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宝仙伝  作者: 神無月拓楼(旧HN現武壱)
12/23

螺旋交叉之章

その昔、一騎当千と謳われし青年が居た。


対多数戦闘において、無敗を誇る者に送られる称号。


決して、歴史の表舞台に出る事は無い、闇に葬られた戦に、少年は身を置いていた。


彼に名は無く、家族も無い。


その為、彼を知る者は、何もない少年を『零』と呼んでいた。


虚無を表すその文字は、少年を表すには、正に打って付けだった。


何故なら、少年と対峙した者は、その意味の通り、虚無へと還っていった。


何もなく、その上対峙した者を、例外なく無へと還す、鬼神の如き強さから、少年は『零』と呼ばれていた。


一人の例外を除いて・・・


ザシュッ!


「グワアアアァァァー!!」


夜の城内に、男の絶叫が響き渡る。


そして、その男と対峙する様に立つ、一人の青年。


青年が手にした刀からは、今し方男を斬りつけた為、鮮血が滴り落ちていた。


男の絶叫を聞いて、二人のすぐ近くの馬小屋から、数人の男が顔を出し、ざわめき立っていた。


「ぐ・・・ぐおおおぉぉぉ・・・」


青年に斬りつけられた男は、血の涙を流す左目を、手で押さえ、うずくまりながらうめき声を上げている。


「・・・もう一度言う・・・邪魔だ。」


うずくまる男を、何の感慨も無い瞳で見下しながら、青年はそう呟いた。


「れ、零・・・貴様・・・」


左目を押さえた男は、青年を睨み付けながら、腰に帯びた刀に手を添える。


「・・・お望みなら、右目も潰してやろうか・・・」


「後悔させてやるぞ・・・零・・・」


そう呟いて、男はゆっくりと立ち上がり、抜刀する。


「ゴミが・・・殺してやろうか・・・」


そう呟いた青年は、刀に付いた血糊を振り払う。


「止めよ!」


そんな時、一触即発の二人の間に、割って入る声があった。


「何を遣っておるか!双方刀を納めよ!!」


見るからに豪華な服を身に纏った侍が、怒声を発しながら、二人に近づいていく。


「・・・チィ。」


男は、近づいてくる侍に舌打ちし、馬小屋から、事の成り行きを見守っていた男達は、首を引っ込めて、身を潜める。


そして二人は、近づいて来る侍の命令通り、刀を鞘へと戻した。


「こんな夜更けに、何を遣っておるか!」


そう言って侍が、青年に問いただす。


「・・・その男が、馬小屋に捕まえた捕虜のくノ一を、尋問と称して、部下共に味見させてやがったのさ・・・」


「・・・何?それは誠か!」


青年の言葉を聞いて、侍は男を睨み付ける。


「零・・・貴様・・・」


左目を押さえた男は、ありのままに語る青年に対し、殺気を込めて睨み付ける。


そんな男の視線に、青年は全く興味が無いのか、馬小屋に向かって歩き始める。


「・・・嘘か誠か・・・そこに隠れている奴等に聞けばいいさ・・・さっさと出てこい。これ以上、俺の寝床を汚されちゃかなわんからな・・・」


青年が、馬小屋に向かってそう言うと、ふんどし姿の男達が数人、馬小屋から姿を現した。


「・・・これはどういう事か?十番連隊副隊長ともあろう方が、捕虜に手を出すなど・・・」


侍の言葉に男は、何も答えず青年を睨んでいた。


「零・・・お主もお主だ。いくら人道から外れた行為とはいえ、この様な騒ぎを起こして・・・」


「・・・だから見過ごせと?あんたらがそんなだから、こんなゴミ共が後を絶たんのだ・・・」


「貴様・・・」


青年の言葉を聞いて、男はまた刀に手を添える。


それを侍が手で制し、思いとどまらせる。


「口が過ぎるぞ零!とにかく、そなた達には、それ相応の処分を下す・・・お主達もだぞ。」


そう言って侍が、馬小屋から出てきた男達に向かって、そう告げる。


暫くしてやって来た衛兵達に、侍が命令を出して、左目を押さえた男、馬小屋から出てきた男達、馬小屋の中で強姦されたと思われる裸の女を連れて行く。


その場には、青年と侍だけが、取り残された。


「・・・俺も、連れて行かないのか?」


連れて行かれる男達を見やりながら、青年は侍に声を掛ける。


「・・・お主が遣った事は、決して褒められる様な事では無い・・・しかし、間違ってもおらぬ。処分は追って知らせる・・・」


それだけ言うと侍は、連行されていった男達を追って、その場を後にした。


一人取り残された青年は、馬小屋に向かって歩いていくのだった。


ザザザザ・・・


「ハッ!ハッ!ハッ!ハッ!」


夜の森を、後ろを気にしながら走る、一人の男が居た。


「待て!」


その男の後を追う、一人の若い侍。


「ッ?!」


暫くの間、森の中を走り続けていた二人だったが、行く手を崖に塞がれて、男は立ち止まった。


「・・・ここまでの様ですね。見苦しいですよ、榊さん・・・元十番連隊隊長の名が泣きますよ。」


「チィ・・・」


左目に刀傷のある、隻眼の男は、忌々しそうに、若い侍と崖下を交互に見やる。


「リン・・・全く貴様は・・・零共々、俺の前に立ちふさがりやがって・・・忌々しい奴だ・・・」


「・・・零さんは・・・私の尊敬する人です。例え、死んでしまった今となっても、それは変わらない・・・彼の侮辱は、許しませんよ。」


そう言って、刀を抜いた若い侍は、構えを取って男に詰め寄る。


「下手人、榊・・・大人しく、私と一緒に来てください。そして、然るべき場所で、然るべき処罰を受けて下さい。」


「クッ・・・」


恨めしそうに男は呻くと、少しづつ後ずさる。


「あなたの犯した罪は、人として恥ずべき行為・・・もし抵抗するので在れば・・・切り捨てろとも言われています・・・」


「・・・余裕のつもりか・・・詰めが甘いな。」


「ッ?!」


男がそう言うと、後ろに向かって大きく跳んだ。


そしてそのまま、崖下へと落下していく。


ザボーン!


その後に続く、大きな水音。


「クソ!」


慌てて崖下を確認した侍の目に飛び込んできたのは、川下へと向かって泳ぐ男の姿。


それを確認した侍は、急ぎ森の中へと入っていった。


そして男は、手頃な場所で岸に上がると、遠くに見える街の明かりを目指し、歩き始める。


時折、後方に顔を向けて、侍が追って来ないか確認しながら、夜の森を彷徨って行く。


「ヘッ・・・この俺が、おまえなんかに捕まるかよ。」


そうは言っても、武器を持たない男は、やはり先程の侍の事が気になるのか、早歩きで森の中を歩いていく。


「こんな夜更けに、ずぶ濡れで・・・貴殿は何処へ行くのですか?」


「ッ?!誰だ!!」


不意に聞こえてきた声に、男は立ち止まり、辺りを警戒する。


「こんばんわ・・・怪しい者です。」


その声に続いて、茂みの中から歩み出てくる、蛇の様な目をした男。


その顔は、不敵な笑みを浮かべ、腰には一本の刀を差していた。


「・・・何だ、貴様・・・」


茂みから現れた男を睨み付け、何時でも離脱できるように身構える男。


「驚かせてすいませんね・・・ただ拙は、久しぶりの外の世界を、見て回っているだけでして・・・」


蛇の様な目をした男は、そう言うと口を横に広げて、更に笑顔を作ってみせる。


「・・・ふざけているのか?貴様・・・」


その笑顔に男は、怒気を含んだ声音で、蛇の様な目をした男に告げる。


「いやまさか・・・ただお困りの様でしたので、お力添えをしようかと・・・」


「・・・何?」


思いがけない言葉に、油断無く聞き返す男。


だがしかし、男のその反応から、蛇の目をした男に対し、少なからず興味を持った様だった。


それに気が付いたのだろう蛇の目をした男は、腰に下げた刀を外して、男に差し出す。


「受け取りますか?それとも・・・大人しく追っ手に捕まりますか?」


「・・・フッ。」


差し出された刀に目を向けて、男は鼻で笑うと、構えを解いた。


「貴様が一体何者で・・・何故俺にこんな事をするのか知らんが・・・そんな事はどうでも良い。」


そう告げると、男は差し出された刀に向かって、手を差し伸べそれを掴む。


「確かに今の俺には・・・武器が必要だ・・・リンを返り討ちにする武器がな・・・」


「・・・そうですか。あ、そうそう・・・言い忘れていましたが・・・」


不意に、今思い出したかの様に、蛇の男は、男が手にした刀を指で差す。


「ソレ・・・妖刀です・・・」


「何?!」


思いがけない一言に、驚いた男は、手にした刀に目を落とす。


「あ、ご心配なく・・・すぐにどうにかなるという訳ではありませんから。ただ・・・取り込まれない様・・・注意して下さいね・・・」


「貴様・・・一体・・・」


男がそう言うと、蛇の目をした男は、楽しそうに笑っていた。


「フッフッフ・・・拙が何者なのか・・・どうでも良いんでしょ?」


ザザザザ・・・


「ッ?!」


若い侍が、見失った男を追って、森の中を走っていると、目的の男を発見した。


男は、先程まで持っていなかったはずの刀を、抜き身のままその手に提げて、悠然と待ちかまえていた。


「榊さん・・・その刀・・・」


「よぉ~・・・リン・・・待ってたぜ・・・」


男がそう言うと、ゆっくりとした足取りで、若い侍に近づいていく。


抜き身の刀を携えた男に、危機感を感じた侍は、腰に下げた刀を抜き放つ。


「俺は昔から、おまえが気に入らなかった・・・おまえだけじゃない。零も・・・橘も・・・まぁ、あの二人はもう死んじまったがなぁ・・・俺がこの手で殺してやりたかったぜ・・・特に零だ・・・この左目の傷・・・疼くんだよぉ~・・・あいつに着けられたこの傷が・・・」


「榊さん・・・私の実力は知っている筈です。大人しく刀を捨てて下さい。」


「その澄ました顔が気に入らないんだよ!!」


ヒュッ・・・ガキン!!


おもむろに男は、手にした刀で、若い侍目掛けて斬りかかる。


侍は、自分の手にした刀で、その斬撃を受け止め、押し返す。


「だからよぉ・・・殺されてくれよぉ~・・・せめておまえを殺してよぉ~・・・この疼きを止めたいんだよ・・・」


「・・・榊さん?あなた・・・一体・・・ッ?!」


目の前に居る男の、突然の変化に戸惑いながらも、若い侍は、男の肉体に変化が起きている事に気が付いた。


幽鬼の如く、刀を構える男の顔に、鱗の様な物が浮かんでいた。


「ヘッ・・・ヘッヘッヘ・・・こいつは良いぃ~・・・力がみなぎる・・・」


「・・・墜ちる所まで墜ちたようですね・・・なら、もう手加減はしません。」


そう言って侍は、身を低くして、手にした刀を鞘に収め、右肩に担ぐ様にして構える。


そして左手で、背中越しに鞘の尻を、逆手に持つ。


「ヘッ・・・隙だらけだぜ・・・リン!」


そう言って、男は駆け出し、侍との間合いを一気に詰める。


「シャァ!」


蛇の様な叫びを上げながら、右からの切り上げを放つ。


「武神流変異抜刀術・・・双天舞!」


ガキン!ザンッ!!


二人の間に、二本の銀の煌めきが走る。


目の前に迫る、男の切り上げに対し侍は、左手で持った鞘で、男の切り上げを払い、右手に持った刀で、男の左肩から、右脇腹迄を斬りつける。


「ぐぉ・・・」


ブシューッ!


