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宝仙伝  作者: 神無月拓楼(旧HN現武壱)
7/23

白銀憐舞之章

「ヒック・・・ヒック・・・」


幼い子供のすすり泣く声が聞こえる。


夕暮れ間際、村はずれの森へと続く道の途中で、一人の少女が泣いていた。


光り輝く白銀の髪、少し尖り気味の耳。


頬には、入れ墨を思わせるような二本の痣。


人とは違う異形の姿の少女が、ただ静かに泣いていた。


「・・・どうしたの?沙希。」


そんな少女に、優しく語りかける女の声。


「ふぇ・・・おかあさん・・・」


沙希と呼ばれた少女は、母親の存在を確認すると、その足にしがみ付き、きつく抱きしめる。


「おかあさん・・・なんでみんなは、沙希にいしをなげてくるの?沙希・・・みんなといっしょにあそびたいだけなのに・・・」


自分が泣いている所を、母に見られたくないのか、沙希は顔を埋めたまま、自分が泣いている理由を告げた。


「・・・そう。」


そんな沙希の頭を、母親は、何度も優しく撫でて落ち着かせる。


「お母さん・・・なんでみんな沙希をいじめるの?・・・沙希ここにいちゃいけないの?」


「そんな事無いわ・・・きっと・・・何時かみんな・・・沙希と一緒に遊んでくれるわよ。」


「・・・ほんとう?」


母親の言葉に、沙希はようやく顔を上げる。


「もちろんよ。お母さん、沙希に嘘吐いた事無いでしょ?」


そんな沙希に、優しい笑みを浮かべながら、そう告げる母親。


「うん・・・」


「沙希は良い子ね・・・今は無理かも知れないけど・・・沙希がいつまでも優しさを忘れなければ、きっとみんなと仲良しになれるわ。」


母親の言葉に、今まで泣いていた顔が、満面の笑みへと変わる。


「うん!沙希いいこにしてる!」


「そう・・・もう暗くなるから、早くお家に入りなさい。」


「うん!えへへ・・・」


母親に促された沙希は、元気に返事をすると、しがみ付いていた手を離し、すぐそこに在る家へと走っていった。


「・・・本当に良い子・・・あの人みたいに、優しい子・・・」


沙希の後ろ姿を見送りながら、母親は一人呟く。


「あなたがいつまでも、その優しさを忘れなければ・・・何時かきっと、村の人達は受け入れてくれるわ・・・そう・・・」


そう言って母親は、暗くなり始めた紅い空を仰ぐ。


「私が・・・あの人に惹かれた様に・・・きっと・・・」


「おかあさ~ん!」


不意に、家の方から母親を呼ぶ沙希の声が聞こえてくる。


「・・・今行くわね。」


そう沙希に向かって叫んで、母親も家の方へと歩いて行くのだった。


江戸を出立して十日、豆州に入って三日が過ぎていた。


俺と聖は、三日前に辿り着いた村の宿屋で、今尚足止めをくらっていた。


相変わらず裏街道に沿って歩いている為、思うように距離を稼げないでいる。


その為、この村には一日滞在して出立する予定だった。


だが・・・


「ゴホッ!ゴホッ!」


「・・・大丈夫ですか?」


不覚にも、この村を出立しようとした矢先に、俺は風邪を引いてしまったのだった。


「はぁ・・・あぁ・・・」


思考散漫な頭で、俺の具合を気遣ってくる聖に答える。


体は鉛のように重く感じ、気怠さと吐き気、咳と鼻水が止まらない。


典型的な風邪の症状の上、熱も出ているようだ。


「お風呂に入って、暖まったのに、外になんか出るから風邪引くんですよ。」


「ゴホッ!・・・うるせぇ・・・」


風邪を引いてからというもの、毎日同じ事を何度も言われ続けていた。


ここの所、毎日のように妖刀を使いこなす訓練をしてきた。


今となっては、完全に日課となっている程だ。


三日前も同じように訓練をしようと、風呂上がりに外に出たのだが。


見事に湯冷めしてしまったようだ。


「もう冬だって言うのに・・・一体何してたんですか?」


「しつこいぞおまえ・・・単なる散歩だって言ってるだろ・・・ゴホッ!ゴホッ!」


「本当ですか~?」


俺の答えがやたら不服なのか、疑惑の目を向けてくる聖。


俺は聖に、日課の事を話していなかった。


何がどうと言う訳でもないのだが、俺が持っている短刀が、妖刀だとは教えていない。


なので、日課に関しても、なるべく聖が寝た後に行ってきた。


だが聖自身、俺の嘘に感づいているのだろう。


その為か、俺から本当の事を聞き出そうと、何度も同じ事を言っている節がある。


「はぁ・・・不覚だ・・・」


誰に対してと言う訳でもないが、俺はそう呟いて、敷かれている布団に潜り込む。


「早く出発しなければ・・・山越え出来ないと言うのに・・・」


このまま街道を進めば、多少の雪など気にせず西へと向かえる。


だが俺達は、この先で山に入り、山間の村を目指す予定だった。


「しょうがないですよ・・・春先までとは言わないですけど、これから本格的に冬ですし・・・一月は山越えは無理ですよ。」


「・・・んな事・・・言われねぇでも解ってるよ。」


俺達の当面の目的地は京だ。


単に京を目指すだけならば、雪などさほど問題ではない。


だが俺は、あの村の近くを通る時は、なるべく寄るようにしていた。


「・・・あの村に行くんですよね・・・いつも思ってたんですけど、いつもあそこに寄る用事って何なんですか?」


聖のもっともな疑問。


そう言えば、こいつにはまだ話していなかったな・・・


今更な事を思い出して、俺は思わず苦笑する。


「・・・海淵の墓が在るんだよ。」


「あ・・・そう・・・だったんですか・・・すいません・・・」


「別に・・・謝る様な事じゃねぇだろ。」


聞いてはいけない事でも聞いた様な仕草を見せる聖。


全く・・・何をそんなに気遣って居るんだか・・・


先代・金剛夜叉明王珠継承者、第十二代目宝仙・海淵の墓。


ちょうど一月ほど前に、初めて聖に話し聞かせた俺の過去。


俺が『宝仙』を名前として使い始めた理由。


聖に聞かせた事は、大体の大まかな事でしかなかった上、墓には俺一人で行っていたので、聖が知らなくても当然の事だ。


「・・・おまえも、墓参りするか?」


「え・・・?」


「あいつに、おまえを紹介する良い機会だろ。」


「あ・・・はい!」


先程までの憂いは消え失せ、聖の顔に笑みが戻る。


全く・・・扱いやすいと言うか・・・何というか・・・


「ゴホッ!ゴホッ!・・・はぁ・・・」


「だ、大丈夫ですか?」


俺が咽せる度に、心配そうに俺を覗き込んでくる聖。


笑っていたと思えば、怒り出し、泣きそうな顔になったと思えば、心配そうな顔になる。


表情が豊かに変わる辺りは、全くもって聖らしい。


「あぁ・・・」


そんな聖の顔を見ながら、俺は答える。


「手持ちの薬が無くなっちまったな・・・」


「私、買ってきますね!」


「あ・・・おい!」


俺の制止が聞こえなかったのか、聖は、それだけ言うと、慌ただしく部屋を出ていってしまった。


全く・・・忙しない所も、聖らしい・・・か。


そんな事を考えながら、聖が帰ってくるまで、布団にくるまっている事にした。


「不覚だ・・・」


師匠の真似をしながら、先程出てきた宿屋へと続く道を歩く。


ここの様な小さな村に、薬師が居る訳もないので、宿屋の女将さんに、薬を売っていそうな所は無いか教えてもらい、そこへと行ってきた帰り道。


慌てて出てきたので、私が持っているお金では足りない事に気が付いた。


「うぅ~・・・恥ずかしい・・・」


あまりの恥ずかしさに、私は頭を抱えながら、独り言を呟く。


冬の冷たい空気にもかかわらず、恥ずかしさの所為で、寒さをあまり感じないみたい。


自分ではよく解らないけど、それほど紅潮しているみたいだった。


「はぁ~・・・クロは薬草とか解る?」


姿は見えないけど、いつも私の側に居る筈のクロに向かって、そう呟いてみる。


「・・・あまり詳しくない。」


私の呟きに対して、どこからか聞こえてくるクロの声。


再会するまで山で暮らしていたクロだったら、薬草の事が解るかも知れない。


そう思った私だったけど、クロの返答を聞いて、少し落胆してしまった。


「そっか・・・うぅ~ん・・・どうしよう。」


そう呟いて、足を止めてあれこれ考えてみる。


このまま素直に宿に戻って、師匠からお金を貰えばそれで済む事だけど、それだとますます恥ずかしい。


「・・・あれ?」


不意に、少し離れた所から、争い合う様なざわめきが聞こえてきた。


「・・・何かあったのかな?」


何故かそれが無性に気になった私は、声が聞こえてくる方へと足を向けた。


声が聞こえてくる方へと近付くにつれ、何を争っているのか聞こえてくる。


誰かを責めてる・・・?


更に進むと、村の人達が集まり、人垣になっているのが見えた。


「疫病神が!早くこの村から出ていけ!」


人垣の中の一人の声に、周りから同意の言葉が聞こえてくる。


「疫病神って・・・」


その言葉の真相を確かめる為、人垣が途切れている場所から、村の人達が取り囲っているだろう人物を見てみる。


「・・・綺麗・・・」


その人物を見た瞬間、思わずそう呟いてしまった。


冬の陽の光を受けて、きらきらと光り輝く銀色の髪。


尖った耳と、両頬に猫の髭のような黒い二本の痣。


凛々しい顔立ちに、髪と同じ色の瞳。


人とは違う容姿でも、伝わってくる雰囲気からは、大人の女性の色香が感じられた。


けど、その人の瞳からは、明らかに怯えている感じが伝わってくる。


「早く出ていけ!化け物!」


ヒュッ!


