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宝仙伝  作者: 神無月拓楼(旧HN現武壱)
11/23

鎮魂哀歌之章

雨が降っていた・・・


ザー・・・ザー・・・と、すごい音を立てながら・・・


何日も、何日も・・・


雨の音に混じって、大太鼓の音が、雨の音に負けない様に、ドン・・・ドン・・・と、鳴り続ける。


何度も、何度も・・・ドン・・・ドン・・・と・・・


幼かった私は、和尚様の袴を握りしめて、その光景を見つめていた。


雨に打たれようとも・・・それでも構わず、見つめていた・・・


たった一人の、私の大好きな、お姉ちゃんの雄姿を・・・


巫女装束を身に纏い、凛々しい表情で・・・


お姉ちゃんの立つ場所から数歩先は、道の無い崖なのに、それでも、真っ直ぐ前を見つめるお姉ちゃん。


辺りは、分厚い雨雲に覆われていて、昼だというのに薄暗い。


それでも、かがり火に照らされて、映し出されたお姉ちゃんの姿は、どこか幻想的だった。


とても綺麗で・・・神々しかった・・・


私は、お姉ちゃんの事が、大好きだった・・・


優しく、強く、気高い・・・そんな朝菜お姉ちゃんは、私にとって、誇りだった・・・


「雨の神よー!ここに贄を持ち入りまして候!何卒、そのお怒りを、鎮め賜えー!!」


天高らかに、村長さんがそう叫ぶと、辺りに響いている太鼓の音が、僅かに早くなる。


「・・・お姉ちゃん・・・」


儀式も終盤にさしかかった頃、今までお姉ちゃんと過ごしてきた記憶が蘇り、私の胸を剔る様に苛む。


「夕菜・・・朝菜は、みんなの為に、自分から申し出たのです・・・その雄姿を、しっかりと目に焼き付けておくのですよ・・・」


そんな私を見てか、和尚様が、悲しそうな顔で、私に話しかけてくる。


きっと私も、和尚様同様、悲しい表情をしていたと思う。


「・・・はい。」


それでも、朝菜お姉ちゃんが、自分自身で決めた事なのだからと・・・私が、悲しい表情を浮かべたら、お姉ちゃんの決心が揺らぐからと・・・そう、子供ながらに思っていた。


悲しい表情をしちゃ駄目・・・でも、笑う事なんて出来そうにもない・・・


私は、どんな顔をすれば良いのか、もう解らなくなっていた。


「雨の神よー!何卒、我等に陽の光を、お与えください!!」


村長は、天に向かってそう叫ぶと、お姉ちゃんに向かって、体を向き直らせる。


「巫女の魂と引き替えに!我等に陽の光を、授け賜えー!!」


村長さんの叫びと同時に、お姉ちゃんは、崖際に向かって歩き始める。


「お姉ちゃん・・・」


後一歩という所で立ち止まると、お姉ちゃんは、私に顔を向けてくる。


これから身投げするというにも関わらず、お姉ちゃんは、いつも私に向けてくれてた笑顔を、まさにその時、私に向けてくれた・・・


優しく・・・どこかホッとする、日だまりの様な・・・そんな笑顔を・・・


次の瞬間、お姉ちゃんの姿が、ゆっくりと崖下に向かって、傾いていく。


やがて、お姉ちゃんの姿は見えなくなり、崖下に広がっている河から、何かが落ちた様な、大きな音が聞こえてきた。


気が付くと私は、泣いていた・・・


大好きだったお姉ちゃんが、居なくなってしまった悲しみから、ずっと泣いていた・・・


それから、何日も何日も・・・泣いて過ごした・・・


涙が枯れ果てる事を祈りながら・・・泣いていた・・・


最期の最期まで、私に優しい笑顔を向けてくれたお姉ちゃん・・・


みんなの為に、進んで人柱になる事を申し出たお姉ちゃん・・・


そんなお姉ちゃんを、私は誇りに思う。


そんなお姉ちゃんに、恥じない様に、生きていこうと思う。


そして・・・もしまた、その時が来たら・・・


その時が来たら・・・私は・・・私も・・・


けど・・・あの時、本当の私の心は・・・


ザァー・・・ザァー・・・


まだ梅雨には早いというのに、朝から雨が降っていた。


時折、雷鳴が轟く、春も半ばを過ぎた夜の事だった。


その人達に出会ったのは・・・


「はぁ・・・はぁ・・・」


雨に濡れて、少し長い黒髪が、顔にへばり付いている。


その目つきは鋭く、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。


しかしその顔は、今まで会った事のある、男の人の中でも、美形と言える程美しい。


心身共に、疲れ切っている様子で、何度も何度も肩を上下させている。


そしてその人は、ボロボロになり、泥まみれにも関わらず、黒く巨大な狼と、私よりも年下の女の子を背負って、雨に打たれながら、茂みに隠れていた。


「・・・大丈夫・・・ですか?」


一見して、とても怪しい人達にも関わらず、不覚にも私は、声を掛けてしまった。


その人達が、ボロボロながらも、僧服を着ていた事もあっただろう。


けどそれ以上に、その人達を見過ごす事が、私には出来なかった。


「はぁ・・・はぁ・・・」


荒い息を吐きながら、男の人は、きつい目つきで、私の事を警戒している様だった。


「ッ!!大変!」


その男の人をよく見れば、右腕はあり得ない方向に曲がっていた。


何処からどう見ても、その人が重傷である事は、すぐに解る。


それにも関わらず、たった一人で、女の子と狼を背負って歩いてきた様だった。


「すぐに手当をしないと・・・近くに神社があります。そこへ行きましょう!」


「はぁ・・・はぁ・・・すまん・・・」


暫く、私の事を警戒していた男の人は、私に敵意が無い事を悟ったのか、それだけ呟くと立ち上がった。


見れば、男の人は、巨大な狼と女の子の他にも、大きな荷物を引きずる様に手に持っていた。


その荷物の中にある、二本の錫杖。


恐らく、この人と、背中に背負った女の子の物だろう。


それでようやく、この人達が、僧なのだと確信した。


私は、その人の負担を、少しでも軽くする為、手にした番傘を折り畳むと、その大きな荷物を、代わりに手にする。


「さぁ、早く!こちらです!!」


そう言って、その人を先導する様に、前に進み出る。


「はぁ・・・はぁ・・・あぁ・・・すまん・・・」


そう呟きながら、男の人は、私の後に付いてくる。


その動きは、とても弱々しく、気をつけていないと、すぐに引き離してしまう程だった。


私は、男の人の歩幅に併せながら、私が暮らす神社へと案内した。


それが・・・その人達との、初めての出会いだった。


ザザザザ・・・


傷だらけで、気を失ったクロを抱えながら、鬼と化した私は、後ろを気にしながら、夜の森を駆け抜けていた。


「鬼だーっ!!鬼が出たぞーっ!!殺せーっ!!」


「誰か!馬を使って、隣村の和尚に知らせろ!!退治しろーっ!!」


後方から聞こえてくる、村の人達の叫び声に、心が締め付けられる。


走りながらも、後ろを振り返ると、おびただしい数の松明の火が、ゆらゆらと蠢いていた。


更に足に力を込めようとしても、巴さんとの戦いで受けた傷から、力が抜けていく様な気がして、これ以上早く走れそうになかった。


村の人達を、追い払おうと思えば、今の状態でも、それほど難しくない。


けど・・・そんな事、私には出来ない・・・


結局、今の私には、こうして逃げる事しか出来なかった。


・・・ッ?!


不意に感じた気配に、その場で立ち止まると、辺りを警戒する。


「・・・聖。」


師匠?!


茂みから現れたのは、私のよく知った人物だった。


私は、クロを地面に寝かせると、人間の姿へと戻った。


「師匠・・・私・・・私・・・」


「・・・辛い事を頼んで、すまなかったな・・・」


そう言うと師匠は、裸の私に、羽織を差し出してくる。


「いえ・・・」


そこで私は、師匠の右腕に、包帯が巻かれている事に気が付いた。


「大変!早く治療しないと・・・」


「そっちに行ったはずだ!!逃がすなーっ!!」


師匠に近づこうとした瞬間、それほど離れていない場所から、村の人の叫び声が聞こえてきた。


「・・・そんな事言ってる場合じゃないだろう・・・さっさと逃げるぞ。」


師匠は、そちらを気にしながら、そう私に言ってくる。


「けど・・・」


師匠の右腕は、明らかに骨折していた。


それも、ただの骨折じゃないみたいだった。


包帯を巻かれた腕も指も、力無くダラリと伸びている事から、複雑に骨折している様だった。


どんな事をすれば、こんな状態になるのか、私には見当も付かなかった。


「大丈夫だ・・・それより急ぐぞ。」


師匠はそう言うと、クロを背負って、声が聞こえてきた方向とは逆に、歩き始めた。


「あの・・・巌さんは・・・?」


私のその呟きに、師匠はその場に立ち止まった。


「・・・逝っちまったよ・・・」


振り返ることなく、そう呟く師匠の背中は、とっても悲しそうだった。


「・・・そう・・・ですか・・・」


私は、それ以上何も言えなかった。


何か言わなければいけない筈なのに、それ以上何も言えなかった。


「・・・行くぞ。とりあえず、荷物は持ってきてある。早くここから、離れた方が良い。」


そう言って、師匠はまた、歩き始めた。


「はい・・・あれ?」


そう呟いて、私も歩き始めようとした瞬間、足から力が抜けていった。


ドサ・・・


地面に倒れ込んだ私は、起きあがろうと両手に力を込める。


けど、どんどん力が抜けていく感じがして、指一本、動かせそうになかった。


その後に感じる浮遊感。


次第に重くなる瞼と、段々霞がかかり始め、意識も薄れていく。


「聖!」


薄れていく意識の中で、師匠の声だけは、はっきりと聞こえていた。


「う・・・うぅ~ん・・・」


「あら?あらあらあら・・・」


・・・誰?


ぼんやりと、覚醒する意識の中で、誰かの声を耳にした。


どこか間延びした様な、おっとりした口調の、女の人の声。


薄目を開けて、その声が聞こえてきた方を向いてみる。


ぼんやりとした視界の中に、白く透き通る様な肌で、短く切りそろえられた髪が印象的な、女の人が微笑んでいた。


とても優しそうな、それでいて、どこか儚い笑顔・・・


と・・・もえ・・・さん?


その姿を見て、なぜか急に目頭が熱くなり、視界がにじんだ。


「あらあらあら・・・どこか痛みますか?」


その声を聞いて、目頭を拭うと、もう一度その人を見てみる。


「・・・あなたは?」


その人は、巴さんじゃなかった。


肩の辺りで切りそろえられた髪に、白い巫女装束を着た、知らない女の人。


垂れ気味の瞳に、通った鼻筋。


紅の塗られた唇は、やや薄く、少し小さめだった。


どこか、おっとりした感じが漂う、人当たりの良さそうな、清楚な人だった。


「初めまして、私は夕凪と言います。」


「夕凪・・・さん?」


「はい。大丈夫ですか?あなたはもう、三日も眠っていたのですよ・・・」


「三日・・・も・・・」


それを聞いて、ぼんやりとした意識が、はっきりと覚醒する。


そっか・・・私、あの後気を失っちゃったんだっけ・・・ッ!!


「クロと師匠は?!」


寝かされていた布団から飛び起きると、夕凪さんに向かって、勢いよく聞いてみる。


「クロさんでしたら・・・そこに居ますよ。」


そう言われ、夕凪さんが指し示した方向を見てみると、クロが部屋の隅でジッと伏せっているのを見つけた。


「クロ・・・良かった・・・」


見たところ、怪我は治っているようで、ホッと安堵のため息を吐く。


「師匠は・・・?」


そしてもう一人、重傷の筈の師匠の行方を、夕凪さんに聞いてみる。


「・・・ここだ。」


低く、それでいて響く声と共に、ふすまの戸が開かれ、そこから師匠が中に入ってくる。


「ようやく起きたか・・・ったく、寝過ぎなんだよおまえは・・・」


そう言いながら、呆れた様な顔で、私の元に近づいてくる。


「・・・すいません・・・」


「・・・まぁ良いさ。彼女に感謝しろよ・・・見ず知らずの俺達を、助けてくれたのは、彼女だからな。」


「はい・・・どうもありがとうございます。」


師匠に言われたとおり、夕凪さんに対して、感謝の気持ちを込めて、深く頭を下げる。


「あらあら・・・気にしなくても良いですよ。困った時は、お互い様と言いますし・・・」


そう言って、夕凪さんは、頬に手を当てながら、柔らかい笑顔を、私に向けてくる。


「それに私より、クロさんの方が偉いですよ・・・気が付いてからずっと、あなたの事を、寝ないで見守っていたのですから・・・」


そう夕凪さんに言われ、クロの方を見ると、相変わらず部屋の隅で、ジッとしていた。


「クロ・・・おいで・・・」


私が呼びかけると、ゆっくり身を起こして、私の所まで近づいてくる。


私は、近づいて来たクロの首辺りに、腕を絡めて、ギュッと抱きしめる。


「・・・心配かけて、ごめんね・・・」


夕凪さんの手前か、クロは何も言っては来ないけど、大きな鼻で、私の頭を撫でる様な仕草をして、応えてくれた。


「あらあらあら・・・随分仲良しなんですねぇ~」


『夕凪~ちょっと宜しいですか?』


ちょうどその時、部屋の向こうから、夕凪さんを呼ぶ男の人の声が聞こえてきた。


「あ、は~い!」


夕凪さんは、聞こえてきた声に向かって、返事をして立ち上がった。


「和尚様に呼ばれたので、私はこれで・・・聖・・・ちゃんで良いかしら?」


「あ、はい。」


夕凪さんに呼びかけられて、私は顔を向ける。


「まだ病み上がりなんですから、あまり無理はしない様に・・・ゆっくり休んでくださいね。」


「はい。色々ご迷惑をおかけしました。」


そう言って、また頭を下げる。


「あらあら。気にしないでくださいな。それではこれで・・・」


そう言って夕凪さんは、障子を開けると、部屋を出ていった。


「キャッ?!」


ドタ!


