黄泉遍路之章- 『宝仙』之巻
神無月第四日夜
今、この島を舞台に、様々な想い・感情がぶつかり合っている・・・
俺にはそれが、手に取るように解る。
それが俺の・・・虚無の一族の『闇』の力だ。
特に夜は、俺の力を最大限に発揮する事が出来る。
それに加え、この島を覆う濃厚な妖気も加わり、夜の闇の中で何が起こっているのか・・・目に見えなくとも解る。
欲望と憤怒・・・憎しみと哀れみ・・・闘争心と誇り・・・
そして・・・本能と慈悲・・・
それぞれがそれぞれの想いを賭けて・・・そして散っていく・・・
何とも儚く、哀れな事だ・・・
『・・・キミがそう仕向けたんだよ・・・雪菜・・・この悲しみの幕を開けたのは、キミだよ・・・』
・・・こうなる事を・・・俺は望んだ・・・
この戦いは、俺自信がもたらしたんだ・・・その事に後悔はない。
『・・・でも・・・それはキミの、本当の想いじゃない・・・』
俺の目的は一つ・・・矛盾を作り出した神々に、自らの間違いを認めさせ、この世界をもう一度作り直させる・・・
静菜よ・・・おまえが考える、人と妖怪の共存は、犠牲無くしては為し得ない・・・この世界という犠牲無くしては・・・
人と妖怪の境界線だけでなく、おまえの望む、争いも憎しみもない世界を創るには、この世界の根本に横たわる矛盾を取り払わなくては成らない。
その為にも俺は・・・封印された千引の岩・・・黄泉へと通じる、対極の門を開く。
『・・・キミの本当の想いは・・・』
宝仙・・・俺は、おまえとの決着を着ける、相応しい場所を用意しよう。
だからおまえは、おまえの目の前に居る、欲望・・・雲外鏡にうち勝て。
俺はその先で、おまえを待つ事にしよう・・・
太陽と月が死ぬ、その日に・・・俺とおまえは、再び巡り会う事になる。
その日が来るまでに、俺は俺のやるべき事をするだけだ・・・
ザッ・・・
夜の森の中、俺はこの島の島長・御神楽家の屋敷のすぐ側まで、やって来ていた。
「・・・結界か。桜だな・・・」
俺の行く手を、遮るように張られている結界を一瞥し、俺はそう呟いた。
俺の妖気に反応し、空気中に霊気の壁を作り出した結界の面が、冬の冷気を受け七色に揺らめいている。
「・・・だが、無駄な事だ・・・」
もう一度呟きを漏らし、俺は結界に触れる。
すると結界は、俺の存在をすんなりと受け入れ、霊気の壁が消え去った。
この手の結界は、妖気に感応して発動し、感じた妖気を拒絶する壁を作り出す。
だが結局、それは妖気にのみ反応すると言う事・・・
桜よ・・・考えが甘かったな。
盲目の尼僧、現明王衆が一人、桜の事を思い浮かべながら、俺は歩を進めた。
確かに普通の妖怪ならば、この手の結界は罠として有効だ。
だがしかし、俺は普通の妖怪ではない・・・
俺の中には、父である海淵の血が・・・前任明王衆『宝仙』の血が流れている。
妖気と霊気は、性質が違うだけで、根本は変わらない。
だが妖怪も霊力者も、根本が同じだというのに、性質を変える事は誰にも出来ない。
しかし半妖であり、妖怪と霊力者の間に生まれた、禁忌中の禁忌の子である俺は、自らの意志で妖気か霊気を選ぶ事が出来る。
つまり俺には、妖気だけを遮断する結界は、無意味と言う事だ。
結界を抜けた俺は、そのまま御神楽家へと向かっていく。
途中、他にも結界があるのだろうが、今の所最初に発動した物以外、発動する様子はない。
どうやら、全て妖気にのみ反応する類のようだ。
まぁ、俺が霊気と妖気を、自在に使い分けられる事は、妖怪と霊力者の間に生まれる、極々僅かな半妖でしか知り得ない事なので、知らないのも無理はない。
暫く歩を進め、俺は御神楽家の母屋、その玄関の先にまでやって来た。
辿り着くや俺は、気配を殺して茂みに身を隠した。
その理由は、その玄関のすぐ側に、御神楽家に雇われた用心棒の女が、辺りを気にしながら見張っていたからだ。
今この御神楽家の警護は、彼女一人の筈・・・
ならば、このままこちらから手を出さなければ、無駄な争いは避けられるかもしれない。
「ッ?!誰だいッ!!」
用心棒の女の様子を伺い始めてすぐ、彼女は俺の居る辺りを睨みつけ、そう叫んだ。
気配は完全に絶っていた筈だが・・・彼女を見くびっていたと言う事か・・・
そう思い俺は、覚悟を決めてゆっくりと立ち上がった。
『・・・やっぱり・・・私の声は、キミに伝わらないんだね・・・』
私は、キミの目を通して、外の世界を視る事しか出来ない存在・・・
キミが私の中で、そうであったように・・・
私は傍観者・・・キミと止水・・・そしてこの世界の行く末を見守る存在・・・
私にはキミの考え・・・悲しみ・・・想い・・・その全てが、手に取るように解るから・・・
だから私は、キミの願いを間違いだと思わない・・・
でも・・・正しいとも思っていないんだよ・・・
だってキミには・・・キミの本当の想いが、そこに無いから・・・
だから私は祈る・・・
止水・・・どうか・・・
どうか彼女に・・・雪菜姉さんに、気付かせあげて・・・
私達は・・・一つだけど・・・二人だと言う事を・・・
キミのその手は、多くの命を奪ってきた・・・
けどそれと同じくらい、多くの人を護ってきた手・・・
その手で、どうか雪菜を救ってほしい・・・
そして聖さん・・・ごめんなさい・・・
私は、キミと同じくらい・・・もしかしたらキミよりも・・・止水の事をよく知っているから・・・
だから私には・・・止水がどんな答えを出すのか・・・解ってしまうから・・・
キミが一番辛い思いをすると解っていても・・・それでも・・・
私には・・・私達には、止水が必要だから・・・
夜の森から飛び出し、神木のそびえる頂上に出た俺を追って、一騎当千と呼ばれた零の、手にした刃の煌めきが俺を捕らえた。
ヒュッ!!
それを上体を反らし避け、その勢いのまま左手を地面について、更に後ろに跳ぶ。
俺が着地すると同時、尚も俺を追い、零が手にした刀が俺を襲う。
・・・やはり早さは向こうの方が上か・・・
ヒュンッ!!
冷静に相手の行動を見極めながら、唐竹の斬撃を半身で避け、同時に来るであろう次の攻撃を予測し、横に跳んだ。
ヒュンッ!!
俺が横に跳ぶと、一瞬遅れて零の右切り上げによって、空が切られる音が聞こえてきた。
相手に反撃の余地を与えない、見事な連携とその速さ・・・
体のしなり、斬撃のキレに置いても、間違いなく今の俺より上だと感じられる。
おまけに、俺の鏡に映った姿だからなのか、相手の息使いや感情が、まったく感じられず、こちらとしても調子が狂う。
更に零は、空いている手と足で闘術を放ち、手にした刀で槍術の技まで放つときている。
・・・まるで、自分自身を褒めてる気分だな・・・
だがしかし、そう思っても仕方の無い程、零と呼ばれていた頃の俺と、今の俺の格差は歴然だ。
今の所、すべて紙一重で避けてはいるが、それもアレが放つ攻撃が、昔の俺とまったく同じだからこそだ。
ここまで・・・差が出るものなのだな・・・
そんな事を思いながら、体制を整えた俺は、零と対峙した。
「ヒッヒッヒ・・・どうした?儂を殺すのではなかったのか・・・」
息継ぎすらままならないような攻防が止むや、俺達に遅れて雲外鏡が、森の中から姿を現した。
どうやら、俺に嫌味を言う為に、わざわざ零の動きを止めたようだ。
まるで、猫が鼠をいたぶるかのようだな・・・
「さっきまでの勢いはどうした?やはりその腕では、儂どころか自分の分身にも勝てぬようじゃな・・・ヒッヒ・・・」
嫌味な笑みを浮かべながら雲外鏡は、負傷した俺の右腕を、顎で差しながらそう嘲る。
「フンッ・・・悪趣味にも程がある・・・それと、虫唾が走るからテメェ喋るな。」
自然体で構えたまま、雲外鏡を一瞥し、俺はそう告げた。
「フンッ・・・聞き分けのない餓鬼めが・・・」
俺の言葉に、雲外鏡は不機嫌そうに呟くと、零を一瞥する。
「・・・殺れ・・・」
ダッ!
そして、一旦間を置いて呟かれた言葉に、すぐさま零が反応し、大地を蹴って俺に向かってくる。
俺はその光景を、構えを変えぬまま、冷静に見つめ続けていた。
・・・確かに、俺と昔の俺では、剣技に関して言えば、天と地程の開きがあるかもしれん・・・だが。
ズザアアアァァァーーーッ!!
一瞬にして零は、身を低くした状態で刀を肩に担ぐように構え、地面を擦りながら俺の間合いを犯す。
突進の威力を殺さぬまま、俺に対し袈裟懸けに斬撃を放つ。
・・・左肩から入り、右脇腹に抜ける・・・直撃すれば即死・・・仮にこの一撃を避けても、次は更に回転の威力を加え、更にもう一撃・・・武神流剣術、双連舞の構え・・・ならば・・・
零が技を放つと同時、一瞬にして奴の行動を先読みしつつ、相手の攻撃に対しての切り替えし技に入る。
重心を前に傾けながら、すり足で後ろに下がり、前のめりに倒れ込み、零の一撃目を避ける。
零の一撃目を避けると、予想通り奴はその場で回転し、踏み込むと同時二撃目の体制に入る。
俺が攻撃を避けた事で、零は二撃目の斬撃を袈裟から唐竹へと変えるが、それも俺の読み通り。
「武神流闘術!」
その瞬間俺は、下半身の筋肉と、背筋の力で立ち上がり、突き上げる形で左手を零の胸目掛けて放つ。
「虎王翔暫!!」
ズブリ・・・
零の胸に俺の鉄指閃が決まると同時、左足を踏み込み更に突き上げ、素手で零の体を切り裂いていく。
ガシャアアアァァァーンッ!!
俺の指が零の顎に達すると、甲高い音を響かせながら、零の体が粉々に四散した。
それを見届けた俺は、左手を大きく横に振り、構えを解いて自然体に直る。
「・・・貴様と天津の間に、何があったのか知らんが・・・武神流を舐めるなよ。」
呟きながら、雲外鏡を睨みつけた。
「・・・フンッ!その負傷でよくやるものよ・・・よもや儂の術が敗られるとはのぉ。じゃが・・・そう何度も、うまく事が運ぶとは思わぬ事じゃな。」
雲外鏡が出した俺の分身・・・鏡身と言ったか・・・今までの俺の中で、最も強い頃の俺の分身を、俺が倒した事に全く動じていない様子の雲外鏡。
言葉の端から察するに、恐らく俺が勝てたのは、単なる偶然くらいにしか思っていないようだった。
そう俺が考えていると、案の定雲外鏡の左目の鏡が再び輝き、その光が収まると、先程倒した零が再び立っていた。
それに対し俺は、呆れながらにため息を吐いた。
「・・・馬鹿か貴様・・・何度やっても同じだ。」
「何じゃと?」
俺のその呟きに、雲外鏡は不機嫌そうに聞き返してくる。
「確かに、俺の今までの中で、零と呼ばれていた頃の俺が、最も強かっただろう・・・それは認める。が、それが自分である以上、誰よりも俺が弱点を知っている・・・」
そう言って俺は、左手で俺の分身を指差した。
「武神流は元々、女のしなやかさを取り入れた、舞踊の要素が強い・・・その頃の俺は、肉体が完全に成長しきっていない為、女のしなやかさに事足りる事は無かった。だが鍔迫り合いになれば弾かれる程、筋肉が仕上がっていなかった・・・そこで俺は、遠心力や突進力などの要素を取り入れ、無い筋肉を補っていた・・・そうなるとどうしても、動作が大きくなり、隙も生じやすくなるが、それを補う早さが十分あった・・・」
「・・・つまりその隙を付いた・・・という訳か・・・」
俺の言葉を聞き、雲外鏡がそう呟いてくる。
「そうだ。だがそれ以上の理由がもう一つある・・・」
雲外鏡の呟きを肯定すると、尚も先を続けながら、雲外鏡に対し冷ややかな笑みを向けた。
「そいつの動き、剣の太刀筋・・・行動の組み立て方・・・全てがあの頃のままだ。例え俺より早く動けようと、そんな奴の次の行動を読むなど、俺には至極簡単な事だ。」
そう言って俺は、雲外鏡と新たに現れた零へと向き直った。
「俺の手を煩わせるなよ・・・これ以上舐めた真似すると、楽には死ねんぞ・・・」
向き直ると同時に、俺は雲外鏡に向かって、殺気を込めながら睨みつけ、そう言い放つ。
「・・・フンッ。やはり一筋縄ではいかんか・・・じゃが、お主にはここで死んで貰わねばならぬのじゃよ・・・儂等の悲願の為にもな・・・」
そう言って雲外鏡は、邪悪な笑みを浮かべた。
「・・・違うな。」
「うん?」
雲外鏡の言葉を聞き、不意に俺はそう呟くと、不思議そうに聞き返してくる。
「少なくとも玉螺は、刹那の目的に共感し、共に行動をしているようだが・・・貴様は違う。」
尚も俺がそう言うと、雲外鏡は笑みを消して、俺を睨みつけてきた。
「貴様の目的は、刹那とは別の場所に在る・・・そうだろう?薄汚く卑しい笑みの裏で、何を考えてやがる・・・」
「・・・何故・・・そう思うか?」
俺の言葉に、雲外鏡が聞き返してくる。
それに対し俺は、雲外鏡に向けて不適な笑みを浮かべた。
「簡単な事だ・・・俺も刹那も、互いにこの地で決着を着けようとしている・・・それなのに、今更自分の手下を、当て馬にするなど無意味な事だ・・・それは玉螺が、刹那の伝言を俺に伝えに来た時、用件だけ済ませて去った事などからも、容易に想像出来る・・・俺に会っても手は出すな・・・もしくは、自分から仕掛けるなと言われていたんだろう・・・昨夜の待ち伏せは、俺を村に向かわせない為の、時間稼ぎが目的だったろうしな・・・」
「・・・その通りじゃ・・・」
「・・・だがおまえはその命令を無視し、自ら出向いた・・・それは何故か・・・それも簡単な事だ。」
そこで一旦言葉を切り、俺は雲外鏡を指差した。
「おまえは、刹那とは別に目的があり、その目的の為に刹那を利用している・・・だがその刹那は、俺に固執している為、このままでは俺が邪魔になると判断し、羅刹と天津をけしかけ利用した・・・羅刹が言っていたぜ、この島に俺達が来るまで、決して手は出すなと刹那が言っていた・・・とな。その左腕は、その時の代償だろう?」
本来ならば、左腕が在るはずの部分に視線を向け、俺はそう言い放つ。
その言葉を最後に口を噤むと、俺は雲外鏡に向けていた左腕を下げ、相手の出方を伺う。
それから暫くの沈黙が続き、不意に雲外鏡が、顔を歪めて笑みを作り出した。
「ヒッヒッヒ・・・いかにもそうじゃ・・・儂はあの娘・・・刹那という小娘の事など、最初からどうとも思ってはおらんよ・・・儂が欲しいのは、あの娘が開こうとしている扉・・・その向こう側に在るのじゃ。」
卑しい笑みを浮かべたかと思えば、次いで雲外鏡は、堰を切ったかのように喋り始める。
「お主はもう気が付いておるのか?あの娘がやろうとしておる事は、『千引の岩』の封印を解く事じゃ・・・『千引の岩』とはつまり、あの世とこの世の境界線じゃ・・・その境界線が無くなれば、互いの世界が干渉しあい、やがて世界は混沌へと還る・・・ヒッヒ・・・」
そう言って、さも可笑しそうに笑い始める雲外鏡。
その笑みに、不快感すら覚えるが、今はそれを抑え話を聞き続ける事にする。。
「まったく、愚かな事だと思わんか?境界線の向こう側・・・その先にある物の価値も知らずに・・・」
「・・・その先にある物だと?」
俺がそう聞くと、雲外鏡は顔を更に歪め、狂気すら感じられる笑みを向けてくる。
「そうじゃ・・・お主、古事記を読んだ事はあるか?伊邪那岐命が、黄泉比良坂を逃れる際、追いかけられし黄泉の軍勢を・・・儂は黄泉津大神となりて、その軍勢を手に入れるのじゃ!それさえ手に入れば、刹那など赤子同然よ・・・ヒッヒッヒ・・・」
狂ったように笑う雲外鏡に、俺は呆れながらにため息を吐いた。
「・・・よく回る舌だけあって、頭の方はおめでたいようだな・・・」
「フンッ!どうとでもほざけ、この死に損ないが・・・冥土の土産に、刹那ですら気が付いておらぬ事を、教えてやったのだからのぉ・・・もう思い残す事もあるまいて・・・」
「やれやれ・・・ここまで来ると、愚かを通り越して哀れですら在るな・・・気付いていないのはおまえの方だ。」
「・・・なんじゃと?」
俺の言葉に、雲外鏡はそれまで浮かべていた笑みを消した。
「刹那が気付いていない?阿呆が・・・奴はとっくに、おまえの薄汚い野心など気付いているさ。仮にも、俺の行動の裏を描いた奴だぞ・・・見かけが小娘だからと言って、舐めすぎるのも大概にする事だな。」
「ッ?!」
俺の一言に、雲外鏡の表情が一瞬強張ったが、それに構わず俺は先を続ける。
「仮に気付いていなかったとしても、先程おまえが得意げに話した内容は、全て刹那の耳に入っているだろう・・・奴の力は『闇』・・・そして今は夜、更にこの島は妖怪の力を倍加させる程の妖気が、常に漂っている・・・奴がその気になれば、この島に生息する虫の数さえ、正確に数えきるだろう・・・言うなれば、この島全土が奴の体内のような物だ。」
「な、何じゃと?!」
俺の言葉に、雲外鏡はあからさまに動揺し、辺りを見渡し警戒し始める。
その滑稽な姿に、思わず笑いがこみ上げてくるのを堪え、尚も先を続ける。
「それでもおまえが生かされているのは何故か・・・簡単だ。刹那は何時でもおまえを殺せるからさ。利用していると思っている相手に、実は利用されてるだけの存在なんだよ、おまえは・・・哀れみすら覚えるぜ、お悔やみ申し上げるよ。」
「ッ?!だ、黙れ!!その話が本当ならば、何故あの娘は姿を見せん!」
「それも簡単だ。奴は俺がおまえ如きに、殺られると思っていないからだ。それにもう、奴にとっておまえは用済みなのだろう・・・だからこそ、邪魔しにすら来ないのさ。」
「だ、黙れ!黙れ!!黙れぃ!!」
まるで俺の言葉を必至に否定するように、雲外鏡は叫び続ける。
そんな雲外鏡に俺は、呆れながらにため息を吐きながら、肩を透かせてみせた。
「先に言ったはずだ・・・俺が殺すと言った以上、貴様は殺す・・・仮にここを逃れたとしても、刹那の手によって、貴様は死ぬ・・・往くも死・・・退くも死・・・さぁ、どうする・・・」
「黙れぃ!!この死に損ないが!!」
俺の言葉に逆上し、雲外鏡はそう叫ぶと、再びその左目の鏡が光った。
そしてその光が収まると、零が四体に増殖する。
「儂を殺すじゃと?やってみよ!その傷の出血の所為で、何時倒れてもおかしくない死に損ないめが!!お主を殺せば、後はどうとでも成るわ・・・ヒッヒ・・・」
努めて強気にそう言うも、雲外鏡の頬には冷や汗が流れ、狼狽えているのが手に取るように解る。
そんな雲外鏡に対し俺は、目を伏せながらため息を吐き、左指で金剛夜叉明王の梵字を描いた。
「・・・確かに・・・な。かなり血を流して、さすがに頭がクラクラするぜ・・・ヴァジュラヤクシャ・・・」
俺はそう言って、最後に梵名を呟くと、天津との戦いの折り、服が破けて落としたはずの不動明王珠が、淡い光を発しながら俺の元までやって来る。
それを掴み、俺は雲外鏡を睨みつけた。
「だがそれがどうした・・・貴様はここで死ぬんだよ・・・それに、さっき言ったはずだ・・・これ以上俺の手を煩わせるなよ・・・そんな木偶人形を、何度も出しやがって・・・いい加減うんざりだ。」
「フンッ!その様な台詞は、儂を倒してから言う事じゃな!殺れぃ!!」
雲外鏡の号令の元、四体の零が一斉に地面を蹴る。
四方向から成る、零達の多角攻撃に対し、俺は避けようともせず、その場で佇み続けた。
「ヒ~ヒッヒッヒッヒ・・・死ねぃ!!」
その光景を見てか、雲外鏡が高笑いを上げながら叫ぶ。
「・・・テメェ・・・ただで死ねると思うなよ・・・」
零達の攻撃が、俺に当たろうとしたその瞬間、雲外鏡に対し俺は呟いた。
ボシュッ!ボシュッ!ボシュッ!ボシュッ!
