第27話 百一回目と、小さな風
第27話 百一回目と、小さな風
夜明け前に、目が覚めた。
詰所の小さな窓の外は、まだ暗かった。ルルが、俺の胸の上で、ぐっと前足を伸ばした。
壁の上に上がると、ガルドさんは、昨日と同じ椅子に座っていた。寝たのかどうか、分からなかった。隣には、もうニコさんが来ていて、弓の弦を確かめていた。
草原の群れは、まだ伏せたままだった。
真ん中の大きな影も、動いていない。
夜のあいだ、壁を探るように何度も寄ってきていた黒っぽいオオカミたちも、空が白みはじめると、本隊の中へ戻っていったらしい。
壁の上では、夜の組の人たちが、すすで黒くなった顔で、朝の組に場所をゆずっていた。夜のあいだも、壁は一度も越えられなかった、と聞いた。
「回すのか」
ガルドさんが、俺の手元を見て言った。
「はい。いつもの、一回です」
◇ ◇ ◇
光の画面を開いた。
『本日の無料ガチャ:1回』
その下に、見慣れない一行が増えていた。
『次の天井:1000回目』
「……千回」
思わず、声に出た。
百回の次は、二百回目だと思っていた。前世のゲームなら、たいていそうだったからだ。
あと、九百回。毎朝の無料の一回だけなら、三年近くかかる。
前世のガチャ好きの俺が、心の中で、膝から崩れ落ちた。
でも、すぐに思い直した。天井は、切り札だ。好きなものを何度でも選べるなら、それはもう、切り札じゃない。そう簡単には使わせてくれない、ということなんだろう。
百回目を回したのは、昨日の朝だ。その前の九日間、毎朝の一回は、ずっと止めていた。
だから、こうして朝に画面を開くのは、なんだか久しぶりな気がした。
ルルが、肩の上から、画面をのぞきこむ。耳が、ぴくりと動いた。
縁側じゃなくて、壁の上だけど。
いつもと同じように、手を伸ばした。
ガチャの絵が、くるくると回る。
ころん、と転がり出てきたのは、白いカプセルだった。
いつもの白だ。たぶん、塩か、包帯か、手ぬぐい。
カプセルが、ぱかりと開いた。
『【N】スキル「生活魔法:そよ風」
手のひらから、そよ風を吹かせる。
ろうそくの火を、吹き消せるくらい。
洗濯物が、よく乾く。』
「……え」
声が、裏返った。
スキルだった。
しかも、生活魔法。着火の、仲間だ。
ガチャからは、魔法も出る。Lv.4になった日に、そう思った。本当に、出た。
胸の奥が、かっと熱くなった。前世で何百回も見た、ゲームの中の風の魔法。竜巻。かまいたち。空を飛ぶための追い風。
それが、今、俺の――
洗濯物が、よく乾く。
「……」
最後の一行を、もう一度読んだ。
洗濯物が、よく乾く。
「どうしたの?」
ニコさんが、横から聞いてきた。
「魔法が、出ました」
「えっ、すごい! どんな魔法?」
「そよ風です。ろうそくを吹き消せるくらいの。……洗濯物が、よく乾くそうです」
ニコさんは、しばらくぽかんとしていた。
それから、肩を震わせて笑い出した。
「ご、ごめん。でも、院長先生、喜ぶね、きっと」
「……喜ぶと思います」
後ろで、ガルドさんが、ふん、と鼻を鳴らした。
「使い道は、お前が見つけるんだろう。いつもみたいにな」
試しに、右の手のひらを、ルルの方に向けてみた。
そっと、風よ、と思う。
手のひらから、ふわりと、温かくもなく冷たくもない風が流れ出た。
ルルの白い毛が、ふわっとなびいた。
ルルは、目をぱちぱちさせて、くしゅん、と小さなくしゃみをした。それから、じとっとした目で、俺を見上げた。
「ご、ごめん」
ニコさんが、また吹き出した。
張りつめていた壁の上の空気が、ほんの少しだけ、ゆるんだ。
◇ ◇ ◇
その空気は、長くは続かなかった。
