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宝仙伝  作者: 神無月拓楼(旧HN現武壱)
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聖・再誕之章

意識が朦朧とする、背中が熱いのに何かが抜けていく感覚。

立っているのか倒れているのかすら解らない。

怒り、悲しみ、憎しみ。

負の感情で心が満たされる。

このままではいけない、そう感じるも指一本動かす事が出来ない。

 頬に感じる冷たい何か、それが大地だと気付くまでにどれだけの時間がかかっただろうか。

全身が、横たわった大地と同じくらいに冷たい。

体が冷たくなるにつれて、心を満たした感情が一際膨れあがる。

 焼けるように熱い背中の感覚が消え、何も感じなくなる。

何も考えられなくなり、思考もそこで停止する。

先ほどまでの感情も消え失せる。

しかし、喪失感と虚無感だけは、はっきりと感じられた。

 ゆっくりと、ただゆっくりと堕ちていく。

その先に何があるのか、それが何を意味しているのか。

思考の止まったはずの頭に映し出される。

 死。

生命に必ず訪れる、冷たくも暖かい息吹。

その息吹が、今まさに彼女を包み込もうとしていた。

「おいガキ、聞こえるか?」

 遠くから声が聞こえた気がした。

だが、彼女にはそれが夢か現かを確かめる術は残されていなかった。

「死んでるんだったら答えなくても構わんぞ。」

 また声が聞こえた。

今度ははっきりと聞こえる。

力強く、冷静な男の声。

 彼女は、残された時間と力を使って、首だけを声が聞こえた方へと向ける。

「ぁ・・・」

 首を動かす事が出来ても、声を発する事はもう出来ない。

それでも彼女は、唇だけで助けを求める。

「・・・生きたいか?」

 一拍置いて告げられる男の声、もう手が付けられない状態なのであろう事は彼女にも解っている。

全てが手遅れ、全てが戻らない。

虚無感、喪失感。

 改めてその事に気が付いた彼女は、そこで初めて涙を流した。

「・・・生きたいか?例えどんな形であろうと、おまえは生を望むか?」

 彼女の耳に再び男の声が聞こえる。

男が何を言いたいのか、彼女には理解出来なかった。

それでも、静かに泣く彼女は、体の底から沸き上がる感情を口にする。

「ぃ・・・いき・・・」

 -ワタシハ・・・イキタイ・・・



 緑の濃い森の細道に、対峙する二つの影がある。

 一方は人間の男で、錫杖を構えている坊主のようだ。

男の名は宝仙、旅の僧であった。

その瞳は鋭く、坊主にしては珍しく、髪を伸ばしている。

 もう一方は、宝仙よりも一回りほど大きい猿。

鋭い牙と爪で対峙している宝仙を威嚇している。

対峙に痺れを切らした妖猿は、大地を蹴り宝仙へと襲いかかる。

その巨体からは想像もつかない素早さで、対峙していた距離が一瞬にして縮まる。

妖猿の鋭い爪が容赦なく宝仙へと繰り出される。

当の宝仙は、顔色一つ変えず、体の重心を左に傾け、繰り出された爪を容易く外した。

宝仙は、間髪入れずに手にした錫杖を妖猿へと突きつけ、左手で梵字を描き叫ぶ。

「ヴァジュラヤクシャ!」

ドン!

梵字に込められた言霊を、梵名を叫ぶ事により解放する。

鈍い音を発てて、妖猿の腹がへこみ、後方へと吹き飛ばされる。

「ギィ・・・!」

法力の威力をまともに受けた妖猿の顔が苦痛に歪む。

宝仙は、更に追い打ちを打つ為に、懐に手に仕舞って置いた独鈷杵を右手指に四本挟み、妖猿めがけて投げつける。

放たれた四本の独鈷杵は、妖猿の上半身に命中する。

命中を確認にした宝仙は、錫杖を手放し、再び懐に手を入れると、今度は三鈷杵を取り出し、両手で構える。

「これで終いだ。」

呟き、妖猿に向かって駆け出す。

それに気付いた妖猿も、負けじと構えを取る。

宝仙は、全く意に介す様子もなく、そのままの速度で突っ込む。

「キィ!」

「オン バザラヤキシャ ウン!」

双方が叫びを上げ、宝仙の手にした三鈷杵と、妖猿の爪が交錯する。

ドンドドドン!

