武神修練之章
呪われた島『蛭子島』・・・
この世で最も黄泉に近いと言われている、恐山より東に位置する、海上に浮かぶ人口百人程の小さな島・・・
その島には、かの古事記や日本書紀と言った、この國古来より伝わる歴史書に記された、俗に言う『天地の始め』からの事が、壁画として残されているという。
それが古事記や日本書紀の元になったのか・・・古事記や日本書紀を元にして描かれているのか・・・誰が何の為に、何の目的で描いたのかは不明だが、壁画は確かに存在するという。
更に不可思議な事に、その島の存在は、地元の者意外では、知っている者は極僅かだと言う事だ。
呪われた島とはいえ、人の口には戸を立てられないと言うことわざ通り、噂話くらい聞いても可笑しくはない。
だがそんな噂話すら、耳にした事は一度としてない・・・
恐らくその理由は、地元の者全員が、その島の事を恐れ口にしない事と、もう一つ・・・誰かが意図的に、些細な噂話すら握り潰している・・・
そしてその理由がそのまま、その島の存在が公には成らない、一番の理由だろう。
そんな不可解な島の事で、更にいくつか気になる事がある。
その一つは、その島には、恐山以上の妖気が集まり、酷い時では島全体を、瘴気が覆い尽くす程にまでなる。
原因は、蛭子島のほぼ中央に位置する山の頂上に、妖気を浄化すると言われる神木がある所為で、自然界に存在する妖気が、その島へと集まっているとの事らしい。
そしてそれが、地元の住民がその島の事を畏怖する、大きな要因なのだろう。
そして二つ目、その島の村長の家には、必ず三人の子供が生まれ、それぞれ三貴子、天照・月読・須佐之男と、島民達に呼ばれているとの事だ。
神話の時代の壁画が存在するのだから、それほど不思議ではないだろう。
だが俺には、どうしてもその事に、何か意図的な物を感じてしまう。
三つ目・・・これは自然現象かもしれないが、島の水位が年々上がっていると言う事だ。
妖気の事と良い、水没の事と良い、実際に見た訳でもないが、話を聞く限りでは、まるで島自体が緩やかに死んでいく様な印象を受ける。
多くの謎に包まれた『蛭子島』・・・
そして、刹那が聖に伝えた言葉『神の居ない日に、神の子の地で再会しよう・・・』
具体的に島の話を聞く前は、その島が指定された場所である可能性を、強く感じた。
だが、具体的に島の話を聞いた今は、更に強く感じている・・・
刹那の・・・静菜の母親、虚無の一族の末裔が住んでいた隠里は、蛭子島と目と鼻の先に在った。
その刹那が、その島の事を知っていても、可笑しくはない。
更に神話の中で、二神の間に最初に産まれた子供である『水蛭子』には、対となる神『淡島』が居る。
どちらも子供として認められなかった、この二つの神・・・
生まれては成らない存在・・・禁忌の子として生を受けた静菜と刹那・・・
何故か俺には、刹那と蛭子島が重なって思えてしまう。
蛭子島が、刹那の指定した場所だという確かな確証は無い・・・
だがそれが、可能性としてはその場所が一番高いと思う理由だった。
「・・・蛭子島について、私が知っているのはこれ位ね。」
パチンッ!
桜さんがそう言い終わるのと、囲炉裏の火が爆ぜる音が重なった。
「・・・そんな島があるんですか・・・」
そして、桜さんの話を聞き終わった鈴音さんが、確認する様にそう呟いてくる。
神威さんとの戦いから、もうすでに十日近く経っていた。
あの後、捕まっていた人達を助け出したり、殺された人達を弔ったりするのに、あっという間に五日くらい過ぎてしまった。
落ち着く暇もなく、そのまま桜さんの式紙に乗って、江戸へと帰ってきた私たちは、真っ先に麗姫お婆ちゃんの所に行って、成り行きを説明してきた。
そして桜さんは、本山の再建の手配とかで、お婆ちゃんの所に籠もりっきりだった。
桜さんの邪魔をする訳にもいかなかったので、私たちは兼道さんの所で、桜さんの状況が落ち着くのを待つ事になった。
そして、ようやく状況が落ち着いて、私たちを訪ねてやって来た桜さんに、一緒に居た私と同い年くらいの女の子、真夜さんを紹介された。
それから、兼道さん、鈴音さんを交えて、これからの私たちの目的地になるかもしれない『蛭子島』の事を、みんなに話し始めた。
そんな訳で、今この居間には、私と師匠とクロ、そして兼道さんと鈴音さん、それから桜さんと真夜さんが、囲炉裏を囲んで座っていた。
最初はお婆ちゃんの所で話そうって、師匠が言いだしたんだけど・・・鈴音さんが強引に話を進めてしまって、結局ここで話す事になっちゃった。
・・・そう言えば、桜さんが訪ねてやって来た時から、兼道さんの様子がちょっとおかしかったな・・・
「・・・大体の事は解った。ま、後の事は実際に行ってみないと解らんな・・・」
桜さんの話を聞き終わってからずっと、難しい顔で考え込んでいた師匠が、不意にそう呟いてくる。
「・・・そうね。でもそう簡単に島に渡れるかどうか・・・」
「え、どういう意味ですか?」
不思議に思った私は、桜さんにそう聞いてみる。
「周辺の住民が、その島の事を畏れているとしたら・・・誰もその島に船を出そうとは思わない・・・って事じゃないかしら?」
「あ・・・そっか。」
そして私の質問に、桜さんの変わりに鈴音さんが答えてくる。
「・・・そう言う事よ。私がその島に行こうとした時も、色々苦労したわ・・・式紙で渡れば楽なんだろうけど、そんな簡単に使う訳にもいかないしね。」
そしてその答えに頷いて、桜さんもそう言ってくる。
「・・・だが、現状ではそこが可能性として、一番高い・・・なら、何としても行くまでだ。」
そう言って師匠は、懐から煙管の入った箱を取り出した。
「・・・宝仙さん、相変わらずですね。」
不意に、桜さんの隣に座っていた真夜さんが、師匠に向かってそう呟いた。
「・・・あぁ、まあな・・・」
真夜さんの呟きに師匠は、苦笑を浮かべながら、煙管を銜えた。
「・・・宝仙。もしそこで静菜に・・・刹那に会ったら、おまえはどうする?」
それまで黙ってお酒を飲んでいた兼道さんが、不意に師匠に向かって問いかけた。
その質問は、多分師匠にとって一番酷な質問・・・
私も気になってるけど・・・でも聞けなかった事・・・
私だけじゃない・・・師匠と刹那さんの因縁を知ってる私たちなら・・・誰もが知りたいと思っている事・・・
もしかしたら師匠は・・・刹那さんを・・・
「・・・さて・・・な。俺自身まだよく解らん。刹那を倒す事が、静菜を救う事に繋がる・・・とは限らん。何にせよ、今はまだ全てが曖昧だ・・・その時が来なければ解らない事もある・・・」
煙管の煙を、ゆっくりと吐き出しながら、目を瞑って同じようにゆっくりと語る師匠。
そんな師匠を、真剣な眼差しで見据えながら、兼道さんは黙って紡がれる答えを聞いていた。
「・・・だが、これだけは言える。奴との決着は、俺が着ける・・・誰にも邪魔はさせん。それは・・・俺が望んでいる事であり、奴が望んでいる事でもある。」
少しの間の後、目をゆっくりと開いて、きつい眼差しでそう宣言する師匠。
「・・・随分な自信ね。」
その言葉を聞いて、一番最初に反応したのは桜さんだった。
「こんな事言いたくないけど・・・相手はあの『虚無の一族』・・・それも静菜は、海淵様の・・・強い霊力を持った人間との間に産まれた、禁忌中の禁忌なのよ?実力は計り知れないわ・・・」
「それってどういう意味ですか?」
禁忌とか半妖の事に疎い私は、桜さんの言葉に疑問を感じて、思わずそう聞いていた。
「・・・半妖の出生率は、人間同士や妖怪同士の出生率よりも低いんです。産まれてすぐに死んでしまう半妖の子供も居ます・・・」
私の疑問に、桜さんの変わりに今度は、真夜さんが丁寧な口調で答えてくる。
「特に、強い霊気を持った人との間に産まれる出生率は、妖気と霊気の大きさに比例して、どんどん下がっていきます。妖気と霊気が反発し合うのが、原因だと言われていますが・・・」
「強い霊気を持った人間の子供が、先天的に強い霊気を宿して、産まれる事が多いのと同じなの・・・大概の場合は、肉体が反発し合う力に耐えられず、死産してしまう場合が多いわ・・・でも、希にその反発し合う力に耐えて、産まれてくる子供も居る・・・それが静菜なのよ。」
真夜さんの言葉を受け継いで、桜さんがそう語り始める。
「元々霊気も妖気も、性質が違うだけで基本的な根元は一緒だから、混じり合う事は可能なの・・・でも、その混じり合うまでが大変なのよ。今まで高名な術者が、何人も挑んだけど、成功した人は一人も居ないわ・・・それどころか、反発し合う力によって命を落とした人だって居る・・・でも、その混じり合った力が、どれだけ強いか・・・それはあなたが、一番よく解っているはずよ・・・聖さん。」
「あ・・・」
そう言われて、ようやく私にも理解出来た。
私は・・・偶然とは言え、その反発し合う力を、手に入れる事に成功した。
その力は・・・あまりにも巨大で、師匠でも敵わなかった八岐大蛇、神威さんと同等以上の力だった。
つまりそれは・・・私たち四人でようやく倒した神威さんと、同じかそれ以上の力を、刹那さんは持っていると言う事・・・
「・・・そんな事は、俺自身が一番よく解っている事だ・・・」
不意に、煙管を銜えながら、師匠がそう呟いた。
「だったら、意地を張らないで、協力しあって・・・」
「俺を殺して良いのは刹那だけ・・・奴は神威にそう言っていた・・・」
桜さんの言葉を遮って、そう言い終わると師匠は、紫煙をゆっくりと吸い込んで、暫くしてから吐き出した。
「奴は望んでいるのさ・・・俺が奴と同等の存在になる事を・・・そう考えれば、今までまるで俺を導く様に、俺の行く先々に足跡を残していた事にも納得が出来る。そして俺自身、奴を倒して良いのは俺だけだと思っている。」
「・・・それが罠だとしても?」
「時期を指定した上で、三ヶ月という時間差は気にはなるが・・・今更、あいつがそんな小細工をするとも思えんしな・・・」
「そう・・・」
「宝仙・・・俺は、おまえが静菜を救うと信じたからこそ、ソレを作ったんだ・・・殺す為に作った訳じゃないと言う事を忘れるなよ。」
不意に、師匠と桜さんの会話を、黙って聞いていた兼道さんが、顎で壁に立てかけてある師匠と私の錫杖を指して、そう言ってくる。
「・・・解ってるさ。」
パチンッ!
