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宝仙伝  作者: 神無月拓楼(旧HN現武壱)
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双月転臨之章後編

『永遠なる時を、二人で過ごそう・・・』


「姉さん・・・起きてくれよ・・・」


雨の降り続くその場所で、少年は、もう動く事の無い半裸の少女を抱きしめている。


雨に濡れる事も厭わず、目が見開かれた少女を、ただ抱きしめ続ける。


『姉さんさえ居れば・・・乗り越えられる・・・』


「なんで・・・こんな事に・・・」


『兄さんさえ居れば・・・何も恐くない・・・』


「くそっ!くそぉ・・・」


『二人で・・・共に歩んでいこう・・・我らを見守る月に誓って・・・』


「何でなんだよおおぉぉぉーっ!!」


少年の慟哭の叫びが、暗い雨雲に吸い込まれていく。


「・・・人間など・・・滅んでしまえ・・・」


たった一人の肉親を失った少年の口からは、止めどない呪詛の言葉が吐かれ続ける。


少年の瞳には、狂気の炎が宿り始めていた。


「・・・おい、小僧。」


不意に発せられた言葉に、少年は振り返る。


そこには、傘を差した、背の低い流浪人が立っていた。


その腰には、浪人の背と同等程の刀が携えられている。


傘が邪魔で、顔は確認出来ないが、声の感じから考えると、十代前半くらいにしか見えなかった。


傘の合間から垣間見える、髪の色は紅く、外に大きく跳ねている。


突然現れたその背の低い浪人に、少年は憎悪の瞳を向ける。


「・・・そんな恐い目で見るなよ・・・俺は人間じゃ無いんだぜ?」


少年の言葉を聞いていたのか、浪人はそんな事を言ってくる。


「・・・」


少年は、あまり興味がないのか、何も言わず、浪人に向けていた顔を少女へと戻す。


そんな少年にはお構いなしに、浪人は少年の隣まで歩くと、その腕の中で動かなくなっている少女を見やる。


「・・・酷い状態だな・・・強姦にでもあったのか?」


「・・・うるさい。」


浪人の言葉に、少年は怒気を含ませた低い声音で呟く。


「・・・双子・・・か。」


少年と、少年の腕の中で眠る少女の顔を確認し、浪人は呟く。


「うるさい!」


一際大きな叫びと共に、少年は浪人を睨む。


そこで少年は、浪人が、まだ幼い少女である事に気が付いた。


「・・・生き返らせたいか?」


「え・・・」


浪人の恰好をした少女の、突拍子もない呟きに、少年は思わず声が漏れる。


「反魂・・・と言ってな。死んだ人間を生き返らせる術だ。」


「出来る・・・のか?生き返らせられるのか?!月華姉さんを!!」


少年の反応に、浪人の少女は、満足そうに微笑む。


「・・・ただ、問題が一つあってな・・・俺の使える反魂には、欠点が有る・・・この娘の魂が昇華せぬよう・・・他の者の魂を常に供給せねばならん。出来るか・・・おまえに?」


浪人の少女の言葉に、少年は考える素振りすら見せず、力強く頷く。


「・・・それで・・・月華姉さんが、生き返るなら・・・」


「フッ・・・ならおまえに、力をくれてやる・・・」


不敵に笑いながら、浪人の少女は、懐から鞠を取り出し、それを手渡す。


「一つ断っておくが・・・人間を辞める覚悟はあるか?」


「俺は・・・人間を憎み続ける・・・人間よりも・・・姉さんを選ぶ・・・」


「・・・ならもう何も言わねぇよ。」


そう呟き、浪人の少女は、腰に下げた刀を引き抜く。


カッ!・・・ゴロゴロゴロ・・・


浪人の少女が、刀を引き抜き、振り上げた瞬間、雷が走り、雷鳴が轟いた。


浪人の少女には、あまりにも不釣り合いな、長身の刀は、雷の光を浴びて、怪しく煌めいた。


「・・・一つ、頼まれてくれ・・・もし、『宝仙』と名乗る男が現れたら・・・『待っている・・・』とだけ伝えてくれ。」


浪人の申し出に、少年は黙って頷く。


「・・・そういや、おまえの名を聞いてなかったな・・・俺は、刹那だ・・・おまえは?」


「・・・月神。」


「フッ・・・げっしん・・・か。良い名だな・・・さらばだ月神。そして・・・生まれ変われ・・・」


ヒュッ・・・ザシュ!


少年に振り下ろされた刀は、銀の煌めきと共に、少年の脳天を切り裂いた。


そして、少年の人としての時間は、そこで終了した。


カッ!・・・ゴロゴロゴロ・・・


雷鳴轟く雨の夜。


永遠を誓い合った二人が死んだ雨の夜。


そんな、雨の夜の出来事。


『全てを二人で分かち合い・・・永遠なる時を共に過ごそう・・・我ら双月は・・・我らを見守る月に誓います・・・』


あれは・・・何時だっただろうか・・・


彼女が俺に夢を語り・・・俺が彼女を護ると誓った日・・・


何時か見た風景・・・そこは、風の吹き抜ける、小高い丘の上だった・・・


「ねぇ・・・止水。」


「・・・うん?」


「どうして・・・人は争い合うのかな・・・」


「・・・さあな。」


その小高い丘から見える景色は、戦場の爪痕だった。


「種族が違うのなら・・・分かり合えないのかもしれないけど・・・どうして人は、同じ種族同士で、争い合うのかな・・・」


「・・・人は、強欲な動物なのさ・・・そして、愚かな存在だ。」


俺の呟きに、静菜は悲痛な表情で黙り込んでいた。


ただじっと、今尚屍が転がっている戦場の跡を見つめていた。


風が吹き抜ける度に、死臭が風に乗ってやって来る。


「・・・誰も・・・死ぬ為に生まれてきた訳じゃ無いのに・・・傷付けば・・・みんな痛いのを知ってるはずなのに・・・」


不意に漏れた静菜の呟きに、俺は暫く考え込む。


「・・・自分が傷付かなければ気が付かない、愚かな生き物なのさ。」


それしか言えなかった。


無垢な静菜が望む答えを、俺は持っていなかった。


「それでも・・・何度も同じ事を繰り返すなんて・・・やっぱり間違ってるよ・・・」


「・・・何度も繰り返すのさ・・・これまでがそうだった様に・・・これからもそうなるのさ・・・」


「・・・なんで・・・そんな風に思うの?」


そう言って、静菜は俺の顔を見つめてくる。


曇りのない、真っ直ぐな瞳で・・・


「・・・忘れちまうんだよ・・・」


「え・・・?」


「・・・どんなに、激しい戦が起こったとしても・・・時と共に、人はその事を忘れてしまうのさ・・・だから同じ過ちを繰り返す・・・」


「でも・・・繰り返さない為に、人は記憶を残そうとする・・・」


俺の言葉を否定するかの様に、静菜はそう呟く。


「あぁ・・・そうだ・・・それでも、繰り返されるんだよ。」


「・・・どうして?」


静菜の疑問に、俺は暫く考え込む。


どう言えば良いのか、どうすれば伝わるのか・・・


「・・・人が、完全に理解し合う事が出来無いからさ・・・戦う者同士、それなりの大儀がある・・・護る者も、戦う理由も、人それぞれ違う・・・殺らなければ・・・自分が殺されるだけ・・・それが・・・戦場の現実だ。」


呟く様に語る俺の言葉を、静菜はただ黙って聞いている。


「死を望む奇特な奴なんて・・・そうそう居ないさ・・・中には、殺し自体に喜びを感じる者だって居る・・・人それぞれの価値観は違う・・・他人に自分の価値観を押しつける事など出来ない。」