宝仙の真言の叫びに、妖猿の体に突き刺さっていた独鈷杵が共鳴し、弾ける。

「グギ・・・」

独鈷杵が弾けた勢いで、妖猿の動きが止まる。

その隙を付いて、右手に持った三鈷杵を、妖猿の胸に突き立てる。

ブスリ・・・

宝仙の右手に、肉を刺す感覚が伝わってくる。

「キィィィィィー!」

肉を裂く痛みに、たまらず叫びを上げる妖猿。

左手に残った三鈷杵を、妖猿の眼前へと掲げる。

「オン!」

両手にした三鈷杵から光が発せられる。

「バザラヤキシャ ウン!」

真言を唱え終わると同時、三鈷杵の光が膨れあがり、妖猿を包み込む。

「ギィ・・・ギイィィィ!」

妖猿の断末魔の叫びが空気を振るわせる。

光が消えた後には、妖猿の姿は消え去っていた。



「師匠、大丈夫ですか?」

離れた場所で、事の成り行きを見守っていた少女が宝仙の元へと駆け寄ってくる。

少女の名前は聖、宝仙の弟子であった。

まだ幼さの残る顔立ちで、長い髪を後ろで束ねている。

「あんなのにどうこうされる俺かよ。」

聖の問いかけに対し、宝仙はにぶっきらぼうに答えると、先ほど放り投げた錫杖を拾いに行く。

「でも珍しいですね、師匠が妖怪退治を受けるなんて。」

二人は、この林道の先にある宿場町に滞在するつもりであったが、そこで妖怪退治を依頼されたのであった。

いつもなら渋るはずの宝仙が、今回はすんなり依頼を受けた為、聖は疑問に思っていたのである。

「あぁ、洒落で宿代タダにしろって言ったら、すんなり通ったからな。」

「・・・なんだ、やっぱり裏があるんだ。」

宝仙の解答を聞いて、呆れてため息を吐く。

「阿呆、こちとら命がけでやってるんだ。タダでこんな事するかよ。」

聖の呟きに、ムッと来た宝仙が、睨んで凄む。

「そうかも知れませんけど・・・だからって自分から報酬をせがむ僧侶がどこに居るんですか?」

凄む宝仙に、聖も負けじと反論する。

聖の説教など、全く意に介さずに、鼻で笑って言い返す。

「おまえの目は節穴か?ここに居るだろうが。」

「・・・聞いた私が愚かでした。」

宝仙の切り返しに、疲れたような顔をして頭を押さえて呻く聖。

「ったく、こんな所で漫談なんぞやらせるな。とっとと宿に行くぞ。」

言うが早いか、宝仙は宿場町の方へと歩き出した。

「あ、ちょっと待ってくださいよ!」

遅れて聖も、小走りで宝仙に追いつき、並んで歩く。

付かず、離れず。

互いが互いの歩調に併せて歩く。

-いつからだろう・・・師匠と並んで歩くようになったのって。出会ったばかりの頃は、いつも背中ばかり見てたのに。

ふと頭を過ぎった疑問に捕らわれ、横を歩く宝仙の顔を伺う。

「うん?何だよ。」

視線に気が付いた宝仙が、顔を向ける。

「いえ、師匠と出会った頃は、師匠の後ろを歩いていたな~って思って。」

頭を過ぎった事を、そのまま宝仙に話す。

「あっ!思い出した。」

聖は、いきなり叫びだしたかと思うと、手を打つ仕草をして話し出す。

「昔、師匠が熱を出して寝込んだ時に・・・」

ゴン!