師匠の呟きに併せて、まるで会話の終了を知らせる様に、囲炉裏の火が爆ぜる音が、居間に響いた。
「・・・あの・・・」
重苦しい沈黙に耐えられず、私はおずおずと師匠に声を掛けた。
「・・・うん?」
「その・・・ずっと気になってたんですけど・・・『虚無の一族』って・・・一体、どんな人達なんですか?」
前からずっと気になっていた『虚無の一族』。
刹那さんと静菜さんが、半妖だって言う事は知っていたけど、何の妖怪との間に産まれたのかまでは、私も知らなかった。
「そうだ。良い機会だから、俺達にも教えて貰おうか・・・静菜が何者なのか。」
「そうね・・・私達にも、知る権利くらい在りますよね?宝仙様・・・」
私の疑問の声に続いて、兼道さんと鈴音さんも、疑問を声に出した。
てっきり二人はもう知ってると思ってたけど・・・少し意外だった。
「あぁ・・・そうだな。良い機会かもしれんな・・・『虚無の一族』・・・簡単に言えば、神の末裔だ。」
「え?!」
思いもよらない一言に、私は驚きの声を漏らした。
「簡単に言えば・・・だ。『天の岩戸』の話を知ってるだろう。」
「太陽神である天照大御神が、須佐之男命の蛮行を恐れ、天の石屋戸に引き籠もり、世界に永遠の夜が訪れた・・・困り果てた八百万の神々が、なんとか天照に岩戸から出てもらおうと、天照の気を引く為、天宇受売命が舞い踊り、岩戸の前で宴を開いた・・・そして、騒がしい外が気になった天照が、岩戸を少しだけ開いた隙に、隠れていた天手力男神が、その手を引いて無理矢理引きずり出し、世界に再び昼が戻った・・・有名な話だな。」
師匠の質問に、兼道さんが詳しく丁寧に話の内容を教えてくれる。
そして師匠は、兼道さんが言い終わると一つ頷いて、ゆっくりと目を閉じた。
「・・・『虚無の一族』は・・・太陽神・天照大御神が岩戸から引きずり出された瞬間、それまで世界を覆っていた闇の一部が意志を持ち、消される事を拒んで産まれた存在・・・言うなれば、天照の影とも言える存在の末裔だ。」
「なんだと・・・?俺が知る限り、古事記や日本書紀に、そんな一族の事が書かれているなど、見た事も聞いた事も無いぞ・・・」
淡々と、刹那さんの一族の話をする師匠に、兼道さんが、信じられないと言った感じで声を出していた。
「それはそうよ。虚無の一族も蛭子島も、決して公になる事は無いわ・・・この世には、歴史から葬られた存在が、数え切れない程ある・・・誰が何の為に、何の目的で・・・数えたらきりが無い位にね・・・」
落ち着いた様子で、驚いている兼道さんに向かって、桜さんがそう呟いた。
「・・・クロは、虚無の一族の事知ってたの?」
少し気になった私は、私の横で伏せっているクロに向かって、そう聞いてみた。
「・・・虚無の一族の詳細は、我にも解らない・・・北東の地、そこに神話より続く、闇を操る一族の隠れ里があるとは聞いた事がある。だが・・・もう何年も昔に、何者かの手によって滅ぼされたと聞いていたが・・・」
「何ですって?!」
クロの言葉に、今度は桜さんが、驚きの声を上げた。
「そんな訳無いわ・・・だって虚無の一族一人一人の力は、あなた達三神獣と同等か、それ以上と言われているのよ。それに、虚無の一族は極端に外の世界に興味を示さない・・・だからこそ、虚無の一族の事が公に成らなかった事に、拍車を掛けていたのに・・・」
「いや・・・クロの言っている事は本当だ。虚無の一族は、もう何年も昔に滅ぼされた・・・恐らく刹那が最後の生き残りだろう・・・そして、虚無の一族を滅ぼしたのは、恐らく刹那自身・・・」
『ッ!』
不意の師匠の言葉に、その場に居たみんなが息を飲んだ。
当の師匠は、事も無げに煙管の煙をゆっくりと吸い込んでいた。
「・・・俺が虚無の一族の事を知ったのは、俺が金剛夜叉明王珠を正式に継承した時だ。麗姫から俺宛の手紙を受け取った・・・それは、海淵からの手紙だった・・・」
ゆっくりと煙を吐き出しながら、どこか寂しそうに、師匠は淡々と語りだした。
「その手紙には・・・虚無の一族の事、静菜がその一族の、長の娘との間に産まれた事が書かれていた・・・それだけではなく、それまで謎だとされていた、虚無の一族の詳細や隠れ里の場所、他にも長の娘との出会いが書かれていた・・・」
尚も語り続ける師匠の雰囲気に飲み込まれて、誰も師匠に声を掛けようとしなかった。
そして師匠は、吸い終わった葉っぱを、囲炉裏に捨てると、また新しい葉っぱに火を付けて、煙管を銜え直した。
「・・・初めて俺が海淵達にあった時、まるで自分の死期を悟った様なあいつの口振りも・・・その手紙を読んで解った・・・」
海淵が、虚無の一族の長の娘と出会ったのは、第十二代目『宝仙』を襲名して、それほど経っていない頃だった。
あいつは俺とは違い、招集があると素直に応じる様な奴だ。
ま、上からの命令をそつなくこなせば、余計な風当たりは避けられると、あいつが昔言ってたがな・・・
何にせよ、あいつはその日も、長老会からの招集に応じた・・・そして下りた命令は、東北に住み着いた鬼の退治だった。
そして海淵は、その命令を受けて、一人奥州へと向かった・・・
相手は当時、奥州で名を轟かせる程の鬼だった。
長い戦いの末・・・鬼を倒す事に成功したが、その戦いで海淵は、命に関わる負傷をしてしまった・・・
俺達宝仙を受け継ぐ者には、その身に鬼神を宿している・・・少しくらいの傷なら、すぐに回復するし、腕や足を失っても、時間を掛ければ生えてくる・・・だが、そんな鬼神の回復能力とて無限ではない・・・その回復能力を上回る傷を負えば、治りも遅くなるし、最悪死に至る事だってある。
なんにせよ、瀕死の重傷を負った海淵は、傷の手当てをする為に、人里まで這って行こうとした・・・だがその途中、力つきた海淵はその場で気を失ってしまった・・・
だが海淵は生き延びた・・・気絶した海淵を見つけて、手厚く看護してくれた女が居た・・・
その女こそ、虚無の一族の族長の娘・・・菜摘だった・・・
菜摘は、傷付いた海淵を助け、隠れ里の外れの洞窟まで運んだ。
元々その身に鬼を宿していた海淵だ・・・体力が回復すれば、傷はすぐに良くなる。
だが海淵は、傷が治っても、すぐには旅立とうとはしなかった・・・
菜摘に対する恩もあっただろう・・・だがそれ以上に、今まで謎とされていた虚無の一族の事を、もっとよく知りたいという好奇心が、海淵をその場に留めさせていたんだ。
そして菜摘も、それまで知らなかった外の世界の事を、海淵から教えて貰う為に、一族の者の目を盗んでは、足繁く海淵の元を訪れていた。
そんな二人が・・・恋仲になるまでに、それほど時間は掛からなかった・・・
だが二人は人と妖怪・・・結ばれる事は禁忌・・・それは海淵が一番よく解っている事だ。
菜摘にとってもそれは同じだったろう・・・神話の時代から続く一族・・・それも、外の世界との交流を,、自ら断った者達だ・・・人間よりも、そう言った事には厳しい。
・・・だが二人は・・・それを承知の上で、お互いを求め・・・駆け落ちした・・・
駆け落ちしなければならない理由があったんだ・・・その時すでに、菜摘は新しい命を、その身に宿していたんだ・・・
そこから、二人の逃亡生活が始まった・・・
虚無の一族は、裏切りや禁を犯した者を、絶対に許さない・・・それが例え族長の娘だろうと・・・それが神話の時代から、歴史の影で生き続けてきた者達の掟だ。
菜摘が隠れ里から居なくなった事や、人間を匿っていた事はすぐ明るみになり、すぐ追っ手が掛かった。
だが仮にも二人は、虚無の一族と金剛夜叉明王珠継承者・・・いくら追っ手が掛かっても、そう簡単に捕まる訳はない。
だが・・・追っ手を退けては逃げるという生活は、時間が経つにつれて、過酷になっていく・・・
月日が流れるにつれて・・・菜摘はどんどん荷重になっていく中で、追っ手を振りきる事すら、困難になっていた・・・
そしてそんな生活の中で・・・ついに菜摘は、静菜と刹那を産む事になる・・・
皮肉にもその日が・・・二人の運命と、静菜と刹那の運命を分かつ日になってしまった・・・
「オギャァ!オギャァ!」
「ハァッ!ハァッ!」
夜の森の中を、二人は走っていた・・・
二人の腕にはそれぞれ、産まれたばかりの赤ん坊が抱きかかえられていた。
だが産声を上げたのは、海淵が抱いていた静菜だけだった・・・
菜摘が抱いていた刹那は・・・産まれた時にはもう死んでいたんだ・・・
出産後、虚無の一族の追っ手に見つかった二人に、刹那の亡骸を弔う暇すら無かった・・・
「はぁ・・・はぁ・・・」
そして菜摘の体力は、出産と今までの逃亡生活の所為で、限界を迎えていた・・・
「ッ!菜摘!!」
「はぁ・・・はぁ・・・」
刻一刻と迫ってくる追っ手に対して、遂に菜摘はその場にしゃがみ込んでしまった。
「はぁ・・・はぁ・・・私の事は良いから・・・」
「何を弱気な事を言っているんですか!あなたを置いて行くなど出来る訳がないでしょう!!」
弱気な菜摘を叱りつけて、海淵は菜摘に駆け寄ろうとした・・・だがそんな海淵を、制止させたのは・・・他でもない菜摘自身だった。
「ッ!菜摘・・・」
菜摘は、近づこうとしてくる海淵に向かって、右手をかざした。
そしてその掲げた右手に、まるで生きているかの様に、周囲の闇が蠢き、掌に集束していった・・・
菜摘が何をしようとしているのか・・・菜摘が本気だと悟った海淵は、その場に立ち止まるしかなかった・・・
「・・・このままでは、いずれ二人とも捕まってしまいます・・・そうなれば、私達はおろか・・・その子まで殺されてしまいます・・・」
「オギャァ!オギャァ!」
そう言って菜摘は、近づいてくる恐怖を、まるで感じ取っているかの様に泣く静菜に、優しく笑いながら目を向けた。
「・・・折角生を受けたのに・・・禁を犯したからといって、殺して良い訳がありません・・・生きる権利は、その子にも在るはずです。」
「・・・では、私が時間を稼ぎましょう・・・ですからあなたは、この子を連れて・・・」
海淵が言い終わる前に、菜摘は無言で顔を横に振った。
「私とその子が、この場を凌げたとしても・・・同族である私を、むざむざと見過ごすはずがありません・・・そうなれば今までの繰り返し・・・永遠に安息など来ないでしょう・・・ですが、人間であるあなたなら・・・私を置いて逃げた事にすれば、深追いはしないはず・・・」
「いいや・・・この子が生きている限り・・・彼等は私達を見逃すはずが・・・」
「なら・・・その子を死んだ事にすれば良いだけの事です。」
再び海淵の言葉を遮り、予想外の事を告げる菜摘に、海淵は驚きの表情を向けた。
「・・・私達の間に産まれた子は、元々一人・・・その子は、産まれてすぐに死んでしまった・・・そうすれば・・・」
悲しそうに視線を落とし、死産だった刹那の亡骸を見つめ、菜摘はそう呟いた。
「なっ・・・本気で言っているのですか?」
「・・・はい。後は私が時間を稼ぎます・・・私のもう一つの力で、あなた達を逃がす時間くらいは作れます・・・ですからどうか・・・行ってください。」
「菜摘・・・」
「・・・あなたと出会えて・・・あなたの子供を産む事が出来て・・・私は幸せでした。どうか・・・私とこの子の分まで・・・その子を・・・静菜を護ってあげてください。」
そう言うと菜摘は立ち上がり、海淵に背中を向けた。
すると菜摘の周囲の空気が変わる・・・
菜摘のもう一つの力・・・虚無の一族の者達は、闇を操る力意外にもう一つ、特殊な力を持っている。
それは個々によって異なり、様々な種類がある・・・
そして菜摘のもう一つの力は『幻影』・・・相手に自分の思い描いた幻を見せる能力・・・五大明王陣、最高位に位置する『幻影投射陣』と同じ力・・・
そして菜摘の体は、周囲の風景にとけ込む様に、徐々にその姿が薄らいでいく・・・
「待て!菜摘!!」
海淵が菜摘を呼び止めようとしたが、すでに菜摘は自分の能力の領域へと、姿を消した後だった・・・
『私は・・・無力だ・・・』
そう・・・手紙には書かれていた・・・
それから海淵は・・・菜摘の想いを無駄にしない為に、静菜を抱えてその場から離れた・・・
どれだけの距離を走ったか・・・追っ手の妖気が、完全に感じ無くなっても、海淵は休む事無く走り続けた・・・
「はぁ・・・はぁ・・・菜摘・・・」
全力で走り続け、体力を使い果たした海淵は、立ち止まって木にもたれ掛かった・・・
その時だ・・・初めて奴が現れたのは・・・
「・・・くも・・・」
「ッ?!」
不意に聞こえてきた、掠れた様な聞き取りにくい声に、海淵はすぐさま構えを取った。
そして、声が聞こえてきたと同時に、周りの空気が変わった・・・
海淵は、辺りを警戒しながらも、静菜をしっかりと抱きかかえ、懐から鈷杵を取り出した。
「・・・よくも・・・母さんを見捨てたな・・・」
「ッ?!」
そして、今度ははっきりと聞こえてきた声は、すぐ真下・・・海淵の腕の中から発せられた声だった・・・
「静・・・菜・・・」
海淵が視線を向けた先・・・先程まで腕の中で、泣いていたはずの静菜が・・・産まれたばかりだというのに目を開き、海淵を睨み付けていた・・・
「よくも・・・母さんとあたしを見捨てたな・・・父さん・・・」
「ッ!まさか・・・雪菜・・・なのか?」
雪の菜と書いて『せつな』・・・本来ならば、そう書いて読む筈だった名前・・・
「許さない・・・父さんも・・・一族も・・・必ず・・・必ず復讐してやる・・・母さんの仇を、必ず・・・この体を乗っ取ってでも・・・あたしの名は・・・」
「せ、雪菜・・・」
『刹那ダアアアァァァーッ!!』
天高らかにそう叫ぶと、まるで呼応するかの様に夜の闇が蠢めき、刹那の体から、紅蓮を思わせる光状の妖気を放つ。
そのあまりの光量に、海淵は一瞬目を逸らした・・・
だがすぐに、辺りが元の状態に戻ると・・・刹那が発していた妖気も消え、海淵の腕の中には、安らかに眠る静菜がそこに居た・・・
それが・・・復讐の鬼、刹那の誕生だった・・・
「無事、静菜と共に生き延びた海淵は、一度本山へと戻る事にした・・・色々と問題はあったが、ほとぼりが冷めるまでは、考えられる限りそこが一番安全だと思ったからだ。一年以上音信不通だった海淵だったが、魅鈴や麗姫が色々と動いてくれたお陰で、本山へと隠れる事が出来た・・・だがそれ以降、虚無の一族が海淵を狙う事は無かった。菜摘の言う通り、事が全て上手く運んだかまでは解らんが・・・」
そう締めくくられた、刹那さんの壮絶な過去のお話し・・・
刹那さん・・・雪菜さんが、初めて現れた時の話しに、誰も何も言おうとはしなかった。
「・・・その手紙を読んで、俺はまず、その手紙に記された虚無の一族の、隠れ里の場所へと向かった・・・刹那の手がかりが、何か掴めるかもしれない・・・そう思ったからだ。だが・・・手紙に記された場所には、朽ち果てた廃村しか無かった・・・場所は間違いないはず、そう思って色々調べると、少なくともその村は、朽ち果ててから、およそ二・三年程しか経っていなかった・・・それは静菜が・・・刹那が俺の前から姿を消した時期と、一致していた・・・」
暫くの沈黙の後、不意に師匠がそう語り始めた。
「それって・・・」
師匠が何を言おうとしているのかを察して、思わず私はそう呟いていた。
「・・・手紙の内容と併せ、俺は一つの結論を出した・・・その場所は、間違いなく虚無の一族が当時住んでいた場所・・・そして、自分が産まれた時の宣言通り・・・刹那が、自らの手で一族を滅ぼした・・・ってな。」
「・・・だとしたら、刹那の力は神威以上・・・と考えて良いわね・・・」
師匠の言葉を引き継いで、桜さんがそう呟く。
そして、私達の間にまた沈黙が訪れた・・・
誰も何も話そうとしない・・・重苦しい雰囲気が、居間を支配していた・・・
パチンッ!
