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宝仙伝  作者: 神無月拓楼(旧HN現武壱)
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怨鬼母鬼之章(旧安達ヶ原の鬼婆)

十数年前に個人HPで連載していた作品です

最近小説熱が再燃したため、リハビリ兼ねて再編集して投稿してみようと思い投稿してみました。

とりあえずは恥を晒す意味も込めて、当時のまま公開してみますw

 森の奥深く、森には獣の遠吠えが聞こえてくる。

「ひっ・・・」

 森の中から、不釣り合いな若い女の声にはならない悲鳴が聞こえてくる。

「お・・・お助けください、わ・・・私のお腹の中には、ややがいるのです。何卒、何卒・・・」

 恐怖に引きつった顔をして、身ごもった女は後ずさりしている。

女が話しかけた先には、老婆が幽鬼の如く、手に包丁を持って立っていた。

老婆は、女の語りかけに全く耳を傾けず、ゆっくりと女の方に歩みを進める。

「い・・・嫌、来ないで、来ないでぇ・・・」

 近づいて来る老婆から賢明に逃げるように後ずさるが、その抵抗虚しく、岩と木に道をふさがれてしまう。

尚も近づいてくる老婆に、女はただ、首をイヤイヤと振ることしか出来ない。

 我関せずと言った感じで近づいてくる老婆、ゆっくりと包丁を天へと掲げる。

包丁は、月の光を受け怪しく光っていた。

「あ・・・あ・・・」

 絶望に包まれた女の瞳に、包丁の煌めきが写っていた。

 グジュリ・・・

「ぎゃー!」

 女の断末魔の悲鳴が夜の森に響き渡った。

まだ息の残る女は、胸に深々と突き刺さった包丁を賢明に引き抜こうと手をもがいていたが、やがて動かなくなった。

光を失った女の瞳に、月を背に佇む老婆が写っていた。

感慨無く、動かなくなった女をただじっと見据える老婆は、おもむろに女の髪を引っ張り森の奥へと歩き出した。

「これで何人目じゃ・・・」

 ポツリと呟いた問いに、答えは返ってこなかった。

ゆっくりと森の中に消えていく老婆、あたりにはまた獣の声が響き渡っていた。



 のどかな昼下がり、奥州へと続く道を二人の旅の僧が歩いていた。

一人は長身の男で、名を宝仙という。

僧にしては珍しく、髪が伸びていて、眼光は鋭く、何となく近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。

手にした錫杖からは歩くたびに、鈴に似た音を出していた。

 もう一方は、小柄な少女で、名は聖という。

まだあどけなさの残る顔立ちで、長く伸びた髪を後ろで結わえていた。

 聖は、宝仙の歩く歩幅にあわせ、宝仙と並んで歩いていた。

「師匠。」

「なんだ?」

 聖の問い掛けに宝仙は低い声で答える。

「次の村にはどのくらい滞在するのですか?」

「滞在はしない、食料と水を揃えたらすぐに発つぞ。」

「そうすると、今日は野宿ですか?」

「そうなるな、山小屋でも有れば別だがな。」

 宝仙は、めんどくさいと言った感じで淡々と質問に答えている。

「次の村までは、後どれくらいなんでしょうね?」

「俺が知るか、喋りながら歩いてるとすぐ疲れるぞ、黙って歩け。」

「もぉ、そんな言い方無いじゃないですか。黙って歩いててもつまらないですよ。」

 聖は少しムッとして言い返すが、いつもの事なのであまり気にせず話を続けた。

「さっきの団子屋さんの話し、どう思いますか?」

「あぁ、あれの事か、そんなに気になっていたのか?」

 宝仙は「クックッ」っと笑いながら問い掛ける。

一方の聖は、頬を少し赤く染め、拗ねたようにプイッと横に顔を向けた。

「そっ、そんなんじゃ無いです!ただ少し気になったから聴いたんじゃないですか。」

 一刻ほど前に、団子屋で聴かされた鬼の噂。

いつの頃からかは定かではないが、この先の村周辺の原だか、森だかに鬼が住み着いてると言う噂が立っていた。

何でも、身重になった女の腹を割って子供を食しただの、鬼退治に挑んだ若い侍が、2度と帰って来なかっただの、誠しなやかに噂が広がっているようであった。

 その話を思い出してか、少し不安になったのであろう聖は、宝仙に聴いてきたのであった。

「くだらん、そんな噂に踊らされてどうする?大方獣の類のしでかした事に、尾ひれ背びれが付いたにすぎん。」

「そうだといいんですけど・・・煙の無い所に火は起きないって言うじゃないですか。」

 噂を一蹴するかの如く言い放つ宝仙に、尚も食い下がろうとする。

宝仙は、小さく舌を打つ。

「鬼だのなんだの、そんな物は大抵が人の恐怖心から生まれる幻想にすぎん。第一本当だとして俺がそんな物にどうこうされるように見えるか?」

 少し考える仕草をして、聖は答える。

「師匠の方が鬼に見える・・・かな?」

 ぽつりと口を付いた呟きを聞いて、宝仙は聖の頭に拳骨を浴びせた。

 ゴン・・・

「痛い・・・本当の事じゃないですか・・・」

 頭を押さえ、拳骨を喰らったところを両手で押さえてうぶやく。

「うるせぇ、黙らないともう一発喰らわすぞ。」

 低く凄味を効かせて聖に言う。

聖は、頭をさすりながらブツクサと文句を呟く。

耳を傾けると「う~、ちょっと本音が出たくらいですぐ怒るんだから。」などと非難めいた言い訳が聞こえてきたが、あえて無視する。

 暫く、黙々と街道を歩いていると、その先に村が見えてきた。

「あれですね、はぁ~やっと休める。」

 村が見えて、ドッと疲れが出たのか、大きなため息を吐くのが聞こえてくる。

「少し休んだら、食料と水の補充だ、夕刻までには発つからな。」

「うぅ~、今日はあそこに泊まりましょうよ。」

 低く唸り、恨めしそうに宝仙を見やる聖に、宝仙はため息を吐いて答える。

「いつまでもぐだぐだ言ってんじゃねぇよ、俺に付いて来たくなければおまえだけあそこに残ればいいだろう。」

 そう言って、見えてきた村をあごで指して言う。

「む~、そんな事言わないでくださいよ。」

 頬を膨らませて、拗ねながら言い返してくる聖に、「フン!」っと答える。

結局最後は聖が折れて、村には食料の補充の為に立ち寄るだけとなった。


 

 村にたどり着いた二人は、暫くの休憩を挟んで、食料と水の調達のため二手に分かれていた。

割と大きな村のため、食料を売っていそうな場所はすぐに見つかった。

宝仙は手頃な店に入って店の店主を呼びだした。

「親父、干し芋を二日分くれ。それと、煙管の葉が有れば少し売ってくれ」

 店の店主は、注文を受けて目を見開いた。

「あんた、お坊様なのに煙管を吸うのかい?以外だね~俺は坊さんはそんなもの吸わないと思っとったよ。」

 さも以外といった感じで言われ、肩をすくめ苦笑しながら答える。

「生憎と、今のところ俺以外でたしなむ奴とは出会ってないな。」

 店の店主は大口を開け笑い出した。

「ハッハッハ!そりゃそうじゃろ、俺もあんた以外で煙管を吸う坊さんなんざ初めて見たよ。え~と、干し芋じゃったな、一人分でいいのかい?」

「いや、二人分で二日分頼む。」

 改めて注文を通すと、店主は芋を袋に詰めながら話しかけてきた。

「あんた、今日はここに泊まるのかい?」

 店主に許可を貰い、懐から煙管を取り出し葉に火を付けて肺いっぱいに紫煙を吸い込みながら、質問に答える。

「いや、夕刻には発つつもりだ、今日中に森を抜けようと思ってな。」

「そうか、なら十分気を付けるんじゃぞ。」

「噂のことかい?」

「噂・・・?あぁ、あの話のことか。」

 店主は一瞬何の事かと言うような顔でこちらを見てきた。

「鬼が出るか、そんな噂も確かに有るようだがのぉ。俺は信じちゃいないよ。」

「ほぉ、あんたはやはり獣か何かだと?」

 噂の出回っている村の住人にしては随分と落ち着いていると思い、宝仙は聞き返した。

「一部の村の衆の中には鬼の仕業と言う者もおるがの、俺は獣の仕業だと思っておるよ。第一、あの婆さんが鬼のはずが無いからのぉ。」

 -あの婆さん?噂になってる人物がいるのか?

 今の会話で少し気になる節が聞こえたので少し興味を持ち始める宝仙は、突っ込んで聞いてみる事にした。

問い掛けに対し店主は少し腹を立てたような感じで答えてくる。

「その噂は、村の年寄り連中が囃し立てた事なんじゃよ。いつ頃からかは俺にもわからんが・・・俺がガキの頃にはもう出回っていた気がすよよ。」

「・・・と言うことは、もう30年くらいは続いているのか?」

 店主の風体を見て、予想した年齢で聞いてみた。

「そのくらいになるのかのぉ。当時何があったのかようしらんが、村の大人達は俺達に、決して森に近づくなと言い聞かせていたんじゃ。」

「それは単に、森には獣が出るからと言う意味ではないのか?」

 宝仙が思ったことを口に出すと店主は大きく首を左右に振り否定してきた。

「いやぁ、そう言うこっちゃねぇんだ。森にはの、昔から一人の婆様が住んでたんじゃ。」

 そこまで口にして、店主は店の入り口からなにやら懐かしい物を見るような感じで、村の先にある森を眺めながら語り出した。

「当時俺と仲間達は、親から聞かされていたとおり、森に住む婆様には近づかないようにしてたんだ。だが、ある日俺達は森の川で遊んでいると、仲間の一人が川の水を飲みに来た狐にちょっかいを出して足を噛まれ怪我を負ってしまった。幸い狐はすぐに追い返せたんじゃが、傷口が深く、俺達だけじゃ手に負えなく、村の大人を呼んで来ようとしたんじゃ。」