聖が喋り終わる前に、宝仙はその頭頂部に拳をたたき込む。

当の聖は、頭を両手で押さえ、非難の目で宝仙を見やる。

「いきなりなにするんですか!」

「ったく、くだらねぇ事思い出してんじゃねぇよ。」

「もぉ~!舌噛んじゃったじゃないですか・・・」

聖の非難の声をあえて無視すると、視線を前に戻して歩く。

「都合が悪くなるとすぐ黙るんだから・・・」

呆れたように言うと、ため息を吐いて宝仙の後に続く。

-あれから二年か・・・

出会った頃を思い出してか、些細な事がまた頭を過ぎり足を止める。

楽しかった事や悲しかった事。

嬉しかった事や辛かった事。

色々な感情が押し寄せては消えていく。

「何してる、置いていくぞ。」

「あ、は~い!」

宝仙に呼びかけられて我に返る。

気が付くと宝仙との距離が大分開いていた。

随分な時間を物思いに耽っていた事に自嘲する。

「今行きます!」

言って聖は走り出す。

宝仙に追いつくように、置いて行かれないように。

足に力を込めて走る。

宝仙に追いつくと、その横に並んで歩く。

付かず、離れず。

これまでがそうだったように、これからもそうであるように。

ふと沸いてくる感情に対し聖は苦笑する。

宝仙に気付かれたら、また殴られそうなので、悟られぬように。

二人の目の前に、目的地の宿場町が見えてきたのは、それからすぐの事だった。


宿場町に着いた二人は、適当な宿を選ぶと、荷物を部屋へと置き、早々に風呂へと向かう。

「ふんふんふ~ん♪」

温泉に入れる事が相当嬉しいのか、浮かれ気味に、鼻歌を歌う聖。

-温泉なんて久しぶりだな~。

宝仙がなにか話しかけているようだったが、それすら耳に届いておらず、頭の中は温泉の事で一杯のようだ。

痺れを切らした宝仙が、少々声を荒らげて聖に話しかける。

「おい!聞いてるのか?」

「へ?何がですか?」

宝仙の語りを、全く聞いていなかった聖は、疑問符を浮かべながら宝仙の顔を見やる。

そんな聖を見て、長いため息を吐いて頭を抱える。

「・・・もういい。そのうち解る事だしな。」

「え?何の事ですか?」

訳がわからないと言わんばかりの顔で宝仙を見やるが、宝仙はそれっきり口をつぐんでしまった。

「気になりますよ~、教えてください。」

「知らん、さっさと風呂に行くぞ。」

不機嫌そうに答え、少し早歩きで宿の廊下を歩く宝仙。

「あっ!待ってくださいよ~。」

宝仙の後を追いかけるように、聖も歩く速度を速める。

その時、先の方からこちらに向かってくる人影に気が付いた。

おそらくは他の宿泊客なのであろう、刀こそ差してはいなかったが、侍の恰好をした若い男だった。

その侍と、聖達はすれ違う。

聖は、すれ違う瞬間会釈をする。

侍もそれにならい会釈をして廊下の奥へと去っていった。

「今の男・・・」

すれ違いざま、宝仙は立ち止まり、侍が去っていった廊下の方を見やる。

「どうしたんですか?」

「・・・いや、何でもない。」

そう言うと、視線を元に戻し、また歩き出す宝仙。

聖は、少し気になって、侍が去っていった方へ目を向けるが、すでに侍は角を曲がったのか、その姿を確認する事は出来なかった。

脱衣所で着物を脱ぎ、手拭いで前を覆いながら浴場への戸を開く。

「わぁ~。」

浴場だと思っていたが、実際は露天風呂に直結していたらしく、眼前には紅葉で彩られた山々が望めた。

夕刻と言う事もあり、夕焼けの赤で一層映えて美しく見える。

聖以外誰も居らず、貸し切り状態でこの眺望を楽しんでいた。

ガラガラ・・・

暫く山々の眺望を楽しんでいたところに、聖が入ってきた入り口の隣にある戸が開かれる。

「な?!」

開かれた戸から出てきた人物を見やり、聖の動きが止まる。

「なっななな、なんで・・・」

ふるふると震える指で、その人物を指す。

全く想像していなかった事態の為、心臓の鼓動が早くなるのが自身にも解る。

「なんで師匠が女湯に居るんですか?!」

露天風呂に入って来た人物の名を叫ぶ。

呼ばれた張本人の宝仙は、呆れたような顔で聖を見やり、ため息を吐いていた。

「・・・ここの風呂は混浴だと、廊下で話して置いたんだがな。」

「そ、そんな話し聞いてませんよ!!」

言われた聖は、しどろもどろになりながら言い返す。

「てめぇが俺の話を聞いてなかっただけだろうが!」

ゴン!

痺れを切らした宝仙が、本日二度目の拳骨を、聖の頭頂部に叩き込む。

聖は、痛みのあまり頭を押さえてうずくまる。

「うぅ・・・」

「ったく!浮かれるのは勝手だが、話しぐらい聞いておけ。」

「す、すいませ・・・」

俯いて痛みを堪えていた聖が、謝罪を述べようと顔を上げた瞬間、言葉を止めて目に映った物を凝視する。

「き。」

「き?」

聖が何が言いたいのか解らず、宝仙はオウム返しで聞き返す。

「きゃあああぁぁぁー!!」

一拍置いて、力の限り大声で悲鳴を上げる聖。

あまりの大音量の為、宝仙は耳を塞ぐ。

「前!前!前!前!ま・え!」

その場でピョンピョンと飛び跳ねながら、指を指し、意味不明の言葉を繰り返す。

「なんだよ一体!」

相変わらず耳を塞ぎ、苛立たしげに叫ぶ。

「なんで前隠してないんですか!!」

「風呂入るんだから裸になるのは当たり前だろうが!!」

聖に吊られ、宝仙も叫んで答える。

「だからって、変な物見せないでください!!」

「うるせぇな!てめぇが勝手に見ただけだろうが!」

「じゃぁさっさと隠してくださいよ!」

隠せと言われ、宝仙は呆れたような顔をして聖を見やる。

「・・・自分がどういう恰好してるか解ってて言ってんのか?」

半眼になって聖の全身を見やりながら呟く。

それにつられる形で、聖も自分の姿を確認する。

興奮と動揺のあまりに、飛び跳ねたり、手を振り回したりしていた結果。

「い・・・」

一糸纏わぬ姿を晒していた。

「いやあああぁぁぁー!!」

本日二度目の絶叫。

何となく結果が読めていた宝仙は、素知らぬ顔で耳を塞ぐのであった。



辺りが薄暗くなり、夜の闇はすぐ其処までやって来ていた。

「イテテ・・・何で俺がこんな目に遭うんだよ。」

部屋へと続く廊下を、一人歩きながらブツブツと文句を垂れる宝仙。

その顔には、四本の赤い筋が浮かんでいた。

露天風呂での騒動の後、聖は悲鳴を上げながら宝仙の顔を引っ掻き、そのまま部屋へと戻っていってしまったのであった。

「ったく!ガキがませやがって、見られて困るほどのもんでもねぇだろうに。」

いつになく不機嫌に廊下を歩く宝仙、暫く歩き続け自分たちの部屋へと辿り着く。

「・・・締め出し喰らったら洒落にならんな。」

ふと思った事に苦笑しながら、部屋の戸に手を掛ける。

難なく開いた戸に、少なからず安堵しながら部屋へと入る。

-根に持たれたらたまらんしな・・・一応謝っておくか。

「聖。」

部屋に入り、弟子の名前を呼ぶも、返事は返って来なかった。

-ったく、相当怒ってんのか?

呆れながら部屋の奥へと移動した所で、そうでない事に気が付く。

「・・・居ないのか。」

部屋をぐるりと見回し、聖が居ない事を確認する。

「・・・うん?」

ちょうどその時、部屋の壁に何かが貼られている事に気が付く。

無言でそれを手に取り見やる。

「フッ・・・」

-全く、呆れるぜ。

紙を片手で握り潰すと、部屋の隅に立て掛けて置いた錫杖を手に部屋を出る。

錫杖からは、歩くたびに鈴に似た音が奏でられる。

「おや、御坊様。・・・もうすぐ夕餉ですが、お出かけですか?」

部屋を出て、宿の入り口に向かう廊下の途中、宿の仲居が宝仙を呼び止める。

宝仙の出で立ちに訝しがっている様子だ。

「あぁ、一刻程したら戻る。料理は出して置いてくれて構わない。」

「左様ですか、ではお気をつけて。」

「あぁ・・・」

当たり障り無く会話を終わらせると、仲居は仕事に戻っていった。

宝仙は、仲居を見送ると、また歩き出す。

-どこの誰だか知らんが、俺に喧嘩を売るとは良い度胸だ。

宿の入り口を出て、町外れの寺へと足を向ける。

〈娘は預かった、返して欲しくば町外れの廃寺まで来られたし。〉

宝仙が握り潰した紙には、それだけが殴り書かれていた。

宿を出た宝仙を、秋の虫達の合唱が出迎える。

空には、綺麗な満月が佇んでいた。



「ん・・・」

-お腹が痛い・・・

腹部を襲う鈍痛によって目を覚ます聖。

「んん・・・?」

-なんで私縛られてるの・・・?