その言葉と同時に、誰かが彼女に石を投げつけた。


「キャッ!!」


彼女は、小さい悲鳴と共に、身を小さくして、投げつけられた石をなんとか避けた。


「ッ!!何してるんですか!」


その光景を見た私は、勢い余って、人垣と女の人の間に割って入った。


「な、なんだよ・・・お坊さんが、そんな化け物を庇うのかよ!」


「そうだ、そうだ!そいつは化け物なんだ、ちょうど良いから、そいつを退治してくれ!」


私の恰好を見た人達が、口々にそんな事を言ってくる。


「みなさん・・・みなさんが、この人に何をしたか・・・解ってるんですか?!」


怖じ気づく事無く、私は村の人達を睨みながら叫んだ。


「怯えてるじゃないですか!なんでこんな事をするんです!」


「あ・・・」


私の言葉に、後ろから小さく、消え入りそうな声が聞こえてくる。


「なんだあんた。坊主のくせに、半妖なんか庇いやがって!」


「余所者が!しゃしゃり出てくるんじゃねぇ!」


半妖・・・


彼女の人とは違う容姿から、薄々は感じていた。


人でも、妖怪でも無い、その中間の存在。


逆を言えば、人であり、妖怪でもある存在。


なのに、その存在は禁忌とされて、人からも、妖怪からも受け入れられない存在。


師匠が旅をする目的、静菜さんと同じ存在。


「・・・そんなの、関係ありません。」


ゆっくりと首を横に振ってから、そう呟いた。


「確かに私は、余所者です・・・けど!この人は、怯えてるんですよ?!・・・彼女が何かしたのであれば教えてください・・・ですが、何もしていないのに、こんな仕打ちをしたのであれば・・・私は、あなた達を許しません!」


そう言って、きつい眼差しで、村の人達を睨み付ける。


いつの間にか、金華龍を呼び寄せる時の様な、あの五感が研ぎ澄まされた感覚が現れていた。


「うっ・・・」


私の言葉に、村の人達が言葉に詰まっているのが解った。


・・・やっぱり。


村の人達の態度から、彼女が人を困らせる様な事をしていないのではないか、そう感じ取っていた。


「・・・なんで、こんな事をするんですか?彼女だって、生きてるんですよ?」


「あ、あんた。そんな化け物を庇うと、ろくな目に遭わないぞ!」


「・・・見かけが、そんなに大事ですか?」


「え・・・?」


「草も・・・木も・・・動物も・・・妖怪だって、人とは違う姿でも、ちゃんと生きてる・・・この世界は、私たち人間だけの世界じゃ無いじゃないですか!私たちは・・・色々な恩恵を受けて生きている・・・言葉が通じなくても、姿形が違っても、彼女だって生きているんです!皆さんに・・・命を否定する権利がありますか?」


村の人達に解って欲しい、そう切実に祈りを込めて、その気持ちを言葉にする。


私の言葉で、取り囲っている人達の何人かが、項垂れているのが見えた。


・・・もう少し。


そう思った私は、先を続けようと口を開いた。


「小娘が・・・何を言うか・・・」


その言葉で、言いかけた言葉が、喉の所で止まってしまう。


「村長・・・」


誰かの呟きと共に、私と後ろの彼女を取り囲んでいる人垣が、二つに割れる。


その間から、一人の髭面の杖を持った老人が、私たちの前へと歩み寄ってくる。


「ご高説痛み入る・・・が、その娘は、禁を犯して生まれた娘・・・存在を否定されても、しょうがないと思うんじゃがの?」


村長と呼ばれた老人は、薄ら笑いを浮かべながら、私の体をなめ回す様に見つめてくる。


「第一・・・お嬢ちゃんの様な、仏に仕える身の者が・・・そんな事を言っても良いのかの?確かに・・・その娘は、今までに悪さをした事は無い。じゃが、今後もそうとは言いきれん・・・もし、この先、その娘が災いをもたらしたとしたら・・・お嬢ちゃんが責任を取ってくれるのかの?」


そう言って、村長は、卑しい笑みを浮かべている。


正直、吐き気を催す様なその笑みに、嫌悪感がわき出てくる。


「・・・あなたに、未来が解るんですか?」


「なに・・・」


「確かにそうかも知れない・・・けどそうならないかも知れない・・・あなたに、そんな事言いきれるんですか?」


「小娘が・・・」


私の言葉に、村長の顔がみるみる紅潮していくのが解る。


それでも私は、構わずに続ける。


「未来なんて、誰にも解りません。だったら私は、みんなでより良い方向へと導けば良いと思っています。村長さんがそう思うんでしたら、そうならない様に、みんなで導けば良いじゃないですか!」


「小娘・・・儂の言う事が、間違っておるとでも言うのか・・・ッ!!」


そう毒づいたと思った瞬間、村長は、手にしていた杖を掲げて、私目掛けて振り下ろした。


避けようと思えば、今の私だったら容易い事だろう。


けど私は、避けずに受け止めようと思い、間合いを計った。


ガシッ!!


手で握ろうと思った瞬間、村長の杖が、クロの口によって受け止められた。


「クロ・・・」


「ウウウゥゥゥ・・・」


クロは、低いうなり声を上げながら、その紅い瞳で、村長を睨み付けていた。


クロの突然の登場で、辺りが一瞬静寂に包まれる。


「ば、化け物だ!!」


静寂を破ったのは、そんなお決まりの台詞だった。


「違う!この子は・・・」


「ヒ、ヒィィィー!!」


私が否定しようと口を開きかけた瞬間、村の人達は、引きつった顔でちりぢりに散っていってしまった。


村長も、老人とは思えない身のこなしで、クロが口に銜えている杖を、引っぱり出すと、そのまま走って逃げていってしまった。


先程までの喧騒が嘘の様に引き、辺りには冬特有の澄んだ空気が流れる。


その場には、私とクロ、そして・・・


「あの・・・」


その声に振り向き、後ろにいる銀髪の女性に顔を向ける。


彼女の瞳には、相変わらず怯えの色が伺えた。


「・・・驚かせちゃって、ごめんなさい。」


そう言って、苦笑しながら謝る。


「え・・・?」


私の言葉が、そんなに予想外だったのか、困った顔をして、どう反応して良いのか解らないでいる様だった。


「えっと・・・その、あの・・・」


そう言いながら、言葉に詰まっている彼女を見ていると、次第に可笑しくなってきてしまう。


最初見た時に感じた凛々しさが全く感じず、私と同世代くらいの少女の様な反応。


「プッ・・・アハハ!」


そんな彼女の正反対の印象の食い違いに、遂に笑い出してしまった。

良く晴れた昼下がり、村はずれの森の中に建てられた一軒の家の中で、幼い少女が眠そうな目を擦っていた。


「沙希・・・お昼寝の時間よ。」


「や~!おかあさん、どっかいっちゃや~!」


そう言うと沙希は、顔を大きく振って必死に眠気を追い払おうとする。


「我が儘言わないの・・・さぁ・・・」


そんな沙希に近づいた母親が、沙希の体を持ち上げて敷かれている布団に寝かせる。


「沙希が起きるまでには、帰ってくる様にするから・・・」


「・・・ほんとう?」


「えぇ・・・」


母親は、沙希をなだめる様に、ゆっくりと少女の頭を撫でてやる。


「そうだ。沙希が寝るまで、お母さんお話をしてあげるわね。」


「うん・・」


沙希が頷いたのを確認して、母親は静かに物語を話し始めた。


「昔々・・・ある所に、どんな願いでも叶えられる、とても不思議な女の子が居たの・・・」


「どんなおねがいごとも?」


「そうよ・・・その女の子は、とても優しい女の子で・・・みんなが喜ぶ事に、その力を使おうと心に決めていたの・・・泣いている人が居れば、冬でも花を咲かせたり・・・病で苦しんでる人が居れば、その病気を治してあげたり・・・」


ゆっくりと語り紡がれる言葉を、少女は聞き逃さぬ様、眠い目を一生懸命開けながら聞いていた。


「ある日・・・旅人が女の子に言いました。『何故その力を自分の為に使わないんだい?』女の子は言いました。『私は、私の為に力を使ってます。私は、みんなの笑顔が好きだから・・・』・・・フフッ、眠っても良いのよ?」


「ん~ん・・・」


母親は、今にも眠りそうな沙希に微笑み掛けながら言うも、必死に頭を上げて拒絶する。


そんな沙希を母親は、困った様な顔をして苦笑している。


「もし沙希が、女の子みたいにどんな願いでも叶えられるとしたら・・・そうしたら、どうする?」


「ん~・・・沙希、みんなとなかよくしたい・・・」


「そう・・・」


「おかあさんは?」


「そぉねぇ・・・お母さんはね、そんな力、無い方が良いと思ってるの。」


「どうして?」


沙希の質問に、母親は遠くを見る様な眼で、沙希を見つめる。


「・・・どんなに小さな事でも、自分で叶えるからこそ価値があるのよ・・・」


「ん~?」


母親の答えに、沙希は不思議そうな顔で母親を見つめる。


「フフッ・・・沙希にはまだ解らないか。さ・・・続きは夜にしましょう。もうおやすみなさい・・・」


そう呟いて、母は沙希の胸を規則正しく、安心させる様に優しく叩く。


それに併せる様に、ゆっくりと目を瞑った沙希の口から、次第に規則正しい寝息が聞こえてくる。


「ん・・・」


「・・・どんなに小さくても・・・それが例え砂の様に細かくても・・・その想いが本当なら、きっと叶うわ・・・」


安らかに眠る沙希の顔を見つめながら、ポツリと呟く。


沙希が完全に寝付いた事を確認してから、母は立ち上がる。


「それが・・・あなたの名前に込めた・・・私たちの想い。」


沙希の顔を見下ろしながら呟き、母は戸へと向かって行った。


沙希が起きぬ様に戸を開き、外へと出ると後ろ手に戸を閉める。


外に出た母は、村の外れの森に建てられた、母子の家からでも見える程の豪勢な屋敷へと、足を向けて歩き出した。


「ゴホッ!ゴホッ!・・・それで、連れてきたって訳か・・・」


そう呟いて、聖が連れてきた銀髪の女を見る。


何故かその女は、俺と目があった瞬間、目を逸らし俯いてしまった。


・・・今度はまた、随分でかい犬だな・・・


そんな事を思いながら、深くため息を吐くと、俺は布団から出た。


「あの・・・師匠?」


「なんだ?」


聖の声に相づちを打ちながら、浴衣の帯に手を掛ける。


「な、なんで着替えようとしてるんですか!」


「うるせぇな・・・おまえもさっさと荷物を整理しろ・・・ゴホッ!」


慌てて叫んでくる聖を余所に、着慣れた僧服を着込んでいく。


横目で銀髪の女を見てみると、顔を赤らめて、更に縮こまっていた。


「え・・・?もしかして、このまま出発するんですか?」


そんな事を聞いてくる聖に、俺は再度ため息を吐く。


「阿呆・・・そいつを庇った上に、クロまで見られたとなれば、ここでのうのうと寝てる訳にもいかんだろう・・・ゴホッ!ゴホッ!」


おそらく、村人共はこの宿屋に集まってくるだろう。


そんな事を考えていた俺の脳裏には、農具で武装した村人共に囲まれる、間抜けな絵図が浮かんだ。


「あ・・・すいません・・・」


俺の指摘に、聖は申し訳なさそうに謝ってくる。


そんな聖を見て、俺は三度ため息を吐いた。


「ったく・・・おまえは何か間違った事でもしたのかよ?」


「そ、そんな事無いですけど・・・でも・・・」


「おまえが正しいと思ってした事なんだろう?だったら、胸を張っていろ。」


「あ・・・」


そう言いながら、最後に羽織を着込み、いつもの恰好に戻る。


聖に足りない物が有るとするならば、それは自尊心だろう。


こいつはいつも、自分で選んだ事に対し、自信が持てないでいる様な節がある。


それさえ治れば、俺も楽なんだがな・・・


「解ったらさっさと荷物を持ってこい。」


「は、はい!」


そう元気に返事をすると、聖は隣の部屋へと慌ただしく向かっていった。


部屋には、俺と銀髪の女だけが取り残されてしまった。


・・・そう言えば、こいつの名前を聞いていなかったな。


今更な事を思い出し、俺は思わず苦笑する。


「なぁ・・・」


ビクッ!


