第6話 幸せをつかむための場が息をしにくい空間へ
青い屋根のギノノ王国のお城ではたくさんの人であふれていた。
今日はバテドロン国の令嬢のハンナ・リドマンがナマスール・フェリデンとの婚約に向けての食事会が開催されていた。両親の顔合わせという名目でもある。本格的に話が進み始めていた。ギノノ王国のグレート・ホールでは、緊張感が漂いながらフォークとナイフの音が響き渡っていた。
「ねぇねぇ、この空気どう思う?」
小声で隣にいるナマスール・フェリデンの服の袖を引っ張るのは、少々テンション高めのハンナ・リドマンだった。頬にたくさんのチークを塗っていつも以上に濃いめの化粧であった。ナマスール・フェリデンは悠長に会話ができる状態ではなく、ナイフとフォークを持つ手も震えていた。こんな自分で本当に大丈夫なのだろうかと自信がない。
「う、うん……この兎のステーキは良い空気だね。うん。僕はそう思う、僕は……」
「さっきから、何を言ってるの? 私の話を全然聞いていないのね」
「……ハンナ、僕はいつだって冷静だよ。ほら、この通り」
そういいながら、ナイフはブルブルと震えてフォークは何もつかめていない。目の前にあるのはステーキではなく、黒いライ麦パンだ。目の錯覚で肉に見えたらしい。
「どこが冷静なのよ。ナマスール、本当に……大丈夫かしら」
ハンナ・リドマンは会話にならないナマスール・フェリデンから視線を逸らし、ここに来る途中で言い争いをした母のヴァランティーヌ・リドマンの顔をじっと見つめた。何も言わずに目の前にある前菜に手をつけていた。
(お母様ったら、全然様子が違うわ。ここに来てしまえば、全然冷静じゃないの。この婚約は認めないっていうのは無理な話ね。お父様が許さないもの!)
ブツブツとつぶやきながら、モグモグとライ麦パンをつまみながら、笑顔を見せた。パトリック・フェリデンの婚約が破棄となって数か月しか経ってない状態で、パトリック・フェリデンの弟であるナマスール・フェリデンとの婚約の話は信じられないと認めない母ヴァランティーヌ・リドマンと、ごり押しで婚約の話を進めたい父のヴィダル・リドマン王の考えが対立していた。国同士の問題で戦争にならないように導きたい思いが強かった。夫婦の間には見えない溝が見え隠れしていた。
一緒に参加していたのは、ハンナ・リドマンの兄でもあるダリウス・リドマンだった。複雑な気持ちのまま、フライドポテトを貪る。高級な肉には恐れ多くて手をつけにくい。
「ダリウスお兄様、ちょっと!」
少し遠くからハンナ・リドマンが口元に手を添えて叫ぶ。声がしても、会話するのが面倒だったダリウス・リドマンは無視し続けた。パクパク食べる手が止まらない。
「……全く、絶対気づいているくせに反応ないのね。なんのためにここにいるのか意味がわからないわ」
小声でつぶやくハンナ・リドマンの横で、ナマスール・フェリデンは、エスカルゴをやっとの思いですくいあげると笑顔を見せた。
「お、美味しそうに召し上がるのねぇ……」
何ともならない顔をして、じっと見るハンナ・リドマンに、ナマスール・フェリデンは、さらに満面の笑みを見せた。ハンナ・リドマンは、感情の温度差にやきもきしてしまう。やけくそに目の前のシャンパンをぐびぐびと口に放り込む。
「おかわり!」
「飲みすぎじゃないのかい? 大丈夫?」
「いいの、これくらい。私は飲まないとやってられないわ!」
「へ、へぇ~、そうなんだ。僕はエスカルゴのおかわりをいただこうかな」
「……ふん、ずっと食べてればいいのよ。エスカルゴだか、ピスカルゴだかなんだか知らないけど、食べ物に夢中になってなさいよ。本当に、もう!」
食事会であることは間違いないが、何がどう話が進むのか見当もつかない。ハンナ・リドマンは、自分自身を丁寧に扱われないことに不服とし、立ち上がってどこかに行ってしまった。その行動を見たナマスール・フェリデンは、追いかけることはせずにずっとおかわりを注文したエスカルゴを頬張った。このことがのちにとんでもないことになるとは思いもしなかった。
「ああ、なんて、美味しいんだ。何度も食べられるなんて、こういう時くらいだよなぁ」
なかなか帰ってこないハンナ・リドマンを気に掛ける人は、誰もいなかった。本当にこれは婚約に向けての食事会なのか謎である。
この食事会に不参加だったパトリック・フェリデンは、オスタワ王国でエリーサベト・モルベリとともにボードゲームを楽しんでおり、幸せなひとときを過ごしていた。中庭にいる鳩も落ち着いた様子であった。