「・・・そう・・・だよね。」


俺の言葉に、下を向いて黙り込む。


「それでも・・・私は・・・」


暫くの沈黙の後、強い意志の感じられる声が聞こえてきた。


「やっぱりこんなの、間違ってるよ・・・」


そう言って、強い意志の宿る瞳を、俺に向けてくる。


どこまでも真っ直ぐで・・・吸い込まれそうな・・・そんな瞳で。


「・・・おまえがそう思うのなら・・・おまえにとって、それが正しい事だろうよ。」


そう言って、俺は苦笑してみせる。


「うん・・・誰も・・・命を奪う権利なんて無い・・・それが例え、人であれ・・・妖怪であれ・・・」


「・・・そうだな・・・」


「私は・・・私は、争いの無い・・・人も妖怪も・・・手を取り合って、過ごせる世界を作りたい・・・」


そこまで言うと、静菜は空を仰ぎ、目を瞑る。


「私は・・・半妖・・・人でも妖怪でもない・・・その間に居る存在・・・」


その横顔は、どこか悲しそうで・・・


「そんな私でも・・・そんな私だからこそ、人と妖怪の架け橋に成りたい・・・」


「・・・遠い道のりだな・・・それでいて、険しい道のりだ。」


恐らくそれは、実現する事は、無いだろう。


同種族でも解り合う事すら叶わぬのに、それが別種族ともなれば、不可能だ。


「うん・・・とっても長い道のりだと思う・・・けど・・・」


そこまで言って、静菜は俺の方を向いてくる。


その顔には、先程までの悲しそうな表情ではなく、恥ずかしそうに笑っていながら、涙を流している少女が居た。


「それが・・・私の夢だから・・・」


「夢・・・か・・・」


呟きを漏らし、俺は戦場の爪痕残る地を見る。


何故人は争い合い、解り合えないのか・・・


正直な所、俺にだって解りはしない。


静菜の語る夢の方が、正しい様な気さえする。


例え・・・実現する事は無いにしろ・・・


そんな夢を本気で語る静菜が、とても眩しく見えた。


「・・・なら、俺も付き合ってやるよ。」


そんな世界を、俺も見てみたい・・・


「・・・え?」


その道のりは、長く、険しく、危険を伴うだろう。


俺は・・・こいつを死なせたくない・・・そう思った。


「おまえの馬鹿げた夢に・・・俺も付き合ってやるよ。」


そう言って、俺は静菜に顔を向ける。


「・・・馬鹿って言うな・・・」


そんな俺に、不満そうに呟いてくる静菜。


「でも・・・ありがとう。」


はにかみながら、嬉しそうに笑っている。


そんな静菜を、俺はずっと見ていたかったのかもしれない・・・


全く・・・つまんねぇ事思い出しちまったな・・・


兼道達の家に戻ってきた俺は、部屋に置きっぱなしの俺達の荷物をあさりながら、肩をすくめて自嘲する。


麗姫の依頼を受けて、必要な物を取りに来ていた。


「宝仙。」


「うん?」


不意に呼びかけられ、肩越しに部屋の入り口を見やる。


そこには、壁にもたれ掛かって、こっちを見ている兼道が居た。


「どこか・・・行くのか?」


「あぁ・・・」


それだけ答えて、また荷物をあさる作業に戻った。


「・・・噂の村か?」


「どういう噂か知らんが・・・恐らくそこだな。」


どういう噂かまでは、俺も知らない。


だが、奉行所が出張り、僧まで出張ったとなれば、それなりに噂は広まるだろう。


「嬢ちゃんは、どうするんだ?」


「あいつは、まだ寝てるのか?」


「あぁ・・・鈴音もまだ寝てるみたいだな。」


彼女達が何時まで起きていたかは知らない。


だが、聖の事だ、昨日の話の後で、朝方まで考え込んででもいたのだろう。


それに鈴音が付き合ってやっていたのだとすれば・・・まぁ納得出来るな。


「・・・すまんが、聖には話さないでくれ。」


結局、あれこれ考えた末、そう結論を出した。


「何故だ?」


「・・・あいつは、まだ覚悟が出来ていないからさ。相手が死人とはいえ、元は生きていた人間だ・・・それを再殺する・・・」


荷物をあさる手は休ませず、そう淡々と語る。


「あいつは、優しい奴だ・・・優しすぎるぐらいに・・・な。」


「・・・解った。」


兼道の呟きを聞きながら、俺は荷物の底に入っている、いつもは着ない羽織を取り出す。


普段着ていた羽織は、錫杖と共に河で無くしてしまっていた。


内側に仏具を括り付ける事が出来る特注の羽織。


あまり着る機会が無い為、皺だらけに成っている部分を、丁寧に伸ばす。


羽織に、数十本の仏具を括り付け、立ち上がって羽織る。


羽織った瞬間、数十本から成る仏具の重みを感じた。


「じゃあ、行ってくる。」


後ろ腰に差していた短刀を、懐に仕舞いながら、壁にもたれ掛かっている兼道にそう告げる。


「・・・こいつを持って行け。」


兼道は、そう告げると、背中にでも隠していたのか、鞘に収められた長身の刀を俺に差し出してくる。


「それは・・・」


俺は、その刀を見て、息を飲む。


「和泉守藤原兼定・・・」


その刀の銘を呟き、兼道から刀を受け取る。


侍ならば、誰もが憧れる優良業物。


その中でも、佩裏に九字が彫られている物を『九字兼定』と呼び、魔を祓う力が込められているとさえ言われている。


「代々伝わる本物の『九字兼定』だ。丁重に扱えよ?」


「・・・何故俺にこれを託す?六代目藤原兼定。」


「誰が託すと言った。貸すだけだ・・・錫杖の代わりだとでも思っておけ。」


そう言って、もたれていた背を浮かせて、背を向けてくる。


「・・・その短刀、満足に扱えねぇんだろ?そんなんで、満足に戦えるのか?」


「兼道・・・」


「ま・・・おまえの事だから、死にはしないだろうがな・・・ちゃんと返しに来い。でなきゃ、嬢ちゃんが悲しむ。」


「・・・あぁ。」


それだけ言って、兼道は部屋から出ていった。


あいつなりの心遣いに感謝して、俺は九字兼定を腰に差した。


時刻は巳の刻。


今から出立したとして、急げば申の刻には着くだろう。


「・・・さて、行くか。」


呟きを漏らし、静かに部屋を後にする。


一瞬、聖との約束が頭を掠める。


『ししょ~、私行きたい所が有るんですけど・・・』


江戸に着く少し前に、聖が言ってきた言葉。


・・・これが終わったら、少しくらい付き合ってやるよ。


口には出さず、心の中でそんな事を考えている自分に、思わず苦笑してしまう。


ま・・・何にしても帰ってこなけりゃな。


そう決意を改め、思考を切り替える。


生きて還る・・・そう強く思い、兼道の家を後にした。

『生まれ出流前を共有し・・・』


山奥の小さな小屋の中から、焚き火の灯りが伺える。


雷鳴轟く夜の山小屋。


その小屋の中から、下卑な笑い声が聞こえてくる。


「さっきの小娘、なかなか具合が良かったな!」


「あぁ!全くだ。舌を噛んで死ななけりゃ、飼ってやったものおよぉ。」


「それにあの小僧の顔ときたらよ!女顔だったんだしよ、突っ込んでやりゃぁ良かったんじゃねぇか?」


その小屋は、三人の野党の住処として知られ、その付近には誰も近寄らなかった。


極希に、何も知らない旅の者を襲っては、金品を強奪し、女と見れば、慰み者にする卑劣な者達。


「馬鹿言うんじゃねぇよ!いくら女顔だったとしても、男に突っ込む物なんぞ持ち合わせちゃいねぇっての!」


「ギャハハハ!まだ醜女の方が良いってか?!」


酒を煽りながら笑い合う三人は、静かに開かれる小屋の戸には全く気が付いていなかった。


『生まれ出流後も共有し・・・』


開かれた戸から、滑り込む様に進入する一つの影。


「けどよ、あのガキ殺さなくって良かったのか?」


「別に構わねぇだろ。あんなガキ一人で、何が出来るってんだよ!」


「違げぇねぇや!」


そう言って、三人はまた笑い合う。


焚き火の灯りで延びた三人の影が、炎の揺らめきに併せ、ゆらゆらと揺れている。


その中に、異様に延びた影が一つだけ有った。


その異様に延びた影が、影の持ち主の意志とは裏腹に揺らぐ。


ザシュ・・・


「・・・は?」


ドスン・・・


揺らいだと思った瞬間、男の首が胴体から切り離され、床へと落ちる。


頭の無くなった筈の男の影は、何事もなかったかの様に、炎の揺らめきに併せ揺れている。


その影の頭部は、有るべき場所に収まった状態で。


「なっ!!」


「う、うわあああぁぁぁー!」


残された二人は、何が起こったのか全く理解出来なかった。


ただ、首の無くなった死体と、床に転がる生首を交互に見やり、驚愕の表情を浮かべていた。


そんな男達の事など関係無しに、異様に延びた影が、段々と人の姿へと変貌する。


「て、てめぇは!」


『全てを共有し、共に歩んで行こう・・・いつか・・・』


その姿に見覚えのあった男が、真っ青な表情で影だった者へと叫ぶ。


突然現れた人物は、全身を黒で覆った、まだ幼さの残る青年だった。


「滅べ・・・」


青年がそう呟き、手を男達に向ける。


差し出された青年の指が、鋭い錐と成って延び、凄まじい勢いで、叫んできた男を貫いた。


「ぎゃあああぁぁぁーっ!!」


男の額と両目、喉と左胸に深々と突き刺り、貫通した指。


男が暫くの痙攣の後、完全に事切れた事を確認した青年は、指を元の姿へと戻した。


バタ・・・


「ひっひっ・・・」


支えを無くした男の亡骸は、糸の切れた人形の様に、その場に倒れ込んだ。


その一部始終を見ていた男は、引きつった声を上げながら、後ずさりしているだけだった。


青年は、後ずさりしている男に視線を向ける。


「ひっ!た、助けてくれ!お・・・俺達が悪かった・・・」


女々しく命乞いをしてくる男に、青年は、一歩ずつ歩んで行く。


「く、来るな・・・来るなー!」


それに併せ、青年から逃れようと必至に後ずさる男。


「・・・姉さんの命に成る事を光栄に思え・・・そして、その身が朽ち果てるまで、守り続けて貰おうか・・・」


そう言って、青年は手刀の構えを取る。


「や、止めろー!止めてくれーっ!!」


「・・・その言葉、俺が何度言ったか覚えているか・・・?」


ザン!


