宝仙伝バレンタインサイドストーリー 『鈴の音色と人形』
「お買い物に行ってきますね。」
そう言って、居間に居る宝仙様と聖ちゃんに声を掛ける。
「あっ!私も行きます。」
私の一言に、早速喰らい付いてくる聖ちゃん。
「フフッ・・・えぇ、それじゃ行きましょうか。」
笑顔で私の所までやって来る聖ちゃんを見ていると、何となく微笑ましく思ってしまう。
「聖・・・おまえはこっちだ。」
「えぇ~っ!!」
ちょうどその時、作業小屋から戻ってきた兄さんが、聖ちゃんに向かって言う。
聖ちゃんは、これ以上無いと言う程に、不服を訴えていた。
「錫杖の寸法を測るんだよ・・・文句ならそこの宿六に言え。」
そう言って兄さんは、居間で静かに書物を読んでいる宝仙様を顎で指している。
「・・・妹に頭の上がらない奴に言われたくないものだな。」
兄さんを一瞥した宝仙様は、売り言葉に買い言葉で返していた。
まったく・・・この人達は・・・
「ほぉ~良い度胸じゃねぇか小僧。」
「ヤルか?不良中年。」
「ちょ、ちょっと師匠・・・」
いつもの二人のやり取りと解っていても、頭が痛くなるのを覚え、ため息を一つ吐く。
聖ちゃんに至っては、どうして良いのか解らず、二人の間に挟まれ、オロオロしている。
「・・・いい加減にしないと、私も怒りますよ。」
私は、出来るだけ低い声音で、二人にそう告げる。
「うっ・・・」
「む・・・」
私の顔をたじろぎながら見つめ、二人それぞれ呻きを漏らした。
「兄さんも宝仙様も・・・仲が良いのは解りますけど、いつもそれで本気の喧嘩になるんですから・・・いい加減にしないと、二人とも晩ご飯抜きですよ?」
『・・・すまん。』
私の雰囲気に呑まれ、二人とも謝罪する。
二人一緒に謝罪の言葉が出る辺りは、やはり似たもの同士だからなのだと、一人納得する。
「じゃ・・・私は、お買い物に行ってきますので。」
何事もなかったかの様に、笑顔を浮かべながらに言う。
「聖ちゃんは兄さんに付いていってあげてね。」
「は、は~い。」
顔を聖ちゃんに向けて言うと、何となく聖ちゃんが怯えている様に見えた。
・・・そんなに怖い顔だったかしら・・・?
ふと、そんな事を考えていたら、いつの間にか兄さんと聖ちゃんが、そそくさと玄関に向かっているのを発見した。
・・・なにもそんなに怯えなくても・・・
なんとなく、そんな事を考え、肩を落胆させる。
居間には、私と宝仙様が取り残された。
相変わらず、書物を読んでいる宝仙様を見て、ある考えが浮かんだ。
「宝仙様?」
「・・・なんだ?」
私の問い掛けに、宝仙様は顔を上げて私を見てくる。
「お買い物に行ってきます。」
「・・・あぁ、解ってるよ?」
それだけ言って、また顔を書物へと戻す宝仙様。
「・・・晩ご飯。」
独り言のようにポツリと呟いてみる。
すると、宝仙様の表情が、みるみる渋いものへと変わる。
「・・・解ったよ。付き合えば良いんだろ、付き合えば。」
「フフッ・・・殿方からの申し出となれば、仕方ないですわね。」
宝仙様の申し出に満足した私は、笑いながらそう言った。
「・・・いつも思うんだがな・・・鈴音、頼むからその性格を直してくれ・・・」
「あら、何の事でしょうか?」
宝仙様の言葉に、とぼけながら答える。
宝仙様は、諦めた様な表情で、深いため息を吐いていた。
「・・・こうやって、宝仙様と二人で歩くなんて、随分久しぶりですね。」
「・・・そうだな。」
江戸へと向かう竹道を、宝仙様と肩を並べて歩く。
「聖ちゃん、最初に会った頃とは、随分見違えましたね。」
「・・・そうだな。」
「えぇ・・・最初は、宝仙様と旅なんかして、大丈夫か・・・なんて、思った事も有ったんですよ?」
そう言いながら、横を歩く宝仙様を見てみる。
私の言葉に宝仙様は、苦笑気味に、肩をすくめていた。
「・・・酷い言われ様だな。」
「フフッ・・・確かに、言い過ぎですね。でも・・・聖ちゃんは、そんな私の心配なんか余所に、ちゃんと大人の女性になってました。」