「・・・そこで、老婆と出会った。」

 煙管を吸って、肺に入ってきた紫煙をはき出しながら、なんとなく思ったことを口に出す。

「あぁ、そうじゃ。」

 大人になり、昔を思い出して当時の自分の無知を恥じるかのように目を閉じて答えてくる。

「俺達は、村の大人達の言うことを真に受けすぎていたんじゃろうな・・・今思い返しても、自分が恥ずかしくてしかたがないよ・・・婆様がやってくる事に気が付いた俺達は、傷ついて動けなくなった仲間を守るようにして婆様を睨み付けて、妖怪だの何だのと罵ってしまった。じゃが、それにもめげずに婆様は俺達の側まで来ると優しい目をしてこう言ったんじゃ。」

 過去の自分への自己嫌悪か、ため息を一つ吐いて続ける。

「儂を罵るのは勝手じゃが、早くしないとその子がいつまでも苦しむことになる。儂ならその子の苦痛を和らげる術を知っておる、今だけでも良いから儂を信用してくれんかのぉ・・・とな。」

「ほぉ・・・良くできた婆さんじゃないか。」

 宝仙は、素直な感想を述べる。

「あぁ、全くだ。村の者に嫌われても尚、あんな事を言えるものじゃぁない。結局仲間は手当のかいもあって、すぐに良くなったよ。・・・それからじゃ、俺達が村の大人達の目を盗んでちょくちょく婆様の所に遊びに行くようになったのは。色々な事を教えて貰ったよ、薬草の事や村の外の事なんかものぉ。」

「なるほどな・・・しかし解せんのは、何故その老婆を村の者達がそこまで恐れているかだ。話を聞く限りでは、普通の優しい老婆のようだが。」

「その事については、今でも俺にはわからんのさ、村の年寄り連中に聞いても一向に話そうとはしないのでな。」

 一通り話を聞いても、なぜ噂が出始めたのかの確信を掴めずにいるもどかしさを感じて、宝仙は低く唸る。

「っと、干し芋じゃったね、ほら二人分と煙管の葉だ。」

 話しに夢中になっていたため当初の目的をすっかり忘れていた店主が、注文の品を包んで寄こしてくれた。

「あぁすまない、すっかり夢中になっていたようだ。」

 煙管の火をもみ消して、箱に収め懐に仕舞うと。店主から荷を受け取り勘定を済ませる。

「な~に、あんな噂を信じて欲しくはないし、それにあんたみたいなおもしろい坊様と話が出来て楽しかったよ。」

 カッカッカっと笑いながら話してくる店主に、苦笑を浮かべながら笑い合う。

「さて・・・連れを待たせてるためそろそろおいとまさせて頂くよ。」

「あぁ、ちょっと待ってくれ。」

 用事も済み、立ち去ろうと踵を返した宝仙は、背中から呼び止められて振り返る。

「俺らの世代はあの婆様が鬼だなんて微塵も思っちゃおらんが、年寄り連中や、この村の外から移り住んできた者は、本気でそう思っておるからのぉ、お坊さんと見たらきっと退治を依頼されると思うが・・・」

 それは宝仙も思っていた事であった。

今までにもそう言う噂が囁かれた町や村には立ち寄ってきた、経験からそう言った事は十分に考えられるだろうと噂を聞いた時から考えてはいた事だった。

 -店主の言いたい事はだいたい解る、相手にしないでくれっと言いたいのだろう。

 宝仙は鼻で笑いながら店主に告げた。

「気にせずとも、俺達は先を急ぐのでね、悪いがそんな根も葉もないただの噂に付き合うつもりなど毛頭無いさ。」

「そうかい、それならいいんじゃが。」

 宝仙の答えに満足したのか、店の店主は息を吐く。

「では、そろそろ行かせて貰う。色々おもしろい話を聞かせてもらったな。」

「あぁ、引き留めてしまって悪かったのぉ。森にはくれぐれも気を付けてな。またこの村に寄ったら贔屓にしてやってくれ。」

 背中から聞こえて来た声に、右手を挙げて答えると、聖との待ち合わせの場所に向けて歩き出す。

左手に持った錫杖から、歩くたびにシャンッシャンッと乾いた音を立たせながら、傾き始めた陽を浴びて影法師を伴わせながら。



 食料の調達を済ませ、聖との待ち合わせ場所に向かって歩いている間。

先ほど聞いた話を頭で反芻している自分に気付き苦笑する。

 -なんだかんだ言って、結局俺も気になっているようだな・・・聖の事を笑えんなこれは・・・だが、今ひとつ納得できん。なぜ老婆は村八分など受けるようになったんだ?・・・そこら辺に今回の噂の真相が隠されているようだがな。

 そこまで考え込んでから、軽く頭を振って思考を振り払おうとする。

 -なにを考えているんだ俺は・・・先を急がなくてはならないと言うのに。・・・なんだ、あの人だかりは?

 思考を切り替え今後の事を考えようと思い、近くなった聖との待ち合わせ場所の方に目線を向けると、その先に人だかりが出来ている事に気が付く。

遠目からではよくわからないが、どうやら村の者達が何かを取り囲んでいるようだった。

それを見つけた宝仙は、何とはなしにため息を吐いて、その人だかりに向かって歩いていく。

「御坊様・・・どうかこの村を救ってくだされ・・・」

「森に出る鬼婆を退治してくだせぇ!」

「え・・・えっと、あ~う~」

 近づくにつれ、人だかりから聞こえて来る声が鮮明に聞こえてくる。

人だかりの中心に居るのは、どうやら聖のようで、聖は回りの村人達から口々に紡がれる懇願に、どう対処して良いのか解らずおろおろしているようだった。

「御坊様・・・何卒、何卒おらの娘の仇を・・・」

「そんな・・・頭を上げてください。」

 村人の一人が道の真ん中で土下座をしてきたため、あわててその村人の側に腰を落とす。

「それでは、引き受けてくださるのですね?」

 聖の行動は、優しさからのものだろう。

しかし村人は、それを依頼の了承と勘違いしてしまったらしく、満面の笑みを浮かべて顔を上げる。

その顔をみて、聖は申し訳ないと言った感じで答える。

「申し訳有りません・・・私もあなた方の願いにお答えしたいのですが・・・なにぶん私は修行の身のため、あなた方の期待にお応え出来ません・・・」

 それを聞いた村人達は、先ほどの態度とはうって変わって今度は罵声をあびせる。

「あんた!それでも御坊様なのか!?」

「わしらがこんなに苦しんでいるというのに・・・仏心がないんじゃろ!」

「坊様なら、あんたの命を差し出してでもわしらの為に鬼を退治したらどうじゃ!」

「え・・・そ、そんな・・・」

 村人の態度が急変し、聖は怯えた表情を浮かべている。

 -まったく・・・勝手なものだな、まぁそれだけ余裕が無いと言う事か。

 一部始終を見ていた宝仙は、今日何度目かのため息を吐いて、人だかりの中の聖に声を掛ける。

「おい聖、水の調達は済んだのか?」

 宝仙の声に、騒がしかった人だかりは、水を差したかのように静まり、聖だけでなく、村人の視線も宝仙へと注がれる。

「あ・・・師匠。はい、水の調達は済んでいます。」

「なら、とっとと行くぞ。夜までに稼げるだけの距離を稼いでおきたい。」

「え、でも・・・」

 村人は、いつの間にか聖から宝仙の回りを囲むように立ちふさがっていた。

「・・・何だ。」

 村人達を一瞥し、低い地声をさらに低くして、不機嫌そうに凄味を聞かせて呟く。

「お願いします・・・御坊様・・・後生ですから森に住み着いた鬼を退治してくだせぇ。」

「何卒・・・何卒・・・」

「おらの・・・おらの娘の仇を討ってくだせぇ!」

 先ほど聖に対してもそうだったように、村人達は口々に懇願してくる。

 -フン、芸のない事だな。

 ある者は、神でも拝むかのように手を併せ、またある者は土下座をしてくる者までいた。

宝仙は、村人に冷ややかな視線を向けると、懐にしまった煙管の入った木箱を取り出し、葉に石で火を付けると口にくわえた。

煙管を吸うと、紫煙が肺に入ってくる、その感覚を楽しむかのように目を瞑り、肺いっぱいになった紫煙を口からはき出す。

「師匠・・・」

 そんな宝仙を、心配そうな顔をして見つめる聖。

今まで、宝仙と共に旅をしてきたため、何度と無くこういう場面を見てきたが、今回もまた良い方向には行かないだろう。

「・・・どけ。」

 宝仙は目を瞑ったままでただ一言、ポツリと呟いた。

村人達は訳がわからないと言った感じで、哀願を辞めて宝仙の顔を見つめてくる。

「邪魔だ、俺達は先を急ぐのだ。とっとと道をあけろ。」

 瞑っていた目を開いて、今度ははっきりと言いきる。

それを聞いた村人達の顔色はみるみる赤くなっていくのが解る。

「そ、それが坊様の言う言葉か!!」

「そうじゃ!物の怪の退治はあんたら坊様のお勤めじゃろうに!」

「坊主のくせに、煙管なんぞ吸いおって!この生臭坊主が!!」

 激昂した村人の罵声を浴びても涼しい顔をして煙管を吸っている宝仙を見て、さらに顔を赤くする村人達。

「聞こえなかったのか?そこをどけ・・・邪魔だ。」

「な・・・あんた、人の心が有るならば、子を失った親の気持ちくらい容易に想像できるんじゃないのかの?」

 握った拳をワナワナとさせて、怒りをこらえて呻く村人。

 -罵声が効かないと解るとこれか・・・

「ならば聞く、子を失った親ならば何故ここでのうのうと生きている?子を殺された親ならば差し違えてでも仇を打とうと思うんじゃないのか?・・・まさか鬼だから敵わないと、はなから諦めて畑でも耕していたのか?それならば野生の獣の方がまだマシだな。」

「こ、この歳でわしに何が出来るというのじゃ・・・そりゃわしだって出来るものならばこの手で、この手で・・・」

 ついには顔を両手で覆い隠し泣き崩れてしまった。

それを見ても宝仙の冷ややかな視線は向けられたままだった。

「都合がいいな、何もしない内から敵わぬと嘆き、手をこまねくか・・・歳なんざ関係ない、子を殺された獣は、敵わぬとしても立ち向かう、それが親子というものだ。それが出来なけりゃおとなしく家で酒でも浴びてる事だな。」

