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宝仙伝  作者: 神無月拓楼(旧HN現武壱)
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飛翔孔雀之章-前編

森の小道を歩く、一人の僧が居た。


髪は綺麗に剃髪され、白い眉毛と口ひげが印象的な老僧だった。


首に大きな数珠を垂れ下げ、胸の辺りの珠だけ、他の珠より小さく、文字の様な物が刻まれていた。


飄々とした表情で、その老僧は一人、山の頂上に見える寺院を目指している様子だった。


「光隆様!」


「うんにゃ?」


不意に、女の声を聞いた老僧は、その場で立ち止まると、後ろを振り返った。


そこには、頭巾を目深く被った一人の尼が、息を切らして走っていた。


「おぉ~・・・桜の嬢やないかぃ。久しぶりやのぉ~」


光隆と呼ばれた老僧が、桜の名前を呼んで、嬉しそうに笑っていた。


「ハァ!はぁ・・・光隆様も、お変わり無いご様子で・・・」


光隆に追いついた桜は、肩で息をしながら、頭巾から覗かせた口元を広げて、笑顔を向けた。


「嬢も変わらんのぉ~・・・もう成長は止まってしもうたんかぁ?」


「み、光隆様・・・キャッ!」


光隆の言葉の意味を察した桜は、苦笑いでその言葉に答えた途端、小さな悲鳴を上げた。


「フムゥ・・・相変わらず小ぶりやのぉ・・・」


桜の胸に手を置いた光隆は、何ともしみじみと桜に向かって呟いた。


その言葉を聞いた桜は、肩を戦慄かせながら、拳をきつく握った。


ゴンッ!!


「オロ?!」


次いで聞こえてくる鈍い音と、光隆の間の抜けた悲鳴。


「・・・助平爺・・・」


「ま、本気は無しやでぇ・・・麗姫の姐さんなら、もう少し上手くあしらうっちゅうにぃ・・・」


殴られた勢いで、尻餅を付いた光隆は、痛む頭をさすりながら、桜を見上げた。


「み~つ~た~か~さ~ま~・・・」


それに対し桜は、憤怒の炎を背中に背負って、懐から呪符を取りだした。


「す、すまん・・・ちとからかい過ぎやったのぉ・・・じゃから、明王呪を使うんはやめぇ・・・」


桜の勢いに押された光隆は、本気で怯えながら桜をなだめた。


「・・・まったく。いい加減その節操の無さをどうにかしてください。」


腰に手を当てた桜は、光隆に対しそう言うと、光隆に手を差し伸べた。


それを掴んだ光隆は、桜に引かれて立ち上がった。


「最近の若いんは、どうにも辛抱がたりんのぉ~こんなん大阪やったら、挨拶みたいなもんやんけぇ・・・」


「そんな挨拶、聞いた事が在りませんよ?なんでしたら・・・もう一発殴りましょうか・・・」


光隆の呟きを聞いた桜は、意味深な笑みを浮かべながら、そう言って光隆に詰め寄った。


「す、すまん・・・全面的にワシが悪かった・・・」


凄む桜に、両手を上げて降参の姿勢を見せる光隆。


そんな光隆に、桜は呆れた様なため息を吐くと、先を急ぐ為歩き出した。


それに続いて、光隆も桜の後を追う様に歩き出した。


「・・・私の前を歩いてください。」


「ぎくっ・・・」


不意に桜がそう言うと、桜の尻を触ろうと伸ばされた手が、引っ込められる。


光隆は、渋々と言った感じで、歩く速度を少し上げて、彼女の前へと歩み出た。


「んじゃよ・・・減るもんでも無し、少しくらい・・・」


「み~つ~た~か~さ~ま~?何か言いましたかぁ~?」


拗ねた子供の様に、ぶつぶつと小声で呟く光隆に、桜は再度憤怒の炎を背負った。


「い、いやぁ・・・なんでもないでぇ?」


その呟きを聞いた桜は、疲れた表情で、深いため息を吐くのだった。


現八大明王衆、大威徳明王珠継承者、第十一代目『閻魔』光隆。


これで古参最強の武闘派だというのだから、にわかには信じがたいと桜は思った。


「しかし・・・光隆様まで呼び出されるとは・・・やはり今回の件は・・・」


不意に真剣な表情になった桜は、前を歩いている光隆に対して、そう話を切りだした。


最近、西を中心に、僧ばかりを狙う殺人事件が、立て続けに起きていた。


その数はゆうに八十人に達し、遺体は首しか見つかっていない。


更に、襲われた僧達は、宗派を問わず、高僧ばかりだった。


桜達が所属する宗派からも、すでに被害者は出ており、危機感を感じた長老会は、現存する八大明王衆を全て、呼び寄せたのだった。


その中には、金剛夜叉明王珠継承者宝仙と、孔雀明王珠継承者綾は含まれてはいない・・・


「・・・うむ。ただ事では無いようやなぁ・・・」


その桜の言葉に対し光隆も、先程までの飄々とした表情が、真剣な眼差しへと変貌する。


その瞳はとても鋭く、力強い・・・


その表情こそ、古参最強の武闘派、光隆の真の表情だった。


「・・・嬢は、何や新しい情報でも仕入れたんかぁ?」


そう言って光隆は、肩越しに振り返り、後ろを歩く桜に質問した。


「えぇ・・・被害者の僧達が襲われた場所は、出雲を中心に広がっている事・・・関係無いかもしれませんが、出雲で巫女が八人程、神隠しにあった事・・・京より東には、同一犯と思われる被害者は居ない事・・・」


「ふ~むぅ・・・出雲か・・・こりゃ、最悪な結果が待っとるかもしれんのぉ・・・」


桜の言葉を聞いて、光隆は難しい表情で考え込み始めた。


「・・・何か心当たりでも?」


「在る・・・と言えば在るんや・・・が、確信が持てん今は、何も言えんわい。人の所業か・・・怪の所業か・・・それが解れば・・・いずれにしろ、麗姫の姐さんに知らせとかんとのぉ・・・」


「麗姫様には、もうすでに使者を送ったはずです。事が事ですんで、恐らく一二神将の誰かが・・・」


「ふむぅ・・・それなら安心やなぁ。せや、宝仙の坊と連絡取れんか?嬢は坊に会ったんやろ?」


そう言って光隆は、後ろを歩く桜に、肩越しに顔を向けて聞いてみた。


その問いに対し桜は、光隆に向かって苦笑を浮かべた。


「取りたいのはやまやまなんですが、宝仙君の事ですから、素直にやって来るとも思いませんけど・・・ですが、京に向かうと言っていたので、運が良ければ近くに居るかもしれませんね・・・」


「さよか・・・まぁあの坊の事や、もしかしたら出雲に居るかもしれんのぉ~」


「・・・何故そう思うのですか?」


光隆の呟きを聞いた桜は、不思議そうに彼に聞き返した。


「・・・英雄ゆうんはなぁ、民に選ばれるんちゃうで・・・時代に選ばれるんや。笑味な話、本人は望んでもおらんのに、いつの間にか災いの中心に居る・・・そして役目を終える日まで、時代は選んだ者を手放そうとせん・・・ある意味道化や・・・」


「・・・つまり宝仙君は、知らない内に災いに呼び寄せられている・・・と?」


光隆の言葉を聞いた桜は、真剣な声音で呟いた。


「カッカッカッ!なんや・・・嬢は、坊が英雄たる資格が在ると思っとるんかぁ?」


それに対し光隆は、いきなり笑い出すと、桜にそう聞き返した。


「み、光隆様がそう仰ったのではないですか・・・」


その質問に対し桜は、困惑気味に聞き返した


「ワシャ一言も、あの坊が英雄など言っとらんでぇ?結局、人が望んだ英雄言うんは、人でしか無いんや・・・せやかて、何時の世も民は英雄を望む・・・が、時代が選んだ英雄は、誰だか解ってはいかんのや。せから、坊が英雄かどうかなんぞ、ワシにゃぁ解らんよ・・・」


「光隆様・・・」


光隆の言葉に、苦笑を浮かべながらも、桜は心の中で彼の言葉に同意していた。


『ッ!!』


その時、突然辺りに妖気が漂い、その場で立ち止まった二人は、辺りを警戒し始める。


「光隆様・・・」


「嬢・・・今まで、何にも感じなかったんやな?」


「・・・はい。」


「・・・さよか。」


油断無く辺りを警戒しながら、二人は小声で会話する。


桜は元々、目が見えない変わりに、その他の五感や霊感が、ずば抜けて発達している。


その桜が、それまでまるで何も感じなかったと言う事は、相手が徒者では無い事を指し示している。


「・・・嬢。先に本山に行くんや。」


暫くの沈黙の後、不意に光隆は、桜に向かってそう呟いた。


「そ、そんな!光隆様・・・」


突然の言葉に、桜は動揺を隠せず、辺りの警戒を解いて光隆に顔を向けた。


「・・・どうやら、最悪の結果が待っとった様やなぁ・・・外れて欲しかったでぇほんま・・・犯人の目的は、恐らくワシ等明王衆や・・・こりゃ本山も危ないでぇ・・・嬢はそっち行ったりぃ。」


「しかし!」


努めて冷静に言う光隆に、なおも食い下がる桜。


「良いから行け・・・ワシを誰やと思ってん。ワシは閻魔様やでぇ・・・」


「・・・解りました。」


光隆の言葉に、渋々桜は同意した。


「・・・必ず、又お逢いしましょう・・・」


そして、目指す山に体を向けた桜は、肩越しに光隆を振り返り、そう呟いた。


「当たり前やがな。こないな所で死ねるかい・・・ワシャさっさと隠居して、若い姉ちゃんとウハウハするんや。」


そう答えてくる光隆に、苦笑を浮かべ、桜は本山目指して走り出した。


「・・・必ず生き延びぃやぁ・・・嬢。でなきゃワシが、麗姫の姐さんと、魅鈴様に叱られてまうんやからなぁ・・・」


桜が十分離れた後、独り言の様に光隆が呟いた。


「・・・えぇ加減、出てきたらどうや?」


桜が去った方向の逆を見据えて、光隆がそう呟いた。


すると突然、前方の空間に黒いモヤが現れ、そこから一人の侍が現れた。


紅蓮を思わせる真紅の髪で、まだ幼い少女の姿をした一人の侍。


背はそれほど高くなく、腰には少女の背丈と同等程の長刀が下げられていた。


「・・・お久しぶりです、光隆様・・・っと言っても、俺はあなたと会うのは、初めてだがな。」


真紅の髪の少女は、光隆に向かって、苦笑しながらそう語りかける。


「・・・なんや、誰かと思や静菜の嬢やないかい・・・それとも、虚無の一族の末裔・・・刹那はんと言うた方がええかぁ?」


それに対し光隆は、不敵な笑みを浮かべながら、真紅の髪の少女、刹那に向かってそう言う。


「フッ・・・俺の一族の事を、知っていたとは・・・さすがですね。」


それに対し刹那は、動揺した様子もなくそう答える。


「・・・それで、嬢はワシに何の用なんや?」


「はい・・・光隆様の、その首から提げた物を受け取りたく・・・」


「・・・さよか。嬢は今回の一件に噛んでるんやなぁ・・・」


刹那の言葉を聞いた光隆は、残念そうにそう呟くと、ゆっくりと構えを取った。


「・・・これが欲しいんやったら、奪うしかないでぇ?けったくそ悪い珠やが、ワシ等はこれを護る為に、居るんやからなぁ~」


「・・・そうですか。残念ですよ・・・」


そう呟いて刹那は、腰に帯びた長刀を、一気に引き抜き構える。


「何が残念やねん・・・まさか、簡単にワシを倒せる思うとんのか?それやったら、その考え改めぇや・・・ワシャは閻魔様やで・・・怒らすと、後が怖いでぇ?」


不敵に笑いながら、光隆は刹那に向かって、走り出した。


「ハァッ!!ハァッ!!」


本山の長い階段を、桜は全速力で走る。


いつもならば、階段の入り口には、常に二人の番が居るのだが、桜が辿り着いた時には、誰も居なかった。


それだけではなく、桜がそこに辿り着いた瞬間、彼女の鋭敏な嗅覚は、彼女がもっとも嫌いな匂いを感じ取った。


桜がこの世でもっとも嫌いな匂い・・・血の匂いを・・・


階段を駆け上る桜の脳裏には、幾多の最悪な結果が過ぎ去っていく。


それを振り払いながらも、彼女は法僧院までたどり着いた。


「・・・ハァッ!!・・・ハァッ!!」


意識を集中して、辺りの様子を探る桜。


「・・・クッ!」


だが、辺りには血の匂いが充満し、息をしている者が誰一人居ない事を察すると、僧兵院目指して走り出した。


「ハァッ!!ハァッ!!真夜アアアァァァーーーッ!!」


僧兵院に辿り着いた桜は、居るであろう人物の名前を叫んだ。


「真夜!!何処に居るの?!真夜アアアァァァーーーッ!!」


僧兵院の塔の周囲を、歩き回りながら叫び続ける。


だが、その場に生者は一人も居ない事は、桜自身が一番解っていた。


「・・・真夜・・・ッ!!」


その瞬間、気配を感じた桜は、頂上の星峰院へと続く階段に顔を向ける。


桜が顔を向けた先には、全身から血の匂いを漂わせている一人の男が居た。


蛇の様な瞳をした一人の男・・・


「・・・こんにちは・・・貴殿が『水蓮』さんですね・・・」


「・・・これは・・・あなたがやったの?」


男に顔を向けたまま、苦々しく呟いた桜は、油断無く懐に手を忍ばせて構える。


「えぇ・・・そうですよ・・・」


それに対し男は、満面の笑みでそう答えた。


「・・・あなた・・・何者?」


「・・・拙は、神威と申します・・・以後お見知り置きを・・・」


優雅にお辞儀して、神威と名乗った男は、桜に向かって自己紹介をする。


「あなたの目的は何?!」


それに対し桜は、神威に向かってそう叫んだ。


「フッ・・・フッフッフッ・・・」


「何がおかしいの!!」


突然笑い出した神威に、怒りが頂点に達した桜は、懐から呪符を取りだし、扇の様に拡げた。


「いえ・・・失敬・・・ですが、これから死ぬあなたに、拙の目的を話した所で、何の意味も無いでしょう?」


「なにを・・・ッ!!」


桜が言いかけた瞬間、神威が抑えていた妖気を解き放ち、その妖気の禍々しさに桜は息を飲んで、言いかけた言葉を飲み込んだ。


「ここの方々は、手応えがありませんでしたよ・・・ですから貴殿には、期待していますよ?拙を愉しませてください・・・」


そう言うと神威は、桜に向かって一歩近づく。


それに併せて、後ろに一歩後退する桜。


「・・・おや?どうしたんですか?」


「はぁ・・・はぁ・・・」


額に冷や汗が伝うのを感じながら、神威が近づいた分だけ、桜は後ずさる。


「おやおや・・・期待はずれのようですね・・・」


「クッ!」


つまらなさそうに呟く神威に、桜は苦々しく呻いた。


「アチャラナーーータッ!!!!」


「えっ?!」


「ッ!!」


突然辺りに、不動明王の梵名が響き渡り、神威が後方に向かって大きく跳んだ。


ダダダダダンッ!!