「あいつの姉貴分としては、残念かい?」
「そうですね・・・残念半分、嬉半分っと言った所ですね。それが今では・・・フフッ。」
「フッ・・・あいつをたきつけて、あんな事を言わせるとは・・・おまえらしいよ。」
そう言って宝仙様は、苦笑しながら言ってくる。
「たきつけただなんて、人聞きの悪い・・・背中を押したと言ってください。それに・・・」
「それに?」
「出会いがどんな物であれ、人を好きになるのに、理由なんて無いじゃないですか。それこそ、あの時の聖ちゃんの様に、周りが見えなくなる程、宝仙様の事を慕っている・・・男冥利に尽きるんじゃないんですか?」
そう言って、宝仙様の表情を伺うと、なんとも神妙な表情になっていた。
「・・・俺にはよく解らん。誰かを護りたい・・・そう思うのが愛だというのなら、俺が静菜に抱いた感情は、愛だったのだろう。だがそれなら、海淵に抱いた感情も愛だと言える。少なくとも、俺は男色家では無い。」
「では・・・聖ちゃんの事は、どう思っているのですか?」
「・・・さぁな。同じだとも言えるし、同じではないとも言える。俺にはよく解らんよ。」
「少なくとも・・・そう思うのでしたら、それもまた愛だと言えるのではないでしょうか。」
「・・・そう・・・言えるのか?」
「えぇ・・・」
そこで会話は止まり、私たちは無言で江戸の街へと向かう。
「・・・おまえは、酷い女だな。」
突然宝仙様はそう言って、立ち止まった。
少し離れた場所で振り返り、私は宝仙様を見つめる。
「そして・・・不思議な女だ。」
そう呟いて、宝仙様は天を仰いだ。
「静菜を護れなかった俺に・・・おまえは聖を護れと言う。俺にしてみれば・・・酷な話だ。俺の立つ側に、聖を連れ込みたくないと思っているのに、おまえは連れて行けと言う・・・だが、おまえに言われて、その気になっている俺が居る・・・不思議な事に・・・な。」
宝仙様の言葉を聞きながら、私も同じように天を仰いだ。
「・・・私は、聖ちゃんが宝仙様を、こちら側に連れ戻してくれる・・・そう思っているんです。現にあの村で、あなたは・・・聖ちゃんに救われた・・・そう言いましたよね?」
そう言って、数日前の事を思い返す。
「あぁ・・・あの時、聖が俺の腕にしがみ付いていなければ・・・また俺は、戦いの中に自分の居場所を求めていたかもしれん。」
「私は、聖ちゃんがあなたの言う、最後の掛けた部分じゃないのか・・・そう思っているんです。だから、あなたには聖ちゃんの側に居て欲しい・・・それに、あなたは護れなかったと言いますが、私と兄さんを護ってくれたじゃないですか。」
そう言って、顔を宝仙様へと戻す。
そこには、身じろぎすらしないで、ただジッと私を見つめている宝仙様の姿。
「別に私は、あなたに英雄になれと言っている訳じゃありません・・・ただ忘れないで欲しいだけです。あなたのその手で、少なくとも私も兄も救われました・・・感謝しています。」
そこで、感謝の念を込めて、深くお辞儀をする。
「・・・何故、おまえはそこまで俺の事を思う?」
そう言ってくる宝仙様に対し、私は自嘲気味に苦笑しながら、頭を上げる。
「フフッ・・・やはりあなたは、朴念仁ですね。」
聖ちゃんにはああ言ったけど・・・私は、あなたの事を・・・
「・・・私も兄も、あなた達の事を家族だと思っているんですよ。それに・・・一度言われてみたかったんですよ。宝仙様の様な殿方に・・・酷い女だと。」
「鈴音・・・」
それ以上想ってはいけない・・・この方の事を・・・
自らを戒める様に、そう強く思いこむ。
私が素直になる事は、許されない・・・それが私のケジメであり・・・懺悔だから・・・
「兼道さん。」
「・・・なんだ?」
聖の寸法を計り終え、聖用の錫杖の長さを計算していた俺に、暇を持て余している聖が声を掛けてきた。