 冷徹に言い放つ宝仙にさらに声高らかに泣き始める村人、それを見ていた他の村人が口早にまくし立てる。

「あんたみたいな坊主は見た事がない、ここまで追いつめられていた者をさらに追い込むような事を言うなんて、ろくでなしにも程があるぞ!」

 それをきっかけに他の村人達も口々に、「人でなし、ろくでなし。」と叫び始める。

「生憎と、その手の言葉には慣れているのでな、言いたければ好きなだけ言うが良い。ただし、気が済んだらさっさとどけ。」

 まったく意に介さない宝仙を見て罵声は鳴りやむ事は無かった。

聖はただそんな宝仙の姿を黙ってみる事しか出来なかった。

「鬼も退治出来ないのに、坊主なんて辞めちまえ!」

 ある村人の言葉に、宝仙の眉がぴくりと反応する。

「ほぉ~、言ってくれるな。」

 目をつり上げ、口をつり上げて笑い低くドスの利いた声色に、罵声を上げていた村人が静まりかえる。

「ならば、その鬼とやらをここに連れて来い、退治してやるよ。」

 宝仙の答えに対し、さっきまで赤くなっていた村人達の顔色が一瞬で青ざめる。

「どうした?貴様らの望み通り退治してやると言っているんだ。さっさと連れて来いよ。」

 村人達は明らかに動揺しているようだった。

小声でひそひそと話し始めたかと思うと、「おぬし、連れて来てくれ」だの聞こえてくる。

それを冷ややかな笑顔で眺めながら宝仙は続ける。

「さっきも言ったが、俺達は先を急いでいるんだ。が、そこまで言われては仕方がない、退治してやるからその老婆を連れてこい。・・・まさか俺達にそこまで行けと?その場合はそのまま何もせずに先を急がせてもらうだけだがな。」 

 クックッと意地の悪そうな声で笑う宝仙に、村人達はまだヒソヒソと話しているようだった。

「・・・くだらんな、誰もそんな勇気はないと言う事か。そもそも貴様ら、それが本当にその老婆のしでかした事だと本気で思っているのか?おめでたい奴らだ。俺が聞いた限りではその老婆を追いつめているのは貴様らの方ではないか。」

「え、そうなんですか?」

 今まで事の成り行きをただ見ているだけであった聖が聞いてくる。

「あぁ、俺が向かった店の主人に聞いたらこう言っていたよ。こいつらの言う事を真に受けて、あの婆さんにひどい事をした・・・とな。」

「ち、違う!あれはまさに鬼の所行じゃった!」

 しつこく食い下がって来る村人を睨み付けて怒鳴り散らす。

「まだ言うか!その婆さんに何があったかしらんが、貴様らのやって来た事は、まさにさっき俺に言ったようにろくでなしの野郎がやる事だ!鬼ってのはな、貴様らみたいな奴らの事を言うんだよ!」