どれくらい時間が過ぎただろう・・・もしかしたらそれほど時間は経っていないかもしれない。
相変わらず誰も喋ろうとはしない中、囲炉裏の炎が、一際大きく爆ぜる音が、居間に響き渡った。
「・・・そろそろ戻るわ・・・」
そして、まるできっかけでも待っていたかの様に、桜さんがその場の沈黙を破って、そう切り出してきた。
「あまり遅くなると、ご迷惑だしね・・・」
そう言って桜さんが立ち上がると、隣に座っていた真夜さんも、それにつられて立ち上がった。
「そんな・・・迷惑だなんて・・・折角なんですし、泊まっていかれたらどうですか?」
そんな二人に、鈴音さんが残念そうにそう呟いた。
「あ・・・いえ、そんな・・・御夕飯まで頂いて、そこまでご厄介になる訳にもいきません・・・」
鈴音さんの言葉に、真夜さんが申し訳なさそうにそう答える。
「そんな事気にしなくても良いのに・・・ねぇ?聖ちゃん。」
「そうですよ。もっと色々お話ししましょうよ!」
不意に鈴音さんに話を振られて、すぐに私は笑顔でそう答えた。
「・・・気持ちはありがたいけど・・・今回は遠慮するわ。本山が壊滅して、実質明王衆は・・・私と宝仙君の二人だけですもの・・・あまり麗姫様の所を開ける訳にも行かないのよ・・・でも、折角だから真夜は泊まっていったら?」
「えっ?!で、でも・・・」
桜さんの言葉が、よっぽど意外だったのか、真夜さんは驚いた様子で桜さんに顔を向けた。
「気にしなくても良いのよ・・・あなたには、ここ数日で色々と頑張ってもらったし・・・」
「そうしましょうよ・・・真夜ちゃん。」
桜さんと鈴音さんにそう言われ、困った様に二人に顔を向ける真夜さん。
「・・・えっと・・・じゃあお言葉に甘えて・・・」
暫くして、頬を少し赤くしながら、真夜さんは嬉しそうにそう呟いた。
そんな真夜さんに向かって、桜さんは優しい笑みを浮かべる。
「・・・それじゃ、私は戻るわね。」
「あ、兄さん。桜さんを送ってあげて。」
桜さんが居間から出ていこうとした時、急に何かを思いついたのか、鈴音さんが兼道さんに向かってそう言いだした。
「・・・あぁ・・・」
それに対して兼道さんは、一瞬驚いた素振りを見せると、ゆっくりと立ち上がった。
「これでも一応武術の心得はあるし、送ってもらわなくても大丈夫だけど・・・」
「フフフ・・・女子の夜道の一人歩きは危険・・・と、昔から相場は決まってますわよ。殿方が居た方が、何かと便利でしょうし・・・」
意味深な笑みを浮かべながら、不思議そうにしている桜さんに向かって、鈴音さんが悪戯っぽくそう言う。
「・・・そう?なら、折角だしお願いしようかしら。」
そう言って桜さんは、居間の戸に向かって歩き出した。
「それじゃぁ私も、玄関までお見送りしますわね。」
それに続いて、鈴音さんと兼道さんも、戸口へと向かった。
「それじゃ聖さん・・・真夜の事お願いね。」
「は~い。」
戸口の前で立ち止まって、私に向かってそう言い終わると、桜さん達は玄関へと向かって、居間から出ていった。
「・・・あの師匠。」
「あの・・・宝仙さん。」
桜さん達が居間から出ていったのを確認した私は、少し気になっていた事を、師匠に聞こうと声を出した。
するとちょうど、真夜さんも師匠に向かって、声を出すのと重なり、私と真夜さんは顔を見合わせた。
「・・・なんだ?二人して・・・」
私達の声に反応して、師匠が煙管を銜えながら、私達に顔を向けてくる。
「その~・・・もしかして兼道さんって・・・」
「桜さんの事が・・・」
どうやら真夜さんも、私と同じ事を思っていたらしく、私の後に続いて師匠にそう聞いていた。
すると師匠は、煙管の煙をゆっくりと吐き出しながら、目を瞑って腕組みをし始める。
「・・・さあな・・・桜はあれで堅物だし・・・兼道もいい加減、身を固めてもおかしくない歳だ・・・俺には解わんが、鈴音の洞察力は、侮れんからな・・・あいつの事だから、面白がってるようにしか見えんが・・・ま、知らぬは当人ばかり也・・・って所だな。」
「それじゃやっぱり・・・」
師匠の言葉を聞いて、私と真夜さんは、また顔を見合わせた。
「・・・あら、何のお話し?」
そこにちょうど、桜さんを見送ってきた鈴音さんが戻ってくると、どこか面白そうに笑いながら、私たちの会話に入ってくる。
「鈴音さん!もしかして兼道さんって・・・」
「あら・・・やっぱり解った?そうよ・・・兄さん、桜さんの事が好きなのよ。」
「やっぱり!」
鈴音さんの決定的な一言に、それから私たちの話題は、桜さんと兼道さんの事で持ちきりになった。
真夜さんとは、初めて会ったけれど、仲良く成れそうな気がして、嬉しくなって少しだけはしゃいでいるのが、自分にも解る。
それはきっと・・・真夜さんも一緒だって、そう感じた・・・
「・・・ったく。女ってのはどうしてこう・・・色恋沙汰となると、目の色を変えるのかねぇ・・・」
暫くして師匠がそう言うと、煙管を仕舞って立ち上がった。
「あら、宝仙様・・・どちらへ?」
「・・・寝る。」
それだけ呟いて、師匠は居間から出ていってしまった。
それから私たちは、兼道さんが帰ってくるまで、ずっとお喋りしていたのだった。
草木も眠る丑三つ時・・・
慎重に兼道宅の外へと出た俺は、必要最低限の荷物を持って、歩き出した。
「・・・こんな夜更けに、何処へ行かれるのですか?」
不意に聞こえてきた声に、俺は立ち止まって、声が聞こえてきた方へと視線を向ける。
そこには、木の根本に立って、俺を見つめている鈴音が居た。
「・・・よく解ったな・・・」
俺がそう言うと、鈴音は苦笑を浮かべながら、一歩づつ俺へと近づいてくる。
「何となくですよ・・・宝仙様は、私の力を知っているから、意識して感情を抑えているみたいですけど・・・これでも私達は、あなたとの付き合いは長いんですよ・・・兄さんも、気が付いてると思います。」
「・・・そうか。そいつは気が付かなかった・・・」
鈴音の言葉を聞いて、俺は自嘲気味に苦笑する。
鈴音の力・・・相手と目を合わせると、相手の心理状態が解るという、一種の読心術・・・
それを知っている俺は、鈴音と居る時は、意識して感情を抑え、悟られない様にしていた。
本人が望んで手に入れた力では無く、鈴音にその気が無い事も知っているが・・・心の中を覗かれるのは、あまり気持ちのいいものでもない。
前に鈴音が言っていたが、調子のいい時は目を合わさずとも、心理状態を探る事が出来るらしい。
それどころか、相手の思考まで勝手に流れ込んでくるので、そう言う時は一歩も家から出ないとの事だ。
だがそんな時でも、俺や聖に悟られぬ様、常に笑顔で居られる鈴音を、強い女だと俺はいつも思っている。
「・・・それで、どちらに行かれるのですか?まさか聖ちゃんを置いて、お一人で蛭子島へ行かれるつもりでは、ありませんよね。」
不意に鈴音にそう聞かれ、俺は明後日の方向に視線を彷徨わせた。
「・・・刹那との決着は、俺一人で着ける・・・格好着けてはみた物の、奴の実力は八岐大蛇の首、神威と同等と見て間違いない・・・だとするなら、今の俺ではまだ力不足だ・・・」
忘れもしない神威との戦い・・・
ほぼ全力を出していた俺に対し、奴はまだ余力を残していた。
聖の予想外の力が無ければ、間違いなく勝つ事は出来なかっただろう・・・
「刹那が蛭子島に居るという確証は無いが・・・今の所そこ意外に考えられる場所も無い・・・違っていたら、その時は一から探し直せば良いだけだ・・・それに、奴がわざわざ時期まで指定してきたんだ・・・良い機会だから、俺自身修行をやり直そうと思ってな・・・」
本山で二年間修行したとは言っても、基本的な霊力の使い方と、実用性の高い術の修得くらいしかしていなかった。
代々宝仙は、霊力だけなら桁外れに強かった・・・それは鬼神をその身に宿す事で、鬼神を使役出来るだけの霊力が、自然と身に付いていたからだ。
なので俺は、霊力を高める修行ではなく、基本的な使い方を優先した・・・本山で悠長にしている訳にもいかなかったしな・・・
それから巌の元で、無明流の技を覚えていたくらいか・・・
後は自分なりに応用を利かせてきただけで、霊力の使い方という点では、桜の方が上だ。
元々俺は、好きこのんで修行をした事は無い・・・だが刹那との戦いを控えた今、自分の力不足を、嫌と言う程感じている・・・
神威も刹那も、今まで俺が戦ってきた者達とは、格が違う・・・今までの俺の戦い方では、無駄な抵抗にしかならないという事が、神威と戦って得た教訓だ。
「・・・それに、神威が言っていた事がある・・・俺は『真理』に近づいた者だと・・・先が在ると言うのなら、辿り着いてみるのも悪くはないさ・・・」
『真理』に近づいた者・・・確かに神威はそう言った。
聖が死んだと思った時・・・俺の霊力は間違いなく跳ね上がった。
奴の言っていた『真理』が、どういう事なのかまだよく理解出来ないが・・・感情の爆発が、そこへと辿り着く為の、一つの方法であるという事は、恐らく間違いないだろう・・・
そして、刹那が指定した時期までに、その『真理』とやらに辿り着く事が、奴との決着を着ける上での、大きな要因になる・・・
「だから・・・な。」
聖が邪魔という訳ではない・・・むしろ聖と手合わせした方が、修行になるかもしれない。
神威との戦い・・・その時に聖が得た力・・・
江戸に戻ってきて、色々と試した結果、聖が自分の意志であの状態になれる事が解った。
聖が得た力・・・それを相手に修行するのも悪くはないのだが・・・
「・・・自分の弟子に、頭下げて修行の相手をしてくれ・・・なんて、格好悪い事この上ないぜ。」
「フフッ・・・そうですか。少し安心しました・・・」
俺の言葉を聞いて、鈴音がそう呟くのが聞こえてきたので視線を戻すと、可笑しそうに笑っている彼女の姿があった。
「・・・前に、私が言った事・・・覚えていますか?」
「・・・あぁ。」
それは何時か、鈴音と二人で江戸へと向かう道すがら言われた言葉・・・
「・・・おまえの言う通りになった。何処かで忘れてきちまった物を・・・聖のお陰で取り戻す事が出来た。」
そう言って俺は、鈴音に背中を向け、歩き出した。
「ちゃんと・・・聖ちゃんを迎えに来てくださいね・・・それまで、私達が責任を持って預かりますから・・・宝仙様は宝仙様のしたい様に・・・」
「あぁ・・・ありがとよ。長月の下旬迄には戻る・・・それまで、好きな様にしてろと伝えておいてくれ・・・」
「はい・・・行ってらっしゃいませ・・・」
鈴音に見送られながら、俺は一人、目的の場所へと向かって歩き出した・・・
目的地は、富士の麓に広がる樹海の奥地・・・
地元の者でも、決して踏み入れない場所・・・屍鬼の巣窟・・・
そこで俺は、自ら自分を追い込む荒行を行う・・・そして、必ず今よりも更に強くなってみせる・・・
そう心に決めて、俺は旅だった・・・
「・・・離れたか・・・」
暗い闇が支配する中で、一人の老人がそう呟いた。
その老人の左目には、手鏡程の大きさの鏡が埋め込まれており、それが闇の中で淡く光を発していた。
不意にその光が消え去ると、老人はゆっくりと立ち上がった。
「・・・刹那様はああ仰ったが・・・あの男には、何か不吉な物を感じる・・・今の内に手を打っておくべきか・・・」
そう呟いて、老人はゆっくりと歩き出した。
