黒狼縁起之章
「クゥ~ン・・・」
草むらの陰から、弱々しい鳴き声が聞こえる。
一匹の黒い子犬が、その場でじっと佇んでいる。
誰一人通らない山道の外れで、ただじっと親が帰ってくるのを待つ子犬。
餌を探しに行ったきり、もう三日が過ぎていた。
一緒に待っていた兄弟達は、眠っているのか動こうともしい。
子犬は、一人寂しく佇んでいる。
-お腹空いたな・・・お母さん早く帰ってこないかな。
子犬の願い虚しく、母犬は一向に戻ってくる気配が無かった。
あまりの空腹の為、他の兄弟達同様その場に横たわる。
「クゥ~ン・・・」
鳴き声が、先程よりも弱々しい。
子犬は、急激に襲いかかる睡魔と戦いながら、母犬を待つ事にした。
ガサガサ・・・
草を掻き分ける音を聞き、耳をピクピク動かしながら、頭だけを向ける。
-お母さん・・・?
母犬が帰って来たと思った子犬が、立ち上がろうとするが、体に力が入らない。
「・・・子犬?」
母犬と思ったその音は、人間の娘であった。
人間の娘は、子犬と寝ている兄弟達を見回して、おもむろに子犬を抱き上げる。
「大分弱ってる・・・このままじゃ死んじゃう。」
言うが早いか、人間の娘は子犬を抱きかかえて走り出す。
「クゥ~ン・・・」
-どこに行くの?みんなとはぐれちゃうよ。
その娘の拘束から逃れようと藻掻こうとするが、力が入らない。
「大丈夫だよ、安心してね。」
子犬の抵抗に気がついた娘が、優しい笑みを向ける。
「大丈夫・・・」
聞き取りにくい呟きの後、走る速度が少し上がる。
子犬が見上げるその顔は、どことなく悲しそうに見えた。
「はぁ・・・」
昼前、森林に囲まれた林道に、気の抜けたため息が響く。
林道を歩く二つの人影、ため息はその一方から発せられた物であった。
まだ幼い顔立ちで、長い髪を後ろで束ねた少女。
その幼い顔には、似つかわしくない憂いが張り付いていた。
「・・・ったく、朝っぱらから辛気くせぇ顔してんじゃねぇよ。」
少女の隣を歩く男が、鬱陶しそうな顔で言う。
身なりから、その男が僧で有る事が解る。
少女より頭二つ分ある背丈、僧であるにしては珍しく、伸びた髪。
目つきは鋭くつり上がり、どことなく人を近づけない雰囲気を醸し出していた。
「・・・私は師匠みたいに、割り切る事なんて出来ませんよ。」
隣を歩く男、宝仙に向かって、少女、聖は非難をぶつける。
「なんだ、まだこの間の事を引きずっていたのか。」
聖の非難を聞き、宝仙は数日前の出来事を思い返す。
「何度も言うが、あれはお前の所為じゃねぇよ。」
「・・・そうかもしれませんけど。でも、どんな理由であれ、人を殺めてしまったんです。気にしない方がおかしいですよ。」
俯きながら、ポツリポツリと語る聖に対し、宝仙は立ち止まり、渋い顔で周囲を警戒し始める。
「・・・どうしたんですか?」
宝仙の行動に気がついた聖が、数歩離れた場所で、頭に疑問符を浮かべながら向き直る。
「・・・聖、その話は後で聞いてやる。」
「え?」
訳がわからないといった感じで、宝仙につられて辺りを見回す。
「・・・走るぞ!」
「え?・・・きゃ!」
言うが早いか、いきなり走り出した宝仙が、聖の手首を捕まえ引っ張る。
「ちょ、ちょっと!どうしたんですか~?」
「喋ってないで走れ!」
引きずられる形で走っている聖が、悲鳴にも似た抗議を上げるが、それに構うことなく速度を上げる宝仙。
「痛い!痛いですよ~!」
道を外れて森の中を縦横無尽に走っている為、手首を引っ張られる痛みと、木の枝が体に当たる痛みに苦痛を訴える。
当の宝仙は、全く意に介した様子もなく走り続ける。
暫く走ると、森が途切れた場所に差し掛かる。
「・・・チッ。」
その場所で宝仙は、走る事を止めて、険しい表情で苦々しく舌打ちを打つ。
途切れた森の先に道はなく、崖が広がっている。
下の方から水が流れる音が聞こえてくる為、河が流れているようであった。
「きゅ、急に・・・ど、どうしたんですか・・・」
宝仙が走る事を止めた為、ようやく手首を解放された聖が、肩で大きく息をして問いただす。
全速力を出していたはずの宝仙に至っては、少し息を乱した程度で済んだようだ。
「まだ気付いてないのかおまえ・・・追われてるんだよ。」
呆れた顔で聖に顔を向けると、端的に要点だけを告げる。
「え?!だ、誰にですか。」
「俺が知るか。」
信じられないといった顔で、宝仙に問いただすも、うんざりしたような顔で返されてしまった。
「・・・囲まれたな、かなりの人数のようだな。」
真剣な表情で辺りを見回し、気配を探る宝仙。
不安そうな顔で同じく見回すも、聖には全く感じられない。
「ど、どうするんですか?」
「落ち着け、せいぜい十人程度だ。」
混乱した顔で、あたふたとせわしなく動き回る聖をたしなめ、宝仙が告げるが、全く安心出来ない。
「おまえはそこに隠れてろ。」
幾分大きい木を指し示してから、聖の前に出て道をふさぐ。
「え・・・?で、でも。」
何かを言いかけて口ごもる聖を見て、宝仙がため息を吐く。
「・・・今のお前が夜叉になっても、お前の心の傷がより一層深くなるだけだ。お前は、今のお前に出来る事をすれば良いんだよ。」
数日前に聖に言った事を、再び口にして前を見据える。
「今のお前に出来る事・・・俺を信じてそこで待ってろ。」
ぶっきらぼうに言い放ち、荷の中に突っ込んでいた錫杖を手に構える。
「・・・はい。」
暗い面もちで、宝仙の背を見つめていた聖が、意を決し示された木へと隠れる。
木の陰から顔を出し、事の成り行きを見守ることしかできない自分に、歯がゆさを覚える聖だった。
「おい!いつまでこうしてる気だ!さっさと姿を出したらどうなんだよ!」
前方に広がる森を見据え叫ぶ宝仙。
戦いの幕が上がろうとしていた。
「ゴホッ!ゴホッ!・・・で?」
子犬を抱えた少女が、小さい体を更に縮こまらせながら、部屋の中に敷かれた布団の上であぐらをかいている男に申し訳なさそうに座っていた。
「あの・・・駄目でしょうか?」
寝間着姿の男に向かって、申し訳なさそうに尋ねる。
そんな二人を余所に、子犬は出された餌を頬張っていた。
「・・・ったく、風邪薬を取りに行かせたのに、持ってきたのはケダモノとはな。」
一通りの説明を受け、男は呆れたような表情で少女を見やる。
少女は項垂れながら、餌を頬張る子犬に目線を落とし呟く。
「・・・放っておけなかったんです、独りぼっちで・・・私みたいだったから。」
自嘲気味に呟いて、子犬の背中を優しく撫でる少女。
ちょうど餌を食べ終わった子犬が、くすぐったそうにしている。
「だから・・・」
表情が一変して泣き顔に変わり、両手で顔を隠す。
「クゥ~ン。」
-どうしたの?なんで泣いているの?
