悲恋哀歌之章
夢を見る・・・
俺がまだ幼き日の夢。
それは、俺が背負わなければならぬ出来事の再現。
決して消えることなく、俺が俺である現実。
忘れる事は許されず、自分自身が、忘れない為に見る夢。
幼き日・・・物心着いた時には、ガキだった俺は戦場という日常を生きてきた。
親は、俺が赤子の時に戦で死んだと聞かされている。
親も無く、ガキの俺を拾ってくれた老兵が居たが、物心着いてから、暫くして戦で亡くなった。
老兵が死んだ時、俺に悲しみは無かった。
死が理解出来なかった訳では無い。
俺はその老兵の事が憎かったのだ。
来る日も来る日も、刀の扱いを叩き込まれる日々。
名前すら無かった俺に老兵は、名前を与える事無く死んでいった。
『おい』だの『おまえ』だのとしか呼ばれず、俺自身その老兵の名前すら知らない・・・
老兵が死んだ後、正直どうすれば良いのか解らなかった。
やっと解放された、一番にそう思った。
だが・・・ガキ一人で、世の中を生きていく事など出来る筈もない。
そんな時、俺に手を差し伸べる者が居た。
老兵の友人と名乗る若い侍。
今後どうすれば良いのか解らなかった俺は、迷うことなく、その侍の手を握る。
そんな俺を待っていたのは、戦場という名の日常。
老兵の教えと、若い侍の導きにより。
俺は、戦場に身を置く事となった。
来る日も来る日も、戦場を駆け抜ける。
ガキの筈なのに、不思議とその都度生き延びる。
周りの大人達は、そんな俺を畏怖してか、疎ましく思ったのか、戦の最前線へと投入していく。
だが、それでも俺は生き延びた。
ただがむしゃらに戦い続けた。
血を啜り、ドロを飲んだ事もある。
自分の持てる力、全てを用いて、生き延びる事だけを考えて・・・
そんな日々が続いたある日、俺に手を差し伸べた若い侍が戦で死亡した。
それを知っても、俺は悲しくはなかった。
戦に身を置くようになってからか・・・あるいは生まれた時からか。
俺の心は、凍り付いていたのかもしれない。
いつの頃からか、周りの大人達は、ガキの俺が戦う姿に恐れ、戦慄するようになっていた。
正直、バカな事だと思う。
そんなに俺が恐ろしかったんだったら、俺を殺せばいいだけの事なのに。
敵の手ではなく、味方の手で死ぬ・・・
俺が戦っている時にでも、後ろから斬りかかれば良い。
そうでなくても、寝込みでも襲えば一発だ。
だが、たったそれだけの事をしない。
気が付いた時には、俺を知る者は、こう呼ぶようになっていた。
零・・・
虚無を表すその言葉は、名前のない俺を表すには適切だったかもしれない。
それが、俺を表す一つ目の証となった。
ユサユサ・・・
「師匠・・・起きてくださいよ~」
揺さぶりと呼びかけによって、意識が覚醒し始める。
江戸へと続く道すがら、昼飯を済ませ、横になった辺りからの記憶が無い事から、どうやら眠っていたらしい。
何か夢を見ていた気もするが、どうも思い出せない。
薄目を開けて呼びかけてきた者に視線を向ける。
長い髪を後ろで束ね、幼い顔立ちの少女が俺の体を両手で揺り動かしていた。
「・・・どのくらい寝ていた?」
起き抜けの気怠さを感じながら、俺を揺さぶっていた弟子の聖に時間を聞く。
「ん~と・・・一刻くらいですよ。」
「・・・なんでもっと早く起こさないんだ・・・」
聖の答えを聞いて空を見上げながら、時間を確かめて言う。
「えっと・・・あまりにも気持ちよさそうだったんで・・・私も寝ちゃってたんです。」
頬を染めながら、照れたように答えてくる聖。
その答えはいかにも聖らしい。
そんな小柄の少女に向かって、俺は一つため息を吐く。
「ったく・・・今日中に江戸に着けなかったら、また野宿なんだぞ・・・」
「わ、解ってますよ~。」
俺の小言に、頬を膨らませながら言い返してくる。
野宿自体には、なんら問題はないのだが、昼に食べた握り飯が俺達の最後の食料だった。
その為、下手に野宿をすれば、江戸に着くまで飯抜きで歩き続けなければならない。
俺だけならばまだ問題は無いのだが、聖が一緒となれば話は別だった。
前にも一度、食料が底を付き、飯抜きで歩き続けた事があった。
その時聖があまりにもうるさかったので、本気でその場に置いていこうかと思った事がある。
さすがに聖を置いていく事が出来無い為、その時は俺が聖を背負って歩く羽目となった。
「行くか。」
「はい!」
寝ころんでいた体を起こして立ち上がり、体に付いた草を叩き落としながら聖に呼びかける。
その呼びかけに、元気な返事が返ってくる。
「クロ~!行くよ~!」
ガサガサ・・・
聖の声が周囲に響き渡り、その声の呼びかけた相手が姿を現す。
鬱蒼と生い茂った下草を掻き分けて、一匹の巨大な狼が聖の傍まで歩いて来る。
炎を連想させるような黒い毛並みが立派で、真紅の瞳が印象的な狼。
二週間ほど前になるか、会津の山で俺を助けてくれた狼だった。
いつの日だったか、聖が拾ってきた小さな子犬。
いつの間にか居なくなり、ひょんな場所で再会した。
俺達と別れてからこの狼に何があったのかなど想像もつかない。
それでも、この狼があの時出会った子犬だと、俺にも何故か解った。
