4-12話 神なんぞに負けてたまるか
視界の端で、現実が跳ね上がっていく。
「まさか…人間がここまで来るとはね。夢はどうだった?」
目に刺さるような原色の緑が緩やかな起伏を描き、その先には吸い込まれそうなほど深い、どこまでも無機質な青空が広がっていた。雲の配置、光の射し込み方、頬をなでるそよ風の温度に至るまで――それは計算され尽くした、シミュレーションのようだった。
だが、その中心に立つ存在だけが、決定的に「異物」だった。
「誰だ…お前は!」
「私の名前は天命。、あの時計に封印されていた。君たちの言う“神”だ」
人の形をしている。しかし、その声は鼓膜を震わせることなく、脳髄の奥底に直接響いた。姿は常にどれだけ凝視してもピントが合わない。
存在そのものが、この世界とは違う
「神だ……?」
俺は鼻で笑った。全身を貫く、大気を圧壊させるほどの威圧感に膝が震えそうになるのを、奥歯を噛み締めて強引に抑え込む。
隣で、重厚な革ジャンが擦れる音がした。
――いや、“隣”じゃない。
俺だ。
眼帯をし、無数の傷跡を刻んだ「別の可能性の俺」。
さらに、その後ろにも。
純白の法衣を纏った「聖職者の俺」。
片腕が鈍色の重機のような機械義手になった「傭兵の俺」。
性別すら反転し、凛とした表情の「女の俺」。
数えきれないほどの、あり得たはずの「鋼」たちが、この偽物の丘の上に集結していた。
「そんな者、俺たちには関係ねぇよ。ここは俺たちの世界だ。勝手に土足で踏み込んで、自分好みの壁紙に張り替えてんじゃねえ」
「ならお引き取り願おう」
天命は、不快感すら見せず淡々と言った。
「我々にとって、貴様らという種はすでに選別から漏れた。この宇宙の演算において、貴様という不確定要素は不要なノイズだ」
神を自称するその存在が、虚空から何かを引きずり出した。
それは有機的な曲線と、幾何学的なクリスタルが融合した巨大な人型兵器――いや、神の御座。
「神機・ライガーALPHA」。
全高二十メートルを超えるその機体が大地に降り立った瞬間、牧歌的な丘が衝撃波で文字通り消し飛んだ。
「言ってくれるじゃねぇか。不要かどうかは、俺が決める」
俺は一歩、前に出る。
背後に控える「俺たち」の意思が、一つの奔流となって俺の機体へと流れ込む。
空間が裂け、俺の相棒――「ブライXマキナ」が次元の狭間からその姿を現した。
「 帰りの電車まで、特等席で送ってやるぜ!」
次の瞬間――世界が悲鳴を上げた。
天命が指を鳴らした瞬間、物理法則が崩壊する。
空が裏返り、青かった天井は血のような赤に染まった。地平線が垂直に立ち上がり、重力ベクトルが支離滅裂に荒れ狂う。
「流石は地球人……」
ライガーの背後に、幾重にも重なる幾何学的な光輪が展開された。それは一つ一つが銀河の回転を模したような輝きを放ち、一振りごとに空間そのものを断裂させる。
「エウロペの守護兵装が突破されただけのことはある。君たちの『個』としての執着は、宇宙の寿命を縮める癌だ。エントロピーの増大を加速させる無駄な足掻きに過ぎない」
「何の話だ……! 難しい理屈を並べてんじゃねえ!」
ブライXマキナのスロットルを限界まで踏み込む。
背部ブースターからアストラルフォトンが噴出し、俺の機体は光の尾を引いて神の懐へと飛び込んだ。
「外宇宙のことだ。君たちが認識すらできない、高次元の階層構造の話だよ」
丘の向こうに、無数の星々が浮かび上がる。
それは天文学的な星ではない。「世界線」そのものが、半透明な層を成して重なり合い、巨大な大樹のように枝分かれしている光景だった。
「死にゆく細胞が、個体の将来を案ずる必要はない。消ろ!」
天命が優雅に腕を振る。
エリュシオンの掌から、純白の閃光が放たれた。それは熱量を持った攻撃ではない。存在の定義そのものを消去する、世界のプログラムを削り取るほどの一撃。
「――遅い」
別の俺が、風を切って前に出た。
黒い霧を纏い、呪言を刻んだ大鎌を振るう「冥府のブライ」。
空間ごと神の攻撃を刈り取り、虚無へと放り込む。
「ここから先は――」
「俺たちの戦場だ、そうだろ? おれ!」
