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宝仙伝  作者: 神無月拓楼(旧HN現武壱)
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黄泉遍路之章- 『蒼天』之巻

・・・不思議な場所だな・・・ここは・・・


『千引の岩』の向こう側・・・恐らくは黄泉比良坂と呼ばれるだろう場所を、俺は一人歩いていた。


その場所は、明るくも暗くもない灰色の視界の中に、ただ平坦な路が続くだけで、他に何も存在しない。


これが・・・黄泉か・・・


まるで、俺を誘うように続く路を、俺はただ歩いていた・・・


ザッ・・・ザッ・・・ザッ・・・


どれだけ歩いていただろうか・・・暫く歩き続けると、前方に人の気配を感じた。


気配を感じても俺は、特に急ぐでもなく、ゆっくりとそこへと向かう。


ザッ・・・


そして其処に辿り着くと、路はそこで途切れ、何処まで続くか解らぬほど、広大な場所が広がっていた・・・


其処に辿り着くと同時に立ち止まると、俺が立つ場所から、それほど離れていない場所に、その者は立っていた・・・


「・・・よぉ、宝仙・・・」


紅蓮を思わせる真紅の髪をした、年の頃十七・八程の、浪人の恰好をした女・・・


髪は外に大きく跳ね、強い意志を讃えた大きな瞳と、細い眉毛は吊り上がり、俺を見据えながら彼女はそう言った。


「・・・待たせたな・・・刹那・・・」


あの日から・・・少しばかり成長した姿の刹那に、俺はそう言い返した・・・



―宝仙伝最終章・黄泉遍路之章・・・

―最終話・『蒼天』之巻・・・



「・・・ようやく・・・この時が来たな・・・」


そう呟いて刹那は、おもむろに腰に下げた刀に手を添え、ゆっくりと引き抜く。


「さぁ・・・始めようか・・・俺とおまえの、最初で最期の私闘を・・・」


チャキ・・・


その昔、俺が愛用していた刀を、刹那は俺に向け構えた・・・


見間違うはずもない・・・その刀こそ、俺が静菜を護ると、誓いを起てた刀・・・


「・・・随分忙しないな・・・おまえは俺を見ていたのかもしれんが・・・俺にとっては十余年振りだと言うのに・・・」


俺に対し刀を構えを取る刹那に、俺はため息混じりにそう告げる。


「・・・そうしたいのは山々だが、お互いに時間が限られているんだ・・・早く済ませよう。」


俺の言葉に対し、刹那にそう告げられ、俺はまたため息を吐いた。


「さぁ、見せてくれ・・・俺に、その錫杖の秘密とやらを。」


恐らく、俺と天津の戦いの時にでも知ったのだろう・・・不意に刹那は、俺の持つ錫杖に視線を移し、そう語りかけてくる。


「・・・そんなに、見たいか・・・?」


その言葉に対し俺は、刹那を見据えながらそう呟くと、おもむろに錫杖の飾り部分に手を添えた。


そして、ゆっくりと半分ほど捻り、引っ張ると簡単に飾り部分が杖から外れる。


・・・ジャランッ!


外れた飾りを放り投げ、空いた手で杖の尻側を持ち、両手で真っ直ぐ掲げるように持つ。


・・・パカッ・・・


そして、杖の中程辺りを持っていた手を、ゆっくりと離すと、尻側に持った手から少し上辺りから、杖が二つに分かれる。


そして、そこから姿を見せたのは、曇り一つ無い刀身だった・・・


「六代目・藤原兼定作、直刀九字兼定・・・銘『静菜』・・・」


「・・・静菜・・・か。兼道が銘も着けたのか?だとしたら彼らしい・・・」


不意に俺の刀を、何か懐かしい物でも見るような視線を向けながら、俺に向け刹那はそう呟く。


だがすぐに、刹那の表情から懐かしむ色は消え、俺を睨み見据える。


「・・・いくぞ。」


ガキンッ!


「ッ?!」


不意に、刹那がそう呟くのとほぼ同時、俺は手にした直刀兼定を、地面に深々と突き刺した。


「・・・何のつもりだ。」


出鼻を挫かれる形となった刹那は、地面に突き立てられた直刀兼定と、俺の顔を交互に見てから、訝しがるように聞いてくる。


それに対し俺は、直刀兼定から完全に手を離し、半身になり腕を組みながら、刹那を見据えた。


「・・・中途半端な貴様を、この十余年も追い続けていたと思うと・・・自分が情けないと思ってな・・・」


刹那の質問に、俺は彼女を見据えながら、ため息混じりにそう答える。


「・・・今更、そんな見え透いた挑発が・・・」


「挑発・・・そう受け取りたいのならば、好きにすればいい・・・所詮貴様は、俺の事をその程度しか、理解していなかったと言う事の表れだ。」


刹那の言葉を遮り、俺がそう告げると、彼女は眉をひそめ黙り込んだ。


「決着を着ける・・・か。確かに、この島に来るまでは、そう思っていた・・・だが、真実を知った今、別の思いが浮かんだ・・・俺は、おまえに言いたい事が出来たから、ここに来たんだ。」


何も喋ろうとしない刹那に、俺は尚も語り続ける。


そしてゆっくりと、組んだ腕を解いて、右手で刹那を指差した。


「おまえは誰だ、おまえの遣りたい事は・・・一体何なんだ?」


「・・・何を言い出すかと思えば・・・」


暫くの間の後、不意に刹那はそう呟くと、構えを解いて俺に向き直る。


「俺は刹那だ。そして・・・俺の遣りたい事・・・目的は、この不完全な世を・・・解り合えぬ者達が、ひしめき合うこの世界を・・・この世界の根底に横たわる矛盾を取り払い、もう一度神々に世界を作り直させる事・・・これで満足か?」


「それがおまえの、本当に遣りたい事なのか?」


間髪入れず俺がそう聞くと、刹那は再び眉をひそめる。


「・・・何が言いたい?」


「解り合えぬ者達・・・か。手段はどうであれ、それは静菜の遣りたかった事・・・静菜の夢じゃないのか?」


「ッ・・・」


俺の一言に、刹那は何か言いかけ、それを飲み込み黙り込んだ。


「・・・さっきおまえは言ったな・・・時間が限られている・・・と。俺の事を良く知るおまえの事だ・・・本当は、今自分が思っている事・・・自分の本心を、俺に読まれるのが怖いんじゃないのか?」


「ッ!」


刹那の反応に、俺は構わず先を続けると、今度はあからさまに動揺を見せる。


それを見て俺は、またため息を一つ吐いた。


「・・・図星か。戦いの中、相手の出方を読む為に、最も重要な要素は洞察力・・・もし口を滑らせ、下手な事を僅かでも言えば、それだけで俺に心の中を読まれる・・・そう思ったからこそ、時間が無いなどと言ったのだろう・・・」


俺が言うのに併せ、黙り込んだ刹那が、握った拳に更に力を込めるのを、俺はその目で捉えた。


・・・これも図星・・・か。


「・・・この島に来てから、おまえの手の平で踊っていた俺だが・・・その裏が解れば造作もない・・・俺の真似をするおまえが、心理戦で俺に勝てるとでも思ったのか?」


「ッ!何を言っている・・・」


俺の言葉に対し、刹那は一瞬動揺を見せたが、すぐに平静を装い聞いてくる。


それに対し俺は、きつい眼差しで刹那を睨みつけた。


「さっき言った筈だ・・・真実を知った・・・と。孔雀明王珠・・・始まりの聖母が、おまえの過去を・・・静菜の中から、おまえが見ていた光景を、俺は見せられた・・・」


「ッ!そんな馬鹿な・・・」


俺の言葉に、刹那は信じられないという風に呟き、言葉を失った。


「・・・そして俺は気が付いた・・・おまえが何故、男のような言葉遣いをするのか・・・おまえは、俺に成りたかったのか?」


刹那の反応を余所に、俺は再び彼女を指差し問い掛ける。


孔雀明王珠に、刹那の記憶を見せられた時、その時に刹那の感じた事・思ったが、俺の中にも流れ込んできた。


そして解った事・・・刹那は、限りなく『零』に近かった頃の、俺の行動・考え方に、共感や憧れと言った感情を抱いていた・・・


その事から考えて、刹那が男の口調で喋る理由は、それ以外に思い浮かばなかった。


「・・・違う・・・」


だが刹那は、暫くの間を置いてから、そんな俺の考えを否定する。


「ならば、何に成りたかった・・・静菜か?」


刹那の口から呟かれた言葉を聞き、俺は再度問い掛ける。


「違う・・・もう良い、それ以上言うな・・・」


再び俺が問いかけると、刹那はまたも否定し、今度は俺の言葉に拒絶を示した。


それが、己の心情を悟られぬ為の、自己防衛からくる言葉にも関わらず・・・


「何が違う・・・何を言わないで欲しい?おまえが囚われている物に付いてか・・・」


刹那が拒絶しても、俺は構わず先を続ける。


刹那の内・・・そこに秘められた想いを、引き出す為に・・・


「もう良い、言うな!」


「おまえは囚われている・・・そしてそれに気付きながら、それを隠している・・・」


「もう良い!黙れ!!」


「おまえは、自分が女だと言う事に囚われ・・・それを、俺に悟られぬよう隠している・・・違うか!」


「違うッ!!」


責めるような俺の問い掛けに、刹那は声を荒らげ否定し続ける。


「ならば何故!その刀を今も持ち続けている!!俺が静菜を護ると誓ったその刀を!!」


それに対し俺は、刹那が手にした刀を指差し、決定的な一言を告げた。


「ッ!!」


その俺の一言に、刹那は顔を強張らせ、自分が手にした刀を・・・その昔、俺が愛用していた刀に、ゆっくりと視線を向けた。


「・・・その刀は、作りこそしっかりしているが、銘すら無い・・・価値などほとんど無い刀だ。だがおまえには価値がある・・・俺と静菜の絆が欲しかった・・・其処へ自分も入りたかった、おまえにとっては・・・だからこそ、象徴たるその刀を、今も後生大事に持ち歩いている・・・」


「俺は・・・」


「何故・・・おまえは、ここで俺を待っていた・・・俺と決着を着けたいのならば、俺が一人の時にでも来れば良かった・・・何故わざわざ、ここを選んだ・・・」


不意に俺は、核心に迫る問いかけを口にする。


もし刹那が、心の底から俺との決着を望んでいるのならば・・・何故ここまで、長引かせる必要があるのか・・・


逆に、もし心の底から、この世界の再生を望んでいるのならば、すぐにでも『千引の岩』の封印を、完全に解いてしまえばいい・・・少なくともそうすれば、俺の負けは確定したはず・・・


なのにそれをしなかった・・・何故ならば・・・


「・・・おまえは、心の何処かで、俺に否定されたいんじゃないのか?静菜の体を乗っ取ってしまった自分の事を・・・失いたくなかった物を、自らの存在の所為で、引き裂いてしまった自分の事を・・・自分の行いが・・・」


「ッ!それ以上言うなアアアァァァーーーッ!!」


俺の言葉を遮るように、刹那の慟哭の叫びが、辺りに響き渡る。


それに対し俺は、『間違っている・・・』そう言いかけた言葉を飲み込み、静かに刹那を見据えた。


「・・・はぁ・・・はぁ・・・何故だ・・・宝仙・・・何故、俺の心を揺るがす・・・俺の決心を、鈍らせるような事を言う・・・」


慟哭が鳴りやみ、肩で荒く息をしながら、刹那は俺を睨みつけ呟いた。


「・・・頼まれたのさ。おまえに気付かせてやって欲しいと・・・」


「頼まれた・・・だと・・・」


「あぁ・・・俺が、その刀に誓った相手だ。」


「ッ!まさか・・・」


俺がそう言うと、その意味成す所に気が付いた刹那は、驚愕の表情を浮かべ呟いた。


「馬鹿な!あいつはあの時確かに・・・」


「生きてるよ。静菜は・・・今もおまえの中で、確かに生きてる・・・」


「ッ!そんな・・・なら俺は・・・今まで何を・・・」


そう呟いて刹那は、愕然とした表情で、自分の両手に視線を落とした・・・


「・・・あいつが言っていた・・・自分達は二人で一つ、一人で二つの存在だと・・・自分達の想いも、願いも、祈りも同じなのだと・・・」


不意に俺がそう言うと、刹那は落とした視線を上げて、俺に顔を向けてくる。


「確かにおまえ達は、同じ存在なのかも知れない・・・だがそれでも、おまえと静菜は別の考え方を持った、個別の存在で良いんだ・・・おまえが、静菜の意志を継ぐ必要など無い・・・それを、静菜は望んではいない。」


「俺は・・・」


「おまえの想いが、静菜の想いと同じでも構わない・・・おまえが今遣ろうとしている事が、一つの手段である事に違いはない・・・だが今のおまえは、静菜ならば自分とは違う道を選ぶと考え、自分の選んだ道に、自信を持てずにいる・・・静菜と自分を、秤に掛けるのは止めろ・・・おまえの遣ろうとしている事に、静菜の意志は関係無い。」


「俺は・・・」


「・・・もう一度問おう、おまえは誰だ・・・おまえは何がしたい・・・おまえの遣ろうとする事に、己の意志はあるか・・・」


そう言ってから俺は、刹那に向けて右手を差し出した。


「・・・ここで俺のこの手を取り、引き返すか・・・それとも、俺を殺して先を往くか・・・おまえが選べ。」


俺が言い終わると同時、俺達の間に沈黙が横たわる。


その沈黙は暫く続いたが、不意に刹那の顔つきが変わり、凛とした表情で俺を見据えてくる。


・・・雰囲気が変わった・・・吹っ切れたか・・・


「・・・俺は・・・わたしは・・・」


そして刹那の口から、静かに紡がれる呟き・・・


「・・・ここでわたしが、その手を取れば・・・今まで、わたしに尽力してくれた者達へ、合わせる顔がない・・・」


チャキ・・・


そう言って彼女は、再び刀を構え直す。


それを見て俺は、差し出した右手を、ゆっくりと降ろした。


「・・・それで良い。ようやく俺は、雪菜に出逢えたようだな・・・」


ズッ・・・


そう言いながら、俺は苦笑を雪菜に向け、地面に突き刺した直刀兼定を掴み引き抜く。


「・・・これで、俺もおまえも・・・ようやく新たなる一歩を踏み出す事が出来る・・・例えどんな結末が待っていようと・・・な。」


チャキ・・・


そう言って、俺もまた雪菜に対し、刀を構えた。


「一つ聞きたい・・・おまえは、静菜に頼まれたから、わたしにあんな事を言ったのか?」


不意に、雪菜は俺に向かって、そう問い掛けてくる。


その問いを聞き、俺はまた苦笑を浮かべた・・・


「・・・確かに、静菜に教えられなければ、おまえの本心に気付かなかった・・・孔雀明王珠に見せられなければ、おまえの気持ちに気付かなかった・・・だがそんな事は関係無い・・・」


そう言いながらゆっくりと目を閉じた俺は、暫く間を置いて、同じようにゆっくりと目を開き、雪菜を睨みつけた。


「・・・俺はな・・・敵だろうと味方だろうと、芯を一本持った奴が好きなんだよ。」


「フッ・・・そうか。」


俺の言葉に、雪菜は一瞬微笑み、囁くように呟いた。


だが、すぐに彼女は顔を引き締め、俺を真っ直ぐと見据える・・・


互いに見据え合う俺達の間に、張りつめた空気が流れ、緊張が一気に高まっていく。


だが不思議な事に、見据え合う俺達の間に、殺気や闘気と言った物は存在しない・・・


「・・・行くぞ・・・宝仙。」


不意に、雪菜はそう呟いたかと思うと、前のめりに体を傾け、大地を蹴り飛び出した。


「・・・オオオォォォーッ!」


そのまま、雄叫びを上げながら、雪菜は俺に向かって突進してくる。


それに対し俺は、雪菜を静かに見据えたまま、ゆっくりと構えを変えた。


・・・狙うは一点・・・ただ・・・一撃のみ・・・


俺が構えを変えるその間も、俺の構えから、意図を察しているだろう雪菜は、突進の勢いを殺さぬまま、一気に俺の間合いを侵し、手にした刀を振り上げる。


『ハアッ!!』


次の瞬間、俺と雪菜はほぼ同時に攻撃に移っていた・・・


ブシュッ!