「ッ?!」
俺が呟くとほぼ同時、不意に空気が弾けたかのような音が聞こえたかと思うと、それまでそこに居たはずの零達が、黒い球体に包まれ消え去った。
「な・・・なんじゃ・・・今のは・・・」
その光景を見ていた雲外鏡が、呆然とそう呟くのが聞こえてくる。
その瞬間、俺は霊鎧を纏い大地を蹴った。
「ッ?!」
一瞬にして雲外鏡の背後に回り込んだが、我に返った雲外鏡が、すぐさま大きく跳んで、俺との間合いを広げた。
「き、貴様!一体今何をしおった?!」
それ以上、俺が追わないと解るや、雲外鏡は血相を変えて叫ぶ。
慌てふためくその姿を、俺は冷ややかな笑みを浮かべながら、殺気を込めて見据えていた。
「何をしたか・・・か。そうだな・・・冥土の土産に見せてやろう・・・」
「ぬぅ?!」
そう言うや、左手に持った不動明王球が、眩いばかりの光を発し始める。
「光栄に思え・・・この力を見せるのは、羅刹に次いで貴様が二人目だ・・・」
キイイィィィーンッ!
俺がそう言う間も、不動明王珠の光は、甲高い音を上げながらその光量を増していき、視界が全て白く塗り染められていく。
同時に、俺の周りに紅蓮の炎が現れ、更にその周囲一体に、重力の壁が現れる。
これこそ、俺が刹那との戦いの為に手に入れた、霊鎧とは別のもう一つの力・・・
「・・・金剛不動闘衣。」
不意に光が収まると、俺は赤と白を基調にした鎧を纏っていた。
不動明王の炎の気と、金剛夜叉明王の天の気を融合させ、その力を霊鎧に注ぎ実体化した鎧。
この鎧を纏った今の俺は、明王珠の禁じ手『滅巍怒』の力を、自在に操る事が出来る。
先程、俺を襲った零達を、一瞬にして消し去った黒い穴こそ、神威との戦いの折りに発動しなかった『滅巍怒』だ。
「ば、馬鹿な・・・お主も明王化出来るというのか・・・」
俺の変化を目の当たりにし、雲外鏡は後ずさりながら愕然と呟いた。
聖の明王化と、俺のこの鎧は少し感じが違う。
聖の話を聞く限り、明王珠の中で唯一、意志を持っている孔雀明王珠と、金華龍の魂が、聖の強い想いに応え、自ら互いに融合しあい、不可能とされていた対極する力の融合を可能にした。
聖の想いに惹かれた金華龍と、聖の想いを認めた孔雀明王珠・・・この二つの要素が無ければ、決して実現などしなかっただろう。
それに対し俺のこの鎧は、不動明王珠と金剛夜叉明王珠の力を故意に暴走させ、一度同じ性質の力に置き換え、融合させた後元に戻す・・・その際、俺の霊気によって反発し合う力を押さえ込んだ。
無理に掛け合わそうとして駄目ならば、一度掛け合わせられる状態にし、その状態を維持出来るように成れば、異なる力の融合は可能・・・聖の話を聞き、俺はそう思った。
だが思った所で、成功するまでかなりの時間を有した。
聖の明王化に引けを取らないだろうこの力だが、聖の場合と違い、無理矢理力を発動している所為か、掛かる制約も大きい物になった。
一つは、俺に掛かる霊力の負担が、かなりの物だと言う事だ。
この状態を維持する為には、常に反発し合う力を、押さえ込まなければならなくなる。
神威との戦いから、それまでの俺よりも霊力が着いたとは言え、あまり長期戦は望めない。
二つ目は、この状態の維持によって、俺だけではなく明王珠も疲弊してしまうという事だ。
俺ならば、一日程休めば霊力は回復するが、明王珠までそうとはいかない。
一度この状態になってから、次に発動出来るようになるまで、最低でも二・三日は掛かってしまうので、乱用も出来ない。
だからこそ、刹那との対決まで取って置きたかったのだが・・・
「・・・貴様は・・・地獄で懺悔させるなど生温い・・・光も届かない深淵で・・・続く限り後悔しろ。」
「ひ、ひいいぃぃぃ・・・」
俺がそう呟き一歩踏み出すと、雲外鏡は尻餅を付き、悲鳴を上げながら後ずさり始める。
「く、来るな・・・来るなあああぁぁぁーっ!!」
カッ!・・・ピシ・・・
「か・・・鏡が・・・儂の鏡が・・・」
雲外鏡が、悲鳴に近い叫びを上げると、懲りずに再び鏡が輝くが、その直後亀裂が走り、光が消え去った。
「馬鹿が・・・貴様は、自分の妖気よりも強い者の姿を、映し出せんのだろう・・・今の俺でなく、零だった頃の俺の鏡身を作り出したのが、何よりの証拠だ・・・確かにあの頃よりも、剣の腕は劣っているだろうが・・・それでも、総合力なら今の方が上だからな・・・」
そう言いながら、ゆっくりと雲外鏡との距離を詰めていく。
「ひ、ひいいいぃぃぃーっ!」
不意に雲外鏡は、俺に背を向けその場から逃げ出そうとする。
だが俺は、みすみす逃がすつもりなど、毛頭無かった。
ボシュッ!
「ッ?!」
「まずは・・・右足だ・・・」
ドスン・・・
雲外鏡が逃げ出そうとした瞬間、俺は雲外鏡の右足に狙いを絞り、滅巍怒を発動させた。
一瞬にして雲外鏡の右足は、突如として現れた黒い塊に飲み込まれ、次の瞬間には跡形もなく消え去り、体勢を崩し地面に倒れ込んだ。
「クッ!ま、待て・・・儂を殺せば、天津の娘は永遠に解放される事はないぞ!ヒ、ヒッヒッヒ・・・」
俺が更に近づこうとすると、不意に振り返った雲外鏡は、下卑た笑みを浮かべながら、懐に手を忍ばせる。
「ッ?!」
だがすぐに、その顔が強張ったかと思うと、慌てた様子で自分の懐に視線を向けた。
「・・・捜し物は・・・これか?」
そう言って俺は、先程雲外鏡に近づいた際、その懐から抜き取った物を、見せびらかすように見せつけた。
「ッ!!ば、馬鹿な・・・」
「悪いな・・・あまり手癖が良くなくて・・・今度はその左足を貰おうか・・・」
ボシュッ!
「ッ?!オ、オオオォォォ・・・わ、儂の足が・・・」
「・・・これで・・・貴様はもう逃げられなくなったな・・・」
両足を失い、完全に逃げる事の出来なくなった雲外鏡を、俺は冷ややかな視線で見下ろした。
「ま、待て!良いのか・・・儂を殺せば、慈乃は・・・」
「例え元に戻せなくとも、それでも貴様と共に消えるよりかはマシだろう・・・次は・・・その右腕だ。」
「ま、待て!解った・・・戻す・・・戻すか・・・」
ボシュッ!
「オオオォォォ~・・・た、助けてくれ・・・」
両手両足を失い、出来損ないの達磨のような恰好になった雲外鏡は、縋るように命乞いをし始める。
「・・・助ける?フン・・・縋る相手を間違えているな・・・俺は・・・ムカツク奴には、何処までも残酷になれるんだよ・・・」
「ま、待て・・・待ってくれ~・・・解った。こうしよう慈乃の呪いを解く、お主にも手を貸す!じゃから・・・」
「・・・だから・・・なんだ・・・貴様の口から出た言葉に、どれ程の価値がある・・・いい加減諦めろ・・・貴様は俺を刺激し過ぎたんだ・・・」
「た、助けてくれえええぇぇぇーーーっ!!」
断末魔に似た、雲外鏡の悲痛な叫びが、木霊となって辺りに響き渡る。
だが・・・その叫びに応える者は・・・決して現れる事はない。
「・・・深淵の闇に墜ちろ・・・」
ボシュッ!
俺がそう呟いた瞬間、一際大きな黒い塊が出現し、雲外鏡の姿を飲み込み消え去ると、そこには抉れた大地のみが残され、静寂が訪れた・・・
・・・嫌な気分だ・・・
それから暫くして、俺は金剛不動闘衣を解くと、雲外鏡から奪った硝子の塊に視線を向けた。
「・・・やはり無理か・・・」
雲外鏡を倒しても、全く変化の現れない硝子の塊を見て、俺は一人呟いた。
天津はああ言っていたが・・・出来れば、この娘だけでも救ってやりたいな・・・
それが俺の・・・今の嫌な気分を、振り払う為の独り善がりな考えだとは解っている。
だがそれでも、この娘には生きる権利がある・・・例え、呪詛が解け元に戻った所で、この娘に居場所がないとしてもだ。
生きるか死ぬか・・・それを決められるのは、親である天津でも、ましてや俺でもない・・・この娘自身だ。
だがこの娘に呪詛を掛けた雲外鏡は、もうすでにこの世には居ない。
雲外鏡が死ねば、自動的に呪いが解けるかとも思ったが・・・当てが外れたか・・・
この手の呪術は、呪いを掛けた術者が死ぬ事によって、解呪される場合が多い。
それで解呪されないと言う事は、よほど強力な呪術だと言う事だ。
だが、この娘に掛けられた呪いを、解く方法が無い訳ではない。
聖の持つ孔雀明王珠・・・その『浄化』の力を使えば、この娘に掛けられた呪いを、解く事が出来るかもしれない。
それで駄目ならば・・・その時は天津の遺言通り、この娘を手厚く葬り、立派な墓を建てればいい。
可能性が在るのならば、試してからでも遅くはないさ・・・
そう思い俺は、先程投げた大威徳明王珠を取りに向かうべく、おもむろに歩き出した。
・・・ッ!
その瞬間視界がぐらつき、体勢を崩した俺は、地面に膝を付いて倒れ込んだ。
「・・・クソ・・・さすがに・・・血を流し過ぎたか・・・」
苦々しく呟くと同時、段々と意識が薄れていくのが解るが、今の俺には抗う術は無かった。
「・・・フッ・・・ざまあ・・・ねぇな・・・」
ドサ・・・
その呟きを最後に、俺は地面に横たわると、そのまま意識を失い、二度と起きる事が出来ないかも知れない、深い眠りへと墜ちていった・・・
聖が蛇将を運び去り、その場には桜と珠螺の二人が残された。
「・・・あれが明王化・・・確かにあたしじゃ、勝てないでしょうね。」
不意に珠螺が、聖が去っていった方角を見つめながら呟いた。
「・・・少し、あなたと話しがしたいんだけど・・・良いかしら?」
一旦間を置いて、桜が珠螺に向かってそう言うと、珠螺は桜に顔を向ける。
「何?変な事以外だったら、別に良いわよ。」
「さっきあなた、こう言ったわよね・・・人も妖怪も生きているだけで罪・・・確かにそうね。人と妖怪は、古の昔から争い合い、憎み合っているわ・・・不毛な連鎖を繰り返している。けどあなたは、何故そういう考えに行き着いたの?」
「・・・どういう意味?」
桜の言葉に、珠螺は眉をひそめながら聞き返した。
それに対し桜は、対峙した珠螺を、ゆっくりとした動作で指さした。
「・・・あなたには・・・動機が欠落しているのよ・・・何故、刹那の考えに共感出来たのか・・・人も妖怪も争い合うのは、お互いに理解し合おうとする気持ちが少ないから・・・だからお互いに認め合えず、自分達と姿形、考えの違う者を排除しようとする・・・けどあなたは、戦いも話し合いも選ばず、双方の滅亡を選んだ・・・それは何故?」
「・・・何を言うのかと思えば・・・簡単な事よ。一度出来上がった形から、全く別の形にするには、不可能とまでは言わないけど、長い年月を必要とするわ・・・しかも出来上がってから、今までの時間が長ければ長い程、変えようと努力する時間も長くなる・・・」
質問に対し、珠螺はそう答えるが、それを聞いた桜は、腕を降ろすと顔を横に振った。
「私が聞いているのは、そんな事じゃないわ・・・あなたが何故そう言う考えに至ったか・・・何故、人間だけではなく、妖怪も滅ぼそうとするのか・・・よ。」
その言葉を聞き、珠螺は押し黙ると、桜を睨みつけた。
その視線に桜は気付いてはいるが、特に気にした様子はなかった。
「あなたが人間を憎んでいる理由は解るわ・・・人間が妖怪を憎む理由と、それほど大差ない事だし。けど、だからって妖怪まで、巻き込む必要は無いんじゃないかしら?」
「・・・何が言いたいの?」
回りくどい桜の言葉に、珠螺は苛立たしげに呟く。
心なし珠螺の八つの尻尾は、総毛立ち太くなっていた。
それに気付いているのだろうが、相変わらず桜は、特に気にした様子もない。
「・・・人間の中にも、妖怪の中にも、共存を望んでいる者達は居るわ・・・だから人も妖怪も、ここ数百年大きな争いは無くなった・・・たとえ共存を望む者達が、極僅かだとしても、その者達の意見を無視すれば、仲間同士の争い合いが起きるかもしれない・・・だからこそ、人と妖怪の微妙な構図が出来上がって、今まで膠着状態が続いたのは否めない・・・」
「・・・何が言いたいのよ・・・」
尚も続く桜の言葉に珠螺は、握り拳を作りながら呟く。
「・・・私は生まれた時から目が見えないのよ・・・けど、だからこそ視える世界が・・・私にはある。」
「何が言いたいのよ!!いい加減にしないと、その口・・・潰すわよ・・・」
遂に痺れを切らし叫びを上げると、殺気を放ちながら珠螺は身構えた。
「・・・なら言うわね・・・」
そんな珠螺に対し、桜は再び彼女を指差した。
「・・・あなた・・・人間を憎み切れてないでしょう?」
「ッ?」
次の瞬間紡がれた、桜の不意の一言に、珠螺の体が一瞬強張った。
「あなたの体から、血の臭いなんてほとんど感じられない・・・むしろ人間の臭いが染みついている。あなた元々・・・」
「うるさい!!」
尚も続く桜の言葉を遮り、珠螺の怒りの叫びが、辺りに木霊となって響き渡った。
「うるさい・・・もう・・・良い・・・あんた・・・殺す!」
「・・・そう言う事は、本気で思って居るのなら、口に出すべきじゃないわよ。」
苦々しく呟かれる玉螺の言葉に、火に油を注ぐような桜の言葉が続いた。
その言葉に玉螺は、いよいよ肩を戦慄かせると、次の瞬間には、玉螺の体に異変が起き始めた。
それまで彼女が着ていた服が消えたかと思うと、全身が茶色い毛で覆われ総毛立ち、手と足の爪が鋭く伸び、八つの尻尾が苛立たしげにゆらゆらと揺れ始める。
夜闇にも関わらず、その瞳はぎらぎらと金色に光り、覗かせた口から鋭い牙が生え揃う。
「グルルルゥゥゥ・・・キシャアアアァァァーーーッ!!」
「ッ?!」
桜を威嚇するかの様に咽を鳴らし、奇声を発した次の瞬間、玉螺は桜に襲いかかった。
ビリッ!
それを寸前で避けるも、鋭い玉螺の爪によって、桜の羽織の一部が引き裂かれる。
玉螺はそのままの勢いで、桜の後方に回り込み、桜は体制を整えつつ、手にした呪符を構え直しながら対峙した。
「・・・あんたの言う通り・・・あたしは元は飼い猫だったわよ・・・」
不意に野太い声で、先程桜が言いかけた言葉を受け継ぎ、玉螺は桜を睨みつけながらそう呟いた。
「・・・それが何?あんた・・・あたしを怒らせて、只で済むと思ってる訳?」
「・・・そうじゃないわ。私はただ、あなたの事を知りたいだけよ・・・」
「知ってどうするって言うのさ!同情でもしてくれるって訳?!・・・良いわよ・・・そんなに知りたいんだったら・・・教えてあげる!!」
言うが早いか、そう叫び玉螺は、桜に攻撃を仕掛けた。
玉螺の素早く、そして鋭い爪の攻撃を、桜は身を翻し紙一重で避ける。
「もう何百年も昔の事よ!!あたしがまだ普通の猫だった時、前の御主人様に出会ったのわ!」
攻撃が外れたにも関わらず、更に木を足掛かりにし、攻撃の手を弛めようともせず、玉螺は桜に向かってそう叫んだ。
その攻撃も桜は避けたが、玉螺は再び木を足掛かりにし、桜に襲いかかる。
「何の変哲もない男性だった・・・何処にでも居るような、普通の人だったわ!」
「ッ?!」
ビリッ!!
それまで、玉螺の攻撃を避け続けていた桜だったが、避ける毎に素早くなっていく玉螺の攻撃に、徐々に追いつめられていく。
「けどね!大馬鹿が付くぐらいのお人好しだったのよ!!」
「クッ!」
ザシュッ!
その叫びと同時に、繰り出された玉螺の攻撃を、桜は避けきれなかった。
桜の頭巾の一部が切り裂かれ、その柔肌に四本の赤い筋が走り、そこから鮮血が流れ出した。
「御主人様は、あたしが猫又になっても、何も変わらず接してくれた・・・」
ザシュッ!
「ッ・・・」
先程の攻撃を切っ掛けにか、更に早くなる玉螺の攻撃を避けきれず、今度は桜の背中が、寒さ凍える夜の闇に露わとなった。
「けどね・・・周りの人間達までそうとはいかなかった!あたしが猫又に成ったと知るや、周りの人間達は御主人様にあたしを引き渡せと言ってきたわ!けど・・・御主人様はそれを断った・・・」
ザシュッ!ザシュッ!
尚も続く玉螺の攻撃・・・桜はそれを避けようとするが、避けきれなかった攻撃が、容赦なく桜の体に赤い筋を刻んだ。
だが桜は、悲鳴一つ上げぬまま、玉螺の言葉を聞き逃さぬよう耳を傾けていた。
「それから暫くして、身の危険を感じたあたし達は逃げ出した・・・けど、あたし達を受け入れてくれる所なんて無かった・・・あたしは妖怪、御主人様は人間・・・人の世界にあたしが居てはいけない・・・妖怪の世界に御主人様を引き込む訳にはいかない・・・今よりも双方の睨み合いが、激しかった頃の事よ。」
桜が玉螺の話を聞く間も、攻撃の手は休まる事はなく、桜が身に纏った僧服は、いつの間にかボロボロになっていた。
「・・・それから暫くして御主人様は死んだ!!今生の最後の言葉はなんだと思う?『人間を憎まないでくれ・・・自分も妖怪を憎んでなどいない・・』だって・・・あたしは泣いたは・・・何日も何十日も・・・何百回も何千回も泣き続けた・・・何万回目の朝と夜を迎えた時、御主人様・・・刹那様に出会ったのよ!」
ザシュッ!
その叫びと同時に、繰り出された玉螺の攻撃は、桜が常に被っている頭巾を引き裂いた。
「・・・可哀想な子・・・」
それに構わず桜は、玉螺に向かってそう呟いた。
「あなたが許せないのは、人でも妖怪でもない・・・自分自身でしょ?もう・・・許してあげなさい・・・」
「ッ!知った風な口を聞くなアアアァァァーーーッ!」
その一言に逆上した玉螺は、再び木を足がかりにし、桜へと襲いかかる。
だがその瞬間桜は、呪符を持たぬ左手で、一瞬にして愛染明王の梵字を描いた。
「ラーガラージャ!」
梵字を描くと同時、桜が梵名を叫ぶと、桜の周囲に結界が展開する。
バチバチバチッ!!
