逆縁蜘蛛之章
夜の境内に、男のすすり泣く声が響き渡る。
寺から少し外れた、母家の一室で、初老の剃髪の男が、一つの布団を前に泣いていた。
「お・・・おぉ・・・」
男の前に、敷かれた布団には、若い娘が、目を瞑って安らかに眠っている。
寝息も立てず、安らかに・・・
「・・・何故だ・・・巴・・・何故儂より先に・・・おまえが・・・クッ!」
初老の男は、言いかけた言葉を飲み込むと、正座した膝の上に置いていた両手を、強く握りしめた。
あたかもその行為は、言いかけた言葉を否定している様にも見えた。
「・・・儂は・・・これから、どうすれば良いのだ・・・巴よ・・・お務めから解放され、ようやくおまえと、一緒に暮らせたと思った矢先に・・・」
心身共に疲れ切った様子の男は、そう呟くと立ち上がる。
そして、開かれた障子から、廊下へと出ると、空に浮かぶ月を睨む。
「神よ・・・儂が何をした・・・?これが・・・これが、戒律を破った、儂への罰だというのか・・・」
言うにつれて、男の肩が戦慄き、握りしめた拳から、血が滴り始める。
「・・・こんな理不尽な事が、在るかーッ!!」
月を睨んで、男の悲痛な叫びが、辺りに響き渡った。
「・・・何もしない神なら・・・居ないと同じだと思わないか?火蛇殿・・・」
「ッ?!誰だ・・・」
不意に、聞こえてきた女の声に、男は振り返った。
「・・・おまえは・・・」
男は、聞こえてきた女の正体を知ると、驚いた様な顔で、彼女を見る。
そこには、浪人の格好をした、外に大きく跳ねた髪が印象的な、まだあどけなさの残る少女が立っていた。
その髪は、紅蓮を思い浮かばせる程、鮮やかに美しい。
その身に纏った服は、体よりもやや大き目で、腰には、少女の背丈程もある長刀を携えた、なんともちぐはぐな格好。
「・・・静菜・・・か?」
「・・・お久しぶりです、火蛇殿・・・っと言っても、俺はあなたと会うのは、初めてだがな。」
男の問いに、少女は苦笑を浮かべながら答えた。
「・・・そうか、お主が・・・宝仙の言っていた、刹那か・・・」
「・・・いかにも。静菜と、対として生まれる筈だった存在・・・俺が刹那だ。」
少女がそう答えると、男へと足を向けて、歩き出した。
「・・・何の用だ?儂を殺しに来たか・・・海淵の様に・・・」
近づいてくる少女を、油断無く見据える男は、そう言って闘気を放つ。
「まさか・・・この辺に、あんたが居るという噂を聞いてな・・・巴に会いに来たんだが・・・」
男の放つ闘気を受けても、涼しい顔で尚も近づいていく少女。
「・・・残念だよ・・・静菜の記憶は、俺の記憶でもある・・・巴には、色々良くして貰った・・・」
男の眼前で立ち止まった少女は、開いた障子の部屋の中の、敷かれた布団を見つめる。
「・・・確かに・・・巴と静菜は、本当に仲が良かった・・・だが、お主は違う!」
男が叫ぶと、少女の胸ぐらを掴み、自分の顔に近づける。
「儂は・・・お主を許す事は、出来ぬ・・・海淵を殺したお主を・・・」
「・・・そうだったな・・・海淵とあんたも、仲が良かったよな・・・だが、そう邪険にするなよ。」
そう言って少女は、右手を自分の懐に入れ、何かを取り出し、男に差し出す。
「・・・これは、まさか!」
「あぁ・・・そのまさかさ。四代目宝仙・・・新開が記した、呪術の書・・・」
「禁呪の書を・・・何故お主が・・・」
「・・・俺の目的に、必要だった・・・ただそれだけさ。」
「目的・・・?」
男の呟きに、少女は苦笑してみせる。
「もう、俺には必要無い。これを・・・どうするかは、あんた次第だ・・・使うか、否か・・・」
不意に、真剣な表情で、男を見つめ、決断を迫る。
そして男は、差し出された巻物を受け取ると、胸ぐらを掴んでいた手を離した。
すると少女は、男に背を向けると、寺の門目指して歩き出した。
「待て!何処に行く?!」
男の問いに少女は、少し歩いた所で立ち止まり、振り返ってくる。
「・・・神々の帰りし場所・・・」
それだけ答えると、少女はまた歩き出した。
男はただ、少女が去っていくのを、見つめているだけだった。
寺特有の長い階段を下りきった所で、二つの頭を持つ狐が、少女の事を待っていた。
「・・・肝を冷やしましたぞ・・・」
「統べる者よ・・・無茶が過ぎますぞ。」
二つの頭から、それぞれ違う言葉を発しながら、双頭の狐が、少女を咎める。
しかし少女は、それに答える事なく、双頭の狐の横を素通りする。
「・・・統べる者よ・・・いかがなされた?」
言いながら、双頭の狐は、少女の後を追うべく、歩き始める。
「・・・別に・・・」
双頭の狐の問いに、少女はそれだけ呟くと、黙々と歩を進める。
「しかし・・・宜しかったので?」
「あの書は・・・我等が悲願の為に必要な書・・・」
「彼様な者に、譲り渡して・・・」
双頭の狐の問いに対し、少女は、その場で立ち止まる。
「白光・・・おまえは、俺のやる事に、いちいち文句を付ける為に、俺と一緒に居るのか?」
言いながら少女は、肩越しで双頭の狐を睨む。
「・・・いいえ。」
「全ては・・・統べる者の、御心のままに・・・」
「・・・お喋りが過ぎると、嫌われるぞ・・・」
少女は、それだけ言うと、顔を前へと戻し、また歩き始める。
「・・・そうだ白光。そう言えば、おまえと約束していたな。」
しばらくの沈黙の後、少女は、不意に思い出したかの様に、後ろを歩く双頭の狐に、声を掛けた。
「・・・は?」
対して双頭の狐は、少女の言葉に疑問符を浮かべている。
「もし次に、宝仙達と関わる様ならば・・・その時は、おまえに行って貰う・・・そういう約束だったな。」
「・・・では、統べる者は・・・この村に、彼者共が現れると・・・?」
「いや・・・だがもし宝仙達が、愛鷹山に居たとして・・・京を目指しているとしたら、この村に立ち寄る可能性は高い・・・どうする?」
歩きながらに少女は、双頭の狐に問いかけている。
「答えるまでもありませぬ・・・」
「統べる者の為とあらば・・・喜んで・・・」
「神獣との決着・・・必ずや・・・」
少女の問いに対し、そう答える双頭の狐。
だが少女は、心ここに在らずといった感じで、ただ聴きながら歩いていく。
不意に、春の夜風が、何処からともなく、桜の花びらを運んでくる。
それに気が付いた刹那は、それを掴み、握りしめた手を開いて、桜の花びらを見つめながら歩く。
「・・・人とは、あまりにも儚い物だな・・・」
そう呟く刹那の横顔は、愁いを帯びていた。
辺りに感じる蠢く気配に、錫杖を横に構え、身を低くする。
『ギチ・・・ギチ・・・』
どこからか聞こえてくる、鳴き声の様な音に、背筋に冷たい汗が流れる。
ガサガサ・・・
・・・一体何匹居るの?
気配と妖気は感じるけど、その姿は一向に見えない。
ザッ!!
「ッ!!」
右の茂みから、何かが飛び出してくるのを感じ、横目で確認する。
茂みから飛び出してきた何かは、赤ん坊程の大きさの蜘蛛だった。
一直線に、私目掛けて飛来する蜘蛛に対して、右足を後ろにずらし、体をひねり、蜘蛛の正面を向く。
「ギィ!」
「ヤッ!!」
バキ!
迫ってくる蜘蛛を、手にした錫杖で叩き落とし、その体を蹴り上げる。
すかさず、左手を懐に入れて、独鈷杵を三本、指に挟んで取り出す。
ザザッ!!
ちょうどその時、私の背後で音がした。
気配で何かが迫っているのを感じた私は、左に跳びながら、体をひねる。
するとそこには、さっきと同じ大きさの蜘蛛が二匹、私に向かってきていた。
私は、蜘蛛に向かって、左手に挟んだ独鈷杵を投げつける。
すかさず、空いた左指で、金剛夜叉明王の梵字を描く。
「ヴァジュラヤクシャ!」
梵名を叫んで、梵字に込められた言霊を解放する。
すると、三本の独鈷杵は、淡い光を発して、私の意志の通りに動きだす。
ドスドスッ!
『ギイイイィィィー!』
三本のうち二本が、二匹の蜘蛛を貫く。
二匹の蜘蛛は、断末魔の叫びを上げながら、力を失って、地面に落ちていった。
私は、左足を地に着け、それを軸に体勢を整える。
シュルルルルル・・・
「ッ?!」
奇妙な音が聞こえたと思った瞬間、白い糸が、私の右腕に絡まり付く。
これって・・・蜘蛛の糸?!
糸の続く先に目を向けると、木の上から、同じような蜘蛛が、私に向かってお尻を向けていた。
糸を引きちぎうと、試してみても、まるで鉄線の様な糸は、びくともしなかった。
それなら!
糸を力一杯引っ張り、糸を出している蜘蛛を、木の上から落とそうとしてみる。
けど蜘蛛は、木にしっかりとしがみついている為、落とせなかった。
ズン・・・
「今度は何?!」
大きな地響きと共に、巨大な気配を感じた私は、それを確認する為、目を向ける。
「ギチ・・・ギチギチ・・・」
そこには、クロを遙かに凌ぐ、大きな蜘蛛が、ゆっくりとした動作で、私に迫ってきていた。
まずい・・・どうしよう!
身の危険を感じた私は、木の上に居る蜘蛛目掛けて、走り出す。
シュルルルル・・・
「キャッ?!」
いきなり右足を引っ張られ、その場に倒れ込む。
後ろを見ると、巨大な蜘蛛の口から、白い糸が吐き出され、私の足に絡まり付いていた。
「クッ・・・」
自由を奪われた私は、何とか立ち上がろうと藻掻く。
「・・・ったく。まだまだ脇が見えてねぇな。」
「え・・・?」
いきなり、師匠の低い声が、巨大な蜘蛛の後ろから聞こえてくる。
「オンッ!!」
ドゴッ!!
「グギイイイィィィーッ!!」
轟音と絶叫と共に、巨大な蜘蛛が、空高く舞い上がる。
そして、その背後には、腕を振り上げた格好の、師匠が立っていた。
ズズン・・・
落ちてきた蜘蛛は、暫く痙攣した後、動かなくなった。
「すごい・・・あの大きさを、一撃で・・・」
呆然と、その光景を見ていると、腕に絡まり付いていた糸が、弛まるのを感じて、木にしがみついていた蜘蛛を見てみる。
「クロ・・・」
木の上の蜘蛛は、クロの口に挟まれて、動かなくなっていた。
「ったく。折角の明王珠も、使いこなせなけりゃただの珠だ。」
そう言いながら、倒れ込んでいる聖に近づく。
「うぅ・・・すいません・・・」
「最初の反応は、なかなか良かったが、問題はその後だ。鈷杵は投げて終わりじゃない。外した鈷杵を、再度操り、木の上の蜘蛛に当てれば、あんな状況には成らなかっただろう。金剛夜叉明王珠の『操作』の力は、応用次第で色々な可能性があるんだ。」
「は~い・・・」
一通り注意した所で、聖の倒した妖蜘蛛達を見やる。
峠道の道すがら、不意に感じた妖気に、殺気を覚えた俺は、聖の修行も兼ねて、一人で戦わせてみた。
ちなみに言うなら、聖から離れた俺やクロにも、蜘蛛の襲撃はあった。
俺に襲ってきた蜘蛛が、鬼蜘蛛三、土蜘蛛二・・・クロが倒したのが、土蜘蛛六・・・そして聖を襲ったのが、鬼蜘蛛一、土蜘蛛四・・・かなりの数だな。やはり・・・
「・・・近くに女郎蜘蛛の巣がある様だな。」
「女郎蜘蛛?」
俺の呟きに、聖が不思議そうに聞いてくる。
「女郎蜘蛛って言うのは、この鬼蜘蛛と土蜘蛛を産んだ蜘蛛の事だ。まぁ女王蟻みたいなもんだな。こいつ等は、女郎蜘蛛の兵隊であり、食料運搬係であり、子供さ。」
俺の知っている、女郎蜘蛛についての事を、かいつまんで聖に教える。
実際には、もっと複雑なのだが、それを教えて、聖が理解出来るかは謎だ。
「その食料って・・・」
「・・・女郎蜘蛛は肉食だ・・・つまり、人間や動物を襲って喰う。そして、その養分で子供を産む。」
「そんな・・・じゃあその巣を探さなくっちゃ!」
そう言って、立ち上がる聖を、きつい眼差しで見つめる。
「・・・探してどうする?退治するか?」
「え?」
俺の一言が、予想外だったのか、驚いた様子で俺を見つめてくる聖。
「だ、だって・・・私たちみたいに、襲われる人が出たら・・・」
「・・・おまえは、肉食の妖怪には、生きる権利が無いと思うか?」
「そ、それは・・・」
俺の質問に聖は、つまりながら呟く。
「動物は皆、生きる為には食事をしなければならない。それは人間とて同じ事だ。満腹の獣は、無駄な狩りをしない・・・それはこいつ等にも当てはまる。こいつ等に喰われたくないのなら、自衛の力を身につければいいだけの話しだ。」
「でも・・・誰かが傷付くのが解っていて、何もしないなんて・・・」
「俺達は神じゃない。今も何処かで、誰かが死んだだろう。明日も何処かで、誰かが死ぬだろう。それは、天命かもしれないし、非業の死かもしれない・・・おまえは、目に見えない死を、救う事が出来るのか?」
「それは・・・」
「この世に、生まれてきてはいけない魂などは無い。だから俺は、進んで妖怪退治などしない。それでも行きたいというのなら、好きにしろ。」
「うっ・・・」
俺の言葉に、聖は何も言い返せなくなり、ついには、俯き黙り込んでしまう。
暫くして、何か考えでも纏まったのか、顔を上げて、俺を見据えてくる。
「・・・それが、師匠の信念なんですか・・・?」
それは、少し前に、聖の質問に答えた単語。
「・・・あぁ・・・そうだ。」
「それが、静菜さんの理想だったんですか?!」
「はぁ?」
いきなり訳の解らない事を言われ、思わず聞き返す。
どうやら聖は、何か誤解でもしている様だった。
「あのな・・・確かに、静菜と出会う事で、そういう考えには至ったが、それはきっかけでしかない。あくまでもこれは、俺が考えて出した結論だ。静菜だったら、恐らくおまえと同じ事を言っただろう。」
一つため息を吐き、右手で頭を掻きむしりながら、呆れながらに答える。
「だったら・・・」
「そして・・・そうなったら俺は、今おまえに言った事を、そのまま静菜にも言う。」
そして静菜なら、人も妖怪も助けたいなどと、言うだろう。
だがそれも一つの答えだ。
そんな事が、可能かどうかは解らない。
だが、やる前から不可能だと決めつける事ほど、愚かな事は無い。
「・・・魂に色など無い。どんな者にだって生きる権利がある。それでも行きたいのなら、好きにしろ。」
そう言って、俺は街道を歩き始める。
「あ・・・待ってください!」
少し遅れて、聖も俺の後を追いかけてくる。
「けど、このまま放っておいたら、何にも知らない人が、犠牲になるんですよ?」
