第4話 村人ですが、失われたものを取り戻したいと思いました
朝になっても、主人公は診療所の前にいた。
夜の間、何度も扉が開いた。
医師や看護師が出入りするたびに顔を上げたが、誰も彼に声をかけなかった。
やがて、診療所の扉が開いた。
「入ってもいいですか」
医師は少し考えてから、うなずいた。
「本人が目を覚ましたところです。ただし、無理はさせないように」
主人公は部屋に入った。
ベッドの上にリーナがいた。
顔色は悪く、頬には殴られた痕が残っている。布団の下には、以前なら当然のようにあったはずの脚がない。
主人公は、何を言えばいいのか分からなかった。
「……おはよう」
リーナが先に口を開いた。
「おはよう」
「なんだか、変な感じ」
彼女は天井を見つめたまま言った。
「目が覚めたら、夢だったらいいのにって思ったんだけど」
主人公は黙っていた。
「夢じゃなかったね」
「……うん」
「私、脚がなくなっちゃったんだね」
彼女は布団の上に手を置いた。
その手が小さく震えていた。
「ごめん」
主人公は言った。
「俺が、もっと早く……」
「やめて」
リーナの声は小さかった。
「それ以上言わないで」
主人公は口を閉じた。
しばらく沈黙が続いた。
「ねえ」
「なに?」
「私、もう走れないのかな」
主人公は答えられなかった。
「昨日まで普通に走ってたのにね。あんたを追いかけたり、先に行って待ってたり」
リーナは少し笑おうとした。
けれど、うまく笑えなかった。
「変だよね。片方の脚がないだけなのに、これからどうすればいいのか全然分からない」
「……何とかする」
「何とかって?」
「俺が、何とかする」
リーナは主人公を見た。
「無理しないでよ」
その言葉に、主人公は何も返せなかった。
彼女の手を握ろうとして、途中で止めた。
今、触れていいのか分からなかった。
「また来る」
そう言って、主人公は部屋を出た。
*
家に戻ると、主人公は机の上に実験道具を並べた。
砂時計。
小石。
薬草の葉。
そして、昨日まで書き留めていた実験の記録。
彼は一枚ずつ読み返した。
小石の落下を遅くした。
薬草の劣化を止めた。
対象の時間を止めたこともある。
どれも成功している。
少なくとも、何らかの変化を起こすことはできている。
だが、昨日は駄目だった。
ゴブリンの動きを遅くすることはできた。
ほんのわずかに。
しかし、刃物が振り下ろされるのを止めるには足りなかった。
主人公は記録の端に書き込んだ。
「対象が大きいほど難しい?」
すぐに線を引いて消した。
小石より薬草の方が大きい。にもかかわらず、薬草の時間は止められた。
大きさだけでは説明できない。
「生き物だから?」
それも分からない。
薬草だって生きている。
では、何が違うのか。
主人公は何度も記録を読み返した。
やがて、ペンを置いた。
今は別のことを考えなければならない。
リーナの脚だ。
失われた脚を取り戻す。
それができるかどうかを考える。
彼は机の上にあった木片を手に取った。
ナイフで削り、二つに割る。
割れた木片を机に並べた。
「戻れ」
何も起きない。
当然だ。
今まで試してきたのは、時間を止めることと遅くすることだけだった。
それでも、もう一度試す。
「戻れ」
やはり何も起きない。
主人公は木片を見つめた。
割れる前の木片。
割れた後の木片。
今、目の前にあるのは割れた後の姿だ。
では、時間を戻すとは何をすることなのだろう。
単純に、物を元の位置に戻すことではない。
破片を動かしてくっつけても、それは時間を戻したことにはならない。
割れたという変化そのものを、なかったことにする。
それができれば。
木片が割れる前の状態に戻る。
ならば、リーナの脚も。
失われる前の状態に戻せるのではないか。
主人公は立ち上がった。
今までの研究は、時間の進み方を変えることだった。
速くする。遅くする。止める。
だが、時間にはもう一つの方向がある。
過去だ。
時間を止めることができるなら、時間を逆向きに進めることもできるのではないか。
「……できるかもしれない」
声が漏れた。
もちろん、まだ何の証拠もない。
だが、初めて明確な研究目標ができた。
時間を戻す。
それを実現する。
主人公は机に向かい、紙を広げた。
まずは単純な物体で試す。
割れた木片。
壊れた陶器。
折れた枝。
そして、それぞれが元の状態に戻るかどうかを確かめる。
必要な条件は何か。
対象に触れる必要があるのか。
元の状態を知っている必要があるのか。
どれくらいの時間を戻せるのか。
考えることはいくらでもあった。
彼は紙に次々と書き込んでいった。
昼になっても、食事を忘れていた。
夕方になっても、実験を続けた。
夜になっても、明かりを消さなかった。
翌日、主人公は診療所を訪れた。
リーナは窓の外を見ていた。
「また来たの?」
「うん」
「暇なの?」
「暇じゃない」
「じゃあ、何しに来たの?」
主人公は少し迷った。
そして、彼女のベッドのそばに座った。
「脚を取り戻す方法を探してる」
リーナは主人公を見た。
「……そんなこと、できるの?」
「分からない。でも、できるかもしれない」
「どうやって?」
「時間を戻すんだ」
リーナはしばらく黙っていた。
「時間って、戻せるの?」
「まだ分からない」
「そっか」
彼女は再び窓の外を見た。
「じゃあ、分かったら教えて」
「うん」
「期待はしないからね」
その言葉は、主人公の胸に残った。
期待しない。
そう言わせてしまったのは、自分だ。
主人公は立ち上がった。
「また来る」
「うん」
診療所を出ると、彼はまっすぐ家に帰った。
机の上には、昨日の実験記録が広がっている。
時間を戻す。
今度はそれだけを考えればいい。
主人公は新しい紙を取り出した。
一番上に、大きく書いた。
『時間の逆行』
その下に、最初の実験を書き込む。
割れた陶器を、割れる前の状態に戻す。
彼は椅子に座り、道具を手に取った。
夜は長い。
そして、研究は始まったばかりだった。