この狼は、再会した時から、気配が読みとりにくい。
現に今も、足音すら聞こえない。
その為と言う訳でも無いのだが、俺はあまりこの狼が得意ではなかった。
まぁ、荷物を少し持たせている為、便利は便利であるが。
支度を済ませ、俺達は江戸へと向かう道を歩く。
俺の横を聖が並び、聖の後ろをクロが付き従うかのように歩く。
「今日中に着きますかね?」
横を歩く聖が、俺の顔を覗き込むようにして聞いてくる。
「さぁな・・・夕刻までに着ければいいが・・・」
頭の中で、今いる場所と江戸までの大雑把な距離を考え、思った事をそのまま口にする。
前の村を出て二日、普通に街道を歩いていれば、すでに着いている筈である。
しかし、俺達が今歩いている街道は、いわゆる裏街道で、表街道よりも距離がある為、人通りも少ない。
それでも、江戸が近い為か希に旅人や行商とすれ違う事もあるが。
何故わざわざ距離の長い裏街道を歩いているかというと、理由は一つ。
「・・・こいつが変化の術でも使えれば良いんだがな・・・」
そう言って、横目でクロを伺う。
これほど大きいとさすがに犬として通す事が出来るはずもなく。
通せた所で、見る者が見ればすぐにバレてしまうだろう。
そうなれば言わずと大騒ぎにもなるし、下手をすれば追われる身になってしまう。
さすがにそれは御免被りたい所だ。
なので必然的に、人通りの少ない裏街道を歩かなければならない。
だが、裏街道だからと安心は出来ない。
ここが街道であるという事実は変えられる事もなく、人通りが無くなる訳でもない。
その辺の事は、聖を使ってしっかり説明してあるので、人が来たら隠れるようには躾てある。
道無き道を歩くのも一つの手だが、それもやはり御免被る。
本音を言えば、クロに跨れれば一番楽なのだろうが、二人を乗せ、荷物もとなると、さすがに難しい。
まぁクロ自身、聖はともかく、俺を乗せようとはしないのだが。
「もぉ~、師匠それ何回目ですか?いい加減聞き飽きましたよ~。」
俺の愚痴を聞き、聖が呆れたような顔で言ってくる。
「・・・さぁな。」
クロと旅をし始めて二週間ほどの間に、同じ事を何度言ったか数えるだけでも馬鹿らしくなってくる。
話の話題になっているクロは、相変わらず無言のまま聖の後ろを歩いている。
「師匠。」
「なんだ?」
暫く黙々と歩いていると、聖の方から話を振ってくる。
「江戸に寄るのは久しぶりですね。」
今から江戸の事を思い浮かべているのか、意気揚々とした感じが受け取れた。
「・・・遊びで寄るんじゃねぇんだぞ。」
「でも、暫く滞在しないといけないんでしょう?」
「まぁな・・・」
俺達が江戸へと赴く理由、それは俺の錫杖を作り直す為であった。
二週間前に会津藩の永井と言う男に襲われた時、崖から河へと転落した俺はクロに助けられた。
その時、手にしていた錫杖が河に流されてしまった。
その時に知り合った、翁と名乗る老人の力を借りて捜索してもらったのだが、結局見つからず終いであった。
なので、その錫杖を作って貰った刀鍛冶職人に、再度作成依頼をする為、江戸へと向かっているのだった。
「前に作って貰った時には、一週間ほど掛かったからな・・・今回もそれ位かかるだろうな。」
「じゃぁ一週間は江戸にいられるんですね?」
「まぁ・・・そうなるだろうな。」
嬉しそうに迫ってくる聖にたじろぎながら答える。
「ししょ~、私行きたい所が有るんですけど・・・」
「駄目だ。」
猫なで声で甘えてくる聖に、即答で言い切る。
「えぇ~っ!まだどこかも言ってないのに・・・」
俺の答えが余程不服なのであろう、頬を膨らませながら俺の事を非難する。
「金が底をつきそうなんだ。遊ぶ金なんてねぇんだよ。」
遊びたい年頃だと言う事は俺にも解る。
しかし、江戸へと行くのであれば路銀の調達も行いたい所なので、そうそう聖のわがままに付き合う訳にもいかない。
「錫杖を作るついでに、金の申請もしておかないとな・・・」
「うぅ~、せっかく楽しみにしてたのに・・・」
俺の答えに、激しくがっかりした様子の聖。
そんな姿を見ると、少々申し訳ないといった気持ちになってくる。
「・・・申請がすんなり通ったら、考えてやるよ。」
まぁすんなり通ればの話だが・・・
「本当ですか?!」
俺の呟きに、沈んでいた顔が一瞬で明るい表情へと変わる。
ころころと表情がせわしなく変わる辺りも、聖らしいと言える。
無邪気というか何というか・・・
その後、聖が行きたい場所を楽しそうに話しているのを聞きながら歩く。
あそこがどーだの、あれが食べたいなど話が尽きない所は、いかにも女らしいと言える。
結局江戸に着いたのは、夜を迎えてすぐの事だったが、なんとか今日中に着く事は出来た。
江戸へと着いた俺達は、一旦クロと別れ宿屋を探す。
さほど迷うことなく宿屋を決めた俺達は、案内された部屋へと赴く。
部屋に通されるや、聖は部屋の窓を開け放つ。
暫くして、開け放たれた窓からクロが部屋へと進入し、音もなく着地する。
クロにはあらかじめ、聖の臭いを追って、屋根づたいに付いて来いと言っておいたのだった。
