第5話 満月の光の午前0時
金箔をあしらったドーム型の大きな時計には動物を象った彫刻があった。午前0時の時刻を示すと、誰もいない王座の間で大きな鐘の音を鳴らして時間を知らせていた。防音効果で寝室には届かないようになっていたが、敏感なフェリシア・リドマンは、ふとんを持ち上げ、ベッドの上で跳ね起きた。
「な、なんだ、今の!?」
「……兄さん、どうしたの? 急にびっくりするだろう」
フェリシア・リドマンとダリウス・リドマンの2人は、エリーサベト・モルベリの召使として雇われた形になったが、隣国の元侯爵と元伯爵という肩書きを持っていたため、高級な部屋を用意されていた。ベッドはそれはもう、上質なものであった。睡眠の質を上げる機能性のシーツに掛け布団。オーダーメイドの枕と至れり尽くせりだった。文句を言われる前に先手をうつというオレリアン・モルベリの計らいだった。何事も冷静に相手の様子伺いを繊細に行っていた。エリーサベトの父のオレリアンは、戦争が起きるのをいつも恐れていた。
「聞いたことのない音が聞こえたんだ。午前0時に鳴るなんて、今まで無かっただろ」
「あー、それは酔っぱらって熟睡していたから気づかなかっただけでしょう。今はシラフだから、敏感になっただけじゃなくて?」
「え、あぁーそうだったかなぁ。それじゃぁ、俺の聞き間違いだろう、悪かったなぁ」
本当は夜中に物音するだけで怖がるフェリシアは、ごまかすようにふとんの中に潜った。ダリウスは、分かり切った表情でため息をついた。
「おやすみ……良い夢見てね」
「……」
小刻みに震えるフェリシアは、怖くてたまらない。本当は怖いって言いたいが、弟には強がって見せたかった。
目を閉じたダリウス。いびきをかいて、寝始めた。フェリシアは、いびきがうるさくて、さらに眠れなくなる。我慢できずに部屋を飛び出した。
誰もいない広い廊下。赤いじゅうたんが長く続いていた。
一人で歩いたことがない。自国のお城でも必ず侍女が付き添っていた。今は、頼るにする者がいない。侍女にまだ信頼を得ていない。まさか、他国のお城の中に住むなんて思ってもみなかった。常に一緒だった執事が懐かしく感じる。名前もずっと覚えられずにいたが、今となっては必要な人だったのかもしれないと反省する。
お酒を飲んでもいないのに横にふらふらすると、横に置いてあった鎧の像に手をかけた。
「あー、我が城にもあったなぁ、これも……これも。まさか、あの家に戻れなくなるなんてなぁ」
「こんなところで何をしているの?」
薄暗い廊下で声がした。たまらず、フェリシアは壁際まで後ずさりした。さっきまで一人で平気だと鎧を触っていた。まさか、後ろに人がいるなんてと心臓が止まりそうになった。
「だ、誰だ!?」
壁掛け燭台がオレンジ色にぼんやりと光る。声をかけた主は、ため息をついて呆れる。
「誰って、声を聴いて分からないの。それでもあなたは元夫なの?」
「パ、パトリックか?! ここでな、何をしているか!?」
フェリシアは、怖さの方が勝り、まるでゴーストかのようにパトリックを指を差す。ひらひらのネグリジェが足が見えず、さらに怖さを増すようだ。
「あー、そう。私をゴーストにでもしたいってわけね。もういいわ。勝手にしてちょうだい。声をかけた私が馬鹿だったわ」
そういうと、パトリックは、赤いじゅうたんが続く廊下を進んだ。ひらりと揺れ動く彼女の動きが恐怖をあおる。
「ひぃいぃいいいいい! あっちへ行け。あっちだ」
「うっさいわね。一人で怖がってればいいわ」
腰を抜かして、じゅうたんの上で固まるフェリシアは、目を開けることをしなかった。怖いものを見たくないからだ。パトリックは、相手にすることなく、廊下を進む。突き当りに夜でもキラキラと輝く、ステンドグラスの前で立ち止まった。
「やっぱりいつ見てもこれは、癒されるわ」
パトリックは、近くにあったベンチに腰かけて、じっとステンドグラスを眺めていた。天使と聖人の絵が満月の光を反射して、輝いていた。眠れない夜にパトリックはこの絵を眺めに一人で来ていた。何も言わず、ただじっと見つめていた。
怖がっていたフェリシアは、全然、怖くないことを知ると、そっと、パトリックのそばに近づいた。一人で過ごす真夜中の空間は寂しくないのかと気になり始めていた。
何も音もしない。ただ、煌めくステンドグラス。満月の日にしか見ることができない。パトリックがここのお城に助けを求めたときにエリーサベトから教えてもらった癒しの空間だった。
「……綺麗だな。毎日、忙しすぎて、こんなに綺麗なものがあるなんて気づきもしなかった。バテドロン王国にも同じステンドグラスがあるのに」
「……あら、もう怖くはないの?」
「ふん、いつまでも怖がるものか」
「あ、そう。怖がりのフェリシア様だと思ったわ」
「うっさいわ。ほら、見ておけばいいだろう。大事な時間なんだろ」
フェリシアは、パトリックの肩をパシッと軽く叩いた。猛獣の顔になったような表情でパトリックは、フェリシアを睨みつけた。
「気安く私に触らないで!」
「……あ……」
一気に空気は重くなる。さっきまで何でもない会話をできていたはずなのに、フェリシアが体に触れたことでパトリックは、不機嫌になった。
パトリックは、鼻息を荒くして立ち上がると、自室へと足早に戻って行った。せっかくの近づくチャンスが訪れたはずなのに、台無しにしてしまった。フェリシアは両目を右手で押さえて、うなだれる。
「俺は、なんてことをしてしまったんだ……ちくしょう」
さらに眠気が覚めてしまっている。フェリシアの夜は長くなりそうだ。




