故だ・・・力が・・・力が抜けていく・・・」


男は、そう言いながら、めり込んだ体を起こそうとしている。


だがその動きは弱々しく、体に力が入っている気配はなかった。


「プッ!・・・やはり、その胸の痣が、力の源だったか・・・」


男の胸の肉を吐き捨てた黒炎が、男の抉れた胸を見つめながら、そう呟いた。


「その痣が、貴様の言う『喰う』為の口だった様だな・・・」


「ば・・・馬鹿な・・・俺は・・・神に・・・成る男だぞ・・・こんな所で・・・終わるものか・・・ッ!!」


そう言って、男は最後の力を振り絞って、体を起こそうとしている。


「・・・貴様は、神などでは無い・・・神だ何だと粋がっている・・・力に溺れた、ただの人間だ・・・」


「ッ?!・・・フッ・・・フフフ・・・フハハハハハ・・・」


黒炎の呟きに、男は急に笑い出すと、少し持ち上がった体を、また地面に横たえた。


「ハ・・・ハハハ・・・グッ・・・グホッガハッ!はぁ・・・はぁ・・・やはり・・・人間は、神には成れぬか・・・」


笑った拍子に、勢いよく吐血した男が、独白する様にそう呟いた。


「・・・この国に来て・・・五年・・・おまえの様な戦士に負けるので有れば・・・本望だ・・・殺せ・・・」


そう呟く男に、黒炎は背中を見せて歩き出す。


「・・・何処に・・・行く・・・とどめを刺せ・・・」


男の言葉を聞いて、黒炎は立ち止まり、振り返った。


「・・・断る・・・その傷から、妖気が流れている・・・そう長くは保たないだろう・・・あと幾ばくかの時間を、貴様が今まで喰らって来た物達への、鎮魂に当てる・・・そして貴様は、ただの人として、この世から去れ。」