「・・・いくら私の武神流が、独学とは言え・・・あまり舐めないで下さい。」


男の返り血を浴びながらも、全く動じた様子のない侍は、そう呟いて、交差させた腕を元に戻した。


ドシャ・・・


その後に、力を失った男が、糸の切れた人形の様に、仰向けに倒れ込んだ。


男の切り上げが、先に放たれたにも関わらず、侍の剣速の方が格段に早かった。


動かなくなった男を一瞥し、若い侍は、刀を鞘へと戻す。


そして、男の異変を調べる為に、その場に跪いて、男を観察していく。


先程追いつめた時までは、確かに普通の人間だった。


しかし今は、その顔には魚・・・と言うよりは蛇の様な鱗が生え、爪は鋭く伸びている。


もし、この男に何か起こったのだとすれば、先程までは持っていなかった、この刀しか原因は見受けられなかった。


「・・・しかし、にわかには、信じがたいな・・・ッ!」


ズブリ・・・


そう呟いて、侍が男の手にした刀に、手を差し出した瞬間、侍の脇腹に鋭い痛みが走る。


「・・・だから・・・言ったろぅ?詰めが甘いとよぉ~・・・」


「なっ?!クッ!!」


不意に呟かれた言葉に、侍は戦慄を覚え、横に跳んで男の死体から離れる。


男と距離を置いた所で立ち上がり、体勢を整えながら、脇腹に手を当てる。


脇腹に添えた手に、ヌメリとした温かい感触を感じながらも、ゆっくりと立ち上がる男を見据える。


立ち上がった男を、注意深く観察すると、鋭く伸びた左手の爪に、血糊がベットリと付いているのが解る。


恐らくは、その鋭い爪によって、脇腹を貫かれたのだろうと、侍は理解した。


更に観察すると、先程男を斬りつけた部分にも、顔と同様の鱗が生えているのを確認した。


「ヘッヘッヘ・・・どうした?顔色が悪い様だなぁ~・・・」


「クッ・・・」


脇腹を押さえながら、不敵に笑う男を睨む侍の額には、ビッシリと冷や汗が浮かんでいる。


「・・・何だったら、逃げても良いんだぜぇ?」


笑いながらそう言う男に対し、侍は顔を伏せて俯く。


「それとも・・・怖くて何も言えないか?」


「・・・そうですね。どうやら今は、その方が得策の様です。」


「・・・何?」


不意に呟かれた侍の言葉に、男は驚きの声を上げる。


「折角ですから・・・今は逃げさせて貰いますよ。」


不意に侍が顔を上げると、苦笑を浮かべながら、そう告げる。


そして言うが早いか、その場を離脱する為、走り出した。


「・・・ヒャッハッハッハ!そうかそうか!逃げるのか!!零の後継者と言われたあのリンがぁー!!」


暫く侍の後ろ姿を、呆然と見つめていた男が、不意に笑い出すと、逃げおおせる侍に聞こえる様、大きな声で罵る。


「良いぜ良いぜぇ!!見逃してやるよぉ~リンッ!!ヒャーハッハッハーッ!!」


男の異常な笑い声が、夜の森に響き渡る。


それを聞きながら、侍は遠くに見える街の明かりを目指して、夜の森を走る。


「・・・格好悪いな・・・零さんなら・・・きっと・・・」


そう呟く侍の脳裏には、一人の男の姿が過ぎるのだった。


炎天下の元、俺達は京を目指して歩いていた。


うるさい蝉時雨を聞きながら、俺と聖は、街道を歩いていた。


京も目の前と言う事もあり、クロは俺達と離れ、人目を避けて付いてきている筈だ。


しかし・・・


「暑い・・・」


本日何度目かの呟きを漏らしながら、編み笠越しに空を見上げる。


雲一つ無い快晴の日差しから、逃れる道具が、編み笠一つだけとは、何とも心許ない限りだ。


隣を歩く聖に目を向けると、こちらも相当へばっている様で、手にした錫杖を杖代わりに、何も言わずに黙々と歩いている。


朝方や夕方の涼しい時間帯ならまだしも、今は昼過ぎの一番暑い時間帯なので、無理もない。


「もう一刻もしない内に、京に着く。ほら・・・」


そう言って俺は、俺の分の水の入った革の袋を、聖に手渡す。


「は・・・はい・・・」


それを受け取った聖は、袋の中の水を飲み始める。


少し前に聖は、自分の分の水を、全て飲み尽くしていた。


夏の旅において、水は貴重だというのに・・・全く、世話の焼ける。


「プハッ!はぁ・・・ありがとうございます~・・・」


情けない声を上げて、水の入った袋を返してくる聖から、袋を受け取る。


すると、半分近く残っていた筈の水が、かなり減っている事が解り、軽くため息を吐く。


「ったく・・・そんなに水を飲んでると、腹を壊すぞ・・・」


そう言いながら、俺も水を一口ふくみ、暫く留まらせてから飲み込む。


「うぅ・・・すいません・・・」


「まぁ良いさ。もうすぐそこなんだ・・・しかし・・・暑いな・・・」


そう言ってもう一度、編み笠越しに空を仰ぐ。


雲が出てきてくれれば、まだ少し違うのだが、期待虚しく、相変わらずの快晴だった。


まぁ、今日は風も無いので、期待するだけ損なのだが・・・


「・・・師匠さっきから、そればっかりですね。」


水を飲んで、少し元気が出たのか、呆れた様にそう言ってくる。


「うるせぇな・・・俺は暑いのも寒いのも嫌いなんだよ。」


「・・・だったら、もっと早く出発したら良かったじゃないですか・・・」


「ついでに雨に濡れるのも嫌いだ。」


「・・・師匠って、すごいワガママですよね・・・」


「うるせぇ・・・」


呆れた様に、半眼になって呟く聖に、そう言ってまた水袋を渡す。


喋りながら歩くのは、時間の経過が早く感じるが、逆に喉も渇きやすい。


俺にとっては、なんて事は無いが、聖に我慢が出来るかどうかは謎だ。


だが確かに聖の言うとおりだ。


いくら俺が、腕を怪我していたとはいえ、旅にはそれほど支障は無い。


それどころか、雨を気にせず進んでいたら、今頃はもう出雲に着いていただろう。


だが俺は、そうしなかった。


だがそうしなかった理由が、幾つかあるのも事実だ。


一つは、夕凪の件。


仮にもし、梅雨入り前に出発していたとして、あの村の馬鹿共が、俺達の居なくなった後に、また人身御供等と馬鹿な事をしないとも限らない。


それに、暫くあの村に滞在していた方が、俺があの時に、村の者達を脅した効果が増すというもの。


そう言う事から考えて、最低でも腕が治るまでは、あの村に滞在しておいた方が良いと判断した。


二つ目は、やはり雨の所為だろう。


濡れるのが嫌と言う事もあるが、雨の日にはいつも、嫌な記憶が蘇る。


なので、雨が降る日はいつも、雨が止むまで、あまり動きたくないと言うのが本音だ。


そして三つ目、これが理由としては一番大きい。


今俺達が目指しているのは、京ではあるが、目的地は出雲だ。


村に滞在中、何度か訪れた行商や旅人に、出雲の話を聞いていた。


だが決まって、至って平穏という話しか聞かない。


巌とまみえた時から、随分と経つというのに、気になる噂話すら聞かない。


奴が、もうすでに出雲に居るのだとしたら、何かしらの行動に出る筈。


今までの刹那の行動を考え、目的があって出雲に向かっているのだとすれば、そう考えるのが自然だ。


何よりも、俺の中で何かが訴えている・・・奴はまだ、出雲に居ない・・・俺と奴は、まだ出会う事は無い・・・と。


勘に近いその訴えを、信じるかどうか悩む所だが、どうせまだ何も解らないのだから、それに従うのも悪くはない。


結局、今の俺には、奴の影を追うこと以外、出来る事は無いという事だ。


「師匠・・・」


「うん?」


不意に語りかけてくる聖に、思考を中断して顔を向ける。


「・・・京に着いたら、かき氷食べたいです・・・」


何とも情けないその呟きに、深いため息を吐いて、聖の頭を軽く叩いた。


見れば、京のすぐそこまで、俺達はやって来ていた。


「ふわぁ~」


賑やかな活気に包まれた、京の町並みを見て、感嘆の声が漏れる。


さすが江戸と並ぶ街だけの事はあって、熱気が凄い。


何回も来た事はあったけど、いつ来てもやっぱり凄い。


「へぇ~・・・あ、師匠師匠!風鈴売ってますよ!!」


荷台を引いて、風鈴を売っているおじさんを発見して、そっちに駆け寄っていく。


「きれ~い・・・」


陶器や銅に、色とりどりに塗られた風鈴達は、夏だというのに涼しげな音色を奏で、揺れるたびに、描かれた模様が踊る。


「わぁ~・・・あっ!」


視界の隅に、『氷』と書かれた旗を見つけて、今度はそっちに走っていく。


その旗の下まで来た所で振り返り、ゆっくり歩いている師匠に顔を向ける。


「ししょう~!ありましたよ~!!」


ゆっくり歩いてくる師匠に向かって、手を振りながら叫ぶ。


「・・・解ったから、少し落ち着け・・・」


何処か疲れた様な表情の師匠が、私の所まで来るとそう言って、ため息を吐いている。


師匠がやってきたのを確認して、茶屋の長いすに腰掛ける。


それに続いて、私の隣に師匠も座る。


「いらっしゃいまし~」


ちょうどその時、お店の中から、注文を聞きに来たお姉さんが、顔を出してきた。


「かき氷二つ下さい!」


「いや待て、俺は冷茶で良い。」


「はい~かき氷に冷茶どすね~」


笑顔を絶やさずに、店員のお姉さんが私たちの注文を確認すると、お店の中に入っていった。


「ったく・・・さっきまで死にそうな顔をしてたくせに、現金な奴だな。」


店員さんが居なくなった途端に、師匠が呆れた様にそう言ってくる。


「えへへ・・・すいません。」


久しぶりの大きな街にやって来たので、自分でも凄くはしゃいでいるのが解る。


けど、そんな風に言われても、今の気分を抑える事も出来そうにない。


「お待ちどす~」


しばらくの間、行き交う人の流れを観察していると、店員さんがお盆に冷茶とかき氷を乗せて現れた。


それぞれ、師匠に冷茶を、私にかき氷を置いてくれる。


「わぁ~・・・いただきま~す!」


出されたかき氷を手に取り、添えられたサジで掬い取って口に運ぶ。


口に含んだ瞬間、冷たい氷が溶けて、ほんのりとした甘みが、口の中に広がる。


夏の日差しで、少し火照った今の体には、とってもありがたかった。


「お客さんら、旅の御坊様どすか?」


「あぁ・・・」


店員さんの質問に、師匠はそう呟いて冷茶を啜っている。


「ほんなら、気ぃ付けてくださいねぇ。昨夜この辺りで、辻斬りがありましてん。」


「・・・辻斬り?」


「えぇ!」


予想外の一言に私は、かき氷を食べる手を止めて、驚きの声を上げる。


こんなに賑やかなのに、そんな恐ろしい事が、昨日の夜起こっただなんて、想像も出来ない。


「そうなんどすわぁ・・・それも三日前から、立て続けなんどす。」


そう言って店員さんは、頬に手を当てて、困った様な顔をしてみせる。


三日前って言うと・・・ちょうど私たちが、夕凪さん達と別れた日だ・・・


「それも女の人ばかりもう三人・・・うちもう怖くて怖くて・・・あんさんも気ぃ付けや?」


そう言って、店員のお姉さんが、私に顔を向けて、注意してくる。


「あ、は、はい!」


その注意に対して、素直に返事をして答える。


「・・・あんさん・・・結構女顔やなぁ~白粉塗って、紅引いたら見分けつかんわぁ~・・・暗がりやったら、間違われるかもしれまへんなぁ~」


店員のお姉さんは、師匠の顔をマジマジと見つめて、頬を少し染めながらそんな事を言っている。


確かに師匠の顔立ちは、凄く整っているので、そう言う店員さんの気持ちもよく解る。


それに師匠は、最近全然髪を切っていないので、髪が肩まで掛かり、邪魔だというので後ろで纏めている。


その所為もあって、一見して見間違うのも納得出来てしまう。


けどだからって、頬を染めないでも良いのに・・・


心の中で、師匠を見つめるお姉さんに向かって、そう呟く。


「・・・笑えない冗談だな・・・仮にもし、そうなったとしても・・・俺に刃を向けた事を、後悔させてやるだけだ。」


そう言って師匠は、お姉さんの言葉に怒った素振りも見せず、冷茶を啜っている。


「それより・・・京より西で、何か噂話でも聞いた事は無いか?」


「・・・噂・・・どすか?」


そう言って師匠が話しを切り替えると、店員のお姉さんは、難しい顔をして考え事をし始める。


私は、そんな二人のやりとりを、かき氷を食べながら、見守っていた。


「う~ん・・・そ~どすなぁ・・・天狗が出る言う話しくらいやねぇ・・・」


「・・・そうか。」


そう言って師匠は、懐から小銭を出して、店員のお姉さんに手渡した。


「釣りはいらん。」


「おおきにぃ~」


師匠の言葉を聞いて、上機嫌になったお姉さんは、代金を受け取って、奥に入っていった。


「・・・これから、どこに向かうのか、もう決まってるんですか?」


「あぁ・・・一応な。」


私の質問に答えた師匠は、残った冷茶を一気に飲み干した。


「・・・一休みしたら、今日泊まる宿を探すぞ。」


「あ、はい!」


そう言われ、私も半分溶けかかったかき氷を、一気に平らげる。


あまりクロを待たせちゃったら、可哀想だしね・・・


「ッ?!ッ~・・・」


その瞬間、コメカミの辺りに鋭い痛みを感じて、その部分を指で押さえる。


「ったく・・・何やってんだおまえは・・・ゆっくりで良いよ。」


「うぅ~・・・は、はい・・・」


「・・・宝仙さん?」


突然聞こえてきた声に、私と師匠は、その声の聞こえてきた方に顔を向ける。


「やっぱり宝仙さんだ!それに聖も・・・」


年の頃、私と同じくらいの、胴着を着込んだ男の子が、私達の方に向かって、人混みをかき分けてやって来るのが見えた。


「飛燕君!久しぶり!!」


その男の子の名前を呼んで、笑顔を向ける。


師匠を慕っている男の子、飛燕君とは、初めて私が京にやって来た時に、師匠に紹介された。


飛燕君は、剣術道場に通っていて、将来有望って言われているみたい。


「いつ京に着いたんですか?」


久しぶりにあった私たちを見て、嬉しそうに笑いながら聞いてくる飛燕君。


「さっき着いたばかりだよ。」


それにつられて、私も笑顔でそう答える。


飛燕君と久しぶりに会ったって言うのに、何も言おうとしない師匠が少し気になって、横目で見てみると、難しそうな顔で、飛燕君が来た辺りに目を向けていた。


「そうなんだ・・・そうだ。二人に紹介したい人が居るんです。リンさん!」


そう言って飛燕君は、今来た道を振り返って、誰かを呼び寄せる。


それに併せて、人混みの中から、長身の編み笠を乗せたお侍様が、私達の方へとやってくる。


「紹介します。前に話した宝仙さんと、その弟子の聖さんです。」


「は、初めまして。」


お侍様が、私たちの所までやって来ると、飛燕君が私たちの事を紹介する。


慌てて私は、お侍様にお辞儀をして、挨拶を済ませる。


師匠は相変わらず、長いすに座ったまま、何も言おうとはしなかった。


「初めまして・・・リンと申します。」


そう言ってリンさんは、編み笠を外して、私と同じようにお辞儀をしてくる。


凄く丁寧で、物腰の柔らかいお侍様だな・・・


そんな事を思って、上げられたリンさんの顔を見て、一瞬心臓が高鳴った。


・・・綺麗・・・


透き通る様な肌に、細い眉と少し吊り上がった瞳。


筋の通った鼻に、薄い唇、細い顎筋。


その瞳からは、とても強い意志を感じ、うっすらと笑うその表情は、全然嫌味も感じない。


普通のお侍様の髷と違い、頭髪は剃って無くて、頭の上辺りで結わえただけの簡単な髪型だけど、この人には、その方がよく似合うと一瞬思った。


とても優雅で、気品すら漂っているその姿は、大和撫子と言う言葉が、よく似合う程だった。


っと言うよりも・・・本当に女の人みたい・・・


そんな事を思って、一人感嘆のため息を吐く。


「・・・まさか・・・凛なのか・・・」


今まで黙っていた師匠の呟きに、顔を向けると、驚きの表情を浮かべて、リンさんを見つめていた。


「ッ?!まさか・・・零さん・・・なんですか?」


「・・・え?」


その後に呟かれた、リンさんの言葉に、驚いた私は、リンさんに顔を向ける。


なんで・・・この人が、その名前を・・・


師匠とリンさんは、お互い驚きの表情を浮かべ、私と飛燕君も、驚きながら二人を見守っていた。


その日俺は、山賊狩りの命を受け、橘率いる三番連隊の隊員として、山狩りを行っていた。


そして見つけた山賊共は、すでに獲物を襲っている最中だった。


三番連隊隊長、橘の号令の元、山賊狩りの任務を遂行した。


山賊共は、突然現れた俺達に、少なからず動揺していたお陰で、任務は簡単に遂行出来た。


だが・・・俺達が現れる前に、山賊共が襲っていた旅の一座は、ほぼ全滅だった。


だが、一人だけ生存者が居た。


「グワアアアァァァーッ!!」


山賊の頭領とおぼしき男の、横凪を身を屈めて避けた俺は、立ち上がる瞬間の威力を殺さず、逆風で切り上げ、真っ二つに断ち割った。


そして男の体が、左右に倒れると、その先に一人の子供が、うずくまっているのが確認出来た。


俺は、その子供を一瞥してから、刀にこびり付いた血糊を、懐から和紙を取りだしてぬぐい取り、刀を鞘に収めた。


それから、改めて子供に体を向けると、その子供が、俺とさほど変わらない年格好である事が、確認出来た。