子犬は、自分から話された少女の手を追うように、少女の膝の上に乗ると、立ち上がって少女の頬を舐める。
「・・・大丈夫だよ。」
子犬の行為に気が付いた少女が、悲しそうな笑みを湛えながら顔を向け、両手で子犬を抱え上げると抱きしめる。
「ゴホッ!ゴホッ!はぁ・・・おい。」
「は、はい。」
黙ってその光景を見ていた男が、苦しそうに咳き込むと、少女に向かって呼びかける。
「早くそいつを連れてけ。」
「え・・・?」
男の言葉に、不安が募る。
そんな少女を余所に、男は敷かれた布団に潜り込むと、背中を向けてしまった。
「駄目・・・ですよね・・・」
悲しいような、寂しいような表情で立ち上がると、子犬を胸に抱きかかえる。
「いつまでもここにいたら、おまえ等にまで風邪が移っちまうだろうが。さっさと犬をおまえの部屋に持っていけ。」
「え?それって・・・」
男の言葉に一瞬耳を疑い聞き返す。
「おまえが面倒見ろよ、俺はケダモノは嫌いなんだよ。」
「あ・・・ありがとうございます!」
背中越しの男に、深々と頭を下げる少女。
その表情からは、先程までの憂いは感じられなかった。
「・・・聖。」
「え・・・?」
意気揚々と部屋から出ようとした少女の名をポツリと呟き呼び止める。
「・・・なんでもねぇよ。」
呼び止めるも、その先に続く言葉が思い浮かばず、言葉を濁し沈黙する男。
そんな男の背中を見て、聖は子犬を抱きかかえながらその場に立ちつくす。
「宝仙さん・・・大丈夫ですよ、後悔なんかしていません・・・」
立ちつくしながら、宝仙に向かって、小さい呟きを漏らす。
「あぁ?なんか言ったか?」
「・・・何でもありません!」
「ワン!ワン!」
聞き取れなかったのであろう宝仙が尋ね返して来るが、先程のお返しとばかりに笑顔で言う。
それにつられて、子犬も元気に吠える。
-やっと笑ってくれた。
少女が笑ってくれた、それだけの事が子犬にはただ嬉しかった。
「おい!いつまでこうしてる気だ!さっさと姿を出したらどうなんだよ!」
前方に広がる森に向かって叫ぶ宝仙。
ややあって、森の中から数人の人影が現れる。
その者達の身なりから、明らかに階級の高い侍である事が解る。
「突然の無礼、失礼しました。」
集団の先頭を歩く男が、おどけたような人なつっこい笑顔で語りかけてくる。
他の者達とは違い、腰に二本の刀を携えている。
「・・・宝仙様ですね?」
「そんな奴は知らん。」
男の問い掛けに対し、宝仙は即答して否定する。
宝仙の答えに、困ったような表情を浮かべながら苦笑する。
「私は、会津藩松平家に仕える藩士、永井と申します。」
「誰もそんな事聞いてねぇよ。」
相変わらずの人なつっこい笑みで、勝手に自己紹介をする永井に呆れながら言い放つ。
-一、二・・・八人か・・・思ったより少なかったな。
永井のすぐ後ろで待機している男達の数を数えながら、頭の中でこれからの算段を思い浮かべる。
「で・・・?その藩士様が俺に何の用だ?」
油断無く、男達を見据えながら用件を聞く。
そんな宝仙を見て、永井は目を細める。
「単刀直入に言えば・・・我々と御同行願いたいのですが・・・」
「断る。」
再び即答で返す宝仙。
我ながら身も蓋もないと思いながら苦笑する。
-殺気を垂れ流しながら何を言うかと思えば・・・
「どうしても?」
「くだらん用なら御免被る。」
永井は肩をすくめながらため息を一つ吐く。
そんな仕草の中でも、笑顔を崩さない辺りを考えると、元々そういう顔なのかもしれない。
「仕方がありませんね・・・では、力ずくででも一緒に来て頂きますよ?」
「やれるもんならやってみな。」
それを合図に、永井の後ろに控えていた男達、五人が刀を抜いてこちらに迫る。
恐らくは、一人相手に全員で攻めるまでもないと考えたのか、永井とその後ろに二人が冷ややかな視線を宝仙に向ける。
永井に至っては、相変わらずにこやかな笑みを湛えていた。
「あくまでも生け捕りです、殺してはなりませんよ。」
宝仙に迫る五人に対し、我関せずと言った感じで声を投げかける永井。
-フン、ふざけやがって。
永井に悪態を付いてから、迫る五人を見据え、深呼吸をする。
「ハッ!」
一番最初に切り込んできた男が、気合い一閃、唐竹に斬りかかってくる。
ガキン!
襲ってくる刀を、手にした錫杖で受け止めると、金属のぶつかり合う音が辺りに響く。
「ッ!?」
「こいつは特注品でな、てめぇの腕じゃ斬れねぇよ。」
木で出来ている筈の錫杖から、金属の音がしてきた為か、斬りかかってきた男の表情が、驚きに変わる。
そんな男を嘲るかのように、宝仙は薄く笑う。
すかさず、錫杖を半回転させて、刀をずらす。
その勢いのまま、錫杖の先端で、男の顎を殴打させる。
「くっ・・・」
一瞬の隙を付かれ、数歩よろめく男に、追撃をかける。
ドン!
「ぐぇ・・・」
錫杖の尻で、男の喉を突くと、蛙のような声を出して、頭を下げた姿勢になる。
「あばよ・・・」
バキ!
がら空きになった男の頭頂部めがけて、力一杯錫杖を振り下ろす。
そのまま地面に倒れ込み、ピクピクと痙攣して気絶する。
-まずは一人!
「このっ!」
休まる間もなく、今度は左右二人同時に襲いかかってくる。
ガキン!
左から来た男の薙ぎに対し、錫杖で受け止める。
「もらった!」
バキ!
右からの相手に対しては、刀を振り上げる瞬間、刀を持つ手元に蹴りを放ち応戦する。
蹴られた衝撃で、右の男は刀を取りこぼす。
左の男は、鍔迫り合いに持ち込もうと、持つ手に力が籠もるのを感じる。
-馬鹿正直だねぇ・・・
右足を瞬時に元に戻し、体勢を整えた宝仙は、重心を右に傾け、左の男の股間に蹴りを放つ。
ゴン!
「ッ!!!!」
股間に蹴りを食らった男は、目を白黒させながらその場にうずくまる。
バキ!
苦悶の表情を浮かべて、悶絶している男の顔を錫杖で横殴りにして気絶させる。
-二人・・・ッ!?
安心したのもつかの間、前に視線を戻した宝仙の目に、刀の煌めきが映る。
「クッ!」
斬撃をすんでの所で外すが、男の影に隠れる形で潜んでいたもう一人の横薙ぎが宝仙に迫る。
「チッ!」
ガキン!
間一髪の所で、左手にした錫杖で受け止め、不安定な体勢を整える為、錫杖を軸にして後ろに跳ぶ。
飛び退くと同時、先程まで立っていた場所に、先に斬りかかってきた男の追撃が空を切るのが目に映った。
「ふぅ・・・」
体勢を整え、冷や汗を拭う宝仙。
二歩ほど後ろは、切り立った崖の為、これ以上後ろには行けそうにない。
-思いっ切り殺すつもりで生け捕りとはな・・・まぁ、大体のこいつ等の力量は解ったし、焦るほどでもないか。
「師匠!!」
三人の男を笑みを湛えながら見据えていた宝仙の耳に、聖の悲鳴にも似た叫びが聞こえてきた。
一瞬聖が捕まったのかと思い、一瞥したが、そういった訳では無いようだった。
不審に思いながらも、男達の方に目線を戻す。
「うん・・・?」
そこで初めて異変に気が付く。
三人の男達のその後で待機していた永井の手に、黒光りする長い筒のような物が握られている。
-あれは・・・まさか!