「ッ!!・・・グゴガ・・・」


構えた手刀で横に薙ぎ、男の首を裂く。


鮮血を吹き出しながら、蛙の様な悲鳴を漏らす男は、そのまま動かなくなった。


三人の男が事切れた事を確認した青年は、死体となった男達を一瞥し、小屋の出口へと歩いていく。


「・・・死者となって彷徨え・・・それが貴様等の償いだ・・・」


青年が、そう呟いた瞬間。


事切れたはずの死体が、ゆっくりと起きあがった。


「・・・ほう・・・せ・・・ん・・・ほう・・・せん・・・」


死体達は、口々にそう呟きながら、少年の後を追う様に歩き出した。


『いつか・・・我らが共に死ぬ・・・その時まで・・・共に・・・』


作業小屋の中に入ると、その中央にある釜の炎をじっと見つめている兼道さんを見つけた。


「兼道さん!」


私は、少し声を張り上げて、兼道さんに呼びかける。


「おはようさん・・・っても、もう昼過ぎだがな。」


そんな私を余所に、兼道さんは振り返ることなく、釜の炎を見つめ続けていた。


「なんか用か?嬢ちゃん。」


「・・・師匠知りませんか?見当たらないんですけど。」


「宝仙なら、路銀の調達に・・・」


「師匠は、どこですか?」


兼道さんの呟きを遮り、同じ質問を繰り返す。


「師匠の荷物から、仏具がほとんど無くなってるんです。それから、いつもは着ないはずの勝負服まで。」


「・・・勝負服~?!何だよその嫌な名前は・・・」


師匠が付けた服の名を聞いて、兼道さんは、ようやくこちらに顔を向けてくる。


「そんな事は、師匠に聞いてください!!・・・そんな事より、師匠はどこですか?」


私の質問に、兼道さんはため息を吐いて、また釜の方に顔を戻してしまった。


「・・・嬢ちゃんには言わないでくれって、頼まれてんだよ。悪いが、教えられない。」


「ッ!!クロー!」


兼道さんの言葉を聞くなり、私はクロを呼んだ。


クロの嗅覚なら、師匠の跡を追う事が出来る、そう思ったから。


私の呼びかけに、クロは音もなく姿を現した。


「師匠の跡を・・・」


「・・・無駄だよ。」


クロの方に振り返り、背中に乗ろうと思った瞬間、兼道さんが私に言ってきた。


「あいつの事だ、嬢ちゃんの取る行動くらいお見通しだろうよ。この近くに河が有るからな・・・そこで匂いを消して行ってるだろうよ。」


「そんな・・・」


それは私も考えていた事だった。


そこまでして、私の前から姿を消した・・・


やっぱり、何かあったんだ・・・


私じゃ、役に立てない事なのかな・・・


そんな事を思い、悲しくなって俯く。


「・・・嬢ちゃんよ?」


「え・・・?」


不意に、兼道さんに呼びかけられて、顔を上げた。


兼道さんは、相変わらず釜の中をジッと見つめ続けていた。


「嬢ちゃんは・・・宝仙の言葉が解ったのか?」


「・・・解りません。」


師匠が昨日、私に言ってきた言葉。


『いつかおまえも覚悟を決めなければならない時が来る・・・』


「師匠が言った覚悟って・・・正直どういう意味なのか解りません・・・人を殺めるって事なのか・・・死ぬって事なのかも・・・けど。」


「けど・・・?」


そこでまた、兼道さんがこっちを向いてくる。


その目を、私は真っ直ぐ見つめ返す。


「私に何が出来るか解りません・・・でも、私がやりたい事は・・・出来るかもしれない事は解ります!それを私は・・・やりたいんです。」


兼道さんの目を見つめながら、私は、私の決意を口に出す。


「私は、私の出来る事を・・・出来るかもしれない事を精一杯やるだけです。」


「出来る事・・・出来るかもしれない事・・・か。決意と覚悟は違う・・・それは解ってるな?」


「・・・はい。」


暫く、お互い無言のまま見つめ合う。


「フッ・・・随分と成長したじゃねぇかよ。」


不意に、兼道さんが私から目を逸らしたと思ったら、苦笑してそう呟いてくる。


「鈴音、居るんだろ?」


「フフッ・・・兄さんの負けのようね。」


兼道さんの呼びかけに、作業小屋の入り口の陰に隠れて、私たちのやり取りを見ていた鈴音さんが姿を現す。


「・・・宝仙なら、例の村に行ってるよ。」


「え?」


いきなりそう言われ、意味が解らず戸惑っている私の肩に、鈴音さんの手が添えられる。


「宝仙には、聖に教えるなとは言われたが、鈴音に教えるなとは言われてないからな。」


兼道さんのぶっきらぼうにそう言ってくる。


「本当に・・・素直じゃ無いわね、兄さんって。」


そう言ってくる鈴音さんを見てみると、苦笑を浮かべながら笑っていた。


「私は、宝仙様に口止めされてないからね・・・私が教えても、何にも問題ないでしょ?」


兼道さんに向けていた顔を、私に向けてきたかと思えば、今度は戯けた笑みを浮かべてそう言ってくる。


「あ・・・ありがとうございます!」


「フン・・・さっさと行ってこいよ。」


そう言って、兼道さんは、釜へと顔を戻した。


「照れてるのよ兄さん。」


「うるせぇよ!」


鈴音さんの一言に、兼道さんは顔を向けずに叫んできた。


「フフッ・・・聖ちゃん。ここから北東に村が有るのは解る?」


「はい、何度か通った事があります。」


「そう・・・十日ほど前から囁かれ出した噂なんだけど・・・その村に妖が住み着いたってね。御侍様や御坊様が退治に出かけたっきり戻ってこないらしいの・・・多分、宝仙様はそこに向かわれたんだと思うわ。」