そしてその前には、何人かの死体が、折り重なっていた。


恐らくは、この子供を護る為に、身を挺したのだろう。


「・・・もう少し、俺達の到着が早ければ、助けられたかもしれんな・・・」


俺が、折り重なった死体に、そう言った所で、返ってくる答えはなかった。


生き残った子供も、何も言わずその死体を見つめていた。


「・・・それでも、折角助かった命だ。親兄弟の分まで、長く生きる事だな・・・」


そう言って、俺はその子供に、背中を向けた。


良くある事だ・・・俺には関係無い・・・その時は、そう思っていた。


「・・・親じゃないよ・・・兄弟でもない・・・」


不意に呟かれたその言葉に、足を止めて、肩越しにその子供に顔を向けた。


「親は・・・この間、病気で死んだ・・・人飼いに拾われて、昨日売られた・・・」


何処にでもある話、人が人として行くて行く事も困難な今の世では、さほど珍しい訳でもない。


「旅の芸人の一座に売られて・・・昨日知り合ったばかりなのに・・・みんな優しかったんだ・・・なのに・・・庇って死んじゃった・・・」


何の感情も感じられないその呟きは、誰に向かって発せられているのか・・・


子供を庇って死んだ、この者達に向けてか・・・或いは、今し方俺が斬り殺した、山賊の死体に向かってか・・・それとも・・・俺か・・・


ただはっきりしている事は、目の前にいるこの子供は、確実に壊れ始めている・・・と言う事だけだろう。


「暖かかったんだ・・・おっかぁみたいに・・・ずっと抱いててくれたんだ・・・『大丈夫だよ』って・・・『絶対に助けてみせるよ』って・・・言ってくれたんだ・・・」


「・・・おまえ・・・名前はなんて言うんだ?」


そう聞いて俺は、もう一度この子供に、体を向ける。


「・・・凛・・・」


子供の名前を聞いてから俺は、鞘に戻した刀を、もう一度引き抜いて、切っ先を凛に向けた。


「・・・選ばせてやる・・・ここで・・・そいつ等の後を追って死ぬか・・・それとも、そいつらの想いを背負って生きるか・・・」


「・・・え?」


「どちらか選べ・・・死んで、そいつ等の想いから逃げるか・・・生きて、そいつ等の想いと共に往くか・・・おまえが決めろ。」


放っておけば良いものを・・・その時の俺は、凛と自分を重ねていた。


人は、自分自身を殺す事も出来る・・・だが獣は、自身を殺す事など出来ない。


獣と成り果てた俺には、自分で自分を殺す事も出来ず、ただ敵を殺す修羅の道を歩んでいた。


あの時の俺は・・・自分を取り巻く、糞ったれな世界から、消えたかったのかもしれないな・・・


凛を、獣になる前の自分と重ねて、それを殺す事によって、本物の修羅に成り果てる。


そうすれば、何も感じない・・・何も考えなくて済む・・・そう思っていたのかもしれない。


「何をしている零!」


その時割って入った、一つの声。


「・・・橘か。」


近づいてくる男、三番連隊隊長、橘。


ジジィが死んで、俺を修羅の道へと招いた張本人でもある男。


「生存者に何をしている・・・刀を納めろ。」


「黙れよ・・・俺はこのガキに、聞いているだけだ・・・生きたいのか、死にたいのか・・・」


チャキ・・・


「・・・刀を納めろ・・・命令だ・・・」


橘は、手にしていた刀を俺に突きつけて、再度同じ事を言ってくる。


「生存者は保護する・・・最初に言っていた筈だ。納めろ!!」


三度言われ、仕方なくと言った感じで、俺は刀を納めて、子供に背中を向け、歩き始めた。


「・・・老師・・・あなたが何をしたかったのか、知りませんが・・・私はあなたを恨みますよ・・・」


背中越しに、橘の言葉を聞きながらも、振り返る事無く、俺はその場から離れた。


それから、俺と凛と橘夫婦との、奇妙な共同生活が始まった。


飛燕君の家に、場所を移した私たち。


「ハッ!ハッ!!」


自宅のお庭で、竹刀を降り続ける飛燕君を、縁側に座った私は、なんとなくその光景を眺めていた。


凛さんが、二人きりで話しがあるからと、師匠を連れて行ってしまった。


なので私は、蝉の鳴き声を聞きながら、縁側でボ~ッとしていた。


「・・・気になるのか?」


「・・・え?」


いきなりそう聞かれて、我に返った私は、練習を終えて、手拭いで汗を拭き取りながら、私に近づいてくる飛燕君に気が付いた。


「宝仙さん達なら、きっと心配無いさ。リンさんは、良い人だよ。」


「うん・・・」


そう言われても、どこか漠然とした不安を、私は感じていた。


何なんだろう・・・この気持ち・・・


「それより、一つ聞いて良いか?」


「あ、うん。」


「リンさんは、宝仙さんの事、『零さん』って呼んでたけど・・・」


そう言って飛燕君は、不思議そうに首を傾げている。


飛燕君が、その事を知らないのも無理はない。


私だって、つい最近知ったみたいなものなんだから。


「・・・私も、あんまり詳しい事は知らないけど・・・昔、師匠はそう呼ばれてたんだって。」


「ふ~ん・・・」


私がそう言うと、飛燕君は、一応納得したみたいだった。


本当のところは、その理由も知っているけど、私から話すのは筋違いだと思ったから、そう答えるしかなかった。


「私からも質問して良いかな?」


「おう、なんだ?」


「凛さんとは、いつ知り合ったの?」


少しでも凛さんの事を知りたくて、飛燕君に聞いてみる。


知れば、この気持ちが何なのか、解る様な気がしたから・・・


「・・・三日前の朝にさ、日課の走り込みをしてたんだけど・・・その時に、怪我をしていたリンさんを見つけてさ、家まで運んだんだ。」


「・・・そうなんだ。」


少しの間の後に、私の質問に答えてくれる飛燕君。


それじゃあ・・・知ってる事も、少ないよね・・・


そんな考えが頭を過ぎって、今まで飛燕君に向けていた顔を背けて、師匠がやってくるのを待つ事にする。


「・・・それより・・・さ。」


「うん?」


急に声を掛けられて、また飛燕君を見てみると、視線をあちこちに彷徨わせながら、鼻の頭を掻いている彼の姿を見つける。


「・・・どうしたの?」


その姿を見て、首を傾げながら聞いてみる。


「その・・・久しぶりの京なんだしさ・・・一緒に見て回らないか?」


「・・・ごめんね。ちょっと、考えたい事があるの・・・」


とっても嬉しい申し出だったけど、どうしてか気分が乗らない。


京に着いた時は、すごくはしゃいでたけど、今はそんな気分になれない。


昔の師匠の事を知っている人が居る・・・ただそれだけの事なのに・・・どうしてこんなに気になるんだろう・・・


「・・・そっか。」


私の答えを聞いて、がっかりした様子で、飛燕君が呟くのが聞こえてきた。


「うん・・・ごめんね・・・」


「・・・じゃあ、何か飲み物持ってくるからさ、そんな所に座ってないで、部屋に行こうぜ?」


「うん、ありがとう。」


私の事を、気遣ってくれる飛燕君に、笑顔を向けてお礼を言う。


「い、いや・・・ちょ、ちょっと待ってろよ!すぐ持ってくるから!!」


「あ・・・」


そう言って飛燕君は、顔を赤らめながら、慌てて家の奥へと走っていってしまった。


飛燕君を見送った私は、彼が走っていった方から顔を背けて、またお庭に目を向ける。


・・・今頃師匠は、凛さんと何を話してるのかな・・・


ふと頭を過ぎった疑問に、このもやもやした気持ちが何なのか、何となく解った様な気がした。


私の知らない師匠を・・・多分凛さんは、知っている・・・


『零』と呼ばれていた頃の師匠の事を、私はまるで何も知らない。


話しに聞いた事はあっても、実際に目で見た訳でもない。


多分私は・・・凛さんに、ヤキモチを妬いてるんだ・・・


「・・・久しいな・・・凛。」


「本当に・・・あなたなんですね・・・」


部屋に差し込む夏の日差しを受けながら、俺と凛は、向かい合い座っていた。


「大分・・・雰囲気が変わりましたね・・・」


「そう言うおまえだって、随分変わったよ・・・」


「それはそうですよ・・・もうあれから十一年も経つんですから・・・」


「・・・そうだな。」


十一年・・・言葉にすれば短いが、気の遠くなる様な時間だ。


橘が死んで、俺が屋敷を出て、先遣隊の任を受け、静菜と出会って・・・


あれからもう、十一年が経つんだな・・・


改めて考えると、なにやら感慨深い物がこみ上げてくる。


初めて凛と出会った時、俺はこいつに、刀の切っ先を向けた。


その相手が今、俺の目の前に、こうして居るのだから、不思議なものだ。


「・・・生きていたのなら・・・どうして連絡してくれなかったんですか・・・」


沈痛な面もちで、凛がそう呟いてくる。


「あなたにとって・・・私達は、その程度の存在だったんですか?」


私達・・・か。


私達とは、おそらく橘の妻、弥生の事だろう。


凛を連れ帰った後、身寄りの無い凛を橘が引き取る事になった。


元々子供の居なかった橘夫婦にとって、それはそれで良かったのかもしれない。


しかし、何を考えてか、ジジィの小屋で暮らしていた俺も、橘は受け入れると言い出した。


それから俺と凛、そして橘夫婦との生活が始まった。


正直、そこでの生活は、居心地の良い生活とは言えなかった。


その理由は、至って簡単・・・単に俺が、彼等の事を受け入れようとしなかっただけだ。


だがその生活も、そう長くは続かなかった。


戦で橘が死に、それを機に俺は、橘邸を出る事になった。


「・・・すまなかったな・・・凛・・・」


それしか言えなかった。


修羅として生きる事しか出来なかった俺が、初めて感じた恐怖。


戦う事でしか、存在理由を見出せなかったあの頃、 それ以上、凛と一緒に居れば、俺は俺でなくなると感じた。


あの頃の俺には、人の心などと言う、曖昧な物は不要だった。


だが凛と暮らしていく内に、人を殺める事に、戸惑いを感じる様になった。


だが迷いは、戦においては、自分の死に繋がる事になる。


だから俺は・・・橘が死んだ事を理由に、凛から逃げたんだ。


全く・・・情けない話だ・・・


「・・・軽々しく、謝らないでください・・・この十一年、私がどんな想いで過ごしたか・・・」


そう呟いて凛は、自分の髪を束ねている紐をほどく。


すると、凛の長い髪が、流れる様に緩やかに腰まで達した。


そして、その瞳には、今にも涙が溢れそうになっていた。


「あなたが死んだと聞かされても・・・私も義母も信じていませんでした・・・あなたが死んだとは、到底思えませんでした・・・風の噂で、あなたは生きていたと聞く度に、必ず私達の元に還ってくると・・・信じてました・・・」


再会した時の凛々しさは消え失せ、涙を流しながら、あの日出会った少女は、美しい女へと成長していた。


「そんな噂も聞かなくなって・・・私達は嫌でも、あなたが死んだという現実を、受け止めなければなりませんでした・・・なのに・・・」


「凛・・・」


俺がそう呟くと、凛は右手を差し出して、俺の頬に添える。


俺が生きている事を確認する様に、頬に添えた手を、何度も撫でてくる。


それに対し俺は、されるがまま、凛の気の済みまで、止めようとはしなかった。


「・・・あなたが憎かった・・・私達を置いて逝ってしまったあなたが・・・でも今は、生きていてくれて、本当に良かったと・・・そう、思っています・・・私と一緒に帰りましょう・・・」


「・・・すまんな。それは出来ないんだ・・・」


「ッ!」


俺がそう言うと、俺の頬に添えられた凛の手が、一瞬震えた。


「俺には、遣らなければならない事がある・・・それを放棄する事は、俺自身が許さないんだ・・・それに、今更戻った所で、俺に何をしろと言うんだ。」


「あなたは・・・それで良いんですか・・・一騎当千と謳われたあなたが・・・」


「その称号に未練は無いし、戦場に未練も無い・・・」


「・・・本当に、変わってしまったんですね・・・」


そう言って凛は、俺の頬に添えていた手を戻した。


「・・・おまえもな。最初に感じた、張りつめた剣気・・・それがまさか、おまえが発していたとは思わなかったよ・・・強くなったんだな・・・」


凛と再会した時に感じた、賑やかな活気に不釣り合いな、鋭く張りつめた剣気。


それを感じ、探っていた俺の前に現れた凛。


物腰から、只者では無いと感じた。


「・・・あなたが居なくなって、私は女である事を止めました・・・そうしなければ、私も義母も、あの家を出なければならなかったんです・・・しかしあそこは、私達にとっては、掛け替えのない場所・・・だからこそ私は、義父の遺品の中から見つけた・・・あなたの師の書を、紐解いたのです。」


「・・・そうか。」


ジジィの記した書、恐らく武神流の書なのだろう事は解った。


「あなたがもし、戻らないと言うのであれば、反逆罪と見なし・・・私は・・・零さん、あなたを斬ります。」


「・・・今の俺は、零じゃない・・・宝仙だ。」


「そうですか・・・では宝仙さん・・・暫くの猶予を与えます。よく考えてください・・・」


そう言って凛は、立ち上がった。


「・・・右脇腹・・・どうかしたのか?」


「ッ!!」


俺がそう言うと、反射的にその部分を抑えて、驚いた顔で、俺を見下ろしてくる。


「・・・さすがですね。うまく隠していたつもりだったんですが・・・しかし、あなたには関係の無い事です。」


それだけ言うと、部屋の戸へと体を向けた凛は、歩き始める。


全く取り付く島の無い凛の言葉に、肩を透かして苦笑を浮かべる。


「そうだ・・・言い忘れていた。」


不意に俺がそう呟くと、凛は戸に掛けた手を止めて、肩越しに振り返ってくる。


「綺麗になったな・・・凛。刀よりもかんざしの方が、おまえには似合ってる・・・」


「ッ?!・・・あなたが変わった様に、私も変わったんです。今の私は、橘リン・・・橘家の跡取りにして、零の後継者・・・橘リンです。」


そう言って凛は、戸を開いて、部屋の外へと出ていってしまった。


一人、部屋の中に取り残された俺も、暫くしてから、錫杖を手にして立ち上がった。


「ほら。」


「あ・・・ありがとう。」


差し出された冷たいお茶を受け取って、飛燕君にお礼をする。


「いつまでもそんな所に座ってると、日射病になるぞ?」


そう言って、また私の隣に座る飛燕君。


「・・・うん。でも、ここで良いんだ・・・」


私は、自嘲気味に笑いながら、飛燕君にそう答えた。


「・・・そっか。」


「うん・・・師匠の事、ちょっと心配だし・・・」


そう呟いて私は、飛燕君が持ってきてくれたお茶を、一口ふくんだ。


「・・・なんだか、暫く会わない内に、雰囲気変わったな。」


「え?」


急にそう言われ、驚きながら飛燕君に顔を向ける。


「いや・・・さ。実際何処がどう変わったか・・・なんて聞かれたら、答えられないけどさ・・・なんて言うか・・・大人っぽくなった・・・かな。」


「・・・そうかな。」


「うん。」


そう呟く飛燕君の顔は、どこか赤くなっている様に見えた。


変わったのかな・・・私・・・そうかもしれない・・・


前に飛燕君と別れてから今まで、辛い事や悲しい事が、沢山あった。


それと同じくらい、嬉しい事や楽しい事も・・・一杯・・・


そういった経験が、私の中で、今の私を形作っている。


けど自分では、私がどう変わったかなんて、よく解らない。


「・・・私ね・・・多分、凛さんに嫉妬してるんだと思う・・・」


そう呟きながら、顔をお庭に戻した。


「嫉妬?」


「うん・・・私の知らない師匠を、凛さんが知ってるんだって思うと・・・なんだかモヤモヤするんだ・・・」


「・・・勝てねぇな~・・・」


「え?」


よく聞き取れなかった飛燕君の呟きに、もう一度彼に顔を向ける。


「・・・いや、何でもない。」


そう言う飛燕君の顔は、どこか寂しそうに見えた。


「・・・そういうのさ、俺も何となく解るよ・・・仲良いのに、あまり逢えない奴とかさ、今何してんのかな~っとか、時々思う。」


私から顔を背けて、遠くを見る様な目で、飛燕君はそう言ってくる。


「けどさ・・・おまえの知ってる宝仙さんの事を、リンさんは知らないだろ?」


「そうかもしれないけど・・・」


「俺はさ・・・宝仙さんの事、よく知らないけどさ・・・けどさ、聖の知らない宝仙さんの事を、俺は知ってる。」


飛燕君は、師匠に危ない所を助けられた事があるって聞いた事がある。


私と出会う前の、私の知らない師匠。


「俺ん中で、宝仙さんてさ、凄く強くて、格好良くって、不思議な人・・・かな。おまえは?」


そう話を振られて、暫く私は、師匠の事を考えてみる。


私の中での師匠・・・


「・・・ぶっきらぼうで、不器用で・・・悪ぶってるけど、とっても優しくって・・・温かい・・・かな。」


そう答えて、飛燕君を見てみると、可笑しそうに笑っていた。


「同じ宝仙さんでも、俺と聖じゃ、こんなにも違うんだ・・・きっとさ、宝仙さんを知っている人達もさ、同じだと思うよ・・・それぞれの人達の中にはさ、それぞれの認識があるんだからさ・・・あんまり深く考える様な事じゃないと思う。」