「くっ!」
それが何なのか、宝仙が頭で理解した瞬間、右に跳んでいた。
パァン!
「ぐぅ・・・」
横に跳ぶと同時、辺りに乾いた音が響いたかと思うと、左肩に激痛が走った。
着地の瞬間、あまりの衝撃の為、数歩後ろによろめく。
「うぉ?!」
足に力を込め、踏みとどまろうとするも、逆に足を滑らせてしまい、背後に迫った崖下へと落下してしまう。
-種子島だと・・・
「師匠ー!!」
崖の上から聖の叫びが聞こえて来る。
その叫びを耳にしながら、宝仙は河へと落ちていった。
子犬が聖と宝仙と共に旅を続けるようになって、幾ばくかの月日が流れた。
その間に、子犬にはクロと言う名前が付けられ、聖にとても可愛がられていた。
ガキン!
ある日の事、旅の一行が通りかかった峠道に、金属のぶつかり合う音が響き渡る。
「その辺の草むらに隠れてろ!」
「は、はい!」
急な出来事の為、何が起こったのか聖には、解らなかった。
ただ、誰かに襲われ、宝仙の怒声を素直に聞き入れる事しか出来なかった。
言われたとおり、近くの草むらに身を隠し、クロを胸に抱きかかえながら息を潜める。
「ヴァジュラヤクシャ!」
立て続けに金属音が鳴り響いたかと思うと、宝仙が得意とする金剛夜叉明王呪が響き渡る。
そんな中でも、恐れからその光景を見る事が出来ない。
宝仙が何とかしてくれる、そう信じて恐れと戦い続ける。
「クゥ~ン・・・」
そんな聖の顔を見上げて、不安そうに鳴く。
「・・・大丈夫だよ、きっと大丈夫・・・」
呟きを漏らし、クロを抱える腕に力を込める。
-・・・ご主人様、震えてるの?
幼いクロには、聖が何故震えているのかが解らなかった。
ガツン!
「チィッ!」
鈍い音が聞こえてきた直後、宝仙の舌打ちが耳に届く。
それを耳にした直後、聖の体が本能的に硬直する。
「クゥ~ン・・・」
-ご主人様・・・
聖の怯えた表情を見ているうちに、クロの中で強い感情がこみ上げてくる。
衝動的なその感情に従うべく、クロは聖の腕から逃れようとする。
「ッ!?クロ!」
強く抱きしめられていたにも関わらず、クロが身じろぎしただけで、聖の束縛から解放される。
解放されたクは、そのまま森の中へと向かって駆け出す。
「駄目!戻って、クロー!」
聖の悲痛な叫びが、クロの耳にも届くが、それに構わず一心不乱に走る。
-強くなりたい!ご主人様を守りたい!
その想いが、黒い子犬を掻き立てるのだった。
-力が・・・力が欲しい・・・
「師匠・・・」
座敷牢の窓から、月を眺める。
宝仙が谷底へと落ち、聖が捕らわれてから三日が過ぎようとしていた。
「・・・師匠の事だから、絶対大丈夫。」
捕らえられてこれまで、何回目とも取れない独り言を呟き続けていた。
誰に対してと言うわけでもなかったが、ただこの場所で一人じっとしていると、気が狂いそうになる。
-・・・やだな、また私足手まといになってる。
ふと頭を掠めた数日前の出来事。
それを思い返すだけで涙があふれそうになる。
-私がこんなだからあの子も居なくなっちゃったのかな・・・
宝仙と出会って間もない時に出会った、一匹の子犬の事を思い出す。
あの時、独りぼっちだったあの子犬と自分を重ね合わせ、手を差し伸べた一匹の黒犬。
いつの頃か、その子犬は山へと帰っていってしまった。
-今頃あの子はどうしてるのかな・・・
ふさぎ込んでいた顔を上げて、先程と同じように月へと目線を向ける。
聖の思いなど関係無しに、先程と変わることなくその場に浮かんでいた。
-今の自分に出来る事を考えろ・・・か。
それは、数日前に宝仙に言われた言葉。
あの日からその言葉の意味を何度も考えていた。
自問自答を繰り返し、結局答えに行き着かずにいる。
「今の私に出来る事・・・何があるのかな・・・」
月を眺めながら、漏らした呟きが虚空に舞う。
『我を受け入れよ・・・』
「え・・・?」
突然聞こえてきた声に驚き振り向く。
しかし、振り向いた先に声の主の姿は見あたらなかった。
-気のせい・・・かな?
座敷牢に閉じこめられて三日も過ぎている所為か、疲れているんだと一人で納得する。
顔を戻し、また月を眺める。
相変わらずそこに有る月に、少し憤りを感じる聖であった。
-・・・どこだ、ここは。
全身を覆う虚脱感を感じながら、宝仙はゆっくりと瞼を開く。
ごつごつとした岩がそこかしこに見受けられる事から、そこが暗い洞窟の中である事を認識する。
どうやら洞窟の床で寝ているようである。
意識が覚醒するにつれて、自分がどうなったのかを思い出す。
-殺風景な地獄だな・・・
「生憎とお主はまだ生きておるよ。」
不意に聞こえてきた声に反応し、首だけを動かす。
「・・・誰だ?」
宝仙が向いた暗闇の先、光が一切無い事から洞窟の奥の方に向かって声をかける。
「そうさのぉ・・・儂には、儂を表す物はない。しかし、儂を知っている者は、儂の事を翁と呼ぶ。じゃからそれが儂の名前の変わりじゃ。」
暗闇の先から聞こえてくる老人の声。
「随分と勿体ぶった物言いだな・・・」
姿の見えない老人に対し、呆れながらに返す。
「ホッホ、お主とて儂と同じであろう?名前のない変わりに、『宝仙』と言う称号を名前代わりに使っておる。じゃが、それこそがお主を表す一つの形であり、儂にとっても『翁』と言われる事で、それが儂を証明する一つの形になる。」
「貴様・・・何者だ?何故その事を知っている。」
翁と名乗る老人の言葉を聞き、油断なく身を起こし、老人の正確な位置を探る。
初めて会った筈の老人の言葉が、真実である事に動揺を隠せないでいた。
「ホッホ、お主達の事はもちろん、八つの宝珠を継承しておる現『八大明王呪継承者』の事も知っておるぞ。のぉ?十三代目、金剛夜叉明王呪継承者、宝仙殿。」
翁の含みの有る言葉に苛立ちを覚え、暗闇に慣れてきた瞳で人影を見据える。
「ホッホ、せっかちな若者じゃのぉ・・・せっかく助けたというに。」
「・・・頼んでねぇよ。」
翁を見据えながら端的に答えを返す。
「ふ~む・・・ちとからかいすぎたかのぉ?すまんな、外の者と話すのは久方ぶりなものでのぉ。」
暫く戦闘態勢を維持していた宝仙だったが、ややあって構えを解く。
殺気を全く感じず、本能的に敵ではない事を悟る。
「・・・ジジィの戯言に付き合うつもりはない。」
そう言って、先程まで寝かされていた場所に腰を下ろす。
「・・・千里眼か、噂には聞いた事はあるが、使い手と会ったのは初めてだな。」
翁の言葉に隠された力の正体を見抜き口を開く。
「ホッホ、気付いたか、さすがじゃのぉ。」
宝仙の言葉を肯定するような声からは、おもしろがっているように思える。
「助けて貰った事には一応礼を言っておく。が、この次ぎからかったりしたら、ただじゃ済まさねぇ。」
ぶっきらぼうに言い放つその姿からは、精一杯の虚勢が感じられた。
-ッチ、体がうまく動かねぇ。
痛みは無いものの、宝仙の体は先程までの虚脱感と痺れを感じていた。
「無理をするでない、左肩の傷は塞いだが、薬の所為で体が重く感じるはずじゃ。」
翁の言葉に反応し、左肩を見やる。
撃たれた筈のその場所には、包帯が巻かれ、しっかりと固定されていた。
少し動かしてみるも、痛みは無く、なんら異常は見当たらない。
「相当深かった筈だが・・・」
「ホッホ。」
不思議そうに左肩を見やる宝仙に、翁の笑い声が届く。
「それから、お主をここまで運んできたのは、儂ではない。」
「うん?」
言われ、左肩に注がれていた視線を翁へと戻す。
「その者は、お主の後ろにおる。」
言われ、振り向いて見るも、その先にその者の姿はなく、虚空を見つめる。
-いや、何か・・・居る!