俺が声を掛けると、彼女は大きく体を震わせる。


・・・なんだかなぁ・・・


その仕草を見て、俺は後頭部を掻きながら、またため息を吐いた。


「・・・あんた、名前なんて言うんだ?」


そう聞いてはみたものの、彼女から一向に返答は返ってこなかった。


俺と目を合わせようともせず、ただ震えて所在なさげにしている。


髪と同じ色の瞳には、明らかに俺に対しての怯えが見える。


「・・・あいつの名前は知ってるな?」


そう言いながら、聖が入っていった部屋を指差しながら聞いてみる。


コクン・・・


俺の質問に対し、彼女は、頭を上下に動かして同意する。


「俺の名前は、宝仙だ。あんたは?」


そう言って、今度は俺の名前を先に教えてから、再度同じ質問を繰り返す。


相変わらず黙っているが、辛抱強く彼女の口が開かれるのを待つ。


「・・・さ・・・」


「うん?」


蚊の鳴く様な、弱々しい声を出したかと思うと、また彼女は黙り込んでしまった。


だが、それでも俺は、辛抱強く彼女を見つめ、彼女が口を開くのを待つ。


「さ・・・沙希・・・」


暫くの沈黙の後、彼女・・・沙希は、ようやく自分の名前を口にした。


やれやれ・・・自己紹介だけで、こんなに手間取るとわな・・・


それだけ、彼女が男に対して免疫が無いのか、余程恐いのかのどちらかなのだろう。


「沙希・・・か。すまんが、俺達を沙希の家に案内してくれないか?」


コクン・・・


相変わらず口ではなく、頭を上下に動かして応えてくる。


ちょうどその時、隣の部屋から、荷物を持った聖が現れた。


その荷物の中から、俺は自分の錫杖を抜き取り手に持つ。


「話は付いた。とりあえず彼女の家に行くぞ・・・ゴホッ!ゴホッ!・・・はぁ・・・」


そう言いながら、俺は廊下へと続く戸へと歩いていく。


「はい、解りました。行きましょう、沙希さん。」


「はい・・・」


彼女達のやり取りを聞きながら、俺は戸を開こうとしていた手を止めて振り返る。


「おまえ・・・彼女の名前知ってたのか?」


そう言いながら、聖の顔を見つめる。


「そりゃあ知ってますよ。会った時に聞きましたもん。あれ?沙希さんの名前言ってませんでしたっけ?」


・・・こいつ・・・


「・・・聞いてねぇよ・・・」


そう呟いて、俺は今日何度目かのため息を吐いた。


しっかりしている様で、こいつはどこか抜けている。


それも聖らしいと言えるのだがな・・・


そんな事を考えながら、俺は廊下へと続く戸を開く。


開いた瞬間、出会い頭に宿屋の女将が、部屋の前に立っていた。


いきなり出てきた俺達に驚いた素振りも見せず、女将は顔を伏せて立っていた。


どうして良いのか解らず、立ちつくしていた・・・そんな雰囲気を感じた。


「・・・あんたに迷惑はかけねぇよ。」


そう呟くと、女将は、一瞬驚いた様な顔で、俺を見る。


だが、すぐに顔を伏せると、端に寄って道を空けた。


俺達は、女将の横を通り抜けると、宿屋の玄関へと向かった。


恐らく、村人の全てが、沙希を毛嫌いしている訳でもないのだろう。


だが、彼女を庇えば、自分も同じ目に遭うのが解っているからこそ、何も出来ないでいる・・・そんな所か。


そんな事を思いながら、廊下を歩く。


「ゴホッ!ゴホッ!・・・」


「大丈夫ですか?」


「あぁ・・・とりあえず、目眩は無くなった・・・」


正直な所、あまり芳しくないのだが、今はそんな事を言っていられる場合でもない。


宿屋の玄関に近付くにつれて、外が騒がしい事に気が付く。


大体予想通り・・・か。


意を決し、俺達は宿屋の外へと出ていく。


そこには、農具こそ持っていないが、明らかに殺気立った村人達が、宿屋を囲んでいた。


「ぁ・・・」


「師匠・・・」


俺に遅れて、宿屋から出てきた二人の、不安そうな声が聞こえてくる。


それには応えず、村人達を引き連れてきたであろう人物に目を向ける。


ちょうど俺と対面する形で、村人達を先導する様にして立っている髭面の老人。


手にしている杖と、他の者達とは違う豪勢な着物から、先程聖から受けた説明に出てきた村長だと直感する。


「お若いの・・・どこに行こうと言うのかね?」


老人が俺に対し、嫌味な笑みを浮かべながら言ってくる。


成る程・・・確かに生理的にムカツク奴の様だ。


「あんた等に、何か関係でもあるのか?」


そう言いながら、俺も老人に向かって、冷笑を浮かべる。


「関係・・・か。儂等には大いに在ると思うのじゃが・・・その化け物共をどうするつもりじゃ?」


そう言いながら、俺の後ろに居る二人を、なめ回す様に見つめている。


このジジィ・・・


「私たちは、化け物なんかじゃありません!」


老人の暴言に対し、俺の後ろから、聖が叫んだ。


「ほぉ・・・半妖の娘と、化け狼を引き連れた娘・・・化け物以外の何だというのじゃ?」


「ッ!!」


老人のその言葉に、後ろにいる聖から怒気が発せられる。


だが俺は、そんな聖を手で制しながらなだめる。


「何を言うかと思えば・・・こいつ等は人間だ。」


薄笑いを浮かべながら、後ろの二人を見ている老人に向かって、俺はそう言い切る。


「・・・成る程。弟子が弟子ならば、師匠も師匠と言う訳か・・・愚かな。」


「愚か・・・?愚かなのは、あんたの方だろう。ゴホッゴホッ・・・」


老人の言葉を、鼻で笑いながら呟く。


「・・・何?」


俺の言葉を聞いて、老人の顔が怒りに変わるが、構わず続ける。


「肉体など、精神を入れる器に過ぎんと言うのに・・・」


そう言って、今度は老人の後ろに居る村人達を順に見やる。


「おまえ等。この娘・・・沙希がどんな女か、俺達よりあんた等の方が、良く解ってるんじゃないのか?沙希がその気だったら、おまえ等全員もう死んでるよ。半妖とは、それだけの力を秘めているんだ・・・」


「だからこそ、そうならぬ様に、早く追い出さねば為らぬのではないか!」


俺の言葉を遮り、老人が叫ぶ。


「黙れジジィ!おまえに話してるんじゃねぇんだよっ!!」


村人達に向けていた顔を老人に戻し、殺気を込めて一喝する。


「ぐっ・・・」


俺の迫力に押されたのか、老人は低い唸りを上げながら押し黙った。


老人が沈黙したのを見届け、顔を村人達へと戻す。


「ゴホッ!・・・何故そうならなかったのか、おまえ等がよく解ってるんじゃねぇのか?これからもこのままだとは言いきれんさ。何故なら、おまえ等が今後も、彼女に同じ事を繰り返し続けるとするなら・・・誰がそんな事を言いきれる。」


俺の言葉に、村人達のざわめきが、次第に小さくなっていく。


「因果応報という言葉を知っているだろう・・・正にそれだ。このまま同じ事を続けるので在れば・・・おまえ等の行いが、報いとして返ってくるだろうよ。」


「・・・小僧・・・貴様、何様のつもりじゃ!」


切りのいい所で、そう老人が言ってくる。


それに対し、俺は老人に苦笑しながら応える。


「別に・・・俺はただ、警告しているだけさ。おまえ等の愚かさにな。」


そう言って、再度村人達へと顔を向ける。


「ゴホ・・・目に見える物が、全てでは無い。そんなに見た目が大事なら、目を瞑れば良いだけの話だろう。」


俺の言葉に、ほとんどの村人達が沈黙する。


「師匠・・・」


聖の呼びかけに、俺は後ろを振り返る。


どことなく、安堵の表情の聖と、まだ不安そうにしている沙希の顔を確認する。


「・・・貴様・・・どこまでも儂を虚仮にしおって・・・」


その言葉に、俺は老人の方に顔を戻す。


怒り心頭しすぎて、顔を真っ赤にした老人。


「あんまり怒ると、血管が切れるぜ?」


そんな老人に対し、鼻で笑いながら声を掛ける。


「グッ!!皆の衆!そいつ等を捕らえよ!」


老人が、村人達に対しそう叫ぶも、ほとんどの者が動こうとしなかった。


ほんの数人、老人の命に前に出る者も居たが、周りの者達が動かないのを確認すると、人垣に戻っていった。


「どうしたのじゃ!何故行かん!」


全く動こうとしない村人達に、老人の怒りは、村人達へと矛先を変えていた。


「・・・村長・・・もう辞めましょうよ。」


「な、何じゃと?!」


予想外の村人達の反応に、さすがの老人も驚く。


「お雪さんには、俺等も色々世話になったしな・・・」


「あ・・・」


村人の一人の呟きに、後ろに居る沙希が声を漏らす。


その反応から、恐らく『お雪』と言うのは、彼女の肉親だろう。


「き、貴様等!あんな化け物を放って置いても良いと言うのか?!」


「確かに気味は悪いが・・・」


「ぁ・・・」


村人の言葉に、後ろの沙希の掠れた声が聞こえてくる。


「それなら、早く・・・」


「いい加減にしてください!」


不意に辺りに響き渡る、聖の悲痛な叫び。


聖の突然の叫びによって、村人達の視線は聖に集まる。


「人間だとか、妖怪だとか・・・種族って、そんなに大切な事なんですか?人間にだって、良い人も居れば、悪い人が居る様に・・・妖怪だって同じなんです!それに差は有るんですか?」


そう言いながら、一歩ずつ村人達の前へと歩み寄って行く聖。


「私たちは生きてます・・・それは沙希さんだって同じです。それに差が有るんですか?!話し合えば・・・みんなで考え合えば、一緒に生きる事だって出来るかもしれないのに・・・」


そこで一旦言葉を切り、聖はゆっくりとした動作で、村人達を順に見ていく。


「・・・暴力だけで、物事を解決し合うなんて・・・そんなの悲しすぎませんか?」


聖のその一言で、ほとんどの村人達は押し黙る。


全く・・・随分大層な事を、言う様になったな。


聖の後ろ姿を眺めながら、そんな事を思って、おもわず苦笑する。


「私たちは・・・思いやる事だって、出来るじゃないですか・・・最初から出来ないなんて思わないでください・・・諦めないでください!ちょっとだけでも良い・・・ほんのちょっとづつ、何が大事なのかを・・・みんなで考えていきませんか?」