目が覚めた事により、自分がどういう状態なのかを把握する。

聖の体は、手足を縛られ、猿ぐつわを噛まされ、完全に体の自由を奪われた状態で木により掛からされていた。

「んー!んー!!」

拘束を解こうと一生懸命藻掻くも、固く結ばれた縄が肌に食い込むだけで、一向に解ける気配は無い。

「あん・・・?へっへっへ、お~いお姫様のお目覚めだぞ、」

-え・・・誰?

そこで初めて、その場に自分以外の者が居る事に気が付く。

少し離れた場所に、たき火の灯りが見え、そこに二十人ほどの集団が談笑して語り合っていた。

その集団の一人が聖に気づき、他の者達に知らせる。

知らせを受けた男達は、聖を取り囲むようにして立つ。

「・・・おい、猿ぐつわを解いてやれ。」

集団の頭領らしき男が、手近にいた男に命令する。

命令を受けた男が、指示に従い、聖に施された猿ぐつわを解く。

「ップハ!・・・あなたは、旅館の廊下ですれ違ったお侍様?」

自由になった口で、気が付いた事を口にする。

頭領と思われる男は、薄く笑うと見下したような態度で口を開く。

「覚えていてくれて光栄だな。しかし、それ以前に君とは出会っているんだが・・・覚えているかな?」

「え・・・それってどういう事ですか?!」

宝仙と共に旅をしてきて、今以上の危機を体験した事のある聖だったが、男の言葉を聞いて、心臓が早くなるのを感じる。

-会ってる・・・私は確かにこの人に会った事がある。

その男の醸し出す雰囲気、ねっとりと体にまとわりつくような独特の殺気。

その殺気は確かに感じた事のある物であったが、それをいつ感じたのかが思い出せない。

「クックック・・・思い出せないか、無理もないな・・・」

「あなた・・・一体?」

聖の問いに一瞬間を置いた男が、周りの男達に目配らせをする。

「まだ時間がかかるだろうし・・・おまえら、少し遊んでやれ。」

「え?!」

男の言った言葉の意味を察し、驚愕の表情を浮かべ男達を見回す。

下劣な笑みを浮かべてこちらに近寄って来る男達を見て、これから起こるだろう事に恐怖する。

「おまえには用はないのでな、そいつ等を楽しませてやってくれ。」

冷徹な瞳で、聖を見やり薄笑いを浮かべる男。

ビリリー!

