第22話 届かなかった石と、ガルドさんの背中
第22話 届かなかった石と、ガルドさんの背中
石の列が見えたのは、空が白みはじめたころだった。
森の木々が途切れて、目の前に、見慣れた草原が広がった。朝露に濡れた草が、薄い光の中で銀色に光っている。
その手前に、ぽつぽつと並んだ石の列。
見習いになってから、ずっと「ここから先は行くな」と言われてきた場所。行きに越えたときは、体の奥がきゅっと縮んだ。
今は、その石の列が、泣きたいくらいにありがたかった。
「……着いた」
トーマが、かすれた声で言った。
一晩中、歩き通しだった。足の裏が、焼けるように痛い。膝が、自分のものじゃないみたいにがくがくしていた。
「まだだ」
最後尾から、ガルドさんの声がした。
「門をくぐるまでは、森の中と同じだと思え」
その言葉に、俺は、腰の投石紐を外した。
森の中では、使う余裕がなかった。紐に石をかけて、振り回して、狙う。そのあいだに、オオカミは目の前まで来てしまう。
だから、今のうちに、小物袋から一番大きな石を選んで、紐にかけた。紐の両端を右手に握ったまま、歩く。草原なら、いつでも振り回せる。
◇ ◇ ◇
草原に出て、しばらく歩いたときだった。
胸当ての内側で、ルルが、もぞりと動いた。
一晩中、ぐったりと眠っていたルルが、目を開けた。そして、弱々しく、でもはっきりと、背中の毛を逆立てた。
「止まってください!」
叫びながら、俺は、頭の上で紐を回しはじめていた。
ひゅん、ひゅん。
三十歩ほど先の、背の高い草むらが、大きく揺れた。
飛び出してきたのは、オオカミだった。
一匹だけ。でも、昨日、沢で見た群れの頭と同じくらい大きかった。胸のあたりが、赤黒く光っている。
森からずっと、つけてきていたんだ。
オオカミは、まっすぐこっちに向かってきた。
狙いは、俺だった。
一番小さくて、一番弱いやつを、ちゃんと分かっている。
「レン、下がれ!」
トーマが盾を構えて、俺の斜め前に飛び出した。
下がらなかった。紐は、もう回っている。練習してきた。毎日、毎日。指の皮がむけるまで。
狙うのは、胸の赤黒い光。昨日、オスカーさんの槍が砕いた場所。
放した。
石は、まっすぐ飛んだ。
風読みの投石紐の、いつもの手ごたえ。狙った場所に、吸い込まれるように。
そして――
かつん。
乾いた音がして、石は、オオカミの胸の毛に弾かれた。
赤黒い光には、届かなかった。分厚い毛と、その下の硬い皮が、石を受け止めて、ぽとりと草の上に落とした。
オオカミは、止まりもしなかった。
◇ ◇ ◇
「どけ!」
トーマの盾に、オオカミがぶつかった。
トーマの体が、紙みたいに吹き飛んだ。
そのまま、オオカミが、俺に飛びかかってくる。
二つ目の石を、紐にかけようとした。指が、震えて、うまくかからない。
間に合わない。
視界が、灰色でいっぱいになった。
その灰色と俺の間に、大きな背中が割り込んできた。
ガルドさんだった。
走り込んだ勢いのまま、剣を横なぎに振るう。刃が、オオカミの首の付け根を打った。
でも、浅かった。俺の石を弾いたのと同じ、分厚い毛と硬い皮。刃は少し食い込んだだけで、オオカミは止まらなかった。
ガルドさんは、よけなかった。
よければ、すぐ後ろにいる俺に、牙が届く。
ガルドさんは、剣の刃を、オオカミの口に横から押し込んだ。牙が、がちりと鉄をかむ。その代わりに、太い前足が振り下ろされた。
爪が、ガルドさんの左の肩から胸にかけて、深く切り裂いた。
「ガルドさん!」
ガルドさんは、声も上げなかった。
膝をつきかけながら、それでも剣を離さずに、オオカミの牙を食い止めていた。
その横から、オスカーさんの槍が突き込まれた。
槍の穂先が、オオカミの胸の、赤黒い光を貫いた。
ぱきん。