人の目に付けば騒ぎになるのは間違いないし、かと言ってそこら辺をうろうろされるのも考え物だろう。
それでも、宿の人間に見つかればただでは済まないだろうが、明日には移動するので、クロが大人しくしていればまぁ見つかる事もないだろう。
荷物を整えた俺は、ざっと部屋内を見回す。
七畳ほどの客間の隅に俺と聖の荷物が並んで置いてある。
部屋の中央には、二組の布団が敷かれ、それが部屋の大半を占めていた。
江戸への到着が遅かった上、飛び込みの俺達に夕餉は用意されている筈もなく。
付け加えるならば、クロを見られる訳にはいかないので、早々に布団を敷いて貰ったのであった。
これで明日の朝までは、宿の仲居はやって来ない筈である。
「聖、飯食いに・・・」
ふと、視線を聖へと移し、言いかけた言葉を飲み込む。
「ス~、ス~・・・」
開け放たれた窓の側、クロにもたれ掛かる形で気持ちよさそうに眠っていた。
疲れているのか・・・無理もない、二日間歩きづめだったのだ。
大人ならまだしも、聖はまだ年端の行かない少女なのだ。
いくら旅に慣れているからと言っても、体力ではやはり差が出てきてしまう。
俺は、聖を起こさないように慎重に持ち上げると、着の身着のままで布団の上へと寝かせ、毛布を被せる。
「うぅ~ん・・・」
開け放たれた窓は閉め切り、部屋の灯りを消す。
「ちゃんと聖の事見てろよ。」
薄暗くなった部屋の中、相変わらず気配を感じ取れないクロに向かって声を掛ける。
「・・・後、宿の者には決して見つかるなよ。」
部屋の入り口から注意を順に述べていくも、返事は一向に返ってこない。
これだから俺はこの犬が苦手なんだ・・・
クロの俺に対する態度は、今に始まった訳でもないので、あまり気にしない事にする。
俺は、部屋の戸を静かに閉めると、外へと向かう。
「さて・・・どこに行くかな。」
灯りが煌々と灯っている場所へと足を向けると、そちらへと歩く。
さすが江戸だけあって、夜でも活気が溢れている。
俺は活気で賑わう夜の町を、自分なりに楽しむ事にした。
しんしんと降り続ける雪・・・
ある冬の日、夜中から降り続けた雪は、辺り一面を白へと染め上げる。
サクッサクッと、歩くたびに小気味良い音を鳴らしながら歩き続ける。
早朝と言う事もあってか、辺りに人の気配は全くない。
不意に歩いてきた方向に目を向ける。
真っ白い雪の道に、私の足跡がくっきりと残されている。
遠く、その先へと目を向けると、足跡は一軒の家まで続いていた。
あそこから私は歩いてきた・・・
親兄弟が目覚めた時、私が居ない事を知ったらどうするだろうか・・・
探してくれるよねきっと・・・
「・・・ごめんね。」
ぽつりと呟く謝罪の言葉。
誰が聞いてる訳でも、誰かに対して呟いた訳でもない。
もうあそこには戻れない・・・
そう考えると目頭が熱くなってくる。
泣いてなど居られない事ぐらい解っている。
これから私が何をしに行くのか、それを考えただけでも嫌悪感がこみ上げてくる。
家族はその事を知らない。
「ごめんね・・・ごめん・・・なさい・・・」
途切れ途切れに紡がれる言葉。
口にする度に悲しみがこみ上げてくる。
この村を離れてしまったら・・・もう泣いてなどいられない。
だけど・・・今はまだ良いよね?
これが最後だから・・・だから今は・・・今だけは・・・
しんしんと・・・
静かに、ただ静かに舞い降りる雪の中・・・
凍えそうな体を抱きしめて泣いた日の事・・・
私が最後に泣いた日の事・・・
「柚葉姉さん、そろそろ時間ですよ?」
「ん・・・」
誰かの呼び声に気が付き、気だるい体を起こす。
久しぶりにあの日の夢を見た・・・ここに来る前、今の私に成った日の出来事。
「起きましたか?」
「うん、ありがとう。」
「じゃぁ私は戻りますね?」
「うん・・・」
そう言って、私を起こしに来てくれた人物が立ち去っていく。
その人物が立ち去ったのを確認し、部屋には私一人だけになった。
私はまだ眠い頭を振って、眠気を追い払うと、手早く自分の着物を身に纏う。
今日は特別な日、今の私と決別する日・・・
あの日の夢を見たのも、その為かもしれない。
着替え終わった私は、鏡台の引き出しを開き、その中に納められている布に巻かれた細い棒を取り出すと、それを懐に忍ばせる。
不意に、鏡台をのぞき込み、自分の顔を確認する。
「・・・酷い顔ね。」
自嘲気味に漏らした呟きに併せ、鏡に映る私が苦笑する。
そこに映し出された顔は、紛れもなく私の顔だった。
あの日から、泣く事の出来なくなった顔。
生きているのか、死んでいるのか解らない生気を感じられない顔。
意味もなく自分の顔を指でなぞってみる。
今までどれほどの男を虜にしてきたのだろうか・・・
ふとそんな考えが頭を過ぎる。
沢山の男達の性の掃き溜めとなったこの体。
私自身が忌み嫌ってきた生活。
そんな生活とも今日でお終い・・・
「バイバイ・・・」
鏡に向かって微笑むと、鏡の中の私もそれに応えて笑ってくれた。
自分自身に別れを告げると、意を決して立ち上がり部屋を出る。
もうこの部屋にも帰ってくる事は無いだろう。
あの日から今まで生活してきた部屋を見回す。