俺に追いつき、横を歩き始める聖は、尚も食い下がってくる。
「なら、街道の入り口に、妖怪注意とでも書いて、立て札を作ればいいだろう。」
「でも・・・」
尚も言いかけようとする聖に、視線を向けて睨み返す。
「ならここで、襲われる奴を、いちいち待って助けるか?俺は願い下げだ。」
俺がそう言うと聖は、俯き黙り込んで、また何やら考えを巡らせている様子だった。
「・・・師匠の正義は、それで良いんですか?」
俯いたまま聖は、不意につぶやきを漏らした。
「・・・俺は英雄などではない。俺にとって正義なんてものは、刀を振りかざして、平和を訴える馬鹿共と一緒だ。」
歩きながら、俺がそう言うと、聖が顔を上げて、見つめてくる。
「聖・・・おまえは、義賊をどう思う?」
「義賊?」
「そうだ・・・富める者より奪い、貧しき者に分け与える者達。おまえはそれを、正しい事だと思うか?」
「・・・正しいとは思いません。けど、いい人達だとは思います。」
俺に質問に答える聖に、俺は一つ頷くと、後を続ける。
「だが・・・義賊だろうと、賊は賊だ。その根本は変わらない・・・何を持って悪とし、何を持って善と決める?所詮は、人間の尺度で定めた正義だ。そんな物、糞の役にも立たたん。そいつ等のやっている事は、所詮自己満足に過ぎん。」
「じゃぁ・・・師匠が今までやってきた事って、何ですか?師匠の信じる信念って、何ですか?」
そう聞かれ俺は、聖に向けていた顔を前へと戻す。
「・・・人間の尺度で定めた正義に、何の意味がある?一個人の正義で世を取り締まってみろ・・・ゾッとするぜ。だから俺は、この世の理を元に、その都度考える・・・そこに、正義なんてものは存在しない。」
「・・・師匠の言ってる事は、間違ってない気がします・・・けど、納得出来ません。」
「・・・それで良い。別に俺の考えを、おまえに押しつけたい訳じゃない。必ずしも俺とおまえが、同じ考えである必要は無い。おまえが行きたいのなら、行けば良い。」
「・・・はい。」
そう俺が言うと、やはり何処か納得していない様な表情で、頷く聖。
「それからおまえは、一つ勘違いをしている。」
「え?」
俺の言葉が予想外だったのか、きょとんとした顔で、聖が俺を見ている。
「別に俺は、おまえに一人で行けとは言ってない。俺は、降りかかってくる火の粉は、必ず振り払う。」
「それって・・・」
「ただし、俺を納得させられるだけの理由を考えろ。それが出来なきゃ、俺は着いていかないし、おまえを置いて先に行く。制限時間は・・・」
そう言って、顎で前を指す。
「あの村を出るまでだ。」
荷物を宿へと置いた私たちは、明日の出発に控えて、足りない物を補充するために、村の中を二人で歩いていた。
まだ日も高いので、クロには、村の外で、暗くなるのを待っていてもらっている。
私は、師匠の隣を歩きながら、さっき言われた事に、考えを巡らせていた。
明日、この村を出発するまでに、師匠を納得させる事が出来なかったら、このまま先に進まなければならない。
・・・でも、誰かが傷付くのが解っていて、何もしないなんて・・・そんなの出来ない。
そう思うけれども、師匠の言い分が正しい事くらい、私にでも解る。
人と妖怪、共存なんて出来ないのかもしれない。
けど、私とクロの関係は、これからだって変わらない。
いろいろ考えを巡らせても、師匠を納得させられる様な事は、思い浮かばなかった。
・・・静菜さんだったら、こんな時、なんて言うんだろう・・・
「おい。聞いてるか?」
「え?!」
すっかり考え込んでいた様で、師匠に呼ばれて、我に返った。
顔を師匠に向けると、呆れた様にため息をついていた。
「ったく・・・この村に、古い知り合いが居る様だから、少し寄って行くぞって言ったんだよ。」
「古い知り合い?」
「・・・その様子じゃ、さっきの村人との話も、全然聞いてなかった様だな・・・」
私の反応を見て、師匠は不機嫌そうに呟いてくる。
「す、すいません・・・」
「ったく・・・さっきの事で、頭が一杯なのは解るが、肩の力を抜いて、もっと周りをよく見ろ。そんなんじゃ、良い考えなんて浮かばねぇよ。」
そう言って師匠は、村はずれのお寺へと足を向けて、歩き出す。
「はい・・・」
そう言って、師匠の後を追う様に、私も歩き出した。
お寺へと向かう道すがら、師匠は、村の人から聞いた事を、かいつまんで教えてくれた。
二年くらい前に、この村にお坊さんと、その娘さんが、村はずれのお寺に住職としてやってきた。
元々この辺りは、妖怪が多く住んでいて、たまに村にまでやってくる事もあったらしい。
けど、その和尚さんが来てからは、悪い妖怪が村を襲う事も無くなったんだって。
それでも、さすがに隣の村では、今でも色々と問題が在るみたい。
やっぱりそれって、私たちを襲った蜘蛛なのかな・・・
「それで、師匠はその和尚さんと、知り合いなんですか?」
「・・・まぁ確かめないと解らんが・・・その和尚の娘が、和尚の事を『火蛇』と呼んでいたらしい。」
「かだ?」
「あぁ・・・八大明王衆、不動明王珠継承者に与えられる称号だ。そして、先代の火蛇には、巴という娘が居るんだ。間違いなければ、恐らく彼等だろう。」
「どんな人たちなんですか?」
私が聞くと、師匠は、遠くを見る様な仕草で、昔を思い返している様子だった。
「そうだな・・・火蛇に関して言えば、超えられない壁・・・って所か。」
「超えられない?」
「あぁ・・・修行中、何度となく手合わせしたが・・・一度も勝った事は無い。」
「え・・・師匠が勝った事無いって・・・」
師匠は、とっても強い。
あの巨大な蜘蛛を、たったの一撃で倒したのを目の当たりにして、師匠より強い人がそうそう居るなんて、にわかには信じられなかった。
「そんなに驚く事じゃ無いだろ。世の中広いんだ、俺より強い奴なんざ、五万と居る・・・火蛇はその中の一人さ。」
そう言って師匠は、苦笑しながら、答えてくる。
確かにそうかもしれないけど・・・火蛇さんって、そんなにすごい人なんだ。
「それじゃ・・・その巴さんって人は、どんな人なんですか?」
「そうだな・・・何にでも気が回り、器量も良くて、気立ても良い。あいつの周りには、いつも笑顔が溢れてた。そういや・・・修行中の小坊主共が、よく巴の話をしていたな。」
「へぇ~」
「桜を覚えているか?」
「あ、はい。」
以前会った事のある、現八大明王衆、軍荼利明王珠後継者の桜さん。
生まれつき、目が見えないらしく、いつも頭巾を深く被っているって、本人から聞いた事があった。
「確かあいつと同い年で、親友だそうだ。」
「桜さんって、いくつなんですか?」
「二十七・・・だったかな。少なくとも、俺より年上だ。」
「・・・その割には師匠、偉そうでしたよね。」
ゴン!
思わず思っていた事が口に出てしまい、すかさず師匠のゲンコツが、私の頭に直撃する。
「うぅ・・・」
両手で殴られた場所を押さえながら、痛みにうめき声を上げる。
「いらん事言うな・・・」
「ぶ、ぶつ事無いじゃないですか~」
「フン・・・」
私が非難の抗議を言うと、師匠は拗ねた様に、そっぽを向いてしまう。
そんなやりとりをしていると、いつの間にか、村はずれのお寺にたどり着いていた。
お寺特有といっても良い、長い階段を、師匠と並びながら登っていく。
「そうだ・・・聖、一応その明王珠を外しておけ。」
突然師匠が、何かを思いだしたかの様に、そう言って私の左耳に付けられた耳飾りに、視線を向けてくる。
それは、師匠から初めて貰った贈り物であると同時に、師匠と同じ証でもある、孔雀明王珠の事だった。
「え?どうしてですか?」
私がそう聞くと師匠は、頭を掻きながら、めんどくさそうな顔をしてくる。
「・・・いらん誤解を、招きたく無いだろ。一応その明王珠は、行方不明扱いになってるんだ。」
「・・・もしかして、これ盗んだ物なんですか?!」
驚きながらにそう言うと、おもむろに立ち止まった師匠は、両手を私の頭目掛けて伸ばしてくる。
次の瞬間、私は自分の口の軽さを呪う事になった。
「阿呆・・・前にも言ったろう・・・預かり物なんだよ・・・イラン事を思いつくのは・・・この頭か?」
ギリギリギリ・・・
師匠の拳が、私のコメカミにあてがわれ、思い切り押し込まれる。
師匠の太い腕から、繰り出されるウメボシ攻撃は、確実に私の頭を軋ませる。
それほどに痛かった・・・
「イタイ!イタイッイタイッイタイッ!!」
「一度・・・その頭骨を・・・砕いてやろうか・・・」
「アーアーッ!!ご、ごめんなさい!!もう言いません!!だから許してください!!」
「・・・何の騒ぎ?」
不意に聞こえてきた女の人の声に、師匠のウメボシ攻撃が、ようやく止まる。
ようやく解放された私は、コメカメを押さえながら、その場でうずくまる。
「・・・宝仙?宝仙なの?」
師匠の事を呼ぶ声を聞いて、未だに後を引く頭痛を堪えながら、顔を上げる。
顔を上げた先、お寺の階段を登り切った先に、とっても綺麗な女の人が、私たちを見下ろしていた。
白く透き通る様な肌に、短く切りそろえられた髪。
少し垂れぎみの瞳は、とても優しそうで、驚きの為か、口元に手が添えられている。
「よっ・・・久しぶり。」
「あ・・・うん。久しぶり・・・」
師匠の言葉に、女の人は、頬を染めながら答える。
・・・この人。
「・・・その娘は?」
女の人は、師匠に向けていた視線を、私に向けると、不思議そうに聞いてくる。
「あぁ・・・俺の弟子・・・みたいなもんだ。今はこいつと・・・もう一人居るが、三人で旅をしてる・・・」
「そうなんだ・・・初めまして、巴と言います。」
師匠の説明を聞きながら、巴さんは、私たちの所までやってくると、優雅にお辞儀をしてくる。
「は、はじめまして、聖です!」
私は慌てて立ち上がると、巴さんに習って、私もお辞儀して挨拶する。
「あら・・・元気な娘ね。」
巴さんは、そう言いながら微笑んでいる。
「い、いえ、そんな・・・」
その笑顔を見ていると、何だか気恥ずかしくなってくる。
「そうだ、父さんを呼んでくるわね。きっと父さんも、喜ぶと思うわ。」
急にそう言い出すと巴さんは、小走りで階段を登っていってしまった。
「・・・今のうちに、明王珠を外しておけ。」
そう呟いて、師匠も階段を登っていく。
「あ、はい。」
私は、言われたとおり、左耳に付けた耳飾りを外して、懐に仕舞い、師匠の後を追って、階段を登っていく。
巴さんと、火蛇さんか・・・
さっき師匠に教えて貰った事を思い出す。
巴さんは、女の私から見ても、すごく綺麗な人で、とても優しそうな人だった。
あれだけの人なら、周りの人も黙っていないのは頷ける。
けど私は、何となく直感で解ってしまった。
巴さんが、師匠の事を、どう思っているのかを・・・
母屋に通された俺達は、火の付いていない囲炉裏を、昔なじみと囲んでいた。
「久しいな宝仙・・・お主が旅立ってからだから・・・もう六年になるか・・・」
「あぁ・・・その位になるな。」
快活に笑う初老の男、前不動明王珠継承者『火蛇』巌の言葉に、苦笑しながら答える。
「全く・・・久しぶりに会ったと思えば、こんなめんこい娘を連れているとはなぁ。良い意味で、少し変わったよ・・・お主は。」
「・・・そう言うあんただって変わったさ・・・少し白髪が増えた様だ。」
「フッ・・・儂だって、寄る年波には、勝てんよ・・・」
「父さん・・・そんな事言わないでくださいな。」
居間の入り口から、茶の乗った盆を運びながら、そう言って巴が入ってくる。
「フッ・・・すまんすまん。」
「もぉ・・・はい、どうぞ。」
「あ、すいません。」
巴は、困った様な顔で苦笑すると、盆に載せた湯飲みを、差し出してくる。
それを受け取り、熱い茶をすすりながら、なんとはなしに周りを見渡す。
「すいません・・・お手伝いもしないで。」
「良いのよ・・・聖さんも、宝仙も・・・大切なお客様なんだから。」
聖の申し訳なさそうな言葉に、巴は、優しく微笑みながら答える。
「そうだ。今日はうちに泊まっていきなさいな。」
不意に巴が、そう話を切りだしてくる。
「え?良いんですか?」
それに早速食らいつく聖。
正直ありがたい申し出ではあるが、それを受けて良いのかどうか、悩む所だ。
「・・・すまんな。もう今日の宿は、決めちまったんだ。」
「そうなの・・・」
俺の言葉に、心底残念そうに呟く巴。
「師匠・・・泊まっていきましょうよ・・・」
そう言ってくる聖に、巴は、少なからず、期待に満ちた瞳を向けている。
ったく・・・こいつは・・・
「・・・他に連れの者も居る。ちょっと人見知りが激しい奴でな。」
「あ・・・」
俺の言葉に、聖がちいさく声を漏らす。
明王衆は、妖怪や鬼を、使役する事は禁じられている。
それは、神獣とて例外ではない。
明王珠の力は絶大の為、それ以上力を付けさせない為の戒律だ。
これを破り、鬼をその身に宿した、四代目の宝仙は、結果的に本山から追い出された。
さすがに俺も、それ以上詳しい事は知らんが、それ以降、歴代宝仙達は、許可無く本山に立ち入る事を禁止されたのは事実だ。
巌や巴が、本山に報告するとは思っていないが、神獣であるクロを見て、良い顔をしないのは間違いないだろう。
俺の知る火蛇・巌という男は、人一倍正義感が強く、戒律を重んじる男だった。
「そうなの・・・じゃぁ、お夕飯も一緒には無理ね・・・」
「いや・・・それは問題ないだろう。もうそいつは、宿で寝てるだろうからな。」
「え?あ、あ~そうですね。」
俺の嘘に、聖が冷や汗を流しながら、頷いてくる。
よくもまぁ、考えもせずに、嘘八百を並べられると、自分でも感心する程だった。
「そうなの。なら、今夜は腕によりを掛けて、ご馳走するわね。」
そう言って、巴は片目を閉じて微笑むと、立ち上がって居間を出ていこうとする。
「あ、私も手伝います!」
それを見て、聖が元気良く申し出る。
「え・・・でも悪いわ。ゆっくり待っててちょうだいな。」
聖の申し出に、巴は困った様な顔で、俺を見てくる。
「いえ、少しお料理勉強したいなって、思ってたんです。」
そう言って立ち上がり、退こうとはしない聖。
「けど・・・」
「良いじゃないか巴・・・そっちの方が、一人で作るより楽しいだろう。」