そう締めくくられた聖の言葉。


村人達の方を見ると、頭を垂れている者や、考え込む者など様々だった。


ただ一人、髭面の老人を取り除いて。


「小娘・・・御託ばかり並べおって・・・」


そう言いながら、怒りで肩を戦慄かせながら、聖へと詰め寄ってくる。


「ッ!?どけ!若造めがっ!!」


咄嗟に聖の前に立った俺に向かって、老人が叫ぶ。


「悪いが・・・それ以上うちの馬鹿弟子に、近づかないでもらおうか。」


「師匠・・・」


後ろから聞こえてきた聖の声に、軽く手を挙げて応える。


「ゴホッ!ゴホッ!・・・ふぅ・・・あんたの趣味に、とやかく言うつもりはないが・・・それ以上そんな眼で、こいつ等を見るのは辞めて貰おうか。」


そう言いながら、顎で後ろに控えている女達を指しながら言う。


「な、何を訳の解らない事を言っておるか!そこをどけっ!!」


俺の言い分に、老人は明らかな動揺を見せた。


俺が最初にこの老人を見て感じた事。


俺の良く知った目、見飽きたと言ってもいい目つき。


この老人は、聖と沙希の二人に、欲情していた。


「どかぬと言うので有れば・・・」


そう呟いて、老人は手に持っていた杖を、高々と掲げる。


「ッ!!」


その光景を見て、俺もまた手にしていた錫杖の尻を、老人の喉笛に突き付ける。


突き付けられた事により、老人の動きは止まり、苦虫でも噛みつぶした様な表情で俺を睨んでくる。


「・・・二度は言わん・・・てめぇがそこを退け。」


「クッ・・・こ、この・・・儂を誰だと思っておるか!儂は、儂は!!」


「んな事・・・俺の知ったこっちゃねぇよ・・・退け。」


そう呟いて、徐々に殺気を膨らませる。


「クッ・・・小僧・・・このままで済むと思うなよ・・・」


暫くの間、硬直していた俺達だったが、最後には老人が折れて、吐き捨てる様に呟くと、その場を去っていった。


遠巻きに見ているだけだった村人達も、俺達のやり取りを見てか、白い眼で俺を見ていた。


「・・・行くぞ。」


それだけ呟くと、その場を後にするべく、俺は歩き出した。


「あっ!待ってくださいよ!沙希さん。」


「あ・・・はい・・・」


俺に遅れる形で、二人も後に続いてくる。


村人達の垣根を超えて、とりあえず村の中心目指して歩いていく。


「・・・さっき村長さんに言った事って、どういう意味なんですか?」


不意に、聖が先程のやり取りの事を聞いてくる。


「おまえが知る様な事じゃねぇよ・・・ゴホッ!」


「え~?気になるじゃないですか!」


「んな事より・・・あんたの家はどっちだ?」


話を逸らすため、沙希に質問する。


「あの・・・森の方です・・・」


「森・・・か。あっちか?」


沙希の消え入りそうな声を何とか聞き取り、前方に広がる森を指差しながら聞き返す。


コクン・・・


沙希が頭を縦に動かして肯定したのを見届け、そちらを目指して歩みを進める。


「ぁ・・・」


不意に漏れた沙希の呟き。


振り返ると、立ち止まった沙希が、何かを見つめていた。


その方向に目を向けると、俺と同世代くらいの男が、木の陰から俺達を見ていた。


その男は、俺と目があった瞬間、会釈をして去っていった。


「・・・今の人って?」


聖が沙希へと質問するが、当の沙希は、去っていった男の後ろ姿を、悲しそうな瞳で見送っていた。


「・・・行くぞ。」


「ぁ・・・はい・・・」


俺の呟きに、ようやく我に返った沙希。


沙希の返事を確認してから、俺達は村の外れの森を目指して、また歩き出した。


屋敷の扉を荒々しく開いて、老人は中へと入っていった。


「おかえり・・・キャッ!!」


「クソ・・・クソッ!!どいつもこいつも、儂を馬鹿にしおって!儂はこの村の長じゃぞ!!」


老人は、出迎えた女が喋り終わる前に、手にしていた杖を掲げると、女目掛けて何度も叩き付ける。


「痛い・・・痛いです!や、やめてください!」


「うるさい!貴様も儂に意見するか!!このっ!このっ!!」


女の抗議に対し、全く聞く耳持たない老人は、何度も何度も彼女を痛めつける。


「はぁ・・・はぁ・・・」


「う・・・うぅ・・・グスッ・・・ヒック・・・」


杖をその身で受け止めていた女は、ついには泣き出し、老人の辛辣な行為が止んだ瞬間、一目散に走って逃げていった。


逃げていった女を、老人は追う事も無く、その後ろ姿をただ見守っていた。


「はぁ・・・はぁ・・・フン!あんな女、もうどうでも良いわい。」


そう呟いて、老人は奥の部屋へと入っていく。


「あの小僧・・・殺してやる・・・殺してやる!その次は・・・あの女だ・・・責めて責めて・・・女として生まれてきた事を、後悔させてやるわい・・・クックック・・・沙希と共に責めるのも一興か・・・」


老人は、常軌を逸した言動を繰り返し呟き、奥の部屋に飾られた真剣を手に持ち、抜き放つ。


刃こぼれ一つ無い真剣に、老人の狂気の瞳が映る。


「クックック・・・母娘共々・・・儂の下の世話をさせてやる・・・その為にはまず・・・」


ジュルリ・・・


そこまで言うと、真剣を舌なめずりし、鞘へと収めた。


「邪魔者は、排除しなくてはのぉ・・・クックック・・・あの小僧、体調を崩しておる様じゃったし・・・今ならば赤子の首を捻るも同然・・・」


そう呟いて、老人は屋敷の入り口目指して歩き出す。


『そんな物では・・・かの者には勝てぬぞ・・・』


不意に、辺りに響き渡る様な声。


「ッ!!誰じゃ!」


その声の元を探る様に、老人は辺りを警戒する。


だが、その声の主は一向に見つからなかった。


辺鄙な村には似つかわしくない屋敷。


その屋敷には、この老人しか住んでいなかった。


先程出ていった女は、老人の元で働いている近くに住む女で、家から毎日この屋敷へと通っている。


だが、その女も先程逃げ出していった為、この屋敷には老人しか居ない筈だった。


『かの者・・・我等が怨敵、明王衆が一人・・・金剛夜叉明王の力を受け継ぎし者・・・その昔、修羅と恐れられた者・・・』


老人しか居ない筈にも関わらず、再度声が響いてくる。


「誰じゃ!何処に居る!出てこい!!」


『汝の後ろだ・・・』


「ッ!!」


その声に驚き、老人は後ろを振り返る。


そこには、渦を巻きながら漂っている、黒く暗い子供ほどの背丈の穴。


「な、何じゃ・・・これは・・・」


『鬼門・・・』


「鬼門・・・?」


『我は・・・この地に封印されていた・・・』


「鬼門・・・鬼の門・・・」


老人は惚けた様に呟きながら、同じ言葉を繰り返す。


『この門は・・・汝の様な者の為に存在する・・・汝、この門を潜れ・・・』


「クッ・・・クックック・・・良いな・・・鬼の力が有れば・・・好きなだけ女を蹂躙出来ると言う事か・・・」


老人の惚けた様な顔に、再度狂気の色が蘇る。


『汝の願いがそうならば・・・それもまた可能だ。さぁ・・・参れ。』


鬼門より発せられた言葉に従う様に、老人は鬼門の中へと消えていく。


『人間とは・・・斯くも愚かな者也・・・』


ズルリ・・・


不意に、鬼門の中から人間の物とは思えぬ腕が突き出てくる。


「ケヒャッ・・・ケヒャッ・・・爽快じゃ・・・」


次いで、白い髭を生やし、人間には決して無い角を生やした顔が出てくる。


人はソレを、畏怖と暴力の化身『鬼』と呼ぶ。


「村長!居るのか?!村長!!」


不意に、屋敷の玄関から怒鳴り声が聞こえてくる。


「お妙が顔を腫らせて帰ってきたと思えば、村長にやられたと言うではないか!!説明しろ!!」


次いで、数人の男達の足音が、ドスドスと騒がしく聞こえてくる。


「事と次第に寄っちゃ・・・ッ!!」


数人の男達が、奥の部屋へと雪崩れ込むと同時に、変わり果てた老人の姿を目撃した。


「ケヒャッ・・・ケヒャッ・・・」


異様な笑い声を上げながら、鬼と化した老人が男達に躍りかかる。


阿鼻叫喚の悲鳴が屋敷に轟くも、ものの一瞬で聞こえなくなった。


「えぇっ?!沙希さんって十三歳なんですか?!」


沙希の年齢を聞いた聖が、目を丸くして驚いている。


まぁ無理もないか・・・十三と言えば、聖と一つしか違わないからな。


そんな事を思いながら、当の沙希を見てみると、なにやら恥ずかしそうに俯いていた。


俺と同じか・・・もしくはそれ以上に見えるのは認めるがな。


「ゴホッゴホッ・・・半妖の成長速度には、大雑把に分けて三種類有ると言われている。一つは、人間と同じ速度・・・まぁ個体差はある様だが、二十歳辺りを過ぎると、歳を取りにくくなると言われている。もう一つは、四、五年・・・最長で十年と言われているが・・・まぁそう言う年周期で成長する為、著しく遅い場合・・・最後は妖怪と同じで、成長する速度が速く、肉体がある一定の成長を向かえたら、そこで成長が止まる・・・彼女はこれだろう。」


あまりにももの珍しそうに見ている聖に、簡潔に説明してやる。


俺達は今、村から外れた森の中に建つ、沙希の家へと来ていた。


沙希の家は簡素な東屋で、すきま風が酷く家の中だというのに外と変わらぬ気温だ。


その為、まだ陽も昇っているというのに、囲炉裏には火が灯り、その周りを俺達が囲んでいる。


正直に言えば、服を着ているのでそれほど寒くはないが、俺の体調を気遣ってくれたのだろう、


「・・・驚くのも無理無いだろうが、あまりジロジロ見るもんじゃないぞ。」


沙希のつま先から頭までを、なめ回す様に見ていた聖に釘をさす。


「うぅ~・・・自信なくしました・・・」


恨めしそうに・・・いや、羨ましそうに呟いている聖に、ため息を吐いて呆れる。


「・・・馬鹿な事言ってんじゃねぇよ。」


「あの・・・」


不意に、沙希の消え入りそうな声が聞こえてくる。


「・・・ありがとう・・・ございます。」


「・・・別に、礼を言われる様な事をした覚えはない。」


そう言って、俺は懐から煙管を仕舞った箱を取り出す。


「そうですよ。気にしないで下さい。」


聖は、元気にそう言うと、屈託のない笑顔を向けていた。


「沙希さんは、ここで一人で暮らして居るんですか?」


「はい・・・お母さんは、去年病で・・・お父さんは、生まれる前に亡くなったそうなので・・・顔を知らないんです・・・」


「あ・・・ごめんなさい・・・」


「いえ・・・」


聖の何気ない質問で、二人の間に重苦しい空気が流れる。


俺はと言うと、そんな事にはお構いなしに、慣れた手つきで煙管に葉を詰めて火を付ける。


「でも酷いですよね・・・何もしてない沙希さんにあんな事するなんて・・・クロまで化け物呼ばわりするし・・・」


聖は、横に伏せっているクロの頭を撫でながら、村人達の不平不満を漏らしている。


おそらく、初めて彼女と会った時の、村人達の行動でも思い出しているのだろう。


「あの・・・村のみんなの事を・・・悪く言わないでください・・・」


「え?」


沙希の思いがけない一言に、聖の驚きの声が漏れる。


その一言に、俺もまた煙管を吸う手を止めて、彼女を見やる。


「・・・どうして、そんな事言うんですか?」


聖のもっともな質問に、沙希は自嘲気味な顔で、今にも泣きそうになっていた。


「・・・私が、半妖だから・・・みんなが怖がるのは、当然な事だし・・・私がこんな体だから・・・だからみんなが怖がってる・・・」


「そんな・・・沙希さんは、それで良いんですか?」


聖の訴えに対し、沙希は壊れそうな笑顔を俺達に向けてくる。


「・・・私が良い子にしていれば・・・きっといつか、みんなが受け入れてくれる・・・お母さんが・・・そう教えてくれたから・・・」


「・・・でも、沙希さんのお母さんは、沙希さんがそんな風に思う為に言った訳じゃ無いと思いますよ?」


「だったら・・・どうしたらいいんですか・・・もう・・・私には・・・もう、解らない・・・そう思う以外、どうしろって言うんですか?」


「それは・・・」


沙希の悲痛な言葉を聞いて、聖は押し黙る。


「・・・気にくわんな。」


「・・・え?」


今まで、二人のやり取りを見ているだけだった俺は、そう呟いて立ち上がる。


「良い子・・・良い子ねぇ・・・ゴホ・・・ゴホッ!ゴホッ!・・・おまえが言う良い子って言うのはつまり・・・都合のいい女・・・って事か?」


そう言って俺は、俺達とは対面に座っていた沙希の方へと近づく。


「・・・師匠?」


今までとは明らかに違う俺の態度に、聖が困惑気味に呟いてくる。


「あ、あの・・・」


対して沙希は、俺が一歩ずつ近づくにつれて、顔を強張らせている。


ダンッ!!