歩を進める先に、闇の中にぽつんと佇む扉の前で、老人は立ち止まった。
そしてその扉を開き中へ入ると、そこはかがり火が焚かれた、それほど広くは無い部屋だった。
その部屋の中には、おびただしい数の傷が刻まれた、蒼白い体毛の虎と、胸元まで伸びた長い顎髭が印象的な屈強な大男、そして猫の様な耳の生えた女が、それぞれ思い思いに部屋の中でくつろいでいた。
「あれ、雲外鏡・・・どしたの?」
部屋の中へと入ってきた老人、雲外鏡に向かって、猫の様な耳を持つ女が声を掛ける。
よく見ればその女の尻の辺りにも、猫の様な尻尾が生えている。
その数八本・・・俗に言う猫又という妖怪だった。
「・・・刹那様が気に掛けておる、あの明王衆の生き残りの男が、先程仲間達と離れおった。」
「ふ~ん・・・」
雲外鏡の言葉を聞いても、猫又の女は全く興味が無いのか、生返事を一つ吐くだけだった。
蒼白い体毛の虎と、屈強な男も同じで、雲外鏡の言葉を聞いても、全く反応を示さなかった。
「・・・あの男、このままにしておくと、いずれ儂等の目的の障害となろう・・・そこで今の内に、あの男を潰そうと思うのだ。」
そんな三人に構わず、雲外鏡は話の先を進める。
「え~?何勝手な事言ってんのよ・・・ご主人様に手を出すなって言われてるでしょ?あたし嫌よ。」
雲外鏡の申し出に対し、真っ先に非難の声を上げたのは、やはり猫又の女だった。
他の二人も、その話にはさすがに興味が沸いたのか、視線を雲外鏡へと向ける。
「・・・解っておるさ・・・じゃが今、刹那様はここには居らん・・・儀式の準備が終わるまで、あの方はアレの最後の仕上げに入っておる。もし刹那様の耳に入ったとしても・・・その時は儂が責任を取ろう。どうじゃ?」
「・・・そうまで言うんだったら、雲外鏡・・・おまえが行けば良いだろう・・・」
不意に、それまで黙っていた虎が、雲外鏡に向かってそう呟いた。
「・・・そうしたいのは山々じゃが・・・儂が動けば刹那様に知れてしまう・・・じゃからお主達に頼んでおるのじゃ、蒼雷・・・」
蒼白い虎、蒼雷の言葉に、雲外鏡はそう答えた。
「それだけではあるまい・・・ヌシに万が一の事が在れば、儀式の準備も滞る・・・」
不意に、屈強な男がそう呟くと、それまで壁により掛かっていた体を起こした。
「・・・良いだろう・・・その役、ワシが引き受けよう。」
「ちょっと羅刹!勝手にそんな事決めて良いわけ?」
屈強な大男、羅刹の言葉を聞いて、猫又の女がそう声を掛ける。
「あの神威と渡り合い、生き延びた人間だ・・・少なからず興味はある。」
それに対して羅刹は、彼女を一瞥してそう答えた。
「そうか・・・行ってくれるか・・・詳しい事が解れば、また報告する・・・それまで、準備を進めておいてくれ・・・」
それだけ告げて、雲外鏡は振り返り、また部屋から出ていった。
「・・・あたし、どうなっても知らないからね。」
雲外鏡が部屋から出ていった後、猫又の女が呆れた様にそう呟くのだった・・・
麗姫お婆ちゃんが管理している、お寺の階段を、全速力で駆け上っていく。
「聖さーん!ちょっと待ってください!!」
私の後を追って聞こえてきた、真夜さんの声。
真夜さんも私と同じように、この長い階段を、私を追って駆け上っていた。
真夜さんの制止の声も聞かないで、一気に上まで登り切った私は、今度は休む暇なく境内を見回し始める。
「ひ・・・聖さん・・・はぁ・・・はぁ・・・少し落ち着いて・・・」
暫くしてやって来た真夜さんが、息を切らせながらそう言ってくるけど、それに構わず、ここに居る筈の人を捜し続ける。
「・・・あっ!」
ちょうどその時現れた探し人、桜さんの姿を確認して、そっちに向かってまた走り出した。
「ちょ・・・聖さん・・・」
遅れて真夜さんの声が聞こえてきたけど、それに構っている余裕は、今の私には無かった。
「桜さーん!!」
「・・・聖さん。」
私の呼びかけに反応した桜さんが、その場で立ち止まって、こっちに顔を向けてくる。
「はぁ・・・はぁ・・・」
「・・・それに真夜も・・・一体どうしたの?」
遅れて追いついてきた真夜さんを確認してから、桜さんは不思議そうにそう聞いてきた。
「師匠知りませんか?朝起きたら師匠が居なくっなってて・・・」
「宝仙君が?・・・そう。」
私の言葉を聞いて、何処か納得した様に、桜さんがそう呟いてくる。
「あのあの!もしかしたら師匠一人で蛭子島に行っちゃったんじゃないんですか?!だとしたら私たちもすぐ後を追わないと・・・」
「・・・少し落ち着きなさい。」
オロオロしながらそう言う私に、ため息混じりにそう言ってくる桜さん。
「多分宝仙君は、蛭子島には向かってないと思うわ・・・それはそうと、あなた達・・・藤原さん家から、走ってここまで来たの?」
「は、はい・・・」
桜さんにそう聞かれ、反射的にそう答える。
「・・・呆れた体力ね・・・」
すると桜さんは、感心した様な感じで、そう呟いてきた。
「じゃあじゃあ、師匠はどこに行ったんでしょうか?」
「さぁ・・・そこまでは私にも解らないわ。けど多分・・・宝仙君は、修行をしに向かったんだと思う・・・」
「え?!」
桜さんにそう言われ、私は自然と驚きの声を上げていた。
今までずっと師匠と一緒に居たけど、師匠が特訓している所なんて見た事が無かった。
だから私には、桜さんの言葉を、素直に信じられなかった。
「・・・別に不思議な事じゃないでしょう?昨日宝仙君が自分で言ってたじゃない・・・刹那との決着は俺が着けるって・・・けど、今のままじゃ刹那に勝てないって事くらい、あの宝仙君が解らない訳無いわ・・・」
「でも、だからって・・・それだったら私も一緒に・・・」
私がそう言うと桜さんは、頭巾から覗かせている口元を広げて、苦笑を私に向けてくる。
「あの意地っ張りな宝仙君が、素直にそんな事言う訳無いでしょ。」
「うっ・・・」
・・・確かにそうかも・・・
「だから大丈夫。宝仙君の事だから、その内ひょっこり戻ってくるわよ。」
「は、はい・・・」
桜さんにそう言われ、今まで焦っていた自分が馬鹿みたいに感じて、頬が少し熱くなるのが解った。
「それにしても桜さん・・・よくそこまで解りますね。」
不意に真夜さんが、感心した様に桜さんにそう声を掛ける。
すると桜さんは、また苦笑を浮かべて、真夜さんに顔を向けた。
「・・・そんな大げさな事じゃないわ。考える事は、私も宝仙君も一緒だった・・・って事だけよ。」
「え?それって・・・」
不思議に思って、私がそう聞き返すと、笑みを消して私に顔を向けてくる桜さん。
「・・・今私達の中で、最も強いのは・・・聖さん、あなたよ。そして・・・認めたくないけど、一番弱いのは私・・・あなた達に着いて行くと決めた以上、足手まといには成りたくないから・・・私も宝仙君と同じで、限られた時間の中で、足掻いてみるつもりよ。」
「桜さん・・・」
桜さんの決意を聞いて、私も今のままじゃ駄目だって感じた・・・
確かに私は・・・偶然だったけど、凄い力を手に入れてしまった・・・
でも今の私じゃ、その力を満足に操る事は出来ない、不安定な状態のままだった。
こんな事してる場合じゃない・・・私も出来る限りの努力をしなくっちゃ!
「・・・真夜。」
不意に桜さんが、真夜さんに声を掛けるのが聞こえてきた。
「あ、はい!」
「暫く聖さんの事、手伝ってあげてくれない?」
まるで私の心の中を見透かしたかの様に、桜さんが真夜さんにそう告げた。
「え?!で、でも私・・・」
「こっちの事なら心配無いわ・・・大方落ち着いたから、もう大丈夫よ。それにあなたの方が、体術は得意でしょ?」
「桜さん・・・」
何気ない桜さんの心遣い・・・それがとっても嬉しかった。
「・・・解りました。及ばずながら、私もお手伝いします。」
「あ・・・ありがとう、真夜さん。」
真夜さんの答えを聞いて、ますます嬉しくなった私は、二人に笑顔を向けた。
「それじゃ、私は行くわね・・・何かあったら、すぐにここの者に伝えてちょうだい。」
「はい!ありがとうございます。」
そう言い残して桜さんは、お寺の本殿の方へと去っていった。
「・・・それじゃ、私達も行きましょうか。」
「うん!よろしくね、真夜さん!」
「はい!」
真夜さんと笑顔で会話を交わして、私たちは兼道さんのお家に向かって走り出した。
「・・・失礼します。」
そう呟いて桜は、麗姫の自室の戸を開いた。
「麗姫様・・・」
開かれた戸口から、桜は部屋の主の名を呼んだ。
「・・・そろそろ来る頃だと、思っておったよ。」
そんな桜に対して、部屋の主である麗姫は、桜に視線を向けてそう呟いた。
「恐れ入ります・・・麗姫様、どうか私を、鍛え直してください・・・」
麗姫に向かい頭を下げて、桜は話しを切りだした。
それに対し麗姫は、考え込む様に俯く。
「どうか・・・」
「・・・宝仙に着いていくと言っておったが・・・本気・・・なんじゃな。」
「・・・はい。」
短い会話の後、重苦しい空気が二人の間に横たわる。
「・・・解った。支度をするから、先に修練の間に行っていなさい・・・」
暫くして、重苦しい空気を吹き飛ばす様に、深いため息を吐いて、麗姫はそう答えた。
「はい・・・ありがとうございます。」
麗姫の答えを聞いて、桜は戸口をゆっくりと閉めると、修練の間へ向かうべく、立ち上がって歩き出した。
暫く歩き続け、一つの戸の前で立ち止まると、桜は中へと入っていった。
それから暫く待っていると、不意に部屋の戸が開かれ、胴衣に着替えた麗姫が、そこから中へと入ってくる。
部屋の中央で立ち止まった麗姫と、対峙する様に向かい合うと、桜は一つお辞儀をした。
「・・・始める前に、お主の明王珠を、儂に渡しなさい・・・」
「・・・はい。」
麗姫に言われるまま桜は、自分の腕に取り付けている、軍荼利明王珠を取り外しながら、麗姫に近づきそれを手渡した。
「・・・よし。それじゃ・・・少し離れておくれ。」
そして言われた通り、麗姫から離れると、先程の様に向かい合った。
「フゥ・・・どれ・・・」
桜が離れたのを確認すると、一つ深呼吸してから、神経を集中し始める麗姫。
それに伴い、麗姫の体から湯気の様な物が、立ち上り始める。
「・・・ムン!」
シュウウウゥゥゥ・・・・
不意に麗姫が、一際気合いを入れると、立ち上っていた湯気がその量を増やし、完全に麗姫の体を包み込んだ。
「・・・やれやれ。この姿になるのも、久しぶりだ・・・」
その呟きと共に、麗姫の体を覆っていた湯気が消えると、そこから見知らぬ若い女が姿を現した。
ややきつめに吊り上がった瞳と、艶のある黒髪が印象的な、二十代半ば程の小柄な女。
「・・・魅鈴様程、うまくはいかないか・・・まぁ、あたしも久しぶりだから、こんなもんかもね。」
そう言うと女は、自分の体の状態を確認する様に見回し始める。
「・・・麗姫様・・・お相手願います。」
不意に桜がそう言うと、いきなり現れた女に対して、構えを取った。
それまで麗姫が立っていた場所に、いきなり現れた女こそ、麗姫自身の若かりし頃の姿だった。
「・・・あんたは相変わらず、気が早いね。」
桜の言葉を聞いて、麗姫は桜を一瞥すると、嘆息混じりにそう呟いた。
そして、片手を腰に当てて、もう片方の手で桜を指さした。