「・・・師匠が・・・妖怪退治?」


私は、その話を聞いても、今ひとつ納得がいかなかった。


なにか理由が在る事は、私にも解るけど・・・


相手が襲いかかって来る様な時は別だけど、師匠は妖怪退治を進んでやる様な事はない。


たとえ、お金を積まれようとも・・・


やっぱり、何かあるんだ・・・


「・・・解りました。行ってきます!」


決意を胸に、私はクロに駆け寄ろうとする。


「待て、聖。」


「え・・・?」


そこで私は、兼道さんが私の事を名前で呼んでいる事に気が付いた。


驚いて振り向くと、相変わらず釜の中を見つめている兼道さんの後ろ姿が見えた。


「これだけは覚えておけ、何時、どんな形で、覚悟を迫られた時でも、自分の選んだ選択肢に自信を持て。」


「・・・はい!」


「行ってらっしゃい・・・気を付けてね。」


「はい!」


元気良く返事して、私はクロの背中に飛び乗る。


「クロ・・・お願い!出来るだけ急いで!」


「・・・振り落とされぬ様、しっかりと捕まっておられよ。」


私の呼びかけに反応したクロが、ゆっくりと起きあがり、北東の村を目指して走り出す。


周りの景色が、ものすごい勢いで流れていく。


「・・・どのくらいで着けそう?!」


顔にぶつかる風の所為で、うまく喋られないけど、なんとか声に出して聞いてみる。


「・・・三、四刻以内に着いてみせます。」


「・・・お願い!!」


なんとかそう呟き、しがみつく腕に更に力を入れる。


それに応える様に、クロの走る速度が更に上がった。


今から三、四刻・・・夕刻までには着けられるはず・・・


一陣の疾風となり、私とクロは、目的地へと向かい、鬱蒼と広がる森の中を駆け抜けていった。


「・・・死臭が酷いな・・・」


風に乗ってやって来る死臭を嗅ぎながら、俺は目的の村に到着した。


村から少し離れた場所で、馬は江戸へと帰したので、今は徒歩で村の入り口を目指している。


辺りは、夕暮れの朱に染まり上がり、秋も終わりと有ってか、寒々しい雰囲気を醸し出している。


「・・・見られているな。」


そう呟きを漏らし、慎重に辺りを探ってみるも、人の気配は全く無かった。


だが、体にまとわりつく様な視線だけは感じられた。


「高見の見物か・・・ふざけやがって。」


そう吐き捨て、俺は村へと入った。


何度か訪れた事のある村だったが、前に訪れた時とは全く違っていた。


民家は至る所が朽ち果て、そこかしこに木材の破片が転がっている。


夕餉前にも関わらず、誰一人として見受けられなかった。


暫く進むと、道端に無造作に置かれている人形を発見した。


それを手に取り確認する。


長い間雨風に晒された所為か、色褪せ、ボロボロになった人形。


左腕部分が無くなり、着ている服も、ただの布きれとなっていた。


この人形の持ち主は、おそらくまだ小さな子供だろう。


その子供は、今どうしているのだろうか・・・


そんな考えが頭を過ぎったが、頭を軽く振って忘れる。


これはおまえがやった事なのか・・・刹那・・・


手にしていた人形を懐に仕舞い、辺りを見回す。


・・・何か来るな・・・


ただならぬ気配を感じ取り、俺は腰に差していた九字兼定を抜き放つ。


「ほ・・・う・・・せん・・・」


「うん・・・?」


名前を呼ばれた方角を睨み、声の主が現れるのを待つ。


声は一つや二つではなく、こちらにやってくる気配も、十では足りないかもしれない。


村全体から、俺を呼ぶ声が聞こえてくる様な錯覚すら覚える。


「フッ・・・手厚い歓迎だな。」


現れた声の主達を見やり、鼻で笑い呟く。


足を引きずる様に現れた者達。


老若男女を問わず、焦点の合わない、酷く濁った瞳。


ある者は腕がなかったり、首が皮一枚で繋がった状態の者まで。


彷徨える亡者達。


死者を操る術は、禁呪と称され、数多く存在する禁呪・古文書と共に封印された筈だった。


だが、戦乱の混乱で、その一部が流出し、世に出てしまった。


この者達も、何らかの禁呪により、死して尚彷徨っているのだろう。


この中に、先程の人形の持ち主もいるのであろうか・・・


「・・・今終わらせてやるぜ・・・おまえ等の悪夢を・・・」


そう呟いて、九字兼定を右手で横に構え、左手を鍔の辺りに添える。


「ヴァジュラヤクシャッ!!」


刀の鍔の辺りで凡字を描き、凡字に込められた言霊を、梵名を叫ぶ事により解放する。


同時に、刀に変化が起こる。


ヴヴウヴヴヴヴヴヴヴ・・・


その刀身は淡く蒼白い光を纏い、形容しがたい音を発する。


「・・・久しぶりに、舞わせてもらうか。」


「ほ・・・うせ・・・ほう・・・せん・・・」


呟きと共に、俺は彷徨える者共に向かって走り出す。


手前にいた者達から、次々と切り倒していく。


この手の禁呪を施された者は、腕や足が無くなった所で、全く意に介さない。


何故ならば、この者達は、自分の意志で動いているのではなく、誰かに強制的に突き動かされているだけだからだ。


それは先程見た、首が落ちかかっていた者を見ればすぐ解る。


例え、肉片と化したとしても、彼等は突き動かされるのだ。


それがこの手の呪詛が、禁呪と呼ばれる由縁だ。


こういう場合の対処法は、大きく分けて三つ。


一つは、呪詛返しと呼ばれる方法。


これは言葉の意味の通り、呪詛を掛けた者に対し、呪を返す方法。


しかしそれは、掛けられている呪詛の種類によって異なる為、この場では使えない。


何より、俺には呪詛返しのやり方すら知らないので論外だ。


もう一つは、呪詛を掛けた者、もしくはその呪詛の媒介を破壊する事。


これについても、掛けた相手がこの場に居ない上、媒介が何なのか解らなければ意味がない。


そして最後の一つは、思念武装された武器による強制的な呪詛の無効化。


思念武装とは、広い意味で言うならば気を宿した武器防具の事だ。


だがこの場合、掛けられた呪詛以上の力がなければ無効化は出来ない。


兼道から借り受けた九字兼定にも、魔を祓う力が込められていると言われている。


翁より受け取った、銘のない妖刀も然り、魔なる者をも切り裂く力が込められている。


だが、こればかりは掛けた者の、器の大きさにも関係してくる為、あえて九字兼定に金剛夜叉明王呪の力を付与させた。


これでも起きあがって来るので有れば、それ相応の対処法もあるが、要らぬ心配だった様だ。


すでに十数体切り倒したが、その全てが、起きあがる事はなく、ただの屍へと戻っていった。


ザン!・・・ドシャ・・・


「・・・安らかに眠りな・・・」


とりあえず、今現れた亡者共は、全て呪詛から解放させた。


最後の一体を倒し、何とはなしに呟きを漏らした。


夕陽は大分傾き、夜の蚊帳はすぐそこまで来ている様だ。


長く延びた影法師を伴い、俺は村を先に進む。


・・・見られている・・・な。


どこから見ているのか、視線の主の気配は全く感じられない。


「いい加減出てきたらどうなんだよ!刹那ーッ!!」


次第に募っていた憤りが爆発し、俺はその場で足を止めて叫ぶ。


おそらくは、今回の事件の首謀者であろう者の名が、木霊となって辺りに響き渡る。


『その名を知っている・・・と言う事は、あんた・・・宝仙か?』


どこからともなく響いてくる声。


辺りを見回すも、声の主は発見出来なかった。


そして、その声は俺の知らない人物の声。


刹那ならば、男口調ではあるが、女の声だ。


だが、今響いてきた声は、紛れもなく男の声だった。


「・・・誰だ・・・姿を現せ・・・」


その声の主に向かって、俺は怒気を含ませた声音で呟く。


「ッ?!」


突然感じられた気配に驚き、後ろを振り向く。


「初めまして・・・」


そこに立っていたのは、全身を黒い忍服で覆った、まだ幼さの残る青年。


黒い髪に黒い瞳、服が黒ならば、口を覆っている布も黒。


端正に整えられた顔の為、一瞬女かとも思ったほどだ。


だが、その瞳には、まるで感情が見えず、能面を思わせる。


似ている・・・戦場を駆け抜けていた頃の俺の顔と・・・


一瞬そんな考えが頭を掠め、消えていった。


「・・・誰だ?」


手にしていた九字兼定を、自然体のまま構え、辺りを警戒しながら低い声で聞く。


「・・・月神。」


「・・・刹那は何処だ?」


「・・・少なくとも、もうこの辺には居ないだろう。それから、あんた宛の伝言を預かっている。」


「伝言・・・だと?」


「『待っている・・・』だそうだ。」


それだけ呟くと、月神は、背を向けて立ち去ろうとする。


「あんたには手を出さない・・・そういう約束なんだ・・・だから見逃してやるよ。」


そう言って、月神は、背中を向けたまま、手を挙げて軽く振ってくる。


見逃す・・・だと・・・


「クッ・・・クックック・・・」


「・・・なにが可笑しい?」


突然笑い出した俺に、その場で足を止め、肩越しに振り返ってくる月神。


「クックック・・・いや、俺も嘗められたもんだと思って・・・な。」


そう言って、俺は笑いを堪え、月神を睨む。


「餓鬼が・・・粋がってんじゃねぇぞ・・・」


低い声音で凄み、殺気を放ちながら呟く。


「何が見逃すだ・・・俺は見逃すつもりはねぇぞ・・・」


そう言って、俺は懐に仕舞った人形を取り出す。


「・・・こんなもん見ちまったからな・・・死体の山に懺悔しな。」


「・・・俺に謝れと言うのか・・・?人間が・・・俺達に何をしたか・・・知らないくせに・・・」


「フン!知ったこっちゃねぇな・・・何も解ってねぇ頭でっかちな餓鬼の言い分なんぞ。」


言いながら、俺は手にした人形を、懐へと仕舞う。


「・・・せっかく見逃してやると言っているのに・・・あんたも馬鹿な大人なんだな・・・」


そう言いながら、月神は、こちらに体を向けながら、殺気を放ってくる。


「あんたも・・・こいつ等の仲間にしてやるよ。」


「ほう・・・せん・・・ほうせ・・・ん・・・」


不意に聞こえてきた無数の声。


月神の後ろを見てみると、先程俺が倒したはずの屍共が、こちらへと向かって歩いてきていた。


チッ・・・この餓鬼・・・また呪詛を掛けたのか・・・


心の中で舌打ちし、苦々しく吐き捨てる。


「・・・そう言う台詞は・・・俺を殺してから言いな・・・糞餓鬼!」


手にしていた九字兼定を、先程と同じように横に構え、鍔の辺りに左手を添える。


いつの間にか、辺りはすっかり暗くなり、闇が支配する時間がやってきた。


長い夜になりそうだな・・・

見覚えのある風景が見え始めた頃。


不意にクロの走る速度が落ちて、とうとう立ち止まってしまった。


「・・・どうしたの?」


夕暮れが鮮やかに映える山々を遠くに見ながら、何故クロが立ち止まったのか、その理由を聞いてみた。


「・・・人間の匂い。」


「それって、師匠?」


そう聞くと、クロは首を横に振って否定した。


「知らぬ人間の匂い・・・それから・・・まだ新しい死体の匂い・・・腐りかけた匂い・・・血の臭い・・・無数のそれらが、蠢いている。」


「ッ!!クロ!そこに急いで!」


その意味を理解した私は、クロにそう叫んだ。


「・・・御意。」


それだけ答えて、クロは地を蹴って走り出した。


私は、振り落とされない様に、艶やかなクロの毛をしっかりと握りしめる。


「た、助けてくれ~!」


少し離れた場所から、男の人の悲鳴が聞こえてきた。


その声のする方へと、どんどん進むと、開けた草原に出る。


そこには、地に腰を着けて後ずさっている、大きな荷物を抱えたおじさんと。


・・・なに・・・これ・・・


「ほう・・・せ・・・ん・・・ほ・・・う・・・」


足を引きずる様に、おじさんの方へと歩いていく、もう死んでしまったはずの人達。


それこそ、赤ちゃんから、おじいちゃんおばあちゃんまで、その年齢は様々だった。


ッ!!惚けてる場合じゃない!助けなくっちゃ!


「クロ、お願い!」


そう思った私は、クロから飛び降り、死体になっても動いている人達に向かって指を指した。


「御意!」


クロは、私の指示に従い、黒い疾風となって死者に突っ込んでいった。


あの人達・・・師匠の事を、呼んでる?


