そのいち
私こと春風春香には、春風夏雄という兄がおります。私よりも3つ年上の高校二年生の兄です。
「夏雄」という名前からもうかがえるように、彼は夏のように情熱的な男なのでした。
部活動のテニスではキャプテンを任され、部員たちに喝を飛ばしつつ、当の本人も汗水たらして頑張っておりました。やっとこさ県大会に出場を果たした時には、部員と熱い抱擁を交わしあい、轟々と滝のように喜びの涙を流しておりました。
また学校行事においても彼は努力尽力を惜しみませんでした。文化祭に体育祭や球技大会など、どの行事においても彼は常にフルパワー全身全霊でのぞんでおりました。体育祭では頑張りすぎて足の骨を折ってしまったほどです。
言ってしまえば彼はそれくらいに熱い男なのです。
いつだって一生懸命。何に対しても真摯に真剣に取り組む情熱人間。
それがすなわち「春風夏雄」という人物なのです。
熱いおとこ……一生懸命な男性……。たいへんにいいと思います。男らしいです。妹ながら良い兄をもったものだなあと常々感じさせられております。
……しかし、そんな兄にもひとつ重大な欠点がありました。
人間誰しも欠点はあるもの。完全無欠なひとなどそうそうございません。兄に欠点があるというのも、さしておかしな話ではないように思えるでしょう。
ですが私にとっては兄のその欠点が、とてつもない大問題で、超絶迷惑で、鬱陶しいこと極まりなくて……。もはや兄のあらゆる美点を相殺して、兄の存在自体がマイナスに思えてしまうほどに重大な欠点だったのです。
兄の欠点というのは、私を溺愛しているということ。____すなわち彼は重度のシスコンなのでした。
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兄という生き物としてこの世に産み落とされて以来、俺には常々ひとつだけ思うことがある。俺が兄となった唯一の利点は、俺に妹がいるということである。
妹、いもうと、my little sister...。嗚呼、なんと素晴らしい響きなんだろうか。読者諸賢もそう思うことであろう?
妹といういきものは、すなわちこの世で最も可愛い生き物である。「可愛いは正義」なので、妹とはまさに大正義である。もはやこの世のルールまである。
俺にも「春風春香」という妹がいるのだが、彼女がこれまたとんでもなく可愛らしい美少女なのだ。インド人どころか大和撫子までびっくりのたいへんに美しい美少女だ。
純真さを体現したかのようなさらさらの黒髪は腰のあたりまですらりと伸び、透き通った瞳に艶やかな唇がきらめく。肌は白く、顔立ちはもはやアイドル級というかそれ以上。神とかそこらへんのクラスである。
まさに自慢の妹であった。実際に友達にも親戚にも誰彼構わず自慢しまくっている。最近ちょっと引かれている気もするが、そんなことは露知らず、俺の妹を自慢したい欲求がおさまることはない。
俺は「春香」という妹の兄に生まれてたいへん光栄であり、またたいへんに幸せである。日本幸せなひとランキングなんてのがあったなら、俺は上位ランカーぶっちぎりなこと間違い無いだろう。
……なのだが、そんな俺にも最近少しだけ悩みのタネができてしまった。
まあ人間というものは悩みのひとつやふたつ抱えて生きるのが当たり前なのであって、そんなに気にすることは無いと思うかもしれない。とくに俺は高校生という思春期真っ盛りの青年なので、悩み事などさぞ多かろうというものなのだが。
それは重々理解している。分かっている。
分かってはいるのだが、この悩みというのはちょっくらわけが違うのだ。
恋だの勉強だの部活だの友人関係だの、俺もたくさんの悩みを人並みに抱えてきた。
しかし、今回の悩みというのは今までのものを遥かに上回り、俺を底なしの絶望の淵へと叩き落とすものであったのだ。それは俺にとって、まるで地獄絵図を彷彿とさせられるような強大な悩みなのであった。
……すなわち、その悩みというのは、妹が最近俺に冷たいということである。
……ああ、考えるだけで憂鬱だ。朝食べたスクランブルエッグを吐き戻してしまいそうなくらいに気分が悪い。
妹はどちらかというとクールな性分であることは確かなのだが、いかんせん最近はとくにそのクールぶりが激しさを増しているのだ。クールっていうよりも近頃はコールドって感じに近づいている。「ひんやり」なんて甘いものじゃなくて、もはや「吹雪」って感じ。正直俺はいつ凍死してもおかしくないと思っているほどだ。
妹を溺愛している俺から言わせてもらえば、もはやこれは拷問に近い状態なのだ。妹に近づきたいが____近づけば我が妹は俺にその牙を剥く。近づきたいのに近づけない……葛藤というやつである。
兄という生き物に生まれて、はじめて辛いと思った今日この頃であった。
妹ははたしていったいなぜ俺に冷たくなったのか。思索思考を重ねど重ねど、まるでその答えが分からない。
妹ははたしていったい何を考えているのだろうか……。
そして妹はいったい俺を置き去りにしてどこにいったのだ……?