「ッ?!ギャンッ!!」
突然現れた結界に、真っ向から突っ込んだ玉螺は、甲高い悲鳴を上げてあえなく弾き返された。
「・・・無駄よ。愛染明王珠の能力は『反射』・・・現段階で、これ以上強力な結界は存在しないとさえ言われているわ。」
桜が静かにそう言うと同時、周囲に展開していた結界が、跡形もなく消え去った。
「・・・ムカツク・・・」
一瞬の間を置き、結界に弾き返され、地面に叩きつけられていた玉螺が、苦々しく呟いて起きあがった。
「・・・あんた・・・態とあたしの攻撃を防がなかったのね・・・ここまで虚仮にされたのは初めてよ!」
「・・・もう止しなさい。これで解ったでしょう・・・あなたは私には勝てない・・・」
玉螺の言葉に桜はそう返すと、ゆっくりとした動作で、再び玉螺を指差す。
「過去に縛り付けられているあなたに、私は決して倒せない。」
「ッ!黙れ!!」
「大切な人を失った気持ちは、私にも解る・・・何も出来ない自分が、許せなくなる気持ちも解る・・・あなたは、大切な人の言葉を護ろうとした・・・あなたを追いつめたのは人間・・・でも、受け入れてくれた人間も居た・・・だからこそあなたは、大切な人を失った憎悪と、その人の言葉を護ろうとするジレンマに、苛まれ続けた・・・」
玉螺の叫びを聞きながらも、桜は語る事を止めようとはしなかった。
「黙りなさいよ!!人間如きが・・・」
「その人間如きを恨みきれず、あなたは妖怪の世界ではなく、人の世界に寄り添って生きてきた・・・そうでしょう?」
「ッ?!何を根拠に・・・」
「最初に言ったはずよ・・・私には、私にしか視えない世界があると・・・あなたのその体から、人の匂いが・・・日だまりの様な、暖かい匂いが染みついている・・・それにさっきの攻撃だってそう・・・あなたは意識していないのだろうけど、全部急所は外れていたわ・・・でなければ今頃、私はとっくに深手を負っていた筈よ。」
尚も続く桜の言葉に、ついに玉螺は押し黙り、立ちつくした。
「あなたはまだ・・・」
「黙れエエエェェェーーーッ!!」
不意に、桜の言葉を遮り、玉螺の悲痛とも言える叫びが辺りに響き渡り、夜の虚空に吸い込まれていった。
そして、その次の瞬間、桜の鋭敏な感覚が、膨れあがる玉螺の妖気を感じ取った。
「あんたの言葉は、いちいちあたしの神経を逆撫でする・・・言ってる事は、いちいち的を射てる・・・けど・・・あたしにだって意地が在るのよ!!」
怒りの形相でそう叫ぶと、玉螺は桜に対し構えを取った。
「あんたを殺す・・・そしてあたしは、ご主人様と一緒に、あたし達・・・解り合えぬ者同士の、不毛な争いの構図を作り出した存在に、自分の過ちを認めさせるのよ!!」
「・・・そう・・・なら私は、私の想いの全てを掛けて・・・あなたに応えてあげるわ・・・」
玉螺の言葉を聞き、桜は酷く残念そうに呟いた。
呟くと同時、桜は左手で、軍荼利明王の梵字を、ゆっくりとした動作で描く。
「・・・あなたに意地が在るように・・・私にだって戦う理由が・・・譲れない物が在るのよ・・・」
そう呟き、桜は右手に持った呪符の束を、天高く放り投げる。
「クンダリー・・・」
ゆらゆらと降り注ぐ、呪符の紙吹雪の中心で、桜が軍荼利明王の梵名を呟いた。
すると、それまで空中を舞っていた呪符の束が、一斉に桜の体に張り付き始める。
「・・・麗姫流、軍荼利明王呪奥義・・・」
全ての呪符が、桜の体に張り付くと、形を成し純白の鎧へと変貌した。
鳥の頭を模した兜と、背中にも同じく鳥を模した翼が生え、右の肩当てには、軍荼利明王の梵字が刻まれている。
「式紙装甲『花鳥』・・・そして・・・」
不意に桜は呟くと、今度は降三世明王の梵字を描いた。
「トライローキャヴィジャヤ!」
「ッ?!」
桜が梵名を叫んだその瞬間、辺りの空気が一変し、熱を帯び始める。
同時に、桜の左腕に取り付けられた篭手、その手首の辺りに埋め込まれた宝珠が、まばゆい光を放ち始めた。
「宝珠の盟約によりて、その使い手桜が命ずる!業火を纏いし四神が一角よ、我が名に従い姿を現せ!!」
桜がそう叫ぶや、何もない虚空に光の円陣が現れ、その周囲に炎が爆ぜる。
「『朱雀』!!」
『ケエエエェェェーーーンッ!!』
その言葉に呼応し、円陣の周りに現れた炎が、円陣の中心に集まると、そこから巨大な炎の怪鳥が姿を現した。
朱雀と呼ばれたその鳥は、姿を見せるやその巨大な翼を広げ、まるで自分の存在を誇示しているかのようだった。
「朱雀よ!我が鎧と化せ!!」
『ケエエエェェェーーーンッ!!』
その言葉に朱雀は羽ばたき、一旦空高くまで上昇すると、その向きを変え桜目掛けて飛来する。
ドウンッ!!
「なっ?!」
朱雀の炎が、一瞬にして桜を飲み込む光景を目の当たりにし、玉螺は呆然と呟いた。
だが暫くすると、その炎の中から、人影が姿を現した。
身に纏った鎧は、純白から紅へと変色し、右の肩当てには軍荼利明王の・・・そして、左の肩当てには降三世明王の梵字が、新たに刻まれていた。
「・・・神は転じて紙と成す・・・麗姫流、軍荼利・降三世複合呪・・・双式装甲『鳳凰』・・・」
まるで炎から産まれたかにさえ思える桜が、そう呟いてゆっくりと構えを取った。
「・・・面白いじゃない。良いわよ・・・受けてたってあげる!!」
玉螺はそう言うと、次の瞬間には大地を蹴り、桜目掛けて走り出した。
それに対し桜は、未だ動こうともせず、構えた右腕に意識を集中し、力を込めていく。
「ハアアアァァァーーーッ!!」
咆吼を上げながら、自分の間合いに桜を捕らえると、その鋭く伸びた爪を振りかぶる。
玉螺の狙いは、桜の身を覆う装甲の中で、唯一肌が露出している顔半分・・・
「ハァッ!!」
対し桜も、玉螺を自分の間合いに捕らえた瞬間、初めて攻撃に移った・・・
そして次の瞬間、二人の戦いに終止符が打たれた。
玉螺の鋭い爪は、桜の兜の僅か横を通り過ぎ、桜の拳は、玉螺の腹部にめり込んでいた。
「・・・グッ・・・」
玉螺の口から、軽いうめき声が漏れると同時、ちょうど桜の拳がめり込んでいる反対側の、玉螺の腰の辺りに、僅かに焔が生まれる。
『ケエエエェェェーーーンッ!』
その焔が、先程よりも幾分小さい朱雀に姿を変え、奇声を発しながら夜の空へと飛び立っていった。
直後、玉螺の体から力が抜け、その体を桜が抱き留めた。
「・・・ちく・・・しょう・・・あたしが・・・人間如きに・・・負ける・・・なんて・・・」
「・・・言ったでしょ・・・あなたは人を憎み切れていないわ・・・それに、あなたと私では・・・背負っている物の意義が大きく違う・・・」
桜に抱きかかえられ、悔しげに紡がれる玉螺の言葉に、桜はそう返した。
「あなた・・・いえ、あなた達は、人と妖怪の関係を見限ろうとしている・・・けれど私・・・私達は、決して・・・見限ろうとはしない・・・」
「ッ・・・」
「昔・・・人と妖怪から忌み嫌われる存在として、生を受けた少女が居た・・・でもその少女は、忌み嫌われているはずなのに、二つの種族の関係に涙を流した・・・そして彼女は、二つの種族の架け橋になりたいと・・・そう言ったわ・・・」
不意に、桜の口から語られる、静菜と呼ばれていた頃の、刹那の話し・・・
「正直私は、そんな事は無理だと思った・・・そう思ったのは、きっと私だけじゃない・・・でも、私の親友だった人は、その少女の夢を、誰よりも真っ直ぐに受け止めた・・・みんなが笑顔で居られる世界・・・人も妖怪も笑顔で過ごせる世界があったら、どんなに素晴らしいだろう・・・そう言ったわ・・・」
「・・・なんで・・・あたしに・・・そんな話しを・・・」
不意に玉螺にそう聞かれ、桜は悲しげに顔を伏せる。
「・・・笑顔でそう語り合っていた二人は、もう居ないわ・・・私の親友は亡くなり・・・夢を語った少女は姿を変え、少女と共に旅した、宝仙君の前から姿を消した・・・」
「ッ!御主人様・・・」
桜の語る少女の話が、自分が仕える刹那だと気が付いた玉螺は、自分でも知らぬ内に呟きを漏らしていた。
不意に桜が、伏せた顔を上げると、聖が去っていった方角に顔を向ける。
「・・・あの子と・・・聖さんと一緒に居ると、あの日々の事を思い出すの・・・そして、馬鹿げた夢だとしても、賭けてみたくなる・・・人と妖怪が、分かり合えるという事を・・・その夢を語り合った二人と、共に過ごした私だから・・・過ぎ去りし日々に、その二人と交わした約束があるから・・・あの頃の二人は居なくとも、二人の想いを私は背負って生きているから・・・」
そう言って、桜はその腕で抱き留めた玉螺に顔を向けた。
「だから私は、人と妖怪の関係を、決して見限らない。」
玉螺に向かい、真摯な表情でそう言いきる桜。
「・・・ちくしょう・・・こんな・・・甘い考えの奴に・・・負けるなんて・・・くや・・・しい・・・」
その言葉に対し、玉螺は悔し涙を流しながら、恨めしげに呟き続ける。
「ちくしょう・・・ちく・・・しょう・・・」
「・・・暫く、眠りなさい・・・」
「・・・ッ・・・」
まるでその言葉に導かれるように、玉螺は気を失い、人化が解けて元の猫の姿に戻り、その体を地面に横たえた。
暫くして、桜も元の姿に戻り、地面に横たわっている玉螺の体を、優しく抱き上げた。
「・・・願わくば、その眠りで体の傷だけでなく、心の傷も癒えん事を・・・ッ?」
腕の中で眠る玉螺に向かって、桜はそう呟いたかと思うと、不意に神木のある山頂を振り仰ぐ。
「・・・この感じ・・・まさか、宝仙君?・・・フッ・・・全く、追いついたと思ったら、すぐに引き離されるわね・・・」
玉螺を胸に抱きながら、桜は呆れたかのようにそう呟いた。
桜が顔を向けた先、神木がそびえる山頂の辺りで、桜は強い霊力を感じていた。
「・・・確かに、俺も宝仙がここまで強くなっていたとは思わなかった・・・」
「ッ?!」
不意に聞こえてきた、男口調の女の声に、桜は慌てて背後を振り返る。
「ッ!!なっ?!」
桜が振り返ると同時、周囲に存在する闇が蠢き、桜の体にまとわり付き、その動きを封じていく。
「ッ・・・まさか、あなたが直接私の元に来るとは思わなかったわ・・・刹那!」
闇から逃れようと藻掻きながら、桜は顔を向けた先・・・そこに立つ真紅の髪の少女、刹那にそう語った。
「久しいな・・・桜。おまえも強くなった・・・対峙した者の闇を飲み込み、受け止めるだけの器を身につけたか・・・」
「・・・本当に、あなたが静菜なのね・・・」
藻掻いた所で逃れられぬと悟った桜は、刹那に顔を向けたままそう呟き、同時に降三世明王の梵字を描く。
「・・・無駄だ。」
「ウゥン?!」
刹那の呟きに反応し、再び闇が蠢いたかと思うと、今度は桜の口に絡みつき、声を殺させる。
「明王珠の力は、梵字に込められた力を、梵名の言霊によって解放する・・・つまり言霊を封じれば、力は発動しない・・・」
刹那はそう言い、暫くして桜の口の戒めを解いた。
「・・次にまた明王珠を使おうとすれば、すぐに口を塞ぐ・・・無駄な足掻きは止す事だ。」
「・・・私をどうするつもり?」
刹那にそう言われても、桜は隙を伺いながら、油断無く呟いた。
「・・・どうもするつもりは無い・・・ただ、俺の願いを聞いて欲しいだけだ。」
「願いですって?」
「あぁ・・・」
桜の聞き返しに頷き返し、刹那は桜の胸で眠る玉螺に視線を向けた。
「・・・もし・・・俺が宝仙に敗れ、志半ばで倒れるような事が在れば・・・玉螺を・・・頼む・・・」
「ッ?!あなた・・・」
「・・・それだけだ・・・俺が倒れるか・・・宝仙が倒れるか・・・どちらにせよ、おまえとは、もう二度と会う事もないだろう・・・」
そう言って刹那は、桜に背を向けると歩き出した。
その瞬間、桜の鋭敏な嗅覚が、刹那の体からある匂いを嗅ぎ取った。
「待ちなさい!刹那!!もしかしてあなた、御神楽家の子供達を・・・」
その呼びかけに刹那は立ち止まると、肩越しに振り返る。
「・・・今は、眠っている・・・あのくノ一も、命に別状はない・・・その戒めも、一刻程すれば解けるだろう・・・」
言うだけ言うと、刹那は再び歩き出す。
そして、二度と振り返ることなく、漆黒の夜の闇にとけ込み、その姿を消し去った。
「待ちなさい!刹那アアアァァァーーーッ!!」
後には、桜の叫び声だけが、辺りに虚しく響き渡るだけだった・・・
戦いの地を移した黒炎と蒼雷は、その場でお互い対峙し合う。
「・・・さぁ、始めようか・・・若き月狼族の戦士よ・・・」
バチバチッ・・・
蒼雷が黒炎に向かってそう呟くと同時、胸の辺りが蒼く光り、その体に稲妻が駆け巡る。
不意に、蒼雷の全身に痣が浮かび上がったかと思えば、その額に海を現す紋様が刻まれた。
そして、蒼雷の体を駆け巡る稲妻が、その右腕に集まり始め、徐々に形を成していく。
一瞬眩く輝いた次の瞬間、蒼雷の右腕には、巨大な盾とかぎ爪が一体化したような武器が、装着されていた。
「・・・『大海を切り裂く蒼き大爪』・・・断海蒼・・・」
そう呟き蒼雷は、巨大なかぎ爪を構えた。
ボワァッ!
蒼雷の変化が終わると、今度は黒炎の周りに、黒い炎が出現する。
それと同時、黒炎の胸も赤く光り、同じように全身に痣が浮かび上がった。
そして額に月を現す紋様が刻まれると、現れた炎が一つに集まり始める。
炎が集まり、細長い棒状になると、黒炎はそれを掴んだ。
「・・・『月をも穿つ漆黒の牙』・・・黒月牙。」
黒炎が呟くと同時、棒状に集まった炎が、黒い一本の槍へと変化した。
黒炎もその槍を構え、巨大なかぎ爪を構える蒼雷と対峙する。
「・・・その若さで、勾玉の力を完全に引き出していると見える・・・」
不意に蒼雷が、構えを解かないまま黒炎にそう語りかける。
「世辞はいらん・・・それより俺も聞きたい。まさかとは思うが、天照の翼もこの島に来ているのか?」
蒼雷の言葉に対し、黒炎も構えを解かないまま、話を切りだした。
「さあ・・・それは主の想像に任せよう・・・」
黒炎の言葉に対し蒼雷は、意味深な笑みを浮かべながら、曖昧な答えで返した。
「・・・あんた程の妖怪が、何故そちら側に居る・・・」
「・・・やはり主は若いな・・・勾玉の力を引き出せても、未だ変化により人格が変わっている・・・」
「そんな事はどうでも良い・・・それより答えろ。」
蒼雷の言葉に、黒炎は特に怒った素振りも見せず、再度質問を繰り返した。
それに対し蒼雷は、不意に目を閉じると、自嘲気味な笑みを浮かべた。
「・・・主に言った所で、解りはせぬ・・・我はただ、彼者との契約を果たすのみ・・・」
「・・・虚無の一族の生き残り・・・『統べる者』・・・刹那か。あんたも奴の悲願とやらに、賛同した者の一人・・・と言う事か。」
「・・・それは違うな、若き月狼族の戦士よ・・・彼者の悲願など、我には関心無き事だ・・・」
「ならば何故だ。」
「我はただ、知りたいだけよ・・・神代の頃より、我等三種族は仕えるべき主君と共に、繁栄してきた・・・だが今や、我等が仕えるべき主君は居らず、時代と共に衰退している・・・特に主等月狼族は、当時の争いに自ら赴き、今や絶滅の危機に瀕している程だ・・・主等だけではない。我等海虎族も、天羽族もまた、時代と共に滅ぶだろう・・・それは良い・・・時代がそれを望むのならば、それが我等の幕引きなのだろうからな・・・だが・・・」
そこまで語ると、不意に蒼雷の瞳に、闘志の炎が宿った。
「その前に我は知りたい。我等三神獣・・・最も強いのは誰か・・・」
「・・・くだらねぇ・・・」
不意に黒炎は、蒼雷の言葉に対し、苦々しく呟いた。
「そんなくだらねぇ背比べの為に、あんたはその爪を使うのか・・・」
「・・・フッ・・・同じ事を言う・・・」
黒炎の言葉に対し、一瞬蒼雷は苦笑を浮かべると、呟きを漏らした。
「・・・どういう意味だ?」
その呟きを聞き逃さなかった黒炎は、眉をひそめながら聞き返す。
「・・・教えてやらんでも無いが・・・それまで主が生きていられればの話しよ。」
「ッ!」
その瞬間、二人の間に流れる空気が一変した。
それまで会話を交えていたのが嘘のように、辺りは緊迫した静寂に包まれる。
それから暫くの間、二人は構えたまま対峙し続けていた。
だが、二人とも微動だにしていない訳ではない。
互いに僅かずつ立ち位置をずらしつつ、仕掛ける瞬間を探り合っていた。
黒炎が自分の間合いに持っていこうとすると、その間合いを蒼雷がずらし、逆に好機と見て蒼雷が動くと、今度は黒炎が間合いをずらす・・・その繰り返しだった。
一族の長の証である、赤と蒼の勾玉を受け継ぐ二人・・・その力は互角と言っていい。
互いにその事を解っているからこそ、先に仕掛けるにしても、僅かでも自分が有利な状況を作り上げる事こそが、この勝負の決め手となる。
二人はどれだけそうしていただろう・・・
時間にすれば短いが、まばたきも、息継ぎすらも忘れる程、集中力が高まっていく。
だがその睨み合いも、些細な切っ掛けで終わりを迎えた。
互いに相手を自分の間合いに捕らえた瞬間、二人の姿は忽然とかき消えた。
・・・ガキンッ!!
次の瞬間、それまで対峙していたほぼ中央に、二人は姿を現し、互いの武器がぶつかり合う甲高い音が、森の中に響き渡った。
「グルルルゥゥゥ・・・」
「ガルルルゥゥゥ・・・」
二人がぶつかり合うと同時、互いに威嚇しあいながら、その体に黒い炎と青白い雷が纏わり、互いの力で反発しあう。
バチバチッ!ボワッ!!
そして二人の周りに、黒い玉と青白い玉が無数に飛び交い、ぶつかり合いながら四散していく。
一見して、二人の力も能力も互角で、ぶつかり合う姿は獣そのものだった。
ガキンッ!!
暫くの鍔迫り合いが続いたが、不意に黒炎が蒼雷のかぎ爪を弾くと、身を低くし突きの構えに入る。
「ガァッ!!」
構えると同時、黒炎はすぐさま蒼雷に向かって突きを放つ。
その一撃は蒼雷に当たらなかったものの、黒炎の攻撃はそれで終わりはしなかった。
「ガアアアァァァーッ!!」
裂帛の咆吼と共に繰り出される、黒炎の突きの嵐・・・
しかしその攻撃を、蒼雷は紙一重で避け、避けきれない攻撃は、右腕の盾の部分で防いでいく。
「・・・ガォッ!」
「ッ?!」
ガキンッ!
それまで黒炎の攻撃を避け続けていた蒼雷だったが、不意に爪と爪の隙間で、黒炎の槍を絡め取った。
「ガオオォォォーッ!!」
槍を絡め取ったまま、蒼雷はかぎ爪を滑らせ、黒炎に斬りかかる。
ザシュッ!!
黒炎はその攻撃を、後ろに跳んで避けるが、判断が一瞬遅れその体に四本の爪痕が刻まれた。
「・・・チッ。」
致命傷は避けたものの、その爪の切れ味は鋭く、傷口は浅いにも関わらず、一瞬勢いよく血が吹き出て、赤い花を咲かせた。
黒炎は空中で舌打ちすると同時に、手にした槍に力を込めていく。
すると槍に炎が纏い、渦を巻き始めた。
それを見た蒼雷もまた、右腕のかぎ爪に力を込める。
するとかぎ爪が青白く光り始め、雷が帯電し始めた。
黒炎は大地に着地すると、同時に突きの構えを取り、狙いを定め限界まで引き絞る。
「グルルルゥゥゥ・・・」
唸り声を上げる黒炎に対し、蒼雷もかぎ爪を天高々に振りかぶった。
「ガルルルゥゥゥ・・・」
二人の獣が、互いに威嚇しあいながら、溜めた力を解き放つ瞬間を見計らう。
「ガアアアァァァーーーッ!!」
ボボボボボッ!!