「兼道さん達が、師匠と出会ったきっかけって、どんなものだったんですか?」
「・・・急にどうした?」
唐突にそんな事を聞いてくる聖に、俺は顔をそちらに向けた。
「いえ・・・考えてみたら、聞いた事無かったなって思って。」
そう言ってくる聖に、俺は暫く考え込んだ。
「ふむ・・・まぁ、減るもんでもないし、教えてやっても良いんだが・・・」
「だが?」
俺の語尾が気になったのか、不思議そうに聖が聞き返してくる。
「人には・・・他人に知られたくない過去がある・・・それを知りたいと言う事は、相手の事を受け止めるだけの覚悟が必要だ。」
「それって・・・」
俺の言葉を聞いて、聖が不安そうな表情をしてくる。
「別に・・・おまえに知られたくないって事じゃないんだ。むしろ、おまえにはいつか話そうと思っていたし、知る権利がある。」
「権利?」
「あぁ、少なくとも・・・俺も鈴音も、おまえの事を家族の様に思っている。もちろん、宝仙の事もだ。だからだろう・・・俺達の出会いを知って、おまえがどう反応するのか・・・俺達の見方を変えるんじゃないのか・・・そう思うと、なかなか話せなくてな。」
俺達が出会った時の事を、思い返しながら言う。
聖を見てみると、真剣な表情で黙って聞いていた。
「人の過去を知った時に、一番恐い事は・・・それまでの相手との関係が変わってしまう事・・・良い意味で変わるのなら、それに越した事はない・・・だが、逆によそよそしくされると、話した方も辛いものだ・・・」
「・・・教えてください。」
不意に、聖が真剣な表情で言ってくる。
「私の事を、家族だって言ってくれて・・・とっても嬉しいです。だから・・・もっと知りたい・・・兼道さんと鈴音さんの事を。」
「・・・あぁ。」
そう呟いて、作業小屋の天井を仰ぐ。
「出会いを話すには、鈴音の生まれた境遇から話すのが早いな・・・」
「生まれた境遇・・・?」
俺の言葉を復唱するように呟く聖に、俺は頷いて見せた。
「あいつには、生まれながらに、ある種の才能があった。」
「才能?」
「あぁ・・・あいつは、目を合わせた人の心が、鈴の音の様に聞こえるらしい・・・そんな才能も有ってか、あいつは昔から、他人との距離に線を引きがちだった。」
「心が読める・・・って言うことですか?」
「そんな所だな。俺達の家は、和泉守藤原兼定の末裔って事も有って、色々な奴が親父を訪ねてきた。処刑人を介錯する為だとか、それこそ有名な人斬りだとか・・・な。」
「・・・辛いですね・・・私だったら、耐えられないかもしれません・・・」
そう言ってくる聖に、俺は天井に向けていた顔を戻した。
「普通の奴だったらそうさ、耐えられるはずもない。現に・・・鈴音もそうだった。あの頃のあいつは・・・俺達家族以外とは、ほとんど口も聞かず、家に引き籠もりがちだった。そんな鈴音を、俺はどうにかしたかった・・・だが・・・俺は俺で、親父に刀鍛冶としての教育を叩き込まれていた。」
そこまで言って、俺は静かに目を瞑った。
「・・・十二年前・・・鈴音が十歳、俺が十六の時だ・・・俺達の家に、強盗が押し入ってきた・・・そいつの目的は、九字兼定・・・笑えねぇ話しさ・・・ご先祖様は、後に生まれてくる家族の為にと作った宝刀が・・・後の家族の俺達に、災いをもたらせた・・・」
そう言って、自嘲気味に苦笑する。
「兼道さん・・・」
瞑っていた目を開いて、聖を見てみる。
悲しそうに俺のことを見つめてくる聖と目が合い、笑ってみせる。
「おまえが気にする事じゃない・・・俺が話したいだけだ。だからそんな顔をするな。」
「・・・はい。」
聖の返事に満足し、俺は真剣な表情で聖を見つめる。
「俺はその時、親父に頼まれて買い物をしていた・・・そして、俺が戻ってきた時に目にした光景は・・・鈴音を抱きかかえ、全身から血を流し、動かなくなっていたお袋と、お袋の腕の中で、必死にしがみ付きながら泣いていた鈴音・・・そして、右目から血の涙を流しながら、傷だらけになりながらも、必死にお袋と鈴音を護っていた親父の姿だった・・・」
