第28話 槍と石と、最後の一本
第28話 槍と石と、最後の一本
ルルが、壁の上から、跳んだ。
「ルル!」
手を伸ばした。届かなかった。
小さな白い体が、壁の外へ落ちていく。俺の片手から、少しはみ出すくらいの、小さな体。
子猫の跳ぶ力では、遠くまでは届かなかった。ルルは、壁のすぐ下の草の上に、ころんと転がるように着地した。
ルルは、ぱっと起き上がった。それから、ほんの一瞬だけ、自分が跳んできた壁の上を、ちらりと振り返った。
――あれ、思ったより跳べてない。
なぜか、そんな、ちょっと納得のいかないような気持ちが、伝わってきた気がした。尻尾の先が、ぴくん、と一度だけ揺れた。
でも、それは本当に一瞬だった。ルルは、すぐに前を向いて、走り出した。
そこは、あいつの体の、すぐ横だった。
家ほどもある体。丸太のような前足。その足元を、白い毛玉みたいな体が、すり抜けていく。
あいつは、気づかなかった。頭を門に突っこんだまま、二の門を押し破ろうとしていた。
ルルは、あいつの首の横を走った。壊れた門の扉の隙間に飛びこんで、そのまま、門の内側へ。
「ルル……!」
壁の縁から身を乗り出した。でも、門の真上からでは、門の内側は見えなかった。
ルルの姿が、見えなくなった。
◇ ◇ ◇
最初に見えたのは、光だった。
門の内側から、白い光が、あふれ出してきた。
壊れた扉の隙間から。壁と門のすき間から。下から上へ、光がふくらんでいく。
あとで、トーマに聞いた。
ルルは、二の門の折れた丸太の隙間をくぐり抜けて、トーマの足元に飛びこんできたのだという。そして、あいつの鼻先の、すぐ前に、四本の足を踏ん張って立った。
小さな、いつものルルのままで。
みゃあ、と、いつもと同じ声で鳴いた。
その額の、花の形の模様から、光が広がったのだと。
シャボン玉が、ふくらむように。
でも、沢のほとりのときとは、大きさが違った。
光の膜は、トーマを包んだ。二の門を押さえていたボリスさんを包んだ。盾を構えていた人たちを、全員包んだ。二の門を包み、壊れた門の扉の内側まで、いっぱいに満ちた。
あいつの頭が、その膜に押し返された。
二の門に食いこんでいた頭が、壊れた門の扉の間を、少しずつ、少しずつ、外へ押し出されていく。あいつが吠えた。爪を立てた。牙をむいた。
膜は、へこみもしなかった。
かん、かん、と硬い音がして、牙も、爪も、全部弾き返された。
壁の上から見下ろすと、壊れた門の口いっぱいに、白く光る丸い膜が、ふくらんでいた。門の内側を、すっぽりと包みこむ、光のドームだった。
その形を、俺は、どこかで見たことがあった。
◇ ◇ ◇
膜に押し出されて、あいつの頭が、門の外へ抜けた。
あいつの背中は、さっきから、ずっと壁のすぐ下に見えていた。
でも、さっきまでのあいつは、門を押し破ろうと、体ごと暴れていた。背中の柱も、右へ、左へと、大きく揺れ続けていた。
今は、違った。
膜に弾き返されたあいつは、門の前で二、三歩よろめいて、そこで動きを止めた。大きな頭を低くして、ぶるぶると振っている。何が起きたのか、分からないみたいに。
背中の柱が、ぴたりと止まった。
真ん中に一本だけ残った、柱のような黒い塊。
赤黒い光が、どくん、どくんと、苦しそうに脈打っていた。
「オスカー!」
ガルドさんが叫んだ。
それよりも早く、俺から数歩離れた見張り台の横で、オスカーさんが、壁の縁に足をかけ、真下に向かって槍を大きく振りかぶっていた。
槍が、飛んだ。
槍は、まっすぐ、背中の黒い柱に突き刺さった。
ぎしり、と、嫌な音がした。
槍の刺さったところから、黒い柱に、ひびが走った。
でも、割れなかった。
柱は、槍を刺したまま、まだ脈打っていた。あいつが、身をよじって、背中の槍を振り落とそうとしている。
「レン!」
ガルドさんの声が、背中を叩いた。
「槍だ!」
――お前の石は、誰かの槍と一緒に使えばいい。
治療院の寝台の上で、ガルドさんが言った言葉。
俺は、投石紐に、石をかけた。
ひゅん、ひゅん、ひゅん。
狙うのは、柱じゃない。