「あぁ・・・違いない。すまんな巴・・・手を掛けるが、よろしく頼む。」
「・・・そうね、解ったわ。一緒に作りましょうか、聖さん。」
「はい!」
そんなやりとりの後、女性陣は居間を出ていった。
後には、俺と巌が残され、お互いに茶を啜る。
「・・・麗姫から聞いたよ・・・二年前の事。」
暫くの沈黙の後、先に口を開いたのは俺の方だった。
「・・・そうか。」
「正直、聞いた時は信じられなかった・・・あんたが俺以外の奴に倒されるとはな・・・」
不動明王珠の継承は、他の明王珠とは異なる。
不動明王珠は、その力の性質上、霊力よりも、むしろ武術の技量が求められる。
その為、四年に一度、明王珠を賭けて、武術大会の様なものが開催される。
そして、それに勝ち残った者が、『火蛇』の称号を手にする事が出来る。
巌は、過去三十年近く、『火蛇』の称号を護り続けてきた。
それも、二年前の武術大会で終わりを迎えた。
「・・・儂も、寄る年波には、勝てんと言う事だ。」
暫くの沈黙の後、巌は、どこか吹っ切れた様な感じで呟く。
「それに・・・今では良かったとさえ思っている。こうして、巴と親子として暮らせるのだからな・・・」
「・・・そうか。」
俺達は、厳密に言えば僧侶では無く、妖怪退治を専門とした、退治屋と言った方が正しく、僧としての務めも、ついでに一緒に行ってるといった方が正しい。
その為か、本山に居る者の多くは、妖怪に家族を殺され、自分から進んで本山に入った者が多い。
そう言う特殊性からか、霊力を持つ者よりも、持たない者の方が多い。
妖怪退治に必要な要因は多くあるが、霊力が有る無しでは、やはり大きく変わってくる。
だが、霊力を持った者が産まれてくる確率は、十人に一人と低い。
逆に、霊力を持った者同士の間に生まれた子は、極めて高く霊力を持って産まれてくる。
そう言った意味合いで、俺達の宗派では、婚姻は認められている。
だが、ついでとは言え、俺達も僧である事には変わりない。
公に婚姻を認めてしまえば、他の宗派からの風当たりは強くなる。
そこで八大明王衆に、白羽の矢が立った。
俺達の宗派の中で、頂点とも言える八大明王衆が、婚姻禁止となれば、他の宗派にも一応の面目は立つ。
そう言うくだらない理由から、八大明王衆は、昔から婚姻は禁止されている。
だがそこに、無理が生じる。
「巴は・・・儂が火蛇を任命された時に、巴の母の身に、宿った命だからな・・・色々苦労も掛けた。」
巌の様に、任命と同じくして、子供が産まれてしまえば、もう後の祭りだ。
折角任命されても、妻子が居ると解れば、最悪解任されてしまう。
長老会は、頭の固い連中なのだ。
その為、歴代八大明王衆の中には、子や妻が居て、それを隠していた者は、何人も居たらしい。
海淵の様に・・・
そして、巌も海淵と同様、巴と親子である事を隠してきた。
巴は桜の様に、本山で育った訳でも、自分から進んで本山に入った訳でもない。
元々彼女は、彼女の母親と暮らしていたそうだ。
その頃、父である巌は、週に一度は、必ず会いに行っていたそうだ。
そしてその頃の二人は、親子として、普通に接していた。
だが、巴が十五の時に、彼女の母親が、病気で亡くなった事により、それまでの生活が一変した。
母親が亡くなったのを期に、巴は、巌に連れられ、本山へとやってきた。
ところが、そこで待っていたのは、他人として接さなければならない二人だった。
その為、俺が本山に居た頃、巴は、巌の事を火蛇と称号で呼んでいたのを覚えている。
当時の巴は、本当の父を、他人行儀で呼ばなければならないもどかしさに、よく不満を漏らしていた。
そしてそれは、巌も同じだった。
海淵と仲の良かった巌だからこそ、海淵の弟子とも言える俺に、不満を漏らす事があった。
「・・・終わりよければって事か。」
「・・・まぁ、そんな所だ。」
俺の呟きに、巌は、苦笑しながら答える。
巌と巴の二人にとって、今の現状が一番良い気がした。
「所で、村で聞いたんだが・・・巴は、何処か悪かったのか?」
それは村で聞いた話だった。
少し前まで、寺の住職の娘は、床に伏せっていたらしい。
俺の何気ないその一言に、一瞬巌の顔が、強張ったがすぐに元に戻った。
「あぁ・・・あの子は元々、体が強くないからな・・・少し前まで風邪を引いていたが、もう大丈夫だ。」
「・・・そうか、なら良いんだが・・・」
巌の答えに頷きながらも、先ほどの表情が、脳裏に焼き付く。
巴の体が弱い事は、俺も知っている。
季節の変わり目には、必ずと言っていい程、風邪を引いていた。
その度に、桜が看病を買って出ていたのを、今でも覚えている。
巌の先ほどの表情も、巴の体を気遣う親としての表情なのだろう。
・・・だが何故だ・・・何故気になる・・・
何故か、脳裏に焼き付いた、先ほどの巌の表情が、どうしても気になって仕方ない。
漠然とした何かに、苛立っているのが、自分でも解る。
「それよりどうだ。久しぶりに・・・」
そう巌に言われ、我に返る。
見ると巌は、将棋台を持って、俺の前まで来ると、駒を並べ始めていた。
「・・・あぁ。構わないぜ。」
そう言いながら、俺も駒を並べ始める。
だが俺の頭は、目の前の将棋にではなく、頭によぎった何かに集中していた。
「巴さん?どうしたんですか?」
先っきから、ぼ~っと立っている巴さんに声を掛ける。
けど、全く反応の無い巴さん。
「巴さん?巴さん!」
「え?あ、何?」
体を揺さぶって呼びかけて、ようやく巴さんが振り返ってくる。
「・・・どうしたんですか?なんだか顔色が悪いみたいですけど・・・」
「え・・・あ、うん・・・ちょっと最近、変な夢を見て起きる事が多くって・・・」
「変な夢?」
私が聞き返すと、巴さんは、暗い表情で俯いてしまう。
「・・・朝起きると、どんな夢だったか忘れてしまっているのよ。でも・・・起きると、すごく悲しいの。」
「・・・大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫大丈夫。単なる夢だと思うし。」
心配になって声を掛けた私を、安心させるかの様に、努めて明るく答えてくる巴さん。
それが単に、心配させない為の、巴さんの優しい嘘だって言う事くらい、私にも解る。
「・・・無理しないでくださいね。何だったら私が、お夕飯作りますから。」
「本当に大丈夫だから。それに・・・」
空元気な笑顔を向けながら、巴さんは、どこか遠くを見ている様だった。
「久しぶりに会ったんだもの・・・」
「巴さん・・・」
巴さんの表情を見て、さっき思った事が、確信へと変わっていく。
やっぱり、師匠の事・・・
「・・・解りました。それじゃ、頑張って作りましょう!」
思った事を、口には出さないで、明るく巴さんに話しかける。
「えぇ・・・そうね。あ、そうだわ。」
巴さんは、何か思いだしたのか、両手を軽く叩くと、懐から手紙を取り出して、私に差し出してくる。
「?何ですか?」
「それを、宿に帰ってからで良いから、宝仙に渡してくれないかしら?」
「いいですけど・・・恋文ですか?」
手紙を受け取りながら、巴さんをからかいながら聞いてみる。
「やだもぉ~、聖さんったら。そんなんじゃないわよ。」
私の質問に、巴さんは、頬を染めながら答えてくる。
「えへへ。でも、大事なお手紙なら、直接渡した方が良いんじゃないですか?」
「う・・・ん・・・そうなんだけどね。」
「・・・解りました。ちゃんと渡しておきます。」
巴さんの様子を見ていて、何か言いにくい事なのでは無いかと感じた私は、そう言って、手紙を懐に仕舞う。
「あ・・・うん。ありがとう、聖さん。」
どこか安心した様に笑う巴さんにつられて、私も笑顔を浮かべる。
「さ、それじゃ頑張って、おいしいご飯を作りましょうか。」
「はい!それじゃ私は、何をすればいいですか?」
「そうね・・・そこにあるお野菜を切ってくれる?」
そう言って巴さんは、用意してあったかごの中の野菜を指さす。
こうして、巴さんとの、楽しい料理が始まった。
「それじゃ、そろそろ行くわ。」
そう言って、聖を引き連れ、母屋の玄関前へと出る。
「お邪魔しちゃって、すいません。」
「そんな事無いわ。こちらこそ、何もおかまい出来ずに、ごめんなさいね。」
「そんな・・・急に押し掛けてきたのは、私たちなんですから。」
女性陣の会話を、横目で見やりながら、二人の表情を確認する。
どうやら、この短時間で、お互い仲が良くなった様だ。
・・・ま、それだけでも、ここに来た甲斐は有るな。
「宝仙。この村には、何時まで居るんだ?どうせなら、もう一人の連れと一緒に、明日はうちへ泊まっていかんか?」
不意に、巌に呼びかけられ、そちらを見やる。
「あぁ・・・嬉しい申し出だが、明日にはここを発つつもりなんだ。」
「随分急だな・・・」
「そうね・・・折角なんだから、一日くらい延ばしても良いんじゃない?」
俺の返答に、二人がそれぞれ不平を漏らす。
「そうしたいのは山々なんだがな・・・予定よりも、かなり遅れているしな。」
そんな二人に、自嘲気味に苦笑しながら答える。
ここ二月くらい、実に色々な事があった。
雪で先に進めなかったり、聖の稽古を付けたりと、当初の予定は狂いっぱなしだ。
まぁ、過ぎた事をとやかく言う程、暇ではないし、それによって得た物もある。
それらを併せて考えると、どっこい位だろう。
「そうか・・・まぁ、儂等がとやかく言っても、お主の事だ・・・聞く訳も無いか。」
「・・・そうね・・・宝仙はいつも、人の気なんて知らないんだから。」
そう言って巴は、柔らかい笑顔を向けてくる。
その笑顔を見て俺は、正式に明王珠を継承する事が決まり、その継承式を明日に備えた日の事を、思い出した。
「・・・悪いな。明日、出発前に顔を出すよ。」
そう言って、俺は二人に背中を向ける。
「あ、師匠!待ってくださいよ!」
俺に遅れて、聖が後に付いてくるのが、気配で解った。
「飯うまかったぜ。」
そう言いながら、背中越しで手を振る。
「巴さん!巌さん!どうもありがとうございました!おやすみなさい!」
聖は、俺に追いつくと、その場で立ち止まって振り返り、二人に向かって、両手を大きく振りながら、元気な声を出している。
「聖さん、また入らしてくださいね~!」
「は~い!」
そんな、間延びした声を聞きながら、寺特有の長い階段を下りていく。
「・・・良かったんですか?」
不意に、俺に追いついてきた聖が、そんな事を言ってくる。
「・・・何がだ?」
「巴さんの事ですよ・・・本当は師匠だって、巴さんや巌さんと、もっと一緒に居たかったんじゃないんですか?」
聖にしては珍しく、俺の内を読んだような事を言ってくる。
「・・・単に、知り合いが居たから、挨拶しに行った・・・それだけさ。」
「でも・・・巴さんは、師匠の事・・・」
・・・本当に、今日の聖は鋭いな。
「・・・邪魔したくなかったんだよ。」
「え?」
「・・・俺が本山に居た頃の二人は、赤の他人として接していた・・・巴が、本山で暮らす様になる前も、一緒に暮らせなかった。そんな二人は今、親子としての欠けた時間を、取り戻そうとしてんのさ。邪魔したら野暮だろ?」
そう言って、横を歩く聖の頭を、軽く叩く。
「・・・格好つけすぎですよ。」
「フッ・・・格好つけなきゃ、男じゃなえよ。」
「まったく・・・あの男は、相変わらずだな・・・」
宝仙達を見送った巌は、苦笑を浮かべながら、感慨深げにそう呟いた。
だが、その巌の呟きに、巴からの反応は無かった。
「・・・巴?」
不思議に思った巌は、訝しがりながら、巴に顔を向ける。
巴は、虚ろな目でボーっと立っていた。
「巴?巴!」
巴の姿に驚いた巌は、呼びかけながら、その体を揺さぶる。
「え?あ、何?父さん。」
それでようやく、巌の呼びかけに反応する巴。
「・・・大丈夫か?顔色が優れない様だが・・・」
巌は、心配そうに、巴の顔をのぞき込む。
「あ・・・うん。ごめん、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃったかな。」
巴は、そう言うと、片目を閉じて舌を出す仕草を見せ、巌を安心させようとしていた。
が、巴が無理をしているという事に、巌は気が付いていた。
「久しぶりに、宝仙と逢えたから・・・嬉しくって。」
「なら良いが・・・」
「うん・・・ごめんね。ちょっと疲れちゃったから、先に寝るね。」
「・・・解った。」
巌の返答に、柔らかく笑うと、巴は母屋へと入っていく。
「・・・やはり、そろそろか・・・」
巴の後ろ姿を見送ってから、巌は、厳しい表情でそう呟いた。
宿に戻った私は、まず最初に、今日一日の疲れを取る為、お風呂に入って来た。
「師匠は入らないんですか?」
濡れた髪を、手拭いで拭きながら、師匠に聞いてみる。
「あぁ・・・もう少ししたらな。」
敷かれた布団に寝そべっている師匠は、どこから持ってきたのか、何かの本を読んでいた。
「・・・何読んでるんですか?」
「あぁ・・・暇だったんでな・・・宿屋の店主に借りたんだ。」
そう言うと師匠は、自分が読んでいた本を、私に見せてくれる。
「・・・竹取物語?」
「あぁ。なかなか良い趣味をしている。他にも栄華物語なんてのもあったしな。」
「師匠って、よく本読みますよね~」
師匠の読んでいた竹取物語を受け取り、何となく思った事を言う。
自分で言うのも何だけど、私は武家の娘だったので、読み書きは一通り出来る。
師匠は、前宝仙である海淵さんや、本山で習ったと言っていたので、読み書きは普通に出来るのも知っている。
でも私は、自分から進んで本を読もうと思った事は無かった。
昔、御祖父様によく言われたっけ・・・読書は、知性を養うって・・・
「読書ってのはな、食事と同じだ。知性を養うにはちょうど良い。」
「え?」
・・・御祖父様と同じ事を、言われちゃった。
「うん?何だ?」
「あ、いえ!何でもないです。」
ちょっと昔を思い出して、寂しい気分になってしまったのが、顔に出てしまったみたいだった。
それを隠す様に、手渡された竹取物語を、ペラペラめくっていく。