義手の俺が駆る、内燃機関を爆発させながら加速する「半壊したブライ」が追随する。
同時に踏み込む。
俺たちの、俺たちによる、俺たちのための反逆。
ブライXマキナの右拳が、エリュシオンの多次元防壁に衝突し、火花ならぬ「情報の断片」が飛び散る。
銃声が空を穿ち、重力収束弾が次元の壁を歪ませる。TSした俺が放つ魔力収束型の極大レーザーが、神の光輪を侵食していく。
天命は強い。圧倒的に、絶望的に。
彼の一振りは「歴史」を書き換える力を持っている。俺たちの放った一撃は、届く直前で『なかったこと』にされ、受けた傷は『最初から負っていなかった』と因果を逆転される。
だが、それでも。
「一人で“完全”を名乗るなよ!」
俺はコクピットの中で血を吐きながら叫んだ。
たとえ今この瞬間の俺が否定されても、隣の俺が、後ろの俺が、別の可能性の俺が、その隙間を埋める。一人の「確定した死」を、千の「あり得た生」が肩代わりする。
「世界は、一枚絵じゃない! 俺たちが血を流して選んできた、泥臭い選択の積み重ねなんだ!」
エリュシオンの光輪に、初めて明確な亀裂が入った。
因果律の守りが、俺たちの「多重の可能性」という物量の前に飽和し始めている。
背後から跳躍した「女の俺」が、全魔力を変換したプラズマの一撃を中心核に叩き込む。
「貴様ら……ッ!」
天命の声に、激しいノイズが混じった。その端正な顔が、初めて屈辱と怒りに歪む。
「ただの、あり得たはずの分岐点の集合体が……! 確定した特異点である私に抗うというのか! 存在しない影が、太陽を穿つというのか!」
「違う。分かってねえな、神様」
俺は、砕け散る世界の中で最後の一歩を踏み出す。
ブライXマキナの全てのシステムをオーバーロードさせ、天命の時計を限界を超えて逆回転させる。
全ての「俺」が、一つの意志に、一つの拳に収束していく。
「俺たちは――“可能性”そのものだ!」
過去に諦めたこと。
選ばなかった道。
失った愛。
届かなかった手。
それら全てが、今、この瞬間の俺の力になる。一人の人間が抱えきれないほどの絶望と希望が、黒銀の鋼鉄に宿る。
「「「シャイニング・ビーム!!」」」
千の俺が、千の機体が、全エネルギーを一つの点に集中させる。
虹色の閃光が世界線を一本の針のように鋭く収束させ、神の胸を、その傲慢な心臓を貫いた。
――光。
――鼓膜が死ぬほどの静寂。
光が収まった後、そこには元の、あの退屈なほど牧歌的な丘が広がっていた。
だが、もうそれは「壁紙」ではなかった。
草の香りが鼻を突き、虫の声が耳に届く。
天命は、膝をついていた。
ライガーの装甲はボロボロに崩れ、ノイズのように急速に透けていく。
「理解……できぬ……。なぜ、これほどまでに脆く、不完全な種が、私を……」
「だろうな」
俺は煙を吹くコクピットから這い出し、折れた剣を杖代わりに立ち上がった。
隣にいた「俺たち」の姿はもうない。彼らは役割を終え、元の可能性の海へと還っていった。
「神様には、人間のしぶとさは分からねぇよ。俺たちは、負けても、間違えても、それを抱えて歩けるんだ。」
「それが……夢をあきらめた者の、目か……」
天命は自嘲気味に呟き、最後に一度だけ、自分が用意した偽物の青い空を見上げた。
そして、初夏の陽炎のように、音もなく霧散した。
気づけば、俺は一人だった。
丘はまだ、そこにある。
だが、もうピントがズレることはない。
指で触れれば土の冷たさを感じ、風が吹けば肌が痛いほどに冷える。
ここはもう、神の箱庭じゃない。――ちゃんと、俺たちが苦しみ、悩み、絶望するための“現実”だ。
「……行くか」
俺は重い足取りで歩き出す。
冬子のいない世界。
彼女を守れなかった、最悪の結果としての世界線。
神を倒したところで、死んだ彼女が戻ってくるわけじゃない。世界が平和になるわけでもない。
それでも。
彼女が最期に遺した「いつか、笑える日が来ますように」という、あまりに眩しすぎる、呪いのような理想を背負って。
俺は、この残酷で、けれど愛おしい現実で、泥を啜ってでも生きることを決めた。
そして目覚めた。