神話の時代・・・黄泉比良坂と伝えられし地に・・・一輪の紅い華が咲いた・・・


・・・チンッ・・・シュボッ!・・・ジジジ・・・パチンッ!


「・・・スゥー・・・」


小気味良いジッポーの音を聞きながら、火を付けた煙草から、目一杯紫煙を吸い込む。


「・・・フゥー・・・」


吸い込んだ紫煙を肺に留まらせ、暫くしてからゆっくりと吐き出した。


キイイィィィーーーン・・・


ちょうどその時、俺の頭上をジャンボジェット機が、影を落としながら過ぎ去っていく。


俺は、港にいくつも置き並べられた、コンテナの一つの上に寝そべり、その光景を・・・と言うよりかはその更に上、青く広大な空を、煙草を吹かしながら眺めていた。


何処もあまり変わらないな・・・この光景は・・・


「スゥー・・・フゥー・・・」


そんな事を思いながら、俺はまた紫煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。


季節は春・・・陽気な日差しが降り注ぐのは、日本も大国アメリカも同じらしい。


「スカイ!」


「・・・?」


不意に呼ばれ体を起こすと、俺はコンテナの上から呼ばれた方に顔を向ける。


すると顔を向けた先には、俺と同世代程の黒人の男が、手に荷物を抱え駆け足でやって来る所だった。


「ボブ・・・」


彼の名前を呟き、俺は吸っていた煙草を、携帯灰皿に入れてから起きあがり、コンテナの上から飛び降りた。


二日程前に知り合った、地元ダウンタウンでジャンクキッズという、それほど大きくはないバスケットチームのリーダーをしているボブ。


先程彼が、俺の事を『スカイ』と呼んだのは、俺の名前が日本では、空を現すと言う事を知って、あだ名として彼が付けてくれた。


それから俺は、彼や彼率いるバスケチームのメンバー達と、なかなかに楽しい時間を過ごした。


だがその楽しい時間も、昨日までで終わりだ・・・


「スカイ・・・これ、頼まれてたヤツ。」


俺の所まで来たボブは、そう言って手にした物を俺に差し出してくる。


「あぁ・・・悪いな。土産を忘れると、うちの妹達がうるさくてな・・・」


差し出された物を、俺は苦笑を浮かべながら受け取り、ボブに素直に感謝の言葉を述べた。


「・・・で、何が入ってるんだ?」


「それは帰ってからのお楽しみってヤツさ。それまで開けるなよ?」


一拍置いて、中身が気になった俺は、ボブにそう聞いてみると、彼は陽気な笑顔を浮かべ、俺の質問にそれだけ答えるだけだった。


元々俺が土産を買うつもりで、ボブに何かめぼしい物は無いか聞い所、それならば自分が買ってくると、彼が申し出てくれた。


実際、帰りの準備などもあったので、俺にとってもその申し出は有り難く、土産の買い物を彼に一任していた。


だがやはり、土産の内容が解らないのは、少し怖いな・・・


一応家族分なので、かなりの量になった土産を、そんな事を思いながら見下ろした。


「スカイの分も入ってるよ。」


「うん?あぁ・・・そうか。悪いな、気を遣ってもらって・・・」


ボブから手渡された荷物を、俺が見下ろしていると、不意にボブがそう言ってくる。


どうやら俺の視線が、ボブには物欲しそうにでも見えたらしい。


「全部でいくらだ?」


「良いぜ別に。俺からの選別だ、受け取ってくれよ。」


不意に俺がそう聞くと、ボブは明るい笑顔を俺に向け、気さくにそう答えた。


「・・・サンキュー。」


一瞬悪いとも思ったが、ここで無理に金を払うというのも悪い気がして、俺は苦笑を浮かべながら礼を述べた。


俺の答えに対し、ボブは満足そうに頷くと、ズボンのポケットからアメリカンスピリッツと書かれた、煙草の入ったソフトパッケージを取り出す。


「・・・ん。」


その中から煙草を一本取り出し銜え、今度は俺にそれを差し出してくる。


差し出されたソフトパッケージの中から、俺も一本取り出して口に銜えた。


煙草を銜えながら、今度は俺がポケットに手を入れて、そこから銀色のジッポーを取り出し、おもむろにボブに向ける。


チンッ・・・シュボ!


ジッポーの蓋を開けて火を付け、それぞれが銜えた煙草に火を付けた。


・・・パチンッ!


煙草に火を付け終わると、小気味良い音を鳴らしながらジッポーの蓋を閉じて、自分のズボンに戻す。


『・・・フゥー・・・』


ほぼ同時に紫煙を吐き出すと、それから暫く互いに黙り込み、煙草の味を満喫する。


明日からはまた学校か・・・


煙草を吸いながら、俺は今までとこれからの事を、少し考えていた。


俺がアメリカに来たのは、十日ほど前の事だ。


高校に進学してすぐ、親父の転勤が決まり、引っ越す事になった。


そして引っ越す日取りが、ちょうどゴールデンウィークと重なり、それがちょうど俺が前々から予定を立てていた、アメリカ旅行とも重なったので、予定の出発日を早めこちらに来てしまった。


今頃うちの家族は、新しい家で引っ越しの荷解きが終わってる頃だろう。


まぁ、引っ越し屋を呼ぶと言っていたので、それほど苦でもなかっただろうが・・・


俺がこちらに来る前に、転入手続き等は済ませているので、俺が日本に戻ってやる事と言えば、自分の荷物の整理くらいだ。


後心配なのは、俺がこちらで煙草を覚えたのを、お袋が知ったらどう思うか位か・・・


元々俺は、小さい頃から放浪癖があり、長い休みに入ると、フラリと一人で宛もなく出かけるのが趣味だったりする。


今回の旅行も、高校進学を記念した、その延長線のような感じだ。


昔は、いきなり居なくなっていたので、よく捜索願を出されていたが、今では両親も半ば諦め気味だ。


だがそんな今でも、俺に対する両親の心配事は絶えない。


昔から旅先で、訳の解らない物を色々と買ってきたり、今回のように、旅先で変な遊びを覚えたりとする俺に、両親は気が気じゃないだろう。


一度俺が中学生の頃、旅先で男性器のご神体の焼き物を買って帰り、居間にでも飾ろうと思ったのだが、家族全員に猛反対された事がある。


だが折角買ってきたのに捨てるのも勿体なく、仕方なく俺の部屋に飾る事にした。


今でもその焼き物はあるのだが、掃除をしにお袋が俺の部屋に入った時など、見る度にあまりいい顔はしない。


親が心配するのも解るが・・・それでもこればかりは、俺は止められそうにない。


写真では見ていた事がある風景でも、実際に自分の目で見ると、また違った感動を受ける事がある。


そして何より・・・


「・・・また、来いよな。」


「・・・あぁ。必ず来るさ・・・」


不意のボブの呟きに、俺は笑みを浮かべながら答えた。


俺が旅を止められない理由・・・それは、見知らぬ土地での、新しい出会い・・・


ボブのように、気の合う友人が増えるのは、この上なく嬉しい事だ。


だから俺は、これからも旅を続ける。


親には悪いが・・・な。


「・・・んじゃ、そろそろ行こうぜ。みんなも空港で待ってる。」


「あぁ。」


ボブの言葉に頷き、俺はポケットから携帯灰皿を取り出し、それに煙草の吸い殻を入れる。


その灰皿にボブも吸い殻を入れ、俺達は空港に向かって歩き出した。


これから飛行機に乗って、夜には日本に着くだろう。


そして明日は転校初日・・・か・・・さて、どんな出会いが待っているのか・・・今から楽しみだな。


「・・・ちゃん・・・」


ペチペチ・・・


声が聞こえた・・・幼い声が・・・


まどろみの中で聞こえた声の後に、頬に感じる小さな衝撃・・・


「おね~ちゃん。」


「う・・・うぅ~ん・・・」


また聞こえてきた声に、次第に私の意識は覚醒し始める。


ゆっくりと目を開けると、そこには小さな女の子が、私の顔をのぞき込んでいる所だった。


「・・・まい・・・ちゃん?」


私が目を覚まして名前を呼ぶと、舞ちゃんは満面の笑みを浮かべて、寝ている私に抱きついてくる。


「ここは・・・私・・・ッ!」


舞ちゃんを受け止めた時、気を失う前の事を思い出して、私は飛び起きた。


そうだ・・・師匠は?!


「・・・おねえちゃん?」


私が飛び起きた時に、勢い余って押し退けてしまった舞ちゃんが、不思議そうに私に声を掛けてくる。


その声を聞いて私は、すぐに舞ちゃんに顔を向けて、そのおでこに視線を向けた。


「・・・呪文字が・・・無い・・・それじゃ・・・」


私が気を失う前に、そのおでこに刻まれていた呪文字・・・それが無いって言う事は・・・


そう思った時、私が寝かされていた場所が、御神楽家の部屋の一室だと言う事に気が付いた。


そしてちょうどその時、部屋の襖が静かに開かれて、そこから桜さんとクロが入ってくる。


そこに、師匠の姿は無かった・・・


「・・・起きたのね。大丈夫?」


「桜さん・・・師匠は・・・」


部屋に入ってきて、私に語りかけてくる桜さんの言葉には答えないで、私はすぐに師匠の事を聞いた。


すると桜さんは、頭巾から覗かせる口元を、一瞬きつく結んだ。


「・・・行ったわ。」


一旦間を置いて呟かれた、桜さんの言葉・・・


その言葉で、全てを理解した私は、拳を握りしめて俯いた・・・


「・・・どうして・・・止めてくれなかったんですか・・・」


「・・・それで彼が、思い留まらないと言う事は・・・あなたが一番解ってる事でしょう。」


私の言葉に対して、桜さんは冷静にそう答えてくる。


その言葉を聞いて、私はそれ以上何も言えなくなった・・・


解ってる・・・私たちが止めた所で、師匠が思い留まらないなんて事・・・けど・・・


「・・・おねえちゃん?」


その時、不意に舞ちゃんが、心配そうに私の顔を覗き込んでくる。


「・・・大丈夫。大丈夫だよ・・・」


心配そうに覗き込んでくる舞ちゃんに、私は精一杯の笑顔を向けて答える。


「・・・ッ・・・」


けど・・・私の視界は、涙で滲んでいた・・・


「ウッ・・・ウゥ・・・」


舞ちゃんに顔を向けた瞬間・・・自分の視界が、涙で滲んでいる事に気が付いた瞬間・・・一気に悲しみがこみ上げてくる・・・


そして遂に私は、嗚咽を漏らしながら俯いてしまった・・・


「ウゥ・・・師匠・・・」


「おねえちゃん?どこかイタイイタイなの?」


舞ちゃんの気遣いの言葉にも、私は嗚咽を漏らすだけだった・・・


約束・・・したのに・・・


「・・・聖さん。」


暫く泣き続けていると、不意に桜さんに呼びかけられて、私は顔を上げた。


「これを・・・」


すると桜さんは、私に向かって小さな巾着を差し出した。


「これは・・・師匠の・・・」


その巾着を受け取って、その中に仕舞われている金剛夜叉明王珠を、私は手の平に乗せた。


「・・・あなたが持っていなさい。そして信じなさい・・・彼の言葉を・・・」


「師匠・・・ッ!」


桜さんにそう言われ、私は宝珠を握りしめて、また顔を俯かせた・・・


『だが・・・約束しよう。時間は掛かるかもしれんが・・・それでも、必ず戻ってくると・・・俺とおまえなら・・・また、巡り逢うさ。だから今は、別れは告げない・・・』


不意に蘇った、あの時聞いた最後の師匠の言葉・・・


そして、私の事を『愛してる』とも言ってくれた・・・


その言葉・・・信じて良いんですよね・・・師匠・・・


「二回も・・・約束破ったら・・・許さないですよ・・・グスッ・・・蒼天・・・」


大粒の涙を流しながら、私は呼ぶ人の居なくなった名前を呟いていた・・・


ピピピピッ!ピピピピッ!ピピ、チン・・・


「ん・・・」


時間を告げる、目覚まし時計のデジタル音を止めると、ボクはベッドの上で体を起こした。


「・・・ん、んんーーーっ!」


そして思いっきり伸びをして、寝ぼけた意識を呼び覚ます。


「ん~~~・・・あふ・・・」


次第にはっきりしていく意識の中で、ボクは軽くあくびを漏らした。


「クゥン・・・ワンッ!」


不意にベッドの横から、犬の鳴き声が聞こえてきて、ボクは顔をそっちに向ける。


そこには、黒い毛並みの大型犬が、犬用のベッドに寝そべりながら、顔をボクに向けている姿があった。


「・・・おはよ、クロ。」


ボクの愛犬・クロに、朝の挨拶を済ませると、ボクは起きあがって、クローゼットの前まで移動した。


クローゼットを開いて、お目当ての服を取り出すと、ボクはおもむろに着替え始めた。


「行くよ、クロ!」


お気に入りのランニングウェアに着替えて、クロに向かってそう言いながら、ボクは部屋のドアを少し開けた。


「ワンッ!」


それに対してクロは、とても嬉しそうに尻尾を振りながら答えると、ボクが開いた部屋のドアから外に出ていく。


それに続いて、ボクも部屋を出ると、階下に繋がる階段を下りて、玄関に向かっていく。


まだ朝も早いので、家の中は静かそのものだった。


時刻は六時少し前、もう少ししたらお母さんもお爺ちゃんも起きると思うけど、この家の中じゃボクとクロが一番の早起きさんだ。


玄関まで来ると、ボクはクロの首輪にリードを付ける。


本当はクロには必要ないんだけど、こうしないと色々問題があるみたいで、お散歩の時は仕方なく使ってる。


それから、ビニール袋と新聞紙が入ってるポーチを、腰に付けて準備万端。


ボクは玄関の鍵を開けて、クロと一緒に外に出た。


カチャッ・・・ギィ・・・バタン!