「ッ?!イヤァー!」

聖に近づいた男の一人が、胸ぐらを掴むと思い切り着物を引き裂く。

別の男が足の縄を解き、両手で掴んで大きく開かせる。

縛られた手で必至に抵抗するも、難なく押さえ着けられてしまう。

-いや・・・やだぁ・・・助けて。

目を瞑り、現実から逃避しようとするも、体中を這う男達の手の嫌悪感で否応なく現実へと引き戻される。

「ふぅ・・・全く、どんな奴かと思えば・・・こんなくだらん下劣共とはな。」

目を瞑っていた聖の耳に、聞き慣れた声が聞こえる。

声が聞こえたのを機に、体を這う男達の手がピタリと止まる。

「早かったな・・・もう少しかかると思っていたんだがな。」

頭領らしき男が、声が聞こえて来た方向を向いて口を開く。

今まで聖に覆い被さって居た男達も、声の主に向き合う形で立ち上がる。

「師匠!」

安堵の表情を浮かべて、声の主に向かって叫ぶ聖。

「・・・良い格好になったじゃねぇか、もう少し遅く着いた方が良かったか?」

聖の姿を確認した宝仙が、戯けた表情で軽口を叩く。

「その馬鹿を返して貰おうか。」

戯けた表情が、一転して殺気を含んだ顔へと転じる。

「・・・おい。」

頭領らしき男が、首を動かして合図を送る。

合図に察知した男の一人が、聖に近づき、手を縛っていた縄を解く。

体の自由を取り戻した聖が、宝仙の元へ向かうべく、立ち上がり走り出す。

「師匠ー!」

目尻に涙を浮かべながら、宝仙を呼ぶ聖。

男達の間を通り抜け、頭領らしき人物の横を過ぎ去ろうとした瞬間。

「ッ!!聖!」

ザシュ・・・

頭領らしき男が、腰にした刀を抜き放ち、聖の背中を斬りつける。

「あ・・・?」

背中が焼けるような感覚が体を駆けめぐり、その場に倒れ込んでしまう聖。

「ハッハー!無事に返すとでも思ったか?!俺はただあの時の仕事の続きをする為に、わざわざこんな茶番を仕立てたのさ!」

「・・・てめぇ!」

怒気を孕んだ声音で、男を睨み付けるが、何が可笑しいのか、顔を手で覆い高笑いを上げる男。

-そうだ・・・あの時と・・・お・・・

そこまで考えて、聖の思考は停止する。

聖は、暗い闇へと堕ちていった。


「・・・あの時の仕事だと?」

聖を斬りつけた侍を睨み付けながら、平静を保とうと努める宝仙。

「ようやく思い出したぜ・・・貴様二年前の下劣野郎か。」

「ほぉ、思い出してくれたか。あの時もこんな感じだったなぁ・・・この娘が俺に斬られ、貴様がその場に姿を現した。」

冷笑を浮かべながら、宝仙の問い掛けに答える侍。

右手に携えた刀からは、聖を斬るつけた際に着いた血が滴り落ちている。

宝仙と話していた侍は、言葉を切り周りに居る仲間達をぐるりと見回す。

「・・・ただ一つ違うとしたら、あの時は俺達だけであったがな。」

「だからどうした・・・俺を殺したいならこの倍は連れて来い。」

語り合う最中でも、侍から目を離さず緊張を緩めない。

「クックック、強がりを・・・少しは腕が立つようだが、所詮は坊主。そんな錫杖で我らを相手にするつもりか?」

「・・・」

嘲笑いながら言う侍に、宝仙は口を噤んで、戦闘態勢に入る。

左足を前に出し、錫杖を斜めにして構える。

重心を後ろに傾け、右足に力を込めていつでも跳びかかれる体勢を維持する。

「まぁそう事を急ぐな、貴様に一つ確認したい事があるのだ。」

侍の言葉を聞き、その体勢は維持した状態で耳を傾ける。

宝仙が無言で居る事を了承したと受け取り、侍が後を続ける。

「聞きたい事はただ一つ、何故この娘が生きている?あの時、まだ息があったようだが、確かに致命傷を負わせたはずだ・・・今日貴様等の姿を目撃した時は、さすがに我が目を疑った。」

相変わらず、人を見下した目で大仰に言う侍。

その目からは、微塵も驚いたという感情は見受けられない。

そんな侍を睨んでいた宝仙が、不意に鼻で笑うと構えを解き、声に出して笑い出す。

「クックック・・・」

「・・・何が可笑しい。」

宝仙の態度に、今まで浮かべていた冷笑を消すと睨みやる。

「いや・・・全く気が付かないとはな、下劣な奴だけにおつむが足りていないようだと思ってな。」

「・・・何?」

言い終わっても笑い続ける宝仙を見て、侍の顔がみるみる激昂していく。

侍の様子を見て、一旦笑いを堪える宝仙だったが、今度は呆れた顔でため息を吐く。

「・・・まだ気が付かないのか?そいつの背中を見ていろよ。」

そう言うと、倒れた聖の背中を指で指して促す。

聖の背中には、痛々しい刀傷が一つ走り、今も尚血が流れ続けている。

「ッ?!どういう事だ!なぜ傷が今着けた物しかない?!」

異変に気が付いた侍が、そこで初めて驚愕の表情を浮かべる。

「馬鹿な・・・致命傷の傷だぞ、助かったとしても傷が消えるわけがない!!」

侍の表情に満足げに笑い、口を開く。

「教えて欲しいか?その疑問に・・・代償は少々高いぞ?」

言い終わるや、宝仙は両手で印を結ぶ。

印を結ぶと同時、辺りに張りつめた空気が流れる。

それまで聞こえていたはずの、虫の鳴き声が止み、眠っていた野鳥が羽ばたき出す。

「くっ!何を見ている?!早く奴を始末しろ!」

異変に気が付いた侍が、周りの手下に号令を下す。

号令を受けた男達は、それぞれが身につけていた得物を抜き放つ。

「・・・蘇れ、金色なりし恐怖の具現者。」

宝仙に襲いかかろうとする男達を見据えても、全く動じる気配のない宝仙がそのまま続ける。

「金剛鬼神、金色夜叉!」

ザシュ!