クロから飛び降りた私は、そんな事を思いながら、地に腰を着けて後ずさっているおじさんの元へと走り出す。


「大丈夫ですか?!」


「ヒ、ヒィ!」


おじさんは、私の呼びかけに、引きつった表情を向けたかと思うと、私の顔を見た途端、安堵の表情に変わった。


「ここは危険ですから、速く逃げてください!」


「あ、あんた。お坊さんか?これは一体何なんだ!」


「解りません・・・けど、一刻も早く、ここから逃げてください。」


そう言って、速く逃げる様に促すも、おじさんは動く事をしなかった。


「こ、腰が抜けて・・・た、立てないんだ・・・」


「え・・・?」


困ったな・・・どうしよう。


肩を貸して安全な場所まで運ぶ事が出来れば良いんだけど、私にはそれだけの力がなかった。


そうだ!この人の事は、クロに任せて、金華龍を呼べば・・・


そう思った私は、今も頑張っているだろうクロの方へと向き直る。


「ギャンッ!!」


振り向いた私の目には、クロの悲痛な声と共に、信じられない光景が飛び込んできた。


右前足辺りから血を流しているクロと、そのクロと対立する様に立っている白い狐の姿。


二つの頭を持つ狐、それぞれの頭には、角が生えている。


クロよりも一回りくらい小さい体、それよりも長い、先端が鋭く尖った尻尾。


二つの頭から、それぞれうなり声を上げ、クロを威嚇している。


対するクロは、ただ静かに、前傾姿勢で睨み付けている。


いつもと違う所が有るとすれば、炎を思い浮かばせる様な黒い体毛が、ゆらゆらと揺らめいて、本当に燃えている様になっている。


「グワアアァァァー!」


「シャアアアァァァー!」


クロと白い狐が、雄叫びを上げながら、激しく激突し合う。


二・三度、激しくぶつかりあったと思ったら、二匹とも、深い森の中へと駆け込んでいってしまった。


「クロ・・・」


森の中へと消えていったクロの方を暫く見つめて、クロが無事に帰ってきてくれる事を祈る。


「う・・・せん・・・せん・・・ほ・・・」


暫くそうしていた私は、声の聞こえて来る方に顔を向ける。


クロが居なくなってしまった事で、あの人達の標的は、私とおじさんに変わってしまった。


「ヒ、ヒィィィィィー!」


大きな荷物を抱えたおじさんが、金切り声で悲鳴を上げる。


私に残された選択肢は・・・一つ・・・けど・・・


不意に頭を過ぎった選択肢。


でも・・・このおじさんに見られたら・・・私は・・・


そう思いながら、おじさんをかばう様に前に立ちながら、きつく唇を噛む。


それがどういう結果になるのか・・・私には良く理解出来ていた。


『化け物』『妖怪』『鬼』


このおじさんにも、そう呼ばれるのだろうか・・・


この人を、助けたいと思う私と、罵られ、恐れられる事を嫌がる私が、心の中でせめぎ合っている。


でも・・・


目を閉じて、昨日の師匠の言葉と、今朝の兼道さんの言葉を思い返す。


『いつかおまえも覚悟を決めなければならない時が来る・・・』


『何時、どんな形で、覚悟を迫られた時でも、自分の選んだ選択肢に自信を持て。』


ようやく・・・師匠の言っている事が・・・ちょっとだけ解った気がした。


『覚悟』という言葉で・・・師匠は色々な事を教えたかったんだと思う。


兼道さんは、最初っから解ってたんだね・・・師匠が何を言いたいのか・・・


だから、あんな風に言ってくれたんだ。


『強い心を持て。』


ゆっくりと、閉じていた瞳を開き、前方を見据える。


不思議な事に、先程までは全く感じなかった、あの人達を取り巻く様な黒い妖気が見える。


それだけではなく、少し離れた場所から、クロの気配も感じられる。


心が落ち着き、心臓の鼓動も、いつもより穏やかに感じる。


五感が異様に鋭くなり、先程までは気が付かなかった小さな物まで見えてくる。


いつか感じた事のある感覚。


初めて、私が金華龍を操る事が出来た日と同じ感覚が、また現れていた。


『宜しいか・・・』


不意に頭に直接響いてくる声。


えぇ・・・


『汝は・・・何故に戦う?』


護りたい物が有るから・・・


『汝は・・・何を求める?』


私は・・・私に出来る事を・・・出来るかもしれない事をしたいの・・・だから・・・


『だから・・・?』


力を・・・貸して。


『・・・それが汝の望むもので有れば・・・我は汝の刃と化そう。』


「おじさん・・・」


「へ、へぇ?」


肩越しに振り返って、私はおじさんに微笑みかける。


「ごめんなさい・・・ちょっとだけ、目を瞑ってて貰えますか?」


「こ、こうですか?」


私のお願いに、おじさんは、以外と素直に従ってくれた。


さすがに・・・人前で裸になるのは恥ずかしいからね・・・


そんな事を思って、私は、自分の着ていた袴の帯を緩め、僧服を脱ぎ捨てる。


『準備は・・・宜しいか?』


えぇ・・・


『されば、我が名を呼び求め、訴えよ!汝の成さんとする願いを!』


私は・・・私に出来る事をしたい・・・今しなければならない事を、精一杯したいの・・・だから・・・


「力を貸して!金華龍!」


月が照らすだけの頼りない光量の中。


深く、鬱蒼と生い茂る木々の間を、二つの影が駆け抜ける。


「グワゥ!」


黒い獣が、咆吼と共に、白き獣の喉笛に噛み付く。


だが、白き獣には、首から上は二つあり、噛み付かれていない方の首が、黒い獣の喉に喰らい付いた。


それに対し、黒い獣は、左前足を使って、喰らい付いている方の頭を、鋭い爪で切り裂く。


黒い獣の爪により、一瞬喰らい付いている力が弱まり、それを機に、軽々と白い獣を持ち上げる。


持ち上げたと同時、白い獣の牙は、完全に黒い獣から離れる。


だが、今度は、白い獣の体よりも長く、鋭い先端を持った尾が、黒い獣の胴体に突き刺さる。


さすがの黒い獣も、たまらず白い獣を放り投げ、大きく後ろに飛んで、突き刺さっている尾を引き抜く。


全身至る所から血を流した黒い獣と、同じく、全身から血を流した白い獣が、互いに距離を保ちながら睨み合う。


「神獣が・・・何故に人間と共に行動をする・・・」


「神獣が・・・何故に我等の邪魔をする・・・」


二つの頭から、それぞれ違う言葉を吐きながら、黒い獣を睨み付ける白い獣。


「・・・主の為に、我は存在する。」


それだけ呟き、黒い獣も、前傾姿勢で睨み返す。


「・・・くだらぬ・・・」


「所詮は・・・獣の本能を忘れた狼か。」


「ほざけ・・・我も問おう。何故貴様の様な者が、こんな辺鄙な場所に居る。」


二匹共に、全く警戒を緩めずに、一定の距離を置きながらの睨み合いが続く。


「我等は、我等を統べる者の特命にて、この場に留まり候・・・」


「・・・統べる者・・・」


「左様・・・我等を統べる者・・・」


「汝・・・我等と共に来い。」


「人などと言う、愚かな生き物に仕えさせるには、惜しい存在だ。」


「我等と共に、統べる者に、忠誠を誓え。」


「さすれば・・・我等は汝を迎え入れよう。」


そう呟き、白い獣は警戒を緩め、その場に座り込む。


「もし・・・迷う事が有れば・・・汝の仕えし人間を、我等が食ってしんぜよう。」


その言葉聞いた途端、黒い獣の炎を思わせる毛が、ゆらゆらと揺らめき出す。


「何を迷う事がある?所詮、貴様も我等も、人と交わって生きる事など叶わぬ。」


「我等が争う理由など無い。我等が戦わねばならぬ相手は・・・常に我等を脅かす者達の筈。」


「・・・良く廻る舌だな。」


時間が経つにつれ、黒い獣を中心に、気温が上がり始める。


ゆらゆらと、あたかも本物の炎が燃えさかっているかの様に、黒い獣の毛が蠢く。


「貴様の言いたい事はよく解る。だが、我が主に危機を招くと言うのであらば・・・我が命に代えても、貴様を滅ぼす。」


「・・・何故そこまで人間に荷担する?」


「それで汝は、何を得る?」


「何も得はしない・・・だが、我は、我が魂に誓った。」


そう言うや、揺らめくだけだった毛並みが、黒く燃えさかり、本物の炎へと変わる。


「我が名は黒炎。黒き炎と成りて、我が主・・・聖殿を守護する者也。」


黒い炎を纏った獣が、白い獣へと襲いかかる。


だが、白い獣は、その攻撃を避け、後方へと大きく跳躍する。


「・・・言っても解らぬと言う事か・・・まぁ良い。」


「我等の目的は・・・すでに果たした。」


「もうこの地に用はない・・・」


「次ぎに巡り逢いし時は・・・決着を着けようぞ・・・」


そう呟いて、白い獣は深い森の中へと、姿を消した。


深追いは危険と判断した黒い獣は、白い獣の気配が完全に消えた頃を見計らって、歩き出す。


先程まで、燃えさかる炎となっていた毛は、もう元に戻っていた。


黒い獣は、匂いを頼りに、彼が護るべき者の元へと、帰るのだった。


「お、鬼だぁぁぁぁーっ!!」


夕陽が沈み、闇と闇を照らす月が支配する頃。


変貌した私の姿を見たおじさんの悲鳴が、辺りに木霊となって響き渡った。


解っていても・・・やっぱり痛いな・・・


鬼という言葉を聞いた途端、私の心は、棘で包容されたかの様に、チクチクと痛んだ。


それでも私は・・・やらなきゃいけないんだ!


「ヒ、ヒィィィィィー!」


悲壮な悲鳴を上げながら、おじさんは走って逃げていった。


暫くおじさんの後ろ姿を眺め、その先の闇に意識を集中する。


あの先は、安全みたいね・・・


それを確認した私は、今尚こちらにやって来る死者を睨む。


『気を付けられよ・・・あれは普通では倒せぬ者共也・・・』


不意に頭に直接響いてくる声。


どういう事?


『かの者達は・・・呪詛により彷徨いし者達・・・腕がもげようと・・・首を跳ねようと・・・止める事叶わぬ。』


そんな・・・どうしたらいいの?


『右手に意識を集中されよ・・・』


手・・・?


頭に直接響いてくる金華龍の言う通りに、右手を見つめながら、手に意識を集中させる。


すると、右手が淡い金色の光に包まれた。


『その手で、かの者共を切り裂け・・・さすれば、かの者共に掛けられた呪詛を無効化できよう。』


解ったわ・・・やってみる。


「ほう・・・せん・・・ほうせん・・・」


すぐそこまでやって来ていた死者を、金色に光り輝く右手で薙ぎ払う。


ハアアアァァァーッ!!


「グゥオオオォォォーッ!!」


二・三体薙ぎ払っては、踏み込み、切り返しでまた薙ぎ払う。


右手で薙ぎ払われた者達は、糸の切れた人形の様に、その場に倒れ込んだかと思うと、そのまま動かなくなった。


何度も何度も、単調な作業を繰り返し、数十体居た死者達は、もう数えるだけに成っていた。


その中に、地を這う様にこちらにやってくる小さな死者。


ッ!!


「あ・・・あうぅうぅぅぅ・・・・」


まだ生まれたばかりの赤ん坊・・・


その姿を確認して、私の手は止まってしまった。


その赤ん坊の頭は、所々へこみ、至る所から血を流し。


とても痛々しい姿になっても、懸命に私の所まで這ってこようとする。


・・・こんな赤ん坊まで・・・


『躊躇う事なかれ・・・』


「だぁ・・・あぶぶぅぅぅ・・・」


まだ歯が生えて居ない為、声にならない呻きが漏れてくる。


・・・ごめんね。


それだけ、頭の中で呟くと、その赤ん坊を右手で、目を閉じて薙ぎ払った。


右手に伝わってくる、柔らかい感触は、一生忘れられないだろう。


・・・くっ!!


目を見開き、残った死者を一気に薙ぎ払う。


動く事の無くなった死者達を眺めながら、元の姿に戻った私は、立ちつくしていた。


冬もすぐそこまで訪れた、冷たい夜気が、火照った体を冷ましていく。


・・・風邪引いちゃうな。


不意に、そんな事を思って、苦笑する。


先程脱ぎ捨てた服を拾って、身に纏い、辺りを見渡す。


なるべく、死者達を見ない様にしながら・・・


五感を研ぎ澄まし、クロの行方を捜す。


・・・うん?


遠くに、岩肌のむき出しになっている場所に、洞窟を発見した。


それだけの事ならば、今の私だったら、気にも留めなかっただろう。


・・・誰か、あそこに居る。


直感にも近い感覚で、それを悟り、私は洞窟を目指して歩き出す。


暫く歩くと、目的の洞窟へと辿り着いた。


その中に入ると、やはり人が居る様で、うっすらと奥に灯りが見えた。


辺りに気を遣いながら、私は注意深く奥へと入っていった。


恐らく、クロに襲いかかった白い狐は、ここから出てきたのだろう。


そして、その場所に誰か居る。


つまり、この先に、あんな酷い事をした張本人が居る可能性がある。


いつでも服を脱ぎ捨てる事が出来る様に、僧服の裾に手を当てながら、慎重に気配を出来るだけ殺して奥に進む。


カツン・・・


ッ!!


慎重に歩いていた筈なのに、あまりにも奥に居る人物に集中しすぎて、足下の小石にまで気が廻らなかった。


「・・・白光?」


小石を蹴躓かせた音が、洞窟内に響き、奥にいる人物に気が付かれてしまった。


・・・女の人の声?


「誰・・・ですか?」


すぐに姿を見せなかった所為か、奥にいる人物が怪しみだす。


・・・まずい、どうしよう・・・


「兄さん・・・?兄さんなの?」


このままここでジッとしていたとしても、あちらから来られてしまったら解ってしまう。


暫く考えた挙げ句、私は意を決して姿を見せる事にした。


「あなた・・・誰?」


綺麗な人・・・私より年上かな・・・


切れ長の細い眉毛、少し垂れ気味の瞳。


小さく高めの鼻に、薄い唇。


艶やかな黒髪を後ろで纏めている。


まるで、人形の様な女の人。


「誰・・・ですか?」


黙ってその女の人を観察していた私は、再度問われた質問で我に返る。


「あ・・・聖です。あなたは?」


「私は、月華・・・」


「ほう・・・せん・・・」


月が照らす村の中を走り抜ける。


分が悪い・・・倒した所で、すぐに禁呪を掛けらては・・・チッ!場所が悪い!


消耗戦になれば、こちらに勝ち目がない。


更に奴は、村中の亡者達を集めている様だ。


・・・囲まれたら逃げ場はないな。


『・・・さっきまでの威勢はどうしたよ?それとも・・・それがあんたの実力か、宝仙?』


どこからともなく響いてくる声。


その声の主に対し、心の中で舌打つ。


・・・まぁ良い、奴が村中の亡者を集めているのだとしたら・・・それはそれで好都合だ。


思考を巡らせながら、村の中を縦横無尽に走り抜ける。


暫く走ると、民家の建ち並ばない広場の様な場所にたどり着く。


・・・ここなら。


広場の中央まで一気に走ると、そこで立ち止まり、やって来る亡者達を睨む。


「・・・もう鬼ごっこは終わりか?」


「勘違いするな・・・戦いやすい場所まで、お越し願ったまでだ。」


言って、羽織の裏に括り付けていた仏具を、適当に五本取り外す。


それを地面に向かって投げ、俺を中心に上下左右、足下に突き刺すと、五大明王の凡字を順に切っていく。


いつの間にか、俺を中心に、広場には亡者共が押し寄せてきていた。


その中に、月神の姿を確認し、そちらに向き直る。


・・・五十・・・六十は居るか・・・これで全てだという事を祈ろう。


ふと、そんな事を考え、苦笑する。


「五大明王陣!五天断絶障壁陣!強制発動!」


天高らかに叫ぶと、先程地に突き刺した五鈷杵、三鈷杵、独鈷杵が光り輝き、点が線を結び、線が面を形成する。


俺の下に突き刺さっていた五鈷杵を頂点とした、四角錐状の結界が現れた。


「・・・逃げるのを止めたと思えば・・・今度は結界か・・・」


「フン!死体を僕にしなければ、何も出来ない餓鬼が・・・偉そうに吹いてんじゃねぇよ!」


そう毒づき、再度羽織の裏に括り付けられている仏具を、今度は八本取り外すと、空に向かって放り投げる。


「ヴァジュラヤクシャッ!!」


放り投げると同時、空いた手で凡字を描き、込められた言霊を、梵名を叫ぶ事により解放する。


同時に、放り投げた八本の仏具が、淡い光を放ちながら、一定の高さまで上昇すると、八方に飛び散っていった。


「・・・何をしたいのか、理解出来ないな・・・」


理解して欲しくなんかねぇよ・・・


そう頭の中で毒づくと、思考を切り替え、目を瞑り、手を併せる。


「・・・水を司りし者よ・・・我願い奉る・・・汝の清らかなる白き息吹にて・・・」


目を瞑り、意識を集中して、詩を口ずさむ様に祝詞を謡う。


「・・・結界を張った所で・・・」


月神の呟きが聞こえたと同時、背後に殺気を感じた俺は、咄嗟に横に跳び身を屈める。


影だと?!・・・そう言う事か。


月に照らされ薄く現れていた俺の影から、巨大な黒い錐が、渦を巻きながら迫り出し、先程まで俺が立っていた場所を貫いていた。


それを横目で見やりながらも、俺は祝詞を謡う事を止めなかった。


「・・・健やかなる、絶対の眠りに誘え!」


祝詞を謡い終え、右手で軍荼利明王の凡字を描く。


同時に、先程八方に散っていった仏具の方角から、巨大な光の柱が八本現れた。


「・・・これは!」


「八大明王陣!軍荼利明王呪!水剋陣!強制発動!」


バキィィィン!