一拍置いて、先程まで神威が立っていた場所に、幾つもの光り輝く槍が突き刺さる。


ズシン・・・


そして、桜と神威の間に降り立つ、一つの影。


「・・・ゼェ・・・ゼェ・・・」


荒い息をしながら、降り立った人物は、傷だらけの体で立ち上がった。


「・・・悠君・・・」


「ほぉ・・・これはこれは・・・まだ息があったんですね・・・『火蛇』さん・・・」


上空から降り立った、二十代前半程の、若い青年に向かって、桜と神威がそれぞれ呟く。


「・・・ゼェ・・・ウッ!」


「ッ!悠君!!」


突然現れた青年が、前のめりに倒れ込みそうになり、桜が駆け寄って抱きかかえる。


「しっかりして!」


抱きかかえた悠の肩を揺さぶり、桜が声を掛ける。


すると悠は、桜の耳に自分の口を近づけた。


「に・・・逃げるぞ・・・」


「え・・・」


消え入りそうな悠の言葉を聞いて、桜は困惑の呟きを漏らす。


「・・・解ったわ。」


だがすぐに、悠の提案を受け入れると、悠に肩を貸しながら立ち上がった。


「ご相談は、終わりましたか?それでは・・・」


「・・・クンダリーッ!!」


神威が言い終わる前に、悠を支える右手で梵字を描き、梵名を叫ぶと同時に、左手に持った呪符を放る。


すると、数十枚の呪符が、一つに纏まり、巨大な鷲へと変化した。


その大鷲の背中に悠を掴ませ、桜は背中に飛び乗った。


「行きなさい!!」


背中に飛び乗った桜は、悠を引っ張り上げながら、大鷲に命令を下す。


「ケェェェーッ!!」


その命令に従って、大鷲は大きく羽ばたき始める。


「・・・逃がすと、お思いですか?」


その呟きと共に、不意に神威が桜の目の前に現れる。


「ッ!!」


突然現れた神威の気配に、桜は息を飲んだ。


「アチャラナータッ!!」


「おっと・・・」


突然現れた神威に、悠はいつの間にか手にしていた光り輝く槍で、神威目掛けて突きを放つ。


だが、その突きは虚しく避けられてしまった。


しかし神威は、その突きを避ける為、空中で後方に跳んだ為、その隙をついて、大鷲が空高くまで一気に上昇した。


「・・・追って・・・来ないようね・・・」


暫く様子を見ていた桜が、全く追ってくる気配の無い事に、怪訝しながらそう呟いた。


「ゼェ・・・ゼェ・・・余裕の・・・つもりなんだろ・・・俺達なんて、いつでも殺せる・・・ってな・・・」


桜の疑問に、悠は率直な意見を述べる。


「・・・舐められたものね・・・ッ!!」


悠の言葉に、桜が苦々しく答えた直後、彼女は息を飲んだ。


「・・・どうした?」


桜の様子の変化に気が付いた悠は、桜に目を向けながら問いつめた。


「・・・光隆・・・様の・・・気配が・・・」


「・・・そうか・・・」


桜の愕然とした呟きに、その後に続く言葉が解った悠は、目を伏せながらそう呟いた。


「・・・みんな・・・死んじまったな・・・」


「・・・真夜・・・も?」


悠の呟きを聞いた桜は、震える声でそう呟いた。


「真夜・・・あぁ・・・因達羅の真夜なら、江戸の麗姫僧正の元に行ってる筈だ。」


「・・・え?そ、そう・・・」


悠の言葉を聞いて、ホッと胸をなで下ろす桜だったが、すぐに顔を伏せてしまった。


たとえ大事な人が生きていたとしても、本山壊滅という事実を突きつけられて、それを喜んでいられる事など、彼女には出来なかった。


「・・・それより、これからどうする・・・江戸に向かうか?」


「・・・いえ、麗姫様には式紙で連絡するとして・・・私達は、出雲に向かいましょう。」


「出雲・・・?」


「えぇ・・・詳しい話は、道すがら・・・悠君の手当でもしながら話しましょう。少し気になる事もあるし・・・」


「・・・解った。」


「・・・愉しく、成りそうですね・・・」


暫くの間、大鷲に乗って去っていく二人を見つめながら、神威は一人呟いた。


「・・・何故見逃したんだ?」


不意に、後ろから発せられた声に、神威は振り返った。


神威が振り返った先には、所々すり切れた服を着て、至る所に傷を負った刹那が立っていた。


「おや・・・遅かったですね。」


「あぁ・・・」


神威の呟きに答えた刹那は、手にしていた巨大な数珠を、神威目掛けて放り投げた。


ズシャ・・・


「まさか大威徳明王珠継承者も、『真理』に近づいた者だったとは・・・俺も予想外だった。」


「ほぉ・・・それはそれは・・・実に残念ですね・・・その方となら、拙も十二分に愉しめたというのに・・・実に惜しい・・・実にね。」


「フッ・・・それより、何の気まぐれだ・・・」


神威の言葉に苦笑した刹那は、次いで視線を桜達が去っていった方角に向けると、そう呟いた。


「・・・俺が手伝うのはここまでの約束だ・・・これ以上は手伝わんぞ。」


「えぇ・・・構いませんよ。これから先は、拙一人で十分ですよ・・・」


「・・・そうか。なら報酬を貰おうか・・・」


「えぇ・・・そうでしたね。」


そう呟いて、神威は懐に手を入れると、一つの小さな手鏡を取りだした。


その手鏡を刹那に向かって投げ、難なくそれを受け取る刹那。


「・・・確かに・・・それじゃ俺は、事の成り行きを見守る事にしよう・・・」


受け取った手鏡を観察して、それが自分の求めていた物だと判断した刹那は、神威にそう告げると背中を向けた。


「・・・一つ聞いても良いですか?」


その場から立ち去ろうとする刹那に向かって、不意に神威が声を掛けた。


「・・・なんだ?」


神威の呼び止めに対し、その場で立ち止まった刹那は、肩越しに神威を見やる。


「やり方や結果はどうであれ・・・拙と貴殿が目指す所は一緒・・・それなら、拙に全てを託すべき・・・と思うのですが?」


「・・・一つ、忠告しておこう・・・どんな事にでも、不確定要素という物が存在する・・・確かに、あんたの本体が復活すれば、それは俺の目的と同じ・・・だがそれでも、俺は俺のやり方でやるだけだ・・・」


「・・・そうですか。解りました・・・ですが、拙との約束・・・拙等の封印が解ける暁には、拙との心躍る一時を・・・」


「フッ・・・それは構わんが、それでもし俺が勝ったら、封印は解けないんだぜ?」


神威の言葉を聞いて、困った様な表情で苦笑しながら、刹那がそう告げた


「フフ・・・前にも言いましたが・・・拙は、拙等の封印を解く事になど、それほど興味は無いのですよ。愉しければ、それだけで拙は満足なのです・・・ただ他の首の方々がうるさいもので・・・」


それに対し神威は、愉しそうに笑いながら、刹那にそう告げた。


「そうかい・・・それじゃ、あんたの健闘を祈ってるぜ。」


「えぇ・・・またお逢いしましょう・・・次が在れば・・・」


「・・・次が在れば・・・な。」


神威に向かって、刹那がそう呟くと、周りに黒いモヤが現れ、刹那の体を包み込み始める。


そのモヤが消え去ると、すでに刹那の姿は無かった。


一人取り残された神威は、先程刹那が放り投げた数珠を取り上げ、苦笑を浮かべながら、辺りに散乱する死体の山を見回す。


「・・・やれやれ・・・少しはしゃぎ過ぎましたね。これでは、誰が誰だか解りません・・・刹那さんに、他の明王珠を探すのを、手伝って貰えば良かったかもしれませんね。」


そう言って神威は、自分の記憶を頼りに、倒した明王衆の死体を探し始めた。


「・・・遂に、始めおったか・・・」


洞窟の入り口当たりに腰掛けた、一人の年老いた老人は、とても残念そうに呟いた。


白く長い髭が印象的な老人。


髪の毛のない変わりに、額には黒い石が埋め込まれており、その石が淡い光を放っていた。


「・・・翁。ただいま戻りました。」


不意に聞こえてきた声に、翁と呼ばれた老人は、声が聞こえてきた方へと顔を向けた。


翁の視線の先には、猛禽類を思わせる顔と、同じく背中に羽根を生やした人型の妖怪が立っていた。


「早かったのぉ~・・・で、どうじゃった?鳳・・・」


「はい・・・各地に点在する、我等酉以外の十二支の神獣族、その生き残り六種との接触を終え・・・行方不明一種の所在も判明しました・・・」


「・・・そうか。すまんのぉ、こんな雑務を押しつけてしまって・・・」


鳳と呼ばれた妖怪の言葉を聞いて、心底すまなさそうにそう答える翁。


「いえ・・・翁の命とあらば・・・」


「すまんのぉ・・・それで、他の神獣族の長達はなんと?」


「はい・・・子族と卯族・・・それから午族と亥族は、快く翁の申し出を承諾してくれました・・・それから戌族は、黒炎殿の事を聞いて、いつでも馳せ参じるとの事です・・・」


「・・・そうか。」


「しかし・・・やはり巳族は、相手が相手だけに、困惑している様子でした・・・恐らく、同盟には参加しないと思われます・・・」


「・・・そうか・・・それも仕方の無い事かもしれんのぉ・・・」


続く鳳の言葉に対し、翁は顔を伏せて、残念そうに呟いた。


「・・・それで、儂でも所在が解らなかった、辰族は今何処に居るのじゃ?」


それまで残念そうにしていた翁だったが、すぐに気を取り直して、顔を上げて鳳に質問する。


「はい・・・行方不明種、辰族の生き残りは・・・もう百年も前に、大陸に渡ったと思われます・・・」


「・・・やはりそうか・・・儂の千里眼は、異国の事まで視る事は出来んからのぉ~」


「はい・・・同じ十二支の一族として残念です・・・しかし辰族も・・・巳族同様、相手が相手だけに・・・戦えないと思われます・・・」


「解っておるよ・・・それは仕方の無い事じゃ・・・同族に弓を引けと言っておる様なものじゃしなぁ・・・誰も彼等を責める事は出来んよ・・・」


「・・・そうですね。」


残念そうに二人がそう呟くと、それを機に沈黙が二人の間に横たわった。


「・・・それで翁、これからいかが致しましょうか・・・」


不意に沈黙を破った鳳は、そう言って翁に声を掛けた。


「ふむ・・・仮に集まるとして、どれだけの数が集結するかのぉ?」


「・・・我等十二支の神獣の総力は、およそ五十・・・眷属を集めても、二百程かと・・・」


「・・・そうか。もし封印が解けてしまったら、勝算は少ないのぉ・・・」


「翁・・・今我等が攻めれば、十二分に勝算はあります。」


弱気な翁に対して、鳳が強くそう進言する。


だが翁は、顔を伏せると、無言のまま顔を横に振って答えた。


「・・・今儂等が動けば、奴も動くじゃろうて・・・虚無の一族・・・お主とて知っておろう・・・あの一族の最後の生き残りの力に魅入られし者達が、続々と集まっている今、儂等が動けばその者達との衝突は避けられん・・・」


「しかし・・・このままでは・・・」


「・・・刹那が真に望んでおるのが何なのか、それは儂にもわからん・・・じゃが、一つ言える事は・・・あの者は、たった一人の人間に何かを望んでおるんじゃ・・・それを邪魔すると言う事は、あの者に牙を剥くも同じ・・・」


翁のその言葉を聞いて、鳳は押し黙るしかなかった。


「・・・歯がゆいのぉ・・・この世を飲み込もうとする者の復活が、刻一刻と迫っておると言うのに・・・それを解っておっても、見守ることしか出来んとは・・・」


「・・・そうですね。」


「じゃが、儂等には儂等にしか出来ん事が、まだ残されておる・・・行ってくれるな?」


「・・・はい。」


バサ・・・


翁の言葉に、鳳がそう呟くと、その背中の翼を大きく広げた。


「すまんな・・・頼んだぞ鳳・・・江戸へと向かい、軍荼利明王珠元継承者、十一代目『水蓮』殿の元へと・・・」


「・・・解っております。人と妖怪・・・今は争っている場合では無いと言う事は・・・」


バサッ!バサッ!


その言葉を最後に、鳳は天高く飛翔した。


「・・・頼んだぞ。」


江戸を目指して飛び立った鳳を見送った翁は、一言そう呟くと、顔を西へと向ける。


「・・・鍵は、全て揃っておるんじゃ・・・後は、お主次第じゃぞ・・・宝仙・・・」


「・・・お久しぶりです・・・麗姫様。」


「ホッホッホ・・・ちと見ない内に、随分と大きくなったのぉ~真夜・・・」


通された部屋の中で、真夜と麗姫は向かい合い、笑い合いながら挨拶を交わした。


「・・・それとも、因達羅殿とお呼びした方がええかのぉ?」


「そ、そんな・・・私など、前任の方に比べればまだまだですよ・・・」


不意の麗姫の一言に、真夜は照れた様な仕草でそう答えた。


「もっと自分に、自信を持ちなさい・・・お主の力が認められたからこそ、今のお主が居るのじゃ・・・じゃが、志は高く持つものじゃぞ?今のままで満足するのも良いが・・・その先を切り開く事が出来るかは、お主の力次第じゃて。」


「・・・はい。」


ゆっくりと諭す様に紡がれる、麗姫の言葉を聞いて、真夜ははにかみながらも、嬉しそうにそう答えた。


「・・・しかし、就任早々こんな雑務を、真夜に押しつける事も無いじゃろうに・・・」


そう言って麗姫は、ちょうど二人の間に置かれていた手紙を、手に取りながらそう呟いた。


「それは違いますよ。私が申し出たんです・・・前任の因達羅様が亡くなられて、まだ日も経っていないし・・・本当なら、私以外の方が襲名する筈だったのに、私が襲名してしまって・・・皆さんに認めて貰う為にも、どんな小さな事でも引き受けようと思って。」


「・・・そうかそうか。」


慌てて取り繕う真夜を、麗姫は優しい笑みを浮かべて、そう呟いた。


「・・・しかし・・・話は聞いておったが、実際ここまで酷いとわのぉ・・・」


不意に麗姫は、手に取った手紙に視線を落とすと、内容を確認しながらそう呟いた。


「・・・はい。もうすでに、八十余人もの犠牲者が出ています・・・」


「・・・解った。この度の要請・・・引き受け・・・」


ドタドタドタドタッ!!


不意に、慌ただしい足音が聞こえてくると、麗姫は言いかけた言葉を飲み込んだ。


不審に思った二人は、会話を中断すると、廊下へと繋がる障子へと顔を向けた。


ガラガラッ!!