「・・・飛燕君の方が、私よりずっと、大人っぽいよ・・・」


「・・・そっかな?」


「うん・・・そう思うよ。」


そう言って、飛燕君に向かって、笑顔を向ける。


すると飛燕君は、照れくさそうに笑いながら、鼻の頭を指で掻いていた。


「あ、そう言えば・・・最近、京に辻斬りが出るんだっけ。」


茶屋の店員のお姉さんの話しを、思いだした私は、そう言って飛燕君に聞いてみる。


その話を聞いた時から、すごく気になっていて、後で師匠にも話そうと思っていた事だった。


「あ、あ~・・・うん。」


私の切り出した話しに対して、飛燕君の歯切れの悪いうなずきが返ってきた。


「・・・?何か知ってるの?」


「い、いや!なんて言うかさ・・・殺された人が、みんな女の人っていうのは知ってるか?」


「うん・・・それは聞いたけど・・・」


私がそう言うと、飛燕君は、重苦しそうな表情で、俯いてしまった。


「・・・そっか・・・だったらそれ以上は、知らない方が良い・・・」


「え・・・?」


「・・・見回りが強化されて・・・すぐ捕まると思うしさ・・・だから、京を発までは、夜出歩かない方が良い。」


「・・・教えて、知ってる事。」


「・・・え?」


私の言葉を聞いて、飛燕君は、驚きながら顔を向けてくる。


「私なら大丈夫だから。だから教えて・・・」


「・・・殺された女の人達は・・・みんな・・・何十回と斬りつけられて・・・首を切り取られて・・・その首が見つかってないんだ。」


「ッ!酷い・・・」


予想以上の、残虐な犯行内容に、思わず息を飲んだ。


「遺体もボロボロでさ・・・首も無い所為もあって、それが誰なのか、解ってない人も居る・・・京中探し回っても、首が見つかってないからさ・・・多分、犯人がまだ持ってるんじゃないかって事だ・・・」


その話を聞いて、色々と考えを巡らせる。


「・・・変な考え起こすなよ。奉行所に任せておけば、大丈夫だからさ。」


「・・・うん。」


口ではそう言っても、やっぱり放ってはおけない。


・・・後で師匠にも、相談してみよう・・・


「飛燕・・・ちょっと良いですか?」


不意に、私達の間に割って入ってくる声に、私も飛燕君も、そちらに顔を向ける。


「リンさん・・・」


そこには、さっき師匠と二人きりで、話しがあると言っていた凛さんが立っていた。


「・・・お邪魔でなければ・・・で、良いんですが・・・」


一瞬私に視線を向けて、気を遣いながらそう言ってくる凛さん。


「あ、大丈夫ですよ。」


そう言って飛燕君は立ち上がり、凛さんの方に向かって歩いていく。


・・・あれ?そう言えば・・・凛さんって、三日前にここに来たんだよね・・・


そして、初めて辻斬り魔が現れたのが、三日前の夜。


・・・まさかね。


一瞬頭を過ぎった考えに、苦笑しながら否定した。


暫くして、師匠も現れて、私達は飛燕君の家を後にして、今日泊まる宿を探す事になった。


陽は沈み、空が黒く塗り染められる頃、京の街を徘徊する、リンと飛燕の姿があった。


「・・・傷は大丈夫ですか?」


「あぁ・・・心配を掛けてすいません。」


提灯を手にした飛燕は、心配そうにリンの顔をのぞき込む。


それに対してリンは、自嘲気味に笑いながら、飛燕に答えた。


辻斬り魔が現れるかもしれないと言うのに、さすがに大きな街だけあって、通りの方は賑やかだ。


だが、通りから少しでも外れれば、打って変わって人通りはあまり無い。


だが二人の目的は、噂の辻斬りに会う事なので、そんな場所に二人が居ても、なんら不思議ではなかった。


「すいませんね・・・君にこんな事までさせてしまって・・・」


「そんな!俺が好きでやってるんですから、気にしないでください。」


「・・・ありがとう。」


飛燕の言葉に、リンは嬉しそうに笑うと、素直に礼を述べる。


「・・・けど、良かったんですか?宝仙さんに言えば、きっと手伝ってくれると思いますけど・・・」


「あぁ・・・良いんですよ。私の尻ぬぐいを、彼に頼むなんて、格好つかないですからね。」


そう言って、苦笑を浮かべるリン。


それに対し飛燕は、未だ何処か納得がいっていない様子だった。


「でも・・・リンさんは、怪我を負っているし・・・」


そう呟く飛燕の頭に、リンは片手を乗せる。


「大丈夫。私は負けません。」


どこか自信に満ちあふれたその口振りに、飛燕は、安堵の表情を浮かべた。


「そう言えば、あの聖さんという方・・・可愛らしい人でしたね。」


不意に、話を変える為に、リンが聖の事を話題に出した。


「え?!そ、そうですか?」


リンの話題に対して、飛燕は、明らかに狼狽えた様だった。


そんな飛燕の様子を見て、リンは微笑みを浮かべて、彼に笑いかける。


「・・・好きなんですか?」


「え!そ、そんな・・・や、やだな~違いますよ。」


リンの一言に、乾いた笑いを浮かべて誤魔化す飛燕。


「フッ・・・別に、隠すような事でも無いじゃないですか。良い事ですよ・・・人を好きになるという事は・・・」


「リンさん・・・」


そう呟いて飛燕は、リンから顔を背けた。


「・・・聖の心の中には、宝仙さんが居る・・・俺が割って入る、隙間なんて無いんですよ・・・」


「飛燕・・・」


「あいつ・・・すごく素直だから・・・すぐに顔に出るんです。多分憧れてるだけなんですよ俺・・・聖や宝仙さんみたいに、素直に生きられないから・・・」


そう言う飛燕の表情は、何処か自嘲気味で、寂しそうだった。


「俺・・・宝仙さんみたいに、旅をして・・・色々な事を経験して、少しでも宝仙さんに近づきたい・・・けど、家を捨てるなんて、俺には出来ない。」


「・・・すいません・・・余計な事を言ってしまいましたね。しかし、私にも解ります・・・私もそうでしたからね。」


そう言うリンの表情も、何処か自嘲気味で、寂しそうだった。


しかし、その表情は一瞬で消えて、再度飛燕に笑いかけるリン。


「あなたにとって、零さん・・・いえ、宝仙さんは、目指すべき目標なんですね。」


「・・・はい。」


リンの言葉に対して、飛燕は、照れながら肯定した。


「リンさんは、宝仙さんの事、どう思ってるんですか?」


「私・・・ですか。」


そして、リンに顔を向けた飛燕は、同じ質問をリンへとぶつけた。


「・・・そうですね・・・私の標と成ってくれると思っていました・・・ですが、今日再会して、その考えは消えました。」


「え?」


「・・・あの人は変わってしまった・・・修羅と呼ばれ、一騎当千と謳われていた、あの頃とは・・・正直、残念ですよ・・・」


愁いを帯びた様な表情で、そう呟くリン。


そんなリンの言葉に、深く考え込む飛燕。


「・・・それって、そんなにいけない事なんですか?」


「・・・え?」


暫くの間の後、飛燕の言葉に、リンは顔を向けて聞き返した。


「・・・来年元服を迎えるって言っても、俺はまだ子供だし・・・宝仙さんの事だって、リンさんや聖よりも知らないけど・・・俺は宝仙さんに、生きるって言う事は、変わるって言う事だって、教わりました。」


そう言って飛燕は、リンに向かって、自分の左の掌を、見せるように突き出した。


「宝仙さんに、初めて出会った時、ある女の子を、俺達は虐めてました・・・この傷は、その時宝仙さんに付けられたんです。その時言われたんです・・・『他人の痛みを知らない奴は、強くなれない』って・・・『自分より弱い者を虐めるよりも、自分より強い奴に、戦いを挑む男に成れ』って・・・きっかけはどうであれ、俺は宝仙さんに出会って、自分よりも弱い者を虐げる事が、どんなに愚かで卑怯な事なのか・・・それを教えられました。」


そう言って、突き出した左手を元に戻して、リンに向かって笑いかける。


「少なくとも俺は、宝仙さんに出会って変わったような気がします・・・そして俺は、多分これからも変わります。でもそれは、宝仙さんや聖にも言える事だと思います・・・そしてリンさんも、きっとそうだと思います・・・」


「飛燕・・・そう・・・かもしれませんね。」


自嘲気味に苦笑しながら、リンはそう呟いて、足下に目を向ける。


「あの時・・・零さんと最後に別れてから・・・私の中で時が止まっていたのかもしれません。あの頃の零さんは、私にとっては、全てと言っても過言ではありません・・・そんな零さん・・・いえ、宝仙さんでしたね。彼と再会して・・・私の知る彼は、居なくなっていた・・・その事を私は、受け入れたくなかったのかもしれませんね・・・」


そう言ってリンは、何処か吹っ切れたような笑顔を、飛燕に向ける。


「これでは、どちらが大人か、解りませんね・・・」


「そ、そんな・・・からかわないでください。」


「フッ・・・本心ですよ。あなたはもう立派な、一人の男性です。胸を張りなさい・・・」


リンの柔らかい笑顔を向けられた飛燕は、恥ずかしそうに顔を背けて、頬を朱に染めていた。


「おや?どうしたんですか。」


その反応に、リンは不思議そうに、飛燕に訪ねる。


「その・・・リンさん、凄く美人だから・・・そんな顔されると・・・」


「・・・フッ。それは、女性としてなら、嬉しい限りの褒め言葉ですね・・・」


飛燕の言葉を聞いて、自嘲気味に苦笑しながら、そう呟きを漏らす。


「リンさんは・・・女の人ですよ。」


それに対し飛燕は、言いにくそうに、リンに向かってそう呟く。


それを聞いたリンは、困った様な表情を浮かべて、言葉に詰まった。


「・・・それでも私は、女である前に、一人の侍なんですよ。」


「リンさん・・・」


暫くの間の後、自分に言い聞かせるようなリンの呟きに、飛燕は、心配そうに彼女を見つめるのだった。


「ッ?!」


次の瞬間、リンは険しい表情で、今まで自分達が歩いてきた方角に、視線を向ける。


次いで、辺りに漂い始める、冷たい殺気。


「・・・ようやく見つけたぜぇ・・・リン。」


「・・・それはこちらの台詞ですよ・・・榊さん。」


ゆっくりとした足取りで、夜の暗闇から、一人の男が姿を現す。


左目に刀傷を追い、その手には、抜き身の刀を携えた、中年の隻眼の男。


刀を持っていない方の手には、暗くて良くは見えないが、黒く長い何かを持っている様子だった。


その者こそ、京の街を震撼させた、辻斬りの犯人だった。


「全くよぉ・・・毎日おまえを捜しててよぉ・・・暗くてよく見えなくってよぉ~・・・」


「ッ!!」


ヒュッ!ボス・・・


中年の男はそう呟くと、手にしていた何かを、二人に向かって投げつける。


「なっ?!」


それが何なのかを理解した飛燕は、驚愕の表情で、それを見つめる。


「こんなに間違っちまったよ・・・」


「・・・なんて事を・・・」


それは、四つの丸い、鞠よりも少し大きい程度の、人の頭だった。


苦しみながら死んだのか、その表情はどれも、苦痛に歪み、涙の跡すら伺える。


そしてそのどれもが、まだ若い女性の顔だった。


「ヘッ・・・ヘッヘッヘツ・・・」


二人の反応を見て、満足そうに笑い始める隻眼の男。


その笑い声に、同調するように、飛燕の肩が戦慄き出す。


「きっ・・・きっ・・・キサマアアアァァァーッ!!」


「飛燕!!」


咆吼を轟かせ、手にした提灯を放り投げると、腰に帯びた木刀を抜き放ち、リンの制止虚しく、飛燕は男に向かって突進する。


「ウオオォォォーッ!!」


「ほぉ・・・なかなか良い裂帛の気合いだ・・・」


突進してくる飛燕に、全く怖じ気づく事無く、下卑た笑みを浮かべながら、その光景を楽しそうに眺めている。


そして男は、ゆっくりと手にした刀を振りかざして、間合いを計る。


「・・・だが!」


飛燕が、手にした木刀で、男に斬りかかった瞬間、目を見開いた男は、飛燕に向かって、刀を振り下ろす。


ヒュッ!ガキン!!


飛燕よりも一瞬早く、その体に到達するはずだった男の斬撃と、更にそれよりも早く、斬撃と飛燕の間に割って入る、一本の銀の煌めき。


「・・・フッ。」


「・・・リンさん・・・」


木刀を手にした飛燕を押し退けて、男の斬撃を受け止めたリンは、鋭い殺気を込めて、男を睨み付ける。


「・・・勘違いしないでほしいですね・・・あなたの相手は、この私だ!」


山の上から、京の街を見下ろす、一人の男が居た。


蛇のような目をした男が、何か面白い物でも有ったのか、にやけた笑みで、佇んでいた。


「・・・楽しそうだな。」


そんな男の背後から、一つの女の声が聞こえてきた。


「おや、いらしてたんですか。」


男は、振り向く事無く苦笑すると、そう答えた。


「・・・あまり目立つ事はしない様にと、釘を刺して置いたんだがな。」


「フフッ・・・大丈夫ですよ。それよりも・・・まだ約束の日では無かったはず・・・」


「・・・目を付けていないと、今回のような事が起こると、俺もようやく解ったんでな・・・悪いが、約束の日まで、張り付かせてもらう・・・」


「おやおや・・・嫌われてしまいましたかな?しかし・・・見張りなら、貴殿の配下でも良いのでは?」


「・・・何か有った時、あんたを止められるのは、俺くらいのものだろう?」


「フフフ・・・成る程。確かに・・・拙と対等に渡り合えるのは・・・貴殿くらいでしょうね・・・」


そう呟いて男は、初めて背後の声の主に向かって、体を向けた。


男が振り返った瞬間、辺りには妖気と殺気が入り交じった、独特の空気が流れ始める。


「・・・まさか、俺と殺り合うつもりか・・・?」


そう呟いて、声の主刹那は、男に向かって殺気を放つ。


「いえまさか・・・今の貴殿と拙は、同じ目的の元、行動している・・・実に残念ですよ。実にね・・・」


そう呟いた瞬間、男の周囲に流れていた空気が、元に戻った。


それを確認してから、刹那も妖気を抑えた。


「・・・しかし、貴殿との契約を終えた暁には・・・拙等の封印を解く前に、是非貴殿と手合わせしたいものですね・・・」


暫くの沈黙の後、蛇の目をした男は、楽しそうにそう呟いた。


「フッ・・・本当にあんたは、戦うのが好きなんだな。」


「えぇ・・・本音を言えば拙は、拙等の封印など、どうでも良いのですよ・・・そんな事よりも、命のやりとりの方が、拙には性に合っている・・・」


そう呟いて男は、京の街を見下ろす為、また振り向いた。


「あそこに居るのが、拙だったらと・・・そう思ってしまいますよ。」


それに続き刹那も、男の隣へと移動して、同じように京の街を見下ろし始める。


「しかし、人とは・・・何時の世でも愚かなものだ・・・少し力を手に入れたと思えば、それを試さずにはいられない様だ・・・」


「・・・それは、俺に対しての当て付けか何かか?」


そう言って、刹那は半眼になって、男に視線を向ける。


「おっと失礼・・・そう言えば貴殿は、半分は人間でしたね。そんなつもりで、言ったのでは無いんですよ・・・ただ彼を見ていると、そう思わずにはいられない・・・」


「・・・確かに、あんたがそう思うのも、無理からぬ事だろうな。」


蛇の目をした男の言葉に肯定しながら、京の街へと視線を戻す刹那。


「全ての人間が、そうでは無いとはいえ・・・何時の世にも、あんな愚者が後を絶たないのは事実だ・・・そしてそんな者こそ、人を束ねる地位まで登り詰める・・・だがそんな者や、権力すらねじ伏せる暴君を、俺は知っている。」