言いながら、拳を強く握っていたことに気が付き、手から力を抜く。
開いた手のひらには、びっしりと汗が浮かんでいた。
「俺が帰ってきた時、強盗は・・・手に入れた九字兼定で、試し斬りをしていた・・・俺は無我夢中になって、大釜の中に突っ込んであった作りかけの刀を手に持って・・・殺した。」
そう呟くように言って、今尚癒える事のない左手の火傷を見つめる。
「その火傷・・・その時のだったんですね。」
「あぁ・・・俺は、その時初めて人を殺した・・・震えたよ。熱された鉄の熱さと共に、人の肉が裂ける感触・・・肉の焼ける匂い・・・所構わず吐いた・・・腹の中の物が無くなっても、黄色い胃液を吐き続けた。」
その時の感触と、胃液の苦さを思い出しながら目を瞑る。
「お袋は助からなかった・・・親父も、その時受けた傷の所為で、二度と刀を打つ事は出来ない体になっちまった。俺は俺で、左手が使い物にならなくなる所だった・・・だが・・・一番深刻だったのは鈴音の方だった。あいつはそれ以来、誰とも話す事を辞めちまった。」
「え・・・?」
「言葉が話せなくなったんだよ。お袋の死ぬ間際を・・・段々と冷たくなっていく体温を、あいつは直に感じていた・・・無理もない事だと俺も思うさ。」
そう言って、俺は沈黙した。
聖は、相変わらず真剣な表情で、俺が話を再開するのをジッと待っていた。
「・・・それから二年経った。」
暫くの沈黙の後、俺はそう言って話を再開させた。
「相変わらず、親父の刀鍛冶の修行は続いていた。その合間を縫って俺も親父も、鈴音に言葉を取り戻させようと躍起に為っていた。だがその甲斐も無く、あいつは喋らなかった・・・喋ろうとする意志はあいつにも有ったんだがな・・・それでも、俺か親父と一緒になら外に出られる様には為っていた・・・そんなある日の事だ。」
そこまで一気に話し、一拍置いて聖の様子を伺う。
全く表情を変えずに聞いていた聖を見て、俺はおもわず苦笑してしまった。
「俺の付き添いで、鈴音を街まで連れて行った時の事だ。その時見つけた露店の中に、人形を扱っている所があってな・・・鈴音は、その中の一つを物珍しそうに見つめていた。それを見た俺は、迷うこと無くその人形を買ってやった。鈴音は・・・すごく嬉しそうに、その人形を抱きしめていたのを、今でも覚えている・・・そして、それから暫くして、鈴音が言葉を取り戻したんだ。」
「・・・良かったですね。」
暫くの間、一言も喋らずに聞いていた聖が、そこでようやくポツリと呟いた。
「・・・それが・・・そうでもなかったのさ。」
俺は、両手を組んで、そこに顎を載せながら、聖の言葉を否定した。
「え・・・?」
聖は、俺の呟きに戸惑いを浮かべながら言葉を漏らした。
「その直後からだ・・・街にある噂が流れ始めた・・・」
「噂・・・?」
聖の呟きに、俺は顔を縦に振ってみせる。
「『藤原鈴音は、十三までしか生きられない・・・』ってな。」
「なんで・・・誰がそんな噂を・・・」
それを聞いた聖は、怒っているような、悲しんでいるような顔を見せる。
この少女は、自分の事では無いというのに、まるで自分の事の様に怒ったり泣いたりする、
それが聖らしいと言えばそうなのだろう。
そういう聖の性格が嬉しいと思う反面、俺達を不安にもさせる。
何時か、その性格が仇となる日が来るのではないか、そう思ってしまう。
確かに・・・宝仙の言う通り、こいつは優しすぎる。
「・・・話は最後まで聞け。」
俺は、そう言って聖をなだめる。
聖も一応は納得し、話を聞く体勢に戻った。
「噂が流れ始めた直後は、俺もおまえの様に怒ってな・・・誰が元なのかを探した。だが見つからなかった。たかが噂話、結果的にはそう思う事にしたんだ。だが、いつの間にか噂の内容が変わり始めた・・・『藤原鈴音は、十三の誕生日に殺される・・・』ってな。それを機に、鈴音はまた引き籠もりがちになり始めた。」