光が砕けて、オオカミは、どさりと草の上に倒れた。
少し離れた草の中で、トーマが、盾を杖にして起き上がるのが見えた。革の盾には、牙のあとが深く残っていた。盾がなかったら、あの牙は、トーマの腕に届いていた。
◇ ◇ ◇
ガルドさんの左の肩から胸が、真っ赤だった。
服が裂けて、その下の傷から、血がどくどくと流れ出している。草の上に、赤い色が広がっていく。
「布を!」
セシルさんが叫んだ。
俺は、震える手で、背負い袋をひっくり返した。毎朝の無料ガチャで出た、包帯と手ぬぐい。
セシルさんが、それをひったくるように受け取って、傷口に押し当てた。
白い包帯が、あっという間に赤く染まった。
「……騒ぐな」
ガルドさんが、うつむいたまま言った。
「この程度で、死にはせん」
声は、いつもの低い声だった。でも、顔は、紙みたいに白かった。
「ボリス、担げるか」
オスカーさんが言った。
「任せろ」
ボリスさんが盾を背負いなおして、ガルドさんの体を、自分の背中に乗せた。
ガルドさんは、何か言おうとしたみたいだった。でも、そのまま、ボリスさんの肩に頭を預けて、目を閉じた。
十五年前。
撤退中に足を噛まれて、仲間に担がれて、森から逃げた。
ガルドさんは、雨の日に、そう話してくれた。
今、ガルドさんは、また担がれている。
俺を、かばったせいで。
◇ ◇ ◇
門の見張り台から、誰かが叫ぶ声が聞こえた。
すぐに、門が開いた。
衛兵さんたちが駆け寄ってきて、ガルドさんを板に乗せて、教会の治療院へと運んでいった。オスカーさんは、そのままギルドへ走った。
俺とトーマは、治療院の廊下の、長椅子に座っていた。
座っていた、というより、立っていられなかった。
トーマの左腕には、治療院の人が巻いてくれた布があった。盾ごと吹き飛ばされたとき、腕を強く打って、ひじをすりむいたらしい。骨は折れていない、と言われていた。
扉の向こうから、神官様の祈りの声が聞こえてくる。治癒の魔法の、淡い光が、扉の隙間から漏れていた。
しばらくして、ばたばたと足音が近づいてきた。
「レン! トーマ!」
院長先生だった。
エプロンをつけたまま、息を切らせて走ってきた院長先生は、俺たちの顔を見るなり、二人まとめて抱きしめた。
「よかった……よかった、二人とも……」
院長先生の腕は、出発の日と同じように、震えていた。
「院長先生、ガルドさんが……」
トーマが、泣きそうな声で言った。
「聞いたわ。今、神官様が診てくださってる。大丈夫。きっと、大丈夫よ」
院長先生は、何度も何度も、俺たちの背中をさすった。
俺は、何も言えなかった。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ、扉が開いて、白い髭の神官様が出てきた。
祝福の儀のときの、あの神官様だった。
「命は、取り留めました」
院長先生が、大きく息を吐いた。トーマが、長椅子の背もたれに、ずるずると体を預けた。
「ただ、血をたくさん失っています。傷も深い。目を覚ますまで、しばらくかかるでしょう」
神官様は、少しだけ申し訳なさそうに続けた。
「治癒の魔法は、体が自分で治ろうとする力を、手伝うだけなのです。血を止めて、傷の口をふさぐことはできます。でも、失った血は戻りませんし、これだけ深い傷が元どおりになるには、ひと月はかかるでしょう。しばらくは、包帯が取れません」
神官様は、俺の顔を見た。
「傷口に、きれいな包帯が当ててありましたね。あれのおかげで、傷が汚れずにすみました」
毎朝の無料ガチャで、何度も出た包帯だった。出るたびに、「また包帯か」と思っていた。
「……そうですか」
それしか、言えなかった。
◇ ◇ ◇
夕方、ギルドに呼ばれた。
奥の部屋では、ハロルドさんとオスカーさんたちが、机に地図を広げていた。