「すぅ~・・・ハァ~・・・」


外に出るなり、早朝の澄んだ空気を、肺一杯に吸い込んでゆっくりと吐き出す。


そして軽く準備運動をして、体をほぐしてから、私はゆっくりと駆けだした。


「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ・・・」


いつものペースで、クロと呼吸を重ねながら、早朝の市内を走っていく。


春でも五月となると、こんな早朝でも少しは暖かくて、ジョギングにはもってこいだった。


市内を走る途中、いつもすれ違う人達と、朝の挨拶を交えながら、お散歩を続けていく。


「・・・うん?」


そのままいつものコース通り、家へと戻る途中にある公園に入って所で、見慣れない人を見つけて、ボクはその場で立ち止まった。


ボクの立っている所から少し離れた、公園の中に設けられた遊具が在る一画に、その人は居た・・・


「フッ!・・・フッ!・・・フッ!」


大人の人でもぶら下がれるような鉄棒に、足を絡ませて、逆さの状態で腹筋運動をしているその人。


少し離れている所為で、顔はよく見えないけど、歳はボクと同じか、少し上くらいだと思う。


服の上からでも解る、その人の締まった肉体と、鋭い眼光がとても印象的だった。


よく観察すると、その人はとても整った顔立ちで、女の人かと一瞬思ったけど、どうやら男の人のようだ。


ボクは暫く、見慣れないその男の人を見ながら、その場で足踏みを続けていた。


見かけない人だな・・・引っ越してきたのかな?


「・・・クゥン。」


暫く、この辺りでは見た事のないその人を見ていると、横からクロの先を急かすような、鳴き声が聞こえてきた。


「あ、ごめんねクロ。さ、行こっか!」


「ワンワンッ!」


そうクロに呼びかけて、ボクはまた走り出した。


ボク達のやりとりを聞いていたのか、背中越しに視線を感じたけど、すぐに感じなくなってしまった。


ボクもその事にはあまり気にしないで、そのまま家に戻っていった・・・


「・・・ふぅ。」


上半身裸のまま、バスタオルを頭に被り、俺は風呂場から洗面所を通り、廊下に出た。


毎日欠かす事のない日課のトレーニングを終え、シャワーを浴び汗を流した俺は、そのまま新しい我が家の廊下を歩いて、二階へと繋がる階段を上っていく。


時刻は七時少し前、そろそろ妹達が起き始める頃だ。


あいつ等が起きる前に、着替えなければな・・・


そう思いながら、俺は新しい我が家の、新しい俺の部屋へと向かった。


濡れている髪の毛を拭きながら、部屋の前まで来てドアを開くと、そこには段ボール箱が、所狭しと積み重なっている。


その光景を目の当たりにし、俺は苦笑を浮かべながら、軽いため息を吐いた。


アメリカから戻り、そのままこの家に向かって着いたのが、昨夜の十時過ぎ・・・


昨日の内に、荷物の整理をしたかったのだが、家族に土産を手渡してから一悶着有り、結局手つかずのまま寝る場所だけを確保したような状態だ。


その一悶着とは、アメリカで知り合った友人、ボブが選んだ家族の土産の中身についてだ。


ボブが選んだ家族の土産・・・それは肌着の詰め合わせだった。


それも困った事に、普段では絶対に着けないような代物ばかりだったので、家族に在らぬ誤解をされてしまった。


いわゆるアメリカンジョークと言うヤツだろうが・・・いくら高学年とは言え、さすがに小学生の妹達に、黒のレースの上下は狙い過ぎだ。


ちなみにお袋の分はピンクのネグリジェ、俺と親父に至っては、ビキニパンツだった。


俺自身、ボブの土産の中身を確認していなかったので、誤解を解くのに一苦労した。


あぁいった冗談は、嫌いではないが・・・家族相手には、さすがにシャレでは済まない。


その場には家族の他にも居たが・・・面白がって静観していただけだった。


そんな事もあり、結局段ボールの山は、昨日から手つかずのまま放置する羽目となった。


・・・とりあえず、帰ってきたらこれの整理か・・・ため息が出るな。


そんな事を考えながら、着替えが入っている段ボールを探し始める。


暫く探すと、お目当ての段ボールを見つけ、俺は被っていたバスタオルをベッドに放り投げ、壁に掛けられている、新しい高校の制服を手に取り着替え始める。


さすがにまだ時間もあるので、ブレザーまで着るつもりはないが、真新しいズボンとYシャツに着替え終わると、ブレザーとバスタオルを手に取り部屋を出る。


そのまま階下に降り、途中洗面所の脱衣かごにタオルを入れて、リビングへと向かっていく。


カチャ・・・


「うん?おぉ~おっはよ~。」


「おはよう。」


リビングに入るなり、ソファーに座るス-ツ姿の女性が、肩越しに振り返り朝の挨拶をしてくる。


それに答えながら、俺はリビングの中を見渡す。


しかし俺と彼女以外誰も居らず、俺はソファーに座って朝のニュース番組を見ている彼女に近づいた。


「鈴姉、親父とお袋は?」


そう言って俺は、従兄弟の女性に、気になった事を聞いた。


「うん?なんか仕事の引継が在るとかで、おじさんが出かけるのに、おばさんが着いていったわよ?」


「そうか・・・」


彼女の返答を聞いて、俺は呟いて答えると、台所へと向かった。


彼女の名前は藤原鈴音、母方の従姉妹に当たる・・・と言っても、俺とは少し歳が離れている。


元々この近くに住んでおり、俺達家族が引っ越す際、彼女にも色々と手伝って貰ったらしい。


その間、彼女もこの家で寝泊まりしており、休み明けの今日、自分の家からもここの方が近いという理由で、昨日も泊まっていた。


ちなみに、昨夜の騒動の際、ボブのジョーク土産を、一番面白がっていたのは、他でもない彼女だ。


昨夜の事を思い返しつつ、俺はコーヒーを二人分作り、二つのマグカップを手に、ソファーへと向かった。


「・・・ん。ミルクと砂糖は?」


「おっ!サンキュ~このままで良いわよ。」


手に持ったマグカップの一つを鈴音に渡し、俺は彼女の隣に腰を下ろした。


「・・・朝ご飯食べないの?」


「これが飯・・・の変わりだ。」


「偏食~・・・体に悪いわよ?」


短い会話の後、テレビ画面に映るニュース番組を、二人でコーヒーを飲みながら眺める。


ふと、テレビ画面に映し出された時刻を観てみると、すでに七時を回っていた。


ドタドタドタ・・・


それを確認すると同時、二階から忙しない足音が聞こえてくる。


「・・・来たわね。」


「あぁ・・・」


忙しなく聞こえる足音に、天井を見上げながら鈴音が呟くと、おもむろに立ち上がる。


「・・・んじゃ、トーストくらい焼いてあげますかね。あなたは?」


そう聞いてくる鈴音に、俺は飲みかけのコーヒーが入った、マグカップを掲げて見せる。


すると鈴音は、意味を察したのか、苦笑を浮かべて俺に向けた後、台所に向かっていった。


ドタドタドタッ!


そんなやりとりの間も、聞こえてくる足音が止む事はなく、次第に大きくなっていく。


バタンッ!!


次の瞬間、轟音と共にリビングの扉が勢いよく開かれ、俺は横目で一瞥すると、そこには一人の少女が立っていた。


「おっはよぉーっ!!」


その少女は入るなり、清々しい笑顔で元気良く朝の挨拶をし、その声がリビングの中に響き渡る。


朝から元気なのは良い事だが、近所迷惑になりかねん声量で挨拶するのは、止めてほしいものだ。


「おはよう、静菜ちゃん。」


そんな事を俺が思っていると、台所の方から鈴音の声が聞こえてくる。


それとほぼ同時、俺の首に腕が回され、後ろから抱きつかれた。


「おっはよ!お兄ちゃん。」


「・・・おはようさん。苦しいから退け・・・」


俺の耳元で、朝の挨拶をしてくる妹の静菜に、横目で一瞥しながらそう答えた。


「えぇ~っ?!良いじゃん別にぃ~!」


俺の不満の声に対し、静菜は戯けたような笑みを向けながら、その場で飛び跳ね始める。


「・・・おはようございます。」


暫く静菜に、されるがまま身を委ねていると、不意に消え入りそうな声が聞こえてくる。


その声に俺は、静菜を押し退けないよう気を付けながら、リビングのドアへと顔を向けた。


「おはよう、雪菜・・・」


「おはよう、雪菜ちゃん。」


顔をドアに向け、そこに立つ静菜と瓜二つの少女を確認し、彼女に向けた俺と鈴音の挨拶が重なる。


俺のもう一人の妹にして、静菜の双子の姉雪菜が、俺達の挨拶の後、眠そうな顔でリビングの中に入ってくる。


そのまま雪菜は、俺と静菜の元までゆっくりとやってくると、おもむろに立ち止まり、俺達を見下ろす。


「・・・静、兄さんが困ってる・・・そろそろ離れてあげて。」


「えぇ~~~っ?!」


雪菜の言葉に対し、すぐさま静菜の不満そうだが、何処か楽しんでるような声が、俺の耳元で聞こえてくる。


「静・・・」


また聞こえてきた雪菜の声に、今度は全く反応を示さない静菜。


シュッ・・・ズビシッ!


「ハゥッ?!」


だが次の瞬間、乾いた音が聞こえたかと思うと、俺の耳元で静菜の小さな悲鳴が聞こえ、首の戒めが解かれた。


何となく想像できたが、確認の為後ろを振り返ると、ソファーの後ろで右腕を振り下ろした姿で立つ雪菜と、その前で頭を押さえている静菜の姿があった。


状況から察するに、俺の想像通り聞き分けのない静菜の頭に、雪菜のチョップが当たったのだろう。


「うぅ~・・・雪ちゃん酷いよぉ~・・・」


その光景を呆れながらに見ていると、不意にソファーの下から、避難めいた声が聞こえてくる。


「・・・聞き分けのない静が悪い。」


一拍間を置いて、今度は雪菜が静菜に対しそう呟く。


そのやりとりに俺は、苦笑を漏らしてから、顔をテレビに戻した。


「・・・雪菜が正しい。ったく・・・朝から騒がしいんだよ、おまえは・・・」


「ブゥ~ッ!久しぶりなんだから良いじゃん!!」


俺の言葉に対し、静菜の反論が聞こえると同時、立ち上がるのが気配で解った。


「引っ越しだって言うのに、お兄ちゃん自分の荷物だけさっさと片付けて、前の学校サボってアメリカに旅行に行っちゃってさ。お兄ちゃんの友達みんな呆れてたよ、『またか・・・』って。」


「それを言われると耳が痛いな・・・」


「おまけにお兄ちゃんが買ってきたお土産、えっちぃ~な下着だし~」


昨夜の騒動を蒸し返す静菜の言葉に、俺は自嘲気味に苦笑を浮かべ、飲みかけのコーヒーを啜った。


「・・・俺が買った訳じゃ無いんだがな・・・」


「静菜ちゃんが正しい!っと言う事で、そろそろ二人ともこっちに来て、朝ご飯食べちゃいなさい。」


ニュース番組を観ながら、いい訳がましく俺が呟くと、同時に台所から鈴音の呼びかけが聞こえる。


「あ、は~い!」


「・・・はい。」


鈴音の言葉に対し、返事を返した静菜と雪菜は、そのまま食卓へと向かっていくのが、背中越しに気配で解った。


・・・渡りに船とはよく言ったものだな。


そんな事を考え、また自嘲気味に苦笑を漏らし、俺は残ったコーヒーを一気に飲み干した。


静菜と雪菜・・・一卵性双生児の姉妹にしては、二人の性格はまるで正反対だ。


物静かで控えめな雪菜に対し、妹の静菜は明るく活発だ。


外見的特徴には、ほとんど差はないが・・・強いて上げるとすれば、本人にその自覚はないようだが、姉の雪菜はいつも何処か眠そうで、表情を変えるという事をあまりしない・・・良く言えば、ポーカーフェイスと言える。


それに対し妹の静菜は、コロコロと表情がよく変わり、取り柄である元気を、体全体で現しているが・・・たまにその元気が、空回り気味なのが玉に瑕だ。


こうも両極端だと、一緒に居ても飽きないが・・・何時になったら、兄離れしてくれるのかと思う時もある。


先程のように、無邪気に俺に懐いてくる静菜に対し、それを雪菜が窘めるのが、いつものパターンなのだが・・・雪菜は自分の感情を、上手く表に出せない節があり、静菜のように無邪気に懐いてくる事こそ無いが、たまに猫のようにすり寄って来る事がある