「フッ・・・フフ・・・手厳しい・・・な・・・」


「・・・それに、我には・・・貴様にとどめを刺す余力は・・・もう・・・無い・・・」


そう言って黒炎は、その場に倒れ込んだ。


「そうか・・・それが・・・おまえが擬人化しなかった・・・理由・・・か・・・」


男はそう呟くと、静かに瞼を閉じた。


それと同時に、男の体がつま先から石に変わり始めていた。


山頂付近にたどり着いた私たちは、さっきから何度も聞こえていた、すごい音が聞こえてきた場所にやってきた。


「・・・クロ!」


そこで、倒れているクロを発見した私たちは、すぐにクロの元へと駆け寄った。


「クロ・・・クロ!しっかりして!!」


目を瞑って眠っている様に動かないクロを揺さぶって、必死に呼びかける。


一瞬頭に、嫌な予感が横切り、それを否定する様に、必死に呼びかけを続ける。


それでも、クロは全く反応しなかった。


「・・・息はしている・・・死んじゃいないな・・・」


クロの口元に、耳を近づけていた師匠が、そう言ってくる。


「けど・・・このままじゃ・・・」


「・・・孔雀明王呪を使え。」


「え?」


どうすれば良いのか解らず、自問自答していた私に、師匠がそう呟いた。


「左手をクロにかざして、指で梵字を描け・・・そして、梵名を唱えて、梵字に込められた言霊を解放するんだ・・・梵名は『マハーマユーリ』」


「けど・・・急にそんな事言われても、私に出来るかどうか・・・ッ!!」


私がそう言うと、師匠は私の胸ぐらを掴んでくる。


「甘えるのもいい加減にしろ!もっと自分に自信を持て!でなけりゃ、孔雀明王珠が、ただの石ころに戻るぞ!」


そう叫んでくる師匠と、眠った様に動かないクロの顔を、交互に見つめる。


「・・・さっきの勢いはどうしたんだ・・・おまえは、クロを助けたいんじゃなかったのか?おまえの決意は、その程度の物なのか!!」


「ッ!!」


顔を師匠に戻して、私を睨んでくる師匠を、きつく見つめ返す。


師匠が胸ぐらを掴んでいた手を緩めたのを確認してから、私はクロに体を向ける。


師匠に言われたとおり、クロに左手をかざして、右の人差し指で、きっき見た梵字を、師匠がいつもやっている様に、見よう見まねで描く。


「マハーマユーリッ!!」


梵名を叫んで、梵字に込められた言霊の力を解放する。


すると、かざした左手の掌に、淡い光が現れ始める。


その淡い光からこぼれ落ちる様に、光の雫が、クロの体に降り注ぎ始める。


「孔雀明王珠の力は『癒し』だ・・・おまえにはちょうど良い力だろう・・・」


そう言って、師匠は立ち上がるのが、気配でわかった。


「聖。」


「・・・はい。」


「もっと自分に、自信を持て。自分の選んだ選択肢が、正しいと思うのであれば、胸を張って良いんだ。信じる事から、全てが始まる・・・自分の行いが、間違いだったと気付いても、後悔するな・・・今という瞬間は、その時を逃したら、もう戻らないんだ・・・後悔するよりも、今自分が何をしなければいけないのかを考えろ・・・後悔なんざ、全てが終わった後でも出来る・・・」


