そのに
俺は地団駄を踏んでいた。
ただただ黙々と、フローリングの床を踏み踏みどしどしと地団駄を踏んでいた。
「妹はなぜ俺に冷たいのだ!?」「妹はどこに消えてしまったのだ!?」そんな問いかけに対する答えは見つかるはずもなく、俺にできることといえば、その歯痒さなりモヤモヤなりフラストレーションなりを床に向かってこれでもかとぶつけてやることくらいだったのだ。このこの!
あいにく今日は外の天気も良く、お出かけには最高の日和だと思う。春の陽気にぽかぽかと包まれていて、散歩をするならさぞ気持ち良かろう。
本来なら妹を誘って「栄大通り」にでも買い物に行きたいところなのだが、妹はすでに何処かに出かけてしまっている。
俺はお留守番せざるを得ないのだ。
それに今日は部活も休みだしバイトのシフトも入っていない。究極に暇なのである。退屈であることきわまりない。やることが無さすぎるあまりに俺の頭皮が後退してしまうかもしれない。
そんなことを思いながら、俺は黙々と地団駄を踏んでいた。黙々と淡々と。
だが、朝から休まず踏みっぱなしなので、段々と足が疲れてきた。……地団駄の踏みすぎで足が疲れるとか生まれて初めての経験である。超絶無駄なエネルギー消費の仕方だ。いたってエコじゃない。
俺はしかたなしふぅーとため息をひとつ吐き出し、手近にある椅子をひとつひく。そしてそこにどっしりと深く腰をおろした。背もたれがぎぃと音を鳴らす。
俺はこういうわけで再び退屈になってしまった。椅子に座りつつ疲労困憊の足をぶらぶらとゆすってみる。
しかし春香は本当にいったいぜんたい何を考えているのだろうか?年頃の女の子の思考回路というものは本当によめない。俺にとってはまるで未知の領域である。
それに今までにはこんな前例がなかった。幾度か兄妹喧嘩をしたことはあったやもしれないが、大抵お互いに正面切ってぶつかって、最終的に俺が折れて謝って一件落着というパターンばかりだった。
しかし今回はまるで状況が違う。
別に俺の思う範囲では喧嘩をした記憶なんてないし、春香に対して悪いことをしたという覚えもない。なのでいきなり謝罪するわけにもいかないし、策の打ちようがないのだ。手詰まり行き詰まりどん詰まりだ。
「今のこの冷戦のような状況を打ち破るべく神の一手とはいったい如何に」
うんうん唸って思索にふけってみるものの、やはり答えは分からない。というか、そもそも根本の原因がわかっていなければ打開策の打ちようなど分かるはずもない。
こうなってしまった原因とはいったい何なのか。それが理解できるまでは、一生どん詰まりのままだろう。
俺は分からないことをひたすら考えているとき、まるで終わりのない深淵の中に足を踏み入れているような気分になる。底なしの沼にもぐりこみ、永久に存在しない底を目指して潜っていくかのような錯覚に陥るのだ。
考えど考えど泥沼である。
時々立ち上がったり歩き回ったりしながらぼーっと思考をめぐらせるが、結果は同じだった。結局は何ひとつとして分からない。俺はもしかしたらとんでもない馬鹿なのかもしれないとさえ思った。
「ここはひとつ気持ちを切り替えるか……」
そう言って、延々の思考ゲームを一時中断し、俺は再び座り込んだ椅子から立ち上がる。
分からないことをいつまで考えていても仕方がない。それは時間の無駄というものだ。 俺は立ち上がった足で玄関へと向かった。
ここはひとつリフレッシュも兼ねて外に出かけてみよう。時には一人旅というのも悪くないかもしれない。そう思ったのだ。
俺はお気に入りの赤いハイカットのスニーカーを履き、ドアをぐいっと押し開ける。
「そうだな……栄大通りにでも遊びにいってみようか」
✳︎
そのとき私はというと、お察しの通り未だにのらりくらりと目的もなく人混みに流されているのでした。こんなに流されっぱなしでは、卒業写真のあの人にもど叱られてしまいそうです。
とはいっても仕方がないのですよ……。
私も幾度となくこの群衆の列から抜け出そうと試みたのですが、その甲斐むなしくまるで歯が立ちませんでした。 私が列の端っこの方にいればまだ隙をみて抜け出せたのでしょうが、私が位置するのは列のちょうどど真ん中でした。右にも左にもまるで抜け出せる目処が立ちません。
この群衆は私の気持ちなど露知らず、ずんずんずんずんと目的地に向かって進んでいるのです。その目的地とやらが何処なのかはてんで検討もつきませんが、そこに辿り着かないことには私は恐らく解放してもらえないのでしょう。
ならば仕方ありません。どうせ暇ですし、今日ぐらいはお供しましょう。
私は謎の群衆の波を乗りこなすように、のしのし進んでいきます。この先には本当にいったい何があるんでしょうねえ。
そんなことを考えながら歩いていた矢先、突然誰かに呼びかけられたような気がしました。
「きみきみ」
知らない男の人の声でした。それは私に向かって呼びかけているように聞こえます。