沙希に近づいた俺は、視線を座っている沙希に合わせ、左手を壁に付けて逃げ場を無くす。


「・・・ちょうど良い・・・抱かせろよ・・・」


「ッ?!」


俺の一言で、沙希の顔が恐怖へと変わる。


「なっ!!師匠、何言ってるんですかっ!!」


聖も、全く予想していなかった事態に、立ち上がって叫んでくるのが、気配で解った。


「・・・うるせぇな・・・ガキはすっこんでろよ・・・」


そう言いながら、俺は沙希の顔に自分の顔を近づけていく。


「い・・・いや・・・」


沙希のか細い抗議の声も、あえて無視して構わず近づけていく。


「いや・・・嫌ーっ!!」


耳をつんざく沙希の叫びを聞いて、俺の動きは止まる。


「・・・言えるじゃねぇか・・・ゴホッ!ゴホッ!」


そう呟いて、俺は沙希に近づけていた顔を離し、左手を降ろして解放させる。


右手に持ったままだった煙管を銜えながら立ち上がり、沙希を見下ろす。


「・・・え?」


当の沙希は、恐る恐ると言った感じで、俺を見上げていた。


「・・・おまえの中に、誇りはあるか?人でも、妖怪でも、半妖でもない。おまえ自身の誇りだ。」


「師匠・・・」


「おまえの母親の言葉を、おまえがどう解釈しようと勝手だが・・・おまえがそんな事だと、いつまで経っても同じ事の繰り返しだ・・・自分の主張を出さないで、全てを受け入れる・・・今のおまえにはお似合いだぜ。」


そう言って、俺は東屋の入り口に足を向ける。


「あ・・・」


「ゴホ・・・おまえの両親は、全てを投げ出す覚悟でおまえを産んだ・・・禁を犯しておまえを産んだ・・・もう一度聞こう、おまえに誇りは有るのか?そんな両親に、恥じる事無い誇りは有るのか?」


最後にそう言って、俺は入り口目指して歩き出す。


「・・・ちょっと遣りすぎなんじゃないんですか?一瞬本気かと思っちゃいましたよ。」


聖の横を通り過ぎようとした時、聖が小声で言ってくる。


「フン・・・見かけがどうであれ、ガキに興味はねぇよ。」


「どうだか~?鈴音さんが言ってましたよ、男はみ~んな狼だって。」


そう言って、悪びれた様子もなく笑顔を向けてくる。


そんな聖を半眼になって見つめ、呆れながらにため息を一つ吐く。


「・・・頼むから、鈴音の言う事を真に受けるな・・・」


そう言って、外に向かうべく歩き出した。


「どこ行くんですか?」


「ゴホッ・・・痰が絡むんでな・・・暫く外に居るよ。」


用件だけ言って、俺は外へと出ていった。


「カーッ!!・・・ペッ。」


外に出るなり、喉に絡んでいた痰を吐き出す。


遣りすぎ・・・か。確かにそうかもしれんな・・・


そんな事を思いながら、冬の風荒ぶ森を散歩する。


沙希は半妖だ・・・静菜と同じ・・・だからこそ、積極的に関わろうとしているのか、俺は・・・


ふと、俺の頭の中に、静菜の顔が過ぎる。


・・・どうかしてやがるな・・・俺は。


そんな事を思いながら、自嘲気味に苦笑する。


「・・・うん?」


不意に感じた、生ぬるい感覚。


妖気よりも禍々しく、体の芯から凍える様な殺意。


「・・・鬼気・・・それも・・・二つ?」


そう呟いて、日が暮れ始めた森の中から、鬼気の発生源を探る。


そう遠くは無い場所・・・二つとも、あの屋敷から感じる・・・


そう思い村の方向に見える、見るからに豪勢な屋敷を見つめる。


「・・・一つ動き出した・・・もう一つは・・・動かない?・・・だが、動かない方が、鬼気が強大だ・・・ッ!!」


そこまで呟いて、俺の中にある可能性が浮かぶ。


まさか・・・『鬼門』か!・・・厄介だな・・・


『鬼門』とは、本来陰陽道で艮の方角を示すが、俺達の間では『鬼道』とも呼ばれ、憎しみや怒りを抱いたまま人が通れば、鬼に堕ちると言われている。


伝承では、鬼達が人を陥れる為に作った門だとも語り継がれている。


今では、そのほとんどが封印され、滅多にお目に掛かった事は無い。


だが、封印とは結局『封じる』だけであって、消滅させた訳ではない。


何らかのきっかけて、その封印が解かれた・・・そんな所か。


そう思いながら、手に持っていた煙管の吸い殻を捨て、箱へと戻す。


「・・・全く・・・次から次へと、厄介事が後を絶たない村だな・・・ゴホッ!」


「・・・どうして、お二人とも私なんかに、そうまでしてくれるんですか・・・?」


師匠が外に出ていったのを見届けて、沙希さんの正面に座り直したら、俯き加減の沙希さんが、ポツリと呟いてきた。


「どうして・・・って言われても困りますけど・・・沙希さんは、困っている人が居たら、どうしたいと思いますか?」


沙希さんの質問を、私はそう言って質問で返した。


「え・・・」


「私の答えは・・・多分、今沙希さんが思った事と一緒です。困っている人が居たら、助けたい・・・そう思う事に、理由なんて無いんじゃないのかな。」


私は出来るだけ優しく微笑みながら言う。


「・・・でも師匠は多分、そんな理由じゃないんでしょうけどね・・・」


「では、どうして・・・?」


つい漏れてしまった呟きに、沙希さんが質問してくる。


「・・・師匠は多分、沙希さんを見て、ある人を思い出してるんだと思います。」


「ある人・・・?」


「はい。その人は・・・とても強い人で・・・とても優しい人で・・・」


師匠が話してくれたある人・・・『静菜』さんの話しを思い返しながらに言う。


「でも・・・私は・・・全然強くなんかありません・・・なんで、私なんかと・・・」


「・・・その人も、沙希さんと同じ半妖なんです。」


「え・・・?」


私の決定的な一言に、さすがの沙希さんも驚いた顔をしている。


「師匠が言ってました・・・その人は、人からも・・・妖怪からも、石を投げられる存在なのに・・・なんで人も妖怪も・・・争い合うんだろうって・・・涙を流しながら言っていたそうです。」


「・・・宝仙さんは、私とその人を見比べているんですか・・・?」


そう言ってくる沙希さんに、私は小さくかぶりを振った。


「今の話しは師匠にとって、きっかけでしかないと思います。それ以上に・・・師匠は、他人に厳しく、自分にも厳しい・・・そんな不器用な人だから・・・だからさっきみたいな行動に出たんだと思います。」


「え?」


「私も・・・沙希さんが変わらなければ、今と全く変わらないと思います・・・」


「変わる・・・?」


不思議そうに言い返してくる沙希さんを、私は強く見据える。


「自分が変わらなければ・・・何も変わらない。誰かに手を差し伸べられるのを待っているだけじゃ、何も解決しない。手が差し伸べられないなら、自分から差し伸べるのも大事な事だと思いませんか?」


「手を・・・差し伸べる・・・」


自問自答する様に、確認する様に沙希さんが呟く。


私は、そんな沙希さんに頷いて見せて、更に続ける。


「どんな人だって、最初から居場所がある訳じゃない・・・誰かに作ってもらったりもするけど・・・そこに居場所が無いんだったら、自分で作れば良いじゃないですか。」


「私なんかに・・・出来るんでしょうか?」


不安そうに俯きながら、そう呟いてくる沙希さんに、出来るだけの笑顔を向ける。


「出来ますよ!その為にも・・・」


そこで一旦言葉を切って、優しく微笑みを浮かべて、沙希さんを見つめる。


「・・・『私なんか』なんて、もう言わないでください。自分自身を嫌いにならないでください・・・」


「・・・聖さんは、もし半妖に生まれていても・・・同じ事が言えますか?」


私の言葉に、自嘲気味に悲しそうな表情を浮かべる沙希さん。


そんな沙希さんに、私は小さくかぶりを振った。


「解りません・・・でも、これだけは解ります。私は・・・この世でたった一人の私で、沙希さんは・・・この世でたった一人の沙希さんで・・・自分自身まで嫌いになったら・・・生きているのか、死んでいるのかも解らなくなっちゃうって・・・」


「この世で・・・たった一人の・・・私?」


「私も沙希さんも、師匠だって村の人達だって・・・自分自身の為に生きてるじゃないですか。それは・・・誰かに代わってもらう事なんか出来ない・・・なのに・・・自分自身まで嫌いになっちゃったら・・・そんなの・・・悲しすぎます。」


「私・・・自身の為・・・」


「・・・主。」


突然、今まで黙って、私の横で伏せっていたクロに呼ばれ、そちらを見てみる。


「・・・どうしたの?」


私が聞き返すと、クロは立ち上がり、小屋の中から村の中心に顔を向ける。


「・・・匂う。」


「匂う・・・?」


一瞬クロが何を言っているのか解らず、聞き返す。


「禍々しき・・・生ぬるい風・・・」


「え・・・?」


「・・・血の臭い。」


「ッ!!」


クロの決定的な言葉に、背筋が凍る気がした。


「それはどこから?!」


「・・・村に向かっている様だ。」


「ッ!!」


その一言で、沙希さんが急に立ち上がり、小屋の出口へと駆け出す。


「あっ!沙希さん!待ってっ!!」


私の制止も聞かず、沙希さんは小屋の戸を開いて、素足のまま村へと向かって走っていった。


「・・・追わなきゃ!」


沙希さんに遅れ、私も立ち上がり、出口へと向かう。


「待たれよ・・・」


そんな私に、クロが声を掛けてくる。


「主・・・何故行かれる?あの村の者共は・・・主を化け物呼ばわりした・・・それでも、主は行かれるのか?」


「・・・そんなの関係ないよ・・・」


そう言って、苦笑しながらクロに顔を向ける。


「私は・・・もう、奪ったり奪われたりするのを見たくないだけ・・・」


そう言いながら、顔を開け放たれた戸へと向ける。


「奪われる哀しみ・・・私はそれがよく解るの・・・私がそうだったから・・・だから・・・」


そう言って、村へと続く小屋の戸目指して走り出す。


もう・・・あんな思いを、誰かに味わわせたく無い!そんなの・・・私だけで沢山・・・だから・・・だからっ!!


「・・・クロ・・・」


いつの間にか、私の横を走っているクロを見つけ、クロの名前を呟いた。


「・・・試す様な事を言って、申し訳ない・・・」


そう言ってくるクロに、走りながらかぶりを振る。


「私は、大丈夫・・・所で、師匠は?」


「・・・奴は、もう一つ・・・更に強大な気の方へと向かっている様だ。」


そう言って、クロは師匠が向かっていると思われる方角に顔を向ける。


更に強大って・・・もう一体居るって事なのかな・・・


そんな事を考えながら、これからどうするかを考える。


師匠がそっちに行ってる・・・じゃあ・・・


「・・・私たちは、村に向かっているって方に行こう!」


すぐにそう結論付けて、村を目指す事をクロに伝える。


「・・・御意。」


日が傾き始め、紅く染まり掛けた森の中を走る。


いつもと変わらない夕暮れなのに、とても嫌な感じがした。


「ケヒャッ・・・ケヒャッ・・・」


小さな村は、突如として現れた鬼の所為で、阿鼻叫喚に包まれていた。


女子供は逃げまどい、一部の男は、手に農具を持って立ち向かう。


「デアアアァァァーッ!!」


バキンッ!!


