第5話 村人ですが、時間には逆向きもあると気づきました
主人公の机には、壊れた物が並んでいた。
割れた陶器。
折れた木の枝。
砕いた石。
どれも、元の状態に戻すための実験材料だった。
「戻れ」
主人公は陶器の破片に手をかざした。
何も起きない。
「戻れ!」
やはり何も起きない。
彼は破片を拾い集め、元の形になるように並べてみた。
当然、何も変わらない。
破片は破片のままだった。
「違うんだよな……」
主人公は椅子に座り込んだ。
物を元の形に戻すことと、時間を戻すことは違う。
では、時間を戻すとは何なのか。
彼は割れた陶器を手に取った。
これが割れる前、確かに一つの器だった。
割れた瞬間に、器は複数の破片になった。
その変化を逆向きに進めればいい。
だが、どうすればいい?
破片を動かすだけでは駄目だ。
割れるという変化そのものを逆向きにする必要がある。
主人公は紙に書いた。
『変化の逆行』
その文字をしばらく見つめた。
*
昼を過ぎた頃、主人公は別の実験を始めた。
今度は、陶器を割る瞬間を観察する。
机の上に器を置き、少しずつ力を加える。
ひびが入る。
さらに力を加える。
器が割れた。
主人公はその瞬間を見逃さなかった。
「今だ」
割れる直前。
器にはまだひびが入っていなかった。
割れた直後。
器は破片になっていた。
この二つの状態は、明確に違う。
ならば、時間を戻すというのは、後の状態から前の状態へ変化させることだ。
主人公は割れた破片に触れた。
「戻れ」
何も起きない。
「……時間を遅くするのとは違うのか?」
彼は今までの実験を思い返した。
小石の落下を遅くしたとき。
薬草の劣化を止めたとき。
ゴブリンの動きを遅くしようとしたとき。
どれも、起きている変化の進み方を変えていた。
しかし、今やろうとしているのは、変化の進む方向そのものを変えることだ。
進む速度を変えることと、進む方向を変えること。
同じ時間への干渉でも、必要な操作はまったく違うのかもしれない。
主人公は紙に二つの矢印を書いた。
『未来へ』
『過去へ』
そして、その間にもう一つ書き込んだ。
『変化の向き』
「これを変えられれば……」
彼は再び陶器に触れた。
今度は、割れた状態から割れる直前の状態を強く思い描く。
破片が一つに戻る。
ひびが消える。
器が元の姿になる。
そう念じた。
しかし、何も起きなかった。
*
日が暮れた。
主人公は食事を取るのも忘れていた。
机の上には失敗した実験の記録が増えていく。
時間を遅くする。
時間を止める。
時間を速くする。
時間を戻す。
この四つは、すべて同じように扱えるのだろうか。
主人公は砂時計を手に取った。
砂が落ちている。
これを止めることはできる。
落ちる速度を遅くすることもできる。
では、落ちた砂を上に戻すことは?
彼は砂時計を逆さにした。
砂が反対側へ落ち始める。
「……あ」
主人公は砂時計を見つめた。
今、砂は上に戻っている。
しかし、これは時間が戻っているわけではない。
砂の位置が変わっただけだ。
ならば、時間を戻すことと、物体の運動を逆向きにすることも違う。
主人公は砂時計を机に置いた。
自分が戻したいのは、物の位置ではない。
物の状態だ。
割れた陶器なら、割れる前の状態。
折れた枝なら、折れる前の状態。
そして、失われた脚なら、失われる前の状態。
「状態……」
その言葉を何度も口にした。
時間が進むことで、物の状態が変わる。
ならば、時間を戻すとは、過去の状態へ戻すことなのではないか。
だが、ここで問題がある。
過去の状態を、どうやって指定する?
主人公は割れた陶器を見た。
割れる前の姿は覚えている。
しかし、もし何日も前に壊れた物だったら?
もし元の姿を知らなかったら?
時間を戻すためには、戻るべき状態を知らなければならないのだろうか。
彼はしばらく考え込んだ。
そして、ふと気づいた。
「待てよ……」
過去の状態を思い出す必要はないのかもしれない。
時間を遅くするとき、彼は小石の落下がどのように進むかを細かく考えていなかった。
ただ、対象の時間に干渉した。
ならば、時間を戻すときも同じなのではないか。
戻るべき状態を頭の中で再現するのではなく、対象そのものの時間を逆向きに進める。
それなら、過去の状態を知らなくてもいい。
主人公は立ち上がった。
「そうか……。物を戻すんじゃない。時間を戻すんだ」
その言葉は、今までの考え方を大きく変えるものだった。
*
夜が更けた。
主人公は新しい実験を始めた。
今度は陶器ではない。
もっと単純なものを使う。
机の上に置いた小さな木片。
ナイフで一端を削る。
削りくずが机に落ちた。
木片の形が変わった。
主人公は削りくずを集め、木片のそばに置いた。
「よし……」
彼は木片に触れた。
今までのように、元の形を思い浮かべることはしない。
ただ、対象の時間に干渉する。
止めるのではない。
遅くするのでもない。
逆向きに進める。
「戻れ」
何も起きない。
もう一度。
「戻れ!」
何も起きない。
主人公は目を閉じた。
自分が何をしようとしているのか、もう一度考えた。
時間を止めるときは、対象の変化を止めようとした。
時間を遅くするときは、対象の変化を遅くしようとした。
ならば、時間を戻すときは。
変化を逆向きに進める。
ただし、これは物の位置を逆に動かすことではない。
対象が過去に持っていた状態へ戻ること。
彼はその考えを、今度こそはっきりと意識した。
「戻れ」
木片に変化はなかった。
しかし、主人公は気づいた。
木片そのものではない。
削りくずの方に、何かが起きている。
ほんのわずかに。
彼は目を凝らした。
削りくずが、木片の方へ寄っているように見えた。
気のせいかもしれない。
しかし、確かに何かが違った。
「もう一度……!」
主人公は集中した。
削りくずがわずかに動く。
木片の表面に、小さな変化が現れた。
彼は息を止めた。
だが、次の瞬間には元に戻ってしまった。
成功ではない。
まだ足りない。
それでも、初めてだった。
時間を逆向きに進めようとしたとき、対象に反応が現れたのは。
主人公は震える手で記録を取った。
『逆行の兆候あり』
その下に、さらに書き加えた。
『対象の過去の状態へ向かうように干渉する』
彼は窓の外を見た。
夜明けが近づいていた。
リーナの脚を取り戻せるかもしれない。
その可能性が、初めて現実のものとして感じられた。
まだ成功していない。
まだ何も取り戻せていない。
それでも、進むべき道は見えた。
主人公は机に向き直った。
次は、成功させる。
必ず。