夕凪さんが出ていってすぐに、小さい悲鳴と、何かが落ちる音が聞こえてきた。


「・・・またやったか。」


その音を聞いて、師匠がそう呟いた。


訳がわからず、師匠の顔を見てみると、苦笑いを浮かべていた。


「彼女は・・・何もない所で転けるのが、趣味らしい・・・」


そう言われて、さっきの音が、夕凪さんが廊下で転んだ音だったのだと解った。


「ア・・・アハハ・・・」


師匠の言い方に、私も苦笑を浮かべるしかなかった。


「そうですか・・・あのお嬢さんが、目を覚ましましたか。」


「えぇ、和尚様。」


和尚様と並ぶ形で、廊下を歩く。


布袋様の様な、ニコニコした笑顔。


私は、今まで一度たりとも、和尚様が怒った所を見た事は無かった。


というよりも、怒る事を知らないと言った方が良いかもしれない。


「それで、宝仙殿の腕の具合は?」


和尚様にそう聞かれ、少し顔をしかめる。


「・・・正直、良くないですね・・・損傷が激しい上、健も切れている様です。元通りに治るかどうか・・・」


「・・・そうですか・・・ですが、あのお嬢さんが、目を覚まされたのであれば、問題は無いでしょう。」


「どういう事でしょうか?」


和尚様の言葉に、疑問を感じた私は、首を傾げながら聞き返す。


私が聞き返すと、和尚様は、布袋様の様な笑顔を、私に向けて、言ってくる。


「あなたは知らないでしょうが、宝仙殿は、魅鈴様と同じ、八大明王衆が一人・・・金剛夜叉明王珠、現継承者なのです。」


「魅鈴様と・・・?」


美鈴様とは、このお寺『孔雀院』が仕えてきた、孔雀明王珠継承者、九代目『綾』様。


六年前、このお寺を訪れたきりで、今どこで何をしているのか、誰にも解らない。


たまにここを訪れる、本山の方の話では、明王珠と共に、行方不明扱いされているというのは、聞いた事があった。


「ですがそれが、あの方の腕の治療と、どう関係するのですか?」


私がそう聞くと和尚様は、人差し指を立てて、口元に添える。


秘密の話をする時の、和尚様のいつもの癖だった。


「実はですね・・・最後に美鈴様がここを訪れた時、言われていた事があるのですよ。『そのうちここに、宝仙というろくでなしが来る。そのろくでなしに儂は、希望を託した・・・』と・・・初めは、何の事やらと思いましたが、あのお嬢さんの耳飾りを見て、その希望というのが、ようやく解りました。」


どこか嬉しそうに、嬉々として語る和尚様。


「戒律を犯してまで、魅鈴様は、宝仙殿に明王珠を託した・・・きっと、何か訳が有っての事でしょう。ですから夕凪も、今の話は、ここだけの事にして置いてくださいね。」


「あらあら・・・やけに嬉しそうですね。」


そんな笑顔を見ていると、何故かこちらまで嬉しい気分にさせられる。


「・・・そう見えますか?」


「フフッ・・・えぇ。」


私の倍近く、歳が離れているにも関わらず、その笑顔は、とても無邪気で微笑ましい。


「それで、何か私に用でしょうか?」


キリの良い所で、私が呼ばれた理由について聞いてみる。


「あぁ、そうでしたね・・・今日は、村の寄り合いがある日なので、私の分の夕食は結構ですので。」


「あらあら、そうなのですか・・・解りました。・・・あら?」


廊下を歩いている内に、縁側まで来た所で、ポツリポツリと、雨が降り始めている事に気が付き、立ち止まって外に目を向ける。


「あらあら・・・降り始めてしまいましたね。」


朝から雲行きが怪しいとは思っていたけど・・・本当に、良く降るわね・・・


まだ梅雨には早いというのに、最近雨がよく降る。


三日前、宝仙さん達と出会った日も、雨が降っていた。


「・・・では私は、本降りになる前に、行く事にしましょう。後の事はお願いしますね。」


そう言って、一人先に歩いていく和尚様。


「あ、はい。行ってらっしゃいませ。」


それを見送ってから、もう一度外に目を向ける。


私にとって雨の日は、出会いと別れの日・・・


「・・・もう、あれから五年・・・か・・・朝美姉さん・・・」


師匠の右腕に巻かれた包帯を、丁寧に開く。


師匠の右手は、とても痛々しい状態になっていた。


所々浅黒くなっていたり、いたる所が裂けて、かさぶたが出来ている。


複雑に骨が折れていて、指も動かせないみたいだった。


「・・・酷い・・・」


そう呟いて、左手を師匠の右手にかざして、目を閉じた。


空いた右手で、孔雀明王の梵字を描く。


「マハーマユーリ・・・」


梵字の梵名を呟いて、言霊の力を解放する。


そして、閉じた目を開くと、かざした左手に、淡い光が灯っていた。


その光から零れる、淡い光の粒子が、師匠の右腕に降り注いでいた。


「・・・雨か。」


私が師匠の右腕の治療をしていると、急に師匠がそう呟いた。


「どうして解るんですか?」


閉めきられた部屋の中なので、雨が降っているかどうかは、私には解らなかったので、そう聞いてみた。


「・・・雨が降ると、胸が疼くのさ。」


私の問いに、師匠はそう答えてきた。


「・・・だから、いつも雨の日は、外に出ないんですか?」


雨が降ると、いつも外に出ようとしない師匠。


だから雨の日は、私たちの旅もお休み。


雨が止むまで、ボ~ッとしたりして、暇を持て余していた。


「・・・ま、濡れるのが嫌いってのもあるがな。」


そう言って師匠は、苦笑いを浮かべている。


それは師匠らしい答えとも言えるけど、けどどこか悲しそうだった。


「・・・師匠って・・・泣けないんじゃなくて、泣き方を知らないだけじゃないのかな・・・」


「・・・何?」


「あ、あのその・・・?」


考えていた事が、そのまま口に出てしまい、慌てて取り繕おうと顔を上げると、師匠は、不思議そうに私を見つめていた。


「泣き方を・・・知らない・・・か・・・」


私の呟きを、反芻する様に呟くと、師匠は考え込んでしまった。


「あの・・・師匠?」


少し不安になり、師匠の顔をのぞき込む。


すると師匠は、左手を私の頭に置いて、何度かポンポンと軽く叩いてくる。


「・・・そんな事を言われたのは、初めてだな。」


そう言って笑う師匠の笑顔は、どこか儚く、それでいて嬉しそうだった。


その笑顔を見て、私の鼓動が、少しだけ早くなるのが、自分にも解った。


あぁ、そうだ・・・私は、師匠のこの顔に惹かれてるんだ・・・


その笑顔は、儚く脆く・・・それでいて、どこか優しい。


そんな顔をして欲しくないと思うと同時に、誰かが、この人の傍に居て、支えてあげないといけない様な気にさせられる。


誰かが傍に居ないと、きっとこの人は、いつか壊れてしまう。


鈴音さんが言っていた、師匠は、自分の事にも鈍感だって。


こんなに傷付いていても、どんなにボロボロになっても、きっと師匠は、何も言わない。


自分の身を、蝕む様な痛みにさえ、耐え続けるんだ。


今までがそうだった様に、きっとこれからも・・・


ゴンッ!!


「ッ!!痛ーいっ!」


突然頭を襲う激痛に、両手で頭を押さえる。


「ったく・・・何を考えてるのか知らんが、人の話はちゃんと聞け。」


「だ、だからって、殴る事無いじゃないですか~」


不機嫌そうに呟いてくる師匠に、涙目になりながら非難の声を上げる。


「・・・何度も呼びかけたんだがな・・・不服なら、もう一発いっとくが、どうする?」


それに対して師匠は、半眼になりながら、動く左腕で、握り拳を作って、私に見せてくる。


「うっ・・・」


私が、言葉に詰まって、身を固くすると、師匠は、ため息を吐きながら、右腕に包帯を巻き始めた。


「あ、まだ治療は終わってませんよ。」


「阿呆・・・夕凪に言われたろ。まだ病み上がりなんだ、あまり無理をするな。」


そう言いながら、左腕だけで、器用に包帯を巻いていく師匠。


「でも・・・」


「それに、いくら明王珠の力とは言え、これだけの傷を、すぐに治す事なんざ出来はしない。完全に神経が切れて、指一本動かないんだ・・・早くても二、三週間って所か。ま、気長にやってくれ。」