「先に言っておくよ・・・今のあんたじゃ、あたしの編み出した技は、ほとんど使いこなせやしない・・・それどころか、一番強い技を使おうものなら、あんたは一発使っただけで疲弊しちまうよ。」
「ッ?!」
自分の師の全く遠慮の無い宣告に、少なからず桜は動揺を露わにした。
「あたしが現役の時、なんて呼ばれてたか、知ってるだろう・・・」
桜の反応に構わず、指さしていた腕を降ろした麗姫は、桜に向かって問いかけた。
「・・・絶対を招く姫君・・・」
その問いに対し桜がそう呟くと、麗姫は一つ頷いて見せた。
「・・・通り名に縋るつもりは無いけど、何故あたしがそう呼ばれていたか、考えた事があるかい?」
「いえ・・・」
「・・・霊気や術じゃ、あたしは魅鈴様には敵わない・・・体術だって、光隆は疎か巌の足元にも及ばない・・・けど、あたしの世代の明王衆の中じゃ、一番の戦績を誇っていたから、そう呼ばれてたんだ。箇々の能力が高いからと言って、戦いが有利になる訳じゃない・・・大事なのは想像力と応用力・・・そして精神力。どんな力でも、使い方次第で、能力以上の力を発揮するもんさ。」
そう言い終わると、桜から受け取った軍荼利明王珠を、麗姫はその腕にはめた。
「・・・特に、あんたに一番最初に教えた技・・・胡鳥乱舞二式は、軍荼利明王珠と戒めの鎖の効果を、最大限に発揮させる事の出来る技・・・宝仙の複合技だってそうだ。『操作』と『具現』の力を併せるなど、少なくとも今までの常識では考えられなかった・・・常識に捕らわれるな。想像力を最大限に活かせ・・・肉体に限界はあっても、思考に限界などは無い・・・天井を自分で決めてしまったら、それ以上は無いんだ・・・それを忘れるな。」
「・・・はい。」
「・・・よし。それじゃ始めるよ・・・言って置くけど、加減はしないからね・・・」
「望む所です。」
桜の返事を聞いて、苦笑しながら、麗姫は懐から呪符を取り出した。
「あたしは・・・戦闘の形式で言えば、宝仙と同種だ・・・少しでもそれが有効だと感じれば、どんな状況下でも迷わず実行する・・・」
そう言いながら麗姫は、呪符を持っていない手で、軍荼利明王と降三世明王の梵字を、順に描いていく・・・
「ッ!麗姫様・・・まさか!」
その事に気が付いた桜は、驚きの声を上げた。
「・・・あんたに、あたしの全てを叩き込む・・・今まで教えられなかった事・・・今までに編み出した事・・・その全てをね・・・死にたくなかったら、死に物狂いで着いといで。」
「は、はい!」
「フッ・・・いい返事だ・・・こうしてると、昔を思い出すね・・・」
桜の返事を聞いて、嬉しそうに笑いながら、麗姫は呟きを漏らした。
しかしすぐに笑みを消すと、きつい眼差しで桜を見据える。
「・・・いくよ。」
その麗姫の呟きが、桜の熾烈な特訓の、開始の合図となった・・・
「もぉ~・・・だから待ってって言ったのに。」
「えへへ・・・」
兼道さんのお家に戻ってきた私に、呆れながらの鈴音さんの言葉を、笑って誤魔化した。
「宝仙様からの伝言。長月の下旬までには戻るから、それまで好きにしていなさいって。」
「そうですか・・・」
やっぱり桜さんが言ったように、師匠は修行をしにどこかに行っちゃったんだ・・・
私に黙って行っちゃった事は、少し寂しいけど・・・でも、私も師匠の邪魔はしたくなかった。
「それで、これからどうするの?」
不意に鈴音さんにそう聞かれて、少しこれからの事を、私なりに考えてみる。
「ん~・・・真夜さんに体術を習おうと思うんですけど・・・構いませんか?」
「はい。私は構いませんよ。」
真夜さんにそう聞いてみると、こころよく承諾してくれた。
真夜さんは、本山の中でも明王衆に次ぐ、十二神将『因達羅』の称号を受け継ぐ実力者らしい。
桜さんと同じで、産まれた時から目が見えなかったらしいけど、昔師匠たちと出会った時の事件がきっかけで、五感が異常に発達して、私と同い年にしてそんなすごい称号を与えられたんだって。
「・・・そう。あまり無理はしないようにね。」
「はい!」
鈴音さんにそう言われて、元気良く返事をすると、ちょうど兼道さんが母屋から出てくる所だった。
「・・・こんな所に集まって、何話してんだ?」
「あ、兄さん。聖ちゃんが修行をするって話しをしてたの。」
「修行?おまえがか・・・」
不思議そうにそう呟いて、私に視線を向けてくる兼道さん。
「はい。」
「・・・それは構わんが・・・あまり無茶はするなよ。」
ぶっきらぼうだけど、鈴音さんと同じ事を言って、私を気遣ってくれる兼道さん。
「木刀とか、何か必要な物があったら言え・・・俺は作業小屋に居る・・・」
そう言って兼道さんは、私たちに背を向けて、小屋の方へと歩いていった。
「はい!ありがとうござます。」
「それじゃ私も、買い物に行ってくるわね。今日は何か、性の付く物を作ってあげるわ・・・真夜ちゃんも食べていってね。」
「あ、ありがとうございます。」
そう言い残して鈴音さんも、江戸に向かう竹道に下りる道へと、向かって行った。
「・・・それじゃ、私たちも早速始めましょうか。」
「はい。」
残された私たちは、短い会話の後、早速修行を始めようと思って、ここから少し離れた草原に向かおうと歩き出した。
「・・・主。」
不意にクロに呼び止められて、私たちはその場で振り返った。
「どうしたの?クロ・・・」
「我と・・・手合わせ願いたい。」
「え?!」
不意にそう言われ、驚きの声を上げながら、クロを見つめる。
「・・・主とて気付いているだろう・・・主のあの状態・・・強大すぎて、まともに扱うのも困難・・・普通のやり方では、あの力を制御するのに時間が掛かり過ぎる・・・次の戦いまでに間に合うかどうか解らんと・・・」
私の驚きなど余所に、クロは構わず話しの先を進める。
確かにクロの言ってる事は、私も感じていた・・・
あの状態・・・金色孔雀って言えば良いのかな・・・は、少しでも気を抜いたら、有り余る力が暴走しそうになってしまう。
慣れるだけじゃ駄目だって事は・・・私も感じていた。
「・・・だがそんな力でも、実戦に近い状態ならばあるいは・・・そして主のあの力と、まともに戦えるのは・・・今のところ我と宝仙のみ・・・」
「ッ!ちょっと待って!!それじゃクロが・・・」
クロの言葉を聞いて、クロが何を考えているのかが解って、慌てて言い返した。
クロの考えている事・・・金色孔雀になった私と、人化したクロが戦う・・・
確かにそれだったら、クロの言う通り、早く制御出来るようになるかもしれない・・・
けど・・・クロは人化すると言う事は、命を削ると言う事・・・
「駄目だよクロ!私の為に、そこまでしなくても・・・」
私がそう言うとクロは、目を伏せて顔を横に振った・・・
「我の事など気にするな・・・次の戦い、恐らく今までに無い、熾烈な戦いになるだろう・・・その刹那の元に、どれほどの妖怪が集っているかは知らぬが・・・我が戦った、あの白光・・・奴は間違いなく高位の妖怪だった・・・今度の戦いでは、その白光と同等かそれ以上の妖怪も居ると見て間違いない・・・出来る事ならば、主にそのような所に行って欲しくはないが・・・言っても聞いてはくれぬのだろう?」
「それは・・・」
「・・・ならば我に出来る事は、少しでも主が無事に生還出来るよう・・・その手助けをする事。それに我は、主に誓いを立てた・・・この命尽き果てるまで、御身御守護をと・・・だからこそ、我も今より更に強くなりたい。」
「クロ・・・」
クロにそう言われて、それ以上何も言い返せなくなってしまった・・・
「・・・解ったよ、クロ。」
暫くの間考えて、私はそう呟いた。
クロも・・・クロなりに考えてくれてるんだ・・・
「・・・一緒に強くなろう。」
「・・・御意。」
私がそう呟くと、クロは頭を下げて、いつものよう答えてくる。
「・・・羨ましいな。みんな、聖さんの事を想ってるんですね・・・」
不意に真夜さんにそう言われて振り返ってみると、穏やかな笑顔を浮かべながら、私に顔を向けていた。
その言葉に、少しだけ恥ずかしくなって、顔が熱くなるのを感じた。
・・・みんなの想いに応えるためにも、強くなろう・・・
みんなの想いを背負い、ついに私の修行が始まった・・・
ドシャ・・・
「・・・ふぅ。」
今日何匹目かの屍鬼を倒し、周りに他の屍鬼が居ない事を確認してから、ため息を一つ吐いた。
富士の麓に広がる樹海・・・その奥地に、今俺は居る。
ここは、屍鬼と呼ばれる鬼の巣窟で、ここに来てからというもの、際限なく奴等が集まってくる。
ここは昔から、富士の噴火のにより蓄積された溶岩の影響で、風穴やら氷穴が多くあったとされている。
その中には、冥界への入り口も在ったとされ、それを役小角が封印したと言われている。
それ以来富士山は、密教の大霊山と言われる程となった。
そして屍鬼とは、時の移ろいと共に弱まった、冥界の封印から這いずり出てくる、恨み辛みを抱いて死んでいった、人間の魂に宿った鬼と言われている・・・
その恨み辛みが強ければ強い程、強力な屍鬼に成ると伝え聞く。
嘘か誠か・・・そんな大昔の真偽など定かではないが、ここが屍鬼の巣窟となっている事だけは間違いない。
今日はまだお目に掛かってはいないが、これまでに四・五体、かなり上位の屍鬼に遭遇したのも事実だ。
「・・・一度戻るか。」
この辺りには、もう襲ってくる屍鬼は居ないと判断し、ここに来てから見つけた洞窟に向かって歩き出した。
とりあえず、水と寝床の確保は出来ているので、帰りがけに何か食える物でも見つかれば上々だ。
ここに来てからというもの、方向の感覚は疎か、時間の感覚まで麻痺してしまったように感じる。
その上、秋だというのに、生ぬるい風が吹いてくる。
それもこれも、この森が不気味な気を発している所為だろう・・・
なので、寝床にしている洞窟から、あまり離れる訳にもいかない。
とはいえ、寝ている間も屍鬼の襲撃に気を付けなければならないので、気の休まる暇など無いのだが・・・
ここに来て約十五日・・・全く手入れをしていない為、髭は伸び放題、上半身裸でほとんど野生児と変わらない。
まぁ、身なりを気にしていられる程、こちらに時間は無いのだから仕方がない。
それでもこの短期間で、霊力はかなり上がった。
神威との戦いで上がった俺の霊気は、結局一時的な現象に過ぎなかったが、その時と同等の霊気を身につける事が出来た。
俗に、霊気を身につける為や、上げる為の修行は、長い年月を掛けて徐々に馴染ませるのが一般的だ。
だが俺や桜の様に、並以上の法力僧がそんな事をやったとしても、上がる霊力は微々たる物だ。
そう言う者達が、もっと効率よく霊気を上げる方法が・・・今俺が行っている苦行だ。
人間や妖怪の気・・・霊気や妖気は、簡単に言うならば『魂の力』だ。
その『魂の力』を、爆発的に強める行為・・・自らを窮地に追い込ませ、生命の防衛本能によって、魂の力を奮い立たせ、無理矢理霊気を上昇させる・・・
命の危機感が強ければ強い程、霊気は大きく上昇する。
だからこそ、下手な妖怪よりも強く、凶暴な屍鬼の巣窟であるここを選んだ・・・
そのお陰で、こんな短期間に、大幅に霊力を強める事が出来たのだ。
だがそれでも、明王化した聖の神気にはまだ及ばない。
つまりそれは、神威や刹那の妖気にも及ばないという事だ。
後一月弱程の間で、どれだけ上げられるか・・・時間との勝負だな・・・うん?