次いで、勢いよく開かれた障子から、まだ若い坊主が一人、肩で息をしながら部屋の中へと入ってくる。


「どうしたのじゃ?」


入ってきた坊主に向かって、麗姫はそう聞いてみる。


「た・・・大変です!今しがた、桜様の式紙がやって来たのですが・・・」


そう言って坊主は、麗姫に向かって紙切れを差し出した。


それを受け取り、そこに書かれている内容を見て、麗姫は驚愕の表情を浮かべた。


「・・・なんと・・・」


「麗姫様・・・どうしたんですか?」


目の見えない真夜だったが、麗姫の声色から、ただ事でない事を察し、麗姫に声を掛けた。


「・・・本山が・・・壊滅した・・・」


「え・・・?」


目を伏せて、顔を俯かせて、麗姫はそう呟いた。


それに対し真夜は、信じられないといった感じで、驚きの呟きを漏らした。


「桜によると・・・全滅じゃそうだ・・・襲ってきたのは一人じゃが、その他にももう一体居るようじゃ・・・それも、今回の事件の首謀者と目されるとの事・・・生存者は、桜と悠の二人のみ・・・」


「そんな・・・それでお二人は?」


「・・・出雲に向かうとの事じゃ・・・今回の事件、どうやらとてつもない何かが、動き出したようじゃな・・・」


重苦しく、麗姫がそう語り終わるや、真夜は立ち上がった。


「私も・・・出雲に向かいます。」


「・・・行ってどうする?相手は本山を、たった一人で壊滅させた化け物じゃ・・・お主一人加わったとて、勝ち目が無い事は明白・・・」


「ですが!!」


「機会を待てと言っておるのじゃ!勇敢と無謀は違う・・・耐える事も大事な事じゃぞ・・・」


「ッ・・・解りました。」


麗姫にそう言われ、真夜は渋々座り直した。


「・・・いかが致しますか・・・麗姫様。」


それまで、事の成り行きを見守っていた坊主が、不意に麗姫に声を掛けた。


「・・・うむ。すぐ皆を本殿へと集めておくれ・・・」


「かしこまりました。」


それだけ答えて、坊主は部屋から出ていった。


「・・・さて、これから忙しくなりそうじゃのぉ・・・うん?」


麗姫がそう呟いたかと思うと、不意に顔を窓へと向けた。


「・・・麗姫様。」


真夜もまた、何かを感じ取りそう呟くと、麗姫は頷いてみせる。


暫くの沈黙の後、真夜は窓へと近づき、おもむろに障子に手を添えた。


そして、意を決して窓の障子を開け放つと、そこには一匹の鷹が、木の枝に留まっていた。


「真夜・・・大丈夫じゃよ・・・お主、何者じゃ?」


油断無く構える真夜を制して、木の枝に留まっている鷹に、麗姫は声を掛けた。


すると鷹は、木の枝から飛び立つと、窓枠へと場所を移した。


「・・・突然の訪問の無礼をお詫びする。我が名は鳳、東側の妖怪を束ねる翁殿よりの使者・・・」


「・・・その使者が、儂等に何用じゃ?」


「・・・貴殿と我等と・・・同盟を結びたい所存です・・・」


「なっ?!」


突拍子もない鷹の言葉に、真夜は思わず驚きの声を漏らした。


だが麗姫は、まるでそう言われる事が解っていたかの様に、全く動じた様子はなかった。


「・・・やれやれ・・・今回の件を聞いて、よもやとは思っておったが・・・封印が解けようとしておるのじゃな?」


「・・・封印?」


麗姫の言葉を聞いて、真夜が不思議そうに聞き返した。


「・・・いかにも。人と妖・・・双方の驚異・・・八岐大蛇の首の一つが、復活しました・・・そして、今回西側で起きた事件は、その首が本体を復活させる為の儀式の為に行った所業・・・」


「ッ!!」


鳳の言葉を聞いて、真夜は息を飲んで、鳳に顔を向けた。


一方の麗姫は、顔を伏せながら、深いため息を吐いた。


「・・・やはりそうか・・・一つの可能性でしかなかったんじゃがのぉ・・・鳳とやら、西の長に伝えておくれ・・・確かに承知したと。」


「・・・承知しました。」


鳳がそう呟くと同時に、麗姫は立ち上がった。


「・・・善は急げじゃ・・・そうとなれば、各宗派に使いを出そう。それから、幕府にも兵を挙げて貰わねばならぬのぉ・・・その位の前貸しは、してあるしな・・・たった二人で向かった、桜と悠の事も気がかりじゃ・・・」


そう言いながら、麗姫は部屋を出ようする。


「・・・それについては、こちらに一つ情報があります。」


そんな麗姫を呼び止めるかの様に、鳳は声を掛けた。


それに対し麗姫は、障子に掛けた手を止めて、鳳に向き直った。


「出雲の地・・・そこに向かっている者は、他にも居ます・・・そしてその者こそ、今回の件を収拾させる事が出来るやもしれぬ、たった一人の男・・・」


「・・・宝仙か?」


麗姫の呟きに、鳳は静かに頷いた。


「・・・そうか・・・そうか・・・つまり儂等の同盟は、宝仙が敗れた時の為の同盟・・・と言う事か・・・」


重苦しくそう呟く麗姫は、部屋の中から出雲の方角へと顔を向けるのだった。


手頃な岩の上に腰掛けた俺は、愛用の煙管を吸いながら、月夜を眺めていた。


めんどうな任命式から、ようやく解放され、肩の荷が下りた気分だ。


正直な所、任命式など放っておこうとも思っていたが、ある人物に強く言われ仕方なくっと言った所だった。


「・・・こんな所に居たのか・・・この穀潰しが。」


不意に聞こえてきた声に、そちらを見やると、そこには左目に眼帯をした、年の頃二十代後半程の女が、呆れた顔で俺を見ていた。


「・・・あぁ・・・あんたか。」


その者こそ、俺に任命式に出ろと言った張本人、孔雀明王珠現継承者、第九代目『綾』魅鈴だった。


見かけこそ二十代後半程だが、これでも実年齢は百を超える。


本人曰く、大陸に伝わる気孔とか言う技を使って、自身の体を若く保っているとの事だ。


そして左目の眼帯・・・彼女の左目は『水晶眼』と呼ばれるもので、その瞳は今だけでなく、過去や未来すら見透かす力を持っている。


正に妖怪ババァと言う言葉が相応しい女だ。


「さっきの言動は何だ・・・全く・・・こんな所で煙管など呑んでいる場合か?」


そう言いながら近づいて来る魅鈴を、一瞥してからまた月夜に視線を向ける。


「フン・・・俺を利用したいだけの奴等の為に、使ってやる力など無い。俺はもう、飼うのも飼われるのも御免だ・・・」


それだけ呟くと俺は、口に銜えた煙管の紫煙を、肺一杯に吸い込む。


俺が正式に『宝仙』の称号を受け継ぐ為の任命式で、最長老は俺に服従を誓えと吠ざき出した。


だから俺は、そんな最長老に向かって『寝言は寝て言え』と言ってやった。


それを聞いた最長老は、茹で蛸の様に顔を真っ赤にさせて、辺り構わず暴言を吐き始めた。


「・・・少しは老人を労れ。」


魅鈴がため息を吐いて、そう言ってくるが、労るべき老人くらい選ばせて貰いたいものだ。。


「まぁ・・・面白かったから良いがな。」


不意にそう言われ、魅鈴を見てみると、笑いを堪えているのが解った。


そんな彼女に俺も、おもわず苦笑してしまう。


「・・・なぁ。」


「・・・うん?」


「何故妖怪は・・・人と同じ生物なのに、人より優れた・・・いや、驚異的な身体能力を持っているか・・・あんたなら解るんじゃないのか?」


それは、俺が本山にやってきて間もなく抱いた疑問。


いくら妖怪が、人より優れた身体能力を持っていたとしても、風の抵抗やその他の要因の所為で、音の速度を超える事や、自分の体重の何百倍もある物を、持ち上げる事など不可能なはず。


なのに、高位の妖怪になればなる程、そんな事は当たり前の様にやってのける。


妖怪だからと言えば、そうなのだろうが・・・果たしてそれで納得出来るかと聞かれれば、間違いなく納得出来ない。


だからといって、明確な答えが在るのかと言えば、そんな物はやはり無い。


だからこそか、俺自身答えを導き出したく、魅鈴にそう質問した。


すると魅鈴は、一瞬驚いた様な顔を見せると、すぐに笑顔を向けてきた。


「やはり・・・と言うか、何と言うか・・・その齢にして、その疑問にぶち当たるとはな。」


「・・・それじゃ、やはり理由があるんだな?」


魅鈴の言葉を聞いて、俺の中での疑問が確信へと変わった。


そんな俺に魅鈴は、一つ頷くと真剣な表情で俺を見つめてくる。


「現明王衆の中で、それに気が付いた者は・・・妾と光隆の二人のみ・・・妖怪自身、それが当たり前過ぎて、その事に気が付いている者は少ないだろう・・・それも皆『だから』で済ませ、『なのに』と思わないからだ。だが、それに疑問を抱いたおまえは『踏み越えし者』の資格を得たと言うことだ・・・」


「・・・『踏み越えし者』?」


「そう・・・人の領域を踏み越えし者・・・おまえはその内、疑問の答えを導き出すだろう・・・だから今の内に悩め。」


そう最後に笑いながら言われ、俺はため息を一つ吐いた。


「・・・そこまで言っておいて、結局確信には触れずか・・・」


「フフフ・・・甘えるな。自分自身で答えを導き出すことに意味が在る・・・違うか?」


「あぁ・・・そうだな。もう少し考えてみる事にするよ。」


俺がそう答えると魅鈴は、笑いを堪えるかの様に、苦笑を浮かべる。


「・・・おまえのそういう素直な所・・・妾は好きだぞ。」


「・・・喜んで良いのか解らないな・・・」


「フッ・・・素直に喜んでいれば良いだろう・・・」


そう呟いて、魅鈴は懐から何かを取りだし、俺に向かって放り投げた。


放物線を描きながら、向かってくる物を右手で受け取った俺は、それが何なのかを確認する為、手を開いて受け取った物を見てみた。


「ここを去るおまえに・・・妾からの餞別だ。」


「これは・・・」


それは小さな球が付いた、女物の耳飾りだった。


「・・・何のつもりだ。」


受け取った物を確認した俺は、魅鈴を睨み付けながらそう訪ねた。


俺が受け取った物、それは彼女が『綾』と名乗る上で、必要不可欠な孔雀明王珠そのものだった。


俺の質問に対し魅鈴は、自嘲気味に笑ったかと思うと、星輝く月夜を仰いだ。


「・・・今、この山で・・・静かながら熾烈な争いが起こっている・・・排斥派と共存派のな・・・」


それは俺も解っている事だが、それとこれとどう関係が在るのか、俺には見当も付かない。


「今までは、それなりに均衡が取れていたが・・・痺れを切らした爺さんが、共存派の筆頭である妾を、明王衆から外そうとしているのは知っているだろう。」


「・・・あぁ。」


「だが妾がそうそう簡単に、あの爺さんの思惑に乗ると思うか?」


そう言って、どこか楽しんでいる様な笑みを浮かべて、俺に顔を向けてくる魅鈴。


「フッ・・・あんたらしいな・・・だが、何故俺だ?俺ではこれは使えないし、何よりこんな事をすれば、あんたの身も危うい・・・第一こんな事をして、あんたに何の得がある?」


「フゥ・・・質問の多い男だな。別に麗姫でも良いんだが、それでは麗姫の身も危険だ・・・光隆はあんな性格だからな・・・若い娘に貢がんとも限らんし。巌は頑固だからな・・・」