まぁ、来年中学に上がるとはいえ、二人ともまだ小学生なのだ・・・気長に待てば良いとは思うが、いくら何でも未だに風呂に一緒に入れと言うのは、勘弁願いたい所だな・・・


「・・・さて、それじゃそろそろ行くわね。二人とも転校初日から遅刻しないようにね。」


「解ってるって、鈴音ちゃん!」


「はい・・・鈴音姉さん。」


不意に聞こえてきた鈴音の声に、二人の妹の返事が重なって聞こえてくる。


肩越しに振り返ると、ちょうど鈴音と視線があった。


「あなたもね。解ってると思うけど、転校初日から変な騒動を起こさないでよ?」


「・・・酷い言われようだな。」


視線が合うと同時に、鈴音にそう言われ、俺は思わず苦笑を浮かべて呟く。


その俺の呟きに対し、鈴音は両手を腰に当て、呆れたようなため息を吐いた。


「・・・入学早々、上級生ともめ事起こしたのは誰よ・・・まったく、何か問題起こしたら、容赦なく処分するわよ?」


「これから毎日、愛しのお姉さまと一緒にお勉強が出来ると思うと・・・感激のあまり涙が出ますよ、藤原先生。」


鈴音の呆れながらの言葉に対し、俺はそう言って返した。


彼女の職業は教師・・・しかも困った事に、これから俺が通う高校のだ。


更に言うなら、目を離すと俺が何をするか解らないからと、強引に俺を自分の受け持ちのクラスに編入させたそうだ。


ちなみに彼女の科目は英語・・・俺の英語は、彼女から教わったと言っても良い。


ソレについては感謝はするが・・・如何せん、彼女の本性を知っている身内としては、担任が彼女では一抹の不安を覚える。


「・・・その嫌味な言い方、変な所で兄さんに似てるんだから、あなたは・・・」


俺の言葉に対し鈴音は、彼女の兄である兼道と俺を、比べるようにそう言って、ため息を漏らした。


「それは褒め言葉として受け取っておこう・・・が、俺は兼道のように、あんたの尻に敷かれるつもりはないがな。」


「酷い言い方・・・まぁ良いわ。とにかく、あなたも遅刻しないように・・・これは担任としての命令です。」


「アイサーティーチャー。」


鈴音の言葉に俺は、敬礼しながら答えると、彼女はまた呆れながらにため息を漏らし、リビングから出ていった。


「・・・兄さん。少し意地悪・・・」


「昨日鈴音ちゃんに笑われたの、もしかして根に持ってるとか?」


鈴音が出ていき、暫くして家の玄関が閉まる音が聞こえると同時、台所から二人の姉妹が、それぞれ俺に向かってぼやくのが聞こえてきた。


「・・・別に。ま、俺と鈴姉はあの位がちょうど良いのさ・・・」


二人の言葉に対し、俺はそう言って答え、飲み終わったマグカップを手に立ち上がる。


そのまま台所へと向かい、朝食を摂る二人の横を通り過ぎ、流しの前で立ち止まった。


「それより、早く食っちまえよ・・・洗い物が片付かないだろうが。」


そう言って俺は振り返り、二人に苦笑を向けると、二人とも残りの食事を片付け始める。


それから二人の朝食が済むのを待ち、後片付けを済ませた頃には、時刻は八時を回り、俺達は一緒に家を出て、新しい学校へと登校していった。


途中、二人と別れた辺りから、俺はこの日の為に用意していた伊達眼鏡を着用する。


鈴音に言われるまでもなく、俺だって好きこのんで問題を起こしていた訳じゃないからな・・・


眼鏡を着け、そんな事を思いながら、俺と同じ制服を着た生徒達の群れに、目立たぬよう紛れ込んだ。


「聖ちゃん知ってる?今日うちのクラスに・・・転校生が来るんだって~」


「・・・転校生?」


ホームルーム前、席についていたボクの元に、親しい友達の結城沙希ちゃんがやってきた。


昨日のテレビの話しやラジオの話し・・・ありふれた友達との朝の会話は、いつの間にか今日やって来るという、転校生の話題に変わっていった。


「うん・・・さっき職員室で、それっぽい人が鈴音先生と話してたの見たって、夕ちゃんが・・・」


「・・・ふ~ん。」


どこかおっとりした喋り方をする沙希ちゃんの、今日やって来るという転校生の話題に、ボクはあまり興味なさげに相づちを打った。


「・・・聖ちゃん、あまり興味ない?私が来た時には・・・もう結構話題になってたけど・・・」


そう言って沙希ちゃんは、肩越しに後ろを振り返って、教室内に目を向ける。


それに習って、ボクも教室内を見てみると、何人かで集まって話し合っている、友達の姿が在った。


主に女子が騒いでいるのを見ると、多分転校生は男の子のようだ。


その女子の集まっている中に、さっき沙希ちゃんが言っていた夕ちゃん・・・麻生夕凪の姿もあった。


「ん~・・・ボクは、あんまり興味無いかなぁ・・・おっ。」


ボクが沙希ちゃんにそう言うと、ちょうど夕ちゃんが今まで話していた友達の輪から離れて、ボク達の元までやって来る。


「おっはよ~聖~」


「おはよ、夕ちゃん。」


笑顔で挨拶してくる夕ちゃんに、ボクも笑顔を向けて応えた。


「沙希、もう聖に話したの?」


ボクとの挨拶を済ませると、夕ちゃんは沙希ちゃんに顔を向けて、そう言って話しを切り出した。


「話したって・・・転校生の事?」


「そうそう。」


「うん・・・今話してた所だよ~・・・でも聖ちゃん、あんまり興味無いみたい・・・」


「おっ、さっすが聖!それが彼氏持ちの余裕ってやつですか~?」


沙希ちゃんの言葉に、夕ちゃんは意地の悪そうな笑みを浮かべて、ボクに向かってそう切り出した。


「ふぇ?ボクの彼氏・・・って、誰の事言ってるの?」


夕ちゃんの言葉の意味が解らなかったボクは、疑問をそのままぶつける。


すると夕ちゃんは、からかうように鼻で笑って見せた。


「惚けなさんなって、飛燕君の事に決まってるじゃない。」


その言葉に、ボクは呆れながらに、夕ちゃんをジト目で見据えた。


「・・・惚けるも何も、飛燕とは単なる、幼なじみなだけなんだけど・・・」


夕ちゃんにそう言って、ボクは軽くため息を吐いて見せる。


話題の相手の飛燕は、ボク達とは一つ下の学年の、ボクの幼なじみの男の子の事だった。


家が隣同士で、昔から良く遊んでいたので、ボクとは仲の良い兄姉みたいなものだ。


だから昔から、からかわれたりした事は、今に始まった事じゃないけど・・・


「ふ~ん・・・本当に脈は無いのかしら・・・まぁそっちの方が、私的には好都合だけど・・・」


「うん?何か言った?」


不意に夕ちゃんが、囁くように呟いたけど、最後まで聞き取れず、ボクは聞き返した。


「・・・別に。」


すると夕ちゃんは、話しをはぐらかすよう笑いながら、ボクの質問にそう答えるだけだった。


キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン・・・


ちょうどその時、HRを告げる予鈴のチャイムが鳴り響き、一瞬教室内が慌ただしくなる。


「・・・っと予鈴だ。」


「それじゃあ聖ちゃん・・・また次の休み時間にね・・・」


「・・・それじゃあね。」


そう言い残して、二人とも自分の席へと戻っていく。


「うん。」


二人を笑顔で見送って、暫くするとみんな自分の席に着いて、教室内に静寂が訪れる。


ガラガラガラッ・・・


「は~い。ホームルーム始めるわよ~」


更にそのまま待っていると、教室のドアが音を立てて開き、そこからスーツ姿の見慣れた女性が、そう言いながら入ってくる。


ボク達の担任である鈴音先生は、そのまま教壇の前に立って、出席簿を上に置くと、教室内を見回し始めた。


「・・・出席を取る前に・・・もうみんな知ってるかもしれないけど、転校生を紹介します。入ってきて。」


そう言って鈴音先生は、開けっぱなしの教室のドアの向こうに声を掛ける。


すると一旦間を置いて、そこから一人の男子が、無言のままゆっくりと教室内に入ってきた。


その男子が入ってくると同時に、教室内が・・・主に女子の間で、ざわめきが起こる。


その理由は簡単・・・その転校生の容姿に、みんな驚いてるんだと思う。


一瞬女の人かと思うほど、端正に整った顔立ち・・制服の上からでも解る、引き締まった肉体。


背は長身で、掛けた眼鏡が知的な雰囲気を醸し出している。


でもそれと同時に、どこか近寄りがたい雰囲気を、ボクは感じた・・・


・・・あの人もしかして・・・


そしてボクには、その転校生に見覚えがあった。


今朝公園で見かけた、公園の遊具で筋トレをしていた男の子・・・あの時は、眼鏡は掛けていなかったけど、その人は今朝見かけた男の子にそっくりだった。


今朝見かけた時は、この辺では見慣れない人だとは思ってたけど、まさかボク達のクラスの転校生だなんて、思いもしなかった。


・・・声を掛けておけば良かったかな・・・


ボクがそんな事を思っていると、ちょうど転校生の彼は、鈴音先生の隣で立ち止まって、体をボク達に向ける。


その時、彼の眼鏡越しに、今朝見かけた時と同じ鋭い眼光を見た気がした・・・


けどすぐに消え去って、彼は人の良さそうな笑みを、教室内に居るボク達に向けた。


・・・気のせいかな・・・


「・・・さ、それじゃ自己紹介して。」


不意に、鈴音先生が転校生の彼にそう言うと、彼は一つ頷いてから後ろを向いて、黒板にチョークで名前を書き始める。


「・・・蒼月蒼天です。よろしく・・・」


黒板に名前を書き終わった彼は、またボク達に向き直って、低くそれでいて響く声で、自分の名前を名乗った。


『あおつきそら』・・・それが彼の名前だった・・・


応援で駆けつけた人達に、蛭子島の事は任せて、私たちは江戸へと帰ってきた・・・


舞ちゃんには、島を出る時泣き付かれたけど・・・それでも、この島で起きた事を、伝えなければいけない人たちが居るから、私たちは蛭子島を去った。


そして江戸に帰ってきた私たちは、島で起きた事をみんなに伝えた・・・


師匠の事・・・刹那さんの事・・・私たちが目撃した全てを・・・


でも誰も、涙を見せる事はなかった・・・ただ『彼らしい・・・』と、寂しそうに呟くだけだった・・・


師匠は必ず生きてる・・・必ず還ってくる・・・そう思いながらも、寂しさを拭えぬまま、私たちは元の生活に戻っていった。


でも私は、過ぎてしまったあの島での出来事を、毎日のように振り返っている。


そう言えば蒼雷さんは、最後にあの神木の元で会ってから、結局会う事はなかった。


珠螺さんは、桜さんとの戦いで、力を使い切ってしまったのか、猫又の力を失ってしまい、今は普通の猫とあまり変わらない。


けど、尻尾は八つのままで、桜さんが言うには、その内力も戻るだろうとの事だった。


それまでの間は、桜さんが珠螺さんの面倒を見ると言っていた。


そしてその桜さんは、真夜さんと一緒に、麗姫お婆ちゃんの元で、本山の建て直しに駆け回る毎日を送っている。


そして私とクロも、兼道さんのお家に厄介になりながらも、そのお手伝いをしていた。


兼道さんも鈴音さんも、普段通りの毎日を送っている。


だけど私は知っている・・・兼道さんは、夜になると一人寂しそうにお酒を飲んで・・・鈴音さんも、私の前で一度も見せた事のない涙を、夜になると一人影で泣いている事を・・・