・・・やっぱり私・・・このまま知らんぷりで行くなんて、出来ない・・・
それは、この村に着く前に、襲ってきた蜘蛛たちの事。
このままにしていたら、私みたいに奪われる人たちだって出てくる。
この村には、巌さんが居るけど、周辺の村には被害も出ている。
この村だって、絶対に安全とは言い切れない。
蜘蛛たちが、一杯押し寄せてきたら、いくら巌さんにだって対処しきれないと思う。
けど・・・だからって、人間の都合を、妖怪に押しつけるのはいけない事・・・解ってる・・・
やっぱり私には、師匠を納得させる答えは、思い浮かばなかった。
師匠は、いつまでも迷っている様なら、置いて行くと言ったけど、きっとクロは、一緒に考えてくれると思う。
きっと師匠だって、置いて行くって言うのは方便だと思うし・・・
「・・・いい加減返せ。」
「あ!す、すいません。」
本をペラペラめくりながら、考え事をしていた私は、師匠の声で我に返った。
言われたとおり、本を師匠に返すと、師匠はまた、本を読み始める。
竹取物語って、美しく育ったかぐや姫が、貴公子や帝から求婚されても、全部断って、月へと帰っていくんだよね・・・
「あっ!!そうだ・・・」
今まですっかり忘れてた、巴さんから預かったお手紙があったんだった。
色々考え事があったので、すっかり忘れてしまっていた、巴さんからの師匠へ宛てた手紙。
それを思いだした私は、手紙を仕舞っていた僧服を手に取り、探し始める。
「師匠、これ・・・」
「・・・なんだ?」
探し当てた手紙を差し出すと、師匠は、不思議そうな顔で手紙を受け取った。
「巴さんから預かってたんです。宿に帰ったら渡してくれって。」
「・・・そういうもんは、さっさと出せ。」
「えへへ・・・すいません。」
半眼になって注意してくる師匠に、私は、笑ってごまかす。
「ったく・・・うん?」
呆れながらに、手紙を開いた師匠は、不思議そうに眉を動かす。
「・・・これは、本当に俺宛か?」
「え?はい。確かに師匠に渡してくれって・・・」
「・・・麗姫宛てになってるぞ。」
「え?」
そう言われて、私も手紙をのぞき込む。
・・・本当だ・・・どういう事だろう・・・
「・・・う~ん・・・巴さんが、間違ったのかな・・・」
「いや、そんな事はないだろう。今日突然現れた俺に、こんな長い文を、短時間で書く訳が無い。何か理由があるはずだ・・・」
そう言うと師匠は、渡された手紙を、黙々と読み始めた。
「あの・・・師匠。本当に大丈夫ですか?もし本当に、麗姫おばあさん宛の手紙を、間違って渡したんなら、勝手に見るのは、良くないですよ・・・」
「あぁ・・・」
私の言い分に、師匠は相づちを打つだけで、読むのを止めようとしない。
う~ん・・・話題を変えた方が良いかも・・・
「あの・・・師匠・・・ここに来る時の、あの話しですけど・・・」
「・・・あぁ。」
「その・・・やっぱり私、このままじゃいけないって思うんです。でも・・・蜘蛛たちだって、生きる為に、人や動物を食べるんですよね・・・」
「あぁ・・・そうだ。」
私の言葉に、一応相づちを打つ師匠。
けど、その視線は、巴さんの手紙に注がれている。
「・・・師匠・・・私、どっちも助けたいって思うんです・・・これって、わがままですか?」
「聖・・・」
そう言った所で、師匠はようやく、私に顔を向けてくる。
「・・・おまえがその答えに行き着くとはな・・・いや、おまえだからこそか。」
「え・・・」
「静菜も、今のおまえと同じ事を言っただろう・・・それが実現可能か不可能かは別としてな。だが、やりもしないで、無理と決めつける事程、愚かな事はない・・・そして、それがわがままかどうかは別だ。」
「それじゃ。」
師匠の言葉を聞いて、少しだけ嬉しくなった。
「だが・・・その話は、また後にしよう。」
「え?」
いきなり深刻な表情になった師匠は、そう言って、また手紙を読み始めた。
「・・・これを読んでみろ。」
突然そう言われ、巴さんが、麗姫おばあさんに宛てたと思われる手紙を、私に差し出してくる。
「・・・大丈夫なんですか?」
「あぁ・・・それは、麗姫を通して、俺か桜のどちらかに読んで貰いたくて、巴が書いた手紙だ。」
そう言われ、巴さんの手紙を受け取って、読み始める。
『拝啓、麗姫様。お変わりございませんか。私も父も、相変わらず元気です。これもみな、麗姫様と光隆様の御陰です・・・』
「光隆さんって誰ですか?」
気になる節があったので、師匠に聞いて確かめてみる。
「現大威徳明王珠継承者、十一代目『閻魔』の事だ。」
師匠の答えを聞いて、納得した私は、続きを読み始める。
『このような事を、手紙でお願いするのは、とても心苦しいのですが、この様な事をお頼み出来るのは、麗姫様しか思い浮かびませんでした。出来ればこの手紙を、宝仙か桜のどちらかに、託していただきたく筆を執りました。そのお願いというのは、父の事です。最近あたしは、母と同じ病に冒されました。今の医学では、根治出来ないはずの病です。しかし、私は今もこうして生きながらえています・・・』
「・・・これって・・・」
巴さんの顔色が優れない様子を見ていた私は、そこに書かれている文に納得してしまった。
『ある日、あたしが朝目覚めると、何故か病気は治っていました。今の医学では根治出来ず、医師にも匙を投げられた病にも関わらず、その日を境に、病魔はなくなっていました。父に聞くと、おまえは、そんな病になど冒されていない、ただの風邪だったと言われます。しかしそんな筈はありません。母を死に至らしめた病を、あたしはよく知っています。それを間違えるはずもありません。それに、ここ一週間程の記憶が、すっぽりと抜け落ちているのです。その間、何が起こったのか、あたしには皆目見当も付きません・・・』
「・・・どう言う・・・事ですか・・・」
手紙を読むにつれて、そこに書かれている事が、全く現実味を帯びていない事に、私の手が、微かに震えている。
たとえ、具合の悪そうな巴さんを見ていたとしても、巴さんは間違いなく生きている。
それなのに、ここに書かれている事は、まるで一度死んで蘇った事を、巴さんが確信している様な素振りだった。
『最近あたしは、夢を見ます。朝起きると、その夢は忘れてしまっていますが、とても悲しいのです。そして父のあたしを見る目は、とても悲しそうなのです。何が父を悲しませているのか、あたしの身に何が起こったのか。お願いです、この手紙を宝仙か桜に託してください。そして、同封された紙を、渡してください。親愛なる麗姫様へ・・・巴』
巴さんの、麗姫おばあさんに宛てた手紙は、最後そう締めくくられていた。
「同封された紙?」
「・・・これだ。」
師匠の声に、顔を上げると、一枚の紙切れを見せてくる。
そこには、ただ一言『父を救ってください』と書かれていた。
「・・・行ってくる。」
そう呟いて、師匠は立ち上がった。
「・・・私も行きます。」
そう言って、私は浴衣の帯をほどいて、僧服を手に取った。
巴の部屋の障子が、静かに開かれる。
部屋の中には、巴が静かな寝息を立てて、眠っていた。
巌が、部屋の中へと入ってきても、全く起きる気配は無い事から、熟睡している事が伺える。
「・・・蘇れ・・・」
巴が寝ている布団を前に、巌がそう呟く。
「魂を・・・狩る者よ・・・」
「ん・・・」
巌の言葉に反応する様に、巴が苦しそうな表情を浮かべる。
「目覚めよ・・・女郎蜘蛛よ!」
巌のその言葉で、巴の瞑られた瞳が、見開かれる。
それと同時に、巴の体が、異様に膨れあがると、布団の中から、八本の足の様な物が飛び出す。
ズシン・・・
八本の足が、畳に降り立つと、巨大な体が、ゆっくりと起きあがる。
八つの瞳が、妖しく光り、八つの足にはそれぞれ、鋭いかぎ爪が生え、縦に割れた口が、怪しく蠢く。
巨大な蜘蛛の姿をした怪物、そして、その胴体からは、裸の巴の上半身が、突き出ていた。
「・・・巴なのか・・・」
「そんな・・・こんな事って・・・」
不意に、辺りに聞こえてきた声に、巌は、ゆっくりと振り返る。
そこには、愕然とした表情の聖と、無表情の宝仙が立っていた。
「・・・やはり来たか・・・出来れば、見られたくなかったんだがな・・・」
「答えろ巌・・・この辺りに出現した、鬼蜘蛛や土蜘蛛を産みだしたのは・・・巴なのか・・・」
そう問いつめる宝仙に対し、巌は、懐に手を忍ばせる。
「・・・答える必要は・・・無い!!」
巌がそう叫ぶと、懐から取り出した輪宝護摩を、宝仙達に向けて投げ放つ。
「ッ!!」
「キャッ?!」
宝仙は咄嗟に、聖の襟首を掴むと、横に大きく跳んで避けた。
すかさず巌が、巴の部屋から飛び出すと、宝仙達との間合いを計る。
「・・・それが、あんたの答えか・・・よく解ったよ。」
巴という女は、俺が今まで出会った女達の中で、一番女らしいと言えた。
何にでも気が回り、器量も良く、気立ても良い・・・そんな女だった。
巴と桜は、歳が同じと言う事もあり、よく連んでいた。
俺が二人と出会って以降、桜が俺の事を、毛嫌いしている事を、巴はいつも心配していた。
結局、俺が本山に居る間に、桜とまともに話す事は出来なかった事が、巴にとって、心残りだったと、後になって桜から聞いた。
巴という女は、他人の笑顔を、こよなく愛する女だった。
そんな女が、俺の様な男に、どうしてあんな事を言ったのか、今でも俺にはよく解らない。
正式に、俺が金剛夜叉明王珠を、受け継ぐ事になり、任命式を明日に控えた日の夜の事。
俺は、巴に話しがあるからと、呼び出された。
「・・・話しって何だ?」
そう言って俺は、どこか迷いのある表情を浮かべている、巴に呼びかけた。
「・・・うん・・・ねぇ宝仙。明後日には、この山を下りて、旅に出るんだよね・・・」
「・・・あぁ。」
巴の言葉に頷きながら、俺は、満開に咲いた桜に、顔を向けた。
「・・・どうしても、行くんだよね・・・静菜の為に・・・」
そう聞かれ、俺はまた、顔を巴へと戻す。
「・・・消えちまった女に、出来る事なんて無いさ・・・ただ俺は、俺の罪と決着をつけたいだけさ。静菜を護れなかった、俺の罪と、人殺しだった俺の罪にな・・・」
「・・・それが、ただの自己満足だとしても?」
「そんな事は、百も承知だ。だが・・・己の罪を、理解していながら・・・目を背けたら、家畜以下だろ。」
「そう・・・そうやってあなたは、全てを受け入れるのね・・・そうやってあなたは、傷付いていくのね・・・」
そう呟いて巴は、酷く悲しそうな表情で、俯いてしまった。
「・・・あたしね・・・あなたが・・・好き。出来れば・・・あなたにここに居て欲しい・・・」
突然の巴の告白。
それに併せる様に、春の夜風で、桜の花びらが、まるで雪の様に、辺りに降りしきる。
「・・・すまんな・・・それは出来ない。」
風が止み、暫くの沈黙の後、俺はそう答えた。
「海淵が死んだ時・・・静菜が、俺の前から居なくなった時・・・俺は泣けなかった・・・今でも俺は、泣く事が出来ない・・・恐らく、この先もずっと・・・」
そう言って俺は、未だ俯いている巴から、顔を逸らし、また満開の桜へと視線を巡らす。
「俺には・・・人を好きになると言う事が・・・いまいち理解出来ない・・・それに、俺の手は・・・血に染まり過ぎている・・・そんな俺が、巴の様ないい女に、愛される資格など無い・・・」
「そんな事・・・無いよ・・・」
消え入りそうな声を聞きながらも、俺は巴に背を向け、歩き出した。
「好きでいて良いかな?」
背中越しに聞こえてきた巴の声に、俺はその場で立ち止まった。
「宝仙の事・・・あたし・・・これらも好きでいて良いかな?」
更に続く巴の言葉に、俺は酷く居たたまれない気分にさせられる。
「・・・なんで、そんな事を俺に聞く?」
「迷惑・・・じゃないかな・・・」
その言葉に、まるで併せるかの様に、俺達の間にまた、春の夜風が吹き抜ける。
その時巴が、どんな表情をしているのか解らなかった。
だがきっと、春の夜風に舞う桜の花びらの様に、儚い涙を流していたのかもしれない。
「・・・迷惑・・・なんかじゃないさ・・・」
そう呟いて俺は、また歩き出した。
「・・・出来れば、お主達には、見られたくなかった・・・」
そう言って巌さんは、悲しそうに俯いている。
「だがこうなる事もまた、予想していた・・・頼む、見逃してくれ・・・」
巌さんがそう言うと、部屋の中から、巨大な蜘蛛が出てくる。
そしてそのまま、森の中へと歩いていった。
「巴さん・・・なんですか?」
その蜘蛛の姿を見て、私の声がかすれる。
「・・・答えなければ、解らぬか?」
その一言に、ずっと否定し続けていた事が、現実なのだと思い知らされた。
「どうして・・・こんな事に・・・」
「・・・使ったんだな。」
私の言葉を遮り、師匠が巌さんに問いつめる。
「死んだ巴の死体に・・・使ったんだな。魂魄転身の法を・・・四代目宝仙が、鬼の魂を抽出し、その身に宿した様に・・・女郎蜘蛛の魂を抽出し、巴の死体に宿したんだな・・・」
師匠がそう言っても、巌さんは一向に答えようとはしなかった。
「答えろ巌!!」
師匠の叫びが、夜の寺院に響き渡った。
「・・・その通りだと言ったら、お主はどうする?」
魂魄転身の法、それは、妖怪の魂を抽出して、人の体に宿す法。
傷付いた人に使えば、妖怪の超回復力によって、瞬く間の内に癒す事も出来る。
亡くなった人に使ったら、その人を蘇らせる事も出来る。
けど、それと同時に、ある定めを背負わなければならなかった。
たとえ、妖怪の魂でも、無くなってしまった魂を、元に戻す事は出来ない。
だけど人の体に、妖怪の魂を宿し、安定させる為には、人の魂という触媒が必要だった。
だから妖怪の魂は、消えてしまった人の魂を求めて彷徨うようになる。
定期的に、他の人の魂で補わなければ、妖怪の魂は、消えてしまう。
そして、妖怪の魂を宿した人は、塵となって、骨すら残らない。
私が、金華龍を操る事が出来る様になった時、師匠から聞いた事だった。
「・・・決まってるだろ。」
師匠は、そう言うと、手にした錫杖を放り投げた。
「師匠・・・」
師匠のその行動を見て、不安になる。
巌さんと・・・戦うんですか・・・?