「フフッ・・・成る程、それが貴殿の想い人ですか。」


刹那の言葉に、苦笑を浮かべながら、男は肩をすくめる。


「あぁ・・・何時の世にも、彼の様な存在が居る事も、また事実・・・」


「貴殿がそこまで言うとは・・・それでは、拙と一つ賭をしませんか?」


男にそう言われ、京に向けていた顔を、彼へと向ける刹那。


「貴殿の想い人・・・もしくはそのお仲間が勝つか・・・それとも、拙が戯れで用意した、あの者が勝つか・・・」


「何を賭ける?」


「そうですね・・・拙が勝ったら・・・貴殿との、心が躍る様な一時を・・・」


そう言って男は、さも楽しそうに、笑顔を刹那に向ける。


「・・・フッ。良いだろう・・・その時は俺も、本気で相手をしよう・・・しかし俺が賭に勝ったら、約束の日まで大人しくして貰おうか。」


「えぇ・・・構いませんよ。」


その会話を最後に、二人はまた、京の街を見下ろし始めた。


飛燕君の家を後にして、早々に宿を決めた私達は、それぞれ思い思いの事をしていた。


師匠は、またどこからか借りてきたのか、夕食が終わってからずっと、何かの本を読んでいた。


私はと言うと、宿の人の目を盗んで、部屋に招き入れたクロの、艶のある黒い毛並みを撫でながら、昼間から考えていた事を、師匠に話すきっかけを探していた。


う~ん・・・どう切り出せばいいのかな・・・


師匠の事だから、普通に辻斬りの犯人を捜しましょうって言っても、絶対断られると思う。


そんなのは、お役人様のお仕事だって、多分そう言われる。


たとえ私が、一人で探すって言っても、色々理屈をこねられそうな気がした。


やっぱり・・・散歩してきますって言って、嘘を吐くしかないのかな・・・


でも私は、そんな事はしたくなかった。


私は、師匠の事を尊敬してるし、認められたいって思ってる。


だから、嘘を吐いて一人で探すんじゃなくて、師匠を納得させて、一緒に探してもらわないと、意味が無い気がする。


「・・・何か言いたそうだな。」


「え?」


急に、本を読んでいた師匠が、本から目を離さずに、そう呟いてきた。


「そうやって、何も喋らないで、クロの毛繕いをしてるのは、大抵何かを考えてるか、何かを言いたいのかのどっちかだろ?」


「師匠・・・」


「おまえの癖だからな・・・嫌でも解るさ。」


気付いてたんだ・・・


師匠にそう言われて、深く深呼吸をする。


自分が考えていた事を、師匠に伝える為に、私は覚悟を決める事にした。


「あの・・・私・・・」


「辻斬りを見過ごす事なんて出来ない。辻斬りの犯人を探しに行きたい・・・そう言いたいのか。」


「・・・はい。」


私の言葉を遮って、言おうした事を、師匠が私の代わりに言葉にする。


師匠の言葉に頷くと、そこで初めて、本を閉じて顔を私に向けてくる師匠。


「俺達には関係無い事・・・それが、役人の仕事である事・・・それを踏まえた上で、おまえはそう言ってるんだよな・・・」


「はい。」


そう言われる事は覚悟していた。


でも私は、それでも辻斬りの犯人を、探したいと思ってる・・・その気持ちに嘘はない。


だから、そう言ってくる師匠の瞳を、真っ直ぐ見据えたまま、私は力強く頷いた。


「おまえが俺に、強くなりたいと言った時・・・おまえは言った・・・『護りたいと思える人の為に、力を使いたい』と。そして、蜘蛛に襲われた時、おまえは言った・・・『誰かが傷付くと解っていて、それを放っておく事は出来ない』と。おまえは、その時点で矛盾している。」


師匠にそう言われて、初めてそれに気がついた。


力を求めた時私は・・・護りたいと思える人の為に力を使うと言ったけど、蜘蛛に襲われた時は、襲われるかもしれないみんなを、護りたいって思った・・・


「この街に居る全ての人間を、無差別に護りたい・・・良い奴も、悪い奴も、分け隔て無く護りたい・・・もうすでに犠牲者が出ているにも関わらず、そんな事が果たして可能か?人は神じゃない。出来る事と出来ない事がある・・・それに、おまえが力を求めた時の理由に、反するんじゃないのか?」


だからあの時、師匠は私の事を止めたんだ・・・


でもそれを認めてしまったら、何も言い返せなくなってしまう様な気がした。


でも・・・師匠は言った・・・答えは一つじゃなくて良いって・・・


だったら私は、今の自分の気持ちに嘘を吐かないで、胸を張って師匠に言えば良いんだ。


「・・・それでも、これから出るかもしれない犠牲者は護れます。」


師匠の言葉に怖じ気づくことなく、私はそう言いきる。


「人の力には、限界がある・・・巴さんの件で、それがよく解りました・・・明王珠の力だって、万能じゃない・・・解ってます。でも私は、夕凪さんをこの手で掴めました・・・」


そう言って私は、自分の右手を目の前に持ってきて、強く握り込んだ。


「・・・巴さんを手に掛けてしまった私でも、目の前に居る人を護る事が出来る・・・その事が解って、とっても嬉しかったんです・・・」


手に掛けてしまった巴さん・・・つなぎ止める事が出来た夕凪さん・・・


師匠は言った・・・明王珠は、使い方次第で色々な可能性がある・・・きっとそれは、人にも言える事・・・


「師匠はこう言いましたよね・・・『今の自分の力で、出来る事をすればいい』って・・・今がその時だって、そう思うんです。」


「・・・フッ。これで俺の負担も、少しは軽くなると言うものだな・・・」


「え・・・?」


いきなり師匠が、よく解らない事を言いだしたので、思わず間の抜けた声で、聞き返してしまった。


「いや・・・こっちの話しだ。気にするな・・・」


それに対して師匠は、苦笑を浮かべながら、そう言って誤魔化した。


けどすぐに真剣な表情に戻ると、窓から見える京の町並みに、視線を移した。


「聖・・・覚えておけ。この世は全て、相反する二つの事柄で構成されている・・・すなわち『矛盾』だ。」


「矛盾・・・ですか?」


「そうだ・・・『光と闇』『空と大地』『人間と妖怪』・・・そしてそれは、力にも言える事だ・・・『強者と弱者』と言う具合にな。おまえは力を求めて、手に入れて・・・間違いなく強くなった。だがな・・・それまでおまえより強かった奴が、今度はおまえより弱くなった・・・それでもこの世は広いんだ。おまえより強い奴は五万と居る・・・だが問題は、おまえより弱くなった奴だ。同じように、おまえより弱い奴は五万と居る・・・その中には、良い奴や悪い奴も居るだろう・・・分け隔て無く、無差別に護りたいというのなら・・・その道は険しいぞ・・・」


きっとそれは、私の事を案じての言葉・・・


不器用で、ぶっきらぼうな、師匠なりの優しさ・・・


それでも私は・・・


「・・・信じます・・・人も妖怪も、最初から悪い人なんて居ない・・・だから信じます。自分を・・・みんなを。」


クロの頭を撫でながら・・・微笑みながら・・・


「フッ・・・吹く様になったな・・・信じる事から全てが始まる。だが、一片でも疑惑が残れば、疑念が頭を過ぎり、迷いに足下をすくわれるぞ。その事を、覚えておけよ。」


「はい!」


元気に返事をして、私は立ち上がった。


そしてそのまま振り返って、部屋の戸口に向かおうとする。


グキ・・・


「ハゥ!」


その瞬間、私の髪が後ろに引っ張られて、首が悲鳴を上げた。


「待て。何処に行くつもりだ。」


痛む首を両手で押さえながら、うずくまっていた私は、声を掛けられたので後ろを振り返ってみる。


見ると、師匠が私の髪の毛を掴んで、私の動きを止めていた。


「な、何するんですか~・・・」


首の痛みと、髪の毛を引っ張られた時の痛みで、涙声になりながら、師匠に向かって非難の声を上げる。


すると師匠は、呆れた様な表情になりながら、深いため息を吐いていた。


「おまえが勝手に行こうとするからだろう。」


そう言いながら師匠は、掴んでいた私の髪の毛を放した。


「だって!早くしないと新しい犠牲者が出ちゃうじゃないですか!!」


そう叫んで、また立ち上がった私は、もう一度振り返って、部屋の入り口に向かおうとする。


グキ・・・


「ハウゥ!!」


そしてまた引っ張られて、鈍い痛みが首に走った。


「だから待てと言ってるだろうが・・・」


涙でにじむ視界で師匠を睨むと、また私の髪の毛を掴んでいる師匠が見えた。


「女の子の髪の毛を何度も引っ張るなんて!師匠最低!!」


「おまえが人の話を最後まで聞かないからだろうが!!」


お互いそう叫んでにらみ合う。


暫くのにらみ合いの後、師匠がため息を吐いて、腕組みをした。


「・・・今回の一件、俺達・・・いや、俺は手出しするつもりは無い。」


「どうしてですか!!」


いきなりそう言われ、納得のいかない私は、師匠に詰め寄った。


「・・・凛は元々、俺が昔居た藩の人間・・・それが何故京に居る。そして、それと時を同じくして起きた辻斬り騒ぎ・・・挙げ句、本人は隠しているつもりだったんだろうが、凛は負傷していた・・・そこから考えられる事は、ただ一つ・・・凛は誰かを追って京に来た・・・そして恐らく、犯人はそいつ。」


「ッ!そこまで解っていてどうして・・・」


私がそう聞くと、師匠は苦笑を浮かべながら、困った顔をしていた。


「何も言わないって事は、自分でケリを着けたいって事だろう・・・それに、今俺がこの件に関わっちまったら、あいつの誇りを汚す事になる・・・そうなったら、本当にあいつと戦う羽目になるだろう。」


「戦うって・・・どうしてですか!」


思いがけない言葉を聞いて、驚かずにはいられなかった。


「今の俺がどうであろうと、昔俺が藩士であった事に変わりは無い・・・あいつの目から俺がどう映るか・・・少し考えれば解るだろう。」


「ッ!それは・・・」


そう呟いて私は、師匠から顔を背けた。


少し考えれば解る事、許可無く脱藩すると言う事は、裏切り者という事。


理由はどうであれ、師匠は昔、仲間を殺した・・・それはつまり反逆者。


「・・・ま、そう言う事だ。辻斬り魔が妖怪だって言うんだったら、おまえに付き合ってやっても良いんだがな・・・」


軽くそう言う師匠だけど、私にはどこか、悲しそうに聞こえた。


ドタドタドタドタ!


「うん?」


暫くの間、沈黙が支配していた部屋の中に、いきなり慌ただしい足音が聞こえてくる。


その足音は真っ直ぐ、この部屋に近づいて来る様な気がした。


それが気になった私達は、廊下へと繋がる戸口に顔を向けた。


「・・・クロ。」


どんどん近づいてくる足音に、一応クロに声を掛ける。


するとクロは、私の呼びかけの意味を察して、窓から外に出て隠れてくれた。


ピシャン!


それとほぼ同時に、部屋の戸が勢いよく開かれた。


「はぁはぁはぁ!」


そしおて、開かれた戸から、私と同世代くらいの男の子が、肩で荒い息をしながら、部屋の中へと入ってくる。


「飛燕君?!」


いきなり訪ねてきた飛燕君に、私は驚きの声を上げながら立ち上がって、飛燕君に近づいていく。


「飛燕・・・何があった。」


飛燕君らしからぬ行動に、師匠は何かを感じ取ったのか、飛燕君に向かって声を掛ける。


「はぁ・・・はぁ・・・た、助けてください!リンさんを・・・リンさんを!!」


それに対して飛燕君は、汗だくの顔を師匠に向けると、悲痛な表情で訴えた。


「あいつは・・・あいつは人間じゃない!リンさんじゃ・・・勝てない・・・宝仙さん!!」


「ッ!!それって・・・辻斬り魔?師匠!!」


そう言って、振り向いて師匠を見てみると、窓枠に足をかけ身を乗り出して、一気に飛び出す師匠の後ろ姿が見えた。


「もぉ~・・・クロ!私たちも行くよ!!」


師匠の素早い行動に、呆れるのを感じながらも、私は外に出て隠れているクロに向かって、そう叫んだ。


「御意・・・」


窓の外から、クロの低い声が聞こえてくるのを確認してから、私も窓目指して走り出そうとする。


ガシッ!


そんな私の右腕を、飛燕君が掴んだ。


「・・・俺も行く。」


飛燕君の目を見て、止めても無駄だと思った私は、彼に対して頷いてみせた。


ザザザザザ・・・・


ギャン!ギャリン!!


京の街から外れた林道を、二つの影が走り抜ける。


時折、二つの銀の煌めきが走り、ぶつかり合う度に、金属の乾いた音が、辺りに響き渡った。


「シャアアアァァァーッ!」


「ハアアアァァァーッ!」


ガキーン!!


裂帛の気合いと共に、再びぶつかり合う二つの影。


「どーしたんだよぉぉぉリーン!!攻撃が通じないと解ったら、逃げる事しか出来ないのかぁー?!ヒャーッハッハッハーッ!!」


嘲る様な男の笑い声が辺りに響くが、それに答えずリンは、ただがむしゃらに走り続ける。


「シャアアアァァァーッ!!」


「ッ?!」


迫る男の斬撃を後目に、リンは大きく跳躍して、その攻撃を避ける。


着地した瞬間、視界が開けた場所へとたどり着いた。


そこは、京の街から少し離れた場所にある、野原だった。


更にリンは後方に跳ぶと、やって来るだろう男との間合いを広げる。


「・・・鬼ごっこは終わりかぁ?リン・・・」


ゆっくりとした足取りで、林道から姿を現す男。


「・・・榊さん・・・本当に、人間を辞めてしまったんですね。」


その男の姿を確認して、落ち着いた口調で、リンはそう呟いた。


その男は、リンが京まで追っていた時とは、まるで姿形が違っていた。


京の街で遭遇した時には、確かに無かった、蛇の様な鱗。


最初に追いつめた時、刀を手にしていた時と同じ鱗が、再び浮かび上がっていた。


そして男の尻の辺りには、爬虫類の様な尻尾が生え、蛇の様な瞳で、リンを嘲るかの様に見つめていた。


男はもうすでに、人の姿をしてはいなかった。


「ヘッヘッヘッヘ・・・澄ました顔しやがってよぉ・・・その顔を、今すぐ苦痛で歪めてやるからよぉ!」


そう言って男は、リン目掛けて走り出す。


「シャアアアァァァーッ!!」


ガキーン!!