槍が刺さった、そのすぐ横の、ひびの入ったところ。
一番、もろくなっているところ。
一番最初に、トーマと二人でスライムを倒したときと、同じだ。トーマの木剣がスライムの体に穴を開けて、俺の石が、逃げる核を撃ち抜いた。一人じゃ届かないところに、二人なら届いた。
今度は、オスカーさんの槍と、俺の石だ。
風は、なかった。
あいつの動きは、頭の中で、はっきり分かった。
頭の上で回る紐が、ぎしぎしと、悲鳴みたいにきしんでいた。
あと一回だけ。
石を、放した。
その瞬間、手の中で、ぷつり、と小さな音がした。
小石を、狙ったところへ、まっすぐ届ける。
石は、まっすぐ飛んだ。
槍の、すぐ横の、ひびの中へ。
ぱきん。
今までで、一番澄んだ音がした。
◇ ◇ ◇
黒い柱が、砕けた。
ひびが、上から下まで一気に走って、黒いかけらが、ばらばらと草の上に降り注いだ。
赤黒い光が、消えた。
あいつは、一度だけ、空に向かって長く吠えた。
それから、大きな体が、ゆっくりと傾いた。
どう、と、地面が揺れた。
家ほどもあった体が、門の前の草の上に、横倒しになっていた。
もう、動かなかった。
俺は、自分の右手を見下ろした。
投石紐が、だらりと垂れていた。
石を包む革のところが、根元から、ちぎれていた。紐に刻まれていた風の模様も、すっかり薄くなって、ただの古い革の色に戻っている。
ひと月の練習。草原の北側の丘。初めて的に届いた日。届かなかった日。
この百日あまりで、一番長く、俺の手の中にいた道具だった。
最後の一投まで、ちゃんと持ちこたえてくれた。
「……ありがとう」
ちぎれた紐を、そっと握りしめた。
◇ ◇ ◇
最初に動いたのは、群れの方だった。
オオカミが、イノシシが、牙トカゲが、まるで夢から覚めたみたいに、きょろきょろと周りを見回した。
それから、一匹、また一匹と、背を向けて走り出した。
森の方へ。
ばらばらに。
もう、誰の歩調にも合わせていなかった。空のコウモリも、散り散りになって、遠くへ飛び去っていく。
壁の上で、誰も、すぐには声を出さなかった。
最初に叫んだのは、ダンさんだった。
「逃げてく……逃げてくぞおおお!」
その声で、壁の上も、下も、わあっと声が爆発した。
衛兵さんたちが、抱き合っていた。弓の人たちが、弓を高く突き上げていた。ニコさんが、俺の背中を、ばんばんと何度も叩いた。
でも、俺は、それどころじゃなかった。
「ルル……!」
◇ ◇ ◇
階段を駆け下りた。
門の内側は、まだ、うっすらと白い光に包まれていた。その光が、雪が溶けるように、ゆっくりと薄れていく。
光の真ん中に、トーマが座り込んでいた。
その腕の中に、白いものが抱かれていた。
「トーマ! ルルは……」
「生きてる」
トーマが、顔を上げた。泣いているのか、笑っているのか、分からない顔だった。
「光が消えたとたん、俺の足元で、ぱたって倒れたんだ。寝てる。寝てるだけだ、たぶん」
「たぶんって……」
沢のほとりでも、同じことを言った気がする。
トーマの腕の中で、ルルは、くうくうと寝息を立てていた。額の光の模様は、もうどこにもなかった。
俺の片手から、少しはみ出すくらいの、小さな、白い子猫だった。
「こいつさ」
トーマが、小さな声で言った。
「俺の足元で、あのでっかいのの顔を、まっすぐ見上げてたんだ。こんなにちっこいのに、一歩も下がらなかった」
「……うん」
「俺、盾持ってたのに。守られたの、また俺の方だった」
トーマは、そう言って、少しだけ笑った。悔しそうな顔じゃなかった。
「次は、俺が守ってやるからな」
眠っているルルの耳が、ぴくりと動いた。
トーマの右手には、まだ、ユーリさんの剣が握られていた。一度も、振り下ろされることのなかった剣だった。
◇ ◇ ◇
その日の夜、ルルは、一度も目を覚まさなかった。
詰所の床で、毛布にくるんで、俺の胸の上に乗せた。とく、とく、とく。小さな心臓の音が、服越しに伝わってきた。
眠る前に、ガチャの画面を開いた。
一番上の、虹色の枠。ルルの名前の下の、説明文。