「ガオオオォォォーーーッ!!」
ゴガガガガガッ!!
再び二人は、ほぼ同時に攻撃に移った。
黒炎が放った突きは、灼熱の槍と化し、空気の悲鳴を響かせながら、一直線に蒼雷を目指す。
一方、蒼雷が放った切り下ろしは、雷の塊と化し、地面を打ち砕きながら、黒炎に向かい突き進む。
そして次の瞬間、二つの力がぶつかり合い、辺りが一瞬白く染め上げられた。
ドゴオオォォォーーーンッ!!
一瞬遅れ大地は鳴動し、爆音が辺り響き渡った・・・
ゴゴゴゴ・・・
爆発地点からは、土煙と白煙が立ち上り、視界は遮られる。
だが暫くすると、煙はだんだんと収まり始め、そこに立つ二つの影が映し出された。
「・・・何故だ。蒼雷・・・」
不意に、片方の影から声が発せられ、対峙するもう一つの影に呼びかける。
同時、煙が風に流され、視界を遮る物が無くなると、二人が対峙した中央の大地が大きく抉られ、爆発の凄まじさを如実に語っていた。
そして、対峙する二人は、力がぶつかり合った時の余波により、互いに全身から血を流していた。
「・・・これ程の力と、その闘争本能を持ちながら・・・何故、刹那に従う・・・神威と戦わなかった・・・」
傷つき、全身から血を流しながらも、油断無く槍を構えながら、黒炎は蒼雷に語り続ける。
「・・・何故・・・か。」
蒼雷もまた、構えを解く事はないにしろ、黒炎の呼びかけに答えた。
そして不意に、昔を懐かしむような視線を、黒炎に向ける。
「主は本当に、在りし日の彼者によく似ている・・・」
「・・・さっきの言葉の相手か。」
不意に漏れた蒼雷の言葉に、黒炎は聞き返した。
その聞き返しに対し蒼雷は、不意に構えを解くと、ゆっくりと瞳を閉じた。
「あぁ・・・そうだ・・・十年経った今でも、彼者との出会いは・・・我にとって衝撃的だった・・・」
そして蒼雷の口から語られる言葉を聞き、黒炎も構えを解いた。
「当時の我は、己の力を過信し、戦いに明け暮れる日々が続いていた・・・一族の元を離れ、強者の噂を聞きつけては、西へ東への毎日だった・・・そんな日々が続いたある日、我は一人の妖怪の話を聞きつけた・・・それは・・・」
そこまで語ると、蒼雷はゆっくりと左腕を持ち上げ、黒炎を指差した。
「・・・若き月狼族の戦士、黒炎よ・・・その妖怪の名は、黒百合・・・」
「ッ!」
その名を聞いた途端、黒炎の表情が強張った。
「・・・そうだ・・・若き日の・・・主の母だ。」
蒼雷にそう告げられ、槍を持つ黒炎の手に、自然と力が加わった。
「当時・・・主の母の名を知らぬ者は、恐らく居なかっただろう・・・衰退しきったと思われた月狼族の名は、彼者の出現によって再び各地に轟いた・・・戦う姿は秀麗優美にして、勇猛果敢・・・族長の証である勾玉無しで、上位の妖怪に匹敵するとまで言われ、その美しさから『漆黒に咲く華』と呼ばれていた・・・が、彼者は決して自ら戦おうとはせず、馴れ合いも好まぬと聞いていた。」
黒炎の反応に対し、蒼雷は気にした素振りもなく、上げた腕を降ろし尚も語り続ける。
「彼者の噂を聞きつけた我は、何の迷いもなく彼者に戦いを挑んだ・・・そして我は、無様にも負けた・・・この体に刻まれし傷痕は、全てその時の物だ・・・」
そう言いながら蒼雷は、自分の体中に刻まれた傷を差した。
「そしてその時だ・・・先程の主と同じような事を言われたのは・・・」
そう言って蒼雷は、自嘲気味に苦笑を浮かべた。
「『あの相手より自分が強い・・・自分よりあの相手が強い・・・そんな下らない背比べの為に、力とは存在するのではない。』・・・彼者のその言葉は、今でも忘れられぬよ・・・」
蒼雷が再び苦笑を浮かべると、そこで一旦話が途切れた。
「・・・思えば・・・我も彼者も若かった・・・」
暫くの沈黙の後、不意に蒼雷が呟き、再び話しが再開される。
「あの時、彼者にそう言われても、我には理解出来なかった・・・それに我にとって、それが始めての敗北だった・・・それからは、ただ彼者に勝ちたい一心で、力と技を磨き続けた・・・気が付いた時には、我は勾玉を受け継ぐ事になっていた・・・だがその前に、我は彼者と今一度再戦を果たしたかった・・・だが彼者は、二度と我の手が届かぬ場所に、逝ってしまった・・・」
「あんた知ってるのか・・・母を倒したのが、刹那の手の者だと言う事を・・・」
心底残念そうに、蒼雷が最後呟くと、それまで黙って話を聞いていた黒炎が、不意に質問を投げかけた。
「あぁ・・・知っている・・・だがそれが何だ。所詮この世は弱肉強食・・・それが自然の掟だ。」
投げかけた質問に対し、蒼雷にそう言われ、黒炎は槍を握りしめ押し黙った。
「・・・それから我は、勾玉を継承し一族の長となったが・・・皮肉な事に、そうなって始めて、彼者のあの時の言葉が解った気がした・・・」
自嘲気味に苦笑を浮かべ、蒼雷は呟いたが、すぐに真剣な表情に戻り、対峙する黒炎を見据えた。
「今より半年程前・・・彼の半妖の少女が、我の前に姿を現した・・・その時だ。黒百合の事と、主の事を知ったのは・・・我が力を磨いていた間に、黒百合は母になっていたのだな・・・」
「・・・俺は母の事を、ほとんど覚えてなど・・・」
「主の母は、誰よりも強く、そして美しかった・・・偉大な女だ。」
不意に、複雑な表情を浮かべ呟く黒炎の言葉を遮り、蒼雷が力強くそう断言する。
その言葉に対し黒炎は、やはり複雑な表情のまま、苦笑を浮かべた。
『ッ!』
だが次の瞬間、二人の表情が強張り、島のほぼ中央にそびえる山の山頂を、ほぼ同時に振り仰いだ。
辺りに充満する妖気を物ともしない、強く強大な霊気を感じ取り、それまで戦い合っていたにも関わらず、二人は山頂を見つめる。
「・・・この感じ・・・宝仙か・・・」
山頂に視線を向けながら、黒炎は共に旅をしてきた人間の名を呟いた。
「・・・先程、主は我に問うたな・・・何故刹那とも、神威とも戦わぬのかと・・・」
不意の呟きに、黒炎は視線を元に戻し、蒼雷を見据える。
「あの日・・・彼者に敗れた際、我の再戦の申し出に難色を示していた彼者が、しつこい我に一つの約束を出したのだ・・・次に会う時まで、己から戦う事は止めよ・・・とな。しかし・・・約束した相手は、もう居ない・・・」
「・・・それが・・・あんたが刹那に従う理由か?」
「・・・いかにも・・・彼の少女から、主の事を聞いた時・・・その若さで、その身に勾玉を宿していると聞き、我は躊躇無くこの身に勾玉を宿した・・・そして彼の少女と契約を結んだ・・・主の相手は、我に務めさせよと・・・」
そう言って蒼雷は、再び戦いの構えを取った。
「若き月狼族の戦士よ・・・身勝手な願いと承知で請う・・・主の母との、果たせなかった約束を・・・今こそ叶えさせてくれ・・・」
その体から闘志を漲らせ、対峙した相手を見据えながら、蒼雷はそう語った。
それに対し黒炎は、蒼雷に向かってため息を吐くと、ゆっくりと槍を構えた・・・
「・・・本来ならば、願い下げたい所だ・・・あんたと俺の母の約束など、俺には何の関係もない・・・だが・・・」
そう呟き黒炎は、薄い笑みを浮かべ蒼雷を見据える。
「顔も覚えていない俺の母の事を、そこまで褒め称えられては・・・俺も退くに退けんな・・・良いだろう・・・海虎族の長よ、黒百合の息子黒炎が、全てを賭してあんたの想いに応えよう・・・」
「・・・かたじけない・・・いざ!」
黒炎の答えに、満足げに蒼雷が頷くや、不意に蒼雷の体に変化が起きた。
「ガルルルゥゥゥ・・・」
バチッ!バチッバチッバチッ・・・
蒼雷の胸の中央が、突然青白い光を発したかと思うと、体に浮かび上がった痣も青く光りだし、徐々にその体が雷の塊に変貌していく。
そして、それまで蒼雷の変貌を見守っていた黒炎の体にも、何の前触れもなく変化が起き始めた。
「グルルルゥゥゥ・・・」
ボワッ・・・
蒼雷と同じように、胸の中央から真紅の光を発し、同じく体に浮かんだ痣が、赤黒く光り出し、その姿を黒い炎の塊に変えていく・・・
「ガルルルゥゥゥ・・」
「グルルルゥゥゥ・・・」
互いに唸り声を発しながら、赤く光る黒炎の瞳と、青く光る蒼雷の瞳が重なった時、互いに大地を蹴っていた。
『ガオオオォォォーーーッ!!』
『ガアアアァァァーーーッ!!!!』
カッ!!
黒き焔と蒼き稲妻・・・変わり果てた二人の獣が、咆吼を轟かせぶつかり合い、辺りは眩い光に包まれた・・・
夜の闇さえ白く塗りつぶした光が、徐々にその光量を衰えさせると、そこには・・・
「・・・悪いな・・・俺は二度と負けるつもりは・・・無い。」
浅黒い肌の青年・・・黒炎が、大地に横たわる、巨大な青白い虎・・・元の姿に戻った蒼雷に、そう呟きかけた。
「・・・見事・・・だ・・・」
黒炎の呟きに反応し、横たわった蒼雷は、頭を少し持ち上げて、呻くように呟いた。
「・・・さすが・・・黒百合の・・・子息よ・・・」
「・・・俺は・・・俺だ。」
再び呟かれた蒼雷の言葉に、黒炎は目を伏せながら呟き返した。
「あんたは俺に、母の面影を求めている・・・だが俺は、あんたが戦い敗れた、母ではない・・・俺は、仕えるべき人と共に、これからを歩み続ける・・・だがあんたは、今ではなく過去を見ている・・・それが、俺とあんたの・・・小さくとも大きな違いだ。」
「フッ・・・やはり・・・親子だな・・・」
黒炎の言葉にそう返し、蒼雷は持ち上げた頭を、力無く大地に横たえた。
「・・・あんたの挑戦は、何時でも受けよう・・・が、次は母ではなく、俺を見ろ・・・」
「・・・フッ・・・小僧・・・が・・・」
その呟きを最後に、蒼雷は目を閉じ、深い眠りに堕ちていった。
「・・・ッ・・・」
それを確認した黒炎は、一瞬顔をしかめると、膝を折ってその場に崩れた。
「・・・さすがに・・・力を使い過ぎたか・・・」
そう呟くと同時、それまで黒炎の体に浮かび上がっていた痣が消え、手にした槍も黒い炎に変わり四散する。
「・・・聖は?」
だがすぐさま顔を上げると、自分の主の気配を探り始めた。
「ッ?!」
ちょうどその時、黒炎はすぐ側に現れた、探していた人物とは別の気配を感じ、慌てて背後を振り返る。
そこに立っていたのは、真紅の髪をした少女だった・・・
グラ・・・
その少女と目があった瞬間、黒炎は軽い目眩を覚えた。
「・・・クッ・・・これは・・・」
それが自分の体が、不安定に揺らいでいる所為だと気付くまでに、若干の時間を有した。
「・・・やはり・・・これが・・・貴様の能力の・・・正体・・・か・・・」
ドサ・・・
途切れ途切れに呟きながら、黒炎は白目を剥いて、その場に倒れ込んだ・・・
「グオオオォォォーーーッ!!」
夜の森の中に、蛇将の咆吼が轟く。
「クッ!」
その巨体とは裏腹な素早い動きと、強靱な尻尾が繰り出す攻撃に、私はなかなか思うように近づけず、苦戦をしいられていた。
せめて・・・力を溜めるだけの隙が在れば・・・でも・・・
もし力を溜められたとしても・・・私に、この子を伐つ事が出来るんだろうか・・・頭の片隅に、そんな考えが浮かんだ。
この子は何も悪くない・・・悪い事をしているという、自覚さえもない・・・ただ本能の赴くまま、刹那さんの命令に従っているだけ・・・
本当なら、育まれて産まれてくる筈なのに・・・この子は、人為的に作られて産まれてきた・・・
それはとても悲しい存在だと・・・私は思う・・・
そんなこの子を、私は伐てるんだろうか・・・
「グアゥッ!」
グオンッ!
「ッ?!」
考え事をして、私が油断を見せた隙に、蛇将の強靱な尻尾が私を捕らえた。
ドカッ!!
「・・・カハッ!」
お腹を強打され、息を詰まらせながら、私は軽々と吹き飛ばされてしまった。
ドゴンッ!!
「くっ・・・ぅ・・・ゴホッ・・・」
大きな岩に背中からぶつかり、ようやく勢いは止まると、少し遅れて痛みが全身に駆けめぐった。
「ゲァハッ!ゲァハッ!」
苦痛を堪えている私を見てか、まるで小さな子供のように、その場ではしゃぎ始める蛇将。
・・・やっぱり・・・強い!神威さんみたいに、空間彎曲は使えないみたいだけど・・・力だけだったら、間違いなく神威さんより・・・上・・・
今更、あの子が神威さんを元に、作られた事を確かめさせられた気がした・・・
私は、苦痛に顔を歪めながらも、何とか立ち上がると、私の背中に揺らめく羽織に手を掛けた。
・・・あなたは何も悪くない・・・でも私は、ここで立ち止まる訳にはいかないから・・・
心の中でそう呟き、私は握りしめた羽織を、背中から外した。
せめて・・・あなたの苦しみを・・・少しでもこの体に刻む・・・
「輪舞!!」
カッ!!
私の呼びかけに応え、羽織が光り輝くと、、その端と端が繋がり大きな輪っかの形に、その姿を変えていく。
「ギャアゥ?!」
今まではしゃいでいた蛇将は、急な光に驚いてか、目を庇いながら悲鳴を上げた。
やがて光は収まると、私は大きな円形の刀を携えていた。
私はゆっくりと、円形奇剣・輪舞を構え、蛇将と対峙する・・・
「グルルルゥゥゥ・・・」
言っても・・・仕方のない事だっていうのは解ってる・・・でも・・・
「・・・ごめんね・・・」
そう呟いて、両手で輪舞をかざす。
『・・・それで、本当にあなたは救われますか?』
ッ!
不意に、頭の中に直接聞こえてくる、女の人の声・・・
『あなたの心は・・・そして、あなたが対峙した者は・・・本当に救われますか?』
・・・孔雀明王珠・・・綾さん・・・
尚も続く、孔雀明王珠・・・その昔、綾と呼ばれていた女の人の声は・・・どこか悲しそうだった・・・
『彼と戦い・・・彼を倒す・・・それが、あなたの望んだ事なのですか?』
それは・・・ッ!
その時、神木のある山の方から感じた、とても強い霊気に、戦いの最中と言う事も忘れて振り返った。
この感じ・・・師匠?ッ!!
「グワアアアァァァーーーッ!!」
私がよそ見をしている隙に、蛇将が私に襲いかかってくる。
それを何とかギリギリで避けて、蛇将の背後に回り込んだ。
「グオオオォォォーーーッ!!」
ブオンッ!!
私が回り込むと同時、蛇将の太い尻尾が、うなりを上げて襲いかかってくる。
「クッ!」
ガキンッ!!
その攻撃を輪舞で受け止めようとしたけど、私と蛇将では、力に差が在りすぎて、簡単に弾き返されてしまった。
でもそれを見越した上で、弾かれると同時に後ろに跳んで、蛇将との距離を取った。
私は、地面に着地すると、また山に視線を向けた。
やっぱりこの感じ・・・師匠だよね・・・じゃあこれが、師匠の修行の成果なの?
『彼は諦めるという事をしない・・・何事にも妥協を許さぬ者は、常に上を目指す・・・だからこそ、理屈すら彼の前に平伏す・・・』
どういう意味?
「グオオオォォォーーーッ!!」
孔雀明王珠の声に答えつつ、素早く動く蛇将と、一定の距離を保ち続ける。
『彼は自らの力のみで、異なる二つの力を融合させた・・・それは我々と同質の力・・・』
・・・そっか・・・やっぱり師匠って凄いな・・・
『・・・それで、あなたはどうしますか?ここで妥協して、彼を滅ぼすか・・・それとも・・・』
私は・・・あの子を救いたい・・・でも、どうすれば良いのか解らない・・・
『・・・あなたに授けた私の翼・・・片翼にそれぞれ意味がある・・・それは『癒し』と『浄化』・・・』
・・・浄化?
孔雀明王珠の言葉に、私の中である考えがひらめいた。
『・・・あなたが本当にしたいと思う事・・・その気持ちが強い程、私はあなたの力になれる・・・その事を忘れないで・・・』
・・・うん。ありがとう・・・
そう呟いて、私は一人微笑んだ。
「グルルルゥゥゥ・・・グワアアアァァァーーーッ!!」
その時ちょうど、蛇将が咆吼を上げながら、私に向かって突進してくる。
それをギリギリまで見据え、寸前の所で身を翻す。
「グゥワ?!」
その瞬間、手にした輪舞を元の羽織に戻して、私の横を通り過ぎていく蛇将に投げつける。
すると羽織は、まるで意志を持ったかのように、蛇将の体を這いずるかのように蠢く。
そのまま羽織は、私の意志に従って蛇将の手足に絡まり、その動きを封じていった。
「ギャゥワァウ?!」
ズズゥン・・・
羽織の所為で体勢を崩して、そのまま蛇将は、大きな音を上げて地面に倒れ込んだ。
「ガアアアァァァーッ!」
地面に倒れ込んだ蛇将は、戒めから逃れようとして、大きな尻尾をばたつかせながら、必至になって藻掻いている。
でも羽織は、蛇将のもの凄い力でも、引きちぎれそうになかった。
私は、蛇将の尻尾に気を付けながら、ゆっくりと近づいていく。
私がこれからしようとしている事・・・それは結局、この子を倒す事と、そんなに違いはない・・・
意味が違うだけで、結果は同じ・・・この子の存在が、この世界から消えてしまう・・・
その事実は変わらない・・・解ってる・・・
「グアアアァァァーーーッ!!!!」
未だ暴れ続ける蛇将を余所に、私はゆっくりと目を瞑り、両手を胸の前で組んだ。
今この瞬間・・・この子を止められるのは・・・私しか居ないから・・・
過ぎ去った時間は・・・二度と取り戻せないって・・・解ってるから・・・
「・・・孔雀の翼よ・・・我が願いを聞き賜え・・・」
不意にゆっくりと瞳を開いて、頭に浮かんだ言葉を私が呟くと、蛇将の体にまとわりついた羽織が光り、同時に私の体も光り始める。
次第に光は私を包み込むと、徐々に翼の形に変わり、私はその翼を大きく広げた。
「汝の慈悲の光で、この者の束縛を解き放て・・・浄化!!」
そう叫んで、私は組んだ両手を離すと、そのまま蛇将にかざした。
すると、私の背中に生えた光の翼が、一度大きく羽ばたき、そこから光り輝く羽根が、いくつも蛇将に向かって降り注ぎ始める。
「グオ?!グオオォォォ・・・」
光の羽根が降り注いだ瞬間、蛇将が苦しげなうめき声を上げ始めた。
そして暫くすると、蛇将の体は金色の光に包まれていく。
私は、蛇将の側まで歩み寄り、その側に腰を下ろすと、蛇将の大きな顔を両手で持ち上げた。
「・・・汝・・・我が翼にて・・・一時の眠りに堕ちよ・・・」
そう呟いて、私は蛇将の顔を抱きしめた。
「・・・グルルルゥゥゥ・・・」
私の行為に対して、蛇将は唸り声を上げるけど、反抗する気配は全くなかった。
「・・・ごめんね・・・あなたは何も悪くない・・・だけど・・・ごめんね・・・」
頭を抱きしめて、私がそうこの子に呟くと、自然と涙が溢れ出した。
不意に、私の背中に生えた翼が閉じて、私と蛇将を包み込んでいく。
すると次の瞬間、蛇将の体が光の粒子に変わり、空へと昇っていった・・・
私は暫く、抱きしめる者が居なくなっても・・・それでも自分の腕で、自分を抱きしめていた・・・
「・・・バイバイ・・・今度は必ず・・・みんなに祝福されて、産まれてきてね・・・」
私が虚空に向かってそう呟くと、それまで私を包んでいた、光の翼がゆっくりと消えて、その代わりにそれまで蛇将の動きを封じていたはずの羽織が、私の肩の上でゆらゆらと揺らめいていた。
それから暫くして、私はゆっくりと立ち上がって、頬に伝った涙の跡を拭った。
ッ?!