何かの気配を感じ、目を凝らす。
しかし、暗闇に慣れたはずの瞳でも、ソレを捕らえる事が出来なかった。
「ふむ・・・ならば火を付けようか。」
宝仙がその者を目で捕らえる事が出来ないと悟ったのか、カチカチと石が擦り合う音が洞窟内に鳴り響く。
暫くして、焚きに火が付いたのか、徐々に辺りが明るくなり始める。
そして、宝仙の視線の先に、先程の気配の正体が現れる。
漆黒の炎を思わせる体毛に、紅い瞳が印象的な巨大な狼が視線の先に座して居た。
「こいつ・・・」
宝仙には、その黒い狼に見覚えがあった。
いつの頃か、聖が連れてきた一匹の黒犬。
見かけこそ違う者の、そこに座する者はあの時の子犬だという事を理解する。
「名を黒炎と言う。が、お主にはクロと言った方が良いかのぉ?」
翁の言葉が耳に届き、振り返る。
そこには、気の良さそうな老人が座っていた。
-こいつが翁か・・・
その頭には毛はなく、白く長い髭が印象的などこにでも居そうな老人。
ただ一つ人と異なる所が有るとするならば、その額には黒い石のような物が埋め込まれている所だけであろう。
「改めて、儂が翁じゃ。」
翁が喋るにつれて、長い口髭がもそもそと動く。
「それで、何故俺を助けた?」
翁を見据えたまま、宝仙の後に控える黒燕にも注意を払う。
「せっかちじゃのぉ・・・」
そんな宝仙を呆れたかのように呟く。
「生憎と、こちらも馬鹿弟子を迎えに行かねばならんのでな。」
そう答え、懐をまさぐり煙管の仕舞われている箱を探す。
河に落ちたときに落としたかとも思われたが、目当ての物はすぐに見つかった。
箱より煙管を取り出すも、葉が湿って使い物にならないのを確認すると、また箱に戻した。
「儂ので良ければ使うかの?」
そう言われ、素直にその申し出を受ける。
慣れた手つきで、葉に火を付けると紫煙を肺いっぱいに吸い込む。
「お主の弟子はまだ大丈夫じゃよ、あやつらの目的はお主じゃからのぉ。」
「・・・どういう事だ?」
肺に入ってきた紫煙を、ゆっくりとはき出しながら聞き返す。
「正確には、お主が使役する鬼が奴らの目的じゃ。」
「何?何故奴らがその事を知っている。金色夜叉は、長老会と明王呪継承者の一部の人間しか知らないはずだ。」
翁の言葉に、信じられないと言った感じで返す。
「じゃから、奴らにそれを吹き込んだ輩が居ると言う事じゃ。」
「誰だ・・・」
可能性の有る順番で、その事を知っている者を思い浮かべるも、すぐに否定する。
今までにも、聖が鬼と化した事は何度かあったが、その中からも思い当たる人物は浮かんでこない。
暫く考えあぐねいてみるも、誰かが喋っても、損こそあれ得には繋がらない筈である。
「解らぬか・・・?お主と因縁深き者じゃ。」
「・・・まさか!」
翁の言葉を聞いて、一つの可能性が過ぎる。
それはそのまま正解なのであろう事を悟るや、翁を睨み付けて問いただす。
「奴は今どこに居る!」
宝仙の問いつめに対し、翁は俯きかぶりを振る。
「あやつは隠れるのがうまい、儂の目に映ったのも、その時だけじゃった。」
「・・・そうか。」
先程までの勢いが消え、意気消沈といった感じで腰を下ろす。
-くそ!奴の足取りが見えたと思ったんだが・・・
心の中で毒づき、考えを巡らす。
「それよりも今は、当面の問題を解決すべきじゃろ?」
「うん?・・・あぁ。」
翁の言葉に頷き、話を元に戻す。
「奴らの目的が金色夜叉で有る事は解った。しかし、奴らはそれを使って何をするつもりだ?」
「あの永井と言う男は、なかなかの野心家でのぉ。鬼を使って藩を乗っ取ろうとしておるんじゃろうて。」
翁の説明に半ば呆れ気味で笑う。
「反逆か・・・愚かだな。しかし、解せんのは、奴らが俺を殺そうとしたところだ。俺を殺せば聖に宿った鬼を制御出来る筈もない。」
「あやつ等は、お主に鬼が宿っていると思っているのじゃよ。じゃからあのお嬢ちゃんを人質として、今も生かしておるのじゃ。」
「・・・あぁ、奴は聖の事を知らないからな。」
宝仙の呟きに、翁が頷いて同意する。
「それで俺を生け捕りか・・・気にくわんな。」
そう言って、立ち上がる宝仙。
先程までまとわりついていた虚脱感はもう感じられない。
「・・・行くのか?」
翁の問いに、無言で頷き、煙管を仕舞う。
「ならば・・・これを持って行きなさい。」
そう言われ、翁が懐より短刀を取り出す。
「・・・錫杖は流されたのか?」
洞窟内を見回すも、崖より落ちたときに持っていた筈の錫杖が見当たらない。
不承不承で、差し出された短刀を受け取り、抜き放つ。
刃こぼれ一つ無い刀身、どことなく普通ではあり得ない雰囲気を醸し出す短刀。
「・・・妖刀か。」
「いかにも、銘こそ無いが、幾百の人間の血と、幾千の妖怪の血を啜ってきた妖刀じゃ。」
「あんたが何故これを所持しているかは、あえて聞かないでおこう。が、何故俺にこれを託す?」
吸い込まれそうな刀身から目を外して、翁を見やる。
「これからお主に必要になる物じゃ。」
その視線を真っ直ぐに受け、真剣な表情で答える翁。
「あんた・・・どこまで視えるんだ?」
その問いに対し、戯けた表情で笑って誤魔化す。
「まぁ良い・・・ありがとよ。」
「ホッホ・・・黒炎、お主の本当の主君の元へ馳せ参じなさい。」
「・・・今まで、お世話になりました。」
今までじっと座っていた黒炎が、そこで初めて言葉を発し、のそりと立ち上がると、洞窟の入り口へと歩き出す。
-喋れるのかよ!