 宝仙の怒鳴り声に村人達は後ずさる。

「・・・もう一度言うぞ、俺の機嫌を損ねない内にそこをどけ。」

 宝仙は怒りの形相を浮かべたまま一歩踏み出す。

行く手をふさぐ村人数名が何かを言いかけようとするが、それをさせない。

「どけ・・・」

「う、あ・・・あぁ。」

「どけー!」

 目を見開き、一際大きい声で叫ぶ宝仙に、行く手を阻む村人達は腰を抜かしてへたり込む。

そこに出来た隙間から、人だかりから解放された宝仙がゆっくりと歩いて出てくる。

それを見ていた聖は村人達と宝仙を交互に見やり、どうしたらいいのか解らずにいた。

「何してる、行くぞ。」

「あ・・・は、はい。」

 少し離れた場所から呼びかけられ、ぱたぱたと小走りで宝仙に追いつき歩き出す。

聖は首だけを後ろにまわして、村人達を見やった。

村人達は首を垂れて立ちつくしていた。

「・・・いいんですか?」

「・・・フン。」

 聞いてくる聖に、不機嫌そうに鼻を鳴らして応える。

夕陽が沈みかける頃、辺りは闇に飲み込まれそうになっていた。


 村を出て、森に入る頃にはすっかり陽も落ち、辺りは夜鳥と虫の鳴き声が響いてくる。

「チッ、時間を取らせやがって。夜までには原に着くつもりだったのにな。」

 歩くたびに、錫杖からシャンシャンと音を鳴らしながら、不機嫌そうに舌を打って歩く宝仙。

その横を並んで歩く聖は、困ったような顔をして相打つ。

「しょうがないですよ・・・村の人達も必至だったんだと思いますよ?」

「そんな事俺が知るかよ。」

「もぉ・・・そんな事言ってるから誤解されるんじゃないですか。あ、道は真っ直ぐでいいんですか?」

 呆れた顔で咎めてくる聖にそっぽを向いて「あぁ」と応える。

それを聞いた聖は宝仙の少し前に出て先導しようとする。

 -こういう時の師匠は、機嫌が直るまでなにもしたくならないからなぁ~。

 肩越しにちらりと宝仙の顔を見やると、目を瞑ってなにやら考え込むような形で付いてくるのが見えた。

聖は、声に出さず仕草だけでため息を吐いた。

 しばらく二人は無言のまま歩いていたが、沈黙に絶えきれなくなった聖が気になっていた事を宝仙に聞いてみる事にした。

「師匠。」

「・・・なんだ?」

 まだ機嫌の悪い宝仙に一瞬ひるんだが構わず続ける。

「さっき村の人達に言ってたのって・・・」

「あぁ、あれか。なんて事はない、乾物屋の店主のガキの頃の話を聞いただけだが、話を聞くかぎりでは普通の婆さんのようだ。」

 話をして少し機嫌が直ったのか、いつものようにぶっきらぼうに語り出す。

「普通・・・だったんですか?」

「・・・いや、できすぎる位の婆さんのようだ。」

 少し考えて言い直す宝仙。

そのまま、聖に乾物屋で聞いた話をそのまま語った。

「・・・良いおばあさんなんですね。」

 話を一通り聞き、率直な感想を述べる。

「村の人達から嫌われてるのに・・・普通ならそんな事言えないと思います。そんな人がどうして・・・」

 悲しみに顔をゆがめ聞いてくる。

「なんて顔してやがる。俺達には関係のない話だ。」

「そうかもしれませんけど・・・」

 そこで会話は止まる。

口ではああいった宝仙だが、実際の所は聖と同じ考えが頭をよぎった。

しかし、頭を振って考えを捨てようとする。

「いつまでも辛気くさい顔してんじゃねぇよ、俺達に出来る事はなにも無い。これは村の問題だ、俺達が口出しするような事じゃない。」

「・・・そうですね。なんか、悲しいな・・・」

 そう呟く聖は切なそうな顔をしていたが、すぐに顔を振って前を見据える。

 -なんだかんだ言っても、やっぱり師匠って優しいんだな・・・

 宝仙の何気ない仕草で、自分と同じ事を考えている事を感じた聖は、少しだけ気分が晴れたような気がしていた。

「あ!あれって出口じゃないですか?」

 そう言って前方を指さす聖、いつの間にか森の出口まで歩いていたらしく、森の木々は後少しと言った所で途切れている事に気が付く。

「はぁ~、何にもなくって良かったですね。」

 森の終わりを見て安心したのだろう、嬉しそうな顔をしている聖を見て宝仙もうなずく。

「まぁな、獣の集団なんかに出くわしたらさすがにただでは済まなかったろうしな。」

「もぉ~、そんな事言うんだったら村に一泊したら良かったのに。」

「しょうがねぇだろ・・・あれだけ村の奴らと揉めたんだ、誰も俺等の事を泊めようとするやつなんか居なかったさ。」

「ん~、それもそうですね。」

 森の終わりを見て、宝仙の機嫌も治ったらしく、普段通りの会話を交わす。

そうこうしている内に、二人は森を抜け出した。

「・・・おい。」

「え~っと・・・あ、あはは。」

 宝仙の不機嫌な問い掛けに、聖は乾いた笑いを出すことしかできなかった。

「覚悟は出来てんだろうなぁ・・・」

 そう呟くと、手にしていた錫杖を放り、両手をバキボキと鳴らす。

「し、師匠・・・」

 宝仙の行動を見て、不安そうな顔をしながら後ずさる。

「言い訳は聞かんぞ、この・・・」

 右腕を振り上げ、聖の頭に狙いを定める。

「方向音痴が!!」

 ゴス・・・

 宝仙の拳骨は、綺麗に聖の頭の天辺を直撃する。

「いった~い!」

 頭を押さえ、うずくまる。

かなり痛かったのであろう、かすかに目尻に涙を浮かべながらうずくまったまま動こうとしない。

「ったく!おまえに先頭を歩かせたのは間違いだったよ。」

 腰に手を当て、前方を見やる。

そこは、断崖になっていて、どうやら小高い丘の崖下のようであった。

周りを見回しても、上に上がるような道もなく、原のような場所も見あたらない。

「チッ、完全に道に迷っちまったようだな・・・」

「うぅ・・・すいません。」

 宝仙の呟きに、頭を押さえながらよろよろと立ち上がって聖が応える。

「・・・」

 空を見上げ、星の位置を確認して方角を探る。

「こっちだ、行くぞ。」

 方角を掴み、放り出した錫杖を拾って、崖伝いに歩き出す。

「あ・・・待ってくださいよ~」

 少し遅れて聖が後を小走りで付いてくる。

宝仙に追いつくと、速度を落とし横に並ぶ。

まだ痛いのか頭をさすりながら歩いていると「自業自得だ」と呟くのが聞こえた。

「余計な手間かけさせやがって・・・うん?」

 暫く崖伝いに歩いていると、少し離れた場所に灯りが有る事に気が付く。

「あ・・・あれってもしかして・・・」

「・・・」

 聖が何を言いたいのか理解し、無言で呟く。

「聖・・・」

「あ、はい?」

 呼びかけられて聖が宝仙を見る。

それに構わず、宝仙は真剣な表情で前方の灯りを見つめたまま口を開く。

「・・・今夜はあそこに泊まるぞ。」

「え・・・?」

 言うが早いか、歩く速度を少し上げて歩き出す。

「あ、待ってください!」

 それに併せ聖も小走りで宝仙に追いつこうとする。

 -急にどうしたんだろう・・・師匠・・・ちょっと怖い。

 宝仙に追いつき横目で顔を確認すると、いつもよりも幾分険しい表情に少し不安を覚える。

夜の森は、不気味な闇に包まれて、相変わらず野鳥と虫の鳴き声が聞こえた。

時折聞こえてくる獣の遠吠えが聖の不安を一層引き立てるのであった。



「ごめんくださ~い、夜分遅くすみません。」

 小屋の入り口にたどり着いた途端、口を閉ざした宝仙に代わり、聖が訪問を告げた。

 -もぉ・・・急にここに泊まるって言いだしたかと思えば、挨拶もしようとしないなんて・・・やっぱり何かあるのかな・・・

 宝仙は、小屋にたどり着くやいなや、小屋を見回したり目を瞑って何か考え込んでいるような仕草をしていた。

聖もそれにならい小屋を見回す。

あまり大きくはない、建てられてからかなりの時間が経っているのか土壁には大小様々な亀裂が走っている。

聖にはそれがなんの変哲もないただの小屋にしか見えず、宝仙の行動を訝しがっていた。

「聖・・・」

「はい?」

 急に呼びかけられて振り向く。

「これから俺が言う事に話をあわせろ。」

「え?」

 宝仙の言う事に理解が出来ず、聞き返そうと思った所で、小屋の中から声が聞こえてきた。

「・・・どなたかのぉ?」

 中から聞こえてきたのは、やはり老婆のようであった。

 -やっぱり、ここが噂になっているお婆さんの家なんだ。

「夜分遅くに申し訳ない、我々は旅の途中の僧だ。この闇夜に道に迷ってしまった。迷惑でなければここに一泊置いて貰えないだろうか。」

「え・・・?」

 宝仙の言葉に反射的に疑問の声が口を出てしまい、理由を聞こうとしたが、宝仙が口に手を当ててそれをさせなかった。

 -どういうつもりなんだろう・・・道になんか迷って・・・迷ったけど、方角はちゃんと解ったはずなのに。

そんな事を考えていると、コトリと戸のつっかえ棒を外す音と共に戸が開けられた。

「まぁまぁ、それは難儀じゃったのぉ・・・こんな所で良ければ一夜を明かしてくだされ。」

 開けられた戸から出てきたのはやはり老婆で、一目見ただけでは歳までは解らない。

見た目には感じの良い老婆のようで、優しそうな瞳が印象的であった。

「申し訳ない、お言葉に甘えさせて頂く。私の名は宝仙、こっちは弟子の聖だ。」

「は、初めまして。」

 いきなり紹介され、あわててお辞儀をする聖。

その仕草を見て、やさしい笑顔で老婆が話しかけてきた。

「ほっほっほ、めんこい尼さんじゃのぉ。長旅で疲れたじゃろうて・・・ささ、中にあがんなさい。」

「お邪魔します。」

「厄介になる。」

 小屋の中に招き入れられ、二人は早々に小屋へと上がり込んだ。

二人は囲炉裏のある居間へと招かれ、席を勧められ並んで座る。

その対面に老婆が座り、話しかけられる。

「長旅で疲れたじゃろう、ゆっくり休んでいきなされ。夕餉はもう済んだのかい?」

「いえ、まだです。」

「儂はもうすんだんじゃが、残りで良かったら食っていきなされ。」

「え・・・そんな悪いで・・・」

「頂きます。」

 老婆の薦めに申し訳ないと感じた聖が、やんわりと断ろうとした横から宝仙が口を挟む。

「し、師匠・・・」

 聖が非難の目を宝仙に向ける。

「こういうものは、進められて断る方が無礼というものだ。」

「そうかもしれませんけど・・・」

 困ったような顔をして宝仙と老婆を順に見やる。

二人のやりとりを見て老婆が笑いながら語りかける。

「良いんじゃよぅ、こういうものはおもてなしの心じゃからのぉ。無碍にされても悲しいものなんじゃよ。」

「あ・・・はい、では私も頂きます。」

 老婆は、聖の答えに満足して、茶碗を取りに立ち上がる。

戻ってきた老婆は、囲炉裏に掛けられた鍋から、粥をよそい茶碗に盛り二人に勧める。

 -あれ・・・?なんだろうこの感じ・・・なにか変。

 囲炉裏からは火がパチパチと爆ぜる音が聞こえてくる、

進められた茶碗には、先ほどの粥が盛られ、茶碗を持ってきた際に一緒に渡された小鉢には、老婆が漬けた漬け物が添えられていた。

一見何の変哲もない居間、しかし、どこか不自然だ、聖の中の何かがそう訴えているような感じがして考え込む。

 ふと、隣の宝仙を見ると何も言わずに出された夕餉を黙々と食べていた。

「どうかしたのかい?」

 老婆が聖を見て心配そうに声を掛けてきた。

その言葉で我に返り取り繕う。

「あ、いえ。すいません、何でもありません。」

「そうかい?儂はまたおかずが少なくて不服かと思ってのぉ。」

「そ、そんな・・・滅相もありません。泊めて貰うだけでもご迷惑なのに・・・」

 心配そうに聞いてくる老婆に、あわてて否定し、申し訳ないと言った感じで頭を下げる。

「いやいや、育ち盛りなんじゃ・・・何にもないが好きなだけ食べなされ。」

「はい・・・頂きます。」

 本当に心配そうな顔をしてくる老婆に、先ほど頭をかすめた不自然さの事などもう頭の中に無かった。

聖は、恥ずかしさにうつむき、もそもそと箸を進めた。

 暫くして、二人とも箸を止め、老婆に食事の礼をする。

「なぁに、作りすぎて困っていた所じゃったんじゃ。さて、それでは寝床に案内しよう。」

 そう言うと、老婆が立ち上がり、それにつられ二人も立ち上がる。

老婆を先頭に、奥の間へと続く廊下を進む。

廊下に入ってすぐの部屋の前まで来たところで、臭ってくる腐臭に気が付く。

「あの、この部屋は?」

 臭いが気になって聖が前を行く老婆に話しかける。

聖の問いに、老婆の足がぴたりと止まり、振り返って答える。

「あぁ・・・この部屋か、すまんのぉ臭いがひどくて。・・・もう古い家なんでのぉ。あちこちボロがひどいんじゃが、この部屋が一番ひどいんじゃよ。前の大雨の雨漏りのせいで部屋の畳が腐ってしまってのぉ。その臭い何じゃよ。」

「そうなんですか・・・」

 心配そうに部屋の襖を見つめる聖に、老婆が笑いながら応える。

「心配せずとも、おぬし等が泊まる部屋は一番奥の部屋じゃ、そこまでは臭ってこんよ。」

「あ・・・そう言う事じゃなくて。・・・直さないんですか?」

 聖は部屋から老婆に目線を移して問い掛ける。

「あぁ・・・もう老い先短いババ一人じゃからのぉ・・・この家が朽ちる前に、儂が保たんじゃろうて。」

「そんな事・・・冗談でも言わないでください。」

 老婆の答えに、聖は悲しそうな顔をして俯く。

「・・・優しい娘じゃのぉ・・・じゃがの?死は誰にでも何時かは訪れるものなんじゃよ・・・じゃからそんなに悲しい目をしないでおくれ?儂は十分生きた。それだけで満足じゃよ・・・いつまでもそんな顔をしていたら、めんこい顔が台無しじゃて。」

 聖の肩に両手を置いて、子供をあやすようにやさしく言い聞かせる。

「・・・はい。」

 聖はまだ納得してはいないのだろう、少し憂いを残した顔でうなずく。

「さて、おぬし等の部屋に案内しよう。」

 聖との問答の為か、なんとなく重い雰囲気が場を支配していた。

老婆は気を取り直すように言うと、また歩き出した。

 二人は、廊下の突き当たり、一番奥の部屋に案内された。

「今夜はもう遅い、ここら辺は夜は冷えるでな、風邪など引かんように温くして寝るんじゃよ。」

 押し入れから二人分の布団を取り出しながら老婆が言う。

「あ、手伝います。」

 老婆に駆け寄り、布団敷きを手伝う聖。

一通り作業を終わらせると、老婆は「表に薪を取りに行ってくる」と言い残して部屋を出ようとする。

「手伝いましょうか?」

 聖の申し出をやんわりと断ると、そのまま襖を閉めて、老婆は部屋を後にした。

 -やっぱり、良いお婆さんなんだな・・・村の人達の誤解をなんとか解いてあげたいな・・・

「・・・行ったか。」

 居間を出てから一言も喋らなかった宝仙が、突然口を開く。

「師匠・・・もう、さっきから一言も喋らないと思ったら・・・どうしたんですか?」

 聖は、少しムッとして問いただす。

しかし、宝仙はそれを無視して立ち上がる。

「ちょっと、どこ行くんですか?まだ話は・・・」

「うるせぇな・・・厠だよ。」

 聖の言葉を遮り、不機嫌そうにそう呟く。

「・・・錫杖を持って・・・ですか?」

「・・・」

 聖の指摘に、宝仙は立ち止まる。

「師匠・・・本当にどうしたんですか?なにかおかしいですよ。」

 聖の問いには答えず、宝仙は黙って襖を開けて外に出ていった。

「師匠!」

 叫ぶが宝仙からの答えはない。

聖は急いで立ち上がると、宝仙の後を追う事にした。

 -なんなのよ・・・一体。

 部屋の外に出ると、宝仙はすぐに見つかった。

居間に続く居間の手前の部屋、先ほど聖が老婆と問答をしたあたり。

宝仙はそこで、部屋と廊下を繋ぐ襖の前で仁王立ちしていた。

「いい加減にしないと、私も怒りますよ?」

 少し怒った顔で宝仙に近づく、近づくに従って、先ほどの異臭が鼻孔を刺激する。

「師匠!聞いてるんですか?」

「・・・」

 聖の語りかけを無視して、宝仙は無言で障子に手を掛けた。

 バン!