その瞬間、私の背後に現れた、覚えのある妖気を感じて、私は振り返った。
「・・・蛇将のために涙を流すか・・・聖女よ。」
「・・・刹那さん。」
私が振り返ると同時に紡がれる言葉に、私はその言葉を口にした女の人、刹那さんの名前を呟いて、彼女を睨みつけた。
同時に、心の中に沸き上がってくる怒りと悲しみで、私は自然と手をギュッと強く握りしめていた。
「・・・教えてください・・・どうして・・・命を玩具にするような事をするんですか・・・」
言いたい事は他にもあったけど、私はこみ上げてくる感情を抑えながら、刹那さんにそう聞いていた。
そして訪れた、暫くの沈黙・・・
「あなたが望んだ世界は!こんなに犠牲を払ってまでして、作り上げる価値があるんですか!?」
一向に何も言おうとしない刹那さんに、痺れを切らした私は、自分でも驚く程大きな声を上げて叫んでいた。
「・・・犠牲無くして成り立つ世界など・・・この世に存在しない・・・」
私の叫びに、刹那さんはようやく、沈黙ではなく言葉で返した。
「・・・そうかもしれない・・・でもあなたのしている事は、その犠牲を増やす行為・・・」
刹那さんの言葉に対し、私はそう呟くと、背中の羽織に手を掛けた。
「あなたが・・・これ以上の犠牲を・・・舞ちゃんたちを手に掛けるって言うんだったら・・・私はあなたを許しません!」
そう言って、握りしめた羽織を背中から外して、刹那さんに向けて掲げた。
「・・・許さないと言うのなら・・・どうするつもりだ?」
ガサッ・・・
刹那さんがそう呟くと同時に、その背後の茂みから姿を現す一つの影。
それは・・・
「ッ?!クロッ!」
いつも私の側で、私の事を護ってくれている、私の一番のお友達・・・
漆黒の炎を思わせる毛並みの、元の大きな狼の姿に戻ったクロが、何故か刹那さんの横まで来ると、その場に腰を下ろして座り込んだ。
「・・・クロに・・・クロに何をしたの?!」
信じられない光景を前に、混乱する頭で私は、肩を戦慄かせながら刹那さんに対して、そう問いつめた。
「・・・さぁ・・・な。おまえの師に聞けばいい・・・」
「ッ!!」
事も無げにそう言い放った刹那さんに、自分でも抑えきれなくなった怒りから、我を忘れて刹那さんに襲いかかる。
「ハアアアァァァーーーッ!!」
握りしめた羽織が、私の意志に呼応して、眩い光を放ちながら、私の右腕にまとわりついた。
そしてその右腕を、躊躇い無く刹那さんに向かって放った。
ドンッ!バチバチバチッ!!
「ッ?!な・・・」
その次の瞬間の光景に、私は息を飲んで絶句した。
私が放った拳を、刹那さんは片手で防いだかと思うと、その部分でぶつかり合った力がせめぎ合って、お互いの力が自分に跳ね返っていた。
「・・・無駄だ。おまえの力は『光』・・・対して俺の力は『闇』・・・そして俺の一族は、仮にも神の末裔・・・おまえの力は、俺には通じん・・・」
「クッ!」
刹那さんにそう言われ、私は呻いてから後ろに跳んで、刹那さんと一旦距離を置いた。
「輪・・・ッ!!」
着地すると同時に、羽織を輪舞に変えようとした瞬間、クロが私と刹那さんの間に割り込んだ。
「ウウウゥゥゥ・・・」
「・・・クロ・・・」
唸り声を上げて、私を威嚇してくるクロを見て、これ以上どうして良いのか解らなくなってしまった。
ッ!そうだ、さっきみたいに浄化の力で・・・
「・・・先の蛇将と同様、孔雀明王珠の『浄化』の力で、この神獣をどうにかしよう・・・っと言うのならば、無駄な足掻きだ。」
「ッ!」
私が考えていた事を、刹那さんは簡単に言い当て、私は思わず息を飲んだ。
「孔雀明王珠の『浄化』の力は、体内に入り込んだ毒や病魔・・・それだけには留まらず、その者に掛けられた呪詛や術さえも無効化する・・・だからこそ、様々な術式で作り上げた蛇将は、その術式を無効化され消え去った・・・」
そう言って、刹那さんはクロの頭の上に、自分の手を置いて視線を向ける。
「だが・・・こいつに掛けられているのは、呪術とは少し感じが違う・・・確かに俺の妖気でこうなったが、今は妖気で操っている訳ではない・・・そして一度これに掛かると、俺ですら解除は不可能だ・・・」
「そんな・・・」
そう言われて私は、目を見開いて絶句した。
刹那さんの言葉を、真に受けるつもりはないけど、今クロが妖気で操られているんじゃないとしたら、刹那さんの言う通り、孔雀明王珠の『浄化』の力でもどうしようもなかった。
「・・・それでも、試さないで後悔なんてしたくない。」
暫くの間の後、そう言って私は、刹那さんを睨んで、ゆっくりと構えを取った。
「・・・クロを、返して貰います。」
「フッ・・・勇ましいな。ならば・・・三貴士は諦めるのだな。」
「ッ?!まさか・・・」
不意の刹那さんの一言に、私は体を強張らせて、目を見開いた。
「二兎を追う者・・・一兎も得ずだ。あの兄姉は今、俺の手の内にある・・・そして、おまえを慕う神獣も・・・」
「あなたは・・・」
事も無げにそう言う刹那さんに、また怒りがこみ上げ、我を忘れそうになるのを必死で押さえ込む。
「・・・いや、この場合三兎だな・・・」
私の怒りなど余所に、刹那さんは不意に言い直すと、神木のある山に視線を向けた。
「・・・どういう意味ですか・・・」
私は必至に怒りを押し殺しながら、油断無く聞き返した。
「・・・気付かないのか・・・まぁ無理もない。今は自分を抑えるのに必至のようだ・・・」
「どういう意味ですか!!」
挑発するような物言いに、私が堪らず声を荒らげて、もう一度聞き返すと、刹那さんはようやく私に視線を戻した。
「・・・おまえと前に会った時・・・俺は言ったはずだ。どんなに強かろうと、奴とて所詮人間・・・殺されれば死ぬ。」
「ッ!!」
その言葉に、私はハッとなって、それまで師匠の霊気を、強く感じていた山頂に顔を向けた。
さっきまでは、遠く離れているここまでハッキリと感じたはずなのに、今は全く感じられない・・・
戦いが終わったとも考えられるけど・・・どうしてか、とても嫌な予感がして仕方なかった。
「・・・私を・・・混乱させる気ですか・・・」
「・・・そう思いたいのならば、そう思えばいい・・・おまえが行かないと言うのならば、俺が行くだけだ・・・こんな形で、奴との決着を着けるつもりはない。」
私の言葉に対して、刹那さんがそう答えると、また山頂に顔を向けた。
けどすぐに顔を私に向けると、真剣な表情で私を見つめてくる刹那さん。
「・・・選ばせてやる。年端もいかぬ兄姉か・・・おまえを慕う神獣か・・・それとも・・・おまえが慕う宝仙か。おまえが選べ・・・」
「ッ!そんな・・・選べなんて!そんな事・・・」
「出来ない・・・か?ならば何も得ず、後悔するか・・・」
「ッ!!」
刹那さんにそう言われ、私は嫌がおうにも選択を迫られる。
そんな・・・誰かを選ぶなんて・・・
「・・・急げ。いくら何でも、これ以上血を流せば、宝仙だって保たない・・・」
ッ!
刹那さんのその言葉・・・どこか焦っているような感じがして、本当に師匠が危ないと思った。
師匠ッ!!
そう思ったと同時に、私の中の嫌な予感が一層膨らんで、気が付いた時にはもう、私は山を目指して走り出していた。
ごめんね・・・クロ、舞ちゃん・・・でも必ず・・・必ず助けるから!
見捨てた形になってしまった人たちに、私は心の中で謝りながらも、走る速度をどんどん上げていく。
音の壁を突き破り、神速の領域にまで達した私は、神木のある山頂まで一気に駆け上った。
「ッ!師匠!!」
私が山頂にたどり着くと、すぐに倒れている師匠の姿を発見した。
どうしたらそうなるのか・・・いつも着ている僧服はボロボロで、右腕の甲から肩の付け根までの肉が抉られ、そこから流れる血が、地面に赤い水たまりを作っていた。
私はすぐに師匠に駆け寄り、両手をかざして意識を集中する。
ヒュボッ!
すると、空気が破裂するような音が響いて、師匠の体が光の繭に包まれた。
「・・・ぅッ・・・?」
「ッ!師匠!!」
暫く意識を集中して、師匠の傷の治療をしていると、不意に師匠の口からうめき声が漏れて、うっすらと瞳を開けた。
「・・・聖か。」
「良かった・・・気が付いたんですね。」
意識を取り戻した師匠を見て、ほっと安堵のため息を漏らした。
「・・・大丈夫ですか?」
でもすぐに、師匠を気遣ってそう聞くと、師匠は深いため息を一つ吐いた。
「・・・これで・・・大丈夫に見えるのか?・・・血を・・・少し流しすぎた・・・それより・・・」
顔をしかめながらも、師匠はそう言うと、左手に持っている物を私に向かって差し出した。
「・・・何ですか?これ・・・」
差し出された物を私は受け取ると、それをしげしげと見つめながら、師匠に聞き返した。
それは、掌に収まるくらいの大きさの、透明な硝子の塊のような物で、その中心に小さな人形が埋め込まれていた。
「・・・天津の・・・娘だ・・・雲外鏡に・・・囚われていた・・・な・・・」
「ッ!」
師匠にそう言われて、私は食い入るように、受け取った物を見つめた。
「・・・それで・・・天津さんは・・・?」
「・・・逝っちまったよ・・・」
私がそう聞くと、師匠は凄く寂しそうに、ぽつりと呟いた・・・
「・・・そう・・・ですか・・・」
それを聞いて私は、胸が締め付けられそうな思いになった・・・
どうして・・・こうなってしまったんだろう・・・
みんな傷ついて・・・苦しんで・・・
辛い思いをしてまで・・・なんで私たちは、戦っているんだろう・・・
「・・・聖・・・おまえの力で、その娘の呪縛を・・・解いてやってくれ・・・」
「・・・はい・・・師匠?」
師匠の呟きに答えて、私が視線を向けると、師匠は目を閉じてしまった。
「・・・力を・・・使いすぎた・・・暫く眠らせてくれ・・・」
そう呟いたかと思うと、暫くしてから規則正しい寝息が聞こえてきた。
私は、それを見届けてから、手にした硝子の塊を、ソッと地面に置いた。
「・・・孔雀の翼よ・・・我が願いを聞き賜え・・・」
そして私は、ゆっくりと目を瞑り、胸の前で両手を組んで呟いた。
祈りを込めて・・・私は再び、孔雀の翼を大きく広げた・・・
『・・・それは・・・過去にあった・・・今に繋がる物語・・・』
・・・なんだ・・・これは・・・
聖に助けられ、眠りに堕ちたはずの俺の頭の中に、不意に浮かび上がる光景があった。
それは、始めて俺が静菜と出会った時の光景だった。
やがて場面は移り変わり、俺が初めて止水と呼ばれた時の事、俺が初めて妖怪と対峙した時の事と、流れるように忙しなく変化していく。
これが死に際に見るという、走馬燈だと言われれば、俺は素直に頷いてしまうかもしれない。
だが、今俺が見ている物は、走馬燈ではないと断言出来る。
何故なら、流れる記憶の数々は、俺の視点ではなく、全て静菜の視点から見た光景だからだ。
・・・これは・・・静菜の記憶なのか・・・いや、違う・・・
何故俺はそう思ったのか・・・断言は出来ないが、何故か漠然と俺はそう思った。
何故なら、確かにこの記憶の数々は、静菜の瞳に映った物なのだろうが、俺が見ているのは、更にその奥からだと言う事だ。
まるで、誰一人居ない観客席から、一人で能を見ているかのような、寒々しいまでの虚しささえ覚える。
そうか・・・これは刹那の記憶・・・静菜の目から視る世界・・・こういう事か・・・
俺がその事を悟る間も、記憶はどんどん流れていく。
何も出来ず、ただ人が見た物を、視る事しか許されない存在だった刹那・・・
そして今、立場は逆転し、刹那の見た物を、視る事しか出来ない静菜・・・
・・・こうも、むず痒いものなのか・・・ただ視るだけしか、出来ないと言う事は・・・
そう思った所で、俺の中に一つの疑問が生まれた。
これを俺に見せているのは・・・静菜か?
『いいえ・・・それは私です・・・』
ッ!誰だ・・・
不意に、俺の考えに割り込む、聞き覚えのない女の声。
『その昔・・・『綾』と呼ばれた存在・・・』
・・・孔雀明王珠か・・・
綾と名乗ったその声に、それが何者なのかを悟った。
・・・何故・・・俺にこれを見せる・・・始まりの聖母よ・・・
『・・・あなたと彼女達の因縁・・・それに涙を流す少女の為に・・・』
・・・余計な世話だな。
『・・・そうかも知れません・・・ですが、あなたは気付かなければいけない・・・』
静菜と同じ事を言う・・・
そんな俺達のやりとりの間も、流れ続ける記憶の波は止まる事もせず、俺の中に流れ込んでくる。
・・・だが・・・礼を言う。
記憶の波が、あの日の・・・俺達の別れの光景になった時、綾に向かってそう呟いた。
『・・・気付きましたか・・・それでこそ、この姿になって初めて私が、男性と意志を交わした甲斐があったというもの・・・』
その言葉と同時、それまで流れ続けていた、記憶の波が止まった。
そして、次第に薄れていく、綾の存在感・・・
『願わくば・・・彼女の為にも、あなたが辿ろうとしている結末は、選ばないで欲しいものですね・・・』
最後にそう聞こえたかと思うと、それっきり綾の気配は消え去った。
・・・俺だって、選びたくはないさ・・・だが・・・
綾の気配が感じなくなり、暫くすると徐々に意識が覚醒し始めるのが解る。
俺も刹那も・・・いい加減新たな一歩を踏み出さなければ、ならない時が来たのだ・・・
神無月第五日夕方
日が沈み掛け、空が赤く染まる頃、夕日と同じ色の髪をした少女が、山頂で神木を見上げていた。
赤い髪の少女・・・刹那の隣には、黒い体毛の巨大な狼、黒炎が座っていた。
「・・・刹那。」
不意に背後から呼びかけられ、刹那はその場で振り返ると、そこには青白い体毛の巨大な虎、蒼雷が刹那を見つめていた。
「・・・本当に良いのか?」
「・・・何を今更・・・」
蒼雷の言葉に、刹那はそう答えると、再び視線を神木へと向ける。
「主は・・・迷っているのではないのか?」
「・・・迷ってなどいない・・・それより、おまえ達の傷はどうだ?」
「・・・我も、黒炎も・・・すでに傷は癒えている。問題ない・・・」
「・・・そうか。では始めようか。」
刹那がそう言うと、それまで黙って座っていた黒炎が、おもむろに立ち上がり、神木に向かって歩き出した。
そのまま黒炎は、神木の周囲にある、三本の石柱の一本に近づき、その場に座り込む。
そして蒼雷も立ち上がると、神木に向かって歩き始めた。
「・・・正直俺は、おまえは自分の目的を果たしたら、俺の前から姿を消すと思っていた・・・」
蒼雷が神木に向かう為、刹那の横を通り過ぎようとした瞬間、不意に刹那が呟きを漏した。
その呟きを聞き、蒼雷は一旦立ち止まると、刹那を一瞥しすぐにまた歩き出す。
「・・・たとえ我の身勝手な願いとは言え、我は主と契約を交わしたのだ・・・我等にとって契約とは、命の次に尊重せねばならぬ事・・・」
そう言いながら蒼雷は、黒炎とは別の石柱の前で立ち止まった。
「フッ・・・義理堅い事だな・・・」
蒼雷の言葉を聞き、刹那は苦笑を浮かべると、懐に手を忍ばせる。
そのまま歩き始めると、黒炎と蒼雷が向かった場所とは別の、三本の内最後の一本の石柱の前で立ち止まった。
そして刹那は、懐から何かを取り出し、それをそのまま石柱の上に置いた。
刹那が石柱から手を退かすと、その上には純白の勾玉が、無造作に置かれていた。
不思議な事にその勾玉は、まるで息づいているかのように、今にも消え入りそうな、淡い光を放ち続けている。
「・・・準備は・・・良いか?」
石柱に勾玉を置くと、刹那は蒼雷に向かって声を掛けた。
「・・・何時でも。」
蒼雷の返答を聞き頷くと、刹那はそこから少し離れた場所に移動する。
十分離れた場所に移動すると、刹那はその場で振り返った。
「・・・これより淡嶋復活の儀に入る。」
不意に刹那がそう言うと、両目を深く閉じ、胸の前で両手を併せた・・・
空が赤くなる頃、私は御神楽家の廊下を歩いていた。
昨日の戦いで傷ついた師匠は、自分の部屋で今も眠ってる。
そして師匠が私に託した、封印されていた天津さんの娘さんは、孔雀明王珠の浄化の力で、その呪いを解く事に成功した。
けど未だ、意識を取り戻す様子はなくて、深い眠りの中に居る・・・
そして、お父さんである天津さんは・・・私が見つけた時には、もう手遅れだった・・・
孔雀明王珠の力は万能じゃない・・・例え明王化していても、亡くなってしまった人を、蘇らせる事は出来ない・・・
あの後、師匠の応急手当を済ませて、無事だった桜さんと合流して、師匠と天津さんの娘さん、天津さんの亡骸を御神楽家まで運んできた。
それから、桜さんと戦って傷ついた珠螺さんも、ほっとけないからと御神楽家に連れて行く事にした。
そして戻った私達が見たのは・・・一人御神楽家に残って、警護に当たっていた妙さんが、傷ついて倒れている光景だった・・・
幸い命に別状はなかったけど・・・その時、明王化していなかった私が、すぐに治せられるような傷じゃなかった。
けど妙さんの場合、体の傷よりもむしろ、心の傷の方が大きい・・・
『護れなかった・・・あの兄姉を・・・』
応急手当の間中、妙さんはずっとそう呟いていた・・・
その後、応急手当を済ませたら、妙さんは自分の部屋に戻ってしまった。
それから今まで、妙さんの姿は一度も見ていない・・・
それから、舞ちゃんたちが心配で、同じ部屋で眠っていた春香さんも・・・怪我こそ無かったけど、最愛の子供たちを失った衝撃で、床に伏せっている・・・
みんな・・・みんな傷ついてる・・・悲しみと悔しさに、心を打ちひしがれてる・・・
私と桜さんも、夜明けと共に少し休みたかったけど・・・何かをしていないと落ち着かなくて、みんなの看病をした後も、刹那さんの居場所を探し歩いていた。
けど・・・結局見つからずに終わって、私たちは御神楽家に戻ってきた・・・
それでも桜さんは、村の様子が気になるからと言って、そのまま村に行ってしまった。
私は師匠の様子が気掛かりだったので、御神楽家に着いた所で、私たちは別れた。
・・・少し・・・疲れたな・・・師匠の様子を見たら、少し眠ろう・・・
