第39話 悩める孔明
「あのタヌキ仙人に頼まれている荷物だ。通してもらっていいか?」
「……通れ」
手押し車を押しながら軍営に入る。
乗せているのはふたつの壺、水牛の乳だ。
用意まで時間がかかるためさっき届いたのだが……さすがに重いな。
「……さて、と」
頭を巡らせる。
昨日はさすがに、月英をからかいすぎた。
……いや、からかうつもりはなかった。
なぜか月英の顔を直視できず、言葉がでてきたというか。
「……むう。上手くいかないものだな」
つい、月英の口癖が口から出てくる。
……まあ、大きな問題はないだろう。
あいつを拾ったのは俺だ。
そして、夫でもある。
多少いじるぐらいならば、許されるはずだ。
『……孔明君。夫婦を名乗るならば、月英にもう少し優しくしてあげなさい』
『そうよ、青春よ!』
『知り合って間もないが、君は人との距離を保つのが上手い。その容姿もあるし、嫌われることはまずないだろう』
『そうそう! もっと青春しなさい!』
『ちょっとした友人なら、それもいい。嫌われ過ぎず、好かれ過ぎない絶妙な距離だ。だが、夫婦……男女の関係なら話は別だ。このままでは、月英もちょっとした友人になってしまうよ?』
『そう! 友情よりも青春よ!』
『……孔明君。私は妻にも話ができたから、もう行っていいよ』
…………許されるはずだ。
「……大体、男女の関係など。『シャオリズ』のあいつが、他の男など……」
『月英姉様~♪』
『あのお嬢ちゃんもいいな!』
『……クソタヌキが』
………………軽く、謝っておくか。
そして、月英の言っていた工房に到着。
手押し車を引きながら、中に入る。
「……ん? ああ、もしかして、月英お嬢ちゃんの荷物か?」
「そこの奥に、置いていただけますかな」
工房には、職人と兵……いや、その風格から将軍がひとり。
ふたりで台に乗せられた、いくつかの弓をみている。
(あれが、月英の言っていた和弓か)
形状再現の試作なのだろう。
どの弓も、麻縄でぐるぐる巻きにされている。
特注はやはり、大きさと形状。
他の大弓より遥かに大きく、上下非対称。上が長く、下が短い。
「……聞かされている特徴と理論、弓の名手である旦那の調整もあって形にはなったが……面白ぇこと考えるな、あのお嬢ちゃん」
弓を見定める俺の目に気づいたのだろう。
職人たちが話しかけてくる。
「早く飛ぶ矢を、即座に放てるのが弓。その点から考えると、この弓は無駄が多い。矢が弩より早いというわけでもなければ、大弓ゆえに矢を放つまで時間がかかる」
近くの試作弓を手に取り、弓を構える将軍。
「弦を引いて矢を放ち、全ての矢を狙った場所に確実に命中させる……この弓は、その神業を再現しようとしている」
弦を大きく引き、しっかりと構える。
弦を顎のあたりまで引き絞る、見慣れた弓の構えではない。
この大弓だからか、腕だけでなく体全体を使って弓を引いている。
「安定した構え、『それが可能にする』弦を引き絞った状態の維持のしやすさ、『それが可能にする』相手を狙う余裕……」
「安定した構え。それによって、弦を引き絞った状態を維持しやすくなる。そこから生まれる、相手を狙う余裕……」
そして弦が離され、音が鳴り響く。
「……この弓の構造は全てが、弓を正確に命中させるための理にかなっている」
大弓ゆえの反動か、未だに少し震える弦。
聞き慣れた弓の音だが、どこか美しさすら感じる。
「付け加えるなら、下が短いのは、馬上でも扱いやすくするためでしょうね。あとは、その大きさゆえに、長い矢を使うことになる……それゆえに矢が重くなり、威力が大きくなる、というところでしょうか」
「おお! そういう利点もあるか! 弓ばっか考えていたせいで、気づかなかった!」
「ふふっ、さすが高名な学士、諸葛亮孔明殿。お見事な推察眼ですな」
「……ただの推察ですよ」
……肯定も否定もせずに返す。
俺が孔明であることを知っているとは、かなり『出来る』将軍だ。
「……そういや、お嬢ちゃん来るのが遅いな」
「もしかしたら、文長殿に捕まっているのかもしれませんな。丁度、訓練が終わっている時間ですし」
「……文長?」
…なんだその名前は。
男の名前な気がするのだが?
「ん? お嬢ちゃんから聞いてないのか?」
「ある意味では、月英様の親衛隊のような青年ですよ。弓を作ってるのも彼のためですし」
…………待て。
待て待て待て待て待て。
何か理由があるとは思っていたが、工房から相談されたとかではないのか?
文長という、『男のため』というのは聞いてないのだが?
「……おやぁ? 面白い顔してるねぇ、若いの♪」
「ふふっ。これも青春、ですかな」
ニヤニヤしながら、こっちを見てくるふたり。
しかも、黄夫人みたいなことまで言い出している。
(……さすがに、少し戒めるか)
あいつは、少し男にちょっかいを出しすぎる。
一応は、俺という夫がいるのだぞ?
……まあ、未だに正式というわけではないし、月英にその認識はないようだが。
だが、さすがにこれは、注意すべきだ。
「……あの、遅れました」
後ろから聞こえてくる月英の声。
「おお、来たかお嬢ちゃ……は?」
「……これはこれは」
なんだか、目の前のふたりが驚いているが、関係ない。
一度外に連れ出して、注意をする。
そのつもりで振り返ると……
「あ、あの、子龍さん……自分で歩けますから、下ろしてもらえると」
「いけません、姫。防ぎはしましたが、どこかに破片が当たっているかもしれない。姫の願いですからここにお連れしましたが、本来ならば医者に見せるべきなのですよ?」
「ほ、本当にケガなんかしてないです! それよりその、いくら私でも恥ずかしいというか……」
……そこには、美丈夫に抱きかかえられながら顔を赤らめる、月英がいた。