……いや、でも待ってください。呼びかけられたのがこの人だらけの群衆の中です。そんな中で私が呼ばれているとは限らないでしょう。名前で呼ばれるならまだしも「きみ」という誰にでも通ずる呼称で呼ばれたのなら、私以外の誰にでも当てはまります。
左隣りのふくよかな体躯のおじさんを呼んだのかもしれないし、私の真後ろのブルドッグのような顔つきのおばさんを呼んだのかもしれないし、ましてや私より3人ほど前に離れた真面目そうな眼鏡の青年を呼んだのやもわかりません。
声の出どころもはっきりしないので、私を呼ぶ声だったのかは正直定かではないのです。
それにもしここで振り返ったとして、それが勘違いだったとしたなら、あまりにも恥ずかしすぎます。羞恥プレイなことこの上ないです。
こんな大勢の人のまえで恥を晒すなんて、考えるだけで身の毛がよだってしまいます。
そして私は赤面のあまり体温が上昇して、きっとそのままショック死してしまうでしょう。
私は「きみきみ」というその声を聞こえなかったものとして、そのまま何事もなかったかのように歩き続けました。
聞こえなかったのなら仕方がありません。無視しているわけではないのです。そう心に言い聞かせて、私は平常心で歩きます。
ですがすぐにまた声が聞こえました。
「きみきみ」
と同じ調子で、また誰かを呼びかけているのです。誰かというよりか、やはり私を呼んでいるような気がしてならなくなってきます。
聞いたこともない声ですが、その声は明らかに私に向かってぶつけられているような気がします。
私はしばし迷いましたが、もし私を呼んでいるのなら、これ以上の無視は少々可哀想です。
私は勇気を出して、その声の方へぐるりと首をまわしてみました。
私のめぐりゆく視界は数多のひとを捉えました。どこを見てもひとひとひとひと。人だらけです。
しかし、そんな中で私の方を向いてにっこり顏で微笑んでいる男性がひとり。綺麗に染め上げられた金髪が一際視線を引く、美青年でした。
私はまるでかちりと音がなるかのように彼の視線に惹きつけられました。私の瞳が有無を言わさぬような強制力で、彼の瞳に吸い込まれていきます。
数多溢れる群衆の人の中で、わたしたち二人だけが置き去りにされて、まるで二人だけ時間が止まってしまったかのような錯覚に陥りました。なんだか彼との出会いが、それほどに神秘的で、物語じみているような感じがしたのです。
私はしばし彼と見つめあってロマンチックな雰囲気に浸っていましたが、後ろのブルドッグおばさんに背中を押されて、我に返り再び歩き出します。
そういえば私は今群衆に流されている真っ只中なのでした。私が止まってしまえば後ろに並ぶ人たち全員を止めてしまうことになります。危うくや大渋滞を作り出してしまうところでした。危ない危ない。
私はてくてくと歩きながらも、再びちらりと彼に視線を送ってみました。すると、彼もまた同じように歩みを再開していました。
私を呼んだのはやはり彼だったのでしょうか。……でもなんで?私は彼のことなどまったくもって知らないのです。生き別れた兄妹か何かでしょうか。
彼は私の訝しむような視線に気づいたのでしょうか。再び私ににっこり笑顔を送り、彼はまるで女の子のようにつやつやとした口を開きました。
「君は今日どこに行くんだい?」
「別にどこという感じは決めてないですね。ただぶらぶらと歩いております」
彼は「えっ?」と少し驚いたような声を漏らす。
「決めてないのにこの行列と一緒に歩いているのかい?この行列がどこに向かっているのか知っているのかきみは?」
「運悪く飲み込まれてしまいまして……でも人が多すぎて抜け出せないのですよ。どこに行くのかはまるでわからないです」
彼は「まるでミステリーツアーじゃないか」とぼそりと呟いて、あたりを見回しています。恐らく彼も私と同じようにこの群衆に、訳も分からず飲み込まれてしまったのでしょう。
私は同士がいると分かり、ちょっとばかりかホッとしました。もしかしたらこの中にも、訳も分からず連れて行かれている人がいるやもわかりません。
「どうしようか」
彼は私に向けたのか独り言なのか分からないような口調でそう言いました。
私は「ついていくしかないですね」と一応返事をしておきました。彼は苦笑を浮かべつつ、それに軽い頷きを返しました。
私と金髪の彼は、訳も分からないまま群衆に押され流され進んでいきます。
果たして本当に目的地には何があるのでしょうか。私はだんだんとわくわくしてきました。
何かとんでもなく素晴らしいモノが私たちを待ち受けているのような気がしてならないのです。
私は意気揚々と、彼はつまらなそうな顔をして、群衆の一員として流し流され進んでいきます。
その時ふいに「春香〜っ!」と私をよぶ兄の声が聞こえたような気がしました。しかし、その声もすぐに群衆の喧騒に掻き消されてしまいます。
まあ、兄は今頃家で地団駄でも踏んでいるはずなので、恐らく空耳なのでしょうが。
私は特に気にもとめず、またてくてくと歩きはじめます。私たちを待ち受けるなにかに向けて。