「なら、桜はどうだ?あいつならもしかすれば、使えるかもしれん・・・」


不意に思い浮かんだ女の名前を出して、再度魅鈴に聞いてみる。


「・・・あの子は我が強い所があるからな。」


「預けるだけなら、別に誰でも構わんだろに・・・」


何かと不満の多い魅鈴に呆れながら、俺はそう呟いた。


「・・・おまえでなければ駄目なんだよ・・・それがおまえにとっては、鍵になるからな。」


「・・・鍵?どういう意味だ。」


「時が来れば解るさ・・・」


魅鈴の言葉に疑問を感じた俺は、孔雀明王珠に視線を落としながら、魅鈴に向かって聞き返すが、当の魅鈴は答えをはぐらかせるだけだった。


しかし、魅鈴の口振りから考えれば、彼女の水晶眼が、俺の行く末を捉えたのだろう事は解った。


自分の行く末など知りたくもない俺は、それ以上この明王珠の事について、彼女に聞くのは止める事にした。


「それをおまえに託す上で、妾から一つ願いがある・・・」


「・・・改まって何だよ。」


俺がそう聞き返すと、いつになく真剣な表情で、俺を見つめてくる魅鈴。


「・・・汝、全ての不義に、鉄槌を下す暴君で在れ・・それが妾の願いだ。」


いきなりそんな突拍子もない事を言われ、俺は思わず目を丸くして彼女を見つめる。


そしてすぐに苦笑を浮かべながら、魅鈴に向かって肩を透かして見せた俺は、受け取った明王珠を懐に仕舞い込んだ。


「・・・それから、妾の身の心配なら必要無い・・・」


不意にそう言われ、魅鈴を見てみると、二の腕を俺に向けている彼女の姿が、目に飛び込んできた。


「・・・その腕・・・」


魅鈴の腕を見た俺は、少なからず驚きを感じた。


齢百を超える魅鈴だが、その姿は二十代後半程の容姿を保っている。


だが魅鈴が俺に見せているその腕は、骨と皮だけで、枯れ木の様な腕になっていた。


彼女の実年齢から考えれば、それが普通なのだろうが、普段の姿を見慣れた者は、驚かずにはいられないだろう。


「・・・もう姿を保つ事が出来なくなった・・・妾も寿命だ・・・そう長くは保たないだろう。」


悟りきった様な呟きの後、二の腕を隠した魅鈴は、苦笑を浮かべながら肩を透かした。


「だから妾の心配は無用だ・・・もう十分生きた。そろそろ頃合いだろう・・・」


「・・・それで、あんたはこれからどうするつもりだ?」


俺がそう聞くと、魅鈴はまた月夜を仰いだ。


「・・・猫は、自分の死体を見られない様に、死を悟ると去ると言われているな・・・」


「・・・そうか。」


その言葉で、これから彼女がどんな行動を取るのか、何となく想像出来た俺は、静かにそう呟いた。


「麗姫には、全て話してある・・・何かあればきっと力になってくれるさ。」


そう言って魅鈴は、俺に背中を向けてくる。


「・・・行くのか。」


「あぁ・・・もう二度と、皆に会え無いと思うと、少し寂しいが・・・さらばだ宝仙。汝に孔雀の加護があらん事を・・・」


そう言って、魅鈴はその場を立ち去るべく歩き出した。


「・・・さらば・・・九代目『綾』魅鈴殿・・・」


俺は俺で、立ち去る彼女の背中を、見えなくなるまで見送った。


・・・夢・・・か。


一気に覚醒していく意識の中、心の中でそう呟いた。


・・・懐かしい夢を見たな・・・


魅鈴と最後に話した夜の出来事、俺に孔雀明王珠を預け、自分の寿命を悟って、彼女が去っていった日の出来事。


「・・・ん・・・」


すぐ近くから、かすかに漏れた声を聞いて、顔をそちらに向けると、いつの間にか聖が、俺の腕を掻き抱える様にして眠っていた。


・・・この所為で、あんな夢を見たのかも・・・な。


不意にそんな事を考え、苦笑を浮かべながらも、聖が起きない様に気を遣いながら、俺は起きあがった。


「・・・んぅ・・・」


不意にまた漏れた声に、聖の表情を伺うと、眉に皺を寄せているのが解った。


何か怖い夢でも見ているのか・・・


俺は、出来るだけ慎重に、聖に掛け布団を掛けてやると、寝間着のまま部屋を出た。


そのまま廊下を歩き、宿の玄関から外へと出る。


外は、まだ完全に日も昇っていない為、辺り一面仄暗く、とても静かだ。


しかし、こんなに早く目が覚める事は滅多にないので、なかなか新鮮な気分だ。


なので、探索がてら宿屋の周囲を散歩する事にした。


「・・・人と妖怪・・・その境界線を踏み越えし者・・・か・・・」


それは、俺が本山に居た頃感じていた疑問。


あの頃は、全く答えを出す事は出来なかったが、今の俺ならば答える事が出来る。


妖怪もまた、人間と同じ生き物である以上、色々なしがらみに捕らわれて、光の如く早さで行動する事や、百貫以上有る物を動かす事は、まず不可能と言っていい。


だが、高位の妖怪になればなる程、その程度の芸当で済んでしまうのが実状だ。


では何故、そんな芸当が早々簡単に出来てしまうのか・・・人と妖怪の違いとは、一体何なのか・・・


その答えは一つ、『妖気』だ。


もし仮に、妖怪は自身の妖気を、身体能力に上乗せする事が出来るとしたら・・・


そしてそれが、彼等にとっては、呼吸をする事と同じくらいに、自然に出来る事だとしたら・・・


そして、元々妖気は、微弱ながら自然界にも存在している。


もし・・・妖怪の妖気と、自然界に存在する妖気が、何らかの力で、反発し合ったり、引き寄せ合ったり、相互干渉するのだとしたら・・・


そう考えれば、高位と呼ばれる妖怪達が、理屈をねじ曲げた動きや力を、発揮出来る事にも納得出来る。


しかし、そう考えると、そこにある一つの可能性が生まれてくる。


人間は、全てとは言えないが、霊気を持って生まれてくる者が居る。


少しの差は出るが、修行をすれば身につける事も可能・・・


ならば、妖怪の様にその霊気を、身体能力に上乗せする事は、果たして不可能なのか・・・


常に意識して、霊気を体の表面にまとわりつかせ、強制的に身体能力を強化する事は、果たして不可能なのか・・・


妖気同様、霊気もまた微量ながら、自然界に存在する。


ならば・・・人の霊気と自然界の霊気を、反発させ合ったり、引き合わせたり、相互干渉させる事は、果たして不可能なのか・・・


その答えは『可能』・・・


少し前に、京の都で起こった辻斬り騒ぎ、その下手人の榊という男と戦った時、俺は音の壁を超えた。


もっとも、俺自身あそこまで早く動けるとは、予想してはいなかったが・・・


それもこれも、武神流六芸一之奥義『九字桜花斬』との併用のお陰と言える。


元々、九字桜花斬は斬り返し毎に、速度を上げる技だ。


一撃目の抜刀術は、相手を斬り着けると同時に、相手の周りを真空状態にする事で、相手の後ろに回り込む時の、空気抵抗を抑えるという思惑がある。


それにより、二撃目へ移行する際、少しでも早く後ろに回り込む事が出来る。


本来の技の速度と、俺の考えを元に編み出した・・・仮に『霊鎧』とでも呼ぶ技の二つの要素によって、俺はあの時確かに、人の領域を踏み越えた。


つまりは俺も、魅鈴や光隆が立っていた場所に、立つ事が出来たという訳だ。


・・・しかし・・・


「・・・なんで、今頃あんな夢を・・・」


確かに、魅鈴や麗姫、巌や光隆には、本山に居た頃色々世話になった。


だがそれでも俺にとっては、本山は居心地の良かった場所ではない。


本山に居るほとんどの者は、俺の事を良く思ってなど居なかった。


それこそ、色々な嫌がらせを受けたし、最長老に至っては、俺を暗殺しようとさえ企てた事がある程だ。


なので、あの頃の事を、夢で見るなんて事は、思い出しでもしない限り無い。


昨日は特に、本山に居た頃の事を思い出す様な事も無かったので、どうも腑に落ちない。


・・・いや、これ以上考えても埒があかないな。


このまま自問自答した所で、意味も無い気がしてきたので、思考を切り替える事にした。


京を出てから二十日・・・俺達は、昨日ようやく出雲に着いた。


相変わらず裏街道を通っていた俺達だったが、出雲への道中、聖の修行も平行して行っていた。


その甲斐あって、聖もようやく鬼神の使役に成功し、これからはいちいち服を破る心配も無くなった。


まぁ・・・それだけでも収穫と言えば収穫なんだが・・・


裏街道と言う事もあり、その道中あまり人とすれ違わない。


更に、茶店もそう無いので、出雲についての情報がなかなか手に入らなかった。


その為、今西側で起きている事件を知ったのは、二日程前の事だった。


今西側を中心に起こっている、連続殺人事件。


奇妙な事に、高位の僧ばかりを狙っており、被害者の数はゆうに五十を超えるとの事だ。


出雲の情報とは少し違うが、気になる情報だ。


噂では妖怪の仕業とも囁かれているが、人の所業である可能性もある。


これがもし、刹那の仕業だとするなら、今のところ何を考えているのか全く解らない。


それに違っていたとしたら、一応高僧の俺の身も危ないだろう。


まぁそうなれば、噂の真相や背景が見えてくるので、俺としても願ったりだ。


ようやく見つけた刹那の手がかり・・・可能性が残っている限り、見過ごす訳にはいかない。


情報を一つ一つ確認し、その先に居るだろう刹那の元へと、俺は必ず辿り着いてみせる・・・


今の俺には、こんな事しか出来ないのが、少し情けないが・・・やるしかない。


「・・・戻るか。」


暫く、考え事をしながら、宿屋の周囲を散歩していた俺は、不意にそう呟いた。


見れば朝日も、大分昇り明るくなった。


そろそろ戻って、ここを発つ準出をした方が良いだろう。


出雲に着いてからどうするか、まだ考えていなかったが、それは道すがら考えればいい。


とりあえずは、斐伊川でも目指してみるか・・・


そんな事を思い、俺は宿屋へと戻った。


出雲に着いて、一夜が明けた。


神々の還る地、出雲・・・


八百万の神様たちが、神無月になると、ここ出雲の地に帰って来るという。


だから、出雲では神無月の事を、神有月って呼ぶんだって。


それだけじゃなくって、ここはとっても神聖な場所で、色々な神話の舞台にもなってる。


そんな神聖な場所でも、御坊様の連続殺人は起こってる・・・


師匠が言うには、そんな神聖な場所だからこそ、他の地よりも高僧が多くて、狙われるのは当たり前だって。


つまり私たちも、いつ襲われてもおかしくないのに、危険を顧みずここにやってきた。


「・・・師匠。」


「うん?」


「・・・これから、どこに向かうんですか?」


少し不安を感じながらも、私は隣を歩く師匠に声を掛けた。


「あぁ・・・斐伊川でも目指そうと思ってな。」


「斐伊川?」


「あぁ・・・とりあえず、上流でも目指してみようと思ってな。」


「・・・何があるんですか?」


「その上流で、須佐之男命が八岐大蛇を倒したとされている・・・ま、折角の出雲だし、観光の一つでもしておくかと思ってな・・・」


「・・・観光・・・って・・・」


こともなげにそう言う師匠の言葉を聞いて、さすがに私も驚いてしまう。


いつもの事だけど・・・師匠が何を考えているのか、私にはさっぱり解らない。


もしかしたら、次に狙われるのは、私たちかもしれないって言うのに・・・


「・・・襲われたら襲われたで、返り討ちにするまでだ。」


不意に、師匠が私に視線を向けると、私が何を考えていたのか解ったのか、こともなげにそう言ってくる。


「で、でも・・・」


「それに、こっちにも聞きたい事があるしな・・・」


独白する様に、師匠がそう呟くのを聞いて、なんとなく師匠の目的が解った気がした。


もしかしたら師匠・・・今回の件に刹那さんが関わってるって、思ってるのかな・・・


師匠が旅を続ける理由・・・きっと師匠の一番大事な人・・・静菜さん・・・


その静菜さんと、双子として生まれるはずだった、魂だけの存在・・・刹那さん。


きっと・・・静菜さんの体を乗っ取った、刹那さんを探して、師匠はここまでやって来た・・・


でも、まったく手がかりがないから、その手がかりを探して、どんなに小さな出来事でも、しらみ潰しに探すしかないんだ・・・


私に・・・入り込む余地なんてあるのかな・・・


師匠を想う気持ちなら、誰にも負けない位、私は師匠の事が好き・・・


でも・・・


「・・・師匠?」


不意に、今まで隣を歩いていた師匠が、立ち止まったのに気が付いて、私も立ち止まり師匠を見上げた。


すると師匠は、厳しい目つきで、辺りを警戒している様子だった。


・・・まさか!


その師匠の行動で、近くに何か潜んでるんじゃないかと思い、私も辺りを見回した。


もしかしたら、御坊様ばかりを狙った、連続殺人の犯人が居るのかもしれない。


そう思った私は、手にした錫杖を握りしめて、腰を低くして構えた。


「・・・桜か。」


「え?」


暫くして師匠が、不意にそう呟いた。


チチチチ・・・


そして、道沿いに生えた一本の木に、白いスズメが留まってさえずりだした。


「・・・まさか本当に、出雲に来ているなんてね・・・ご苦労様、戻っておいで。」


バササササ・・・


そして、私たちの後ろから聞こえてきた声の後、木に留まっていたスズメが飛びたち、私たちの頭上を通り過ぎていった。


そのスズメを目で追いながら、後ろを振り返った私は、頭巾を目元まで被った女の人を見つけた。


「桜さん!!」


突然の登場に驚きながら、私は桜さんに駆け寄った。


「・・・久しぶりね、聖さん。」


それに対して桜さんは、口元だけで笑みを浮かべて、私の名前を呼んだ。


「・・・突然だけど、宝仙君の力を借りたいの・・・お願い、私と一緒に来て。」


けどすぐに、口元をきつく結ぶと、真剣な声音でそう切り出してくる。


いきなりで戸惑いを感じた私は、後ろを振り返って師匠を見てみる。


見ると師匠は、黙って私たちの元まで歩いて来る所だった。


それを同意と判断したのか、桜さんは踵を返して歩き出した。


それに付いていく師匠の後に、私も並んで歩き出した。


・・・あ・・・桜さんに・・・巴さんの事言わなくっちゃ・・・


不意に思い出した、巴さんとの出来事。


桜さんにまた会ったら、伝えようと思っていた事・・・


巴さんの親友・・・桜さんに・・・私が巴さんを手に掛けてしまった事を・・・


どんな理由があれ、私が巴さんを、手に掛けた事実は変わらない・・・


だからこそ・・・許してもらえなくても・・・憎まれようとも・・・私が・・・私の言葉で、桜さんに話さないといけない気がした。


「あ、あの・・・桜さん・・・」


意を決した私は、前を歩く桜さんに声を掛けた。


「うん?何かしら。」


「私・・・巴さんに会いました・・・」


「え?あぁ・・・そう。」


私の言葉に対して桜さんは、一瞬驚いた様な声の後、寂しそうに俯いて、重苦しいくらいに沈んでしまった。


その態度から、もしかしたら桜さんは、巴さんと巌さんの事を、もう知ってるんじゃないかと思った。


「そ、それで・・・私・・・巴さんの事を・・・」


「巌は死んだ・・・巴も・・・俺が殺した様なものだ。」


突然師匠が、私の言葉を遮って、静かにそう呟いた。


「え?!」


さすがに桜さんも、師匠の言葉に驚いて、その場で立ち止まると振り返ってくる。


「師匠・・・」


「・・・詳しく・・・教えて・・・」


震える声で、私たちに向かってそう聞いてくる桜さん。


「・・・はい・・・」


そんな桜さんに私は、頷いてから、事の成り行きを説明し始めた。


「・・・そう・・・そんな事があったの・・・」


「・・・はい。すいません・・・」


桜に巴と巌の事を説明しながら、俺達は森の中を歩いていた。


「・・・なんで聖さんが謝るの?」


「だって・・・私・・・」


「きっと、巴は感謝してるわ・・・私がお礼を言わないといけない位よ。ありがとう・・・巴を救ってくれて・・・」


「桜さん・・・」


「私が宝仙君と同じ立場だったら、きっと同じ事をしたわ・・・だから・・・もう謝らないで。」


「ッ・・・はい・・・」


桜の言葉を聞いて、肩を戦慄かせながら、涙を堪えている聖の頭に、俺は手を置いた。


恐らく聖は、巴の事を桜に話して、恨まれると思っていたのだろう。


だが逆に桜は、聖を恨むどころか礼を述べた。


それが聖にとっても、救いの言葉になっただろう。


むせび泣く聖の頭を、軽く何度か叩いた後、聖の頭から手をどかした。


「・・・それで、俺の力が必要だという件だが・・・」


暫くの沈黙の後、俺は前を歩く桜に声を掛けた。


「・・・それは、とりあえずあの中で話しましょう。」


そう言って桜は、前方に見えてきた山小屋を指さした。


「あ、一応その神獣・・・えっと、クロ・・・だったかしら・・・少しの間、隠れててもらえる?」


「あ・・・解りました。クロ・・・」


桜の言葉に従って、クロに声を掛ける聖。


それに同意したクロは、手頃な木の上に登り、姿を隠した。


そして俺達は、桜に示された山小屋へと入った。


「・・・今戻ったわ。」


山小屋に入るなり、中で待っていた人物に向かって、桜はそう告げた。


・・・誰だ?


その人物は、俺と同じくらいの、僧服を纏った見知らぬ若い男だった。


僧服から覗かせた腕や足には、包帯が巻かれており、少なからず軽傷とは言えない状態だ。


「・・・紹介するわ。不動明王珠現継承者『火蛇』悠君よ・・・」


「初めまして・・・あんたの噂は、かねがね聞いてるよ。」


桜に紹介された悠は、俺に対して敵意をむき出しのまま、挨拶をしてくる。


・・・そうか・・・こいつが巌の後継者か・・・


「・・・初めまして、聖と申します。」


むせび泣いて少し落ち着いたのか、悠に向かって会釈をしてそう言う聖。


「・・・それで、なんで明王衆が二人もこの地に居る?」


挨拶もそこそこに・・・っと言うよりも、敵意をむき出しの奴と挨拶するつもりは無いが、桜に話の先を促した。


「・・・えぇ、その前に・・・聖さん。孔雀明王珠は、使える用になったの?」


「あ、はい。」


「そう・・・なら彼の治療をお願い出来るかしら?」


「わかりました!」


桜の申し出を素直に受け入れた聖は、元気良く返事をしてから、悠の傍らに座り込んだ。


「・・・それで?」


聖が悠の治療を始めた所で、俺はもう一度桜に訪ねた。


「・・・落ち着いて聞いてね・・・」


聖の事を気にしながら、桜は小声で俺に耳打ちしてくる。


「本山が、壊滅したわ・・」


「ッ!なんだと・・・」


小声ながらも、真剣そのものな桜の言葉に、少なからず衝撃を受け、驚きを隠せなかった。


全く予想だにしていなかった事に、俺自身戸惑いを隠せない。


「それがもう、五日前の事よ・・・生き残ったのは、私と悠君だけ・・・」


「真夜はどうした?」


いつか共に旅した、桜と同じ盲目の少女の安否を聞いてみる。


「真夜は・・・運良くその時、麗姫様の所に行った後だったらしいわ・・・だから無事よ。」


「・・・そうか。」


「・・・それでも、事態はかなり深刻よ・・・」


そう言って桜は、事の成り行きを俺に教えてくる。


例の事件の被害者が、本山からも出た事。


それに伴って、長老会も重い腰を上げた事。


その命を受け、桜が事件を調べていた事。


その報告をしに本山に戻る矢先に、たった一人の妖怪によって、本山が壊滅させられた事・・・


そして・・・それとは別の妖怪に、明王衆最強と言っても過言ではない、大威徳明王珠継承者『閻魔』光隆が倒された事。


「・・・そうか。光隆も逝っちまったのか・・・」


一通り事態の説明を受けた俺は、光隆の死を知りそう呟いた。


光隆の実力は、かつて僧兵院を束ねていた巌を遙かに凌ぐ程だったが、本人が僧兵院の長になる事を拒み、大威徳明王珠継承者を名乗っていた。


元々束縛されるのが嫌いな男だったので、本人の希望もあり、大阪で住職をしていた。


陽気で女癖の悪いジジィだったが、何故か憎めない爺さんだった。


そうか・・・逝っちまったのか・・・


俺が本山に居た頃、麗姫達同様、光隆にも色々世話になった。


あまり本山に居なかった光隆だったが、何の気まぐれかで、希に顔を出したかと思えば、そのまま数週間滞在して、気が付いたら居なくなる事がよくあった。


光隆の性格上、尼連中には警戒されていたが、人当たりがとても良く、若い者には人気もあった。


本山では、かなり浮いた存在だった俺にも、光隆は他の者達同様に、分け隔て無く接してくれた。


たまにうるさいと感じた事もあったが、それでも何かと気を遣って貰っていた事は確かだ。


「・・・私達がここに来て五日・・・相手が何も仕掛けてこない事が不気味ね・・・」


「・・・相手が何者か、解っているのか?」


不意に、桜にそう言われ、俺がそう聞き返すと、彼女は黙って頷いた。


「・・・光隆様が、襲われる前に私の集めた情報を聞いて、今回の事件の犯人に心当たりがある様だった・・・それからこうも言っていたわ・・・犯人の狙いは、本山ではなく、私達明王衆・・・」