男の斬撃を受け止めたリンは、すかさず左手で鞘を腰から抜き取ると、男の利き手目掛けて切り上げる。


ドゴ・・・


「ッ!」


瞬間、男の尻尾が、リンの脇腹に叩き込まれ、軽々と横に吹き飛んだ。


「・・・うっ・・・うぅ・・・」


リンは、右の脇腹を押さえながら、弱々しく身を起こした。


その押さえた右の脇腹の辺りから、赤く滲む血が、服に広がっていく。


「・・・悲鳴すら上げないとは・・・おまえ、本当に女かぁ?」


男は、その場から動こうとはせず、ゆっくりと立ち上がろうとするリンを、嘲り笑いながら見下ろして言う。


それに対しリンは、男を睨み付けながらも、何とか立ち上がって、刀を構えた。


「・・・私は・・・女である前に、一人の侍・・・この痛み、苦痛・・・その全てが、私が侍である証・・・」


そう言ってリンは、刀を鞘に戻して、鞘ごと腰に下げる。


半身で構え、左手の親指を鍔に宛い、右手を柄に添える。


「ヘッ・・・ヘッヘッヘ・・・その体で抜刀術かぁ?知ってるんだぜぇ・・・武神流の抜刀術は、体に掛かる負荷が大きい事をよぉ・・・挙げ句その傷の所為で、実力を出し切れていないというのに・・・そんなんで、まともな抜刀術が撃てるのかぁ?」


「・・・ッハァ・・・ハァ・・・」


荒い息を吐くリンの表情は、苦痛に歪み、玉の様な汗が、額に浮かんでいる。


右脇腹の染みは、更に広がり、地面に滴り始めている。


「ハァ・・・ハァ・・・ッ!!」


意を決したリンは、男に向かって走り出す。


リンとの間合いが縮まるというのに、男は余裕の表情で、手にした刀を振りかざす。


男との間合いが後僅かとなった瞬間、リンは大地を蹴って、男に向かって跳ぶ。


リンは、空中で身を小さくして、限界ギリギリまで全身を捻る。


「武神流、抜刀術・・・」


男がリンの剣の間合いに入った瞬間、リンは大地に左足を着いて、更に一歩踏み込む。


ほぼ同時に、リンと男は、互い目掛けて刀を放った。


「飛雷閃!!」


「シャアアアァァァーッ!!」


ガキーンッ!!


その瞬間、二つの銀の煌めきが、月光に照らされて、妖しい輝きを放っていた。


「師匠!!」


クロの背中に乗った私と飛燕君は、屋根伝いを走りながら、先に出た師匠に追い付いた。


師匠は、走りながら私たちに目配りすると、顎で走る先を指す。


「先に行け!クロの方が早い!!」


「はい!」


その言葉に従って、クロは走る速度を上げた。


「凛を頼んだぞ!」


背中に師匠の声を浴びながら、私たちは先を急いだ。


「飛燕君!しっかり掴まっててね!!」


「あ、あぁ!」


私の声に反応して、腰に廻された飛燕君の腕に、更に力がこもる。


「クロ!場所は解る?」


「・・・風が血の匂いを運んでくる・・・おおよその場所は特定出来た。」


私の質問に対して、低い声音でそう答えてくるクロ。


「そっか・・・でも師匠は・・・」


宿を飛び出した辺りから、金華龍との精神融合をしている私。


けど、どういう訳か、それほど強い妖気は感じられない。


これでは、場所も何も解らず飛び出した師匠が、そこまでたどり着けるかどうか・・・


そう思った所で、いつもあまり感じないクロの妖気が、膨れあがった。


「これで、奴は我の気を辿ってくるだろう・・・」


「ありがとうクロ・・・」


クロに笑いかけながら、クロの気遣いを労う。


「・・・跳ぶ。しっかり掴まられよ!」


不意にそう言われ、私も飛燕君も、身を低くして、クロにしがみつく。


次の瞬間、クロは京の街の外目掛けて、大きく跳躍して林道に降り立った。


「ッ!妖気・・・」


そこまで来てようやく、微弱な妖気を私は感じ取った。


「でも・・・これって・・・」


妖怪が放つ妖気と、今感じ取った妖気は、どこかが違うような気がして、知らない内に私はそう呟いていた。


「・・・残留思念・・・」


「え?」


不意に、クロの呟いた聞き慣れない言葉に、思わず聞き返す。


「思念武装された武具などに宿る、妖気や霊気の事だ・・・我等の様に、その者が発している訳では無く、物に宿っている為、我等でも感じ取りにくい・・・だが、ここからでも感じ取れるという事は、かなり強い思念が宿っている様だ・・・」


「じゃあ、あの刀が妖刀だって言うのか!」


クロの説明を聞いて、後ろの飛燕君がそう叫んでくる。


「・・・とにかく急いでクロ!!」


「御意。」


今は余計な事を考えないようにして、更に先を急ぐ。


そしてようやく、林道の終わり、視界が開けた場所へとたどり着いた。


ガキーンッ!!


「ッ!」


「リンさん!」


林道を抜けると同時に聞こえてきた、金属のぶつかり合う甲高い音。


その場所にたどり着いた時、私たちが見たものは、背中合わせに刀を構えている二つの影だった。


凛さんともう一人、人とは思えない異形の姿をした男の人。


「・・・間に合った・・・のか?」


全く動かない二人を見て、不安げに呟く飛燕君。


私は、その光景を目にしていて、嫌な予感が過ぎった。


「ッ!!主!」


いまだクロの背中に乗っていた私は、そこから飛び降りると、凛さんに向かって走り出す。


「・・・クッ・・・」


その瞬間、凛さんの端正な表情が、苦痛に歪むのが解った。


ブシュウウゥゥゥーッ!!


そして勢いよく、凛さんの体から吹き出す鮮血。


そしてゆっくりと、本当にゆっくりと、糸の切れた人形のように、前のめりに倒れ始める凛さんの体。


「ッ?!リンさん!!」


背中越しに、飛燕君の悲痛な声を聞きながら、私は右手で梵字を描いた。


ここからじゃまだ遠い・・・けど!やるしかない!!


強くそう思って、走りながら、左手を凛さんに向ける。


孔雀明王珠!あなたに意志があるんだったら・・・私の想いに応えて!!


「マハーマユーリ!!」


ボッ!


空気が破裂したような音を響かせて、凛さんの体が、淡い光の球体に包まれる。


その球体の中を、凛さんの体は、まるで泳いでいるように、ゆらゆらと揺れていた。


「ッ!なんだ・・・これは・・・」


異形の男が、凛さんを包んでいる球体に触れようと、手を差し出す。


バチッ!


「ッ?!」


その瞬間、異形の男の手は、まるで拒まれるように、球体に弾かれる。


「・・・貴様か小娘・・・」


不意に異形の男が、走って近づく私を睨み付けて、低く凄味を効かせて呟いてくる。


「俺の邪魔をするなあああぁぁぁーっ!!」


そう叫んで、一直線に私目掛けて突進してくる男。


「ッ!チィ!!」


後一歩の所で、クロが近づいてくる事に気がついた異形の男は、後ろに大きく跳んで、私との間合いを広げる。


「クロ!あの人を凛さんに近づけさせないで!!」


「御意。」


私の言葉に従って、クロは異形の男に向かって、突進していく。


「師匠が来るまで、無理はしないで!」


クロの事だから、大丈夫だと思うけど、一応念のためにそう言って釘を刺しておく。


でないとまた、クロは人化しちゃうかもしれない。


クロは、人化している間、命を削って力に変えるって、そう言ってた・・・


それがどんなに強い力だったとして、クロが死んじゃうなんて嫌・・・だからクロの人化だけは、どうしても避けたかった。


異形の男と、クロの様子を伺いながら、私は凛さんの元までやって来た。


「・・・はぁ・・・はぁ・・・」


凛さんは、光の球体の中で、苦しそうだけど、確かに息はしていた。


良かった・・間に合った・・・あれ?