寝床にしている洞窟に向かう途中、不意に気配を感じた俺は、その場で立ち止まって感覚を研ぎ澄ます。
屍鬼・・・いや、違う。なんだ・・・この威圧感は・・・
まるで何かに押し潰される様な闘気・・・力は巨大だが、知能が低い屍鬼とは、明らかに違う。
「・・・誰だ?」
一番気配を強く感じる方向に向かって、声を掛けると、木々の間から一人の大男が姿を現した。
年の頃四十程だろうか・・・長い顎髭を携え、力強い太い眉と、鋭い眼光が印象的な大男。
屈強な筋肉の鎧に包まれ、袖と裾はボロボロだが、山伏の格好をしている。
「・・・人に名を尋ねる時は、まず自分から名乗られい。」
・・・こいつ・・・強い。
「・・・この世に生を受けた時から名前など無い・・・だが今は、一応宝仙と名乗っている。」
こちらの揚げ足を取る大男の言葉など全く意に介さず、皮肉を込めてそう答える。
大男の言葉に反応するよりも、今俺の目の前に居る男が、純粋に強いと言う事にまず反応していた。
「・・・ワシの名は羅刹。ヌシには因縁など無いが・・・ワシと勝負して貰おうか。」
羅刹と名乗った大男は、そう言うと戦いの構えを取った。
「・・・刹那の手の者か?俺を倒せと命令されたか・・・」
「・・・いや・・・確かにワシは、あの娘と行動を共にしている・・・が、あの娘の命で動いている訳では無い・・・っとだけ言っておこう。」
そう言うと羅刹は、抑えていた妖気を解放する。
それと同時に、羅刹の妖気と混じり合った空気が、風を生みだして辺りの木々の葉を散らせた。
問答無用か・・・
羅刹の口振りからして、奴は単に俺と戦いに来た・・・と言う訳でも無さそうだが、それならばそれで良い。
刹那に関して、知りたい事が山積みの俺にとっては、逆に好都合かもしれん。
「・・・良いぜ・・・その申し出、受けて立とう。ただし・・・俺が勝ったら、俺が知りたい事を洗いざらい喋って貰うぜ。」
そう言って俺は、袴に備え付けられた小物入れから、不動明王珠を取り出し、構えを取った。
「・・・良かろう・・・ッ?!」
「ッ!!」
その時、新たな妖気を感じ取り、俺も羅刹もそちらに視線を転じた。
それも、一つや二つではない・・・桜の様に、正確な数は解らんが・・・俺と羅刹を中心に、無数の気配に取り囲まれている事だけは確かだ。
・・・取り囲まれたか・・・
周囲を見回しながら、今自分が置かれている状況を、冷静に分析していく。
「・・・羅刹殿・・・助太刀いたしましょう・・・」
その時、不意に辺りに響き渡る声と同時に、取り囲まれていた範囲が、徐々に狭められていく。
そして、徐々にその姿を現し始める魑魅魍魎達・・・
「何の真似だ!加勢は要らぬと言ったであろうが!!」
先程聞こえてきた声に対し、羅刹が声を荒らげるのが聞こえ、一瞬驚きながら羅刹に視線を向ける。
・・・奴も知らなかった事・・・と言う事か。
「・・・雲外鏡様からの御命令です・・・その男を完全に抹殺せよ・・・と。」
雲外鏡!そう言う事か・・・
羅刹に向かって発せられた言葉を聞いて、何故これほどの妖怪が、気配も感じさせずにいきなり現れたのか・・・その理由が解った。
魑魅魍魎達の中から聞こえてきた名前・・・雲外鏡とは、鏡に取り付いた付喪神で、鏡と鏡をつなげて道を作る事が出来ると、以前聞いた事がある。
付喪神は、他の妖怪達とは違い、年を重ねる毎にその力が増すと言われている。
恐らく・・・使い魔か何かを使い、この辺りに出口となる鏡を、配置していたのだろうが・・・これだけの数の妖怪を、一気に送り込めるとは・・・刹那の傍に居る雲外鏡は、恐らく千年以上生きた付喪神だろう。
「・・・ならば帰って雲外鏡に伝えよ。ワシは貴様の指図で来た訳ではない・・・要らぬ横槍をすると言うのなら、貴様を敵と認識するとな。」
「しかし・・・」
「くどい!さっさと去れ!!」
尚も食い下がろうとする妖怪達は、羅刹の一喝だけでたじろぎだした。
「・・・これはワシと、彼者との決闘だ・・・水を差すというのなら、先に貴様等を葬るぞ・・・」
・・・フッ。こいつ・・・
羅刹と妖怪達とのやりとりを見て、俺は思わず苦笑する。
「・・・そうだな。俺もあんたとサシで勝負がしたいぜ・・・」
苦笑を浮かべながら、羅刹に向かってそう呟く。
俺は久しぶりに、本物の武人と出逢えた気がした・・・
本当に久しぶりだ・・・命の遣り取りではなく、ただ純粋に本気で戦ってみたいと思った事は・・・
「それにはまず・・・外野にご退場願わないとな・・・」
そう言って俺は、常に抑えている霊気を一気に解放する。
その俺の霊気に妖怪達が怯み、取り囲む範囲が広がった。
数はおよそ百・・・腕試しにはちょうど良い・・・
「わざわざこんな所まで来て貰った事だ・・・羅刹との決闘の前の準備運動も兼ねて、相手してやるよ。」
「なっ?!」
俺の言葉を聞いて、俺と羅刹を取り囲む妖怪達にざわめきが起こる。
一人羅刹だけは、全く動揺した様子もなく、黙って俺を睨み付けてくる。
「・・・負けの言い訳にするつもりではあるまいな?」
不意に羅刹にそう言われ、思わず肩を透かしてみせる。
「そんなつもりは無いさ・・・今日の俺は、機嫌が良いだけさ・・・あんたみたいな武人に出逢えたからな・・・・」
「・・・フッ。そうか・・・」
俺の答えを聞き、苦笑を浮かべた羅刹は、不意に俺に背を向け歩き出した。
羅刹が歩き出した事により、妖怪達が横に退いて道を開ける。
「ならば見せて貰おう・・・ヌシの本気をな・・・」
そう言いながら、羅刹は手頃な木まで移動すると、腕組みしながら寄り掛かった。
「あぁ・・・その目にしっかりと焼き付けておく事だな。」
そう言って俺は、俺を囲む妖怪達を見据える。
「さぁ・・・始めようか。あまり時間を掛けたくはない・・・一気に来い。」
妖怪達を見据えながら、殺気を込めてそう言い放ち、自然体のまま構えを取った。
「グッ!おのれ・・・人間風情が・・・これだけの数相手に、無事に済むと思うな!!」
妖怪の一人がそう言うと、それを切っ掛けに、妖怪達が一気に俺目掛けて襲いかかってくる。
「相手は一人!!恐るるに足りん!!」
「首を獲れー!!」
『ウオオォォォーッ!!』
それぞれ思い思いの事を叫びながら、妖怪達の咆吼が、渦となって押し寄せてくる。
翼を持つ者は翼を使い、身軽な者は周囲の木を使い、怒濤の如く押し寄せてくる妖怪達。
全方位を塞がれ、逃げ場が無くなっても・・・俺は未だ動こうとしなかった・・・
『ウオオオォォォーッ!!』
「・・・喰らえ・・・」
先頭妖怪が俺に攻撃を仕掛けた瞬間、俺の呟きと同時に、周囲の空間が揺らぐ。
・・・ズドンッ!!!!
次の瞬間、大地を揺るがす程の轟音を轟かせ、俺の間近まで迫っていた妖怪達が、一斉に地面に平伏した。
ズズズズズ・・・ズズンッ!
尚も地響きは続き、また轟いた轟音と共に地面が沈んだ。
そんな状況の中、未だ平然と俺はその場に立っている。
・・・うまくいったな。
周囲を見渡せば、沈んだ地面の外には、未だ数十匹の妖怪達が居るが、それでも大半の妖怪達は、今の俺の攻撃によって地面にめり込んでいる。
「・・・ほぉ。」
そんな中、感心したかの様な声を聞いて、羅刹に視線を向けた。
「ば、馬鹿な・・・貴様一体何をした!!」
不意に、生き残った妖怪達の中の一匹が、俺に向かってそう叫んでくる。
それに対し俺は、そちらに視線を向けた。
「さて・・・な。この力が何なのか・・・俺よりもテメェ等の方がよく解ってるんじゃないのか?」
そう呟いて、俺は力の解放を止めた。
すると地響きも止まり、空間の揺らぎも消え去った。
「確かに、少し前の俺だったら・・・あれだけの数の妖怪を、相手にしようなどとは思わなかったさ・・・少し遅かったな・・・俺は『真理』とやらに、辿り着いたのさ。」
神威の言葉・・・『真理』に近づいた者・・・
それはつまり、『近づいた』と言う事であって、『辿り着いた』という訳ではない。
そしてその言葉が、ずっと気がかりだった・・・いや、答えは最初から目の前にあったが、近すぎて見えなかったと言った方が良いだろう。
その『真理』の答えとは・・・妖怪の持つ特異な力の事だ。
神威で言うならば『空間彎曲』・・・虚無の一族で言うならば『闇』・・・クロで言うならば『黒焔』。
妖怪の種族によって、扱える力は様々だ・・・そして、何らかの例外を除き、扱える力は一種類と限られている。
妖怪にとってはそれが当たり前・・・人間にとっても、妖怪が特異な力を操れるのは当たり前だ。
その事は、俺が操る霊気の鎧・・・『霊鎧』の関係と、よく酷似している事だった。
だからこそ俺は思った・・・妖怪の特異な力も、結局は妖気を元に発現している・・・つまり『魂の力』だ。
ならばそれが、霊気を操る事の出来る人間でも、霊力を元に発現出来ないか・・・そう、神威との戦いが終わった後、考えるようになった。
そしてその答えは・・・可能だったと言うだけの事・・・
希に人間の中にも、生まれながらに炎や風を操れる者や、そう言った能力を持つ一族が、極僅かだが確かに存在する・・・
それを踏まえれば、実現は可能だと考え、この樹海に来て真っ先に試し成功した。
そして俺が手に入れた力は『天』の力・・・金剛夜叉明王と同じ、『重力』を操る力だった。
「・・・俺は、俺に牙を剥く者には容赦しない・・・逃げるなら・・・今の内だぞ?」
勤めて冷徹に呟きながら、残った妖怪達を睨み付け、右手を眼前に持っていき、そこに重力の塊を作り出す。
「ひっ・・・」
俺の言葉に対し、残りの妖怪達が、息を飲むのが解った。
「・・・これで終いか。準備運動にも成らなかったな・・・」
暫く、妖怪達が動くのを待ってはみたものの、誰一人襲ってくる者は居らず、そう呟いて掌に作り出した重力の塊を消し去った。
「・・・待たせたな。」
そして俺は、木により掛かっている羅刹を睨むと、笑みを浮かべながら呟いた。
それに対し羅刹は、木から体を浮かせると、ゆっくりと横に歩き出す。
それに併せ俺も、場所を変えるべく歩き出した。
「ら・・・羅刹殿!」
「・・・手出しは無用・・・ワシ等の戦いに巻き込まれたくなければ、尻尾を巻いて雲外鏡の元へ逃げるが良い・・・」
妖怪の言葉に、羅刹がそう答え立ち止まった。
俺もまた、羅刹と対峙する形で立ち止まる。
「・・・先程の力・・・見事だった。人の中にも、ワシ等妖怪と同じく、自然の力を操れる者が居るとは聞いていたが・・・実際に遇うのは初めてだ。よもや・・・あれほどとわな・・・」
羅刹の言う自然の力とは、すなわち火・水・木・土・金・風・雷・天の八つの力。
自然とはすなわち万物を司るもの・・・俺達の操る八大明王陣も、この八つの力のどれかに属する。
不動明王呪なら火、軍荼利明王呪なら水、孔雀明王呪なら風・・・
だが結局、媒介を用いる明王陣では、間接的にでしか力を発現する事は出来ない。
だが俺の様に、直接的に力を発現できるようになれば・・・これ以上に強い力はない。
自然の力を操る事の出来る人間・・・それが、『真理』に辿り着くという事だった。
「だが、それだけの力だ・・・掛かる制約もまた・・・大きいのではないか?」
「フッ・・・ご名答。」
羅刹の言葉を聞いて、苦笑混じりにそう呟いた。
「力を操れる様になり、色々と試した・・・この力が届く範囲は、俺を中心に半径十間程度と言った所だ。さっきみたいに力を広範囲で発現させるなら、半径四・五間が限度・・・小出しにしても、同時に発現させられるのは三つが限度・・・しかし、俺自身は力の効果が及ばないので、発現中でも自由に動き回る事が出来る・・・と言った所か。」
羅刹に向かって、今の所解っているこの力の制約を、淡々と語っていく。
この力を手に入れてから、自分なりに色々と試してみた。
どんな力なのか・・・どんな作用を及ぼすのか・・・それが解らず使う事程、怖い事はない。
「・・・随分簡単に教えるとは・・・大した自信だ。」
不意の羅刹の一言に、俺は肩を透かして苦笑する。
「そんなんじゃねぇよ・・・ただ、自分でもまだ上手く操れないだけさ。まだ感覚が追いついてない所為だろうが、力加減の調節がデタラメだ・・・そんな状態の力など、実戦で役に立つ訳がない。」
「・・・成る程。だからわざと挑発し、圧倒的力を見せつけ、他の者の戦意を消失させた・・・と言う訳か。」
「そう言う事さ。」
羅刹に俺の思惑を見透かされ、苦笑を浮かべながら頷く。
「・・・さて、今度はあんたの番だ・・・あんたの力、見せて貰うぜ・・・」
「フッ・・・良かろう。ワシも、ヌシの様な武士に巡り逢え、機嫌が良い・・・」
羅刹がそう言うと同時に、周りの風が奴を中心に渦巻き始める・・・
最初に奴が妖気を解き放った時にも、風がその影響を受けていた事から考え、奴の能力はやはり『風』の様だ・・・
風を操れる妖怪・・・となれば、奴の正体はかなり絞り込めてくる・・・
「ハアアアァァァ・・・ムンッ!」
ヒュゴオオオォォォーッ!!
不意に風が荒れ狂い、一瞬羅刹の姿がかき消える。
だが次の瞬間風が収まると、そこには・・・
「烏丸大天狗・・・羅刹。」
鼻が高く伸び、赤ら顔で白く長い顎髭と、手には巨大な葉扇子を携え、鋭い目つきの、般若を思わせる様な形相の大天狗が、そこに立っていた・・・
風を操る力・・・そして、山伏の格好をしていた事から、まさかとは思ってはいたが・・・
今目の前に居るこの大天狗・・・鴉天狗や普通の天狗を従える、天魔と呼ばれる天狗の中の天狗・・・
その力は、天を揺るがすとさえ言われ、間違いなく上位に位置づけられる大妖怪。
改めて名乗りを上げた羅刹は、不意に手にした葉扇子を放り投げ、拳を握って構えを取った。
あからさまな挑発・・・だがそれも悪くない。
「・・・武神流六芸、並びに僧兵院式無明流が使い手・・・宝仙。」
羅刹が名乗るのに敬意を払い、俺もまた名乗りを上げ、左手に持った不動明王珠を仕舞うと、武神流闘術の構えを取った。
「・・・名乗り合ったが勝負の始まり・・・」
「いざ・・・尋常に・・・」
『勝負ッ!!』
ドンッ!
同時に叫び合うと、互いに大地を蹴って、間合いを一気に詰める。
『オオオオォォォーッ!!』
ドドドドドドドッ!!
