16話 顔
「す、すごいです月英姉様! まるで、馬に乗っているみたいです!」
「気に入ってもらえたようで、何よりです」
愛車『タイガー号』で均君と一緒に村を走る。
後ろの荷台を即席で改造した自転車用チャイルドシートに乗ってもらっているが、サイズはぴったりのようだ。
というか……人のことは言えないが、ほんと小さいな均君。実は幼児なんじゃないだろうか。
「……ボク、お医者さんに、一生馬には乗れないって言われていたんです」
「なるほど。では、今日だけタイガー号は馬になっておきましょうか」
「あ、だったら赤兎馬号がいいです! あの飛将軍『呂布』や、万人敵と謡われた『関羽』の馬ですから!」
「では……赤兎馬ほどじゃないにしても、多少速度を上げますか!」
「わわっ、すごーい!」
スピードが上がることで、無邪気にはしゃぐ均君。
……この子が、謎の病に犯されているなんて、誰も思わないだろう。
(……出会った時から、孔明様が人の命に対して悩んでいたのは、均君のことがあったからなんだろうな)
知恵があっても命ひとつ救えない、あれは孔明様の心からの声だったのだろう。
そして、タヌキの妖術……私の持つ新しい知識を必要以上に欲しがるのも。
「あ、あの、月英姉様。家から連れ出してもらった上に、自転車にまで乗せてもらえて感謝しかないのですが……お兄様に何か言われませんでしたか?」
「何か言っていた気はするのですが、『病は気からというのが、私の国の常識です』と言ったら、口をもごもごさせながらも黙りました」
「あ、あはは……やっぱり何か言ってたんですね」
「あとは、『走って付いて行っていいか?』とか、『転んでも怪我しないように甲冑を用意する』とか、他には……」
「大分言ってますね!?」
「まあ、それぐらい均君を心配しているってことです」
「……ほんと、兄様ったら」
そう言いながら、少し照れるように頬を染める。
乙女かこの子は。あんまり小動物オーラを出されると、さすがの私も抱きしめたくなるぞ。
「あ、屋台がありますよ、月英姉様!」
おお、本当だ。この時期にも屋台ってあるんだな。
……そして、分かってはいたが自転車はめちゃくちゃ目立つ。
子どもだけじゃなくて、大人まで全員が手を振ってくる。
……『狸仙人様!』とか言いながら、胸の前で拱手を組み敬意をアピールしてくる人もいるが、見なかったことにしよう。
「月英姉様。あそこでひと休みしませんか?」
均君が近くの木陰を指さす。
正直、漕ぎ疲れていたので助かった。
「では、少し休みましょうか」
木陰まで行き、自転車を止める。
そして、均君をシートから降ろし、木草の上に座らせた。
(……軽い)
孔明様が心配する理由が嫌というほど分かる。
幼いころから病弱で、まともに歩くこともできず……今までどんな辛い思いをしながら生きてきたんだろうか。
「……それで、ボクの体のこと、どこまで知りましたか?」
「え?」
笑顔のまま、まっすぐに核心を突いてくる均君。
……この鋭さは、まさに天才軍師『諸葛亮孔明』の弟だ。
「……たぶん、全部だと思います」
「そうですか……本当に兄様は過保護で困っちゃいますね」
困ったように笑いながら話す均君。
「ということは、ボクの病気を治せるかもしれないって、期待されちゃいましたか?」
「その通りです。でも……」
「あ、大丈夫です! 月英姉様は仙人でも神様でもないんですから」
どこか悟ったように笑いかけてくれる均君。
そして……
「……それに、そっちの方が安心します」
「え?」
……病を治せない私に向けて、均君は笑顔を浮かべる。
今まで私に見せてくれたどの表情よりも、心からの、心底安心したような笑顔を。
「均君……?」
「……」
私の疑問を無視し、均君は遠くを見つめる。
その背中から、静かな拒絶の気配が漂う。
「……それにしても、兄様は変わりませんね。瑾兄様も姉様たちも、ボクを見限ったのに」
「見限るって、均君をですか?」
以前、孔明様から聞いたことがある。
諸葛家にはまだ、孔明様の兄と二人の姉がいるらしい。
だが、兄は江東で仕官し、姉たちはそれぞれ嫁いでいったと。
「はい。みんなボクを置いていきました……」
そう言いながら、均君がゆっくりと振り返る。
とても柔らかく、朗らかな笑顔で――
「……足手まといのボクを、ね」
いつもの調子でこう言った。
「そんなことは……」
反論しようとした私の言葉が途切れる。
均君がまた、あの顔をしていたからだ。ドロリとした負の感情が混ざった、あの表情を。
「……ボクは体が弱いし、兄様たちみたいに知恵もありません。本当に足手まといなんですよ」
だが、今回は違った……いや、その先があった。
胸の奥から湧き上がる黒い感情を隠しきれないのか、その顔は分かりやすく歪んでいく。
まるで感情が、顔を造り変えるように。
(……そうか、そういうことだったんだ)
……そして私は、その表情を見てようやく気づいた。
「それでも兄様は、最後までボクという存在を諦めず、そばに置き続けた。家族で避難することになった時も、家族で唯一、ボクを置いていこうとしなかった……」
……この顔は、どこかで見たことがあったんじゃない。
私が『あの時』――お母さんたちに向けていた顔だ。
「……本当に、優しい兄様ですよ」
あの時……都会にある叔母さんの家に泊まりに行って、田舎に帰りたくないって駄々をこねた時の私……
「均君……」
田舎という空間を、マタギのことばかり話すおじいちゃんを、農業を手伝わせてくるお母さんたちを……
「……孔明様のこと、憎んでいるんですか?」
……『憎んでいるもの』を見る顔だったんだ。




