8話 閃きの『決定打』
「すごい、すごいですよ月英姉様! 水がどんどん出てきます!」
無邪気にポンプ式の井戸を使って、水を出す均君。
木製のレバーを均君が上下に動かすたび、ガチャン、ガチャンと心地よい音を立てて、竹筒の口から澄んだ水が勢いよく溢れ出してくる。
「うん、問題なさそうですね。『手押しピストンポンプ式井戸』」
仕組みはシンプルだが、現代の知識と古代の技術のハイブリッドである。
本体となるシリンダーには太い竹を使い、内部の密閉度を高めるパッキンには水で膨らむなめし革を採用。
そして、激しい上下運動に耐えるピストンロッドや、水圧をコントロールする重要な二つの『逆止弁』の枠パーツを、あの『徐』の木簡で脅……いや、交渉して鍛冶屋に特注で作ってもらったのだ。
レバーを引き上げれば気圧で底の弁が開き、井戸水が吸い上げられる。
レバーを押し下げれば底の弁が閉じ、ピストンの弁が開いて水が上に移動する。
このシンプルな物理の連動によって、重い桶を幾度も引き揚げる必要なく、軽い力でいくらでも水が汲み上げられるのだ。
(うちのポンプ式井戸の修理を手伝った経験が、こんなところでいきるとはな~)
我が家はとにかく物を大事にする方針で、壊れた井戸はもちろん、先祖代々の農具も未だに修理しながら使っている。
もちろん最新の農耕機械も使うが、『大きな問題はない』と判断した作業は昔ながらのやり方のまま。
先祖代々、山で暮らしてきた者たちの知識を使う一族なのだそうだ。
まあ、さすがにトラクターが壊れた時は修理に出したが。
「月英姉様。この溝は?」
「下水用の溝ですね。裏の山に作った簡易汚水坑に流しているんです」
これなら、汲んだ水を使ってその場で作業がやりやすくなるだろう。
下水完備してないと、足元びちゃびちゃになるからな。
(将来的には、下水関連もなんとかしないとな……)
隆中をぐるっと見てきたが、汚水坑が多すぎる。
糞尿は肥しに使うからまだいいとして、生活廃水が住居のすぐそばにあるのはよくない。
害虫の発生源にもなるし、場合によっては恐ろしい疫病が生まれるきっかけになる。
均君から聞いた話によると、首都とかでは一応下水設備があるらしいから、やろうと思えばできるだろう。
……まあ村全体となると、大規模工事になりそうだが。
まあとりあえず、今やれることをやるか。
(とりあえず、これで『利』の提示にはなるかな……)
均君のはしゃぐ姿を見ながら、それは確信する。
……そして同時に、これが『決定打』にはならないということも。
(手に入りやすくなった水、しかも水は多層ろ過機のおかげで綺麗……それだけなんだよな)
なんというか、「この水、すごく美味しくて健康に良いですよ~」みたいな訪問販売のプレゼンに近い。
村人全体を動かすには、必要性を説く……それも論破ではなく、「こちらの提案に乗らない理由がない!」とまで思わせるようなインパクトが必要なのだ。
(単福さんに啖呵を切っちゃった手前、ここで妥協するわけにはいかないしなぁ……)
……『救う知識があるなら、使うのがその知恵を持つ者の義務』、か。
今思うと、とんでもないことを言ったな。
おじいちゃんの受け売り8割ではあるが、私が口にすればもう『私』の言葉になってしまう。
……今後は軽はずみな発言に気を付けよう。
(ん? そういえば……)
私がこんなに頭を抱えて作業しているのに、隣にいるべき人がいないのでは?
「均君。孔明様はどこに行きましたか?」
「ここ最近、毎日頻繁に村や町、あと市場にも出かけてるみたいです」
「市場にも?」
市場は鍛冶屋がある場所だ。
荊州のいわゆる首都の襄陽と、隆中の中間地点にある活気ある市場。
まあもちろん、あるのは鍛冶屋だけではなく……
「戻ったぞ、シャオリズ、均。これは土産の蜂蜜だ。上物が安く売っていてな」
「わあ、これで何かお菓子でも作りますね!」
……このように、昼間っから酒を飲み、お土産片手に帰ってこれるような飲み屋もあるわけだ。
「お帰りなさいませ、孔明様。妻を働かせて飲むお酒はおいしかったですか?」
「ああ、最高だったとも♪」
……本当、頭いい人とか信念強い人は、嫌味が通じないな。
「それで、なんか最近はずっと町やら市場にいってるらしいけど、何をしているんですか?」
「大したことはしていない。いわゆる、私が結婚したことを触れ回っているだけだ」
ああ、なるほど。
こういう時代や地域だと、結婚の報告周りは重要そうだ。
うちの田舎でも、近所だけどそこまで知らない人がわざわざ報告に来てたし。
「色黒の肌に、金にも見える薄い茶色の髪……まるでタヌキの妖怪が人の姿で現れたような妻を娶った、とな」
「いや、何余計な噂をばら撒いてるんですかあなたは!」
思わず素でツッコんでしまった。
旦那が、嫁の風評被害を自ら拡大させてどうするんだ!
「手伝わないなら、せめて変な噂流すのやめ……」
「……ほう。これが噂のポンプ式とやらの井戸か。面白いな……!」
しかも、人の抗議を華麗にスルーしてるし。
はあ……こういう変人型天才に何を言っても無駄か。
「この技術は応用が利きそうだな。あとで詳しく構造を教えてくれ」
「……はい」
……これで策は成った、とは言わないか。
ということは、このポンプ式の井戸では決定打にはならないという私の予想は当たりだろうな。
「これは下水用の溝か?」
「はい。使いやすさを見せるために、簡易の汚水坑を作ってそこに繋げてます」
「だとしたら、もう少し深く掘るべきだな。少し水が溜まっているぞ」
「え? そんなわけ……」
……たしかに、少しだが下に水が溜まっており、まるで小さな川のようになっている。
「あ、あの、もしかしてボクが調子乗って水を出しすぎたでしょうか……?」
「いや、さすがにそこまで浅く掘ってないです」
なにせ、鍛冶屋の人たちにも手伝わせたからな。
ありがとう、徐印の木簡。
「だとすると、どこかで詰まって……ああ、あの辺かな?」
下水用の溝……いわゆる側溝は、裏山の軽い崖部分の真下を沿うように掘っている。
そこから排水抗まで続いているわけだが……
「ああ、やっぱりここに水が……あれ?」
側溝にはとくに問題はない。
何かの拍子で側溝が崩れ、土が水を塞いでいると思ったのだが……
「……ということは、これは井戸から流れた水じゃない?」
しかもこれは、明らかに澄み切った綺麗な水だ。
側溝を通ってきたのであれば、いくらなんでも土や泥が混ざるはずだ。
「井戸から流れた水ではない……だったらこの水は……あっ!」
……私は本当に馬鹿だ。
現代の知識に頼ろうとしすぎて、本当の基本を、私の生活の基盤となっているものを忘れていた。
おじいちゃんやお母さんやお父さん……いや、山と共に生きてきたご先祖様に申し訳なさすぎる!。
「シャオリズ。何か問題でも……」
「孔明様! 今すぐ用意してもらいたいものがあります!」
「え?」
「とりあえず、ありったけの竹を! 私は、鍛冶屋の人たちを呼んできます!」
そして私は、全力で市場へと走り出す。
私の考える、『決定打』を手に入れるために!