物は少なく、あまり生活感が感じられない部屋。
忌み嫌ってきた生活の象徴の様な部屋なのに、これが最後だと思うと不思議と感慨深い想いがこみ上げてくる。
今更後戻りをするつもりもない。
私は、今までの生活と決別するかのように、部屋の戸をゆっくりと閉めた。
夜の町を当てもなく彷徨う。
飯を済ませた俺は、久しぶりの江戸と言う事もあってか、酒でも飲もうと考えていた。
「・・・遊郭か。」
暫く歩いていると、一際明るい通りに出る。
最近は大きな町ならどこにでもある遊郭街。
どこにでもある裏の世界の入り口。
ここで働く遊女達は、自分から進んで来る者も居れば、借金の形にされて連れて来られてきた者など様々だ。
そんな事に関心のない俺は、引き返そうとも思ったが、結局進む事にした。
ここまで来たのだ、一杯くらい飲んで帰りたい。
そんな気持ちが率先してか、足が前へと動かされる。
何とはなしに通りを歩く。
見せ物のような形で作られている建物の中から、俺を手招きする者も何人か居たが無視する。
そんな中、ふと目に飛び込んできた遊女の姿に目を奪われる。
他の女達とは違い、豪勢な着物に身を包んだ遊女。
歩くたびに周りの男達を虜にするような色香。
どことなく近寄りがたい妖艶な雰囲気に飲み込まれそうになる。
恐らくは、遊女の中でも最高位の花魁と呼ばれるような女だろう。
通りにいる俺以外の男達も、こぞってその女の姿に魅了されているようだった。
俺は、歩く足をその女の歩く方角へと向けると、後を付けていく。
いつもの俺ならば、そんな女だろうと気にも留めなかっただろう。
だが俺は、その女の眼を見てある事が気になった。
どんな理由があれ、遊郭で働く女達の眼にはあり得ない決意のような物が、その女からは感じられたのだ。
「・・・好奇心が人を殺す・・・か。」
いつだったか、悲しい過去の所為で鬼へと堕ちた老婆に言われた言葉を、何となく思い出して苦笑する。
いつの日か、本当に好奇心で俺は死ぬかもしれない。
「それはそれで良いかもな・・・」
ふと過ぎった考えに相づちを打ち、花魁の後を付ける。
今日の俺はどうかしている。
そんな事を考えながら。
暫く花魁の後を付けていると、遊郭の裏手にある出入り口へと入っていく。
俺は、それを見届けてから、花魁に続いて入っていく。
「・・・ここはお客様用の出入り口では無いのですが。」
そこへと入ると、例の花魁が俺を出迎えてくれた。
どうやら俺の尾行に気が付いていたらしい。
まぁ、気配を消していた訳でもないので、当然なのだが。
「そうかい・・・あんたは表に出ないのか?」
「蜜蜂は・・・花に勝手にやってくる物でしょう?」
俺の質問に対し、花魁は薄い笑みを湛えながら返す。
「フッ・・・確かにな。どうやら極上の蜜をお持ちのようだ。」
「・・・御坊様がいらっしゃるなんて・・・珍しい事もあるのね。」
俺の恰好を見て、花魁がそんな事を言ってくる。
「坊主だってただの人間だ・・・あんたくらいの奴になれば、高名な坊主が尋ねてくる事もあるんじゃないのか?」
「そうですわね・・・」
俺の言葉に対し、花魁は可笑しそうに笑っている。
「面白い方ね・・・自分からそんな事を言われるなんて。」
「俗に言う生臭坊主なんでな。」
「フフ・・・でも残念ね、あなたの相手をしてあげたいけれども・・・これから大事な用がありますの、ごめんなさいね。」
そう言って、心底がっかりした様子の花魁を見て、相手が少なからず好意を持ってくれたと思う辺りは、自惚れなのだろう。
そんな花魁の態度に対し、俺は一つため息を吐いてみせる。
「そいつは残念だな・・・もう少し話していたかったんだがな。」
「・・・まだ少し時間も有るし、お話だけでしたらよろしいですよ?」
俺の態度に困った顔をしながらも、そう言ってくれた。
「ただし・・・オイタは駄目ですよ?」
「俺はガキかよ・・・」
「フフ・・・男性は狼だとよく言いますでしょう?」
実年齢は解らないが、最初の印象よりも幼く見える。
それだけこの花魁には笑顔が良く栄える。
不覚にも、そんな彼女に見とれている自分に気が付いてしまった。
「それで・・・どうしますか?あまり時間も無いですが、よろしければ部屋へご案内しますよ?」
「いや・・・ここで構わんよ。」
そう言って俺は、手頃な壁にもたれ掛かった。
そんな俺を見て、花魁は手近に有った椅子を見つけ、優雅にそこへ腰を落とす。
俺達が居る場所は、勝手口と言うよりも、遊女達の待合室のような場所なのか、小さな火鉢が中央に置かれていた。
「・・・良いかしら?」
懐より煙管が仕舞われていると思われる箱を取り出し聞かれる。
俺は仕草だけでその申し出を受け入れると、自分も煙管を取り出そうと思い懐に手を入れる。
そこで、自分の分が壊れている事を思いだし、肩をすくめる。
「・・・どうしました?」
「なに・・・俺も吸おうと思ったんだが、壊れてしまっているのを忘れていただけさ。」
「煙管までお吸いになるなんて・・・本当に珍しい御方ね。」
そんな事を言うと、花魁は眼を細めて微笑を浮かべている。
「フ・・・よく言われるよ。」
「吸いますか?」