師匠の存在が、私たちにとってどれだけ大きかったのか・・・居なくなって初めて、それに気付かされた。


私たちは、その寂しさを表に出さないよう・・・その寂しさを、紛らわせるように、普段の生活を演じ続けていた・・・


そんな私たちの想いなど余所に、止まる事を知らない時間は、慌ただしく過ぎていき、師匠が居なくなってから、すでに三ヶ月が過ぎようとしていた・・・


「・・・お見送り、ありがとうございます。」


そう言って私は、私たちの新しい旅立ちを、見送りに来てくれたみんなに笑いかける。


良く晴れた春の日差しを受けながら、私はクロと並んで、みんなと向かい合っていた。


「・・・気を付けてね、聖ちゃん・・・」


そんな私に、複雑な表情を浮かべながら、鈴音さんが声を掛けてくる。


「・・・はい。」


私は、もう一度笑みを浮かべて、鈴音さんの言葉に答えた。


あれから私は、正式に十四代目『宝仙』を襲名した。


それとは別に、今までの明王衆では初めて、二つの明王珠を持つ者として、『天威』という称号を、与えられる事になった。


金剛夜叉明王珠と孔雀明王珠・・・二つの明王珠を継承した者、初代『天威』宝仙として、私はこれから旅立つ・・・


「・・・これから、どうするつもりだ?聖・・・」


不意に、鈴音さんの隣に立つ兼道さんが、私にそう問いかけてくる。


その問いに私は、視線を青空へと移した・・・


「・・・とりあえず、師匠と一緒に旅した地を巡ろうと思います・・・そこで出逢った人たちにも、師匠の事を伝えないといけないと思うから・・・」


「・・・それが終わったら、どうするの?」


兼道さんの問いに答えると、今度は桜さんにそう問いかけられて、私は視線を元に戻した。


「・・・その後の事は、まだ考えていません・・・けど、待とうと思います。師匠の帰りを・・・」


「・・・そうか。」


「ここで、私達と一緒に待つ気はないの?」


私の言葉に、兼道さんが呟いたかと思うと、その隣に佇む鈴音さんが、思い詰めた表情で聞いてくる。


「鈴音。」


「だって兄さん!」


そんな鈴音さんをなだめるように、兼道さんが手で制すと、鈴音さんが声を荒らげた。


今日の私の旅立ちを、鈴音さんはずっと反対していて、昨日ようやく、不服そうにだけど納得してくれた。


私たちの事を、家族だと思ってくれている鈴音さんたちだからこそ、師匠が居なくなった悲しみは、とても深いと思う・・・


その悲しみが癒えない内に、今度は私が旅立つと言い出したから、取り乱してるんだと思う。


あんなに癇癪を起こした鈴音さんを、私は今まで見た事がなかった。


それでも、私は決めたんだ・・・


「・・・『おまえら何時まで、そんな辛気くさい面してるんだ。』」


不意に私は、鈴音さんに向かって、無骨な言い方でそう言った。


「ッ!聖ちゃん・・・」


「・・・きっと、師匠だったらそう言うと思います。違いますか?」


一瞬ハッとした鈴音さんに、私は苦笑を浮かべながらそう聞いてみる。


「・・・フッ。あの穀潰しならそう言うだろうな・・・」


暫くして、兼道さんが自嘲気味に苦笑して、そう呟くのを聞いてから、私はまた空に顔を移した。


「・・・ここで、みんなと一緒に師匠を待っていたら・・・きっと私、甘えちゃうから・・・師匠と再会した時に、胸を張っていたいから・・・」


そう言って私は、ゆっくりと視線を元に戻した・・・


「・・・だから私は、往くんです・・・この世界を、自分の目で視て、自分の足で歩いて・・・今までは、師匠の旅だったけど、これからは私の旅をする為に・・・」


「聖ちゃん・・・」


私の言葉を聞いて、鈴音さんが呟く。


その鈴音さんの肩に、兼道さんは腕を回して抱き寄せた。


「聖は俺達が思ってるほど、子供じゃないさ・・・」


「兄さん・・・」


「・・・何時でも帰ってこい。ここには・・・おまえ等の家がある。ただし、そこまで吠えたんだ・・・中途半端で帰ってきたら、尻を蹴飛ばすからそのつもりでいろ。」


「エヘヘ・・・はい。」


そう言ってくる兼道さんに、私は苦笑しながら返事を返した。


良く晴れた春の日差しを受けて、私とクロは旅立つ・・・


「それじゃ行ってきます!」


新しい旅立ち・・・誰の為でもない、私の旅が始まった・・・


「・・・その眼鏡、何の冗談よ・・・」


鈴音に呼び出され、昼休みに職員室に行くと、俺を待っていた彼女の第一声はソレだった。


「なかなか似合うと思うんだが・・・お気に召さなかったか?」


鈴音の言葉に俺がそう言うと、彼女は呆れながらに、ため息を一つ吐いた。


「・・・嫌味なインテリ君にしか見えないわよ。」


「フッ・・・酷い言われようだな。それで何の用だ?まさか俺の眼鏡の事に付いて・・・と言う訳でもないだろう。」


鈴音の言葉に苦笑を漏らし答え、そのまま本題に入る。


「・・・まぁ一応、眼鏡の事についてのツッコミもしたかったけど、本題はこれよ・・・」


そう言いながら鈴音は、彼女が使う机の下から、大きめの紙袋を取り出し、それを俺に差し出した。


「さっき届いたの。本当は放課後でも良かったんだけど、早い方が良いでしょ?それに、お約束の質問攻撃に、そろそろ嫌気が差してる頃だと思ってね。」


鈴音の言葉を聞きながら、受け取った紙袋の中を見てみると、中には真新しい教科書の束が入っていた。


転校するにあたり、教科書は前の学校の物とは違う出版社だった為、買い換えを余儀なくされた。


その為、学校側で注文して貰ったのだが、それが届いたからと言って、先程鈴音が言ったように、わざわざ昼休みに呼び出す程の事でもない。


なのにわざわざ呼び出したのは、俺を気遣っての事だろう。


「・・・気を遣わせたみたいで悪いな。」


「別に良いわよ。」


鈴音の気遣いに素直に礼をすると、彼女は柔らかい笑顔を向けてくる。


見知らぬ者に対しての、好奇心からの質問責めは、転校を経験した者ならば誰にでも在るはずだ。


今までにも、一度転校を経験した事はあるが、それでもこればかりは勘弁願いたい所だ。


相手には悪気は無いのだろうが、矢継ぎ早に飛び交う質問の数々に、いちいち答えていてはキリがない。


膨大な質問の中には、聞き取れず答えられなかった物や、答えに詰まる物なども多く、転校初日はいちいち神経を磨り減らす。


それが、各休み時間毎に繰り広げられるのだから、正直勘弁願いたい所だ。


今の時間だって、鈴音の呼び出しを理由に逃げてきたようなものだしな・・・


「・・・ま、二、三日もすれば収まるでしょ。」


「出来れば明日からでも、普通の学校生活を送りたいな・・・っと言うより、この熱が冷めるまで、旅していたい気分だな。」


「それは担任として認められません。」


不意に漏れた俺の一言に、鈴音はいかにも教師らしく、少し胸を張りながらそう答えた。


「解ってるさ。言ってみただけだ・・・」


「何言ってるのよ・・・半分くらい本気のくせに。」


「フッ・・・流石鈴姉、よく解ってる・・・」


次いで呟いた俺の言葉に、間髪入れず呆れ気味に鈴音はそうぼやき、俺は自嘲気味に苦笑を浮かべ、肩を透かせながら答えた。


そのまま、職員室から退室しようと振り返り、鈴音に背中を向ける。


「・・・まったく、困った従兄弟ね・・・それより、学校じゃちゃんと先生を付けなさい。」


背中越しに鈴音にそう言われ、俺は肩越しに振り返り、嫌味な笑みを浮かべた。


「先生こそ、特定の生徒と親しげにしていると、色々とまずいんじゃないんですか?」


「人の揚げ足を取らないように・・・解りましたか?蒼月君。」


「へぇ~へぇ~・・・」


鈴音の言葉に生返事で返し、俺は渡された教科書の入った紙袋を手に、職員室のドアへと向かう。


そのまま職員室のドアを開き、退室の挨拶をしてから廊下に出て、後ろ手にドアを閉めると、俺は教室とは別方向に歩いていく。


今ここで教室に戻っても、恐らくはまた質問責めが待っているだけだろう。


ならば今の内に、暇つぶしを兼ねて、学校内を色々と見て回っておこうと思い立った。


しかし、そう思い立ったのが、どうやら運の尽きだったようだ・・・


ドンッ!


暫く廊下を歩いて、校内を見て回っていると、不意に前方から来た上級生と思われる一団の一人とぶつかってしまった。


ぶつかる前から、俺はその一団に気が付いて、端に寄っていたのだが、向こうは話しに夢中で、俺に気が付いていなかったらしく、更にすれ違う瞬間、ふざけ合っていたのか、わざわざ端に避けた俺の方に、向こうが飛び込んできた形だ。


それならばまだ良いのだが・・・その一団は、見るからに柄の悪そうな奴等が多く、この後の展開が何となく読めてしまった。


「・・・ってぇな~・・・」


向こうからぶつかってきたにも関わらず、お約束通りぶつかった相手は、俺に対し睨みを利かせて呟く。


それに対し俺は、その上級生を一瞥しただけで、何も無かったかのように、また歩き始めた。


「オイ!待てテメェッ!!」


俺が歩き始めてすぐ、背中越しに呼び止められ、俺はその場で立ち止まり、肩越しにその一団に視線を向ける。


見ると、強面の上級生五人が、それぞれ眉間に皺を寄せ、俺を睨みつけていた。


「・・・何か、俺に用ですか?先輩方・・・」


肩越しに振り返ったまま俺がそう言うと、ぶつかった奴の隣に居た二人が、厳めしい表情で一歩踏み出した。


「用ですかじゃねぇだろうがコラッ・・・」


「ぶつかっといてシカトか?ぁあん?」


二人が俺に対し、それぞれそう言った所で、俺はため息を一つ吐きながら、ゆっくりと振り返り、上級生達と向き合った。


「・・・話しに夢中で俺に気付かず、わざわざ避けた俺に、ぶつかってきたのはそっちでしょう・・・謝られるならともかく、俺が謝る道理は在りませんよ・・・それじゃ。」


「待てコラッ!」


そう言って立ち去ろうと、上級生達に背中を見せた瞬間、後ろから怒声が浴びせられ、俺は再び肩越しに視線を向けた。


「・・・今度は何でしょうか?」


再び肩越しに呟くと、上級生の一団の中から、また別の男が一歩踏み出してくる。


その男の雰囲気や、堂々とした態度から、その男がこの一団の中のリーダー格だと、そう俺は感じ取った。


「・・・おまえ、転校生か?」


その男は、俺の持つ紙袋を一瞥し、不意にそう聞いてくる。


「それが何か?」


その問いに対し、俺がそう聞き返すと、男は鼻で俺を笑った。


「成る程な・・・見かけた事の無い面の筈だ・・・なぁ転校生。おまえの言い分は、確かに筋が通ってる・・・けどよ、一言謝れば済む話しを、わざわざこじらせるのもどうかと思うぜ?もっとも、片田舎から出てきた小山の大将で、目上の者に対する態度が解らないって言うんなら、俺達がきっちりレクチャーしてやっても良いんだぜ?」


男はそう言うと、明らかに格下の者を、嘲るかのような笑みを浮かべ、それにつられて周りの者達も笑い始める。


・・・成る程。なかなか頭のキレる奴のようだな・・・嫌味としちゃ、なかなかの効き目だ。


俺を笑う上級生達に対し、俺はそんな事を考えながら、再びゆっくりと振り返った。


・・・虚仮にされて、引き下がる程・・・人間出来ちゃいないんで・・・ね。


「・・・その親切、痛み入るね・・・だが生憎、一年二年早く生まれた程度の事で、威張り散らすような奴に・・・下げる頭は持ち合わせていないんで・・・ね。」


上級生達に対し、俺はそう言い放ち、不適に笑ってみせると、彼等の顔から笑みが消え去った。


「目上の者は敬えと良く言うが・・・敬うべき相手を選ぶ権利位、合っても良いだろう?少なくとも、それが先輩方では無いと言うだけの事ですよ・・・」


「んだとテメェ!」


尚も続く俺の言葉に、一団の中の一人が、俺に迫ろうとするのを、リーダー格の男が手で制した。


「・・・人の忠告は、素直に受ける物だぞ・・・転校生?」


「ソレが出来れば、いらん苦労は無いのだろうが・・・俺はそれ程、器用でもないんで・・・ね。」


そう言う俺の言葉に対し、リーダー格の男は、口元を歪めただけの笑みを浮かべ、俺に背中を向けた。


「・・・転校生。前の学校じゃ、どうだったかしらねぇけどよ・・・ココじゃココのやり方ってのがあるんだ・・・解るだろう?」


ザザッ・・・


リーダー格の男が、背中越しにそう言うと、他の男達が俺を取り囲む。


「ソレをしっかり教えてやるのも、上級生の勤めでね・・・だがここじゃ、いらん邪魔が入りそうだし・・・もっと静かな場所に移動しようや・・・な?」


「・・・あぁ。俺は一向に構わねぇぜ・・・」


リーダー格の男の言葉に、俺はそう言って答えると、男は肩越しに笑みを浮かべ、ゆっくりと歩き出す。


それに続いて、俺も歩き出すと、俺の周囲を取り囲んでいる男達も歩き始めた。


・・・どうやら、鈴姉との約束を守れそうにないな・・・こりゃ、後で何を言われても、言い返せんな・・・だが、惨めに媚びへつらうのは、俺の性分じゃ無いんで・・・ね。


毎回このパターンで、俺は今までにも、色々と問題を起こしてきた。


負けず嫌いな自分の性分で、これから鈴音には、色々と迷惑を掛けてしまいそうだと思いながら、俺は上級生達と連れ立って、校舎裏へと向かっていった。


ボク達は、いつものように屋上でお昼を食べた後、教室に向かって歩いていた。


「聖ちゃん・・・蒼月君と会った事があるんだ。」


「・・・会ったって言うか、今朝公園で見かけただけだよ。」


ボク達は廊下を歩きながら、お昼からの話題を話していた。


その話題とは、今日ボク達のクラスに転校してきた、蒼月蒼天君の事だった。


お昼を食べ終わって、屋上を出ようとした時に、ちょうど今朝見かけた人が、転校生の彼だったかもしれない事を思い出して、ボクはその事を二人に話したのだった。


「・・・けど彼も大変よね。」


「何が?」


不意に、夕ちゃんがそう話を切りだして、ボクと沙希ちゃんは顔を向けた。


「いや、すごい人気だな~って思ってさ・・・他のクラスからも、彼の事見に来てた子が居たでしょ?ま、すぐ収まるとは思うけど・・・あれじゃ彼も身が持たないでしょって思ってさ。」


「あ~・・・そうだねぇ~・・・」


そう言う夕ちゃんの言葉に、どこかおっとりした沙希ちゃんの言葉が続く。


夕ちゃんの言う通り、休み時間の間中、転校生の蒼月君の机の周りは、文字通り人垣が出来ていた。


その様子を遠巻きに見ていたけど、当の本人は相次ぐ質問の嵐に、少しウンザリしているようにボクには見えた。


けど今は、担任の鈴音先生に呼び出されて、お昼休みになると同時に、職員室に行ってるはずだし、みんなそれよりも、お昼の方が優先の筈なので、今教室は普段の落ち着きを取り戻してる頃だろう。