いきなり言葉を発した黒炎に、唖然としながらその巨体を見送る。
「喋らないと思っておったかの?」
宝仙の様子を、楽しそうに眺めている翁に視線を巡らす。
先程から宝仙の考えが解るような物言いをする翁を見て、ある事に気が付き苦笑する。
「全く・・・読心術まで出来るとは・・・質の悪いジジィだな。」
宝仙の悪態に対しても、笑顔を崩す事なく眺めている。
「これが済んだら、もう少し話し相手になってやるよ。」
そう言い残し、黒炎の後を追うように歩き出す。
「ホッホ・・・楽しみにして待っておるよ。」
翁の言葉を背中に感じながら、歩き続ける。
ややあって、入り口へと辿り着く。
そこには、黒炎が待っていた。
「さて、再会の挨拶は後回しだ。おまえさんのお姫様を救いに行きますか。」
軽口を叩きながら、黒炎の側まで近づく。
「・・・乗れ。」
言って、黒炎の巨体が、お座りの状態になる。
その意味を理解し、宝仙は黒炎の背中に跨る。
「犬に跨るのは初めてだな。」
自嘲気味に笑い、黒炎の長い毛を掴む。
「・・・落ちても拾わぬぞ。」
そう言い捨て立ち上がると、両足に力を込めて走り出す。
どんどん速度が上がり、周りの空気を切り裂き、一陣の疾風と化す。
それに伴い、身を屈めて、空気の抵抗を小さくする宝仙。
-待ってろよ。
心の中で呟き、先を急ぐように黒炎に伝える。
それに応えるかのように、追い風が宝仙達を押す。
丑三つ時の森の中に、黒い疾風が舞い踊る。
一人の男が少女を救う為に、力を手に入れた黒い犬が主を救う為に。
「出ろ。」
いつの間にか眠っていた聖が、聞き覚えのある声で目を覚ます。
座敷牢の入り口が開かれ、中に永井が部屋の中央に立っていた。
「・・・解放してくれるって雰囲気でも無いですね。」
聖の問い掛けには答えず、人なつっこい笑顔で佇む永井。
渋々立ち上がり、部屋の出口へと歩き出す。
永井は、聖の背後に付く形で、歩き出す。
座敷牢を出て、永井の指示に従い長い廊下を歩く。
シンと静まりかえる廊下には、無言で歩く二人の足音しか聞こえてこない。
-・・・誰も居ないの?
全く人の気配がしない事を訝しがり、後ろの永井に悟られぬように、辺りの様子を探る。
しかし、全く気配を感じない為、一瞬屋敷内には自分たちしか居ないのではないかと錯覚すら覚える。
そこで初めて自分の異変に気が付く。
-感覚が鋭敏になってる・・・?
それだけでなく、これから起こりうる仮定を幾通りか予想するだけの余裕すらある。
それが例え、最悪な場合であったとしても、取り乱すことなく冷静に居られた。
-不思議な感覚・・・辺りの様子が手に取るように解る。
敏感すぎる神経に、恐れすら感じるが、心は至って平静を保ち続ける。
暫く、歩を進めると、廊下の先より、金属音が鳴り響いている事に気が付く。
-刀がぶつかりあう音・・・血の臭い・・・師匠が戦ってる・・・?
その敏感な神経が、廊下の先で起きている異変に気が付く。
鳴り響く音が、まだ暫く先の方でしている事から、この屋敷がかなり大きな敷地である事が解る。
-師匠が戦ってる!
所々に聞こえてくる声から、聖が待ちわびた人物だと言う事がすぐに解る。
それでも聖は、走り出すのを堪え、平静を装う。
何故なら、後ろを歩く永井が、刀に手を添えている事が、気配だけで感じ取れたからである。
今走り出したら、間違いなく斬りつけられる。
何通りもの予想から弾き出した答えに従い、今は気が付かない振りをする事にした。
次第に大きくなる音を感じながら、そのまま廊下を歩く。
暫くして、廊下が分岐している事が確認出来る。
その先に、恐らくは戦いが繰り広げられているであろう庭が現れる。
庭と言うよりは、庭園と言った方が正しいかもしれない。
そこには、予想通りの人物と、黒い巨躯の狼が藩士と死闘を繰り広げていた。
宝仙の手には、いつも握られている錫杖の変わりに、月の光を浴びて不気味に煌めく短刀が、逆手に握られている。
-・・・あれ?
宝仙に向けられていた視線を、狼へと転じた聖が、ある事に気が付く。
「・・・クロ?」
その狼を見て、先程思い返していた黒い子犬を連想する。
聖の蚊の鳴くような呟きに反応したのか、黒い狼は耳をピクピクと動かしてこちらに視線を向けてくる。
「ッ!!危ない!」
聖に向けられた視線の為、隙が出来た事を好機と受け取った一人の藩士が狼に斬りかかる。
『ワォーン!』
その攻撃に怯むことなく、遠吠えで応戦する。
耳を貫きそうな咆吼が辺り一帯に響き渡り、音の衝撃波が斬りかかってきた藩士を吹き飛ばす。
あまりの大音響に、周りの者達も耳を塞ぎ、動きが止まる。
「この馬鹿犬!いきなり何しやがる!」
耳を塞ぎながら、非難の声を上げ、狼を睨み付けている宝仙。
「・・・随分と楽しそうですね。」
今まで沈黙を守ってきた永井が、不意に口を開く。
その声を聞き、宝仙の視線が聖と永井に向けられる。
「フン・・・役者が揃ったな。」
周りを敵に囲まれながらも、余裕のある笑みで永井を見据える宝仙。
聖の目にも、宝仙の周りを取り囲む藩士達が、ジリジリと間合い詰めているのが解った。
宝仙もそれは解っているのであろうが、微動だにする事なく、仁王立ちしている。
「早速で悪いのですが、あなたが使役する鬼神を、私に譲っていただけませんか?」
「・・・え?」
永井の言葉に驚き、間の抜けた声を上げて振り返る。
聖の事など目にないのか、永井の相変わらずの微笑みは、宝仙へと向けられていた。
「てめぇに操れるものかよ。」
「ご心配には及びません、ある方が制御の法を作ってくださいましたので。」
相手を小馬鹿にしているような宝仙の物言いにも、全く意に介した様子はなかった。
「・・・刹那か。」
「えぇ。」
二人だけの会話に、全く付いていけない聖は、事の成り行きを見定めようと、庭園の周囲に注意を払う。
「どうでしょう?それなりの見返りもご用意しますが・・・」
「ほぉ・・・そいつは一体何だ?」
辺りを警戒している為、宝仙の様子は解らないが、声の感じからおもしろがっているのかもしれない。
不意に感じた後ろから刀を抜き放つ気配に、顔だけで振り返る。
チャキ・・・
聖の首元に、永井の刀が添えられる。
「この娘の命など・・・どうでしょう?」
あくまでも笑みを崩さず言い放つ永井。
しかし、その行動にも全く動じることなく、添えられた刀を一瞥して、また周囲を警戒する。
-・・・嫌な感覚・・・何か潜んでる。
聖の中の本能がそう訴えるのか、注意深く視線を彷徨わせる。
「おいおい・・・もうちょい色を付けてくれよ。」
永井の申し出に対し、軽口を叩いて状況を好転させる手段を考える時間稼ぎをしている事が、聖にも解る。
「では、そうですね・・・あなた方の命の保証と言う事で、手を打ちませんか?」
宝仙の意を察してか、薄笑いを讃えながら見据える。
-何か企んでる?・・・屋敷の二階・・・火薬の臭い・・・ッ!
「二人とも・・・」
永井が狙っている事が理解出来た聖が、宝仙とクロに向かって叫ぶ一瞬前。
火薬の臭いに気が付いていたのであろうクロが、後方に向かって大きく跳躍する。
一方の宝仙は、屋敷の二階を一瞥すると、右後方にそびえている塀の上へと非難する。
バ、バァーン!