包帯を巻き終わった師匠は、そう言うと、壁にもたれ掛かって、目を瞑ってしまった。


「暫く寝る・・・おまえも、もう少し寝ておけ。」


「・・・はい。」


そう言い残して、暫くしてから、微かな寝息が聞こえてきた。


私は、師匠の体に布団を掛けると、そのままクロに向き直った。


「・・・聞いて良いかな?あの時の事。」


それは、クロが人の姿で、私を助けてくれた時の事。


クロは私に、人の姿に成る事は、出来ないって言っていた。


けど、あの時のクロは、確かに人の姿をしていた。


別に、嘘を付かれていた事に、怒っているんじゃない。


クロは、何か事情があって、隠してたんだって解ってる。


だけど私は、見てしまった、知ってしまった・・・


事情だけでも教えて欲しい、そう思って、クロに聞いてみる事にした。


「・・・隠していた事は、済まぬと思っている・・・が、主が理由を知れば、どう思われるのか、手に取る様に解る・・・だからこそ隠していた・・・」


「・・・うん。」


「・・・何時かは、知られてしまう事と解っていた・・・が、その時が来るまでは・・・ただそれが、今と言うだけの事・・・全てを・・・話そう・・・」


「・・・うん。」


知らなければ良かった・・・見なければ良かった・・・


嫌な事、辛い事、悲しい事・・・関わらなければ良かったのに、目を背ければ、楽でいられたのに・・・


そういう事が、この世の中にはいっぱいあると思う。


けど私は、そういう事から、もう目を背けないと決めた。


それが、私の大事な人たちの事なら、なおさら目を向けなければならない。


目を背けて、涙を流しているだけじゃ、何も変わらない、何も解決しない・・・


もしあの時、金華龍が教えてくれなかったら・・・私はずっと、泣いていたと思う。


巴さんの涙に気づかず、ずっと・・・


だからもう、何からも目を背けない。


どんな事があっても、前を向いて生きていく。


師匠の様に・・・巴さんの命を奪った・・・罪を背負って・・・


昼過ぎから降り始めた雨は、夜を迎えても、尚も降り続けていた。


雨音の旋律が、静かな夜に、音の波紋を広げる。


さながら、子守歌の様な、雨音の旋律に交わる琴の音色。


二重、三重に広がる雅な曲は、芸術と言っても過言ではない。


雨と琴の奏でる旋律に、目を閉じると、まるで能の一場面の中に、迷い込んだ気持ちにさせられる。


「・・・何度聞いても、良い物だな・・・楽というのは。」


「おや・・・宝仙殿も、そう思われますか?」


そんな旋律に酔いしれる、二人の僧が居た。


仏殿の間の中に、対峙するかの様に座った、二人の僧。


「フッ・・・あぁ・・・」


髪を生やした僧、宝仙は、剃髪の僧、和人の問いに、苦笑しながら答えた。


「あんた・・・武神流って流派を知ってるかい?」


「いいえ?」


「フッ・・・そうだろうな・・・」


和人の返事に、自嘲気味に答えると、目を瞑って俯く。


その仕草はまるで、奏でられる音を愉しんでいるかの様だった。


「・・・その流派の真髄は『舞を制する者、武を制す。』なんだとよ・・・武と舞は、転じて等しき物・・・という事らしい。」


「ほぉ・・・そうなんですか。私は、そう言った事には疎いもので・・・よく解りません。」


宝仙の言葉に、そう答えながら、和人も又、目を瞑って俯いた。


「フッ・・・そうかい。所で、彼女は毎晩、琴を奏でているのか?」


「いいえ・・・雨が降る日だけですよ。あの子にとって雨は・・・出会いと別れの訪れなのです・・・」


二人とも、目を瞑ったまま、奏でられる音色を愉しみながら、静かに言葉を交わしていく。


「・・・成る程。それでか・・・」


宝仙がそう呟くと、和人は、目を開いて、宝仙を静かに見据えた。


「・・・何がでしょう?」


そう聞かれ、宝仙もまた目を開き、動かない右腕を左手で持って、あぐらをかいた足の上へと持っていく。


「俺にとっても雨は・・・忘れられない忌まわしき罪と・・・忘れられない温もりが有るんだ・・・」


「・・・相反する二つの感情・・・それは、交わる事なきにせよ・・・常に表裏一体・・・」


不意に和人が、詩を口ずさむかの様に、そう呟き始める。


「・・・それはまるで、合わせ鏡の如く、重なり合い、終わり無く続く・・・」


それに続く様に、宝仙も又、呟き始める。


「そして・・・己自身を、冷たく蝕みながらも、自身を・・・暖かく包み込む・・・」


「それは時に・・・自身を見定めるかの様に、突き放し・・・」


「時に・・・見定めるかの様に、手を差し伸べる・・・」


「矛盾こそ・・・この世の心理也・・・やはり、ここに魅鈴が居たのか・・・ここの御神体や、至る所に刻まれた、孔雀明王の梵字を見て、もしやとは思っていたが。」


そう言って宝仙は、顔を上げて、和人を見据える。


「・・・はい・・・六年前、ここを訪れた後の足取りは、私にも解りません・・・」


「六年前・・・って事は、俺が明王珠を預かったすぐ後か・・・」


「あの御方は・・・魅鈴様は、やはり・・・」


「・・・死んだ・・・俺が確認した訳じゃないが・・・あのババア自身が言っていた・・・寿命だ・・・と。」


「・・・そうですか・・・残念です・・・」


宝仙の言葉を聞いて、和人は、目を瞑って項垂れた。


「魅鈴は・・・あのババアは、何か言っていたか?」


そう聞かれ、和人は、顔を上げて苦笑を浮かべる。


「あなたに・・・宝仙というロクデナシに、希望を託した・・・と。」


「フッ・・・大げさだな・・・迷惑この上ない。」


そう言いながら、宝仙は、自嘲気味に苦笑を浮かべる。


「ですが・・・あの御方には、はっきりと視えたのでしょう・・・あなたの往く末が・・・そして其処には、孔雀明王珠が有った・・・」


「運命・・・か・・・くだらんな。俺の往く末は、俺自身が決める。誰の物でも無い、俺自身が選んだ道を、ただ歩むのみ・・・」


「・・・それで、良いのではないでしょうか・・・未来など、知らない方が、良いものですよ・・・」


その呟きを最後に、宝仙も和人も黙り込んでしまった。


辺りには、静寂は訪れず、雨と琴の協奏曲が流れる。


まるでそれは、もうこの世に居ない者に対して捧げられる、鎮魂の旋律の様だった。


お寺の倉から、この琴を見つけた時、どんな音が出るのか・・・幼かった私は、それが知りたかっただけだった。


だから、朝美姉さんにお願いして弾いて貰った。


姉さんは、嫌な顔一つしないで、琴を弾いてくれた。


百姓の生まれの私たちが、琴の弾き方など知る訳もないので、最初はつたないものだった。


けど姉さんは、誰かに教えて貰わないでも、弾き続ける内に、琴の弾き方を覚えていった。


琴を弾く姉さんの隣で、よくはしゃいでいたのを、今でも覚えている。


日だまりの様な、姉さんの笑顔と、琴の音色と・・・


とても・・・幸せな日々だった。


ポロロン・・・


琴を弾き終わると、名残惜しい様な、もの悲しい様な・・・そんな余韻が訪れる。


雨の伴奏の所為なのか、それとも今の私の心なのか・・・あるいはその両方なのかもしれない。


パチパチパチ・・・


「・・・すごいですね。」


不意に聞こえてきた拍手に、顔を上げると、いつの間にか聖ちゃんが、部屋の入り口に立っていた。


「あらあら・・・恥ずかしい所を見られてしまいましたね。」


「そんな事無いですよ。すごく良かったですよ。」


そう言って、屈託のない笑顔を、私に向けてくれる聖ちゃん。


そんな笑顔に、私もつられて笑っていた。


「・・・どうしたんですか?」


「え?!」


不意に聖ちゃんが、心配そうな表情を浮かべている事に気が付いた。


「なんだか・・・思い詰めた様な表情だったから・・・」


そう言われて、初めて自分がどんな顔をしていたのか気が付いた。


あぁ・・・そうか・・・そう言えば私、琴を弾いた後に、心から笑った事なんて、あの日から無かったわね・・・


「・・・何でもないわよ。」


心配そうに見つめてくる聖ちゃんに、今の自分が出来る精一杯の笑顔を向けて、安心させる。


「・・・そうですか?」


まだ心配しているみたいだったけど、一応は納得してくれた様で、それ以上何も言っては来なかった。


「それより、もう大丈夫なの?病み上がりなんだから、もう少し寝ていたら?」


「はい!もうすっかりみたいです。」


「そう・・・それなら良かったわ。けど、油断は禁物よ?」


「は~い。」


また、屈託のない笑顔を向けてくれる聖ちゃん。


その笑顔はまるで、向日葵の様な、とても元気な笑顔だった。


その笑顔を見て、私もまた笑顔を向ける。


「ところで夕凪さん、琴上手なんですね。誰に教わったんですか?」


暫く二人で笑い合っていると、聖ちゃんがそう聞いてきた。


聖ちゃんにしてみれば、何気ない質問なんだろうけど、私にとっては、あまり触れては欲しくなかった。


「・・・姉さんよ。」


触れて欲しくなかった・・・そう思ったけど、何故か私は、素直に答えていた。


「お姉さん・・・ですか?」


「えぇ・・・私とは、少し歳が離れていたんだけど・・・とても優しくて、とても強くて・・・私の誇りだったわ。」


「・・・そのお姉さんって・・・」


「・・・五年前に・・・この村を護る為に・・・人柱となったわ・・・」


口に出して、改めてその事を口にすると、締め付けられる様に、心が痛かった。


「・・・ごめんなさい・・・」


それから暫くの、重苦しい沈黙の後に、悲しそうな表情で、聖ちゃんが呟いた。


「あらあら・・・どうして聖ちゃんが謝るの?」


「だって・・・悪い事聞いちゃったし・・・それに、夕凪さん・・・とっても、悲しそうだったから・・・」


「聖ちゃん・・・」


この子は、なんて素直な子なんだろう・・・


自分の事でも無いのに、今にも泣きそうな顔をして、そう言ってくる聖ちゃん。


私も・・・この子程素直だったら・・・あの時、また違う今を迎えていたかもしれない・・・


「・・・私はね、この村の生まれじゃ無いの。」


私は、聖ちゃんに何を言いたいのだろう・・・


三日前に知り合ったばかり、しかも彼女は、今日目覚めたばかりで、ろくに話をした訳でも無いのに・・・


けど・・・ただこの子に知って欲しい・・・私の事を・・・


「え?」


「ここから、そんなに離れて居ないんだけど・・・この近くに昔、小さな村があったわ・・・そこが、私の故郷。」


ただ静かに、琴を弾くよりも緩やかに、私は私の過去を、ゆっくりと語り始めた。


「物心付いたくらいだったから・・・十年くらい前かしら。正直、そこでの暮らしは、よく覚えていないわ・・・けど一つだけ、鮮明に覚えている事があるの・・・」


「・・・それって、なんですか?」


「・・・炎と雨・・・」


そう呟く様に言って、一旦間を置いた。


私自身、当時の事は、姉さんに聞いていただけなので、よく知らない。


けどその二つだけは、幼かった私の瞼に焼き付いていた。


「・・・当時、疫が流行っていたらしいの・・・そして、疫が出た家は、例外なく燃やしていたそうよ・・・家族もろともね・・・」


「・・・酷い・・・」


「・・・仕方がないのよ・・・一家族を護るか、村全体を護るか・・・放っておけば、村全体に蔓延する・・・処置は早いに越した事はないの・・・疫に掛かったかもしれない家族も、放っておく事は出来ない・・・そして、私の父と母は、疫に掛かっていた・・・」


そして、私の家にも火が放たれる・・・


それまで、一緒に暮らしていた村の人達の手で・・・


「雨の夜だったわ・・・動けない父と母は、床に寝かされ・・・疫に掛かっていなかった私たち姉妹は、無理矢理家に閉じこめられた・・・そして、火が放たれたの・・・迫り来る炎と煙・・・逃げ場なんて無かった・・・筈だったわ。でも姉さんは、そうなる事を予想していた・・・だから姉さんは、最初から逃げ道を作っていたの・・・そしてそれが、父と母の最期の願いだったそうよ・・・そして姉さんは、雨の中を私の手を引いて走り続けた・・・燃えさかる家と、父と母を見捨てて・・・私たちは生き延びたの・・・」


「見捨てただなんて・・・そうするしか、方法は無かったんじゃないですか・・・そんな風に、自分を責めないでください。」


「・・・ありがとう。」


悲しそうにして、そう言ってくる聖ちゃんの言葉に、少しだけ救われた気がした。


「・・・それから私たちは、宛もなく彷徨ったわ・・・まだ六歳の私と、十一歳の姉・・・二人だけで生きて行くには、この世は辛すぎた・・・姉は・・・私に御飯を食べさせる為に、夜な夜な街道で、立ちんぼをしていたわ・・・何の変哲もないおむすびの為に・・・」


そこまで言って、目頭が熱くなって、自然と涙がこぼれ落ち始める。


「夕凪さん・・・」


不意に、聖ちゃんが呟いたかと思うと、その小さな胸で抱きしめてくれた。


「辛いんですよね・・・悲しいんですよね・・・声に出して良いんですよ・・・泣いて良いんですよ・・・」


そう言って、私の頭を、ゆっくりと撫で始める。


何度も、何度も・・・ゆっくりと、優しく・・・


「・・・無理・・・しなくって、良いんですよ・・・」


「ッ!!・・・うっ・・・うぅ・・・」


こみ上げてくる嗚咽と、感情に任せて、大声を上げて泣いていた。


私よりも年下の、この子の胸で・・・子供みたいに泣いていた。


「大丈夫・・・きっと、雨の音が・・・夕凪さんの声を、消してくれます・・・」


雨の日に、こんなに泣いたのは・・・あの日以来だった・・・


「・・・私にとって雨は・・・出会いと別れの訪れなの。」


そう言って、夕凪さんは、また語り始めた。


「和尚様と出会ったのも、こんな雨の日だったわ・・・寒さに震えながら・・・二人で寄り添っていた私たちに・・・和尚様だけが、手を差し伸べてくれたの・・・それから暫くして、ここに落ち着いたわ・・・そして私たち姉妹は、ここで巫女として生活していたの。」


「・・・そうだったんですか。」


「ここに来た当初は、あまり良い生活とは言えなかったけどね・・・」


「どうしてですか?」


不思議に思った私は、疑問をそのままぶつけてみる。


すると夕凪さんは、困った様な顔をして、笑いかけてくる。


「・・・あまり言いたくないんだけど、この村の人達は、よそ者をあんまり歓迎してくれないの・・・だからって言うのもあったんだけどね。けど・・・それでも、幸せだったわ・・・私と、姉さんと、和尚様の三人で・・・」


懐かしむ様に・・・慈しむ様に・・・


お花に例えるなら、まるで白百合の様な、儚さと美しさを併せ持った笑顔だった。


・・・師匠と同じだ・・・


師匠が、たまに見せる、儚い笑顔。


今の夕凪さんの笑顔と、重なり合う。


まるで・・・手を離してしまうと、消えてしまう様な・・・そんな笑顔だった。


そんな事を思っていると、急に夕凪さんの表情が、暗くなってしまう。


「・・・皮肉よね・・・あの日を境に、村の人達は、私たちを受け入れてくれた・・・けど、その代償も大きかった・・・」


「あの日・・・?」


「・・・五年前の事よ・・・その年は、梅雨を過ぎても・・・雨が降り続けていたわ・・・何日も、何日も・・・このままでは、作物は全滅・・・そんな日々が続いて、村の人達は、神の祟りだと恐れたの・・・そして自然と、この地方に伝わる伝承へと、話は流れていったわ・・・『人身御供』人柱よ・・・そして姉さんは、自分から進んで、人柱になる道を選んだ・・・」


人身御供・・・神様の御供え物として、人の体を捧げるという、忌まわしき儀式。


「・・・生け贄なんて・・・人柱になったからって・・・見返りを求める神様なんて・・・そんなの、人が考えた神様でしかないのに・・・」


もおずっとずっと昔に、そんな習慣は廃れたって、麗姫おばあさんから聞いた事があった。


けど、今でもそんな儀式を、行っている所があるなんて・・・


それを聞いて、やるせない気持ちになってしまう。


「・・・私もそう思うわ・・・けどね、この世の中は、そんなに単純じゃないのよ。さっきも言ったけど、一人を護るか、村全体を護るか・・・私も、見返りを求める神様なんて、居ない方が良いと思う。けど・・・人身御供をする事によって、村の人達は安心を得る・・・たとえ、雨が止まなかったとしても・・・神様に対しての、信心深さを示した事によって・・・それだけで、人々は安心するの・・・そして、人々が信じる限り・・・虚像は実像へと変わる・・・」


そう言う夕凪さんの顔は、どこか思い詰めた様だった。


「・・・姉さんは、とても凛々しかったわ・・・そして、すごく綺麗だった・・・最期まで、私に笑いかけてくれた・・・日だまりの様な、暖かい笑顔で・・・その出来事から、暫くして雨も上がった。それから私と和尚様は、姉さんを失った代わりに、村の人達から信頼を得たの・・・村の人達は、口をそろえて言うわ・・・『朝美さんの御陰で、雨が上がった。素晴らしいお姉さんを持ったね。』って・・・『夕凪さんも、お姉さんに負けないくらい、立派に成れ。』って・・・」