そこで、俺は深いため息を一つ吐いた。
「それで・・・どうしたんですか?」
「噂を信じた訳ではないが・・・鈴音が不憫で仕方なくなってな・・・俺と親父が話し合った結果、夜逃げ同然に故郷を捨てて、江戸へと来たんだ。」
「・・・そうだったんですか。」
そう呟いて、聖は悲しそうな表情を見せる。
こいつも俺達と同様、逃げるように故郷を去らなければならなかった事は、宝仙から聞いて知っている。
故郷を捨てる辛さ・・・か。
そんな事を思う自分に自嘲する。
「江戸に着いて、暫くは安穏と暮らす事が出来た。」
「・・・暫く?」
「何度か江戸へと来た事はあったが、俺達を知る者はほとんど居ないにも関わらず・・・鈴音の誕生日が迫るに連れ、またあの噂が流れ初めた。」
「え・・・」
俺の言葉に、聖は驚きを隠せないでいるようだった。
「・・・そして・・・不安の中、鈴音は誕生日を迎えた・・・」
日時が変わるまで、鈴音の誕生日が後わずかと迫った夜。
少し肌寒く、風が強かったのを今でも覚えてる。
居間の囲炉裏を俺達は囲みながら、日付が変わるのを今か今かと待っていた。
親父の手には、先祖が作った九字兼定があった。
たかが噂・・・そうは思っても、やはり俺も親父も不安だった。
鈴音は、不安そうに俺の手を強く握りしめ、俺もまた、不安を少しでも取り除ければと、強く握り返していた。
揺らめく炎が、俺達家族を照らす中、遂に鈴音は、誕生日を向かえた。
「・・・お兄ちゃん・・・」
不安そうに、俺の存在を確かめるように呟いてくる鈴音。
そんな鈴音の頭を、俺はゆっくりと撫でてやった。
「大丈夫だ・・・」
こいつだけは・・・妹だけは絶対に護る。
俺も親父も、そう強く思っいながら、鈴音に向かって声を出していた。
もしかしたら、あの時の大丈夫は、俺自身に言い聞かせていたのかもな・・・
暫く経っても、何も起こらない事に、俺達は安堵のため息を漏らした。
だがその直後だ。
ズル・・・ズル・・・
「ッ!!」
何かを引きずるような音を、俺は耳にして戦慄した。
見れば、親父は青ざめて、居間の入り口に顔を向けていた。
「い・・・いや・・・」
鈴音は、その音に気が付いた瞬間、震えながらに俺にしがみ付いてきた。
ズル・・・ズル・・・
尚もその音は、大きくなり、居間に近づいているのが解った。
そこにいた誰もが、空耳であって欲しい・・・そう思っていた。
だが、その願いは虚しく消えていった。
「・・・兼道・・・鈴音を連れて、窓から逃げろ・・・」
親父は、痺れてうまく動かせない筈の右手で、九字兼定を抜き放ちながら言った。
「親父・・・」
「お父さん・・・」
俺達の不安など余所に、親父は俺達に満面の笑みを向けてきた。
「早く行きなさい鈴音・・・お父さんの事は心配するな・・・」
「おと・・・お父さん!」
親父のそんな顔を見て、鈴音は遂に泣き出してしまった。
鈴音は、親父の心の音を、聞いてしまったんだろう。。
かく言う俺も、親父の覚悟に気が付いていたがな・・・
「・・・頼むぞ兼道!」
「親父・・・解った・・・」
「ヤダ・・・ヤダよ!お父さん!!」
そう呟いて俺は、嫌がる鈴音を無理矢理抱きかかえて、外に出た。
「お兄ちゃん!ヤダよ!お父さんが・・・死んじゃう・・・」
「馬鹿野郎!おまえを護れなかったら・・・最期までおまえを護ったお袋に・・・俺も親父も、合わす顔が無ぇんだよ!!」
「ッ!!」
俺の腕の中で暴れる鈴音に、俺はそう叫んだ。
「・・・走れるな。」
・・・コクン・・・
俺の問い掛けに、鈴音は項垂れるように応えてきた。
俺は、鈴音の手を引いて、江戸の街に繋がる竹道を走った。
その直後だ・・・
『グワアアアァァァーッ!!』
「ッ!!」
辺りに響き渡る絶叫。
紛れもなく・・・その声は、親父の声だった。
「お父さん・・・」
「止まるな鈴音!」
「けど・・・けど・・・」