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空は快晴です。晴れ渡っています。
青空は突き抜けるように澄みきっていて、真っ白い綿菓子のような雲と明快なコントラストを描いております。私の心までも澄みきっていくような、たいへんに良い天気でした。
私は今、栄大通りという商店街を歩いております。栄という町は「栄」という漢字からもうかがえるように、たいへんに栄えて活気のある町です。町全体が生き生きとしていて、希望の煌めきに満ち溢れているように感じられます。
私が栄大通りにいる理由は、せっかくの休日ですのでお買い物でもしようかとぶらりぶらりとやってきたわけなのですが。ひとりでやってきているのには実はわけがあります。
普段私がお買い物に行くときといえば、たいてい兄をお供につけます。つけるというか、自ずからついてきます。
兄は知識の幅も広く博学な人ので、色々な話を知っているし、彼と一緒に出かけるのは中々退屈しません。私は兄とお出かけをすることを結構気に入っていました。
ですが、今日は兄に内緒でこっそりとひとりプライベートを楽しんでいる次第です。
今頃兄は家の中で「妹はどこにいった!?」とてんやわんや叫び回っていることでしょう。
そんな様子を想像すると、気持ち悪さ半分、可哀想な気持ち半分の心持ちになりますが、今は兄のことなど忘れてお買い物を楽しみたいと思います。せっかくの休日なので精一杯楽しみたいものです。
で、私が兄を置いてきた理由ですが、それは鬱陶しいから……というのも半分は正解です。最近の兄の私溺愛っぷりはどんどんエスカレートしており、少々ばかり鬱陶しいのは確かです。
ですが、私が兄を置いていった本来の理由というのはやはり別にあるのです。
すなわちそれは、兄を自立させるということ。言うなれば妹離れをさせるということです。
私への依存を断ち切って、ひとりのまっとうな人間として生きていけるように、更生してもらおうということです。
兄妹仲が良いというのは、私自身もたいへんに微笑ましいものだなあと思います。家族愛とか暖かい感じがして良いと思います。
ですが、なにごとにも節度というものが大切であります。守るべき境界線をきちんと線引きして、超えてはいけない一線をわきまえるということです。
兄にはまったくもってそれができていません。0点です。一線超えすぎです。
超えていけない境界線を超えてしまえば、もちろんそれに伴って少なからず問題も生じてきます。
それで迷惑するのが私だけならまだ良いのですが、兄本人の人生までもが自らの愚行によって捻じ曲げられようとしているのであれば、そればっかりは私も見過ごせません。
兄を顔でカテゴライズするのならば、まあそこそこの美男子だと思います。イケメンとやらに分類されるのでしょう。寝癖が酷い日も多く、若干の清潔感には欠けますが。
それに彼は部活でも大活躍ですし、性格も明るく人当たりが良いです。
普通に考えれば、まず間違いなくモテます。モテる系男子です。
彼のようにまるで青春を具現化したかのようにきらきらした人間は、きっと誰の目にも輝いて映ることでしょう。
彼女のひとりやふたりいてもおかしくはないと思うのも当たり前です。……まあなるべく彼女はひとりに絞ってほしいですが。
しかし彼には、なんということでしょう17年もの年月において、一度たりとも彼女ができたことはなかったのです。俗に言う「彼女いない歴=年齢」というやつですね。
現在進行形で、彼には彼女がいません。
まあなぜ彼に彼女ができないかといえば、その理由は明確です。
いい年こいて妹にベタベタでは、寄ってくるものも寄ってきません。当たり前です。
「好きな子とかいるの?」なんて聞かれて「妹……かな」なんてドヤ顔で答えているようではいつまでたっても彼女はできません。当たり前です。
そんな彼の現状について、私は時折なんとかしないとという危機感を抱くのです。
いつまでたっても私に依存しているようでは、まっとうな未来が歩めません。幸せな家庭が築けません。
なんとしても今の現状を変えて、兄には順風満帆な人生を送ってもらいたいと思うのです。
冷たくするのは実は愛なのです。
これは私なりの優しさなのです。
私ごときの人間が、兄のような人間の足を引っ張ってしまうのは申し訳ないです。それに他人に迷惑を掛けるわけにはいきません。
兄に対して冷たい態度をとるのはちょっとばかり心が痛みますが、いたしかたありません。だって彼のためなのですから。
私はそんなことを考えつつ、兄に若干の懺悔をしながら人混みに流されていきます。
休日の栄は賑わいに賑わいをみせ、わいのわいのと楽しそうな喧騒に包まれております。私はそんなお祭りムードに飲まれつつ、人混みに流されていきます。
「この人混みの波は、いったいどこに向かっているのでしょうか?」
そんな私の問いかけに答えてくれる人はいるはずもなく、私はただただ向かう先も分からず人混みに流されていくのでした。




