26話 5年越しの言葉
「……」
「……」
均と俺の間に流れる沈黙。
……本当に、人の心というのは難しい。
話したい事、話さなければならない事が山ほどある。
だが、喉まで出かかっている言葉が、口から放たれることはない。
「……今日の料理、ボクの病気を治すための料理ですか?」
「あ、ああ。月英の話では、今日のような栄養がある食事を続ければ、早ければ一週間ほどでよくなるそうだ」
俺の目を見て話しかけてくる均。
「……互いの目をしっかりと見て話すのは、何年ぶりだろうな」
「……瑾兄様と叔母さんと別れた、あの日以来だと思います」
「そう、だな。……すまない、知っていて聞いた」
均と目を合わせる……いや、しっかりと向き合うのが怖くて、逃げるためにそんな質問をした。
今だって、逃げたくて仕方がない。
だが……
『後悔しないように行動してください』
……俺は逃げるわけにはいかない。
自分も同じ傷を持っているのに、それでも背中を押してくれたあいつに報いるために。
「均……俺は……!」
「……ボクは! 孔明兄様が大嫌いです!」
「なっ……!?」
「自尊心が高くて、偏屈で! 他人をからかうところも大嫌い! 軽口にすれば許されると思ってるみたいですけど、何やっても敵わない人がそれ言ったら、どんなに取り繕おうが、ただの嫌味ですからね!」
「お、俺だって、お前が大嫌いだ! 末っ子だからって、家族に甘えて……俺が瑾兄さんに学問を教えてもらっていたら、横から入ってきたよな! あのあと、部屋でひとり勉強することになったんだぞ!」
「兄様はひとりでなんでもできるんだから、いいじゃないですか! 料理を始めたのはボクが先なのに、すぐに追い抜いて……なんですか、あの魚! 美味しすぎます! 毎日、一口だけで我慢するの、辛かったんですからね!」
「知るか! 言っておくがな、あの魚をしっかり食べていたら、お前は足の病にはかかっていなかったんだぞ! 本当に、周りに迷惑をかける奴だな!」
「ええ、どうせボクは周りに迷惑をかけてますよ! でも、おかげで月英姉様に甘えられてますからね! 羨ましいですか? 悔しいですか? いつも女性を篭絡してきた、その顔が! 姉様に全然効果なくて! なんだったら、ボクが姉様の夫になりましょうか!?」
「女の扱いも分かっていない子どもは黙ってろ!」
「うわ、最低です! 女性を『扱う』だなんて、あまりに上から目線じゃないですか! 孔子様の教え……『夫婦は互いに礼を尽くすべき』という教えを忘れたんですか! 妻への敬い方も知らない、名ばかりの儒者さん!」
「お、お前は……え?」
さすがに頭に来て、均を見ると優しく笑っていた。
「……でも、ボクはそんな兄様が大好きです。いつもボクを支えてくれて、優しくしてくれて、本当にありがとうございます」
「均……その、俺も弟のお前を大事に思っている。だから、あの時の言葉は……!」
言い淀む俺を見ながら、均は優しく首を振る。
「言わなくてもいいですよ。お互い、分かっていたでしょうから」
「……そうだな」
また、ふたりの間に流れる沈黙。
だが今度の沈黙は違う。
響く虫の鳴き声、緩やかにそよぐ夜風をしっかりと感じられる、静かで優しい沈黙だ。
「ふふっ、お互いようやく言えましたね」
「……ああ。まさか、5年以上かかるとは思わなかった」
俺たちは顔を見合わせ、笑いあった。
そして均は、完全に酔い潰れ、幸せそうに寝息を立てている月英を見る。
「……これも、姉様のおかげですね」
「月英の?」
「食事の席が始まった時、ボクは適当なところで席を立つつもりでした。でも……」
そう言いながら、人差し指で月英の鼻を押す均。
月英は、うにゅ……という、よくわからない声を上げて寝続ける。
……本当によく分からん。やはり人ではなくて、タヌキじゃないのか?
「でも、出来ませんでした。あんな一生懸命な目で、頑張ってとか言われちゃいましたから」
「……たぶん、本人はそこまで考えていないぞ。こいつは、鋭いようで鈍く、鈍いようで鋭い食わせ者だが、基本的には馬鹿なタヌキだ」
「あはは! それは否定できません」
大きな声で笑う均。
俺に、周りに気遣うように静かに笑う均じゃない。
俺や瑾兄と一緒に、野を駆け回っていた時のように。
「そういうわけなので! 兄様の策は詰めが甘かったですね~。劉表様や黄承彦様をお忍びで連れてくれば、いくらボクでも最後まで席を立たないと思ったんでしょうが、姉様が居なかったら、ボクはあの席から立っていましたよ!」
「なっ!? ふ、ふっ、それはないな。相手はこの国の長であり、有力豪族だ。そんなことをしたらどうなるか、分かっているはずだからな!」
「……病で足が痛むので、申し訳ありませんが席を外させていただきます……」
「うるんだ眼で見るな! 子供の見た目を利用するな!」
「容姿を活かすのは、兄様直伝ですから。ふふっ、孔明敗れたり、ですね♪」
「……~~っ!!」
悪戯が成功した子どものように笑う均。
くっ、本音で話せるようになったのはいいが、面倒な弟になったな!
「……ただ兄様。ひとつだけ聞いていいですか?」
「なんだ?」
「兄様たちの気持ちはなんとなく分かっていたんです……でも、姉様はボクのことを……」
「……ふっ。やはり、お前が俺に勝つのはまだまだ先だな」
「それはどういう……えっ!?」
俺の後ろに立っている『お手伝いさん』を見て、驚愕する均。
断られても、無理やり連れてこようと思っていた。
ところが事情を聞いた瞬間、「今すぐ連れていけ」と俺の胸倉をつかんできた。
しかも、『私の出番は最後。ふたりの逃げ道になりたくありませんから』と言い放ってきた……
「聞きたいことがあるなら、本人に聞け」
「……本当……兄様のそういうところ……大嫌いです…………!」
涙があふれる均。
そんな均を優しく抱き留める女性……姉上。
(父上……叔父上……)
瑾兄もいない、もうひとりの姉上も、叔母上もいない。
でも、俺は思っていた。
根拠もない、理論もない、証拠もない……学問を修める者にとって忌むもの、ただそうあってほしいという『願い』を。
(……見てくださっていますか? ようやく、諸葛家はまたひとつになりました)