心の中で、そう聞くも、口に出る事はなかった。
「・・・聖、頼みがある。」
「え?」
巌さんから目を離す事なく、突然私に声を掛けてくる。
「巴を・・・止めてくれ・・・頼む。」
「そ、そんな・・・私に・・・」
「おまえなら解るはずだ・・・一歩間違っていたら、おまえもああなっていた。月華の言葉を思い出せ・・・」
顔を、巌さんから外す事もしないで、そう私に言ってくる。
月華さんの言葉・・・
『・・・私は・・・生きたい・・・けど!・・・それは・・・人として・・・生きたいって・・・事。他の人の・・・命を奪って・・・まで、私は・・・生きたく・・・無い・・・』
「月華は、おまえに出会って・・・答えを出したんだ。おまえになら解るはずだ・・・犠牲の上に成り立つ、平和なんて要らないと言ったおまえなら・・・俺の知る、巴という女は・・・そういう女なんだ・・・」
「私・・・ッ?!」
師匠から、視線を外すと、師匠の握りしめた拳から、血が流れているのを見つけて、息をのんだ。
「・・・頼む・・・聖・・・俺の代わりに、巴を救ってやってくれ・・・」
そっか・・・本当は、師匠が行きたいんだ・・・巴さんの所に・・・それなのに、私に頼むなんて・・・
「師匠は・・・それで良いんですか?」
「俺は・・・今の巴の想いを継ぐ・・・その為にここに居るんだ・・・」
その言葉を聞いて、私も、覚悟を決める事にした。
「・・・解りました。」
それだけ言って、私は走り出す。
「クロッ!!」
そう叫ぶと、隠れていたクロが、私の前に現れる。
「お願い・・・巴さんの所に、私を連れてって!」
クロの背中に飛び乗って、姿勢を低くする。
「御意。」
「行かせんぞ!!」
巌さんの叫びを聞いて、後ろを振り向くと、巌さんが、円盤状の物を、私たちに向かって投げていた。
バキッ!!
私たちと、円盤の間に、師匠が飛び込んでくると、師匠は素手で、円盤状の物を叩き落とした。
「勘違いするな巌・・・おまえの相手は、この俺だ。行け!聖!!」
「はい!」
私がそう答えると、クロは、巴さんが去っていった方向に向けて、走り出した。
暫くの間、鬱蒼とした森の中を走り抜ける。
周りの風景が変わり始め、満開に咲き誇った、桜の木々が行く手を遮っている。
あまりの桜の数に、なかなか速度の上がらない。
暫くして、森の一角で、急にクロが立ち止まってしまう。
「クロ、どうしたの?」
「・・・こそこそと隠れていないで、出てきたらどうだ。」
クロがそう言うと、茂みをかき分けて、二つの頭を持った白い狐が、姿を現した。
あの時の狐・・・まさか!
「久しいな・・・黒き神獣・・・」
「我等・・・貴様との決着をつける為に、はせ参じた次第だ・・・」
二つの頭を持つ狐は、それぞれの頭から、違う言葉を言いながら、クロに向かって、前傾姿勢で構えた。
「黒き神獣・・・黒炎よ・・・」
「我等と戦え・・・」
「これ以上、貴様等に力を付けさせる訳にはゆかぬ・・・」
「統べる者と、我等が悲願の為に・・・」
「・・・相変わらず、よく回る舌だな。」
白い狐に向かって、クロはそう呟く。
「主・・・しっかり掴まっておられよ・・・」
「・・・うん。」
クロの言葉の意味を察して、私は強くしがみつく。
それと同時に、クロはまた走り出した。
「逃がさんぞ!!」
白い狐の叫びに、後ろを振り返ると、白い狐が、私たちを追ってくる。
「すまぬ主・・・どうやら我は、主の手助けが出来ぬ様だ・・・せめて、主を送り届けようぞ・・・」
クロの呟きに、後ろに向けた顔を戻す。
「ううん・・・私は大丈夫だから・・・だから、負けないで・・・」
「御意・・・」
顔をクロの体に埋めて、強く抱きしめる。
「お願いだから・・・戻ってきてね・・・」
「・・・御意。」
暫くの間、クロにしがみついて、クロの健闘を祈る。
「・・・主・・・」
私を呼ぶ声に、埋めた顔を上げて、前を見据える。
見ると、森の先に道は無く、崖が広がっていた。
クロは、迷うことなく、空に向かって飛び出した。
眼下を見下ろすと、満開に咲いた桜の道を、蜘蛛と化した巴さんが、悠然と歩いていた。
そして、巴さんが向かっている方向に、目を向けると、その先には知らない村。
「・・・行くね。」
「お気をつけて・・・」
それだけ呟いて、しがみついていた手を開く。
「舞い降りよ、金色なりし煌めく龍!」
崖下へと落ちていく浮遊感を感じながら、頭に浮かんだ言葉を叫ぶ。
「金剛鬼神!金華龍!!」
最後にそう叫ぶと、変化は一瞬で終わった。
ズンッ!!
大地に降り立った私は、向かってくる巴さんに顔を向ける。
「キュイイイィィィ・・・」
いきなり現れた私に、蜘蛛と化した巴さんが、威嚇する様な鳴き声を上げる。
巴さん・・・絶対に、止めてみせる!
「・・・逆縁・・・という言葉を、知っているか・・・宝仙。」
対峙した巌が、不意にそう聞いてくる。
「若き者が、年老いた者より、先に逝っちまう事・・・」
「そうだ・・・それが、自分の子供ならば・・・これ以上の生き地獄は無い・・・解るか?お主に!」
「・・・それが理由か・・・解りたくもねぇな。どんな理由が有ろうと、この世の理を、曲げて良い理由なんて無い・・・死んだ者は、生き返らない・・・だからこそ、尊いんだ。」
「その尊い命を、貴様は一体どれほど奪った!貴様にそんな事を言う資格があるのか!!」
「・・・あぁそうだ・・・あんたの言う通りだよ・・・俺のこの手は、幾千の人間の血が染みついている・・・俺はただの人殺しだ・・・だからこそ、俺にはよく解るんだ・・・俺が奪った命は、二度と戻らない・・・」
「懺悔のつもりか!お主の言葉など、何処まで行っても綺麗事だ。」
「・・・そうだな・・・そうかもしれない・・・だが俺は・・・」
「・・・もう良い・・・お主の考えは、よく解ったよ・・・」
そう言って巌は、俺に向かって闘気を放ち、戦いの構えを取る。
「儂に言いたい事があるのなら、これで語れ・・・儂等の様な人種には、これが唯一無二の方法だろう・・・」
「・・・そうだな。」
そう言って俺も、巌と同じ型で構える。
僧兵院無明流。
俺が巌の元で教わった、妖怪と戦う為の武術。
俺の知る限り、僧兵院の中で、巌の右に出る者は居ない。
恐らく今でも、巌に追随する者は居ない。
対峙した事で、それが嫌と言う程よく解る。
俺が本山に居たあの頃と変わらない、引き締まった肉体。
巌の体全体から、にじみ出る様な闘気。
そして、巌の背後にちらつく、俺の死の映像。
・・・二年前、あんたが負けた理由が、何となく解ったぜ・・・
二年前の不動明王珠継承を掛けた戦いで、何故巌が負けたのか。
相手が強かった事もあるだろう。
だがそれ以上に、あんたが負けた理由は・・・
「・・・何故、錫杖を拾わない?」
不意に、沈黙を破って、巌が声を掛けてくる。
「お主の錫杖の秘密に、気がつかない程、節穴だとでも思ったか?」
「・・・バレバレか。」
巌から目を離す事無く、苦笑気味にそう答えた。
「素手で、儂に勝てると思っているのか?本山に居た頃・・・お主は、儂に一度として勝った事が無いにも関わらず・・・愚かなり。」
「・・・昔、ある男が、赤子を拾った・・・その男は、赤子に名前を付ける代わりに、赤子に戦う術を教えた。」
「・・・それがお主か。」
「あぁ・・・そうだ。そして、男が赤子に教えた物の名は・・・武神流六芸・・・あんたなら、聞いた事があるだろう。」
「・・・武の神に魅入られし者達が、互いを高めて辿り着いた、最強と称される殺人術・・・その話が本当なら、何故使わない・・・」
巌がそう言い終わると、一陣の夜風が吹き抜け、何処からか桜の花びらを運んでくる。
俺は、風が止むのを待ってから、声を発するべく、口を開いた。
「・・・あんたを、尊敬していたからさ・・・だから、あんた達の流儀に則り、土俵に乗る事にした・・・あんたに教わった物で、あんたを倒す・・・でなけりゃ、本当に超えた事にはならない。」
俺がそう言うと、巌の肩が小刻みに震え始めるのが解った。
「・・・綺麗事ばかり並べおって・・・ならば儂を超えてみろっ!!」
そう叫ぶと同時、俺も巌も走り出す。
「オンッ!!」
「オーンッ!!」
お互いが繰り出す右拳が激突し、霊気がぶつかり合って、青白い光を発する。
「お主はそんなにしてまで、巴を殺したいのか!!」
巌がそう叫ぶと、繰り出した右腕を引っ込める。
その反動で、左足の中段蹴りを、間髪入れずに放つ。
「あんなに成ってまで、巴が生を望んでいると思うのか!!」
その蹴りを、左の肘で叩き落とし、その位置から、左手で掌ていを打ち込む。
「そんな事、貴様に言われんでも、儂が一番よく解っておるわ!!」
極まると思った瞬間巌は、左足を納めながら、右手でそれを払った。
「だがそれでも!どんな姿に成っても、生きて欲しいと思うのが、親の心だろうが!!」
俺の右手を払うと同時、巌が俺の腕を掴み、背負い投げの体制に入る。
「あんたの勝手な想いに、巴を巻き込むんじゃねぇよ!!」
投げられそうになる瞬間、自分から地を蹴って、巌の背中に右膝をたたき込む。
だが、右腕を引っ張られていた所為で、十分な威力は出せず、そのまま投げ飛ばされてしまう。
母屋の土壁に激突する瞬間、何とか受け身を取って、廊下に着地する。
振り返り、巌を確認すると、もう眼前までやって来ていた巌と目があった。
「何が悪い!死にかけたお主が、助かった術を、巴に使って何が悪い!!」
早い!!
迫り来る、巌の右拳を、身を屈めてなんとか避ける。
ズドンッ!!
巌の拳は、俺の頭を掠めると、後ろの土壁を轟音と共に、破砕した。
「それが巴で、何が悪いというのだーッ!!」
間髪入れず、巌の左拳が、俺の顔面目掛けて飛来する。
バキッ!!
「ッ?!」
直撃する瞬間、避けられないと察した俺は、両手を交差させて、攻撃を防いだ。
「・・・何も悪かねぇよ・・・俺には、あんたを責める権利なんて無い・・・だが!」
そう言って、屈めた足に、力を込めて、一気に立ち上がる。
ガツンッ!!
そして、自分の頭を、巌の顔面にたたき込む。
「グッ・・・」
不意を突かれた巌は、顔面に走る激痛で、後ろによろめく。
「俺は・・・今の巴の意志を継ぐ為に、ここに居るんだ。」
「意志・・・だと?ふざけるなぁーっ!!」
よろめきながらも巌は、俺の足目掛けて、下段蹴りを放つ。
それを跳躍して避けると、一旦距離を取るべく、横に跳ぶ。
「巴が死んだと知っても・・・涙すら流さないお主が・・・何をほざくか・・・そんな事を言うのなら、何故、巴を置いて旅に出た!!何故、巴の願いを叶えてくれなかったのだ・・・」
それは恐らく、巴が俺に抱いた想い。
巌に返す言葉が思いつかない俺は、ただ黙って、立っている事しか出来なかった。
「儂だって・・・こんな事が正しいとは思わん・・・だが、これしか方法が無かったのだ・・・」
「・・・それでも・・・死んだ者は、蘇らない・・・蘇ってはいけないんだ・・・」
「それが・・・人の言う台詞か?それでもお主は人間か!!」
巌の叫びを一身に受けながら、静かに構えを取る。
「・・・ならば俺は、人間を辞めよう。甘んじて、外道と呼ばれよう。」
「クッ!!解らんのか・・・儂のこの気持ちが・・・お主には・・・」
「・・・解るつもりだ。俺だって、海淵を蘇らせたかったさ・・・だが、それは結局、俺の勝手な願いを、あいつに押しつけるだけだ!そんな事を・・・海淵も静菜も望む筈が無い。許される筈も無い!!」
「・・・果たしてそうかな?」
俺の言葉に対して、巌が気になる事を言ってくる。
「・・・どういう意味だ。」
「何故儂が、封印された筈の、魂魄転身の法を使えたと思う?」
それは俺も気になっていた事だった。
四代目宝仙が編み出した、数々の呪術。
その中でも、魂魄転身の法は、その危険性から、禁呪とされ封印された一つだ。
禁呪の封印された場所は、各地に点在し、その全てを、どこの宗派でも把握しきれないのが現状だ。
把握しきれた所で、俺達明王衆には、一切場所は教えられていない。
それにも関わらず、巌は禁呪の一つを手にいれた。
何かの偶然で手に入るかもしれないが、あまりに都合が良すぎる。
「・・・あの子は、悲しそうな表情で、これを渡してくれた・・・」
そう言って巌は、懐から巻物を取り出す。
そして、その巻物には、かすれた字で『魂魄転身』と書かれていた。
・・・あの子・・・まさか・・・
「・・・会ったのか?静菜に・・・刹那に会ったのか?!」
自分でも驚く程の声量で、巌に向かってそう叫ぶ。
「この村に・・・刹那が居たのか・・・?答えろ!!」
「・・・巴が亡くなった日・・・刹那は現れた・・・」
「ッ?!」
その事実を、目の前に突きつけられて、自分でも動揺しているのが解った。
「お主より・・・あの子の方が、よっぽど人間らしかったぞ!!」
その隙をついて、巌が飛びかかってくる。
「クッ!!」
ダンッ!