そう言われ、花魁が今まで吸っていた煙管を俺の方へと向ける。
俺は、壁に寄りかかっていた体を起こし、花魁の方へと近づと、椅子を花魁の隣まで持っていき、花魁と並ぶ形で座る。
「どうせなら、一緒に吸おうぜ。」
「フフ・・・そうですね。」
そう言って俺は、手渡された煙管を口にくわえ、紫煙を吸い込む。
肺一杯まで吸い込んだ紫煙の感覚を楽しみながら、一拍置いて吐き出す。
「旨いな・・・良い葉を使ってる。」
率直な感想を述べ、手渡された煙管を花魁へと返す。
「御客様に貰ったんですよ・・・」
手渡された花魁も、俺と同じように煙管を口にくわえる。
「・・・何故私の後を追ってきたんですか?」
紫煙を吐き出し、一拍置いてそんな事を聞いてくる。
「あんたくらいの女だ・・・付けられる事なんてしょっちゅうだろ?」
「そうですね・・・でも、あなたは普通の方とは違う気がします。」
「違う・・・とは?」
俺の問いに花魁は、暫く考え込む仕草を見せる。
考え込む仕草も優雅な物で、どこぞの令嬢を思わせる。
「そうですね・・・あまりこういう場所には興味が無いんじゃないですか?」
暫く考え込んだ後、的を射った答えが返ってくる。
「確かに・・・な。」
花魁の答えに、素直に頷く。
「だから余計気になるんですよ。何故あなたが私を追ってきたのか・・・」
花魁の言葉を聞いて、苦笑を浮かべながら、その端正な顔を見つめる。
「・・・気になったんだよ。」
一拍置いて言った俺の答えに、花魁は不思議そうな顔を浮かべている。
「気になった?・・・何がでしょうか。」
「あんたの眼さ・・・」
「眼・・・?」
再度受け取った煙管を口にくわえて、一拍置く。
「・・・あんたの眼は、他の遊女とは違う色が見えたのさ。」
「さて・・・それはどんな色ですか?」
紫煙を吸い込みながら、花魁の顔色を伺うと、相変わらず不思議そうな顔で俺を見つめていた。
「そうだな・・・言葉にして表すならば・・・決意・・・かな。」
俺の一言を聞いて、花魁の顔が自嘲気味なものへと変わる。
何を考えているのか、それっきり花魁は下を向いて沈黙する。
俺は、花魁のその横顔を見つめながら、じっと待つ事にした。
「そうですね・・・決意と言えば決意なのかもしれませんね・・・」
暫く沈黙していた花魁が、不意にポツリポツリと語り出す。
俺は、手にしていた煙管を再び花魁に返すと、そのまま黙って花魁の話に耳を傾ける。
「今でこそ、こんな商いで生活していますが・・・昔はそれなりに裕福な家で暮らしていたんですよ・・・でも、ある日一揆が起こって、私たちは逃げるように故郷を離れなければなりませんでした・・・」
それはどこにでも有る話し、彼女の過去の記憶・・・
彼女から紡がれる言葉を、俺は聞き逃さぬよう耳を傾ける。
「辿り着いた所は・・・辺鄙な村でした。でも、最初はそれでも良かった・・・家族が居て、慣れない畑仕事で汗を流して・・・」
そう言って語る彼女の顔は、どこか懐かしい昔に想いを馳せているようだった。
不意に、その顔が苦虫でも噛みつぶしたかのような表情へと変化する。
「でも・・・そんな生活も長くは続きませんでした。慣れない畑仕事もそうでしたが・・・四人も兄弟が居ては、それだけでは食べていけませんでした・・・」
段々と、彼女の口調が重くなっていくのが解る。
次ぎに続く言葉は、なんとなく俺にも解っていた。
幼い彼女が取った行動・・・彼女がここに居る理由・・・
「だから私は・・・私自身を売って、そのお金を両親の枕元に置いてきたんです・・・」
全てを語り終えた彼女は、そっと眼を閉じて苦笑している。
涙こそ見せないが、心の中で泣いているのかもしれない。
「こんな事・・・お客さんに話したのは初めてですよ・・・」
俯いていた顔を上げて、柔らかい笑みを浮かべ佇んでいる彼女。
消え入りそうな程儚いその笑顔。
それだけで、彼女は気丈な女なのだと理解した。
「・・・なぁ。」
今まで黙って話を聞いていた俺が、不意に口を開く。
「抱きしめて良いかな・・・?」
「え・・・?」
困惑気味に答えてくる彼女に、照れくさい感覚がこみ上げてくる。
「あんたを見てると・・・昔のツレを思い出すんだ。」
「その人は・・・あなたのいい人なんですか?」
「・・・そんなんじゃねぇよ・・・多分な。」
そう言って、俺は彼女を抱きしめる。
力一杯、華奢なその体が折れないよう慎重に。
「・・・その人は、今どこに?」
俺の行為に狼狽えることなく、彼女が聞いてくる。
「・・・遠い所さ・・・遠い、遠い・・・な。遠すぎて・・・夢の中でしか逢えない場所・・・」
その言葉を理解したのか、彼女の腕が俺の背中に廻される。
「護りたかった・・・護れなかった・・・俺の過去の罪さ・・・」
「その人が羨ましいわ・・・あなたみたいな人が、其処まで想ってくれるなんて・・・少し妬けてしまいます。」
「俺も・・・こんな事他人に話したのは初めてだよ。」
暫く、抱き合っていた俺達は、どちらからともなく離れる。
不意に、通路の方から人の気配を感じ、振り返る。
そこには、聖と同い年位の少女が立っていた。
「・・・柚葉姉さん、熊八親分がお見えになりましたよ。」