「・・・その情報というのを、俺にも教えてくれ。」


俺がそう言うと桜は、黙って頷いた後に、光隆に教えた事を話し始めた。


その内容は、漠然としか知らなかった俺にとって、どれも初めて聞く事ばかりだった。


出雲を中心に広がる、八十人にも上る体の、無い遺体・・・出雲にて消えた、八人の巫女・・・


それに加え、八大明王衆を狙った襲撃・・・


「・・・儀式だな。」


情報を元に考えた上での、俺の見解を桜に言う。


「・・・やっぱり、宝仙君もそう思う?」


・・・桜が考えている犯人像・・・何となく俺にも解ってきたぜ。


「はい、終わりましたよ。」


不意に、悠の治療を終えたのか、そう言う聖の声が聞こえてきた。


「・・・一つ聞いて良いか?」


それに併せて俺は、悠に向かってそう話しかける。


「・・・なんだ?」


俺の言葉に対し悠は、俺を一瞥すると、不機嫌そうに聞いてきた。


対する聖は、俺と悠の顔を、不思議そうに交互に見やっていた。


「・・・本山を襲ったという妖怪・・・どんな奴だった?」


そんな聖には構わず、俺は悠に本題を告げる。


出来る事ならば、違っていて欲しい・・・最悪な解答を頭の隅で考えながら。


「・・・蛇の様な目をした男・・・」


一拍置いて紡がれる、悠の決定的な答えに、幾つか用意していた解答が、一つに絞られた。


一番最悪な解答・・・ある伝説の妖怪の復活・・・


俺は、深いため息を吐いた後、懐から煙管の入った箱を取りだした。


手慣れた手つきで、箱から煙管を取り出し、葉に火を付ける。


「・・・フゥー・・・桜・・・初代八大明王衆が誕生したのは、今から何年前だ?」


紫煙を吐き出した後に、確認の為に桜にそう聞いてみる。


言い伝えでは、元々明王珠自体は、神々の時代から存在し続けていると伝えられている。


だが実際に、明王衆が誕生したのは、カビが生える程昔という訳でもない。


「・・・約八百年前・・・」


「・・・その意味成す所は?」


「・・・八百年の時を経て・・・再び、八岐大蛇の首の一つが、本体を蘇らせる為に・・・復活した。」


静かに、しかし一言一句はっきりと、桜自身が確かめる様に答えてくる。


・・・そう考えるのが、自然か・・・


八百年前、伝説の八岐大蛇の首の一つが蘇った。


何がきっかけで蘇ったのか、それは解らないにしろ、当時の本山は、その首を再封印する為に、八大明王珠の封印を解いた。


そして、多くの犠牲を払って、大蛇の首の封印に成功した。


以後、また封印が解けてしまっても良い様に、八大明王衆が結成された。


言うなれば、明王衆に課せられた真の目的は、八岐大蛇の監視・・・


その為、本山が在る場所も、出雲からそう遠くない場所に移されたと言われている。


だが・・・そんな大昔の言い伝えを、真に受ける様な奴は、そうは居ない。


だからこそ、時が移るにつれて、妖怪退治の集団へと変わっていった。


「・・・解った。」


暫く考えた末、俺は桜にそう呟いた。


京で榊が会った妖怪と、翁が言っていた『蛇』とは、おそらく大蛇の事だろう。


だとするなら、俺自身この戦いから逃れる訳にはいかない。


光隆を倒したというもう一人の妖怪・・・それこそ、刹那である可能性が高い。


むしろ、光隆程の実力者を倒せる妖怪となれば、それこそ限られてくる。


向こうから姿を現さないのならば、俺から出向くしかない。


そうとなれば・・・


「・・・聖。」


不意に俺は、今まで話について来れなかった聖に、声を掛けた。


「あ、はい!」


突然呼びかけられた所為か、聖は慌てながら立ち上がった。


「・・・おまえは、江戸の麗姫の元へ行け。」


「・・・え?」


そして俺は、考えていた事を聖に告げた。


「・・・え?・・・何言ってるんですか?」


師匠の突然の言葉に、狼狽えながら聞き返した。


「・・・おまえは・・・ここでクロと一緒に、江戸に帰れと言ったんだ。」


「そんな・・・そんなの嫌です!!」


もう一度同じ事を言われて、今度は迷わずそう答えた。


「・・・相手の目的は、俺達明王衆・・・正確には、俺達が持つ八つの明王珠・・・それを使って、奴は復活するつもりだろう。」


私の答えを聞いて、師匠は目を瞑りながら、煙管を口に銜えてそう言ってくる。


「・・・今回の相手は、今までの妖怪とは桁が違う・・・俺達だけで勝てるかどうか・・・」


「だったら少しでも多い方が良いじゃないですか!」


「・・・おまえを護りながら、俺達に戦えと?」


「ッ!!」


静かに師匠は、私に向かってそう告げた。


「・・・おまえは確かに強くなった・・・だがそれでも、おまえの実力は、俺達の足下にも及ばないだろう・・・」


聞きたくなかった・・・認めて欲しかった・・・


決定的な一言を告げられて、心の中に悲しみがこみ上げてくる。


「・・・だが、奴の目的が明王珠なら・・・一つでも奴に渡さなければ、復活は不可能・・・だからこそ、おまえは江戸に向かい、麗姫に保護してもらうんだ。」


「私・・・」


どうにかして、私も一緒に行く事を認めて欲しくて、桜さんや悠さんに視線を向ける。


見てみると、悠さんは黙って下を俯き、無関心そうにしていた。


桜さんはというと、気まずそうに顔を背けて、何も言ってはくれなかった。


多分二人とも、師匠と同じ考えなのだと、私にも解った。


「でも師匠が・・・」


師匠が言うんだから、多分本当に勝てる見込みは少ないんだと思う。


でも・・・だったら私が居た方が・・・


私の持つ孔雀明王珠の力は『癒し』・・・


なら、みんなが傷付いたら、私が・・・


「確かにおまえが居れば、傷の回復は出来るだろう・・・だが、戦略的に言えばそれは、一番狙われやすいとも言える。どちらにしろ、自分の身を護るだけの力が無い今のおまえは、居ない方が良い・・・」


まるで私の考えを解っている様に、師匠が私の考えを否定してしまう。


それでも何か言おうとするけど、結局それ以上何も言えなくなってしまった。


「・・・ま、心配すんな。別に死にに行く訳じゃない。だから・・・麗姫の所で待ってろ。」


そう言って師匠は、苦笑を浮かべながら、私の頭を何度か軽く叩いてくる、


「・・・本当に、帰ってきてくれますか?」


「あぁ・・・」


「本当に・・・迎えに来てくれますか?」


「・・・あぁ。」


「・・・もし、刹那さんの手がかりを知っても・・・私を置いていかないですか?」


私がそう聞くと、師匠は一瞬驚いた様な表情になった。


今回の事件・・・師匠は刹那さんの行方を捜して、ここまでやって来た・・・


もし今回の事件に、刹那さんが関わっていたとして、そして行き先が解ったとして・・・それでも師匠は、私を選んでくれるんだろうか・・・


選んで欲しい・・・そう思って私は、師匠に聞いてみた。


「・・・あぁ。必ず迎えに行く・・・おまえを置いて行かないから安心しろ。」


暫くの沈黙の後、師匠は苦笑しながらそう答えてくれた。


そして私は、不謹慎だけど、少しだけ嬉しくなった。


約束してくれたから・・・安心出来る・・・だから私は・・・


「・・・解りました。麗姫お婆ちゃんの所で待ってます。」


「あぁ・・・」


そう言って私は、外へと通じる戸へと向かっていく。


外に出ようと手を掛けたところで立ち止まり、後ろを振り返って師匠を見やった。


「約束・・・忘れないでくださいね?ちゃんと・・・ちゃんと帰ってきてくださいね?」


不安だけど・・・師匠が約束してくれるんだったら、私は・・・師匠を信じて待っている事が出来る・・・


・・・だからどうか・・・


「あぁ。約束は守る・・・これが済んだら、ちゃんとおまえを迎えに行く・・・」


ご無事で・・・


「・・・本当に、これで良かったのかしらね・・・」


聖が出ていって暫くしてから、戸に顔を向けた桜がそう呟いた。


「・・・おまえだって、俺と同じ考えだったからこそ、何も言わなかったんだろう?」


「・・・そうだけど。」


今回の件、確かに俺達だけでは、勝ち目は少ないだろう。


だがそれは、聖が加わったところで変わる訳でもない。


戦略的な事を言えば、相手にどんな力があるのかも解らず、未知数の相手に対して、聖を護りながら戦う事は正直無理な話だ。


「・・・それより、相手の詳しい情報が知りたい・・・能力か何か解らないのか?」


俺がそう聞くと桜は、気まずそうに俯いてしまった。


「・・・逃げるのが精一杯だったわ・・・でも相手は、自分の事を『神威』と名乗っていたわね。それから・・・私たちの中で、一番霊力が強いのは、多分宝仙君だけど・・・相手の妖気は、桁外れだったわ。」


そう桜に言われ、俺は常日頃から抑えている霊気を、一気に放出してみせた。


桜は元々、目が見えない変わりに、妖気や霊気を敏感に感じ取る事が出来る。


そして感じ取るだけでなく、相手の気の大きさを、数値で表したり、気の正確な数まで解る。


だからこそ、俺と相手との気の差を知る事も出来る。


「・・・どうだ?」


俺の問いに対し桜は、難しい表情で顔を横に振った。


「・・・改めて感じたけど、宝仙君と聖さんの霊気も桁外れね・・・解りやすく数字で言うわね。宝仙君が十だとして、私が七、悠君が五・・・そして相手は十五・・・と言った所かしら。」


「・・・そうか。」


桜にそう言われ、頭の中で今後の算段を考える。


桜の感じた相手の妖気の大きさは、一種の目安でしかない。


最低でも十五であって、それ以上の力を隠し持っていたとしても、何ら不思議ではない。


しかも相手は大妖怪・・・こちらの決め手が欠けているのは否めない。


妖怪との戦いが、単純な足し算ならば、俺達にも勝算はあるのだろうが、そううまくいく訳でもない。


「・・・私達はこれから、斐伊川の上流を目指すつもりよ。」


「・・・成る程。須佐之男命と八岐大蛇の決戦の場所か・・・確かにそこなら、儀式の場としては打って付けだな。」


不意にそう言われ、思考を中断して、桜にそう答えた。


・・・観光しに行ってたら、今頃何も知らずに襲われてたかもな・・・


心の中で、そんな事を考えて、思わず苦笑する。


「宝仙君も、一緒に来てくれるんでしょう?」


「・・・あぁ。だが俺は、いざとなったら・・・おまえ等を置いて逃げるぞ?」


軽い冗談のつもりで俺がそう言うと、一瞬面食らったかの様な表情になる桜。


「フフ・・・君らしいわね。それでも良いわ・・・聖さんの為にも、生きて帰りましょう。」


しかしすぐに、苦笑しながらそう言われ、俺もまた苦笑を浮かべた。


「・・・さて。それじゃそろそろ行きましょうか。」


「あぁ・・・」


桜がそう言うと、今まで全く喋ろうとはしなかった悠が、立ち上がり戸へと向かい始める。


「・・・あんたと組むのに、依存はないが・・・俺の邪魔だけはするなよ。」


そして俺とすれ違う瞬間、俺に向かってそう告げて、外へと出ていった。


・・・それはこっちの台詞なんだがな・・・


半ば呆れながらに、心の中で悠に毒づく。


そんな俺の肩に、桜が片手を置いて、顔を近づけてくる。


「・・・彼、最後まで本山を護ろうとしてたのよ・・・気持ち、察してあげて。」


そう言うと桜もまた、悠の後を追って、外へと出ていった。


フン・・・気追いすぎなんだよ。


そして俺も、二人の後を追って、山小屋から外へと出た。


ドドドドド・・・


滝が落ちる音が、洞窟内に反響する。


滝の裏側に出来た洞窟の中に、巨大な瓶が八つ、円を描く様に置かれていた。


そしてその内の四つには、瓶の蓋の上に、色々な仏具が置かれていた。


それぞれ形は異なるものの、その四つにはある種の共通点があった。


その共通点とは、いずれの仏具にも、小さく透明な珠が付いているという事だ。


そしてその珠の中心には、様々な梵字が描かれていた。


「ふぅ・・・これで後は、残り四つの明王珠を集めるだけですね。」


腰に手を当てた神威が、ため息混じりにそう呟いた。


そして神威は、洞窟の岩肌をくり抜いて作った、岩牢へと移動すると、その中に閉じこめられた八人の巫女へと笑顔を向けた。


「居心地が悪くてすいませんね。もう暫く、我慢してください。」


神威の言葉を聞いても、巫女達は誰も喋ろうとはせず、全員悲しそうに項垂れていた。


「全ての準備が整えば、儀式も始まる・・・しかし、奇稲田とその姉妹に見立てられるのです。出雲の巫女としては、本望でしょう?」


『肆の首よ・・・』


不意に、洞窟内に響き渡る低い声に、巫女達を見ていた神威は、天井を見上げた。


「おや・・・これは壱の首・・・どうかなさいましたか?」


『汝・・・何を戯れている・・・』


『早く俺達を復活させろ。』


また違う声が聞こえてくると、神威は苦笑を浮かべた。


「・・・お言葉ですが捌の首・・・拙のやり方が気に入らないのでしたら、貴殿が準備を進めてください・・・もっとも、出来ればの話ですがね。」


『貴様・・・俺を愚弄するつもりか・・・』


「いえ、そんなつもりは・・・しかしながら、須佐之男の封印の力が弱まったのに、のうのうと眠っていた貴殿に、指図されるいわれは在りませんね。」


『汝・・・口が過ぎるぞ・・・』


「おっと・・・これは失礼。」


最初に聞こえてきた声に咎められ、神威は戯ける様にそう答えた。


「・・・しかしながら拙は・・・なにも本体を復活させる為に、封印を破った訳では無いのでね・・・」


『それはどうゆう事か、説明していただきたいですね。』


また聞こえてきた違う声に、神威は苦笑しながら肩をすくめた。


「・・・貴殿は、他の方々よりも拙の考えが解ると思ったのですがね・・・伍の首、貴殿は拙に近しい筈・・・」


『・・・それはつまり俺達よりも、己の趣味を選んだと言う事か!』


「えぇ・・・そうですよ、捌の首・・・何かご不満でも?」


悪びれた様子もなく、神威は聞こえてきた声にそう告げた。


『肆の首よ・・・解っているのか・・・我等の悲願がなんなのか・・・八百年前の過ちは許されぬ・・・』


「フッ・・・拙を捌の首と一緒にしないで欲しいですね・・・折角偶然で封印が解けたのに・・・暴れるだけ暴れて、あっさり再封印されるほど、考え無しでもないので・・・ね。」