「ケヒャッ・・・ケヒャッ・・・無駄じゃ・・・」


気味の悪い笑い声を上げている鬼に、勇敢に立ち向かっていった男の農具が、鬼の皮膚にぶつかると同時に砕け散る。


「だ、駄目だ!やはりこんな物では歯がたたん!逃げるんだーっ!!」


立ち向かっていった男の一声で、他の村人達は、蜘蛛の子を散らした様に逃げまどう。


ドゴッ・・・


「グハッ!!」


鬼が手を揺らしたかと思った瞬間、立ち向かっていった男の体が、難なく横に吹き飛んでいった。


「グ・・・ウゥ・・・」


「ケヒャッ・・・ケヒャッ・・・」


吹き飛ばされた男に、ゆっくりとした動作で近づいて行く鬼。


「ケヒャッ・・・ヒャッヒャッヒャッ・・・儂はな・・・おまえの様な、正義感ぶった奴が大嫌いなんじゃ・・・」


「クッ・・・その声・・・村長か・・・」


「ヒャッヒャッヒャッ・・・お主はいつもそうじゃったな・・・沙希を追いつめようとした時、真っ先に拒んだのはお主じゃった・・・そうじゃろう?仁・・・」


「・・・理由も無く・・・そんな事・・・出来る訳無いだろっ!!」


「ヒャッヒャッヒャッ・・・それでお主は・・・あんな痛い目に合ったというのにな・・・愚かな・・・」


「愚かなのは・・・あんたの・・・グフッ!!」


仁と呼ばれた男の言葉を、殴りつけて中断させる。


「ヒャッヒャッヒャッ・・・すぐには殺さん・・・嬲り殺しにしてやろう・・・」


「チィッ・・・」


「やめてーっ!!」


ヒュゴォーッ!!


そこに割って入った悲痛な叫びと、一陣の風。


「・・・ケヒャッヒャッヒャッヒャッ・・・こちらから出向く手間が省けたというものじゃな・・・のぉ?沙希・・・」


鬼が声がした方を振り向くと、息を切らせた沙希が立っていた。


そして、その沙希を中心に、巻き起こる風。


「ほぉ・・・風を操るか・・・やはり化け物じゃな・・・」


その光景を目の当たりにした鬼が、沙希に向かってポツリと呟いた。


「に・・・逃げろ・・・グアアアァァァーッ!!」


消え入りそうな声で、現れた沙希に向かって言う仁だったが、鬼が彼の腕を踏みつける。


「五月蝿い・・・少し黙っておれ・・・」


「ッ!!仁さん!」


ゴゴオオオォォォーッ!!


「な、何じゃと?!」


沙希の叫びに、沙希を取り巻いていた風が、固まりとなって鬼を襲う。


その威力に、巨大な鬼は、成す統べなく後方へ吹き飛ばされた。


間髪入れずに、沙希は仁の元へと走り寄る。


「大丈夫ですか・・・?」


心配そうに、仁の容態を確認する沙希。


「馬鹿・・・早く・・・逃げろ・・・」


息も絶え絶えな仁は、手振りだけで沙希を追い返そうとする。


「沙希さーん!!」


「聖さん!」


そこへ、黒い獣を引き連れた聖が駆けつける。


「ど、どうしよう・・・このままじゃ仁さんが・・・」


「落ち着いてください沙希さん!クロ、この人と沙希さんを安全な所まで連れて行って!」


「しかし・・・」


「お願い・・・」


聖の言葉に若干の抵抗を見せるクロだったが、聖の真剣な瞳に、不承不承といった感じで、体を低くする。


ドスン・・・


「ッ!!」


地の底から響いてくる様な足音に、そちらを見やると、白い髭を生やした巨大な鬼が、ゆったりとした足取りで歩いてきていた。


「ケヒャッ・・・ケヒャッ・・・逃がさぬ・・・逃がさぬぞ・・・」


鬼がそう呟いたと思った瞬間、姿が一瞬にして消える。


「ッ!!」


「主!上だ!!」


クロの言葉に、聖が天を仰ぐと、自由落下してくる鬼の姿を確認した。


そして、その狙いは・・・


「沙希さん!危ないっ!!」


「ッ!!キャアアアァァァーッ!!」


ザシュッ!!


鬼が沙希に跳びかかる瞬間、沙希の髪の色と同じ銀の軌跡が閃く。


そして、空高くに舞い上がる、太く強大な腕。


「グギャアアアァァァーッ!!」


次いで聞こえてくる、獣じみた鬼の悲鳴。


「・・・これは・・・」


沙希の手の中には、いつの間にか巨大な銀の鎌が持たれていた。


そしてソレが、鬼の腕を切り裂いたのだった。


「今の内に・・・クロッ!!」


ドンッ!!


一瞬の隙を付いて、聖が鬼に向かって指を指し、クロの名を叫ぶ。


それに呼応する様に、クロが鬼へと体当たりする。


よろめいていた鬼は、難なく後方へと吹き飛んでいった。


「さっ!今の内に・・・」


「ウッ・・・ウゥ・・・」


そう言って、傷つき倒れている仁を、二人がかりでクロの背中へと載せる。


「痛い・・・痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い・・・」


何度も同じ言葉を繰り返しながら、再び鬼が現れる。


「痛い痛い痛い痛い・・・グオオオォォォーッ!!」


ズルリ・・・


再び鬼が咆吼を上げたかと思うと、切り落とされた筈の腕が生えてくる。


「・・・そんな・・・」


その光景を、呆然と見ていた聖が、驚愕の表情で呟く。


「そんな・・・いくら鬼でも、こんなに早く腕が再生する訳・・・」


「ケヒャッヒャッヒャッヒャッ・・・・さすが坊主の端くれ・・・よく知っておる・・・そうじゃ・・・あの門が開いている限り・・・儂は不滅じゃ・・・」


「・・・門?」


鬼の言葉を、そのまま聞き返す聖。


「・・・そうか・・・あの巨大な気は『鬼門』か・・・」


鬼の言っている事が何なのか、理解したクロがそう呟く。


「『鬼門』?」


「翁から聞いた事がある・・・鬼が仲間を作り出す為に作られたと・・・」


「そんな物が・・・この村にあったなんて・・・」


クロの説明を聞いた沙希が、怯えながらに言う。


「ヒャッヒャッヒャッ・・・解ったか・・・?あの門が有る限り・・・全てが無駄・・・無駄無駄無駄無駄・・・」


驚愕の表情を浮かべている一同に、満足そうな笑みを浮かべながら、狂った様に同じ言葉を繰り返す鬼。


「・・・クロ・・・お願い、沙希さんとその人を連れて・・・早く行って!」


鬼から目を離さずに、後ろに控えているクロへと言う聖。


「・・・御意・・・」


そう呟いて、背中に載せている仁を、振り落とさぬ様慎重な足取りで、クロはその場から離れていく。


「ケヒャッ・・・ケヒャッ・・・無駄じゃ無駄じゃ・・・逃がさぬと言ったではないか・・・」


その光景を、さも楽しそうに見ていた鬼が、これまた楽しそうに呟いてくる。


「・・・あなたを足止めする事なら・・・私にでも出来る!」


そう叫んで、聖は自分の着ている僧服に手を掛ける。


「沙希さん!ここは私に任せて、沙希さんも、早く行ってください。」


「で、でも・・・」


不安そうに呟く沙希は、聖と鬼を交互に見やる。


「ケヒャッヒャッヒャッヒャッ・・・良いのか?沙希・・・この小娘を見捨てるか・・・?ヒャッヒャッヒャッ・・・それも良かろう・・・」


「あ・・・」


鬼の言葉に、沙希は明らかに動揺していた。


「沙希さん!」


そんな沙希に、聖が再度叫ぶ。


「ぅ・・・」


低い呻きを上げて、沙希は聖の言葉に従い、その場から離れようとする。


「ヒャッヒャッヒャッ・・・逃げるか・・・お主の母は・・・逃げなかったのに・・・のぉ?」


「え・・・?」


鬼の一言に、足を止めて振り返る。


「駄目、応えないで!鬼の言霊に捕まります!」


気配だけで沙希が立ち止まった事を察知した聖が、沙希に警告を発する。


「どう言う・・・意味ですか?」


しかし沙希は、聖の警告には従わず、鬼に問い掛けた。


当の鬼は、さも面白そうに、沙希に目を向けていた。


「ケヒャッ・・・ケヒャッ・・・おぬし等母子が・・・どうしてこの村で暮らせたと思う・・・?」


「え・・・?」


「何を・・・ッ!!」


鬼の言葉の意味を、いち早く察知した聖の顔が強張る。


「なかなかに・・・お主の母は・・・具合が良かったぞ・・・」


「・・・ッ?!」


「あなたは・・・!」


「ケヒャッヒャッヒャッヒャッ!!知らなかったか!お主の母は、お主を食わせる為に、儂の下の世話をしていた事を!こりゃ傑作じわい!!ヒャッヒャッヒャッヒャッ!!」


そう言った鬼は、顔を手で覆いながら、高らかに笑っている。


「あ・・・あぁ・・・あああぁぁぁ・・・」


鬼の予想だにしない言葉に、沙希は頭を抱えてその場にうずくまる。


「酷い・・・そんなの・・・そんなのってっ!!」


そう呟いて、聖は怒気を膨らませながら、鬼を睨む。


「ヒャッヒャッヒャッ!全く・・・あの小僧のお陰で、儂の計画が狂ってしまったがな・・・」


「・・・計画?」


鬼の言葉の切れ端に、おもわず聖が聞き返した。


その問い掛けに、鬼は口を歪めて、頭を抱え込んでいる沙希に目を向ける。


「そうじゃ・・・沙希を追いつめ・・・絶望の中に儂が手を差し伸べる・・・ケヒャッケヒャッ・・・新しい玩具が、すんなり手にはいるという事じゃ・・・」


「ッ!!村の人達を巻き込んで、そんなくだらない事に!」


そう言う聖に、鬼は沙希に向けていた顔を向ける。


「くだらない・・・くだらないか・・・ケヒャッケヒャッ・・・女は・・・男を喜ばせる事が、最高の幸せじゃろう?」


「ッ!!許さない・・・」


「ケヒャッケヒャッ・・・まぁ・・・あの小僧にも感謝はしておるぞ・・・なにせ・・・お主の様な小娘を、責める機会が出来たのじゃからな!」


「あなた・・・狂ってるっ!!」


そう呟いて、聖は僧服を掴む手に力を込める。


「ッ!!」


「・・・なんじゃ?」


不意に、膨れあがる妖気を感じた聖は、鬼に注意を払いながら、後方を一瞥する。


鬼もまた、その妖気の元を見る。


「・・・沙希さん。」


「う・・・うぅっ・・・うううぅぅぅ・・・」


その妖気を放っている沙希は、低いうなり声を上げ、俯きながら立っていた。


だが、先程までとは、明らかに様子が違っていた。


手にした巨大な鎌は、禍々しく歪み、猫の髭を思わせる顔の痣が広がり、そこから銀色の毛が生えてくる。


よく目を凝らせば、沙希の着ている服の隙間からも、同様の毛が伺える。


手の爪は鋭く伸び出し、素足の爪も同様に伸び出す。


「ウゥ・・・ウウウゥゥゥ・・・」


獣じみたうなり声を上げながら、沙希が顔を上げる。


その瞳は、猫の様な瞳に変わっていた。


「・・・カァッ!」


沙希が手にしていた鎌を構え、鬼目掛けて走り出した。


「ぬ?!」


ブシュッ!!