少女は俺を訝しがりながらも、彼女に向かって声を掛ける。
「・・・そう、解ったわ。すぐ行くと伝えて。」
彼女、柚葉を呼びに来た少女は、俺を一瞥してから戻っていった。
「あんたの名前か?」
「えぇ・・・そうよ。」
「・・・良い名だな。いい女に相応しい。」
俺の言葉に微笑みを浮かべながら立ち上がり、先程抱き合った時に出来た服の皺を伸ばす。
「煙管・・・壊れたって言ってましたね。よろしければ私のを差し上げます。」
そう言って、煙管を箱に仕舞うと、その箱を俺に差し出してくる。
「おいおい・・・さすがにそれは受け取れないぜ。」
正直嬉しい申し出ではあったが、さすがにそこまでして貰う訳にはいかない。
「・・・良いんですよ。もう吸う事も無いでしょうから・・・」
何故彼女がそんな事を言ったのか、直感的にその理由を察し、告げる。
「・・・懐に忍ばせてる物の事か?」
先程抱き合った際、柚葉の懐に仕舞われている物に、俺は気が付いていた。
それは、とても固く、あまり長くはない棒状の物。
「・・・もうすぐ私の借金も消える・・・後に残るのは、汚れた体と私の汚名・・・」
柚葉は、動揺した様子もなく、真摯な眼差しで俺を見つめてくる。
その瞳からは、これ以上関わるなと俺に警告している様だった。
「誇りの為・・・か。くだらんな・・・」
最初に彼女の瞳に映った色の正体、その理由を察した俺・・・
「・・・もう行かなくちゃ。これ大切に使ってくださいね?」
そう言って俺の手に無理矢理箱を押しつける柚葉。
ただ俺はその箱をジッと見つめる。
「・・・最後に私の名前を呼んでくれますか?」
そう言われ、柚葉に視線を移すと、先程少女が立っていた通路の入り口から俺を見ている事に気が付く。
手を伸ばせばすぐの距離、名を呼ぶのではなく、引き留め抱きしめられる距離・・・
「・・・柚葉。」
彼女の名を呼ぶと、それに応えるかのように、彼女の顔が俺の顔に近づく。
柚葉という女との最初で最後の口付けは、ひどく苦い味がした。
「さようなら・・・」
最後にそれだけ呟くと、柚葉は微笑みを残して去っていった。
部屋には俺一人が残される。
バキッ!
不意に柚葉が今まで座っていた椅子に拳を叩き込む。
簡素な作りのその椅子は、呆気なく真っ二つに割れる。
「馬鹿野郎が・・・手前の命より誇りを選びやがって・・・」
止めようと想えば出来たはずだ。
だが俺はそれをしなかった。
時に、命よりも誇りを護らなくてはいけない事が有る事を、俺は知っているから・・・
握っていた拳を解いて、膝の上にある箱に視線を落とす。
「形見のつもりかよ・・・」
やるせない思いを感じながら、ポツリと呟く。
自分が生きた証、それを柚葉は俺に託した。
あいつみたいに・・・
俺は彼女の煙管の仕舞われた箱を懐に仕舞うと、立ち上がり出口へと向かった。
「見届けてやるよ・・・あんたの覚悟を・・・」
夜と朝の境目。
朝日が昇ろうとする瞬間、世界は美しく見える。
今日も良い天気になりそう・・・
そう思いながら私は、熊八と言う男の後ろを付いて歩く。
あの御坊様と別れて数刻が過ぎた。
そう言えば、あの人の名前を聞くのを忘れていた・・・
今更な事を思い出しながら、無言で歩く。
不思議な人だった・・・どんな刃物よりも鋭い瞳をしていながら、その中に一欠片の優しさを讃えた人・・・
叶うならば、もう一度あの人に逢いたい。
そんな事を思ってしまう。
「柚葉。遅くなったが、たっぷりと可愛がってやるぜ。」
「・・・楽しみですわ。」
前を歩く熊八が、下劣な笑みを湛えながら振り返ってくる。
私は、彼に適当な相づちと冷笑を浮かべて返す。
それだけでこの男は満足するのだから、愚かな事だ。
私が借金をした相手、私の飼い主。
この辺り一帯の遊郭の元締め、裏の世界の顔役者。
刀の腕は確かなようで、付いた通り名が『人喰い熊』だと言うのだからお笑いぐさだ。
「しかし、おまえの舞は美しいな。さすが江戸一の花魁だ。」
「・・・恐縮ですわ。」
あの緒坊様と別れた後、私はこの男に連れられて、宴会の席で舞を披露した。
この男は、そう言う時には、決まって私を指名する。
私は、この日を待っていた。
いつもならば、この男の取り巻きが常に付きまとって居たが、私が二人っきりになりたいと申し出をしたら、あっさりそれを受け入れた。
なので、今この場には、私とこの男の二人だけ。
朝日が昇り始めたばかりの為、辺りには人の気配が全くなかった。
辺りに民家は一切無く、少しくらいの騒ぎが起きても、人目に付く事もないだろう。
私は、この男に気取られないよう、懐に仕舞われた短刀を慎重に取り出す。
ゆっくりとした動作で、音を立てないよう慎重に。
「クックック・・・さぁ、もうすぐ着くぞ?」
「そうですわね。」
卑しい笑い声が聞こえてくる。
この男は、これからの事を考えてでも居るのだろうか。
それがもう訪れない事だという事を、この男はまだ知らない・・・
短刀をゆっくりと鞘から引き抜き構える。
この男との距離は数歩分。
一瞬で決着が付く距離。
私は、歩く足に力を込めると、熊八へ突進する。
ビリッ!