『【N】子猫
ガチャから生まれた子猫。
よく食べ、よく眠る。
危ないものの気配に、とても敏い。
大切なものを、光で守る。
ただの子猫。……たぶん?』
「小さな」が、消えていた。
小石投げの説明文から、「それだけ」が消えたのと、同じように。
一覧を、下へ、下へとたどった。
Lv.3になった夜から、一覧の一番下には、ずっと一つの影があった。丸くて、何かを包み込むような、守るような形をした、大きな灰色の影。
その影が、どこにもなかった。
いつから、なかったんだろう。
思い出してみると、Lv.4になった日から、一覧の一番下を、じっくり見たことはなかった。百回目のことで、頭がいっぱいだったから。
門を包んだ、白い光のドームを思い出した。
丸くて、何かを包み込むような、守るような形。
沢のほとりで初めてルルの光を見たとき、どこかで見たことのある形だと思った。
あれは。
あの影は――
「……ルルだったのかもしれないな」
小さく、声に出した。
答えは、なかった。
胸の上で、ルルが、むにゃむにゃと口を動かした。夢の中で、干し魚でも食べているのかもしれない。
何だっていいか、と思った。
ガチャから出てきた、ただの子猫。たぶん。
そして、俺の一番大事な相棒だ。
画面を閉じて、俺は、ルルの温かさを抱いたまま、目を閉じた。
長い、長い一日が、終わった。
(第28話 終わり)
――――――――――――
【ガチャ記録】第28話まで
ガチャを授かってから 117日目 / ガチャLv.4
回した回数:合計101回(無料85回・魔石16回) ※100回目(天井)は第25話で使用済み。次の天井は1000回目
今回出たもの:なし
これまでに出たもの
・特別枠【祝福の一回】:【N】子猫
・スキル:【N】小石投げ+3、【N】方向感覚、【N】生活魔法:着火(少し上達)、【N】生活魔法:そよ風
・装備・冒険の道具:【SR】風読みの投石紐(第28話で切れた)、【R】革の小盾、【R】丈夫な雨合羽、【R】丈夫な革の胸当て(レンが着用)、【N】砥石、【N】革の小物袋、【N】丈夫な縄、【N】丈夫な靴ひも、【N】革の手袋(投石紐の練習用に)、【N】革の水筒
・食べ物:【R】大きな燻製ハム(孤児院の晩ごはんに)、【R】干し果物の詰め合わせ(ダンとニコにも)、【R】堅焼きパン(大箱)、【N】じゃがいも(一袋)、【N】乾燥豆(一袋)×4、【N】干しいも×3、【N】小麦粉(小袋)×2、【N】乾燥ハーブ×2、【N】塩一袋×7
・レシピ・本:【N】レシピ「じゃがいももち」(院長先生に)、【N】レシピ「はちみつケーキ」、【N】生活魔法の入門書(着火が少し上達)
・手当て・身の回り:【N】包帯×8、【N】手ぬぐい×6、【N】石けん×5
・布・裁縫:【R】厚手の毛布(孤児院に)、【R】大きな布地(院長先生が子どもたちの服に)、【N】縫い針と糸×5、【N】ボタン一袋×3、【N】革ひも×2、【N】指ぬき
・台所・家の道具:【N】木のスプーン×2、【N】釘一袋、【N】木の器×2、【N】鉄の鍋(孤児院に)
・紙・灯り:【N】紙の束×7(地図の下書きに)、【N】炭の棒×6、【N】ろうそく十本
・庭:【N】青葉草の種(孤児院の庭に)、【N】青葉草の束(ダンの家に)
・おもちゃ・ルルの宝物:【N】猫じゃらし(ルルの宝物)、【N】毛糸玉×2(ルルの宝物)、【N】木のコマ(小さい子たちに)、【N】ビー玉一袋(小さい子たちに)
読んでいただき、ありがとうございます!
ついに、群れの頭を倒しました。
ルルの説明文からは、「小さな」の三文字が消えました。
でも、ルル自身は、いつもの子猫のまま。「あれ、思ったより跳べてない」と思いながらも、まっすぐ走っていきます。
そして、ここまでレンを支えてくれた投石紐も、最後の一投まで持ちこたえてくれました。
次回は〔今日の19時〕に更新します。
戦いのあとの、町のお話です。
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