身をよじり、来る攻撃を避けようとするが、巌の方が一瞬早く、俺の懐に潜り込んでくる。
左足を踏み込み、右の拳が、俺の胸板に叩き込まれる。
後ろに吹き飛ばされそうな衝撃を受けながら、巌は次の行動に入る。
ダンッ!
刹那の瞬間、更に右足を踏み込み、右腕を折り畳む巌。
まずい!これは、巌の得意技・・・龍槍の構え・・・クッ!!
龍槍とは、一撃目と、全く同じ場所に寸打を決める技で、巌がもっとも得意とした技だ。
一撃目の衝撃と、二撃目の寸打の衝撃が、相手の体の中でぶつかり合う事で、内蔵を破壊する。
更に、一撃目と二撃目を、間髪入れずに決める事で、通常よりも二倍の腕の長さになる。
巌の様な屈強な男が繰り出せば、これ以上ない破壊力が生まれる。
「この技で眠れ!宝仙!!」
「グァッ!!」
ドゴンッ!!
廊下の端まで、一気に吹き飛ばされた俺は、壁に背中を強く打ち付けられる。
「ガハッ!」
背中を強く打ち付けられた事により、息が出来なくなる。
「・・・ッ!・・・ハッ・・・ハッ・・・」
呼吸困難から、意識が飛びそうになるのを、必死でつなぎ止めながら、巌を睨み付ける。
「・・・あの一瞬の間に、後ろに飛ぶと同時に、僅かに打点をずらして、直撃を避けたか・・・さすがだ。」
「ハッ・・・ハァ・・・ウッ・・・」
言葉を出そうにも、息が出来ない為、声が出ない俺の目の前まで来た巌は、その場で俺を見下ろしてくる。
「・・・くだらん意地を張らず、本領を発揮すれば良いものを・・・」
確かに・・・な・・・
そう心の中で答える。
「・・・これから儂は、あの娘を止めに行く・・・最悪、殺す事になろうとも・・・儂は巴に、生きていて欲しいのだ・・・」
そう言って巌は、俺に背を見せ、歩き出す。
「儂の勝ちだ・・・もう儂等に構わんでくれ・・・」
「クッ・・・クゥッ!」
巌の裾を掴もうと腕を伸ばすが、その手は虚しく虚空を掴む。
クソ・・・意識が・・・飛ぶ・・・
薄れゆく意識の中で、今の巴が俺に託した言葉を思い出す。
・・・負けられねぇ・・・例えこの身が砕けようと・・・
「ウオオォォォーッ!!」
「ッ?!」
体を無理矢理起こし、空高く咆吼を上げる。
「はぁ・・・はぁ・・・何処行くよ大将・・・まだ勝負は着いてないぜ・・・」
そう言って、痛む体に鞭打って、不適に笑ってみせた。
ハアアアァァァーッ!!
「グオオオォォォーッ!!」
獣じみた咆吼を轟かせながら、女郎蜘蛛に向かって、拳を叩き込む。
「ギチギチ・・・ギイイイィィィー!」
女郎蜘蛛は、鳴き声を上げながら、縦に割れた口を蠢かせ、白い糸を吐き出す。
その糸が、私の腕に絡み付いて、私の動きを止めようとする。
こんな物!
ブチブチブチ!
吐き出された糸を、両手で掴むと、思いっきり引っ張って引きちぎる。
ブォン!
間髪入れず、女郎蜘蛛は、その鋭いかぎ爪で、斬りかかってくる。
身を屈めて、その攻撃を避け、通り過ぎた瞬間を見計らい、突進する。
ドォン!!
「ギィ?!」
女郎蜘蛛に体当たりすると、蜘蛛の巨体が後ろに吹き飛ぶ。
私と巴さんとの、力の差は歴然だった。
「ギ・・・ギィ・・・」
ハアアアァァァーッ!!
「グオオオォォォーッ!!」
ズドン!!
起きあがろうとして藻掻く、蜘蛛の足目掛けて、拳を叩き込む。
その衝撃に、右の前足が千切れて吹き飛んだ。
「ギイイイィィィーッ!!」
それに次いで、蜘蛛の苦しそうな悲鳴が、辺りに木霊した。
ッ?!
『ためらう事無かれ・・・』
頭の中に直接、金華龍の声が聞こえてくる。
・・・解ってるよ・・・
私と金華龍は、意識が繋がっているので、私の感情が、金華龍にも解ってしまう。
けど・・・巴さんなんだよ・・・私、巴さんを傷つけてるんだよ?
女郎蜘蛛と化した、巴さんを攻撃する度に、心臓が締め付けられた様に痛くなる。
何か・・・方法は無いの?
『彼者を戻す方法は・・・残念ながら無い・・・迷えば、死ぬのは聖殿也・・・』
解ってる・・・解ってるよ!!
同じ存在であり、最初に産まれた金華龍が言うのだから、本当に方法は無いんだろう。
けど・・・割り切るなんて、出来ないよ!!
『・・・辛いのなら、我が代わろう・・・我は、汝の心を護る、盾と成ろう。』
ッ!!
金華龍の申し出は、はっきり言って嬉しかった。
私・・・嫌な子だ!金華龍に、そう言われて、ほっとするなんて・・・
『例えそうであったとしても・・・誰も・・・聖殿を責めたりしない・・・我と代わるか?』
ありがとう・・・けど、師匠と約束したんだ・・・巴さんを救うって・・・
逃げられない、逃げたくない。
そう思って、私は顔を上げる。
ッ!!
「ギイイイィィィー!」
顔を上げた瞬間、間近に蜘蛛の口が迫っていた。
それを両手で何とか掴み、押し戻そうとする。
蜘蛛は、鋭い牙を、私に突き立てようとしている。
巴さん・・・ッ!!
ブシュッ・・・
背中に激痛を感じ、横目で確認すると、鋭い爪が、背中に突き刺さっていた。
『・・・痛覚を切る。』
そう金華龍が言うと、背中から痛みが感じなくなった。
『気をつけられよ・・・』
・・・ごめん・・・ッ!!
ゴンッ!!
金華龍に謝ってから、蜘蛛の顔を片手で支え、空いた手で、蜘蛛の顎と思われる場所に、拳を入れる。
その衝撃で、蜘蛛は背中から倒れ込んだ。
背中から爪も外れて、自由になった私は、両足に力を込めて、天高く飛び上がる。
ハアアアァァァーッ!!
「グオオオォォォーッ!!」
拳を振りかざし、蜘蛛に向かって落下していく。
早く、巴さんを解放させてあげたい・・・その一心で、一杯だった。
蜘蛛のお腹に向かって、どんどん落ちていく。
すると蜘蛛は、お尻から糸を吹き出し、木に結びつけると、すごい勢いで移動する。
クッ!!
ズンッ!!
轟音と共に、大地に着地した私は、一旦立ち上がると、蜘蛛に体を向ける。
蜘蛛は、体を起こそうと、足を蠢かせていた。
私は、左足を一歩前へ出して、半身で構えると、右腕をギリギリまで引き絞って、狙いを定める。
右手に意識を集中すると、熱を帯びていくのが解る。
そうこうしていると、蜘蛛がようやく、足を地につけて、起きあがり始める。
それを見計らって、左足に力を込めて、走り出す。
ハアアアァァァーッ!!
「グオオオォォォーッ!!」
蜘蛛が完全に起きあがる前に、蜘蛛の胴体に、右手を叩き込もうとする。
その瞬間、巴さんの顔と、目があってしまった。
ッ!!
私の右腕が、蜘蛛に叩き込まれる瞬間、当たる寸前で止めてしまった。
目があった瞬間、覚悟したはずの決心が揺らぎ、動けなくなってしまった。
・・・出来ない・・・出来ないよぉーっ!!
心の中で叫ぶと、自然と涙が頬を伝っていく。
『聖殿・・・』
巴さんなんだよ・・・どんな姿をしていても・・・やっぱり、巴さんなんだよ?
『・・・それが、汝の出す答えか?』
・・・解らない・・・どうしたら良いのか・・・ッ?!
不意に、首筋から、何かが体の中に入ってくる嫌悪感を感じた。
「グギャォォォー・・・」
そして、私の口から、私の意志に反して、苦しそうな叫び声が上がる。
金華龍?!
『・・・神経系の・・・毒が・・・我が体内に・・・進入・・・した・・・』
そう言われて、首筋を見てみると、蜘蛛の牙が深々と突き刺さっていた。
蜘蛛を引きはがそうとしても、金縛りにでもあったかのように動こうとしない。
『・・・解毒するにも・・・時間が・・・かかる・・・すまぬ・・・』
違う・・・違うよ!金華龍は悪くない・・・悪いのは、私なんだから・・・
金華龍の言葉を聞いて、私の胸に、後悔の念と絶望が押し寄せる。
私が・・・私がためらったから・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい!!
突き立てられた牙から、尚も毒は入ってきている。
私の体は、ビクビクと痙攣し始める。
今の私には、自分の不甲斐なさと弱さを恨み、金華龍に謝る事しか、頭に無かった。
森の中に、一陣の風が吹き抜け、咲き誇る桜の花びらが舞い上がる。
先ほどまで、辺りを照らしていた月は、今は雲に隠れてしまい、辺りは薄暗かった。
そんな中、黒い炎を纏った黒炎は、一点を見つめていた。
「・・・鬼ごっこは、もうお終いですか?」
不意に、辺りに響く女の声。
そしてその後に、茂みから人影が現れる。
それと同時に、雲に隠れていた月が、顔を覗かせ、人影を照らし出す。
雪のように白い髪に、白い肌。
着ている服も白ならば、胸を護っている鎧も白。
両肩には、狐の頭を模した肩当て。
そして尻には、二本の白い尻尾が生えていた。
「・・・それが貴様の真の姿か・・・白光・・・」
黒炎がそう言うと、白い女・・・白光は、細い目を更に細くすると、冷笑を浮かべている。
何処までも冷たく、何処までも残忍な、そんな笑顔で黒炎を見つめる。
「・・・貴殿にお会いして、我の考えは確信へと変わりました・・・キメラを倒したのは、貴殿ですね?」
「・・・きめら?」
聞き慣れない言葉を耳にして、黒炎は訝しがる。
「彼は自分の事を、喰鬼・・・等と申していた様ですが・・・ご存じ有りませんか?幾多の力を操る人間の事を・・・」
「・・・奴の事か・・・そうか・・・全て、貴様等の・・・統べる者とか言う奴の仕業か・・・貴様・・・一体何が目的だ・・・」
白光を、油断無く見据えて、黒炎はそう聞き返した。
「なに・・・至極簡単な事ですよ・・・これ以上あなた方に、力を付けさせると、後々面倒な事になるやもしれませぬ・・・と、言うのは建前です。」
白光は、黒炎を嘲り笑うかの様に、これ以上ないと言う程、口を大きく広げて笑っている。
「我がここに来た理由は一つ・・・貴殿と決着を着けたい・・・ただそれだけですよ。」
そう言い終わると、白光の両肩の、狐の頭の口から、紫色の煙が吐き出され始める。
それが、まるで意志を持っているかのように、黒炎へと向かって迫る。
「・・・毒煙か・・・くだらん。」
そう呟くと黒炎は、黒い炎の勢いを増させ、自分の周りに空気の層を作ろうとする。
「ッ?!」
ドゴオオオォォォーン!!
それに次いで巻き起こる大爆発。
爆風で辺りの木々は倒れ、火の手が上がり始める。
爆発を予測していた白光は、大きく後ろに跳躍して、事なきを得ていた。
「・・・ほんの挨拶代わりと、周りの木々が邪魔でしたので・・・貴殿も、それ相応の姿を、我にお披露目くださいまし。」
爆発に巻き込まれなかった木の上から、爆発の起こった中心を見下ろして、白光が声を掛ける。
暫くして、燃えさかる炎に異変が起き始める。
燃えさかる赤い炎が、全て黒い炎へと変わると、一点に集まり始める。
それは巨大な、炎の固まりとなり、渦を巻き始める。
「・・・確かに、貴様が本気なら・・・俺もまた、本気で挑まなければ、失礼というものだな・・・」
炎の固まりから、声が聞こえてきたと思った次の瞬間、炎が爆ぜて、中から一人の青年が現れる。
黒い髪に、浅黒い肌。
力強く吊り上がった眉と瞳。
頭には、犬のような耳が飛び出て、尻には、ふさふさとした黒い尻尾。
体中に、入れ墨の様な痣が浮かび上がり、額には月を表す紋章が刻み込まれる。
爆ぜた炎が、青年の前に集まり始めると、それが形を成し始める。
青年と化した黒炎が、それを手に取ると、一本の槍へと姿を変えた。
「・・・素晴らしい・・・予想以上ですねぇ・・・とても・・・美しい・・・」
黒炎の姿を目の当たりにした白光は、うっとりした表情で、頬を染め上げていた。
「・・・少々忍びないですが・・・決着を着けるとしましょうか。」
白光が、名残惜しそうにそう言うと、彼女の周りに、光の輪が幾つも現れる。
「円形奇剣・・・千光輪・・・貴殿の槍の名は?」
問われ黒炎は、矛先を白光へと向けて構える。
「・・・黒月牙・・・」
黒炎の答えを聞いて、白光は、満足そうに頷く。
「我が上か・・・貴殿が上か・・・ようやく・・・決着を着ける時が、来ましたねぇ・・・」
「・・・御託は良いから、さっさと来い・・・貴様の余田話を聞いていられる程、俺は暇ではない・・・」
そう言う黒炎に対し、白光は、これといって怒る素振りも見せず、相変わらず冷笑を浮かべている。
「・・・何を焦っておられるのですか・・・今は我との一時を、堪能して貰いたいものですねぇ。それとも・・・そんなに心配ですか?あなたの主の事が・・・」
その一言に、黒炎の肩が一瞬震える。
「安心してください・・・ちゃんと、あなたの後を、追わせてあげますか・・・ッ?!」
そう言いかけた瞬間、白光の前から、黒炎の姿がかき消える。
「ッ!!」
次の瞬間、背後に現れた気配に、白光は戦慄する。
「・・・御託はいい・・・そう言わなかったか?」
白光の背後に出現した黒炎の言葉を聞いて、白光は、大きく跳躍して、間合いを取る。
「・・・貴様の余田話はうんざりだ・・・殺してやるから、さっさと来い。」
「・・・殺してやる・・・ですか・・・良いですねぇ。それがあなたの本性ですか・・・」
黒炎の気迫に、冷や汗を浮かべながらも、白光は、笑顔を崩さない。
「では・・・お望み通り・・・」
白光がそう言うと、彼女の周りを飛び交う無数の円盤が、一斉に黒炎目掛けて飛来する。
だが、次の瞬間、黒炎の姿はまたかき消え、目標を無くした円盤が、虚しく空を切るだけだった。
「ッ?!」
そして、一拍置いて、白光の目の前に、姿勢を低くし、槍を引き絞って、白光に狙いを定める黒炎が姿をみせる。
「・・・終わりだ。」
ボッ!!