そう言いながら、自嘲しているみたいに笑う夕凪さんの表情は、お姉さんを褒められた事と、比べられる事に、戸惑っている様に見えた。


「・・・夕凪さん。」


「・・・何?」


話の途中で、夕凪さんに声を掛けると、不思議そうに私を見つめてくる。


「・・・今度は、私の昔話・・・聞いてくれますか?」


「え?」


少し戸惑った様に、驚きの表情を浮かべている。


そんな夕凪さんに、私は、笑みを浮かべて、夕凪さんを見つめる。


「・・・聞いて欲しいんです・・・夕凪さんに、私の事・・・知って欲しいんです。迷惑かもしれませんけど・・・」


少し照れくさくなった私は、照れ隠しに笑ってみせる。


けど・・・夕凪さんだけ、辛い思いをするなんて、不公平だもんね・・・


それに、私の事を知って欲しいと思った事も事実だ。


なにより、これ以上夕凪さんが、話し続けるのは酷だと思った。


「迷惑だなんて・・・そんな事無いわ。むしろ嬉しいかな。」


そう言って夕凪さんは、柔らかい笑顔を私に向けてくれた。


「えへへ・・・先に言っておきますけど、私のお話しは、長いですよ?」


私は、少しおどけた様に、夕凪さんに言ってみる。


「あらあら。もう夜も遅いし・・・それだったら、お布団の中で聞きましょうか。」


「あ、良いですね~」


そう言って、二人で笑い合いながら、立ち上がった。


私の御母様の事、御祖父様の事、師匠との旅の事・・・そして、巴さんの事・・・


知って貰いたい、同じ人を好きになった、私と巴さんの事。


二人で、琴の置かれた部屋を出る。


廊下で待っていてくれたクロの頭を撫でて、三人で寝室へと向かった。


雨はまだ降り続けている様だったけど、それほど強く降ってはいない様で・・・


こんな夜には、緩やかに降り続ける雨音が、とても心地よく、子守歌の様に感じられた。


聖ちゃんが、目を覚ましてから、もうすでに一週間が過ぎていた。


季節はずれの雨は、一週間が過ぎても、降ったり止んだりと、はっきりしない天気が続いていた。


そして、雨が少しでも降る度に、私は、琴を奏で続けていた。


雨の日に失った、大切な人達への鎮魂と、雨の日に出会った人達への、祝福を込めながら。


雨が降る度に、私は琴を奏で続ける。


それはまるで、終わり無き輪舞の様に、これからも私は、奏で続ける・・・


仏殿から聞こえてきた話を、耳にするまでは、そう思っていた・・・


『・・・それは本当ですか?!』


仏殿へと通じる扉の前で、扉を開こうとしていた私の手は、和尚様のその声を聞いて、止まってしまった。


『・・・えぇ・・・誠に残念ですが・・・俺も、何とか思いとどまって貰おうと、手は尽くしたですが・・・』


仏殿の中、和尚様の声に答える、男の人の声。


その男の人は、とても残念そうな感じで、その声は、重苦しく沈んでいた。


その声に私は、聞き覚えがあった。


どうやら、和尚様と話しているのは、この村の村長の一人息子である、誠一さんの様だった。


『そうですか・・・それで、日取りは何時・・・?』


『・・・決まり次第・・・との事です。』


『では、まだ決まってはいないのですね?』


『はい・・・申し出が有れば、また別でしょうが・・・そうすぐに見つかるものでもありません・・・まだ、止められるかもしれません。』


『・・・そうですね・・・』


・・・何を話しているのかしら。


悪い事とは思っていても、仏殿の中の会話に、ついつい耳が傾いてしまう。


会話の内容が、不透明という事もあって、私の中の好奇心がかき立てられていた。


『・・・変えられない、忌まわしい過去なら、いっそ墓まで持っていってしまった方が良い・・・俺は、そう思っていました。けど・・・運命とは、残酷なものですね。』


『・・・残酷な上に、皮肉なものなのですよ・・・人は、今までに何度と無く、同じ過ちを繰り返してきました・・・そんな中で、宗教が生まれました・・・目の前に希望をぶら下げれば、弱き人は・・・誰しも縋りたいものです。あなたが気に病む事ではありません・・・まだ可能性はあります。我々で、何とかしなくてはなりませんね・・・』


『和尚・・・そうですね。可能性が残っている内に、何とか出来れば・・・』


『えぇ・・・何としても、止めなければなりません。朝美の為にも・・・』


「・・・え?」


和尚様が、姉さんの名前を口にした事に、驚きを隠せず、声に出てしまった。


でも、中の二人に、私の声は聞こえていなかった様で、二人に反応は無かった。


その事に安心すると同時に、私の中で不安が膨れあがり始めた。


『ですね・・・このままでは、作物が取れなくなるのは解ります。だからって、神頼みだなんて・・・親父達はどうかしている!』


少し興奮気味に、誠一さんが声を荒げて言う。


『お気を鎮めください、誠一さん・・・気持ちは解りますが、そんな事を言っても仕方有りませんよ。』


興奮した誠一さんを、なだめる様に、和尚様が声を掛ける。


そんな二人の会話を聞いている内に、私の中の不安が、確信へと変わっていった。


・・・間違いないわ・・・また、あの儀式をやるのね・・・


五年前の、あの儀式・・・人身御供・・・姉さんが、進んで人柱を申し出た儀式・・・


『・・・この事は、夕凪には秘密にして置いた方が良いでしょう・・・』


『・・・ですね。ただでさえ彼女は、五年前に朝美さんを失っている・・・これ以上、彼女を巻き込む訳には・・・』


ガラガラガラ・・・


誠一さんが言い終わる前に、私は、仏殿の引き戸を開いて、中へと入っていく。


「夕凪・・・聞いて・・・いたのか・・・」


私の乱入で、二人とも、唖然とした表情を、私に向けている。


そんな二人を余所に、私は二人の間に割って入った。


「・・・私・・・成ります・・・人柱に・・・」


『なっ?!』


私の、かすれた様な呟きを耳にした二人は、揃って驚愕の表情を浮かべている。


「・・・私が、人柱になって・・・村の皆さんが、救われるんだったら・・・私・・・成ります。」


「ま、待て夕凪!私達の話を聞いていたのでしたら、解るはずでしょう!私達は、儀式を止めようとしているんですよ?!」


「そうだ夕凪さん!あなたが申し出なくても、俺達が必ず止めてみせる!だから早まった真似はするな!!」


慌ててそう言ってくる二人に、私は首を横に振って否定した。


「和尚様・・・誠一さん・・・お二人が頑張っても・・・きっと、儀式は止まりません。」


「・・・何故そう言いきれるのですか。」


私の一言に、さすがの和尚様も、幾分険しい表情をしてくる。


怒る事を知らないと言って、過言ではない和尚様が、こんな顔をするのは、本当に珍しい。


「・・・和尚様だって、解っていらっしゃるんじゃないのですか?」


それでも私は、怖じ気づくことなく、和尚様にそうはっきりと言った。


それに対して、和尚様も誠一さんも、何も言おうとはしなかった。


そう・・・多分、止める事は出来ない。


どんなに忌まわしいと思っていても、昔から続く儀式。


例え偶然だとしても、五年前・・・姉さんが人柱になった時・・・それから暫くして、雨は上がった。


村の人たちは思っただろう・・・神の怒りが静まった、奇跡が起きた・・・と。


追いつめられた人たちにとって、それが偶然だとしても、雨が上がった事によって、自分たちの信心深さが実ったと思ったはず・・・


そして、姉さんの命と引き替えに、廃れたはずの儀式が蘇った。


「・・・確かに、もう私達では止められないかもしれません・・・」


暫くして、和尚様は、苦々しく言葉を吐いた。


「和尚・・・」


和尚様の一言に、誠一さんも、暗い表情になった。


「・・・だが、だからと言って、あなたが犠牲になる必要は無い!」


声を荒げて、誠一さんがそう言ってくる。


けど私は、静かに首を横に振って、その言葉を否定した。


「・・・姉さんは言いました・・・『私一人の命で、村の人達が安心するのなら・・・』村の人達は言いました・・・『朝美さんの様に、立派に成りなさい。』・・・私は、姉さんを・・・朝美お姉ちゃんを、誇りに思っています。そしてもし、その時が来たら・・・今度は私が・・・そう思っていました。」


「夕凪さん・・・あなたはそれで良いのか?」


「もしここで、私が犠牲にならなければ、他の人が犠牲になります。嫌がる人を、無理矢理人柱にするよりは、自ら望んで、人柱に成った方が良い・・・それに、巫女として今まで生きてきました・・・人柱に成る覚悟は、出来ています。」