「蒼月君って・・・モデルさんみたいに、スタイル良いよねぇ~」


不意に、沙希ちゃんがボク達に対して、陽気な笑みを浮かべながらそう聞いてくる。


「・・・確かに、容姿は格好いいと思うけど・・・」


「何?沙希って、あぁいうのがタイプなの?」


ボクに続いて夕ちゃんが、からかうような笑みを浮かべて、沙希ちゃんの言葉に答えると、当の沙希ちゃんは、不思議そうな顔をして、夕ちゃんに向けた。


「タイプ・・・?」


そう呟いて立ち止まると、沙希ちゃんはその場で、何やら考え込み始める。


「・・・沙希にこの話題を振ったのは、間違いだったわね・・・」


「・・・夕ちゃん・・・」


沙希ちゃんに続いてボク達も立ち止まると、夕ちゃんが嘆息混じりにそう呟いて、ボクは苦笑を夕ちゃんに向ける。


不意に夕ちゃんは、今も何か考え事をしている沙希ちゃんに対して、ゆっくりと歩み寄っていった。


「お~い沙希~・・・いい加減帰ってきなさい。」


そう言って、沙希ちゃんの目の前で、手を振って反応を伺い始める夕ちゃん。


「・・・うん?なぁに、夕ちゃん・・・」


「何じゃないわよ・・・全く。相変わらずポカポカしてるわね~」


「・・・ポカポカ?」


呆れながらに言う夕ちゃんの言葉に、沙希ちゃんが不思議そうに聞き返す。


「あんたの頭ん中よ。」


すると、意地の悪そうな笑みを浮かべ、夕ちゃんはそう言い切った。


「・・・うぅ・・・非道いよ夕ちゃん・・・」


その言葉を聞いて、沙希ちゃんは顔をくしゃくしゃにして、今にも泣きそうな表情で、夕ちゃんに抗議し始める。


「・・・夕ちゃん。沙希ちゃんいじめちゃ駄目だよ。」


ボクは二人に近づきながらそう言って、夕ちゃんをジト目で見やる。


「ごめんごめん。けど私、聖の困った顔の次に、沙希のこの顔が好きなのよ・・・」


ボクの言葉に対して、夕ちゃんはそう言って、含みのある笑みを沙希ちゃんに向けた。


「もぉ~・・・沙希ちゃん、夕ちゃん置いて行こっか。」


「うん・・・」


そう言って、沙希ちゃんの手を取ると、その手を引いてボク達は歩き始める。


「ちょ、ちょっと!待ってよ二人とも!!」


歩き出したボク達の後を追うように、夕ちゃんが声を掛けながら、ボク達に追いついてくる。


「ふ~ん。意地悪な夕ちゃんなんて知らないもんね~」


追いついた夕ちゃんに、ボクはそう答えて、歩く速度を少し上げる。


「悪かったって、ねぇちょっと~・・・って、あら?ちょっと聖!」


不意に、夕ちゃんが何か見つけたのか、今までのふざけ合いとは違う声音で呼び止められ、ボクは足を止めて振り返った。


「どうしたの?」


「あれ・・・」


ボクが振り返って聞くと、夕ちゃんは窓の外を指差した。


指差された方に顔を向けて、階下を見下ろすと、そこには転校生の蒼月君の姿があった。


そして、その彼を取り囲むように、上級生と思える人達の姿・・・


「まずいんじゃない、あれ・・・彼と一緒に居るの、確かこの間暴力事件を起こして、停学処分になってた先輩よ・・・」


「えっ?!本当に?」


「えぇ・・・彼早速目を付けられたのかしら・・・」


夕ちゃんの呟きを聞きながら、ボクは階下を見つめる。


「・・・ボク、行ってくる。」


不意にそう呟いて、ボクは沙希ちゃんの手を離した。


「二人とも、鈴音先生を呼んできて。」


「はいはい、解ってるって。」


ボクはそう言い、夕ちゃんの声を受けながら、二人に背中を向けた。


「あ、聖ちゃん!」


不意に、沙希ちゃんに呼び止められて、後ろを振り返る。


「・・・気を付けてね・・・」


ボクが振り返ると、心配そうな表情で、沙希ちゃんはそう呟いた。


そんな沙希ちゃんにボクは、安心させるように、目一杯笑顔を向る。


「うん!大丈夫、止めてくるだけだから。」


そう言ってボクは、蒼月君達を追って、校舎裏へと向かっていった。


校舎裏へとやって来た俺は、校舎のコンクリート壁を背に、五人の生徒と対峙していた。


五人とも、余裕の表情を浮かべながら、俺を取り囲んでいる。


・・・さて、どうやってあしらうか・・・


顔を引き締めながら、取り囲む五人を睨みつけ、頭の中で冷静に算段を組み立てていく。


「ヘッヘ・・・なんだよオイ、こいつさっきから全然喋らねぇぜ?」


「ビビッて声も出ないんだろう?」


不意に、俺を取り囲む上級生達の中から、そんな声が聞こえてくる。


その言葉に対し俺は、呆れながらにため息を一つ吐いて、手にした紙袋を地面に置き、空いた右手を腰に当てた。


「・・・お目出たい奴等だな・・・とりあえず、耳が腐るからもう喋るな。」


その俺の一言に、一瞬にして上級生達の笑みが消える。


それに構わず俺は、半身になりながら、上級生達に向かって笑みを向けた。


「あまり手間を取らせるなよ・・・午後の授業もある事だし、ヤるんだったらさっさとヤろうぜ・・・なぁ?先輩方。」


「テメェ・・・」


俺の言葉に対し、上級生達の顔は上気していき、その内の一人が怒気を込めて呟く。


ただ一人、リーダー格の男だけが、冷静に俺を見据えていた。


「・・・安っぽい挑発だな、転校生・・・この数相手に、よくそれだけデカイ口を叩けるな。」


「フン・・・数に物を言わせなければ、何も出来ない奴等が、頭数を揃えてデカイ口を叩くよりかは・・・幾分マシだと思いますが・・・ね、先輩・・・」


リーダー格の男の言葉に、俺は薄い笑みを浮かべながらそう告げる。


「・・・後悔する事になるぞ・・・」


「御託はいい・・・さっきも言ったが、午後の授業もあるんだ・・・さっさと済ませましょうや・・・」


そう言って俺は、半身になりながら、両足を肩幅ほどに開いて構えた。


「・・・うん?」


ちょうどその時、俺は一人の女子生徒が、俺達の元に向かって走ってくるのを、視界の隅に捕らえ訝しがる。


その女子生徒の存在に気が付いたのか、俺を取り囲む上級生達も、後ろを振り返って彼女に視線を向けた。


俺達の視線を浴びつつ、彼女は俺達から少し離れた所で立ち止まり、きつい眼差しで俺達を睨みつける。


短い黒髪に、強い意志が称えられた大きな瞳が印象的な、小柄な女子生徒・・・


彼女は確か・・・


見覚えの在る彼女の姿に、心の中で呟くと同時、突如として現れた彼女は、大きく息を吸い込んだ。


「イジメ!格好悪い!!」


きつい眼差しで見据えたまま、おもむろに彼女は、俺達に向かってそう言い放つ。


その瞬間、俺達の間に沈黙が横たわり、静寂が辺りを支配する。


「・・・プッ・・・ククク・・・」


暫くの間の後、不意に上級生達の中から、吹き出すような声が聞こえたかと思うと、堪えるような笑い声が聞こえ始める。


『ギャハハハハハッ!!』


そして次の瞬間、上級生達の間に巻き起こった笑い声の嵐が、現れた女子生徒に浴びせられた。


「何が可笑しいのよ!一人に対して五人で取り囲むなんて、キミ達恥ずかしくないの?!」


上級生達の笑い声に、怖じ気づく事無く、彼女がそう言い放つと、上級生達は彼女ににやけた笑みを向けた。


「何キミ、一年生?正義の味方ごっこですか~?」


「状況見てから来いよ。一人で来て、何しようてのさ、彼女?」


彼女に向かって、上級生の間から、口々に発せられる物言いに、彼女の表情が一瞬険しくなる。


そんな中、上級生の一人が、にやけた面で彼女に近づき、おもむろに手を差し伸べた。


「・・・ナニしに来たってんなら、俺達が付き合ってやるぜ?クックック・・・」


ガシッ・・・


彼女に近づいた上級生が、そう言いながら彼女の肩を掴もうとした瞬間、不意に彼女はその腕を掴んだ。


そしてそのまま、水が流れるかのような動きで、もう片方の手で相手の胸ぐらを掴むと同時、自分の方に引き寄せ足を払う。


「オワッ?!」


ドシンッ!


次の瞬間、彼女に近づいた上級生の体は宙に浮き、背中から地面に叩き付けられていた。


そしてそのまま、投げられた上級生は、そのまま意識を失ったようだ。


「・・・ほぉ。」


彼女のその見事なまでの、水の流れるような動作を目の当たりにした俺は、自分でも気付かぬ内に、感嘆の呟きを漏らしていた。


柔術・・・か。それも、かなりの腕前のようだな・・・


俺がそんな事を考えていると、不意に彼女は、ゆっくりと顔を上げ、視線を上級生達に向けた。


「・・・女だからって、甘く見ないでよね。」


「て、テメェ!」


彼女の言葉を聞き、上級生達の矛先は、完全に俺から彼女へと向けられる。


それに対し、彼女は顔を引き締めると、素早く半身になって構えを取った。


・・・やれやれ。


完全に蚊帳の外へと追いやられた俺は、深いため息を一つ吐くと、度の入っていない伊達眼鏡を取り、胸ポケットに仕舞う。


「・・・おい、どっちを見ている・・・あんた等の気にくわない奴は、この俺だろう?」


『ッ!』


不意に、対峙する彼女と上級生達に向かって、俺がそう言い放つと、その場に居る者達の視線が俺へと向けられる。


それに構わず俺は、髪をかき上げながら、意味深な笑みを浮かべた。


「俺に背中を向けて、後ろから蹴りを入れられたいのなら、そうしてやっても良いが・・・まさかあんた等、女一人に四人掛かり・・・なんて、無様な事をするつもりじゃないよな?」


意味深な笑みを浮かべたまま、俺は小馬鹿にするような口調で、上級生達にそう言いながら、ゆっくりと近づいていく。


「・・・女相手にまで、囲まなきゃ喧嘩が出来ないようじゃ・・・テメェ等の底も知れてるな。」


「んだとテメェ!」


尚も続く俺の言葉に、逆上した上級生の一人が、俺に向かって襲いかかってくる。


「もういっぺん言ってみろや!!」


そう叫びながら、渾身の力を込めて、上級生の一人は俺に向かって拳を突き出した。


ガシッ!


その繰り出された拳を難なく避け、上級生が横を通り過ぎる間際、俺の右手がその顔面を捕らえた。


「ッ!グアアアァァァーーーッ!!」


そのまま右手に力を込め、捕らえた上級生の顔面を締め上げながら、腕一本でその体を持ち上げると、悲鳴が辺りに木霊となって響き渡る。


持ち上げられた上級生は、戒めから逃れようと必死に藻掻くが、一向に俺の手の中から逃れられる気配はない。


逆に、上級生の必死の抵抗など物ともせず、掴んだ右手に更に力を込めていき、その顔面を締め上げていく。


「・・・何度でも言って欲しいのなら、言ってやろう・・・あんた達相手に、彼女の手を煩わせるまでもないと言ってるんだ・・・」


ギリギリギリ・・・


「ッ?!ガ、ガアアアァァァーーーッ!!・・・ア・・・アァ・・・ァッ・・・」


そう言いながら、更に力を込めると、上級生の悲鳴が一層大きくなり、次いで、掠れるような声を漏らしながら、白目を剥いて気を失う。


・・・ドシャ。


俺は、気を失い動かなくなった上級生を、ゆっくりと地面に横たえ、他の上級生達に対し体を向けた。


「・・・怖じ気づいたのなら、尻尾を巻いて逃げるが良い・・・だが、立ち向かって来るというのなら覚悟しろよ・・・先輩。」


残った上級生達に向かってそう告げると、完全に戦意を失ってしまったのか、残った上級生達の内二人が、後ろに後ずさる。


一人、リーダー格の男だけは、顔を引き締め俺を睨んでいた。


俺もまた、そのリーダー格の男にのみ注意を払い、真っ直ぐ見据える。


「ちょ、ちょっと、キミ達・・・」


折角やって来たにも関わらず、一人待ちぼうけを食らっている彼女が、俺達に声を掛けようとする。


「コラーーーッ!!何やっとるかー!!」


その時、不意に遠くから、野太い男の叫び声が聞こえ、俺達の視線はそちらへと向けられる。


見るとそこには、トレーナーにジャージという出で立ちの、いかにも体育教師にしか見えない中年男性が、竹刀を振りかぶりながら、俺達の元に向かって駆る姿があった。


「・・・チッ。面倒な奴が来たな・・・」


不意に、その教師の存在を確認したリーダー格の男が、忌々しそうに呟くと、顔を俺へと向ける。


「・・・この落とし前、必ず着けさせてもらうぞ、転校生。」


そう言うや、リーダー格の男は踵を返し走り出す。


その後を、追いすがるように、他の上級生二名も走り出した。


「待てコラおまえ等!!」


少し遅れ、やって来た教師が、去っていく上級生達を追って走り去っていく。


その場には、俺と彼女と、気を失っている上級生二人が取り残された。


「・・・キミ。」


それを俺が見送っていると、不意に彼女の呼びかけが聞こえ、俺は視線をそちらへと向ける。


見ると彼女は、何か言いたそうな表情で、俺を睨んでいた。


それに対し俺は、目を伏せ軽くため息を一つ吐く。


「・・・正義漢振るのは勝手だが、後先も考えずに行動するのは、無謀と言うんだぜ。」


「な、何ですって?!」


ため息混じりに俺がそう言うと、俺の言葉が予想外だったのか、彼女は声を荒らげ詰め寄ってくる。


「キミ!それがケンカを止めに来た、ボクに対する言葉なの?!」


「ケンカを止めるだけなら、教師を連れてくれば良いだけだろう・・・それにあんたのお陰で、面倒な事になっちまった・・・奴等は近い内に、報復に来るだろう。それも、先程よりも大人数で・・・な。」


「それは・・・」


俺の言葉に対し、彼女は一瞬言い淀むが、すぐに眉根をつり上げ、俺を睨み付ける。


「だったらキミは、さっきの状態で何事もなく解決できたって言うの?!」


「うまく立ち回れれば・・・な。少なくとも、この後の事は穏便に済ませられただろう・・・それだけの力が俺にはあった・・・」


俺は彼女を見据えながらそう告げ、不意に苦笑を浮かべた。


「最も、全ては可能性の話だが・・・な。」


「・・・怒ってるんじゃないの?」


苦笑を浮かべ俺がそう言うと、彼女は呆気にとられたような表情で、不意にそう聞いてくる。


「別に?見かねて来てくれたあんたに、俺が怒る理由など無いさ。」


彼女の質問にそう答え、不意に俺は後ろを向いて、彼女に背中を向けた。


「過ぎた事を責めるつもりも無い。俺とあんたは初対面なんだ・・・俺がどういう奴なのか、知らなくて当然。ただあんたの取った行動が、俺にはあまりにも軽率過ぎると思っただけだ・・・」