一気に間合いが詰まると、どちらからともなく肉弾戦へと発展する。
互いに闘気を剥き出しに、拳と蹴りを突き出しぶつかり合う、純粋な力と速度の勝負。
互いに神速に近づき、打ち出す拳が壁に変わる。
打ち出す攻撃の闘気と、俺の天の気、羅刹の風の気が混じり合い、俺達を中心に大地はへこみ、風が荒れ狂う・・・
異能の力での勝負では、力の優劣も確かに重要だが、それよりももっと重要なのが『相剋』と『相生』だ。
『相剋』とは書いて字の如く、相を剋すと言う事・・・
つまり、火は水によって消され、相殺し合うと言う事。
逆に『相生』とは書いて字の如く、相を生かすと言う事・・・
つまり、火は風によってその威力を増し、相乗し合うと言う事。
自然の力には様々な要因があり、互いの力を活かす事も殺す事も出来る。
そして俺の天の気と、羅刹の風の気では、相乗はしても相殺はしない・・・元々自然の力に優劣など無く、純粋な異能の力での勝負では、相剋の方が重要になり、俺と羅刹の場合で当てはめれば、決着は着けにくい。
だから自然と、相手の体に直接叩き込む機会を、お互いに狙わなければならなくなる。
だが見たところ、俺と羅刹の霊気と妖気・・・肉体能力も、ほぼ互角と言っていい。
そうなれば後は、長年の戦いの勘と、持久力の勝負だ。
『オオオオォォォーッ!!』
ドドドドドドドドッ!!
拳と拳がぶつかり合う壁をくぐり抜け、互いの肉体に直接拳を叩き込むが、お互い一歩も引かない。
まるで絶壁の孤島の上で、殴り合っているかの様な錯覚さえ覚える。
「ハアアアァァァーッ!!」
バチンッ!!
「ムッ?!」
その時、一瞬の隙をついて、俺は羅刹の拳を弾くと、同時に奴の懐に潜り込んだ。
「武神流闘術!狂熊乱撃!!」
ドゴドゴドゴドゴッ!!
叫ぶよりも早く、がら空きの羅刹の体に、掌ていの乱撃を浴びせ続ける。
「グォッ・・・」
羅刹が呻くのが聞こえるが、それに構わず休まず攻撃を続ける。
「オオオオォォォーッ!!無明流!龍槍!!」
とどめの一撃を放つ為、一瞬攻撃の手を休め、力を溜めると同時に技を放つ。
「いい気になるな!小僧!!」
ズドンッ!!
「・・・ガッ!」
龍槍の一撃目が、羅刹の体に当たる瞬間、まるで岩でもぶつけられたかの衝撃が走り、次の瞬間俺は大地に叩き付けられていた。
「・・・グッ」
すかさず羅刹は、俺の頭を無造作に掴むと、軽々と持ち上げる。
「ムンッ!」
ドゴンッ!
「ガハッ!」
不意に俺の頭を掴む手を離したかと思えば、強烈な一撃が、俺の顎を突き上げ、軽々と吹き飛ばされた。
だがすぐさま体勢を整え地面に着地すると、ゆっくりと立ち上がる。
「・・・ヘッ。」
「・・・フッ。」
互いに鼻で笑いながら、今一度構えを取って対峙する。
・・・良い体してやがる・・・まるで鉄の塊でも殴った様な感触だ・・・
力はほぼ互角・・・下手な小細工は、逆に負けに繋がる。
「・・・フゥー・・・」
高まる感情を抑える為、目を閉じ深呼吸を一つする。
この勝負・・・ほんの些細な切っ掛けで、雌雄は一瞬で決まる・・・
「・・・いくぜ。」
不意に目を開き、羅刹を睨み付けそう呟くと、互いに大地を蹴り、戦闘を再開する。
『オオオオォォォーッ!!』
ドドドドドドドッ!!
また先程と同じように、拳と蹴りによる肉弾戦が再開され、ぶつかり合う闘気と、俺の天の気と羅刹の風の気が、繭の様に俺達を包み込む。
『ッ?!』
不意に異様な気を感じ、攻撃の手は止めず、お互い感じた気を横目で確認する。
「グオオオォォォーッ!!」
異様な気の正体・・・この森に住み着いた屍鬼が数体、俺達に向かって駆け寄ってきている所だった。
あまりにも戦いに熱中しすぎ、奴等が近づいてくる事に、全く気が付かなかった。
知能が低い屍鬼は、人間だけではなく妖怪すら襲う。
縄張り意識が強いのかどうかまでは解らんが、奴等にとって自分達以外の存在は、全て敵と認識されるのだろう。
それに奴等の領域で、これだけ激しい戦いをしているのだ・・・遅かれ早かれ、奴等が感づくのも解る。
だが今の俺達にとって、これ以上腹の立つ事はない・・・
「グオオオォォォーッ!!」
俺達の戦いなど余所に、屍鬼共はお構いなしに、俺達に向かって攻撃を仕掛けてくる。
そんな中俺達は、一瞬攻撃の手を止めると、襲いかかってくる屍鬼共に向き直った。
「この・・・俺達の戦いに・・・」
「何人も・・・邪魔はさせん・・・」
『退けーッ!!』
俺と羅刹、同時にそう叫ぶと、襲いかかってくる屍鬼を殴り倒していく。
ドゴンッ!!
ぶつかり合う事により、互いの闘争本能が最大限まで高められている俺達・・・加えて、この戦いに水を差された怒りから、片っ端から屍鬼を滅ぼしていく。
ドシャ・・・
『オオオォォォーッ!!』
襲いかかってくる屍鬼達を、一瞬で片付けた俺達は、間髪入れず振り向き様に、渾身の一撃を相手に向かって放つ。
ドゴオオォォォーンッ!!
俺の天の気と、羅刹の風の気・・・最大限まで引き出された二つの力がぶつかり合い、閃光が俺達を包み込むと、大地を揺るがし大気が震えた。
閃光が収まると、俺と羅刹は、最後の一撃を放った状態のまま、静かに立っていた。
「ふぅ・・・ふぅ・・・」
「はぁ・・・はぁ・・・ぅ・・・」
ズザ・・・
軽い呻きを上げて、俺は膝を折って、その場に崩れた。
「・・・楽しかったぜ・・・」
そんな俺を、見下ろしてくる羅刹を見上げながら、笑みを浮かべてそう呟いた。
「・・・ワシもだ・・・」
俺の言葉にそう呟くと、羅刹は目を瞑って後ろに倒れ込み始めた。
「見事・・・」
ズズン・・・
その呟きと共に、羅刹が巨体が倒れ込むのを確認してから、俺は空を見上げた。
「・・・命の遣り取り抜きで・・・戦いを素直に楽しいと感じたのは・・・久しぶりだ・・・」
「ワシも・・・戦い終わって、こんなにも清々しい気分になったのは、久方ぶりだ・・・」
羅刹の呟きが聞こえてきたので、俺は視線をそちらへと戻した。
「あんたとはまた、こんな風に戦いたいものだ・・・」
「フッ・・・次は、完膚無きまでに、叩きのめしてくれるわ。小僧が・・・」
「それはこっちの台詞だ、ジジィ・・・その時まで、俺が聞きたい事はお預けだ。」
戦いが始まる前に、俺が羅刹に言った事を思いだし、もう一度口にする。
戦いに夢中になり過ぎ、すっかりその事を忘れていた・・・
「フッ・・・フッフッフ・・・」
「クックック・・・」
『ハッハッハッハッハ!』
戦い終わり、気持ちの良い疲労感に包まれながら、俺達は二人で笑い合っていた・・・
初めて会ったにも関わらず、まるで昔から知っている様な・・・
こんな好敵手に巡り逢えた事を・・・素直に嬉しく思っていた。
「・・・おのれ羅刹め・・・何を笑っておるか・・・」
暗い闇の中、雲外鏡の左目に埋め込まれた鏡が、淡い光を放っていた。
「絶好の好機だというに・・・」
その場に一人座り込みながら、苦々しく呟く雲外鏡。
『・・・何が・・・好機なのだ?』
「ッ?!」
その時、闇の中から女の声が聞こえ、雲外鏡は後ろを振り返った。
だがその先に、居るべき筈の声の主の姿は、何処にも見あたらなかった。
『・・・何が好機なのか・・・と聞いているんだ・・・雲外鏡。』
「せ・・・刹那様・・・ッ?!」
また聞こえてきた声に、雲外鏡はたじろぎながら後ずさろうとする。
しかし、その雲外鏡の体に、意志を持った闇がまとわりつき、体の自由を奪っていった。
『貴様・・・俺の言葉を無視して、随分好き勝手にやってくれたな・・・おまけに、無駄な犠牲まで払って・・・覚悟は出来ているんだろうな・・・』
「お、お待ち下さい刹那様!儂・・・わたくしめは、今後の為を思って・・・」
『問答無用だ・・・』
ボキンッ!
「ッ?!ギャアアアァァァーッ!!」
冷徹な声が響いてきたかと思えば、次いで雲外鏡の腕の骨が折れる鈍い音が聞こえ、後から雲外鏡の絶叫が、暗い部屋の中に響き渡った。
『俺の言いつけが聞けないのなら、すぐにここを立ち去れ・・・貴様が居なくとも、儀式の準備は出来るんだ。』
「う・・・うぅ・・・ヒッ?!」
そう言い放つ声の後、痛みに呻く声を上げる雲外鏡は、自分の折れた腕に視線を向けた瞬間、息を飲んで震え上がった。
雲外鏡の折れた腕・・・その腕に、ジワジワと闇が染みこみ、まるで侵蝕していくかの様に、黒く変色していく・・・
「せ、刹那様!お許しを・・・お許しを!!」
自分を戒める闇から、必死に逃れようと藻掻く雲外鏡は、聞こえてくる声に懇願する。
だがそれでも、黒く変色していく侵蝕が止まる事は無かった。
そしてその変色が、折れた腕全体に広がると、まるで飲み込まれるかの様に、闇の中へと消えていった・・・
「う・・・腕が・・・儂の腕が・・・」
自分の腕が闇に飲み込まれる瞬間を目撃した雲外鏡は、愕然とした表情で、うわごとの様にそう呟いていた。
『・・・腕一本。それでこの失態を帳消しにしてやる・・・ここを去りたければ去れ。』
そう聞こえてきたかと思うと、それまで雲外鏡を戒めていた闇が消える。
「ッ?!も、申し訳ございません・・・どうか、お許し下さい・・・」
それによって我を取り戻した雲外鏡は、そう言うと同時、姿の見えない声の主に対して、頭を地面にこすりつけんばかりに土下座する。
『・・・次は無い・・・儀式の準備は、おまえが居なくても出来るんだ・・・それをよく肝に銘じておけ・・・それから生き残った者達を、すぐに呼び戻せ・・・二度と・・・宝仙に手を出すな。』
「ハ、ハハァッ!」
そう言い終わった後、主無き声が聞こえてくる事は無かった。
だが雲外鏡は、その後暫くの間、震えながら土下座を続けていたのであった・・・
秋も終わりに近づき、肌寒い初冬の風が、草原に吹き抜けていく・・・
「・・・あんたとの約束・・・ようやく果たす時が来た様だ・・・」
対峙した海淵の墓前の前で、自分でも確認する様に、そう呟いた。
樹海での修行を終え、江戸に戻る前に、ここ海淵の墓へと報告を兼ねてやって来た。
「・・・ここで、刹那と別れて・・・あんたが死んで、もう八年以上か・・・随分と遠回りした様な気がするよ・・・」
そう独白して、初冬の青空へと視線を向けた。
たまに・・・思う事がある・・・
もしあの時・・・俺が刹那と共に、歩む事を選んでいたら・・・と・・・
そうしていれば・・・奴を止める事が出来たのではないか・・・と・・・
姿や人格が変わっても、俺が護ると刀に誓った、静菜である事に変わりない・・・
だが・・・俺はそれを選ばなかった・・・そして、誓いを立てた刀も・・・今は俺の手元には無い・・・
それに、もしあの時刹那と行動を共にしていたとしても、あの頃の俺・・・『零』と呼ばれていた頃の呪縛に捕らわれていた俺に、刹那を止める事が出来たとは考えられない・・・
もしかすれば『零』に立ち戻り、刹那と共に妖怪共を率いていたかもしれない・・・
いくら静菜と出会い、それまでの俺では無くなったとしても、人はそう簡単に変わるものでは無い。
命を賭けた戦いで、今まで何度と無く『零』に立ち戻りかけた・・・
その度に、俺を冷めた瞳で見据える、俺が居るのを感じていた・・・
あの頃の・・・死に場所を求め戦い、命の危機を感じて喜ぶ・・・そんな俺が・・・
「・・・フッ。ここに来るといつも、弱気に成るな・・・考えても詮無き事・・・解っちゃいるんだがな・・・」
苦笑しながらそう呟き、視線を海淵の墓へと戻した。
「・・・そうだ。あんたに一つ、報告しておかなきゃならない事がある・・・」
不意に思い出して、そう呟いた。
「聖・・・俺の馬鹿弟子のお陰で、ようやく呪縛が解けた気がする・・・ようやく・・・涙を流せたんだ・・・」
今まで何度となく感じていた、『零』だった頃の俺の呪縛・・・
生と死の境目・・・綱渡りをする様な緊張感に包まれると、必ず奴が姿を現していた。
だがあの時・・・神威との死闘の末、聖を死に至らしめてしまった時・・・何時の頃か、何処かに置き去りにしてきた、俺の欠けた最後の部分が埋まった。
そして俺は涙を流した・・・
まるで、その涙と一緒に流れ落ちる様に・・・『零』だった頃の俺が居なくなっていた。
その後の神威と決着を着けようとした時・・・勝てるかどうかも解らず、勝ったとしても確実に俺が死ぬ状況にも関わらず・・・今までに感じた事の無い、不思議な感覚に包まれていた。