暗い気持ちを引きずりながら、俯き加減で廊下を歩いていく。
暫く廊下を歩き続けて、師匠の寝ている部屋の前で立ち止まって、閉めきられた障子に手を掛けた。
「・・・聖か。」
すると中から声が聞こえて、驚きながら障子を開いた。
「良かった・・・師匠、起きたんですね。」
安堵の表情を浮かべて、部屋の中に入ると、ちょうど師匠が布団から起きあがる所だった。
「今起きた所だ・・・大分眠っていたようだな・・・」
障子から差し込む、夕日の光を見て、師匠はそう呟いた。
「・・・心配を掛けたようだな・・・すまん。それで、状況はどうなっている?」
私に対して謝罪すると、やっぱり気になるのか、すぐに師匠はそう聞いてきた。
そしてその質問に、私は顔をしかめて俯いてしまった。
「・・・かなり悪いようだな・・・」
「・・・はい。」
私の表情を見て、あまり良くない状況に、私たちが追い込まれている事を、すぐに師匠は察した。
それから私は、師匠が寝ている間に起きた事・・・それを包み隠さず、すべて話した。
「・・・そうか・・・三貴士とクロが、刹那の手に落ちたのか・・・」
「・・・はい。」
今説明した事を、師匠は確認するように呟くのを聞いて、私は唇を噛みしめ、掴んだ袴の裾をギュッと握った・・・
「・・・そうか・・・すまなかったな・・・俺の所為で、おまえに辛い思いをさせてしまったな・・・」
「そんな・・・師匠の所為なんかじゃありません・・・」
私がそう言うと、師匠はおもむろに立ち上がって、ゆっくりと私の方へ歩み寄ってくる。
「あ・・・」
そして私の前に立つと、そっと私の頭に手を添えて、私の頭を優しく引き寄せた。
「・・・今にも泣きそうな顔して、我慢などするな。」
「ッ!師匠・・・」
私は師匠の胸に顔を埋めながら、溢れそうになった涙を必死で堪えた。
そのまま師匠の胸から顔を離すと、師匠の顔を見上げる。
「・・・今はまだ泣けません・・・クロや舞ちゃんたちを助けるまで。」
「・・・そうか。」
私の言葉に、師匠は嬉しそうに目を伏せると、私の頭を優しく撫でた。
「・・・今、改めて思う・・・強くなったな、聖。俺は素直にその事を、嬉しく思う・・・」
「・・・全部、師匠のお陰ですよ・・・」
師匠の言葉にそう言って、柔らかく笑って見せた。
「フッ・・・言うようにもなったな。」
「わわっ?!」
私の言葉に、師匠は苦笑を浮かべながらそう言うと、いきなり私の髪の毛をくしゃくしゃとかき混ぜ始めた。
「い、いきなり何するんですか!もぉ~・・・」
「フッ・・・柄にもなく、似合わない事言うからだよ。」
慌てて師匠の手を頭からどかして、抗議の声を上げると、師匠は苦笑を浮かべてそう答える。
「むぅ~!」
「・・・そっちの方がおまえらしいな。」
私が師匠に向かって唸ると、面白そうに笑いながら呟く師匠。
「・・・それより、これで刹那の隠された能力が、ようやくはっきりしたな・・・」
「え?」
けどすぐに笑顔を消して、真剣な表情になると、師匠は不意に呟きを漏らした。
「俺も一度、刹那のその力を浴びていた・・・が、たった一度きりで、確信は得られなかった。しかも、恐らくだが刹那自身、その時は自分の意志で使っていた訳ではないだろう・・・それにクロも、以前に一度浴びていたはずだ・・・神威との戦いの時、おまえの前に刹那が姿を現した時にな。」
「あ・・・」
そう言われて、私はあの時の事を思いだした。
あの時、私と刹那さんとの間に、クロが割って入った時・・・クロは自分の意志に反して、刹那さんの言葉に従って、道をあけた・・・
「その時の話を聞いて、よもやとは思っていたが・・・」
「その・・・刹那さんの力って、何なんですか?」
眉間に皺を寄せて、考え込む仕草を見せる師匠に、私はそう聞き返す。
「・・・奴の隠された能力・・・それは恐らく、『誘惑』と呼ばれる能力だ。」
「『誘惑』?」
師匠の口にした言葉を、私が確認するように言い返すと、師匠は一つ頷いて見せる。
「異性を魅了させる能力・・・それが『誘惑』と呼ばれる由縁だ。この力は、自分の意志で相手を操るのではなく、相手の意志で自分の思うように操る、暗示の一種だ。だから基本的に、効果中は気を一切使用しないので、おまえの『浄化』の力でも、恐らく解除は出来ないだろう・・・言うなればホレ薬のような能力だ。だから当然、同性相手には全くの無意味と言える。」
「それじゃ、効果が切れれば、クロは元に戻るんですね?」
「効果が切れなくても、意志の力で跳ね返せるだろう・・・俺が奴と初めて対峙した時、怒りで正気に戻ったようにな。だが一度掛かってしまうと、それも難しいか・・・」
そう言ってまた師匠は、考え込むように俯いた。
『ッ?!』
その時、私と師匠は、同時にある異変を感じて、お互い顔を見合わせた。
「・・・そうな・・・妖気が・・・」
そう呟いて私は、廊下に出てそこから見える島の景色を一望する。
・・・間違いない・・・あんなに島を覆っていた妖気が、どんどん薄れていく・・・
それまで島全体を覆っていたはずの妖気が、だんだん薄れて、消えていくのが解った。
「・・・神木だ。」
不意に師匠が、私の背後でそう呟くと、横を通り抜けて廊下に出る。
「俺は行くが、おまえはどうする?」
玄関に向かう方向に体を向けて、肩越しにそう聞いてくる師匠。
そんな事を聞かれても、もちろん私の答えは決まってる。
「行きます。」
「・・・よし、なら急ぐぞ。」
「はい!」
そう言って走り出した師匠の後を、私も走って追いかけた。
廊下を走り、玄関を抜けて外に出ると、迷う事なく神木のある山頂に向かう道に足を向ける。
その間も、この島を覆う妖気は、徐々に薄れていった・・・
「師匠!あれって・・・」
外に出て初めて気が付いた、山頂で起きている現象を見つけて、私は師匠に呼びかけた。
そこで起きている現象・・・それは、遠くから見える神木の周りに、三本の光の柱が、天に向かって伸びている光景だった。
その光景を見て、私の中に嫌な予感が走った・・・
「解ってる・・・急ぐぞ!」
「はい!」
そう言って、走る速度を上げた師匠に、置いて行かれないよう懸命に走る。
その時・・・
ゴゴゴゴゴ・・・・
『ッ?!』
不意に地響きが辺りに響き渡り、横にではなく縦に振動し始める大地に、私も師匠も思わず足を止めた。
「今度は地震?!一体何が・・・」
「・・・違う、あれを見ろ。」
不意に、私の言いかけた言葉を遮り、師匠は何処かを指差して、その方向を睨み付けながら呟いた。
言われるがまま、私は師匠が指差した先に目を向けた。
するとそこは、ちょうど浅瀬の辺りで、潮が大きく満ちたり引いたりを繰り返していた。
「・・・この島が・・・浮上を始めているんだ・・・」
「えっ?!」
師匠の思いがけない一言に、私は驚きながら振り返って、師匠に顔を向けた。
「とにかく今は、神木に向かうぞ・・・」
私が振り返ると同時に、師匠はそう言い残してまた走り始める。
「あっ!ま、待ってください!!」
急いで師匠を追いかけようとするけど、縦に振動を繰り返す大地の所為で、うまく走る事は出来ない。
けど師匠は、そんな事はお構いなしに、どんどん先を行ってしまい、私との差は開くばかりだった。
ゴゴゴゴゴ・・・・
悪戦苦闘しながらも、暫く走り続けると、ようやく山頂が見えてくる。
そしてそこに立ち止まって、神木を見つめている、師匠の後ろ姿も確認できた。
ようやく師匠に追いついて、私も神木に目を向ける。
「ッ?!」
その瞬間、その光景を目にした私は、目を見開き息を飲んだ・・・
「そんな・・・クロオオォォォーーーッ!!」
「ッ?!聖!!」
目の前に広がっている光景・・・遠くから見た、神木の周りにあった三本の光の柱・・・
その光の柱の一つに、大事な友達の姿を、私は発見した・・・
「待て!聖!!」
「いや!離して・・・離してください!!」
その光景を見た瞬間、我を忘れて走り出そうとした私を、師匠が羽交い締めにして止める。
「クロが・・・クロが居るんです!助けないと・・・クロ!クロオオォォォーーーッ!!」
師匠を振り払おうと暴れながら、私はクロの名を必死で呼び続けた。
けどクロは、光の柱の中で目を瞑り、とても深い眠りの中にいるのか、私の声に全く気付く気配はない・・・
「クロ!クロッ!!」
それでも私は、師匠の腕の中で、クロの名を叫び続ける。
その時師匠が、無理矢理私の向きを変えさせて、両手で私の肩を押さえると、力強く私の事を揺さぶった。
「落ち着けッ!!」
「ッ!」
耳をつんざくほど大きな声で、師匠が私に向かってそう言うと、ようやく私は我に返って、師匠を見つめた。
「・・・今ここで、おまえが行って・・・取り返しの着かない事になったらどうする。今何が起こって、何がどうなっているのか、ろくに調べず行けば・・・助けられる者も助けられなくなるだろうが!」
「あ・・・ぅ・・・ッ・・・」
その言葉を聞いて、全身の力が抜け落ち、私は力無く地面に座り込んだ。
「助けたいんだろう・・・なら、今は我慢しろ・・・」
「ッ・・・はい・・・」
肩を戦慄かせながら、師匠の言葉に、掠れる声で私は答えた・・・
「宝仙君!」
その時、桜さんの声が聞こえてきたけど、私は振り返らなかった。
「一体何が・・・何があったの?」
桜さんは、勢いよく言おうとするけど、一旦間を置くと、訝しそうに言い直す。
多分、今起きてる現象よりも、今の私の状況の方が気になったんだと思う。
「・・・ちょうど良い所に来た。桜、おまえは聖を連れて、御神楽家に戻れ・・・」
「え?でも・・・」
「・・・おまえも聖も寝ていないんだろう・・・少し休め。何か解ったら、後で全部説明する・・・村人も混乱しているだろうが、そっちも俺に任せろ。」
「・・・解ったわ。さ、聖さん・・・」
師匠の言葉に、暫く考えるだけの間を置いて、最終的に桜さんはそう答えた。
そして、今も地面に力無く座り込んでいる、私の肩に手を添えると、優しく立ち上がらせる。
それに私は、素直に従って立ち上がった・・・
「・・・それじゃ私達は、見回りの時間が来るまで休んでるわよ。」
「・・・いや、もう見回りも必要ない・・・刹那には、俺達を襲うだけの戦力も、その気ももう無い・・・『千引の岩』を開く、四つの鍵が全て揃ったのだ・・・」
「ッ・・・そう・・・始めてしまったのね・・・」
「・・・この場は俺に任せ、今はとにかく休め・・・これから先、何が起きるか俺にも解らん・・・ただ一つ解っている事は、二日後・・・七日目に、封印は解かれると言う事だ・・・奴は俺達に、約一日分の猶予を与えたのだ・・・この貴重な時間を、無駄にしない為にも・・・今おまえ達は休め。」
「・・・そうね・・・解ったわ。明日は・・・忙しくなりそうね・・・」
そこで桜さんと師匠の会話は途切れて、桜さんに促されるまま、私は歩き始めた・・・
クロ・・・クロッ!
その間も私は、ずっとクロの事を心配していた・・・
神無月第六日夜
ズズズズズ・・・
部屋の縁側から、俺は外を眺めながら、今までとこれからの事を考えていた。
昨日の夕方に起きた地震は、今も尚続いているが、揺れの大きさは大分小さくなってきた。
だが思った通り、島は浮上を始めており、今では沈んだ島の部分も、大分海の中から姿を現していた。
この速度と、あの壁画の地図とを考え併せると、恐らく明日の朝には、この島は完全に浮上すると思われる。
ここからでは見えないが、そうなれば恐らく、淡嶋もその姿を現す事になるだろう。
その時、何が起こってもおかしくはない・・・俺に出来る事は、被害を最小限に抑える事ぐらいだ。
あの後、俺は一人村に行き、混乱する島民達を落ち着かせるのに苦労した。
結局その後、島民を落ち着かせたものの、不安は拭えず、そのまま俺は村の見回りを一人でこなした。
そして朝を迎え、俺は島民達に一つの提案をした。
その提案とは、島民達をこの島から、本土に避難させる事だった。
最初は難色を示していた島民達だったが、今後どうなるかも解らない、切迫した状態だと言う事は解ったらしく、さほど苦労もせず島民達は納得した。
春香は、子供達の事を心配して、残ると言っていたが、残った所で彼女に出来る事は何もない。
残酷なようだが、それが現実・・・少々強引ではあったが、無理矢理黙らせて後は妙に任せた。
そして、天津の娘慈乃が、今日の昼頃目を覚まし、俺は事の顛末を包み隠さず話した上で、島民達と一緒に避難してもらった。
彼女には申し訳ないとは思っている・・・父の死を知っても、悲しむ暇すら無かったのだからな・・・
出来ればもう少し、彼女には付き合ってやりたかったが、今の俺達にそんな暇も余裕もない。
だがそこは天津の娘、父の死を知っても気丈に振る舞い、現状を察した上で、何も言わず島民の避難を手伝ってくれた。
言いたい事、聞きたい事もあっただろうに・・・天津の亡骸を弔う暇もなく、彼女も春香同様、妙に任せて避難してもらった。
だが実際には、今の妙よりもむしろ、慈乃に二人を任せたと言った方がいい。
先日の戦い以降、今朝まで妙は宛われた自室にこもっていた。
俺達がこの島に来て、初日の見回りで十二人の村人が犠牲になり、日を置かず次の日には、妙の目の前で御神楽家の子供達がさらわれた。
妙は間違いなく一流の忍びだ・・・だが、それは結局人間相手に限っての事だ。
俺達や天津のように、彼女には妖怪との戦闘経験が、あまりにも不足している。
だからこそ、雲外鏡が呼び出した、あの不気味な生物との戦いで、実体が無い事に油断を見せた。
もしあの場に俺が居なければ、彼女は今頃墓の下だったろう・・・それは彼女自身が、一番よく解っている筈だ。
そして、刹那と対峙して、手も足も出ず・・・彼女の自信は完璧に崩壊した。
今の彼女には、全く覇気が感じられなかった事が、それを如実に語っていた。
雲外鏡の封印が解け、目が覚めてそれほど時間も経っていない慈乃には悪いが、現段階で頼れそうなのは、彼女以外に居ないのが現状だった。
それから話し合った結果、桜の式神で島民達を避難させる事になった。
なので今この島には、俺達以外誰も居ない・・・
・・・静かなものだな・・・
未だ島は鳴動しているが、島民が居ないだけで、島の雰囲気は一変する。
島民達を全員避難させる為、式紙を使い続けた桜は、さすがに疲れが出たのか、もうすでに休んでいる。
その桜と戦った玉螺も、未だ眠り続けている。
そして俺は今日一日、島民達を避難させている間、その場は桜と慈乃に任せ、神木で起きている現象の調査をしていた。
その場には聖も居たが、何もせずただ神木を・・・と言うよりかは、光の柱の中に居るクロを、心配そうに見続けていた。
奪い奪われを嫌う聖にしてみれば、刹那に迫られた時、クロではなく俺を選んだ結果、こうなってしまったのだ。
押し迫られた状況とは言え、俺やクロ、そして三兄姉を天秤に掛けてしまったのだ・・・今の聖は、刹那に対する怒りよりも、むしろ自己嫌悪に苛まれている。
その所為で、昨夜もろくに眠れなかったようだ・・・
こんな時、掛けてやれる言葉の一つでも在ればいいのだが、何を言った所で陳腐な台詞になってしまうのがオチだ。
こればかりは、自分自身で踏ん切りを着けなければ、前に進む事は出来ないだろう。
そんな思いから俺は、神木の調査をしている間、聖とほとんど言葉を交わさなかった。
そして、神木の調査をして解った事は、あの現象は元々神木に施された術式を、更に強める為の儀式だと言う事くらいだ。
元々あの神木には、妖気を浄化する上で、神木の力を強める仕掛けが施されていた。
それがあの三本の石柱・・・クロはその一角、月讀の刻印が刻まれていた石柱から、発せられていた光の中に居た。
そして、他の二本の柱の中にも、それぞれ天照・須佐之男の刻印が刻まれた石柱があり、その中には白い勾玉と、海虎族・・・蒼雷と言ったか・・・が、クロと同じように中に居た事から考えると、それぞれの一族に伝わる勾玉の力で、石柱の効果を強めたと考えるのが妥当だろう。
そして、これは予想通りだが、故意にこの島に集められる妖気こそが、この島が沈む原因・・・『淡嶋』を封印する為の儀式だった。
そしてその妖気を取り払う事によって、島の封印は解かれ始めていると言った所か・・・
クロを覆う光の柱・・・あの儀式を止める手だては、今の所無いと言っていい。
あの力は、人の領域を越えている・・・それを、人である俺達がどうこうしようと言う方が無理な話だ。
壊す事は恐らく可能だろう・・・だがその場合、何が起きるか解らない・・・
触らぬ神に祟り無しとは、よく言ったものだ・・・今は静観するしかないと言うのが現状だ。
だが、これは予想だが・・・恐らく、この島が完全に浮上すれば、あの儀式は止まると思っている。
何故なら、術式には必ず解除方法が存在すると同時に、もう一度その術式を発動させる方法も、必ず存在するからだ。
今回の場合で言うならば、島が封印される術式となったのは、この島に存在する、逆螺旋に並べられた鳥居だ。
その意味合いの『取り込み蓄える』によって、神木目指してこの島にやってくる妖気を、故意に留まらせた。
そして神木には、妖気をある一定に保つ為の仕掛けが、元々施されている。
クロ達三神獣の一族に伝わる勾玉は、その仕掛けの効果を、増幅させる事が出来る・・・
だが、その勾玉の力とて無限ではない・・・何時か疲弊し、使い物にすら成らなくなってしまう・・・
それに、封印する必要がないのならば、このような仕掛けを作るはずもない。
それらを併せ考え、浮かび上がる疑問・・・何処でその効果を終わらせるか・・・
つまり、神木の力を、増幅させても意味が無くなれば、あの儀式は止まる。
それはそのまま、この島が浮上した時と考えるのが妥当だ。
ならば、下手に手を出すよりも、今のままの方が得策だ。
それに予想が外れていたとしても、その時にまた考えれば良いだけの事・・・
問題があるとすれば、クロの体力が保つかどうかと言う事ぐらいだが・・・あの馬鹿犬の事だ、二・三日あのままでも大丈夫だろう・・・うん?