陶器が割れた様な、乾いた音を響かせながら、辺りの温度が氷点下まで下がる。


空気中の水分が凝結し、辺りが霧で覆われ、視界が遮られる。


事態を確認する間もなく、後ろを振り向き、腰に仕舞っていた九字兼定を抜き放つと、そのままの勢いで、自分の影を切り裂く。


切り裂くと同時、俺の影から、飛び出す影があった。


その影が、一定の距離まで行くと、盛り上がり人の形を形成する。


「・・・惜しかったな。あの時、俺を影で攻撃していなければ、殺られていたのは俺だったかも知れないな・・・」


人の形を取り戻した月神に、余裕の笑みを湛えて言い放つ。


「・・・チッ!」


苦々しく舌打ちした月神は、左腕を右手で押さえ睨んでくる。


どうやら先程の一撃で、腕を負傷した様だ。


「参ったぜ・・・大威徳明王珠と同じ・・・いや、影の中を移動できる所を見ると、それ以上か・・・そりゃ明王珠候補位じゃ、歯が立たない訳だ。」


八大明王珠には、それぞれ異なる力が宿っている。


俺の操る金剛夜叉明王珠の力は『操作』。


ある一定の条件を満たした、無機質を操る事が出来る。


仏具を、あたかも自分の手足の様に操る事が出来るのは、俺の持つ霊珠の力だ。


この他にも、『具現』『反射』『式神』等ある。


そして、大威徳明王珠の力は『操影』


但し、明王珠の力では、影の中を移動する事までは出来ない。


奴が気配も無く、いきなり現れた絡繰りが、ようやく解った。


「・・・こちらも参った・・・まさかこんな切り札を持っていたとは・・・」


そう月神が呟くと同時。


一陣の風が吹き抜け、霧が晴れる。


俺を中心に取り囲んでいた数十体から成る亡者達は、氷の中で、深い眠りに就いていた。


「フッ・・・餌が大物なら・・・喰らい付く魚も大物だろ?」


「・・・その為に、わざわざ逃げていた・・・という事か。」


「・・・切り札ってのは、出し惜しみが肝心なんだよ。」


そう呟いて、俺は九字兼定を自然体で構える。


「さて・・・ガチンコといこうや。」


わざと相撲用語を用い、微笑みを讃えながら相手を挑発する。


「・・・いつでも。」


油断無く、お互いすり足で、一定の間合いを取る。


「・・・うん?」


「ッ!!」


幾ばくかの時間、互いにそうしていると、不意に背後から殺気を感じる。


その殺気が、俺に向けられている物では無い事に、訝しがる。


月神もそれに気が付いたのか、俺と後方を交互に見やりながら、警戒しているようだ。


それと同時に、俺の横を凄まじい勢いで白い何かが通り過ぎていった。


「クッ!!」


低い呻きを漏らしながら、月神が後方に大きく跳躍する。


それを追うように、白い何かが月神に迫る。


「カァッ!カァッ!」


鳴き声を上げながら、額に軍荼利明王の凡字が刻まれている、白い烏が月神に迫る。


あれは、式紙・・・あいつか・・・


「オン!アミリティ ウン ハッタ!」


辺りに、軍荼利明王の真言が響き渡る。


それと同時に、月神にまとわりつくように飛んでいた白い烏が、不意に膨れあがったかと思った瞬間、炸裂した。


月神は、白い烏が炸裂する一瞬前には、影にとけ込んで消えてしまった。


月神の気配は、彼方へと去っていってしまった。


・・・逃げられた・・・か。


「余計な事をしてくれたな・・・」


俺に近づいて来る者に、振り向かずに声を掛ける。


「久しぶりの再会なのに・・・随分な挨拶ね宝仙君。」


戯けたような口調で、女の声が聞こえてくる。


「何故、おまえがここに居る?十二代目水連・・・桜。」


そう言って、振り返り桜の姿を確認する。


俺と同じ僧服を身に纏い、目深に被った頭巾から、鼻と口元を覗かせた尼。


麗姫の跡目として、軍荼利明王珠を継承した、現八大明王衆の一人。


盲目の為、常に頭巾を被っているのだと、彼女から教えて貰った事がある。


「麗姫様の依頼、私以外の誰が受け持つというのかしら?」


そう言ってくる桜を横目で一瞥し、苦笑する。


「フッ・・・あんたも相変わらずか・・・しかし。」


そう呟いた俺は、月神が消え、気配が去っていった方角を遠目で見やる。


「これであいつが・・・どこかの村をまた襲ったら・・・」


それは十分考えられる事だった。


明王衆がもう一人加わったとなれば、奴はまた死者を引き連れ、体勢を整えて俺を待ちかまえる可能性が高い。


そうなれば、手の内を見せてしまった辺りを考えると、厄介な事だ。


自分の不利を悟り、逃げた辺りは、傲りがない証拠だ。


・・・俺が一番殺り合いたくない相手だな。


「その点なら、多分大丈夫だと思うわ。」


「うん?」


そう言ってくる桜に顔を向けると、彼女は微笑を浮かべて、俺に顔を向けていた。


「ここに来る途中で、あの子に逢ったわよ。」


そう言って、桜は、自分が歩いてきた方向に顔を向ける。


俺もそれにつられて、顔をそちらに向ける。


「聖・・・」


「麗姫様に伺ってはいたけど・・・まさか、神獣が一緒だとは思わなかったわ。」


そこには、弟子の聖と、聖を慕う巨大な狼のクロ、それから。


あの娘・・・


「聖さんと一緒に居るあの子・・・死人ね。」


「・・・なんだと?」


桜の言葉を聞き、俺の視線は、見知らぬ娘へと注がれる。


彼女は、目が見えない代わりに、色々な物が視えるという。


・・・どうやら、予想以上に今回の件は深いようだな・・・


朽ちかけた小屋の中で、焚き火の灯りがゆらゆらと揺れている。


焚き火を囲むようにして、私たちは月華さんの話しを黙って聞いていた。


月神さんと月華さんの事、どうしてこうなってしまったかのその理由まで。


月華さんは、泣きながら話してくれた。


私も、以前犯されそうになった経験があるから、月華さんの気持ちが痛いほどよく解る・・・


「兄を・・・兄さんを救ってください・・・」


最後に、月華さんはそう呟いてきた。


「・・・無理だな。」


そう呟くと、師匠は懐から煙管の入った箱を取り出した。


「あいつの憎しみは半端じゃ無い。俺達には、あいつを救ってやる事なんざ出来やしない。」


そう言いながら、箱から取り出した煙管に葉を入れて、火を付け銜える師匠。


「・・・大体、その話を聞く限りでは、あいつはあんたに命を供給する為に殺してるんだろ?止まる訳がないさ・・・」


ゆっくりと紫煙を吐き出しながら、同じようにゆっくりと語ってくる。


「・・・どうにもならないんですか?」


そんな師匠に、私は気になった事を聞いてみた。


「・・・無理ね。一度魔に堕ちた者を救うと言う事は・・・浄化を意味するわ・・・つまり退治しなければならないの。」


私の問いに答えてきたのは、師匠と同じ、八大明王衆の一人の桜さんだった。


「そんな・・・私たちは、ただの被害者なのに・・・」


桜さんと師匠の言葉に、月華さんは、沈痛な表情で俯いてしまった。


「・・・ごめんなさいね。」


そんな月華さんに対し、桜さんは申し訳なさそうに謝っていた。


「・・・被害者振るのは勝手だが・・・あんたが自害などしなければ、こんな事にはならなかったんじゃないのか?」


不意に漏れた、師匠の呟き。


「ッ!!」


「ちょっと、宝仙君!もう少し、彼女の事を考えなさい。」


師匠の言葉を聞いて、月華さんの表情が強張る。


桜さんは、強い口調で、師匠をたしなめている。


そんな桜さんを、師匠はきつい眼差しで睨む。


「桜・・・俺は前に一度言ったはずだ。目の前にある現実に耐えられないのならば、目を閉じ、耳を塞ぎ、口を噤んで生きろとな。受け止められるだけの心があるにも関わらず、それをしないと言うのであれば・・・それだけで罪だ。」


そう言って、師匠は煙管を銜え直して、煙を大きく吸い込む。


桜さんは、何も言い返せず、所在なさげにしていた。


私は、ただ事の成り行きを見守っていた。


「・・・何故人も妖怪も争い合うのかと・・・人でも妖怪でも無い、周りから忌み嫌われる境遇にも関わらず、涙を流しながら言った女が居た・・・愛する者を失い、悲しみの中・・・鬼に堕ち、己の過ちを後悔しながら、己を滅ぼせる者をひたすら待っていた女が居た・・・」


それは、昨日話してくれた静菜さんの事と、いつか出会った、優しいお婆さんの話し。


「家族の為にと・・・自分を売ってまで金を作り、最期は自分の誇りの為に死んだ女が居た。」


そう言って、師匠は自分の手の中にある煙管をジッと見つめている。


多分その人が、師匠に煙管を譲った人なんだと、私には解った。


「どんな奴にだって、生きてりゃそれなりの苦労もある・・・俺にも、おまえ等にもな・・・だが同じくらい、それなりに楽しい事だってあるんだ・・・だから俺達は生きていられる。」


不意に、立ち上がった師匠は、煙管を銜えたまま、小屋の入り口へと歩いていく。


「あんたは何故死んだ?そりゃ辛いだろうさ。だが、人間死んだら終わりだ・・・天国や地獄なんて幻想なんざ、入り込む余地すらない。ただ、土塊に還るのみ・・・」


「・・・そんなの、ただの綺麗事じゃない!」


師匠の言葉を遮って、月華さんの悲痛な叫びが小屋の中に響いた。


「・・・そうかもしれんな。」


そう呟いて、師匠は小屋の入り口の前で立ち止まった。


「・・・俺は、月神を殺すぜ・・・その後で、あんたが残りの時間をどう使うかは・・・あんたの勝手だ。」


「私は・・・あなたを殺すかも知れませんよ。」


「・・・そうしたいんだったら、そうすりゃ良いさ。」


それだけ呟いて、師匠は小屋を出ていった。


師匠が出ていった後は、静寂が小屋の中を支配していた。


「・・・良いじゃないですか、綺麗事だったとしても。」


「え・・・?」


不意に漏れた私の呟きに、月華さんと桜さんが、私に顔を向ける。


「私は、赤ちゃんにまで手をかけた月神さんを許せないし、それと同じ位、月華さんを襲った人達も許せないけど・・・」


そう言って、月華さんに顔を向けて、ジッと見つめる。


「人を殺して良い理由なんて、無いんですよ・・・怒りも憎しみも悲しみも・・・どこかで断ち切らないと、数珠繋ぎの様に、延々と繰り返されるだけです・・・そんなの・・・悲しいじゃないですか。だったら・・・綺麗事でも良い・・・」