死を身近に感じた事は、今まで何度と無くあったが・・・あんなにも穏やかな気持ちになったのは、初めてだった。
そして、羅刹との戦い・・・
自分と均衡している者との戦いに置いても、ただ純粋に羅刹に勝ちたいと思っていた・・・
死を求め、戦いに墓を求めていた『零』は、もう・・・居ない・・・
だが俺は、『零』だった頃の俺を否定するつもりは無い。
だがもしかすれば・・・『零』だった頃の俺こそが、俺の欠けた最後の部分で、聖のお陰で受け入れられたのかもしれない。
だとすれば、今まで俺は、『零』だった頃の俺を、無意識に否定していたのかもな・・・
一騎当千と謳われようと・・・所詮俺も、ただの人間・・・聖を見ていると、つくづくそう思わされる・・・
「・・・宝仙。」
不意に呼びかけられ、後ろを振り返ると、仮の姿の羅刹が、仏頂面で立っていた。
修行を終え、樹海を出たのが二日程前の事だ。
羅刹と初めて戦い合ってから一月半程・・・あれからも何度と無く手合わせした。
戦績は、覚えている限りで、六勝八敗五引き分けで、俺の負けだった。
だが・・・こんなにも後味の良い戦いは初めてだ・・・
「・・・ワシはそろそろ行く・・・」
「・・・そうか。刹那の情報、ありがとよ・・・」
そう言って俺は、羅刹に近づき、分厚い胸板を軽く叩いた。
「なに・・・構わんさ。」
そんな俺に対し羅刹は、苦笑を浮かべながら答えてくる。
「・・・これから、あんたはどうするつもりだ?」
不意に俺が、真剣な表情で羅刹にそう聞いてみる。
元々羅刹は、刹那側の妖怪・・・元々は、俺を倒すべくやって来た。
敵同士だというのに、こんなにも仲が良くなった羅刹。
だが、ここで別れれば、再び羅刹と敵として、相見える可能性もある。
羅刹が敵に戻るからと言って、今すぐどうこうするつもりも無いが、俺自身覚悟を決めるか否か、一応聞かなければならない。
「・・・故郷・・・鞍馬山に戻るつもりだ。一族の者達の反対を押し切り、あの娘と行動をしたワシを、許してくれればだがな・・・」
「フッ・・・なんだあんた、いい歳して家出かよ・・・」
羅刹の答えに一安心しながら、苦笑を浮かべて軽口を一つ叩く。
だが羅刹は、俺の軽口に対しても、全く笑みを浮かべなかった。
「・・・そうかも・・・しれんな。もう・・・五百年以上になるか・・・ワシは、一人の人間の童に出会った。」
不意に羅刹が天を仰ぐと、独白する様にそう話し始めた。
そして、俺の脳裏に、ある人物の名前が過ぎ去った・・・
「・・・牛若丸・・・源義経か・・・」
「・・・そうだ。」
俺の呟きに対し、羅刹は一つ頷きながら答えてくる。
源義経・・・あまりにも有名すぎる話しだ・・・
鞍馬山で出会った天狗から、義経は技を授かり、兄・頼朝の挙兵に呼応し馳せ参じ、平家の滅亡の最大の功労者となった。
だがそれによって得た物は少なく、むしろ失った物の方が多い・・・
その義経に技を授けた天狗・・・それが羅刹・・・
「ワシは、牛若の事以来、体中の力が抜けたかの様に、何もする気が起きなかった・・・ワシは、牛若を死なせる為に、力を授けた訳ではない・・・」
それは・・・俺があの時思った事と似ていた・・・
あんな所で死なせる為に・・・瀕死の聖を助けた訳じゃない・・・あんな所で死なせる為に、聖と共に過ごした訳じゃない・・・
この大天狗の気持ちが、今の俺には酷くよく解る・・・
「それから五百年・・・天魔と呼ばれたワシは、何もせずただ人間の世界を見ていた・・・そして疑問が生まれた・・・歴史が変わろうとする瞬間、そこには大きな戦乱が起こる・・・生きる事は戦いだ・・・だが何故、人は人同士で争うのか・・・何故牛若は、同じ血を分けた兄弟と、争わねばならなかったのか・・・と。」
それは・・・何時か静菜が言っていた言葉・・・
「そんな時だ・・・あの娘が現れたのは・・・あの娘は言った・・・この世の矛盾を、全て取り払うと・・・ワシはその呼びかけに応えた。矛盾が・・・牛若を死なせたのならば、それを取り除くのも良いと思った。そんな事をしても、牛若が戻るはずも無いのにな・・・」
「羅刹・・・」
遠い日の義経を思っているのか・・・悲しそうに遠くを見つめ、そう語る羅刹。
「・・・思えば、ワシ自身この世界に嫌気が差していたのかもしれん・・・だが、これも巡り合わせかもしれんな。」
そう言って羅刹は、俺に視線を向けて苦笑する。
「もしかするとヌシとの出会いは・・・牛若の導きかもしれんな。腑抜けたワシに、渇を入れる為に・・・」
「・・・フンッ。随分勝手だな・・・俺を倒す為に来たくせに・・・」
羅刹の言葉に苦笑を浮かべながら、俺はそう答えた。
「フッフッ・・・そうだな・・・だが、ヌシと巡り逢えて、心を奮い立たされた・・・感謝する・・・」
そう言って羅刹は、俺に背中を向けた。
すると妖気を解放し、本来の羅刹の姿へと戻る。
「・・・髪、散髪してくれてありがとよ・・・機会があったら、また戦ろうぜ。」
羅刹との別れが近づき、背中越しにそう語りかける。
修行前に一度切ったが、それでもこの二ヶ月半ほどで随分伸びていた。
その為、修行中に羅刹に散髪して貰っていた。
「・・・気にするな。機会があったら・・・か。そうだな・・・だがもう、ワシはヌシには勝てんだろう。ヌシが手に入れた二つ目の力・・・あまりにも強大だ・・・」
羅刹にそう言われ、一人肩をすくめて苦笑する。
羅刹との初めての戦いの後、俺は天の気を自在に操れる様になった。
それだけではなく、それ以外に手に入れた力が、もう一つある・・・
それは・・・
「・・・何弱気な事言ってやがる。そんな力無くても、完膚無きまでにあんたを叩きのめす程、強くなってやるさ・・・」
「・・・無茶を言うな。ワシはヌシと違い、もう自分の限界を決めてもいい歳だ・・・妖怪は人間とは比べ物にならぬ程、長く生きられる・・・だが、長く生き過ぎるのもどうか・・・と思うよ。」
「・・・そうか。」
羅刹の言葉に、少し残念な気持ちになりながら、それだけ呟く。
「・・・勝てよ。」
暫くの沈黙の後、不意の羅刹の一言に、俺は肩をすくめる。
「負けるつもりで往く訳じゃない・・・一人の女を救いに往くだけだ・・・」
「フッ・・・さらば。」
ヒュゴォウ!
羅刹がそう呟いたかと思えば、その体に風がまとわりつき、一瞬で空高くまで飛翔する。
「・・・あばよ。」
西に向かって飛んでいく、羅刹の影を見送りながら、俺はそう呟いた。
そして俺は後ろを振り向き、再び海淵の墓と対峙した。
「・・・俺の旅・・・宝仙の旅は、もうすぐ終わる・・・そうしたら、俺はまた名無しに戻ろうと思う・・・」
宝仙・・・刹那を倒す者・・・刹那と・・・雪菜と静菜を救う者の名・・・
その使命を果たした時、俺は宝仙の名を捨てる・・・
二人を・・・静菜と雪菜を、どうすれば救えるのか・・・まだ俺には解らない・・・
だが・・・それでも俺は、決着を着けなければならない・・・『止水』だった頃の俺に、果たせなかった事の決着を・・・
だから俺は・・・
「・・・往くぜ。」
そう呟いて、俺は歩き出した。
まだ見えぬ・・・未来へと・・・
初冬の良く晴れた日、私たちは、霊気お婆ちゃんの寺院の前に集まっていた。
長月の下旬には戻る・・・そう鈴音さんに言い残して、修行をしに行ってしまった師匠は、結局今日になっても戻ってこなかった。
けど、刹那さんが指定した神無月まで、もうすぐそこまで来ていた。
もしかしたら師匠は、修行を終えて、そのまま蛭子島に向かったのかもしれない・・・そう思って、私たちも蛭子島に向けて出発する事にした。
そして私たちの出発に、鈴音さんと兼道さん、真夜さんに麗姫お婆ちゃんまで、わざわざお見送りしてくれる事になった。
「・・・聖ちゃんも桜さんも、気を付けてね・・・」
優しい笑みを浮かべながら、鈴音さんが私たちにそう言ってくる。
「はい!ありがとうございます。」
「クロちゃんも・・・気を付けてね・・・」
視線を私の横に居るクロに向けると、同じように優しくそう言う鈴音さん。
それに対してクロは、無言のまま頷いた。
そんなクロの頭を、私は優しく撫でた。
「・・・桜さん・・・やっぱり私も!」
不意に思い詰めた様に、真夜さんが桜さんに向かってそう言い出す。
私の修行に付き合ってくれていた真夜さんは、ずっと私たちと一緒に・・・桜さんと師匠の手助けをしたいって、ずっと言っていた。
二人に助けられたから・・・今度は私が助ける番なんだって・・・そう言ってた。
真夜さんの想い・・・それはすごくよく解るけど・・・
「・・・真夜。あなたの気持ちは嬉しいけど・・・でも、あなたはここで、麗姫様の手助けをしてほしいの。本山が壊滅して、実質麗姫様が、最長老と言う事になるわ・・・未だに、本山の壊滅で混乱している僧達も居る・・・その僧達を束ねて、麗姫様の手伝いを出来るのは・・・十二神将『因達羅』の真夜・・・あなただけよ。」
優しく微笑みながら、桜さんは諭す様に真夜さんにそう語りかける。
「で、でも・・・」
「・・・真夜さん。真夜さんの想いの分まで、私が頑張るから・・・ちゃんと無事に帰ってくるから・・・だから、真夜さんは真夜さんの居場所で、頑張ってください。」
尚も何処か言いたげな真夜さんに、私は安心させる様にそう語る。
「場所が違うだけだから・・・私たちと、真夜さんたちとの場所が違うだけだから・・・きっと想いは、何処に居ても届くから・・・何処で頑張るのか・・・何を頑張るのか・・・ただそれが違うだけだから・・・」
「聖さん・・・」
一人一人、やるべき事がある・・・
それはきっと、大きさなんて関係無いから・・・
「麗姫お婆ちゃんのお手伝いは、真夜さんにしか出来ない事だと思うから・・・」
「・・・そうよ。真夜・・・あなただから、お願いするの・・・」
「・・・はい!」
私の言葉を受け継いで、桜さんがそう言うと、真夜さんが元気に返事をしてくる。
「・・・ホッホ・・・想いは何処に居ても届く・・・か。そうじゃな・・・」
不意に麗姫お婆ちゃんが、優しい笑顔を浮かべながらそう呟いてくる。
「・・・桜・・・」
「・・・はい。」
「・・・聖・・・」
「はい。」
そして、私と桜さんの顔を交互に見ながら、私たちの名前を呼んでくる麗姫お婆ちゃん。
「・・・必ず・・・無事に戻ってくるんじゃぞ。」
『はい!』
麗姫お婆ちゃんの言葉に、私と桜さんの返事が重なった。
そしてお婆ちゃんは、背後から大きな麻袋を取り出して、桜さんに差し出した。
「これを・・・」
それを受け取った桜さんが、袋を開けてそこに手を入れ、中に何が入っているかを確認し始める。
「ッ?!麗姫様・・・これは・・・」
一瞬驚いた表情を浮かべて、お婆ちゃんに顔を向けた桜さん。
不思議に思って、私も袋の中を確認する為、覗いてみる。
するとその中には、神威さんとの戦いで私たちが取り戻した、装飾品や仏具が入っていた。
それは、師匠や桜さんが、明王衆を名乗る上で、必要不可欠な物・・・私たちの持つ明王珠の残りの、全てだった。
「儂からの餞別じゃ・・・今、明王珠を扱えるのは、お主等意外におらん・・・任せられる者も然り・・・それを狙っておる者も、少なからず居る・・・お主等に委ねるのが一番安全じゃ。」
「麗姫様・・・」
「儂の想い・・・受け取ってくれるな?」
「・・・はい!」
お婆ちゃんの言葉に頷いて、桜さんは受け取った麻袋を持ち上げた。
「・・・聖。」
「はい?」
不意に兼道さんに呼びかけられて、そっちに視線を向ける。
「・・・静菜と宝仙・・・何の因果かは解らんが、分かたれた二人の運命の決着・・・俺達の変わりに、おまえが見届けてくれ・・・」
そう言いながら、鈴音さんの肩に手を置いて、真剣な表情で私を見つめてくる兼道さん。
本当は二人も・・・きっと私たちと一緒に行きたいんだと思う・・・
師匠と静菜さんの事を、昔から知っている二人だから・・・師匠と静菜さんに、救われたと言っていた二人だから・・・
「・・・はい。」
二人の想いを背負うつもりで、私は力強く頷いた。
「・・・それじゃ、行ってきます。」
別れの挨拶をして、私と桜さんとクロは、みんなに背を向けて歩き出した。
「気を付けてね~」
「桜さーん!聖さーん!どうかご無事でーっ!!」
鈴音さんと真夜さんの声を浴びながら、私たちは一路蛭子島を目指し、旅に出る・・・
みんなの想いや願いに応える為にも・・・必ず帰ってこよう・・・必ず・・・四人で・・・