『何だと!!』


面白そうに、聞こえてきた声に向かって、神威がそう告げた後に、怒りの声が聞こえてくる。


「お気に障ったので在れば失礼・・・ですが、それが真実でしょう?」


『貴様ッ!!』


『止さぬか捌の首・・・肆の首よ、汝の考えは解った・・・確かに汝は、我等の中で最も強大だ・・・万が一など有り得ぬだろう・・・好きにすれば良い・・・』


「ありがとうございます・・・壱の首。拙も・・・拙等の長である貴殿の顔を立てて見せましょう・・・それでは、お客人が来た様なので、これにて・・・」


そう言って神威は、仰々しく会釈すると、洞窟の入り口に体を向けた。


そして、何かを思い出したのか、岩牢に閉じこめられた巫女達に顔を向けた。


「・・・もしかしたら、あなた方が助かるやもしれぬ最後の希望・・・どうかそこで、拙が帰ってこない事を祈っていてください。」


何故か小声で、巫女達に笑いかけながらそう呟く神威。


そしてその言葉を聞いた巫女達は、一瞬耳を疑いながら、神威に顔を向けた。


「他の首の方々には申し訳ないのですが・・・拙は・・・それほど今の世界が嫌いでは無いので・・・ね。」


また小声で呟き、神威は洞窟の入り口目指して歩き出した。


先程まで聞こえていた声達には、神威の呟きが聞こえなかったのか、何の反応も無かった。


「拙は・・・愉しければそれで良いのですよ・・・」


再度そう呟いた刹那は、楽しそうに笑いながら、洞窟を後にした。


ドドドドドドド・・・


遠くから、滝の落ちる音が聞こえてくる。


俺達の目指す決戦の場所が、段々と近づいて来ている証拠だ。


桜と悠は、辺りを警戒しながら、俺の前を歩いている。


俺はと言うと、今までの事を整理しながら、訪れる決戦を前に考えを巡らせていた。


まだ大蛇の妖気は感じないものの、ここまで来れば何時現れてもおかしくはない。


それは向こうとて同じ事。


ならば、堂々としていれば良いのだが、この二人は直に一度、大蛇と相見えているので、仕方が無いのかもしれない。


なんせ、相手は伝説の妖怪・・・八岐大蛇・・・


八百年前、八つに分けられ封印を施されていた大蛇の首だったが、そのうちの一つが、何らかの原因により、封印が壊され復活した。


そして、その首を封印し直す為に、多くの犠牲を払った末、当時の明王衆が勝利した。


だが今回は、俺達のみ・・・


いくら首の一つとは言え、その力は間違いなく最強の部類。


奇襲とは言え、本山を一人で壊滅させた程の怪物・・・


正直なところ、勝ち目が有るかと聞かれれば、無いと答えるしかない。


だが、だからといって俺達が逃げたところで、相手が見逃してくれるとは限らない。


そうなれば、余計な犠牲も出てしまうだろうし、ますます打つ手が無くなる。


桜の話では、すでに事態を麗姫には伝えてあるとの事だ。


連絡して五日、待てば増援が来るかもしれない・・・が、それを見過ごす程、相手も馬鹿ではないだろう。


ならばいっそ、こちらから打って出た上で、江戸からの増援が来るまで、相手の目を俺達に向けさせるのも一つの手だ。


それが解っているからこそ、桜も悠も敢えて打って出る事を選んだ。


そして、いくら勝ち目が少なくとも、勝ち目が全く無いという訳でもない。


相手を倒す上で、決め手が無いと言うだけであって、封印し直すならまだ勝算はある。


妖怪と人との戦いで、最も重要なものは、なにも霊気や妖気の強さだけではない。


それこそ、武術や霊術と言った、様々な要素が複雑に絡まり合うのだ。


そして俺は、武術に関してなら、大蛇と対等に渡り合う自信がある。


なにより、幸か不幸か不動明王珠は、悠の手元にある。


大蛇に通用するかどうかは解らないが、それでも試す価値が有る以上、出来る事をするまでだ。


最悪・・・俺一人だけならば、大蛇から逃げ切る自信もあるしな・・・


だがそれは、桜と悠を見殺しにすると言う事・・・


出来る事なら・・・それだけは避けたいものだな・・・桜を見殺しにしたとあっちゃ、麗姫にどやされる。


そんな事を考え、思わず苦笑してしまう。


まぁなんにせよ、一度手合わせしなければ、これ以上の事は解らない。


「・・・着いた様だな。」


一通り俺の中で考えが纏まったと同時に、前を歩く悠が呟くのが聞こえてきた。


それに併せて桜は立ち止まり、俺もまたそれに習って立ち止まった。


神話の時代、『須佐之男命』が『八岐大蛇』を倒し、霊剣『火之迦具土』に付いた大蛇の血を、洗ったと言われている『血洗の滝』を望める、開けた崖の上だった。


そして恐らく、ここに大蛇の首が居るはず・・・


「・・・居るわね。」


「あぁ・・・」


桜の呟きに、俺も同意して答え、辺りを見まわす。


滝の音が辺りを支配するこの空間に、確かに感じる威圧感・・・


気配を消している為か、妖気も何も感じはしないが・・・重苦しい雰囲気が、この場を支配している。


・・・見られてはいない・・・だが・・・


そう思いながら、目だけで辺りを見回す。


『ッ!!』


そして不意に現れた気配に、正面を見やると、先程までは確かに何も無かったはずの場所に、一人の男が立っていた。


突然現れた男に対し、桜と悠は、慌てて構えを取る。


そんな二人とは対照的に、俺は現れた男を観察し始めた。


蛇の様な瞳に、含みのある笑みを携えた男。


こいつが・・・大蛇・・・


この男こそ、京の街で榊に妖刀を授け、本山を一人で壊滅させた張本人。


・・・月神と同じ・・・いや、奴の時は視線・・・と言うか、気配は感じていた・・・なのに今回は、何も感じなかった・・・


この男が現れた時に、一瞬頭を掠めた人物を思い返しながら、この男の能力を見極めようと努める。


少なくとも、この男が突然現れる前までは・・・近くには居たのだろうが・・・この男の気配は無かったと断言出来る。


「・・・やっと、御出くださいましたね。」


不意に、やたら丁寧な言葉遣いで、蛇の目をした男が、俺達に向かってそう呟いた。


「・・・初めまして・・・貴殿の事はよく知っていますよ・・・宝仙。」


そして俺に視線を向けると、相変わらず笑みを崩さないまま、そんな事を言ってくる。


「フッ・・・それは光栄だな。まさか伝説の大妖怪様にまで、俺の名が知られているとは・・・な。だが残念だ・・・俺はあんたの事を知らなさすぎる。」


苦笑を浮かべながら、大蛇に向かって、軽口を叩く。


「おや、それは失礼・・・拙は、大蛇肆の首・・・神威と申します。以後、お見知り置きを・・・」


俺の軽口に対し神威は、苦笑を浮かべながらそう告げた。


その瞬間、悠はすでに動いていた。


「アチャラナータ!!」


いきなり横に飛んだかと思えば、不動明王の梵名を叫ぶ。


すると、悠が手にしていた五鈷杵が、光り輝く薙刀に変わり、神威に向かって斬り掛かっていく。


「・・・やれやれ・・・問答無用ですか。」


「黙れ!!皆の仇、討たせて貰う!!」


ため息混じりに、神威がそう呟くのを聞きながら、俺も同じ事を思っていた。


・・・全く、俺には聞きたい事が有るというのに・・・


「宝仙君!手筈通り行くわよ!!」


いきなり桜にそう言われ見てみると、すでに呪符を神威に向かって、投げつけている所だった。


「クンダリーッ!!」


桜が軍荼利明王の梵名を叫ぶと、神威に向かって投げつけた呪符が、数十体の白い鴉へと変貌する。


・・・仕方ない・・・


心の中でため息を吐いて、俺は羽織に括り付けた仏具を八本取り出し、神威に向かって投げつける。


「ヴァジュラヤクシャ!」


投げると同時に、金剛夜叉明王の梵字を描き、梵名を叫ぶ。


「オオオォォォーッ!!」


雄叫びを上げながら、神威に向かって何度も斬り掛かる悠。


そしてその周りを、俺の鈷杵と桜の式紙が飛び交い、その瞬間を狙う。


一見して悠の太刀筋は、隙も無く鋭い。


お世辞にも巌程とは言えないが、悠の実力は間違いなく一流だと言える。


だが・・・神威の方が一枚上手か・・・


悠の太刀筋、桜の式紙、俺の鈷杵を全て紙一重で避ける神威の表情は、余裕そのものだった。


冷静に現状を分析しながら、悠を俺に見立て、頭の中で神威との戦いを想定していく。


「フッ・・・貴殿の実力は、こんなものですか・・・?」


「ッ!クソッ!!」


・・・まずいな。


神威の安い挑発に乗ってしまった悠は、怒りで太刀筋が僅かに鈍くなっていた。


「やれやれ・・・貴殿では役不足ですよ・・・死にたくなかったら、あちらの方と交代したらどうですか?」


そう言って神威は、ため息混じりに俺を顎で示して、更に悠を挑発する。


「・・・桜。」


これ以上は悠が不利と判断した俺は、隣に居る桜に声を掛けた。


すると、桜も同じ事を考えていたのか、黙って頷いた。


それを確認した俺は、二人の周りを飛び交う鈷杵を、二人を中心に八方向へと向かわせる。


それに併せて桜も、数十体から成る式紙達の中から、八体を俺の鈷杵と同じ方角へと向かわせる。


二人から十分離れた所で、式紙が霊符へと戻り、その霊符に描かれた文字を傷つけない様、鈷杵と共に地面に突き刺した。


同時に俺と桜は、手を併せながら瞑想する。


「水を司りし者よ・・・我願い奉る・・・汝の清らかなる白き息吹にて・・・」


「風を司りし者よ・・・我願い奉る・・・汝の猛々しい蒼き息吹にて・・・」


意識を集中しながら、詩を口ずさむ様に、俺と桜は祝詞を謳う。


薄目を開けて二人を見てみると、相変わらず悠が神威に向かって斬り掛かり、それを難なく避けている姿が確認出来た。


そしてその周囲、鈷杵と霊符が突き刺さった辺りが、俺と桜の祝詞に呼応する様に、光を発し始めている。


「・・・おや、明王陣ですか・・・しかしまさか、お仲間まで巻き添えにするつもりでは、無いですよね?」


鈷杵と霊符が放つ光に気が付いた神威が、実に面白そうにそう言ってくる。


さて・・・そのまさかだとしたら、あんたはどうする・・・


心の中でそんな事を考え、苦笑しながらも、祝詞を唱える事は止めない。


「健やかなる、絶対の眠りに誘え!!」


「何処までも続く、蒼穹へと還せ・・・」


桜と俺、共に祝詞を唱え終わった俺達は、それぞれ軍荼利明王と孔雀明王の梵字を描く。


すると、通常よりも巨大な八本の光の柱が現れ、八角形の陣を形成する。


『八大明王陣!双剋風水陣!!』


ヒュゴオオオォォォーッ!!


桜と共に叫ぶと、八角形の陣の中に、季節外れの荒れ狂う吹雪が吹きすさぶ。


その吹雪の所為で、陣の中の二人の様子は、全く見えなくなってしまった。


「・・・まさか本当に、お仲間を巻き添えにするとは・・・」


不意に、荒れ狂う吹雪の中から、神威の声が聞こえてきた。


「・・・よもや、この程度の吹雪で・・・拙を葬れると本気で思っていたのですか?」


相変わらずの丁寧な口調のまま、俺達が視認出来るところまで、ゆっくりとした足取りで、神威が姿を現した。


「・・・だとしたら、少々期待はずれです・・・ね。」


「・・・それはどうかな。」


神威の言葉に対して、苦笑混じりに俺がそう呟くと、陣の中で荒れ狂っていた吹雪が、何の前触れもなく突然止んだ。


だがしかし、明王陣を発動する際出来る光の柱は、未だにその場所で輝き続けている。


「・・・これは・・・ッ!」


その事を不審がっていた神威は、突然背後を振り返った。


そしてそこには、神威に向かって斬り掛かっていく悠の姿があった。


「オオオォォォーッ!!」


手にしている薙刀の刃先が、異様に巨大化し、刀身には風雪を纏っている。


「これは・・・ッ!!」


それを目の辺りにした神威は、その斬撃を避けようと横に飛ぶが、虚をつかれた為、悠の斬撃の方が一瞬早く到達した。


「ウオオォォォーッ?!」


その身で悠の斬撃を喰らった神威の周りに、先程と同じ吹雪が荒れ狂い始める。


これこそ不動明王珠が、大元帥明王珠、孔雀明王珠と併せて、三強と呼ばれる由縁・・・


その三つの明王珠は、他の明王珠と違い、二つの能力を併せ持つ。


そして・・・不動明王珠の力は、『具現』と『吸収』・・・


『具現』によって作られた武器に、『吸収』した双剋の力を一点に集中して、相手の内部に直接放出する。


いくら伝説の妖怪とは言えど、これを受けて無事で済む訳はない。


悠の力量からして、ある種の賭だったが・・・なんとかなったな。


「オオオオォォォーッ!!」


神威が絶叫の雄叫びを上げるのに併せ、悠の手にした薙刀の大きさが、段々と元の大きさに戻っていく。


「・・・弾けろ!!」


ドンッ!!