不意に、月華さんの手を握って、私は立ち上がる。


「・・・断ち切りませんか?」


「え・・・?」


私の問いに、月華さんは困惑した表情を向けてくる。


「月神さんを止められるのは、月華さんだけなんですよ。」


「・・・私は、今までにも兄さんを説得しました・・・もう、私には・・・」


「諦めるんですか?」


月華さんの言葉を遮って、もう一度問い掛ける。


「私は、私に出来る事、出来るかも知れない事をしたいから、ここに来たんです。月華さんも、まだ出来る事があるんじゃないんですか?」


「私に・・・?」


「・・・宝仙君が出ていってから、まだ時間も経ってないし・・・まだ間に合うんじゃないかしら?」


今まで黙っていた桜さんが、不意に口を開いて言ってくる。


私は、桜さんに顔を向けて、頷いてみせる。


そして、月華さんに顔を戻して、もう一度聞いてみる。


「これで終わりで・・・本当に良いんですか?」


私の問いに答える代わりに、握っていた手を強く握り返して応えてくる。


月華さんの顔には、決意のような物が見えていた。


「・・・よう。」


「・・・姉さんは何処だ?」


月明かりが照らす中、先程戦った場所の近くで、俺と月神は対峙していた。


「俺のツレが、丁重にもてなしてるよ・・・」


「・・・返して貰うぞ。」


「・・・ご自由に。」


そう呟きを漏らし、俺は腰から九字兼定を抜き放ち、構える。


ゆっくりと、一定の距離を保ったまま、意識を月神にではなく、周囲に張り巡らせる。


奴の攻撃、特に影による攻撃に注意を払う為だ。


「人間何時かは死ぬ・・・始まりがあれば、終わりが来るんだ・・・だがそれと同じように・・・終わると言う事は、始まりを意味する。」


警戒を解くことなく、俺は独り言のように呟く。


「輪廻と言う物が・・・本当にあるのか、俺には解らん・・・だが、信じても良いと・・・俺は思ってる。」


「・・・俺の行いが、間違ってるなんて・・・百も承知だ・・・でも、俺は・・・姉さんに生きていて欲しいんだ・・・」


「・・・理屈じゃ・・・無いんだよな。」


その呟きと共に、俺は駆けだした。


一瞬にして、間合いがつまり、俺は月神を薙ぐ。


だがその斬撃は、虚しく空を切り、月神は、大きく上空へと跳んでいた。


ゆらりと、月神の指が蠢く。


両手の指が、異様に伸びたかと思うと、一直線に俺を襲ってくる。


俺は更に前へと踏み込み、その攻撃を避ける。


長く伸びた指が、俺の頭部を掠め、俺が立っていた地面へと突き刺さるのが、気配でわかった。


ザシュ!


その場で俺は反転し、振り向きざまに、長く伸びた指を薙ぐ。


何の抵抗もなく切り裂かれた指は、一瞬黒くなったかと思うと、水の様になりその場で崩れ、跡形もなく消えてしまった。


・・・これも影か。


そう思った瞬間、頭皮の毛穴が開く様な不快感を感じ、俺は横へと跳ぶ。


先程まで俺が立っていた場所を、横目で見ると、腕を太刀へと変化させた月神が立っていた。


体勢を整える為、俺は後方へと跳ぶと、羽織に手を掛け脱ぐ。


左手に九字兼定を持ち、右手で羽織の襟を掴んで構える。


「・・・そんな物で、どうするというのだ?」


「・・・こうするのさ!」


不敵な笑みを湛え、俺は右手に持った羽織を、月神に向かって投げつける様に振る。


そして、一気に引く事により、羽織に括り付けられていた数十本の仏具が、その反動で外れる。


「ヴァジュラヤクシャ!」


仏具が外れる瞬間、左手に持った九字兼定で凡字を描き、込められた言霊を、梵名を叫ぶ事により解放する。


その瞬間、数十本からなる仏具全てが、淡い光を浮かべながら、月神へと迫る。


「チッ!!」


月神は、苦々しく舌打ちしたかと思うと、太刀に変えていた腕を、先程の様に、伸びる指に変えて応戦する。


たたき落とされた仏具は、そのまま地面に突き刺さると、覆っていた光は消えてしまった。


全ての仏具をたたき落とされる前に、俺は駆けだし、月神との距離を詰める。


「ッ!!」


全ての仏具をたたき落とされた瞬間、俺は、伸びていた指ごと月神を唐竹に斬りつける。


だが、先程と同じように、俺の攻撃は、奴の髪を数本切っただけで、誰も居ない空を切っていた。


月神に届くと思った瞬間、奴は影の中へと消えていった。


「ッ!!」


瞬間、俺の背中を芋虫が這う様な不快感が襲う。


本能の警告により、俺はその場で身を屈め、前に跳び、訪れる攻撃を避ける。


俺の影から生まれた、大小様々の鋭利な錐は、俺の頭があった部分を重点的に伸びていた。


前に跳んだ俺は、右手で地面に手を付いて前転すると、立ち上がらずに、屈んだ状態で体を捻る。


捻った回転の力を殺さず、左手に持った九字兼定で、尚も迫ってくる錐を切り裂く。


切り裂いた瞬間、その場所から、黒い固まりが出現する。


「クッ!!」


黒い固まりが、人の姿を取り戻す瞬間、空いていた右腕を掲げる。


バキッ!!


月神の左足の蹴りが、俺の頭部を襲う一瞬前に、なんとかその攻撃を右腕で防ぐ。


だが、不十分な体勢と、予想外の威力の為、俺の視界は反転した。


上下の感覚を失うも、なんとか見つけた地面に手を付き堪える。


なんとか勢いを殺す事が出来たものの、俺の右手は小石などで手を切ったのか、至る所から血がにじみ出ていた。


・・・楽しい。


死と隣り合わせの危機感の中、俺は確かに心が躍る様な高揚感を感じていた。


楽しい・・・か・・・クックック・・・この空気、忘れる事など出来ない・・・か。


辺りには、張りつめた殺気。


俺が幼き日に体感した戦場の空気によく似ている。


忘れる事など出来ない、俺が俺である限り・・・零でも、止水でも、宝仙でもない・・・俺の中にある闇。


「師匠!」


「宝仙君!」


「兄さん!」


三者三様の声と共に、聞き慣れた声が聞こえてきた。


「てめぇら・・・邪魔すんじゃねぇぞ・・・」


鏡がこの場にあったならば、俺は恐らく笑っているのだろう。


残忍な笑みを湛えて、目の前に居る男との死闘に、心が躍っている・・・そんな顔で。


「姉さん・・・待っててくれ。今迎えに行くからね・・・」


そう呟くも、月神は、俺から目を離さなかった。


そうだ・・・それで良い・・・油断を見せた瞬間が、おまえの最期だ・・・それじゃつまらん・・・俺をもっと楽しませろ!


どす黒い衝動・・・俺が俺になる前に置いてきたはずの異物。


ただ・・・純粋に人を殺したいと思う衝動。


音も光も無くなり、ただ月神の姿だけがはっきりと見える世界。


得物・・・


「駄目ッ!!」


「ッ!!」


一瞬何が起こったのか解らなかった。


気が付いた時には、俺の腕にしがみつく聖が居た。


「そっちに行っちゃ駄目です!師匠はもう・・・そっちに行かなくて良いんですよ・・・」


聖の悲痛な叫びを聞いて、俺を包んでいた高揚感が、一気に冷める。


「ッ!!馬鹿!今来たら・・・」


俺が言いかけた瞬間、それを好機と見た月神の指が、俺達に迫ってくるのが見えた。


チッ・・・ここで終焉か・・・


ドスッ!ドスドスドスッ!!


鈍い音を立てて、長く伸びた月神の指が俺と聖を貫く。


はずだった・・・


「ッ!!姉さん!」


だが、そうはならなかった。


俺達と月神の間に、両手を広げた月華が立っていた。


「ゲボッ!」


体の至る所を貫かれ、吐血する月華の姿が、月夜に照らされていた。

「姉さん・・・姉さん!何で・・・何でだよぉ・・・」


月神さんの悲痛な叫びが、辺りに木霊となって響いてる。


その月神さんの腕の中では、血だらけの月華さんが、優しい笑みを浮かべていた。


「兄さん・・・もう・・・終わりに・・・しましょう?」


息も絶え絶えで、蚊の鳴く様な声で呟く月華さん。


私たちは、そんな様子を、ただ見守っていた。


「俺が・・・俺がこの手で・・・ね・・・姉さん!」


「ちがう・・よ。兄さんの・・・所為じゃ・・・私は・・・もう、ずっと前に・・・死んでたんだもん・・・」


「けど・・・けど!」


そう言って、月神さんは、涙を流しながら、口元を覆っている黒い布を取った。


「俺は姉さんに生きて欲しかったんだよ!一緒に生きたかったんだよっ!!」


その言葉を聞いて、月華さんは、首を小さく横に振った。


「私も・・・兄さんと・・・一緒に・・・生きたかったよ・・・?でも・・・聖さんに会って・・・解ったの・・・」


「え・・・?」


不意に聞こえてきた私の名前。


それを聞いた瞬間、私の口から呟きが漏れた。


「・・・私は・・・生きたい・・・けど!・・・それは・・・人として・・・生きたいって・・・事。他の人の・・・命を奪って・・・まで、私は・・・生きたく・・・無い・・・」


そこまで言って、月華さんは、私の方に顔を向けてきた。


「ありがとう・・・ありがとう・・・聖さん・・・人の命を・・・奪う理由なんて・・・解って・・・のに・・・ね・・・」


「あ・・・」


私が言った言葉で・・・月華さんは・・・


「・・・永遠・・・なる・・・時を、二人で・・・過ごそう・・・」


不意に、月華さんが、歌う様に呟き出す。


「・・・姉さんさえ居れば・・・乗り越えられる・・・」


それに応えるかの様に、月神さんも歌い始めた。


「兄さんさえ・・・居れば・・・何も・・・恐くない・・・」


『二人で・・・共に歩んでいこう・・・双月を見守る・・・真月に誓って・・・』


「生まれ・・・出流前を・・・共有し・・・」


「生まれ・・・出流後を共有し・・・」


「健や・・・なる・・・時・・・も・・・」


「病める・・・時も・・・」


『全てを共有し・・・歩んで行こう・・・いつか・・・』


そこまで歌いきった所で、月華さんの腕から力が抜けるのが解った。


「いつか・・・いつか我等が・・・共に死ぬ・・・その時まで・・・共に・・・ッ!!」


月神さんは、声にならない叫びを上げて、もう動く事の無くなった月華さんを抱きしめる。


「フッ!・・・クゥ・・・ウッ・・・姉さん・・・」


私たちは・・・その光景を、静かに見守っていた。


「・・・良かったじゃねぇか。」


「師匠・・・?」


不意に呟いて来た師匠を見ると、さっきまでの怖い顔は消えて、優しい笑みを浮かべていた。


その呟きを聞いて、月神さんも顔を上げて、師匠を見ている。


「・・・大事な事を・・・忘れちまってた事を・・・最後に教えてくれたのが・・・おまえの大事な人で・・・気付かせてくれたのが・・・おまえの姉で。」


「・・・俺は・・・俺は・・・」


「恨みも悲しみも憎しみも・・・俺に預けて逝けよ・・・じゃないと・・・そいつが悲しむぜ・・・」


「誰が俺達の事を覚えてる・・・誰が俺達が生きていた事を覚えていてくれる!・・・身寄りのない・・・俺達なんか・・・俺にはそれが・・・我慢ならなかったんだ・・・」


そう叫んで、月神さんは、月華さんの顔を見つめる。


生きた証・・・それが欲しかったんだ・・・


「俺が覚えてる・・・それじゃ不満か?」


「え・・・?」


「私も・・・覚えてます・・・ずっと・・・」


「もちろん・・・私もね。」


私たちの答えに、月神さんは複雑そうな顔をしている。


「・・・呪詛の媒介は・・・俺の心臓だ・・・」


暫くの沈黙の後、不意に月神さんがそう呟いてくる。


「正確には・・・俺の心臓に埋め込まれた・・・赤い鞠が媒介だ・・・」


「・・・そうか。」


呟きを漏らして、師匠が腰に下げた刀を、ゆっくりと抜き放つ。


「最後に一つ・・・教えておいてやる・・・俺は・・・俺も一度彼に殺され・・・そして、彼の力の一部を貰って蘇った・・・彼の力に比べれば・・・俺など足下にも及ばない・・・」