二発の乾いた銃声が辺りに木霊し、宝仙とクロが居た付近に着弾する。
「阿呆が、同じ手が二度通じると思ってるのか?」
塀の上から、永井を小馬鹿にしたような笑みを讃えて、宝仙が呟く。
聖は、二人の無事に安堵しながら、永井の様子を伺う。
「おやおや・・・ばれていましたか。」
人なつっこい笑みは相変わらずと言った感じで、困った顔をしている永井が目に映る。
-まだ何かを狙ってる・・・?
永井の様子から、感じた事が脳裏に浮かぶ。
考えが過ぎった直後。
ダァーン!
「・・・グッ!」
再び乾いた銃声が響き渡り、宝仙の苦痛な呻きが耳に届く。
急ぎ、宝仙に視線を巡らした聖の瞳に、その光景が映る。
腹部に着弾したのだろうか、宝仙は腹を押さえながら後方へと倒れ込む。
「し・・・しょう?」
唖然とその光景を見つめる事しか出来ない聖。
宝仙は、そのまま屋敷の外へと落ちていった。
「クッ・・・クックック。」
なにが可笑しいのか、聖の後ろからは、永井の笑い声が聞こえてくる。
「後はその小汚い狼だけだ!さっさと始末しろ!」
永井の号令を受け、藩士達がクロに襲いかかる。
その光景も、今の聖には遠い世界の出来事かのように映る。
『我を受け入れよ・・・』
不意に聞こえてくる声に従って、意識がどんどん遠ざかっていく事だけは理解出来た。
『我を受け入れよ。』
-・・・誰?
『我は、汝の中に在りし魂也。』
-あなたは・・・金色夜叉?
『我を受け入れよ・・・全てを受け入れよ・・・』
-・・・全て?
『死を受け入れよ・・・この世に生まれし者には、等しく訪れる物也。』
-死を受け入れるなんて・・・そんなの無理だよ。
『死を恐れる事なかれ、生を恐れよ。生を恐れる事なかれ、死を恐れよ。』
-よく解らない・・・
『例えるならば、それは光と影也。相反する二つの物は、交わる事無きにしろ、それは等しき物なり。』
-あなたと私は、同じだと言うの?
『我、汝の牙と成りて、汝を守りし者也、汝、我が心と成りて、我に平穏を与える者也。』
-でも・・・あなたは私の言う事を、いつも聞かないじゃない。そんなの勝手だよ。
『汝、我を受け入れなき故、我の平穏を乱す也。』
-それじゃまるで私の所為みたいじゃない!
『汝、死を恐れ受け入れずに居る也。・・・我は、死を招く者、汝と交わる事無きにしろ、近付く事可能也。』
-・・・近付く?
『相反する物、近付けばこそ、その存在を、お互いに認識する事が出来よう。』
-認識すれば・・・どうなるの?
『生は、死を受け入れ。死は、生を受け入れよう。』
-私があなたを理解出来ると言う事?
『例えるならば・・・人間は、生を祝福し、死を嘆く也。我等は、生を嘆き、死を祝福する也。これらは、全く異なる考えではあるが、生まれ、還ると言う事では、同義也。』
-でも、それではあなたを、完全に理解する事は出来ないよ?
『左様・・・お互い完璧に理解する事など不可能也。我は鬼、汝は人。種族の違う者同士なれば尚更・・・』
-だったら・・・
『が、我は汝を理解し続けよう。』
-え・・・?
『我は、汝に我を理解してくれる事を望む・・・我に平穏を与えてくれる事を望む・・・汝は如何様か?』
-私は・・・
『理解し続ける事により、生は死を祝福し、死は生を祝福するであろう。そして、生は死を拒み続け、死は生を拒み続ける。』
-・・・なんだか矛盾してるよ?
『何が正しく、何が間違っているかは、汝が決めよ・・・それが生を望む者の特権也。』
-私が決めるの・・・?
『我は汝の影、汝は我の光。光無き所に影は存在する事叶わぬ。光在る所に影は追従しよう。されど、忘れる事なかれ、光と影は対極せし物。立場が逆転する事無かれ。』
-・・・出来るかな・・・私に。
『汝は、汝の出来る事を。我は、我が出来る事を。汝の出来ぬ事を我が、我が出来ぬ事を汝が。』
-私に出来る事・・・あなたに出来る事・・・
『再度伺う。汝、我を受け入れよ・・・』
-私に、あなたを理解出来るか解らない・・・けど、理解したい。
『・・・それが汝の答えか?』
-うん・・・
『ならば、我に汝だけの名を与えよ。さすれば、我は汝の牙と成ろう。』
-名前?金色夜叉じゃ駄目なの?
『その名は、宝仙殿に賜った。我が宝仙殿を理解し続けた証なり。』
-あなたと師匠の絆・・・?
『我に名を与えよ・・・』
-あなたの新しい名前・・・金色の長い髪・・・龍・・・金華龍・・・
『金華龍・・・それが我の名か・・・?』
-うん・・・
『ならば、我が名を叫び、訴えよ!汝の成すべき事を!』
-私は・・・師匠を助けたい、私に出来る事をしたい!だから・・・力を貸して、金剛鬼神・・・金華龍!
それは、一瞬の事であった。
宝仙が屋敷の外へと消え、ジリジリとだが、確実に黒狼を追いつめていた。
そんな中、その場を指揮していた永井だけが、その光景を一部始終目撃していた。
それまで、全く微動だにしなかった少女の体が、突如として、異形の姿へと変わる。
その体が、異様に膨れあがり、着ていた着物がただの布きれと変わる。
小柄な少女の体が、倍近くまで膨れあがったかと思えば、黒い髪が金色へと変化する。
細く華奢な体が、岩を連想させる筋肉の鎧と化す。
体の至る所には、石のような物で出来た鎧のような物が、急所を守るかのように生えてくる。
手と足には、鋭く長い爪。
紅くぎらぎらと血走った瞳、口には、不揃いながらも、研ぎ澄まされた牙。
その額には、人間では決して存在する筈のない、長く鋭い角。
人々は、ソレを畏怖と暴力の象徴としてこう呼ぶ。
「・・・鬼。」
少女の変化を目撃し、唖然と呟く永井。
永井の呟きに反応し、鬼と化した少女が振り返る。
瞬間、疾走する馬にでも体当たりしたかのような衝撃が体に走り、後方へと吹き飛ばされる。
永井は、そこで初めて、自分の過ちに気が付く。
少女に人質としての価値は無く、少女こそ彼が求めた鬼を宿した者であった事に。
「・・・派手にやったな。」
撃たれた筈の宝仙が、庭園へと戻ると、すでに事は終わった後のようであった。
庭園の中央、裸で佇む少女と、それに寄り添う形で座っているクロを発見して声を掛ける。
「師匠・・・良かった、無事だったんですね。」
宝仙の声に気が付き、こちらを振り返ってくる聖。
「あぁ・・・こいつのお陰でな。」
そう言うと、懐に手を忍ばせ、壊れた箱を聖に見せる。
手のひら大の大きさのその箱は、蓋が完全に砕け、中に仕舞ってある煙管も真っ二つに折れていた。
「高いんだがな・・・」
「この機会に辞めたらどうですか?」
「馬鹿言うな、これは大人の嗜みだ。」
折れた煙管を見つめ、残念そうに呟く宝仙に、聖の小言が飛んでくる。
いつもの調子で、軽口を叩くだけの余裕はあるようだった。
不意に、辺りの様子を伺う。
「・・・誰も死んでませんよ、ちょっと気絶して貰っただけです。」
「・・・見れば解る。」
宝仙の行動の意味を察し、聖が先に口を付く。
聖の言うとおり、庭園に転がっている藩士達からは、微かな息づかいが感じ取れた。