「だが!!」


「・・・解りました。」


何か言おうとする、誠一さんの言葉を遮って、和尚様は静かにそう呟いた。


「それで本当に良いのか和尚!!」


和尚様の呟きによって、誠一さんの怒りの矛先は、和尚様へと向けられる。


「良い訳じゃありません・・・ですが私は、彼女の意志を尊重します・・・夕凪、本当に良いんですね・・・?」


誠一さんの怒気に怖じ気づくことなく、和尚様は、震える声で私にそう聞いてくる。


その声を聞いて、自分を押さえているのがよく解る。


あの時の私と同じように・・・


「・・・はい。」


私は、静かに、しかしはっきりと、そう答える。


「・・・解りました・・・」


和尚様は、それだけ答えると、もうそれ以上、何も言おうとはしなかった。


「クッ・・・俺は認めない、こんな事認めないぞ!!」


急に、誠一さんがそう叫んだと思ったら、ドスドスと大きな音を上げて、私が入ってきた入り口へと向かっていった。


「俺は一人ででも、止めてみせる!こんな忌まわしい儀式など、時代と共に葬るべきなんだ!!」


そう叫んで誠一さんは、仏殿を出て行ってしまった。


これで良いのよ・・・これで・・・


誠一さんを見送りながら、心の中で、そう自分に言い聞かせていた。


「ふんふんふ~ん♪」


師匠と並んで、鼻歌交じりに廊下を歩く。


外はあいにくの雨だけど、それ以上に、嬉しい事があった。


「・・・随分とご機嫌だな。」


「えへへ~♪」


隣を歩く師匠に、顔を向けると、うんざりした様な表情を浮かべていた。


「・・・弛みきったツラしやがって・・・気持ち悪いな。」


相変わらず、意地悪な事を言ってくる師匠だけど、今の私には、全然応えなかった。


「あのですね~実は、昨日から夕凪さんに、琴の弾き方を教えて貰ってるんです♪」


私が目を覚まして、一週間が過ぎた。


その間、毎日の様に降る雨と、毎晩の様に奏でられる、夕凪さんの琴の音色を聞いている内に、私も琴を弾いてみたくなった。


そして昨日、夕凪さんにお願いしたら、快く了承してもらえた。


今夜も夕凪さんに、琴の弾き方を、教えて貰う事になっている。


それが、今から楽しみで仕方なかった。


「琴・・・おまえがか?」


そう呟く師匠の顔は、まるで胡散臭い物でも見るような表情だった。


「あ~!ひど~い!!私が、琴を弾いちゃいけないって言うんですか?!」


師匠のその表情を見て、さすがに怒らずにはいられなかった。


「いや別に・・・そういう訳じゃないが・・・おまえ、意外と不器用だからな・・・弾けるのか?」


「ム~ッ!!じゃあ、もし私がちゃんと弾ける様になったら、どうしますか?!」


私がそう聞くと師匠は、考え込む様な仕草を見せる。


「そうだな・・・おまえの琴に併せて、舞でも披露してやろうか?」


その答えを聞いて、今度は私が、お返しと言わんばかりに、疑惑の目を向ける。


「・・・なんだよその目は・・・」


私の反応に、半眼になって睨んでくる師匠。


「えぇ~?師匠踊れるんですか~??」


「ほっとけ!俺だって、好きで覚えた訳じゃねぇんだ。」


そう言うと師匠は、不機嫌そうに、顔を背けてしまった。


「・・・でも意外ですね。師匠が舞を踊れるなんて・・・」


「あぁ・・・『舞を制す者、武を制す。神は転じて、刃となる。舞の刃と書いて、武神と成す。』」


「なんですか?それ・・・」


私がそう聞くと、師匠は苦笑を浮かべながら、顔をこっちに戻した。


「・・・耄碌爺に教えられた物さ。」


それはきっと、師匠を育てたお爺さんが、師匠に教えた戦う術・・・


「へぇ~」


それを理解した私は、それ以上何も言わずに、会話を切った。


師匠はあまり、自分の事を喋りたがらない。


聞いたら教えてくれる事もあるけど、自分から喋る様な事は、一切無かった。


だから私は、本当に聞きたい事以外は、なるべく聞かない様にしていた。


「じゃあ私、師匠の舞を観られる様、頑張りますね!」


そう言って、師匠に笑顔を向ける。


「おう・・・そうしてくれや。」


それに対して師匠は、動く左腕を使って、私の頭を、何度か軽く叩いてくる。


「でもその前に、右腕を早く治さないといけませんね。」


師匠の右腕は、この一週間で、だいぶ良くなった。


骨折は完全に治ったけど、でもまだ動かす事は出来ないみたいだった。


師匠が言うには、骨と違って、神経は複雑だから、孔雀明王珠の力でも、そう易々と治る訳じゃないんだって。


師匠の腕が完全に治るには、まだ暫く掛かりそうだった。


「・・・そうだな。まぁ、骨は繋がったんだ。ほっといても、その内動くようになるさ・・・うん?」


急に、師匠は立ち止まって、廊下の先を、訝しがる様に見つめている。


「?どうしたんですか?」


言いながら、師匠の視線を追って、私も先に目を向ける。


「あ、夕凪さ~ん!」


廊下の先には、縁側から外を眺めている夕凪さんが、ボ~ッと立っていた。


「?どうしたんだろ。」


何か考え事でもしているのか、私の呼びかけに、全く反応が無い夕凪さん。


夕凪さんは、どこか複雑な表情で、雨の降る空を見上げていた。


「・・・夕凪さん?」


私は、夕凪さんに近づいて、その肩を軽く叩いて、もう一度呼んでみる。


「え?あ・・・あらあら、聖さん・・・宝仙さんも。どうかしましたか?」


それでようやく、私たちの存在に気が付いた夕凪さんは、いつもと変わらない笑顔を、私たちに浮かべてくる。


その笑顔からは、さっきの表情が嘘の様に、全く感じられなかった。


「・・・どうかしたんですか?何だか変ですよ?」


さっきの表情が、どうしても気になった私は、夕凪さんに聴いてみた。


「あらあらあら・・・心配を掛けて、ごめんなさい。ちょっと疲れてボーっとしてただけなの。」


「・・・本当ですか?」


「えぇ・・・もう大丈夫よ。」


そう言って、また笑顔を見せてくれたので、私も笑顔を向ける。


けどまだ、どこか納得していなかった。


「あ、そうそう。私、これから村長さんのお宅に行かないといけないの。ごめんね、余計な心配掛けちゃって・・・」


そう言いながら、夕凪さんは、玄関の方向へと歩いていこうとする。


「いえそんな・・・それよりも、こんな雨の日にわざわざ行く事無いんじゃないんですか?」


少し気になった私は、夕凪さんの背中を見つめながら、そう声を掛けた。


「うん・・・そうなんだけど・・・早い方が良い事だから。」


私の質問に対して、夕凪さんは、立ち止まる事もしないで、肩越しに振り返ってくる。


おかしい・・・どこかいつもと違う気がする・・・


「・・・夕凪。」


今まで黙っていた師匠が、突然口を開いて、夕凪さんを呼び止める。


「・・・はい?」


そして夕凪さんは、その場で立ち止まって振り返ってくる。


その表情は、さっきまでと同じで、穏やかな笑顔だった。


「・・・いや、何でもない。気をつけて行けよ。」


「はい・・・ありがとうございます。」


そう言い残して、夕凪さんはまた歩き出した。


「・・・どうしたんですか?」


夕凪さんを呼び止めて置いて、結局何も言わなかった師匠に、その理由を聞いてみた。


「・・・いや・・・少し気になったんだが・・・」


どこか難しい表情を浮かべながら、夕凪さんが去っていくのを、ジッと見つめている師匠。


『キャッ?!』


ドスン・・・


少しして、夕凪さんの悲鳴と、何かが落ちた様な音が聞こえてきた。


どうやらまた、何も無い廊下で転んだみたいだ。


その音を聞いて師匠は、苦笑を浮かべながら、私に顔を向けてくる。


「・・・どうやら、俺の思い過ごしの様だ。」


・・・思い過ごし・・・だと良いんだけど。


そう言う師匠の言葉を聞いても、私は、どこか漠然とした不安を感じていた。


まるで、梅雨を急かす様に降り続ける雨。


その雨音に混じり、一軒の家から、怒声が聞こえてくる。


「親父!考え直してくれ!!こんな事に、何の意味がある?!」


まばらに立ち並ぶ、他の民家に比べれば、その家は豪勢と言えよう。


あまり大きくはない、この村の村長の家。


その一室から、村長の息子・誠一の怒声が聞こえてきていた。


「何故五十年も前に廃れた、こんな忌まわしい儀式を、執り行わなければならないんだ!!」


「誠一・・・確かに、五十年前に人身御供の儀は廃れた・・・だがどうだ。五年前の危機は、その忌まわしい儀式によって去ったのだ。そしてまた、危機が訪れた・・・再び、儀式を執り行う時が来たのだ。」


誠一の怒声にも関わらず、その親である誠は、狼狽える事無く、誠一をなだめようとしている。


「これは・・・村の総意なのだ。まだ人柱は決まってはいないが・・・直に決まる。解ってくれとは言わん・・・だが、邪魔をするでない。」


「何が総意だ!ただ単に手をこまねいて、楽な道を選んでるだけじゃないか!」


誠一は、今にも誠に掴みかかる様な勢いで、そう怒鳴り散らす。


しかし誠は、そんな誠一にため息を吐きかけて、首を横に振る。


「・・・楽なものか・・・人一人の命を捧げるのだ・・・だが・・・村全体を護るか・・・一人を護るか・・・火を見るより明らかだ。きっと・・・人柱に成る者も解ってくれる。」


「勝手な事を・・・死んだ者は二度と蘇らないんだぞ!!」


「ならば村人全員を見殺せと言うのか!!」


誠一の一言で、誠もまた、掴みかかる様な勢いで、怒鳴り散らす。


「誰もそんな事言って無いじゃないか!他に方法があるはずと言っているんだ!!」


対して誠一も、更に力を込めて、そう叫んだ。


両者の意見は、全くの平行線で、暫くの間、緊迫した睨み合いが続いた。


「まったく・・・騒々しいねぇ・・・」


両者の睨み合いを解いたのは、二人の間に割って入った、第三者の声だった。


その声と共に、襖の障子が僅かに開かれ、そこから声の主が現れた。


「・・・楓様。」


声の主の登場に、誠がその名を呟いた。


現れたのは、年老いた老婆だった。


「長老・・・何しに来た・・・」


誠一は、年老いた老婆を睨み付け、怒気を含んだ声音で、そう呟く。


「おやおや・・・ご挨拶だねぇ・・・目上の者に対しての、礼儀を知らん・・・」


楓と呼ばれた老婆は、誠一の視線など、全く意に介していない様子で、薄笑いを浮かべながら、面白そうにそう呟いた。


「俺にだって、敬意を払うべき人間かどうか、選ぶ権利はある。特に・・・忌まわしい儀式を蘇らせたあんたに、媚びる頭は持ち合わせていない!!」


そう叫び、楓に向けていた顔を逸らすと、それ以上関わりたくないと言わんばかりに、押し黙る誠一。


誠一が言う様に、五年前、この村に人身御供の儀を蘇らせたのは、紛れもなくこの老婆だった。


五年前の長雨の時、この村の者達は、なかなか止まない雨の事で、毎晩の様に話し合っていた。


だが結局、村人の間で、これといった対処法も思い浮かばなかった時に、この村最年長であり、村の者達から長老と呼ばれていたこの老婆が、神への供え物として、人身御供の儀を蘇らせたのだった。


最初の内は、その儀式に対して、反対する者や、抵抗のある者も居た。


だが結局、これといった案も思い浮かばなかった上、どこからかその事を聞きつけた夕凪の姉、朝美の申し出もあり、運悪く儀式が執り行われてしまった。


そして、それから三日と立たない内に、運悪く雨は上がってしまった。


そして村の者達は、神の怒りが静まり、奇跡が起こったのだと、口を揃えて言う様になったのだった。


「童が・・・まあお主には用は無い・・・儂が用のあるのは、お主じゃ・・・誠よ・・・」


「・・・は?」


急に話を振られ、幾分間の抜けた返事をしながらも、誠はすぐに話を聞く体勢を取った。


「人柱が決まった・・・これで、いつでも儀を執り行えるわい・・・」


「ッ?!」


楓の一言で、背けていた顔を楓へと向けて、驚愕の表情を浮かべる誠一


「ほ、本当ですか?!一体誰が・・・」


誠もまた、驚いている様だが、その顔からはどこか安堵の色が伺えた。


「・・・夕凪じゃ・・・大方の予想通りじゃったな・・・」


誠の反応を見てから、満足そうに頷いた楓が、質問に対しての答えを告げる。


その答えを聞いて、誠は、どこか納得した様な表情を浮かべ、誠一は、愕然とした表情を浮かべて、俯いてしまった。


「・・・予想通りだと・・・?」


だが誠一は、すぐに顔を上げると、不思議そうに聞き返していた。


「どういう事だ親父・・・まさか・・・」


誠一は、何かに気が付いたのか、そう呟くと、自分の父親と楓を、交互に睨み付ける。


「おかしいと思っていた・・・五年前、いくら朝美さんが人柱に成ったからと言って、極端に余所者を嫌う村の者達が、手の平を返した様な態度・・・それに、あからさまに朝美さんを褒め称えて、夕凪さんに言い聞かせていた事もそうだ・・・最初から、夕凪さんを次の人柱として手なずける為に、手元に置いていたかったのか・・・」


何処か確信めいた誠一の言葉に、誠も楓も押し黙ってしまう。


「答えろっ!!」


何も喋ろうとしない二人に、痺れを切らした誠一が、二人に向かって叫ぶ。


「・・・そうじゃと言ったらどうする・・・?」


「ッ!!」


一拍置いて、呟かれた楓の一言に、誠一は身を強張らせる。


「確かに・・・お主の言うとおりじゃ・・・村の者の身を捧げるよりも・・・余所者の身を捧げた方が、皆安心するじゃろ?更に言えば・・・朝美に、人柱の話をしたのは・・・儂じゃ。」


それがさも当然と言わんばかりに語る楓に、誠一の握りしめた拳が、怒りに戦慄く。


「あんた・・・狂ってるぜ!」


誠一の怒りを込めた一言に、心外と言わんばかりに、驚いてみせる楓。


「何を言う・・・五十年前・・・人身御供が廃れる以前は・・・毎年人柱を立てておったのじゃ・・・それに比べれば、随分マジになったと思うがのぉ・・・」


楓の言葉が終わる前に、誠一は立ち上がると、楓が立っている、半開きの障子に手を掛ける。


「・・・何処に行く・・・」


「決まってる!夕凪さんを止めに行く。今の話を聞けば、いくら夕凪さんが、底抜けのお人好しでも、思いとどまってくれる!!」


そう言って、障子を勢いよく開く誠一。


「ッ?!」


部屋の外に出た途端、誠一の表情が強張った。


「・・・残念じゃが・・・それは無理じゃな。」


障子の向こう、玄関に繋がる廊下に、村の男三人が、通路を塞ぐ様に立っていた。


反対側の廊下に、目を向けると、そちら側にも村人が行く手を塞いでいた。


「・・・暫く頭を冷やせ童・・・あの娘一人の命で、村の者達が救われるのじゃ・・・暫く・・・そう、儀式が終わるまでの間で良い・・・おとなしくしておく事じゃ・・・自分の為にも・・・」


「てめぇ・・・」


楓を睨み付けてから、誠一は、廊下を塞ぐ三人に目を向ける。


三人は、誠一を通すつもりなど全く無く、腕組みをしながら、誠一を威圧していた。


「・・・ッ!!」


暫く様子を見ていた誠一は、意を決して、三人に向かって駆け出す。


右肩を突き出し、出来るだけ体を低くして、三人に向かっていく。


それを見た三人は、腕組みを解いて、腰を落として構える。


「そこを退けーっ!!」


「うお?!」


「ぐわ!!」


ガシッ!!


気合いを込めた叫びを上げながら、三人に突っ込むと、二人目まではなぎ倒す事に成功したが、三人目に体当たりを避けられ、左腕を捕まれてしまう。


「クッ!!放せーっ!!」


捕まれた手を振り払おうとするが、なぎ倒した男二人が、すぐに立ち上がって、誠一に掴みかかる。


両手を捕まれ、腰にしがみ捕まれて、ついには羽交い締めにされてしまった。


「ウオオォォォーッ!放せ!放せええぇぇーっ!!」


「大人しくしろ!!」


何とか脱出しようと藻掻くも、その抵抗虚しく押さえつけられてしまう。


「・・・暫く頭を冷やせ・・・」


その光景を一部始終見ていた楓は、誠一を一瞥すると、そのまま廊下の向こうへと歩いていった。


「ッ!!親父・・・親父!!」


楓の後を追う様に、部屋から出てきた誠に向かって、誠一は叫ぶ。


だが誠は、自分の息子の叫びを無視して、楓の後を追っていく。


「頼む親父!考え直せ!!親父ならまだ止められる!!」


それにも関わらず、誠一は、声を大にして訴えかけた。


「静かにしろ!!」


ゴンッ!!


「グッ・・・」


だがその行為の所為で、村人の一人に顔を殴られてしまった。


「くっ・・・そ・・・親父いいいぃぃぃーっ!!」


誠一の悲痛な叫びが、家の中で木霊する。


その声を聞き届ける者は、その場には、誰一人としていなかった。


今日もまた、雨が降る・・・


昨日よりも分厚い雨雲と、強めの風。


昨日よりも勢いの増した雨が、儀式の準備を遅らせている。


けれど・・・もう一刻程待てば、準備は整うはず。


そうなれば私は、崖下に広がる河へ、身を投じなければならない・・・


・・・姉さんが・・・朝美お姉ちゃんが、身を投じたこの場所で・・・


五年前、姉さんの亡骸は、結局見つからなかった。


遺骨も無く葬式を上げて、お姉ちゃんの居ないお墓に、毎年手を合わせてきた・・・


私もそうなるのかしら・・・出来れば、お姉ちゃんと一緒のお墓に、名前を刻んで欲しい・・・


その事を言い忘れていたけど、きっと和尚様なら、私の想いを汲み取ってくれるはず・・・


・・・結局、聖ちゃんには、今日の事を言う事が出来なかった・・・


あの子は真っ直ぐな子だから・・・きっと止められてしまう。


だから・・・聖ちゃんたちが起きる前に、身支度だけして出てきてしまった。


ごめんね・・・終わったら、いっぱい怒って良いから・・・


昨日の夜、聖ちゃんに琴の弾き方を教えた後、いつもの様に琴を奏でた・・・


いつもと変わらないはず・・・けど、今日は弾く事が出来ない・・・


今日だけじゃない・・・これから先・・・ずっと・・・


そう思うと・・・やっぱり何だか寂しい・・・


けど・・・きっと、聖ちゃんが奏でてくれる・・・


きっと・・・


儀式の準備が進むにつれて、私の気分は、どんどん深く沈んでいく。


こんな事じゃ駄目・・・そう思っても、どうしても暗くなってしまう。


・・・怖い・・・死ぬのが・・・怖い・・・


死に対しての恐怖・・・


昨日までは、そんな事感じなかった・・・けど今は、確かに感じる・・・


それが、私の心を・・・体を・・・徐々に蝕んでいく。


それを必死に否定しようとしても、する事が出来ない・・・


このまま・・・時間が過ぎていけば・・・私は・・・私を取り巻くこの世界は・・・消えて無くなる・・・


お姉ちゃん・・・お姉ちゃんも・・・今の私の様に、恐怖を感じてたの・・・?


だとしたら、なんで最期に私に笑いかけてくれたの・・・?


私が・・・居たから?