それまで、今の状況を整理していた俺は、部屋の廊下側に人の気配を感じ、肩越しに振り返った。
この家の中には、限られた者しか居ない・・・桜はすでに眠っているはずだし、この島を覆っていた妖気が無くなった今、妖怪である玉螺ならば、すぐに感知出来る・・・俺以外に起きている人間となると・・・
「・・・師匠・・・起きてますか?」
廊下側の障子越しから、慣れ親しんだ女の声が聞こえてきた。
「・・・あぁ。」
俺は聞こえてきた聖の声に、一旦間を置いて答える。
「・・・入っても・・・良いですか?」
「・・・別に・・・断る必要なんて無いさ・・・入って来いよ。」
俺が促すと、ようやく部屋の障子が開き、そこから聖が中に入ってくる。
聖が入ってくるのを確認してから、俺は顔を元に戻した。
「・・・どうした、眠れないのか?」
「・・・あの・・・隣、良いですか?」
俺の質問には答えず、聖がそう聞いてきたので、振り向かず頷いた。
すると暫くしてから、俺の隣に聖が膝を抱えて座った・・・
ズズズズズ・・・
それから暫く、俺達は無言のまま、そこから見える景色を静かに見つめた。
聞こえてくるのはただ、島が鳴動する地響きのみだった・・・
「・・・あの・・・師匠・・・」
更にそのまま沈黙を続けていると、不意に聖が口を開いた。
「・・・うん?」
「私・・・やっぱり強くなんか無いです・・・」
「・・・そうか。」
互いに顔すら向ける事なく、緩やかに言葉を交わしていく。
聖と一緒に今まで旅をしてきて、重苦しい雰囲気になった事や、いがみ合った事も数多くあった。
今もまた、重苦しい筈なのに・・・何故か心は、穏やかそのものだった。
「・・・自分の弱さを、認められると言う事は・・・誰にでも出来る事じゃない・・・」
暫く、穏やかな心地に身を寄せていた俺は、不意に誰に言うでもなくそう呟く。
「強さなんて物に、定義なんて無い・・・今の自分が弱いと思うのならば・・・明日の自分は、今よりも少しだけ強くなれば良い・・・それでも弱いと思うのならば、更にその次強くなれば良い・・・俺は・・・今までそう思って生きてきた・・・」
ただ独り言を語るように、俺は虚空に向かって呟き続ける。
「昨日よりも今日・・・今日よりも明日・・・大切な事は、過ぎ去りし日々の、弱かった自分じゃない・・・今の自分の弱さを認め、それを標に明日をどう生きるか・・・これからを、どう歩むか・・・俺はそう思う。」
「私・・・今までクロにたくさん助けられたのに・・・あの時・・・助けてあげられなかった・・・」
俺の言葉に、それまで黙って聞いていた聖が、不意に口を開いた。
「・・・何時か言ったな・・・おまえは、今の自分に出来る事をすれば良いと・・・今・・・後悔したいのならば、すれば良い・・・誰もそれを悪いとは言わせないし、俺が言わせない・・・だがな、おまえがそこに座り込んでいるだけでも・・・俺とこうしているだけでも・・・時間は勝手に過ぎていく・・・何も好転などしないんだ。だから・・・」
そう言って、そこで初めて聖に視線を向けた。
「俺を・・・逃げ場にするな・・・」
「ッ?!」
俺のその一言に、聖は顔を強張らせながら、俺に視線を向ける。
暫く、聖と視線を交わらせていたが、不意に俺は視線を逸らし、またそこから見える景色に向けた。
「何時か・・・鈴音に言われた事がある・・・俺のこの手で・・・血に染まったこの手で・・・少なくとも、自分も兼道も救われたと・・・」
そう言いながら、俺は右腕を持ち上げ、眼前で握り拳を作り、左手で軽く撫でた。
何時か言われた、俺に対する鈴音の感謝の言葉・・・
不意に、両腕を元の位置に戻すと、視線を再び聖に向けた。
「・・・俺は別に、おまえに英雄になって欲しい訳じゃない・・・ただ、忘れないでくれ・・・おまえに出逢えて、少なくとも俺は救われた・・・感謝している・・・」
「師匠・・・」
あの時鈴音に言われた言葉を、そのまま引用し、今度は俺が聖に伝えた。
俺の言葉を聞き、俺の事を呼ぶと、不意に聖は視線を逸らした。
「私・・・不安だったんです・・・今まで三人でずっと旅をしてきて・・・これからも続くと思ってた・・・なのに私の所為でクロが・・・いつも側に居てくれたクロが居ないだけで・・・胸にポッカリ穴が開いたような気がして・・・」
不意に聖の口から漏れる、涙混じりの独白・・・
皆を助けるまでは、泣かないと言っていた聖が・・・クロが光の柱の中に囚われているのを目にしても、堪えていた涙が、静かに流れ始めた・・・
「泣いちゃ駄目だって・・・絶対助けるんだって思ってたのに・・・気が付いたら私、また師匠を頼ろうとしてた・・・」
「・・・泣きたい時は、泣けば良い・・・俺にそれを思い出させてくれたのは、他でもない・・・おまえだろう。」
そう言って俺は、聖の肩に手を回し、側まで引き寄せた。
「ッ・・・ぅ・・・うぅ・・・」
暫く、小さな嗚咽を漏らしながら、聖は俯き静かに泣いていた・・・
ただ俺は、聖が泣く度少しづつ、泣きやむまで少しずつ・・・肩に回した腕に、少しづつ力を加えていく・・・
暫くそうしていると、ようやく泣きやんだ聖は、顔を上げて俺を見つめてくる。
「・・・スン・・・グス・・・私・・・絶対クロを助けます・・・舞ちゃんたちも助けます・・・」
「あぁ・・・」
「スン・・・それで・・・ちゃんと舞ちゃんたちを、お母さんの所に連れて行きます・・・」
「あぁ・・・そうだな。」
「それで・・・それで・・・また三人で、一緒に旅に出ましょう・・・」
「・・・聖。」
「スン・・・はい。」
それまで、聖の言葉に頷いていた俺だったが、最後は頷かず呼びかけた。
伝えなければ・・・この戦いが終われば、今の俺達には戻れぬと言う事を・・・
「・・・おまえに、伝えなければ成らない事がある・・・」
「・・・え?」
俺の呟きに聖は、顔を強張らせ聞き返してくる。
「・・・俺の旅・・・宝仙の旅は、この島で終わりだ。」
「それって・・・どう言う・・・事ですか・・・?」
俺の言葉を聞き、聖は声を震わせながら聞き返した。
同時に俺は、聖の肩に回した腕を、ゆっくりと降ろした・・・
「明日・・・おまえと出会った宝仙は・・・今までおまえと旅をしてきた宝仙は・・・この世から消え去る・・・」
「ッ!そ・・・んな・・・」
「その時、おまえが望むのならば、おまえが・・・宝仙を名乗れ。十四代目、金剛夜叉明王珠継承者『宝仙』の名を・・・」
そう言って俺は、真剣な表情を浮かべ、聖に顔を向ける。
それで聖も、俺が本気と察したのか、肩を振るわせながら俯いてしまった・・・
「・・・それで・・・師匠はどうするんですか・・・この島を出てから、どうするんですか?」
「・・・さあな。その前に、この島を無事に出られるかどうか・・・それすら怪しい。」
震える声で呟く聖に、俺は軽くそう言って答えた。
それから、暫くの沈黙が訪れた・・・
「・・・嫌です。」
「うん?」
不意に聖が呟いて顔を上げると、力強い瞳を俺に向けてくる。
「そんなの・・・嫌です。クロを助けても・・・師匠が居なくなっちゃうなんて・・・そんなの嫌です!」
それまでの、震えていた声音とは裏腹に、聖は力強くそう言うと、俺の僧服を握りしめて、顔を俺に近づけてきた。
「私は、師匠とクロと・・・三人が良いんです!誰も欠けちゃ駄目なんです・・・それに私は、まだ知らない事が色々あって・・・師匠にこれからも教えて貰わないと、立派にお務めだって出来ません!」
「・・・おまえに教えてやれる事なんて、もう何も・・・」
「在ります!」
俺の言葉を遮り、聖が俺に向かってそう叫んだ。
「在るんです・・・在ってください・・・」
「聖・・・」
だがその叫びの後は、それまでの勢いとは打って変わって、弱々しく俯き、掠れた声で懇願してくる・・・
だが、俺の僧服を掴んだ手は、未だ強く握りしめられていた。
「これからも・・・私の師匠で居てください・・・これからも一緒に・・・」
「・・・この世に、永遠なんて物は存在しない・・・」
「ッ!!」
俺のその一言に、聖の肩が一瞬震え、僧服を掴んでいた手からも力が抜けた・・・
「始まりが在れば・・・何時か必ず・・・それが例え嫌でも、終わりは来る・・・元々、宝仙という名は、刹那と決着を着けた時、捨てるつもりだった・・・でなければ俺は、何時までも止水と呼ばれていた日々に、別れを告げられない・・・新たな一歩を踏み出す事が、出来ないんだ・・・」
「・・・ぅ・・・ヒック・・・」
そう語っていると、聖の口からまた嗚咽が漏れ始める。
そんな聖の頭に俺は、右手をソッと乗せた・・・
「・・・だが、一つ困った事があってな・・・そうなると、俺にはまた名が無くなってしまうんだ。」
「・・・え?」
俺の言葉に、瞳を潤ませながら、聖が顔を上げると、不思議そうに聞き返してくる。
そんな聖に俺は、その頭を優しく撫でながら、苦笑を浮かべて聖に向けた。
「新しい俺の名前・・・付けてくれないか?おまえに、付けて欲しいんだ・・・」
「あ・・・」
その言葉に、聖が一瞬嬉しそうな顔になったが、すぐに頬を膨らませて、拗ねたような顔を向けてくる。
「嫌です・・・これからも、私たちと一緒に旅をしてくれるって・・・約束してくれないと嫌です。」
いきなりそう言われ、一瞬面食らいしたものの、すぐに苦笑を浮かべる。
「・・・そうだな・・・それも、良いかもしれんな・・・十四代目『宝仙』様の、身を護る為に殉ずるのも・・・」
「様だなんて・・・でも、ちょっとだけ良い気分ですね~」
俺の言葉に対し、聖は悪戯っぽい笑みを浮かべて返した。
それに対し俺は、苦笑を浮かべたまま、肩を透かせて見せる。
「・・・で、おまえなら、俺にどんな名を与える?」
「う~ん・・・」
俺がそう聞くと、聖は視線を上に向けながら、暫く考え込む仕草を見せる。
だがすぐに何かを思いついたのか、明るく笑いながら俺に顔を向けた。
「『蒼天』!」
「・・・そら?」
「はい!『蒼天』と書いて『そら』・・・どこまでも青くて・・・どこまでも続く・・・雄大で自由な・・・そんな空・・・」
俺の聞き返しに、元気よく頷いた聖は、そのまま視線を上へ・・・今は暗い夜の空に向けた。
「・・・何故・・・空なんだ?」
「・・・師匠みたいだから。雨の空、晴れの空、曇りの空・・・その時によって、色々な表情を浮かべる空・・・厳しい時もあるし、怒ってる時もある・・・でも晴れた日は、とっても暖かくて優しい・・・そんな空。」
そう言って聖は、顔を俺に向けた。
「誰にでも厳しい・・・自分にも厳しい・・・怒るとちょっと怖いけど、でも・・・とっても暖かくて優しい時もあって・・・それに、誰にも縛られないで、どこまでも自由で・・・師匠みたいだから。だから・・・『蒼天』。」
「・・・そうか・・・良い名だな。」
「はい!だって、私が付けたんだもん・・・」
不意にそう言うと、聖は俺にもたれ掛かり、俺の体に両手を回した・・・
「・・・どこまでも大きくて・・・とっても暖かい・・・そんな『蒼天』・・・」
「・・・聖。」
呼びかけ、顔を上げた聖の瞳は潤み、頬はほんのりと上気していた・・・
暫く見つめ合っていると、どちらからともなく顔を近づけていく。
「・・・ん・・・」
唇同士が重なり合う瞬間、互いに瞳を閉じた・・・
そして聞こえてきた、聖の甘く漏れる声・・・
「ん・・・んぅ・・・」
聖との、二度目の接吻・・・初めての時とは違い、今度は互いの温もりを確かめ合うような・・・誓いの口づけ・・・
暫くの間の後、顔を近づけた時のように、どちらからともなく唇を離した・・・
長い接吻を終え、聖の瞳は更に潤み、頬も先程よりも上気している。
そして、俺の体に回した聖の腕に、更に力が加わった・・・
「・・・中に入るか?」
聖の肩に手を添えながらそう聞くと、意味を察したのか、顔を伏せながらも頷く聖。
それを確認してから俺は、聖と共に立ち上がり、部屋の中へと促した・・・
そして・・・後ろ手で、外に繋がる縁側の障子を・・・静かに閉めた・・・
神無月第七日深夜
ズズズズズ・・・
日付が変わり、遂に来るべき日が来た・・・
未だ島の鳴動は収まらず、部屋の中には地響きが絶えなかった。
「ん・・・うん・・・」
そしてもう一つ、布団の中で安らかに眠る、聖の寝息も聞こえてくる。
一昨日昨日と、ろくに眠っていないのだ・・・無理もないだろう。
俺は、上半身裸で布団の横に座り込み、安らかに眠る聖の寝顔を見ていた。
時折聖が寝返りを打つ度に、布団をかけ直していた。
そうしなければ、風邪を引いてしまう・・・布団の中の聖は、裸のままだった。
・・・全く・・・情けねぇな・・・この俺が、十も年下のこんなガキに、惚れるとは・・・
そんな事を思い、苦笑を浮かべながら、聖の前髪が目に掛からないよう、俺は自分の指で梳かした。
「ん・・・ししょう・・・」
不意に漏れた寝言に、俺はそれまで浮かべていた笑みを消すと、真剣な表情で聖を見つめた。
この寝顔を、目に焼き付けるように・・・その姿を焼き付けるように・・・ジッと見つめる。
「ぅ・・・うぅ~ん・・・」
その額、その頬、その手・・・眠る聖の体に手を添えた・・・その温もりを忘れぬように・・・
「・・・嘘つきな師匠で・・・すまんな・・・」
暫くそうして、聖の存在を確認すると・・・俺は一人呟いた。
そして聖の体から手を退け、おもむろに立ち上がると、縁側の障子の前に立った。
障子を少し開くと、何も着ていない上半身に、冷たい冬の夜風が当たった。
それ以上障子は開かず、そこから外を見つめ、俺は考えを巡らせる。
俺との決着を、ただ着けたいだけならば、今すぐにでも来ればいい・・・そうでなくとも、この島に着いてから、俺が一人で行動をしていた時にでも、姿を見せれば良かったはず・・・
だが奴は現れなかった・・・その理由は、至って簡単・・・
奴は俺との決戦の地を決めている・・・しかも、俺がそれに気付くのを承知の上でだ。
そして、それに気が付いた上で、奴は俺が邪魔をしないと、恐らく確信しているのだろう・・・
確かに・・・俺達には相応しい場所かもしれんな・・・
「・・・うぅ~ん・・・」
そこまで考えて、聖の寝息が聞こえ振り返ると、眉間に皺を寄せ寝返りを打った。
その時ちょうど、布団の中から素肌のままの背中と肩が出てしまい、あまりにも寒々しく見えた。
「・・・フッ。」
俺は苦笑を浮かべると、開いた障子を閉じ、布団へと歩み寄った。
そして布団を少しずらし、聖の横に潜り込む。
「ぅ?・・・う~ん・・・」
布団に入ると、聖はまた寝返りを打って俺の方を向き、そのまますり寄ってくる。
どうやら、俺の体温に反応したらしい。
「・・・スゥ~・・・スゥ~・・・」
そのまま静かな寝息を起て始める聖の首の下に、自分の腕を入れて枕代わりにする。
そして、布団を聖の肩まで被せ、俺自身もくるまる。
この温もりを、今は素直に幸せだと感じる・・・せめて今は何も考えず、この温もりを感じていよう・・・
聖の目に掛かった前髪を、片手で退かしながら俺は、ただこの温もりを、手放したくはないと思っていた・・・
永遠などと言う物が、存在しないとしても・・・この時が永遠になればと・・・そう思っていた・・・
夜が明けるまで俺は・・・飽きる事無く、まだ少女と言っていい、聖の温もりを感じながら過ごした・・・
そして遂に・・・夜が明けて、その日がやって来た・・・
師匠と刹那さん・・・二人の決戦の日が・・・
神無月第七日朝
ズズズズズ・・・
まだ島は、小刻みな振動を繰り返している。
「・・・準備は良いか?」
一夜を同じ部屋で過ごした師匠が、錫杖を手に取りながら私に聞いてくる。
シャラン・・・
「・・・はい。」
私も錫杖を手に持って、真っ直ぐ師匠を見つめて返事をした。
「よし・・・行くぞ。」
「はい。」
そう言って部屋を出た師匠に続いて、私も部屋を後にした。
御神楽家の長い廊下を歩いて、玄関から外に出ると、そこにはもう桜さんが私たちを待っていた。
「・・・遅いわよ。」
「フッ・・・すまんな。」
師匠が桜さんの横を通り過ぎようとした時、不意に桜さんがそう呟いて、私の横に並んで師匠の後に続いた。
そのまま私たちは、急ぐ訳でもなく神木のある山頂を目指す。
暫く、無言のまま歩き続けて、私たちは山頂までやって来た。
そこには、この間見た時と同じ光景が広がっていた・・・
クロ・・・
三本の光の柱に囚われた、クロの姿を見て、私の中にまた悲しみがこみ上げてくる。
けど今度は取り乱したりなんてしない・・・
大丈夫・・・きっと大丈夫・・・
強くそう思って、私は心を落ち着かせる。
「・・・もう少しか。」
「・・・そうみたいね。」
不意に師匠が呟いて、それに桜さんが答えた。
見てみると、二人とも顔を北側の海に向けていたので、私もそっちに視線を移した。
「ッ!何あれ・・・島?」
私が向けた視線の先には、最初にここに来た時には見えなかった島が、海の上に浮かんでいた。
「『淡嶋』だ。」
「淡嶋?」
私の疑問の声に、師匠が呟いて答えた。
確認するように言い返して、私はその島を見つめた。
「・・・あそこに、刹那は居る・・・御神楽家の三貴士もな。」
「ッ!あそこに・・・」
師匠にそう言われて、私は固唾を飲んだ。
「あの島・・・かなり特殊で、強力な結界が張られているわね・・・」
「え?じゃぁどうやって刹那さんは・・・」
桜さんの言葉を聞いて、私は顔を向けながらそう聞いていた。
すると桜さんは、私に顔を向けて苦笑を浮かべた。
「結界と言っても、色々種類があるわ・・・妖気や霊気を遮断したり、他者の進入を阻めたり・・・多分あの島に張られている結界は、玉螺が言っていた『扉』が開いてしまった時の、最後の防波堤・・・だから多分、人や妖怪はすんなりと入れるはずよ。」
私の質問に、桜さんがそう答えると、頭巾から見える口元をきつく結んで、また顔を島に向けた。
「問題はむしろ、刹那はどうやって、あの島の結界を破壊するつもりなのか・・・ね。」
「・・・『太陽と月が死す時、我を台座に納めよ。さすれば海は断ち割れ、彼地へ赴く導と化す。汝求めるならば、我は只、天空より舞い降りし矢を放つ窮と化す也。』」
「え?」
不意に師匠が、謳うように言葉を口ずさんで、私と桜さんは師匠に顔を向けた。
「・・・謎掛けだ。太陽と月が死す時・・・とは何時か。天空より舞い降りし矢・・・とは何か。恐らくこの謎掛けが、あの島の結界を無効化する為の手がかりだろう・・・」
「太陽と月が死す時・・・それってどういう意味かしら・・・」
師匠の口にした言葉に、私たちは黙り込んで、その場で考え始めた。
その時・・・
ドドドドドッ!
『ッ!!』
不意に、今までにない程の地響きが辺りに響き、立っているのも困難な程の、大きな揺れが突然起きた。
「な、何?!」
錫杖を杖代わりに、何とか持ち堪えながら、私は声を上げた。
「ッ!・・・キャッ?!」
錫杖を持たない桜さんは、突然の激しい揺れに体勢を崩して、軽い悲鳴を上げる。
けどすぐに師匠が手を差し伸べて、桜さんの体を支えた。
「掴まってろ。」
「あ、ありがとう・・・」
この激しい揺れの中でも、全く平然と立っている師匠は、桜さんを引き寄せてて、重心を安定させた。
「聖。」
「は、はい。」
不意に私を呼びかけて、師匠は私にも手を差し伸べて、その手を私が掴むと、桜さんと同じように引き寄せられた。
ゴゴゴゴゴ・・・ズズズズズ・・・
暫く三人で固まって、激しい揺れに耐えている内に、次第に揺れが小さくなって、島の揺れは完全に収まった。
「・・・止まった?・・・ッ!クロッ!!」
島の揺れが止まった事を、確認するように辺りの様子を伺っていた私は、光の柱が消えている事に気が付いた。
それに気が付くと同時に、私は師匠の腕の中から離れて、クロに駆け寄った。
「クロ!クロッ!!」
地面に横たわっている、クロの隣に座り込んで、その大きな体を揺さぶり呼びかける。
「・・・ぅ・・・ある・・・じ・・・」
「クロッ!良かった・・・」
暫く呼びかけを続けていると、不意にクロの口からうめき声が漏れて、次には頭をゆっくりと持ち上げた。
クロの反応を見て、私は安堵の表情を浮かべながら、その首に抱きついた。
「良かった・・・本当に良かった・・・」
「・・・すまん・・・また・・・心配を掛けてしまった・・・」
「ううん・・・良いの・・・クロが無事なら、それで良いの・・・」
「・・・すまん・・・」
クロの言葉に答えながら、私は更に腕に力を込めて、クロの温もりを確かめていた・・・
「・・・島の封印が、解かれたようだな・・・」
不意に聞こえてきた声に、私は一旦クロの体から顔を離して、聞こえてきた方に向けた。
その先には、ヨロヨロと立ち上がる、蒼雷さんの姿があった。
「・・・これで・・・我と彼の少女との契約は終了した・・・か・・・」
そう言って蒼雷さんは、現れた『淡嶋』の方に顔を向ける。
そんな蒼雷さんに、師匠がゆっくりと近寄っていくのが見えた。
「・・・海虎族の長よ。あんたに一つ聞きたい事がある・・・」
「・・・何か?人間よ・・・」
不意の師匠の言葉に、蒼雷さんは顔を師匠に向けると、油断無く見据える。
「あんたは知っているのか?太陽と月が死す時・・・それが何時かと言う事を。」
「・・・その時が来れば解る・・・そう遅くはならぬだろう。それに、主は知りたいのではなく、確かめたいのだろう?己の中で確証が得られぬから、我から確証に繋がる材料を引き出したい・・・違うか?」
師匠の質問に対して、蒼雷さんはそう答えると、二人の間に奇妙な沈黙が訪れた。
それから暫く、二人は睨み合っていたけど、不意に師匠が苦笑を浮かべた。
「・・・確かに。俺が何度考えてみても、結局一つの結論にしか繋がらない・・・だが、正確にその瞬間を知りうる方法は、俺の知りうる限り存在しない・・・」
「・・・それは、日出ずる国に限っての事・・・主は天魔より聞かされているのだろう・・・彼の少女のこれまでを・・・」
「・・・西洋学か・・・」
「その通りだ・・・」
不意に漏れた師匠の呟き・・・その呟きに蒼雷さんは、肯定する呟きを漏らした。
「宝仙君、どういう事?まさか、あの謎掛けの意味が解ってて、わざわざ私達に聞いた訳?」
不意に桜さんが、師匠に近づきながら、そう問いつめる。
その問いつめに、師匠は桜さんに顔を向け、苦笑を浮かべていた。
「予想だけは出来ていた・・・だが何の確証もない状態で、得意げに話した所で、もし間違っていたら面目丸潰れだからな・・・」
「・・・呆れた・・・」
事も無げにそう言う師匠に対して、桜さんは頭を抱えながら呟いた。
「それで師匠、太陽と月が死ぬ時って、どういう意味なんですか?」
「それは・・・」
私の質問に、師匠は一旦こっちに顔を向けたけど、何かに気が付いたのか、言いかけた言葉を飲み込んで、空に視線を移した。
「・・・ちょうど始まったようだ・・・」
「え?」
真剣な眼差しで空を見上げて、そう呟く師匠につられて、私も空に視線を移した。
「ッ!太陽が・・・」
そして視線を移した先・・・太陽の眩しさで一瞬目が眩んで、手で日陰を作りながらもう一度見てみると、燦々と照らす太陽の端が、黒く欠けている光景だった。
しかも、その影は少しずつ大きくなっていって、まるで太陽を侵食していく風にも見えた。
「そうか・・・日蝕ね?」
私が呆然と太陽の光景を見ていると、不意に桜さんが声を漏らした。
「あぁ・・・月と太陽が死ぬ・・・太陽が月の影に入り、徐々に欠けていく日蝕こそ、あの謎掛けの意味する所だ。」
「その通り・・・月は太陽の照り返しで、光っているように見えるだけ・・・新月の夜は、その照り返しが無いからこそ、月は見えぬ・・・その月が太陽を遮ると言う事は、双方とも見えぬと言う事だ。」
桜さんの言葉に答えるように、師匠と蒼雷さんの言葉が続いた。
「それが・・・太陽と月が死ぬっていう意味・・・」
師匠達の話を聞いて、私は太陽を見つめながら、不意にそう呟いた。
「・・・クロ。」
その時ちょうど、それまで地面に横たわっていたクロが、ゆっくりと起きあがり、私は視線をクロに向けて呼びかけた。
「・・・大丈夫?」
「あぁ・・・すまん。」
私の言葉に、クロが申し訳なさそうに呟いてくる。
「・・・月狼族の戦士よ、無理はするな・・・主の体力は、限界に達しているはずだ。」
「それは主とて同じだろう・・・」
不意の蒼雷さんの言葉に、クロは静かに蒼雷さんを見据えながら呟いた。
そんなやりとりが続く間も、太陽の侵食は止まらず、まだ昼前だというのに、辺りは段々薄暗くなっていく。
もう一度視線を空に向けると、もう後少しで完全に、太陽が月の影に入りきってしまう所だった。
「ッ?!」
そして、太陽が完全に黒く染まったその瞬間、不思議な感覚を覚えて、私は振り返った。
私だけじゃなくて、みんなの視線も、ある一点に注がれる。
それは・・・
「・・・岩山が、黒く光ってる・・・」
ちょうど島の北側にそびえる、岩肌がむき出しの岩山全体が、黒い光を発している光景だった。
「・・・天空より舞い降りし矢・・・とは、日蝕の太陽の光という訳か・・・」
その光景を見ても、全然動じた様子のない師匠が、冷静にその光景を分析しながら、淡々と呟くのが聞こえた。
それから、黒い光を纏った岩山に、少しずつ変化が起き始める。
岩山全体に纏っていた黒い光が、何かに吸い寄せられるように、徐々に山頂付近に集まり始め、次第に消えていった。
けど次の瞬間・・・
ドウウゥゥゥーーーンッ!!