一部には、腕や足が折れている者も居るようであったが、死人は一人も居ないようであった。
どうしたらこうなるのか、立派だった屋敷は潰れ、数人の男が瓦礫に挟まっていた。
宝仙は、手近に転がっている藩士から、着ている物を剥ぎ取ると、それを聖に被せる。
「良くやったな。」
そう言って、聖の頭に手を置き、くしゃくしゃとかき回す。
「私の力じゃありません、金色夜叉・・・金華龍のお陰です。」
「金華龍、それが新しい名前か。」
聖に起きた事を、理解した宝仙が、鬼神の新しい名前を呟く。
不意に、聖と目が合い、違和感を覚える。
「おまえ・・・聖か?」
「え・・・?」
問われた聖は、意味が解らないと言わんばかりに、訝しがる。
宝仙は、着物を掛けただけの少女の体を、しげしげと観察する。
「な、何ですか?」
宝仙の行動に、非難の声が聞こえてきたが、それはとりあえず無視する。
どこがどう違うと言うわけでもなく、そこに立っているのは、間違いなく宝仙のよく知っている聖に変わりはなかった。
しかし、彼女から醸し出される雰囲気は、今までの彼女ではあり得ない、妖艶さを感じて戸惑う。
「師匠?」
「あ?・・・あぁ。」
聖の声に我に返り、観察する事を中断する。
聖から視線を転じ、瓦礫と化した屋敷へと顔を向ける。
「あの人と師匠が交わした話を、詳しく教えて貰いたいんですけど・・・」
あの人とは、永井の事なのだろう、先程交わした会話とは、『刹那』の事を意味している事が解った。
宝仙は、暫く考えを巡らし、不意に口を開く。
「聖、俺達の荷物はどこだ?」
「え?えっと・・・」
暫し考えて、崩れた屋敷の奥の方、まだ崩れずに残っている場所を指差し答える。
「あそこに閉じこめられていて、荷物もあの辺りの筈です。」
「そうか・・・ならおまえは、そいつと一旦この場から離れろ。」
そう言って、顎でクロを差して促す。
「翁の所で待っててくれ、後で俺も行く。」
宝仙の言葉に、黙って頷いてみせるクロ。
それを了承と受け取った宝仙が、屋敷に向かって歩き出そうとする。
「師匠!」
宝仙とクロのやりとりに納得いかないといった感じで、聖が声を荒らげる。
聖の方を振り向くと、頭を掻いてため息を吐く。
「話は後だ・・・ここに来る前に、奉行所に手紙を置いてきた。恐らく・・・後一刻もすれば、ここに役人が押し掛ける。そうなったら面倒だからな。」
「・・・後でちゃんと説明してくれますか?」
「あ~・・・解ったよ。」
聖の雰囲気に飲み込まれてか、不承不承に返事を返す。
「解りました・・・その翁って人の場所で待ってます。行こクロ。」
まだ納得はして居ないのであろうが、止む終えずと言った感じで、クロと共に敷地の外へと歩いて行く。
「・・・さてと。」
聖とクロが見えなくなるまで見送り、宝仙は崩れた屋敷の方へと歩き出す。
歩く場所を探し、聖が指し示した場所まで赴く。
「・・・よう。」
暫くして、目的の場所付近の廊下に、見知った人物を発見する。
「おや・・・生きていたのですか・・・運が強いですね・・・」
人の良さそうな笑顔は相変わらずだが、その顔はあきらかに苦痛を讃えている永井が、そこに倒れていた。
先程永井と対峙した場所から、真っ直ぐ後ろの廊下だった為、恐らくここまで廊下に沿って吹き飛ばされたのであろう。
「災難だったな、こんな立派な屋敷も滅茶苦茶になっちまったし。」
「フ・・・あなた・・・嫌な奴って、言われませんか?」
宝仙の軽口に対し、苦痛に歪む顔で、憎まれ口で返される。
永井の憎まれ口に、苦笑を浮かべる。
不意に、その顔が真剣な眼差しへと変わる。
「奴は、今どこに居る?」
一言一句、しっかりとした口調で、言葉に怒気すら含ませながら問いただす。
「生憎と・・・あの方が、今・・・どこに居るかは、存じません・・・」
宝仙の問い掛けに、所々詰まりながら、困った顔を浮かべて答える。
「そうか・・・もうすぐここに奉行所の奴等が来るだろうよ。」
「そう、ですか・・」
宝仙の言葉を聞いても、全く動じた様子もなく、悟っているかのような雰囲気すら感じる。
「おまえが何も知らないってんなら、俺はそろそろ行かせてもらうぜ。」
「・・・私を、殺さないのですか?」
不思議そうに、宝仙を見つめて聞き返される。
「馬鹿弟子が、苦労してようやく制御出来たんだ・・・ここで俺が水を差すなんて野暮だろ?」
「会津藩に・・・この事を言えば・・・あなた達は、また狙われますよ?」
永井に背を向け、自分たちの荷物を探そうとしていた宝仙は、振り返り、事も無げに言い返す。
「そん時は、そん時さ。・・・第一、反逆者のおまえの言い分なんざ、誰も聞かないだろうし、最初から言うつもりなら、反逆なんぞ考えるはずもない。」
「フッ・・・全てお見通し・・・と言うわけですか・・・確かに、そうかもしれませんね・・・」
苦笑しながら、天を仰ぐようにして目を瞑る永井。
そんな彼を背に、宝仙は歩き出す。
「西へ・・・それだけ言って、あの方は・・・行ってしまわれました。」
「・・・そうか。」
不意に聞こえてきた言葉。
その言葉を聞いても、宝仙は立ち止まることなく先を進む。
陽が昇り始め、辺りが明るくなり始めた頃。
自分たちの荷物を発見した宝仙は、一路翁と出会った洞窟へと向かうのだった。
永井の屋敷を出て、翁と出会った洞窟に着く頃には、すでに陽は上がりきり、昼前を迎えていた。
「遅かったのぉ。」
洞窟の入り口から、少し離れた場所に座っている翁が、宝仙の姿に気が付き声を掛けてくる。
「あぁ・・・聖は?」
翁の挨拶に相づちを打つと、自分の弟子の姿を探す。
「ホッホ、中で眠っておるよ。」
言われ、洞窟の入り口から中を覗く。
翁の言うように、クロを枕代わりにして眠りこけている、聖の姿を発見した。
その姿は、まるで母猫が子猫を抱いて眠っているかのようであった。
「よほど疲れていたんじゃろうのぉ・・・無理もない。」
聖の存在を確認すると、起こさないようにしながら、翁の隣に座る。
「・・・手がかりは、掴めたかのぉ?」
「・・・どうせ見てたんだろ?」
「ホッホ。」
翁の言葉に、やや呆れ気味で答える。
当の翁は、口ひげを撫でながら戯けた笑顔を見せている。
「して、彼女には話すのかのぉ?」
真剣な表情に変わったかと思うと、眠っている聖の方向に視線を移す。
翁が何を言いたいのかを理解して、視線を彷徨わせる。
「・・・あいつには関係ない事だしな。」
その問いに、曖昧に答え、黙り込む。
「・・・ふむ。」
宝仙の答えに、暫く考える素振りを見せてから、相づちを打つ。
「儂の与えた刀は、役にたったかのぉ?」
それ以上、その話には触れて欲しくなかった宝仙の心を読んでか、不意に話題が変えられた。
「こいつか・・・」
問われ、腰に差していた短刀を引き抜き、見つめる。
昼の光を浴びて、一際輝くその妖刀。
「この刀・・・俺を取り込もうとしやがる。厄介な代物だ。」
「ふむ、じゃがお主ならそれを使いこなせるじゃろうて。」