俺の描いた、森の地図だった。
石の列から、北東へ。野営地。沢。二股の木。そして、窪地。紙の端から端まで、一本の線が続いていた。
「王都へは、昼のうちに早馬を出した」
ハロルドさんが言った。
「騎士団が着くまで、早くても九日はかかる。それまでに、町の守りを固める。君の地図のおかげで、群れがどこから来るのか、どの道を通るのか、だいたい見当がつく。この地図は、町を救うかもしれない」
「レンが道を覚えていてくれなかったら、俺たちは、森の中で迷って全滅していた」
オスカーさんが、静かに言った。
「ありがとう。本当に、助かった」
セシルさんも、ボリスさんも、うなずいていた。
みんな、優しかった。
でも、その優しさが、胸に刺さった。
◇ ◇ ◇
その夜、布団に入ったとたん、俺は、泥のように眠った。
一晩中歩き通して、昼も一睡もしていなかった。体のほうが、先に限界だった。
目が覚めたのは、真夜中だった。
かつん。
夢の中で、あの音を聞いた。石が、毛に弾かれる音。灰色の影が飛びかかってきて、大きな背中が割り込んで、草の上に赤い色が広がっていく。
飛び起きると、背中が、汗でびっしょりと濡れていた。
隣の寝床からは、トーマの寝息が聞こえていた。小さい子たちも、みんな眠っている。
枕元では、ルルが、まだ眠っていた。昼に一度だけ目を覚まして、リゼさんがギルドから届けてくれた塩なしの干し魚を、ほんの少しだけ食べた。それから、また丸くなって、ずっと眠っている。
窓の外に、月が出ていた。
もう一度、目を閉じた。でも、眠れなかった。目を閉じるたびに、あの音が聞こえる。
かつん。
毎日、練習した。指の皮がむけても、練習した。風読みの投石紐の石は、手で投げる石の倍の距離を飛ぶ。命中は、十回に六回。苔むす洞のコウモリなら、一発で落とせる。
それなのに、届かなかった。
一番大事なときに、俺の石は、何の役にも立たなかった。
道を覚えていた。地図を描いた。包帯を持っていた。
それだけだ。
戦ったのは、オスカーさんたちだ。ガルドさんだ。トーマだ。それから、ルルだ。
俺は、守られていただけだった。
ルルに守られて、トーマに守られて、最後は、ガルドさんの背中に守られた。
十五年前、ユーリさんは、仲間を逃がすために、一人で残った。
ガルドさんは、今度は、俺の前に立って、あの爪を受けた。
もし、あの爪が、もう少し深かったら。
もし、オスカーさんの槍が、もう少し遅かったら。
「……っ」
毛布を、頭までかぶった。
声が漏れないように、歯を食いしばった。
ガチャを授かって、百日あまり。一つずつ、少しずつ、強くなってきたつもりだった。
でも、全然、足りなかった。
毛布の中で、気がつくと、ガチャの画面を開いていた。
『これまでに回した回数:99回』
あと一回。百回目を回せば、これまでに出たものの中から、何でも一つ選べる。
今すぐ回して、何か、強いものを。
そう思って、一覧を上から下までたどった。
小石投げ。方向感覚。着火。じゃがいも。猫じゃらし。包帯。手ぬぐい。塩。
剣も、魔法も、どこにもなかった。
あのオオカミを倒せるものも、ガルドさんの傷を治せるものも、この一覧には、何一つ並んでいなかった。
治療院の扉の隙間から漏れていた、淡い光を思い出した。神官様の、治癒の魔法。それから、沢でオオカミを押し返した、セシルさんの炎の壁。
そして、ルルの、白い光の膜。
小さな体で、俺とトーマを丸ごと包んで、オオカミの牙を一つも通さなかった。あれも、魔法だったのだろうか。あの光を張ったあと、ルルは倒れるように眠って、今も、ほとんど目を覚まさない。
俺より、ずっと小さいのに。
もし、俺に、治癒の光があったら。ガルドさんの傷を、すぐにふさげたかもしれない。もし、あの炎があったら。オオカミは、俺のところまで来なかったかもしれない。