 勢いよく襖を開け放つ宝仙。

部屋の襖が開くと同時に、異臭の濃度が濃くなり、吐き気を催すのを必至で堪え近づく。

「なにして・・・」

 開け放たれた部屋が視界に入ってくる、そこで聖は出しかけた言葉を失う。

ゾクッとなにかが背中を駆けめぐる、まるで着物の中に芋虫でも入れられて、のたうち回るかのような感触。

「ひっ・・・!!」

 叫びすらも声にならない、ただ目を見開いて部屋の中に広がる光景を息をのんで見つめる。

心音と呼吸が荒くなるのを感じる。

腰が抜けて、その場によろよろと崩れ落ちるが、目だけは逸らす事が出来ない。

 -なに・・・これ?

 部屋の中に広がる光景、部屋の奥には折り重なるように積まれた、おびただしい数の白骨。

その周りには、まだ肉は残っているが、所々白い物が見えている死体。

部屋の入り口付近には、まだ新しい死体が数体ある。

ある者は首を切り落とされていたり、ある者は首があり得ない角度に曲がっている。

 ずる・・・どさ・・・

 壁に掛けられていた幾分新しい死体が倒れる。

「っ!」

 音にびくっとした聖がその方向を見やると、倒れた死体と目が合ってしまった。

ひどく濁った目と目が合う、何かを訴えかけるような雰囲気すら感じる。

「い・・・いや・・・」

 聖は驚愕と、恐怖、そして悲しみが混ざったような顔で首をフルフルと振っていた。

「・・・」

 一方の宝仙は、腐臭に顔を歪めながらも部屋の中を見回す。

「うん・・・?」

 何かを見つけたのか、部屋の中央に目をやり、その場をじっと凝視する。

「・・・なにをやっているんじゃ?」

 不意の問い掛けに、聖はびくっとしながら声のする方に顔を向ける。

遅れて宝仙もゆっくりと顔を向ける。

「見てしもうたか・・・御坊様じゃから、そのまま帰してしまおうと思ったんじゃがのぉ。・・・いつから気が付いていたんじゃ?」

 幽鬼の如くその場に立つ老婆は、この状況を見ても冷静でいる宝仙に対して問い掛ける。

「最初からさ・・・この家を見た瞬間から嫌な気配を感じた。感じただけならそれに越した事はなかったんだがな・・・俺もそこでへたり込んでる奴と同じで、あんたの噂を信じてなかったからな。・・・だが、こう言う時に限って俺の感は当たるらしい・・・ここに招き入れられて二つの違和感を感じた。」

 老婆から決して目を外さずにそう告げる。

「ほぉ・・・二つの違和感とな?」

 廊下は薄暗く、居間の囲炉裏の炎のせいもあり、この距離からでも老婆がどんな顔をしてるのか解らない。

しかし、宝仙の話しに少なからず興味を示したような感じは、声から伝わってきた。

「あぁ・・・一つはこの部屋だ、あのとき臭って来た腐臭は、木や植物が放つ物とは明らかに違っていた。・・・そしてもう一つ。」

 そこで一旦言葉を切って、一呼吸置く。

「・・・あの囲炉裏に吊された鍋のなかの粥だ。」

「ほぉ・・・粥とな?」

 老婆は訳がわからないといった感じで問い返す。

「あぁ・・・あんたはあの時、俺達に粥を勧める前にこう言った。夕餉は済んだ・・・と。」

「あ・・・」

 聖はそこで、自分もその時感じた違和感を思い出す。

 -そうか・・・だから不思議に思ったんだ・・・

「あんたは粥を食べたはずだよな?・・・しかし、あの鍋の中身は俺達が来て初めて蓋を開けたんじゃないか?・・・量が減ったら、必ず出来る跡があの鍋の縁には付いていなかった・・・」