ブシュッ!!


腹部を襲う、凄まじい痛み。


「ウゥ・・・ウウウゥゥゥ・・・」


変わり果てた沙希さんの顔を間近で見ながら、苦痛に顔を歪める。


「グブッ・・・」


胃から逆流してきた血が、口から勢いよく飛び出る。


私の血が、沙希さんの顔に降りかかってしまった。


「沙希・・・さん・・・」


体の力が抜けていく感覚を感じながら、私は彼女の名前を呼ぶ。


震える手で、沙希さんの両頬に手を添えながら、痛みを我慢して笑顔を向ける。


「・・・フゥ・・・フゥ・・・フゥ・・・」


「・・・憎しみに・・・飲み込まれ・・・ないで・・・くだ・・・さい・・・」


私が声を掛けるたびに、沙希さんの膨大な妖気が萎んでいく。


「・・・沙希さんの・・・お母さんが・・・間違っていたとしても・・・ゴホッ・・・ゴポッゴフッ・・・それでも・・・沙希さんを・・・護りたかった・・・その思い・・・を・・・」


「・・・聖・・・さん・・・」


「沙希さんの・・・お母さんの・・・言葉・・・想い・・・希・・・望・・・無駄にしちゃ・・・駄目・・・」


「あ・・・あぁ・・・」


正気を取り戻した沙希さんの顔が、みるみる元に戻っていく。


それを見ながら、深い眠りに堕ちていこうとする意識を、必死になって引き留める。


金華龍が、私を仮死状態にして、傷を癒そうとしているのだろう。


その眠りに抵抗しながら、霞む目で沙希さんの目を見る。


もう少し・・・もう少しだけ・・・待って・・・


「沙希・・・さん・・・は・・・その・・・想いを・・・背負・・・って・・・」


そこで力尽き、意識が混濁する。


「聖さん・・・?聖さん!聖さんっ!!」


・・・私は・・・大丈夫・・・だから・・・師匠・・・


遠くに沙希さんの声を聞きながら、深い眠りに堕ちていった。


「ウワアアアァァァーッ!!聖さーんっ!!」


「ケヒャッケヒャッ・・・愚かだ・・・愚かだ愚かだ愚かだ・・・」


耳障りな笑い声と、女の泣き声が、夜を迎えた村に木霊する。


「ケヒャッケヒャッ・・・全く・・・愉しみが一つ減ってしまったが・・・まぁ良い。」


そう言って、鬼は今も泣き叫ぶ沙希へと、一歩ずつ近づいて行く。


「・・・待てよ。」


「ッ?!」


俺の声に意表をつかれた鬼が、その場でこっちに振り向いてくる。


「俺は言った筈だぜ・・・そいつ等に近づくな・・・ってな。」


「・・・ケヒャッケヒャッ・・・ようやくお出ましか・・・」


「ウッ・・・ヒック・・・ほ、宝仙さん!聖さんが・・・聖さんがっ!!」


俺の姿を確認した沙希が、聖を抱きしめながら嗚咽を漏らす。


聖の腹には、今尚深々と巨大な銀の鎌が突き刺さっていた。


「・・・沙希。とりあえず、その鎌を抜け。でないと、治る傷も治らないだろ?」


「そんな・・・そんな事をしたらっ!!」


俺の言い分が、信じられないと言わんばかりに、叫んでくる。


まぁ当然か・・・事情を知らない訳だしな。


「ゴホッゴホッ・・・大丈夫だよ。聖は生きてる・・・とりあえず、俺の言うとおりにしろ。」


「・・・え?」


俺の言葉に、驚いている沙希を余所に、俺は白髭の鬼に視線を向ける。


「・・・随分と・・・うちの馬鹿弟子が、世話になった様だな・・・」


そう言いながら、不敵に笑ってみせる。


「ケヒャッ・・・ケヒャッ・・・随分余裕だのぉ?小僧・・・」


「フッ・・・そう見えるんだったら、まだ呆けてはいない様だな。」


「・・・戯れ言を・・・」


そう呟いてくる鬼を後目に、俺は後ろに向かって、右手の親指を向ける。


「さて・・・問題です。あそこに見えるのは・・・何だろうな?」


こみ上げてくる笑いを堪えながら、後方に立ち上っているだろう煙りを指差す。


「何・・・?ッ!!」


俺の言葉に、鬼は俺の後ろを確認し、絶句するのが解る。


「わ、儂の屋敷が・・・儂の屋敷が燃えておるっ!!」


「ク・・・クックック・・・いやすまん。ちとやりすぎた・・・かな?」


そう悪びれた風に言ってやる。


「お、おのれ・・・儂の・・・儂の全財産を・・・グワアアアァァァーッ!!」


鬼の顔が、更に険しくなったかと思ったら、次いで、空気すら振るわせる咆吼を放つ。


「ゴホッ・・・フンッ!良い事を教えてやる・・・あの世にまで、金は持っていけないぜ?」


「貴様・・・殺す・・・殺す・・・」


そう呟きながら、鬼は殺気を迸らせ、俺に一歩ずつ近づいてくる。


「殺す・・・殺す・・・殺すっ!!」


「・・・やれるもんなら・・・やってみな。」


「コゾオオオォォォーッ!!」


そう叫びながら、凄まじい勢いで飛び込んでくる。


カッ!!ジャラジャラジャラ・・・


「なっ?!」


鬼が俺に近づいた瞬間、大地から光の柱が八本立ち上り、そこから光り輝く鎖が、鬼目掛けて飛来する。


「・・・馬鹿か?おまえ・・・俺が手ぶらだからって、油断のしすぎなんだよ。」


「こ、これは・・・」


光り輝く鎖は、鬼の体にまとわりつきながら、その自由を奪っていく。


光が出ている場所を見てみると、各明王の凡字の形に並べられた石が、淡く光り輝いていた。


「明王呪、戒めの鎖・・・」


そう言いながら、体の自由を奪われた鬼に近づく。


「小僧・・・小僧!コゾオオォォォーッ!!」


俺の事を叫びながら、鬼は体の自由を取り戻そうと、藻掻いている。


だが、それは返って逆効果で、藻掻けば藻掻くほど、戒めはきつくなる。


「フッ・・・良い格好だな?」


「クッ・・・クソオオオォォォッ!」


俺の事を、苦々しく見つめてくる鬼の横を通り過ぎ、沙希と聖の元まで行く。


「ったく・・・無茶しやがって・・・」


そう言いながら膝を落とし、聖の受けた傷を見てみる。


もう血は止まってるな・・・呆れる程の生命力だな・・・


「私なんかの所為で・・・こんな事に・・・」


そう言ってくる沙希に顔を向ける。


「最後の所だけだが、見ていた。気にするな・・・と言う方が無理かもしれんが・・・こいつが勝手にした事だ。こいつが眼を覚ましたら、ちゃんと礼を言っておけ・・・」


「・・・はい。」


罪悪感に苛まれた表情で、小さく返事をしてくる沙希。


「それから・・・自分の事を『なんか』なんて言うもんじゃない。」


そう言って、俺は立ち上がる。


「え?」


「こいつが眼を覚ました後、まだ同じ事を言う様なら・・・こいつが怒るぞ。」


そう言って、顎で傷ついた聖を指す。


「さっき・・・聖さんに、同じ事を言われました・・・」


「フッ・・・そうか。」


沙希の呟きに、苦笑しながら応えて、俺は鬼の方に目を向ける。


「・・・さて、俺は今具合が悪いんだ・・・とっとと終わらせてやるぜ・・・ゴホッ!ゴホッゴホッ。」


「小僧・・・このままで済むと思うなよ・・・」


「フンッ!芸のない事だな・・・火を司りし者よ・・・我願い奉る・・・汝の荒々しく紅き息吹にて・・・」


目を瞑り、意識を集中して、詩を口ずさむ様に祝詞を謡う。


「・・・果てしなく続く、煉獄へと誘え。」


俺が祝辞を唱え終え、右手で不動明王の凡字を描く。


同時に、鬼を取り囲んでいた、小石を並べて描かれた各明王の凡字が、光の柱へと変わる。


「貴様・・・儂を誰だと・・・誰だと思っておるかっ!!儂は・・・この村の・・・」


諦めが悪い鬼は、今更そんな事を言ってくる。


「何度も同じ事を言わせるな・・・んな事、俺の知ったこっちゃねぇって言ってんだよ!」


それに対し俺は、鬼が言い終わる前にそう告げた。


「・・・最期に俺の格言を教えてやる・・・『女を敬わない奴は、男根切られて死んじまえ。』ってな!」


「グ、グオオオォォォーッ!!」


戒めの鎖を引きちぎろうと、鬼が最期の抵抗を見せる。


「八大明王陣、不動明王呪・・・火剋陣!」


ドゴオオォォォーッ!!