そう言いながら俺は、地面に置いた教科書の入った紙袋を取りに向かう。


「それがいらん節介だとしても・・・あんたは、自分が正しいと思った事をしただけだろう?なら、俺がとやかく言う筋合いは無いさ・・・それに・・・」


そう言いながら、紙袋を手に持ち振り返ると、俺は薄く笑って見せた。


「あんたみたいな奴、嫌いじゃないしな・・・」


「ッ・・・」


「うん?どうかしたか。」


不意に彼女は、頬を赤く染め、言葉に詰まっている様に見え、俺は訝しがりながら問いかける。


「う、ううん!別に・・・何でもない。」


俺の問いかけに対し、彼女は慌てたように顔を振りながらそう言い繕うと、誤魔化すように俺に笑いかけてくる。


「・・・そう言えばあんた、今朝公園で犬の散歩をしていなかったか?」


その事はあまり気にせず、俺は彼女に向き直ると、気になっていた事を聞く為口を開いた。


今朝方、日課のトレーニングをしている最中、俺は彼女によく似た人物を見かけていた。


あの時は、後ろ姿を見ただけで、それほど気にしていなかった為、もしかしたら人違いかもしれないが、一応気になり聞いてみたのだった。


「あ・・・うん、気付いてたんだ・・・」


俺の問いに対し、彼女はそう答えてくる。


その口振りから、彼女もまたその事に、気が付いていたのだろう。


「俺は・・・」


「知ってる。蒼月蒼天君・・・でしょ?ボクと同じクラスだよ。」


その事を確認し、名を名乗ろうとするのを遮られ、彼女の言葉を聞きながら、俺は苦笑を浮かべた。


「ボクは聖・・・綾咲聖だよ。よろしくね、蒼月君。」


そう言って、綾咲聖と名乗った彼女は、俺に満面の笑みを向けてくる。


その笑顔を見て、何処か懐かしい雰囲気を、俺は感じた・・・


「・・・ソラで良い、よろしく。」


そう言って俺も、彼女に向かって笑みを向けた。


「じゃあボクも聖で良いよ。よろしくね!」


「あぁ・・・」


聖の言葉に頷いて、俺はゆっくりと歩き出した。


転校初日に、奇妙な縁で出会った彼女は、何処か懐かしい雰囲気を感じさせる・・・


「・・・とりあえず、ここで寝転がってる奴等を、保健室にでも連れて行きたいんだが・・・生憎と場所を知らないんでね。手伝ってくれないか、聖・・・」


そう言いながら俺は、自分が倒した上級生を肩に担いだ。


「あ、うん!もちろんだよ、ソラ。」


俺の言葉に同意を示した聖は、再び俺に満面の笑みを向ける。


今日早速、俺の新しい友人が一人出来たのだった・・・


夢・・・夢を見る・・・


それはとても不思議な、ボクによく似た女の子の物語・・・


どこか・・・懐かしささえ感じる・・・とても不思議な夢・・・


一匹の大きな黒い狼を従えて、その女の子は世界を旅して歩いていた。


ボクは・・・その女の子が、どうして旅をしているのか・・・なぜか、その理由を知っている・・・


その女の子のとても大事な人・・・その子と一緒に旅をしていた人の事を、それまでに巡り逢った人達に伝える為に・・・


その女の子のとても大事な人が、どうして今彼女と一緒に居ないのか・・・その理由も、ボクには何故か解っていた・・・


女の子が居る世界とは、別の世界へと旅立ってしまったその人・・・


二度と帰って来れないかも知れない地へと、旅立ってしまったその人・・・


けど女の子は、その人の帰りを信じていた。


そして不思議な事に、その人の事を知る人達も、その人の帰りを信じていた・・・


でも信じていても、その人が居なくなってしまった寂しさは消えない・・・


それだけ、その人の存在は、彼女達にとって大きな物だったに違いない。


その人の名は・・・


・・・・・・・・・


・・・・・・


・・・


ゆっくりと目を開くと、そこには見慣れた天井があった。


ピピピ、チンッ・・・


目を覚ましてすぐに、目覚まし時計のデジタル音が、いつも通りの時刻を告げようとするのを阻止して、ボクはゆっくりと体を起こした。


不思議な夢を見た・・・こことは別の場所・・・でもどこか懐かしい、そんな夢を・・・


「・・・クゥン?」


暫く、見た夢の事を考えていると、不意にベッドの脇に顔を乗せて、クロが心配そうに鳴いてくる。


その声を聞いて、ボクはクロに顔を向けると、苦笑を浮かべて向けた。


「・・・不思議な夢見ちゃった・・・クロも出てきたんだよ。」


「クゥン・・・ワンッワンッ!」


ボクの言葉を受けて、クロは鳴き声で返事をしてくる。


「フフッ・・・夢の中のクロは、お話しも出来たのに・・・少し残念。」


クロに向かって、戯けながらにそう言って、ボクはベッドから出ると、日課の準備をし始める。


「んーーーっ!」


準備を終え、クロと一緒に外に出ると、ボクは大きく伸びを一つする。


「・・・今日もいい天気になりそうだね。」


早朝の空を見上げながら、そう言うとボクは、いつも通り走り出した。


いつもと変わらない、いつも通りの一日の始まり・・・でも一つだけ違う事がある。


「クゥン?ワンッ!ワンッ!」


その違いに気が付いたのか、クロがボクに向かって吠えてくる。


いつもとは少し違う事・・・いつものお散歩コースを、ちょうど逆に回る形で、ボクは走り出したのだった。


向かう先は、家から少し離れた公園・・・


「ハッハッハッ・・・おっはよぉーっ!!」


公園内の遊具が集まる一画に、昨日出逢った人の姿を見つけて、その人に向かって元気良く、ボクは朝の挨拶を飛ばした。


この日、いつものボクの日課に、新しい項目が一つ増えた・・・


夢・・・夢を見る・・・


それはとても不思議な、私によく似た人の夢・・・


こことは違う場所・・・違う世界の夢・・・


そこで、彼女は一人の男性と出会う。


その男性を見て私は、夢にも関わらず涙を流した・・・


・・・・・・・・・


・・・・・・


・・・


私が旅立って・・・師匠が、私達の元から去ってから、駆け足のように一年以上が過ぎた・・・


あの春の日に旅立ってから、私はそれまで出逢った人達の元を訪れ、師匠の事を伝えていった。


師匠の事を伝え終わる頃、私は生まれ故郷の信州に帰る事にした。


今更帰った所で、私を待つ家族は誰も居ないし、もしかしたら私は、再び命を狙われるかも知れない・・・


それでも、私にはやり遂げたい事が出来てしまった・・・


それをやりながら、師匠を待ち続けられる場所・・・そう考えた結果、師匠と初めて出逢った信州しか、私には思い浮かばなかった・・・


「ほうせんさまー!!」


「はい、どうしましたか?」


不意に私は、子供達に呼ばれて、掃除の手を止めて振り返る。


今私は、旅の途中で出逢った、身寄りの無い子供達を集めて、寺小屋の真似事をしている。


身寄りの無い子供達の中には、妖怪の子供も混じっている。


今の世は、人も妖怪も・・・生きるのに困難だから・・・


私自身の旅をして出した、これが私のやりたいと思った事・・・


分け隔て無く生きられる居場所を、この子達に作ってあげたいと・・・そう思った。


この事を、江戸の麗姫お婆さんに相談した所、全面的に協力してくれると仰ってくれた。


兼道さんと鈴音さんや、桜さんと真夜さん・・・飛燕君や凛さんまで・・・


色々な人達の手を借りて、朽ちかけていたこの寺院を、人の住める状態にまで修繕した。


そしてこの事を知った沙希さんと真夜さんが、この子達の面倒を買って出てくれた。


たまにお務めの為、ここを空けなければならないので、その時は沙希さん達にここを任せ、私はクロと共にお務めへと向かう。


そして向かった先で、また孤児を連れて帰ってくるので、とても私とクロだけでは手が足りず、沙希さん達にはとても感謝している。


同じくこの事を知った夕凪さんも、和尚様の許しを得て、来たがってはいたけど・・・和尚様を一人には出来ないと、残念そうに言っていた。


それでも、夕凪さんはここへ、手伝いをしにやって来てくれる。


・・・相変わらず、何も無い所で転んだりもするけど・・・


でもその心遣いだけでも、私にはとても嬉しい・・・


あれから、私達を取り巻く環境は、時間と共に変化していった。


一度は壊滅寸前まで陥った私達の宗派は、新たに明王衆を揃え、ようやく軌道に乗り始めている。


そして麗姫お婆さん・・・麗姫僧正を頂点に、それまでの古い仕来りは一掃される事となり、桜さんと兼道さんは、めでたく祝言を上げる事になった。


日取りもすでに決まって、ここの子供達も呼ばれているので、今からみんな楽しみで仕方ないみたいだ。


鈴音さんは、色々な男性から求婚の申し出が在るみたいだけど、その全てを蹴っているそうだ。


飛燕君は、家の跡目として頑張っているし、凛さんはあれから色々あって、今は藩を抜けたそうだ。


少しづつ・・・少しづつ、私達の周りは変わっていく・・・


師匠が居なくなった悲しみも寂しさも、少しづつみんなの心から薄らぎ始めている。


けれど、どんなに世界が変わろうと、それでも私は待ち続ける・・・この場所で・・・


あの日から・・・私の心は変わらないから・・・


私だけじゃない・・・口には出さなくても、みんな同じ気持ちだと思う。


師匠は生きている・・・そして今も何処かで、戦っているのだと・・・


もしかしたらあの夢は、私の心が作り出した、幻かも知れない・・・


けれども私は、夢と現実の区別が付かないほど幼くは・・・もう無い・・・


「ほうせんさま!あたしもおてつだいするー」


「ぼくもー!」


元気な子供達の声が、境内の中に響き渡る。


「フフッ・・・それじゃみんなで、お掃除しましょうか・・・」


そんな子供達を、微笑ましく思う・・・


この子達には、元気に明るく、真っ直ぐ育って欲しい・・・


『はーい!』


それが、今の私の願い・・・


ここが、私の生きる世界。


共に、これからを歩みたかった人は、今は居ないけれど・・・私が護りたい世界は、ここに確かに在った・・・


光すら届かないこの場所に、昔嗅ぎ慣れた匂いが、辺りに漂っている・・・


「・・・何故・・・刀を止めた・・・雪菜・・・」


そう呟いて俺は、俺の腕の中で横たわる雪菜を見下ろした。


「・・・フッ・・・ッ・・・それを言うなら・・・おまえだってそうだろう・・・ッ・・・見切っていたくせに・・・避けようともしないで・・・」


俺の問いに雪菜は、苦しそうに答えた。


俺と雪菜が、同時に攻撃に移った瞬間・・・


雪菜の放った、俺の首を狙った一撃は、俺の首を跳ね飛ばす寸前で止まった・・・


そして俺の放った一撃は・・・


「・・・やはり・・・ッ・・・わたしには・・・おまえを殺める事が・・・出来ないらしい・・・体が勝手に・・・ッ・・・止まっていたんだ・・・」


雪菜の胸を貫いた俺の刀が、苦しそうに喋る彼女の呼吸に併せ、小刻みに震えていた・・・


刀が突き刺さっているのは、胸のちょうど中央・・・心臓より筈か右辺り。


その場所は、妖怪にとって第二の心臓とも言える、『核』と呼ばれる器官がある場所・・・


本来なら即死の深手だが・・・そこは半妖の生命力と言った所か・・・


だが・・・そう長くは保たないだろう・・・


「・・・そうか。」


雪菜の言葉に、俺は目を伏せながら、囁くように呟いた。


「・・・おまえは・・・それが解っていながら、俺を待っていたのか・・・」


「ッ・・・あぁ・・・それを確かめたかった・・・というのもある・・・それに・・・ッ・・・逢いたかったんだ・・・ただ・・・おまえに・・・」


そう言われ、俺がゆっくりと目を開くと、雪菜の泣き顔が目に映った・・・


彼女は・・・泣いていた・・・嗚咽も漏らさず・・・ただ静かに・・・


「・・・真実を知った・・・っと言う事は・・・ッ・・・海淵を・・・父を殺めたのが・・・静菜だと言う事も知っているんだな・・・」


不意に、彼女は泣きながら、囁くように俺に聞いてくる。


その問いに対し俺は、黙って頷いて見せた・・・


「そうか・・・わたしは・・・この十余年・・・たまに考える事があったんだ・・・ッ・・・あの時・・・おまえに本当の事を話していれば・・・と・・・ッ・・・打ち明けていれば・・・とな・・・ッ・・・」


それは・・・今まで俺が、幾度となく考えていた事と、さほど変わらない事・・・


「・・・おまえだけじゃない。俺だってそうだ・・・あの時、おまえの手を取っていればと・・・共に歩む道を選んでいれば・・・と・・・考えていた・・・」


雪菜の言葉に俺は・・・俺もまたそうなのだと、静かに告げた・・・


「ッ・・・フッ・・・そうか・・・そう・・・想ってくれていたのか・・・嬉しい・・・な・・・」


俺の言葉を聞き、雪菜は嬉しそうに微笑むと、ゆっくりと瞳を閉じた・・・


「・・・暖かい・・・おまえの腕の中は・・・こんなにも暖かいのだな・・・ッ・・・これが・・・静菜が惹かれた温もりか・・・」


「・・・雪菜。」


その言葉を聞き、俺が彼女に呼び掛けると、雪菜はゆっくりと瞳を開き、腕の中から俺を見上げる・・・


「わたしは・・・おまえのその、絶対的な強さに惹かれた・・・そして静菜は・・・ッ・・・この温もり・・・おまえのその、不器用な優しさに惹かれた・・・わたしは・・・ッ・・・わたしも・・・おまえの事を・・・ッ・・・ん・・・」


雪菜が言い終わる前、俺は自分の口で、雪菜の口を塞いだ。


「・・・もう良い・・・おまえの気持ちは解ったから・・・伝わっているから・・・もう良いんだ・・・」


重ねた唇を離し、囁くように俺はそう呟いた・・・


「・・・もう・・・あまり時間が無いんだ・・・だから・・・おまえの望んでいる事を・・・俺にして欲しい事を言ってくれ・・・俺に出来る事ならしてやるから・・・」


更に俺がそう呟くと、不意に刹那は笑みを浮かべ、再び瞳を閉じた・・・


「・・・ッ・・・十分だ・・・わたしは・・・一度で良いから、おまえにこうして・・・抱かれてみたかっただけだから・・・静菜が惹かれた温もりを・・・ッ・・・感じてみたかっただけだから・・・」


