第7話 思い出したくなくても、頭に浮かぶこと
パトリック・フェリデンは、オスタワ王国の住民になったんじゃないかというくらいに馴染んでいた。侍女のマーナもパトリックがエリーサベト・モルベリの姉にでもなったかのような対応だ。エリーサベト・モルベリは、姉と思って接してない。心の拠り所である恋人だと思い込んでいるが、まだパトリック・フェリデンには告白できていない。幻滅してしまうのではないかと不安で仕方ない。友達以上の関係を築きたいと思っているのに、それが叶わないのが悔しくてたまらない。
今日も地下にある教会で優美な彫刻を施されたパイプオルガンの演奏をするパトリック・フェリデン。横にはリズムを小刻みに刻んで鼻歌を歌うエリーサベト・モルベリの姿があった。
「いつ聞いても、パトリックの演奏は癒されるわぁ。このパイプオルガンの迫力もそうだけど、パトリックの演奏ったら、ないわ」
とエリーサベト・モンベリが惚れ惚れしていると、ふと下を向いて落ちこむパトリック・フェリデンがいた。
「ん? どうかしたの。何か間違えたの?」
「ううん。演奏は間違えていないわ」
パトリック・フェリデンは、ふぅと長めのため息をついた。エリーサベト・モルベリは、パトリック・フェリデンのそばにまで駆け寄り、じっと顔を覗き込む。
「そんなため息をついたら、幸せが逃げるわ。私が吸ってあげる!」
力いっぱい吸い込んでオーバーリアクションをして見せた。パトリック・フェリデンはクスリと笑う。笑顔を見せて、安心した。
「なんだ、笑うじゃないの。そうなら、大丈夫ね」
「だ、大丈夫だけど、大丈夫じゃないのよ……」
「え? どういうことなの?」
「エリーサ、私ね。本当は今日、弟の婚約顔合わせの日になっていたの。それに出ないと決めてしまってから、本当にそれでよかったのかって、悩んでしまったわ」
「……パトリック、弟が婚約してしまうのね。貴女は婚約破棄を決めたっていうのに、デリカシーのない弟ね。酷いわ。というか、そんなの出なくてもいいじゃないの?」
悲しんだり、怒ったりしているエリーサベト・モルベリの表情を見て、パトリック
・フェリデンは、胸を撫で下ろした。何に悩んでいたか一瞬だけ忘れられた。
「パトリック! 貴女は自分のことだけ考えればいいの。婚約なんて、勝手にやらせておけばいいわ!」
「う、うん。でも、弟のナマスールは、元夫の妹との婚約を決めたのよ。私、めまいがしそうになったわ。またあのお義母様と関わるなんて、フラフラよ。どこまでもついてくるんだって思ったら……はぁ」
「え、うん。そうよ、そうよ。後ろついてくるなって話ね。え? ちょっと、待って。誰と婚約したって?」
「ハンナ・リドマン。フェリシア・リドマンの妹と、ナマスールは結婚するのよね。その名前を聞いたとき、背筋が凍りそうになったわ。吸血鬼に血を吸われた方がまだマシって思ったくらいよ!」
「なんですって。ハンナ・リドマン? 見たことがあるわ。私、あの子好きじゃないわ。何か、態度っていうのかしら。とにかく、そばに近づくのも無理よ。なんで、パトリックの弟はあの人を選ぶのかしら。断りきれなかったんじゃなくて?」
「……私もそう思う。ナマスールって女子の言うことはうんと頷いておけばいいんだって言っていたから、流れるように話が進んでしまった可能性はあると思うわ」
パトリック・フェリデンは腕組みをして考える。パイプオルガンは無音のままになった。
「うん。本当にリドマン一家は何を考えているかさっぱり分からないわ」
「私もそう思う。できることなら、遠くからそっと見守っておきたいところだけど、家族だからどうしても抜け出せないのよね」
「見られているものね、ずっと」
「本当、そう。こういう時に家族なんていらないとか思ってしまう。なおさら、お城で住むということすら嫌になることもあるわ。庶民になりたい。キラキラしていなくてもいいの。ただただ、心の安らぎが欲しい」
パトリック・フェリデンは、両腕をパイプオルガンの上に乗せて顔を伏せた。不協和音が響き渡る。これすらも音楽だというのなら、表現力がすごいとエリーサベト・モンベリは絶賛する。
「すごいわ。パトリック。音楽に自己の表現を込められるなんて!」
エリーサベト・モルベリは、何度も拍手を繰り返したが、パトリック・フェリデンはピクリとも動こうとはしなかった。
「私は貴女の強い味方になるんだから!」
小さな声で囁くと、思いっきりパイプオルガンに指をたたきつけた。さっきまで耳を塞ぎたくなるような不協和音が、エリーサベト・モルベリの指一つで明るい音へと変化した。
「これからが楽しくなるのよ!」
エリーサベト・モルベリは、起き上がろうとしないパトリック・フェリデンの横で本気でパイプオルガンを弾き始めた。誰に習ったわけでもない。適当に指を動かした。不思議と心が安らかになった。エリーサベト・モルベリは、そっとパトリック・フェリデンの涙を指で拭い、笑顔を見せつけた。