不意に悠がそう叫ぶと、轟音を轟かせながら、神威の姿が閃光と共に吹き飛んだ。


「・・・勝ったの・・・?」


暫くの沈黙の後、不意に桜が掠れた声でそう呟いた。


そして悠は、具現化していた薙刀を、元の五鈷杵に戻すと、構えを解いた。


「・・・あぁ・・・」


そして桜の問いに答える様に、悠が静かにそう呟いた。


それを聞いた桜は、一気に緊張が解けたのか、その場に崩れ落ちてしまった。


「やった・・・やったのね・・・私達・・・」


桜の呟きを聞きながらも、俺は未だ辺りを警戒していた。


・・・おかしい・・・呆気なさ過ぎる・・・


あの攻撃を喰らって、いくら大蛇とは言え、無事で済む訳はない・・・だがそれは、何処まで通じるかと言う事であって、あれで倒せる相手とは思っていない。


だが現に、先程まで辺りを支配していた重苦しい空気は無くなり、大蛇の妖気は微塵も感じない。


大蛇と言えど、八つに分けられた首の一つでしかないのだ・・・この程度だったと言われれば、納得するしかないのだろう。


だが・・・未だその事に納得出来ない俺が居た。


「・・・そうだわ!明王珠を探さなくちゃ。」


不意に桜が、そう言って立ち上がり、辺りを見回し始めた。


暫くして桜は、滝壺の方角に顔を向ける。


「・・・滝の裏に・・・洞窟が有るみたいね・・・行きましょう。」


そう言って、下に降りる道を探しに、桜と悠が歩き出した。


俺は、二人の背中を見送りながら、未だ納得出来ない事に、思考を巡らせる。


「宝仙君、どうかしたの?」


「・・・いや・・・何でもない。俺も・・・ッ?!」


不意に桜に呼びかけられ、思考を一旦中断して、桜に答えようとした瞬間、また重苦しい空気を感じ取り、言いかけた言葉を飲み込んで、辺りを警戒する。


桜と悠も、この空気を感じ取った様で、険しい表情で辺りを警戒し始めている。


ッ!!


そして不意に、俺の真後ろから気配が現れ、すぐさま振り返った。


そこには、最初に現れた時と同じように、不敵な笑みを浮かべている神威の姿があった。


・・・この俺が・・・後ろを取られただと・・・?


「・・・いやはや・・・先程のはさすがに、肝を冷やされましたよ・・・暫く動けませんでしたからね。愉しめましたよ・・・実にね。」


「・・・そうかい。そりゃ良かったな・・・」


動揺を押し殺して、神威に向かって憎まれ口を叩く。


「アチャラナータッ!!」


不意に、背後から悠の声が聞こえてくる。


恐らくはまた、問答無用で神威に斬り掛かろうとしているのだろう。


だが俺は、神威が気になり、それを確認することが出来なかった。


・・・今目を逸らせば・・・一瞬で殺られる・・・


「・・・貴殿等に敬意を払い・・・拙の能力をお見せしましょう・・・」


ッ?!


不意に神威がそう呟くと、神威の右腕が何も無い空間に埋まっていくのを、俺は確かにこの目で見た。


まさか・・・これが奴の能力・・・チィッ!


「悠!!避けろオオオォォォーッ!!」


心の中で舌打ちしながら、後ろを振り返り悠に向かって叫ぶ。


ドブ・・・


「・・・グブ・・・」


だが俺が警告を発した時点で、もう手遅れだと言うことは解っていた・・・


振り返った瞬間、悠の手前の、何も無い空間から現れた腕が、悠の胸に深々と突き刺さっているのを俺は目撃した。


「悠君!!」


ズルリ・・・


桜の叫びと同時に、悠の胸に突き刺さっていた腕が引き抜かれると、ゆっくりと前のめりに倒れていく。


ドサ・・・


「なかなか愉しめました・・・が、これ以上を望めないので有れば、貴殿には用はありません。」


悠が倒れるのを見届けた神威が、そう呟くのが聞こえてきた。


「ッ!!クンダリーッ!!」


そしてそれと同時に、神威に向かって式紙を放つ桜。


チィッ!


俺は桜の安易な行動に、心の中で舌打ちしながら、羽織から鈷杵を数本取り出すと、桜に向かって投げつける。


「ヴァジュラヤクシャ!!」


梵字を一瞬で描き、梵名を叫んで力を解放させる。


ちょうどその瞬間、悠の胸を貫いた腕が、また何も無い空間に消えると、今度は桜の目の前に出現する。


「ッ?!」


突然現れた腕に、さすがの桜も驚いて、神威に向けて放った式紙を、急いで呼び戻す。


「・・・さよなら。」


間に合え!!


「五大明王陣!五点守護壁!!強制発動!!」


バキーンッ!!


その瞬間、目映い光が辺りを支配した。


「キャアアアァァァーッ!!」


そしてその閃光から、悲鳴を上げながら吹き飛ぶ桜の姿。


光が収まると、そこには粉々に砕けた俺の鈷杵と、霊符に戻った式紙の残骸が、辺りに散乱していた。


・・・何とか間に合ったか。


よろめきながらも、なんとか立ち上がろうとしている桜の姿を確認して、ため息を一つ吐いた。


「・・・これで、邪魔な方々は居なくなりました・・・ね。」


不意に、神威の言葉を聞いて、ゆっくりと振り返る。


「・・・確かに・・・な。」


そんな神威に向かって、不敵な笑みを浮かべながら、俺はそう呟いた。


昨日、私たちが来た道を、クロと二人で並んで歩く。


いつもなら、そこに居るはずの師匠の姿が、今は無かった・・・


迎えに行く・・・そう言って師匠は、桜さんたちと共に行ってしまった・・・


今まで師匠は、力不足な私の事を、怒ったり呆れたりした事なんて無かった・・・


それどころか、今の自分に出来る事をすれば良いって・・・いつも言ってくれた・・・


でも今回は、師匠ははっきり言ってくれた・・・


師匠と一緒に居た時間が長いから・・・三年も、一緒に居たから・・・


だから、師匠の事はよく解ってる・・・


ぶっきらぼうで、悪ぶってて・・・誰にでも厳しくって、自分にも厳しい・・・そんな不器用な人・・・


でも本当は・・・とても優しくって・・・とても・・・暖かくって・・・


そんな師匠だから・・・信じられる・・・


そんな師匠だから・・・私は好きになった・・・


だから・・・


「・・・気になるのか?」


歩く足を止めた私に、クロがそう聞いてきた。


「・・・うん。」


そう答えて、今来た道を振り返った。


大丈夫だよね・・・だって、師匠は誰よりも強いもん・・・


それに・・・約束したから・・・


「・・・行こ!」


不安な気持ちを押し殺して、無理矢理笑顔を作った私は、気を取り直して歩き出した。


「大丈夫大丈夫!怪物みたいに強い師匠の事だもん!」


自分に言い聞かせる為に、わざと口に出して明るく振る舞う。


空元気な私だけど、クロは何も言わずに一緒について来てくれた。


『・・・化け物じみた強さ・・・か。確かにそうだな・・・』


ッ!!


不意に、辺りに響き渡る女の人の声に、私もクロも立ち止まった。


そしてすぐに、金華龍との精神融合をした私は、辺りを警戒し始める。


けど、確かに聞こえてきた声の元が何処なのか、まったく解らなかった。


横目でクロを見てみると、やっぱりクロも解らないでいるのか、視線を彷徨わせている。


完全に気配が無い・・・


「・・・誰?!」


戦慄を覚えながらも、私は聞こえてきた声に向かって、そう聞いてみた。


・・・ッ!!


そして、その直後に感じた気配と妖気に、私は顔を向けた。


そこに居たのは・・・


「・・・私、あなたの事知ってます・・・」


外に大きく撥ねた、真っ赤な炎の様な髪・・・髪と同じ色の瞳・・・


年格好は私と同じくらいで、まだあどけなさの残る顔立ちの女の子・・・


その容姿とは不釣り合いなお侍様の格好をして、腰にはとても長い刀を携えた・・・


師匠が旅をする目的になった・・・ずっと探している女の人・・・


「・・・刹那さん・・・ですね。」


私がそう呟くと、現れた女の子は、笑みを浮かべながら黙って頷いた。


「はじめまして・・・と言っても、おまえの事は何度か見ていたがな。聖・・・」


そう言って刹那さんは、苦笑を浮かべながら、私たちに向かって歩き始める。


「主!下がられよ・・・」


そう言ってクロが、私と刹那さんの間に割って入り、刹那さんを威嚇し始める。


そして、クロの手前まで来た所で、刹那さんが立ち止まった。


「ウウウゥゥゥ・・・」


「・・・おまえには用は無い・・・そこを退くんだ。」


「ッ!」


そう言って、クロを睨み付けた途端、クロの体が一瞬震えた。


「クロッ!!」


そしてクロは、刹那さんの言葉通り、震えながら横に退いて、刹那さんに道を開けた。


「クロに何をしたのっ?!」


クロが退いた事によって、刹那さんがまた私に歩み寄ってくる。


私は、覚えたての武術の構えを取って、刹那さんを睨み付けた。


「別に何も・・・心配しなくても、俺が居なくなれば・・・あの神獣の戒めは解けるさ。」


苦笑しながらそう言って、私の傍まで来た所で、刹那さんは立ち止まった。


存在感だけはとても強いのに、私たちに対して殺気が全然感じられない・・・


何をしに現れたのか・・・何が目的なのか・・


殺気も感じられず、何も解らず・・・正直、どうして良いのか解らなかった。


「前々から、おまえとは会いたいと思っていたんだ・・・宝仙が選んだ、静菜の変わりであるおまえに・・・」


「ッ!!師匠は私を、静菜さんの変わりだなんて思ってない!!」


刹那さんにいきなりそう言われ、頭にきた私は、思わずそう叫んでいた。


「・・・フッ・・・果たしてそうかな?」


私の言葉を聞いた刹那さんは、私を鼻で笑いながら、意味深な笑みを浮かべた。


「人の心とは解らないものだ・・・頭で考えている事と、心の中で思っている事・・・それは、似ている様で違うものだ。そして・・・宝仙にも、おまえにも、それは言える事だろう。おまえだって・・・本当はそう思っているんじゃないのか?」


「ッ!」


それは・・・師匠を好きになってから・・・師匠の旅の理由を知ってから・・・時々私の中に生まれてくる不安・・・


そして私は、その不安をいつも必死で否定している・・・


師匠はそんな人じゃない・・・誰かの変わりが、誰かで成り立つなんて・・・そんな風に思う人じゃないって信じてるから・・・


「・・・まぁ、こんな事を言う為に、おまえの前に姿を現した訳じゃないんだ。気に障ったなら謝る・・・」


いきなりそう言って、私に対して苦笑してみせる刹那さん。


「・・・あなたの目的は、一体何なんですか?」


見透かされている・・・そう思いながらも、虚勢を張って刹那さんに聞いてみる。


すると刹那さんは、私たちが来た方向を振り返った。


「・・・さっきのおまえの台詞・・・それは認めよう。宝仙は『真理』に近づいた者・・・例えどんな妖怪だろうと、宝仙は互角以上に渡り合うだろう。」


「・・・真理?」


私がそう聞くと、今まで後ろを振り返っていた刹那さんが、真剣な表情で私に顔を向けてくる。


「そう・・・何故妖怪が特異な力を持つのか・・・人と妖怪の違いとは何か・・・遙か昔より、人も妖怪も皆それが当たり前だと思いこみ、疑問すら抱かない・・・この世に、意味が無い事など無いと言うのに・・・」