「・・・肝に銘じておくよ・・・」


そう言って、師匠は刀を、月神さんの胸へと添える。


「・・・あばよ。」


ズブ・・・


刀が月神さんの胸に突き刺さる瞬間、私は思わず顔を背けてしまった。


「・・・死んだ・・・か。」


誰にともなく、彼女は呟きを漏らした。


不意に、後ろに現れた気配に、彼女は振り向く。


「戻ったか、白光・・・」


そこには、頭の二つある白い狐が立っていた。


それぞれの頭には、鋭く突き出た角が生えていた。


体の至る所から鮮血が流れているにも関わらず、全く意に介していない様子だった。


「・・・手ひどくやられた様だな。」


彼女は、白い狐の姿を確認すると、そう呟いた。


「統べる者よ・・・我等、汝の特命終了せし。」


「刹那殿・・・我等、宝仙なる者の仲間を確認し終えた為、帰還せり。」


「そうか・・・ご苦労だった。それで・・・あいつに仲間は居たのか?」


白い狐の言葉に、満足そうに頷くと、彼女は質問を出した。


「幼き小娘・・・聖と申す。」


「かの者に追従せし黒き神獣・・・黒炎と申す。」


「ほぉ・・・小娘と神獣・・・か。」


確認する様にそう呟くと、彼女は歩き出した。


「このまま・・・放って置いて・・・宜しいので?」


「かまわんよ・・・」


そう呟いて、彼女は、月も照らさぬ深く暗い森の方へと歩いていく。


その後を追う様に、白い狐も歩き出した。


不意に、森の入り口の前で立ち止まると、彼女は歩いてきた方向に顔を向ける。


「待ってるぞ・・・宝仙。俺は、おまえと会える日を楽しみにしている。」


微笑みを讃えて、そう呟いた彼女は、顔を元に戻してまた歩き出した。


今度は振り向くことなく、深く暗い森の中へと、溶け込む様に消えていった。


「・・・事後処理は、私が手配するわ。」


「・・・そうか。」


全てが終わり、俺達三人と一匹の前には、寄り添う様にして作った、二つの墓があった。


互いが互いに思い遣り、その強さ故に、すれ違ってしまった兄妹の墓。


聖は、その墓前の前で、一種懸命に経文を上げていた。


まだ慣れていない為か、所々つっかえながらも、二人の魂が迷わずあの世へと逝けるようにと・・・そんな気持ちが俺にも伝わってきた。


「・・・これからどうするの?」


不意に桜が俺に聞いてくる。


「・・・一度江戸へと戻って、用を終えたら、また旅に出るさ。」


「そう・・・たまには本山の方にも、顔を出しなさいよ?」


「フッ・・・考えておくさ・・・」


そう言って俺は、未だ経文を上げている聖に、視線を向ける。


まさか俺が・・・あいつに助けられる日が来ようとはな・・・


あの時、聖が俺を止めていなかったとしたら、俺はまた獣に戻っていたかも知れない。


「・・・良い子ね・・・あの子。麗姫様に伺っていたのとは、ちょっと雰囲気が違ってたけど。」


そう言ってくる桜に、俺は苦笑を浮かべる。


「全くだ・・・いつの間にか・・・あいつも随分成長したらしい。」


本当に成長したな・・・聖なら・・・あれを任せられるかもな。


そう思い、俺は袴の内側に備え付けられた小物入れから、小さな巾着を取り出した。


あんたは・・・あいつの事が視えてたのかい?


そう頭の中で思って、今は亡き者へと、疑問をぶつけた。


ちょうど、経文を唱え終わった聖が、俺達の元へとやって来る。


「お待たせしました。」


「・・・聖。」


「はい?」


俺の呼びかけに、不思議そうな顔を向けてくる聖。


そんな聖に、俺は巾着から女物の耳飾りを取り出し、聖に手渡す。


「・・・おまえにそれをやる。大事にしろよ。」


「え?え?!えぇっ!!」


聖は、耳飾りと俺の顔を交互に見やりながら、大げさに驚いている。


「・・・なんだよ?」


「だ、だって!師匠が私に、こんな高価そうな物くれるなんて・・・え?洒落ですか?」


バキッ!!


訳の解らない事を言ってくる聖の頭に、俺の久しぶりの拳骨が炸裂する。


「イタイ・・・」


聖は、その部分を両手で押さえながら、涙を浮かべて、その場に屈む。


ったく!見直したと思ったらこれだ・・・


「要らねぇなら返せ・・・」


「い、要ります!要りますよぅ・・・もう、ぶつ事無いじゃないですか・・・」


「フンッ!くだらねぇ事言ってるからだ。」


「もぉ~・・・えへへ、似合いますか?」


そう言って、早速身につけた耳飾りを、見せびらかしてくる聖。


「あ~似合う似合う。最高最高。」


そう言って、聖に向かって、手をひらひらさせる。


ったく・・・女ってのは、どうしてこんなもんで、いちいち盛り上がれるのかねぇ・・・


「むぅ~!もう良いですよ!クロ、どう?似合う?」


俺の反応に拗ねた聖は、標的をクロへと向けると、今度はそちらに見せびらかせている。


「・・・なんであなたが、それを持ってるの?」


そう言ってくる桜に、俺は顔を向ける。


鼻と口元しか見えないが、その表情は真剣そのものだ。


目が見えなくても解る・・・か・・・まぁ当然か。


「預かってたんだよ・・・俺が、彼女の意志でな・・・密告するかい?」


そう言って、俺は笑みを浮かべながらに言う。


聖は、耳飾りが余程気に入ったのか、俺達の会話には、全く気が付いていない様子だ。


「・・・いいえ。それが、あの御方の意志であるのなら・・・そうするのが良いんでしょうね・・・」


「・・・ありがとよ。」


「礼など要りませんよ。」


そう言ってくる桜に、俺は自嘲気味に苦笑する。


「そろそろ行くか・・・」


「・・・そうですね。」


「聖!いつまでやってるんだよ!行くぞ!」


「は~い!」


そう言って俺達は、一路江戸へと向かって歩き出した。


気が付けば、もう朝はすぐそこまでやって来ていた。


不意に、俺の隣を歩く聖が、肩越しに後ろを見やる。


「ばいばい・・・もう離ればなれにならないでね・・・」


そう呟くのを聞きながら、俺は、朝日の眩しさに目を細める。


長い長い夜は、ようやく終わりを迎えた。


あの村の出来事から、二十日が経った。


「・・・世話になったな。」


「色々ご迷惑おかけしました。」


そう言って、私たちは、見送りに出てきた鈴音さんと兼道さんに、それぞれお礼を述べる。


「いえいえ・・・また、いらしてくださいね。」


そう言って、鈴音さんは、私たちに笑顔を向けてくれる。


師匠の手には、新しく作られた錫杖が握られていた。


そして、私の手にも、師匠の物よりも、幾分細く、短い錫杖があった。


何故か師匠が、急に私の分の錫杖の作成を依頼した為に、予定より大分時間が掛かってしまったのだった。


「渾身の作だ・・・無くすなよ?」


そう言って、兼道さんは私たちに、笑いながら釘をさしてくる。


「フッ・・・あぁ。すまないな・・・こいつの分まで作らせて。」


「なに・・・俺が作りたくて作ったんだ・・・気にするな。」


「ありがとよ。」


師匠も兼道さんも、よくいがみ合ってるけど、二人の仲が、とても良いのがよく解る。


そんな二人を見ていた私に、不意に鈴音さんが顔を近づけて来た。


師匠や兼道さんには聞こえない様に、そっと耳打ちしてくる。


「兄さん、聖ちゃんの錫杖を、凄く楽しそうに作ってたのよ?」


「そうなんですか?」


「えぇ・・・少し見ない内に、随分成長したなって・・・宝仙様もね、そう言ってたわよ。」


「ふぇ?!」


それを聞いた途端、私の顔がみるみる熱を帯びていく事が解った。


「・・・まんざら、宝仙様を落とす事も出来るんじゃないかしら?」


悪戯っぽい笑みを私に向けて、鈴音さんは、私をからかってくる。


「えっ?!いや、あの・・・その~・・・」


しどろもどろになりながら、答えに困ってしまう。


「・・・聞こえてるんだがな・・・」


不意に、師匠が不機嫌な声音で、私たちの会話に入ってくる。


「あらあら。聞こえてましたか?」


「わざとらしいな・・・ったく。」


そう言う師匠の顔からは、諦めた様な感じが伝わってくる。


「んじゃ・・・そろそろ行くわ。」


「あぁ・・・元気でな。」


「さようなら・・・鈴音さん、兼道さん。錫杖、大事にしますね!」


「元気でね、聖ちゃん。」


そう言って、私たちは笑顔で別れた。


いつかまた会う日まで・・・暫くのお別れ・・・


私たちは、西に向かって歩き出した。


師匠の隣を、私が歩いて、私の後ろに、クロが付いてくる。


ここに来る時とは違って、私たちの間には、もう気まずい雰囲気は存在しない。


つかず離れず・・・今までがそうだった様に・・・これからもそうである様に・・・


私は、師匠の歩く速度に併せ、師匠は、私の歩く速度に併せて。


歩くたびに、私と師匠の錫杖からは、鈴に似た音色が響いてくる。


それに併せる様に、私の左耳に付けられた耳飾りが、ゆらゆらと踊っている。


初めて貰った、師匠から私への贈り物。


「・・・何笑ってるんだよ。」


不意に、師匠が私に問い掛けてくる。


「えへへ・・・師匠。」


「あん?」


「これからも・・・私は、師匠と一緒に居ます。」


「へぇ~へぇ~。そいつはありがたいねぇ~」


私たちの関係が、少しだけ変わった様な気がした日の事。


降り注ぐ、冬の日差しが、とても暖かく感じた・・・そんな日の事。

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