宝仙に一番近かった、集団の頭領でもある侍が、首を狙って横薙ぎで斬りつける。

しかし、その刀が宝仙に届く事はなく、天高く舞ったのは斬りつけた侍の片腕であった。

「ッ!!ギャアアアァァァー!」

周りの男達は何が起きたのか解らず困惑する。

片腕を失った侍は、残った腕で傷口を押さえ、必至に止血を試みる。

「な・・・何じゃこりゃー!」

集団の最後尾の男が、頭領の腕を斬りつけた物の正体に気が付き、驚愕の悲鳴を上げる。

それに気が付いた他の男達も、一様に後方を見やる。

「・・・け、化生だ!」

男達の視線の先、其処には一人の少女が横たわっている。

ただし、その右腕だけが長く伸び、宝仙を守るかのようにまとわり付いている。

一瞬の間の後、息絶えたはずの聖の体が、異様に膨れあがり始める。

「グゥオオオォォォー!」

獣のそれに似た咆吼を轟かせ、聖の体が異形のそれへと転じる。

流れるような金色の長い髪、体の至る所を守るように生えた石の鎧、長く突き出た牙と爪、額には人には決して有るはずのない長く鋭い角。

人はソレを畏怖と暴力の化身、鬼と呼ぶ。

「・・・来い。」

鬼と化した聖に向かって呼びかける。

呼びかけに応じた鬼が、大地を蹴り、宝仙の脇に音もなく着地する。

宝仙の側に居る事で、守るようにまとわり付かせていた腕が、元有るべき大きさへと収まる。

その光景を目の当たりにしていた男達の表情には、先程までの余裕の色が消え、恐怖で足がすくんでいるようであった。

「クックック・・・さっきまでの威勢の良さはどうしたよ?」

残忍な笑みをたたえ、男達を見つめ言い放つ宝仙。

その笑みを消すと、男達に向かって指で示し、鬼と化した聖に向かって語る。

「そいつ等全員、お前の宿主の聖を襲おうと企てた愚か者共だ。慈悲も容赦もいらん、一人も残すな。・・・ただし。」

そこで一旦言葉を切り、片腕を無くした侍に顔を向けて、顎で指す。

「そいつは俺が殺る・・・行け!」

「グゥオオオォォォー!」

宝仙の命を受け、天を仰ぎ咆吼する鬼は、大地を蹴り集団の中心に降り立つや、手近にいた男を鋭い爪で引き裂く。

「ヒッヒイイイィィィ!」

「た、助けてくれー!」

「化け物がー!」

ある者は腰を抜かし、ある者は逃げだし、またある者は戦いを挑む。

「グァゥ!」

ブシュー!パキョ!グシャ!

今まで静かだった廃寺の境内が、地獄絵図へと変わる。

胴体から二つにされた者や、爪の一降りで血を吹き出し絶命する者、首が飛んで近くの木の枝に引っかかってしまった者。

その姿は、まさに鬼神。

解き放たれた悪夢には、慈悲は無かった。

「さてと・・・」

その光景を暫く眺めていた宝仙が、視線をうずくまる侍へと転じる。

侍は、相も変わらず片腕を押さえていた。

「ま、待ってくれ!助けて、助けてくれー!」

「今更何をほざくと思えば・・・」

呆れた顔でため息を一つ吐くと、怒りの形相で言い放つ。

「貴様は人斬りだろうが!今まで貴様が殺してきた者達が何人同じ事を言ってきた?人斬りならそれらしく最期の時ぐらい笑ってみせろ!」

錫杖を放り、着ていた羽織を脱ぎ捨て、飛ばされた男の片腕に今も握りしめられている刀を手に取る。

「・・・俺は貴様と同種の人間だ、貴様を斬る事に何の躊躇いも無い。」

握り絞めた刀を、侍の首筋に突きつける。

「まっ、待ってくれ!良い儲け話が有るんだ!」

「ほぉ・・・」

その言葉で興味を示したと感じた侍は、少し安堵の表情を浮かべ先を続ける。

「そ、そうさ!あの娘、あの娘の正体を利用すれば巨万の富を手に入れられるんだ!」

「・・・」

顔を聖が変化した鬼へと向けて、嬉々として語る侍を、宝仙は冷たい眼差しで見つめる。

「だから!」

「だから・・・なんだ?」

チャキ・・・

侍に突きつけていた刀を、首の側面へと持っていき構える。

「ま、待て!」

「うるせぇよ・・・」

ザシュ!