「・・・はい!」


私にそう語る師匠の言葉が、私の心に深く刻まれる。


もう迷わないって、決めたのに・・・全然出来てなかったな・・・私・・・


そんな事を考えていると、少し泣きたい気分になってしまった。


「・・・主・・・」


「クロ!」


私を呼ぶクロの言葉。


ようやく意識を取り戻したクロに、私は抱きついた。


「バカ・・・バカァ!またクロが居なくなったら・・・私・・・また泣くんだから!」


まだ小さな子犬だったクロが、私の腕から飛び出して、森の中へ走っていったあの時、私は泣いた。


一日中探し回って、それでも見つからなくって、三日三晩泣き続けた。


「もう・・・居なくなっちゃ嫌だよ・・・」


そう呟いて、クロにしがみつく腕に、更に力を込める。


「主・・・済まない・・・」


「私の事・・・護ってくれるのは嬉しいけど・・・クロが死んじゃったら、意味無いんだから!!」


「我は死なない・・・約束する・・・」


そう言ってくるクロに、涙を堪えながら、顔を向ける。


「じゃあ・・・私も約束する・・・クロが危ない時は、私が助けるから・・・きっと、助けるから。」


「・・・解った・・・だから、もう泣かないでくれ・・・」


「泣いてないもん・・・バカ・・・」


そう呟いて、また顔をクロの体に押しつけた。


「・・・キメラが死んだ・・・」


夜中の街道を、編み笠を目深に被り、歩いている流浪人は、不意に立ち止まると、そう呟いた。


「統べる者よ・・・本当に宜しかったので?」


「彼物は・・・統べる者が、心血注いで作り上げた、最初の成功体・・・些か惜しい気もします・・・」


流浪人の後ろに付いて、歩いていた双頭の狐が、二つの頭から、それぞれ異なる言葉を発して、立ち止まった。


「フッ・・・おまえはそればかり気にするな・・・白光・・・確かに彼は、初めての成功体だ・・・だが所詮、彼の力は紛い物だ・・・」


双頭の狐の言葉に、苦笑しながら答えると、流浪人はまた歩き出した。


そして、双頭の狐も、流浪人に付き従う様に、歩き始める。


「俺達の能力は、肉体に宿る物じゃない・・・魂の力だ。心が伴わなければ、敗れるのは当然・・・まぁ、成果は有ったんだ・・・それで十分さ。」


「しかし彼物の実力は、確かな物でした・・・」


「その彼者が敗れるという事は・・・やはり・・・」


「・・・さぁな。宝仙が今何処で何をしているか迄は、俺にだって解らんさ・・・怖いか、宝仙が?」


後ろを歩く双頭の狐を、肩越しで見やりながら、流浪人がおどけながらに聞く。


「ご冗談を・・・」


「ただ、これ以上野放しにしておくと・・・後々面倒かと・・・」


「我等の目的・・・悲願の障害に成るやもしれません・・・」


「フッ・・・解ったよ・・・次の機会が有れば、その時は必ずおまえに行って貰うよ。」


「ありがたき幸せ・・・」


「統べる者の悲願は、我等の悲願・・・必ずや・・・」


「あぁ・・・頼むよ。」


そう呟いて、流浪人と双頭の狐は、街道を西に向かって、歩いていく。


その場にいた誰一人、当の流浪人ですら、流浪人の頬を伝う、一滴の涙に、気が付く者は居なかった。


草原の片隅にある、海淵の墓を、俺はただ見つめていた。


「・・・あんたが今の俺を見たら、どう思うかな・・・自分じゃ、笑いたくなる程、滑稽だと思ってるよ・・・」


海淵の墓前に向かって、そう語りながら、自嘲気味に苦笑してみせる。


答えてくれる筈の男は、もうこの世には居ない。


それが解っていながら、俺は一人芝居を続ける。


「俺は・・・あんたみたいに、教えるのは上手じゃないんでね・・・こんなやり方しか思い浮かばないんだ・・・」


そう言って、海淵の墓から、快晴の空へと、視線を移す。


「聖には・・・随分酷い事を言っちまったな・・・悪い事をした・・・」


聖の気持ちを解っていながら、聖の思いを知っていながら、聖の性格をよく理解した上で・・・


それを逆手にとって、聖を試す様な事をした俺。


「だが・・・これで良いんだ・・・」


天に向かって呟いて、俺は目を伏せ、顔を前へと戻す。


「聖と・・・静菜の為なら・・・俺は・・・喜んで汚れ役を買おうと・・・そう決めてんだ・・・汚れは、俺だけで十分だからな・・・」


「師匠ー!出発の準備、出来ましたよー!」


呼ばれて、俺は肩越しに振り返る。


見ると遠くから、両手を振って叫んでくる聖と、その横でおとなしく座っているクロの姿。


「そろそろ行くわ・・・今度は、手土産に酒でも持ってくるよ・・・って言っても、あんたは下戸だったな・・・昔みたいに、見せびらかせながら飲むのも一興と思って、付き合ってくれや・・・」


最後にそう言って、海淵の墓を背に、その場を去ろうとする。


『・・・あなたが、弱音を吐くなんて、珍しいですね。』


ッ!!


不意に、風の音と共に、懐かしい声を耳にして、その場で振り返る。


『相変わらずあなたは、損な役ばかり買って出るのですね・・・ですが私は、そんなあなたと、共に過ごした事を、誇りに思いますよ・・・』


海淵・・・


『止水・・・あなたは、あなたの信じた道を歩みなさい・・・結果とは、その後から勝手に着いてくる物です・・・どんな結果が、あなたを待っていたとしても・・・あなたならきっと・・・乗り越えられる・・・私はそう思います。』


「し~しょ~お~!!」


『さぁ・・・行きなさい・・・あなたは、こんな所で立ち止まっている訳にはいかないのでしょう?止水・・・いえ、宝仙。あなたの大事なお弟子さんが、待っていますよ・・・』


それを最後に、懐かしい声は、風と共に去っていった。


「フッ・・・全く、歯の浮く様な台詞を、並べやがって・・・」


誰に対してでもなく、苦笑しながら毒吐いて、俺は聖の元へと向かって歩き出す。


あんたに言われるまでもないさ・・・『往ける所まで往く』・・・それが、俺の信条だ。だが・・・たまには良いだろ?


「馬鹿みたいに何度も呼んでんじゃねぇぞ馬鹿が!」


何とも変な気分に浸りながら、それを隠す様に、聖に向かって叫ぶ。


「あぁ~!馬鹿って言ったーッ!!むぅ~!だったら早く来てくださいよ!!」


俺の言葉に対し、聖は頬を膨らませながら、抗議してくる。


よく晴れた、絶好の出立日和。


俺と聖とクロの、退屈しない日常が、今日も始まろうとしていた。



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