絶望的な顔で、家の方に顔を向けて立ち止まった鈴音の手を、強く引いたが鈴音は動かなかった。
ズル・・・ズル・・・ズル・・・
その直後に、また聞こえてきた何かを引きずる様な音。
「ッ!!鈴音!」
その音を聞いて、鈴音はようやく走り出した。
鈴音の手を強く引いて、俺達は江戸の街に入った。
ズルズルズル・・・
相変わらず音は、俺達の後について聞こえてくる。
心なしか、どんどん迫っている様な気さえして、俺は後方を振り返った。
そこには、九字兼定を引きずりながら、俺達に迫ってくる人形が居た。
それは・・・俺が鈴音に買い与えた人形だった。
何がなんだか解らず、俺の頭は混乱した。
あれが噂を流したのか・・・あれが鈴音を殺すというのか・・・
そんな考えが、頭を過ぎっては消えていった。
俺は、その人形から逃れようと、更に足に力を込めた。
「キャッ?!」
だが、それがいけなかった。
「ッ!!鈴音!」
走り続けていた所為で、鈴音の体力は限界だった。
無理に速く走らせようとした結果、鈴音はつまずき、その場で転倒してしまった。
ズルズルズル・・・
「ッ!!」
そんな事はお構いなしに、人形は俺達に迫ってくる。
「クソッ!」
それを見た俺は、人形に向かって走り出した。
念の為にと、懐に忍ばせて置いた短刀を抜き放ち、人形に向かって行った。
人形が斬りかかってくれば、短刀で防ぐ。
一撃でも良い、人形に蹴りでも入れれば、バラバラになる筈だ。
そう頭の中で結論付けて、一気に人形との間合いを詰める。
「兄さん!」
「オラアアアァァァ!」
俺が近づいても、人形は全く反応を示さなかった。
これならいける・・・そう思って、人形に蹴りを入れた。
だがその蹴りは、結局空振りに終わった。
人形の姿が、俺の目の前から掻き消えたんだ。
「しまった!」
そう叫んで、後ろを振り返った俺の目には、鈴音に躍りかかる人形の後ろ姿が飛び込んできた。
「キャアアアァァァーッ!!」
「鈴音!」
元々人形の目的は、鈴音ただ一人。
離れるべきじゃ無かった・・・手を離すべきじゃ無かった・・・
俺の心の中には、後悔の念が押し寄せていた。
「すずねぇぇぇーッ!!」
間に合わない・・・そう思った。
人形は、手にしていた九字兼定を、鈴音目掛けて振り下ろしていた。
俺の目には、その銀の軌跡が、恐ろしい程遅く感じ、悪夢でも見ている様だった。
そして、そこに割って入った、もう一本の銀の軌跡。
ガキンッ!!
金属のぶつかり合う音を響かせながら、あいつが現れた。
鋭く吊り上がった眼と、無造作に伸びた髪。
強い意志を感じさせる瞳と、強く引き結ばれた口元。
年季の入った鎧を身に纏い、人形の一太刀を、長刀で受け止めていた宝仙の姿。
「全く・・・嫌な気配を感じると言われて、付き合わされればこれか・・・」
あいつはそう呟いて、人形を押し退けた。
「静菜・・・さっさとその娘を連れてけ。」
宝仙は、押し退けた人形から目を離さずにそう呟いた。
「もぉ~言われないでも解ってるよ止水。大丈夫?立てる?」
そして、宝仙の言葉を聞いて、頬を膨らませながら現れた静菜。
「は、はい・・・」
鈴音の反応に、静菜は満面の笑みを浮かべていた。
「そっか・・・こっちは大丈夫だよ~止水~」
「・・・そうかよ・・・そいつは良かったな。」
二人のやり取りを聞いてか、それだけ呟いた宝仙が、人形に向かって駆けだした。
その光景を呆然と見ていた俺は、我に返って鈴音に駆け寄っていった。
「鈴音!」
「お兄ちゃん・・・」
鈴音の無事を確かめた俺は、真っ先に鈴音を抱きしめていた。
「良かった・・・」
「お、お兄ちゃん・・・苦しいよ。」
俺達の光景を見てか、静菜の声が聞きこえてきた。
それを聞きながら、鈴音の苦しそうな声を聞きながらも、無事に居る妹の存在を、俺は必死に確認していた。
「それから暫くして、先代宝仙・・・海淵殿が現れて、人形を葬り去った。海淵殿は、親父の亡骸も丁重に葬ってくれた・・・」