決まると思った瞬間、熊八は体を捻っていた。
私の手にした短刀は、虚しくその男の着物を掠めただけだった。
「・・・何のつもりだ?」
「くぅっ!」
熊八に片手を捕まれ、ひねり上げられた痛みで声が漏れる。
熊八の顔を見上げると、きつい眼差しで私を見下している。
「売女風情が・・・」
「キャッ!」
汚い物でも捨てるかのように、掴んでいた腕を放り突き飛ばされる。
「ったく・・・折角俺様が直々に目を掛けてやったというのに。」
「・・・もうすぐ私の借金が消えます。」
「あぁ?」
私の呟きに、この男は不機嫌そうに聞き返してくる。
「そうなれば私は自由・・・」
「フンッ!何を言い出すかと思えば・・・貴様に自由など有る筈無かろう!」
この男ならば、そう言うだろうと思っていた。
そう言う男なのだ、卑しく汚らわしい男。
「えぇ・・・そう言うと思っておりました。ですから・・・あなたを殺して自由を手に入れようと思ったんですよ。」
そして私は、その罪を償う為に自害する・・・この汚れた体と共に・・・
その思いを口には出さず、立ち上がりながら熊八を睨む。
「・・・なんだその目は。」
熊八は、私の目が気に入らないのか、ゆっくりと私に近づいてくる。
私は、もう一度構えを取ると、いつでも飛びかかれるよう足に力を込める。
一歩、二歩と近づく熊八を見据え、好機を伺う。
「ハッ!」
ギリギリまで引きつけ、一気に跳びかかる。
ザンッ!
「ッ!キャアアアァァァーーッ!!」
一瞬何が起きたのか解らなかった。
次の瞬間には、斬られていたのは私の方で、左手の手首から先が無くなっていた。
「・・・馬鹿な女だ。本気で俺を殺せるとでも思ったか?」
「くうぅぅ・・・」
左手を抱え込むように抱きしめ、苦痛に耐えながら熊八を睨む。
「その目は何だーー!」
ザンッ!
「ッ!」
熊八は叫びながら、今度は私の右腕を切り落とす。
それでも私は、熊八を睨むのを止めない。
ザンッ!ザンッ!ザンッ!
その行為は、かえって熊八を刺激するだけであった。
腹、足、胸。
次々と斬りつけられ、体を支える事が出来なくなった私は、仰向けに倒れ込む。
もうすでに痛みは感じない。
次第に薄れていく意識を、必至でつなぎ止めながら、何とか起きあがろうとする。
この男を殺す事は出来なくても、最期まで睨み続けようとする。
汚らわしく卑しくも、哀れなこの男を・・・
チャキ・・・
「はぁ・・・はぁ・・・」
不意に、熊八の刀が、私の額に突きつけられる。
消え入りそうな意識の中、怯えているような熊八の顔が見えた気がした。
そんな男に私は、冷笑を浮かべる。
グシャッ!
早朝の江戸の町に、似つかわしくない匂いが風に運ばれやってくる。
俺にとってその匂いは、過去何度となく嗅いできた匂い。
「はぁ・・・はぁ・・」
俺の進む先に、年の頃30代半ばの男が、息を切らせながら立っている。
その男の足下には、額に刀を突き刺された若い女。
「・・・気が済んだか?」
俺の呟きに反応し、男がこちらに顔を向けてくる。
「・・・誰だ貴様。・・・坊主が何のようだ。」
「生憎、てめぇに教えてやる名前は無いんでな。」
「・・・ふざけてるのか?!」
俺の答えが余程気にくわなかったのだろう、男の声からは怒気が含まれている。
そんな男の態度を見ても、特に感心など沸かない。
俺は、視線を男からもう息のない女へと移す。
「そいつを供養してやろうと思ってな・・・」
俺の言葉を聞き、男の顔が一瞬で怒りの形相へと変わる。
「てめぇ・・・こいつを使って俺を殺そうとでも思ったか?」
ひどく見当違いな言葉を聞き、苦笑を浮かべながら男に顔を向ける。
「別に・・・単なる小悪党なあんたに用なんざねぇよ。」
「・・・まぁ良い。生憎だが、この売女にはまだ用が有るんでな。坊主の出番じゃねぇよ。」
俺の物言いに、怒った様子もなく、そんな事を言ってくる。
「・・・用?」
男の言葉に疑問を感じた俺は、聞き返す。
「こいつ・・・売女の分際で俺様を殺そうとしやがった。八つ裂き・・・いや、細切れにでもしないと気が済まねぇんだよ!」
そう言って、男は事切れた女に、汚物でも見るような眼差しを向ける。
男の返答を聞き、俺の中である感情が芽生え始める。
それは酷く黒い衝動の様な物。
俺が俺に成る前に、置いてきたはずの感情。
俺はその衝動を必至で抑えながら、何とか冷静を保とうとする。
「・・・恐いのか?」
「・・・何?」
俺の呟きに反応した男は、死体となった女から俺へと視線を移してくる。
「恐いんだろ?そいつが・・・本気の眼を持った奴が恐いんだろう。」
「・・・口に気を付けろよ小僧・・・」
男の顔色が、みるみる赤へと変わるのが解る。