風の悲鳴を轟かせ、槍を打ち放つ黒炎。
ガギャギャギャギャ・・・
「ッ?!」
次の瞬間、驚きを見せたのは、黒炎の方だった。
全て撃ち尽くしたはずの、白光の円盤が、黒炎の槍を阻んで、豪快な音を響かせていた。
そして、その光景を前に、余裕の表情を浮かべている白光。
「フフフ・・・その奇剣の本来の役目は、武器ではなく盾・・・そしてそれは、一つ一つが目にもなり、牙となる・・・」
ザシュッ!!
白光が目を閉じながらそう言うと、円盤の一つが、黒炎の肩を切り裂く。
「・・・チッ・・・」
黒炎が、一つ舌打ちを漏らすと、また姿がかき消え、今度は、白光の頭上に現れる。
「ッ?!」
それを予測していたかのように、無数の円盤が、黒炎目掛けて飛来する。
ガガガガン・・・
その全てを、槍ではじき飛ばすと、そのまま黒炎は、白光に斬りかかる。
ガギャギャギャギャ・・・
だが、その斬撃も、虚空から現れた円盤に阻まれてしまう。
「・・・無駄・・・です。いくらあなたが早く動けようと・・・この世に、光より早く動ける者が、存在する訳がありませんからねぇ・・・」
目を瞑ったまま、顔を向ける事無く、白光の呟く声が聞こえる。
ザシュザシュザシュ!!
それに続くように、黒炎の周りに現れた円盤が、黒炎の体を切り刻む。
たまらず黒炎は、一旦距離を取るべく跳躍する。
「クッ!!」
だが、一瞬早く、黒炎の着地地点に、光る円盤が現れていた。
ザシュ!!
光の円盤は、黒炎の頭目掛けて飛来する。
それを、空中で身を捻って、何とか直撃は避けたが、額を切り裂かれ、血が止めどなくあふれ出す。
「ホホホ・・・我の円舞・・・お気に召しましたか?」
そう言って、まるで踊るように、その場でくるくる回転して魅せる白光。
対して黒炎は、全身から血を流しながら、静かに構えを取る。
「・・・先ほど、貴様が言った盾・目・牙という意味が、ようやく解った・・・」
全身から血を流しながらも、至って冷静に、黒炎がそう呟いた。
「・・・ほぉ・・・」
「その円盤・・・俺が攻撃に移る、刹那の瞬間に放つ殺気に反応している様だな・・・その証拠に、俺が最初、貴様の背後を取った時、反応しなかった・・・それと、俺が槍を構えても、未だ貴様の頭上の上にある・・・背後を取った時も今も、殺気は殺している事から考えれば、すぐに解る。それに加えて、光の速度と、恐ろしく精密な動きで、完全に攻撃を遮断する・・・正に、無敵の盾という訳だ・・・」
「フフフ・・・さすがですねぇ・・・たったこれだけの時間で、そこまで見抜くとは・・・」
種がバレても、全く狼狽える事なく、冷笑を浮かべている白光。
「そして・・・弱点は、鉄壁とも言えるその防御輪一つと、その他の攻撃輪は、全体が一定以上の妖気を超える事は無い・・・恐らく、元々は一つの円盤を、攻撃用・防御用に分裂させている所為で・・・攻撃輪を動かす瞬間、防御輪の妖気と繋がっている為、防御輪の強度が落ちる・・・違うか?」
眉一つ動かす事無く、黒炎は冷静にそう語る。
「・・・えぇ・・・その通りです。」
さしもの白光も、さすがに冷笑を浮かべるのを辞めて、黒炎と対峙する。
「・・・ですが、それが解った所で、貴殿が不利な事には変わりません・・・どうするおつもりですか?」
「・・・決まっている・・・貫くだけだ・・・」
「・・・そうですか・・・では。」
白光がそう呟くと、彼女の周りを飛び交っていた円盤が、一カ所に集まり始める。
「・・・これでも、貫けるとお思いですか?」
そう言う白光の目の前には、大きさこそ変わりないが、目映い光を放つ円盤が、彼女を護る様に回転していた。
「・・・貫くさ・・・」
そう言って黒炎は、いつでも飛びかかれる様に、両足に力を込める。
『グギャォォォー・・・』
『ッ?!』
不意に、何処からともなく、苦しそうな獣の咆吼が聞こえてくる。
それを耳にした両名は、咆吼が聞こえてきた方角へと顔を向ける。
「・・・聖・・・」
嫌な胸騒ぎを覚えた黒炎は、自分の主の名前を、ポツリと呟いた。
「・・・どうやら、あちらもそろそろ決着が着くようですねぇ・・・」
そう言って白光は、また冷笑を浮かべて、顔を黒炎へと戻す。
「・・・どけ・・・」
「フフフ・・・何を今更・・・我を倒さなければ、ここより先は・・・ッ!!」
白光が、そう言いかけた所で、黒炎は、地を蹴って、真っ向から突進していく。
ガギャギャギャギャ・・・
黒炎の槍と、白光の円盤がぶつかり合い、轟音と共に、白い火花を咲かせる。
「ホホホ・・・無駄ですよ・・・先ほどと違い、全ての妖気を、一点に集中しているのです・・・壊れ様筈が・・・」
ピシ・・・
そう白光が言いかけた瞬間、円盤に無数の亀裂が走った。
「なっ?!」
「どけえええぇぇぇーっ!!」
バキンッ!!
黒炎の鬼の形相と共に、白光の円盤は、粉々に吹き飛んだ。
そして黒炎は、そのまま白光の横を通り過ぎて、走り去っていく。
「ま、待ちなさい!!まだ我との決着が・・・」
そう叫んで、走り去る黒炎に体を向けた所で、白光は、黒炎が槍を手にしていない事に気がついた。
恐る恐る、自分の腹に視線を落とすと、そこには、深々と突き刺さっている一本の槍。
「あ・・・あぁ・・・」
愕然とした表情で、その槍に手を添えると、それを見計らっていたかの様に、槍は、黒い炎へと変貌し、白光を包み込む。
「あ・・・あぁ・・・熱い・・・熱いいいぃぃぃーっ!!」
黒い炎を、必死に振り払おうとする白光。
しかし、火の手は収まらず、容赦なく体を燃やしていく。
「ギャアアアァァァーッ!!」
断末魔の絶叫を上げて、白光は、その場に倒れ込んだ。
黒い炎は、暫くの間、白光の身を燃やし続け、火の手が収まると、そこには消し炭しか残らなかった。
金華龍の体は、毒が体に回って、首から下の感覚が、完全に無くなっていた。
蜘蛛と化した巴さんは、口から糸を吐き出しながら、私の体に巻き付けている。
『・・・恐らく・・・我が肉体を、小蜘蛛の床にするつもりなのだろう・・・』
それって・・・
『我の鬼気を養分にしたならば・・・早く孵化する上、強い子孫を残せる・・・そうなれば、我が身も危うい・・・』
まるで人ごとの様に、自分の置かれている状況を、淡々と私に説明してくる金華龍。
そんな金華龍に、私は、申し訳ない気持ちで一杯だった。
・・・ごめん・・・なさい・・・私の所為で・・・
『・・・諦めるか・・・それも良かろう・・・』
え?
『・・・彼者を見てみよ・・・聖殿の目には、何が見える?』
金華龍にそう言われ、僅かに動く首を、必死に動かして、巴さんを見てみる。
相変わらず、口から糸をはき続けながら、八つの瞳に、私の姿が映っている。
糸はすでに、体を覆い尽くしているけど、それでも、賢明に頭を動かす。
そして、私は見てしまった。
蜘蛛の胴体から生えている、女の人の上半身。
それは紛れもなく、巴さんの姿で、巴さんの顔で・・・
その巴さんの瞳から、流れる涙・・・
巴・・・さん・・・ッ!
そして筈かに、巴さんの口は、声にならない言葉を、繰り返し呟いていた。
こ・・・ろ・・・し・・・て・・・殺して・・・
その言葉の意味に気がついた時、自然と涙がこぼれだした。
巴さん・・・
私の涙に気がついたのか、巴さんは、悲しそうな表情で、私を見つめてくる。
次第に、糸が顔を覆い、蜘蛛の姿も、巴さんの顔も見えなくなってしまった。
『・・・今の彼者は、妖怪の本能に突き動かされている・・・その本能に、彼者は抗う術を知らぬ・・・』
・・・巴さん・・・意識があったんだね・・・
『このまま・・・諦めるか?それとも・・・決断の時は・・・今・・・也。』
そう迫られ、私にはまだ、残された手が有る事を思い出す。
それは、私の左耳に付いている、孔雀明王珠の事。
・・・お願い・・・孔雀明王珠・・・私に力を貸して・・・今、私にはあなたの力が必要なの!だから・・・
意を決し、孔雀明王の梵字を、心の中で思い浮かべる。
マハーマユーリ!!
カッ!!
視界が遮られたにも関わらず、瞼の裏を焼く程の目映い光が、左耳から発せられる。
「ギィ?!」
その光に驚いたのか、蜘蛛の鳴き声が聞こえてくる。
暫くして、光が収まると同時に、首から下の感覚が蘇る。
ハアアアァァァーッ!!
「グオオオォォォーッ!!」
両手に力を込めて、糸を引きちぎろうと藻掻く。
けど、幾重にも巻き付けたのか、なかなか引きちぎれない。
クッ!!このおおおぉぉぉーっ!!
「オオオォォォーッ!」
更に力を込めるけど、千切れる素振りはなかった。
「槍よ!来いっ!!」
不意に、辺りに響き渡る、男の人の声。
ザシュッ!!
次の瞬間、私を戒めていた糸が弛んだ。
自由になった体を起こして、声が聞こえた方向に顔を向ける。
誰・・・?
そこには、全身から血を流している、浅黒い肌の男の人が、荒い息をしながら立っていた。
『黒炎殿・・・』
え?!
金華龍の呟きに驚きながらも、大地を蹴って、その男の人の傍に移動する。
「・・・間に・・・あった・・・か・・・」
ッ!!
男の人は、私を見つめてそう言うと、安心した様に微笑んで、倒れ込む。
それを腕で抱えた瞬間、男の人の体が光に包まれ、姿を変えていく。
クロ・・・
私の腕の中に居たのは、いつも私を慕ってくれる、黒い巨大な狼の姿だった。
・・・こんなになって・・・ごめんね・・・いつも心配ばかり掛けさせちゃって・・・
私の腕の中で、意識を失っているクロを、大地に横たえさせてから、その体を優しく撫でる。
出血の割には、傷は大した事はないみたいだった。
・・・後で、ちゃんと治してあげるからね・・・少し辛抱しててね・・・
そう思った所で、私は立ち上がって、蜘蛛と対峙する。
・・・巴さん・・・こうするしか、方法が無いのなら・・・私は、あなたを・・・
右手に意識を集中して、姿勢を低くし構える。
「キシャッ・・・キシャッ・・・」
蜘蛛は、威嚇する様な声を上げながら、足を蠢かしている。
そして、蜘蛛の胴体から生えている、女の人は、祈る様に両目を瞑っていた。
・・・ッ!!
意を決し、大地を蹴って、蜘蛛に向かって突進していく。
「キュイイイィィィーッ!!」
奇声を発しながら蜘蛛は、前足を振りかぶってくる。
ドス・・・
鋭い爪の生えた前足が、私のお腹に突き刺さる。
それでも私は、勢いを止める事無く、蜘蛛の懐に飛び込む。
ハアアアァァァーッ!!
「グオオオォォォーッ!!」
ドガンッ!!
轟音を轟かせ、金色に光り輝く右手を、蜘蛛の胴体に叩き込む。
「ギュイイイィィィーッ!!」
一際大きい奇声を発しながら、蜘蛛は、暴れ狂う。
アアアァァァーッ!!
ズブズブ・・・
更に踏み込み、右腕を更に深く、蜘蛛の体内に押し込める。
蜘蛛の傷口から、紫色の体液が吹き出し、雨の様に、私の体を濡らしていく。
「ギイイイィィィー・・・」
絶叫と共に、蜘蛛は次第に動かなくなっていく。
やがて、蜘蛛の足が、白い塵に変わり始める。
足の次は、胴体、頭と続き、最後は女の人の体も、下半身から塵に変わっていく。
「・・・ア・・・リ・・・ガ・・・トウ・・・ヒジリ・・・サン・・・」
ッ!!
その声に、女の人の顔に、目を向けると、巴さんは、安らかな微笑みを携えて、私を見つめていた。
「コ・・・レデ・・・ヨ・・・カッ・・・タ・・・ノ・・・ダカ・・・ラ・・・ナカ・・・ナイ・・・デ・・・」
巴・・・さん・・・ッ!!
体の崩壊は、すでに顔にまで達し、巴さんは、目を瞑った。
『笑っていて・・・それが私の供養だと思って。それから・・・宝仙の事・・・お願いね・・・』
巴さんの体が、完全に塵へと変わった時、最期にそう言い残し、巴さんは、消えて亡くなった。
巴さん・・・ともえ・・・さん・・・ッ!!
私と同じで、師匠の事が好きだった巴さん。
出会ったばかりの私に、優しい笑顔を向けてくれた巴さん。
こんな時にまで、私に笑って居てと願った巴さん。
そんな巴さんを、私は・・・私は・・・
ウワアアアァァァーッ!!
「グオオオォォォーッ!!」
天に向かって、声の限り叫ぶ。
それに併せて、桜の花びらが、天に向かって舞い上がっていく。
アアアァァァー・・・
「オオオォォォー・・・」
慟哭の叫びは、いつまでも鳴りやむ事は無かった。
「・・・何故だ・・・何故立ち上がる・・・」
「ハァッ!ハァッ!・・・」
痛む胸を押さえながら、荒い息を何度も繰り返す。
痛みの感じからして、肋骨にヒビが入っている様だった。
「・・・そんなに・・・そんなに巴を殺したいのか!宝仙!!」
「はぁ・・・はぁ・・・フゥー・・・」
痛みを堪え、目を瞑り、深く深呼吸を一つ吐く。
そして、自然体で構え、目を開いて、巌を見据える。
「・・・俺を止めたきゃ・・・俺を殺す事だな・・・」
「・・・ならば・・・望み通りにしてくれるわ!!」
俺の言葉に、怒り心頭といった感じの巌は、俺目掛けて突っ込んでくる。
それを見据えながらも、俺は動こうとしなかった。
「お主は言った!死んだ者は蘇らないと・・・ならば何故もっと早く、儂等の前に現れなかった!!」
ゴツッ!!