「・・・なるほどのぉ・・・大した観察力じゃて・・・じゃが、それだけでその部屋を開けたのか?そのまま朝までおとなしくしていれば良いものを・・・」

「フッ・・・そんな事決まっているだろう。」

 少し間をあけ、不敵な笑顔を浮かべる。

「好奇心さ。」

 その答えを聞き、老婆はため息を吐く。

「ふぅ・・・お若いの・・・こういう言葉を知っておるか?」

 そこまで言って、懐に手を忍び込ませ、すっと隠していた物を取り出す。

「好奇心が人を殺す・・・とな。」

 そう言って、一歩づつゆっくりと近づいてくるその手には、よく使い込まれた包丁が怪しい光を放っていた。

「年寄りの冷や水って言葉を知ってるかい?」

 近づく老婆を見ても全く動じない宝仙が、軽口を叩く。

「戯れ言を・・・」

 その言葉を最後に、老婆は廊下を蹴る。

そんなに距離を置いていないため、間合いは一瞬で詰められる。

「チッ!」

 尋常では考えられない老婆の速度に、宝仙は舌を打つ。

老婆の右手に携えられた包丁が、光の軌跡を残して宝仙に襲いかかる。

正格に、恐ろしいほど容赦なく宝仙の心臓を狙ってくるが、間一髪の所で体をよじって回避する。

回避された包丁を、一旦引いて体勢整え、次の攻撃の備える。

しかし、それを阻止するように、宝仙は手にした錫杖をあたかも棒術のように回転させる。

老婆はたまらず一旦距離を置くように、数歩分後ろに飛ぶ。

「ホッホッホ・・・あんた、なにか武術でもしていたんかいのぉ?」

「昔、俺がまだガキの頃生きるために身につけた術さ。」

 老婆の問い掛けに答えながら、宝仙は左足を前に出し、錫杖の先端を老婆に向ける形で両手を添える。」

「なるほどのぉ、生きるため・・・か」

 言い終わるが早いか、老婆が廊下を蹴り宝仙に襲いかかる。

それに併せ、宝仙は錫杖を前に突きだし、添えていた左手を離すや、小さく梵字を描く。

「ヴァジュラヤクシャ!」

 左手で書いた梵字の梵名を叫び、込められた言霊を解放する。

 どん・・・

 鈍い音と共に錫杖の先端に振れた老婆が後方に吹き飛ぶ。

吹き飛ぶと同時に、居間の壁を突き抜け、奥の部屋の土壁に叩き付けられる。

「おい!いつまでそうしてるんだ!ここじゃ場所が悪い外に出るぞ!」

 宝仙の後ろで事の成り行きを見ていた聖に声を掛ける。

「し・・・師匠・・・腰が抜けて動けませ~ん。」

 涙目になりながら情けない声で答えてくる聖に舌打ちし、聖の首根っこを掴むとそのまま軽々と持ち上げる。

「きゃぁ、し、師匠・・・首痛いですよ~」

「黙ってろ、舌噛むぞ。」

 聖を持ち上げた宝仙は、そのまま荷物を置いた部屋まで駆け出す。

部屋に入り、首を掴んでいた手を離して、自分たちの荷物を聖に持たせる。

「この壁の向こうは外に繋がってるはずだ・・・」

 言うが早いか、土壁に左手をかざして意識を集中する。

「・・・オン!」

 シャラン・・・

 右手に持った錫杖を、一度床で叩くと、先端の飾りから鈴に似た音を奏でる。

 ボコ・・・

 左手を中心に、土壁が音を立てて崩れ落ちる。

「聖、先に出ろ!」

「すいません・・・まだ駄目みたいです。」

 声を掛けられた聖は、立ち上がろうともがくが、上半身が上下するだけだった。

「ったく、足手まといになってんじゃねぇよ。・・・ッ!!」

 宝仙の顔が一瞬引き締まる、耳を澄ますと居間の方から瓦礫の崩れるような音がしてきた。

「チッ・・・もう起きあがれるか。」

 囁くように呻くと、聖の方に駆け寄り、また首根っこを掴み持ち上げる。

そのまま体の向きを変えると、崩れた土壁に向けて駆け出す。

外に飛び出すや否や、掴んでいた聖を前方に投げ捨て体勢を整える。

投げ捨てられた聖は、勢いそのままで二回ほど体ごと弾む。

「いたたた・・・もぅ、投げないでくださいよ~。」

 聖の非難を無視し、自分たちが出てきた土壁を見据える宝仙。

左手を眼前に持っていき、目を瞑ってぶつぶつと何かを唱えている。

「きえぇぇぇぇ!」

 叫声を上げて、廊下を走って来る老婆が部屋の入り口を曲がって、こちらに向かってくる。

手にした包丁を、振りかぶる形で跳躍する。

「師匠!」

 その光景を目の当たりにした聖が叫ぶ。

「オン バザラヤキシャ ウン!」

 老婆の持つ包丁が宝仙を捕らえる瞬間、目を見開き叫ぶ。

 バヂヂ・・・

 宝仙と包丁の間に、火花のような音が爆ぜる。

「・・・ッ?!」

 その光景に一番驚いているのは、包丁を振りかざしていた老婆本人であった。

「これは・・・」

 老婆と同じく驚いている聖の呟き。

「結界だ・・・時間がなかったからこの部屋を覆うだけの簡素なもんだが、これで暫く時間が稼げる。」

 目の前に包丁を突きつけられても、微動だにしない宝仙。

「腰は大丈夫か?・・・時間が惜しい、ここらじゃまだ分が悪そうだ・・・行くぞ。」

「え・・・あ、はい!」

 一瞬聖に目配りをして駆け出す。

放り出された際の衝撃で、腰が治ったのか、聖は立ち上がると同時に宝仙の後を追いかけだす。

 -おばあちゃん・・・

 肩越しに老婆を見やり、悲しそうな表情を浮かべる。

今も老婆は、包丁で結界を破ろうとしていた。

目線を前に戻すと、先行して走る宝仙との距離が少しだけ開いている事に気付く。

 -・・・今は師匠の足をひっぱらないようにしなくっちゃ。

 これ以上宝仙に離されぬよう、聖は走る速度を上げた。



 暫く崖沿いを走ると、広大な草原の入り口にさしかかる。

宝仙は入り口から十分に離れた場所で立ち止まる。

少し遅れて聖も宝仙のいる場所にたどり着き、立ち止まると肩で息をし呼吸を落ち着けた。

「聖、荷物を寄こせ。」

「はぁ、はぁい・・・」

 聖に持たせていた荷物を受け取り中の物を物色し始める。

目的の物を見つけたのか、宝仙は懐に何かをしまうと辺りを見回す。

「師匠・・・」

 少し休んで落ち着いたのか、聖が不安そうな顔をして宝仙に問い掛ける。

「・・・なんだ?」

 辺りを見回すのを止めた宝仙が、しゃがんで何かをし始める。

「あのおばあさん・・・退治するんですか?」

「最悪の場合はな。」

「最悪?」

 宝仙の答えに困惑して聞き返す。

一方の宝仙は、聖の問いに「あぁ」とだけ応えると、立ち上り少し離れた場所まで歩きだすと、またしゃがんでしまった。

「・・・何をしてるんですか?」

「うん?仕込みをちょっとな。」

 それだけ応えると、また立ち上がり、数歩歩いてしゃがむ行為を繰り返した。

「さて・・・聖、これ持ってあそこの岩の影にでも隠れてろ。」

「え?」

 宝仙は、着ていた羽織を聖に手渡すと、少し離れた岩陰を指さし指示する。

「時間が無い、もうそろそろ奴が来る頃だ。」

「で、でも・・・」

 不安そうな顔を浮かべて宝仙を見つめる聖。

そんな聖を見つめて、宝仙はため息を吐いた。

「なんて顔してやがる・・・俺がやられるとでも思ってんのか?」

「いえ・・・そうじゃなくて・・・」

 歯切れの悪い答えをして俯く聖を見て、宝仙はその頭にポンッと手を添えて撫でる。

「心配すんな、時間がないから説明は出来んが・・・夕餉の恩を返すだけだ。」

「それって・・・」

「・・・まぁ、あの婆さんがそれを望めば・・・だがな。」

 聖があの老婆を心配している事を悟り、その不安を解くように諭す。

「・・・気を付けてくださいね?」

「あぁ・・・」

 その言葉を信じて、聖は宝仙が指示した事に従い、岩の影へと駆け出す。

岩に向かう聖は、自分が何も出来ない事に歯がゆさを覚えるのだった。

 -・・・さてと。

 聖を見送った宝仙は、先ほど自分たちが走ってきた草原の入り口を見据える。

「・・・来たか。」

 見据えた先、草原の入り口に人が現れる。

その手に握られた包丁が、月の光を受けて怪しく輝いていた。

「カカカ・・・もう鬼ごっこは終わりかえ?」

「はん!捕まったら最後の鬼ごっこなんざやってられるかよ。」

 鼻で笑い、軽口を叩く宝仙の目は、先ほどの老婆とは明らかに異なる部分を捕らえる。

それは、人には決して有るはずのない角。

鬼の象徴である角が、老婆の額から生えていた。

「・・・良い面構えになってんじゃねぇか?そっちの方がおまえにはお似合いだぜ?」

 -さっきは無かったはずだ・・・それに会ったときには全く感じなかった妖気・・・俺の考えが間違いなければ、あれは・・・

「減らず口の減らない男じゃのぉ。」

 老婆の声で、思考を一旦終わらせると、懐から独鈷杵を四本取り出し、左指の間に挟み構える。

「おまえとは遊んでられんのでな、さっさとおいとまして貰うぜ?」

「カカカ・・・おぬしにそれが出来るかな?」

 老婆は、不敵な笑みを浮かべて、体を前に傾けたかと思うと走り出してくる。

宝仙は、すかさず左手に持っていた独鈷杵を老婆めがけて投げつける。

投げると同時に、開いた左手で梵字を描き叫ぶ。

「ヴァジュラヤクシャ!」

 梵字に込められた言霊を、梵名にて解放する。

同時に、放たれた独鈷杵から淡い光が漏れる。

「カカ!」

 独鈷杵が老婆に当たる瞬間、老婆は左に跳んでそれを外す。

「ッ?!」

 外したはずの独鈷杵は、老婆の少し後方まで行くと方向転換して老婆を追尾し迫る。

それに一瞬怯む老婆だが、跳躍し空中で向きを変えて迫る独鈷杵と向かい合う。

「カ!」

 ガン、ガガンガン・・・

 老婆は、手にした包丁を振りかざし、迫ってきた独鈷杵をたたき落とす。

たたき落とされた独鈷杵は、力を失い難なく下草に突き刺さった。

「カカカ・・・なかなか面白い事をする・・・」

 降り立った老婆は、地面に突き刺さった独鈷杵を一瞥して笑う。

「おや・・・なんだい?敵わぬと解って念仏でも唱えてるのかね・・・?カカカ!やはりただの坊主よのぉ!」

 視線を宝仙へと向けると、左手を眼前に持っていきブツブツと何かを唱えている姿を見つけ、高らかに笑う。

「仕方がないのぉ・・・もう少し遊べると思っていたんじゃが・・・ひと思いに楽に死なせてやろうかのぉ・・・その後は、その岩陰に隠れているお嬢ちゃんと遊んで貰うとするよ・・・」

 聖が隠れている岩陰に向かって冷徹に言い放つ。

気配だけだが、聖が震えている事が宝仙にも伝わってくる。

一呼吸置き、包丁を眼前の宝仙に向けて構えると、地を蹴り走り出す。

疾風の如きその速度で、間合いが一瞬にして縮められる。

「オン!」

 シャラン・・・

 それを見越していた宝仙は、右手にした錫杖を地で叩くと目を見開き叫ぶ。

その瞬間、宝仙の前方に球形の檻のような物が出現する。

が、眼前に老婆の姿はなく一陣の風だけが過ぎ去る。

「カカカ・・・同じ過ちを繰り返すとでも思うたか・・・?」

 右の方から声が聞こえ、宝仙はゆっくりとそちらに目線を移す。

「・・・なんじゃ?恐怖で声も出ないか?カカカ・・・」

 目線を移した先には、不敵な笑みを浮かべて佇む姿があった。

「・・・それで儂の動きを封じようと思っておったんじゃろ?」

 宝仙の前に出現した檻のような物を一瞥して呟く。

「フ・・・こいつは参ったな。俺もとうとう焼きが回ったか・・・な?」

 薄笑いを浮かべ、老婆と対峙する宝仙。

「・・・強がりを・・・今度こそあの世へ送ってやろうて・・・」

 全く動く気配を見せない宝仙を見て、諦めたと思った老婆は、警戒しながらもスッと一歩宝仙に近づく。

「・・・賭は俺の勝ちのようだ。」

「何・・・?」

 そう呟くやいなや、老婆の真下からまばゆい光が発せられる。

「ッ?!」

 閃光の眩しさに、老婆は手で目を覆ってしまう。

その光からジャラジャラと音を響かせながら鎖の形をした物が老婆めがけて飛来する。

「こ、これは・・・!」

 鎖が老婆の首に巻き付き驚愕の表情を浮かべる。

目線を下へと移すと、閃光を放つ下草の陰に五鈷杵が有る事に気付く。

「種明かししてやる、俺が最初に投げた独鈷杵はあんたの気を逸らす為だけの物じゃない、あんたが条件反射でどっちに避けるかを見るためでもあったのさ。条件反射ってのは無意識の行動だからな・・・後はさっきの状況と同じにしてやれば、あんたは俺が結界を貼ると思いこみ、側面へ一旦逃げると踏んだのさ。・・・後は仕掛けた五鈷杵の左側に移動して経文でも唱えて居ればいい。人間を甘く見すぎてるてめぇなら引っかかると踏んだのさ。」