「随分、懐かしい話しをしてますね・・・」
「あぁ・・・全くだ。そんな歳でも無いというのにな。」
「えぇ?!」
不意に聞こえてきた声に、聖は驚きながら振り返った。
「フンッ・・・おまえ等と違って、俺はそろそろ歳なんだよ。」
そう言って、俺は現れた二人を鼻で笑う。
外に繋がる作業小屋の入り口に、二人は立っていた。
そして、そこから入ってくる夕陽の日差しから、大分時間が過ぎていた事に気が付かされる。
「師匠・・・鈴音さん・・・」
突然現れた二人に、聖はどんな顔を向けているのかは、俺からは見えない。
だが、声から察すれば、恐らく戸惑っているのだろう。
「・・・なんて顔してんだよ、おまえは。」
そう呟いて、宝仙は聖に向かって苦笑していた。
「そうよ・・・聖ちゃん。」
そう言って、鈴音は聖に近づいて行く。
「私は・・・聖ちゃんに、そんな顔で見られたくないわ・・・」
優しく微笑んで、鈴音は聖を抱きしめる。
「言ったろ・・・俺は、おまえに俺達の見方を変えて欲しくない・・・と。」
「そうよ・・・いつまでも、そんな顔をしてたら・・・私泣いちゃうからね?」
鈴音はそう言って、戯けた表情で聖に微笑んでいた。
「ごめんなさい・・・私・・・」
「ううん・・・良いのよ。誰だって、いきなりは戸惑うものだから・・・」
「でも・・・」
「うん?」
「辛く・・・無いですか?」
一瞬言うのを戸惑ったのか、聖はつっかえながらにそう切り出した。
その問いに対し鈴音は、聖の戸惑いを吹き飛ばす様に、微笑んでいる。
「フフッ・・・それはね・・・私も、宝仙様同様・・・静菜さんに救われた一人だからよ・・・」
「え・・・?」
「・・・全てが終わってから・・・私はまた家に引きこもってしまったの・・・そんな私に、静菜さんは・・・笑いながら自分の事を教えてくれたわ・・・それを見た私は・・・あぁ・・・この人は、強いなぁ・・・って思ったの。」
昔を懐かしむ様に、鈴音はそう呟く。
「どうして、そんなに自分の事を笑って話せるのかって聞いたら、静菜さんが笑いながらこう言ったの・・・今を楽しまなかったら、損でしょ?ってね。要は気の持ち様なんだって、気が付かされたわ・・・」
「鈴音さん・・・」
「ほらほら、そんな顔しないの。ね?」
そう笑いながら言って、鈴音は聖の頭を、自分の胸で抱いていた。
当の聖は、そんな鈴音にしがみ付いていた。
「・・・世話になったな。」
「色々ご迷惑おかけしました。」
そう言って、聖ちゃんと宝仙様が、それぞれお礼を言ってくる。
宝仙様と聖ちゃんの手には、それぞれ真新しい錫杖が握られていた。
「いえいえ・・・また、いらしてくださいね。」
そう言って、私は笑顔を向ける。
「渾身の作だ・・・無くすなよ?」
兄さんは兄さんで、笑いながらそんな事を言っていた。
「フッ・・・あぁ。すまないな・・・こいつの分まで作らせて。」
「なに・・・俺が作りたくて作ったんだ・・・気にするな。」
「ありがとよ。」
二人のやり取りを見ていると、よくいがみ合ってる二人とは思えない事が希にある。
それだけ、この二人の波長はよく合っているのかしら・・・
そんな事を口走ったら、二人とも必ず否定するだろう。
そんな二人のやり取りを、同じように見ていた聖ちゃんに、そっと顔を近づける。
兄さんと宝仙様の二人に、聞こえるか聞こえないか位の声音で、そっと耳打ちする。
「兄さん、聖ちゃんの錫杖を、凄く楽しそうに作ってたのよ?」
「そうなんですか?」
「えぇ・・・少し見ない内に、随分成長したなって・・・宝仙様もね、そう言ってたわよ。」
「ふぇ?!」
それを聞いた聖ちゃんの顔色が、みるみる赤くなっていく。
フフッ・・・本当に、かわいいわね・・・
「・・・まんざら、宝仙様を落とす事も出来るんじゃないかしら?」
悪戯っぽく笑って、最後にそう呟いた。
「えっ?!いや、あの・・・その~・・・」