宝仙が見つめる短刀を、同じように見つめて静かに語る翁。
「いい加減教えてくれないか?あんた、先読みも出来るんだろう?こいつが何故俺に必要なのか・・・」
それまで見つめていた短刀を降ろし、真剣な眼差しそのままで、翁を見やる。
宝仙の視線から逃れるかのようにして、俯き考える翁。
「・・・先読みと言っても、儂のはそれほどはっきりと視える訳でもないのじゃ・・・漠然としたいくつもの映像の中に、その短刀が視えた。」
「つまり・・・こいつが吉となるか凶となるかも解らない・・・と?」
翁の言葉を静かに聞いていた宝仙が、不意に口を挟む。
それに対し、翁は無言で頷き、宝仙の問いかけを肯定した。
「そうか・・・」
そう呟くや、宝仙は立ち上がり、洞窟の入り口に向きやる。
「もう良いのか?」
「それだけ聞けばな。大体、運命なんざ糞喰らえだ。俺の未来は、俺が決める。こいつが吉に成るも、凶に成るも俺次第だろ?」
「ほっほ・・・お主らしい答えじゃな。」
笑顔を浮かべて、宝仙を見上げている翁。
不意に、その笑顔が消えたかと思うと、また真剣な顔つきに変わる。
「じゃが・・・これだけは聞いておけ。蛇に気を付けよ。」
「蛇・・・?」
翁の言葉を復唱し、振り返った時には、その顔はまた笑顔に戻っていた。
「これからどうするのじゃ?」
『蛇』と言う単語が気にはなったものの、問いつめることなく、質問の意味を理解して答える。
「とりあえずは・・・江戸だな。江戸に出て、西・・・京を目指そうと思う。」
「江戸・・・京か・・・どちらも大きな都じゃな。」
「うぅ~・・・ししょ~?」
不意に洞窟の方から声がして、そちらを振り向くと、起きたばかりの聖が、眠そうな目を擦りながらこちらを見ていた。
「なんだ、起きたのか。」
「うぅ~・・・おひゃようございまひゅ・・・」
寝ぼけているのか、あくびをかみ殺しながら朝の挨拶をしてくる。
「もう昼だぞ・・・」
呆れながらに呟き、聖の元まで歩いていく。
「・・・こんにちは?」
まだ半分寝ているのか、薄目を開けた状態で、訳のわからない事を口走る。
ピシッ!
「痛ッ!」
そんな聖の額に、宝仙のでこぴんが炸裂する。
「い、痛い・・・」
驚くほど綺麗に決まったでこぴんの場所を、右手で押さえながら、聖は宝仙を睨んでいる。
「起きたか?」
そんな聖を涼しい顔で見ながら、悪びれた様子も無い。
「もぉ~、いきなり何するんですか。」
額に添えた右手で、患部を撫でながら、非難の声を上げている。
その仕草を見ながら、数刻前の様に聖を観察する。
聖の恰好は、相変わらず着物一枚の状態こそ、そのままだったが、宝仙の良く知っている少女が立っている。
数刻前に感じた妖艶さは消え失せ、年相応の少女に戻っていた。
「な、何ですか?」
宝仙の行動に、顔を赤らめながら、腕で体を隠すようにする。
「いや・・・何でもない。」
歯切れの悪い答えを返して、観察を中断する。
「そうだ!それより約束ですよ、話してください。」
数刻前のやりとりを思い出したのか、突然叫んだかと思うと、真剣な眼差しで宝仙に詰め寄る。
それに動じることなく、宝仙は目を瞑るとゆっくりと口を開く。
「・・・その前に、おまえに話しておく事がある。」
「え?・・・突然なんですか?」
宝仙の表情が、今までになく厳しい事に気が付き、たじろぐ聖。
「これは・・・おまえが、鬼神を操る事が出来るように成ったら言おうと思っていた事だが・・・おまえ、これからも俺と旅を続けるか?」
「・・・え?」
唐突に告げられた言葉に、理解出来ていない聖を見やりながら、先を続ける。
「おまえも知ってるように、一旦おまえに移した鬼神の魂は、宿主が鬼神を服従させられるまでは、宿主と一体化してしまう。だが、使役出来るようになれば、俺に還す事が出来る。・・・俺がおまえに移したように・・・な。」
「・・・何が・・・言いたいんですか?」
宝仙の言わんとしている事は、聖にも理解出来ている筈である。
しかし、それを認めようとはせずに聞き返してくる。
仕方なく、宝仙は決定的な言葉を放つ。
「つまり・・・おまえが望むならば、制御の法を学んだ後、俺に鬼神を還して、普通の生活にも戻れるって事だよ。」
一言一句、聞き逃す事無いよう、はっきりとした口調で言う。
「嫌です!」
「・・・は?」
いきなりの事で、聖も少々考えてから答えてくると思っていたので、間髪置かずに帰ってきた答えに、間の抜けた声が漏れる。
「私は、これからも師匠と一緒に旅を続けます。」
「おまえ・・・もうちょっと考えてから言えよ・・・」
強い眼差しで、はっきりと言い切る聖に、呆れながら呟く。
「だって・・・私、師匠に恩返しも出来ないまま、お別れなんてしたくありません。」
「恩返しって・・・あのなぁ。おまえも解ってるだろうが、俺と居れば、今回みたいな事がいつ何時あるかもしれないってのに。怖い思いしてまで、なんでそんな事に気を回す必要がある?」
「それは・・・」
宝仙の何気ない一言に、口をもごもごさせながら、頼りなく視線を巡らせる聖。
「ホッホ、仲が良いのぉ。」
それまで静かにその光景を眺めていた翁が、二人の会話に口を挟む。
「良いではないか、お嬢ちゃんがそう言っておる事じゃし。」
「・・・何無責任な事言ってんだジジィ。」
いきなり口を挟んできた上、聖の肩を持つ翁をジト目で睨む。
そんな宝仙の視線を全く意に介した様子もなく、笑顔を絶やす事なく続ける。
「それに、さっきお主が言っておったであろう?己が未来は、己で決めると・・・吐いた唾は戻せぬぞ?」
「む・・・」
先程宝仙が言い切った事が仇となり、揚げ足を取られる。
「そ、そうですよ!私は師匠と一緒に行きます!」
「チッ・・・好きにしろ。」
ここぞとばかりに、二人に責められ、折れたのは宝仙の方だった。
「あのぉ~。」
「今度は何だよ!」
申し訳なさそうに、宝仙を伺ってくる聖に、やや不機嫌そうに対応する。
「クロも・・・良いですよね?」
そう言って、いつの間にかやって来ていた黒い狼を差して聞いてくる。
指し示された大きな狼からは、相変わらず気配がほとんど感じ取れなかった。
「・・・勝手にしろ。」
宝仙の言葉を聞いて、パッと明るい表情になった聖は、そのまま巨大な狼に駆け寄り抱きつく。
宝仙は、少し疲れた表情をしながら、翁の方へと歩み寄る。
「ホッホ、うまく誤魔化したもんじゃな。」
「あいつには関係ない事だからな・・・」
今までの会話が、聖との約束を誤魔化す為でもあった事を見抜かれ、苦笑を浮かべながら返す。
「あ~っ!!」
不意に聞こえてきた、聖の驚いたような声に、その方に振り向き、声を飛ばす。
「今度は何だ~?」
「クロが喋りました!」
「今知ったんかい!!」
今更ながらの事に驚く聖に、宝仙の叫びが森に木霊する。
穏やかな昼下がり、一人の少女の決断と、新しい旅の仲間が出来た日の出来事。
くすぐったいような感覚が、宝仙を取り巻いていた。
04.10.01
by神無月拓楼