そこで私は、ばっさりと切り開かれた、凛さんの胸の部分を見て、ある事に気がついた。


胸の部分まで巻かれたサラシは、斬られた事で血が滲んでバラバラになり、その間からふくよかな乳房が伺えた。


「・・・女の・・・人?」


「・・・そうだよ。リンさんは、女剣士だ。」


いつの間にか、私たちの元までやって来た飛燕君が、私の呟きを肯定する。


「そうだったんだ・・・」


「・・・うっ・・・うぅ・・・」


私がそう呟くと、凛さんが苦しそうにうめき声を漏らす。


「ッ!リンさん!!」


それを見た飛燕君が、凛さんに向かって呼びかけると、僅かに瞼を開いて、顔をこっちに向けてくる。


「・・・聖・・・さん・・・飛燕・・・どうして・・・ここに・・・」


「リンさん・・・良かった・・・」


意識を取り戻した凛さんに、私も飛燕君も安堵の表情を浮かべる。


凛さんが受けた傷口に目を向けると、ほとんど血も止まり、傷口も塞がり掛かっている。


「・・・もう大丈夫ですよ・・・後は私たちに任せてください。」


そう言って私は、一旦明王珠の力を止めて、凛さんを地面に寝かしつけてから、立ち上がった。


「ま・・・待って・・・ください・・・これは、私の・・・」


私が、クロの加勢をする為に、歩き出そうとした瞬間、私の腕を掴んでそう言ってくる凛さん。


「・・・安静にしててください。すぐ師匠も来ると思いますから。」


私の腕を掴む凛さんの手を、丁寧に外しながら、笑顔でそう言い聞かせる。


「私たちに任せておいてください。飛燕君、凛さんの事お願いね。」


「解った。」


飛燕君に凛さんを任せて、顔をクロと異形の男へと向ける。


そして、ゆっくりと歩き出して、帯を緩めて、いつでも服を脱げるよう手に掛ける。


「蘇れ・・・金色なりし、煌めく龍・・・」


「聖・・・」


「ッ!師匠・・・」


私を呼ぶ声に、後ろを振り返ると、師匠が険しい表情で、私たちの元へと歩いてきていた。


「聖・・・おまえは、凛の治療を続けてくれ。」


「で、でも・・・」


どこか怒っているような師匠の呟きに、少し不安を覚え、その場で立ちすくむ。


暫くして、私たちの元までやって来た師匠は、凛さんの傍らにしゃがみ込んだ。


「・・・零・・・さん・・・」


「凛・・・刀を借りるぞ。」


そう呟いて、凛さんの刀と鞘を手にした師匠は、立ち上がって、クロと異形の男目指して歩き出した。


「あ、あの・・・」


師匠とすれ違う瞬間、私は師匠に声を掛けていた。


私の呟きに師匠は、その場で立ち止まると、苦笑を浮かべながら顔を向けてくる。


「心配すんな。零としてやり残してきた事を、やってくるだけだ・・・」


「大丈夫ですよね・・・ちゃんと、戻ってきますよね・・・」


不意に頭の中に過ぎった、師匠と月神さんとの戦いの事を思い出して、私は不安に駆られていた。


あの時の、残忍な笑みを浮かべて、まるで戦う事自体を愉しんでいる様な師匠の姿を・・・


私は、師匠のあんな姿を、もう見たくなかった・・・


「あぁ・・・ちゃんと、戻ってくるさ。宝仙としてな・・・」


そう言って師匠は、異形の男を睨んで、また歩き出した。


「榊ーっ!!」


『ッ?!』


師匠は、私たちから十分離れた所で、クロと異形の男に向かって、そう叫んだ。


その叫びを聞いた二人は、戦う事を止めて、師匠に目を向ける。


「久しぶりだな・・・」


「・・・おまえ・・・クッ・・・クックック・・・生きてたのかよぉ~零・・・」


そう言って榊と呼ばれた男は、師匠に向かってゆっくりと歩き始める。


「クロ・・・手出しは無用だ。こいつは俺が殺る・・・」


そう言って師匠も、ゆっくりと歩き出した。


橘が戦で死んだ。


戦いの最中、敵に隙を見せた俺を庇って死んだ・・・


敵にトドメを刺す瞬間、泣き叫び、命乞いをする相手に、迷いを感じた俺を庇って・・・死んだ。


迷いを感じれば、それだけ死に近づくと、ジジィに叩き込まれたにも関わらず、俺は迷った・・・


そして橘が死んだ・・・死ぬ筈では無かった男が・・・


その事を、橘の妻である弥生と、養子である凛に、包み隠さず伝えた。


そして弥生は泣いた・・・凛も泣いた・・・


唯一人、俺だけが泣けなかった・・・


そんな俺を見て、弥生は言った・・・『何故あなたが生きているのに、夫が死ななければならなかったのか・・・』と・・・


俺は、その言葉に対して、何も答えられなかった・・・


だから逃げた・・・弥生から・・・凛から・・・


そうしなければ、二度と戦えなくなると思った・・・


橘の家を出る時、凛は必死で俺の事を止めた・・・弥生は、悲しそうな表情で、ただ見ているだけだった。


あの時の弥生の言葉は、気が動転して、感情のままに言ってしまった一言である事には、俺も解ってはいた。


だが、それでも俺は、橘の家を出た。


家を出ていく時、弥生に『すまなかった・・・』とだけ告げて・・・


それから俺は、城の馬小屋で寝泊まりする様になった。


元々住んでいたジジィの家は、老朽化が進んで、雨風をしのげる状態では無かったからだ。


っと言うよりかは、一人になれる場所なら、何処でも良かった。


一人なら、余計な事を考えなくて済む。


他者に何も感じなくて済む・・・


あの頃の俺にとっては、孤独が心の拠り所だった。


それから暫くは、特に何も無かった。


橘の死によって、あいつが指揮していた隊は、再編成される事になり、そこに所属していた俺は、部隊が再編成されるまで、暇を持て余していた。


強いて何かあったとするなら、凛が毎日の様に、橘の家に戻る様、俺を説得しに来ていた事ぐらいだろう。


だが俺は、そこに戻るつもりは無かった。


それでも凛は、毎日の様にやって来る。


そんな凛に、次第に苛立ちが募り、ある日凛に言ってしまった・・・『目障りだ』と・・・


その言葉を聞いて凛は、泣きながら家へと帰っていった。


だが次の日には、めげずにまた凛はやって来た。


あの頃の俺には、凛の行動が、どうしても理解出来なかった。


怒鳴りつけても、叱りつけても、それでも次の日には、凛はやって来る。


何故そうまでするのか・・・俺に拘るのか・・・今でも俺には解らない。


だが一つ確かな事は、あの頃の俺は、凛を傷つけ続け、泣かせ続けていたと言う事だ。


そんなある日、事件は起こった・・・


その日城内は、いつもよりもゴタゴタしていた。


理由は、城内にくせ者が侵入し、忍び込んだくノ一を、一人捕縛したからだった。


そして次の日の夜、俺はいつもの様に、寝泊まりしていた馬小屋へと、足を運ばせていた。


そんな俺の行く手を塞ぐ様に、その男は立っていた。


「よぉ~零。お務めご苦労さんだな。」


「榊・・・」


十番連隊副隊長、榊郷造。


橘と同期にして、自分よりも位の高い橘に、何かと突っかかっていた男だった。


「へっ・・・さんを付けろよ。」


そう言って榊は、俺を見下した様な目つきで、そう命令してきた。


「・・・悪いが、俺は敬語が苦手なんでね・・・何の用だ。」


そんな榊に対し、俺は睨み付けながら、俺を呼んだ用件を聞いた。


「フン・・・まぁ良い・・・用件は、おまえの寝床を、暫く俺達が借り受ける・・・その間、適当に時間を潰していろ。」


「・・・どういう意味だ。」


太々しいその傲慢な態度に、怒りを抑えながらも、そう聞き返す。


「どういう意味も何も無い。言葉の通りだ・・・手頃な場所が無かったから、おまえの寝床を使ってる・・・ただそれだけだ。」


「・・・何を勝手な事を言っている・・・寝言なら寝てほざけ。」


そう言い捨てて、立ちふさがる榊の横を通り過ぎようとする。


だがその行く手を、榊が手で制した。


「おいおい・・・ガキには刺激が強いと思って、忠告してやってるんだ。素直に聞けや・・・」


「・・・なんだと?おまえ・・・まさか昨日のくノ一を・・・」


「フン・・・ガキの分際で、さすがに勘が鋭い・・・」


俺の言葉に対し榊は、鼻を鳴らしながら肯定した。


「・・・捕虜への暴行は、禁止されていると、解ってやっているのか・・・」


「暴行?違う違う・・・尋問と言ってほしいなぁ・・・」


悪びれた様子もなく、戯ける様な笑みを浮かべながら、榊はそう言う。


「・・・そうだ零・・・おまえも仲間に入るか?」


「・・・何?」


榊の言葉に俺が聞き返すと、面白い物でも見る様な目つきで、見下してくる。


「おまえ・・・未だに女を知らんだろう?良いぞぉ~女は・・・男を悦ばせる為に、奴等は生きてるんだからなぁ~」


「・・・クズが・・・テメェの様な、下半身でしか物を考えられない様な男と、これ以上話す事は無い。さっさとそこを退け。」


そう言って俺は、榊の腕を避けて、馬小屋に向かおうとする。


「フン!真面目な所は、橘にそっくりだな・・・まぁ、奴が死んで、清々したぜ・・・」


その言葉を聞いて、俺は榊を睨み付ける。


「・・・怒ったのか?ヘッヘッヘ・・・おまえでも、怒る事があるんだなぁ~意外だぜ。」


「・・・貴様の御託はうんざりだ。黙れ・・・そしてそこを退け。」


「それで、俺の部下共のお楽しみを邪魔するってか?ツレねぇなぁ~あんな面白い玩具、なかなか手に入らないんだ・・・少しくらい融通を利かせろよ・・・」


俺の怒気を含んだ呟きに、全く怖じけずく事無く、榊はそんな事を言い出す。


榊の言葉を聞く度に、俺の中で、この男に対しての殺意がこみ上げてくる。


「おまえ知ってるかぁ?くノ一ってのはなぁ・・・男を悦ばせる為の技を、知り尽くしてるんだぜぇ?おまえにも廻してやるからよぉ、一度経験しておくと良い。」


そんな事はお構い無しと言った感じで、榊はそう言葉を続ける。


そして俺の手は、自然と刀に添えられる。


「まぁもっとも、初めてがそういう女じゃ、普通の女では・・・」


ザシュッ!


「ッ!!グワアアアァァァー!!」


自分でも驚く程自然に、俺は目の前の男を、刀で斬りつけていた。


だが俺は、榊を殺そうとして斬りつけたにも関わらず、刀の軌道は逸れて、奴の左目を斬りつけていた。


「ぐ・・・ぐおおおぉぉぉ・・・」


苦しそうな呻きを上げながら、血の涙を流す左目を手で押さえ、俺を睨んでくる榊。


「・・・もう一度言う・・・邪魔だ。」


刀の軌道が逸れた事に動揺しながらも、それを表には出さず、努めて冷静を装って、榊を見下ろしながら俺はそう呟いた。


「れ、零・・・貴様・・・」


左目を押さえた榊は、殺気を込めてそう呟くと、腰に帯びた刀に手を添える。


「・・・お望みなら、右目も潰してやろうか・・・」


「後悔させてやるぞ・・・零・・・」


それからすぐに、騒ぎを聞きつけた者達により、殺し合いの結果は免れた。


榊とその部下達、そして捕らえられたくノ一は、やって来た者達により連れて行かれた。


俺もまた、騒ぎの張本人として、処罰される身だったが、処遇は追って知らせると言われ、その時はお咎め無しで済んだ。


それから暫くして、俺への処罰として、ある辞令が下された。


その内容は、城内に進入した賊の身元が割れたので、その藩へ先遣隊として潜入せよとの事だった。


そしてその命令に従い、俺は・・・静菜と出会った・・・


ザッ・・・


師匠と榊と呼ばれた男は、一定の距離まで歩み寄った所で、お互いに立ち止まった。


「よぉ~零・・・まさかおまえが生きていたとはなぁ・・・」


「・・・その名前で、俺を呼ぶのは止めて貰おうか。嫌いなんだ。」


「ヘッ!相変わらずだなおまえ・・・それにしても・・・」


そう言って榊は、面白そうに笑いながら、師匠の姿をなめ回す様に見つめている。


「・・・おまえのその格好は、新手の冗談か何かか?まさか今までおまえが殺してきた相手に対しての、罪滅ぼしのつもりで、そんな格好をしているわけでもあるまい・・・」


「フンッ!貴様にそこまで教えてやる義理は無い。それに、姿形を言うなら、おまえの方がよっぽど冗談に近いぜ。」


師匠は、刀を持った右手を腰に当てて、鞘を持った左手で、相手を指さして、苦笑しながらそう言った。


「墜ちる所まで墜ちた・・・と言う感じだな。」


「ヘッヘッヘ・・・何とでも言えばいいさ。ただ俺は・・・」


そう言いながら榊は、手にした刀を構え直した。


「・・・この左目の傷の恨みを、晴らす事が出来るんだからなぁ~・・・おまえを、俺のこの手で殺す事が出来る・・・それだけでも、この姿に成った価値があるというものだ・・・」


「・・・出来るかな・・・おまえに・・・」


バサッ!!


そう言って師匠は、一旦刀を鞘に納めて、着ていた羽織を脱ぎ捨てた。


そして、刀を鞘ごと帯に差し入れると、半身になって構える。


「い、いけない・・・零さんを・・・止めるんだ・・・」


不意に凛さんが、弱々しく上半身を起こして、私の腕を掴んでそう言ってくる。


「駄目ですよ!傷口が開いちゃいますよ!!」


それまで、師匠たちのやりとりを観ていた私は、慌てて凛さんの傍らにしゃがみ込む。


・・・師匠は、ちゃんと戻ってくるって言ってくれた・・・なら私は、その言葉を信じて、今出来る事をするだけ。


そう思いながら、孔雀明王の梵字を、右手で描いて、左手を凛さんの胸にかざす。


「マハーマユーリ。」


梵名を言う事により、梵字に込められた言霊を解放して、凛さんの治療を続ける。


「・・・宝仙さんなら大丈夫ですよ。だからリンさん、今は安静にしていて下さい。」


治療を続ける私の代わりに、飛燕君がそう言って、凛さんの事を諭す。


けど凛さんは、苦しそうな表情のまま、視線を師匠へと移した。


「・・・今のあの人では、勝てない・・・あなた達は知らないんですよ・・・一騎当千の修羅と呼ばれていた頃の、あの人の事を・・・」


「リンさん・・・」


どこか確信めいてそう言う凛さんの言葉を聞いて、飛燕君が不安そうな表情で、そう呟いてくる。


凛さんが知っている師匠・・・私の知っている師匠・・・


「・・・確かに私は、零と呼ばれていた頃の師匠の事を知りません・・・けど、私にはどうしても、今の師匠がそう呼ばれていた頃の師匠よりも劣っているなんて、全然思えません。」


「・・・聖さん・・・」


凛さんに笑いかけながら、私は凛さんの言葉を否定した。


「自分でも、可笑しいなって思うんですけど・・・でも不思議と、師匠が誰かに負ける所なんて・・・私には全然、想像ちかないんですよ・・・だから・・・信じてください。師匠の事・・・」


私がそう言うと、不安げな表情のまま、凛さんはまた師匠に顔を向けた。


私も飛燕君も、それに習って、顔を師匠へと向けた。


見ると、あれから二人とも、構えを取ったまま、動いてなかった。


「・・・武神流の抜刀術か・・・しかし俺には通用しないぜ・・・」


暫くの沈黙の後に榊は、嘲る様に笑いながら、そう言って顎でこっちを指してくる。


「なんせリンの抜刀術に、俺は打ち勝ったんだからなぁ~ヘッヘッヘ・・・」


「・・・全く・・・昔から、下半身でしか、物事を考えられない様な奴だとは思っていたが・・・ここまで頭がおめでたい奴だとは思わなかったぜ・・・」


「・・・何だと?」


師匠のその言葉を聞いて、それまで笑っていた榊は、笑みを消すと、師匠に向かって睨みを利かせる。


「凛は元々、脇腹を怪我していた・・・どうせおまえが付けたんだろうがな・・・しかしその為に、万全では無かった事は確かだ。」


「フン!確かにそうだ。だが・・・今のおまえが、リンよりも強いと言うのかぁ?おまえが去って、何年になる・・・前線を離れて、一体何年になると言うのだ・・・今のおまえからは、あの頃の様な威圧感は感じないぜぇ?」


そう言って榊は、師匠に向かって、残忍な笑みを向ける。


「・・・確かに、俺はあの頃よりも弱くなった・・・」


意外な事に師匠は、榊の言葉をあっさりと認めてしまった。


「零さん・・・」


そしてその言葉に、凛さんは悲しそうに呟いた。


「・・・あの頃の様に、敵を容赦なく殺していた俺はもう居ない・・・それが弱くなったと言う事なら、そうなんだろう。それに俺は、武神流を人相手に使う事を、自ら封じた・・・」


・・・師匠・・・


私にはまだ、武術についての事は、よく解らないけど、師匠は、自分を戒める為に、自ら力を封じる事を選んだ。


今まで師匠が戦ってきた所を、何度も見てきた。


けど今までの戦いの中で、師匠がほとんど本気を出していなかった事は、私にでも解った。


「変わっちまったんだなぁ・・・あの頃のおまえは、人の心などに惑わされるなど、考えられなかったぜぇ?それが・・・殺人術を自ら封じ、そんな格好で、なまっちょろい事をほざく・・・へっ・・・へっへっへ・・・」


「・・・確かに俺は変わった・・・内面・・・そして外見もな。」


師匠に対して、嘲り笑う榊に向かって、静かにそう呟く師匠。


「冥土の土産に見せてやろう・・・真の武神流を・・・」


チャキ・・・


そう言って師匠は、半身のまま腰を落として、帯に差し入れた刀の鍔を、左手の親指で少しだけ浮かせて、柄に右手を添えた。


「・・・抜刀術の構え・・・勝負は・・・一瞬・・・」


師匠のその姿を見て、凛さんがそう呟きを漏らすのが聞こえてきた。


決着の時が近づき、辺りに張りつめた空気を感じる。


自然と心臓の鼓動が早まり、耳の奥で、早鐘の様に鳴り響いている様に感じる。


凛さんの言うとおり、多分勝負は一瞬・・・


ただその一瞬を見逃さない為、まばたきをする事も忘れ、私の視線は、師匠に釘付けになる。


「・・・いくぜ。」


そう師匠が呟いたかと思うと、師匠の姿が一瞬揺らいだ。


そしてその瞬間、いくつもの銀の軌跡を、私は確かに目にした。


その次の瞬間には、刀を抜きはなっている師匠の背中と、刀を振り下ろしている最中の榊の姿。


・・・ガキン!ドウンッ!!


何・・・が起こったの・・・


肉眼では確認出来なかった。


ただ二人が対峙している間に、凄い勢いで、空気が飲み込まれていった様な気がする。


「そんな・・・音が後から来るなんて・・・」


不意に、呆然と呟く凛さんの言葉で我に返り、顔をそっちに向けた。


「・・・見えたんですか?今の・・・」


私がそう聞くと、目を瞑って、凛さんは顔を横に振った。


「・・・最初の三撃までは、何とか見えましたが・・・その後は・・・武神流に、あんな抜刀術が在るなんて・・・私は知りません・・・」


最初の三撃って・・・じゃあ、あのいくつもの銀の軌跡は・・・


「リンさん・・・最後、空気が二人の間に飲み込まれる様にして、風が吹いたのは一体・・・」


「・・・あれは・・・」


「・・・グッ!」


凛さんの呟きに併せて、誰かが呻く様な声を聞いて、顔を師匠達に向ける。


「・・・零さんが・・・音の速度を超えたんですよ・・・」


「グワアアアァァァーッ!!」


ブシュウウウゥゥゥーッ!!


顔を向けると、全身から血を吹き出して、絶叫を上げている榊の姿が、目に飛び込んできた。


そのまま倒れ込みそうになった所で、刀を杖にして体を支えている。


「零さんは、最初の一撃を放つと同時に、相手の後ろに回り込んで、振り向きざまに、横凪と逆風を・・・ほぼ同時に放つ所までは見えました・・・そこから更に早くなって、私にも見えませんでした・・・しかし恐らく後は、回り込んでの横凪と逆風の連続技・・・最初の抜刀術は、空気を切り裂いて、神速の領域に踏み込む為のきっかけでしかない・・・」


「フッ・・・さすがだな凛・・・そこまで見破られるとは・・・武神流六芸、一之奥義・・・『九字桜花斬』。体の負荷が大きすぎて、昔の俺だったら、放つ事すら出来なかった技の一つだ。」


凛さんの言葉を聞いて、師匠が肩越しにこちらを振り向いて、苦笑しながらそう言ってくる。


けどすぐに、顔を榊に戻すと、ゆっくりと歩み寄っていく。


「グッ!・・・ば、馬鹿な・・・人間業じゃ・・・無い・・・」


「武神流は、六芸揃って初めて『舞刃』と化す・・・その力が、あまりにも人の領域を超えている為、六の流派に分けられた・・・唯一、宗家の人間のみが、六芸全てを受け継げる・・・あのジジィは、俺にその全てを叩きこんだのさ。」