そう思った所で、その考えを否定した。


いいえ・・・姉さんは、とても強い人だった・・・とても優しく、とても凛々しい・・・


そんな姉さんが、今の私の様に、恐怖を感じていたとは、到底思えない。


ゆっくりと目を閉じて、深く深呼吸する。


一回・・・二回・・・三回・・・


深呼吸を、繰り返す事によって、その前までの自分では無くなるのだと、強く思いこむ。


昔・・・姉さんに教えて貰ったおまじない・・・


四回、五回、六回と続ける事によって、段々と落ち着いていく。


恐怖が和らいだ所で、閉じた目を開くと、少しだけ、世界が変わった様な気がした。


「・・・おひゃようござじゃいましゅ・・・」


寝ぼけ眼を擦り、あくびをかみ殺しながら、そう言って聖が部屋の中へと入ってくる。


部屋の中には、すでに宝仙が、朝食の並べられている、卓袱台を前に座っていた。


そして、卓袱台の上には、三人分の朝食が並べられていた。


「・・・んぐぅ・・・」


まだ少しうとうとしながら、宝仙の隣に聖も座る。


ゴス・・・


不意に、今まで一言も喋らず、ジッと座っていた宝仙が、動く左腕で、聖の頭に拳骨を入れた。


「ッ!!イッターイ!!」


殴られた衝撃で、両手で頭を押さえた聖が悶絶する。


「・・・行くぞ。」


不機嫌そうに宝仙は呟くと、不意に立ち上がって、今し方聖が入ってきた場所から、廊下へと出ていった。


「え?あ、あの!!」


訳もわからず、聖は困惑していたが、それでも立ち上がって、宝仙の後を追い部屋を後にした。


「もぉ~いきなり何するんですか!!」


宝仙に追いついた聖が、先ほどの事に対して、不満を漏らす。


だが宝仙は、それには答えず、不機嫌そうな顔のまま、廊下を歩いていく。


「・・・師匠?どうしたんですか・・・?」


宝仙の態度に、違和感を感じた聖が、不思議そうな顔をしながら言う。


「・・・夕凪と和人が、いつまで経っても来ない・・・さっきまで、この神社の中の気配を探ってみたが・・・俺とおまえとクロ・・・それから、仏殿の方角に一人・・・極めつけが、俺が起きて居間に行った時には、すでに卓袱台の上には、三人分の朝食があった・・・この意味が、おまえに解るか?」


相変わらず、不機嫌そうな表情を浮かべ、廊下を歩く宝仙は、聖に顔を向けることなくそう喋る。


「え・・・?」


宝仙の言葉に対し、声を漏らした聖は、宝仙の後を追いながらも、考え込む仕草をしてみせる。


「・・・昨日の昼過ぎに、夕凪と廊下であった時・・・一瞬だったが、気になる目をしていた・・・迂闊だったぜ・・・」


「・・・私も・・・気にはなってましたけど・・・」


「まぁ・・・全て、ここに居る奴に聴けば解るさ・・・」


そう呟いて、宝仙は足を止め、それに続いて、聖も立ち止まる。


離れの社務所から、廊下伝いで本殿と繋がっている。


廊下の突き当たり、一際大きな扉に、宝仙は手を掛けた。


ガララ・・・


静かにその扉を開くと、中には一人の男が、孔雀明王像と向き合っていた。


「だろ?和人さんよ・・・」


そう言って宝仙は、仏殿の中へと踏み込んだ。


「・・・教えてください、和人さん・・・お願いします!」


宝仙に続いて聖も、そう言って仏殿の中へと踏み込んだ。


二人の言葉を聞いて、和人は、ゆっくりと振り返って、二人と向き合う。


その表情は、暗く沈んでいた。


「・・・もう夕凪は、ここには・・・還ってきません。」


暫くの沈黙の後、やっとの思いで、それだけ呟いた和人は、言い終わるや、沈んだ表情を、更に沈ませて、俯いてしまった。


「・・・どういう・・・事ですか?」


和人の呟きを聴いた聖は、驚きの表情を浮かべ、そう聞き返した。


「・・・その昔・・・ある女性が、この村にやって来ました・・・彼女は・・・それまで、この地方に伝わる『人身御供』の儀式を知るや・・・皆に、その儀式を止める様説得しました・・・ですが、村の人達は・・・彼女の言葉に、耳を傾けようとはしませんでした・・・村の人達は・・・必死に止める彼女を押し退け・・・儀式を強行しようとしました・・・そこで彼女は・・・」


「・・・奇跡を起こしたか・・・あいつらしい・・・」


和人の言葉を受け継ぎ、そう宝仙が呟いた。


「・・・はい。そして今・・・今再び、儀式を蘇らせようとしている人達が居ます・・・」


「それじゃ・・・夕凪さんは・・・」


「・・・姉の朝美がそうだった様に・・・それを知った、夕凪もまた・・・人柱に、志願したのです。」


「ッ!!」


聖の言わんとしている事を悟った和人は、決定的な言葉を聖に継げる。


それを聞いた聖は、和人に駆け寄ると掴みかかり、和人の顔を上げさせる。


いつもの聖からは、考えられぬ様な行動と形相で、和人に詰め寄る。


「どこですか!!」


「・・・北東の・・・崖です・・・」


聞くや否や、聖は駆け出して、仏殿から出ていってしまった。


「・・・少し聞いて良いか?何で、あんたはここに居るんだ?」


聖が出ていった後、和人に向かって、宝仙が問いかける。


「・・・今まで、一緒に暮らしていたんですよ・・・朝美が居なくなった後も・・・二人で一緒に、ここで暮らしてきたのです・・・」


「・・・あんたは止めたのか?」


「・・・いいえ・・・彼女は選んだのです・・・自分が、進むべき道を・・・自分自身で・・・」


そう呟き、和人はまた、顔を俯かせる。


「・・・本当に、そう思っているのか?」


「・・・え?」


宝仙の呟きに、俯かせた顔を上げて、聞き返す和人。


「・・・俺は、詳しい事は知らん・・・姉が居た事も、今知った位だしな・・・ま、聖が何か知っていた様だったから、夕凪も、聖になら話すと思っていた・・・予想が外れちまったな。」


そう言って、肩をすくめてみせる宝仙。


「・・・時に、命よりも誇りや、その者の意志を、護らなければならない事がある・・・だが・・・それは、一点の曇りの無い者に限る・・・あんたは、今まで一緒に暮らしてきたと言ったな・・・なら何故気が付かなかった・・・彼女の瞳に、恐怖と不安が映っていた事に・・・」


「ッ!!」


宝仙の言葉を聞き、愕然とした表情を浮かべる和人。


そんな和人に、宝仙は背を向ける。


「・・・むかつくんだよ。中途半端な気持ちで、命を投げ出す様な奴が・・・そして、何もしないで、神だのなんだのに、縋ろうとする馬鹿共がな。」


「・・・あなたも、止めに行くつもりですか?」


和人の呟きを聞いた宝仙は、仏殿の外に出た所で立ち止まっり、肩越しに和人を見据える。


「あぁ・・・止められないと言って、何もしなければ、何も終わらない・・・何も始まらない・・・俺はそれを、ある女に教えて貰った・・・それに・・・」


「・・・それに?」


和人が聞き返すと、宝仙は振り返り、不適な笑顔を浮かべる。


「孔雀明王呪を預かった時に、魅鈴に言われた事がある・・・『汝、全ての不義に、鉄槌を下す暴君で在れ。』ってな。良い迷惑だぜ・・・」


「クロ!!お願い・・・夕凪さんの所に、連れてって!!」


「御意!!」


お寺を出た私は、クロを呼び寄せて、音もなく現れたクロの背中に飛び乗った。


クロの炎を思わせる体毛を掴んで、振り落とされない様に、体を低くする。


それと同時に、クロは、雨の中を走り出す。


容赦なく体にぶつかる雨にも構わず、ただひたすら、夕凪さんの居る崖へと向かう。


「もっと早く・・・早く!!」


自分でも、無茶なお願いをしているとは解ってる。


激しく降り続ける雨の所為で、視界は最悪と言っていい。


容赦なく打ち付ける雨の粒が、痛いくらいだ。


けどクロは、私の無茶なお願いを聞き入れてくれた。


更に早く、風の様に駆け抜け、周りの景色が、どんどんにじんでいく。


バカ・・・夕凪さんのバカ!!きっと話してくれると思ったのに・・・


誰にだって、話しにくい事はある。


だから、無理に聞くよりも、夕凪さんから話してくれるのを、待っていた方が良いと思い、黙っていた私・・・


・・・間に合って・・・お願い!!


必ず間に合う、そう自分に言い聞かせて、前を見据える。


すると、私たちの進む先に、松明を持った数人の村の人が、林道をふさぐ様に立っていた。


「・・・うん?なんだ、あれは?」


その内の一人が、もの凄い速度で近づく私たちに気が付いて、指を指してくる。


「クロッ!!」


私が呼びかけると、クロは、立ちふさがる村の人達の、頭の上を軽々と飛び越える。


無事に着地して、そのままの勢いで、目的地へと向かう。


私たちの後ろで、驚いた様なざわめきが聞こえてくるけど、敢えて取り合わないで急ぐ。


なだらかな坂道を駆け上っていくと、やがて林道の先に、開けた場所が見えてくる。


雨にも負けず、燃えさかる巨大なかがり火と、その隣で、天に向かって両手をかざす男の人の後ろ姿。


少し離れた場所に置かれた大太鼓からは、お腹に響く大きな音が打ち出される。


そして、道が途切れる一歩手前に、巫女服を纏った女の人の後ろ姿。


「夕凪さん!!」


私は、降り続ける雨の音に負けない様に、声を大にして彼女の名前を叫んだ。


儀式の準備もようやく終わり、いよいよ『人身御供』の儀が、執り行われる。


雨は、今なお降り続け、纏った巫女装束は、あっという間に水を含んで、重くなっている。


ドン・・・ドン・・・


巨大なかがり火の、揺らめきに合わせる様に、大太鼓の音が、重低音で鳴り出される。


太鼓が鳴り始めたと同時に、私は一歩ずつゆっくりと、崖際へと歩いていく。


一歩手前で立ち止まり、眼下に広がる河に目を向ける。


それほど高くは無い崖だけど、河は荒れ狂い、いつもの平穏さが伺えない。


眼下に広がる光景を見た瞬間、鼓動が早まり、体が硬直してしまう。


けど大丈夫・・・私には、お姉ちゃんから教えて貰った、おまじないがあるもの・・・


ゆっくりと目を閉じて、一回・・・二回・・・三回と、ゆっくり深呼吸する。


一回深呼吸する毎に、それまでの自分ではなくなると、強く思いこむ。


四回・・・五回・・・六回目で目を開いて、もう一度眼下に広がる光景を、見下ろす。


不思議と、さっきまで早鐘の様に、鳴っていた鼓動が収まり始め、体も徐々に、束縛から解放されて、動く様になる。


「雨の神よー!ここに贄を持ち入りまして候!何卒、そのお怒りを、鎮め賜えー!!」


そんな事をしている内にも、儀式は滞りなく進み、終盤へを迎える。


「雨の神よー!何卒、我等に陽の光を、お与えください!!」


・・・お姉ちゃん・・・私は・・・お姉ちゃんの意志を・・・継ぎます・・・


天を仰ぎ、分厚い雨雲に目を向けて、ゆっくりと目を瞑る。


重心を前へと傾け、崖下に向かって倒れ込む。


「夕凪さん!!夕凪さーんっ!!」


「なんだ貴様は!!」


ッ!!


聞き覚えのある声に、閉じた目を開いて、声の聞こえてきた方向に目を向ける。


「夕凪さん!」


「聖・・・ちゃん・・・」


反転していく視界の中、私は、彼女の姿を確認して、名前を呼んだ。


しかしすぐに、彼女の姿が見えなくなり、代わりに岩肌が、視界を塞いだ。


それで私が、崖下へと真っ逆さまに落ちている事を、すぐに理解した。


・・・そっか・・・知っちゃったんだ・・・ごめんね・・・でも、最期に聖ちゃんの顔が見られて・・・


そう思いながら、ゆっくりと目を閉じる。


「舞い降りよ!!金色なりし、煌めく龍!!」


・・・え?


尚も、聖ちゃんの声が、身近に聞こえてくる事に、まさかと思いながら目を開いて、崖上に視線を向ける。


そこには、私の後を追って、飛び降りてくる聖ちゃんの姿。


「もう、誰の手も離さない!!だから・・・金剛鬼神、金華龍ー!!」


そう聖ちゃんが叫ぶ声を聞くと同時に、私の身は、荒れ狂う河の中へと落ちてしまった。


ゴボゴボ・・・ザバーッ!!


金華龍の力と姿を借りた私は、荒れ狂う河の中から、夕凪さんを抱えて飛び出した。


安全な川縁に着地して、気を失っている夕凪さんを寝かせる。


「夕凪さん!」


すぐに元の姿に戻って、夕凪さんを揺さぶって、呼びかける。


けど、全く反応を示さない夕凪さんに、不安になった私は、夕凪さんの胸に耳を当ててから、顔にも耳を近づける。


「・・・息・・・してない・・・ッ!!」


意を決し、左手を夕凪さんの体にかざして、意識を集中させる。


「マハーマユーリ!!」


空いた左手で、梵字を描いて、梵名を叫ぶ事によって、梵字に込められた言霊の力を解放させる。


すると、かざした左手に光が灯り、そこから漏れた光の粒が、夕凪さんの体に降り注がれる。


「お願い・・・目を覚まして!!」


その想いとは裏腹に、夕凪さんの顔色が、段々青白くなっていく。


どうしよう・・・どうすれば良いの?