日が昇ると同時に、草原の真ん中で、あの大きな影が、ゆっくりと立ち上がった。
背中の八本の黒い塊が、いっせいに、どくん、と脈打った。
咆哮が、草原を渡ってきた。
そして、影は、歩き出した。
まっすぐ、門に向かって。
周りのオオカミも、イノシシも、牙トカゲも、その歩調に合わせて動き出す。昨日までのように、波になって押し寄せてくるんじゃない。大きな影を真ん中にして、ひとかたまりになって、じりじりと近づいてくる。
「来たぞ」
ガルドさんが、椅子から立ち上がった。
「弓は、周りのやつらを狙え。頭には、まだ撃つな。届かん」
ガルドさんは、俺の方を見た。
「レン。あいつが、お前の届くところまで来たら、背中を狙え。一本でいい。一本ずつだ」
「はい」
見張り台の向こうには、オスカーさんが、槍を持って立っていた。セシルさんも、杖を握っている。
オスカーさんが、俺の方を見て、小さくうなずいた。
◇ ◇ ◇
最初に来たのは、空からだった。
黒い雲のようなものが、群れの頭の上から、こっちに向かって流れてきた。
洞窟コウモリだった。
苔むす洞で見たのとは、比べものにならない数。何百匹ものコウモリが、きいきいと鳴きながら、壁の上に降りかかってきた。
「伏せろ!」
顔の前に、黒い羽がばさばさとぶつかる。爪が、頬をかすめた。
ニコさんが、弓を振り回してコウモリを払っている。周りの弓の人たちも、矢をつがえるどころじゃなかった。
コウモリの羽で、前が見えない。
草原も、群れも、あの大きな影も。
「下だ! 下の連中が、門に取りついたぞ!」
誰かが叫んだ。どん、どん、と、門が鳴りはじめた。
このままじゃ、あいつがどこまで来たのかも、分からない。
コウモリを、追い払わないと。
「ガルドさん、コウモリの苦手なものって……」
「煙と、強いにおいだ! 洞窟でたいまつを振るのは、そのためだ!」
煙と、強いにおい。
壁の上には、夜の見張りのための火かごが、いくつも置いてあった。朝になって、火は消してある。中には、燃え残りの薪と、乾いた枯れ草。
強いにおい。
昨日の、スープのにおい。
「ダンさん!」
ちょうど石の袋を担いで上がってきたダンさんに、俺は叫んだ。
「詰所の、乾燥ハーブ! まだ残ってたら、全部持ってきてください!」
「は、ハーブ?」
「早く!」
ダンさんは、何も聞かずに、階段を駆け下りていった。
◇ ◇ ◇
ダンさんが、布の袋を抱えて戻ってくるまでの間に、俺は、一番近くの火かごに這い寄った。
燃え残りの薪に、枯れ草をかぶせる。
指先を、そこに向けた。
着火。
指先に、小さな火が灯った。入門書を読んでから、ろうそく二本分くらいになった、小さな火。
枯れ草が、ちりちりと燃えはじめた。
「レン、これ!」
ダンさんが、ハーブの袋を、俺の手に押しつけた。
袋の口を開けて、中身を全部、火の上にぶちまけた。
もうもうと、白い煙が上がった。
鼻の奥がつんとするくらい、強いにおいだった。
でも、煙は、まっすぐ上にのぼっていくだけだった。
今朝は、ほとんど風がなかった。投石紐の模様が、手のひらにそう教えてくれていた。煙は、壁の上にとどまらずに、空にのぼって、ゆるゆると広がっていくだけだ。
コウモリがいるのは、壁の上。俺たちの顔のすぐ前だ。
煙を、そこに、送らないと。
――手のひらから、そよ風を吹かせる。
俺は、右の手のひらを、煙に向けた。
風よ。
ふわりと、手のひらから風が流れた。
ろうそくの火を吹き消せるくらいの、小さな風。それが、のぼっていく煙の根元を、横から、そっと押した。
煙が、ゆらりと傾いた。
壁の上を這うように、流れはじめた。
「もっと……!」