巌の強靱な肉体から放たれた右拳が、俺の左頬に直撃する。
「静菜より先に・・・いや、あの子が亡くなる前に、お主が現れておれば、また違った結果に成っていたかもしねぬと言うのに!!」
ゴンッ!!
右腕を引き込めると同時に、今度は左腕で、俺の脇腹を打ってくる。
「お主で無くても良い・・・あの御方さえ・・・綾様さえ居て居られれば・・・ッ!!」
ガンッ!!
次いで、巌の右足による、下段蹴りが、俺の左スネに直撃する。
全く効いていない訳ではない。
だがすでに、精神が肉体を凌駕して、痛みを感じなくなっていた。
ガシッ!
それまで、成されるがままだった俺は、おもむろに巌の胸ぐらを掴んで、自分の顔に近づける。
「・・・言いたい事は・・・それだけか・・・」
「・・・何?!」
「今も何処かで、誰かが死んだだろう・・・明日も何処かで、誰かが死ぬだろう・・・俺達は神じゃない。目に見えない者を救う事なんて出来ないし、俺は救おうとも思わない。」
「神だと・・・?儂が神に何をした・・・神が儂に何をした!!儂は今まで・・・仏の道を信じておった・・・だがその結果がこれだ!!何もしない神ならば・・・居ない方がマシだと言う事が、よく解ったわっ!!」
「悪いが俺は・・・物心付いた時から、そんな事解ってたぜ・・・この世の何処に神が居る・・・人が人として生きるのも困難なこの世の何処に神が居るっ!!」
ゴンッ!!
言い終わるや、俺は巌の額に、自分の額をぶつける。
巌は、よろめき後ずさりながらも、俺を睨む事を止めなかった。
「巴の死を、誰かの所為にする・・・俺や綾・・・終いには神だ。楽で良いよな・・・」
「なんだと・・・」
俺の言葉に、巌の表情が、より一層険しくなる。
それでも俺は構わず、先を続けるべく口を開いた。
「自分が傷付かない為に、俺達の所為にする・・・そうしなけりゃ、何も出来なかった自分に、押しつぶされそうなんだろ?全く・・・良いご身分だぜ。」
「黙れ・・・黙れ黙れ黙れーっ!!」
「図星を付かれて、怒ったか・・・あんたそんなに人間小さかったのかよ・・・」
「うるさい!!貴様とて同じであろうがっ!!そんなに言うので有れば、今すぐこの場で、海淵を蘇らせてみよっ!!」
「・・・死んだ人間を蘇らせる事など、誰にも出来ない・・・まだ解らないのか・・・あれは、巴じゃ無いんだよ・・・」
「何を言っている・・・巴は蘇った!お主と違い、儂は巴を蘇らせたのだっ!!」
「巴じゃ無いんだ・・・あれは、巴の人格と記憶を元に、女郎蜘蛛が、巴という器を操ってるだけなんだよ・・・」
「な・・・んだと・・・」
俺の言葉に、巌は明らかに動揺を露わにする。
「あんたの持ってる巻物には、書かれていないだろう・・・魂魄転身の法を、死者に使えばどうなるか・・・そこまで書かれていなかっただろう・・・代々宝仙を受け継ぐ者にしか教えられない、禁忌だからな・・・」
まだ聖にも、教えていない事、魂魄転身の法が編み出された際に起こった悲劇。
幾重の実験の結果、死者に使えばどうなるのか、まだ聖にもその事は、さわりの部分しか教えていない。
「妖怪の生命力でも・・・亡くなった命を、元通りにする事は出来ないんだ・・・ただ、その器に残された記憶と人格で、妖怪の魂は、二つの働きをしなければならなくなる・・・人間に成りきろうとする心と、妖怪の本能・・・何故人間に成りきらなければならないのか・・・そうしなければ、妖怪の魂は安定しない・・・妖怪の魂を安定させるには、人の魂だけでなく、人の心も必要なんだ。そして妖怪の本能は、人間の器と妖怪の魂を定着させる為に・・・自身が生き延びる為だけに、人間の魂を求めて彷徨う・・・そして、巴の人格と記憶を受け継いだ妖怪の心は、その行為に傷付く・・・そして、魂を求め彷徨っている間の記憶を、妖怪の本能が消し去る・・・そうしなければ、巴に成りきろうとする心が、自己崩壊を引き起こす・・・解るか・・・巌・・・」
「そんな・・・そんな馬鹿な・・・」
魂魄転身の隠された闇の部分。
それを知って巌は、愕然と項垂れていた。
「・・・それでも・・・あの子は・・・儂のかわいい娘だ・・・娘なのだ・・・」
暫くして、そう呟きを漏らし、静かに構えを取る巌。
「・・・先ほど・・・お主は言うたな・・・人間を辞め、甘んじて外道と呼ばれようと・・・儂もまた・・・あの子の為ならば、鬼になろう・・・構えよ・・・」
「巌・・・」
「どちらにせよ、今のままでは儂は、前に進む事が出来ぬ・・・お主を倒し、あの子をもう一度抱きしめられたなら・・・儂は、修羅と成ろう・・・だが、お主に倒されたのならば、諦めも着く・・・構えよ・・・」
「・・・解った。」
そう言って俺も、巌と同じ構えを取る。
次第に、月が雲に隠れ始め、辺りが一層暗くなり始める。
月が完全に、雲に隠れた瞬間、同時に俺達は、廊下を蹴っていた。
『オオオォォォッ!!』
ダダンッ!!
ほぼ同時に、左足を一歩前に踏み込む。
「巴が、こんな事を望んでいるわけ無いだろうが!親のあんたが、そんな事も解らなかった筈無いだろうがぁ!!」
「それでもあの子に生きていて欲しい・・・あの子に憎まれても、儂は一向に構わん!!」
声に出して会話する事など出来ず、互いに目で会話する。
バキッ!!
互いの右拳がぶつかり合い、衝撃が右腕を駆けめぐる。
『オオオォォォッ!!』
ダダンッ!!
刹那の瞬間、更に右足を踏み込み、互いに腕を折り畳む。
「人を恨むと言う事をしないあの女が、あんたを恨むはず無いだろうがぁ!!」
「お主に、巴の何が解る!!知ったような事を言うなぁーっ!!」
ドンッ!!ビキビキビキ・・・
互いに、二撃目の寸打が決まり、右腕の骨が軋む音が聞こえてくる。
右手と右手の衝突、あまりの衝撃に、お互い踏み込んだ右足が、床をへこませる。
「解るさ!!」
ダンッ!!
刹那の瞬間、先に仕掛けたのは俺の方だった。
「オオオォォォッ!!」
打撃と寸打の二連撃から成る龍槍、本来ならば、二撃目の寸打が決まった時点で終わるはず。
だが俺は、更に左足を一歩踏み込み、三撃目の体制に入る。
「あんたこそ、巴の何を見てきたあああぁぁぁっ!!」
「何っ?!」
バキボキッ!!ドンッ!!
右腕の骨が折れる音と、筋肉が切れる音を聞きならも、渾身の力を込めて打ち出す。
ドガンッ!!
巌の体は、後方に吹き飛び、豪快な音と共に、壁に打ち付けられた。
「・・・馬鹿野郎・・・」
技を打ち出した俺の右腕は、上腕の部分から先が、下に垂れ下がり、所々から、折れた骨が見えている。
それでも左手で、右腕を支えながら、巌の元へと歩み寄っていく。
「うぅ・・・無茶をしおって・・・下手をしたら、右腕が吹き飛んでいる所だぞ・・・」
「腕一本・・・それで良いのなら、あんたにくれてやるよ・・・」
「ふっ・・・相変わらず・・・後先を考えぬ男だ・・・」
そう言って巌は、苦しそうな表情を歪めて、無理矢理苦笑を浮かべてくる。
「強く・・・なったな・・・宝仙・・・歳は取りたくないものだ・・・」
「・・・あんたが負けたのが、歳の所為かどうか・・・そんな事も解らなくなっちまったのかよ・・・」
そう言って俺は、動く左手で、懐から紙切れを取り出して、巌に差し出した。
「・・・これは・・・」
「今の巴が・・・俺に託した物だ・・・」
それは、ただ一言『父を救ってください』と書かれた、今の巴が、俺に託した紙切れ。
その紙切れを、巌は、震えながら手に取った。
「・・・たとえ、人格と記憶を受け継いだにしても・・・間違いなく、彼女は巴だ・・・彼女は、漠然とした不安を感じながらも・・・それでも、あんたの事を・・・あんたの悲しそうな顔を心配してたんだ・・・巴も、そして今の巴も・・・誰かの笑顔を見るのが好きな女だったろう・・・」
「お・・・おぉ・・・」
巌は、嗚咽を漏らしながら、大粒の涙をこぼし始める。
紙切れを握りしめ、愛おしそうに胸に抱きながら、ただ泣いていた。
「・・・そんなあいつが、あんたを恨む訳無いだろう・・・あいつが望んでいるのは、あんたの・・・そして、多くの人の笑顔・・・俺の知っている巴は、そういう女だ・・・」
「儂は・・・儂は・・・生きていて欲しかっただけなのだ・・・あの子に笑っていて欲しかっただけなのだ・・・」
「俺は・・・死には、二通り有ると思っている・・・肉体の崩壊と、人から忘れ去られる事・・・俺は覚えている・・・巴の笑顔を、巴の想いを、巴と過ごした日々を・・・巴だけじゃない・・・海淵も、静菜も・・・遺された者には、そんな事しか出来ない・・・あんただって、気が付いていた筈だ。」
「・・・そうか・・・二年前負けたのも・・・儂の心に、迷いがあったからか・・・」
そう独白する巌は、とても小さく、俺には見えた。
「・・・まだ遅くは無いさ・・・今からでも、巴の望む事を・・・巌?」
そこまで言って、巌の異変に気が付く。
巌の体から、力が抜けていくのが解った。
「・・・すまんな・・・どうやら・・・それは・・・出来ないようだ・・・」
「巌・・・ッ!!まさかあんた!」
巌の身に、何が起こっているのか察した俺は、その場でしゃがみ込むと、左手で巌の体を起こす。
「・・・二度も・・・儂は・・・娘を失いたく・・・無い・・・だから・・・儂は・・・」
「自分に呪詛を掛けたんだな・・・女郎蜘蛛が死ねば、自分も死ぬように・・・馬鹿野郎・・・死ぬ事なんざ、何時だって出来るだろうが!死んで逃げんじゃねぇよ!!」
そう叫んで、左腕だけで、巌の体を揺さぶる。
「・・・すまん・・・な・・・最期に・・・お主に・・・止めて・・・もらえて・・・良かったと・・・思っとるよ・・・」
「おい・・・おいっ!!あんたが死んだら、意味無いだろ!!」
俺がそう叫ぶと、巌は、最後の力を振り絞って、胸ぐらを掴んでくる。
「・・・グッ!!宝仙!・・・お主に・・・伝えておく・・・事・・・が・・・有るっ!!」
「遺言なんざ、聞きたくねぇぞ!しっかりしろ!!」
「いい・・から・・・聞けぇっ!!刹那の・・・静菜の・・・行き・・・先・・・」
「ッ!!」
その言葉に、俺は一瞬固まる。
「神・・・々の・・・還り・・・し・・・場所!!・・・そう・・・言って・・・いた・・・」
「『神々の還りし場所』・・・出雲か・・・」
俺がそう呟くと、巌の手から、力が抜けた。
「ッ!!巌!巌っ!!」
「・・・巴・・・ともえ・・・儂も・・・今・・・逝くよ・・・」
その言葉を最期に、巌はこの世を去った。
すでに事切れた巌の体を、廊下に横たえて、俺は立ち上がった。
「・・・ッ!!」
バキッ!!
動く左腕で、母屋の土壁を、力の限り殴りつける。
古い建物の所為か、土壁は脆く崩れた。
「・・・こんな事をして・・・何になる・・・」
そう呟いて、夜空を睨む。
「こんな事をして、貴様は満足か!!」
天に向かって叫ぶと、雲に隠れていた月が顔を出し始める。
「貴様の目的は一体何だ!答えろ!!せつなあああぁぁぁーっ!!」
『オオオォォォーッ!!』
「・・・あれが、宝仙の弟子か・・・」
崖の上から、天に向かって咆吼を上げている鬼を見下ろしながら、刹那はそう呟いた。
「・・・良いのですか?貴殿の付き人は、死んでしまったようですが・・・まぁ拙には関係無い事ですがね。」
不意に聞こえてきた男の声に、刹那は振り返る。
そこには、蛇のような目をした男が、意味深な笑みを浮かべながら、刹那を見つめていた。
刹那は、男を一瞥すると、また崖下の光景に目を向ける。
「・・・まだ約束の日には、日がある筈だ・・・」
「フッ・・・久しぶりの外の世界ですから・・・少し見て回ろうと思いましてね。」
「フン・・・勝手にすれば良い・・・ただ、あまり目立つ事はしない方が良い。あくまでも隠密に・・・」
「解ってますよ・・・だからちゃんと、気配は消しているでしょう・・・貴殿の様に。」
そう言って男は、刹那の元まで歩み寄り、同じように崖下に目を向ける。
「どうやら貴殿は、彼等に見つかりたく無い様ですね・・・」
「・・・詮索屋は嫌われるぞ。」
「おっと・・・これは失礼。」
刹那の一言に、男は苦笑を浮かべながら答える。
「まぁ・・・拙には関係無い事ですし・・・これにて失礼させていただきます・・・それではまた、約束の日に。」
「・・・あぁ。」
刹那の返事を聞いて、男は背中を見せて、歩き始める。
暫くの間、崖下の光景を見つめていた刹那も、背中を向けて歩き始める。
「・・・不確定要素・・・か。俺を殺して良いのは、おまえだけだ・・・逆に、おまえを殺して良いのも、俺だけだ・・・」
誰にともなくそう呟きながらも、刹那は、歩く事を止めようとしなかった。
「その不確定要素を使って、必ず生き延びろ・・・そして必ず、俺の元まで来い・・・その日が来るまで、俺はおまえの前に現れる事は・・・無い。」
『オオオォォォーッ!!』
辺りには未だ、鬼の咆吼が轟いている。
それに構わず、刹那は、夜の闇の中へ、消えていった。