 淡々と語る宝仙を見て、老婆の顔がみるみる怒りの形相へと変わる。

「おのれ・・・こんな若造に謀れるとは・・・」

 言い終わるや、まだ自由の利く手足を使い、宝仙に襲いかかろうと地面を蹴る。

「キエェェェ!!」

「・・・無駄だ。」

 その行動にも全く動じない宝仙は、手にした錫杖で地面を叩く。

 シャラン・・・

 錫杖の音に伴って、最初の閃光を放つ場所を中心に、上下左右四カ所から同じ閃光が上がる。

その光からも、同じように鎖が飛び出すと、老婆の両手両足に絡みつく。

「ぐうぅぅぅ!!」

 自由を完全に奪われた老婆は、獣のようなうなり声を上げながら、宝仙から引き離される。

絡まる鎖を振りほどくように藻掻くが、藻掻けば藻掻くほど鎖は強く食い込む。

「その五鈷杵には、それぞれ五大明王の梵字を書いて置いた。無理に藻掻けばそれだけ苦しくなるぞ。」

「おのれ・・・おのれぇぇぇ!くちおしや・・・にくらしや・・・」

「・・・そろそろ終演にしようや。」

 口から呪言を吐く老婆を見据え、宝仙は高らかに叫ぶ。

「五大明王陣!五天封魔束縛陣!」

 中央の光が一際輝いたかと思えば、その周りを囲む四つの光が結ばれ、面を形成し四角錐の結界に変わる。

結界が形成されると同時に、老婆を戒めていた鎖も消える。

「ッ!!ぎゃぁぁぁ・・・ぐぅ・・・ふぅぅぅぅ・・・」

 鎖が消え、自由になった老婆は、叫びと共に結界内でのたうち回り、苦痛を訴える。

「苦しいか・・・その中は五大明王の力場によって、魔なる者を排除しようとするからな。今のままでは苦しいだけだぞ。」

「師匠!」

 岩場の陰から事の一部始終を目撃していた聖が、宝仙の元へと駆け寄ってくる。

駆け寄ってくる聖を肩越しに一瞥して、視線を老婆へと戻す。

「はぁ・・・がはぁ・・・」

「・・・おばあさん、どうなっちゃうんですか?」

 目を剥き荒く息を吐く老婆を見て、不安そうに聖が呟く。

「まぁ・・・もう少し様子を見てろ。」

 聖の問い掛けに、真剣な表情で老婆を見つめたまま応える。

「ぐぎゃぁぁぁ!!」

 一際大きい叫び声を上げたかと思うと、その場でぐったりとうつぶせに倒れる。

「師匠・・・」

「あぁ・・・」

 聖の悲しそうな声に、ただ相づちを打って応える。

しかし、宝仙はそれでも老婆を真剣な瞳で見つめ続けていた。

一方の聖は、老婆がピクリとも動かなくなったのを見て、その場で膝をついて鳴き始める。

「・・・おい、何泣いてるんだよ。」

「だって、だって・・・お婆さん死んじゃったから・・・」

 宝仙ならば、この老婆を助けてくれる。

そう信じて待っていた聖に取っては、老婆の死とは最悪の結果でしかなかった。

そんな聖を見て、宝仙はため息を吐いて告げる。

「何勘違いしてやがる・・・この婆さんはまだ生きてるよ。」

「・・・ふぇ?」

 涙で顔をくしゃくしゃにした聖は、宝仙の言葉に驚き見上げる。

「おい、いつまで寝てるつもりだ?」

「・・・いつから気付いておった。」

 うつぶせになって寝ていた老婆は、宝仙の問い掛けに応え、その場で起きあがる。

「おばあさん!」

 起きあがる老婆を見て、涙を流したまま呼びかける聖。

その姿には、先ほどまで額に生えていた角は見あたらない。

「え・・・?どういう事ですか?」

 老婆の額に角が無い事に驚き、宝仙を見上げる。

「いつからか・・・漠然と脳裏にその可能性がよぎったに過ぎない。確信に変わったのは、あんたがこの原に姿を現した時、最初は微塵も感じなかった妖気を感じたから。・・・どんなにうまく隠せたとしても、完全に無にする事は叶わないからな。」

「なるほどのぉ・・・」

 宝仙の答えに、なんとなく吹っ切れたような表情で頷く老婆。

ただ一人だけ、話しに付いていけない聖だけは首を傾げていた。

「どういう事なんですか?」

 話の腰を折られ不機嫌そうな顔で聖を見据え答える。

「この婆さんはな・・・二面鬼だ。」

「二面鬼・・・ってなんですか?」

 聞き慣れない言葉に、訳がわからないといった感じで聞き返す。

聖の行動に、「はぁ」っと深いため息を吐いて説明する。

「二面鬼ってのはな、鬼の心と菩薩の心を宿した鬼の事だ。この結界で、鬼の方を引っ込めて、最初に出会った婆さんを強制的に出したのさ。」

「鬼なのに・・・菩薩の心って・・・」

 いまいち理解していない聖を放って置いて、老婆に告げる。

「あの死体の部屋の中央・・・布にくるまられた赤子の骨は、あんたの子か?」

「え・・・?」

 宝仙の言葉に驚き老婆に顔を向ける聖。

「・・・なにもかもお見通しと言う事か・・・」

 そう呟くと、天を仰ぎぽつりぽつりと語り出す。

「いかにも・・・あの子は忌まわしくも愛しい我が子じゃ・・・もう、何十年も昔の話じゃ・・・今思い返しても昨日の事のように鮮明に思い出せるよ・・・」

 そこまで答えて、顔を二人に向け意を決したように語り出す。

「儂は・・・あの村の出ではないのじゃ・・・ここより三つほど山を越えた隣の村で、生まれたばかりのヤヤと親子三人で慎ましやかながら平和に暮らしておった。・・・じゃが、その平和はそんなには長くなかった・・・」

 一言一言、呟くような語りを聞き逃さぬように耳を傾ける二人。

老婆の顔には、憂いと怒りが伺える。

「ある日・・・儂の村に山賊に襲われたんじゃ・・・ある者は殺され、女子供は捕まり、家は焼かれ、村の微々たる蓄えすら奪われた・・・儂等の家は村の出口が近かったため何とか森に逃げ込んだのじゃ・・・じゃが、それに気付いた山賊共が儂等を追って迫ってきておった・・・夜の森の中じゃ・・・赤子を抱いた儂は逃げ切れないと思った・・・じゃから・・・」

 そこで言葉を止めて、小さい嗚咽を漏らす。

老婆は目を手で覆いながらも話を続ける。

「儂は・・・亭主に赤子を任せ、儂を置いて逃げろと言った・・・亭主ならば、逃げ切れると思ったんじゃ・・・じゃが・・・儂の申し出を断ると亭主は・・・」

 そこで口を閉ざしてしまった老婆に代わり、宝仙が思った事を口に付く。

「・・・俺が時間を稼ぐ、だからおまえが逃げろ・・・」

 宝仙の呟きに無言で頷くと、ただ、涙を流して悲しむ。

「そんな・・・そんなのって。」

 老婆の語る話を、ただ黙って聞いていた聖も涙を見せながら呟く。

幾ばくかの無言の時間が過ぎ、老婆は話を続ける。

「命からがら逃れた儂と赤子は、なんとかあの村までたどり着く事が出来たのじゃ。しかし・・・不慣れな山歩きと山賊の襲撃による恐怖で、儂は乳が出なくなってしまっていた・・・そこで儂は、仕方なくあの村で乳の出るおなごに儂の子に乳を飲ませて貰うように頼んだのじゃ・・・じゃが・・・あの頃は、病が流行っておったせいもあり、どこの者とも知れぬよそ者は相手をされなかった・・・儂はそれでも、何度も何度も頭を下げてお願いした・・・腹を空かせた赤子を抱いて何度も・・・何度ものぉ。」

 そう言うと、老婆は深いため息を吐いて目を閉じて続ける。

「じゃが・・・儂の願いは届かず・・・あの子はやがて泣かなくなってしまったよ・・・儂は泣いた・・・声を大にしてのぉ・・・三日三晩泣き続けた・・・」

「そんなのって・・・そんなのってないよ!」

 老婆の話を遮り、聖は悲痛な叫びを上げる。

「なんで・・・どうして、泣いている赤ちゃんを前にして・・・なんでみんな助けてあげようとしないの?そんなの・・・悲しすぎるよ・・・」

 嗚咽を漏らす聖を、宝仙はその胸で抱き頭を撫でる。

「どこにでもある話しさ・・・だが、今のおまえは目を逸らせ・・・目に見える真実に耐えうるだけの強さを身につけるまでは・・・な。」

 その言葉を聞いて、聖は宝仙の胸に顔を埋めて大声で泣き出す。

「本当に・・・優しい娘じゃのぉ・・・」

「・・・馬鹿正直なだけさ。」

 聖の頭を撫でながら苦笑して答える。

 -今は泣けばいい・・・いつか目を逸らす事なく真実を見つめる事が出来るまではな・・・

「それであんたは鬼に堕ちたのか・・・」

 宝仙の呟きに頷く老婆。

「動かなくなった赤子に、早く乳をあげなければ、そう思っておった・・・気が付いたら、儂は・・・」

 全てを語り終わった老婆の顔には、色々な感情がない交ぜになっているようだった。

「全ては子の為・・・か、子を失った母の憎しみが鬼を呼んだか・・・菩薩故の闇が鬼になったか・・・いずれにしろあんたはもう後戻りは出来ない。」

「解っておるよ・・・儂の弱さが鬼を生んだのじゃ・・・いずれはこうなる日が来る事くらい解っておったよ・・・思えば儂は・・・儂を止める事の出来る者を待っておったのかもしれんのぉ・・・」

 自嘲ぎみに笑う老婆は、どことなく儚げに見えた。

「師匠・・・」

 泣きやんだ聖が、不安そうな表情で宝仙を見つめる。

そんな聖の頭をポンッと一回叩く。

「言ったろ?粥の恩を返すだけだってよ。」

「え?」

 不思議そうに答える聖を引き離し、老婆へと向き直る。

「なぁ、婆さんよ?今のままで退治すると、もう輪廻の輪をくぐる事は出来ない・・・それが鬼に堕ちた人間の末路だ、ただ消滅するだけ・・・」

「・・・なにが言いたいのかわからんが、その位の覚悟は出来ておるよ・・・」

 宝仙の問いに答え、目を瞑って手を併せる老婆。

それを見て、宝仙はゆっくりと後を続ける。

「もし・・・何年先になるかわからんが・・・輪廻の輪をくぐったあんたの子が・・・あんたの前に現れた時、あんたは鬼の呪縛から解放されて、来世で人としてやり直せるとしたら・・・あんたはどうする?」

「え・・・?」

 宝仙の言葉が信じられないと言った感じで聞き返す老婆。

聖も老婆と同じ表情で宝仙を見つめる。

「何年・・・何十年・・・もしかしたら今までよりも長い年月をこの場所で過ごさなければならなくなるかもしれないが・・・転生したあんたの子が現れるかもしれないと言ったら・・・あんたはその苦痛を受け入れるか・・・?」