黒い光の波動が、轟音と共に岩山の山頂付近から発せられて、淡嶋目掛けて一直線に向かっていく。
その光が淡嶋にぶつかると、淡嶋全体を覆い隠してしまう。
そしてその瞬間、この島と淡嶋を結ぶ道が、海の中から姿を現した。
私がその光景を、ただ呆然と見つめていると、不意に辺りが明るくなっていく・・・
「・・・これで、淡嶋に掛けられた結界は、一時的にその効力が消失する・・・だがまだ、残されし鍵がある・・・三貴士は未だ無事・・・」
次第に辺りが明るくなるのにつれて、不意に蒼雷さんが呟いたので、私は顔をそっちに向けた。
見ると蒼雷さんは、言い終わってから少しして、淡嶋に向けていた顔を、師匠にゆっくりと向ける。
「・・・三貴士の命絶たれし時、『千引の岩』の封印は完全に解かれ、この世にあの世が流れ込み、世界は再び混沌に戻る・・・」
「・・・だが、未だそうならないと言う事は、三貴士は無事・・・」
「左様・・・今はまだ、門が開いただけの事・・・門という境界線が存在する限り、流れ込む事はない。」
蒼雷さんと、静かに言葉を交わすと、不意に師匠は淡嶋に視線を向けた。
「・・・さっき、一時的に・・・っと言ったな。時間的にはどの位だ?」
「おおよそ半刻程だ・・・その間だけ、千引の岩も僅かに開く・・・そして時間を過ぎると、彼の島の封印は再び効力を発揮し、黄泉の入り口も閉まる・・・そしてこの島は、妖気が一定に達した時点で、再び沈み始める・・・」
「・・・成る程・・・な。桜。」
それまで、蒼雷さんと話していた師匠が、不意に桜さんに呼びかけると、桜さんは一つ頷いて、懐から呪符の束を取り出した。
「クンダリーッ!」
呪符の束を天に向かって放り投げ、桜さんが梵字を描いて梵名を叫ぶと、放り投げた呪符が一つに集まっていく。
呪符達は、徐々に姿を変えていき、大きな鷲の姿になると、羽ばたきながら地面に降り立った。
鷲が地面に降り立つと、その背中にまず桜さんが飛び乗った。
それを見て私も、クロと一緒に近づいていき、桜さんの手を借りながら、私が鷲の背中に乗ると、次にクロが飛び乗った。
そして最後に師匠が、私たちの方に向き直って、蒼雷さんに背中を向けた。
「・・・往くか・・・人間よ。」
「・・・あぁ。色々と話を聞けて良かった・・・」
不意の蒼雷さんの呼びかけに、師匠は肩越しに呟いた。
「すまなかったな・・・敵に塩を送るような真似をさせて・・・」
「別に構わぬ・・・これも、彼の少女との契約の内だ・・・」
「・・・成る程・・・な。それでか・・・初対面にも関わらず、俺の考えを言い当てたのは・・・」
「如何にも・・・彼の少女から、主の事は聞かされている・・・『時代に選ばれし英雄』とな・・・」
「フッ・・・俺は、そんな大それた奴じゃない・・・自分の事で手一杯な、ただの人間さ・・・」
蒼雷さんの言葉に、苦笑を浮かべながらそう答えて、師匠は私たちの元に向かって、ゆっくりと歩き始めた。
「・・・海虎族が長、蒼雷殿・・・主はこれから、どうするつもりか?」
師匠が私たちのすぐ側まで来た時、不意にクロが蒼雷さんに向かって、質問を投げかけた。
「・・・我は、事の成り行きをここから見届けようぞ。その後の事は、またその時だ・・・」
「・・・そうか。」
蒼雷さんの答えに、クロが呟くと同時に、師匠が鷲の背中に飛び乗った。
「行ってくれ。」
飛び乗るなり師匠が出発を促すと、桜さんが一つ頷き、私たちを乗せた鷲は両翼を大きく広げた。
バサッ!
「・・・もし、主等が彼の少女をうち破り、今が続くようならば・・・次に主と巡り会えし時は、我は今よりも強くなっているだろう。」
私たちを乗せた鷲が、大きく羽ばたき始めるのと同時、蒼雷さんが不意に声を出した。
「・・・それは、我とて同じだ。海虎族が長、蒼雷殿。」
「フッ・・・ならばその時を、楽しみにしているとしよう・・・天羽族の勾玉は置いて行く。東の長にでも渡してくれ・・・」
クロと蒼雷さんの短い会話の後、それまで羽ばたき続けていた鷲は、ゆっくりと空に向かって昇り始める。
暫く昇ると、蛭子島より北側の海・・・私たちを乗せた鷲は、一直線に淡嶋へ向かって、飛び始めた。
空の上から見た淡嶋は、先程の黒い光が、島全体を霧のように覆っていて、とても不気味に見えた。
「・・・降りるわよ。準備は良い?」
不意に桜さんが、私たちに顔を向けて、確かめるように聞いてくる。
「・・・はい。」
「あぁ・・・」
私と師匠が、それぞれ桜さんに答えると、私たちを乗せた大鷲が、淡嶋目掛けて急降下していく。
そのまま淡嶋に突入して、そのまま大鷲に乗ったまま、淡嶋の中を飛んでいく。
今まで海に沈んでいたせいで、草も木も一本も生えていなくて、その代わりに海草が生えていた。
辺り一面薄暗く、やたらと湿気も多くて、むき出しの岩にはフジツボが張り付き、この島が浮上する際に、一緒に浮上してしまった魚なんかもいた。
その光景を目にするだけで、この島は昨日まで、確かに海の底にあったのだと理解した。
「・・・なんだか不気味ですね・・・」
辺りを一通り見回して、私は思った事をそのまま口にした。
「そうね・・・それになんだか、凍えるような悪寒も感じるわ・・・」
私の呟きに、桜さんは身震いしながら、そう答えてくる。
桜さんの言う通り、その悪寒は私も感じていた・・・
この島に入ってから強く感じる、この世とは別世界の空気・・・それが、この悪寒の正体だった。
「・・・見つけたわ。人の気配が三つ・・・」
「それって舞ちゃんたちですか?!」
不意に桜さんの呟きが聞こえて、私はすぐに反応した。
「多分・・・間違いないと思うわ。息づかいからして、どうやら眠っているようね・・・向かうわよ。」
桜さんがそう言うと、大鷲が進む先を変えた。
それから暫く飛んでいくと、明らかに人の手で作られた建造物を発見した。
それは、蛭子島にもあった鳥居に、両開きの扉が着けられた門だった・・・
その門の片方が開かれていて、その先には灰色の光が、渦を巻いているのが見えた。
「ッ!舞ちゃん!!」
その門のすぐ側・・・舞ちゃんたち兄姉が、寄り添うように眠っているのを発見した。
桜さんがすぐに大鷲を止めると同時に、私は背中から飛び降りて、舞ちゃんたちに駆け寄った。
「スゥ・・・」
舞ちゃんたちに駆け寄って、すぐ側にしゃがみ込むと、規則正しい寝息が聞こえてきて、私はホッと安堵のため息を吐いた。
けどすぐに、舞ちゃんの額に黒いシミのような文字を見つけて、私は顔を強張らせた。
「・・・呪いだな。」
「ッ!そんな・・・」
いつの間にやってきたのか、私のすぐ隣から、師匠も同じ物を確認して、静かにそう呟いた。
他の二人も見てみると、舞いちゃんのように、額に同じ文字があった。
でも呪いなら、孔雀明王珠の『浄化』の力で、解呪出来るはず・・・
そう思って私は、意識を集中して舞ちゃんたちに右手をかざし、左手で梵字を描いた。
「待て聖。」
「ッ!師匠?」
梵名を言おうとした瞬間、不意に師匠が私の手を掴んで、そう呟いた。
「どうして止めるんですか・・・」
師匠の制止が不満だった私は、すぐに顔を向け聞き返すと、師匠は顎で舞ちゃんたちを差した。
「この呪文字・・・見た事がある。確か禁呪の一つで、『死眠』とかいった筈だ・・・」
「死眠?」
私が聞き返すと、おもむろに師匠は立ち上がった。
「・・・死眠とは、書いて字の如く、死の眠りだ・・・この呪に掛かると、掛けられた者は死に至る眠りに堕ちる・・・その時間はおおよそ半日。」
「じゃぁすぐに解かないと・・・」
「いえ、宝仙君の言う通り、解呪は止めた方が良いわね・・・」
師匠の言葉を聞いて、私がすぐに反論しようとすると、やって来た桜さんが、私の言葉を遮ってそう言った。
「この呪いが、何故禁呪と呼ばれるのか・・・その理由は、掛けた者の意志によって、時間を待たずに呪いを発動したり、呪いの時間を調節したり出来るの・・・それ以上にこの呪いは、遠隔操作が出来るのよ。つまり、聖さんが解呪させようとした瞬間を狙って、刹那がこの子達を殺す事も可能なの・・・」
「そんな・・・じゃぁ、この近くに刹那さんが?!」
師匠の説明を引き継いだ、桜さんの言葉を聞いて、私は慌てて辺りを見渡した。
「いや、この近くには居ない・・・だが虚無の一族は、闇の中で起きている事が、手に取るように解るんだ・・・奴は恐らく、あの中で俺が来るのを待って居るんだ・・・」
そう言って師匠が、片方の扉が開いている門を見据えた。
「・・・この島の封印が蘇るまでに、俺が行かなければこの子供達を殺し、封印を完全に解く・・・俺との決着の為に、折角用意したお膳立てを壊すようならば、見せしめのつもりで一人殺すかもしれんぞ。」
「そんな・・・ッ!師匠!!」
師匠の言葉を聞いて呟くと、不意に師匠が、門に向かって歩き始めていた。
「その呪いは、掛けた者の意志によって解呪も出来る・・・手っ取り早く行ってくる。」
「ま、待ってください!私も・・・」
私がそう言って後を追おうとすると、不意に師匠は立ち止まって、肩越しに私に視線を向けてきた。
「いや・・・俺一人で行く・・・」
「嫌です!私も一緒に行きます。」
師匠の言葉に負けじと反論すると、師匠は軽くため息を吐いてから私に向き直った。
「・・・蒼雷の話では、この門が開いている時間は、もう半刻も無いんだぞ・・・」
そう言って、思い止まらせようとする師匠を、私は真剣な表情で真っ直ぐ見据えた。
「・・・師匠。もしかして、還って来れなくても良いって・・・思ってませんか?」
私がそう言うと、師匠はそれっきり押し黙って、静かに私を見つめる。
「・・・やっぱり・・・そうなんですね・・・」
私がそう呟いても、師匠は何も答えなかった・・・
師匠が肩越しに、視線を私に向けた時・・・何となく嫌な予感を、私は感じていた・・・
もしかしたら師匠は、向こうに行ったっきり、戻って来ないんじゃないのか・・・そう私は思った。
「・・・師匠・・・昨日約束したじゃないですか・・・これからも、私たちと一緒に旅をするって・・・」
私の予感が当たっていると解ると、自然と悲しみがこみ上げてきて、溢れた涙が頬を濡らしていく・・・
「新しい名前・・・私に付けてくれって、言ったじゃないですか・・・まだ一度も呼んでないのに、居なくなっちゃうなんて酷いですよ・・・」
そう言いながら私は、ゆっくりと師匠に近づいていく。
「私は嫌です・・・師匠が居なくなっちゃうなんて、そんなの嫌です!・・・どうしてもって言うんだったら、私は力ずくでも着いていきます。」
「聖・・・」
流れる涙を拭わないで、私は思いの丈を師匠にぶつける・・・
暫くすると師匠は、諦めたようにため息を一つ吐いた。
「・・・解った。」
そう呟いて師匠は、左手を私の右肩に乗せて、苦笑を私に向けてきた。
「あ・・・それじゃ!」
その苦笑を見て、私は安堵の表情を浮かべた。
ドゴッ!
「ゥッ!」
その瞬間、私のお腹を鋭い痛みが襲った・・・
見てみると、私のお腹には師匠の右拳が、深々と突き刺さっていた・・・
「・・・すまんな。それでもおまえは連れていけない・・・」
「し・・・しょう・・・?」
「だが・・・約束しよう。時間は掛かるかもしれんが・・・それでも、必ず戻ってくると・・・」
お腹を襲った鋭い痛みの所為で、意識は次第に混濁していく・・・
「俺とおまえなら・・・また、巡り逢うさ。だから今は、別れは告げない・・・」
し・・・しょう・・・
「聖、愛している・・・」
混濁していく意識の中で耳にした、師匠のその言葉を最後に、私は意識を失った・・・
その言葉が・・・私と師匠が交わした、最後の言葉になった・・・
トサ・・・
倒れ込む聖の体を、俺は抱き留めた。
・・・すまんな・・・
「・・・クロ。」
心の中で聖に謝罪し、俺はクロに呼びかける。
ゆっくりとやって来て、俺の側で腰を落としたクロの背中に、気絶した聖を乗せた。
「・・・聖の事を頼む。」
「・・・貴様に言われずとも、我はその為に生きている。」
クロの言い草を聞き、俺は思わず苦笑を浮かべてしまった。
苦笑を消し、そのまま桜に顔を向けると、俺は首に下げた大威徳明王珠を手に取り、桜に差し出した。
「・・・後の事は頼む・・・」
「・・・本気・・・なのね。なんとなく、こうなるんじゃないかとは、思っていたけど・・・」
俺の呟きに桜はそう言って、俺が差し出した大威徳明王珠を受け取った。
そして俺は、今度は懐から不動明王珠を取り出し、それも差し出した。
「・・・もう俺には必要ない物だが、これからのおまえ達には、必要な物だろう・・・」
そう言って桜に不動明王珠を返還すると、今度は袴に手を突っ込んだ。
そして、そこから巾着を取り出し、それに視線を落とし見つめる。
・・・長い間、こいつには世話になったな・・・
「・・・十三代目『宝仙』の称号を返上する・・・そして、十四代目『宝仙』に、弟子の聖を推薦する・・・そう麗姫に伝えてくれ・・・」
そう言って俺は、金剛夜叉明王珠を巾着ごと桜に差し出した。
「・・・確かに承りました。十三代目『宝仙』・・・宝仙殿。」
仰々しくそう桜が言い、俺の手から巾着を受け取った。
「・・・それで、宝仙の名を捨てて、あなたはどうする訳?」
不意に、頭巾から覗かせる口元で、微笑みを浮かべた桜は、俺に対しそう聞いてきた。
「・・・新しい名を、聖に貰った・・・この戦いが終わったら、それを名乗る事にする。」
「・・・なんて名前?」
「・・・一番最初に、その名で俺を呼んで貰う奴は、もう決まっている・・・」
桜の質問に、俺は気絶した聖に目を向け、静かにそう呟いた。
「そう・・・帰ってこれるの?」
「さぁ・・・な。正直厳しいが・・・それでも、俺の予想が確かなら、或いは・・・とは言え、確率で言えば五分以下と言った所か・・・」
「それでも行くのね・・・まぁ、あなたらしいと言えばそうね。」
そう言う俺の言葉に、桜が答えてくるのを聞きながら、俺は懐から煙管の入った箱を取り出した。
箱のふたを開け、煙管を取り出し、葉を詰め込もうとする。
その時思い直し、いつも使う煙管の葉とは別に、この煙管を貰ってから、一度も使っていない葉を、煙管に詰め込んだ。
ボッ・・・
「・・・うん?」
煙管に火を付けようと、火打ち石を取り出した時、不意に空中に黒い炎の塊が現れた。
それを見て俺は、視線をクロへと向けた。
「・・・フッ。ありがとよ・・・」
俺が視線を向けても、何も言わないクロだったが、素直に礼を述べると、黒い炎で煙管の葉に火を付けた。
「スゥーーー・・・フゥーーー・・・」
肺一杯に紫煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出すと同時、一瞬軽い目眩を覚えた。
・・・そう言えば、蛭子島に来てから結局、一度も吸っていないな・・・だが・・・
「旨い・・・やはり良い葉は違うな・・・」
そう呟いて、俺はもう一度煙管を銜え、紫煙を吸い込んだ。
・・・すまんな、柚葉・・・おまえを付き合わせちまう事になった・・・
何時か出逢った、この煙管の持ち主・・・今は亡き柚葉に、俺は心の中で謝罪した。
そして俺は、煙管を銜えながら、錫杖を握りしめ歩き出した。
「・・・さよならは言わないわ・・・必ず、帰ってきなさい。必ず・・・」
「あぁ・・・そのつもりだ。」
背中越しに聞こえてきた桜の言葉に、俺は立ち止まることなくそう答えた。
「あなたが思っている以上に、あなたを必要としている人はたくさん居るわ!あなたの為に、涙を流す人だって・・・だから、その人達の為にも・・・」
「・・・約束しよう。」
尚も聞こえてくる桜の声に、俺は答えながら、ゆっくりと『千引の岩』に向かっていく・・・
そして、ちょうど門の目の前で立ち止まると、俺はその場で振り返った。
「往ってくるぜ。」
不適に笑って見せ、そう言うと俺は踵を返して、開け放たれた片側から、門の内側へと入っていった・・・