前世でも、魔法には、ずっと憧れていた。
本当にあるはずがないことは、分かっていた。ゲームやアニメの中だけの、作りものの力だ。それでも、小さいころは、手のひらを突き出して、火の玉が出ないか試したことがある。大学生になってからも、講義の帰りの電車で、もし自分に魔法が使えたら、と何度も空想した。
でも、それは、いつまでも空想のままだった。
この世界では、違う。魔法は、本当にある。今日、扉の向こうで、ガルドさんの命をつないでいた。
魔法が、欲しかった。前世で憧れていたころよりも、ずっと強く。今度は、誰かを守れる力として、喉から手が出るほど。
魔法のスキルは、十二歳の祝福の儀で、一つだけ授かるものだ。俺が授かったのは、ガチャだった。
でも――着火は、ガチャから出た。ろうそく一本分の小さな火でも、あれは確かに、魔法だった。
だったら、いつか。
一番下の丸い影だけが、灰色のまま、黙っていた。
俺は、画面を閉じた。
そのとき、小さなものが、もぞりと動いた。
ルルだった。眠ったまま、俺の胸のあたりまで這い上がってきて、そこで丸くなった。
温かかった。
俺は、毛布の中で、その小さな体を、そっと抱きしめた。
(第22話 終わり)
――――――――――――
【ガチャ記録】第22話まで
ガチャを授かってから 109日目 / ガチャLv.3
回した回数:合計99回(無料83回・魔石16回) ※99回で止めて、100回目は取ってある
今回出たもの:なし
これまでに出たもの
・特別枠【祝福の一回】:【N】子猫
・スキル:【N】小石投げ+2、【N】方向感覚、【N】生活魔法:着火(少し上達)
・装備・冒険の道具:【SR】風読みの投石紐、【R】革の小盾、【R】丈夫な雨合羽、【R】丈夫な革の胸当て(レンが着用)、【N】砥石、【N】革の小物袋、【N】丈夫な縄、【N】丈夫な靴ひも、【N】革の手袋(投石紐の練習用に)、【N】革の水筒
・食べ物:【R】大きな燻製ハム(孤児院の晩ごはんに)、【R】干し果物の詰め合わせ(ダンとニコにも)、【R】堅焼きパン(大箱)、【N】じゃがいも(一袋)、【N】乾燥豆(一袋)×4、【N】干しいも×3、【N】小麦粉(小袋)×2、【N】乾燥ハーブ×2、【N】塩一袋×7
・レシピ・本:【N】レシピ「じゃがいももち」(院長先生に)、【N】レシピ「はちみつケーキ」、【N】生活魔法の入門書(着火が少し上達)
・手当て・身の回り:【N】包帯×8、【N】手ぬぐい×6、【N】石けん×5
・布・裁縫:【R】厚手の毛布(孤児院に)、【R】大きな布地(院長先生が子どもたちの服に)、【N】縫い針と糸×5、【N】ボタン一袋×3、【N】革ひも×2、【N】指ぬき
・台所・家の道具:【N】木のスプーン×2、【N】釘一袋、【N】木の器×2、【N】鉄の鍋(孤児院に)
・紙・灯り:【N】紙の束×7(地図の下書きに)、【N】炭の棒×6、【N】ろうそく十本
・庭:【N】青葉草の種(孤児院の庭に)、【N】青葉草の束(ダンの家に)
・おもちゃ・ルルの宝物:【N】猫じゃらし(ルルの宝物)、【N】毛糸玉×2(ルルの宝物)、【N】木のコマ(小さい子たちに)、【N】ビー玉一袋(小さい子たちに)
読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、レンにとって一番つらい回でした。
石は届かず、ガルドさんが、レンの前に立って爪を受けました。
それでも、治癒の魔法の光を見て、レンは前世からの憧れを思い出します。
作りものだと思っていた力が、この世界には、本当にある。
着火がガチャから出たのなら、いつか――。
眠れない夜、そばにいてくれたのは、やっぱりルルでした。
次回は〔今日の19時〕に更新します。