刀を引き、首を切り裂く。

切り裂いた瞬間、血が勢いよく吹き出しす。

「・・・ッガ!」

後ろに倒れ込み、痙攣する侍。

暫くして、ピクリとも動かなくなり、絶命した。

「・・・俺まであいつを裏切る訳にはいかねぇんだよ。」

絶命した男に向かってポツリと呟く。

宝仙の体は、侍の返り血で真っ赤に染まっていた。

「グゥオオオォォォー!」

鬼の咆吼が空気を振るわせる中、宝仙は天を仰ぐ。

「・・・またあいつが、悲しんじまうな。」

満天の星空を見上げながら自嘲気味に苦笑する宝仙。

辺りには血の臭いが充満して、息が詰まりそうだった。



いつまでも続くと思っていた。

何の変哲もない、穏やかな時の中で。

名家に生まれ育った少女にとって、それが当たり前だと思っていた。

その平和も、少女の十二歳の誕生日を迎えた日に、終わりを告げた。

「聖!ここから早く逃げなさい!」

そう言って、母は裏口を指差し少女を促す。

「御母様は・・・?」

不安と恐怖を携えた瞳で、母を見上げる。

「母は、ここであなたを守りましょう・・・」

「そんな!嫌です、御祖父様もお残りになって、戦っていらっしゃるのに・・・私だけ逃げ出すなんて。」

少女の父は、少女が幼い頃に死別したと聞かされて育ってきた。

少女にとっては、父代わりの祖父と実の母、そして、家に仕えて居る使用人達を残して、自分だけ逃げ出す事が、我慢ならなかった。

そんな少女を見て、母親は少女の目線に合わせるように屈むと、優しい口調で語りかける。

「聖・・・あなたの優しさを母は誇りに思います。その優しさを、母は失いさせたくありません・・・」

言葉を切り、少女の肩に両手をかけて、裏口の門の外へと突き飛ばす。

「キャ?!」

ガコン・・・

音を立てて締まる門、閂を指して門を固定し、少女が出入り出来ないようにする。

「御母様?!開けて・・・開けてください!」

閉ざされた門を、力一杯叩き中の母に向かって叫ぶ。

「お行きなさい!早く遠くへ!そして・・・必ず、必ず生き延びてください・・・」

「御母様・・・ッ!!」

門の外から、小さな足音が去っていく。

「聖・・・母を許してください。」

涙を流しながら、門に背を預けてポツリと呟く。

「・・・そこを通して貰おうか。」

聖を見送った母親は、突然声が聞こえて来た方に向きやる。

一人の侍がゆっくりとした足取りで、こちらに歩いてくる。

口を布で覆い隠し、右手には血糊のべっとり付いた刀を携えている。

侍の目は冷酷で、ねっとりとした独特の殺気が辺りを包む。

「・・・ここは通しません。」

冷静に侍を見据え、懐に仕舞ってある短刀を抜き放ち、逆手に構える。

「フッ・・・勇ましい事だな。」

言い終わるや、侍は地を蹴り、駆け出す。

間合いが一瞬にして縮まり、侍の刀と、母親の短刀が交錯する。

ガキン!ザシュ・・・

金属のぶつかり合う音の後に、肉を裂く音が鈍く響く。

「・・・カハッ!」

勝負は一瞬で決した。

侍の刀が、短刀をはじき飛ばし、立て続けに放った一撃が、母親の脇腹を深く切り裂いた。

「グ・・・ゥ!」

立っている事が出来なくなり、その場に崩れ折れる母親を、見下したような冷徹な目が見つめる。

「・・・すぐに例の娘も、貴様等の元へ送ってやるよ。」

チャキ・・・

侍は、憎しみの籠もった瞳で、自分を睨む母親の心臓の上に、刀を突きつけると、笑みを浮かべて言う。

「あの世へ堕ちよ!下郎が!」

ブシュ・・・

気丈に叫ぶ母親のその言葉が、今生の最期の言葉となった。



「ハァ!ハァ!」

足に力を込め走る。

何度となく転びそうになりながらも、どこに行けばいいのかも解らず。

それでも少女は走り続ける。

-なんで・・・こんな事になってしまったの・・・?

頭を過ぎった疑問だが、自問自答した所で、答えは出ず、答えてくれる者も居ない。

ただ、少女は走り続ける事しか出来なかった。

不意に、後方から足音が聞こえてくる。

足音の速度から考えて、自分よりも早い事だけが解る。

一瞬母親が追いかけてきたのかも知れないと考えるも、すぐに否定する。

「・・・追いついた。」

どんどん近づいてくる足音の後から、声が聞こえてくる。

それが男の声だった為に、少女は、母親がどうなってしまったかを悟り、涙を流す。

それでも少女は、立ち止まる事無く、更に力を込めようとする。

「ッ?!あっ!!」

だが、すでに体力の限界を迎えていた為か、足が縺れ、その場で転倒してしまった。

「・・・イタッ!」

すぐさま立ち上がろうとするも、転倒した際に足を挫いてしまったのか、足首に激痛が走り、立ち上がる事が出来ない。

チャキ・・・

いつの間にか追いついてきていた男が、少女の背中に刀を向ける。

それに気が付いた少女は、恐る恐る後ろを振り返る。

「・・・鬼ごっこもここで終わりだな。」

人を見下したような瞳に、口を覆う布。

口は見えないが、目だけでその男が笑っている事が解る。

ポタ・・・ポタ・・・

男の持つ刀からは、幾分新しい血が滴り落ちていた。

「クックック・・・恐怖のあまり声も出ないか。貴様の母親は、死ぬ間際までそんな顔をしなかったというのにな。」

「ッ?!」

男の言葉に、怒りがこみ上げてくる。

-こいつが、御母様を・・・!!

「クックック・・・良い表情だな。あの世で家族三人仲良く暮らしな!」

言い終わるや、刀を天に向かって振り上げる。

「くっ・・・!」

ザシュ・・・

張って逃れようとするも、抵抗虚しく、少女の背中に激痛が走る。

「ッ?!キャアアアァァァー!」

悲鳴が辺りに響き渡り、辺りに鮮血が飛び散る。

「うっ、うぅ・・・」

痛みを堪えながらも、力を振り絞り前進する。

「フン・・・浅かったか。」

つまらなさそうに呟きながら、少女を見つめてその場に留まっている男。

暫くして、少女の動きが鈍くなり、動かなくなる。

微かに上下する肩から、まだ息が有る事が解る。

「何だ?もう終いか・・・仕方がないな、あの世に送ってやろう。」

ゆっくりとした足取りで、少女に近づく男。

殺す事を、楽しんでいる者にしか出来ないような笑みを湛えて、ゆっくりと。

「やれやれ・・・こんな月夜に下劣野郎に出会すとはな。」

不意に聞こえて来た声に驚き、聞こえてきた方向に顔を向ける。

「誰だ?!」

「生憎と、下郎に教える名前は無いんでな。」

シャラン・・・

月を背に、その男は立っていた。

その男の手にした杖からは、鈴に似た音が響いてくる。

「・・・なんだ、坊主か。死にたくなければ去れ。」

現れた男が僧だと解るや、男はつまらなさそうに呟くと、切っ先を僧に向けて凄む。

「フン・・・俺が何故貴様なんぞの命令を聞き入れてやらなきゃならんのだ?」

僧に対し凄む男を、心底くだらないと言った感じに答える。

「・・・忠告はしたぞ。」

男と僧の間に、張りつめた空気が流れる。

・・・ピィー!ピィー!

不意に、遠くから笛の音が聞こえてくる。

「チッ!もう感付かれたか。」

笛の音に一瞬男の注意が逸れる。

シュ!

「ッ?!」

カッカッカ!

気配に気が付いた男が、後ろに跳ぶ。

今まで男が立っていた場所に、三本の独鈷杵が突き刺さっていた。

「貴様・・・!」

「余所見をしている貴様が間抜けなのさ。」

一瞬の隙を突いて、僧が懐から独鈷杵を取り出し投げつけていたのだった。

その行為に激昂した男が、僧を睨みつけ、殺気を迸しらせる。

「・・・斬る!」

そんな男を、涼しい顔で見ながら、戯けた表情で笑っている僧。

ピィー!ピィー!