 老婆は、朗らかな笑顔を浮かべ一筋の涙を流して一言答える。

「・・・どうか・・・」

 その返事に頷くと、聖に預けていた荷物から、一つの鈴を取り出す。

意識を集中し、右手に鈴を握りしめる。

「・・・オン!」

 ジジジ・・・

 握り絞めた鈴から奇妙な音が発せられる。

手を開くと、そこには淡い光を放つ鈴が転がっていた。

その鈴を老婆に向かって放り投げる。

 チリンチリン・・・

 鈴は乾いた音を放ち、放物線を描きながら、老婆の手に転がる。

「もし、あんたの子が目の前に現れたならば、その鈴が教えてくれるだろうよ。」

「おぉ・・・」

 手にした鈴を、愛しそうに見つめて呟く老婆。

「・・・準備はいいか?」

 宝仙の問い掛けに、無言で頷く。

それを見て、宝仙は手にした錫杖を聖に預けると、懐から数珠を取り出。

両手を併せ、瞑想するように両目を閉じて意識を集中する。

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空・・・」

 宝仙の口から紡がれる経文は、あたかも詩を歌うように、風に乗って流れる。

暫くすると、禅を組んで手を併せていた老婆に変化が現れる。

 ピシ・・・パキ・・・

 老婆の足が、地面と一体化するかの如く、石に変わり始める。

 ズゴ・・・ズゴゴ・・・

 少し間をおいて、老婆の周りから黒い石が地面からせり上がってきた。

「究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故・・・」

 不安そうに聖は老婆を見つめている。

その間も、老婆の体は徐々に石へと変わっていく。

「是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪・・・」

 宝仙は、ただひたすらに経文を唱え続ける。

老婆の石化は、もう首の所まで達し、それを覆うようにせり出す黒い岩も胸の辺りまで来ていた。

不意に、老婆は聖の方を見て呟く。

「聖さん・・・」

「え?」

「・・・ありがとう・・・」

「即説呪日羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。」

 ズズズズ・・・ゴゴォン

 経文を唱え終わると同時に、老婆の姿は黒い岩に完全に阻まれ見えなくなってしまった。

「・・・これで、良かったのかな・・・」

 先ほどまで確かに居た、老婆だった黒い岩を見つめて、聖はポツリと呟く。

「・・・俺に聞くな・・・あの婆さんが望んだ事だ。」

「きっと・・・あのお婆さんの子が来る日がきますよね?」

「俺が知るかよ・・・」

 二人は暫くその場で黒い岩となった老婆を見つめていた。




200×年8月

福島の県道は、夏休みと言う事もありそれなりに渋滞していた。

「うぅ~何なのよこの渋滞は・・・」

「しょうがないでしょ?この先に観光地が有るんだし、夏休みなんてどこもこんなものよ。」

 一台の車の中、若い女性二人が渋滞に捕まっていた。

「そうかも知れないけどさ~、あ~ぁこんな事なら旅館で待ってれば良かった。」

 助手席に座るロングヘアーの女性は、渋滞に捕まった事にブツブツと文句を垂れる。

ハンドルを握るショートヘアの女性も、さすがにイライラしているのか、ハンドルを指で叩いていた。

車内に流れるカーステレオも、彼女達の不満を解消する事は出来ないようだった。

「ねぇ~、葵~。大学の夏期講習9月までなんだし、こんなに急ぐ事無かったんじゃない?」

 助手席に座っていた女性は、隣に座る葵に語りかける。

「美砂・・・あんたが明後日から帰省して、休みが終わるまであっちに居るって言ったから今日になったんじゃない。」

 美砂と呼ばれた女性は、頭を掻いて「あぁそうだった」と呟く。

「あんた・・・暑さで惚けたの?」

 葵は呆れた顔をしてため息を吐く。

「なによ~、葵のお願いを聞いてここまで付いて来てあげたのに、そんな言い方無いでしょ~?」

 そう言うと、頬を膨らませて怒る仕草を見せる。

「はぃはぃ、優しい友人を持って私は幸せよ。」

 右手をひらひらとさせておどける。

「・・・どうでもいいけど、退屈ね。」

「・・・そうね。」

 そこで会話は途切れ、時間だけが過ぎていく。

結局、目的地に着いたのはそれから一時間程経った頃だった。



「ん~、やっと着いた~お尻痛~い。」

 車を駐車場に止めて、外に出ると二人は大きく伸びをする。

堅くなった筋肉をほぐすかのように、腰や肩を回す。

「安達ヶ原ふるさと村・・・なかなか大きそうじゃない。」

 目的地の看板を見やりポツリと呟く美砂。

「そうね、私も来たのは初めてだけどね。でも目的地はあそこじゃないわよ?」

「そうなの?」

 美砂の問いにこくりと頷くと、ふるさと村のある場所から少し離れた寺を指さす。

「あそこのお寺に黒塚が有るのよ。ふるさと村ってのは黒塚の伝説を知ってもらおうって事で出来たんだって。」

「へぇ~」

 葵の説明にあまり興味がないと言った感じで相づちを打つ。

「・・・なによ、あんまし興味なさそうね?」

 美砂の返事に不満があったのか、腰に手をやり美砂を見やる。

「ん~、昔話の方には興味があるけど。あたしは葵とは違って専攻が違うからさ。」

「ま、それもそうか。」

 美砂の答えに、少し考えてから頷く。

この場所に来た目的とは、葵の専攻である民族風習学で、伝承のレポートを提出する事になった為、その資料収集を兼ねた旅行であった。

美砂は、近くにある温泉街に釣られて葵に付いてきていたのだった。

「それよりもさ・・・」

 美砂は、葵の頭から足先までを舐めるようにして見やり呟く。

「あんたのその恰好・・・なに?」

 不意に問われ、葵は自分の服装を確認する。

「何か変?」

 葵は訳がわからないと言った感じで聞き返す。

葵の服装は、Tシャツにジーンズ、スニーカーと言ったラフな服装だった。

「いや・・・変って言うかさ、地味すぎない?」

 唐突に言われ、ため息を吐いて聞き返す。

「美砂君、女二人の色気も何もないような場所での旅行で、君みたいにキャミにミニのハイヒールなんか必要だと思うのかね?」

「こんな美人二人の旅行なんだから、いつ何が起きても良いようにしておくものよって言いたいのよ。」

 フフンッと自慢げに言い放つ美砂に呆れながら言う。

「美人って、自分で言うかこの子は・・・」

「まぁまぁ、備えあれば憂いなしって言うじゃないの。服貸してあげるから明日着なさい。」

「はぃはぃ、気が向いたらね。」

 そこで会話を強制的に終了させて、葵は寺の方を目指し歩き出す。

「あれ?そっちからいくの?」

「うん、ゆっくり見ようと思ってね。いいでしょ?」

「いいわよ~明日服着てくれるならね。」

「まだひっぱるんかい・・・」

 美砂は「冗談よ」と笑って答えると葵の後に付いていく。

暫く歩くと、目的の寺に着く。

辺りを見回しても、人の気配は感じられなかった。

「みんな向こうに行っちゃってるのね。」

 そう言って、美砂はふるさと村の方に視線を移す。

「まぁ、ある意味向こうがメインだしね。伝承が受け継がれても、存在の証にまで目がいかない。・・・そう思うとちょっと悲しいな。」

 寂しそうに苦笑して答える葵。

「ん~、そう言う考えも出来るけど、受け継がれる事に意味があるんじゃないかな?忘れそうになるから形を残そうとする。このお寺だって、その黒塚も忘れそうになったから作ったんじゃない?あのふるさと村みたいにね、最初からこの場所に在った訳じゃないんだしさ。」

「フフ・・・あんたは言う事が哲学的ね。・・・でもそうかもね。」

 美砂の言う事に軽く笑って頷き、眼前の大木を見上げる。

木漏れ日の光が眩しく瞼を閉じる。

「受け継がれる・・・か、簡単なようで大変だよね。」

「何言ってんのよ。それをあんたはしたいんでしょ?さっさとその黒塚見に行こうよ。」

 そう言うと葵の頭をぽんぽんと叩いて促す。

「そうね。」

 それに応え、境内の中を歩く。

それほど大きくはない境内なので、目的の黒塚はすぐに見つかった。

「ふ~ん、これが黒塚か・・・案外小さいのね、あたしはまた2~3メーター位あるもんだと思ってたけど。」

 見つけた黒塚は、小学校低学年の子供の背ほどの大きさの、何の変哲もない小さな岩のように見えた。

「別名鬼塚、昔ここら辺に住み着いた鬼婆のお墓よ。」

 物珍しそうに黒塚を見つめる美砂に、簡単な説明をしてやる葵。

「ちょっと待っててね、すぐ終わるから。」

 そう言うとポケットからメモ帳とペンを取りだしてなにやら書き出す。

「別にゆっくりで良いわよ~、境内でも見て回るから。」

 葵に気を遣って応える美砂は、境内を見学し始める。

 チリーン・・・

「え・・・?」

「うん?どうしたの?」

 不意に葵が声を上げた事に気が付き声を掛ける。

「今、鈴の音みたいなのが聞こえたんだけど・・・美砂聞こえた?」

「鈴?聞こえなかったけど。」

「・・・気のせいかな。」

「暑さで惚けたのかにゃ?」

 少し前に葵に言われた事を、戯けた笑顔で言い返す。

「・・・あんた、その性格直しなさいよ。」

 半眼になって美砂を睨んで呟く。

葵は聞こえて来た鈴の音の事を、あまり気にせずに作業を続ける。

 チリーン・・・チリリーン・・・

「ッ!?やっぱり聞こえる。」

「え~?そんなのあたしは全然聞こえないわよ?」

「本当よ!ほら、こっちに来て。」

 ひどく驚いたような顔をして、興奮気味に美砂に顔を移し訴える。

「ちょっと、何興奮して・・・」

 美砂は、そこまで言うと言葉を止めて葵の顔を凝視する。

「葵・・・あんた、泣いてるの・・・?」

「え・・・?ッ!?」

 美砂に言われ、ようやく自分が泣いている事に気付く。

「私・・・何で泣いてるの・・・?」

「ちょっと、どうしたのよ!?」

 心配した美砂が、葵の元へと駆け寄り肩を抱く。

肩を抱かれた葵は、困惑気味で美砂の顔を見やる。

「美砂・・・私・・・」

 チリリーン・・・チリリーン

「ッ?!ふ・・・く・・・うっうぅぅ・・・」

 葵の耳に三度鈴の音が響くと、声を出して泣き出してしまった。

鈴が鳴り響く度に、彼女の心が悲しみで支配される。

「ちょっと!どうしたのよ葵!」

「うっ・・・うぅ、うわぁぁぁぁん!」

 堰を切ったように泣き出す葵は、美砂の胸へと顔を埋める。

 -なんで・・・こんなに・・・悲しいの・・・?

 自問自答を繰り返す葵の心は、いつまで経ってもその答えを導き出す事が出来なかった。

黒塚で鈴の音を聞いた者は、後にも先にも彼女だけだった。

それ以来、その彼女ですら鈴の音を聞く事は無かったという。

当の黒塚は、今も尚その場所に静かに佇み続けている。



 黒い岩と化した老婆を、優しい笑みで見つめていた聖は不意に呟く。

「私は、何時か必ず現れると思いますよ?・・・だって・・・」

 聖が言い終わる前に、その呟きが一陣の風によってかき消される。

聖が最後になんと言ったかは、宝仙にも解らなかったが、聖の顔を見ているとどうでも良いような気になる宝仙だった。


04.08.03

by.神無月拓楼

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