手のひらを、ゆっくりと動かす。煙の流れが、それについてくる。風のない朝だったから、小さな風でも、煙はちゃんと言うことを聞いてくれた。
白い煙が、壁の上の、コウモリの群れの中に、流れ込んでいった。
きいっ、と、甲高い声が上がった。
コウモリたちが、ばらばらに散っていく。煙を避けて、空の高いところへ、逃げていく。
「ほかの火かごにも、火をつけろ! ハーブを分けろ!」
ガルドさんの声で、何人かが、ハーブの袋に飛びついた。
一つ、また一つと、壁の上の火かごから煙が上がる。俺は、着火で火をつけて回り、そよ風で煙を押し出した。
黒い雲が、壁の上から、はがれていった。
前が、見えた。
◇ ◇ ◇
見えた瞬間、息が止まった。
あの大きな影が、もう、門のすぐ前まで来ていた。
堀を踏み越え、杭の列を、体当たりで何本もなぎ倒しながら。オオカミやイノシシを止めた杭も、あいつの前では、小枝みたいだった。
近くで見ると、本当に、家ほどもあった。熊のような体。灰色と黒のまだらの毛。そして、その背中から、八本の黒い塊が、まっすぐ空に向かって突き出していた。
壁の上からは、その背中が、よく見えた。
届く。
ここからなら、届く。
「レン!」
ガルドさんの声。
投石紐に、石をかけた。
ひゅん、ひゅん、ひゅん。
煙の残りが、まだ少し、目の前を流れていた。でも、迷わなかった。あいつがどこにいるのか、どっちを向いているのか、頭の中ではっきり分かっていた。森で、群れの居場所を地図に描いたときと同じだ。
一番外側の、一本。
放した。
ぱきん。
黒い塊が、根元から砕けた。
大きな影が、ぐらりと揺れた。腹の底に響くような声で、吠えた。
効いている。
「次!」
二本目。ぱきん。
三本目。ぱきん。
一本割るたびに、あいつの動きが、少しずつ鈍くなっていく。周りの群れも、迷うように足並みを乱しはじめた。
四本目。五本目。
投げるたびに、手の中で、紐がみしりと鳴った。昨日よりも、大きな音だった。石を包む革の縫い目が、一つ、ぷつりとほどけた。
でも、今、止めるわけにはいかなかった。
「セシル!」
オスカーさんの声と同時に、セシルさんの杖の先から、炎が走った。炎は、六本目の塊を包み込んで、黒い表面にひびを入れた。そこへ、俺の石が当たって、砕けた。
七本目。ぱきん。
残りは、一本。
背中の真ん中の、一番太い塊だけだった。昨日の夜、新しく生えた細い一本じゃない。一番最初から、あいつの背中の真ん中にそびえていた、柱のような塊。
赤黒い光が、ほかのどれよりも、強く、速く、脈打っていた。
石をかけた。回した。放した。
石は、まっすぐ飛んだ。
そして――
かつん。
硬い音がして、石が弾かれた。
あの音だった。草原で、大オオカミの毛に弾かれた、あの音。
もう一度。かつん。
もう一度。かつん。
割れない。
ひびさえ、入らない。
◇ ◇ ◇
大きな影が、吠えた。
今までとは、違う声だった。怒っていた。
頭を低くして、門に向かって、体ごと突っ込んできた。
どおん、と、壁全体が揺れた。
足元がぐらついて、俺は、壁の縁にしがみついた。
門の内側から、叫び声が上がった。
「かんぬきが――!」
もう一度、どおん。
木の裂ける音がした。
壁の縁から、身を乗り出して、下を見た。
門の扉が、内側に、大きくひしゃげていた。その隙間から、あの大きな頭が、ぐいぐいと押し入ってくる。
でも、その先には、二の門があった。
何重にも組んだ太い丸太と、石を詰めた荷車。あいつの頭が、そこにぶつかって、止まった。
「押さえろおお!」
ボリスさんの声だった。盾を構えた人たちが、二の門の内側から、いっせいに肩を押し当てる。槍の人たちが、丸太の隙間から、あいつの鼻先を突く。