微笑みながら、瞳を閉じそう呟く雪菜は、とても儚く・・・切なく・・・俺には見えた。


「・・・そうか。」


雪菜の言葉に、そう呟きを漏らした俺は、少しだけ・・・彼女を抱き留めた腕に、ほんの少しだけ・・・力を込めた。


「・・・あぁ・・・おまえの言う通りだ・・・ッ・・・」


目を閉じ微笑みながら、俺の腕に身を委ねていた雪菜が、不意に呟きを漏らした。


「こうなって・・・ようやく静菜の存在を感じるなんて・・・ッ・・・もっと早く・・・気付いてやりたかった・・・」


「・・・おまえの所為じゃない。おまえの・・・所為じゃないさ・・・」


雪菜の言葉に俺がそう答えると、彼女はゆっくりと瞳を開き、俺を見上げる。


「・・・おまえに・・・ッ・・・頼みたい事が出来た・・・」


「うん?なんだ・・・」


「・・・今なら・・・替われるかも知れない・・・ッ・・・だから、せめて最期は・・・静菜の・・・側に居て遣ってくれ・・・」


「・・・あぁ・・・解った。」


その言葉に俺が頷くと、雪菜は満足そうに微笑み、再び目を閉じた。


そして次の瞬間・・・


「・・・ぅ・・・」


雪菜の髪は、灼熱の赤から・・・漆黒の黒へと変わった・・・


「・・・ぁ・・・止水・・・」


「よぉ・・・また逢ったな・・・静菜・・・」


ゆっくりと瞳を開き、俺の姿を確認すると、彼女・・・静菜の口から、懐かしい名が漏れた。


その呟きに俺が微笑みと、静菜もまた微笑みを浮かべた・・・


「・・・ありがとう・・・止水・・・ごめんね・・・」


次いで、彼女の口から、感謝の言葉と謝罪の言葉が順に漏れる。


「・・・馬鹿が・・・感動の再会で、いきなり謝る奴が居るかよ・・・」


「フフッ・・・ッ・・・そうだね・・・」


俺の軽口に対し、静菜は懐かしい笑みを、俺に見せてくれた・・・


あの頃と・・・変わらない笑みを・・・


「・・・止水・・・」


「・・・うん?」


不意に、静菜は笑みを消すと、不安そうな表情で、俺に呼び掛けてくる。


「・・・今なら・・・ッ・・・まだ間に合うんじゃない・・・?」


「・・・かもな。」


その言葉の意味を察した俺は、不安そうな表情を浮かべる静菜に向けて、安心させるよう笑いながら答えた。


「・・・良いんだよ・・・ッ・・・私達を置いて行っても・・・」


「馬鹿が・・・出来る訳が無いだろう・・・こんな地の果てに、おまえ等を置いて行くなんて・・・よ?」


「でも・・・聖さんとの・・・ッ・・・約束があるんでしょ?」


不安そうな表情は相変わらず、静菜は俺の言葉に対し、心配そうにそう聞いてくる。


確かに今ならば、まだ間に合うかも知れない・・・


だが、こんな所に静菜達を置いて、俺だけ行くわけにもいかない。


抱きかかえて行くにしても、恐らく・・・元の世界に戻るまで、静菜の体力は保たないだろう・・・


そうなれば・・・静菜の最期の言葉を、聞いてやれない・・・


「・・・おまえが、気に病む事じゃない・・・必ず、約束は果たすつもりだ・・・」


「ッ・・・でも・・・」


そう言う俺の言葉に、尚も静菜は心配そうに呟く。


「俺を誰だと思ってる?俺は・・・不可能すら足蹴にする男だぞ。」


その呟きに対し俺は、苦笑を浮かべながらそう答えた。


「・・・ッ・・・駄目だよ・・・止水・・・行ってくれなくちゃ・・・私・・・ゥ・・・我慢出来なくなっちゃう・・・ヒック・・・」


不意に、静菜は顔を曇らせ、嗚咽混じりにそう呟いた。


「・・・ヒック・・・覚悟してたのに・・・止水が・・・どんな答えを出しても・・・受け止めるって想ってたのに・・・ウッ・・・ウゥッ・・・」


「・・・静菜。」


「ヒック・・・恐い・・・恐いよ止水・・・ヒック・・・死ぬのが・・・恐い・・・死にたくない・・・死にたくないよぉ~・・・」


それまで我慢していたのか・・・次の瞬間、堰を切ったように溢れ出した涙が、静菜の頬を濡らしていく・・・


俺は、腕の中で泣く静菜の体を・・・壊れぬよう慎重に抱きしめた・・・


「・・・済まない、静菜・・・こんな答えしか、俺に出せなくて・・・」


「ヒック・・・ヒック・・・ウワアアアァァァーンッ・・・」


そして静菜は泣いた・・・声を大にして泣いていた・・・


俺には・・・ただ彼女を抱きしめる事しか、出来なかった・・・


「・・・ヒック・・・ヒック・・・ごめんね・・・止水・・・ありがとう・・・」


暫くして、静菜の口から、再び謝罪と感謝の言葉が漏れる・・・


「・・・どっちも、俺に言わせてくれ・・・すまない静菜・・・ありがとう・・・」


今度は俺が、彼女を抱きしめたまま、囁くように謝罪と感謝の言葉を述べた・・・


「・・・ねぇ・・・止水・・・」


不意に呼びかけられ、静菜の顔に視線を向けると、彼女は瞳を真っ赤に泣き腫らせながら、穏やかな笑みを俺に向けていた・・・


「私ね・・・夢を見るんだ・・・」


「・・・夢?」


不意に切り出された話しに、俺が聞き返すと、彼女はゆっくりと頷き返した。


「何処か知らない世界・・・こことは違う時代でね・・・私と雪菜は・・・ちゃんと・・・それぞれの体を持っていてね・・・止水は・・・私達の・・・お兄さんなんだ・・・」


譫言のように・・・何処か楽しそうに、話しの続きを語る静菜・・・


その瞳に・・・光は灯っていなかった・・・


「それでね・・・お父さんと・・・お母さんも・・・ちゃんと居てね・・・そこではね・・・私達は・・・本当の家族なんだよ・・・」


「・・・そうか・・・そんな世界で、過ごしたかったな・・・」


もう・・・静菜にはあまり時間がない・・・


永久の別れを悟った俺は、彼女の言葉・・・一言一言を聞き逃さぬよう、耳を傾けていた。


「うん・・・そうだね・・・私も・・・本当の家族になれたら・・・すごく・・・嬉しい・・・でも・・・少し・・・残念だな・・・」


「・・・何故だ?」


「だって・・・私も雪菜も・・・家族よりも・・・恋人の方が・・・良いから・・・」


そう言って、不意に静菜は、それまで浮かべていた笑みを消した・・・


「・・・止水・・・好き・・・」


「あぁ・・・俺も・・・俺も確かに・・・おまえの事を愛していた。」


不意に漏れた静菜の呟き・・・それに俺が答えると、静菜は苦笑を浮かべる。


「・・・正直だね・・・止水は・・・ねぇ・・・私にも・・・シテ・・・雪菜と同じように・・・」


「・・・あぁ。」


その意味を察した俺は、静菜の唇に自分の唇を押し当てた・・・


そして、その次の瞬間・・・静菜の体から、自然と力が抜け落ちた・・・


俺は暫く・・・静菜の瞳が、静かに閉じきる間際まで、口吻を続けていた・・・


「・・・安らかに眠れ・・・我が最愛の友よ・・・」


不意に、口吻をしていた唇を離した俺は、静菜の右手を掴み、自分の頬に押し当てながら、そう呟いた・・・


その時、俺の頬を一滴の涙が伝い、静菜の顔を濡らした・・・


どれだけそうしていただろうか・・・時間的にはそれほど経ってはいない。


ズシン・・・


不意に、地響きのような音を聞き、俺はその音がした方向に目を向ける。


其処には、異形の姿をした者達の軍勢が、俺と静菜を取り囲んでいた。


それも、百や二百では利かない程の軍勢・・・


いびつに歪んだ顔・・・岩を思わせるような肉体・・・鋭い爪と口に生えた牙・・・


その額には・・・長く鋭い角・・・


人はソレを、畏怖と暴力の化身・・・『鬼』と呼ぶ。


『グルルルゥゥゥ・・・・』


やはり・・・黄泉の軍勢の正体はコレか・・・


威嚇するように、唸り声を上げる鬼共を見据えながら、俺は静菜を地面に横たえ、ゆっくりと立ち上がった。


雲外鏡も言っていた、黄泉の軍勢・・・その正体が『鬼』だと知り、これで俺の考えは八割方正しい事になった。


この様な場所が、この世に幾つも存在する訳がない・・・そして、出入り口が必ずしも一つとは限らない・・・


つまり、黄泉の軍勢が鬼ならば・・・『鬼門』や、富士の樹海に存在すると言われる、冥界への入り口が、ここと繋がっている可能性は高い。


聖・・・生きてココを出られたなら・・・必ず、約束を果たそう・・・


「・・・血の臭いに誘われやって来たか・・・この鬼共が。」


不意に俺は、鬼の軍勢に対し、嘲笑を浮かべながらそう呟いた。


ズッ・・・


そして、静菜の胸に突き刺さっていた刀を抜き、その昔愛用していた刀を手に取った。


静菜・・・雪菜・・・せめておまえ達には、ちゃんと光の届く場所に、墓を作ってやらねばな・・・


その昔愛用していた刀・・・誓いを起てた刀の刀身を見つめていると、不意にそんな考えが頭の片隅を過ぎった。


あの鬼の群れから、逃げ切る自信はある・・・だがそれは、静菜の亡骸を見捨てた場合だ。


その昔、誓いを起てた刀が・・・今再び、俺の手に戻った・・・ここで俺が、静菜の亡骸を護る理由はそれで十分だ。


「・・・ま、何にしても・・・ここからちゃんと帰れたらの話しだが・・・な。」


聖との約束と、頭の片隅を過ぎった考えに対し、俺は苦笑を浮かべ、一人そう漏らした。


そして俺は、二本の刀を構え、鬼の軍勢に向かい直し見据える。


「テメェ等・・・俺達の肉が喰いたいのなら・・・死に物狂いで掛かってこいよ・・・伊達や酔狂で、一騎当千と呼ばれていた訳じゃないんだ・・・見せてやろう・・・武神流が奥義、その全てを・・・」


『グルルルゥゥゥ・・・グオオオォォォーーーッ!!!!』


俺がそう言うや、鬼の軍勢は咆吼を上げ、津波と成って押し寄せる。


「・・・往くぜエエエェェェーーーッ!!」


それに対し、俺は裂帛の咆吼を上げながら大地を蹴ると、津波となって押し寄せる鬼の群れに、一人立ち向かっていく・・・


「ハアアアァァァーーーッ!!」


『グオオオォォォーーーッ!!』


ザンッ!ブシュッ!!


「ギャゥッ!」


「グギャゥ!!」


俺が鬼の津波とぶつかる瞬間、手近な所から次々と切り倒していく。


ザザッ!


俺がすぐに体制を整えると、その時にはもうすでに、俺は鬼達に取り囲まれていた。


「グルルルゥゥゥ・・・」


「ハンッ!悪いな・・・俺はこの上なく、諦めが悪いんでね・・・」


威嚇しながら隙を探る鬼達を、俺は不適な笑みを浮かべながらそう告げ、両手に持った刀を交錯させ構える。


「地獄の底まで、付き合って貰うぜ・・・俺の名は蒼天だ。覚えておけ・・・貴様等の屍を積み上げる者の名をな!!」


「グルルルゥゥゥ・・・グオオオォォォーーーッ!!」


「ハアアアァァァーーーッ!!」


俺の言葉に反応したのか、周りを取り囲む鬼共が、その瞬間一斉に襲いかかってくる。


それに対し俺は、二つの刀を手に挑んでいった・・・


俺と鬼共の咆吼・・・それだけが、この光も届かぬ場所に、木霊となって響き渡る。


今までに何度と無く経験した、何時果てるとも解らぬ戦いが、再び幕を開けた・・・


その昔・・・一騎当千と謳われし、一人の少年が居た・・・


その少年に、己を現す物は一つも無かった・・・


名も無く、親も無く・・・


そんな少年に与えられた物は、最強を称する殺人術。


少年はそれを極め、齢十にして戦場を駆け巡っていた・・・


そして、少年を知る者は、その修羅の如き強さを畏怖した・・・


敵を例外なく葬るその非道さと、名も無く親も無い少年は、何時しか虚無を現す文字で、こう呼ばれるようになっていた・・・


『零』・・・それが、少年に与えられた、少年を現す最初の文字だった。


何時しか、『零』と呼ばれた少年は、戦場からその姿を消した・・・


だが、決して死んだ訳では無かった。


それから幾年月・・・『零』と呼ばれた少年は、大人へと成長を遂げ、八代明王衆・金剛夜叉明王球継承者、十三代目『宝仙』と名乗り、今生を旅していた・・・


『零』と『宝仙』・・・その狭間で呼ばれていた名の記憶に、決着を着ける為に・・・


そしてその旅は、呪われし島『蛭子島』にて終わりを迎える・・・


その島にて、彼に新たなる名が与えられたが、その名を知る者は只一人・・・彼の弟子であり、彼に名を与えた尼僧、聖のみだった。


その島の出来事以後、彼は忽然と姿を消す事となる。


その島で、彼がどうなったか・・・それを知る者は、極僅かだった・・・


それから百余年、徳川の代は終わりを告げ、時代は明治へと移り変わる。


そして、神仏分離令により、数百年続いた明王衆の長い歴史に、終止符が打たれる事となる・・・


しかしその頃には、妖怪と人との間に、大きな争いは起きていなかった。


妖怪達もまた、明治を迎える頃には、その姿を人の目の届かぬ場所へと移していた。


その影に・・・彼の弟子、尼僧初代『天威』宝仙・聖と、その弟子達の活躍が在った事実を知る者もまた・・・極僅かだった・・・


その昔・・・一騎当千と謳われし、一人の男が居た・・・


修羅とまで呼ばれた彼は・・・その最期の瞬間まで、戦い続けていたのだろうか・・・


何時果てるとも知れぬ戦いに、その身を委ね続けた男に・・・果たして安息の日々は、訪れたのだろうか・・・


それを知る者は、彼自身しか居ないだろう・・・


今は昔・・・決して歴史に名を残す事の無かった、一人の男の物語・・・


―宝仙伝、これにて完・・・

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