そう言って刹那さんは、歩き始める様に一歩踏み出してくる。


「・・・だが、今回は相手が悪い・・・いくら宝仙でも、『真理』に辿り着かなければ、大蛇には勝てないだろう・・・」


「・・・え?そんな・・・」


すれ違う瞬間、私の真横で囁く様に、呟いた刹那さんは、そのまま通り過ぎていった。


刹那さんの言葉を聞いて、私の中で不安がより一層高まり、私たちが来た方向を見つめる。


「・・・宝仙なら・・・と思っているのなら、それは間違いだ・・・あいつだってただの人間・・・殺されれば死ぬ。」


「・・・あなたの目的は・・・一体・・・あれ?」


そう言って振り返ると、そこに居る筈の刹那さんの姿は、どこにも見あたらなかった。


そして、さっきまで感じていたはずの妖気も、もうすっかり感じなくなっていた。


「ッ!・・・主・・・」


「クロッ!!」


不意にクロに呼びかけられて、急いでクロに駆け寄った。


「・・・大丈夫?」


「あぁ・・・」


しゃがみこみながらクロの体を見て、一応何ともない事を確認した。


『・・・伝言を頼みたい・・・』


「ッ!!」


刹那さんが現れる前と同じ、何の前触れもなく聞こえてきた声に、私とクロは辺りを警戒した。


『宝仙に伝えて欲しい・・・神の居ない日に、神の子の地にて・・・再会しよう・・・と。最も・・・宝仙が生き延びられたらで良いがな・・・』


その言葉を最後に、二度と刹那さんの声が聞こえてくる事はなかった。


「・・・クロ・・・行こう!師匠の元へ・・・」


暫くの間考えた末、私はクロにそう告げて、立ち上がった。


「・・・参ったぜ。テメェの力の正体が『空間彎曲』だとは・・・な。」


暫くの睨み合いの後、神威に向かって俺はそう呟いた。


「いやはや・・・さすがですね。たったあれだけで見抜かれるとは・・・」


すると神威は、面白そうに笑いながら、そう答えてくる。


空間彎曲・・・もしくは空間転移とも言うその能力・・・


その力を持ってすれば、十有る距離を一にすることも可能・・・


『距離』と言う概念を無視し、『速度』と言う理すら覆す能力・・・


・・・これで、最悪俺だけなら逃げ切れるという自信は、五分くらいに減ったな・・・さて、どうするか・・・


例えその能力がどんなに強力でも、それが無敵というわけではない。


強大な力には、何らかの制約が付くものだ。


・・・やるだけの事はやる・・・と言った所だな。


「・・・少し、良いか?」


そう言って俺は、神威から顔を逸らさず、背後を親指で指した。


その意味を察した神威は、仕草だけで了承を示す。


それを確認してから、俺は後ろを振り返って、まず先に悠の元へと近づいていく。


悠の傍らにしゃがみ込むと、すでに息をしていない事が確認出来た。


・・・左胸から入り、背中まで貫通している・・・即死だな。


それだけ確認し、見開かれた瞳を閉じさせて、彼の手に今尚握りしめられている五鈷杵を取り上げる。


片方の爪の中に、小さな球が埋め込まれた五鈷杵・・・


不動明王珠継承者『火蛇』の証を持って、今度は桜の元へと歩み寄っていく。


「・・・うぅ・・・」


「大丈夫か?」


苦しそうに呻きながらも、今尚立ち上がろうとしている桜に、声を掛けてからしゃがみ込む。


「え・・・えぇ・・・宝仙君のお陰で・・・死にはしなかったけど・・・死ぬ程痛いわね・・・悠君は?」


そう聞かれ、無言のまま顔を横に振って答える。


「・・・そう・・・」


残念そうに呟く桜の体を持ち上げて、手頃な木まで運ぶ。


「・・・ま、後はやるだけやってみるさ。」


桜の体を、木に寄り添わせてから、苦笑混じりにそう呟く。


「・・・フッ・・・危なくなったら・・・私達を置いて・・・ッ・・・逃げるんじゃなかったの?」


先程俺が言った台詞を、苦笑を浮かべながらそう言われてしまう。


「フッ・・・マジでやばくなったら・・・な。」


そう言って、桜の右手を掴んで、腕にはめられた腕輪を取り外す。


「・・・どうするつもり・・・?まさか、明王珠三つを一人で・・・使うわけでも無いでしょう・・・」


「ま、黙って見てろよ。」


桜にそう問われながらも、俺達が保持している三つ目の明王珠を手に取り、俺は立ち上がった。


そして先程神威と対峙していた所まで行くと、悠と桜の明王珠を、神威に向かって投げた。


「・・・あんたの勝ちだ。それは一旦あんたに預けよう。」


さすがに予想していなかったのか、神威は一瞬目を丸くしていたが、すぐにまた意味深な笑顔に戻った。


「フッ・・・面白いですね・・・」


そう言いながら、俺が投げた二つの明王珠を取り上げる。


「・・・しかし・・・」


そう呟いて神威は、拾い上げた明王珠を、今度は俺に向かって投げてくる。


「それは拙にとっては賞品ですよ・・・貴殿等を倒した後で、再度貰い受けます。」


なんとも律儀な事を言ってくる神威に、肩を透かしながら苦笑する。


「そうかい・・・なら、変わりと言っちゃなんだが・・・一つ頼みがある。」


放り投げられた二つの明王珠を取り上げながら、そう言って話を切りだした。


「何でしょう?」


「俺を倒して、この明王珠を手に入れても・・・あいつには手を出さないでくれ。」


そう言って、顎で後ろにいる桜を指す。


「・・・随分お優しいですね。」


「いや・・・そう言うんじゃねぇよ。ただ・・・あいつに死なれると、俺が後で困る事になるんで・・・な。」


もしこのまま桜を見殺しにして、俺だけ逃げたとすれば、後で麗姫にどやされるのが目に見えている。


仮に見捨てず神威と戦い、俺が死んで桜も死んでしまったら・・・今度はあの世で魅鈴にどやされそうだしな・・・


麗姫と魅鈴は、元々師弟の様な関係で、小さい頃から桜をかわいがっていたと聞く。


麗姫にとって桜は、娘の様な存在であり、魅鈴にとっては、孫の様な存在なのだろう。


麗姫と魅鈴、二人に頭の上がらない俺としては、この上なく厄介な事だ。


「フッ・・・良いでしょう・・・貴殿が、拙を愉しませてくれるのであれば・・・」


実に楽しそうに、笑いながらそう言ってくる神威。


・・・やはり・・・な。


「あぁ・・・愉しませてやるよ。だからあんたも・・・俺の愉しませてくれよ。」


そう言って俺は、軍荼利明王珠を懐に仕舞い、着ていた羽織を脱いで、天に向かって放り投げた。


そして、金剛夜叉明王と不動明王の梵字を順に描く。


不動明王珠の力と金剛夜叉明王珠の力を知った時から、試してみたいと思っていた技が一つあった。


それがどこまで奴に通用するかは解らないが・・・試す価値はある。


「ヴァジュラヤクシャ、アチャラナータ・・・」


梵名を呟き、込められた言霊の力を解放する。


バリバリバリッ!!


すると、放り投げた羽織が、音を立てて引き裂かれ、そこから数十本の光輝く様々な武器が現れ、俺を中心に空中を舞い始める。


そして、俺が手にした不動明王珠は、俺の想像通りの長刀へと変化していた。


「・・・ほぉ・・・これはこれは。」


その一部始終を見ていた神威は、感嘆のため息を吐きながら、楽しそうに笑っていた。


「・・・フッ。こんなんで驚かれても困るがな・・・」


そう言って、右手に持った長刀を肩に担ぎ、身を低くして、左の膝を地面に付ける。


武神流六芸を極めし者は、使い手によってその姿を変える・・・


そして俺の武神流は、相手の出方を可能な限り先読みし、その中で自分の出方を決める、いわば『不動』の構えから始まる。


後手後手には成るが、それが俺の最も得意とする戦い方だ。


「・・・準備は宜しいですか?」


そう呟いた神威は、空間に手を突っ込んで、そこから刀を引きずり出した。


そして刀身をゆっくりと引き抜き、左手に持って構える。


「・・・あぁ・・・だがそのま前に聞きたい・・・刹那という人物を知っているか?」


「さて・・・ね。」


相変わらず意味深な笑みを浮かべながら、俺の問いを面白そうにはぐらかす神威。


その仕草から、やはりこの件に刹那が関わっている可能性が、俺の中で高くなった。


・・・そう簡単には教えてくれない・・・か。ならやるしかねぇな。


「・・・では・・・参りますよ。」


そう告げた瞬間、神威が俺に向かって走り出してくる。


俺は試しに、神威に向かって、俺の周りを舞っている武器を、数個飛ばしてみる。


「フッ・・・」


それを難なく避けた神威は、まだ距離があるというのに、俺に向かって拳を突き出す。


「ッ!」


それが空間の中に吸い込まれると、次の瞬間俺の顎の下から、突き上げる形で迫る。


それを紙一重で避けると、霞の如く拳が消え、神威を見てみると左手に持った刀を、横に凪ぐ仕草を見せていた。


・・・後ろ!


直感で何処から出てくるのかを感じ、手頃な武器をそこへと向かわせながら、俺は大地を蹴って神威に向かう。


ガキンッ!!


ちょうどその時、刀の刃先だけが空間から飛び出し、それを空中に舞っている槍が応戦する。


そして、神威が俺の刃の領域に入ると同時に、右袈裟に斬りつける。


だがその刀身は、神威が空間を歪める事により、体をすり抜け本体まで届かなかった。


だがそれを読んでいた俺は、すぐさま左手を突き出して、全ての武器を神威へと向かわせる。


一歩間違えれば、俺自身も危険だが、悠長にそんな事を言っている場合でもない。


だがその攻撃も、神威は読んでいたのだろう、後ろに跳んで退くと、その姿が空間の中に消え去り、向かわせた武器は、全て虚しく空を切った。


次いで、俺の背後に現れる気配に、急ぎ体を捻ると、来るであろう攻撃に備える。


ガキンッ!!


「・・・ほぉ。」


神威にしてみれば、間に合わないだろうと踏んでいたのだろうが、俺は手にした長刀を短刀に変化させて、神威の斬撃を防いだ。


・・・こいつは良い。俺の思い通りの姿に変わるな・・・


もしあのまま、長刀で防ごうとしていたならば、恐らく間に合わなかっただろう。


だが短刀は、小回りが利くので、防御に優れている。


「フッ・・・予想を裏切って悪いな。」


意味深な笑みを浮かべながら、神威に向かって憎まれ口を叩く。


「フフフ・・・愉しくなってきましたね。」


そう神威が答えて、それを合図に戦闘は再開された。


ギャン!ガリンッ!!ガキンッ!!


読んで当然、読まれて当然と言った感じで、お互い一歩も譲らない。


もちろん俺はまだ本気ではないが、それは向こうも同じと言う事は解る。


だが徐々に攻防の速度は上がり始め、自然と『霊鎧』を纏った。


そして、それに併せて徐々にわき上がってくる感情・・・


・・・愉しい・・・


少しでも読み違えれば、俺の命は無いだろう。


だが・・・死と隣り合わせのこの緊張感が・・・俺を獣へと戻す・・・


神威は俺と同じ人種・・・それは対面した時から感じていた。


戦いに身を置き・・・命を賭けた死闘に心が躍る・・・


それを証明するかの様に、残忍な笑みを浮かべながら、実に愉しそうに神威は笑っていた。


そしてそれは・・・俺も同じ・・・


「フ・・・ハッハッハッ!!愉しい・・・実に愉しいですね!!」


相変わらず、嵐の様な攻防の中だというのに、不意に神威が歓喜の叫びを上げる。


「やはり拙の考えは間違いではなかった!待って居た甲斐が有るというものですよ!!」


「そんなに愉しいか!!なら俺と一緒に地獄の底で踊ろうぜっ!!」


「良いですね・・・その表情・・・実に良い。貴殿はやはり拙と同じだ・・・本気を出してください?でないと一瞬で決着が着いてしまいますからね!!」


「ハンッ!言ってくれるじゃねぇか・・・なら見せてやる・・・俺の本気とやらをな!!」


この戦いを通して、いつもよりも感覚が鋭敏になっていくのが解る。


そして、頭の中に過ぎる、もう一人の俺の声・・・


零と呼ばれていた頃の俺が、残忍な笑みを浮かべながら『立ち戻れ』と訴えかけている。


そしてそれに、抵抗する事なく従おうとしている俺・・・


今までの人生の中で、零と呼ばれていた頃が、自分でも最も強いと解っている。


戻らなければ、こいつには勝てない・・・そう思うからこそ・・・生と死の境目を、こいつと渡り歩きたいと思うからこそ、もう一人の俺の言葉に従う・・・


どす黒い衝動が俺を突き動かし、神威から目が離せなくなっていく。


すでに俺の瞳に映る物は、『大蛇の首の一つの神威』ではなく、『俺の獲物の神威』のみ・・・


光も音も無い、隔絶された空間に、獲物の姿がはっきりと見える。


慈悲も容赦も何も無い・・・ただ血を流しながら、俺と相手のどちらかが倒れるまでこの戦いは続く・・・


『・・・本当に、帰ってきてくれますか?』


ッ!!


ズザザザアアアァァァーッ!!


不意に、聖の不安そうな表情で、紡がれた言葉が脳裏を過ぎり、俺は地面を擦りながら立ち止まった。


「・・・?」


突然の俺の奇行に、隙だらけだというのに、神威も立ち止まって、不思議そうな表情で俺を見つめてくる。


『本当に・・・迎えに来てくれますか?』


そんな事はお構いなしに、また聖の言葉が脳裏に蘇る。


・・・ッ!!


ガツンッ!!


次の瞬間俺は、自分の顔面に手加減無しの拳を叩き込んだ。


「な・・・」


「フゥ・・・やれやれ・・・」


鼻っ面を抑えながら、滴る鼻血を拭い、冷静さを取り戻した俺はそう呟いた。


フッ・・・こんな姿、あいつには見せられねぇな・・・


一人そう思い苦笑しながら、神威に顔を向ける。


もうすでに、先程の様な感覚は無くなっていた。


「・・・何のつもりですか?」


訝しがりながらそう聞かれ、俺は自嘲気味に苦笑しながら、肩を透かして見せる。


「すまんな・・・出来の悪い馬鹿弟子と、約束しちまっててな・・・あんな姿で、あいつに会いたくねぇのさ。」


「・・・そうですか・・・正直残念ですよ・・」


ため息を吐きながら、そう呟く神威。


「フン・・・そう言う台詞は、俺を倒してから言うんだな。」


俺がそう言うと、次の瞬間神威の姿が消え去り、俺の目の前に現れる。


そして俺の首に刃を添えると、見下したかの様な目で俺を見てくる。


「・・・今すぐ・・・死にたいんですか?ッ!」


「・・・おまえがな。」


神威の行動を読んでいた俺は、神威が俺に刃を添えるよりも先に、その顎の下に短刀を突きつけていた。


「・・・昔から俺は・・・常人離れした先読みと、最強を称する殺人術を用いて、齢十にして戦場を生き抜いてきた・・・恐らく、どちらが欠けても、今まで生き抜く事は出来なかっただろう・・・なめんじゃねぇよ。」


そう言って、神威に向かって睨みを利かせる。


「・・・フ・・・フフフ・・・」


一触即発の睨み合いの後、不意に神威が笑い出した。


「どうやら、拙は貴殿を見くびっていたようです・・・ね。しかし、貴殿に拙は倒せない・・・それは貴殿が一番よく解っている事でしょう?」


そう言って、神威は刀を降ろした。


確かに、俺には神威を倒す為の切り札が欠けている。


今冷静に考えて、あのまま昔の俺に立ち戻ったとしても・・・いや、立ち戻っていたのなら、すぐに決着が着いていただろう・・・


俺がほぼ本気でやり合っていたというのに・・・奴はまだ、実力の半分程しか出してはいない。


正直に言うならば、神威を倒す手段が無い訳では無い。


だがそれを行えば・・・確実に俺は死ぬ事になる。


やはりそろそろ、逃げる事を考えた方が良さそうだな・・・


「・・・一つ、提案があるんですがね・・・」


「・・・何?」


不意にそう言われ、訝しがりながら神威を睨む。


「貴殿は確かに強い・・・さすがは『真理』に近づいた者だけの事はある・・・」


「・・・真理?」


俺がそう聞き返すと、神威は黙って頷いて見せた。


「貴殿等はそれを、『踏み越えし者』っとおしゃっている様ですが・・・ね。」


「・・・それで、提案というのは何だ?」


油断なくそう聞き返すと、眼前の神威の姿が消え去り、俺と十分間合いを取った場所に現れた。


「『真理』に近づいた者は、結局の所『辿り着いた』と言うわけではない・・・つまりその先があると言う事です。そこで・・・どうです?拙と共に行きませんか?貴殿は、今ここで倒すには惜しい存在だ・・・貴殿は間違いなく、『真理』に近しい場所に居ます・・・ですから、『真理』に辿り着いた貴殿と、今一度勝負をしたい・・・そう思っているのです。」


・・・フッ。そう言う事か・・・


神威の台詞を聞いて、苦笑を浮かべながら、そんな事を思ってしまう。


「・・・成る程。今の俺では役不足・・・と言う訳か。」


「いえ・・・そこまで言うつもりはありません・・・今のままでも十分愉しめましたし・・・ね。しかし、幾分飽きてきました・・・」


「・・・そうかい。だが残念だ・・・」


「・・・残念・・・とは?」


俺の言葉を聞いて、不思議そうに聞き返してくる神威に、笑みを浮かべながら腰に手を当てる。


「フッ・・・俺はもう・・・飼うのも飼われるのも御免なんでね・・・自分のケツは自分で拭う。テメェの手解きなどいらん・・・それが俺の答えだ。」


「・・・成る程。どうやら強硬手段しかないようですね・・・」


俺の答えを聞いて、暫くの沈黙の後、神威が意味深な言葉を呟いた。


「・・・どう言う意味だ?」


「フッ・・・気付きませんか?こちらに向かっている鬼気に・・・」


「何・・・?ッ!」


神威にそう言われ、俺は後ろを振り返った。


気を失っているのか、木にもたれて動かない桜のその先に、意識を集中させる。


そして感じた、僅かな鬼気・・・


神威の巨大な妖気に霞んで、今まで全く感じられなかった・・・


まさか・・・あいつ!


もっと早く気が付くべきだった・・・


「・・・鬼は、拙等妖怪の中でも、最も生命力が強いんですよ・・・だからこそ、その存在感は妖気よりも禍々しい・・・しかし。」


「師匠ーっ!!」


そして遠くから聞こえてくる、聖の俺を呼ぶ声。


ズシン、ズシン!ズシン!!


地響きを轟かせながら、こちらにやってくる影・・・


巨大な黒い狼と、その背中に跨った少女・・・そしてその傍らに、巨大な鬼が大地を蹴って駆け抜ける姿。


「鬼にも弱点はある・・・首を撥ねるか・・・もしくは・・・」


「クソッ!!」


神威の言葉の真意を察した俺は、吐き捨てた後に、聖達に向かって駆け出した。


「フフフ・・・約束は守ります。そちらで気を失っている方には手を出しません・・・」


「聖ッ!!逃げろオオオォォォーッ!!」


「え?ッ!!」


ズブリ・・・


「ッ?!グオオオォォォーッ!!」


突然、聖達の隣を走る鬼の胸に、現れた神威の腕が、深々と突き刺さり、鬼の絶叫が辺りに響き渡る。


「・・・グポッ!」


それと同時に、聖の胸から血が噴き出し、吐血を吐いて、クロの背中から、聖の体が緩やかに落下し始める。


「主ッ!!」


俺が護ろうと思った・・・そう誓った、二人目の存在・・・


こんな事になるのならば・・・一緒に連れてくるべきだった・・・


そして・・・どんな事があっても、護りきるべきだった・・・


「聖イイイィィィーーーッ!!」


自分でも驚く程の絶叫が、木霊となって辺りに響き渡った・・・


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