十五年前には、なかった門だ。
二の門が、ぎしぎしと鳴った。あいつが、もう一度、頭を押し込む。丸太が一本、ばきりと折れた。石を詰めた荷車が、少しずつ、少しずつ、後ろへずれていく。
それでも、二の門は、破れなかった。
町じゅうの人が、六日かけて組んだ二の門が、あいつを、門の中に入れなかった。
でも、折れた丸太の隙間から、あいつの鼻先だけが、内側にのぞいていた。
その、すぐ前に。
トーマが立っていた。
盾を前に構えて、右手には、抜き放ったユーリさんの剣を握っていた。
「トーマ!」
声は、届かなかったと思う。
あいつの大きな口が、丸太の隙間で、トーマに向かって開いた。荷車が、また一つ、ずるりと後ろへずれた。
そのとき、肩の上で、ルルが、俺の頬に、一度だけ額をこすりつけた。
そして、俺の肩を、蹴った。
(第27話 終わり)
――――――――――――
【ガチャ記録】第27話まで
ガチャを授かってから 117日目 / ガチャLv.4
回した回数:合計101回(無料85回・魔石16回) ※100回目(天井)は第25話で使用済み。次の天井は1000回目
今回出たもの
・無料ガチャ:【N】スキル「生活魔法:そよ風」
これまでに出たもの
・特別枠【祝福の一回】:【N】子猫
・スキル:【N】小石投げ+3、【N】方向感覚、【N】生活魔法:着火(少し上達)、【N】生活魔法:そよ風
・装備・冒険の道具:【SR】風読みの投石紐、【R】革の小盾、【R】丈夫な雨合羽、【R】丈夫な革の胸当て(レンが着用)、【N】砥石、【N】革の小物袋、【N】丈夫な縄、【N】丈夫な靴ひも、【N】革の手袋(投石紐の練習用に)、【N】革の水筒
・食べ物:【R】大きな燻製ハム(孤児院の晩ごはんに)、【R】干し果物の詰め合わせ(ダンとニコにも)、【R】堅焼きパン(大箱)、【N】じゃがいも(一袋)、【N】乾燥豆(一袋)×4、【N】干しいも×3、【N】小麦粉(小袋)×2、【N】乾燥ハーブ×2、【N】塩一袋×7
・レシピ・本:【N】レシピ「じゃがいももち」(院長先生に)、【N】レシピ「はちみつケーキ」、【N】生活魔法の入門書(着火が少し上達)
・手当て・身の回り:【N】包帯×8、【N】手ぬぐい×6、【N】石けん×5
・布・裁縫:【R】厚手の毛布(孤児院に)、【R】大きな布地(院長先生が子どもたちの服に)、【N】縫い針と糸×5、【N】ボタン一袋×3、【N】革ひも×2、【N】指ぬき
・台所・家の道具:【N】木のスプーン×2、【N】釘一袋、【N】木の器×2、【N】鉄の鍋(孤児院に)
・紙・灯り:【N】紙の束×7(地図の下書きに)、【N】炭の棒×6、【N】ろうそく十本
・庭:【N】青葉草の種(孤児院の庭に)、【N】青葉草の束(ダンの家に)
・おもちゃ・ルルの宝物:【N】猫じゃらし(ルルの宝物)、【N】毛糸玉×2(ルルの宝物)、【N】木のコマ(小さい子たちに)、【N】ビー玉一袋(小さい子たちに)
読んでいただき、ありがとうございます!
ついに、ガチャから二つ目の魔法が出ました。
ろうそくを吹き消せるくらいの、洗濯物がよく乾く風です。
それでも、着火と乾燥ハーブと組み合わせれば、コウモリの群れを追い払えました。
小さなものを重ねて、組み合わせて届かせるのが、レンのガチャの戦い方です。
そして、町の人たちが六日かけて組んだ「二の門」が、最後のところで踏みとどまりました。
次回は〔明日の朝7時〕に更新します。
ルルが、跳びます。
「続きが気になる」と思っていただけたら、
ブックマークや、下の☆☆☆☆☆での評価をいただけると、とても励みになります。