しどろもどろに為って、答えに困っている聖ちゃんを見て満足する。
「・・・聞こえてるんだがな・・・」
不意に、宝仙様が不機嫌な声音で、私たちの会話に入ってくる。
「あらあら。聞こえてましたか?」
「わざとらしいな・・・ったく。」
そう言って宝仙様は、諦めた様な顔で嘆息していた。
「んじゃ・・・そろそろ行くわ。」
「あぁ・・・元気でな。」
「さようなら・・・鈴音さん、兼道さん。錫杖、大事にしますね!」
「元気でね、聖ちゃん。」
そう言って、私たちは笑顔で別れた。
いつかまた会う日まで・・・暫くのお別れ・・・
二人が見えなくなるまで、私はずっと手を振っていた。
「・・・本当に、良かったのか?」
不意に、兄さんが私に尋ねてくる。
顔を兄さんに向けると、心配そうに私を見つめてくる兄さんの姿。
「・・・宝仙の事・・・まだ好きなんだろ?」
「・・・良いんですよ。」
そう呟いて、もう見えなくなってしまった、聖ちゃんと宝仙様が歩いていった方角に、顔を戻した。
「・・・私は・・・酷い女ですから・・・これがケジメでもあり・・・懺悔なんです。」
「・・・静菜なら・・・今のおまえを見たら、きっと怒るぞ・・・『自分の気持ちに素直になれ』・・・って、必ず言うと思うがな。」
そう言ってくる兄さんの言葉に、首を振って応えた。
「・・・静菜さんが許してくれたとしても・・・私が・・・私自身を許せないんですよ・・・」
「鈴音・・・」
宝仙・・・止水さんと、静菜さんの間に、私の入り込む余地なんて無かった。
止水さんは、静菜さんに向けていた顔を、私には向けてくれなかった。
でも・・・いつかはこの胸の内を、止水さんに伝えようと思っていた。
それで・・・止水さんが、少しでも私の事を意識してくれるのなら・・・それだけでも満足だった・・・
「・・・止水さんが、僧服を纏って私たちの前に現れた時・・・『止水』では無く、『宝仙』と呼んでくれと言われた時・・・静菜さんが消えたと言われた時・・・思ってしまったんですよ・・・私は・・・」
そう独白している内に、哀しみがこみ上げてくる。
「静菜さんが・・・居なくなって・・・良かった・・・なんて・・・ッ!!」
必死に堪えていた涙が、そこで流れ始めた。
泣いている所を、見られたく無かった私は、顔を背けて嗚咽を漏らす。
「鈴音・・・」
「だから・・・だから、私・・・酷い・・・女ですよね・・・」
「・・・すまなかった・・・もう何も言うな・・・」
そう言って、兄さんは私の肩に手を置いてくる。
「・・・宝仙様が何度目かに、聖ちゃんを連れてきた時、気が付いたんです。静菜さんに向けていた表情をしている・・・って。だから私・・・聖ちゃんが宝仙様の言う、最後の欠片になってくれる・・・そう思ったんです。」
私が宝仙様の言う、最後の欠片になりたかった・・・
けど、私には無理だという事は解っていた。
だからせめて・・・宝仙様の欠けた部分が埋まる事が、今の私の望み・・・
「・・・お節介ですよね・・・」
「もう良い・・・解ったから・・・もう何も言うな・・・」
「・・・聖ちゃんが・・・恋をしている事に気が付いて・・・また・・・お節介しちゃいました・・・」
そう呟いた所で、兄さんが私を強く抱きしめた。
「・・・もう良い・・・もう良いんだ・・・帰ろう・・・俺達の家へ・・・」
「・・・はい・・・」
そう答えて、私は涙を拭いて、笑顔を作って振り返った。
「あの二人・・・今度は、何時帰ってきますかね?」
「フッ・・・今旅立ったばっかりで、もうそんな心配をするのか?」
私の問いに、兄さんは苦笑しながら答えてくる。
「フフッ・・・良いじゃないですか。何時帰ってきても良い様にしておきたいだけですよ。だって・・・」
そこまで言って、また二人が去った方向に顔を向けた。
「・・・私たちにとって、あの二人は家族なんですから・・・」
心からそう思いながら、もう見えなくなってしまった二人に、想いを寄せる。