爆音を響かせながら、辺りの温度が、一気に真夏並みにまで上がる。


鬼を中心に巻き起こった爆炎は、八つの光の柱を境に、燃えさかっていた。


「グオオオォォォーッ!!ば、馬鹿な!体が・・・体が再生せぬ!」


「馬鹿はおまえだよ・・・ゴホッ!・・・鬼門なら、俺がとっくに消滅させたぜ・・・気付くだろ普通。」


今までその事に、本気で気が付いていなかったのかと、少し呆れながらに言ってやる。


「そんな・・・そんな・・・ウオオォォォーッ!!」


鬼の断末魔の悲鳴が、小さな村に響き渡った。


「う・・・ん・・・」


まどろみの中、だんだん意識がはっきりしていく。


「・・・起きたか。」


私のよく聞きなれた声。


とても低く、それでいてよく響く声。


「ぁ・・・師匠・・・」


「ったく・・・寝過ぎなんだよ。ゴホッゴホッ・・・」


師匠の呆れた様な声を聞きながら、横たえられていた体を起こす。


私の体に掛けられていた、師匠の羽織がずれ落ちた。


「・・・終わったんですか?」


「・・・あぁ。」


短い会話の後、もう全てが終わった事を理解した。


「ったく・・・無茶しやがって・・・」


「・・・すいません。」


「・・・良くやった・・・まぁ及第点って所か。」


そう言って、師匠が私の頭を、ポンポンと軽く叩いた。


「主・・・」


その声の方を見てみると、起きた私に近づいて来たクロが、私の横にちょこんと座り込んだ。


「・・・心配掛けちゃって、ごめんね。」


そう言って、クロの頭を撫でてやる。


「・・・沙希さんは?」


私の質問に、師匠は顎で応えた。


師匠が指した方向を見やると、離れた場所で、村の人達が口論をしていた。


それを見た私は、まだ怠さの残る体に鞭を打って立ち上がり、そっちに行ってみる。


そこに近づくに連れて、村の人達が話している内容が、はっきりと聞こえてくる。


鬼が現れた事は、沙希さんが招いた災いだと言う声が聞こえてくる。


見かねた私は、村の人達に向かって声を掛けようとする。


「・・・師匠。」


師匠の手が、私の肩に置かれたので振り返ると、師匠は顔を振っていた。


「・・・俺達が割って入った所で、一時的にしか解決しない。これは・・・この村の問題でもあり、彼女自身の問題だ。」


そう言われ、仕方なしに止まり、事態を見守る為に顔を向ける。


沙希さんを見てみると、最初に会った時の様に、怯えて何も言えないでいる様子だった。


「いい加減にしろっ!!」


そんな中、冷たい冬の夜気に響き渡る、男の人の声。


見ると、体中傷つき、包帯を巻き付けた男の人が、沙希さんの前に歩み寄っていた。


「沙希は、俺をあの鬼から助けてくれたんだぞ?!」


「それがどうした、仁!!種を蒔いた奴が刈るのが道理というものだろう!!」


「違う・・・あの鬼は、村長だった。」


仁さんの言葉に、村の人達からざわめきが起き始める。


「ば、馬鹿を言うな!村長は、あの鬼に・・・」


「あの鬼こそ、村長だったんだっ!!これは全て、村長が鬼になったから起きた事で、沙希の所為じゃない!」


「だ、だが、仮にそうだとしても、沙希が居れば妖怪が・・・」


「・・・今まで妖怪が、村を襲った事は有るか?沙希が居る所為で、妖怪が襲ってくると村長は言っていた。だが、そんな事が今まで一度でも有ったか?!」


「そ、それは・・・」


「・・・妖怪は、獣と同じで自然と共に生きることを決めた者達だ。ゴホッゴホッ・・・何の理由も無く襲う妖怪も居るが・・・そうじゃない妖怪が人を襲う理由は、人が自然を削って生きるからだ。」


師匠が村の人達に歩み寄りながら、妖怪について説明していく。


「彼等には彼等の社会がある。俺達と同じようにな・・・半妖は妖怪を招くと言われているが・・・それは誤解だ。人の社会に紛れ込んだ妖怪なんて珍しくもない・・・例えば『座敷童』とかな・・・妖怪にしてみれば、沙希はそれと同じだ。」


「じゃ、じゃあ・・・」


「これで解ったろう・・・俺達は、村長に踊らされていただけなんだよ!」


仁さんが、村の人達に向かって叫ぶ。


そう・・・村の人達は、あの村長に踊らされていただけ・・・村長の狂った願望の為だけに・・・


「・・・沙希さん。」


私は、今もまだ不安そうにしている沙希さんに、顔を向けて呼びかける。


「あ・・・は、はい。」


「沙希さんは・・・どうしたいですか?」


「え・・・?」


私の問い掛けに、沙希さんは俯きながら考え込んでいる。


「私・・・この村に居ても・・・良いですか?」


暫く考え込んで、沙希さんは消え入りそうな声で、そう呟いた。


「・・・違うだろ?」


沙希さんの答えを聞いた師匠が、不満げにそう言う。


「え?」


「沙希・・・俺達は、おまえがどうしたいのかを聞いているんだ・・・ゴホッ!おまえは、何処に居たい?どうしたいんだ?」


「わ、私・・・私は・・・」


そう呟きながら、沙希さんはまた俯いて考え込む。


暫くして、顔を上げた沙希さんの表情には、不安が消えていた。


「私は・・・ここに居たい・・・みんなと一緒に暮らしたい!私の望みは・・・それだけです。」


「フッ・・・言えるじゃねぇかよ。」


そう言いながら、笑っている師匠。


「それで良いんですよ、沙希さん!」


私も、師匠と同じように笑いながら語りかける。


「誰かに断る必要はない!ここにいて良いんだ沙希・・・」


「宝仙さん・・・聖さん・・・仁さん・・・」


私たちの名前を呟きながら、初めて沙希さんは、私たちに笑顔を向けてくれた。


そして、その目尻には、大粒の涙がこぼれ落ちそうになっていた。


「そうよ沙希ちゃん!あなたがここに居ちゃいけない理由なんか無いわ。」


突然、村の人達の間から、宿屋の女将さんが歩み寄ってくる。


「おばさん・・・」


「ごめんなさい・・・沙希ちゃん・・・お雪さんの娘のあなたが、災いを招くなんて事無いのに・・・私に勇気が無いばかりに・・・本当に、ごめんなさい!」


「あ・・・」


そう言いながら、女将さんは沙希さんを強く抱きしめた。


「私・・・もう誰からも、こんな風に・・・抱きしめられる事は無いって・・・思ってた・・・ヒック・・・」


それから、沙希さんは、声を大にして泣いていた。


十三歳の少女の泣き声が、冬の夜の村に響き渡っていた。


「・・・何も、こんな日に旅立たなくても良いんじゃないですか?」


雲に覆われた空を見ながら、そう言って心配してくる沙希。


「いや・・・いつまでも、世話になる訳にもいくまい。それに、どうせ雪で身動き出来なくなるなら、これから行く村の方が何かと都合もいい。」


「そうですか・・・」


そう答えた沙希の顔は、心底残念そうだった。


「そんな顔しないでください。また来ますから!」


「・・・はい。お待ちしてます。」


聖の言葉に、沙希は俺達に笑顔を向けてくる。


あの日から二日経った。


俺の風邪も完治したので、何時までも、この村に居る訳にもいかない。


「色々と、ありがとうございました。」


そう言って沙希は、深々と俺達に頭を下げてくる。


「何度も言わせるな・・・礼を言われる様な事は、何もしてないってな。」


「そうですよ!だからそんなに改まらないでください。」


「・・・はい。」


「俺達は、きっかけを与えたに過ぎない。それを活かすも殺すもおまえ次第だった・・・そして、おまえはそれを活かした・・・それだけの事だ。」


「それに、沙希さんの事を、まだ良く思っていない人は居ます・・・これからも、色々大変でしょうけど、頑張ってください!」


「・・・はい。私は・・・もう大丈夫です。名前の意味を・・・思い出したから・・・」


微笑みを讃えながら、沙希はそう言ってくる。


「沙希さんの・・・名前の意味?」


「はい・・・どんなに小さく、砂の様に細かい希望でも・・・その想いが本当なら、きっと・・・叶う時が来る・・・砂の希望・・・沙希・・・それが・・・私の名前です。」


「砂の希望・・・とっても素敵な名前ですね。」


そう言って、聖は俺に同意を求めてくる。


「・・・そうだな。」


それに対して俺は、苦笑気味に応えた。


「さて・・・そろそろ行くぞ。」


「はい!」


元気な聖の声を聞きながら、俺は歩き出した。


「さようなら・・・お元気で。」


「沙希さんも、また逢いましょうね!!」


俺に遅れて、聖も着いてくる。


その後ろに、荷物を持ったクロが、黙々と着いてきていた。


宝仙達が見えなくなるまで、彼等の旅立ちを見送った沙希は、村へと引き返してきた。


この村の村長が鬼になったあの日以来、取り囲まれる様な事は無くなっていた。


「沙希!」


「あ・・・仁さん。」


遠くから、沙希を見つけた仁が、息を切らせて走ってくる。


「・・・あの坊さん達は、もう行っちまったのか?」


「はい・・・ついさっき。」


「そうか・・・改めて礼を言おうと思っていたのに・・・」


宝仙達が、もうこの村から居なくなってしまった事を知った仁は、酷く残念そうな顔で言う。


「・・・そういや、沙希にも礼を言うのを忘れてた。」


「え?」


そう言われ、何の事だか解らず、とまどいを見せる沙希。


「あの時・・・おまえが来てくれなかったら、俺は助からなかっただろう。」


そう言って、その時に受けた傷を見つめながら呟く仁。


「あ・・・そ、そんな・・・お礼だなんて・・・」


「ありがとう・・・助かったよ、沙希。」


「あ・・・仁さんが無事で・・・良かったです。」


そう言われた沙希は、照れくさそうに答えた。


「そ、それから・・・さ・・・」


「・・・はい?」


不意に、今度は仁の方が、照れくさそうに話を切りだしてくる。


その後に、何が続くのか解らなかった沙希は、おもわず首を傾げる。


「その・・・なんだ・・・女に、護ってもらうなんて、格好悪いからな・・・」


「え・・・?」


そこまで言って仁は、真剣な表情で沙希を見つめる。


「・・・これからは、俺がおまえを護れるくらい、強くなる。」


「あ・・・」


思いがけない一言に、沙希の動きが一瞬止まる。


「あ、おい!な、何で泣いてるんだよ!!」


仁に言われた通り、沙希は嬉しそうに、静かに泣いていたのだった。


「沙希さんが元気になって、良かったですね。」


村が見えなくなった頃、不意に聖がそう言ってくる。


「・・・そうだな。」


「もう大丈夫そうですね。」


「あぁ。」


何の変哲もない、いつも通りの俺達の会話。


不意に、曇りの空から、白い結晶が舞い降りてくる。


「わぁ・・・師匠、雪ですよ!綺麗・・・」


雪が降った事がそんなに嬉しいのか、聖はその場に足を止めて、曇った空に顔を向けてはしゃいでいる。


「・・・見れば解るよ。」


俺もまた、聖と同じ様にその場で足を止めて、天を仰ぐ。


この程度の雪ならば、旅には支障は無いだろう。


「・・・涙雨ならぬ、涙雪だな・・・」


まるで空が、泣いているかの様な雪を見つめて、俺はそう呟いた。


「・・・じゃぁきっと・・・沙希さんと同じ、嬉涙ですね。」


俺の呟きを聞いていたのか、聖がそう言ってくる。


「フッ・・・そうかもな。」


「きっと、そうですよ・・・」


暫く俺達は、飽きもせずに天を仰ぎ、静かに舞い降りる雪を見ていた。


「・・・さて、先に進むか。」


不意に、そう切りだし聖に顔を向ける。


「そうですね・・・ヘッ」


「・・・うん?」


「ヘッ・・・ヘクチュンッ!!」


勢いよく出た聖のクシャミに、舞い降りていた雪が、少し舞い上がった。


ただのクシャミかとも思われたが、嫌な予感が脳裏を過ぎり、おもわず聖の額に手を当てた。


「・・・おい。」


聖の額に手を当てた俺は、半眼になって聖を見つめる。


「ほぇ?」


「・・・おまえ・・・熱があるぞ・・・」


「えっ?!・・・あ・・・あはははは・・・・」


俺の指摘に、聖は乾いた笑いで応える。


俺は深くため息を一つ吐いた。


どうやら聖に、俺の風邪が移ったらしい。


「・・・戻るか。」


そう言って、俺は今出てきた村へと足を向ける。


「えっ?!良いんですか?」


「別に、急ぐ旅でもないしな・・・それに。」


そう言って、肩越しに後ろを振り返り、聖を一瞥する。


「俺は看病が苦手なんだよ。おまえのダチにでも看てもらえ。」


「あ・・・はい!」


そう嬉しそうに答えてくる聖を見届け、俺は村の方角へと顔を戻し歩き出した。


正直、今出てきたばかりで戻るのは、あまり気乗りはしない。


端から見れば、馬鹿丸出しだろう。


まぁ・・・たまには良いか。


そんな事を思い、苦笑する。


どのくらいで、聖の風邪が治るのか、見当も付かない。


まぁ確かな事は、少し暖かくなるまでは、あの村で過ごすだろうという事だけだった。

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