それでも俺は構わず続ける。
「あんたの言うとおりさ・・・売女の分際で、残りわずかになった借金まで放り出して・・・命より手前の誇りを選びやがった。」
そこまで言って俺は眼を瞑る。
これがもし戦いの最中ならば、これが命取りとなっている所だ。
だが俺は、目を瞑った。
目を瞑り、柚葉に黙祷を捧げる。
暫く沈黙していた俺は、目を開き続きを語り出す。
「だが・・・そいつの・・・柚葉の誇りは、小悪党なあんたの腐った眼なんかじゃなく。自分の誇りを護る為の決意有る眼・・・」
「小僧・・・殺されたいのか?」
そう言って男は、柚葉の額に突き刺さっている刀を引き抜くと、俺に切っ先を向けてくる。
男の行動で、俺の中の黒い衝動は、どんどん大きくなっていく。
「道楽で人殺しが出来る、半端な人斬りみたいなあんたは・・・そんな眼が恐いかったんだろう?」
もしこの場に、鏡が有ったならば、俺の顔はきっと冷酷な笑みを湛えて、その男を見下して居るんだろう。
ふと、そんな考えが頭を過ぎった。
「・・・もう良い。貴様から細切れにしてやるよ。」
男は、そう言い放ち、手にした刀を正しく構えると、俺を睨み付けてくる。
「殺す・・・?この俺を・・・?あんたみたいな小物が・・?」
そう言って、ゆっくりと男に近づいて行く。
ゆっくりと、ゆっくりと・・・
一歩ずつ悠然と・・・
すでに俺には、もう黒い衝動を抑える事など出来なかった。
「・・・面白れぇじゃねぇか・・・やってみろよ!」
宿に戻ると、戸は閉まっていなかった為、気配を探りながら慎重に中に入る
早朝にも関わらず、すでに戸が開いていると言う事は、おそらくもう宿の者は起きているのだろう。
今の自分の恰好を目撃されたら、騒ぎが起きる事は明白だ。
酷く嫌な気分だ・・・昔の自分を思い出す・・・
慎重に自分の部屋へと向かって歩きながら、そんな事を考える。
忘れた訳ではない、むしろ俺が背負って生きていかなければならない過去。
戦場と言う日常を駆け抜け生きた頃の記憶。
幾千幾万の敵を殺し、同じ数だけの同胞の屍を超えてきた。
殺さなければ、俺が殺される日常。
暫く沈痛な思いを感じながら、部屋の前へと辿り着く。
まだ朝も早いので、おそらく聖はまだ眠っているだろう。
クロは・・・あいつはいつ寝てるんだか解らないが。
俺は、なるべく音を立てないように、部屋の戸を開けて中に入る。
部屋には、昨晩から同じ姿勢でジッと座っているクロの姿と、その隣で眠る聖が安らかな寝顔を見せていた。
「ん・・・師匠?」
部屋に入るなり、聖のそんな声が聞こえてくる。
「悪い、起こしちまったか・・・」
「ふわ~・・・」
聖は、まだ眠たそうに眼を擦りながら、あくびをして顔を向けてくる。
次の瞬間、俺の姿を確認した聖が息をのむのが解った。
「・・・何かあったんですか?」
黒を基調とした僧服の至る所が、紅くなり斑点模様になっている。
それを見た聖が、怪訝そうな顔で俺を見上げて聞いてくる。
「あぁ・・・細切れがどうのって騒いでたもんでな・・・望み通りにしてやっただけさ。」
もっともそれは、俺に対して発せられた言葉であったが。
「それって・・・」
俺の抑揚のない雰囲気と、言葉の意味を察したのだろう。
聖は、それ以上何も言おうとはしなかった。
さすがに付き合いが長いだけの事はある。
「疲れたぜ・・・俺は寝る。」
それだけ言うと、自分用の布団の上へと倒れ込む。
「寝てないんですか・・・?」
「あぁ・・・時間が来たら起こしてくれ・・・」
「・・・解りました。」
そう言って、聖は俺に掛け布団を掛けてくれた。
眠気が襲うまどろみの中、このまま瞳を閉じればすぐにでも堕ちていくだろう。
ふと、横で心配そうに俺を見つめている聖に気が付く。
「・・・聖。」
「はい?」
「俺は・・・華が嫌いだ・・・」
「お花・・・ですか?」
「あぁ・・・」
俺は何を言おうとしているのだろう。
眠さのあまり、働かない頭に浮かぶ言葉を、そのまま口に出す。
「・・・何でですか?」
不思議そうに俺を見つめて、素直に疑問をぶつけてくる。
そんな聖に俺は、苦笑を浮かべながら、その答えを告げる。
「・・・美しすぎる華は・・・希に、蜜蜂を狂わせるからさ・・・」
「・・・え?」
相変わらず不思議そうにしている聖を余所に、俺は目を瞑る。
眠りに堕ちていく感覚がとても気持ち良い。
俺は何が言いたかったのだろう・・・華を柚葉に例えてか・・・蜜蜂を俺に例えてか・・・あるいはその両方か・・・
先程聖に言った言葉を、頭の中で反芻する。
今日の俺は・・・どうかしている・・・
最後に、そんな事を考えながら、深い眠りに堕ちていった。
(04.10.25)
神無月拓楼




