第6話 村人ですが、時間を巻き戻すことに成功しました
夜明け前。
主人公は机に向かっていた。
目の前には、昨日から使っている木片がある。
片方の端が削られ、形が変わっている。
その横には、削りくずが小さく積まれていた。
主人公は木片を手に取った。
何度も試した。
削りくずがわずかに動くことはあった。
しかし、元の状態に戻ることはなかった。
「何が足りないんだ……」
彼は記録を読み返した。
時間を止めることはできる。
遅くすることもできる。
そして、逆向きに進めようとしたとき、対象に反応が現れた。
つまり、方向性は間違っていない。
問題は、干渉の強さか、それとも対象の捉え方か。
主人公は木片を机に置いた。
削りくずを一つずつ並べる。
それから、目を閉じた。
削られる前の木片。
ナイフが触れる前。
木の表面が滑らかだった状態。
その状態を思い浮かべる。
そして、対象の時間に意識を向けた。
「戻れ」
何も起きない。
「戻れ……!」
木片の表面が、ほんのわずかに変化した。
削りくずが動いた。
主人公は息を止めた。
昨日と同じだ。
ここから先が続かない。
彼は一度、手を離した。
そして考えた。
自分は何をしている?
時間を逆向きに進める。
そのためには、過去の状態を指定する。
だが、過去の状態を思い浮かべるだけでは足りない。
対象の時間そのものに干渉しなければならない。
ならば、今までのように対象全体を一つのものとして捉えるのではなく、対象に起きている変化を捉える必要があるのではないか。
木片が削られた。
その変化。
木の表面が失われた。
その変化。
削りくずが生まれた。
その変化。
それらを逆向きに進める。
主人公は目を開けた。
「そうか……」
木片に触れる。
今度は、削られるという変化そのものを逆向きに進める。
「戻れ!」
削りくずが動いた。
ほんの少しではない。
机の上に散らばっていた小さな木片が、木片本体へ向かって移動し始めた。
主人公は目を見開いた。
削りくずが木片に吸い寄せられるように戻っていく。
表面の削れた部分が、少しずつ埋まっていく。
そして。
木片は、削る前の姿に戻った。
主人公は手を離した。
机の上には、元の形をした木片が一つ。
削りくずは残っていない。
「……戻った」
彼は木片を持ち上げた。
裏返す。
横から見る。
確かに、削る前の形だ。
何度も確認した。
夢ではない。
実験は成功した。
「戻せた……!」
主人公は思わず声を上げた。
時間を戻した。
物の形を整えたのではない。
削られたという変化を逆向きに進め、対象を過去の状態へ戻したのだ。
主人公は椅子に座り込んだ。
笑いがこみ上げてきた。
昨日まで、できなかったことだ。
何度試しても失敗したことだ。
それが、今、できた。
時間は戻せる。
本当に戻せるのだ。
*
その日の昼。
主人公は診療所を訪れた。
リーナはベッドの上で、窓の外を眺めていた。
「こんにちは」
「また来たの?」
「うん」
「研究はどう?」
主人公は一瞬、言葉を選んだ。
「成功した」
リーナが振り返った。
「何が?」
「時間を戻すことができた」
彼女はしばらく主人公を見つめていた。
「本当に?」
「うん。削った木片を、削る前の状態に戻せた」
「それって……」
リーナは布団の下にある自分の脚を見た。
そこには、もう片方の脚しかない。
「私の脚も?」
主人公はうなずきかけて、止まった。
「まだ分からない」
「そっか」
「木片で成功しただけだ。生き物にも使えるのか、どこまで戻せるのか、まだ確かめていない」
リーナは少し考えた。
「でも、できたんだね」
「うん」
「すごいじゃん」
その言葉に、主人公は胸が詰まった。
「ありがとう」
「まだ脚は戻ってないけどね」
「分かってる」
「じゃあ、頑張って」
リーナは窓の外に視線を戻した。
その横顔には、まだ疲れが残っていた。
主人公は彼女のそばに座り、しばらく何も話さなかった。
*
家に戻ると、主人公はすぐに次の実験を始めた。
木片で成功した。
しかし、それだけでは足りない。
陶器でもできるのか。
生き物にも使えるのか。
どれくらい過去まで戻せるのか。
そして、対象の一部分だけを戻せるのか。
彼は机の上に、割れた陶器を置いた。
破片を集める。
今度は木片のときと同じように、割れるという変化を逆向きに進める。
「戻れ」
破片が動き始めた。
一つ、また一つと元の位置へ戻っていく。
ひびが消え、欠けた部分が埋まっていく。
やがて、陶器は元の姿を取り戻した。
主人公は息を呑んだ。
二度目の成功だ。
今度は、木片とはまったく違う物体だった。
時間の逆行は、特定の物だけに起きる現象ではない。
少なくとも、複数の物体で実現できた。
彼は記録を取った。
『木片:成功』
『陶器:成功』
その下に書き加える。
『時間の逆行は実在する』
ペンを置いた。
そして、次の項目を見つめた。
『生物への適用』
ここが本題だった。
木片や陶器なら、失敗しても壊れるだけだ。
しかし、人間の身体に使うとなれば話は違う。
どの程度まで戻すのか。
傷を負う直前までか。
傷ついた部分だけか。
身体全体か。
そもそも、生命活動まで巻き戻してしまったらどうなるのか。
考えなければならないことは山ほどあった。
それでも、可能性はある。
主人公は新しい紙を広げた。
今度は、時間の逆行を使って生き物の変化を戻す方法を考える。
*
夜。
主人公は机に突っ伏していた。
目の前には、何十枚もの実験記録が広がっている。
眠気はあった。
身体も疲れていた。
それでも、頭の中では考えが止まらなかった。
木片を戻せた。
陶器も戻せた。
ならば、人間は?
リーナの脚は?
彼はゆっくりと顔を上げた。
机の端に、最初に使った砂時計が置いてある。
最初は、ただ時間を止めてみたかった。
それだけだった。
今では、時間を戻すことができる。
自分が考え続けた結果、世界の仕組みに手が届き始めている。
主人公は砂時計を手に取った。
砂が落ちている。
その流れを見つめながら、彼はつぶやいた。
「まだだ……」
木片を戻せた。
陶器も戻せた。
けれど、それで満足するわけにはいかない。
リーナの脚を取り戻す。
そのためには、もっと知る必要がある。
もっと強く干渉する必要がある。
そして、時間について、まだ誰も知らないことを見つけなければならない。
主人公は砂時計を机に戻した。
次の研究を始めるために。