焦りと不安から、私の頭は、混乱状態になって、何も考えられなくなっていく。


「阿呆!先に水を吐かせて、呼吸できるようにしなけりゃ、助かる訳無いだろ!!」


「え・・・?師匠!」


その怒声に驚いて振り向くと、クロと師匠が、私たちの所目指して、走ってくる。


やって来た師匠に、場所を譲ると、師匠は、夕凪さんの体を、入念に調べ始める。


「・・・かなり水を飲んでるな・・・おまけに心臓まで止まってやがる・・・」


そう言いながら師匠は、動く左腕で、夕凪さんの左胸に手を添える。


「聖、俺が合図をしたら、ここをゆっくりと力強く、三回押せ。良いな?」


「あ・・・はい!」


言われたとおり、師匠に示された場所に、両手を添えて構える。


そして師匠は、夕凪さんの顔を上に向かせると、夕凪さんの鼻をつまんで、顎を突き出させる。


「クロ・・・もうそろそろ、村のバカ共が来る頃だ。おまえは、邪魔されない様に、見張っておけ。」


師匠の言葉に対して、クロは、以外にも素直に従って、さっき来た方向に体を向ける。


「よし・・・行くぞ。」


「はい!」


師匠がそう呟くと、おもむろに、夕凪さんの口に、師匠の口が覆い被さる。


そのまま暫くすると、師匠が息を吹き込んだのか、私の手が添えられた、夕凪さんの胸が、大きく膨らむ。


「よし・・・押せ!!」


「はい!一・・・二・・・三!」


夕凪さんの口から、師匠は口を外して、そう言ってくる。


私は、言われたとおりに、夕凪さんの胸を、全体重を乗せて力一杯ゆっくりと押す。


そしてまた、師匠が夕凪さんの口を、口で覆って、息を吹き込む。


師匠が口を離したら、今度は私が、さっきと同じように、胸を強く押す。


単調な作業を、何回か繰り返している内に、師匠達がやってきた方向から、ざわめきが聞こえ始める。


その時・・・


「カハッ!!・・・ゴボ・・ゴホ・・・」


「夕凪さん!!」


「ゴホッ!・・・ゴホッ!・・・はぁ・・・はぁ・・・」


飲んだ水を吐き出して、夕凪さんは、息を吹き返した。


ゆっくりと目が開かれて、不思議そうに、視線を彷徨わせる夕凪さん。


「・・・宝・・・仙・・・さん・・・聖ちゃん・・・」


「ッ!!」


夕凪さんが、私の名前を呟いた時、私は、夕凪さんの体に抱きついた。


「ふぅ・・・やれやれ・・・世話の焼ける事だ。」


そう呟いて、師匠が裸の私に、羽織をかぶせてくる。


「どう・・・して・・・私・・・人柱に・・・成ったのに・・・」


うわごとの様に呟く夕凪さんを、私は、強く抱きしめる。


離さない様に、強く・・・強く・・・


「居たぞー!!」


その声と共に、大勢の気配を感じ取る。


「おぉ・・・何という事じゃ・・・人柱がまだ生きておる・・・」


その言葉を聞いて、私は、集まってきた、村の人達を睨み付ける。


その中には、心配そうな顔をしている、和尚さんの姿もあった。


「・・・お主等・・・何者かは知らぬが・・・儀式の邪魔だては許さぬぞ・・・」


村の人達を取り巻きに、一人のお婆さんが、私たちに向かって声を掛ける。


「さぁ・・・大人しく人柱を返しなされ・・・さすれば・・・」


「ふざけないでよ!!」


お婆さんの言葉に、怒りを感じた私は、自分でも気が付かない内に立ち上がって、そう叫んでいた。


「何でそんな事が言えるの?!何でそんな事が出来るの?!」


「村を救う為じゃ・・・人一人の命で、儂等は助かる・・・」


私の言葉に、怖じ気づく事も無く、そう言ってくるお婆さん。


そして、そのお婆さんの言葉に、村の人達から、賛同の声が聞こえてくる。


その言葉を聞いて、私の中に、沸々と怒りが大きくなっていく。


「あなた達・・・命をなんだと思ってるのよ・・・見返りを求める神様なんて、人の業そのものじゃない!!それなのに・・・ッ!!」


はだけそうになった師匠の羽織を、かけ直そうとした私の手を、夕凪さんが掴んで、止めてくる。


「や・・・めて・・・良いの・・・私が・・・選んだ・・・事だから・・・」


「夕凪・・・さん・・・」


驚いて振り返ると、弱々しい表情の夕凪さんが、そう言って、私の事を止めてくる。


「そぉれみろ・・・本人もそう言っておるのじゃ・・・大人しく人柱を渡しなさい・・・」


「黙れーっ!!」


それまで、黙って事の成り行きを見守っていた師匠が、いきなり怒りの叫びを上げる。


その叫びに、大気は震え、村の人達も水を差したかの様に、静まりかえった。


「テメェ等・・・今、俺達の邪魔をしないで貰おうか。殺すぞ・・・」


そう呟いて、師匠は殺気を迸らせる。


鬼気迫る師匠の迫力に、腰を抜かした人もいる様だった。


「なぁ夕凪・・・一つ答えろ。おまえは、こんな奴らの為に、本当に命を捨てる覚悟はあるのか?死に対して、恐怖は無いと言えるのか?」


「・・・はい。」


師匠の質問に対して、夕凪さんは、弱々しく呟いた。


「じゃぁなんで・・・おまえの瞳に、恐怖が映ってるんだ?」


「・・・ッ!!」


師匠のその一言で、夕凪さんが息を飲むのが解った。


「もし・・・あんたが、何の迷いもなく・・・信念の為に、命を捨てられるのならば・・・俺はここには居ない。あんたが、冷静に考えてここに居るのなら、俺は止めはしない・・・だが、理性が働いていないのなら別だ・・・その程度の覚悟で、他人の為に命を張るなんて、軽々しく言うんじゃねぇよ!」


怒気を含んだ師匠の声音に、夕凪さんの肩が、僅かに震え始める。


「私・・・私・・・は・・・」


「耳を傾けるでない!!」


「ッ?!」


突然の、お婆さんの叫びに、私たちの視線は、そのお婆さんへと集中する。


「何を迷う必要があるか・・・夕凪よ・・・お主の姉、朝美は・・・立派にお役目を果たしたというのに・・・その妹のお主が、そんな事でどうする・・・?」


どこか芝居がかった物言いに、私も師匠も怒りを覚える。


「わ、私・・・お姉ちゃん・・・」


けど、夕凪さんだけは、どこか惚けた様な表情で、うわごとの様に、呟きを漏らす。


あぁ・・・そっか・・・


なんで夕凪さんが、自分から人柱に成る道を選んだのか、私には、その理由がようやく解った気がした。


私は、今なお惚けた表情を浮かべている、夕凪さんの肩に、両手を置いて揺さぶる。


「夕凪さん!!あなたは誰ですか?」


「・・・え?」


「あなたは、ここに居ますか?!あなたの本当の心は、そこに在りますか?!」


「聖・・・ちゃん・・・」


「ここに、朝美さんは居ません!あなたは朝美さんじゃ在りません!!朝美さんが立派な人だったとしても、夕凪さんは、夕凪さんじゃないですかっ!!」


「聞く耳をもつで無い!夕凪よ・・・お主はお主の・・・朝美の意志を・・・」


「他の人の事なんて関係無い!!」


後ろで何か言っている、お婆さんが言い終わる前に、私は、叫んで立ち上がった。


「どうして・・・どうして何もしないのよ!河が氾濫したなら、みんなで塞き止めてればいいじゃない!!お家が壊れたなら、みんなでまた建て直せばいいじゃない!!畑が駄目になったら、また耕せばいいじゃない!!」


そう叫んだ私は、体を村の人達に向ける。


「一人じゃ無理かもしれない・・・けど、私たちは一人じゃない!!みんなで力を併せれば、出来る事だってたくさん有るのに!!」


未だに降り続ける、雨の音に負けない様に・・・


村の人達に、気が付いて貰いたい・・・知って貰いたい・・・私たちは、けして無力じゃない事を・・・


「何も出来ないって、最初から諦めて、何もしなかったら、本当に何も出来ないじゃない!!何もしない、何も出来ない・・・それじゃ、何も変わらない!!それで良いんですか?恥ずかしくないんですか!!」


思いの丈を、声を大にして、みんなに訴える。


言いたい事を、全て言い尽くした私は、肩で荒く息をする。


そんな私の頭に、師匠の手が置かれて、ポンポンと叩いてくれる。


「なぁ夕凪・・・おまえは、どうしたいんだ?聖がここまで吠えたんだ・・・それにあんたは、応えられるか?」


「・・・私・・・私・・・本当は、あの時・・・お姉ちゃんを止めたかった・・・大好きだったのに・・・意志を継ぐなんて、格好つけたけど・・・本当は怖くて・・・怖くて仕方なかった・・・それでも自分に言い聞かせて・・・たのに・・・」


言うにつれて、涙声になっていく夕凪さん。


そんな夕凪さんを、私は抱きしめた。


「良いんです・・・それで良いんですよ・・・辛くて不安で、仕方なかったんですよね・・・」


そう言って、まわした腕に力を込めて、ギュッと抱きしめる。


ギュッと・・・ギュッと・・・


「・・・猿芝居は、その辺にして貰おうか・・・」


急に呟かれた声に、顔を村の人達へと向ける。


「言いたい事が終わったのなら、早く人柱を渡して貰おうか・・・早く儀式を執り行わねばならん・・・」


「あなたは・・・ッ!!」


私がまた立ち上がろうとすると、師匠が手で制して、留まらせる。


「全く・・・しつこいババァだな・・・あんただろ?儀式を復活させたのは・・・その執念じみた言動を見ていれば、馬鹿でも解るぜ・・・」


「・・・そうじゃ。だから何じゃ?村の総意なのじゃ・・・何の問題が有るか?」


お婆さんのその言葉に、ほとんどの人達が、同意の声を上げている。


「フン!総意か・・・なら何故、貴様等が人柱に成らない?」


「神が求めておるからじゃ・・・うら若き、乙女の命を・・・」


「・・・そんな俗説に、踊らされている訳か・・・馬鹿馬鹿しいな。人柱とはつまり、人の命を捧げる事・・・何故うら若き乙女でなければならないんだ?男だろうが、女だろうが、老いも若きも関係無い・・・人の命を捧げる儀式なんだからな。それなら、そこの老いぼれを捧げた方が、村の為にも成るだろう・・・どうせ、あの世に首まで浸かってる様な身だ。あんただって、長く生きてんだ・・・悔いも無いだろ?」


「なんじゃと貴様・・・」


師匠の言葉を聞いて、さすがのお婆さんも、怒った表情を見せている。


そして村の人達も、師匠の言葉に驚いているのか、少しざわめきだした。


それにも構わず、師匠は涼しい顔をしている。


「おまえ等全員に聞こう。何故五十年前、人身御供の儀が廃れたか・・・知っている奴は居るか?」


「ッ!!」


その言葉に、村の人達のざわめきが大きくなる。


ただ一人、お婆さんだけが、驚いた様な表情をしていた。


「この雨が、本当に神の仕業だというのなら・・・この雨を晴らせたら俺は『神殺し』という事になるのかな?フッ・・・悪くないな。」


そう言いながら師匠は、分厚い雨雲に視線を向けて、苦笑していた。


「貴様・・・何を考えておる!皆の者!あの者を・・・ッ!!」


お婆さんが、焦りながら、周りに居る人たちに呼びかけた瞬間、人垣に紛れていた和尚さんが、お婆さんの事を羽交い締めにする。


「何をするか和尚!離さぬか!!」


「すいません・・・しかし、私は知りたいのですよ・・・五十年前、魅鈴様が起こした奇跡を・・・皆さんだってそうでしょう?」


その言葉に、周りに居る人達は、同意こそしなかったけど、誰一人として、お婆さんを救おうとする人も居なかった。


「奇跡・・・か。和人、あいつが起こしたのは、『奇跡』と書いて『幻』と読むのさ。」


そう呟いて師匠は、懐から五鈷杵を何本か取り出して、歩き出した。


私には、これから師匠が何をするつもりなのか、全く想像出来なかった。


「そして・・・これから起こる事は、全て偶然・・・今後一切起こる事は無いと思え。」


そう言いながら、私たちと距離を開けて、手にした五鈷杵を、地面に突き立て始める。


合計八本の五鈷杵を、円を描く形で地面に突き刺した師匠は、その円の外から一歩出て、片手だけで印を結んだ。


「止めよ!!止めるんじゃ!!」


「お静かに願います・・・長老様。」


これから何が起こるのか、ただ一人解っているのか、お婆さんが、和尚さんの腕から逃れようと、必死に藻掻いていた。


「フンッ・・・風を司りし者よ・・・我願い奉る・・・汝の猛々しい蒼き息吹にて・・・」


まるで詩を口ずさむ様に、呟かれる祝詞に呼応するかの様に、地面に突き刺された五鈷杵が、淡い光を放ち始める。


「止めよ!!止めよーっ!!」


「何処までも続く、蒼穹へと還せ!八大明王陣!!孔雀明王呪、風剋陣!!」


ヒュゴーッ!!


淡い光を放っていた五鈷杵から、光の柱が現れたかと思うと、円の中で、風が唸りを上げ始める。


「ッ!!師匠!」


いきなり師匠が、風が荒れ狂う円の中に、左腕を突き入れた事に驚いた私は、たまらず叫んでいた。


「心配するな聖・・・単なる露払いをするだけだ。風よ・・・我が手に集いて、型を成せ・・・」


師匠の呟きに併せて、円の中で渦巻いていた風が、師匠の腕に集まり始める。


その光景を、私も村の人達も、固唾を飲んで見守っていた。


やがて、円の中の風が収まると、五鈷杵から出ていた光も収まり、師匠の左腕には、青みがかった弓が、師匠の腕と同化していた。


その腕を、師匠が天へと向けると同時に、弦が引き絞られて、その中心に風が集まり始める。


その風が、だんだん矢の形になって、放たれる時を待っていた。


「・・・風剋陣、枝技・・・『風薙』・・・発!!」


ドヒュンッ!!