そう言って師匠は、榊の手前で立ち止まると、切っ先を男に向けた。


「一つ質問に答えろ・・・その刀を、何処で手に入れた?」


「・・・それに答えて・・・俺に何の得がある・・・」


息も絶え絶えな筈なのに、肩で息をしながら、どこか余裕を感じさせる笑みを浮かべている榊。


・・・おかしい・・・あの出血量なら、致命傷の筈なのに・・・


「楽に殺してやる・・・答えろ。」


そんな事を考えていると、師匠がそう言って、刀の切っ先を使って、うずくまる榊に先を促していた。


「・・・クッ・・・クックックッ・・・」


すると突然榊が、肩を振るわせながら、笑い声を上げるのが聞こえてきた。


「・・・何が可笑しい。」


「ヘッ・・・ヘッヘッヘ・・・俺を殺す?無駄だぜぇ・・・この刀がある限り、俺は死ねねぇんだ・・・死ねねぇんだよぉ~」


・・・そう言う事か。


榊の言葉で、ようやくさっきの疑問の答えが解った。


つまりあの人は・・・あの妖刀に取り込まれた・・・心も体も・・・そして命すらも・・・


もうあの人は、妖怪とほとんど変わらないんだ。


「・・・そうかい・・・じゃぁ、その刀を斬っておいて、正解だったな・・・」


パキン・・・


「なっ?!」


師匠の言葉を、待ってましたと言わんばかりに、その瞬間榊が杖として使っていた刀が、二つに折れた。


その場に居た一同が、その光景に絶句して、ただ驚いていただけだった。


「ど、どうやって・・・斬ったって言うんですか・・・」


暫くの間の後、最初に口を開いたのは飛燕君だった。


「私の刀で・・・その妖刀を斬ったと言うんですか?」


それに続いて、凛さんもまた、師匠に疑問をぶつけた。


それに対して師匠は、肩越しにこっちに視線を向けると、苦笑しながら、懐から短刀を取りだして、それを見せてくる。


「何も妖刀を持っているのが、こいつだけとは限らないだろう?」


「それって、翁お爺ちゃんから貰ったって言ってた、短刀ですか?!」


クロと再会した時、それまでクロと一緒に暮らしていたという、会津で出会ったお爺ちゃん。


師匠の持っている短刀は、そのお爺ちゃんから貰った事は知っていた。


けどそれが、妖刀だったなんて、一言も聞いていなかった。


「まさかあの一瞬で・・・」


そう凛さんが呟いて、また唖然とした表情を浮かべて、師匠を見つめる。


これが・・・師匠の本気・・・


桁違いだった・・・


なんで師匠が、一騎当千の修羅と呼ばれていたのか・・・その理由が、少しだけ解った気がする・・・


「武神流六芸は、使い手によって姿を変える・・・それが最強の殺人術の由縁。人相手には過ぎた力・・・人には人の力を以て・・・人外には人外の・・・そして妖刀には妖刀を・・・それが俺のやり方だ。」


そう言って師匠は、視線を榊へと戻した。


「・・・詭弁だな・・・虫唾が走るぜ・・・」


「そうかもな・・・さて、答えて貰おうか・・・その妖刀・・・何処で手に入れた?」


「ヘッ・・・良いぜぇ・・・どうせもう長くないだろうからなぁ・・・教えてやるよぉ~・・・貰ったのさ。」


「貰った?それは一体誰ですか・・・」


「さぁ・・・俺には知ったこっちゃ無いさ・・・ただ言える事は・・・そいつは・・・人間以外の存在だろう・・・」


ピシッ・・・


『ッ!!』


榊がそう呟いた瞬間、彼の顔に亀裂が走った。


それを目にした私たちは、その光景に驚き、言葉を失った。


「ヘッ・・・ヘッヘッヘ・・・気を付けろよぉ零・・・おまえもその妖刀に取り込まれたら・・・こうなる運命だぜぇ?」


榊がそう言う間も、顔の亀裂はどんどん広まっていき、そこからどんどん砂の様に崩れていく。


「そんな事、テメェに心配される事じゃねぇよ。」


その光景に、全く動じていない様な師匠は、そう言って榊に向けていた刀を降ろした。


「最後に一つ・・・そいつは蛇だったか?」


「・・・蛇?・・・そうだな・・・蛇の様な目つきの男だった・・・」


「・・・そうか。」


短い会話の後、師匠は榊に背を向けて、私達の方へと歩き出す。


「・・・零。」


不意に彼が呼ぶと、師匠はその場で立ち止まって、肩越しに榊を見やった。


もうほとんど崩れて、原形を留めていない彼の口元が、笑顔の形に歪められた。


「地獄の入り口で・・・おまえのその詭弁が・・・何処まで通じるか・・・見ててやるよぉ~・・・ヘッ・・・ヘッヘッヘッ・・・」


ズル・・・ボサッ!


その言葉を最後に、榊の体は完全に崩れ去った。


「・・・俺が俺である限り・・・この生き方を変えるつもりは無い。」


崩れ去った榊に向かって、師匠がそう呟くのが聞こえてきた。


「・・・どうやら、賭は俺の勝ちの様だな。」


「・・・フッ。そのようですね。」


刹那の言葉に、蛇の様な目をした男は、苦笑を浮かべながらそう答えた。


そして男は、京の街に背中を向けると、ゆっくりと歩き出した。


「・・・約束は守りますよ。貴重な収穫もありましたし・・・ね。」


その言葉を聞いた刹那も、男の後を追う様に歩き出した。


「貴殿の想い人は、強い方ですね。あの方なら、拙等や貴殿と、対等に渡り合えるかもしれない・・・実に興味深い・・・」


「愉しそうだな。」


先を歩く男が、嬉しそうにそう呟く声を聞いて、刹那は苦笑を浮かべた。


「えぇ・・・実に愉しみですよ・・・あの方と戦う事が出来るのですから・・・」


「人間だからと言って、侮っていると、痛い思いをするのはあんただと言う事が解った様だな・・・」


「えぇ・・・人の中にも、希に神殺しの異名を持つ者が、生まれると聞きましたが・・・あの方にはその資質が、十分ある様だ・・・しかし本当に宜しいので?」


最後にそう言って、後ろを歩く刹那に、肩越しで振り返る男。


「いくらあの方が強いとは言え・・・仮にも拙は邪神の一部・・・戦えばお互いただでは済みませんよ?」


「あぁ・・・構わんさ。あんたが勝って、本体の封印が解かれれば、それはつまり俺の目指す物と一緒・・・逆に俺の手間が、省けるというものだ。」


「フフッ・・・あの方と貴殿は、並々ならぬ関係と見受けていたのですが・・・なかなかどうして、貴殿は手厳しい・・・」


苦笑混じりにそう言って、男は顔を前へと戻した。


「・・・違うな・・・俺は宝仙を、信じているからさ。彼を倒せるのは俺だけだ・・・そして、俺を倒せるのもまた、彼だけだ・・・」


「おやおや・・・どうやら拙の入り込む余地は無さそうですね・・・少し妬けてしまいますよ。」


「フッ・・・余田話はこの辺で終いにしよう・・・そろそろ往こうか・・・」


そう言って刹那は、男の肩に手を置いた。


「・・・そうですね。約束の日には、まだ少々時間がありますが・・・準備は早めに終わらせた方が、効率も良いですしね・・・それでは、跳びますよ?」


男がそう呟いた瞬間、二人の姿は、虚空へと消えた。


凛の見送りの為に、炎天下の下、街の外れに俺達は集まっていた。


「・・・色々、お世話になりましたね・・・飛燕、聖さん・・・それに宝仙さんも・・・」


そう言って凛は、編み笠から顔を覗かせて、順に俺達に顔を向けてきた。


「リンさん・・・そんなに急いで帰らなくても・・・」


寂しそうにそう言う飛燕の言葉に、凛は苦笑を浮かべながら、顔を横に振った。


「そう言う訳にもいきません・・・私も何かと多忙なもので。」


「俺を・・・斬らなくて良いのか?」


不意に俺がそう言うと、聖が心配そうな顔で、俺に顔を向けてくる。


凛も、ゆっくりと俺に顔を向けると、目を伏せて首を横に振った。


「・・・考えが変わりました。私の知っている零さんは、やはりもうこの世には居ません・・・今私の目の前に居るのは、宝仙さんだと言う事を・・・私には、昔のあなたよりも、今のあなたの方が、ずっと輝いて見えます。」


そう言う凛の言葉に、俺は苦笑を浮かべる事で答えた。


「・・・あなたはもう覚えてないんでしょうが・・・何故私が、あなたに拘っていたのか・・・あなたは知っていますか?」


そう言われ、昔の凛を思い出して、今の凛と重ねて考えてみる。


「・・・いや。」


しかし、その問いに対する答えが解らず、俺は凛にそう答えた。


「・・・あなたと・・・初めて会った日の事・・・あなたに刀を突きつけられた日の事ですよ・・・山賊の遺体と一緒に、その時犠牲になった、旅の一座の人達の遺体も、一緒に埋められそうになった時・・・私は、素手で地面に穴を掘っていました・・・せめて・・・優しくしてくれたみんなには、山賊とは別に・・・それぞれの墓を作って上げたい・・・そう思って・・・その時、あなたは何も言わず・・・私と一緒に、墓穴を掘ってくれました・・・」


・・・そう言えば、そんな事もあったな。


何処にでもある事・・・人が人として生きていく事も困難な時代には、掃いて捨てる程よく聞く話。


だが、その犠牲となった者達には、突然降って沸いた不幸な出来事・・・何の前触れもなく起こった悲劇・・・


それなのに、墓の穴の中まで、自分達の命を絶った山賊と一緒では、浮かばれるものも、浮かばれないというものだ。


ならせめて、墓くらいは別に作ってやっても良い・・・ただそう思って遣った事。


別に感謝される様な事でもなければ、尊敬される様な事でもない。


「それからですよ・・・少なくとも私は、あなたの背中を目指して、ここまで来たんです。」


それなのにこいつは・・・そんな事で、俺に拘っていたと言うのか・・・


「フッ・・・大げさな事だな。別に・・・大した事でも無いだろうに・・・」


「そんな事無いですよ・・・師匠のした事は、簡単な様でも・・・きっと難しい事だと思います。」


「そうですよ。」


不意に、俺と並んで立っていた、聖と飛燕にそう言われ、肩を透かして鼻で笑ってみせる。


「おまえ等全員・・・大げさなんだよ。」


「・・・本当に、あなたは変わりましたね。」


「あん?」


不意にそう言われ、凛に顔を向けると、穏やかな笑みを浮かべながら、俺に微笑みかけてくる凛の顔が目に映った。


「あの頃のあなたは、何事にもつまらないと言った感じで、人間味が全然感じられませんでしたが・・・今のあなたは、よく笑う様になった・・・安心しましたよ。」


「・・・おまえも変わったよ。」


「え?」


俺の不意の一言に、不思議そうな表情で聞き返してくる凛。


凛・・・もしもあの時・・・橘が死んでいなければ・・・あの時、静菜と出会っていなければ・・・おまえが、俺を変えていただろうな・・・


自分が変わる事を恐れ、橘の死を理由に、あの時俺は逃げ出した。


だが静菜と出会い、結局俺は変わった・・・そして気が付いた・・・生きると言う事は、常に変化していく事だという事を・・・


「・・・良い女になったな・・・凛。何時か抱かせて欲しいものだ・・・」


俺がそう言うと凛は、驚いた表情で俺を見つめてくる。


だがすぐに、苦笑を浮かべると、俺の横に居る聖に目を向けた。


「お断りですよ。それを受け入れたら、後が怖そうだ・・・」


そう言われ、俺も聖に視線を向けると、頬を膨らませて、俺を睨んでくる聖の姿を目にして、俺もまた苦笑を浮かべる。


「フッ・・・仲が良いですね。羨ましいですよ・・・」


「あぁ・・・こいつは、今の俺には必要な存在だ。」


そう言って、聖の頭に手を置いて、何度か軽く叩いてみせる。


すると、聖の機嫌はすぐに治り、赤くなって俯いてしまった。


「・・・さて、それでは私は、そろそろ行かせていただきますよ。飛燕・・・これからも頑張って、修行に励んでくださいね。」


「あ、はい!」


「聖さん・・・私にとって宝仙さんは、兄の様な存在です・・・不出来な兄ですが、これからもよろしくお願いします。」


「は、はい!任せてください!!」


「不出来は余計だ・・・」


「フフッ・・・それでは宝仙さん・・・お元気で・・・」


俺の言葉に、面白そうに笑いながら、凛は俺に対して、手を差し伸べてくる。


「あぁ・・・おまえも・・・な。」


それに対し俺は、懐に手を入れて、買って置いた物を、その手に握らせる。


「そいつは餞別だ。たまに付けてみろ・・・きっと弥生も喜ぶ。」


「これは・・・」


その箱の中身を見て、凛は驚いた表情で、箱の中身を取りだした。


それは、赤い玉に、金色の飾りが付いた、かんざしだった。


「おまえによく似合いそうだと思ってな・・・おまえは、女である前に一人の侍だと言った・・・だがそれは逆だ。侍である前に、おまえは一人の女・・・そして一人の人間だ。次に会う時、それを付けて、酒の酌でもしてくれ・・・」


「零さん・・・いえ、宝仙さん・・・私は、何時かあなたを・・・あなたの背中を、追い越します。きっと・・・」


「あぁ・・・楽しみにしている・・・それから、弥生に伝えて置いてくれ・・・『何も言わずに、居なくなってすまなかった』と。」


「えぇ・・・確かに伝えます。たまには寄ってください・・・きっと義母も喜びます。もちろん、零さんではなく、宝仙さんで結構ですんで・・・」


「気が向いたら・・・な。期待はするなよ。」


凛の言葉に、苦笑して答えながら、お茶を濁す。


明確な約束など出来ない・・・何年経とうが、零という亡霊は、未だに生き続けているだろう。


なのに、今更戻った所で、どうなるかなど、火を見るに明らか。


余計な厄介事など、ご免被りたい俺にとって、行きたくても行けないというのが現状だ。


「それでも結構です・・・それに生きていれば、きっとまた逢えますよ。」


「あぁ・・・きっと・・・な。」


「えぇ・・・それまでお元気で・・・」


最後にそう言って、凛は俺達に背を向けて、街道を歩き始めた。


「リンさん!また京に入らしてください!!」


「凛さーん!!お元気で~!!」


聖と飛燕が、それぞれ凛の背中に向かって、思い思いの言葉を投げかける。


次第に凛の背中が見えなくなり、ようやく二人とも、声を上げるのを止めた。


「・・・行っちゃいましたね。」


「うん・・・少し寂しい・・・折角師匠と仲直り出来たのに・・・」


「出会いが在れば、別れも在る・・・だが、生きていればまた、巡り会う時もあるさ。袖振り会うも多生の縁・・・ってな。」


両隣に控える聖と飛燕の頭に手を乗せて、軽く叩きながらそう言う。


なんだかんだ言っても、聖も飛燕もまだ子供・・・別離が辛いのも仕方の無い事だ。


「・・・さて、俺達も行くか。」


そう言って、俺は荷物を持ち上げた。


「・・・はい。」


それに続いて聖も、自分の荷物を手に持った。


「・・・また、来てくださいね。」


寂しそうに笑いながら、そう言ってくる飛燕に、俺は笑いながら、飛燕の目の前に、左手をかざした。


パシン!


それに対して飛燕は、俺の左手目掛けて、自分の左手でそれを叩いた。


何時からか、これが俺と飛燕との、別れの挨拶になっていた。


「またね!飛燕君!!無理しすぎないでね?」


「おう!聖もな!!」


そして俺達は、飛燕と別れて、次の目的地を目指して、旅を続ける。


目指すは北西・・・神々の還りし地、出雲へと・・・


榊の言っていた男・・・蛇の様な目をした男。


そして、翁の忠告・・・『蛇に気を付けろ。』


結局、京の街で、出雲に関する話は、特にこれと言ってめぼしい情報は無かった。


だが、刹那は間違いなく出雲に向かっている・・・


そして今回の事件の裏側に居る、蛇の目をした男は、恐らく翁の言葉の相手・・・


その男が、刹那と関わりがあるのかどうか、それは解らないし、刹那の目的も、今のところ不透明だ・・・


だが・・・何にせよ、言える事は一つある・・・


何かが動き出した・・・そしてその動きに、俺達は飲み込まれた。


・・・まぁ良いさ。何にせよ、俺の往く手を阻む者は、蹴散らすのみ・・・刹那が何を考えていようと・・・相手が誰だろうと・・・聖だけは、必ず護る・・・必ずな。



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