遠くで聞こえていた笛の音が、随分と近くまで来ている事に気が付き、男は歯痒そうに舌打ちする。

「・・・まぁ良い、当初の目的は達した事だしな。」

倒れている少女を一瞥して呟く。

「・・・次ぎに会った時は、必ず殺してやる。」

最期にそう言い捨てると、男は来た道を駆け出し、去っていった。

その場には、倒れた少女と僧だけが残された。

僧は、傷を負って倒れている少女に向かって歩き出す。

「おいガキ、聞こえるか?」

呼びかけるも返事はない。

微かに上下する肩から、まだ息がある事だけは確認出来た。

「死んでるんだったら答えなくても構わんぞ。」

再び声を掛けて、ようやく少女は首だけを動かし、こちらに顔を向ける。

-・・・だれ?

「・・・ぁ。」

口をもごもごさせるが、もう言葉を出す事も困難なのか、かすれた声が聞こえた。

だが、口の動きだけで、助けを求めている事は僧にも理解出来た。

「・・・生きたいか?」

痛々しい傷口を見つめながら、一拍置かれ、ポツリと呟く僧。

少しして、少女の目から涙があふれ出す。

「・・・生きたいか?例えどんな形であろうと、おまえは生を望むか?」

少女に向かい、確認するかのように聞く。

少女の脳裏に、最後に母から言われた言葉が蘇る。

『必ず、必ず生き延びてください・・・』

「ぃ・・・いき・・・」

-ワタシハ・・・イキタイ・・・

「そうか・・・ならば生きよ。」

少女の答えを聞き、少女の体を抱き起こすと、おもむろに接吻を交わす。

次の瞬間、少女は体の奥底から熱くなるのを感じた。

そこで少女の意識は途切れ、深い眠りへと落ちていった。



煙管を懐より取り出し、葉に火を着けて、肺いっぱいに紫煙を吸い込む。

「フゥー・・・」

口より紫煙をはき出しながら、裸の少女の背中を見やる。

秋虫の合唱がひどく耳障りな夜、聖がそこに立っている。

辺り一面真っ赤に染め上がり、肉塊と化した人間が散らばっている中に、その場に不釣り合いな幼い少女が立っていた。

「師匠・・・またあの時の夢を見ました。・・・これは私がやったんですね?」

「・・・あぁ。」

宝仙の方を振り向かず、呟くような囁きに答える。

聖の背中には、先程斬りつけられた刀傷はどこにも見受けられない。

暫くの沈黙、ゆっくりとした足取りで聖に近づくと、自分の羽織を聖に被せる。

「いつまでもそんな恰好してんじゃねぇよ。」

聖は、被せられた羽織の端を握りしめて、口をきつく結ぶと、意を決したように口を開く。

「私・・・足手まといですよね?」

蚊の鳴くような声で、静かに紡がれた言葉に、宝仙は呆れたようにため息を吐く。

「何を考えていたかと思えば・・・何馬鹿な事言ってんだよ。」

「でも・・・私が居たから、最初から鬼神を呼ばなかったんでしょ?・・・やっぱり私・・・」

そこまで言いかけて言葉に詰まってしまった。

宝仙にも、聖が何を言いたいのかを察して言葉を掛ける。

「・・・後悔してるのか?」

「後悔なんかしていません・・・」

俯きながら答える聖の頭に、ポンと手を置き掴む。

「・・・だったら、なんで泣いてんだよ。」

うつむき、声に出さず静かに泣く聖。

それに気が付いた宝仙が、聖の顔を上げさせる。

「だって・・・だって、私!」

「・・・」

涙を流し、嗚咽を漏らしながら途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

「私・・・また・・・また鬼神を操れなかった・・・それで・・・こんな事に・・・私は・・・私には、やっぱり・・・」

「・・・やっぱり、何だよ?」

聖の言葉を、途中で遮り口を挟む。

「阿呆が・・・やっぱり自分には無理だとでも言うのか?数度操れなかっただけでもう諦めるのか?」

「でも・・・それで人が沢山死んでしまいました・・・」

悲しそうに言う聖に、呆れた顔で言い返す。

「お前は優しすぎるんだよ。てめぇを殺した奴に、慈悲など掛けるな。」

「それでも・・・やっぱり嫌です。」

聖の答えに、掴んでいた手を離し、歩き出す宝仙。

「・・・力のない事を恥じるな。足手まといだと思うのは勝手だが、力がない事を嘆く前に、お前は・・・今のお前に出来る事をすれば良いんだよ。」

「え?」

宝仙の言葉に振り向き、その背中を見つめる聖。

「今のお前に何が出来るのか、それが解るまで付き合ってやるよ。」

言い終わるや、手頃な木にもたれ掛かって、ゆっくりと煙管を吸う。

「今の私に出来る事・・・」

宝仙の言葉を反芻するように、ぽつりと呟き考え込む聖。

暫くして、手と手を併せて、肉塊となった死体の数々に向かって、静かに経文を読み上げる。

慣れていない為、所々つっかえながらも、目を瞑って一心不乱に読み上げる。

聖の口から紡がれる経文は、秋虫と鳴き声と相まって、風に舞う。

「・・・それがお前の答えか。」

ポツリと呟き、ただじっと聖を見守る宝仙の耳には、聖の経文が、まるで歌のように聞こえてくるのであった。


04.08.31

By.神無月拓楼

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