師匠が、天に向かってそう叫ぶと、矢が放たれて、もの凄い轟音を上げて、天高く登っていく。


矢が見えなくなって暫くすると、それまで分厚く、雨を降らせ続けていた雨雲に変化が起きた。


私たちのちょうど頭上辺りの雲が、渦を巻き始めたかと思うと、さっきまで降っていた雨が、いきなり止んでしまった。


渦も次第に、その範囲を広げていき、やがて、渦の中心から、徐々に晴れ間が見え始める。


「・・・これが、五十年前起きた出来事だ。」


そう事もなげに呟いて、師匠は、私たちの方に戻ってくる。


「師匠・・・」


「宝仙さん・・・」


暫く呆然としていた私と夕凪さんは、戻ってくる師匠に、感嘆の呟きを漏らす。


その呟きに対して、苦笑ながら、肩をすかして応える師匠。


『ウオオォォォーッ!!』


それまで目の前で起こった事に、呆然としていた村の人達が、いきなり歓喜の雄叫びを上げる。


みんな口々に『奇跡が起きた』とか、師匠の事を『神の使い』等と、称えていた。


その言葉に対して、師匠の顔が、みるみる不機嫌になっていく。


「黙れ!!貴様等・・・俺の言葉が解らなかったのか?」


その師匠の怒声に、今まで賑わっていた村の人達が、水を差したみたいに静まりかえった。


「奇跡だと?ふざけるなよ・・・誰が貴様等の為に、こんな事をするか!救いを求めるだけしかしない者に、奇跡など起きるか!!これは俺の実力と、俺がここに居た偶然、そして、貴様等なんかの為に、進んで人柱に成った女と、その意志を、必死で継ごうとした女への手向けとしてやったんだ。そんな事も解らんとは・・・救いがたい連中だ。」


そう言い終わってから、師匠は、村の人達を睨み付ける。


「殺す価値も無いと思っていたが・・・間違いだった様だ。貴様等全員、生きる価値も無い・・・この場で全員、俺が殺してやる。」


そう言い捨てて、また懐に手を入れた師匠は、そこから短刀を引き抜いた。


「ちょ、ちょっと待ってください、師匠!」


師匠の目と言動から、本気だと解った私は、師匠の体にしがみついて、思いとどまらせようとする。


村の人達も、師匠の放つ殺気に呑まれて、完全に固まっている様だった。


「放せ聖・・・こいつ等をこのままにしておけば、また奇跡がどうのとほざいて、同じ事を繰り返す・・・あのババァの様にな・・・ならせめて、この場で全員殺しておけば、少しはこの世の為にも成るだろう・・・」


「ッ!!本気で・・・言ってるんですか?」


私がそう聞くと、師匠は、顔を私に向けてくる。


あ・・・


師匠の瞳を見た時に、私は、師匠が本気じゃない事に気が付いた。


きっと、村の人達に対しての、師匠なりの警告なんだと解った。


「待ってください!」


その時、夕凪さんが立ち上がって、師匠の前に立ち塞がった。


「お願いです・・・刀を納めてください・・・」


夕凪さんは、悲痛な表情で、師匠に対して、頭を下げる。


「・・・私からもお願いします・・・長老は、村の総意と言いましたが、決して、皆が望んでいる訳では無いのです・・・これからは、私も尽力します・・・ですからどうか・・・」


そう言って、和尚さんも、師匠に対して、頭を下げてお願いする。


その二人の行動を前に、師匠は、取り出した短刀を、懐に戻した。


「・・・興ざめだ・・・今回は刃を納めよう・・・だが、次は無いと思えよ貴様等・・・」


凄味を効かせて、そう呟いた師匠は、一人歩き出して、この場から去っていった。


梅雨明けの青空の下、私たちは、見送りに出てきてくれた二人と、向かい合っていた。


師匠の右腕は、もうすっかり完治していたんだけど、梅雨の時期に入ってしまった為、師匠が渋って、結局梅雨明けまで、夕凪さん達のお世話になっていた。


師匠は、和人さんに、京への道順を教えて貰っている様で、私は、夕凪さんと別れを惜しんでいた。


「何だか、随分お世話に成っちゃいましたね・・・」


「あらあら・・・そんな事無いわよ。とっても楽しかったもの。」


私の言葉に、夕凪さんは、頬に手を当て微笑んで、いつものおっとり口調で言ってくれる。


そんな夕凪さんに、私も笑顔を向けて、二人で笑い合う。


「でも・・・そうね。聖ちゃんが居なくなっちゃうと・・・寂しいかな。」


突然夕凪さんは、笑顔を消して、憂いの表情を向けてくる。


「・・・また来ます・・・絶対に。」


その言葉に対して私は、力強く答えた。


「あ・・・うん!待ってるわね。」


そう言ってまた、夕凪さんは笑顔を見せてくれた。


それが何より、今の私には嬉しかった。


「・・・そろそろ行くか。」


「あ、は~い!」


突然師匠に呼びかけられて、顔を向けて、返事をする。


「それじゃ・・・」


顔を夕凪さんに戻して、お別れの挨拶をする。


「うん・・・気を付けて・・・」


突然夕凪さんは、優しい笑みを浮かべて、私に抱きついてくる。


私の背中にまわされた腕に、ギュッと力が込められるのが解った。


「気を付けて・・・待ってるからね・・・」


もう一度、繰り返し呟かれる言葉を聞いて、私も、夕凪さんの背中に、腕をまわした。


「・・・はい。」


暫く抱き合っていた私たちは、どちらからともなく離れる。


名残惜しいかったけど、私の事を待っている師匠に向かって、歩き出した。


「・・・世話になったな。感謝する・・・」


私が、師匠の隣に並ぶと、二人に向かって、師匠が声を掛けた。


「いえいえ・・・お世話になったのは、私達の方です。」


それに答えた和尚さんの言葉に、師匠は苦笑を浮かべていた。


「・・・んじゃ、またな。」


そう呟いて、歩き出した師匠の隣に並んで、私も歩き出す。


「また・・・また必ず来てくださいね!!」


背中に聞こえる夕凪さんの声に対して、師匠は、片手を上げて応え、私は、立ち止まり、振り返って、両手を大きく振った。


すこし歩くたびに、立ち止まっては振り返り、両手を振り続ける。


夕凪さんと、和尚さんの姿が見えなくなるまで・・・


「・・・そういやおまえ、ちゃんと琴は弾ける様になったのか?」


暫く無言のまま歩いていると、隣を歩く師匠が、いきなりそう聞いてきた。


「えへへ・・・はい!」


昨日まで、毎日欠かさず、夕凪さんに琴の弾き方を教えて貰っていた私は、今ではそれなりに弾ける様になっていた。


それがとても嬉しくて、つい顔が綻んでしまう。


「フッ・・・そうか。」


「師匠、ちゃんと約束覚えてますか?」


「・・・あ?」


私がそう聞くと、訳が解らないと言った感じで、師匠が呟きを漏らした。


「私が琴をちゃんと弾ける様になったら、それに併せて、踊ってくれるんですよね~?」


本当に忘れてるのかどうか解らなかったけど、からかう様な笑顔を向けながら、師匠に聞いてみる。


「・・・めんどいからヤダ。」


すると師匠は、ジト目になりながら、身も蓋もない答えを即答してきた。


「あ~師匠、約束破るんですかー?!」


さすがにムッときた私は、非難の声を師匠に浴びせる。


けれど師匠は、全く意に介した様子も見せず、歩き続けている。


「ム~ッ!!あっ・・・」


その時、私の頭の中に、一つの名案が浮かんだ。


「じゃ、じゃぁ・・・一つお願いがあるんですけど、良いですか?」


少しだけ早くなった、胸の高鳴りを押さえて、恥ずかしい気持ちを必死に堪えながら、そう聞いてみる。


「・・・なんだ?」


「そ、その~夕凪さんが溺れた時にした事を、私にもって・・・」


夕凪さんが溺れて、水を大量に飲んでしまった時に、師匠が行った人工呼吸。


あの時は、私も一杯一杯だったので、気にも止めなかった。


けど、今思い出すと、少し・・・羨ましい・・・


「だから、その~?・・・って!」


恥ずかしさのあまり、下を俯いて歩いていた私は、何も言ってくれない師匠が気になって、顔を上げてみた。


けど隣に居たはずの師匠は、そこには居なくて、前に視線を向けると、早歩きしている師匠の姿を見つけた。


「ちょ、待ってくださいよ!!」


慌てた私は、師匠に追いつく為走り出す。


「どうして先に行っちゃうんですか!」


師匠に追いついた私は、師匠を睨んで、非難の声を上げる。


「おまえが馬鹿みたいな事言うからだろバーカ!ガキがマセてんじゃねぇよ。」


一息でそうバカにされ、私は、頬を膨らませて見せる。


「ムゥ~ッ!!」


「フン!・・・うん?」


何かに気が付いたのか、突然師匠が、進行方向を睨む。


それにつられて、私も顔を向けると、そこには、あの時のお婆さんが、私達の事を、恨めしそうに睨んでいた。


「・・・まだ俺達に、何か用でもあるのか?」


師匠は、お婆さんの前で立ち止まって、そう声を掛ける。


「・・・お主・・・何故、儂に今一度、あの光景を見せつける・・・」


「・・・そう言うあんたこそ、魅鈴の時も見てたんだろ?どういう経緯かは知らんが、それで儀式が無くなった・・・なら何故、儀式を復活させようなんて、馬鹿な事をする必要がある?」


お婆さんの言葉に、臆す事無く、師匠が逆に訪ねる。


その質問に対して、お婆さんは、きつい眼差しで、師匠を睨み付ける。


「お主に解るか・・・五十年前は、毎年行われていた儀式だというのに・・・ある日ふらっと現れた、あの尼の所為で、多くの者が、儀式など無意味だと言い始めた・・・以来、今まで儀式を信じて、愛する者さえ人柱に捧げた者達は・・・贖罪と不安の中生きてきた・・・お主に解るか・・・」


「・・・解んねぇよ。解りたくも無ぇ。同じ悲劇が繰り返されると解っていて・・・それでも尚、儀式を復活させる程の価値など無い。」


「儂等にとって、神は絶対じゃ・・・それまでの事が、間違いだったと認めてしまえば、不安と贖罪に押しつぶされる・・・かと言って、認めなければ・・・何時また神が、お怒りになるかもしれぬという、恐怖に駆られる・・・儂は・・・儂もまた、愛する者を捧げた身・・・そんな儂に、間違いだったと認めろと言うのか・・・」


そう呟くお婆さんの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。


「五年前・・・当時の者が、ついには儂だけになって・・・良い機会じゃと思った・・・じゃから儂は・・・」


「・・・風と共に歩み、森と共に過ごし、大地と共に滅びる・・・もしこの世に、神が居るのだとしたら・・・それこそ、自然そのものだと言える。自然に抗う力が無いのなら、滅びるだけだ・・・終わりのない夜など無い・・・雨も降れば、雪も降る・・・だが、そんな雲の向こうにも、こんな青空が続いている・・・始まりが有れば、嫌でも終わりは来るものだ・・・」


そう言って、師匠は歩き出して、お婆さんの横を通り抜ける。


「・・・お婆さん・・・新しい一歩を、踏み出す時が来たんですよ。五十年間、辛かったですよね・・・でも、何時までも立ち止まってちゃ駄目です。みんなの為にも・・・そして・・・お婆さんの愛する人の為にも・・・みんなが笑顔で居られたら、お婆さんだって、嬉しいでしょ?」


私と師匠の言葉に、全く反応しないお婆さん。


けど私は、そう言い終わってから、師匠の後を追って、歩き出した。


みんなが笑顔で居られたら・・・そうですよね、巴さん・・・


「・・・行ってしまいましたね。」


「・・・そうですね・・・」


二人が見えなくなるまで、見送っていた私達の心には、確かな寂しさが訪れていた。


梅雨明けの、少し湿気の多い、良く晴れた日。


見上げた青空は、どこまでも青くて・・・どこまでも、続いている様な気がする。


照りつける太陽は、もうすぐ訪れる夏を思わせる程、私達を照らしていた。


この間までの雨が、嘘の様に・・・


「・・・また会える日が来ますよ。」


その言葉を聞いて、和尚様に顔を向けると、いつもの穏やかな笑顔を、私に向けてくれる。


「・・・そうですね。」


そう呟いて、もう一度天を仰いで、晴れ渡る青空に顔を戻す。


「きっと・・・また逢えますよね・・・私の大事な友達に・・・」


「えぇ・・・」


私よりも、二つ年下の女の子。


けど私と違って、とても正直な女の子。


そして・・・とても優しい女の子・・・


聖ちゃんの笑顔は、遠い昔・・・こんな青空の下で、琴を奏でていた、朝美お姉ちゃんの様に・・・日だまりの様な暖かい笑顔だった。


こんな青空の下で、お姉ちゃんが笑って・・・私も笑って・・・和尚様も笑って・・・


それに併せて、琴の旋律と笑い声が絶えなかった・・・


「雨の日は・・・私にとって、出会いと別れ・・・そして・・・晴れの日は・・・」


「うん?」


私の言葉を聞いて、不思議そうな声を上げてくる和尚様。


そんな和尚様に、私はとびきりの笑顔を向ける。


「私を、笑顔にしてくれます!」


これからも私は、琴を奏で続ける・・・


雨の日は、今は亡き人と、出会った人への、鎮魂と祝福を込めて・・・


そして晴れの日は、大好きだったお姉ちゃんと、聖ちゃんの、日だまりの様な笑顔を想い出して・・・


聖ちゃん・・・私は、新しい一歩を踏み出します・・・この青空に誓って・・・


「・・・成る程。夕凪らしい答えです・・・さ、戻りましょうか。」


そう言って和尚様は、神社に向かって歩き出した。


「はい!」


私もまた、和尚様の後に続いて、歩き出す。


っと・・・


「キャッ?!」


ドタン・・・


またしても、何もない所でつまずいて、頭から地面にぶつかってしまう私。


いつもと変わらない・・・けど、今までとは違う決意を、胸に秘めた、良く晴れた日の出来事・・・

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